失われた愛を
I南告の︿闇﹀
求
めてコ︶
一 はじめにIなぜ、︿闇﹀ ︵︿孤独﹀︶なのかI 新美南吉は、︿孤独﹀な童話作家であった。童話というジャンルで名作 を書き残した、その二九年余の生涯は、幼少年期の頃から︿孤独﹀という ﹁障害﹂を背負って生きていくことになった人間の、一つの生の軌跡であ る。その︿孤独﹀感は、既に少年期からあって、︿生きていく上での危機 感﹀としてしばしば彼の精神世界を覆っていた。それは、多くの子どもが 体験するいわゆる︿寂しさ﹀の心理をはるかに越えていて、存在自体をさ え不安定で、危うく感じさせるような感覚として迫り、︿他者との結びっ き﹀を困難にさせていた。言うなれば、それは︿孤独地獄﹀と表現しても よい、心理の︿闇﹀であった。 本論稿では、そうした南吉の︿孤独﹀の問題を俎上に取り上げ、その内 実を正面から論及することになる。というのは、南吉という作家の場合、 その文学︵童話︶の特質は、︿孤独﹀という不安定で危機的な精神層が基 底部分にあって、その反照として把握されるように思われるからである。 それほどに、︿孤独﹀の問題は南吉文学︵童話︶の奥底にあって、その文 学の扉を開く鍵になっている。 佐々木守は、一九五九年︵昭和三四年︶に﹁﹃おじいさんのランプ﹄論∼ において、南吉童話の本質を﹁常に流れているのは、はげしい孤独感﹂で 一一 ︵∼ 失われた愛を求めて剛−南告の︿闇﹀−︵北︶ 北 吉 郎 ︵人文学部人間文化科学︶ Kichiro KiTA あるとして、未明・広介の﹁近代とのたたかいを放棄したものの、すすり 泣き﹂にすぎない﹁善意の文学﹂とは一線を画し、﹁近代とのたたかいの 記録﹂﹁緊迫した状態の記録﹂であると指摘した。この指摘は、早い時期 に書かれた南吉諭の中では、秀逸の、鋭い論考の一つであるといえる。事 実、南吉作品には孤独感が横溢し、その童話の最大の特質になっている。 佐々木は、その︿孤独﹀について、﹁残酷なまでの孤独﹂﹁激しい内部意識 の衝撃﹂等の言葉で、作品論を展開した。佐々木は、主要登場人物に漂う 孤独感から、その背後にある作者自身の凄絶な孤絶意識を直観して、﹁激 しい孤独感﹂﹁たたかいの記録﹂と表現したのだろうか。みごとなまでの 眼力であったといえる。しかしながら、その背後にある作者白身の孤独に ついては、それがいかなる内実のものであったかについてまでは、一切論 及されることはなかった。また、それ以降にも、南吉とその文学︵童話︶ の孤独感を指摘した論考はあっても、その孤独の内実を問い、その内実自 体を本格的に追求した研究は、菅見ながらほとんど眼にしていない。∼ また、与田準一は、南吉童話を流れている主題を﹁生きるものおたがい の、しかしその生存所属を異にするもの同士の、流通共鳴﹂にあると述べ た。以来、この︵生存所属を異にするもの同士の、流通共鳴≒︶の言葉は、 南告童話を解明するキーワードとして広く容認され、現在に至っている。 それは、南吉作品に登場する主人公たちが、激しい孤独感を抱いていて、一二 ︵12︶ 失われた愛を求めて田十南吉の︿闇﹀− ︵北︶ そ の た め に ︿ 他 者 と の 結 び っ き ﹀ ︵ 魂 の ﹁ 流 通 共 鳴 ﹂ ︶ を 切 々 と 求 め る ス ト ー リ ー が 多 い か ら で あ る ︵ 結 果 的 に は 、 結 ば れ る こ と は 少 な い . ︶ だ が 、 こ の 場 合 も 、 そ れ で は な ぜ 南 吉 は 、 魂 の ﹁ 流 通 共 鳴 ﹂ を テ ー マ と し た 童 話 を 書 い た の か ︵ 書 か ざ る を え な か う た の か ︶ と い う 、 大 本 を な す 作 者 白 身 の ︿ 孤 独 Y の 心 理 に つ い て ま で は 、 追 求 で き て い な い . 要 す る に 、 厳 し い こ ‘ ・ ″ ・ ‘ i “ 1 、 i ' a _ j r i ( 1 ≫ 1 y 。 ' -> ._ 1 t r > > . " ︱ ^ r . A t -n ^ -v ≫ . ) e i > f _ ︱ ^ 1 1 1 _ 1 -t . 1 i i 1 . 1 . > -I ' -r \ i . ^ m . i U _ ! ( ︱ ^ 南吉は、幼少時より、︿他者との結びつき﹀における﹁障害﹂から、不 安定で、危機的な﹁寂しさ﹂の心理に襲われていた。その﹁寂しさ﹂の心 理は、本論で詳論するように、︿失われた母の愛﹀と密接な関係を有して いる。︵つまり、︿他者との結びつき﹀の基盤である信頼形成において 理的﹃障害﹄を受けていると考えられる。︶ や特質について、それぞれの見 しく求めつづに 諸家の南告諭といえども、なぜ のままで残っ一 を書くことになったのか︵書か 心理から、常i ざるをえなかった︶のかということについて、作者自身の内的衝動そのこ 本来ならば自然な形で習得されていく︿他者との結びつき﹀に関する﹁技 とに対する十分な分析や考察がなされた論及であるようには思われない。 すなわち、多くの南吉童話でなぜ︿孤独﹀な主人公が登場し、︿他者との 結びつき﹀︵魂の﹁流通共鳴﹂︶を希求する作品になっているのか、そのこ とを、そうした作品を書かざるをえなかった作者自身の内奥の︿孤独﹀の ︿闇﹀にまで分析の歩を進めることによって、明瞭に浮かび上がらせてい る著作はあまり見当たらない。 南吉は、後年︵青年時代に︶、肺結核を患っている。また、数人の女性 と﹁恋愛関係﹂に陥っている。前者では、死の恐怖に直面し、後者では、 幸福な人生が夢見られた。いずれも、青年期の若者にとって看過できない 重大な関心事である。事実、彼の青春時代のページも、そのことで大きく 埋められている。しかし、そうした重大関心事の渦中にあっても、南吉の 場合は、それ以上にと言うべきか︵それ以前の問題として、と言うべきか︶、 切実な問題としての︿生への希求﹀のために喘いでいたと思われる。それ が、他ならぬ︿孤独﹀の問題である。 能﹂において、重大な支障を抱えたまま、長じていくことになった。ある いは、逆に、︿他者との結びつき﹀が困難だったために、︿失われた母の 愛﹀をいつまでも求め続けた、と言うべきなのかもしれない。いずれにし ても、︿他者との結びつき﹀︵﹁魂の流通共鳴﹂︶の基底部分として形成され るべき相互信頼の心理において、少なからぬ障害を生じている﹁寂しさ﹂ が、ここに誕生することになった。それは、換言すれば、幼少の子どもに とっては耐えがたい︿闇﹀のごときものであり、それを抱えて生きていく ことになる。 心の中に障害を抱えて、︵そうした不器用さで︶息苦しい現実世界を生 きていかなければならなかった南告にとって、︿失われた母の愛﹀を獲得 し、その愛に包まれ、安らげる、唯一の、自由で自己実現できる場所が、 文学創造の空想世界だったといえる。それは、あたかも水魚が、酸欠状態 の水辺で、窒息死から逃れようとして渇望する泉の如きものだったに相違 ない。すなわち、︿他者との結びつき﹀における︿闇﹀︵孤独の苦しみ︶に
