「ことにする」について ―人称・時制の観点から―
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(2) 「ことにする」について ― 人称・時制の観点から ― 阿 部 二 郎 1.はじめに 本研究では、以下のように動詞に「ことにする」が接続し、文末が「~ことにす る。」という形を取るものを扱う1。 (1) 「とにかく手術を受けることにするよ。ああ、これでさばさばした」(中 谷孝雄『招魂の賦』) この例では、「手術を受ける」に「ことにする」が接続することによって、主体 が取り得る行動に複数の選択肢(たとえば、 「手術を受ける」 「手術を受けない」 「別 の治療をする」等)がある状況で、「手術を受ける」という行動を選択するという ことを表している。 一方で、 「ことにする」には末尾をタ形にした「ことにした」という形式も存在 する。 (2) 「今度、私もアメリカズカップの仕事を引き受けることにしたよ。手伝っ てくれるね。難しいプロジェクトだが、君にはいい経験になるよ」(宮田秀 明『仕事のやり方間違えてます』) この例でも、主体である「私」が取り得る選択肢の中から「仕事を引き受ける」 という行動を選択したことを表している。 また、「ことにする」に類するものとして、「ということにする」という表現も存 在する。 (3) 御異議がないようですので、資料2-3のとおり区分するということにしま す。(厚生労働省「平成23年度第6回薬事・食品衛生審議会 医薬品等安全対 策部会安全対策調査会審議会議事録」) これらの用法上の違いについては、先行研究においてある程度考察が進んでいる が、本稿では人称と時制という観点から、これらの違いについて考察したい。. 2.先行研究による「ことにする」の記述 安達(1999b)は以下のように、意味・用法上の観点から「ことにする」を大き 1. 本稿の例文の多くは『現代日本語書き言葉均衡コーパス(BCCWJ) 』 (国立国語研究所) から採取した。一部の例には『筑波ウェブコーパス(TWC) 』 (筑波大学)からNINJALLWP for TWCを用いて採取したものもある。また、断りのない限り、例文中の下線は筆者 によるものである。. - - 25.
(3) く2つに区分している。 1)ある行為を動作主が意図的に決定することを表すもの(行為の決定) 2)事実とは異なることを相手を偽ってそのように思い込ませるといった意味 を持つもの(事実とは違う認識の決定) これらの例として、以下のようなものが挙げられている(安達1999b,p.113) 。 (4) 候補作を読む時に、すでに雑誌で読んでいる向田作品を最後に読むことに した。再読して、また圧倒された。(山口瞳『木槿の花』 ) (5) 太郎はその日は出張したことにして、会議をさぼった。 (4)では、話し手が「向田作品を最後に読む」という行為を決定したことを聞き 手に報告する文である。(5)では、主体である「太郎」が、 事実とは異なる事柄( 「出 張した」)を事実であるかのように相手に信じ込ませようとしたという解釈となる。 柏崎(2001)は「ことにする」の用法の違いと表現形式との対応関係を詳細に記 述している2。 1){意志動詞/意志的表現}+ことにする(事態の決定) 2){無意志動詞、状態性動詞、動詞「た形」、「名詞+という」 、い形容詞(な 形容詞?)、「文+という」}+ことにする(取り決めた帰結) これら2者の内、前者は安達(1999b)の「行為の決定」用法にほぼ相当するも のであるが、後者については動詞「た形」が「ことにする」に前接した場合に「偽 装」用法(安達1999bの「事実とは違う認識の決定」用法)となることに加え、そ の他の形式が前接したものは「取り決め」という用法になるとしている3。 「取り決め」 用法の例としては以下のようなものが挙げられている(柏崎2001,p.39) 。 (6) 国家の領域というのは、どういう意味を持つものなのでしょう。なぜ、私 たちは、一定の場所を区切って、ある国だけが支配することができる権利を もつ、ということにしているのでしょう。(『はじめての国際法』 ) この例では、主体が何らかの規約、規則などを制定していることを話し手が報告 している。 また、柏崎(2001)は「事態の決定」用法における「ことにする」と「ことにし た」の違いについても言及している。すなわち、「ことにした」は過去において決 定が行われ確定したことを示す表現であり、また、実際にその行動が取られている 場合もある(柏崎2001,p.36)。 (7) 「知り合いのうちで、おばあさんが中気で倒れて困っているからって、頼 んできたから、そっちへつきそいに行くことにしたの。夜かえるのが、九時 なのよ。」(『太郎物語』) 2. 柏崎による記述は「ことにする」に前接する形式だけでなく、 「ことにした」 「ことにし よう」 「ことにしている」など、 「ことにする」自体の形式の違いも取り扱っている。 3 「 取り決めた帰結」の中に「偽装」と「取り決め」が含まれるとされている。. - - 26.
