八 論 説
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戦後日本の政党政治
ー!﹁一党優位制論﹂の視点から││
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試
論
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森
本
良
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哲
目 次 1一一『奈良法学会雑誌』第6巻3号 (1993年12月〉 E はじめに 比 較 の な か で の 自 民 党 長 期 政 権 自 民 党 長 期 政 権 の 原 因 と 結 果 ま と め と 展 望 而 山 N は じ め に 自由民主党は一九五五年の結党以来、一九九三年八月にはじめて野党となるまで実に三八年の長きにわたって政権 の座を占め続け、この間、政権交代(政権党の交代)は一度もなかった。教科書的理解によれば、自由な選挙を通し てなされる定期的な政権交代こそ、民主主義政治のあるべき姿である。確かに、民主主義国とされている国では政権第6巻3号一一2 一九九三年に共和党の大統領から民主党の大統領に代わったば かりである。これとは逆に旧ソ連・東欧のような独裁国は共産党の一党独裁であり、政権交代などありえなかった。 党の交代を見ること、ができる。例えばアメリカでは、 だとすれば、政権交代のなかった一九五五年以降の日本(いわゆる五五年体制)は旧ソ連同様の非民主的な独裁体制 だったのだろうか。それが今回の政権交代でやっと﹁民主化﹂されたのであろうか。本稿はこのような問題から出発 し、何が自民党長期政権をもたらしたのか、逆にそれは日本の政治経済社会になにをもたらしたのかを考え、今後の 政党政治の行方を展望するための基礎を提供しようとするものである。なお本稿は﹁戦後体制﹂に関する筆者の研究 の一端として、戦後政党政治の全体的な見取り図をスケッチしたもので、今後進めて行く予定のより個別的主題のた めの予備作業という意味をもっている。
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比較のなかでの自民党長期政権 ( 1 ) 一党長期政権と民主主義 現在の主要政党のうち自由民主党と社会党、 つまり従来の政権党と野党第一党はともに一九五五年に、それまでそ れぞれ二つに分かれていたものが一つに合同してできたものであり(﹁五五年体制﹂の成立)、この年以降自民党単独 政権が続いていったのである。ごく短期間、新自由クラブとの連立政権になったが、対等のパートナーとはとても言 え や す 、 やがて新自由クラブは解散し、その議員の多くは自民党に加入(再加入)した。それ以前、戦後初期(一九四 五五五年)においては、吉田茂率いる自由党の政権期間がもっとも長いとは言え、もうひとつの保守政党である民 主党も政権につき、また連立政権も見られた。注目したいのは社会党も参加した連立政権が一年半続いたことである。 さらに戦前の﹁政党内閣期﹂ ( 一 九 二 四l
三二年)に目をやれば、主要政党はすべて保守政党であったけれど、それらの聞で定期的な政権交代があり、それは﹁憲政の常道﹂と呼ばれていた︹付録の図ーを参照︺。そうだとすれば、 四
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年近くも政権突代のなかった五五年体制下の日本は戦後初期はおろか大正時代と比べても﹁非民主的﹂になって しまったのだろうか。確かにマスメディアや野党の言説にはしばしば﹁自民党一党独裁﹂という言葉が登場する。し かし、このようなマスメディアや野党の活発な批判活動自体が﹁戦後民主主義﹂の定着を物語っている。結局、 ー「 党長期政権と民主主義体制は矛盾しない。 一党長期政権という政党政治の姿もまた民主主義政治のひとつのありうる パターンである﹂と考えた方がより現実に即した理解だと言えるのではないだろうか。 この点をもう少し明らかにするために、次に我々に比較的なじみのある欧米民主主義諸国の戦後の政党政治に目を 向けてみよう[付録の図2
を 参 照 ︺ 0 この図にあげた六か国を見ると、どの国でも確かに政権交代が見られる。しか じさらに詳しく見ると、イタリアでは現在(一九九三年九月)に至るまで保守のキリスト教民主党がつねに第一党で あり、そしてつねに連立政権の中心となっていた(一九八一年までは首相はすべてこの党から出ていた)。 根深い政 3一一戦後日本の政党政治(試論〉 治腐敗に対する空前の摘発に端を発した現在進行中の大規模な政治改革とくに選挙制度の改革(比例代表制の廃止、 小選挙区制の導入)が政党政治のどのような再編成をもたらすか予断を許さないが、少なくとも戦後四O
年以上の間 キリスト教民主党はつねに連立政権の中心として政権の座にあり続けた。またスウェーデンでも、その政治的ベクト ルはイタリアとは逆向きであるが、社会民主党が一九三二年以降一九七六年までほぼ単独で政権の座を占めて来た。 四四年という自民党を上回る長期政権であった。 一九七六年に一度政権を失ったが、この野党時代でも得票率は政権 時代から微減しただけでつねに四O%
を越え、与党連合の諸政党をはるかに上回る第一党であり続けた[図2
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結 局六年後の一九八二年には政権に復帰し、さらに九年間政権を維持することができた。この時期をも計算に含めれば、 実に五三年にも及ぶ一党長期政権であった。このように例は少ないとは言え、 ヨーロッパの民主主義国のなかでも第6巻3号一一4 党長期政権が見られるのである。同様の例を欧米以外の先進民主主義諸国に求めれば、イスラエルでも見られ、そこ では一九四八年の建国から一九七七年までマパイ H 労働党連合を中心とした連立政権が政権を握り続けて来た。この ように先進民主主義国とされている国々での一党長期政権は、日本の自民党だけではなかった。自民党長期政権は ﹁特殊日本的﹂現象ではなかったのである。 このような、自由で公正な選挙が保障されている体制(つまり自由主義的民主主義体制)の下で、あるひとつの政 党が長期間、他の政党に比べて圧倒的に多くの得票・議席を獲得し、単独であるいは連立の中心として政権の座を占 め続けている政治の在り方がご党優位制﹂と言われるものである。こうして、旧ソ連の共産主義体制やかつてのナ チズム体制のように、公式の制度として一つの政党の存在しか許されていない政治の在り方、すなわちご党独裁 制﹂とははっきりと区別できるのである。日本の一党長期政権を﹁独裁﹂と呼ぶのは、この言葉を使っている人々自 身もおそらく意識しているように、一種のレトリックであって、本当に﹁独裁﹂ならば政権党を自由に批判すること など不可能だし、今回のようにルlルにのっとって混乱もなく政権交代が行われることもないのである。