喘ぎつつ、にもかかわらず︿未だ満たされぬ空白﹀を埋めずにはいられな い飢餓感が、︿生への希求﹀行為として文学創造の世界へ駆り立てた、と いえる。そのような生い立ちの精神史として南吉の生涯をみたとき、たし かに結核死に対する恐怖も、恋愛問題も、未解決のままで長じてきてしまっ た心理層の︿闇﹀に覆われている者にとっては、最重要の先決事項ではな かったのではないか、と推測される。 例えば、東京外語学校時代、また卒業した後の南吉の生活は、結核の発 病や進行、すなわち将来の結核死を恐れて療養に専念するというよりは、 はるかに文学創作の方に軸足を置いた生の選択になっている。事実、それ は早死を是認しているような、無謀ともいえる文学創造への傾斜であった。 要するに、南吉にとっては結核死の恐怖でさえ、︿生への希求﹀の前では、 それを凌ぐことのできる程の防壁たりえていない。 このことは、恋愛についても同様である。日記等を信用するならば、南 告は、結婚へ結びつくような恋愛関係を三人の女性と体験している。し かし、いずれの場合も、結婚によって得られるはずの﹁幸福﹂や﹁平安﹂ を、自分のほうから頑に拒絶している。そうして、孤独と短命を肯定する ように文学創造へ没入した。︵このことは、稿を改めて述べることになる が、より詳しく言えば、その背後には、結婚という︿他者との結びつき﹀ を成就させることに対する絶望感があったのではないかと思われる。︶ 南告をして、以上のように激しい︿生への希求﹀︵文学創造︶ へと駆り 立てているもの、同時に又、その表現形態である文学︵童話︶を特徴づけ ているところの根源のものI﹁孤独﹂︵︿闇﹀︶−について、追求しよう とするのが本稿の目的である。 ここでは、そうした︿孤独﹀の内実︵︿闇﹀︶に迫るために、いくつかの 作品を取り上げ、また南吉の実生活の側面をも併せながら考察していく。 取り上げる作品は、幼少年時代を描いている自伝的私小説の系列である ﹁川︿A﹀﹂と﹁家﹂の両作品、及び代表的な﹁心理型﹂童話である﹁久助 一三 ︵13︶ 失われた愛を求めて剛−南吉の︿闇﹀− ︵北︶ 君の話﹂である。その理由は、﹁川︿A﹀﹂という作品で自伝的な少年が登 場し、凄絶な孤独が描かれており、﹁家﹂という作品で、そうした少年の 凄じい孤独の淵源がどこにあるかを追求しているからである。また、﹁久 助君の話﹂という作品では、登場する主人公の少年の年齢が両作品の延長 線上にあり、童話としては作者白身の分身にかなり近似していると考えら れる少年の﹁寂しさ﹂が、濃厚に表出していることによる。 実生活の側面における︿闇﹀︵︿孤独﹀︶のうち、三人の女性との恋愛関 係における︿闇﹀については、さらに稿を改めて論及する予定である。 ︵﹁失われた愛を求めて︵二︶−恋愛関係における南告の︿闇﹀−︶ 二 ﹁川︿A﹀﹂と、南吉の︿闇﹀ 本作品は、東京外語学校四回生︵二二歳︶の時に執筆された、自伝的 私小説系列の作品である。その当時、南吉は小説制作の方に相当力を注い でいた。作品としての評価はともかく、そこには少年時代の体験−母方 の祖母である新美志もの元へ養子に出された八歳になったばかりの頃− のことが描き出されており、自分の少年時代をどのようなものとして提示 しているかを見ていく上で、非常に重要な作品であるといえる。 作中の主人公の少年の名前は、伸。半月ほど前に、﹁町からおばあさん の家に貰はれてて来た﹂とある。作品の中での季節は、真夏である。南吉 自身が祖母のところへ養子に出されたのも、八歳のときであり、季節は 七月末だから、完全に照応している。作品では、その時の心境について、 ﹁住みなれた生活環境から、ぽっかりひつこぬかれ、両親も兄弟も友達も 置き去りにして、まるで違った生活の中におつぽりだされた﹂と描写して いる。養子先︵祖母の元︶での、新しい生活環境下では、﹁戸惑ひし、寂 しさを感じ﹂、﹁自分を温めるために、おばあさんに鎚り同年輩の少年達を 求めた﹂と叙している。こ︵傍点引用者︶ここで、﹁自分を温めるために﹂
一四︵14︶失われた愛を求めて剛−南吉の︿闇﹀−︵北︶ とか﹁槌り﹂という表現をしているところに、この少年は﹁貰はれて﹂く る以前からのこととして、十分には満たされていなかったであろう﹁寂し さ﹂を胸のうちに抱いていたことがうかがえる。 た言葉であった。−﹁伸ちゃは、いはば要らん子だ、後から来たおっ ちゃんに子供衆が出来なすったで。﹂ ぷ∼耳ぷ七に同穴に ここにに’湘リび。嘔。満男力にÅ∼、﹁び。恚ぶ湘てk∼ し同年輩の少年だ 明らかにされている。︵後から来たおづ母ちや る。︶ 十という設定も、異母弟の誕生という、実際氾 糟に、川がある まである。 \ 上堤へ遊びにいくことになる。伸は泳げないので、坂市も蓮造も決して水 の中に入って遊ばないという条件を付けて。︵出かける前に、坂市と蓮造 は伸のおばあさんからお菓子をもらい、伸と仲良く遊んでくれるように依 頼されている。︶ 上1 に着くと、川の中では、坂市や蓮造と大変仰のいい三郎が先に来て おり、泳いでいる。坂市と蓮造は、水の中で戯れている三郎の姿を発見す ると欲情をせき止めることができずに、とうとう川に飛び込み、三人で 楽しそうに泳いで遊ぶ。そうした成り行きを、上堤の上から見ていた伸は、 ﹁又しても一人取り残された寂しさ﹂をひしひしと感じることになる。こ の﹁又しても﹂の表現に、おばあさんの家に来る以前から、類似した寂し い経験を何度も味わっていたことが察知される。このときの伸の心理は、 次のように描かれている。 と不意に伸の胸に思ひ掛けなく一つの言葉が浮かんで来た。それはまだ 彼が町にゐた頃、近所の鍛冶屋の子と遊んでゐたときその子の母親が言つ 注目したいのは、新しい生活環境下にあって近隣の友達との結びつきに おける﹁一人取り残された寂しさ﹂が、自分と母親︵家︶との関係の中で ︿自分は要らん子﹀である、と初めて聞かされたときの心理状態と結びつ けて描出されている点である。そして、その心理状態は、﹁誰もゐない違 い山の中の、暗い寂しい谷底﹂に﹁ぽつつりふり落とされた﹂﹁一つの本 の実﹂に例えた上で、﹁魂を包んでゐた一切の温いものが忽ち脱落﹂﹁魂は 芯まで冷えて﹂と叙されている。 この心理を、どのような感覚のものとして把握したらよいのだろう。 ﹁魂を包んでゐた一切の温いもの﹂とは、優しさや、愛情、喜び・I、jほのぼ のとした明るいもの、楽しさ・:等、人間性の向日的側面−−言うなれば、 人間が前向きに明るく生きていける、力となるものIと、とらえればよ いのだろうか。それらの﹁温かいもの﹂が、抜け落ちていく感覚︵﹁伸は 立つてゐることに堪えられなくなってそこに鱒み込んだ﹂︶として描かれ ている。 ここで注視すべき点は、一人とり残された﹁寂しさ﹂の心理の根源に、
