幼児期における探索的経験の意義
―楽器とかかわる幼児の縦断的観察―
東京藝術大学大学院博士後期課程
音楽専攻 音楽文化学領域 音楽教育研究分野
学籍番号 2315915
伊原 小百合
i
目次
序
... 1第 1 章 隣接諸科学の研究動向と本研究の視座
第1節 発達を取り巻く3つの視点―音楽教育研究との関わりを考える― ... 6 1. アフォーダンス 2. ダイナミック・システムズ・アプローチ 3. タウ理論 第 2 節 本研究の視座 ... 16第 2 章 楽器とかかわる幼児の行為の縦断的分析
第 1 節 観察の概要 ... 18 1-1 研究の方法 1-2 環境設定―楽器を配置する部屋の特徴— 1-3 対象児について 1-4 実践の全体像 1-5 倫理上の配慮 第 2 節 各回の結果と考察 ... 28 2-1 男児 A について ... 28 2-1-1 事例と考察 2-1-2 結果のまとめと考察 2-1-3 まとめ 2-2 女児 B について ... 65 2-2-1 事例と考察 2-2-2 結果のまとめと考察 2-2-3 まとめii
第 3 章 「ジャンベを手で叩く」行為の分析
第 1 節 幼児期の手の動き ... 86 第 2 節 分析の概要 ... 87 第 3 節 結果と考察 ... 88 3-1 男児 A の「ジャンベを手で叩く」の分析 ... 88 3-1-1 ジャンベと男児 A の位置関係 3-1-2 手の動き 3-1-3 手で叩く行為が発現した回数 3-1-4 音の響きの変化 3-1-5 男児 A の「ジャンベを手で叩く」についてのまとめ 3-2 女児 B の「ジャンベを手で叩く」の分析 ... 96 3-2-1 ジャンベと女児 B の位置関係 3-2-2 手の動き 3-2-3 手で叩く行為が発現した回数 3-2-4 音の響きの変化 3-2-5 女児 B の「ジャンベを手で叩く」についてのまとめ 資料1 ジャンベを手で叩く行為一覧表 男児 A の「ジャンベを手で叩く」行為一覧表 ... 103 女児 B の「ジャンベを手で叩く」行為一覧表 ... 114結
... 124 1. 各章のまとめ 2. 幼児期における探索的経験の意義 3. 今後の課題 参考文献一覧 ... 129 初出一覧 ... 134 謝辞 ... 135iii
凡例
「」 引用文 『』 著作名 《》 曲名 【】 図、表、写真 尚、第 2 章で取り上げる事例の凡例については本文中で説明する。1
序
1.研究の目的 本研究は、楽器と探索的にかかわる幼児の行為に着目し、探索的な経験の意義を音楽教 育学的観点から明らかにするものである。 2.研究の背景 乳幼児期には主体的に環境を探索することが尊重される。その重要性については、保育 や教育に携わる者が経験的に認識してきたが、近年では科学的にもその重要性が認められ つつある。乳幼児期に関する近年の研究を大きな視点から捉えれば、ピアジェ的な発達観 の見直しが求められてきたことがわかる。個人の心的構造として認知能力を捉えるピアジ ェの考え方は、今日の保育や教育の礎を築いてきたとも言える一方、実際の乳幼児の姿に 目を向けると、発達段階を線形的に捉えるその考え方では説明のつかない事象が多くある ことに気がつく。特に 20 世紀後半以降、抽象的な記号処理能力としての知能の解明に限 界が叫ばれるようになり、身体性に基づくアプローチへの転換が起こるようになると、発 達を取り巻く分野においても要素還元主義を批判的に捉え、環境を視点の一つとして取り 入れる発達観が提示されるようになり、人の行為を解明するための手がかりとなる知見が 多く示されてきた。こうした研究動向は、音や音楽と人との営みを考えるうえでも非常に 重要な示唆を与えてくれる。乳幼児の音とのかかわりを想起しても、「知覚」された情報を 脳が「認知」し「行為」に至るという、従来の記号処理的な枠組みでは捉えきれない多く の現象があることに気づかされる。それらは人やモノとの複雑な関係の中で生起し、音を 出すことと聴くこととが分かち難い行為として瞬間的に発現している。音楽教育において も身体性という見地から発達を捉え直すことで、音楽的な学びを新たな視点から解明でき ると考える。そこで本研究では、楽器とかかわる幼児の「行為」に着目することで探索的2 なかかわりの中に育まれている学びの一端を明らかにし、その重要性を実際の幼児の姿か ら紐解くことを目指す。 3.先行研究と本研究との関連 環境は自然環境・建築環境・人的環境等様々な観点から捉えられるが、音楽教育におい てはこれまで、幼児が環境にある音に耳を傾けたり、身近なモノとかかわりながら音を出 したり聴いたりすることを通じて、音に関する経験を深めることの重要性が示されてきた。 例えば無藤・吉永(2016)は「子どもを取り巻く環境に存在するあらゆる素材が、音感受 の対象となっていると考えられる1」(p.31)と述べ、とりわけ幼児期において身近な環境 下にある様々な音とかかわることの重要性を説いている。また今川(2003)は、身の回り のモノとのかかわりの中で生じる音に関する幼児の事例を取り上げ、「音が意味ある出来事 として経験される背後には、まず第一に生活の中にさり気なくだが熟慮して配置されたモ ノの存在がある」(p.55)と述べている2。身近な環境とかかわる実際の幼児の姿に迫り、 音に関する幼児の経験を事例として収集・分析した研究(伊原、2014)では、幼児があら ゆる方法でモノとかかわりながら音に対する関心を高めていく様子が明らかにされており 3、幼児のそうした姿はまさに環境を探索する主体そのものである。こうした研究は、幼児 が身の回りにある環境を探索しながら主体的に音とかかわるためのモノの重要性を指摘し ているだけでなく、音に関する幼児の経験が日常という文脈から切り離せないことを示し ている。 1 無藤隆・吉永早苗(2016)『子どもの音感受の世界―心の耳を育む音感受教育による保育 内容「表現」の探求―』 東京:萌文書林。 2 今川恭子(2003)「保育における子どもと音とのかかわり―表現の育ちを支えるもの―」、 『保育の実践と研究』第 7 巻 4 号、スペース新社保育研究室、pp.47–55。 3 伊原小百合(2014)「幼児期における『音』の経験の諸相―音への気付きと音を介したか かわり合いに着目して―」、東京藝術大学大学院修士学位論文。
3 音の出るモノに焦点化して子どもの変化を捉える研究には石川・村上(20164)や丸山 (20165)等があり、特に乳児期における探索的な経験の重要性が示されてきた。環境との 相互依存的な関係の中で行為を捉えるアフォーダンスの視点から丸山(2016)は「環境・ モノ、そして音をめぐって生じる、乳児一人ひとりにとってのユニークでダイナミックな かかわり方の“ありのまま”」(p.55)の子どもの行為を捉えることの重要性を指摘している 6。一方、乳児期に関するこうした知見が幼児期へどのように繋がっていくのかという点で は、音遊びの実践報告(石川・小寺、20087)や保育現場におけるコンサートの実践研究(松 永・水野、20008)等はあるものの、探索的な経験と音楽的な学びとの繋がりに関しては未 解明な部分が多く、幼児期の探索的な行動について科学的根拠をもった音楽的観点からの 分析はほとんどなされていない。 本研究では、幼児の身近な環境の中にあり、幼児自身がかかわりをもつモノの一つであ る楽器に着目する。楽器は多くの保育現場で用いられているが、演奏の上達を目指した指 導が多く見られる一方で、「子どもが自由に楽器に触れられるように」という目的ではある ものの、適切な音環境への配慮に欠けた置かれ方をしている光景を見ることも多い。つま り楽器の扱いにおいては、幼児教育にて尊重される「主体的な探索」を担保するための環 4 石川眞佐江・村上康子(2016)「乳幼児にとって楽しい遊びを支えるために―楽器をど う選ぶ?どう遊ぶ?」、小西行郎・志村洋子・今川恭子・坂井康子編著『乳幼児の音楽表現 ―赤ちゃんから始まる音環境の創造(保育士・幼稚園教諭養成課程)』 東京:中央法規、 pp.64-67。 5 丸山慎(2016)「環境の中のモノとかかわる、音とかかわる」、小西行郎・志村洋子・今 川恭子・坂井康子編著『乳幼児の音楽表現―赤ちゃんから始まる音環境の創造―(保育士・ 幼稚園教諭養成課程)』 東京:中央法規、pp.56–57。 6 同前、p.55。 7 石川眞佐江・小寺香奈(2008)「幼児を対象とした芸術表現教育プログラムの試み―ワー クショップ「おとのたんけんたい」の実践報告」、『音楽教育実践ジャーナル』第6巻第1 号、pp.108–115。 8 松永洋介・水野伸子「幼児の発達に合った音楽の楽しみ方に関する一考察─遊びからア プローチした幼児のための『わいわいコンサート』の計画と実践を通して」、『岐阜大学教 育学部研究報告 人文科学』第 49 巻 1 号、pp.93–102。
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境構成が実現できていない現状がある。楽器とかかわる幼児について検討したものには例 えば、創作的な音楽活動の視点から幼児の表現行為を読み解き体系化を試みた研究