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二大政党制の神話とその崩壊 先に述べたような民主主義体制における一党長期政権の問題(原因と結果、その功罪)を冷静に検討するというこ とが始まったのは比較的最近である。それまでは、それが﹁民主主義とは両立しない、だからダメなのだ﹂と頭から 決めつけた上での実際政治的議論がほとんどであった。そしてそのようになった大きな理由は、 ﹁民主主義体制にお いてもっとも望ましい政党制は﹃二大政党制﹄である﹂という考え方が広く抱かれていたことにある。すなわち勢力 の比較的接近した二つの大政党が存在し、それらがある程度定期的に政権交代をおこなう﹁二大政党制﹂こそ、民意の反映と政治の安定を結び付けた理想的な政党政治の在り方だ、とされてきた。そしてその具体的な例としてあげら れて来たのが﹁議会政治の祖国﹂イギリスと﹁民主主義の代表﹂アメリカであった。保守党と労働党(戦前は自由 党﹀というこ大政党をもっイギリス、共和党と民主党というこ大政党をもっアメリカは、この政党制のゆえに、民主 主義を実現すると同時に政治の安定をもたらすことによって世界をリードする繁栄を生み出すことができたのだ、と 考えられたのである。 この﹁二大政党制の神話﹂は世界中に広まっていた。例えば政党研究の名著﹃政党論﹄を著し、日本にも早くから 紹介されて来たフランスの著名な憲法・政治学者モ I リス・デュヴェルジェなども二大政党制論の立場から、フラン ︿3 V スの﹁多党制﹂を批判して来た。﹁芸術はフランス﹂﹁学術はドイツ﹂というようにつねに欧米に範を求めていた日 本でも、当然ながら﹁二大政党制﹂の神話は広く浸透した。なによりも﹁政治はイギリス﹂であったからだ。 一 九 五 五年の自民党と社会党の結成は、実際には、両者の聞に議席数で約二倍の開きがあったにもかかわらず、この視点か ら ﹁二大政党制時代の始まり﹂だと、とりわけジャーナリズムによって鳴り物入りで歓迎されたのであった。 5ーー戦後日本の政党政治(試論〉 ﹁二大政党制の神話﹂の裏側には﹁逆神話﹂があった。ある程度以上の勢力をもった政党が一ニつ以上あってどの政 党も単独では過半数の議席に遠く及ばないという﹁多党制﹂ (したがって政権は﹁連立政権﹂となる)は﹁二大政党 制﹂と対比されて、それが政治の不安定と手詰まり状態(イモピリズム)、 したがって経済・社会の停滞や混乱をも たらすということが一方的に強調されて来た。その際例にあげられるのは、つねに戦後初期のフランスの政治体制 (第四共和制)と両大戦間期のドイツの政治体制(ワイマ l ル体制)であった(そしてこの例だけであった)。 も ち ろ ん の こ と 、 一党優位制についても﹁それは安定しているかもしれないが、民主主義とは言えない﹂という﹁逆神 話﹂が生み出されたのである。
第6巻3号一一6 しかし一九七
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年代に入るとともに、この神話に崩壊の兆しが見え始めた。ひとつに、大国だけではなくヨ l ロ ッ パの中小国の政治に関する学問的研究が進むにつれて、多党制であるにもかかわらず、民主主義が発展ししかも政治 が安定しているという例が次々に知られて来たことが挙げられる。ベルギー、オランダ、スイスといった国々がそれ であった。ふたつめに、二大政党制のモデルそのものであったイギリス、そしてアメリカ政治の現実が、この神話に 対する疑念を抱かせるようになった。イギリスはとりわけ一九七0
年 代 に な っ て 、 ﹁イギリス病﹂と言われた深刻な 危機(経済危機、社会不安、政策の手詰まり)に陥り、 アメリカも経済力の衰退、様々な社会問題、そして政策の手 詰まり状態が慢性化し、超大国としての国際的指導力を支え切れなくなってきた。この結果、神話が言うように二大 政党制だから安定した政治と社会がもたらされたのではなく、事実は逆で、安定した政治と社会があったからこそニ ︿ 5 ) 大政党制が成り立っていたのではないのか、と考えられ始めたのである。 結局、これまで﹁二大政党制の神話﹂のために、多党制や一党優位制が論証抜きで頭から不安定だあるいは非民主 的だと否定的な評価を下されて来たのが、この神話がほころび始めることによって、 ようやく多くの国々の政党制の 実態を冷静に比較検討してみよう、事実に即して本当に﹁不安定なのか、非民主的なのか﹂よく考えてみようという 機運が世界的に盛り上がって来たのである。日本の自民党長期政権の本格的な研究もこのような文脈の中から始まっ たことは言うまでもない。 岡 山自民党長期政権の原因と結果
( l ) 起源 自民党長期政権の起源は、前節で述べたように一九五五年一一月の同党の結成(﹁保守合同﹂)そのものであった。これによって衆議院で過半数を越える議席を占め続ける見込みをもった単一の政党が誕生したのである。ところでこ の保守合同の目的は明らかに社会党との対決、近い将来にあるかもしれない社会党の政権到達を阻むことであった。 敗戦直後に戦前の非共産'主義的社会主義政党の主だった人達が一同に会して結成された後、 一九五一年以来左派と右 派の二つの政党に分裂していた社会党は、五五年の一
