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論文 総合研究大学院大学学術情報リポジトリ

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(1)

﹁ 源 氏 千 種 香 ﹂ の 依 拠 本 を 探 る

総合研究大学院大学  文化科学研究科  日本文学研究専攻

  武 居   雅 子

﹁源氏千種香﹂は、元文年間に江戸で菊岡沾凉によりとりまとめられ、成立したと考えられる香の伝書﹃香道蘭之園﹄の八・九巻に掲載されている組香︵香りを聞き当てる香遊び︶である。源氏物語五十四帖のうち﹁桐壺﹂﹁夢浮橋﹂を除いた五十二帖を題材とし、他の香の伝書や組香集には見られない珍しい組香である。香道実技の場において、﹁源氏千種香﹂は﹃源氏物語﹄に基づいて考案された文学性豊かな組香と考えられてきたが、内容を精査してみると、原典の﹃源氏物語﹄と明らかに異なる事象が存在している。物語には見られない和歌が組香の証歌とされていたり、物語にはない言葉が聞きの名目に使われていたり、巻の順序が違っていたり、重要な場面での登場人物に欠落があったりと、必ずしも忠実な物語の再現はなされていないのである。しかし、組香考案者やその後継者によって、安易な物語の内容改編が行われたとは考えにくい。香道の歴史を顧みると、その創成に関わった人に連歌の関係者が多いことが注意される。一方、連歌の隆盛にともない、源氏物語の言葉︵源氏寄合︶を用いた句が多く詠まれるに至り、その教則本として﹃源氏物語﹄の梗概書が機能した事実が知られている。これらのことから、﹁源氏千種香﹂も原典の物語を直接の典拠としたのでなく、いずれかの梗概書を経て考案されたものなのではないか、という考えに至った。そこで、巻順の異同を手がかりに梗概書を調査したところ、中世から近世にかけて最も流布したといわれる﹃源氏小鏡﹄のそれとほぼ同じであることを確認した。さらに本稿で取り上げた﹁箒木香﹂の証歌、﹁玉葛香﹂の衣配り、﹁梅枝香﹂の薫物合、﹁若菜香下﹂女楽と、﹃源氏小鏡﹄第一系統︵古本系︶第一類京都大学本︵伝持明院基春筆︶の記述に、共通点があることを見出した。本稿では、これらの事象を﹃源氏小鏡﹄諸本の記述と比較し、精査検証しながら、﹃源氏小鏡﹄第一系統︵古本系︶第一類京都大学本系統が﹁源氏千種香﹂の依拠本である可能性を探りたいと考える。もしも﹃源氏小鏡﹄が﹁源氏千種香﹂の典拠として機能したとすれば、それは香という知的遊戯世界での﹃源氏小鏡﹄の享受であり、梗概書が源氏文化の世俗化への一役を担った例証といえるのではないだろうか。

キーワード源氏千種香 源氏小鏡 梗概書 連歌 組香

(2)

はじめに﹁源氏千種香﹂は、元文年間に成立したと考えられる香の伝書﹃香道蘭之園﹄

精原々の組香を事査してみると、典るの﹃源氏物語﹄と明らかに異個な ﹄と組かに原典の﹃源氏物語深く関わたっ香っ、しかし。でた知をとこるあ は、と容内語物の時たし験体をを連関持﹂たる、もりよは香源﹁いな氏 興りま﹁あは行香の﹂種千氏か源聞はな際香組のいにそ実で会香者筆。 名よで、香会でも氏く行われる、﹂が有が香こ知られるとてろなった﹁源と 文、ば言と化け氏源るおに香のそえ意﹂しき歩り独匠が図之香氏源﹁ 珍しい組香であ。る 源は﹂香種千氏の﹁こ。るい他て、のなに香いれら見は集香組や書伝の ち夢﹂﹁壺﹁五うの帖﹄語物橋浮桐﹂をを四しと材題十帖除十五たい二 れさ載掲九に巻い・八のて︵る組香資料21︶で、﹃源氏の 人とこたっわ関く多が物 顧創えた。香道の歴史をみると、のそ成歌い深のみ嗜にに連や師歌連、 と、根のから何拠はに編改の容もなるので考、かいなはとのし在存がた うき起が象現なこよのぜなはのでた、かお内語物るでけに香組がるあ 。るあで いは行なのれていわずに欠落があたりと、必っし再もが現の語物な実忠 が序り順の巻、使たいてれわにっ違重て面い人場登ので物場要、りたな てに語、物りたい︶とっな2の2料なは4い目︵言の2料資︶名き聞が葉の づ、ば。たいと気にこるあ語が物いには見られな和歌が証歌︵資え象例

︶称略と本学大都京 本類一第︶系第古︵統系一大の都京学筆本本古下以。系春院明持伝︵基 とあでじ同ぼほ称れの︶略もとこるそとにに鏡小氏源﹃﹄らさ。たいづ気 けし布流もて近かに世中らか世とた最い﹄︵わ鏡小﹃下以﹄鏡れ氏源﹃る小 りかが手を順同異の巻ずま各に査種の梗概書を調したところ、で、こそ たなされものなのはでいか、と推測した。 のたしと拠典、接直を﹄語物氏でののは概案考て経な書を梗かれずいく の能機が書概梗た﹄語物氏源﹃てししこと香﹃典原も﹂源種氏源、﹁らか千 ︵を︶合寄氏源﹄葉言の語物氏い用多た、と本則教句そのれま詠く数が のづく。一方連歌に隆盛にともない、﹃源気

たしにかい。 千けおに香種、﹁氏源﹃し示提る﹂源相ら氏を端一の明様受享﹄鏡小の 物と典原﹄語﹃氏源と容内の相の証違鏡を連関のとを﹄小﹃で上たし検 びよお順巻述はで章二、第べ箒﹁梅木香﹂﹁玉葛香﹂﹁枝香﹂﹁若菜香﹂を下 ま園ず第一章で、﹃香道蘭之﹄種の成立の経緯と﹁源氏香千﹂要概の た。い可性を探り能 、本しつつ古中でも本系都京学大種系るが﹁源氏千統香あの依拠本で﹂ ﹄鏡小﹃る﹂けおに香種千容受小の﹄較一比と本諸の鏡、﹃し摘指を面 ど容香組の﹁な﹂下香菜若のと内共本通氏源、﹁で稿は。れさ出見がた点 箒香木述、﹁にの記の﹂、﹁証歌や玉葛香﹂﹁枝香﹂梅 源め︱︱﹁源氏千種香﹂と﹃氏ま小鏡﹄諸本の関係の整理︱と︱ 香とこの楽女﹂下菜若﹁五  ﹁梅の四 香枝と﹂薫物合こ 配とこのり衣香葛玉﹁三 ﹂ 木﹂二 ﹁箒香証歌のこと とこの順巻一  第章二 ﹁の氏二 源﹂千香要概種 園一 ﹃香道蘭之﹄の概要と成立 章一第 にめじは