(Swanwick & Tillman, 19869;駒、201310)や、楽器遊びの中で発現した幼児の音楽的な
表現に着目した研究(乙部、201711)等があるが、いずれも幼児の音楽的な能力や技能面 に着目しており、主体的な探索を担保する環境構成の中で楽器をどのように位置づけ、そ こで何が育まれるかという観点からの研究は充分になされているとは言い難い。 4.本研究の意義 本研究は、幼児の音楽的な能力を測ろうとするものではなく、楽器を遊び道具の一つと して位置づけることで幼児の自由探索を促し、そこでの幼児のかかわり方を広く「探索的 経験」と捉える。本研究の意義は、音の出るモノとかかわる経験と幼児の学びとの結びつ きを連続的に見つめる新たな視点を提示し、そうした視点から幼児の学びを読み解くとこ ろにある。環境と探索的にかかわることの重要性は、保育や教育に携わる者が経験的に認 識しているものであり、本研究はその重要性を実証しようとするものである。 5.本論文の内容と構成 第1章では、本研究の視点形成に特に関連する隣接諸科学の研究動向を概観する。「身体」 や「環境との相互作用」をキーワードとする近年の研究動向を踏まえたうえで、音楽教育 研究への適用可能性について考察し、本研究の視点形成の過程を述べる。 第2章では幼稚園での縦断的なフィールドワークを取り上げ、自由遊びの時間に楽器と
9 K. Swanwick and J. Tillman (1986) The sequence of musical development: A study of
children's composition. In British Journal of Music Education, Vol.3, Issue 3, pp.305–339.
10 駒久美子(2013)『幼児の集団的・創造的音楽活動に関する研究―応答性に着目した即
興の展開―』 岡山:ふくろう出版。
11 乙部はるひ(2017)「5 歳児の協同的な合奏づくりの検討―幼保小接続の視点から—」、
5 かかわる幼児の様子を定性的に検討する。分析対象として対象児 2 名(男児 A・女児 B) を抽出し、行為の様子や変容を明らかにする。 第3章では「キッズジャンベを手で叩く」行為に焦点化し、その変容を仔細に検討する。 太鼓を手で叩くというプリミティブな音楽行為の分析を通じ、各対象児の行為がどのよう に変容するのかを明らかにする。 結では、対象児の行為を総括すると共に、探索的な経験の意義について結論づける。
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第 1 章 隣接諸科学の動向と本研究の視座
本研究では楽器とかかわる幼児の行為に着目する。そこで本章では、人の行為の捉え方や 発達観に影響を与えた3つの考え方を概観し、音楽教育学における近年の乳幼児研究との 関連やその適用可能性について考察することを通して、本研究の視座を明確にする。それに 際し、環境を視点の一つとして取り入れることで知覚・認知に新たな枠組みをもたらしたア フォーダンス(affordance)に言及した後、環境との相互作用をメカニズムとして解明しよ うとする 2 つの理論、すなわちダイナミック・システムズ・アプローチ(Dynamic systemsapproach)12とタウ理論(tau theory)を取り上げる。
第1節 発達を取り巻く3つの視点―音楽教育研究との関わりを考える― 1. アフォーダンス
アフォーダンスは、20 世紀後半にジェームズ・J・ギブソン(James Jerome Gibson)によ って提唱された概念である。この概念を日本国内に広めた佐々木によると、アフォーダンス とは、環境と有機体の動きによって生じる光学的流動の変化の中から情報が抽出され、行為 が生じるという考え方である(佐々木、200813)。白神(2009)の言葉を借りれば、ギブソ 12 以後、本文中では DSA と略記する。DSA は、ダイナミカルシステムアプローチと呼ば れることもある。また DSA の元となったダイナミック・システムズ・セオリー(DST) は「現在の状態をベースにして将来の状態を予測する数学的理論」(岡林、2008、p.34) であり、陳(2013)によれば「DSA は DST の概念を借用して(比喩的に)発達現象を解 明しようとする接近法」(p.249)と考えられるべきである(岡林春雄編〔2008〕『心理学 におけるダイナミカルシステム理論』 東京:金子書房、陳省仁〔2013〕「ダイナミッ ク・システムズ・アプローチの考え方」、『発達科学ハンドブック第 1 巻 発達心理学と隣 接領域の理論・方法論』 東京:新曜社)。 13 佐々木正人(2008)『アフォーダンス入門―知性はどこに生まれるか』 東京:講談 社。
7 ンは、有機体と環境との相互依存的な関係の中で規定される環境の意味を「アフォーダンス」 と名付けた14。従来的には、有機体が空間に存在する情報を利用し、有機体の中枢システム が末梢システムに指令を送り、運動が制御されると考えられていたが、アフォーダンスはそ うした考え方を否定するものであった。 近年では音楽教育においてもアフォーダンスが注目されるようになっており、この概念 を音楽教育に応用しようとする研究も存在する。例えば丸山(201615)は、乳児と音の出る モノをアフォーダンスの視点から考察し、「環境・モノ、そして音をめぐって生じる、乳児 一人ひとりにとってのユニークでダイナミックなかかわり方の“ありのまま”」(p.55)の子 どもの行為を捉えることの重要性を主張している。またアフォーダンスの考え方に示唆を 得て、楽器とかかわる乳幼児の行為を読み解こうとする村上ら(201616)は、「乳幼児が新た に出会った世界でモノ・環境を探索することは、自分が運動することによって自分に返って くる感覚のダイナミックな変化から、環境の中に存在する自己に気づいていく過程でもあ る。(中略)他の感覚と比較して胎児期から多くの経験を積んでいるのが聴覚であり、乳幼 児にとって『音』を介してモノ・環境と関わることは大きな意味がある」(pp.2–3)と述べ ている。 このように、アフォーダンスは知覚と認知を新たな枠組みで捉えなおすパラダイム転換 であり、音楽教育においても「『閉じた知覚・認知モデル』を捨て、日常的に実感として知 っている『音楽する人・子ども』を環境との相互作用の中で説明する新しい言葉になるので 14 白神敬介(2009)「乳児の歩行発達への生態学的アプローチ」、早稲田大学大学院博士論 文。 15 丸山慎(2016)「環境の中のモノとかかわる、音とかかわる」、小西行郎・志村洋子・今 川恭子・坂井康子編著『乳幼児の音楽表現―赤ちゃんから始まる音環境の創造(保育士・ 幼稚園教諭養成課程)』 東京:中央法規、pp.56–57。 16 村上康子ほか(2016)「乳幼児期における器楽活動プログラムの構築」、科学研究費助成 事業研究成果報告書。
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はないか、という期待が抱かれる」(今川ほか、2013、p.6317)ものとして知られてきた。有
機体である人をも環境の一つとして取り入れるその考え方は、人を対象とする音楽教育に 新たな視点をもたらしたと言える。
2.ダイナミック・システムズ・アプローチ
DSA は行動の発達を複雑系(Complex System)18として捉え、刻々と変化する環境や状
態が相互に作用すると考えるものである。すなわち、人の行為の因果関係が無数にあること を前提とし、ある挙動の変化を、そのシステムを構成するミクロな要素間や更に下位のシス テム間における相互作用から捉えようとするものである。先述したアフォーダンスが環境 の資源であるとすれば、DSA はそうした資源を抽出するメカニズムを定式化しようとした ものと言える。DSA は運動発達のみならず、認知発達や知覚発達、対人関係、仲間遊び等 の諸領域で応用されつつあるが、音楽研究への直接の応用はまだ見られない。そこで本項で は、DSA を広めた代表的人物であるテーレンと彼女の研究に言及した後、DSA の概念を知 る上で重要となるいくつかの要素について述べる。 2-1 エスター・テーレン(Esther Thelen)(1941-2004)について エスター・テーレンはアメリカの発達心理学者であり、DSA の意義を世間に知らしめた 人物である。テーレンらは乳児のリーチングに焦点を当て、DSA を用いてその過程を明ら 17 今川恭子・志民一成・村上康子・石川眞佐江・鹿倉由衣・丸山慎(2013)「身体・モ ノ・音、それってアフォーダンス?(共同企画報告書)」、『音楽教育学』第 43 巻2号、 pp.63–68。 18 複雑系について岡林(2008)は、「システム全体の文脈によって、構成要素の機能やル ールが変化するシステム」であり、「構成要素の機能が変化するとシステム全体の文脈も 変化し、それによって構成要素の機能が変わるという不断の循環をもつ」(p.35)と述べて いる(岡林春雄・河合優年・中川正宣・千野直仁〔2008〕「ダイナミカルシステム・アプ ローチ(DSA)の基本的な考え方」、岡林編、前掲書)。