(4) この例では、主体が「つきそいに行く」という行動を過去において決定したこと に加え、発話時には既にその行動が実行に移されている解釈となる。. 3.問題の所在 先行研究の記述は、「ことにする」の用法分類という点では妥当なものであると 思われる。しかし、人称と時制という観点において、なお論じるべき点が残されて いる。 前節でも見たとおり、柏崎(2001)は「ことにする」と「ことにした」の違いは、 行為の決定が発話時に行われたのか、発話時以前に行われたのかという違いにある としている。ここで、「ことにした」が用いられている次の例を見てみる。 (8) 「政府の誰に電話しても無駄だ。日本政府はフライング社との取引を白紙 に戻すことにしたよ。レッドコブラを従えて、さっさと米国へ戻ることだな」 (門田泰明『帝王コブラ』2巻) この例は、 「取引を白紙に戻す」という行為の決定が発話時よりも前に行われた ことを話し手が聞き手に伝えている。「ことにした」の解釈に関しては柏崎の説明 のとおりである。 しかし、柏崎(2001)は「ことにする」と「ことにした」の置換の可否について は論じていない。たとえば、(8)の「ことにした」を次のように「ことにする」に 置き換えると、かなり不自然な発話となる4。 (8′) 「政府の誰に電話しても無駄だ。??日本政府はフライング社との取引を白 紙に戻すことにするよ。 レッドコブラを従えて、 さっさと米国へ戻ることだな」 「ことにする」と「ことにした」は常に置換できないわけではない。たとえば、 次の例では決定時点に関する解釈に違いはあるものの、文法的には任意に「ことに する」と「ことにした」を置き換えることが可能である。 (9) 「ウム、そんなことは馬鹿な奴等のすることだ。ところがさ、お前、やっ ぱり張らなくっちゃならねえだろう。だから俺は、吉良の奴等の仕わざと思 うことにするよ。事実奴等の仕わざかどうか、そんなことはどうでもいいん だが」(阿佐田哲也『次郎長放浪記』) (9′) 「ウム、そんなことは馬鹿な奴等のすることだ。ところがさ、お前、やっ ぱり張らなくっちゃならねえだろう。だから俺は、吉良の奴等の仕わざと思 4. 「 ことにする」と「ことにした」には決定時点に関する解釈上の違いがあるので、決定時 点の違いが影響してしまうような文脈では置き換えのできない可能性もある。しかし、 (8) の文脈では決定時点の違いは問題とならない。たとえば、次のように、 「ことにする」以外 の表現で発話時よりも後に事態が決定するような文を作っても不自然にはならない。 「政府の誰に電話しても無駄だ。来週日本政府はフライング社との取引を白紙に戻す 決定をするよ。レッドコブラを従えて、さっさと米国へ戻ることだな」. - - 27.