(3)

なお、本稿では宮内庁書陵部所蔵御所本﹃香道蘭之園﹄︵一六三八八五︶を底本とし

﹄成集本諸﹄鏡小氏 に源﹃﹃るよ氏健坪岩はていつに﹄鏡小氏源、﹃

。、は、既の分を含め出資さ料いたれ照参を2 。専なお香道のつ門用語にいて拠るに本学編日古典﹄文全集 源氏物語 源、﹃たま用。たい物氏は語﹄本文の引を﹃新用

第一章

々書元文の頃、数享の香伝が保京都・大坂で成立した・ い。うよし介紹てつ蘭概﹃香道に之園﹄の要まと、その成立の経緯ず   ﹃立成と要概の﹄園之蘭道香

。︶︵料1傍線部資を約してみる要 十原本の香炷一﹁の巻でここの﹂語最本緯経の立終書成るれらで分部 が種製法﹂など載掲されている。 、目名﹁たまがれさな﹂﹁説解録香名香香香薫﹂﹁目名薬薫詩古歌古﹂﹁ もるいてし場登組︶香︵ムーゲ十。の巻具と示図な詳細道香はていおに 物人立のどな形てはにと、い用使しをきっ料たいと︶8の2う資物盤︵ 和の語物や歌題るなと主の香組葉言︵をのと︶3証2・2料資詞証、歌 ・。るあで﹂下上れの香が掲載さ香ており、そう﹁種千氏ち源が巻九・八 なじに巻一るはらか識知礎基、りま二巻~組六三二にの録九びよお巻附 炷十﹂﹁模矩来の香﹂﹁伝のの香香と法﹂﹁香の拵え方﹂いった香道の﹁ 実て忠伝にも承る。しいて 5歴史、組香以前の炷︵料2の継︶、6空つに香の︶いの︵2炷資資料 のの香組は心中書集本。大あで成るで成以あの道香の来代時町室、がる 沾江りよに凉道岡菊は﹄園之蘭で戸れ取り集の法古の道香、たらめとま 中香、﹃

正保・慶安︵一六四四~一六五二︶の頃、京都に住み堂 上方に出入りして、様々な組香を伝授し、香道の達人と世に知られていた鈴鹿 周斎

仕えに熟達し、公卿にまてたいた衣山靭負丞宗秀香 た。き六て延宝︵一六七三~一八は一︶の初め江戸に下っ、

伝香永弘下山がのたけ受を授らの道 をか人二のこ。たけ設い、斎して江戸に下り住周の世話でその近所に も辞を職、

で、弘永から栗本穏置

10

と弘永の子息・一学に香の奥義は伝わったのである。

十巻末の奥書には次のようにある︵︹A︺から︹F︺の記号を付す︶。 延宝五丁巳春自鈴鹿周斎授之山下弘永︹A︺宝永七庚寅八月自弘永授之栗本穏置︹B︺

斯書原本一時之艸稿而前後錯雑穏置患之菊岡房行加力精訂旧稿始斯書大成名曰蘭

︹C︺

享保十八壬丑八月上旬自穏置授之菊岡寄邦︹D︺元文四巳未九月下旬自寄邦授之中村昌平︹E︺ 旹元文四未 秌向東窓菊岡崔下菴沾凉書

︹F︺

︹A︺︹B︺にはそれぞれ、延宝五︵一六七七︶年鈴鹿周斎から山下弘永へ、宝永七︵一七一〇︶年山下弘永から栗本穏置への、詳しい伝授の年月が記されている。

(4)

周斎が、香道家として生活を営むことを期して江戸に下ったとすると、香道がその頃江戸において定着し、それを享受する人口があったと考えるべきであろう。山下弘永について詳細は解らないが、栗本穏置については奥書︹C︺の部分から、周斎より伝授されたことをまとめた﹁一時之艸稿﹂の﹁錯雑﹂を穏置が患い、菊岡房行︵沾凉︶の力を借りて旧原稿を精訂し、﹃蘭園﹄と名付けた経緯が理解できる。つづいて︹D︺の奥書があるが、享保十八︵一七三三︶年に穏置より伝授された菊岡寄邦︵晴行︶は、沾凉︵房行︶の兄である。さらに、︹E︺には元文四︵一七三九︶年に中村昌平︵不明︶が菊岡寄邦から授けられたこと、︹F︺には元文四年に菊岡沾凉が書写したことが記されている。︹E︺は︹F︺の前にあるが、︹F︺が秋なのに対し九月下旬であり、︹F︺より後の記入かもしれない。ただし、中村昌平については不明である

︺岡凉︹︺と︹沾に見える菊CF11

を家沾露藤内を諧俳。たしと業 田たため、自ら望ん江戸へ出て神でに一居︶経はに説師︵薬売、め定を 房。たしと行、を名にれさ出のそ尚後、養父菊岡行に実子が誕生し養子 にじ名賀上野の人で、はめ飯束氏家を乗母岡菊家実のっ方にちの、がた 七四七一︵四く享延、れま生に年︶な十っ伊月るいて。亡で歳八十六に 六延宝八︵一年八〇︶は七月、 12

うろあでのたれわ 人うよっあで躍識知たし。活でだた従のっ買を力能編集そに置穏本栗て きど二十余冊を書面残しており、多方作な著なじの地誌はをめ、考証的 に戸江、﹃じ通砂学の漢和、ら﹄わ子のを江るす表代戸代戸江なうよ時 しび、俳諧師とすて活動るかたに学 13

のに時れ身分制度でいう﹁工商﹂あ流たる階層、地下へと香の文化当が 岡生菊たしと業︶を凉師経はいる沾よにあり取りまとめられたことは、︵ 薬ま上売緯が読み取れる。た本来た堂の香で戸江、がも道たっあでの経 、十らか述れ記の書奥の世こ七流紀戸きが道香に江後らか都京に半て 。 14 た﹂流家御、﹁でのるあで人香 とに周斎は堂し出入り鈴てい鹿上、うたま道流派いと視点から見る香 一記つのうか。で録と言えるのたはなろか

らら式方の承伝、さか書奥に ら考えれう。よ 系、ら斎周鹿鈴れるら見に書本のか譜たはと流家御﹁﹂し、分に東関派 ﹂流家御﹁のをれ流降以称翠とたするようになっと言われる。、含をの 公頃に堂上から地下にり、それで移家﹂たいでん呼のと流当﹁はで間ま 島路猿、基隆し小油、広光丸烏胤家、、含大たっわ伝翠に伝相と翠含口 で流ある。﹁御家、﹂は、三条西実隆の人 15