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かにした。具体的には、4名の乳児の行為を毎週記録した結果、乳児のリーチング行為は、 各乳児が好む運動が利用されてリーチングに至っていること、すなわちリーチングに至る プロセスは各乳児によって全く異なることを明らかにした(Thelen, Corbetta, Kamm,
Spencer, Schneider and Zernicke, 199319)。また乳児の原始歩行20が消失する原因として、体
重の増加が関与していることを発見し、原始歩行が身体と環境との相互作用の影響を受け
て発現していることを明らかにした(Thelen, Fisher and Johnson, 198421)。それまでの運動
発達に関する研究が、運動の開始時期や消失時期を捉えたり、年齢の平均をとったり、動き の特徴を一般化したりしていたのに対し、テーレンは個の発達過程そのものを明らかにし たと言える。こうしたテーレンの成果によって DSA が一層注目されることとなった。 2-2 DSA において鍵となる概念 DSA を理解するうえで重要となる5つの概念について簡潔に言及したい。まず、DSA の 最も基本的な考え方が「非線形性」である。DSA では発達を可逆的な変化と捉え、「発達が 継続的、段階的、不可逆的に進行すると捉える線形発達の考え方は否定される」(白神、2009、 p.922)。先の例を用いれば、テーレンはリーチングの発達が非線形であることを明らかにし たと言える。第二に「多次元性」が挙げられる。多次元性とは「運動し発達する生体を複雑 な協同システムと捉え、解剖学的構造、生理学的過程の次元や、動機づけや随意的なコント
19 E. Thelen, Corbetta, Kamm, Spencer, Schneider and Zernicke (1993) The transition to
reaching: Mapping intention and intrinsic dynamics. In Child Development, 64, pp.1058-1098.
20 原始歩行とは「生後2~3カ月までの乳児にみられる反射である。乳児の腋窩を支えた
状態で足底を床に接地させ、前方に傾けることで歩行のようなステップを誘発するもの」
(高塩、2014、p.195)である(高塩純一〔2014〕「原始歩行」、下山晴彦編『誠信 心理学
辞典〔新版〕』 東京:誠信書房)。
21 E. Thelen, D. M. Fisher and R. R. Johnson (1984) The relationship between physical
growth and a newborn reflex. In Infant behavior and development, 7, pp.479-493.
10 ロールといった要因を包括的に捉え、こうした要因が適時発達に影響を及ぼしている」(白 神、2009、p.923)ことを指す。多要因性とも言う。第三は「自己組織化」である。ランダム なものから秩序立ったものへ、またはミクロからマクロへ自ら組み上がる現象のことを指 す(山本、200524)。例えば、乳児が様々な行為のパターンを出現させていった後に、その 行為が最適なパターンに収束していくことも自己組織化の一つである。第四は「集合変数」 である。これは秩序やパターンの全体を表す変数のことで、秩序パラメータとも言う。陳は、 非線形的に変動するシステムの集合変数を探し出すことの難しさに触れ、「集合変数の同定 において重要なのは、その変数が観察可能でよく定義されるものでなければならない」 (p.253)と述べた上で、適切な集合変数になりうる例として、異なった身体の部位の動き 間の関係や対話中の発話者の発話順番の交代などを挙げている(陳、201325)。最後は「コ ントロール・パラメータ」である。ある現象に変化をもたらす鍵となる要因のことを指す。 集合変数に対して、その秩序やパターンに変化をもたらす変数である。制御パラメータとも 言う。DSA を用いる際、このコントロール・パラメータを特定することが研究の大きな課 題となる。 また「非線形性」に関連して、DSA では複数の時間スケールを編み込んだものとして発 達を考えるところに大きな特色をもつ。つまり、ある時点で発現する行動は、その時点での 様々な要素の相互作用の結果と捉えられる。そのことについてテーレンらは以下のように 述べている。 あらゆる時点を通して、システムの安定性は、サブシステム同士の協同的な相互作 23 同書。 24 山本裕二(2005)『複雑系としての身体運動―巧みな動きを生み出す環境のデザイン』 東京:東京大学出版会。 25 陳省仁(2013)「ダイナミック・システムズ・アプローチの考え方」、『発達科学ハンド ブック第1巻 発達心理学と隣接領域の理論・方法論』 東京:新曜社、pp. 248–258。
11 用、すなわち、行動が編成される時点でのサブシステムの状態によって決定される。 こうして、各時間スケールは互いに編み込まれあっている。環境や課題が変化する とき、あるいは生物のサブシステムそれ自体が動的に遷移するとき、協同的な相互 作用が編成され、分解されている。いかなる意味でも、どの構成要素も、論理的に 発達的変化を決定する原因であることはない。(テーレン・スミス、2018、p.11626) 以上のように、DSA では結果として現れる行動について、様々な時間スケールを入れ子に して考える点に特徴をもつ。 2-3 DSA についてのまとめ 心理学者の岡林は、DSA の特徴を近年の生物学の研究動向に即して以下のように説明す る。 DSA の基本的な考え方として、「分解できない」という特徴がある。人間を含めて 生物や脳、社会のようなダイナミカルなシステムは分解して理解することはでき ない。なぜなら、ダイナミカルシステムの構成要素の機能・振る舞いは全体の文脈 の中で決定されるからである。機械の場合、各部品はそれぞれ決まった機能をもっ ており、機械を分解しても、それぞれの部品のもっている機能は変わらない。とこ ろが、「生きている」システムの場合、文脈によって各構成要素の機能が決められ ている。(中略)これは社会における人間という要素でも同じことがいえる。ある 人の役割(機能)は、社会の状況(家庭の状況でもよい)によって絶えず変化して いる。そのことが社会のダイナミクスを「生きている」といわしめる状態にしてい るのである。(中略)従来の科学は、システムを個々の構成要素に分解するという 26 エスター・テーレン、リンダ・スミス著、小島康次監訳(2018)『発達へのダイナミッ クシステム・アプローチ―認知と行為の発生プロセスとメカニズム』 東京:新曜社。
12 要素還元論の考え方で成り立ってきた。例えば、人間は臓器に、臓器は細胞に、細 胞は遺伝子に分けられた。(中略)しかしながら、21 世紀になって人間のゲノム(人 間の細胞をもつ DNA 配列全体の情報)が解読され、人間を作っている仕組みがわ かってきた。その結果、(中略)かつては配列さえ決定されれば遺伝子の働きがわ かると考えられていたのに対して、遺伝子は他の遺伝子によって制御され、しかも、 他の遺伝子を調節していることがわかってきたのである。(岡林、2008、pp.5–627) DSA の新規性は、「生きている」システムは要素に分解しても理解できないという前提に立 ち、発達の過程を重層化した相互作用の結果と捉える点、すなわち個の変化一体が相互作用 するものと考えるところにある。DSA は、いわば変化が起きる過程そのものを明らかにし ようとする方略である。 2-4 DSA から音楽教育研究を考える これまでの音楽教育研究において乳幼児の音楽的発達を扱ったものには、乳幼児期の旋
律の認知を調査したもの(Trehub, Bull and Thoroe, 198428)や音楽づくりに焦点化して子
どもの発達を年齢別に図式化したもの(Swanwick and Tillman, 199229)、膨大な数の子ども
たちを対象にした実験と観察のデータに基づき、乳幼児期の歌唱や音への反応を体系的に
論述したもの(モーク、200230)等がある。こうした研究成果によって、我々は乳幼児の音
27 岡林春雄(2008)「ダイナミカルシステム・アプローチ(DSA)の概念と歴史的流れ」、
岡林春雄編『心理学におけるダイナミカルシステム理論』 東京:金子書房。
28 S. E. Trehub, D. Bull and L. A. Thorpe (1984) Infants’ perception of melodies: the role of
melodic contour. In Understanding the fourth grade slump in creative thinking, 55, pp.821-830.