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月に一足先に統一された。このときまでに社会党は衆議院で 約三分の一の議席を占めていたが、これほどの勢力を社会主義政党が獲得したのは日本近代史上初めてのことであっ 7 戦後日本の政党政治〔試論〉 この歴史的経験の短さが既に一九世紀の終わり には有力な政治勢力となっていた西ヨ l ロヅバ諸国の社会主義政党と日本社会党の、戦後における在り方の相違をも たらす大きな要因ともなったのであれ v この時期の社会党は、当時の労働運動の中心であった﹁総評﹂による全面的 支援を受けた左派の主導の下に、保守勢力との対決姿勢を強めつつあった。そして保守の側もまた、このような社会 党との対決のために、積年の反目を抑えて合同に踏み切ったのである。この背後に、当時生産現場の支配権を巡って 総評労働運動と激しく対立していた経済界(財界)からの強い圧力があづたことは明らかであった。 この両陣営の対決の争点となったのは、①戦後改革によって形成された自由主義的民主主義体制の評価、および② た(戦前には議会政治勢力としては取るに足らない程度であった)。 一 九 五0
年代の自民党をリードしていた 冷戦体制下守の日本の安全保障と対外政策のありかた、この二つであった。 のは、鳩山一郎、岸信介らの﹁政治主義者﹂であり、彼らは①については占領下の民主化の﹁行き過ぎ﹂の是正を、 ②については米ソ対立という国際環境にある以上、 アメリカ側につくという大枠は認めつつも、日本自身の軍備の充 実を図り、対米軍事依存を減らすことによって、日本の国際政治上の自立性を高めようと考えていた。このような立 場から彼らは、自由主義民主主義にかかわる条項から非武装にかかわる条項の双方にまたがる憲法の改定をはっきり と主張したのである。結党大会で採択された﹁党の使命﹂に﹁現行憲法の自主的改正﹂をうたっているのは、この時第6巻3号一-8 〔図1
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新憲法体制の受入れ・擁護修
生
後
多
本
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対米独立(反米) 対米協調 (章崩を)務 開
そして自民・社会両党は、それぞれ、 の自民党の立場を反映したものである。 これに対して社会党は、①占領改革によってもたらされた民主化の ﹁成果を維持﹂し、②憲法の非武装条項をきわめて厳格に解釈して文字 どおり一切の軍備を否定、国際的には﹁中立﹂の立場をとって日米安保 条約を解消することを唱えていた。 ﹁護憲・非武装中立と反安保﹂の社 会党である。この当時社会党をリードしていた左派は既にマルクス H レ -ニン主義イデオロギーの強い影響下にあったが、共産党とは違ってこ のイデオロギーは党の政策に直接現れるというよりも、社会党の場合に l土 ﹁護憲と反安保﹂のための非妥協的な反政府行動力を高めるカンフ ル剤│それは﹁左翼バネ﹂と呼ばれたi
の役割を果たしていたと言える。 [ 図 1 参照] このような、憲法と外交・安全保障という国家の基本的在り方をめぐ る争点を軸とした対決の体制として、自民党政権は出発したのである。 かなり明白に識別できる別個の支持者層をこの出発点において集め、そのパタ ーンは一九六0
年代いっぱいは持続することになった。自民党の周りには、産業・金融の指導者たち(﹁財界﹂)、 農 民、自営商工業者が集まり、社会党の周りには、組織労働勢力(。ブルーカラーとホワイトカラー)、 人(﹁進歩的文化人﹂)が集まったのである。 都市住民、知識( 2 ) 長期政権の維持とその帰結 一 九 五
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年代後半に現れたこのような自社対決パターンの頂点となったのが一九六O
年の日米安保条約改定を巡る 対立であった。騒然たる紛争を引き起こした﹁政治主義者﹂のリーダー岸信介は退陣を余儀なくされ、自民党のリ l ダ l シ y プは﹁保守本流﹂と呼ばれるグループが握ることになった。彼らは前項で述べた二つの争点について、①戦 後改革を否定する行動は敢えて取らない、②安全保障面ではアメリカの軍事力に基本的に依存し、日本は軽武装にと どめ(したがって改憲の必要はない﹀、むしろ経済発展に主力を注ぐ、という立場を明確にした。こうして、﹁自主 ( ロ ﹀ 憲法制定﹂は事実上棚上げされ、経済成長とその成果の配分に政策の重心が移って行った。自民党は﹁派閥連合﹂と いうその特質を最大限に発揮してみごとに環境に適応したのである。 ﹁ 護 憲 と 反 安 保 ﹂ という争点にこだわり続けて、国民の関心から次第に浮き上がって行った。新憲法は一九六0
年 代 に は ほ ぼ 定 着 し 、 他方安全保障と外交面では、アメリカ側について日米安保条約を受け入れるという意識が国民の聞に定着したからで こ れ に 対 し て 社 会 党 は 、 一 九 五0
年代に形成された発想のパターンから抜け出すことができず、 チ一一戦後日本の政党政治(試論〉 ある。新憲法の定着にはまさに社会党に代表される﹁護憲﹂勢力の力が大いに寄与したことを忘れてはならないが、 この定着とともに社会党の存在理由が薄れて行くのは歴史の冷酷きであった。他方、社会党の﹁反安保﹂は公式には その﹁中立﹂政策と結び付いたものであったが、しかし米ソ対立という国際環境の下での日本の位置(潜在的大国で あることと東アジアの東端という地理﹀から言って、それは﹁反米﹂したがって﹁親ソ(東側どに傾くことは避け られなかった。そして、この東側への傾斜を、国民の自には触れにくいけれど重要な社会党のイデオロギーすなわち マルクス日レ1ニン主義が加速したのである。こうして一九六0
年 代 以 降 、 ( 悶 ﹀ うイメージが国民の聞にひろく定着してしまった。 ﹁社会党には政権を任せられない﹂とい第6巻3号一一10 要するに社会党は一九六
