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八卦忌の成立と医書の関係についての一考察 : 福徳方・大厄・小衰等の由来 附 恵方巻との類似

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(1)Title. 八卦忌の成立と医書の関係についての一考察 : 福徳方・大厄・小衰等の 由来 附 恵方巻との類似. Author(s). 中島, 和歌子. Citation. 札幌国語研究, 19: 25-44. Issue Date. 2014. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/7614. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 八卦忌の成立と医書の関係についての一考察. り さいにょ. ご. 中 島 和 歌 子 ず てんのう. ひのえ. 「弟」に在ることは無い。十干による方位は、戊・己を除く八. と. らわかるように「 戊 」は「 丙 」と同じなので、 傍線部か きのえ かのえ みずのえ え 実際には 甲 ・丙・ 庚 ・ 壬 の四通り。すべて「兄」であり、. つちのえ. 〈亥・子間〉、戊・癸歳中宮〈戊、巳・午間也〉。. 歳徳 甲・己歳東宮〈甲、 寅・卯間在〉、乙庚歳西宮 〈庚、 一、 申・酉間〉 、丙・辛歳南宮〈丙、巳・午間〉、丁・壬歳北宮. 年の十干で決まる。 その所在は、 (2) ①『陰陽雑書』末尾. じっかん. =玻璃才女=牛頭天王の妻=八将神の母)が成立した。. は. ── 福 徳方・大厄・小衰等の由来 附 恵  方巻との類似 ─ ─. はじめに え ほう. 方を向いて海苔巻を丸かじりす 今日、節分に「その年」の恵 ることが、年初における招福の一方法として行なわれている。 二十年ほど前までは、 まだ関西地方に限られていたが、 主にスー パーマーケットやコンビニエンスストアが宣伝することによっ としとくじん. て、日本全国に普及した。 恵方とは、具体的には歳徳神のいる方角である。歳徳神は、 さいとく 年ごとに所在の変わる吉神(吉の方角神)の「歳徳」で(本来. 方位・各四十五度であり、例えば甲の中央(正方)は、ほぼ十. たいしょうぐん. 六方位の東北東に当たる。. たい さい. いな だ ひめ. 1甲・6己. 東宮. 甲方. 東北東. 正方の十六方位. は湯桶読みではない) 、 同じく年ごとに変わる方角神の 「八将神」. せん みょう れき. ぎょく にょ. 表1 恵方(歳徳神の所在) 年の十干 所在の宮 十干. (大歳・ 大 将 軍 ・大陰・歳刑・歳破・歳殺・黄幡・豹尾)と ぐ ちゅうれき. 共に、 具 注 暦(漢字・漢文で詳しく注を施した暦)の冒頭(暦 序)に示されていた。平安時代の『宣 明 暦』だけでなく、上 ぎ ほうれき. 代の『儀鳳暦』に遡ることが、正倉院文書の具注暦断簡によっ (1). とし がみ. て確認できる。中世以降、種々の信仰が習合し、一年の福をも たらす歳神、幸福の女神としての歳徳神像(= 玉 女=稲田姫. - 25 -.

(3) 7庚・2乙. 5戊・ 癸. 3丙・8辛. 北宮. 西宮. 中宮. 南宮. 壬方. 庚方. 戊方=丙方. 丙方. 北北西. 西南西. 南南東. 9壬・4丁 歳徳神は、遅くとも近世初頭には、初詣での対象となってい (3) た。 ②慶長八年(一六〇三)刊『日葡辞書』 トシトク(歳徳) ゼンチョ( 異教徒)が gentios Toxitocu 年の初めにお参りに行き、礼拝する神( Cami )。 「恵方参り」の語が用いられている。 以下の作品にも、. ③森川許六編・宝永三年(一七〇六)刊『風俗文選』四季辞 え方参の十二燈(燈明代として十二文を納めること) より、 よろづの神々はとりそめられて、細き穴から世の中を、広 くめぐみをたれ給ふ。梅は花の兄とかや。 ④近松門左衛門作・正徳二年(一七一二)初演『夕霧阿波鳴 門』中之巻・平岡借屋敷の場. 「えはうにむきてよろこべはる」といふ句に・信成〈藤岡 氏〉よめがきみ(鼠)としとく棚に子をまうけ. 三) 『増山の井』正月 ⑥寛文三年(一六エ六 ハウ 年徳のかみ え方棚 波利賽女のかみをえ方にいはひて鏡 もち雑煮など備へまつる事也. さらに、幕末期に起草された『嘉永年中行事』には、正月の 「御吉書始」 (書き初め)について、 めでたい和漢の詩歌を「吉. こわ く. ご. は. 方」を向いて書き、「年徳神」に手向けたとある。また、「御祝」 がため. ( 三 が 日・ 七 日・ 十 五 日・ 立 春 に 供 ず る 強 供 御 ) や、 「御歯. 固」 (鏡)の時にも、 「吉方」に向かうとある。. これらは天皇が行なう新春行事だが、鈴木棠三氏著『日本年 中行事辞典』 (角川書店、昭和五十二年)九十七頁には、正月. 二日に、 「江戸時代、一般では若水で墨をすり、菅公の画像を. これによると、江戸時代の書き初めは、天皇に限らず、歳徳神. かけ、恵方に向かってめでたい詩歌の句などを書いた」とある。. の方角を向いて行なわれていたのである。. ゑ はう. 年初に現世利益を求めて歳徳神に祈るこれらの伝統行事の延 長線上に、今日の「恵方巻」がある。. しかし、「恵方」は最初から歳徳だったわけではない。室町 はっ か いみ 時代の「恵方参り」の対象は、 「八卦忌」のうちの、根本的・. 左近殿は源之介連れて、天満とやらの神明様へ恵方参り また、参詣ではなく、歳徳神を祭る神棚「恵方棚(歳徳棚・ 歳徳神棚) 」をその方角に設けて、供え物をすることも行なわ. 代表的な吉方である 「生気」 の方角であった。これは年齢によっ. 方の「恵方参り」の語及び呉音「しゃうけ」 管見に入った生も気 ろもり の確例である『師守記』貞治二年(一三六三)閏正月一日から. て決まるので、歳徳・大将軍などのように万人共通ではない。. れた。天井から吊るして、どの方角にも回るようにした物もあ る。『日本国語大辞典 第二版』の挙げる、共に北村季吟撰の 俳諧の連句と類書の例を引いておく。 『新続犬筑波集』巻一・春俳諧連歌 ⑤万治三年(一六六〇). - 26 -. 10.

(4) 六日に至る紙背文書を、次に挙げておく(波線部については後 述する)。 ⑦『師守記』貞治二年閏正月一日より六日に至る紙背文書 ☲ 行年卌一(師守先妻か). (ママ). ふくとくたつみ(巽)〈御あ か きそめ(歩き初め) 御 はかた□(歯固め) とみのつかひ 吉書(書き初め)〉 く日とらさる と (ママ). きたのはうへゆ□へからす(北の方へ行くべからず). 小 は い(小衰)正月五月十二月〈五日・十日・廿八日〉 大やく(大厄)十月□〈九日・十七日・廿五日〉この日々. しやうけ ひんかし. 御つとめ(勤)心経百巻・灌頂経四十九巻・八陽経廿巻・ 金剛般若経五十巻・観世音経三百. ゆいねむ みなみ やうさ ひつしさる 天ゐ にし ふくとく たつみすいにち とく日(徳日・衰日)とらさる. の禁忌と同様に、二十四節気による節切りゆえ、立春正月節か. 男のものであろう。八卦忌は、陰陽道の他の多くの日時・方角. おんようどう. □ほし□れう芒日うとしいひつしさるりはうへ(以下闕) これは、記主中原師守一家の前年貞治元年(一三六二)の八 卦忌一覧と考えられる。最後の「幸」は、同年七月生まれの三. ☵ 行年卌五(師守). ら一年が始まる。貞治二年は、正月十四日が立春なので、それ. (中略) 遊年 子. この生気方の寺への参詣・献燈(代参させて燈明のみ奉る場 合もある)は、さらに十一世紀初頭まで遡る。平安後期には神. 以前の新春行事には、貞治元年の吉方を用いる必要があった。. 生気 辰巳 養者 戌亥 天医 丑寅 福徳 卯 . 社への奉幣も始まるが、本来は寺院であった。 ごん き. 衰日丑未. 六年(一〇〇四)二月二十六日条 ⑧藤原行成『権記』み長あ保 かし く り か ら. ゆきなり. ゆねんみなみ〈このはしにあるへからす〉. 院。此院、坐倶力迦羅大 庚辰、為奉生気御 明 、参詣あ修な学 い みづから. 龍王像也。巳剋、参着。示案内於僧正(権僧正勝算) 、奉. た づくり. 供 自 料五千燈、薬助(行成長男)料二千燈、其弟女(薬. 助の同母妹)二千燈。風誦、手 作 布十端。有夢想、不用. ☲幸 よき方(吉方) ひんかし〈恵方まいり わかみつ(若水) て しやうけ う□ (手水) 御しやうそく (装束) 御とうさ (動座) 〉. 信濃布。帰世尊寺、入堂礼拝。. せ そん じ. 〈御こわ物(強物) 〉 やうさひつしさる(坤). しな の ふ. てんゐにし〈御くすり〉. - 27 -.