(5) うことにしたよ。事実奴等の仕わざかどうか、そんなことはどうでもいいん だが」 (8)と(9)における「ことにする」と「ことにした」の置換の可否は何に起因し ているのであろうか。ここで、両者の主体となっているものに目を向けると、 (8) は主体(「日本政府」)が話し手本人ではないのに対し、 (9) は主体が話し手本人で あるという違いが観察される。すなわち、「ことにする」の主体が話し手自身であ る場合は、「ことにする」と「ことにした」の置換が可能であるが、主体が話し手 以外の場合は「ことにする」を用いることができないということである。 このように、「ことにする」と「ことにした」は、先行研究に指摘される事態の 決定時点に関する解釈上の違いとは別に、取り得る主体の人称においても違いが見 られる。以下では、この点に関して考察していく。なお、考察の対象として、「こ とにする」等に前接するものは意志的な動作を表す動詞の基本形に限ることとする。. 4. 「ことにする」 4.1.モダリティと人称 日本語は主体の人称とモダリティに相関が見られることが知られている。典型的 な例としては、叙述のモダリティを持ついわゆる平叙文の内、感情の表出に関わる 表現が述語となった文において、主体の人称に制限が見られる以下のようなものが 挙げられる。 (10) 私はうれしい (11)*佐藤はうれしい。 このように、「うれしい」「悲しい」といった主体のみがはかり知ることのできる 感情を表す述語は、1人称以外を主語にとることができない5。 また、主体が特定の人称をとることで動詞の基本形が特定のモダリティを表すよ うになることがある。たとえば、意志的な動作を表す動詞の基本形は、動作主が1 人称の場合に、話し手の意志的な行為の実行を聞き手に伝える機能を果たすように なる(森山1990、日本語記述文法研究会2003)。 (12) 5時か。そろそろ帰る/帰ります。 動詞の基本形(辞書形)は、基本的には未来の予定を表すものであるが、 (12) は 単に話し手が自分の帰宅予定を告げる文ではなく、「帰る」という話し手自身の意 志的な行為の実行を聞き手に宣言する文となっている。これは、次のように主体が 話し手以外になっている文と比較することによって、より明らかになる。 (13) 5時か。そろそろ佐藤が帰る/帰ります。 5. 益岡(1997)のように、 (11) のような文が不適格になる理由を語用論的要因に求める議論 もあるが、ここでは人称制限が認識論的要因と語用論的要因のいずれに帰するものである かについては議論しない。. - - 28.
(6) (13)では、主体が話し手ではなく「佐藤」となっており、「佐藤」の意志とは無 関係に単にこれから起こる事態を予告する文となっている。 このように、主体の人称とモダリティには相関が見られることがあるが、前節で 「ことにする」と「ことにした」の置換可能性と主体の人称との間に相関が見られ たことも、このことが関与していると考えられる。 4.2.「ことにする」の人称制限 先に見た(12)は次のように「ことにします」を後続させることが可能である。 (14) 5時か。そろそろ帰ることにする/帰ることにします。 (12)は話し手の意志的な行為の実行を宣言する文であったが、 (14) のように「こ とにする」を伴った場合は、話し手の意志的な行為の決定を宣言する文とでも言う ことができる。 ところで、(12)では(13)のように動作主を3人称に変更することで意志的な行為 の実行を宣言する機能が失われるが、未来の事態を予告する文としては成立する。 一方、(14)では動作主を3人称に変更すること自体が不可能である6。 (15) 5時か。*そろそろ佐藤が帰ることにする/帰ることにします。 (12)のような動詞の基本形が述語となっている場合は、主体が1人称であり、か つ聞き手が存在するという条件が加わることで、動詞の基本形本来の意味に対して 加算的に意志的な行為の実行を宣言する機能が備わる。したがって、 (13) のように そのような条件が損なわれても、動詞の基本形本来の意味を表すようになるだけで、 非文法的とはならない。 一方、 「ことにする」は基本的に話し手の意志的な行為の決定を宣言する表現で あるため、(15)のように話し手以外を主体として用いることはそもそもできないの であると考えられる。先に見た(8′)が不自然に感じられるのも、 「ことにする」の 主体が話し手以外になっており、話し手自身の意志的な行為の決定を宣言するとい う「ことにする」の基本的な意味と相容れないからであろう。 以上、 「ことにする」自体が基本形を取る文は主体が1人称に限られるというこ とを見たが、次節では「た形」の「ことにした」について論じる。. 5. 「ことにした」 5.1. 「ことにした」と「つもりだ」の類似点 「ことにする」が発話時点において決定が行われるのに対し、「ことにした」は 6. 「 昨日は山田が行ったので、今日は佐藤が行くことにする/行くことにします」は許容度 が上がる。しかし、これは佐藤の意志を表している文ではない。このような文は「ことに する」の前に「という」を補うことが可能であり、 「取り決め」を表していると考えられる。 詳細は6節を参照。. - - 29.