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年代以降の国民意識と政治環境の変化に適応できなかったということになるが、その大 きな理由として、その直前までの社会党を支えてきた﹁思想﹂とそれを心から信じて党に献身してきた中心的支持者 を、環境への適応を理由に急激に否定することは、社会党そのものの危機につながることであった点を指摘しなけれ ( M H ) ばならない。ここに、明確な思想・イデオ戸ギーを基礎とする政党の環境適応力の限界というべきものがあったので あ る 。 これに対して自民党は、非社会主義政治勢力の集合体として思想的には国家主義的部分から中道主義的部分までか なり雑多な要素を含んで出発したという性格上、社会党ほどには明確な﹁思想﹂に縛られていなかった。その結果、 高度経済成長による財政の豊かさに助けられ、長期政権党としての立場を最大限に利用して作り上げた様々な物的利 益供与の仕組み(例えば、財政投融資、補助金、税制上の優遇措置)を通して、従来からの中心的支持集団を切り捨 てる事なく、同時にこれまで自民党とは疎遠であった集団(労働組合や市民団体、環境団体、福祉団体)をもある程 度引き寄せることに成功した。実際、政党支持率で見ても、かつては圧倒的に社会党を支持していたホワイトカラー、 一 九 七0
年代後半には自民党の方をより多く支持するようになっていたのである。 ブルーカラーといった勤労者層は、 こうして自民党は産業構造の変化によって比重の減っていた農民・自営業者の穴を新たな支持層の開拓によって埋め ることができたのであった。政治学の用語を使えば、自民党は﹁キ十ヅチオ!ル・パーティー(包括政党)﹂となる ことによって政権の維持に成功したのである。 こうして自民党一党優位制が成立したわけだが、それでは、この体制は日本の政治のありかたにどのような特徴を 与えたのであろうか。まず第一に一党優位制では、 するため、当面の選挙での不利益を恐れず、政権党による長期的展望にたった一貫した政策の実行を可能にするとい ﹁近い将来の政権交替の可能性はない﹂という前提で人々が行動うメリットがある。 一 九 八
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年代の税制改革はこの好例であった。反面、政権党と行政官僚の密着をもたらし、また 政治腐敗への抑制が効きにくい環境をもたらすのも事実である。 これらの点はこれまでも指摘されてきたが、それ以上に重要なのは、 一党が政権の座に長く就いていることによっ て、その国の政治運営の枠組みがこの党の価値観・政策選択に沿って形作られてしまうということである。この枠組 みから外れた問題は政治過程のなかで取り上げられることが難しくなる。自民党体制の場合で言えば、親米政策と市 場経済を前提とした経済成長政策が政治運営の基本的な枠組みとなり、それは国民の間で﹁あたりまえのこと、自然 なこと﹂と感じられるまでになったのである。そして、この枠組みから外れた政党は﹁政権を任せられない﹂との熔 印を国民から押される。社会党はその反米的態度と経済運営能力への不信感からついに﹁政権党﹂として認知されな ( 羽 ﹀ か っ た の で あ る 。N
まとめと展望 11-戦後日本の政党政治〈試論〉 先進民主主義国における一党優位制の未来は徴妙である。先進民主主義国での一党優位制の四つの事例(日本、 ス ウェ lデン、イタリア、イスラエル)について、イスラエルを除けば、現在(九三年九月) の段階でひとつのシステ ムとしてのその終需をはっきりと断定できるかどうかは微妙なのである。 では直ちには一党優位制の終わりを意味しないのである。自民党体制について言えば、 費税と農産物自由化問題が、政治スキャンダルと絡み合ったことも手伝って、従来の中心的支持層(自営業者と農 一時的な政権の離脱があっても、それだけ 一九八九年参議院選挙で、消 民﹀と新たに獲得しつつあったホワイトカラーとやブルーカラー、都市住民の支持の両方を大きく失い、記録的敗北を 喫したことは記憶に新しい。その後(一九九O
年) の衆議院選挙では失地を回復したものの、 ﹁ キ ャ ッ チ オ l ル ・ パ第6巻3号一一12 ー テ ィ 1 ﹂としての地位は意外に不安定であることを露呈した。利益供与のシステムによって獲得された支持は、利 ︿ 辺 ) 益の些細な侵害に対しても敏感に反応するのである。しかし財政的余裕の減少と国際的相互依存の高まりの結果、際 限の無い利益供与が難しくなった現在、利益を通して﹁すべての人から支持を集める﹂ことは困難になってきた。消 費税の導入、農産物自由化は、支持基盤のシフトをも展望に入れてこの課題に取り組もうとする自民党の姿勢の現れ であったが、結果は手痛いしっぺ返しであった。さらに﹁派閥連合﹂としての有利さも、一九八
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年代に入ってから の田中派(←竹下派)の肥大化とともに派閥の脱思想が極限に達し、派閥が単なる利益追求集団と化した結果、かっ ハ お ) てのような﹁疑似政権交代﹂的効果を期待することも不可能となった。 他方社会党は﹁護憲と反安保﹂を最重要争点と考える五0
年代型思考(冷戦型思考)からいまだ抜け出せず、ポス ト冷戦時代の新たな国際秩序づくりへの積極的参加とピジョンの提示という現在現れつつある最重要課題に全く対応 できずに混迷している。ソ連・東欧共産主義体制崩壊によって充分な自己反省もなしに﹁マルクス H レ l ニ ン 主 義 ﹂ は棚上げしてしまったため、 ﹁護憲と反安保﹂は今や、反米ナショナリズムの匂いのする、既得利益擁護民主主義と 一国平和主義を意味するだけのものに陥りかねないものとなっている。 同じ左翼政党とは言え、 ﹁政権は任せられない﹂という国民からの不信感(いいかえれば﹁統治政党としての正統 性の欠如﹂)の基本的原因が、 マ ル グ ス H レ 1 ニン主義というそのイデオロギー自体にある共産党は、 ソ連共産党と の断絶・対立の歴史(それは一九六三年以降はおおむね事実である)をどれほど力説しても、この不信感の払拭(正 統性の獲得)には全く寄与せず、そのイデオロギーの根本的転換を迫られる。これに対して社会党の場合国民はその 根底にあったマルクス日レ 1 ニン主義的社会主義の存在を認識せず(あるいは無関心で)、 この党への不信感(統治 政党としての正統性の欠如)のもっとも基本的な根拠が﹁親ソ・東側﹂というその国際政治上のスタンスにあったため、ソ連・東欧共産主義体制の崩壊によって、 ハ剖酎﹀ 消えてしまった。 