(5) 時に行成は三十三歳で、 「生気」は巽(東北)である。 修 いん 院は確かに彼の住む三条第から東北に当たっていた。. あまり吉方として用いられていない。具注暦の各月の冒頭(い. 記録ともいう)や陰陽道書(陰陽師の編著) 、 故 実 書( 漢 学 に. には、 暦序や暦例(暦注の凡例)に見えるものの、漢文日記(古. さて本稿では、生気を含む八卦忌の成立に関して、若干の考 察を行ないたい。. 「天徳」 (後掲⑲、表9参照) 、「月徳」「月空」(表7)よりも. 学. しゅうがく. 陰陽道は、陰陽 寮 の官人の活動範囲の拡大によって九世紀 後半から十世紀にかけて日本で成立した禁忌と占術・呪術の集. 少ないようである。管見に入った用途の一つを挙げておく。方. おん よう じ. ため のり. くち ずさみ. さい. わゆる月建記事)や暦例に挙げられた月ごとの吉神、「天道」 、. 造詣が深く有職故実にも詳しい貴族の編著)を見る限りでは、. 合体であり、陰陽師は、本来は職員 令 に規定された寮内の占. 角神に傍線を付した。. おん よう りょう. 術部門の技官名だった。しかし十世紀中に、寮所属の官人や経. しき いん りょう. 験者など、陰陽道の知識と技能を持つ者を指す通称・職業名と. 為憲編・天禄元年(九七〇)成立『口 遊 』時節門・歳 ⑨源 たん あん ご 旦拝天地四方諸神・案語. して広く用いられるようになる。彼らの主な職務の一つに、八. 二剋起、先向生気、次天道〈西向五拝〉 。(中略) 今案、寅 みたびぞくしやう ほんみやう 訖、呼 三 属 星 (本 命 星・本命属星)名字、合掌、当額、. 呪。曰、云々。訖、即一々再拝七星〈所属之星七遍〉 。次. 卦忌などの日時・方角禁忌の管理がある。. 亦 向 北 辰( 北 極 星 ) 。次西南向、拝地。更拝四方〈起東、. ほく しん. 日時・方角禁忌には、すべて出典があった。中国の陰陽五行 書 や 道 教・ 密 教 の 経 典 が 中 心 だ が、 そ れ ら と の 関 係 が 深 い 中. ひと ひ. 国・日本の医書も、陰陽道の禁忌や占術・呪術の出典として看. うぢがみ. たいはく. 次拝各再〉。次拝大歳、次大将軍、次歳徳、次天道、次天徳、 かまどがみ. 本化されていく。出産儀礼・通過儀礼についても、新春行事よ. どにも分散し(前掲⑦参照) 、その後、万人共通の歳徳神に一. 四方拝での遥拝の対象は、時代や立場によって違いがあり、⑨. 門には、今日とは逆に数が減っていく「九々」もある。元旦の. 遊』は、貴族にとって必要な知識全般の暗誦記憶法を記 『口 ようがくしょ した幼学書で、当時の基礎知識が何であったかが窺える。雑事. 次生気、次 竈 神、次内外氏神、次父母君廟。. なかがみ. 過できない。そのことを踏まえて、八卦忌の成立における医書. 次月徳、次天一(中神)、次太白(一日めぐり)、次遊年、. てんいち. の影響を述べたい。. りも遅れて十一世紀からそれらしき例が見え、 「生気」と明記. 数が多い。. は八卦忌の「生気」「遊年」も含み、前後の諸書に比して最も. なお、歳徳について補足しておくと、特に年初に重視される 吉方(恵方)は、生気一辺倒から、養者、そして天医・福徳な. されるようになるのは、十二世紀後半以降で、その後はほぼ同. ゆ ねん. 様の道を辿る。 前述したように、近世以降、歳徳神が普及するが、平安時代. - 28 -.

(6) 一、八卦忌の体系. ぜち みょう. き. り. とくにち. 諸書間に要素(項目)の出入りや月日・方角等の誤差はある が、それらの体系自体への影響は無いと言ってよい。この表か. の語は、以後の書には見られないので、 『医心方』の他の「○. 小衰、大厄であることがわかる。. らも、八卦忌の中心が、凶方、吉方、衰日(徳日とも。⑦参照)、. か がい. 卦忌は、年 八卦忌について、もう少し詳しく述べておく。八 あしきかた 齢ごとに八通りに分かれた、 八つの吉凶の方角( 凶 方の遊年・. 次に、体系の初見である日本最古の医書『医心方』の八卦忌 の冒頭のみをまず示し、 全体を表形式で挙げておく。 「八卦法」. しょう すい にち. たい やく にち. 禍害・絶 命 ・鬼吏、吉方の生気・養者・天医・福徳)と、忌. ○法」に合わせたものと考えられる。なお、『医心方』の医術. の日(衰日・ 小 衰日・大厄日)を中心とする、陰陽道の禁忌 の体系である。. 縁. しんきゅう. ⑩丹波康頼撰・天元五年(九八二)成立・永観二年(九八四) り. 献上『医心法』巻二・針 灸 部・八卦法第十一. 不可南行〉。衰日時、寅・申〈寅・申〉。. 一説月厄、正月・三月・十月・十二月〈忌二日・十二日、. いっせつげつやく. 小衰、正月・五月・十二月〈忌五日・十二日・廿八日〉 。 大厄、十月〈忌二日・九日・十七日・廿五日、不可北行〉 。. 兌(西)。絶体、坎。遊魂、在坤。福徳、巽。五鬼、艮。. 。禍害、艮(東北)。絶命、乾。鬼吏、坎 遊年、立離(南) (北) 。蟇(五墓) 、 在亥。生気、 震(東)。養者、 坤。天医、. 百十二、百廿。. ☲離 年、一、八、十六、廿四、卅二、卌、卌一、卌八、 五十六、六十四、七十二、八十一、八十八、九十六、百四、. . 一)成立の『医略抄』には見られない。. よりも呪術と言うべき処方は、丹波雅忠著、永保元年(一〇八. 次に、諸書に見える要素(項目)の有無を示しておく。. 正. 年凶吉衰衰衰小大一五経九月. 齢方方日時日衰厄説墓典宮日色. 表2 八卦忌の体系(傍線付きは一部の年齢). 書名・編者・成立年. ○ ☆ ○ ○ ○ × ○ ○ ○ ○ × △ × × ○ ○ △ ○ ○ × ○ ○ × × × × × ○. ○ △ △ ○ × × × × × × × ○ × ×. 御忌勘文・賀茂道清他・一〇六五. ○ ○ ○ ○ ○ × ○ ○ × ○ ○ ○ ○ ×. 口遊・源為憲・九七〇. 陰陽雑書・賀茂家栄・一一〇〇頃. ○ ○ ○ ○ × × ○ ○ × × × ○ × ○. 医心方・丹波康頼・九八二. 掌中歴・三善為康・一一二三~四. ○ ○ ○ ○ × × ○ ○ × × × × × ○. ○ ○ ○ ○ × × ○ ○ ○ × × × × ×. ○ ○ ○ ○ × × ○ ○ × × ○ ○ × ×. 二中歴・不詳・鎌倉時代 拾芥抄・藤原公賢・一三二〇頃. × ○ ○ ○ × × ○ ○ × × ○ × × ×. 簾中抄・藤原資隆・十二世紀後半. 紙背文書・中原師守・一三六二末. ○ ○ ○ ○ × ◎ ○ ○ × × ○ × × × きゅう きゅう. 吉日考秘伝・賀茂在盛・一四五八. 凶方に鬼吏ナシ。吉方は生気・養者のみ。 九 宮 (一徳・二儀・三生・四 △=  ご き 殺・五鬼・六害・七陽・八難・九厄)は五鬼のみ。 ×=ナシ。☆=絶対・遊魂を含む。◎=男女別。. - 29 -.

