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〈論文〉漫画の沿革--物語表現法に焦点を当てて

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(1)文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて― 永 田 高 志 1.漫画とは 漫画は絵と言語を使った表現であることについては問題がない。漫画の絵は絵画 的な表現法であるが、一般的な絵画と異なりデフォルメと簡略性を特徴とし、ま た、漫画の言語は文学的な物語性を持った表現法であるが、一般的な文学と異な り、絵画の手助けを得てしか文学的表現を行えない。その意味では、漫画において 絵と言語は相補って一個の存在を主張している。漫画が接点を持つ表象システムと して絵画や文学や映画等があげられる。アニメは映画という手段で表現されている ことから見ても、映画との接点が明らかである。しかし、宮崎駿「千と千尋の神隠 し」(2001)の描写の幻想性をみると、到底映画では表せないことに気づく。アニ メは映画との接点を持つがまた独特の表現手段であることも事実である。さらにイ ラストという手段もある。新聞小説の挿絵は、物語性を持っているが、その物語性 は小説に依存し、挿絵はあくまでその補佐をしているに過ぎない。絵本も絵と言語 を使って表現しているが、子供向けということがあり、絵の方により重点が置かれ ている。紙芝居は、絵に描かれた物語を演じ手が語るという形式になっており、絵 と音声によって物語を展開している。絵画、言語、物語性、すなわち、時間的表現 を図 1 に図示する。 絵画 漫画 絵画 アニメ イラスト 挿絵 絵本 映画 小説 詩歌 紙芝居. + + + + + + + − − +. 言語 文字 + − − − − + − + + −. 音声 − − + − − − + − ± +. 物語性 ± − + − ± + + + − +. 図1 −192−. (. 1. ).

(2) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. 漫画において、物語性を±にしたのは、一コマ漫画は物語性を重視していないが、 劇画においては物語性が重要である点を示している。しかし、新聞の一コマ漫画は 時事諷刺を目的にしており、その時に起こった事件という物語を背景にしていると いう面を考えると物語性があるともいえる。漫画と一口に言っても明治期に新聞に 掲載された風俗諷刺を行う一コマ漫画、さらに明治後期に西洋の四コマ漫画の影響 で新聞に連載されるようになり現在にもつながっている四コマ漫画、昭和 32 年 (1957)に始まった劇画があり、物語性を漫画が持つように変化していったと言っ ても過言ではない。 そもそも、天保 5 年(1834)に葛飾北斎が描いた『北斎漫画』が「漫画」という 命名の最初であるといわれている。人物、風俗、動植物、妖怪変化まで約 4000 図 が描かれている。半洲散人は初編の序文に「如夫(そのごとく)題するに漫画を以 てせるは、翁(北斎)のみづからいへるなり」とあり、北斎はこの絵のことを気の 向くまま「漫」然と描いた「画」と命名している。しかし、絵手本として発行した スケッチ画集であり、物語性がない。 近代漫画の発達には、西洋の影響が見られる。清水(1997)によれば、文久 2 年 (1862)横浜居留地でイギリス人の Charles Wirgman によって“The Japan Punch” という漫画雑誌が創刊され、それが明治 20 年(1887)まで刊行された。日本人に も受け継がれ、明治 10 年(1877)には『團團珍聞』という雑誌が野村文夫によっ て刊行された。英国の雑誌名“Punch”にちなみ「ポンチ絵」と呼ばれている。時 局風刺が中心で一コマの漫画である。いまでも新聞に掲載されている新聞漫画の始 まりである。英語ではこれらの漫画は‘caricature’とよばれ、日本ではその訳語 は、明治期は「鳥羽絵」、「戯画(おどけえ)」が中心で、大正期には「ポンチ絵」、 大正 13 年(1924)になって「漫画」が出てくる。北斎の漫画は現代の漫画とは異 なり、現代の漫画はこの訳語が起源である可能性が強い。今泉秀太郎(一瓢)は世 相風刺画、時局風刺画を「漫画」と称して明治 28 年(1895)に発表しているが、 「カリカチュアの訳語として漫画を使った」と記している。 そうなると、一体漫画なり劇画なりを特徴付けるものは何か。新聞小説にも挿絵 と呼ばれる一コマの絵が連載されているが漫画とは呼ばれないし、子供向けの絵本 も絵と文字を使って表現されているが漫画とは呼ばれない。清水(1991)は、「漫. (. 2. ). −191−.