︿母の喪失﹀感と関わることが述べられていることである。こうした︿母 の喪失﹀感と結びつく﹁寂しさ﹂の心理が、きわめて特異なものであろう ことは言をまたない。少なくとも、一般的な多くの子どもの感じ方ではあ るまい。そうして、その﹁寂しさ﹂は余程深刻だったようで、そのことは その後の作品展開︵伸の行動︶によって示される。 伸に対して、川の中から、︿連帯﹀を呼びかけるような少年たちの誘惑 の声︱﹁伸ちやもはいれや、面白えぞ、これを見よ、どぶうん。﹂﹁いく らでも泳げるぞ。一ぺん水をのむと後は楽々だ。俺でも始め怖かったけん ど、一ぺんぶくぶくこいたら︵溺れたら︶こんだ泳げるやうになつただぞ﹂ という声−が飛んでくる。その誘惑の声を聞いた、このときの伸の心理 は次のように書かかれている。 ︵彼等のところに行けば一人ぼっちでなくなる。彼等に槌りっいていけ ば、温いものが得られる。︶寥しい谷底に漂流する人が人家の灯影を求め ていくように、冷えた小さい魂は温いものに槌つていきたい烈しい欲求を 失われた愛を求めて田∼南吉の︿闇﹀− ︵北︶ 伸は、遂に決心し、土堤の上から川の中へ飛び降りる。ところが、その 川は﹁ほんたうは水が立つことが出来ない程深﹂く、浅いように見えるの は坂市たちが﹁立ち泳ぎ﹂をしているからであって、彼は嘘をつかれてい た。ところが何と、伸はそのことを知りながら川の中へ飛び降りている。 言うなれば、自殺的行為である。この少年にとっては、そうした行為の選 択もやむ得ないこととして、それ程の﹁寂しさ﹂として、描出されている。 土堤から飛び降り、落下していく際の、伸の意識については次のように 述べている。 宙に体が浮いた瞬間、彼は村の方で蝉が鳴ゐていること、おばあさんは 彼が何をしてゐるか知らずにゐること、彼は村にもうかなり長い間いたと は伸のほんたうの母でないこと等を伸は走馬灯のやうにすばやく感じた。 ︵傍線引用者︶ ﹁母は伸のほんたうの母でない﹂ことは、八歳まで生きてきたこの少 年にとって、よほど深い傷痕として残っているようである。この少年は、 ﹁温いもの﹂︵すなわち、人との﹁結びつき﹂︶を得ようとして、その先に 死があり得ることを知りながら、川の中へ飛び降りた。そうした﹁寂しさ﹂ というのは、もはや︿孤独地獄﹀に相違ない。︿闇﹀である。 ここで気にかかる表現として、﹁彼は村にもうかなり1 い間いた﹂、の言 葉がある。これは、実に奇妙な文言である。というのは、伸は、﹁町から、 おばあさんの家に貰はれて来﹂てから、まだ﹁半月ほど﹂を経ているにす ぎないからである。にもかかわらず、﹁もうかなり長い間いた﹂というよ うな感じ方についてである。これは、後に考察することになる﹁家﹂とい う作品における﹁数百年、数千年﹂﹁劫初の頃から何度も何度も味はつて 来た﹂や、また﹁久助君の話﹂という作品における﹁もうこんなことが、 抱いたのだった。そして、その欲求が恐ろしい勇気をかき立てた。 ︵傍線引用者︶ ﹁恐ろしい勇気﹂とは、川の中へ飛び込むことである。﹁温いもの﹂を 得るために、である。泳げないのに。ここに、この少年の﹁寂しさ﹂︵孤 独︶が通り一遍のものでないことに気付かされる。︵初期代表作﹁ごん狐﹂ で言えば、自分と同じような︿一人ぼっち﹀の境遇の兵十のところへ心の 結びつきを求めて、︿生命を賭して﹀栗や松茸を持っていったようなもの である。︶﹁人間﹂として存在するということは、︵ましてや、年端もいか ない少年のような場合には︶﹁温かいもの﹂を欠いて独りで生きていくこ とは余程耐えがたいことのようである。この人物の﹁魂﹂は、それ程に ﹁冷えて﹂いたことを推測させる。︶ 一五 ︵15︶
一六 ︵16︶ 失われた愛を求めて剛∼南吉の︿闇﹀− ︵北︶ なんどあつたかしれない﹂﹁はじめて聞いたこの世の物音﹂等の言葉と同 じく、これらの少年たち︵すなわち、作者白身︶の﹁寂しさ﹂の内質を示 している表現として注目できるのではないかと思われる。信じがたいこと だが、これらの作品中の少年たちは、︿生きていることに疲れきってい る﹀のではないかと推測されるのである。すなわち、︿﹁寂しい﹂ことへの 疲れ﹀である。そして、︵どうやら︶そうした﹁寂しさ﹂は、︿母の喪失﹀ 感と密接に関係しているようなのである。言うなれば、︿求めても、求め ても。埋められることのない﹀︿空白感﹀としての﹃寂しさ﹄への︽疲れ︾ である。このことは、作品﹁家﹂の考察の際に詳述することになる。 ところで、こうした﹃寂しさ﹄︵孤独感︶は、少年時代のことを描いた 作品中だけのことではなく、作者自身の生涯を通した実生活にも及んでい たということについて論及しておきたたい。南告作品の根源の︿孤独﹀に ついて考える上で、作者側の側面からも深めておく必要があると思われる からである。 東京外語学校時代の日記に、次のような記述がある。親しい友人であっ た河合弘との喫茶店でのことである。 試験の了った日の夕方私と河合は本郷のポラリーズといふ喫茶店で夕方 までレコードをきいたりお茶をのんだり、煙草をすったり、雑談を交した りしてゐた。日暮頃になると、私は私の心から温い着物が脱落していくの を感じた。何か虚無感のやうなものがそくそくと追って来た。私はそこに 座ってゐながら、レコードや話をきいてゐながら、女の子や椅子や灰皿を 見てゐながら心がどこかへめげていってしまふのを知った。私は冗談に 。鎖を持って来て、私の心を縛ってくれ’とそんな風なことを喋ってゐた。 私はぢっとそのまゝ虚無の底に身を沈めてゐたかった。そんな時には、河 合の饒舌が大へんうるさいと思はれた。︵中略︶ 又私はいかに近付かう、一つになり合はうとこちらで、或ひは両方で努 力しても、結局友人といふものは他人にすぎない、個々別々のものにすぎ ないといふことをはっきり心に刻みっけるのであった。︵﹁メモ&日記﹂ 一 九三五∴二二三 傍線・括弧内引用者︶ ここには、同じ外語学校の一年先輩で、三回生のころから﹁ほとんど 毎日のように会って、何時間も﹂文学のことを語り合い、親しく交際して いた小説好きの河合弘と二人で、喫茶店でレコードを聞いたり雑談をし ているときに襲ってきた﹁虚無感﹂のことが述べられている。それは、 ﹁温かい着物が脱落していく﹂感覚であり、椅子に座り、レコードを聞き、 女の子や椅子や灰皿を見ていながら、﹁心がどこかへめげてしまう﹂心理 として述べられている。そうして、その感覚︵﹁虚無感﹂︶が追ってくるこ とで、河合との︿結びつき﹀おいては﹁いかに近づこう、一つになり合お うとこちらで、或いは両方で努力しても、結局友人というものは他人にす ぎない、個々別々のものにすぎないということをはっきり心に刻みつける﹂ というような絶望感に陥ってしまう心理のように読める。 こうした﹁虚無感﹂は、青年時代の南告の﹁孤独﹂について考える上で、 キーワードとなってくる精神風景である。例えば、初恋の女性であり、中 学校時代から一途な思いを寄せ続けてきたM子との恋愛についてみていく 場合でも、なぜ結婚へ結びつかなかったのか、その障壁となった大きな理 由の一つに、南吉が非常に恐れていたこの﹁虚無感﹂が存在した。次のよ うな記述がある。 巽のところから帰って来て机の前にすはると、例の寂しさがやってきた。 何者も自分を慰めてはくれなかった。虚無であった。その時私は考へて見 た。﹁aa︵M子︶と結婚したあとでもこんな寂しさが訪れて来るに違ひ ない。aaと相擁してゐてもこんな寂しさはしのび込んで来よう。その時 は私はどうすべきであらふか。﹂︵﹁メモ&日記﹂ 一九三五・四・一六 傍