いわば棚ぼた式に主体的努力なしに不信感のもっとも基本的な根拠が 一九八九年から一九九一年にかけての時期、 ソ連・東欧共産主義体制の崩壊を前にして、共産党内 がきわめて深刻な空気に包まれていたのに対して、社会党は全体にあまり痛庫を感じていないらしい様子がみられた のは、このような両党のおかれた立場の相違を反映していたのである。 こうして自社両党とも、既得利益を保守しようという指向と従来の惰性ではない国際国内秩序が必要かもしれない という予感の闘で揺れ動いている国民を、本当の意味で﹁指導﹂して行く体制になかったのである。この意味で自民 党一党優位制は、 一九九三年八月に自民党政権が終わりを迎えるかなり以前から危機に直面していたのであった。 13一一戦後日本の政党政治(試論) ( 1 ) 本稿で﹁民主主義﹂というとき、それは旧西側先進国の政治体制の基本原理である﹁自由主義的民主主義﹂を指す。した がって、自由主義と民主主義というふたつの原理の対立的側面を極度に強調することによって、独裁体制と民主主義原理の 両立を論じるカ l ル ・ シ ュ ミ ッ ト の よ う な 論 理 ( シ ュ ミ ッ ト ︿ 稲 葉 素 之 訳 ﹀ ﹃ 現 代 議 会 主 義 の 精 神 史 的 地 位 ﹄ み す ず 書 一 房 一 、 一 九 七 二 年 ) は こ こ で は 無 縁 で あ る 。 ( 2 ) これらの事例について、﹃レヴアイアサン﹄木鐸社、一九九四年冬・臨時増刊号(特集・一党優位制の崩壊?﹀参照。 ( 3 ) 例えば、デュヴェルジェの﹃ヨーロッパの政治構造│人民なき民主主義│﹄(西川長夫・天羽均訳、合同出版、一九七四 年、原著は一九六七年)を貫くのはこの視点であり、ここから彼は非共産主義左翼(社会党など﹀と共産党による左翼連合 に 期 待 を 寄 せ て い た 。 ま た よ り 最 近 の 旬 、 弘 之 色 、 同 吾
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忠 H a 虫 色 お ( 盟 ﹂ 同 Y H U ∞ ∞ ) で も 、 二 大 政 党 制 的 構 造 へ の 期 待 感 を こめた予測がなされていた。私もデュヴェルジェのこの観測に依拠して、フランスにおける二大政党制的方向への可能性を 論じたことがある(拙稿﹁フランスの政党政治﹂川端・的場編﹃現代政治﹄法律文化社、一九八八年所収、一六七頁)。 ( 4 ) 連合政権による安定した民主政治の成立の可能性を一不すという観点から、岡沢憲芙氏や篠原一氏のグループによって、ョ ーロッパでの研究動向が精力的に紹介されてきた。西ヨーロッパ諸国の政党政治に関するクロスナショナル・データの数量 的分析によって、多党制と連合政権による政治的安定の可能性を示したL・c
-ドッドの研究は岡沢氏によって訳出された第6巻3号一一14 (﹃連合政権考証政党政治の数量分析﹄政治広報センター、一九七七年、原著は一九七六年)。またヨーロッパの﹁中小 国﹂における多党制下の連合政治に触れた研究として、オランダ、スイス、ベルギーについて挙げれば、田口晃﹁組閣危機 と H 大連合μ│オランダ型平常の政治│﹂(篠原一一編﹃連合政治l│デモクラシーの安定をもとめて│﹄岩波書底、一九八 四年所収﹀、矢田俊隆・田口晃﹃オーストリア・スイス現代史﹄(山川出版社、一九八四年)、津田由美子﹁戦間期ベルギー における言語問題の展開﹂(﹃国家学会雑誌﹄一
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五巻五・六号)、同﹁ベルギーにおけるエスニシティ紛争の展開﹂︿犬童 ・山口・馬場・高橋編﹃戦後デモクラシーの変容﹄岩波書応、一九九一年所収)などがある。 ( 5 ) 篠原一﹁連合政治の理論的諸問題﹂︿同編﹃連合政治 I ﹄前掲所収)、的場敏博﹁一党優位政党制論の展望﹂(﹃法学論叢﹄ 一 一 八 巻 四1
六号、一九八六年一1
一 一 一 月 ) ( 6 ) こうして五五年体制は﹁保革対立﹂の体制として形成されたわけであるが、ここで戦後日本の政治用語としての﹁保守、 革新﹂という言い方について、その問題点を指摘しておきたい。政治勢力を指す言葉としての﹁保守、革新﹂とは、ヨーロ ッパ語とくに英語圏でいう﹁右翼(ユぬ宮)、左翼(目白コ)﹂という言葉が指すものとほとんど重なるものである。もともと左 翼と右翼という言葉は、フランス革命下の国民議会で議長席に向かって左側に急進派、右側に穏健派が席を占めたことから 政治用語として用いられるようになった。ここからも分かるように、左翼とは、﹁歴史は特定の方向に向けて進歩してい る﹂という考え方を前提に、社会をその方向に速やかに変えて行こうとする人々や勢力を指し、右翼とは、この考え方その ものを否定するか、あるいは認めてもゆっくりと社会を変えて行くことを主張する人々・勢力を指している。この﹁特定の 方向﹂とはフランス革命の時代には﹁民主主義あるいは自由主義﹂の方向であったが、一九世紀の終わり以降現在に至るま で、何らかの意味での﹁社会主義的﹂な方向と考えられてきた。こうして、例えばイギリスの労働党、ドイツの社会民主党、 フランスの社会党、共産党は左翼政党と呼ばれ、保守党(イギリス)、キリスト教民主同盟(ドイツ)、ゴ l リスト(フラン ス)は右翼政党と呼ばれるのである(もちろんそれぞれ英語仏語独語で)。これに対して日本で﹁左翼・右翼﹂と言うとき、 なぜかその語感にはヨーロッパ語で言う﹁極左・極右(極端な左翼と右翼)﹂のイメージがつきまとい、議会政治における 政党を指す政治用語としては定着していない。そのため、ここで言う﹁右翼政党・左翼政党﹂にあたるもの、具体的には一 方で自民党、他方で社会党・共産党を﹁保守政党・革新政党﹂と呼ぶ習わしができてしまったのである。(なお戦前にはこ のような言い方はなく﹁既成政党・無産政党﹂と呼ばれていた。)しかし﹁革新﹂派とは、昭和戦前期には、日本を国家主15一一戦後日本の政党政治(試論〉 義的に改造して総力戦体制を実現しようとする人々(革新官僚・革新将校)を指していたのに、戦後は、社会党や共産党を 指すようになったことから分かるように、要するに﹁現状を否定し、変革を目指す﹂ことそれ自体を意味していて、変革の 方向は間わない用語なのである。戦前は﹁右翼革新﹂であり、戦後は﹁左翼革新﹂なのである。このように日本のそれぞれ の政党の基本的立場をよりよく表じ、さらに外国との比較という意味からも、﹁保守政党と革新政党﹂という言葉の安易な 使用は再考すべき時でないだろうか。 ( 7 ﹀この歴史経験の長短に注目したのが、升味準之輔弓戦後政治﹄東大出版会、一九八一二年、﹃現代政治﹄東大出版会、一九 八五年﹀、富永健一(﹃日本産業社会の転機﹄東大出版会、一九八八年三的場敏博(﹃戦後の政党システム:・持続と変化﹄有 斐閣、一九九