(7) 47 54 62 70 78. 46 53 61 69 77. 45 52 60 68 76. 44 51 59 67 75. 43 50 58 66 74. 42 49 57 65 73 . . . . . 年 齢. 吉方. 節月. 節日. 小衰 節月. . . .   . . . . .   .  1  5 12. 節日. 北  3  8 10 . . . .  7 10 20 . 西南. 南. 西※. . . .  2  3  4  9  6 12 14 19 . . . 10 14 23  1  5 11. 忌方 北 . 東. . .  1  5. 南. .  2  7 15 22. 離. .   .  6 12. 16 20. 坤.   .  7.  3 10 12. 兌.   .  5 .   .  1  6  7.  5 23. 乾 坎.  5 12 28 10  3  4  9 10  2  9 25  4 12.  2 18 26  2  5  8 11  8 16 20. 艮 震. 13 29  3 10. 82 89 83 90 84 91 85 92 86 93 87 94. 42 49 57 65 73. 43 50 58 66 74. 44 51 59 67 75. 45 52 60 68 76. 大厄. 巽 乾 艮 兌 坎 離 坤 離 辰・戌. 震 坤 兌 乾 離 坎 乾 坎 卯・酉. 艮 離 巽 離 坤 兌 坎 乾 丑・未. 坎 兌 坤 坤 巽 乾 艮 震 丑・未. 乾 巽 離 巽 兌 坎 震 艮 辰・戌. 兌 坎 震 離 乾 艮 離 坤 子・午. 坤 震 坎 震 艮 離 巽 兌 卯・酉. 離 艮 乾 坎 震 坤 兌 巽 寅・申. 遊禍絶 鬼 生 養天 福. 年 害 命 吏 気 者 医 徳 衰日. 凶方. 表3 『医心方』の「八卦法」の吉凶方と「衰日(時) 」 八卦 年 齢. . . . . . 55 63 71 79. . .  2  9 17 25 33. 離☲ 坤☷ 兌☱ 乾☰ 坎☵. .  3 10 18 26 34 46 53 61 69 77. 巽 . 55 63 71 79. 95. .  4 11. . .  4 11 17  3  6  9. . 10 25. の官人の例がある。. ⑪藤原京跡出土木簡・慶雲二年(七〇五) (表)年卅五、. いむ. 遊年、在乾。 絶命、在離、忌。 禍害、在巽、忌。 生気、在兌、宜。 占者、甚吉。 (裏)官仕良日 . は. 東北. □(三)月十一日庚寅・木(木曜日) ・ 開 、吉。. 時者、卯・辰間、乙時、吉。. . ひらく. 最古の具体例として、藤原京跡右京九条四 日本における現存 き どの 坊(奈良県橿原市城殿町)で発掘された木簡の三十五歳(乾☰). これらの要素の中でも、より基本・根本であるのは、遊年・ 禍害・絶命・生気である。. み合せで、「十二」が単位であることに、留意しておきたい。. 月と日の組み合せ、大厄(及び一説月厄)はそれらと方角の組. 右の体系が、天皇や貴族個人に当てはめられた。表3の吉凶 方は八卦方位だが、残りは、衰日が十二支、表4の小衰は十二. ※『口  遊』は「西北」、『陰陽雑書』は「西南」、『小右記』寛仁三年(一〇一九) 九月五日条や『吉日考秘伝』は「南」。. 15 23 31 39. 「遊年」は「忌」とされていないことに、注意しておきたい。. - 30 -. 艮☶ 震☳.  4 11 19 27 35 .  5 12 20 28 36 .  6 13 21 29 37. 表4 『医心方』の「八卦法」の「小衰」 「大厄」. 巽☴.  7 14 22 30 38 47 54 62 70 78.  2  9 17 15. 95. 87 94. 86 93. 85 92. 84 91. 83 90. 82 89.  1  8 16 24 32 40 41 48 56 64 72 80 81 88 15 23 31 39.  1  8 16 24 32 40 41 48 56 64 72 80 81 88  2  9 17 25 33  3 10 18 26 34  4 11 19 27 35  5 12 20 28 36  6 13 21 29 37.  7 14 22 30 38.

(8) しょうきつ. 二、遊年・禍害・絶命・生気と色の出典. つく. さく. けん かい. こん. 就其方。凶、則宜避其所。 (後略) 』陰陽門 ⑬『り口ち遊 う だん かん れん. だ じやう. ごん. そん. 坎中連、乾皆連、坤皆断、兌 上 断、艮上連、巽 離中断、 しん 下連、震下連〈謂之八卦〉。. たい. 隋(五八一~六一八)の 蕭 吉が編纂した『五 遊年等の出典は、 てんぴょう ほう じ 行大義』とされている。この書は、 天 平 宝字元年(七五七). こんいち. 。 一変禍害、二変絶命、三変生気〈謂之禍害・絶命・生気〉. おん よう しょう. しんぞく り. 共に年齢のことである。. 八十一)を受けない。よって「一」は、後ろに戻って「離」に. 「坤」は、陰なので、陽であり始まりの数の「一」(四十一・. 「巽」は、陽なので、終わりの数の「八」(八・四十八・八 十八)を受けない。よって「八」は、次に進んで「離」に属す。. 。卯、子、辰、 離・坤三、兌四、坎二、余皆七〈謂之衰日〉 丑、丑、卯、辰〈又説曰〉 。. 。 巽八不受、進属離。坤一不受、退属離〈謂之遊年〉. そんはち ふ じゅ. (中略). に定められた陰陽 生 (陰陽寮で陰陽部門を教授される者)の 教科書の一つであった( 『続日本紀』同年十一月癸未条) 。. ねんりつ. の陰陽門に、 次に、該当箇所を引いておく。波線部が、『口遊』 暗誦しやすい形に若干変えて引かれている。つまり、⑬の二曲. 遊年者、男、一歳数、従離、 起 。左 行 八卦。則二在坤、. 属す。こうして、十ごとの数(十・二十・三十・四十・五十・. の出典は共に『五行大義』本文である。なお「遊年」 「年立」は、. 三則在兌、四則在乾、五則在坎、六則在艮、七則在震、八. 六十・七十・八十・九十)は、すべて正方(坎・震・離・兌). もし. ・論人遊年年立 ⑫『五行大義』五・論諸人 より おこる めぐる. 即十。以次、而数、一若至坤、坤不受一、還退、就離。故、 り. 則在巽。巽不受八、進而就離。離、則是八。坤、即九。兌、. はさむ. また、遊年の卦が、例えば離☲なら、一番下の陰陽が変ると 禍害(☶艮)、 二つ目(中央)が変ると絶命(☰乾)、 三つ目(一. に在ることになる。表3の年齢は、確かにこの通りである。. かへる. 艮不受八、乾不受一、皆、 帰 於坎。 くらゐ. 至十数、皆在正方。女、年、一従坎、右行。亦、如離法、 ゆゑん. 番上)が変ると生気(☳震)の各卦となる(後掲表8参照) 。. 受一者、坤・巽、依 位 、並 夾 離宮。 所以巽不受八、坤す不 すむ なし 巽、是陽位。有 進 義、而 无終義。 八、是卦之終数。故、. 生気は、 遊年から「生」ずる「相生」 ⑫の後略部分によると、 (五行相生)や遊年と「同体」(五行が同じ)ゆえに、「吉」で. すすみて. 不受之。 前 以付離。坤、是陰位。陰、有退、而无進。退. ある。逆に絶命は、遊年の「卦体」に「尅」つ、つまり「命を. すべからく. 則 須 滅。不敢当其陽始之数(一)。故、退譲、就離。 (中. する。遊年自体は、凶ではない。. 絶つ」ゆえに「凶」である。禍害も、 五行相尅に拠り遊年を「害」. 略) 遊年所至之卦、因三、変之。一変、為禍害。再変、為絶命。 三変、為生気。生気、則吉。禍害・絶命、則凶。吉、則可. - 31 -.

(9) 生気は「其の方に就くべし」 、 禍害・ また、⑫の引用の末尾に、 絶命は「宜しく其の所を避くべし」とあり、用途が限定されて. 下も、 すべて男性と同じである。つまり、 男女別と男女兼用は、. る中国の医書の産婦(十三歳から四十九歳まで)の「遊年」以. 男女兼用について、私は以前、陰陽思想の徹底していない日 本独自の運用かと考えていた。しかしそうではなく、次に掲げ. しんかん. 在辰・戌日。閉肚、在辛。八壮、在甲〉。(中略). 西南・黄衣師、看産。産婦、宜著黄衣、臥西南首。懸尸、. けん し. 在南方・離。絶命、在東南・巽。生気、在西南・坤。宜喚. 女人、年十三〈行年、在庚申。反支、在正月・七月。禍害、よび. 立成図法一首 ⑮『外台秘要法』巻三十三・崔氏は年 ん し. (5). いない。しかし日本では、生気は、平安中期以降、 「はじまり」 わたまし. に関わる場で用いられた。その代表が新春と新生で、それに次. 中国と日本ではなく、五行家と医家の違いであった。. かんけん. げ だい ひ ようほう. ぐのが新宅への移徙(引っ越し)での利用である。. けんかん. そん り. さて『口遊』には、⑬の中略部分に、次の曲もあった。これ は遊年と養者の対応で、「離坤・々離、 兌艮・乾坎、 坎乾・艮兌、. ごん だ. 震坎・巽離」を、暗誦しやすく入れ換えている。 遊』陰陽門 ⑭『り口 こん こん り だ ごん. 宜喚東北方・黄衣師、看産。産婦、宜著黄衣、臥東北首。. 女人、年四十九〈行年、在甲申。反支、在正月・七月。禍 害、在東方・震。絶命、在北方・坎。生気、在東北・艮。. 懸尸、在辰・戌日。閉肚、在乙。八壮、在庚〉。. 離坤・々離、兌艮・々兌、乾坎・々乾、震坎・巽離〈謂之 養者〉 。 『五行大義』に限らず、管見に入った中 ただし「養者」は、 国の書には見当たらない。このことは、八卦忌のうち、養者が. ないが、 構成等に影響を与えた。従来の医書を抄出したもので、. 『外台秘要方』 (現存)は、 唐の天宝年間(七四二~七五五) に王燾が編纂した医書で、 『医心方』での明確な引用箇所は少. 座産をすると、子は長寿で母子共によいという。. 生気の方角からその色の衣を着た医師を呼んで看せ、産婦が その色の衣を着てその方角を頭にして臥し、その方角を向いて. 令児長寿、母子倶吉。(後略). 凡禍害・絶命上、産婦、不可向之大小便。又不得向産。犯 者、凶。産後、血不止。凡生気之上、宜産婦、向之、坐。. 後補された要素であることの証拠の一つとなる。. ⑬⑭をわかりやすく表現を変えたり増補したりしているほか、. 「天医」は、 『口遊』には見えない なお残りの吉方の「福み徳よ」 し しょうちゅうれき が、院政期の漢学者の三善為康による故実書『 掌 中 歴 』が、. に ちゅうれき. 「福徳」の暗誦法も載せている。それらを継承したのが鎌倉時 代の『二 中 歴』である。. 看過できない。日本では、 女性も男性と同じものを用いていた。. うに、陽の男性とは また『五行大義』が、⑫の二重線部のよ (4) 別に、陰の女性の遊年・禍害・絶命・生気を挙げていることも、 前掲⑦の師守一家の八卦忌の妻や娘も師守や息子達と同じで、. ⑮の「崔氏年立成図法」は、七世紀末に崔知梯が著した『崔氏. (6). 表3・4に合致する。. - 32 -.