線・括弧内引用者︶ ここにも、﹁虚無﹂と書かれてある。それは、﹁例の寂しさ﹂︵﹁寂しさ﹂ の語が三箇所出てきている。﹁例の﹂とあるので、彼の人生のなかでしば しば襲ってきており、彼自身がよく知っている﹁寂しさ﹂︶と述べられて おり、通り一遍のものではない、相当深刻なもののようである。﹁何者も 自分を慰めてはくれな﹂い、aaと結婚したあとでも、相擁していても、 ﹁訪れてくる﹂﹁忍び込んで﹂くる、つまり無意識層の底から浮かび上がっ てきて支配してしまう心理。︶のようである。 そうした﹁虚無感﹂︵﹁寂しさ﹂︶が、上記の河合との喫茶店での話し合 いの際にも生じてきているように思われる。どうやら、その﹁寂しさ﹂の 心理は対人関係において南吉を襲い苦しめているようであるが、その実態 に迫る糸口が上記の記述中に示されているように考えられる。すなわち、 ﹁心から温かい着物が脱落していく感じ﹂︵傍点引用者︶である。この心理 こそ、まさに作品﹁川︿A﹀﹂の中で伸がそのことに耐えられなくなって、 ﹁温かいもの﹂を得るために同年輩の少年たちに﹁槌りついて﹂いこうと して、死をも顧みず川の中へ飛び降りさせてしまった感覚に他ならない。 存在していること自体を耐えがたいまでにさせる、何か衝動的に突き上げ てくる﹁寂しさ﹂の心理、として把握すればよいのだろうか。 その﹁寂しさ﹂が、今、数少ない﹁友人﹂の前で起きている。小説のな かでは、少年伸は﹁恐ろしい勇気﹂にかき立てられ、眼下の川へと飛び降 りた。しかし、そこには水の中で受け止め支えてくれるはずの友達の腕は なかった。伸は、最初から坂市と三郎に編されていたのである。そのこと を知った上での、︵自殺的︶行為であった。人との︿結びつき﹀における こうした懐疑や絶望感は、後で考察することになる﹁家﹂や﹁久助君の話﹂ という作品にも共通している、少年時代を扱ったこれらの自伝的作品のテー マである。つまり、作品に登場する主人公の少年たちは、それぞれが﹁寂 一七 ︵17︶ 失われた愛を求めて剛卜南吉の︿闇﹀− ︵北︶ しさ﹂を埋めるために︿結びつき﹀を求めるが、いずれの場合でも相手と の間に︿結びつき﹀は得られず、落胆・絶望・悲しみの心理に導かれる展 開になる。そのような体験の積み重ねとして、少年時代のことが描かれて いる。 今ここに、喫茶店で、そうした成長過程を辿ってきた青年南吉の姿があ る。南吉は、その日の喫茶店でのことについて、翌日の日記の中でも、再 度とり上げて触れている。 畢竟二人の人間は二人の人間で一人にはなり得ない。一人の悲しみをそ のまヽ他の悲しみとし、他の喜びをそのまヽ自己の喜びとすることは出来 やしない。だから始めからさうしたことは望まぬ方がよいのである。いく ら親しくなりたい友人とでも、真裸でいかうというのは愚かである。やは り、或る場合には方便として嘘を言わねばならぬのである。 ︵﹁メモ&日記﹂一九三五・三・一四 傍線引用者︶ ここには、もう最初から、︿結びつき﹀を諦めてしまっている南吉の姿 がある。しかし、相手は、﹁ほとんど毎日のように会って、何時間も﹂文 学を語っている外語学校の親しい﹁友人﹂である。その﹁友人﹂に対して、 友情への信頼や︿結びつき﹀を否定し、﹁いくら親しくなりたい友人とで も、真っ裸でいこうというのは愚か﹂﹁やはり、或る場合は方便として嘘 をいはねばならぬ﹂と述べている。河合の側に、何か非があったわけでも なさそうである。契機になっていると考えられるのは、﹁日暮れ頃﹂になっ て突然襲ってきた、﹁虚無感﹂︵﹁寂しさ﹂︶にあるようである。一方的に南 吉の側か、﹁心から温かい着物が脱落して﹂﹁心がどこかへめげてしまう﹂ 心理に支配されてしまっているように思われる。 この日記では、そうなってしまった昨日の喫茶店でのような、いわば ︿対人関係における危機﹀への対処法としての考え方が述べられている、
一八 ︵18︶ 失われた愛を求めて剛−南告の︿闇﹀− ︵北︶ といえる。そうしてみると、ここに記述されている考え方というのは、無 意識層の底から沸き起こってくる、押し止めようのない﹁寂しさ﹂の及ぼ す人間関係の︿危機﹀から身を防御し、深傷を負わないように避けて通る ための、その生い立ちと資質から身につけた術が述べられている、と言え ようか。それにしても、数少ない友人に対して、﹁真っ裸でい﹂くことを 避け、﹁方便として嘘﹂を必要とし、結局固いガードを築いて交際せざる をえないとするような﹁寂しさ﹂﹃孤独﹄︶がもたらす精神風景は、︿闇﹀ である。言うまでもなく、南告自身が、好き好んでの選択ではない。その背 後には、どうにもならない潜在意識層から沸き起こってくる苦悩の︿闇﹀ が広がってある。 しかし、南吉が抱いているそうした苦悩に思いを馳せ、理解を深めてい た友人は、残念ながらほとんど無かった。河合弘の場合にしても、そうで ある。 河合には、数少ない東京外語学校の友人として、﹃友、新美南告の思い 出≒﹄という著書がある。だが、友人南告を見つめる眼は必ずしも温かく ない。むしろ、児童文学作家として著名になりすぎた南吉に対する不信感 が横だわっている。作家南吉の虚像に対する批判である。﹁新美南吉は作 られた童話作家﹂であるとして、﹁貧しく、惰薄き環境に育ち、病躯に鞭 打ちつつ珠玉の童話を残して夭折した、薄幸の作家﹂のイメージに対して、 自らを売り込む上での南吉白身の﹁演出﹂や﹁嘘﹂を非難している。その 著書では、南吉白身が語った言葉であるという﹁みんな、だまされている んだよ。﹂の語句が、何度も使用されている。あたかも、その言葉の指す 意味︵︿南吉作品の読者は、だまされている﹀?︶が、著書を底流してい る主旋律のごとき印象である。要するに、全体的な印象としては、生前の 南吉は河合に対して、好ましい感情や、信頼・尊敬といった念を殆ど与え ていなかったようにうかがえる。そうしたことは、同書の他の箇所で、南 吉を﹁幸福な作家であった﹂﹁うまくやった﹂等の言葉で述べている点に もうかがえるように思われる。もし、南告が、︵日記や創作上のことは別 にして︶対人関係の上で嘘・偽りがあったとしても、そうした嘘や偽り・ 仮面を必要とせざるを得ない内奥の苦悩にまでは思い至ってはいないよう である。U 南吉の苦悩が、友人たちに理解されることが少なかったことについては、 その生涯を通じて最大の親友であった畑中俊平の証言を聞くことで判然と してくる。そこには、南吉の人間像の側面も浮かび上かってくる。インタ ビュウーの中の、 尊し、という考え方だもの。 ・ まあ、彼の性格をIロでいうと、こういう言葉が、よく、あてはまる と思いますよ。﹁孤高﹂という言葉ねえ。 ・ その写真の中で、新美だけ、横を向いてうっっとるでしょう。みんな 真直ぐむいてるというのに。その写真を見たときにねえ、私は端的に、 彼の性格をよく、あらわしてるなあ、こう思いましてね。俺は違うんだ ぞ、みんなとは。・: 私にはようわかるんですよ。新美の気持ちが。成 程なあ、新美らしい写真だなあ、と思ったもの。︵中略︶何だあ、巽が という、彼には優越感があって。︵神谷幸之﹃南吉おぼえ書﹄第四集 一丸八二・ご∵二一一 傍線・括弧内引用者︶ これらの証言から、南告の人となりについて、﹁われ一人尊し﹂﹁孤高﹂ ﹁優越感﹂等の言葉が拾いだせる。イメ九ンとしては、優越意識の強い、 孤立していて、他者とは打ち解けることの少ない人物像、になるのだろう か。 また、畑中は次のように話している。 ・ 話となると、こっちの方がよくしゃべりますから。だで、やつは、他