本おるあはで書伝の流家御は書な でトとして広く普及したものはれなかったと考えらよう。 と言れえ、もの間たれさ容受でのそテゆもえキの道香ス﹄之蘭道香﹃園 者しうこにけだけるれら受を伝書たたをく人たれら限ちごけ、授るでの にき書てったわ代か何くなは継で、れがるたしかし。相れせ察とのもら 、凉であるがの彼一人著作は沾のたと理、﹃蘭之園﹄しい書名を付けう し斎周鹿鈴ての関に成書本伝の立え意る整でん汲を、の穏本栗を所置 初全完﹁は当、く多の相﹂伝てのたい。っと式形を 道湯香、花立、括の茶、がたきどなら、ル遊もるれにのンジういと芸ャ よ家の襲世にうやの楽能楽雅。る芸の家がでてれさ貫徹﹂伝相子一﹁は 式完全相伝﹂形がであることが解﹁ 16

。うよえ にれら見かしが書本い﹂香種千な氏組目香とるす値に言注とこるあでが 戸とまり取で﹄江が園之蘭道らめあれ、源、﹁にらたさとこるで書伝香 た香、﹃に代時っ。もあじられないいずれにてし京香で流主の都道が坂大・ 流自、もてい狭てし介紹にもとみのなに意感こまあは識り派偏るわだ流 を他流の組香流その派名とが、 17

二  ﹁

源氏千種香﹂の概要﹁源氏千種香﹂は、﹃源氏物語﹄五十四帖のうち﹁桐壺﹂﹁夢浮橋﹂を

(5)

除いた五十二帖を題材とした組香である

作所だ 盤てて仕に物るはい香あ、りた、立の形ん聞に語物に因人がたしにきい 香語物、は﹂源種千氏﹁方一巻のい々歌用を詞のや証証、え捉を面場 をの内容との関連性持つものではない。 芸寄に界世のて工や画絵ししと与匠た氏と語物は﹂香源、﹁がうよえ言 ﹂そ。るあでの図之香氏源﹁が図のさ柄さ意氏源のれ、やはてもが白面 図ためはてあを柄にをの巻五十四帖連想しそ、初を各、き巻除巻終最と 答ぶ回てっよ。二結で線横を頭可のこ能氏が五十となり、性の数から源 五炷縦線でを本五。く炷を包らあのわがしの、ばれあ線香、同内のそじ 包五々各を種香五は﹂氏源意﹁用香しう、五意任ちのの五十二その包 いつに点組なが香るすてい氏はじ、﹁るあで。同と﹂香源 。﹁応対に﹂橋浮夢﹂﹁壺桐 18

の2料資︵捨聞 心し能に出描情場の物人い登、やて機る香もていおに組、た。るあものま 語で香組の半後逆物、にはとれ証は面歌そが情の場の趣、らい用く多れ 帖﹁巻のめ初のる十治宇ゆわい姫橋物香登﹂。いなし場こは盤に後最を 橋っいと香姫邂︵逅姫のと君、た︶物を語。いてめ求る題のに点換転主 蹴︶、香屋関山︵詣石︶、で鞠上の垣間見︵若菜香︶、宇治の澪香漂詣︵ 王︶俗風朝どな幸香開御︵り狩が展す争吉住︶、香葵︵い車、や面場る 絵物薫︶、香合の︵合絵︶、香女︵合蝶梅鷹︶香胡︵い争枝秋春︶、香や ちは、盤物のう香﹂香種千氏源﹁三十下で五、女︵姫舞の節乙や菜若︵楽︶ 物く深りを語が、らなて当しき楽よめたる。あで香組るれよえ考にうら 組仕の香組り、とたせにみ、物語を取り入れて香りを聞をさ 19

15︶や捨香︵資料2の

人不物や場登、て離別、在死などの喪失感を演出の ︶っ使を︶則規︵ルールたっいと16

う関。諸本との連をみてみよ 氏典原語物を源、﹃し査精のとな相違を押さえがら、﹃源氏小鏡﹄容﹄香組内 ﹂木では第二章で、巻下との箒順香枝香﹂﹁若﹂﹁香菜、﹁梅﹂﹁香葛玉 ある。 ものもるいてし 20 る順で、これらの巻の序いは次のようになっては。 川な竹小香﹂﹁紅梅香﹂の順にっ﹃ている。注5前掲書所載﹁の本諸﹄鏡 ﹂香、生蓬の﹁屋関﹂はでも﹂﹁河じ順竹あり、同でく梅香﹂﹁現紅﹁の行 蓬、﹁﹄語物氏源﹃の行現で生﹂﹁あ関屋﹂の順で﹂る種が香は千氏源、﹁   との順巻一こ 章二第

第一系統︵古本系︶第一類京都大学本︵伝持明院基春筆︶せきや︲よもきふ たけかは︲紅梅第二類宮内庁書陵部本せき屋︲よもきふ たけ川︲こうはい第四類国会図書館本︵古活字版︶せき屋︲よもきふ 竹川︲紅梅第二系統︵改訂本系︶神戸親和女子大学本︵無刊記整版︶ 関屋︲蓬生 竹川︲紅梅第三系統︵増補本系︶第二類都立中央図書館本︵三井寺聖護院系統︶よもきふ︲関屋 竹河︲紅梅国文学研究資料館本︵道安系統︶関屋︲蓬生 竹川︲紅梅第三類天理図書館本せきや︲よもきふ  たけかは︲こうはい第四系統︵簡略本系︶神宮文庫本関屋︲よもきふ 竹川︲紅梅大阪市立大学本せきや︲よもきふ 竹川︲こうはい第五系統︵梗概中心本系︶天理図書館本︵伝飛鳥井宋世筆︶

よもきふ  竹かは︲こうはい京都大学本︵飛鳥井重雅筆︶よもきふ︲関屋  紅梅︲竹川

(6)

天理図書館本︵連蔵筆︶せきや

第六系統︵和歌中心本系︶京都大学本蓬生︲関屋 竹川︲紅梅

*1 ﹁せきや﹂﹁よもきふ﹂の順であるが、﹁せきや  ﹂﹁よもきふ  ﹂と割注付き。*2 目次には﹁十一、みをつくし ﹂とあり、本文に﹁ならひ、よもきふ﹂とあるが、﹁せき屋﹂の本文はない。*3﹁一、せきやのまきと云事。・・・﹂の次は﹁一、うすくものにうゐんは、・・・﹂と続き、﹁よもきふ﹂は見当たらない。

﹁関屋﹂﹁蓬生﹂の巻順については、第三系統第二類都立中央図書館本、第五系統京都大学本、第六系統京都大学本が﹁蓬生﹂﹁関屋﹂となっており、﹁竹河﹂﹁紅梅﹂については、第五系統京都大学本だけが﹁紅梅﹂﹁竹川﹂となっていた

、注﹁紅梅の本文末︵﹂5掲書、六三頁︶に前 れ揺の順巻るおら見にここなにれ第関類の本学大し京都一系本古、て る。るれらえ考とあ性能可たが あで、らかとこ﹂順のの香梅紅﹁こる順氏番っ使を﹄小鏡源﹃たれか書で 氏屋千種香﹂は、﹁関香香﹂﹁蓬生香﹂、﹁竹川﹂。﹁源 21