29 K. Swanwick and J. Tillman (1986) The sequence of musical development: A study of
children's composition. In British Journal of Music Education, Vol.3, Issue 3, pp.305–339.
30 ヘルムート・モーク著、石井信夫訳(2002)『就学前の子どもの音楽体験』 岡山:大
13 楽的発達の道筋を概観することができた。一方、これまでの研究の多くは横断的であり、個 人の変容過程が詳細に分析されているものはそれほどない。更に言えば、発達の転換点とな る部分に何が起こっていたかは明らかにされていない。 前述のように、DSA は人が変化する局面を捉える手法であり、縦断的な研究の重要性や、 人の行為を全体的な文脈で捉えることの必然性を示すものである。DSA から音楽教育研究 が学ぶべきところは、それぞれの発達の道筋を描き出す点にあると言えよう。たとえ結果と して見えてくるものが同じであっても、個人の育ちがどのような経緯を辿って音楽的に発 達していくのかを明らかにすることは、個人の創造性を新たな側面から実証することへ繋 がると考えられる。実際の保育現場に目を向ければ、音や音楽に関する乳幼児の経験があら ゆる文脈に依拠して起きていることは明らかであり、DSA はその立場を支持するものであ る。もちろん、乳幼児を取り巻く無数の要因からコントロール・パラメータを特定するには、 膨大な時間と労力を要するだろう。しかし、ある行動の発生を様々な時間的スケールと関連 させて捉える視点は、乳幼児期から連綿と続いていく音楽的な学びを明らかにする有用な 方略になると考えられる。 一方、DSA が用いられる研究には明確な問題設定があるものが多く、このことは、音楽 教育学への応用に際して課題となる。例えば、乳児が滑らかにリーチングをするようになる まで、青年の反抗期がいつ始まっていつ終わるのか等、DSA では目標達成的な着地点が明 確に設定されている場合が多い。音楽教育研究では、例えば、特定のリズムが叩けるように なるまで、ある歌が歌えるようになるまで、ピッチマッチができるようになるまで等、明確 な着地点が設定できる場合もある。そうした研究においては、集合変数やコントロール・パ ラメータを特定することが困難ながらも可能であり、DSA を応用できる可能性をもつ。そ の一方で、音楽教育に関する多くの研究は着地点に多様性をもつ。例えば、乳幼児が音の出 るモノの探索を通して、モノや人とのかかわりを深めたり、「聴く」だけでなく「見る」こ とや「触る」ことへ興味を移したり、新たな遊びを展開したりと、その着地点は無数に開か れている。つまり、各乳幼児が達成する結果は一様である必要はない。音楽教育学において
14 は、結果として見えてくる現象を捉えるだけでなく、その人にとっての意味や価値、すなわ ち個々に異なる多様な着地点について根拠と妥当性をもって解釈していくことが求められ る。 3.タウ理論 アフォーダンスの考え方が契機となり、光学的流動、すなわち視覚性の情報から制御され る運動情報を更に特定しようとしたのがタウ理論である。例えば我々は、自分に向かって迫 ってくるものの移動速度や距離が分からなくても、対象物がどの程度の時間で衝突するか を推定することができる。すなわち、知覚した情報から時間を予測することができるのであ る。この時間的な情報を利用し、対象物にかかわる自分の身体の動きを調整する時、現在の 状態と目的を果たした状態とのギャップを同定し、そのギャップを閉じる必要がある。その 際に猶予される時間(the time-to-closure)が、ギリシャ語の t をとって「タウ(τ)」と呼 ばれており、タウ理論はそのギャップを同定する際に用いられるものである。このタウ理論 は視覚以外の情報にも適用され、様々な運動の説明に用いられるようになっている。タウ理 論も DSA と同様に、数理モデルを背景とし、環境の中にある資源を抽出するメカニズムを 定式化しようとするものである。 タウ理論は既にいくつかの音楽研究に適用されており、例えばリーとシェーグラーは、歌 唱やジャズ演奏といった演奏者の行為にタウ理論を適用し、理想とする音がどのように出 されているか、すなわち音楽表現がどのように達成されるかについて、タウ理論を用いて明
らかにしようと試みている(Lee and Schögler , 200931)。この他にも、クラリネット奏者の
31 D. N. Lee and B. Schögler (2009) Tau in musical expression. In Stephen Malloch, C.
Trevarthen (Eds.) Communicative Musicality: Exploring the basis of human companionship, NY: Oxford University Press Inc., pp.83–104.
15
演奏時の動きの変容にタウ理論を適用したもの(Rodger, O’Modhrain and Craig, 201332)
や、協和音程と不協和音程の聴取後にリズムの感覚がどのように変化したかについて、タウ
理論を用いて分析した研究(Komeilipoor, Rodger, Craig and Cesari, 201533)等がある。こ
うした研究からも明らかなように、身体と環境とがかかわり合いながら行為が決定されて いくという視点は、演奏行為に深く関連する。タウ理論的に論じるならば、歌唱や楽器演奏 といった行為は、奏者が「こんな音が出したい」という「内生的誘導(intrinsic guidance)」 をもち、「知覚的誘導(perceptual guidance)」からそのギャップを閉じていく行為であり、 演奏経験の蓄積によって、内生的誘導そのものやギャップの閉じ方が洗練されていくと考 えられる。 タウ理論は、行為の調節が瞬間的に行われることを数学的に検証するものであり、環境を 視点の一つとして取り入れる必要性を具体的に示している。その範囲や妥当性については 今後検証される必要があるが、この考えに基づけば、あらゆる行為の調節が「ギャップの閉 じ」から説明することが可能であり、多様な検証が行われることで音楽教育分野にも適用の 可能性が広がる。音楽教育研究への直接的な応用はまだ見られないものの、その応用につい て具体的に考えるとすれば、乳幼児がモノの音を出す際の体の動きにタウ理論を用い、ギャ ップの閉じ方の変容からその発達過程を描き出すことや、乳幼児が養育者の声を模倣しよ うとするその瞬間にタウ理論を用い、ギャップの閉じ方を分析することで相互作用の内実 を明らかにする等といった可能性がある。一方、タウ理論の課題として蒲谷(2018)は、「内 生的タウに基づいた運動や音が聴き手にいかに伝わり、聴き手がどのような反応をするの
32 M. W. Rodger, S. O’Modhrain and C. M. Craig (2013). Temporal guidance of musicians’
performance movement is an acquired skill. Experimental brain research, 226, pp.221-230.