人の話をきいてちゃあ、心の中で、ふうんと笑っとる方だから。一寸、 陰険というのかね、何というのかなあ。陰花植物のようなところがあり ますわね。彼は。 ・ ︵余り︶しゃべらんというよりもねえ。何というかなあ、ただ人の話 を聞いていて、自分のことは、あんまり、胸を打ちあけんタイプでね、 どっちかというと。 ・ 内面的には、相当、悩んでいましたねえ。ということは、あの男のこ とですから、私らには内面を、結局、打ち明けないですねえ。最後まで。 死んでからねえ。二〇年も三〇年もたってから、彼が残したという日記 を読んでいて、新美といえば、私にとって、生涯のうちで、おそらく、たっ た一人の親友であった、と思ったその新美だがねえ。 本当は自分の胸襟は、打ち明けなかったんだなあ。そう思ったですよ。・: 例えば、新美がねえ。腎臓結核だということを私は、知らなんだもの。 彼はそのことを、非常に悩んでいたらしいんですけど、そんなこと、一度 も、私には言わなかったもんね。最後の最後まで。 死ぬ一週間前でしたねえ。たしか。俺も、いよ、いよ、熟れた柿が落 ちるようにねえ。もう、俺れもいかんよ、という意味のことが、葉書に 五行位、書いてあって。⋮ ︵傍線引用者︶ ここには、上記の人物像に加えて、﹁陰険﹂﹁陰花植物﹂﹁無口﹂﹁自分の ことは、打ち明けない﹂等のイメージが付け加わってくる。いずれも、魅 力溢れる積極的な人間性の要素とは言いがたい。これらのことを考えるに、 根本的には、他者との間に共感的な︿結びつき﹀を得ることが不得手であ り、そのために孤独な生き方をしてきており、そうしたことが対人関係の 上では影が薄く無口となり、常に黙って人の話を聞いている側に回わらざ るを得なくなっている、しかしながらその内面世界では激しい自己主張や 一九︵19︶失われた愛を求めて倒︱南吉の︿闇﹀︱︵北︶ 優越感の疼きを抱いて生きていた、そうした受け止め方をしてよいであろ うか。 しかしながら、そういった他者との関係はあくまでも外面上の部分であ る。その内面の側、−例えば、﹁ごん狐﹂におけるごんの純粋な求愛や 優しさ、﹁手ぶくろを買いに﹂における母子狐の情愛、晩年の作品に見ら れる村人のほのぼのとした温かさや平和な地域社会−というような愛や 平和や美の世界については、対人関係の上には一切現れ出てこない。とこ ろが、そうした精神的な輝きというのは、苦悩の底にあった者ほど純度を 増してくる。その意味では、さすがに畑中の場合は、﹁生涯のうちで、お そらく、たった一人の親友であった﹂と自らも認めているように、﹁内面 的には、相当、悩んでい﹂たことを察知していた。それは、畑中もまた父 親の事業の失敗から悲惨な青年時代を過ごしており、高岡高商を二年で中 退している苦労人だったことに関係していようか。﹁悩み﹂については、 共感を得やすい人物であったと推測される。だが、それはどの親友に対し てさえ、最後まで﹁私らには、内面を、結局打ち明けない﹂、腎臓結核に ついても、最後の最後まで﹁一度も、私に言わなかった﹂と述べている。 結局、南吉という作家は苦悩︵︿闇﹀︶を一人で抱えて生きていた、といえ る。そこには、南吉の苦悩が特異であったこととの深い関係があろうが、 それにしても苦しい生き方であり、現実であった、と推測される。その裏 返しとして、切実な場として、自分一人だけの自由な空想世界が求められ、 そこではげしく︿愛﹀や︿明﹀を求めて児童文学を創造した、と言える。 三 ﹁家﹂と、南吉の︿闇﹀ 本作品は、一九四〇年五月一〇日﹁吟爾賓日々新聞﹂に発表された。 学芸欄を担当していた、友人の江口榛一による寄稿依頼による。県立安城 高等女学校に職を得て三年目、社会的にも精神的にも安定し充実した生
二〇︵20︶失われた愛を求めて剛−南吉の︿闇了−︵北︶ 活を送っていた、二七歳のときの自伝的私小説である。 南吉はこの作品で、家庭の中における自身の﹁寂しさ﹂︵孤独︶が、い つの時点で、どのようなときに、明瞭に認識されるに至ったか、その起源 の追求を意図しているかに見える。 南吉が、家庭における自分の孤独を決定的に思い知らされることになっ たのは、年齢的なこともあるが、何といってもやはり、養子に出されたこ とI自分一人だけが﹁おばあさんの家に貰われて﹂いった事件−であ ろう。結果的には、おばあさんの家になじめずに、四ヵ月後には戻って くることになる。が、しかし、そのこと自体が、大きな傷として残ったで あろうことは十分に予想される。八歳︵小学校三年生︶という年齢は、 家庭の中における自分の位置というものについて、十分に自覚的たりえる。 この養子事件を経ることで、自分の家での居場所について深刻に思い悩む、 一層孤立した少年になっていったのではないかと思われる。 先に考察したのが、養子先のおばあさんの家で、近隣の同年輩の少年だ ちとの︿結びつき﹀において味わうことになった﹁寂しさ﹂︵孤独︶であっ た。それに対して、本作品では自分の家に戻ってきた八歳の少年が、自 分の家における﹁寂しさ﹂︵孤独︶の淵源がどこにあるのか、記憶の糸を たぐるようにして、思いを巡らすという構図になっている。 六歳となり、七歳となった時のことについて、まず次のように述べて いる。 子供の魂の上を年月が流れる。子供は六歳となり七歳となる。 彼は自分がこの世界に現れてから、もはや数百年、数千年生きて来たや うな気がする。例へば夕方戸口に凭れて西の空の茜色を見てゐるとき、彼 は突如云ひしれぬ寂しさに捉ばれる。このやるせない寂寥感は却初の頃か ら何度も何度も味はつてきたやうに感じられる。 ︵傍線引用者︶ たかだか、六5七歳の子どもである。そんな子どもが、﹁云ひしれぬ 寂しさ﹂に捉われ、﹁もはや数百年、数千年生きて来たやうな気がする﹂ とか、﹁やるせない寂寥感﹂に支配され、それを﹁却初の頃から何度も何 度も昧はつてきた﹂などというような感じ方をするものだろうか。少なく とも、多数の子どもたちが感じる一般的な﹁寂しさ﹂の心理ではないであ ろう。 ところで、ここに掲げた文章を読むと、先に﹁川︿A﹀﹂の作品を考察 −したときに引用した、﹃巽のところから帰って来て机の前にすはると、例 −の寂しさがやつてきた。何者も自分を慰めてはくれなかった。虚無であっ た。﹂︵傍線引用者︶の日記文が想起されてくる。それは、初恋の相手であっ たM千との恋愛がなぜ結婚へ結びつくことがなかったのか、その最大の理 由の一 つとして取り上げた、青年南告の﹁虚無﹂︵﹁寂しさ﹂︶の心理であり か。そうして見ると、後年、しばしば南吉を支配していた﹁寂しさ﹂の心 理の淵源に関し、重要な示唆が得られることになる。すなわち、南告は 七歳のときには既に、﹁云ひしれぬ寂しさ﹂﹁やるせない寂寥感﹂の言葉 で言い表される心理が、心の中に突如として忍び込んできている。しかも、 そうした心理は、さらにそれよりも以前から起こっていて、﹁何度も何度 も昧はつてきたように感じら﹂れたという点である。この作品﹁家﹂で描 かれているのは、何と、七歳にして既に、︿生きていることの﹁寂しさ﹂ に疲れ果てている﹀少年の姿に他ならない。 こうした少年が八歳になる。︵この少年は、養子先から戻ってきてから 後の人物であると推定される。というのは、八歳になったばかりのとき 南吉は養子先にいた。この作品で舞台になっているのは、養子先ではなく 自分の家だからである。︶﹁或る日子供は孤独だった﹂とある。少年は、と りとめもない空想に耽りながら、﹁寂しさ﹂︵孤独感︶の淵源を辿っていく。 すると、記憶の奥底から立ち現れてくる地点’︱それは、家の柱時計が故 障したので、修理のために父親と一緒に自分の村を離れて﹁遠い村﹂へ行っ