(10) 方』に既にあったと考えられる。つまり、中国では既に七世紀. さて次に、右の諸資料を含め、十世紀後半までの、日本に伝 わっていた中国の陰陽書や日本の諸文献に見える八卦忌の要素. わせたのである。. (7). 末に、「生気」が、出産に際して何かを外から求める吉方、出. を挙げておく。. 産する時の吉方、産婦の「衣」の吉の「色」とされていた。 は、 男性と同じという点だけでなく、「艮」 「崔氏年立成図法」 の色を正色の「黄」とする点でも注目される。陰陽道でも、間 (8). 表6 『医心方』以前の八卦忌の掲載書等. 兌. 乾. 坎. 艮. 震. 巽. 緑. 唐・外台秘要法. 隋・五行大義. ○○○. ○○○. ○. ○. 藤原京跡出土、男性官人. 生気の色もあり(正色のみ). 男女別、艮・巽・乾は間色. 奈良時代に将来. 九世紀末以前将来. ○. ○. 山下克明氏によると天平二十年(七八四) 以 前 将 来、 小 坂 眞 二 氏 は「 衰 日 」 の 出 典 とされる. ○○. 天平宝字元(七五八)木簡 ○ ○ ○ 六朝・産経・蔵胞衣 呂才他・ (大唐)陰陽書 ○. ○. ○. ○. 年害命吏気者医日 備 考 遊禍絶鬼生養天衰 . 色を用いず、四維(四隅)の色にも正色(五色)を用いた。し かし、『五行大義』三・論雑配・論配五色では、 「坤」は「黄」. 坤. 木. だが、「艮」は間色の「紅」とするのである。表で示しておく。. 離. 青. (黄帝)九宮経. 三代実録・貞観七 (八六五). 昌 泰 元( 八 九 八 ) 醍 醐 天 皇 祭で酉を避けた. - 33 -. 表5 八卦方位の色 八卦方位 土. 青. 緑. 紅. 青. 黒. 青. 水. 紅. 紫. 黄. 金. 黒. 白. 黒. 黄 紫. 土. 白. 火. 白. 白. 赤 黄. 五行. 黄. 五行大義 朱. ○. 村 上 天 皇 歳 の 天 慶 九 年( 九 四 六 ) 六 月 七日条「昨」丑. む. 源高明(九一四~九八二)編. 『朝野 五 墓 も あ り、 出 典 は『 本 命 法 』 他、 群載』 『小右記』 『陰陽略書』所収. ご. 斎 宮 式・ 正 月・ 供 御 薬 に も あ り、 「薬子」 は天皇の生気の色の衣を着る. 14. 赤. 江談抄・巻一. ○. 朱 雀 天 皇 の 天 慶 某 年 及 び 六 年、 村 上 天 皇 歳 の 天 暦 四 年( 九 五 〇 ) 七 月 二 十 五 日 条「明日」卯. 歳の八十嶋. 清和天皇 歳が内裏遷幸の際に絶命乾を 避けるために方違. 藤原忠平・貞信公記. ○. ○○. 藤原師輔・九暦. ○. 16. 21. 参考=掌中歴 (9) 崔氏年立成図法. つまり、別稿でも述べたように、陰陽道では男女兼用である 点、間色を用いず正色のみを用いる点で、五行家・儒家ではな く、医家・医書に従ったと言えるのであり、出典として『五行 大義』を挙げるだけでは不十分なのである。. 西宮記・正月・卯杖. 十世紀中頃・賀茂保憲犯土 ○○○○ 忌勘文. 延喜式・正月・主水司・供 立春水、典薬寮・供御薬. 色」として忌避し、 「水の色」として間色の「緑」を好んで用. ただし、正色のみを用いるといっても、それが徹底していた 医書とは異なり、陰陽師は、 「黒」や「赤」を、 「喪」や「火の いるなど、独自性があった。理論よりも、日本人の色彩観に合. 25.

(11) 口遊・陰陽 門 医心方・産 婦 部 ・ 蔵 胞 衣 医心方・鍼 灸 部 ・ 八 卦 法. ○○. ○○○. ○○. (. 響は、さらに追究すべきではないかと思われる。. (. 出産・育児などの当事者であった貴族女性達への『産経』の影. 行われていた( 『公任集』 『枕草子』等) 。その読者であり、 妊娠・. すずし. 編者の為憲の師である源 順 の可能性が高い。『うつほ物語』. したごう. 『産経』を引く、蔵胞衣も犯土の一種. ○ 「衰日」は前掲⑬の「又の説」のほう. は平安中期によく読まれており、仲忠・源 涼 の優劣論なども. ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 「福徳」「大厄」「小衰」の初見. は、管見では、鍼灸部の「八 『医心方』に八卦忌が見えるえの なおさめ 卦法」を除くと、産婦部の「蔵胞衣」の禁忌の「禍害・絶命」 のみである。 ⑯『医心方』巻二十三・産婦部・蔵胞衣悪処法第十七. きもん げんざいしょ. 産 経 』 云、 ( 中 略 ) 又 云、 勿 以 小 児 行 年 上〈 男 寅、 女 『 さる てんもん 申、為行年上〉 。又避小児禍害・絶命之地〈天門(乾) 、絶 すけ よ. 命地。鬼門(艮) 、禍害地〉 。. さて⑯では、胞衣(胎盤)を新生児の「禍害」に当たる乾や 「絶命」の艮に埋めてはいけないと言う。続く「蔵胞衣吉方第. 十八」でも、それらの方角が「不吉」であることが繰り返され. ている。 「小児」は「女」も含んでおり、『産経』でも、やはり. 「禍害」 「絶命」に男女差が無かった。前掲⑮『外台秘要法』. の「崔氏年立成図法」と同じである。. ぼん ど. ど くう. また⑮の末尾には、産婦が禍害・絶命を向いて大小便をした り出産したりすると血が止らないとも記されていた。これらも ただ ちか. 蔵胞衣も、いずれも「犯土」(地中の神である土公神に対する. とく し. (散逸)は、 藤原佐世編『日本国見在書目録』三十七・ 『産経』 医方家に、 「産経十二巻〈徳貞常撰〉 」とあるので、九世紀末ま. 侵犯)であり、十世紀中頃の賀茂忠行・保憲の「犯土忌勘文」. さんかい き. 『山槐記』治承二年(一一七八)十一月十二日条「大夫(平時. で に 日 本 に 伝 わ っ て い た。 平 徳 子 の 出 産 を 記 し た 中 山 忠 親 の ひ ごろ. に八卦忌方が見えることと通底するのである。. げ ち. れきりん. にも稀である。「衰日」や吉方の「養者」は後発であり、吉方. やすのり. 逸)の一巻分の基になったと考えられる。この難産の際に閉じ. の「福徳」 、「小衰」 「大厄」はさらに遅れて加わり、 『医心方』. れき か. から、陰陽師であり暦家である賀茂保憲の著作『暦林』十巻(散. 忠)、 下知侍令開東門 〈日来所閉之小門也〉。此事見暦琳産経巻」. さて、表6からもわかるように、 「遊年」等の基本の四つは 諸書に見えるが、凶方の「鬼吏」と吉方の「天医」は中国の書. ている門などを開けることも、『医心方』巻二十三・産婦部「治. また、前述したように、 「衰日」 「小衰」「大厄」、さらに「大 厄」の異説である「一説月厄」は、 「十二」を単位しており、. に至って初めて、後世に継承される八卦忌の体系が出揃う。. 産難方第九」が引いていた。 くらびらき. 「産経などいふ書」が挙げられており、孫の藤原仲忠が、妻女. 方角も八方位で示され、八卦方位とは無関係である。よって、. 物語では、 『うつほ物語』蔵 開 ・上に、遣唐使を務めた また としかげ 清原俊蔭の蔵書の一つとして、「孕み子生む人のこといひたる」 一の宮が妊娠した際に、種々活用した。作者は、 『口遊』等の. - 34 -. (1.