33 N. Komeilipoor, M. W. Rodger, C. M. Craig and P. Cesari (2015) Harmony in
movement: Effects of musical dissonance on movement timing and form, Experimental brain research, 233, pp.1585-1595.
16 かという側面には踏み込んでいない」(p.59534)と述べ、表現者と聴き手のコミュニケーシ ョンへの適用には至っていない点を挙げている。今後は音や音楽を介した双方向的な人の 営みの解明にも、タウ理論が応用されることが期待されている。 第2節 本研究の視座 本章では身体性や発達と関わりの深い3つの考え方、すなわちアフォーダンス、DSA、タ ウ理論に焦点化し、音楽教育研究との関連について考察してきた。各理論について簡潔に言 及するならば、アフォーダンスは環境という概念のパラダイム転換、DSA は縦断的な研究 の重要性及び行動の多要因性、タウ理論は行為を環境と一体に捉えることの数学的な妥当 性を示すものである。こうした隣接諸領域の研究動向を踏まえれば、音楽教育学においても、 要素還元主義的な思考から脱却し、環境との相互作用的観点から発達そのものの捉え方を 改めて見直す必要がある。また、こうした研究動向に鑑みて音楽教育学の独自性について検 討するならば、個の変化を捉えながらも、それぞれの経験に育まれているものの多様さを発 見していくことが音楽教育研究の意義であると考える。 そこで本研究は、こうした身体性に関わる隣接諸科学から示唆を得て、環境を主体的に探 索する幼児の「行為」に着目し、その様相や変容を縦断的に捉えることで、幼児期における 学びを音楽教育の観点から明らかにしたい。本研究は他分野の手法を直接的に応用するの ではなく、隣接諸科学の研究動向を音楽教育学的に捉え直そうとするものである。特に第 3 章では「ジャンベを手で叩く」行為に焦点化し、瞬間的に起こる行為が回数を重ねるごとに どのように変化していくかについて分析するが、ある特定の行為の変容を詳細に読み解こ うとする姿勢は DSA やタウ理論に共通するものである。タウ理論の言葉を借りれば、ジャ ンベを叩くという行為の中で幼児が「ギャップをどのように閉じていくのか」、またそれが 34 蒲谷慎介(2018)「一般タウ理論と近年の音楽研究」、根ヶ山光一・今川恭子・蒲谷槙 介・丸山慎・志村洋子監訳『絆の音楽性―つながりの基盤を求めて』 東京:音楽之友 社、p. 595。
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どのように変化していくのかについて音楽教育学的な観点から解釈と考察を行うことで、 新たな視点から幼児の発達過程を解明することを目指す。
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第2章 楽器とかかわる幼児の行為の縦断的分析
本章では、幼児の自由探索を促す環境下に楽器を置いた時、幼児が楽器とどのようにか かわるのかを観察を通して明らかにする。縦断的な分析の対象として対象児 2 名を抽出し、 事例を通して楽器とかかわる各対象児の行為やその変容について定性的に検討する。 第 1 節 観察の概要 1-1 研究の方法 東京都内の公立幼稚園にて、2015 年 10 月から 2017 年6月の期間に計 38 回の参与観察 を行った。具体的には、園児登園後の自由遊びの時間に茣蓙を敷き、そこに小形の打楽器 類を広げ、幼児が自由に楽器に触れることのできる環境を設定した35(写真 1)。その場に は、ウッドブロック(1セット)、キッズジャンベ36(1個)、ギロ(1セット)、サウンド シェイプ(4セット)、たまごマラカス(3個)、モーコック(大・小1個ずつ)の計6種 の打楽器を設置した(写真1)。これらの選択理由は、子どもの手に取れる大きさであり、 重すぎず怪我の危険が少ないことである。また音がうるさくなりすぎないよう数量にも配 慮した。初回にはブームワッカー、小さなレインスティック、小さなタンブリンも配置し たが、怪我や破損の危険性が高いと判断し、ブームワッカーとタンブリンは 2 回目以降、 レインスティックは 3 回目以降除外した。この楽器コーナーには、少ない時には1~2名、 多い時には 10 名以上が集まった。対象とする学年は同一とし、縦断的に観察を行った。 35 以後、楽器を配置する場所を「楽器コーナー」と呼称する。 36 以後、「ジャンベ」と略記する。19 筆者は「参加者としての観察者」(佐藤、200637)の立場をとり、楽器コーナーで幼児の 様子を観察した。幼児の主体的な行動を尊重するために、楽器を用いて奏法を示すことは 極力避けた。幼児の様子は、固定ビデオカメラと IC レコーダーで記録をとった。帰宅後に フィールドノートをつけ、その回の全体の様子や印象的な出来事を書き込んだ。また対象 児の行為の全体像を把握するために、全回にわたる行動記録を作成したが、それについて は 1-3 にて後述する。 【写真 2 実施した環境構成】 37 佐藤郁哉(2006)『フィールドワークの技法―問いを育てる、仮説をきたえる―』 東 京:新曜社。 【写真 1 使用した楽器】
20 1-2 環境設定―楽器を配置する部屋の特徴― 楽器コーナーの設置場所はその日の状況によって異なった。本項では、楽器を配置した 各部屋の場所やその特徴について簡潔に示す。以下に園舎の見取り図を簡潔に示す。 【図 1 園内1階見取り図】 【図 2 園内 2 階見取り図】 楽器コーナーには、空き教室である「みんなの部屋」、階段脇のスペースを利用した「階段 下の廊下」、絵本専用の部屋である「絵本の部屋」の 3 部屋を主に用い、その他各学年の 「教室内」や「倉庫」も使用した。各場所について、その概要と楽器を置いた際の特徴を 簡潔に示す。
21 (1)みんなの部屋 1階の空き教室であり、大型積み木等のスペースをとる遊びや、相撲のような大きな動 きを伴う子どもたちの遊びに利用される。部屋が広くモノが多いため、この部屋に楽器を 配置すると子どもたちの興味が拡散する傾向にあった。 (2)階段下の廊下 園の廊下は絨毯になっている。2階に続く階段の脇にスペースがあり、対象学年が年少・ 年中の期間はそこに茣蓙を敷いて実践をすることが多かった。年少児と年中児は廊下で遊 ぶこともあるため、教室から出てくる子どもたちの目に留まりやすい場所である。壁の材 質がコンクリートであることや階段部分が吹き抜けになっていることで、楽器の音がよく 響く場所であった。 (3)玄関付近の廊下 階段下の廊下とほとんど同じ環境のように見えるが、年少児教室の入り口から見える場 所に位置している。また壁に囲まれていないため、階段下とは響きも異なった。 (4)絵本の部屋 年長児教室に隣接する絵本専用の教室である。部屋の壁には本棚が並び、子どもたちは 好きな本を借りられるようになっている。部屋の装飾が保護者によって季節ごとに変えら れている。教室が広いため子どもたちの動きが大きくなる傾向があったが、本以外のモノ は室内にあまりないため、子どもたちの興味はそれほど拡散しなかった。 (5)倉庫 絵本の部屋が使用できない際に、この部屋にて実践を行った。音が響きすぎてしまうた め、実践にはあまり向いていなかった。ここで実践を行うと、子どもたちが「うるさい」 と言ったり、耳を塞いだりする様子が見られた。 1-3 対象児について 本研究では,幼児の縦断的な変容を検討する対象として、全 38 回中 32 回楽器コーナー