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年)である。私もこれら先人の議論を批判的に検討することによって、歴史経験のもつ意味を論じた。参照、 拙稿ご党優位と正統性﹂(﹃レヴアイアサン﹄前掲所収﹀。 ( 8 ) 升 味 準 之 輔 ﹃ 戦 後 政 治 ﹄ 、 ﹃ 現 代 政 治 ﹄ ( 前 掲 ) 。 ( 9 ) 戦後日本政治における基本的争点の変化と時期区分について、伊藤光利﹁日本の政治│戦後政治のアジェンダ!﹂(川端 -的場編﹃現代政治﹄前掲所収)、京極純一﹃日本人と政治﹄(東大出版会、一九八六年)八O
一 一 一 一 頁 を 参 照 。 ︿川山)拙稿﹁一党優位と正統性﹂(前掲)。また正村公宏﹃戦後史(上)﹄筑摩書房(文庫版)五一六頁は総評労働運動について 同様の示唆をしている。 ( 日 )T.1 ・ペンベル・村松岐夫・森本哲郎ご党優位制の形成と崩壊﹂(﹃レヴァイアサン﹄前掲所収)。 (ロ)伊藤、京極﹁前掲﹂参照。 (日)以上について詳しくは拙稿﹁一党優位と正統性﹂(前掲﹀参照。 ( U H ) 詳 し く は 同 前 参 照 。 (日﹀この間題については、広瀬道貞﹃補助金と政権党﹄朝日新聞社、一九八一年、ヶント・ E ・ カ ル ダ l ﹃ 自 民 党 長 期 政 権 の 研究l
危機と補助金﹄文芸春秋、一九八九年参照。 ( M W ) 村松岐夫・伊藤光利・辻中豊﹃戦後日本の庄力団体﹄東洋経済新報社、一九八六年。 ( げ ) 富 、 水 健 一 ﹃ 前 掲 室 回 ﹄ 、 荒 木 俊 夫 ﹁ 投 票 行 動 と 社 会 的 属 性 ﹂ ( ﹃ ジ ュ リ ス ト 増 刊 総 合 特 集 コ 一 八 号 ・ 選 挙 ﹄ 有 斐 閣 、 所 収 ) 。 一 九 八 五 年(叩叩﹀この点を強調したものとして、的場敏博﹁一党優位政党制論の展望﹂(前掲)。 ︿印)村松岐夫・真淵勝﹁税制改革の政治﹂(﹃レヴァイアサン﹄前掲所収)。 ( m山)。へンベル・村松・森本﹁一党優位制の形成と崩壊﹂(前掲﹀。 ( 幻 ) 詳 細 は 、 注 ( 初 ) の 文 献 参 照 。 (沼)村上泰亮﹃新中間大衆の時代﹄中央公論社、一九八四年。 (お)今回の政権交替劇の直接のきっかけとなった自民党分裂・新生党の結成もこのような自民党派関構造の変化との関連で考 えねばならない。これらの点について、伊藤光利編﹃ポリテイカルサイエンス事始め﹄(有斐閣、近刊)の﹁政党﹂の章ハ森 本担当﹀を参照されたい。 (剖﹀この問題について詳細は、拙稿﹁一党優位と正統性﹂(前掲﹀参照。 門 付 録 ︼ 図 1 日本における政権党と衆議院の得票率の変遷 図 2 戦後の旧西側先進諸国の政党政治(主要政党の得票率と政権党の変遷) 第6巻3号一一一16 制原則として得票率(対有効投票数﹀七・五%未満の政党は﹁その他﹂として一括した。ただし、概ねこの数字を上回ってい て、一、二回これを下回ったというような政党については、下回った場合でも挙げている。また一貫して七・五%を少し下回 る程度の得票率の政党も挙げておいた(日本の民社党など)。 ( デ ー タ の 出 所 ) ︹ 日 本 ︺ ︹ イ タ リ ア ︺ 遠山茂樹・安達淑子﹃近代日本政治史必携﹄(岩波書広、一九六一年﹀、石川真澄﹃デ i タ 戦 後 政 治 史 ﹄ ( 岩 波 新書、一九八四年)、的場敏博﹃戦後の政党システム﹄(有斐閣、一九九
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年)、﹃朝日年鑑﹄(一九八七、一九 九一年)﹃朝日新聞﹄(一九九三年七月1
八 月 三 的 場 敏 博 、 前 掲 室 田 、 宮 ・ 0 0 5 5 出g
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-﹃ 世 界 年 鑑 ﹄ (共同通信社、各年度版)秦郁彦編﹃世界諸国の制度・組織・人事、一八四Oi
一九八七﹄(東大出版会、一九 八 八 年 ) 、 p ・フローラ編(竹岡敬温監訳﹀﹃ヨーロッパ歴史統計:国家・経済・社会、一八一五l
一 九 七 五 ﹄︹ ス ウ ェ ー デ ン ︺ ︹ イ ギ リ ス ︺ ︹ ア メ リ カ ︺ ︹ ド イ ツ ︺ ︹ フ ラ ン ス ︺ 一 九 八 五 年 ) 。 ( 原 書 一 房 一 、 同 右 。 同 右 。 叫 , FOBSH , ・ 玄 白 円 } 丘 町
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門 同 列 。 田 町 w 同 コ ﹄ W 町 宮 町 問 、 諸 島 足 。 詰 白 ﹄ k 色遣白星叫円。﹂﹁同町時ミミミ同ななミ ( N ロa
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-﹃ 朝 日 新 聞 ﹄ ( 一 九 八 四 年1
﹀ ﹃ 世 界 年 鑑 ﹄ ( 各 年 度 版 ) 。 イタリアと同じ。 川端・的場編﹃現代政治﹄(法律文化社、一九八八年﹀第咽章(森本)、﹄ O F ロ 旬 日 常 的 ・ 、 晶 、s h
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昌 弘 ぎ な 三 宮 、 言 語R
・ 出 口 門2
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ト同ミ色誌、 h ・自由 3 ・ 同 司 門 戸 同 申8 .