(12) されたりした陰陽寮の可能性が高い。彼らは、神祇官や僧侶だ. を進言したり、元三の「 薬 子」の「衣」の「色」の勘申を任. 八卦忌の体系は、 九世紀後半から十世紀の間に、 以上により、 日本で作られたと推測できる。その担い手は、 「絶命」の方違. 八卦の方角禁忌とは、本来別の体系だと考えられる。. の吉方献燈・吉方奉幣においても、養者の場合は「吉方」との. に作られた吉方と考えてよいのではないか。十一世紀初頭以降. 二番手の吉方である「養者」は、前述したように、中国の書 に全く見られない。「生気」が不都合な場合に備えて、便宜的. 求覔」 。(中略)天医、『九宮経』曰、 「天医宮、利以避病・. 遷移、 大吉。薬得其方色、 尤良」。『九宮経』曰、「利以往来・. 在丙・壬。 正月・三月・五月・七月・九月・十一月、福徳、 二月・四月・六月・八月・十月・十二月、福徳、 在甲・庚。. ⑱『外台秘要方』巻三十三・十二月立成法一首〈并図〉. 立成図法一首」である。. して、医書に見えている。なお、この直前が前掲⑮の「崔氏年. 迎師」 。福徳、宜修造・招益・牲財。 (後略). けでなく、医師の職務も補佐・代行・参照しつつ、自らの職務. み記され、明記されることが稀なのは、そのような事情に拠る. くすり ご. を拡大していったのである。 『医心方』は基本的に中国の医書. のだろう。 「生気」は、 前掲⑧のように明記される場合が多い。. くすし. の抄出だが、 「八卦法」は日本独自のものであろう。そして、. (. 基本の四つと「養者」 「衰日」が『口遊』に見えるということ. 残りの「福徳」は、奇数月と偶数月ごとの吉方(十干)とい う、八卦忌とは別種のものが、「夫人の産に臨む」時の吉方と. (. は( ⑬ ⑭ ) 、少なくともそれらが、十世紀後半には、医師や陰 陽師の専門知識ではなく、少年が覚えておくべき貴族の基礎知 識となっていたのである。 では、後補の月日や方角の禁忌は何に由来するのだろうか。 次節以降で見ていきたい。. 三、医書の月ごとの吉方としての福徳・天医・生気. 夫人臨産、 必須避諸凶神。逐月空・福徳之地、若神(凶神). 為産帳。其舎内福徳処、亦依帳法。. 在外、於舎内、産。若在内、於舎外、産。令於福徳及空地、 ほん みょう. 八卦忌のうち、基本の「遊年・絶命・禍害・生気」は中国の 五行書・医書に見え(ただし「遊年」は凶方ではない) 、「鬼吏」. にも) 、 『陰陽雑書』第五・産雑事「産婦人向吉方」がそこから. 『医心方』巻二十三「産婦向坐地法第一」に見え(康頼の案文. どと共に、出産に関する吉方として挙げられている。例えば、. 「月空」は、前述したように、具注暦にも記されている吉方 で、 『医心方』所引の『産経』にも、「天道」「天徳」「月徳」な. も保憲が勘文に引用した『本 命 書』に見えており、凶方四つ は中国で揃っていた。しかし吉方は、表6に示したように、 「生 気」と「天医」のみである。共に『九宮経』に見える。 ⑰『吉日考秘伝』八卦図第四十七 『陰陽書』曰、 生気、宜修造屋宇、広置楼台、或開為道路。 「呼医、当至続命之処。一名生気。求利、百倍。病并癒。. - 35 -. (1.

(13) 九月十一日条の敦成親王の産湯を採取する場所の「壬方流水」. 類記』所引『不知記』 ( 『小右記』逸文)寛弘五年(一〇〇八). 徳」が、「十二月」単位の吉方であることに留意しておきたい。. 「月空」は「月徳」の反対側に当たるので、要するに、両方 の吉方の組み合せが、「福徳」になる。この医書の出産に関る「福. 引いており、日本でも、医師や陰陽師が用いていた。 『御産部. は、 「吉方」の誤写かとされるが、九月の月空の可能性もある。. 八卦忌の吉方四つのうち、「生気」が第一、「養者」がそれに 次ぎ、第三に用いられるのは「福徳」である(そのことが明記. にち. なお、『産経』 『陰陽雑書』の言う「悪神」 、つまり「天一・日. ぎょく ずい. 甲. 庚. 禍害. 凶方 絶命. 鬼吏. い. か. 吉方. 艮☶. 震☳. 坎☵. 艮☶. 離☲. 艮☶. 震☳. 離☲. 巽☴. 震☳. 艮☶. 坤☷. 兌☱. 福徳. 坎☵. 乾☰. 乾☰. 天医. 震☳. 兌☱. 養者. 生気. 乾☰. 離☲. 巽☴. 坎☵. 乾☰. 生気の 全変. 坎☵. 巽☴. 坎☵. ? 艮☶. 震☳. 坤☷. 乾☰. 巽☴ 震☳. 離☲. 兌☱. 坤☷. 生気の 中変. 坎☵. 坤☷. 坎☵ 巽×. 兌☱ 坤☷. 巽☴. 坤☷. 離☲ 震×. 坤☷. 兌☱. 兌☱. 離☲. 坎☵. 離☲. 三変 ⑭参照 (上変). 乾☰. 巽☴. 兌☱. 乾☰. 一変 二変 (下変) (中変). 坎☵. 離☲. 艮☶. 兌☱. 離☲. 艮☶. 乾☰. 坤☷. 離☲ 巽☴. 震☳. 基本. 遊年. 表8 八卦忌の凶方と吉方の相互関係. 己丑条の近衛兼経女で宰子同母姉の五十日)。八掛忌の 「福徳」. さい し. された例の一つが『 玉 蘂』嘉禎四年〈一二三八〉二月十三日. 壬. 甲. かねつね. は、右の月ごとの「福徳」に倣い、 「生気」の逆の卦の吉方と. ゆう. 游(日遊神) ・八神(八将神) 」が、⑱の「諸凶神」である。. して、作られた可能性があるのではないか。参考までに、表3. いえよし. 『陰陽雑書』は、賀茂家栄の編で、康和二年(一一〇〇)頃 に成立した。難産の時の対処方「治難産方」にも、 『医心方』 かっ し ほう. 巻二十三「治産難方第九」所引の『産経』と『葛氏方』を引き、. を再掲しておく(⑫⑬⑭も参照されたい) 。. あとざん. 大豆三粒を飲む、又は、牛の糞の中の大豆を割り、字を書いて を促す「胞衣不出方」でも、 『医心方』巻二十三「治胞衣不出. 飲むとよいとする。また、胞衣が下りる後産が遅い時に、それ 方第十四」所引『陶弘景本草注』の「胡麻油」を飲むこと、『僧 深方』の「夫の単衣」で物を覆う方法を挙げている。先祖の保 憲の『暦林』における『産経』を含め、陰陽師は医書を尊重し ていた。 次に、⑱により、月ごとの「福徳」等の所在を挙げておく。 表7 月ごとの吉神(吉方)の「月徳」 「月空」と「福徳」. 丙. 庚. 十一 十二. 丙. 甲 庚. 壬. 十. 甲. 丙 壬. 庚. 九. 丙. 庚 甲. 壬. 八. 甲. 壬 丙. 庚. 七. 丙. 甲 庚. 壬. 六. 甲. 丙 壬. 庚. 五. 丙. 庚 甲. 壬. 四. 甲. 壬 丙. 庚. 三. 丙. 甲 庚. 壬. 二. 甲. 丙 壬. 庚. 正. 丙. 月. 壬. 月徳 月空 福徳. - 36 -.