(7) 過去において決定が行われ、確定したことを示す。発話時より以前に主体の意志が 決まっているという点に関して、「ことにした」と類似した表現として、次に見る ような「つもりだ」が挙げられる。 (16) 「まずはレゼントへ行って、ラザーランド叔父さんを訪ねるつもりです。 ほら、いつか船乗りになりたいのなら、来いと言ってくれてたじゃないです か。(後略)」(ゆうきりん『世界の果ての城』) この文では、話し手が発話時点において既に「ラザーランド叔父さんを訪ねる」 という意志を抱いていることを聞き手に示している。この文における「つもりだ」 は、ほぼ文意を変えることなく「ことにした」に置き換えることが可能である。 (16′) 「まずはレゼントへ行って、ラザーランド叔父さんを訪ねることにしまし た。ほら、いつか船乗りになりたいのなら、来いと言ってくれてたじゃない ですか。」 動詞の基本形と異なり、「つもりだ」が発話時の決定を表さないことは、この形 式が「では/それなら/じゃあ」と共起しないことからも示される(森山1990、安 達1999a)が、同様のテストは「ことにする」「ことにした」にも当てはまる。 (17) a. では、私は、明日3時に研究室に伺います。 b. では、私は、明日3時に研究室に伺うことにします。 c.*では、私は、明日3時に研究室に伺うつもりです。 d.*では、私は、明日3時に研究室に伺うことにしました。 また、主体の人称に関しても「ことにした」と「つもりだ」には類似点が見られ る。すなわち、両者ともに話し手以外の意志を表すことができる。 (18) Intelは、2005年 か2006年 に は、10GHzのCPUを 登 場 さ せ る つ も り だ。 (「DOS/V POWER REPORT」2001年2月号) 3節に見た(8)の「ことにした」のときと同様、(18) の「つもりだ」においても 話し手以外の第3者の意志(「Intel」)が示されている。 「ことにする」と「つもりだ」のいずれにおいても発話時以前に意志が形成され ているということと、両者が第三者の意志を表し得るということとの間には何らか の相関があるように思われるが、現時点では十分に説明する根拠がないため、本稿 では用法上の類似点を挙げることに留め、この点の詳細な考察については今後の課 題としたい。 5.2. 「ことにした」と「つもりだ」の相違点 2節で見たように、「ことにした」は過去に決定した行為が実行に移されている ような文脈でも用いることができる。一方、「つもりだ」は意志が実行に移されて いるような文脈では用いることができない。たとえば、本稿冒頭に見た (2) のよう に行為が未実現の解釈となる文脈の場合は、次のように「ことにした」を「つもり - - 30.
(8) だ」に置き換えることができる。 (2′) 「今度、私もアメリカズカップの仕事を引き受けるつもりだよ。手伝って くれるね。難しいプロジェクトだが、君にはいい経験になるよ」 ところが、次のように「ことにした」で示される行為が明らかに実行されている ような解釈となる文脈では、「つもりだ」を用いると不自然となる。 (19) トムはボウルをあたたかい場所におき、パンの生地がふくらむのを待つこ とにしました。それからトムとベニーとパグジーはみんなのところにもどり ました。(ガートルード・ウォーナー著、中村妙子訳『雪あらしのなぞ』 ) (19′ )*トムはボウルをあたたかい場所におき、パンの生地がふくらむのを待つ つもりです。それからトムとベニーとパグジーはみんなのところにもどりま した。 こうした違いは、「ことにした」が過去のある時点における意志の決定という瞬 間的な出来事を表すのに対し、「つもりだ」は発話時以前からの意志の内包という 静的な状態を表すという違いがあることに起因していると考えられる。すなわち、 「ことにした」は直接的には過去における意志の決定を表すものであり、そこで決 定された意志がその後、発話時より前に実現することもあれば、発話時においても 実現していないこともあり得る。しかし、「つもりだ」は発話時以前から形成され ている意志が発話時においても同じ意志のままで主体の中にあることを表している ため、発話時以前に意志が実現することはあり得ない。 このように、「ことにした」と「つもりだ」は動的・静的というアスペクト的な 違いがあるため相違点も少なくないが、「ことにする」と「ことにした」の違いを 明らかにする中で、「ことにした」と「つもりだ」の意味上の共通点は重要な手が かりになると考えられる。. 6. 「ということにする」 柏崎(2001)は、(3)のように「ことにする」に「文+という」が前接した場合 は「事態の決定」ではなく「取り決め」の用法になるとしている。このことは、発 話時に行為ないし事態を決定するような文脈で「ということにする」を用いた (24) のような文が不自然となることからも確認できる。 (24)*5時か。そろそろ帰るということにする/ということにします。 次に『筑波ウェブコーパス(TWC)』 (国立国語研究所)を検索した結果を見る7。 意志的動詞を述語とした文に「ということにする」が後続したものとしては、冒頭 に見た(3)の他には次のような例が見つかった。 7. BCCWJからは、 「文+ということにする」で言い切る例はほとんど採取できなかったた め、TWCを用いた。. - - 31.