22 に現れた男児 A と、24 回現れた女児 B を抽出した。対象児の行為について、まず映像を 基に、対象児である男児 A と女児 B が様々な楽器と関わる様子を網羅的に記述し、全 38 回の実践を通じた変化の全体像を把握した(表1)。詳細は附録を参照されたい。 1-4 実践の全体像 以下に、実践の全体像を表として示す。実践回、日付、楽器コーナーを設定した場所、 楽器コーナーを設定していた総時間を記す。また対象児である男児 A・女児 B が楽器コー ナーに現れていた回には「〇」、現れていなかった回には「×」を記した38。 【表 実践の全体像】 回 日付 場所 総時間 男児 A 女児 B 第 1 回 2015 年 10 月 8 日 みんなの部屋 約 32 分 〇 〇 38 楽器コーナーに現れていても、楽器には触れなかった回がある。 【表 1 行動記録の抜粋】
23 第 2 回 2015 年 10 月 15 日 階段下の廊下 約 43 分 〇 〇 第 3 回 2015 年 11 月 5 日 みんなの部屋 約 67 分 〇 〇 第 4 回 2015 年 11 月 12 日 階段下の廊下 約 41 分 〇 〇 第 5 回 2015 年 11 月 20 日 年少児教室 約 36 分 〇 〇 第 6 回 2015 年 11 月 26 日 玄関付近の廊下 約 80 分 〇 〇 第 7 回 2015 年 12 月 4 日 玄関付近の廊下 約 18 分 〇 〇 第 8 回 2015 年 12 月 10 日 玄関付近の廊下 約 18 分 〇 不明 第 9 回 2015 年 12 月 18 日 玄関付近の廊下 約 18 分 〇 × 第 10 回 2016 年 1 月 22 日 玄関付近の廊下 約 80 分 〇 〇 第 11 回 2016 年 1 月 29 日 廊下 約 21 分 × 〇 第 12 回 2016 年 2 月 12 日 みんなの部屋 約 72 分 〇 〇 第 13 回 2016 年 3 月 1 日 みんなの部屋 約 40 分 〇 〇 第 14 回 2016 年 4 月 21 日 年中児教室 約 59 分 〇 × 第 15 回 2016 年 4 月 28 日 階段下の廊下 約 49 分 〇 〇 第 16 回 2016 年 5 月 12 日 階段下の廊下 約 97 分 〇 × 第 17 回 2016 年 5 月 26 日 階段下の廊下 約 100 分 〇 × 第 18 回 2016 年 6 月 2 日 階段下の廊下 約 104 分 〇 〇 第 19 回 2016 年6月 9 日 階段下の廊下 約 30 分 〇 × 第 20 回 2016 年 6 月 16 日 階段下の廊下 約 45 分 〇 × 第 21 回 2016 年 9 月 16 日 階段下の廊下 約 21 分 × × 第 22 回 2016 年 9 月 28 日 階段下の廊下 約 69 分 × × 第 23 回 2016 年 10 月 20 日 階段下の廊下 約 59 分 〇 〇 第 24 回 2016 年 10 月 24 日 階段下の廊下 約 90 分 〇 〇 第 25 回 2016 年 11 月 10 日 階段下の廊下 約 112 分 〇 〇
24 第 26 回 2016 年 11 月 17 日 階段下の廊下 約 15 分 × 〇 第 27 回 2016 年 12 月8日 階段下の廊下 約 33 分 × 〇 第 28 回 2016 年 12 月 16 日 階段下の廊下 約 111 分 〇 〇 第 29 回 2017 年 1 月 17 日 みんなの部屋 約 125 分 〇 〇 第 30 回 2017 年 1 月 26 日 みんなの部屋 約 61 分 × 〇 第 31 回 2017 年 2 月 10 日 みんなの部屋 約 88 分 〇 〇 第 32 回 2017 年 2 月 17 日 みんなの部屋 約 16 分 〇 × 第 33 回 2017 年 3 月 3 日 みんなの部屋 約 58 分 〇 〇 第 34 回 2017 年 4 月 27 日 絵本の部屋 約 76 分 〇 〇 第 35 回 2017 年 5 月 12 日 倉庫 約 84 分 〇 〇 第 36 回 2017 年 5 月 30 日 絵本の部屋 約 66 分 〇 × 第 37 回 2017 年 6 月 16 日 絵本の部屋 約 76 分 〇 〇 第 38 回 2017 年6月 30 日 倉庫 約 70 分 〇 × また対象児2名が全 38 回の実践の中で、各楽器とどのくらいの時間かかわっていたかを 次頁のグラフに示す(グラフ 1・239)。加えて、各対象児がそれぞれの楽器にどのくらいか かわっていたかを併せて提示する(グラフ 3・4)。 39 グラフ中の「なし」は楽器コーナーにはいるが楽器を持っていない状態、「不在」は楽 器コーナーにいない状態、「不明」は楽器を持ったまま画面から見切れてしまう等、楽器 を持っている可能性のある状態を指す。
25 【 グラフ 1 男児 A が各 楽器 とか か わっ た時 間】 ※ 縦軸 は実践 の回 数、 横軸 は時 間(分 )を 示す 。
26 【 グラフ 2 女児 B が各楽 器と かかわ った 時間 】 ※ 縦軸 は実践 の回 数、 横軸 は時 間(分 )を 示す 。
27 【グラフ 3 男児 A の各楽器の使用率40】 【グラフ 4 女児 B の各楽器の使用率】 1-5 倫理上の配慮 音声や映像の記録をとることについては、予め園長を含む保育者の同意を口頭にて得た 後、書面での確認及び署名を頂いた。園児の保護者に対しては書面での周知を通して同意 を得た。 40 途中で除外したブームワッカーとレインスティックを除く。 キッズジャンベ…24% たまごマラカス…23% モーコック…19% ウッドブロック…16% サウンドシェイプ…11% ギロ…7% 全体…約 712 分 キッズジャンベ…49% ギロ…15% ウッドブロック…15% サウンドシェイプ…9% モーコック…7% たまごマラカス…5% 全体…約 100 分
28 第 2 節 各回の結果と考察 本節では、各回の結果と事例を挙げながら、対象児の行為について考察する。各回にて 対象児が楽器コーナーに滞在していた時間を初めに示す41。事例は四角で囲み、括弧内に 事例番号とタイトルを示す。事例中、聞き取れなかった発言には「×」を用いる。 2-1 男児 A について 2-1-1 結果と考察 男児 A は長い時間をかけて楽器を探索することを通じ、モノとしての楽器の特性を理解 しながら、音に対する関心を育む様子が観察された。各回の様子を以下に述べる。 ■第1回(滞在時間:約 26 分間) 楽器をどのように扱うべきかに戸惑っている様子だった。他の子どもたちが次々と楽器 を手にしていくなかで、すぐには楽器を手に取らず、周囲の様子を見ながら教室内を歩い ていた。たまごマラカスを一瞬手に取って振ってみたり、友達が叩いているジャンベの脇 から手を伸ばしてジャンベを叩いたり、ウッドブロックの穴に唇を当てて息を吹きかけた りと色々なことを試している様子だったが、どの行為もすぐに止めてしまう。また男児 A は他児に比べて主張が控えめであり、他児からなかなか楽器を貸してもらうことができな い場面も多くみられた。しかし保育者とのやり取りが契機となり、男児 A の楽器とのかか わり方に変化が見られる。以下はその場面である。 【事例 A-1 保育者が叩くのを見てから変化する】 周囲を見回しながら歩いている男児 A は、床に置かれた2枚のサウンドシェイプと撥 に気がつく。サウンドシェイプの前に座り、撥を使って叩き始める。数回叩いてから付 近にあった撥をもう1本拾い、撥同士を打ち鳴らす。その様子に気が付いた保育者が、 41 楽器コーナーから楽器を持ち出していたり、楽器を持ったまま画面から見切れていた りする等、楽器コーナー以外の場所で楽器を用いていた可能性のある時間を含むものとす る。