(14) 『九宮経』等に見える「天医」 「生気」も、医書に ところで、 においては八卦忌とは別種の吉方の名として見えている。 『黄 帝蝦蟇経』 (現存)が、 「服薬」する際に向く吉方とする。 『蝦 蟇経』は、晋の葛洪(?~三七〇)編で、 『隋書』経籍志三・ 医方に「黄帝鍼灸蝦蟇忌一巻」と見えるのが、この書ではない. へんじゃく. だ ろ う か。 『医心方』から引用しておく。便宜的に、⑴以下の 番号を付した。 ⑲『医心方』巻二・鍼灸部・天医 扁 鵲 天徳所在法第九. 医在丑。行年在亥、天医在申。. 処百鬼、不敢当天医所在、雖有凶神、不能為害也。. (中略) いえざれば 又云、凡病人、 不 差 、当従天医治之。不避衆忌、所治之 . 又云、病者、向生気坐。治其人、背天医坐、而治也。火量 扁鵲上、作艾、人、背天医坐也。治其人、挙手、先呼天医・ 天師、下手治也。. 八月在未、死気在丑。九月在申、死気在寅。十月在酉、死. 辰、死気在戌。六月在巳、死気在亥。七月在午、死気在子。. ⑸又云、推月生気法、正月在子、死気在午。二月在丑、死気 在未。三月在寅、死気在申。四月在卯、死気在酉。五月在. 月天医在戌、扁鵲在辰。三月天医在巳、扁鵲在亥。四月天. 名称と要点を繰り返すと、次のようになる。この場合の「行 年」は、個人の年齢ではなく、 「大歳」に同じと考えておく。. (庚)。右、疾病向天徳、吉。疾病、向天徳臥、即愈。. 九月在丙。十月在乙。十一月在東南角(巽)。十二月在 東. (ママ). 六月在甲・ 乙 (衍字) 。七月在癸。八月在東北角(艮) 。. (ママ). 推天徳法、『蝦蟇経』云、 正月在丁。二月在西南角(坤) 。 又云、 (ママ) 三月在壬。四月在 申(正しくは辛)。五月在西北角(乾)。. 右、向生気所在、可服薬。莫向死気。. 気在卯。十一月在戌、死気在辰。十二月在亥、死気在巳。. (ママ). . 医在子、扁鵲在午、五月天医在未、扁鵲在丑。六月天医在. 在酉。壬・丁在未。戊・癸在巳。. ⑵又云、凡、推日天医法、甲・己在卯。乙・庚在亥。丙・辛. 在寅。. 在子。十一月天医在丑、扁鵲在未。十二月天医在申、扁鵲. 扁鵲在戌。九月天医在亥、扁鵲在巳。十月天医在午、扁鵲. 寅、扁鵲在申、七月天医在酉、扁鵲在卯。八月天医在辰、. 『蝦蟇経』云、正月天医在卯、扁鵲在酉。二 ⑴天医扁鵲法、. . (ママ). 推月天医法、正月在 酉 。二月在亥。三月在午。四 ⑶ 又 云、 (ママ) (ママ). 月在 未 。五月在申。六月在卯。七月在戌。八月在丑。九. 月在子。十月在 未 。十一月在寅。十二月在 酉 。. ⑴「天医扁鵲法」…月ごとの「天医」と「扁鵲」. 方角は、すべて十二支である。. ⑵「推日天医法」…日の十干ごとの「天医」. . 午、天医在酉。行年在未、天医在辰。行年在辰、天医在辰。. ⑶「推月天医法」…月ごとの「天医」(「天医扁鵲法」とは別). ⑷又云、推行年天医法、行年在子、天医在卯。行年丑、天医 在辰。行年在寅、天医在巳。行年在卯、天医在子。行年在 行年在申、天医在亥。行年在酉、天医在午。行年在戌、天. - 37 -.

(15) 法」…年の十二支ごとの「天医」 ⑷「推行年天医 ⑸「推月生気法」…月ごとの「生気」と「死気」 次に、⑲を表形式で挙げておく。 表9 月ごとの両「天医」と「生気」 「死気」 、 年ごとの「天医」. 午. 子. 辰. 申. 丑. 未. 甲. 亥. 巳. 卯. 申. 寅. 癸. 子. 午. 戌. 卯. 酉. 艮. 丑. 未. 丑. 戌. 辰. 丙. 寅. 申. 子. 巳. 亥. 乙. 卯. 酉. 未. 子. 午. 巽. 辰. 戌. 寅. 未. 丑. 庚. 巳. 亥. 酉. 寅. 申. 十一 十二. 巳. 未. 戌. 十. 亥. 卯. 乾. 九. 戌. 午. 酉. 八. 辰. 寅. 辛. 七. 卯. 亥. 申. 六. 酉. 丑. 壬. 亥. 五. 天医⑴. 酉. 未. 戌. 四. 扁鵲. 子. 坤. 酉. 三. 天医⑶. 午. 申. 二. 生気. 丁 未. 正. 死気. 午. 月. 天徳 巳. 申. 辰. 丑. 卯. 午. 寅. 亥. 丑 辰. 子 酉. 行年 ?. なお『口遊』は、「陰陽門」に八卦忌の「生気」を挙げるが(前 掲⑬) 、 こちらの月ごとの「生気」も、「薬方門」に載せている。. 後掲の「月殺所在法」と併せた内容である。 ⑳『口遊』薬方門. 正月、不向東〈生気子、死気午〉。二月、不向北〈生気丑、. (ママ). (ママ). 死気未〉 。三月不向西〈生気 丑 、死気申〉。四月不向南〈生 (ママ). (ママ). (ママ). (ママ). 気 午 、死気酉〉 。 五 月、 々 々 東〈々 々 辰、 々 々 亥 〉。 六. 午、々々子〉。八月、々々南 〈々々未、々々丑〉。九月、々々. 月、 々 々 々 〈々 々 申 、 々 々 丑 〉。 七 月、 々 々 西〈々 々. (ママ). (ママ). (ママ). 東〈々々申、々々寅〉。十月、々々 北〈々々酉、々々卯〉 〈々々亥、々々巳〉。. 十 一 月、 々 々 東 〈々 々 未 、 々 々 丑 〉 。 十 二 月、 々 々 南. 「天医」や「生気」が、八卦と十二単位の両方 このように、 の吉方にあること、月ごとの「生気」「天医」が、『医心方』に. おいて「八卦法第十一」と同じ巻二・鍼灸部にあることは、八. ないだろう。前述したように、 『外台秘要方』でも、出産に関. 辰. して、八卦の「生気」と、十二単位の「福徳」が連続していた. 子. 「天医」は、医師の元祖「扁鵲」との並列などから、天の医 師の意味と確認できる。吉方であるが、 ⑵の日の十干による 「推. (⑮⑱) 。また「生気」 「死気」の相対する十二支の組み合せと. 巳. 日天医法」を含め四種類もあること、方角が八卦方位ではなく. いう点は、八卦忌の「衰日」と同じである点も注目される。. 辰. 十二支で示されていることが、八卦忌と異なっている。なお、. 卯. 八卦忌には十干の要素は全く無い。. この月ごとの「天医」「生気」が、八卦と十二単位の禁忌と の接点となった可能性があるのではないか。. 天医⑷. 月と十二支が順に対応しており、 「生気」は、「正月子」以下、 「死気」は逆の「午」以下で、大変わかりやすい。後代の故実. 卦と十二単位の合体した八卦忌の成立を考える上で、看過でき. 書が、新春行事等の「生気」を説明する際、 明代の『月令広義』. 「天医」は、 『医心方』以後、十二世 なお、八卦忌の「福徳」 紀初頭の『陰陽雑書』まで見えない。また、新春や出産などで. からこれを引いているが、言うまでもなく誤りである。. - 38 -.

(16) の実例の初見は、 さらに降る。しかし、 第二節で述べたように、. 月、東南(辰巳)向治病、病者死。. 七・十一月、西南(未申)向治病、病者死。四・八・十二. 『蝦蟇経』云、凡子年生人、大厄在未、小厄在丑、衰六月、 十二月。丑年生人、大厄在午、小厄在子、衰五月、十一月。. 十二世紀後半の 『掌中歴』 がこれらの暗誦法も載せているので、 遅くともその頃には、貴族社会で実際に用いられるようになっ ていたと考えられる。. 寅年生人、大厄在巳、小厄在亥、衰四月、十月。卯年生人、. 大厄在辰、小厄在戌、衰三月、九月。辰年生人、大厄在卯、. 小厄在酉、衰二月、八月。巳年生人、大厄在寅、小厄在申、. 大厄在辰、小厄在戌、衰三月、九月。戌年生人、大厄在酉、. 十二月。未年生人、大厄在子、小厄在午、衰五月、十一月。. 四、『蝦蟇経』 の厄月法と 八掛忌の衰日・小衰・大厄との類似 「大厄」も、吉方の「福徳」 さて、八卦忌の忌日の「小衰」 と同様に、 『医心方』までは見られない。. 小厄在卯、衰二月、八月。亥年生人、大厄在申、小厄在寅、. 衰正月、七月。午年生人、大厄在丑、小厄在未、衰六月、. ただし、やはり八卦忌と別種のものが、医書に見えている。 しかも、前節で見た『医心方』巻二の「天医扁鵲天徳所在法第. 不可灸刺。々々、則死。又以此日、服薬、大凶。. 右、黄帝曰、以此大・小厄日月及大小厄方地向、以厄日、. 申年生人、大厄在巳、小厄在亥、衰四月、十月。酉年生人、. 九」と「八卦法第十一」の間にあり、見出しの「衰日」を含め. 衰正月、七月。 . 「衰」の語も用いられている。なお「月殺」も、具注暦の月建 記事にある方角神の一つで、凶神(悪神)である。 『医心方』巻二き・ば鍼灸部・月殺厄月衰日法第十. も「大凶」であるという。表形式で挙げておく。. 「小厄」は、生年の十二支ごとの「厄」の「日月」 「大厄」 と「方」であり、この日に「灸」を行なうと死に、「服薬」に. 鬼 在 辰、 不 向 南。 五 月 殺 鬼 在 丑、 不 向 東。 六 月 殺 鬼 在. なお「衰」の月は、 「大厄」 「小厄」の月を、わかりやすく数 字(十二月)で示したものである。十一月年始説に拠り、十一. 、 不向東。治病死。 月殺所在法、『耆婆方』云、正月殺鬼在(丑 ママ) (ママ) 二月殺鬼在戌、不向北。三月殺鬼在 戌 、不向 北 。四月殺. 未 、不向 西 。七月殺鬼在未、不向西。八月殺鬼在辰、不. (ママ). 向南。九月殺鬼在丑、不向東。十月殺鬼在戌、不向北。十. 月が子ゆえ、未は六月、丑は十二月に当る。. (ママ). 一月殺鬼在未、不向西。十二月殺鬼在辰、不向南。 右、月殺在之処、勿向。治病、病人死。 正・五・九月、東北(丑寅)向治病、 厄月法、『蝦蟇経』云、 病者死。二・六・十月、 西北(戌亥)向治病、 病者死。三・. - 39 -.