又、かほる中しやうのならひ、こうはい、たけかわともいへり。又たけかわを、まついふ事あり。おなしことなれは、いたくあ   んすへからす。 という文章がある。また、稲賀敬二氏は﹁五十四帖成立異聞﹂

二二一頁で、 22 るあで。 れけそを長編の流れのこへ位置づどる多うかよたっかが題問来古、 の扱を譚日後空性女う花・エうとピソードで一巻をなしている。い蝉 末平立摘安時代の末頃、すに二つので場たがれずい。もいし存併て 関の生蓬・屋順、と・生蓬と順の、どちらの読み方を採るかは、関屋

と記されており、参考となる。

二  ﹁

箒木香﹂証歌のことまず﹁源氏千種香﹂の﹁箒木香﹂の内容を見てみよう。︵傍線部は筆者による︶

  箒木   園原 伏屋  此の九包打合、三結にして三炷開き也。三度にきく。三炷の内、箒木はかりをきゝて、園原、伏屋はきゝ捨也。三炷の内、箒木一炷あれは木の札、但、  箒木二炷ある時は林の札、三炷共に箒木の時は森の札。三炷の内に箒木なくは木陰の札也。又、

二炷有時  林   名その原や伏屋におふる名のう きにあるにもあらすきゆるはゝきゝ

﹁箒木香﹂では、証歌に因んだ箒木・園原・伏屋と名付けた香木三種を用いる。本香︵ゲーム本戦︶開始前に箒木の試︵資料2の

おいれを一組ずつ聞ていく。三包聞いたでらてえ覚て聞い試に中のそ、 まずぜた後、三包そつ三組にわけ、打ちをず包九のこ、し意用つ包三を 用意香が必包ので四計は木箒、で要はある。本で、箒木・園原・伏屋の が︶ある13

(7)

いた香り、箒木があるかどうかを考えて、札を打つ︵資料2の

。う諸本でどはであろうか な句三第、りと異が句一第は一も部鏡。﹄分小﹃はでるいてっな異が にの名ふおさ屋伏ぬらな数うるにすあ木るゆ消帚らもにるあ いりあでたなら当見源は、﹃歌氏空物歌の蝉、の語本諸﹄で は歌和るっいてなと歌源﹃や氏物語﹄諸本諸注釈書にで証ここ、てさ なや伏屋がても答え出いき捨てである。聞 。をれこてしそのす出を札﹂陰度三と繰ル原園。るりであルういす返ー っ﹂森﹁らなたかだ木箒もとつ札のたをが出、﹁らっな木木もつ一、箒し あ木﹁らたっがつ一木箒にの内﹂﹁札を、二つなら林﹂の札を、三包の ︶。三17

第一系統︵古本系︶第一類 京都大学本︵伝持明院基春筆︶そのはらやふせやにおふるなのうさにあるにもあらすきゆるははきゝ第一系統︵古本系︶第二類 宮内庁書陵部本そのはらやふせやにおふる名のうさにあるにもあらすきゆるはゝきゝ第一系統︵古本系︶第四類 国会図書館本そのはらやふせやにおふるなのうさにあるにもあらすきゆるはゝきゝ第二系統︵改訂本系︶神戸親和女子大学本かすならぬふせやにおふるなのうさにあるにもあらすきゆるはゝきゝ第三系統︵増補本系︶第二類 都立中央図書館本そのはらやふせやにおふるなのうさにあるにもあらすきゆるはゝきゝ第三系統第二類 国文学研究資料館本その原やふせやにおふる名のうさにあるにもあらすきゆるはゝきゝ第三系統第三類 天理図書館本其原やふせやにおふる名のうさに有にもあらす消るはゝきゝ第四系統︵簡略本系︶神宮文庫本その色 やふせやに生る名のうさにあるにもあらすきゆる帚木 第四系統 大阪市立大学本其はらやふせやにおふる名のうき に有にもあらす消るはゝきゝ第五系統︵梗概中心本系︶天理図書館本︵伝飛鳥井宋世筆︶そのはらやふせやにおふる名のうさにあるにもあらすきゆるはゝきゝ第五系統 京都大学本︵飛鳥井重雅筆︶ この歌の記載なし第五系統 天理図書館本︵連蔵筆︶そのはらやふせやにおふるなのうさにあるにもあらぬ きゆるはゝきゝ第六系統︵和歌中心本系︶京都大学本  この歌の記載なし

という結果であった。なおこの歌の記載のない第五系統京都大学本では、はゝ木ゝの心もしらて其原のみちにあやなし まとひける哉同じく第六系統京都大学本では、はゝきゝの心をしらてその原の道にあやなくまとひつる哉の歌が載せられている。この歌は、空蝉の﹁数ならぬ﹂の歌の直前にある源氏の歌であり、いわゆる青表紙本での﹁帚木の心をしらでその原の道にあやなくまどひぬるかな﹂とは、助詞や助動詞が微妙に異なる部分がある。伊井春樹氏は、﹃源氏小鏡﹄での第一句﹁そのはらや﹂について︵注3前掲書、八〇四頁︶、  異文発生の原因としては、古註釈書で指摘する本歌との関連が考えられる。﹃紫明抄﹄を例にすると、﹁かずならぬふせやにおふる云々﹂の歌の注記として、そのはらやふせや 00000000におふるはゝ木ゞのありとは見れどあはぬ君か

しなのゝくにゝ、そのはらやふせや 00000000といふ所にあるなり、はゝ

(8)

きゞに両説あり、︵以下略︶と説明する。これを見てすぐに、﹁そのはらやふせやにおふる﹂までの上句が、﹃小鏡﹄の引用歌とまったく一致しているのに気がつくだろう。作者は所持した物語本文の行間に、典拠とした歌を古注などから書き込んでいたのであり、ダイジェスト化する際目移りなどにより、それに引きずられて新たな異文を作り出してしまったと考えるのが妥当ではないか。そのような異文を持つ伝本がかつて存在したとするよりも、合理的な解釈だと思う。 と論ぜられている。﹁箒木香﹂考案者が、何の根拠もなく、﹃源氏物語﹄と異なる﹁その原や伏屋におふる名のうきにあるにもあらすきゆるはゝきゝ﹂を証歌に用いたとは考えにくく、考案の際に、﹁そのはらやふせやにおふる﹂ではじまる﹃源氏小鏡﹄のテキストを用いたものと推測される

23

三  ﹁

玉葛香﹂衣配りのこと﹁玉葛香﹂は、年の暮れに源氏が紫の上とともに、女性たちの正月用の晴着をととのえ、それぞれの年齢や容貌、性格にふさわしい衣装を見立てて配る、衣配りの場面を組香にしている。玉鬘巻︵一三五~一三六頁︶では、