29 サウンドシェイプを1枚持ち上げ、「これ(音)出たー?」と問 いかけながら撥で叩くと、床に置いてある時よりも響きの良い音 がする。それを見た男児 A はすぐに立ち上がり、保育者から撥 を取り返すようにして撥と面を持ち、再びサウンドシェイプの面 を撥で叩く。数回叩いてから、先ほど叩いていたもう1枚のサウ ンドシェイプに持ち替え、撥で面を叩く。すぐにまた元のサウン ドシェイプに持ち換えて撥で叩き始めると、今度は立ち上がって歩きながら面を叩く。 叩き方も様々になり、撥を突き刺すように叩いたり、サウンドシェイプを裏返して叩い たり、サウンドシェイプの枠を叩いたりする。それからしばらくの間、歩きながらサウ ンドシェイプを叩き続ける。 本事例は、保育者がサウンドシェイプを響きの良い鳴らし方で叩いて見せたことにより、 男児 A と楽器とのかかわり方が大きく変化した場面である。それまでの男児 A には一つ の楽器を使い続ける様子はなく、様々な楽器に少しずつ触れており、その時間の短さや行 為のパターンの少なさから、楽器に対して何をして良いのか迷っているように思われた。 しかし本事例が起こって以降、サウンドシェイプと特に長い時間かかわり、叩き方にも変 化が見られるようになった。またこの後、たまごマラカスでサウンドシェイプを叩いたり、 たまごマラカスをサウンドシェイプの上に乗せて保育者に見せたりするといった行為が観 察され、楽器に対するアプローチの方法が明らかに変化していた。 ■第 2 回(滞在時間:約 31 分間) 開始直後から楽器コーナーに現れ、すぐにサウンドシェイプを手にもって撥で叩き始め る。以下は楽器を触り始める際の男児 A の様子である。 【事例 A-2 既知の楽器を使う】 観察者が箱から楽器を出していると、男児 A は周囲をうろつきながらその様子を眺め ている。楽器が出てくるのを待っているようである。初めに取り出されたレインスティ 【写真 A1 サウンドシ ェイプを叩く保育者を 見る】
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第3章 「ジャンベを手で叩く」行為の分析
本章では「ジャンベを手で叩く」行為に焦点化し、対象児が楽器にどのように触れて音を 出すのか、またそれらの行為がどのように変化していくのかを明らかにする。実践に用いた 楽器の中で、対象児は2名ともジャンベと最も長い時間かかわっており、楽器の特質からも 幼児の探索を促す効果の高いものであることが分かった。以上から「ジャンベを手で叩く」 行為に焦点化することで、探索的な経験の中に育まれる学びをよりミクロな視点から捉え ていきたい。 第 1 節 幼児期の手の動き 身体を介した幼児とモノとのかかわりには、叩く・振る・擦る・落とす・何かにぶつける 等の様々な動きのパターンがあるが、本章では乳幼児期の運動発達において早期から能動 的な動きが見られる「手」に着目し、太鼓を手で叩いて音を出すというプリミティブな音楽 行為を取り上げる。 手の動きは、幼児期に急速に発達するものの一つである。例えば Pehoski ら(199743)は 3~6 歳児を対象に、ペグボードにある 10 本の小さなペグを片手だけを使ってひっくり返 すという課題を与えた。その結果、課題の達成にかかった時間が年齢とともに減少しただけ でなく、4 歳児の時点で大人がとる方法に顕著に変化し、5・6歳でもこの傾向が続くこと を明らかにした。また Forssberg ら(199144)は2歳・4歳・9歳・成人を対象として小さ43 C. Pehoski, A. Henderson and L. Tickle-Degnen, (1997) In-hand manipulation in young
children: Rotation of an object in the fingers. In American Journal of Occupational Therapy, 51, pp544-552.
44 H. Forssberg, AC. Eliasson, H. Kinoshita, RS. Johansson and G. Westling, (1991)
Development of human precision grip. I. Basic coordination of force. In Brain Research, 85, pp.451-457.
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いものをつまみ上げる行為を分析し、小さな子どもほど大きな握力を使っていることを明 らかにした。こうした力の決定には、手からの触覚フィードバックと関係があることもわか
っている(Westling and Joansson, 198445)。しかし幼児期の手の発達に関する研究は、乳児
期と比較して少ないことも指摘されており(ピョースキ、201046)、幼児期の手の発達につ いては未解明な部分も多く、研究の展開が期待される。 第2節 分析の概要 前章で述べた行動記録からジャンベを手で叩く場面を抽出し、各場面の詳細な記録を作 成した(資料1)。記録は、一つの行動のまとまりごとに一つの場面として記述し、各場面 に番号を付した。連続する行為のまとまりについては、1秒未満に起きている場合は一つの 行為として記述し、1秒以上の間隔が空いて生じている場合には別々の行動として記述し た。この基準は、観察を継続するなかで「ジャンベを手で叩く」という幼児の行為が連続す るまとまりとして比較的頻繁に起こっていたこと、また1秒という間隔が幼児にとっては 次の行為を起こすのに充分な時間であると判断したことを理由としている。加えて、場面は 区切られて記述されているものの、前後の場面が連続して起きている、又は同じ文脈の中で 捉えた方が分かり易い場面は点線で区切った。記述には、鳴っていた音の響き具合、強度、 速度等の印象を併せて提示する。音の響きは叩く行為の結果として常に付随するものであ るため、視点の一つに取り入れることが妥当であると判断した。音の響き具合を表す表現に は、「よく響いている・響いている・少し響いている・あまり響いていない・ほとんど響い ていない・響いていない」を用いた。音そのものが小さく、響きを判定するに至らない場合
45 G. Westling and RS. Johansson, (1984) Factors influencing the force control during
precision grip. In Experimental Brain Research, 53, pp.277-284.