(9) (25) わかりやすくするために、上の実験の話を少し誇張します。 実験開始の時刻を西暦2004年の1月1日の0時とします。簡単にするため に地上と、東回りの時計の二つで実験するということにします。 (Webサイ ト「亀は万年。チーターは何年」) (3)と (25)の例から、「文+ということにする」は2つのタイプに分けられる。 1つは(3)のように議事等において決を採った時や合意に至った時に現れるタイプ である。もう1つは、(25)のように仮想的な状況を想定する際に用いられるタイプ である。両者は、「という」の省略可能性に関して差が見られる。すなわち、前者 はほぼ同様の意味を保ったまま「という」を省略することができる。 (3′) 御異議がないようですので、資料2-3のとおり区分することにします。 一方、後者は「という」を省略すると、仮想的な状況ではなく、実際にそのよう な行為を行うことを決定したような解釈となる。 (25′) わかりやすくするために、上の実験の話を少し誇張します。 実験開始の時刻を西暦2004年の1月1日の0時とします。簡単にするため に地上と、東回りの時計の二つで実験することにします。 (25)は思考実験を示したものであり、「時計」は実在するものではない。しかし (25′)のように「という」を省略すると、あたかも「時計」が実在して、これから 実際に実験を行うかのような文意となる。 「ということにする」の人称については、「ことにする」に比べて複雑な様相を 呈する。すなわち、事態の選択を示す「ことにする」の場合は、行為の主体と行為 を決定する主体が同一であるが、取り決めを示す「ということにする」の場合は行 為の主体と取り決めをする主体が一致するとは限らない。ただし、取り決めをする 主体は話し手に限られる。 (26) (外務大臣)自分の方から申し上げることは、 支援委員会の支出について、 本日予算が成立したことを受けて、財務大臣から、特に現下景気が非常に厳 しい折から、支出は厳に適正にやるという話があり、支援委員会については、 基本的に、経常的な人事、人件費等々あるが、それと一つロシアの技術支援 の方で、講習会をすることを決めているものがあるが、それを除いては基本 的に改善策ができるまでの間、支出は抑えるということにする。(外務大臣 会見記録(平成14年3月)) この例では、「支出を抑える」行為の主体は「支援委員会」であるが、その取り 決めをする主体は話し手である「外務大臣」である。この場合、 「ということにする」 は話し手が聞き手に対して発話時点においてある種の取り決めを宣言することか ら、一種の発話行為となっていると考えられる。. - - 32.