て、帰ってきた日のことIが甦ってくる。それは、四∼五歳の頃のこ ととして、推定してよいのだろうか。というのは、南吉が四歳と三か月 のときに、︵病気がちであった︶実母りゑが死亡。それから四か月後1 南吉が四歳と七か月のときIには、継母志んと実父多蔵とは婚姻関係 を生じているからである。U︵継母志んの入籍自体は、南吉が六歳のとき であるが、それは異母弟の益吉が誕生する直前の形式的な入籍であった。︶ 作品中では、﹁母親﹂﹁お母さん﹂という言葉が頻繁に使用されている。が、 それはある箇所では現実の継母を指しており、また他の箇所では少年が恋 慕してやまない今は亡き実母の意味であったりしている。そのために、南 吉の家庭環境について全く前知識の無い読者の場合には、意味がよく分か りにくい内容になっているのではないかと思われる。 ﹁違い村﹂︵の時計の修理屋︶で、大人の長い退屈な話が終わる間、︵四 ∼五歳?の︶子供は赤い銭玉二つ三つをもらって菓子屋へ行く。店に は、親切な小母さんかおり、﹁みかん水﹂を求める。そこのところは、次 のように書かれている。 冷たい甘い水が子供の咽喉を流れる。それはうまかった。だがみかん水 の水のうまさは今子供の魂がいたみ悲しんでゐることを、しみじみ子供に 知らせるのであった。 子供はみかん水を飲みながら、菓子屋の小母さんを見てゐると、またし ても母親のことが思ひ出された。何十年も何百年も前に、子供は母親に別 れて来た様な気がした。そして再び母親のもとへ帰ってゆくといふことが、 もはや有り得ないかのやうに思はれた。もし今誰かが、さういったとして も、子供は泣きも喚きもせず、眼を大きく悲しげに見開いたまにその恐 ろしい運命を甘受したろう。子供の心はそれ程寂しさに疲れていた。︵傍 線引用者︶ 二I ︵21︶ 失われた愛を求めて田ト南吉の︿闇﹀− ︵北︶ みかん水の水のうまさは、﹁子供の魂がいたみ悲しんでゐる﹂ことを知 らせる。﹁子供﹂は、上で見たようにおそらく四∼五歳である。そんな 子供が既に、﹁魂がいたみ悲しんでゐる﹂ということ。 ﹁またしても母親のことが思ひ出され﹂、﹁何十年も何百年も前に、子供 は母親に別れて来たやうな気がした﹂とある。まことに奇妙な文である。 父親と一緒に、二人で遠い村までやって来たのは、夕食後のつい数時間 前のはずだからである。従って、ここでいう別れてきた﹁母親﹂というの は、決して先刻自分の村の家に残してきた現実の母親︵継母︶のことでは なさそうである。ここで、﹁母親に別れて来た﹂というのは、︿永遠の別れ ﹀ ︵死別︶を意味しており、四∼五歳のこの少年が恋慕してやまない、 半年から一年程前に亡くなった実母のことだと思われる。それ故に、﹁再 び母親のもとへ帰ってゆくといふことが、もはや有り得ない﹂という表現 になっているのであろう。つまり、実母のことを思うとき、彼我の距離の 隔たりから、﹁何十年も何百年も﹂経たことのごとく感じられるのであろ とするならば、ここで再び、先に作品﹁川︿A﹀﹂を考察したときに問 題になっていた少年伸の奇妙な感じ方−﹁彼は村にもうかなり長い間い た﹂︱の意味が相当明瞭になってくる。彼は、﹁貰われて﹂きてからま だ半月程しか経っていないのであった。要するに、両作品の少年たちは、 実母への恋慕を気が遠くなるほど際限なく繰り返しており、しかし、その 都度返ってくる現実の﹁寂しさ﹂に﹁疲れ﹂果てているのである。どんな に願おうとも、︿母の愛﹀を得ることはできないという絶望感や挫折感に とらわれており、そのことが﹁再び母親のもとへ帰ってゆくといふことが、 もはや有り得ない﹂という表現になっているのであろう。なまじ、﹁母親﹂ と呼ぶことになる継母が家の中に﹁入り込んで﹂きたために、その反対心 理として実母の面影を烈しく追い求め︵あるいは、︿実母の愛﹀を継母に 対して要求し︶、満たされない空白の心理︵﹁寂しさ﹂︶に襲われて、傷つ
ニニ ︵22︶ 失われた愛を求めて剛∼南告の︿闇﹀− ︵北︶ が、対人関係での障害となり、他者との︿結びっき﹀において絶望、傷心、 挫折感を生じさせ、その後の人格形成に多大な影響を及ぼしたものと思わ れる。そうして、少年時代や後年の青年時代の﹁寂しさ﹂︵︿闇﹀︶の心理 の淵源となって、突如として記憶の底から浮かび上がってくるのだと思わ れる。それ程に、︿母の死﹀の持つ意味は、四歳の子供にとって決定的 なものだったのであろう。上記の引用文中で、﹁その恐ろしい運命を甘受﹂ という表現に、そのことは表れているように思われる。 さて、時計の修理が終わり、﹁子供﹂は父親と一緒に、﹁母親﹂の待って いる自分の村へ帰って行く。子供と父親が、家に到着する。この時である。 ﹁家﹂というものが、自分にとって何であるのかという認識が、子供の胸 にはっきり刻まれるのは。 ﹁もどつたかや﹂と母親がきく。子供はかすかにうんと答へて、しげし げと母親の顔を見てゐる。これが自分の母親なのか。ここが自分の家なの か。︵中略︶ しかもこゝには何物かゞ一つ欠けてゐる。一番大切な何物かが。子供は はつきりそれを意識することは出来ない。だが子供の魂はよく知つてゐる。 その一 つのものがないために、この家は子供が違いよその村で、そこか 家とは違ふ。 母親でさえ、今一緒にこゝまで来た父親でさへ、寂しさのどん底で子供 を感じてゐたのとは違つてゐる。 ︵傍線・括弧内引用者︶ ここには、﹁子供﹂が﹁恋ひ慕つてゐる家﹂との違和感が述べられてい る。今の家には、﹁子供の魂﹂が知っている﹁一番大切な何物か﹂が欠け ている。それを、﹁温かさ﹂であるという。その﹁一番大切な﹂﹁温かさ﹂ が、自分の現在の家には欠けているとする。その﹁温かさ﹂とは、言うま でもなく、﹁恋ひ慕っている﹂ ︿実母の愛﹀に他ならない。﹁魂﹂が感じて いる違和感とは、︿実母なるもの﹀の喪失感であろう。 子供の﹁魂﹂といい、﹁温かさ﹂というとき想起されるのは、又しても I − 先に考察した﹁川︿A﹀﹂における少年伸の﹁魂を包んでゐた一切の温い I ︲ ものが忽ち脱落していって、魂は芯まで冷えて﹂︵傍線引用者︶の文言で ある。これは、伸が﹁伸ちゃは、いはば要らん子だ。後から来たおつ母ち ゃんに子供衆が出来なすつたで﹂という言葉を初めて聞いたときの、川の 中へ飛び降りさせる契機になった心理として描写されていたものだった。 つまり、﹁魂﹂とか﹁温かいもの﹂と表現するとき、その奥底の心理とし ては、幼少年時代の︿母の喪失﹀感と密接に関連していることを、ここで も明瞭に知りうることになる。 幼少年期のみならず、青年時代になっても、こうした﹁寂しさ﹂がしば しば襲っていたことについては、先に一例として、友人河合弘との喫茶店 にいるときのことを取り上げて述べた。他では、次のような記述も、日記 中に見られる。 私は仰向けに寝てゐた。そとには夜の嵐がとよもしてゐた。房の中には あかりがっいてゐた。けれど私はたのしまなかった。私は足のうらで柱を こすった。心から明るい着物ははがれてしまった。どうすることも出来な かった。女のことを思っても書物のことを思っても心は躍らなかった。 ︵中略︶ 房をとぢて夜のとのもに出た。︵中略︶だゞやはらかに私の心をつゝん でくれるものがほしかった。そしてほっほっと私か呟くのをきいてゐてく れるものがほしかった。︵中略︶ 蝶の一枚の羽が