(3) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 画の精神は本来、『遊び』と『諷刺』の要素から成っている」(p.iii)と書いている が、遊びにしても風刺にしても笑いが中心要素である。手塚治虫は「ブッダ」のあ とがきで、主人公のブッダを「漫画風に超能力を具えた忍者風の苦行者」という説 明をしているが、現実の歴史と異なった空想という意味を「漫画風」という言葉に こめている。手塚は、シリアスな劇画においても笑いを求めているかのような注 釈、作家の姿の登場に笑いの要素を残している。. 2.漫画の歴史 日本における現代の漫画がどのように作られていったのかを考えていきたい。物 語性を有しているという点が一般の絵画と異なる点で、文学と異なる点は絵で表現 されているという点である。物語というのは時間の中での表現を行う必要があり、 現代の漫画は絵の中で物語を展開する手段として、二つの重要な手法を獲得してい る。一つはコマ割りであり、もう一つは風船、吹き出しである。「風船」は英語の ‘balloon’の翻訳語である。コマに割ることによって、そして、それぞれのコマの 配置によって時間的表現を可能にしている。コマは無作為に配置されているのでは なく、時間の経過を反映するように配置されている。コマの配置も時代によって複 数の形式が使われており、現代の漫画のように、右上、左上、右下、左下のように 「逆Z」型の形式に確定するまでには紆余曲折が見られる。また、小説の文は大き く分けて、地の文と会話文に分けることができる。小説において会話文は引用記 号、括弧によって地の文との差を示しているが、現代の漫画においては風船、吹き 出しがその役割を行っている。過去には、絵と文字を使って物語を展開する形式に も複数の形式が使われており、現代の漫画のように、コマで区切られた絵の中に、 吹き出しによって会話文が、また、絵の中に説明文が書かれている形式に確定する までには紆余曲折が見られる。まず、絵巻物のように絵と文字が独立しており、説 明の文の後に絵が描かれる形式、次に黄表紙でも色々な形式が使われている。絵の 中に説明文と会話文が描かれているが、背景に説明文と会話文の二つが分離せず、 「怒った男は『……』と言った」のように描かれるもの、また、絵の中の登場人物 の近くに「へ」型の印が書かれており会話文を説明文と区別しているもの等雑多で ある。コマが導入された後でも、コマの枠組みの外でキャプションとして文が描か. −190−. (. 3. ).

(4) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. れる形式が使われるものがあり、吹き出しの定着までも紆余曲折が見られる。さら にコマの中にも、時間的秩序があり、右の人物の吹き出しから左の人物の吹き出し に読むという時間的規約の基に現代の漫画は構成されている。これは、日本の現代 の漫画は縦書きで吹き出しが書かれており、縦書きは上から下、右から左に読むの が原則であるからである。もし、横書きが採用されていたら、横書きは左から右、 上から下に読むのが原則であるから右の人物の吹き出しから左の人物の吹き出しに 読むという時間的規約の基に現代の漫画は構成されていただろう。実際、明治大正 期の日本の漫画は西洋、特にアメリカの‘comic strips’の影響を大きく受けてお り、横書きされていた時代も存在した。コマ割りと吹き出しに注目して、漫画の沿 革を探っていこうと思う。. 2.1.絵巻物 絵と文字を使った表現手段の原点として絵巻物が考えられる。『広辞苑』第 5 版 によると、「絵巻」とは 巻物に絵を描き、繰り拡げてゆくことによって次々と変化する画面を鑑賞させ るもの。内容は、経典の絵解き、作り物語、説話文学、高僧伝、社寺の縁起、 儀式の記録など多種多様。多く画面を説明する詞章を書き添え書体の美しさを も鑑賞。8 ∼ 9 世紀に中国の画巻(がかん)の形にならい、10 ∼ 12 世紀に独 得の構成力を持つ絵巻芸術を創出。12 世紀は黄金期で、源氏物語絵巻・信貴 山縁起絵巻・伴大納言絵巻・鳥獣戯画などの傑作を残す。13 ∼ 14 世紀には宗 教的な教化の手段として寺社の縁起、高僧伝などの絵巻が多量に作られたが次 第に形式化し、15 世紀以降お伽草子に受け継がれた。古代・中世には多く 「…絵」と称され、「絵巻」「絵巻物」の用語は近世に出現。 とあり、その起源は中国にあると考えられている。しかし、古原(2005)による と、中国では画の前後に書が位置するという体裁は最も安定した、スタンダードな 形式であり、その結果場面の連続性を分断し、独立した画面の接続が画巻形式だと する意識を生むことになり、また、「中国で完成した異時同図法が、中国では発展 も流行もしないで、日本で盛行した理由の大きな一つは、よく言われるように、日 本の絵巻は両手をひろげた五十ないし六十センチメートルの幅で巻いてはひろげ、. (. 4. ). −189−.