 紅梅のいと紋浮きたる葡萄染の御小袿、今様色のいとすぐれたるとはかの御料、桜の細長に、艶やかなる掻練とり添へては姫君の御料なり。浅縹の海賦の織物、織りざまなまめきたれどにほひやかならぬに、いと濃き掻練具して夏の御方に、曇りなく赤きに、山吹の花の細長は、かの西の対に奉れたまふを、上は見ぬようにて思しあはす。  ︱中略︱ かの末摘花の御料に、柳の織物、よしある唐草を乱れ織るも、いとなまめきたれば、人知れずほほ笑まれたまふ。梅の折枝、蝶、鳥飛びちがひ、唐めいたる白き小袿に濃きが艶やかなる重ねて、明石の御方に、思ひやり気高きを、上はめざましと見たまふ。空蝉の尼君に、青鈍の織物、いと心ばせあるを見つけたまひて、御料にある梔子の御衣、聴色なる添へたまひて、同じ日着たまふべき御消息聞こえめぐらしたまふ。

というように、衣装の色だけでなく、紋様や織、襲ねについてまで言及している。では、﹁玉葛香﹂について見てみよう。︵傍線部は筆者による︶

赤 紅梅 紅井 白 縹 柳 梔  各一包つゝ。皆試あり。

色  七包。試なし。右は色の七包に、赤、紅梅等の七包を一包つゝ結ひ合、二炷きゝ也。二炷の始に色と出るは、みな衣配りの札を打也。但、衣配の伝授ハ四つの色に打やうあり。伝授なき人ハ只きぬ配りの札を打へし。赤色  紫のうへ    紅梅色  むめ壺白色  明石のうへ   縹色   花ちる里柳色  末つむ花    梔色   うつせみ紅井色 玉かつらの内侍色何  皆衣配り也札の銘 表は常の紋なり。紫 梅 明 花 末 蟬 玉 七 枚つゝ、都合七十枚。

(9)

外に今やう ゆるし かとり おち ちくり

。、りあひ習のうや打は札の色四此但 。枚八十二合都 、ゝつ枚七各  24

本戦︵ゲーム︶では、赤・紅梅・紅井・白・縹・柳・梔と名付けた香木七種一包ずつ︵試があるので二包ずつ用意︶と、色と名付けた香木一種七包を、赤と色、紅梅と色、紅井と色というように結び合せ、その二包を打ちまぜてから炷いていく。二炷の始めに色が出たら、﹁衣配り﹂という札で答え、例えば赤と色、紅梅と色、あるいは白と色という順序で香が出たら、指示通りの聞きの名目︵答えのことば︶、紫の上、梅壺、あるいは明石の上に准じて、それぞれ﹁紫﹂﹁梅﹂﹁明﹂の札で答える。香会の連衆は十人制が基本︵資料2の補足︶なので、札数が多くなる。﹁今やう・ゆるし・かとり・おちくり﹂の四種の札の打ち方は習いであるとされていて、伝授事であるため、今となってはどのようなものなのか不明である。いずれにしても、ここでの衣配りは、人物と衣装の色の組合せだけで、物語よりも簡素化されている。加えて、物語では紫の上に当てられている紅梅が梅壺︵物語のこの場面には登場しない︶に配され、紫の上には赤が配されており、また﹁曇りなく赤きに、山吹の花の細長﹂を配られた玉鬘に﹁紅井﹂が当てられているように、物語の記述とは相違がある。では﹃小鏡﹄では、どのような記述がされているだろうか。古本系京都大学本を引いてみよう︵注5前掲書、三八~三九頁︶。

 しはすのすゑに、源氏の御かたより、御かた〳〵の正月のさ うそく、くはらせたまふ。まつ、むらさきのうへゝあか色。御むすめのひめきみの御かたへ、こ うはい。またかつらの御かたへ、くれなゐ。あかしの御かたへ、しろき。はなちるさとへ、は なた。すゑつむへ、 やなき。うつせみのあまのもとへ、くちなし色。これを、﹁きぬくはり﹂といふ。心へへし。 ︱中略︱ きぬの事いはんには、﹁玉かつら﹂﹁くれなゐ色ふかく﹂なといふ事をは、事によりてつけへし。このまきならす、きぬの色に、﹁かとり﹂﹁ゆるし色﹂﹁いまやう色﹂なといふ事あり。けしからす、ひ しと申ならはしたり。﹁かとり﹂とは、みついろのす ゝしなり。か ちやうのことなれは、﹁かとり﹂といふ。﹁いまやう色﹂とは、こうはいを、は るいふなり。﹁ゆるしいろ﹂とは、こうはいを、こきくれなゐよりは、ちと、うすけれと、ゆるすといゑり。﹁ね りぬき﹂は、いみしくく わしよくのものなるを、ゆるすといへり。﹁お ちくる色﹂と、いふ事あり。これ又ひ しといふ。こきくれなゐの事なり。

両者を比較すると、人物と色の組合せは、﹁御むすめのひめきみの御かたへ、こうはい﹂以外、すべて一致している。特に物語と﹁玉葛香﹂で相違していた、紫の上︱赤、玉鬘︱紅、という組合せが﹁玉葛香﹂と共通していることは注目される。なお﹁玉葛香﹂での﹁むめ壺﹂が、梅壺女御︵もとの斎宮の女御︶=後の秋好中宮ならば、すでに宮中の方︵﹁絵合﹂巻で冷泉帝に入内︶なので、衣配りの対象外である。ここでは﹁むめ壺﹂ではなく、明石の姫君でなければならない。後述するように、女楽が主題の﹁若菜香下﹂︵盤物︶においても、明石の女御︵衣配りでの明石の姫君︶であるべき位置に、﹁梅壺人形﹂が登場している。﹁源氏千種香﹂で、明石の姫君または後の明石の女御が登場する組香は﹁玉葛香﹂と﹁若菜香下﹂だけであるが、どちらにおいても﹁むめ壺﹂と誤ってしまったのであろうか。この点は問題として残るものの、しかし﹁玉葛香﹂と﹃小鏡﹄の密接な関連性は明らかであろう。

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また﹁今やう・ゆるし・かとり・おちくり﹂の札︵そのうち﹁かとり﹂﹁おちくり﹂は玉鬘巻の原文にはない︶が﹁玉葛香﹂で用いられることについても、﹃小鏡﹄が﹁かとり﹂﹁今やう色﹂﹁ゆるし色﹂や﹁おちくる色﹂を特に取り上げて解説していること

。同本は、第一系統京都学本と全く大じをでたれさ照参い3資。るあ料 資四第、館料文究研学国類二統系本大五阪大都京統系学第本市学大立、 方なし場登が明御の石、やのももいあの、も統系三第第があで々様りる 述り﹂の記がは、色違う衣配﹁の大お古本系京都な学以外の諸本で本 能となった可も性ろう。あ 申のとしないひも﹁の﹄鏡らな伝はしたり﹂の記述が反映して秘、﹃小 ちれが打札のら。こ習かうろかな﹁ひかとされて、詳ら﹂に記されてい とて響見のよいのでは影 25