*フランスの図についての注記 ①第四共和制については、国民議会(下院)選挙での得票率と内閣構成政党を挙げ、第五共和制については、国民議会と大統 領選挙のそれぞれ第一回投票(二回投票の場合﹀の結果と内閣構成政党、大統領の政党を挙げた。 ② P は大統領選挙、その他は国民議会選挙。 17一一戦後日本の政党政治(試論〉第6巻3号- 1 8 〔図1] 日本:衆議院の得票率と政権党 (1924年一〉 得 票 率 政 権 党 年・月 0 50 100% 1924.5-政友会 ~I 政友本党 2日 憲政会 29 1 他 1924.6 郵政,政友,他 25.8 憲政 27.4 28.2 政友会43 民政党43 │ 他 政友 29.7 30.2 38 52 民政(憲政} 31.12 政友 32.2 58 35 32.5 =院 :::t:::
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46.4 時士会党181進歩賞:201 自由完:25 1 他 46.5 自由,進歩(民主) 47.4 社会賞:26 1 民主主出 │ 自由賞:27 1 他 47.6 社会,民主.他 48.10 民自(自由) 49.1 10 1社会141民主161 民自党44 1 他 49.2 民自(自由i),民主の1部 共産党 50.2 52.10 10*1右 組31iお藍19 1 自由48 <*左社) 自由 53.4 定社131 14 1 . 18 1 吉田自由党 39- 191 鳩山自由党 54.12 民主 55.2 15 1 14 1 民主 37 自由27 1 55.11 自民 58.5- 社会党33__1 自震涜59 60.11 社会27 1 9 1 自民58 民社 63.11 29 171 56 67.1 28w
49 69.12 71 社会 21 1 8 1 1J1 49 共産 民 社 公 明 72.12 22 171 8 1 48 76.121J1 21 l_6l_!_1 1 43 79.10 20 ill_JQJ 46 80.6 19 LU___U 48 83.12 20 ill_JQJ 47 83.12 自民 他(新自由ク) 86.7 9 1 17 16 1 9 1 49 86.7 90.2 8 1 24 15 1 8 1 46 自民 93.7 8 1 15 1 4 1 8 1 8 1 自民 37 1 10 1 93.7 日本新,新色公明 姫 路 蹴 公 明 騒 新生その 社会,民社, { 也 他(さきがけ.社民俗19一一戦後日本の政党政治〈試論) 〔図
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戦後の旧西側先進諸国の政党政治:主要政党の得票率と政権党 (A) 1"一党優位制」の国 ① イタリア 得 票 率 政権党(ムは空白期) 年・月 0 50 100% 1946.6共産191社会21 1キリスト教民主351 他 1946.7 キリ,社,共.f也2 47.2 ム 47.5 48.4 共+社31-I キリ民49 キリ.11也3 50.1 キリ,他2 51.7 キリ.11也l 53.6 共産23 1社会131 キリ民40 16 1 53.7 MSI 54.2 キリ キリ,他2 57.5 キリ 58.5 23 I 14 I 42T
訂 58.7 キリ.11也l 59.2 キリ 62.2 キリ.~也 1 63.4 25 1 14 1 38 151 63.6 キリ,他1 63.12 キリ,紘他1 64.7 キリ.社.他2 68.5 27 1 15 1 39 151 S8.72 A キキリリ.社 68.1 69.9 70.2 キリ,社,他2 72.5 27 1 10 1 39 1 9 1 72.2i
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7723..67 7474..131 76.6 34 1 10 1 39 161 76.2 キリ,他l キリ 79.6 30 Tlol 38 T51 7799..38 80.4 808.1 10 .6 83.6 30 1 II 1 33 82.12 1 7 1 83.8 キり,社,他2 キり,社.他3 87 27 r 14 I 34 161 87.3 キリ 87.7 89.7 キリ,払{也3 キリ,払他2 92 (6)!