(5) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 拡げては巻く、つまり動かしながら見るのが鑑賞の原則であるのに、中国ではそう ではないという点にあるだろう。……右から左へと巻いていくという順序が、物語 の進行と一致し、時の流れに従って次の事件が現れてくるという方式が日本にはあ るのに、中国にはないのである」(p.35)と記している通り、物語性を持った絵巻 物は日本が独自に開発したものである。日本における絵巻の原型と言われる「絵因 果経」では上に絵、下に長文の漢文による経文が描かれているが、絵に連続性が見 られない。 若林編(1995)では、詞章と絵の組み合わせの形式を次のように分類してい る。まず、「多く画面を説明する詞章を書き添え」とあるように、初期の絵巻物で は絵の中にではなく絵の前に書き添えられており、文字は絵の中に書き添えられる ことがなく分離している。「信貴山縁起絵巻」や「伴大納言絵巻」である。「餓鬼草 紙」では詞章が最初にあり、それに続いて絵があり、この組み合わせが繰り返され ている。次に、場面説明や会話の詞章が絵の中に入り込んだ「画中詞」と呼ばれる 絵巻物が発展してくる。「華厳宗祖師絵伝」では複数の会話が「一」「二」「三」の 符号が記入され会話の順を示している。次いで詞章と画中詞が一体化した絵巻物が ある。即ち、「能恵法師絵巻」では場面説明を行う詞章の後に絵が描かれ、底に画 中詞が書かれている。現在の劇画と同じ手法である。御伽草子の一つである「福富 草紙絵巻」では絵の中に台詞があり、登場人物の近くに書かれているが、その登場 人物が特定できないときには「此女は七條のふとねの妻にてさふらふ」のように説 明があり台詞が書かれている。さらに「天狗草紙」のように会話が画中詞の中心に なり、現在の四コマ漫画のように登場人物の吹き出しによる会話で物語が展開する 形式も見られる。例えば、登場人物の名前が絵の中に書かれており、台詞が描かれ ている。会話には左の天狗の是害房の台詞に「一」、右の日羅房に「二」の番号が つけられており、順序が示されている(図 2)。 時間表現についても、まず、最古の絵巻物である「源氏物語絵巻」では、女房が 読む本文を聞きながら、美術的に優れた筆者により描かれた絵巻物を姫君は見て鑑 賞したと考えられている。しかし、絵は物語の要所のみを抄出して描いたもので時 間表現はなされていない。しかし、絵巻物にはいくつかの工夫がなされるように発 展してくる。物語性を持ち、それ故、時間的順序を表すことが必要である。左に向. −188−. (. 5. ).

(6) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. 図 2 「天狗草紙」(『新修日本絵巻物全集 27』角川書店 1978) かって開く巻物であるため、右から左に向かって時間軸が動いている。複数の絵の 場合には右の絵の方が時間的に古く、左にある絵の方が新しい。時間の区切りを示 す必要があり、「信貴山縁起絵巻」では同じ場面での時間的経緯を示すために、同 じ二つの場面を霞や山景を挟んで描き、右から左への場面での出来事の時間の変化 を示している。しかし、絵巻の中で天空から登場する護法童子は左から右に「動 線」と呼ばれる軌跡を描いて移動している(図 3)。これについて、佐野(2002) は「「信貴山縁起絵巻」延喜加持の巻では、護法童子という少年神の宮中への顕現 を語るにあたって、彼を画面の左から登場させる。これは、絵巻画面での動きの左 行性という原則に反しており、右から左へと視線を流してきた鑑賞者は、ここで驚 きや不思議さを味わうだろう。そして、さらに次の場面へと鑑賞者が視線を動かす と、天翔ける護法童子の姿を見ることとなる。これは童子が宮中へと向かっている シーンであるから、右側が過去、左側が未来という絵巻の先験的な時間軸にも反し ていることになる。つまりここでは、まるで映画のフラッシュバックのように、物 語の時間が逆転して描き出されているのである」と述べている。しかし、飛蔵の巻. (. 6. ). −187−.