(17) 大厄. 生年. 丑. 未. 子. 子. 午. 丑. 四 十. 亥. 巳. 寅. 三 九. 戌. 辰. 卯. 二 八. 酉. 卯. 辰. 正 七. 申. 寅. 巳. 六 五 十二 十一. 未. 丑. 午. 午. 子. 未. 四 十. 巳. 亥. 申. 三 九. 辰. 戌. 酉. 二 八. 卯. 酉. 戌. 正 七. 寅. 申. 亥. 「小厄」の日月・方と「衰」の月 生年ごとの「大厄」. 小厄 六 五 十二 十一. 表. 衰月. (八卦忌)の「大厄」 「小 次に、この「厄月法」と「八卦法」 衰」「衰日」との対応を表で示しておく。 『蝦蟇経』の「大厄」 「小厄」 「衰」月と八卦忌との対応 . 「衰」の「月」に由来すると考えられる。. 「服薬」の月日・ このように、『医心方』が療病の為の「鍼灸」 方角の禁忌として引いた『蝦蟇経』の「大厄」「小厄」「衰」月. は、前節で述べた「福徳」「生気」「天医」と共に、八卦忌の体. 系としての成立に関わっている可能性が高いのである。『蝦蟇. 経』の「厄月法」が直接的な典拠とは限らないが、八卦忌がこ. れらの医書との関係が深いことは言えるだろう。. おわりに. 名称や仕組みが共通又は類似する、医書の十二単位(月 以上、 や十二支)の吉方や忌の月日・方角が、遊年・禍害・生気や鬼. 吏に養者・福徳・天医、大厄・小衰・衰日が加わった、八卦忌. 名称. その後の八卦忌の用途とは異なるが、「服薬」「産」などは共通. 表 何によるか. 大厄 厄の方と月日(十二支) 衰月二つ 小厄 厄の方と月日(十二支) (十二月). 参照して、日本で作られたと考えられるのである。. する。八卦忌は、九世紀後半から十世紀にかけて、特に医書を. という禁忌の体系の成立に関わった可能性を指摘した。灸治は、. 医心方・鍼灸部 生年の 十二支. 大厄 厄の方(八方位)と月日 衰日二つ 小衰 厄の 月日 (十二支) . 衰日月. 厄月法第十 (蝦蟇経) 年齢. 内容. 八卦法第十一. 共に、十二支と十二月という二つの「十二」単位の忌である。 八卦忌は、 節切りであり、 厄月も厄日も一組ではなく複数ある、. 自然災害などによる社会不安を背景に復活した。陰陽師による. 外戚の藤原北家の勢力拡大と、 それに伴う律令的秩序の崩壊や、. 桓武朝に導入された吉凶・禁忌が、儒教の合理的理念を尊重 する平城・嵯峨・淳和三朝において一旦排斥されたのち、天皇. 衰日は大厄・小衰と別物であるなど (表4参照) 、 この 「厄月法」. 祓や祭の開始、忌むべき方角神の拡大、朱字暦注の追加など、. 近世に公家・将軍家でも用いられなくなっ さて「八卦忌」は、. すべて同時期である。その時期に、 「遊年」等も禁忌として再. との違いもあるが、無関係なものとは思われない。. 度注目され、 増補されたのである。その際、 医書も参照された。 (. 「小」 また、「厄月法」によって「小衰」の語の由来がわかる。 は、やはり「大の厄」との対であり、厄の程度が軽い。とは言 (. え、忌まれなかったわけではない。また「小衰」の「衰」は、 (1. - 40 -. 10 11.

(18) に替った。しかし、その方角を向いて飲食をするという点は、. 角神、吉祥をもたらす方角は、 確かに「生気」ではなく「歳徳」. うに、今日の「恵方巻」につながっている。対象となる吉の方. ていき、今日は全く知られていない。しかし、最初に述べたよ. 福の方法として始まることである。八卦忌の吉方への働きかけ. 「恵方巻」が本来の立春に移 今後予想される展開としては、 ること、 「 恵 方 」 に 何 か 大 切 な 物 を「 埋 め る 」 と い う 要 素 も 招. 陰陽道の真骨頂である。. 変 に 事 を 処 す る 能 力。 「漢才」と対照的)に通じる柔軟性が、. や意味などの曖昧さ、よく言えば、 「 大 和 魂 」 の 原 義( 臨 機 応. びやくさん. 「 生 気 」 が 最 初 に 新 春 行 事 に 導 入 さ れ た「 若 水 」 「供御薬 と そ. (屠蘇・ 白 散) 」 、やや遅れて導入された「歯固」 、通過儀礼の もちひ. の方法には、以下のようなものがあった。いずれも「はじまり」. ももか. ( 移 徙 ) で の「 行 き 始 め 」( 初 め て 出 か け. ・吉方に向かう…献燈・奉幣、恵方参り/新春・新生・新宅. に関わる。. 「五十日」 「百日」の「 餅 」などと全く同じである。 また、年中行事としての「恵方巻」の普及においては、我が 身や家族などの一年の無事と多幸を祈る気持ちが当然ある。ま たその前提には、日本人の多様なモノを受け入れる素地、習合. ご おう か. じ. る場所に吉方にある邸宅を選ぶ)など. ・吉方に向かって採取して来る…若水/牛黄加持(産婦の腹 に 塗 る 浄 水 )、 産 湯( 湯 殿 始 め ) の 流 水、. 臍の緒を切る竹、胞衣を入れた瓶を封じる. 土、 「産剃り」「髪削ぎ」用の水や石など. ( (. …拝む(四方拝) 、 見る(餅鏡)/装着する(腹. ・吉方を向いて祈る、向いて祈りを込めて何かをする . - 41 -. 的宗教観がある。しかしそれ以上に、冒頭で述べたように、材 料の「海苔」を含め、毎年特定の時期に、確実に巻寿司を売っ て利益を上げようという商業主義の力が大きい。この点も、八 卦忌に共通する。 陰陽道の禁忌や呪術・祭祀全般がそうであるが、特に「生気 はるあき 方御燈」は、優勢な賀茂氏に対抗するための、安倍晴明の藤原 道長や行成に対する、いわゆる営業活動で始まった可能性が高. 飲食する、書く(新春・新宅の吉書初め・. 帯 )、 出 産、 髪 を 削 ぐ、 碁 盤 か ら 降 り る /. くすり ご. い。陰陽師達が必要とされる場を拡大していく中に、八卦忌の. 書き初め)など. あめうじ. 百日の乳児に含ませ ・ 吉 方 に 物 を 埋 め る … 胞 衣、 五 十 日・ ご か 残った餅/移徙の五菓/天皇の切った爪. 徙の水火童女・黄牛を牽く童男など. すい か. ・吉方の色の衣を着る…供御薬の天皇・ 薬 子ら/産婦/移 . 適用範囲の拡大もあった。受益者側の現世利益のニーズと担当 者のビジネスチャンスの拡大、利益追求の一致の所産である。 この点も、 「恵方巻」の普及は、陰陽道らしい現象と言える。 また、そもそも付加的な禁忌であり、確固たる理論の下に行 なわれているわけではないので、 してもしなくても問題は無い。 縁起を担ぎたい、願いがより切実な場合に頼った。禁忌の範囲. (1.

(19) なお行なう場合は、本来は節切りなので、立春の日の朝三時 (寅の刻)以降に行なうのが望ましい。 以上、八卦忌の体系としての成立に医書が関わっていること の補足として、禁忌の出入りや組み換えは陰陽道らしい現象で あり、今日の「恵方巻」に通じることを述べておく。. 注. 本暦日総覧』本の友社、平4)に詳しい。. (1)岡田芳朗氏 「具注暦と仮名暦の概要」(大谷光男氏他編 『日. 麻田書店、昭4)、 『夕霧阿波鳴門』は『新編日本古典文 学全集』. ・『口 遊注解』(幼学の会、勉誠社、平9)、『日本国見在書 目録』 『掌中歴』は『続群書類従』、 『二中歴』は『改定. 史籍集覧』、 『江家次第』 『嘉永年中行事』は『新訂増補 故実叢書』. 『権記』『師守記』は『史 ・『小 右記』は『大日本古記録』、 料纂集』 、『山槐記』は『史料大成』. (木簡学会『木簡研究』 ・木簡は「1993年出土の木簡」 、 平6)の四十二頁(釈文に「宮仕」とあるが「官仕」 か). 『邦 訳日葡辞書』(土井忠生・森田武・長南実氏編訳、岩 ・ 波書店、昭 ). いずれも、句読点や「 」を私意に拠り付したり改めた. りした箇所がある。改行の多くは省いた。 〈 〉は割注、( ) は引用者による補足で、ルビは引用箇所を除き現代仮名遣 いを用いた。. (3)本稿は、拙稿のうち、主に以下のものを踏まえている。. 具体例は、一部挙げたが詳しくはこれらを参照されたい。. ・ 「平安時代の吉方詣考」( 『古代文化』. -. 3、平5・3). - 42 -. (2)本文は、以下のテキストに拠った。 『吉日考秘伝』は『日本陰陽道書の研究』 (中 ・『陰 陽雑書』 村璋八氏、汲古書院、昭 ) なから い. 『医 心方』 は 『国宝 半 井家本医心方』(オリエント出版社、 ・ 平3) 及び 『華夏版近期医学新書』(北京市・華夏出版社、 ). 平5) 、 『外台秘要方』は『東洋医学善本叢書5』 (東洋 医学研究会、昭. 55. 「八 卦法管見」 (神戸大学大学院文化学研究科『文化學年 ・ 報』 、 平5・3、八卦忌全般と吉方詣以外の新春行事). . 45. 『隋 書経籍志詳攷』 (興膳宏・川合康三氏、汲古書院、平 ・ 7) ・『五行大義』 (中村璋八氏、明治書院、平 ) ・ (室城秀之氏、おうふう、平7) 、 『新続犬 『う つほ物語』 筑波集』は『近世文学資料類従 古俳諧編 』 (近世文 ) 、 『増山の井』は『日本国 学書誌研究会、勉誠社、昭. 10. 16. 16. ・ 「院 政期の出産・通過儀礼と八卦」(日本風俗史学会『風 俗』 2、平5・ ). 10. 60. 49. 語大辞典 第二版』 (上記『資料類従』所収『山の井』 には該当箇所ナシ) 、『校註風俗文選通釈』 (藤井乙男氏、. 12. 32. 56. -.