四  ﹁

梅枝香﹂薫物合のこと﹁梅枝香﹂は、盤物仕立てであり、炷 物を持った人形が登場する華やかな組香である。薫物合が主題の﹁梅枝香﹂は、香遊びである﹁源氏千種香﹂にとって、とても重要な組香と言えよう。しかし、﹁梅枝香﹂には大切な登場人物である朝顔の前斎院が登場しないこと、さらに、薫衣香調合のはずの明石の御方が黒方という取り合せになっていること、この二点が不審であるとして問題視されてきた。では、﹁梅枝香﹂について見てみよう。︵傍線部は筆者による︶︵図版1︶

 一 二 三    ウ 此十二包打合、一炷開也。二人つゝ五組にわかる。たき物合の相手源氏の人形  上童 の人形一 炷物を持 じゝう紫上の人形  同一     同    〃梅花明石上の人形 同一     同    〃黒方 花散里の人形 同一     同    〃荷葉兵部卿の人形 同一     書物を持  批判

 盤の目二十間 みそ五筋 はしめ名の人形と上童の人形、それ〳〵の組と向合て立ル也。両人楽にすゝみて、名の人形と上童と一ところへはやくよるを一の勝とす。たとへは一組両方ともに十 をきけは、十間目にて行合也。是則一の勝也。たき物を合せたるといふ心にて、人形ハ向合て一所に立置。其後香ハきゝて記録には記し、人形ハうこかぬ也。又、一方あたりつよく十五間行、一方五間ならて行され共、十五間目にて両方行合也。これもおなしく勝なり。一二の勝すめは、香は残りたるとも、それかきりにて盤のせうふは終る也。但、  三炷のつゝけきゝは五間すゝむ。点はやはり三点。ウのあたりは多少かまはす二間すゝむ。点も二点。 其外、一人きゝ二人きゝの差別なし。

五組の人形に聞き手が二人ずつついて、香を聞き当てていく。﹁一炷開﹂︵資料2の

。荷氏の侍従、紫の上の花、花散里の梅葉衣、明れか炷が香る薫の方御の石 判薫のてしに者卿を宮合部兵にれ物前が斎行、方黒の院源顔朝、れわの はし御の石明て一そ、種を葉荷は方十薫二衣夕の日月暮。す合調を香る 氏侍と方黒は届源。くが花梅、と従は紫梅里散の、花花・侍・方黒上従 か前斎院方ら、黒顔の朝は薫た物語で、源氏りよ物の調合を依頼され 上、せま歩をうの盤、いがく早と行き。るいてし勝をとこ合 ︶向を人童と形つ五の卿部兵~いかに合香しに否当のた、立てせて置い の﹂るせ合を薫物。﹁あでと心こる、かの氏ら︵形人源名に端両の盤、 、炷一を香あはのるとい聞︶たら、すぐに答え合せをする10

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図版1 梅枝香 香之記および盤立物図 尾崎左永子・薫遊舎校注『香道蘭之園』、347・349 頁より

(12)

﹁梅枝香﹂では、物語と異なり朝顔の前斎院の人形は登場せず、また明石上の人形と向かい合う童人形は、薫衣香ではなく黒方を持っている。それでは﹃小鏡﹄での、薫物合の場面はどのように記述されているだろうか。古本系京都大学本は次の通りである︵注5前掲書、四五頁︶。  やかてその夜、かのほ たるひやうふきやうのみやをは んしやにて、御かた〳〵のたきものを、心みさせたまふ。たき物のいろに、は い花ほう、むらさきのうへ、あはせたまふ。く ろほう、あかしのうへ、あはせ給ふ。か ゑうのほう、花ちるさと。し ゝう、源氏あはせ給ふ。いつれも、とり〳〵におもしろし。中にも、はいくわは、そのころのおりにあひて、おもしろしと、さためられき。

右のようになっていて、﹁梅枝香﹂での人物と薫物の組合せと符合しており、朝顔の前斎院が見えないことも共通する。但し、当該本の﹁むめかえ﹂の冒頭︵注5前掲書、四四~四五頁︶は次のような記述である。

 このまき、梅かえといふ事、正月つこもりころ、源氏のお とゝの六てういんにて、たき物あはせあり。是は、あかしのうへの御はらの御むすめ、はるみやにまいりたまふ御いそきなり。か うとも、おんかた〳〵へくはりて、いとみあわせたまふ。せ んさいゐんと申は、かのあさかほのさいゐん、源氏に心つよくて、やみし人なり。この御かたより、ちりすきたるむめのえたに、おん文つけて、こんるりのつほに、たき物いれて、五は のえたにつけ、しろきつほにも、たき物いれて、むめをゑ りて、つけられたり。むすひつけたるいとのさま、なよひかに、えならす、おもしろくし なたれたり。そのうたに、

ものりしなり。﹁たきと﹂、といふ事には、あ やめ し花ま52くとのかはちりにしえたさにまんあら袖にらつうとね しへるあ、なと。 ひいえ。 なよかなと梅。るりのつほのたるりたち。きす へふし。い、とな まのは五つらつけれ。文し。

ここでは、朝顔の前斎院から薫物二種が届けられており、物語に忠実である。さらに﹁﹁たきもの﹂といふ事には﹂として、届けられた薫物の容器や飾りの描写を踏まえた寄合の詞も提示している。それなのに、なぜか薫物合の場面では、朝顔の前斎院は排除されてしまったのである。薫物とは、中国からその調合法が伝えられ、沈木を主成分とし、植物性・動物性の香料を粉末にしたものや、保存のための甲香︵貝香︶を加え、蜜や梅肉で練り合わせて好みの匂いにする練香のことである。香料の調合具合によりそれぞれ名付けられた﹁梅花﹂﹁荷葉︵蓮︶﹂﹁菊花﹂﹁落葉﹂﹁侍従﹂﹁黒方﹂は、﹁六 種の薫物﹂と称され有名である。薫物の処方は﹃薫集類抄﹄

実香たきてれらえ考はで場の技との 人、冬の薫物の黒方を童る形に所持させていでのか、は﹂枝梅、﹁で香 戌御院条六が方明の石はで語物の亥か冬の町に定めおのれていたの しにい。詳 26

宮受八条雀、公忠朝臣とけ院継がれた薫物の系譜、 せ︶で黒方・侍従・梅花を調合さ頁てのい、皇天明仁朱上史のこ。る実 せも﹁にの、紫をさ合調方黒と条八上の御式四四﹂︵方〇︶の部親康本卿︵王 のめしま和い御の承﹁つ二︶の方﹂︵四〇四頁である侍従れたさ制禁と 調のさ合に方御明石て、を香衣せいる仁てっよに皇天明はに氏源たま。 、めまなに世似てえひ思どなしかずさ﹂︵を︶頁九〇四薫るめ集りとた の雀朱、手名る香せ合す場登に院公、て忠方の歩百、﹁げ挙を名の臣朝 でかし、物語。は﹃薫集類抄﹄し 27