22 (16)I社会141キリ民30 15 1 9 1 共産 MSI 北部 (再左建翼民派主 治 同盟第6巻 3号一一20 ② ス ウ ェ ー デ ン 得 票 率 政 権 党 年・月。 50 100% 1932.9 社民 42 │中央141 12 1 24 1932. 9 国民 穏健統一 社員 36.9 46 1 14 1 13I 18 I 36. 6 中央 36. 9 社民.中央 39.12 40.9 54
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2 1 12 1 18 1 社民中央. 国民穏健 44.9 47 I 14I 13I 16 I 45. 7 48.9 46 1 12 1 23 1 12 1 社民 51. 9 52.9 46 I 11I 24 I 14 I 社民,中央 56.9 45 I 10I 24 I 17 I 57.10 58.6 46 I 13I 18 I 20 I 60.9 48 I 14 I 18 I 17 I 64.9 47 I 13I 17 I 14 I 社民 68.9 50 I 16 I 14I 13I 70.9 45 1 20 1 16 U~J 73.9 44 25 I 9 I 14 I 76.9 43 24 1 11.1 16 1 76.10 中央.国民程健 78.10 国民 79.9 43 I 18 I 11I 20 I 79.10 中央.国民穏健 81. 5 中氏国民 82.9 46 I 16 I 6 I 24 82.10 85.9 45 1 12 1 14 1 21 1 社民 88.9 44 1 12 1 12 1 18 1 91.9 38 l_81 9 1 91.10 中央.国民, 穏健'.也{21一一戦後日本の政党政治(試論〉 (B) I二大政党制」の国 ③ イギリス 得 票 率 年・月日 50 1945. 6 48 I 9 I 労働党 自由党 50. 2 46 1 9 1 51.10 49 開│ 55. 5 46 131 59.10 44 16 1 64.10 44 I 11I 66. 3 48 I 9 I 70. 6 43 1 8 1 74. 2 37 1 19 1 74.10 39 1 18 1 79. 5 37 I 14 I 83. 6 28 25 自由+社民 87. 6 31 23 自由+社民 92. 4 35 I 18 L 自由民主 政 権 党 100% 37 保守党 1947.10 労働 43 48 51.11 50 保守 49 43 64.10 42 労働 46 70. 6 保守 38 74. 3 36 労働 44 79. 5 42 保守 42 43 I
第6巻3号一一22 ④ ア メ リ カ 得票率〈大統領選挙) 大統領の政党 年・月。 50 100% 1948.11 民主党 50 共干暁 45 民主 52.11 44 55 1953.1 56.11 42 57 共和 60.11 , 5日 50 61.1 64.11 61 39 民主 68.11 43 1 43 j_14 ア独メ立ザ完カ 69.1 72.11 38 61 共干B 76.11 50 48 77.1 民主 80.11 41 51 81.1 84.11 41 59 共和 88.11 46 54 92.11 43 38 ベロー 93.1 民主
23一一戦後日本の政党政治〈試論〉 (C) その他 ⑤ ドイツ 年・月。 得 票 率 50 1949. 8 社民 29 1 12 1 キリ民 31 1 自民 53.9 29 110 I 45 57. 9 32 1 8 1 50 61. 9 36 1 13 1 45 65. 9 39 1 10 1 48 69. 9 43 161 46 72.11 46 18 I 45 76.10 43 18 1 49 80.10 43 1 11 1 45 総.3 38 171 49 87. 1 37 I 9 I 44 90.12 34 111 1 44 ー 政 権 党 100% 他 1949. 9 キリ民 自民他1 │ 他 53.10 キリ民 自民他2 57.10 キリ民 他1 61.11 キリ民 自民 66.12 キリ民 社民 69.10 社民 自民 82.10 16 緑 キリ民 自民 I 8 I 縁 151
第6巻 3号一一24 ⑥ フ ラ ン ス 得 票 率 政 権 党 年・月 0 1946.11 共産 29 1社会181 12 1 MRP 26 1 13 1 急進 モデレ 194417.51 祉.共,;I!!.MRP,モヂレ.他 社.急,MRP,モデレ.他 51. 6 共産 27 1社会151 10 1 13 1 22 51.8 急進 MRPゴーりストモデレ 急,MRP,モデレ,他 5543..81 急急.MゴRP.ー.モリデスレ.ゴトー.他9スト.他 55. 2 56. 1 共産 26 1社会151急進151 11 1 15 1 12 1 56. 2 急MRP.モヂレ.ゴ-9スト.値 MRPモデレプh 峨 57.11 社,急,他 58.11 共産191 ~士会151 7 1 11 1 21 1モデレ221 社モ,デ急レ.M他f:P...59.1 急進M悶ゴーリスト 59. 1 量ゴ進ーリMスRトp'モデレ 62.11共産 22 1社会1318 1 9 141ゴーリスト 32 1 10 1 62.12 ゴーリスト 忽嘩MRPRI モデレ 急モ進デレ 〈ドゴゴーーリルスト: 65(.め12 ミヲテラン 32 1 16 1 ドゴール 44 65.12 ルカユ品~ ゴーリスト 67. 3 共産 23 IFGDS却にD 131l!61ゴーリスト 32 1 悶 68. 6 20 1 17 1 10 1 ゴーリスト+悶 441 68. 7 S9{.P8} f7'~クロ閥 22151 ポエール 231 ポンピドー 44 1 69.6 ド首ル ゴーリスト RI CD ポ(ゴンーピリドス由ト: 73. 3 共産 21 1社会19IMR131RII0 1ゴーリスト241 74(.P5) ミヲテラン 43 1 ;):MI~岬スタシ 331抑制司 74. 6 74.5 デ凡押ス ゴーりスト ジスカール RI 78. 3 共産 211 社会 25 IUDF 221ゴーリスト221 C 急D進 デ(Rヌ1)タν 8811(..P46 ) ル;.-~151 ミッテラン 261ジ対一岬スタシ 281 シラタ 181 81. 5 81.5 共産161 社会 38 1 UDF 19 1ゴーリスト211 社会 〈ミ社ヲ会テ党ラ}シ 共産,他 84. 7 86. 3 共101 32 lゴーリスト+UDF 42 1 10 1 社会,他 86. 3 ゴーリスト UDF 8888(..P4自) 'uミッテラン 341パール171シラタ 201ルベン141 88. 6 111 社会 38 1 UDF 19 1 19 1 10 I 社他会 共産 ゴーリスト FN 93. 3 9