(20) 、無記名). 「えほうまいり(恵方参) 」 「えほうもうで(恵方詣) 」 「す ・  いじ(衰時) 」他( 『日本国語大辞典 第二版』第二巻・ 第七巻、小学館、平. ). 「古 代文学と陰陽道概説──研究史、 変遷、 国風文化──」 ・ (水口幹記氏編『古代東アジアの「祈り」──宗教・習 俗・占術』森話社、平 「陰  陽道における医書の重要性と日本人の色彩観──八 ・ 卦忌の成立・展開と共に──」 (投稿中). 兌☱ 乾☰ 坎☵ 艮☶ 震☳ 巽☴. 西北. 西南. 南. 西. 東南. 北. 東北. 西. 東南. 西南. 南. 東. 北. 南. 西南. 東南. 西. 西北. 黒. 赤. 黄. 青. 白. 白. (6)注(2)の叢書の小曽戸洋氏解説。. (7)勝浦令子氏「古代・中世前期出産儀礼における医師・医. . . 43 50 58 66 74. . . 44 51 59 67 75. . . 45 52 60 68 76. . 42 49 57 65 73  .  .  .  .  .  .  . 艮 離 巽 坤. 震 坤 兌 離. 乾 巽 離 兌. 坎 兌 坤 巽. 倍泰忠が書写した『陰陽略書』には触れられていない。. 第 集 生老病死と儀礼に関する通史的研究』平 ・3) 。 『 五 行 大 義 』 や『 陰 陽 雑 書 』 、元暦元年(一一八四)に安. 書の役割」(新谷尚紀氏編『国立歴史民族博物館研究報告 . . . 46 53 61 69 77. (4) 『五行大義』による女性の遊年等は、次の通り。. .   . 47 54 62 70 78. . . . 年 42 41. 40. 禍害. 東. . 絶命. 北. 艮・東北 乾・西北 49 48. 東北. 東. 生気. 黄. 青. 色. . 遊年在坤. . 禍害在震. . 絶命在坎. 申の根拠とは異なる可能性が高い。. . (ママ). 生. 鬼 災 在震. 色也〉 」とあるのも、大江匡房の認識であり、陰陽師の勘. 御緑色 〈御生気在北之時、其色黒。故、用異色。遊年方(巽). た『江家次第』第一・供御薬に、「御 生気、在北之時、着. 迎師、吉」とある。 『二中歴』五・八卦は、ほぼ同じ。ま. 紅、震青、巽緑〉。養者・福徳宮、百事吉慶。天医方、避病・. 皆百倍。又着其方衣〈離朱、坤黄、兌白、乾紫、坎黒、艮. 気在艮〈色黄〉 養者在離〈色赤〉 (後略) 」とある。 (9)『掌中歴』八卦に、「生気〈一云続命〉 、求利・療病・遷移、. 三十三. の後三条天皇)の治暦二年(一〇六六)のそれに、 「御年 巽 乾 艮 坎. 離 艮 乾 震. (8)例えば、『朝野群載』 巻十五・陰陽道・御忌勘文の東宮(後. 20. 兌 坎 震 乾. 141. 坤 震 坎 艮. 遊 禍 絶 生. .  2  9 17 25 33.  1  8 16 24 32 40 41 48 56 64 72 80. 八卦 年 坎☵ 乾☰ 兌☱ 坤☷ 離☲ 巽☴ .  3 10 18 26 34. 55 63 71 79. 震☳ 艮☶.  4 11 19 27 35. の色は次の通り。 「反支」等は省略した。 八卦 離☲ 坤☷. 47 46 45 44 43.  5 12 20 28 36 25 24 33 32. - 43 -. 13 21 20 19 18 29 28 27 26 37 36 35 34 14 22 30 38.  6 13 21 29 37. ( 5) 「崔氏年立成図法」の妊婦の禍害・絶命・生気と、生気. 87 86 85 84 83 82 81 95 94 93 92 91 90 89 88. 15 23 31 39. 13 26.  7 14 22 30 38 15 23 31 39 17 16.

(21) もつにち. らによる注記では「大厄日」や「小衰日」を指し、ここも、. 前日が節切りでは数えない「没日」のため、三月四日は節. ( )半井家本には、中原師長の筆で、頭注に「宇治本無之。 医本等有之。 」とある( 「天医扁鵲法」にも) 。 『医心方・序. あったので(表4参照) 、「衰日」ではなく「小衰日」を指. すと訂正しておきたい。山下克明氏のご教示に拠る。なお、. ・. )において、 『栄花物語』が第三子. 型をめぐって──紫のゆかり、 かぐや姫、『産経』──」 ( 『語 、平 12. )拙稿「 『御堂関白記』の陰陽道」 ( 『国文学研究資料館紀. 述の影響がある可能性を指摘した。. える、妊婦が「秋思」を胸におびると難産であるという記. 点 に、 『医心方』巻二十三・産婦部「治産難方第九」に見. 懐妊以降の一条天皇皇后・藤原定子の愁いをことさら描く. 学文学』 52. 要 文学研究篇』 、平 ・3)で、 『御堂関白記』寛仁 元年(一〇一七)二月十一日条「来月四日(三月四日癸卯). のだが、 「八卦物忌」が『水左記』 『後二条師通記』の家司. を指すと述べた。しかし、この日は確かに「衰日」である. 忌日」は、彰子(三十歳、震☳、衰日卯・酉)の「衰日」. 行幸、彼日、当皇太后宮(彰子)八卦御忌日」の「八卦御. 26. )定子の長保二年(一〇〇〇)八月の参内(十二月十五日. 『小右記』本文では、「八掛物忌」は「大厄日」のみを指す。. 月三月三日ではなく三月二日であり彰子の「小衰日」でも. 説編 精釈』 (広島東洋古典医学研究会、出版科学総合研 究所、昭 )に拠ると、康頼撰進本の形をより多く保存し. (. ているのは、 仁和寺本や宇治入道大相国(頼通)本であり、. た可能性がある。. て、「八卦法」は『医心方』成立時点では含まれていなかっ. 丹波重基本と重忠本) によって増補されたものである。 よっ. ていた「宇治本」から移点し、 また医家本( 「医本」に同じ。. 半井家本は、 天養二年(一一四五)に、 当時藤原忠実が持っ. 53. ( )拙稿「最晩年を中心とする『栄花物語』の定子の人物造. (. 25 40. なお、『栄花物語』の「とりべ野」巻や「はつはな」巻は、. によって行なわれる「着帯の儀」のためだと考えられる。. 吉日・吉方を選び、夫や近親者と医師・密教僧・陰陽師ら. 十一日敦成誕生)は、史料に目的が明記されていないが、. 寛弘五年(一〇〇八)六月から七月にかけての参内(九月. 媄子誕生、翌未明定子崩御) 、 一 条 天 皇 中 宮・ 藤 原 彰 子 の. 13. 定子や彰子の参内自体を取り上げていない。. - 44 -. 10. 11. 12.

(22)

参照

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■詳細については、『環境物品等 の調達に関する基本方針(平成 31年2月)』(P95~96)を参照する こと。

■詳細については、『環境物品等 の調達に関する基本方針(平成 27年2月)』(P90~91)を参照する こと。

■詳細については、『環境物品等 の調達に関する基本方針(平成 30年2月)』(P93~94)を参照する こと。

備考 1.「処方」欄には、薬名、分量、用法及び用量を記載すること。

十二 省令第八十一条の十四の表第二号及び第五号に規定する火薬類製造営業許可申請書、火 薬類販売営業許可申請書若しくは事業計画書の記載事項又は定款の写しの変更の報告

平 成十年 度(第二 十一回 ) ・剣舞の部幼年の部 深谷俊文(愛知)少年の部 天野由希子(愛知)青年の部 林 季永子(茨城) ○

一方で、平成 24 年(2014)年 11