登黒とであった。しかし明石の上に方朝が当てることと、を顔の前斎院 かこぬいのとしての、﹁梅枝香﹂での物人薫は点合だ物、甚せ合組のと をにろしがいな 28

(13)

場しないことの一致を踏まえると、﹃小鏡﹄を典拠として﹁梅枝香﹂を考案したのではないかと推測される。なお、第一系統京都大学本以外の諸本での﹁薫物合﹂は、他の古本系二本と第三系統都立中央図書館本、第四系統神宮文庫本、第五系統天理図書館本︵伝飛鳥井宋世筆︶も京都大学本と同様であるが、第二系統︵改訂本系︶神戸親和女子大学本では明石の御方が薫衣香となり︵第三系統国文学研究資料館本・天理図書館本も︶、また朝顔の前斎院は黒方となって薫物合の場面に登場し︵国文学研究資料館本も︶、誤りが正されている︵資料4︶。このことについては、伊井春樹氏が︵注3前掲書、八五〇頁︶、

 これは改訂本系の方が正しいのであって、また古本系で脱落していた槿斎院を加えているのは、歌の異文を訂正したと同じように、梗概本文においてもその改訂に際しては、青表紙本を詳細に見ていって誤りを正していったと考えられる。

と記されている。ところでこの﹃小鏡﹄﹁むめかえ﹂本文末︵注5前掲書、四五頁︶に、興味深い部分がある。

 又たきものに、﹁も ゝあゆみ﹂といふ事あらは、なにそと、おもふへからす。これは、とをくまて、にほふ心ねなり。たきものゝな

にては候はす。又たきものを、み きはにうつむといふ事あるへし。たき物あはせは、な つふゆかはりて、うつむ事あり。それもく にしたかひて、つけへし。わたとのゝしたより、いつるみつに、うつむ。御 かわみつになすらへて、なといふ事もあるへし。くはしくは、むめかえのまきにあるへし。いつくまても、むめたき物はは いくわなれは、むめかえといふなり。 ここでは、まず﹁百歩の香﹂について説明し、さらに練り合わせた薫物を水のほとりに埋め、熟成させるという方法についても言及している。物語でも源氏は、薫物合の直前に、西の渡殿の下から流れている遣水の汀近くに埋めさせておいた二種の薫物を、惟光の宰相の子の兵衛尉に取り出させている。この﹃小鏡﹄の作者は、﹁くはしくは、むめかえのまきにあるへし。﹂としながらも、﹁たき物あはせは、なつふゆかはりて、うつむ事あり。﹂として、物語からだけでは知り得ない薫物作りに関する知識を示している。﹃薫集類抄 下﹄﹁埋日数。﹂︵注

︶、頁八二八 、﹃作の﹄鏡小樹は氏に春井伊者いつ、~七二八書掲前3注︵て のていたあでる。 鏡、は者作﹄。﹃小節るいてれさ季よにとる薫物調合方法の違いを知っ記 。侍夏下黒方。従。春秋日。五三。樹梅日埋之日七冬。 、らな るげいてれら忠掲が方処の家諸、が方先のるげ挙をに処臣朝公たし介紹 一掲書、五五前頁︶の項には、26

 南北朝期において連歌に精通し、しかも河内家の源氏学を継承した人物が﹃小鏡﹄の作者だったと考えられるが、私は今のところ二条良基を想定している。

と記しておられる。想定通りならば、薫物の知識を有していて当然であると考えられる。

五  ﹁

若菜香下﹂女楽のこと﹁若菜香下﹂も盤物仕立てであり、女楽の華やかな場面を組香にしている。四人の女君たちの奏でる四つの楽器、そして女君たちの容姿を喩

(14)

えた花木、それぞれが他に置き換えられない組合せである。ここでの問題点は、唱歌した人物である。では﹁若菜香下﹂を見てみよう。︵傍線部は筆者による︶︵図版2︶  一 二 三  ウ 此十二包打合、一炷開き也。   女楽       人形一ツに二人組也。女三宮人形  小道具  琴   柳一枝紫上人形    〃   和琴  桜一枝梅壺人形    〃   小ノ琴 藤一枝明石上人形   〃   琵琶  橘一枝源氏人形 小道具なし。  これは声歌の役なり。盤の目十五間 みそ五筋 はしめ人形を盤の端に立置、一組両人ともに当レは一間すゝむ。一人あたりたるはすゝます。また両人ともにあたらされは一間退く。五間目に至れは琴、和琴、それ〳〵の持の道具を、五間目の所へかさりてすゝむ也。十間すゝめは柳、桜の花、その所へかさる也。十二間目に至るを一の勝とし、其後は香をきく斗也。源氏は小道具なし。すゝみやうは右に同し。但、 三炷のつゝけきゝは五間すゝむ。其外はウも一間也。

香の聞きにしたがい人形を歩ませ、それぞれの楽器や花を飾るというもので、みやびな組香である。念のため、物語の﹁若菜下﹂女楽の場面︵一八七、一九〇~一九一頁︶を確認しよう。

 秘したまふ御琴ども、うるはしき紺地の袋どもに入れたる取り出 でて、明石の御方は琵琶、紫の上に和琴、女御の君には筝の御琴、宮には、かくことごとしき琴はまだえ弾きたまはずやとあやふくて、例の手馴らしたまへるをぞ調べて奉りたまふ。 ︱中略︱ 御琴どもの調べどもととのひはてて、掻き合はせたまへるほど、いづれとなき中に、琵琶はすぐれて上手めき、神さびたる手づかひ、澄みはてておもしろく聞こゆ。和琴に、大将も耳とどめたまへるに、なつかしく愛敬づきたる御爪音に、掻き返したる音のめづらしくいまめきて、さらに、このわざとある上手どもの、おどろおどろしく掻きたてたる調べ調子に劣らずにぎははしく、大和琴にもかかる手ありけりと聞き驚かる。︱中略︱ 筝の御琴は、物の隙々に、心もとなく漏り出づる物の音がらにて、うつくしげになまめかしくのみ聞こゆ。琴は、なほ若き方なれど、習ひたまふ盛りなれば、たどたどしからず、いとよく物に響きあひて、優になりにける御琴の音かなと大将聞きたまふ。拍子とりて唱歌したまふ。院も、時々扇うち鳴らして加へたまふ御声、昔よりもいみじくおもしろく、すこしふつつかにものものしき気添ひて聞こゆ。

右の﹁女御の君﹂は明石の女御であるが、﹁玉葛香﹂衣配りのところでも触れたように、﹁若菜香下﹂では明石の女御であるべき位置に梅壺人形が登場している。また物語では、唱歌したのは主に夕霧の大将で、源氏はときどき扇をうち鳴らしていっしょにお謡いになったというのであり、﹁若菜香下﹂で源氏を唱歌の役としたのは物語から隔たっている。では、﹃小鏡﹄ではどのように書かれているだろうか。古本系京都大学本を引いてみよう︵注5前掲書、五〇~五一頁︶。