(10) 7. 「ということにした」 5節では、「ことにした」が「つもりだ」と接近する用法があることを見た。 「と いうことにした」も同様に、「つもりだ」に接近する場合がある。たとえば、(16) で用いられている「つもりだ」は次のように「ということにした」に置き換えるこ とも可能である8。 (16″) 「まずはレゼントへ行って、ラザーランド叔父さんを訪ねるということに しました。ほら、いつか船乗りになりたいのなら、 来いと言ってくれてたじゃ ないですか。」 人称に関しても、 「ことにした」と同様、第3者を主体とすることが可能である。 (27) 母親は、預貯金があるため、生活保護には入らず、できるところまでやっ てみるということにしました。(Webサイト「ちば民報」2008年12月14日) 「ことにする」と「ということにする」では違いが見られたが、「ことにした」 と「ということにした」は発話時以前の主体の意志を表すという点においてかなり 接近した用法が見られる。「という」が介在することで、 「行為の選択」よりは「取 り決め」を表すようになっていると言えないこともないが、「ことにする」と「と いうことにする」に見られた違いと比べると、印象程度の差というように感じられ る9。 ただし、両者の違いとして、「ということにする」の場合と同様、仮想的な事態 を想定する場合は次のように「ということにした」のみ用いることができる10。 (28) それで僕は実技の課題で、自分のクラスにクローン人間が一人いるという ことにしました。(Webサイト「著名人メッセージ・平田オリザさん」 ) (28′)??それで僕は実技の課題で、自分のクラスにクローン人間が一人いること にしました。(Webサイト「著名人メッセージ・平田オリザさん」 ). 8.まとめ 本稿では、意志的な動作を表す動詞の基本形に「ことにする」 「ことにした」 「と いうことにする」 「ということにした」という4形式が接続して述部を形成する文 8. 話者によっては (16″ ) に若干の違和感を生ずるかもしれないが、 それはおそらく「という」 の存在が冗長に感じるという文体的な要因ではないかと思われる。コーパス上も意志動詞 基本形+「ということにした/しました。 」の例は数の上では少ない。しかし、 「つもりだ」 の例を「ということにした」に置き換えられる場合が少なからず見受けられる。 9 「 ~ことにした。 」と「~ということにした。 」で実例数に差があることは事実であるので、 この点については「という」の特性と関連付けることで、より深く考察される余地がある。 10 本稿の扱う文は本来「ということにした」の前が意志的な動作を表す動詞の基本形であ る必要があるが、そのような例が見つからなかったため (28) の例を掲載した。しかし、 (28) は次のように意志的な動作を表す動詞を用いて言い換えることも可能である。 それで僕は実技の課題で、自分のクラスにクローン人間を一人加えるということにし ました。. - - 33.
(11) について、行為の主体の人称と「(という)ことにする/した」という時制に焦点 を当てて考察した。その結果、以下のことが明らかとなった。 ・「ことにする」の文では、行為の主体が1人称に限定され、話し手の意志的 な行為の決定を宣言するという、ある種のモダリティを表している。 ・「ことにした」の文は、行為の主体として第3者も取り得る。また、 「つもり だ」の文と接近する用法が見られる。 ・「ということにする」の文は、議事に用いられるタイプと、仮想的な状況を 想定する際に用いられるタイプが見られる。その場合の人称は、行為の主体 は第3者も取り得るが、決定の主体は1人称に限定される。また、前者のタ イプは一種の発話行為となっている。 ・「ということにした」の文は、 「ことにした」の文に接近した用法が見られる。 その際も行為の主体に第3者を取り得る。また、仮想的な状況を想定する際 は「ということにした」のみが用いられる。. 【参考文献】 安達太郎(1999a)「『する』の文型と構文」『広島女子大学国際文化学部紀要』7, 105-117 安達太郎(1999b)「意志のモダリティと周辺形式」『広島女子大国文』16,広島女 子大学国文学会,1-16 阿部二郎・鄭玉貴(2013)「日本語の『Vことにする』と中国語の『决定』 」 『北海 道教育大学紀要 人文科学・社会科学編』63巻2号,1-16 柏崎雅世(2001) 「『ことになる』 『ことにする』の意味と用法 その二『ことにする』 」 『東京外国語大学留学生日本語教育センター論集』27,33-47 日本語記述文法研究会(2003)『現代日本語文法4 モダリティ』くろしお出版 仁田義雄(1991)『日本語のモダリティと人称』ひつじ書房 益岡隆志(1997) 「表現の主観性」田窪行則編『視点と言語行動』くろしお出版, 1-11 森山卓郎(1990)「意志のモダリティについて」『阪大日本語研究』2,1-19 山梨正明(1986)『発話行為』大修館書店. - - 34.
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