46 シャーレン・ピョースキ「乳幼児と子どものものの手指操作」、アン・ヘンダーソン、
シャーレン・ピョースキ著、園田徹、岩城哲監訳(2010)『子どもの手の機能と発達 原 著第 2 版—治療的介入の基礎—』 東京:医歯薬出版株式会社。
88 には「鳴っていない」又は「ほとんど鳴っていない」を用いた。記述に際しては筆者の主観 的な表現が含まれることを踏まえ、全ての記述と音の響き具合について、筆者の他に音楽教 育の専門家2名と実際に該当箇所の映像を一つひとつ見ながら意見交換を経て、記述内容 及び解釈の一致を確認した。 第3節 結果と考察47 本節では、対象児の様子において特に変化の見られた 4 つの点、すなわち①楽器との位 置関係、②手の動き、③叩くという行為が発現していた回数、④音の響きから対象児の「叩 く」行為を検討する。 3-1 男児 A の「ジャンベを手で叩く」の分析 以下の表は、観察全体の様子を概観できるよう、本項で検討する4つの観点からの結果を 回ごとに要約し、一覧にしたものである。尚、「ジャンベを手で叩く」が発現しなかった回 は割愛する。 【表 2 男児 A の「ジャンベを手で叩く」行為概要一覧】 回 ①位置関係 ②手の動き ③叩いた 場面回数 ④響いた回数 (判定総数 48) 第1回 少し離れた所に立つ。 離れたところから手を伸ばし、連 続して面を叩く。 3回 0回 (3 回) 第2回 近くに立つ。 右手の人差し指の先で面を優し くつつく。 2 回 0回 (2回) 第4回 近くに立つ、前にしゃが む、前に立膝をつく。 拳で面を叩くが、持続しない。爪 の辺りで面を連続して叩く。 6 回 3 回 (8 回) 第7回 抱えて持ち上げる。 手の平で何度も面を叩く。拳で面 12 回 7回 47 本節の男児 A の分析結果は、拙稿(2017)に加筆・修正を加えたものである。 48 1 場面の中で用いられた表現は全て延べ計算し、判定総数として総合する。
103 【資料 1 ジャンベを手で叩く行為一覧表】 「ジャンベを手で叩く」行為が発現した場面を、対象児ごとに一覧表として示す。 男児 A の「ジャンベを手で叩く行為」一覧 ◇第1回目 【場面番号】<発現した時点での経過時間、姿勢>及び男児 A の様子(以下同様) 音 【場面 A1-1】<5分7秒、立位> 床に立てているジャンベを複数の他児が叩いており、その様子を見た直後に、前傾姿勢になっ て右手を伸ばし、面を3回叩く。ジャンベの底面が床についている。手のどの部分で鳴らして いたかは映像に映っておらず、視線の方向も確認できない。 あまり響いていな い。3回目に向か って大きくなる。 【場面 A1-2】<5分 22 秒、立位> 既にジャンベを叩いている他児に近づき、叩き終わるのを待たずしてしゃがみながら面に顔 を近づけ、右手の平全体を面に当てて4回叩く。視線の方向は確認できない。 あまり響いていな い。4回目に向か って大きくなる。 【場面 A1-3】<8分 59 秒、立位> ジャンベを座って囲んでいる複数の他児の後ろから左手を伸ばし、手を頭付近まで振り上 げ、ゆっくり続けて3回叩く。視線の方向は確認できない。 複数名の音が混じ り、判別不可。 ◇第2回目 【場面 A2-1】<32 分 10 秒、立位> ジャンベを上からのぞき込むようにし、右手の人差し指の先で面を優しく4回つつく。 鳴っていない。 【場面 A2-2】〈35 分 39 秒、立位〉 立てて置いてあるジャンベに近づいてきて、「ツンツンツン」と言いながら、右手の人差し指で 面を優しく 4 回つつく。 鳴っていない。 ◇第3回目 なし ◇第4回目 【場面 A4-1】<4分 45 秒、立位→しゃがみ位・立膝> 横たわったままのジャンベを他児が2回叩いたのを見てから、ジャンベを床に立て、前傾姿勢 になって右手の平で面を軽く続けて2回叩く。視線は面に向けられている。同時に反対側に立 っている他児が、左手で面を叩いている。その後、ジャンベを前にしゃがみ、右手を拳にして 力強く続けて4回叩く。同時に反対側に立っている他児が、右手に持っているレゴブロックで 面を叩いており、視線が一瞬、反対側に立っている他児の手元に移る。 ほとんど響いてい ない。 【場面 A4-2】<4分 50 秒、座位・立膝> 右手の拳を振り上げて、面に垂直に振り下ろして一度だけ叩く。視線は面に向けられている。 あまり響いていない。 【場面 A4-3】<4分 53 秒、立位> 左手の人差し指の先で、立ち上がりながら面を4回優しくつつく。視線は面に向けられてい る。 あまり鳴っていな い。 【場面 A4-4】<4分 56 秒、立位> 少し響いている。
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結
1.各章のまとめ 第 1 章では、発達に関する隣接諸科学の研究動向を概観し、音楽教育学における乳幼児 研究との関連について考察した。近年の発達研究では要素還元主義的な発達観が批判的に 捉えられ、身体性を重んじるアプローチから発達の解明が試みられている。本稿ではアフ ォーダンス、DSA、タウ理論の 3 つを取り上げた。アフォーダンスは環境という概念のパ ラダイム転換、DSA は行為を縦断的に分析することの重要性や行為の多要因性、タウ理論 は行為を環境と一体に捉えることの妥当性を説いており、こうした研究動向は環境との相 互作用的観点から発達を捉え直す必要性を具体的に示している。本研究は近年の発達観を 音楽教育学的に捉え直そうとするものであり、環境と行為を一体に捉える視点を担保しな がら、楽器と主体的にかかわる幼児の行為を縦断的に読み解き、探索的な経験と幼児の学 びとの結びつきを連続的に見つめる新たな視座に立つものであることを示した。よって本 研究では、幼児の身近な環境にあるモノの中でも楽器に着目し、楽器を遊び道具の一つと 位置づけて環境構成を行った。そして楽器とかかわる幼児の行為を広く「探索的経験」と 捉え、対象児の行為について縦断的な観察と分析を行うこととした。 第 2 章では、幼稚園での自由遊びの時間に楽器とかかわる幼児の行為を縦断的に観察し、 対象児 2 名(男児 A・女児 B)の行為の様子や変容について、事例を挙げながら定性的に 検討した。その結果、男児 A は長い時間をかけて楽器というモノと向き合う中で、楽器に 対して次第に積極的な姿勢を見せ、音の違いを認識したり、自分なりの遊びの中で楽器を 用いたりしながら楽器を身近なモノにしていた。女児 B は、早期から音を楽しむモノとし て積極的に楽器とかかわる様子が見られ、音の違いにも早くから気がついており、楽器を 介した他者とのやり取りが多かった。 続く第 3 章では「ジャンベを手で叩く」という特定の行為に焦点化し、対象児の行為を125 分析した。観察記録から「ジャンベを手で叩く」場面を抜き出し、各場面について、ジャ ンベとの位置関係、手の動き、叩く行為の発現回数、音の響きの 4 点から検討した。男児 A の分析では、男児 A が身体的にも心理的にもジャンベとの距離を縮め、楽器との関係が 次第に安定していく様子が確認され、また「聴く」ことが叩く行為に関連している可能性 が示唆された。女児 B においては、早い段階から楽器との関係が安定しているように見え たものの、手の動きに細やかな変化が起きており、次第に叩き方が洗練されていたことや、 他者の存在が行為を継続するための要因となっていることが分かった。 2.幼児期における探索的経験の意義 各対象児の行為について総括すれば、男児 A・女児 B 共に探索を通じて自己と楽器との 関係を安定させていたと言える。男児 A は楽器を使って遊んでいた時間が非常に長く、楽 器に対して様々な行為を起こしていた。初めはあまり積極的なかかわり方が見られなかっ た男児 A だが、回を追うごとに楽器に対して新しいかかわり方を試し、自分の遊びの中に 楽器を取り入れて長時間遊んでいた様子は、探索を積み重ねながら楽器というモノで遊ぶ ことを定着させていく姿であった。そのことは「ジャンベを手で叩く」という特定の行為 の変遷にもよく表れており、ジャンベとのかかわりからは、身体的にも心理的にも楽器と の距離を縮めていく男児 A の姿が明らかとなった。以上から、男児 A は探索を通じて楽器 を身近なモノにし、楽器と安定した関係を築いていったと言える。一方女児 B は、楽器に 対する行為のパターンがそれほど多くなかったものの、「ジャンベを手で叩く」行為の分析 では叩き方が洗練されていく様子が明らかとなった。このことは女児 B 自身が何度もジャ ンベを叩く中で、自分にとって心地よい叩き方や、そのモノに対して適当なかかわり方を 発見したと捉えることができ、男児 A ほど顕著ではないにしろ、狭義には探索を通じて楽 器との関係を構築していたと考えられる。探索を通じてモノとの安定した関係を築くこと は、幼児の主体性や創造性を育むうえで欠くことのできないものである。 また対象児が楽器とかかわる行為の多くが音の響き、すなわち「聴く」ことと関係して