他の一枚に重なるときのごとく 私の魂に今柔かく重なって来るものが あるといい 音も立てずに温かく重なってくるものが これは、東京外語学校時代︵二一歳︶のときの記述である。﹁女のこと を思っても書物のことを思っても心は躍らな﹂い、﹁どうすることも出来 な﹂いとあり、かなり深刻な︿寂寥感﹀に襲われているようである。だが。 ︱ ︲こうした心理も、﹁心から明るい着物ははがれ﹂﹁魂に今柔かく重なって来 ︱るもの﹂﹁温く重なって来るもの﹂︵以上、傍線引用者︶等の語句から推測 して、その始源を幼少年時代に遡ることのできる、︿母の喪失﹀感とかか わる﹁寂しさ﹂︵孤独感︶ではないかと考えられる。 自分の家が﹁恋ひ慕っている﹂家ではなく、コ番犬切な何物か﹂が欠 落していることを、﹁魂﹂で感じてしまっている子供は、自分の家庭のな かでの位置について明瞭な認識へと導かれることになる。次のような認識 ︵懐疑︶である。 だ。なるほどこれは自分の母親なのかもしれない。しかしそれならば母親 といふものは今まで子供が信じてゐた様に、世界中にただ一人の存在では なく、どこの村にもどこの家にも似通った女の人がゐるのではないか。た またまそのうちの一人が子供の母親になってゐるのでもあらうか。︵中略︶ しゃんしゃんしゃらんと、時計は歌ひっづけている。乳母車は白い道を とぼとぼと歩いてゆく。何処までゆくのだらう、それは。何処までゆくと 二三 ︵23︶ 失われた愛を求めて剛︱南告の︿闇﹀− ︵北︶ 子供の、ほんたうの村、ほんたうの家、ほんたうの母さんがあるのだらう。 −子供はやがて眠るまでI人とほくへかなしみつづける。 こうして子供の魂にはじめて懐疑の種がまかれた。彼の住む村は、彼の 住む家は、もはやもと通りの村や家ではないのであった。︵傍線・括弧内 引用者︶ ﹁子供﹂が、自分の家の﹁母親﹂に見たのは、﹁世界中にただ一人の存 在﹂ではない、どこの村、どこの家でも見られる﹁似通った女﹂であった。 こうして、この﹁子供﹂の﹁魂﹂に初めて疑念が生まれる。−自分の住 んでいる村・家・母親は、ほんとうの村・家・母さんではない、という懐 疑である1.︵﹁ごん狐﹂で言うならば、ごんが︿一人ぼっち﹀の︿獣の 狐﹀として設定されていることに投影されている、住む世界を異にする、 疎外された者、としての認識である。︶ここに、﹁子供﹂︵南吉︶にとって 生涯を貫くこととなる、異邦人のような︿悲しみ﹀が誕生する。 以上が、後年、安城高等女学校に勤務していた南吉が、自分の心の深奥 にある﹁寂しさ﹂︵孤独感︶の始源を追求して、幼少年時代にまで遡って 描くこととなった、作品﹁家﹂ある。 四 ﹁久助君の話﹂にみられる南吉の︿孤独﹀ この作品は、前二作とは異なり、自伝的私小説系列の作品ではなく、 童話である。南吉の童話は、鈴木晋一の分類に従えば、﹁心理型﹂と﹁ス トーリー型﹂の童話に大別される。U本作品は、その中の﹁心理型﹂童話 の代表的作品として、︿久助君もの﹀と呼ばれている一連の童話のなかで、 最も高い評価を得てきているものである。実は、この作品にも、作者自身 の少年時代の﹁寂しさ﹂︵孤独︶の心理が濃厚に表れ出ているので、取り 上げて考察することにした。
二四 ︵24︶ 失われた愛を求めて剛ト南告の︿闇﹀− ︵北︶ 本作品で、主人公の少年である久助君の年齢は、﹁四年から五年になる とき﹂と書かれてあるので、一〇歳頃である。﹁川︿A﹀﹂の伸が八歳になっ たばかりの養子先でのことであり、﹁家﹂の﹁子供﹂がやはり八歳の時で 養子先から戻って来てからのことであった。従って、本作品では、年齢的 には両作品の延長上における少年時代の﹁寂しさ﹂が描かれていることに なる。この作品の場合も、他の﹁心理型﹂童話の多くに共通してみられる ように、﹁寂しさ﹂の他、懐疑・悲しみ、等め旋律が基調となって根底を 流れている。 久助君は、学校から帰ってから一時間勉強し、遊びに出かける。が、 ﹁今日も仲間遠の声は聞えない﹂﹁もう、こんなことがなんどあつたかしれ ない﹂というような、遊び友達の少ない少年である。﹁もうこんなことが、 なんどあったかしれない﹂という表現に、これまでの考察作品で指摘して きているところの、際限なき︿﹁寂しさ﹂の繰り返し﹀と関連する心理を うかがわせる。 久助君は、いろいろさがし回り、やっと、兵太郎君という友達と出会っ たので、やむなく二人だけで遊ぶことになる。しかし、兵太郎君のやりた い遊びといって特にないので、久助君の方から仕掛けて、﹁取つ組み合ひ﹂ の︿狂い合い﹀をする。久助君が乾草にもたれかかっているとき、その︿ 狂い合い﹀の遊びは誘発されるが、その際の心理が興味深い。 乾草の山は昼間ぢゆう太陽に温められてゐたので、そこにもたれかかつ てゐると、お母さんのふところに抱かれてゐたじぶんを憶ひ出させるよう なぬくとさだつた。久助君は猫のやうにくるひたい衝動が体の中にうずう ずするのを感じた。 ︵傍線引用者︶ ︿狂い合い﹀の遊びの契機になっているのは、母親の﹁ぬくとさ﹂であ る。﹁お母さんのふところに抱かれてゐた﹂ときの﹁ぬくとさ﹂の記憶が、 ﹁猫のやうにくるひたい﹂衝動を起こさせている。すなわち、こんなとこ ろにも、孤独な影を帯びたその少年の﹁寂しさ﹂︵孤独感︶の淵源が、︿ 母の喪失﹀感と関連しているらしいことを知るのである。 ﹁取つ組み合ひ﹂の︿狂い合い﹀は、夕方まで続く。やがて、その︿狂 い合い﹀の遊びにも終わりが来て、﹁寂しさ﹂が久助君を訪れる。その ﹁寂しさ﹂は、次のように表現されている。 二人はしヤんとなっ七しまった。二町ばかり離れた路を通るらしい車の 輪の音がからからと聞えて来た。それがはじめて聞いたこの世の物音のや うに感じられた。その音はもう夕方になつたといふことを久助君にしらせ た。 久助君はふいと寂しくなった。くるひすぎたあとに、いつも感じる寂し I さである。 ︵傍線引用者︶ ﹁はじめて聞いたこの世の物音﹂のような静けさとして、その関連のな かで、﹁寂しさ﹂が迫ってきている。久助君の﹁寂しさ﹂の内質を考える 上で、興味深い表現であるように思われる。こうした﹁寂しさ﹂は、先に 考察した自伝的作品﹁家﹂における﹁却初の頃から何度も何度も味はつて きたやう﹂な﹁寂寥感﹂との関連をうかがわせるものである。それにして も、﹁くるひすぎたあとに、いつも感じる寂しさ﹂︵傍点引用者︶の心理に 引き戻されるところに、この年齢にして既に、少年︵南告︶に拭いがたく 形成されている︿寂寥層﹀を感じざるをえない。 ところで、本作品の最後は次のようにして終わっている。 だが、それからの久助君はかう思ふようになった。−わたしがよく知 っている人間でも、ときにはまるで知らない人間になってしまうことがあ