 うち〳〵心みんとて、はるのよの、のとかにかすめるよ、御かた

(15)

図版2 若菜香下 香之記および盤立物図 尾崎左永子・薫遊舎校注『香道蘭之園』、354 頁

(16)

〳〵をよひたてまつりて御か くあり。これを女かくといふ。ゆふきりの大しやう、みすのとにて、御こ とはかりとゝのへて、まいりたまふ。女三のみや、きんのこと。 ︱中略︱ むらさきのうへ、わこん。女御殿、しやうのこと。あかしのうへ、ひわ。源氏、し うかし給ふ。  ︱中略︱ さて、いつれを 、とり〳〵におもしろし。そのとき、かの御すかたともを、はなにたとへさせたまふ。まつ女三のみやの御かたを、のそかせ給へは、二月中の五日はかりに、あをやきの、わつかにしたりはしめて、うくひすのは かせにも、なひきぬへく、あへかに見え給ふ。さくらのほそなかに、御くしは、ひたりみきりより、こほれかゝりて、やなきのいとのさましたり。むらさきのうへは、おほきさなと、よほとにて、や うたい、あらまほしく、わたりにも、にほひみちて、はなといはゝ、さくらにたとへて、はるのあけほのに、かすみのまより見ゆる、か はさくらの心ちす。これそ、かきりなき御さまなる。女御のきみは、こたかききしより、かたはらにならふはななく、さきこほれたる、ふちの心ちして、よしありて見えたまふ。かゝる中に、あかしのうへは、けをさるへけれとも、あらまほしく、もてつけて、五月まつ花たちはなの、花もみ も、おしおりたる心ちす。

右のように古本系京都大学本では、﹁源氏、しやうかし給ふ。﹂となっている。﹁若菜香下﹂の考案者は、おそらくこのような記述によって、唱歌した人物を源氏としてしまったのではなかろうか。女楽の席に登場させられる夕霧は、野分巻での思いがけない紫の上の垣間見以来、紫の上に心ひかれ、その後の物語の中では、六条院を第三者の視座から客観視する人物として描かれていると考えられる。御簾の外から女君たちの楽の音と﹁御けはひ﹂を聞いて、それぞれの人となり を想像する夕霧ゆえに、高まる感興に拍子をとり、唱歌したのではないだろうか。しかし﹃小鏡﹄では、﹁ゆふきりの大しやう、みすのとにて、御ことはかりとゝのへて、まいりたまふ﹂と言及されるだけで、女楽の場面からは外されてしまっている。﹁若菜香下﹂に夕霧が登場しないのは、﹃小鏡﹄における夕霧の存在の矮小化と関わりがあると思われる。なお、第一系統京都大学本以外の諸本でも、唱歌したのは源氏となっているが︵ただし﹁女楽﹂の記述がない第四系統大阪市立大学本、第五系統諸本、第六系統本を除く︶、第一系統宮内庁書陵部本などでは、楽器や花木の記述が一部欠けており、﹁源氏千種香﹂と完全には対応しない。詳細は資料5を参照されたい。

まとめ︱︱﹁源氏千種香﹂と﹃源氏小鏡﹄諸本の関係の整理︱︱第二章で、﹁源氏千種香﹂の巻順、﹁箒木香﹂﹁玉葛香﹂﹁梅枝香﹂﹁若菜香下﹂の内容について、﹃小鏡﹄諸本と比較した。その結果明らかになったことをまとめてみる。一﹁源氏千種香﹂の﹁関屋香﹂﹁蓬生香﹂、﹁竹川香﹂﹁紅梅香﹂のならび順と巻序が同じである﹃小鏡﹄は、第一系統第一類京都大学本・第二類宮内庁書陵部本・第四類国会図書館本︵古活字版︶、第二系統神戸親和女子大学本︵無刊記整版︶、第三系統第二類国文学研究資料館本・第三類天理図書館本、第四系統神宮文庫本・大阪市立大学本であった。二﹁箒木香﹂の証歌は、このままの形では﹃源氏物語﹄諸本や諸注釈書には見当たらないが、﹃小鏡﹄の多くの系統では﹁箒木香﹂と同じ形で載せている。ただし整版本である第二系統神戸親和女子大学本だけは物語本来の形であり、第五系統のうちの京都大学本︵飛鳥井重雅筆︶と第六系統京都大学本にはこの歌が見られない。三﹁玉葛香﹂衣配りでは、人物と衣装の組合せが物語よりも簡素化されていて、人物と衣装の色だけで表現されているが、明石の姫君である

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べきはずが﹁むめ壺﹂とされていることを除けば、人物と衣装の色の組合せは、第一系統京都大学本、第三系統第二類国文学研究資料館本、第四系統大阪市立大学本、第五系統京都大学本とすべて一致する。四﹁梅枝香﹂薫物合では、物語と異なり薫物合の場面に朝顔の前斎院は登場せず、また人物と薫物の組合せでも、明石の御方は薫衣香でなく黒方になっている。これは、第一系統三本、第三系統都立中央図書館本、第四系統神宮文庫本、第五系統天理図書館本︵伝飛鳥井宋世筆︶の記述と一致する。五﹁若菜香下﹂の女楽で、女君たちの担当する楽器と、女君たちを喩えた花木は物語と同じであるが、夕霧ではなく源氏が唱歌した人物とされていることは物語と異なる。楽器・花木・唱歌者の三点で﹁若菜香下﹂と一致する記述を持つのは、第一系統京都大学本、第三系統第二類都立中央図書館本・国文学研究資料館本、第四系統神宮文庫本である。以上に検証した﹁源氏千種香﹂の記述と﹃小鏡﹄諸本の関係を表にすると、下表のようになる。下に見る通り、﹁源氏千種香﹂が﹃源氏物語﹄と異なる点を持つ巻順、﹁箒木香﹂証歌、﹁玉葛香﹂衣配り、﹁梅枝香﹂薫物合、﹁若菜香下﹂女楽、のすべてにおいて﹁源氏千種香﹂と一致するのは、注5前掲書所収の﹃源氏小鏡﹄諸本のうちでは、第一系統︵古本系︶第一類京都大学本のみであった。それに次いでは、小異はあるものの、全く異なる項目や当該の記述を欠く項目を含まない点で、第四系統︵簡略本系︶神宮文庫本が近い。しかし神宮文庫本の﹁箒木香﹂証歌の﹁その色や﹂は単純な誤写として処理できるとしても、﹁玉葛香﹂の﹁柳﹂と﹁柳うら﹂の相違は無視できない。全体として、京都大学本系統より神宮文庫本系統の方が依拠本に想定するにふさわしいとは言えないであろう。この五つのことだけで、古本系京都大学本の系統を﹁源氏千種香﹂の依拠本と断言するのは飛躍があるとしても、それに近いものを用いたか ﹁源氏千種香﹂の記述と﹃源氏小鏡﹄諸本の関係

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