るものだと。そして、わたしがよく知つてゐるのがほんとうのその人なの か、わたしの知らないのがほんとうのその人なのか、わかつたもんぢやな い、と。そしてこれは、久助君にとって、一つの新しい悲しみであった。 ︵傍線引用者︶ 一人の人間が多面的な側面を持ちながら生きている、ということは人間 存在の真実である。本来ならば、そうした真実を知っていくことで多くの 人は人間的に成長し、一歩踏み出していくところを、この少年の場合は ﹁新しい悲しみ﹂として受けとめている。鳥越信は、このことについて ︵肉体的虚弱というハンデイ≒︶の自覚によるものであると述べているが、 果してそうだろうか。久助君︵南吉︶のこの﹁悲しみ﹂の心理は、作品 ﹁家﹂にみられるような四∼五歳のときの少年の体験を抜きにしては考 えることができないように思われる。つまり、継母に対して︿母﹀を求めて は絶望感や挫折感を味わったり、あるいは又、継母のなかにも一瞬︿母﹀ を感じさせる要素を発見した喜びの後の失望感の体験、等を無視して考え ることはできないように思われる。そうしたことから、他者との︿結びつ き﹀における体験では、新しい人間性の発見であっても、素直に信じて受 け止めるより先に、どうしようもない﹁寂しさ﹂の心理として沸き起こっ てくるようである。こうした、対人関係における﹁寂しさ﹂や﹁悲しみ﹂ という強い反応傾向を心の奥深くに潜めて、現実社会を生きていくことは、 茨の道を歩んでいくようなものであったと思われる。 五 終わりに 本稿では、童話作家新美南告の内奥の︿孤独﹀に迫るために、その内実 と淵源を追求すべく幼少年時代にまで遡って論及してきた。そこに見たも のは、︿失われた母の愛﹀に対する想像を絶する激しい欠落感・飢餓感で 二五 ︵25︶ 失われた愛を求めて剛ト南吉の︿闇﹀− ︵北︶ あった。そうした喪失感がもたらす︿寂しさ﹀の心理層が、︿他者との結 びつき﹀を形成していく上で心理的﹁障害﹂となっているように思われる。 南吉は、︿他者との結びつき﹀における︿闇﹀︵孤独の苦しみ︶に喘ぎつ つ、にもかかわらず︿満たされぬ空白﹀を埋めずにはいられずに、︿生へ の希求﹀行為として童話を創造していったのではないか。 ︿注﹀ ①佐々木守﹁﹃おじいさんのランプ﹄論﹂︵﹃日本児童文学﹄一九五九・一二∴︶ ②南吉の孤独の問題を、南吉作品のなかの﹁ひとり﹂という表現︵用語︶に着目 し、その使用頻度を分析することで考察している論考に、白木ゆみ子﹁南吉の ﹃ひとり﹄に関する研究﹂︵﹃梅花日文研究﹄創刊号 一九八一 ・こ、および ﹁新美南吉作品研究1童話・小説における﹃ひとり﹄を中心にI﹂︵﹃梅花日 文研究﹄第二号 一九八二・二︶がある。特に、後者の論考では、﹃校定新美南 吉全集﹄第一巻5第七巻所収のすべての童話・小説を分析の対象とし、﹁ひとり﹂ およびその関連の用語を抽出。その上で、孤独の要因を考察している。孤独の 要因として、﹁結核という不治の病﹂﹁幼少時における養子縁組﹂を指摘。そこ では、言うなれば一般的な︵というべきか、当を得た︶要因を導くために、膨 大な数量的分析作業がなされている。 本論で、北がめざしているのはそうしたことではない。白木の言葉を使えば、 ﹁ひとり﹂の内実に迫ることである。つまり、どのような、あるいはどのように、 ﹁ひとり﹂なのかを追求することを通して、﹁ひとり﹂の奥に潜む意識︵あるい は無意識︶層に迫ろうとするものである。 ③与田準一 ﹁南吉童話解説ll初期作品を主にI﹂ ︵﹃新美南吉童話全集﹄第一 巻 大日本図書 一九六〇・六・二〇︶ ④佐藤通雅﹁新美南吉童話論1自己放棄者の到達−﹂︵牧書店一九七〇二万 三〇︶ 佐藤は、南吉の﹁不幸﹂を、童話作家新美南吉の誕生として重視する。﹁南吉 が背負わなければならなかった不幸﹂﹁こらえている悲しみ﹂等の言葉で、その
二六︵26︶失われた愛を求めて剛−南吉の︿闇﹀−︵北︶ 作品を解読している。そして、そうした﹁不幸﹂が南告の生い立ちとしての ﹁幼児期と家庭﹂にあるとして、﹁幼児体験﹂を重視している。 だが、そうした﹁不幸﹂の内実の心理的側面については十分に掘り下げられ ているようには思われない。つまり、﹁幼児体験﹂がどのようなメカニズムで︿ 他者との結びつき﹀を困難にしたのかという点については、踏み込んだ論及が なされていない。﹁寂寥層﹂という注目すべき言葉の使用はみられるが、そのこ とと︿他者との結びっき﹀との関連が深められていない。要するに、南吉文学 の根底に、幼児期の家庭環境の﹁不幸﹂が大きな影響を与えていることを述べ てはいるか、ではその﹁不幸﹂の内実がどんなものであるのか、特に︿他者と の結びつき﹀との関連については、ほとんど触れられていない。最重要なこと は、南吉の︿不幸﹀というのは、︿孤独地獄﹀の言葉で言い表されるほどに深 い、心理的な︿闇﹀に覆われていたということであり、まさにその地点までの 掘り下げではないかと考えるのである。 ⑤浜野卓也﹃新美南告の世界﹄︵新評論 一九七三・六二二〇︶ 浜野は、新美南告という作家像を﹁さめた人間観照﹂﹁非情な人生観﹂という 批判的な言葉で捉えて、南吉文学を解読している。それは、南告作品が﹁暗﹂ く、﹁未来の萌芽を暗示させるような、あるいは解放への志向を思わせるような 作品が、皆無ではないがきわめて乏しい﹂︵つまり、﹁児童文学特有のピューマ ニズムがない﹂︶ためである。 浜野は、また同書のなかで、南吉を﹁実人生に挫折する以前に、すでに挫折 を予知し、戦う以前に敗北を透視する現実主義者﹂として、位置づけている。 こうした浜野の南告評は、南吉の側面の一つを厳しく突いており、かなりの 部分で当たっていると思われる。が、そこには、なぜ南吉が﹁さめた人間観照﹂ ﹁非情な人生観﹂﹁実人生に挫折する以前に、︵中略︶戦う以前に敗北を透視する 現実主義者﹂として、文学表現せざるをえなかったのかという、南吉の内奥の ︿孤独﹀の︿闇﹀にまでの踏み込みはみられない。換言すれば、南吉という人 間と文学に対する理解は必ずしも十分ではないように思われる。 本書は、どちらかといえば、南吉の人間性を非難的・攻撃的に批評。その分、 南吉文学に対する魅力や親しみを敬遠させてしまいがちな印象の作家・作品論 になっている。 ⑥鳥越信﹃鑑賞日本現代文学三五旧ル童文学﹄︵角川書店 一九八二・七∴ニコ 鳥越は、これまで南吉文学の原点として有力であった巽聖歌や佐藤通雅の考 え方︵﹁家庭環境複雑説﹂および﹁経済的貧困説﹂の二説︶に対して、﹁南吉自 身の手でかなり作られてきた虚像﹂であるとする浜野卓也の主張を取り上げ、 ﹁今では、ストレートにこの二説を支持する観点は薄れてきている﹂と述べて、 ﹁身体虚弱説﹂なる考え方を打ち出している。次のような主張である。 たしかに南吉は、与田準一の指摘した﹁生存所属を異にする者の魂の流通共∼ 鳴﹂を終生のテーマとして追いつづけた作家だった。 問題は、南吉が何故このテーマに執着しつづけたか、という点にある。そし てそれを解く有力なカギは、南吉が生まれつき虚弱な体質を持ち、常にそれを 大きな劣等感として意識しながら成長して青年期を迎えたこと、しかもその青 年期に喀血という決定的なダメージを受けたこと、などを軸とした肉体的虚弱 への逃れようのない自覚である。︵p二五二︶ また、他のところでは、﹁南吉が生まれ育った岩滑新田は、典型的な農村地帯﹂ であり、﹁そこにたまたまひよわな南吉が生まれた。まさしくひこばえのごとき 存在である。人一倍感受性の強かった南告の心の中に、村とか田舎とか農民と かに対する屈折した対応が生まれなかったわけはない﹂︵p二五五︶などと述べ ている。 南吉における身体虚弱というとき、それが意味するものは、実際には﹁身体 が非常に細長い﹂︵背が高くて、痩せており、胸囲が小さい︶ために﹁人々に弱 いと云はれ﹂る体躯のことで、早世した実母と同じように結核を罹病しやすい 体質としての︵臨床医学でいう︶﹁無力性姿形﹂のことである。南吉がそのこと を気に病んでいたのは、劣等感というよりは、肺結核との関連で考えたほうが よいことを、北は拙著︵﹃新美南告﹁ごん狐﹂研究﹄ 教育出版センター一九九一 ・五・一五︶の中で述べている。 南告にとって肉体上のコンプレックスが、特に思春期以降の年齢においては 人格形成上で重要な要因をなし、文学を志向させる于不ルギーとなったであろ うことを否定するものではない。しかし、問題は幼少年時代からの深刻な孤独