(7) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 図 3 「信貴山縁起絵巻」(『新修日本絵巻物全集 3』角川書店 1976) でも米俵もまた左から右に移動している。統一性がないようにも見える。また、手 塚治虫の「鉄腕アトム」(1952 ∼ 1968)でアトムの動きを表している動線の起源が 既に 12 世紀にあったことは興味深い(図 4)。手塚は遠近法を活用しているが、 「信貴山縁起絵巻」にはない。. 図 4 「鉄腕アトム」③(『手塚治虫文庫全集』講談社 2009). −186−. (. 7. ).

(8) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. 異なった時間を一枚の絵で表す手法も開拓されている。一枚の絵の中の一つの住 居でも部屋を区切って描き、それぞれの部屋ごとに異なった時間を表現してい る。「異時同図」という手法では、同一画面の中に同一人物が複数描かれることも あり、その場合は同一人物が時間を経る毎に右から左に描かれている。「信貴山縁 起絵巻」の尼公の巻がよく引用される。東大寺の大仏の前でぬかずく尼公の姿があ り、弟の命蓮の消息をたずねて祈るうちに、仏前でまどろみ、夢枕で大仏に西の 方、紫雲たなびく山に命蓮の存在を暗示され、西を目指して出立する。大仏の前に いるこの五つの尼公の姿が一枚の絵の中に描かれている。日本だけでなく 16 世紀 にシスティーナ礼拝堂の天井絵「原罪と楽園追放」で、ミケランジェロは、アダム とエヴァが、まず蛇の誘いにのって禁断の実を手にし、そして神の怒りをかい追放 されるという二つの場面を一つの絵に描いている。しかし、一つの絵の中で現代の 漫画のコマのように右から左という時間推移があるのかについては明確ではな い。例えば、江戸中期に描かれた御伽草子の絵巻の一つ「十二類合戦絵巻」では登 場人物の近くに台詞が書かれており、その中で右の兎と左の犬が会話を行っている 場面が描かれているが、兎の発話の前に「一」、犬の発話の前に「二」という番号 が記されており、その順番でないと会話が成立しない。反対に言うと、番号がつけ られていない台詞はどの順で読まれてもかまわないということなのかもしれな い。. 2.2 鳥羽絵 また、江戸時代には「鳥羽絵」というものも作られている。 『広辞苑』によると、 (平安後期の画僧、鳥羽僧正覚. が戯画に長じていたと伝えられるのでいう). 江戸時代、日常生活に取材した滑稽な戯画。多く略筆で軽妙なもの。 とあり、「鳥獣人物戯画」の流れである。「鳥獣人物戯画」は絵巻物であるが、物語 性があるわけではなく、諧謔的に羅列的に遊戯や年中行事を擬人化した動物を主人 公に描いている。成立については、各巻の間に明確なつながりがなく、筆致・画風 も違うため、平安時代末期から鎌倉時代初期の幅のある年代に複数の作者によって 別個の作品として制作背景も異にして描かれたが、高山寺に伝来した結果、「鳥獣 人物戯画」として集成したものとされる。甲巻の第 14 ∼ 16 紙(図 5)では、右の. (. 8. ). −185−.

(9) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 図 5 「鳥獣人物戯画」甲巻(『新修日本絵巻物全集 4』角川書店 1976) 方から走って逃げる猿の犯人と、それを追跡する兎・蛙の検非違使、仰向けに ひっくり返った蛙(喧嘩の被害者か)と心配して声をかける兎・蛙、「何ごとか」 と振り向く狐の一家。この巻を見るものは、次のような見方をしたものであろう か。慌てふためいて猿が出てくる。一体何かと思うと、猿は後ろを振り返ってい て、その後を兎や蛙が手に木を持って追いかけている。猿は追いかけられているの だということを見たものは感じる。さらに巻物を左に進めると、蛙が仰向きに倒れ ていて、その周囲を仲間の兎や蛙が心配そうに見ている。さらに巻を進めると、野 次馬らしき狐が見ている。ここまで来て、蛙と喧嘩をしてけがをさせた犯人の猿は 逃げているのだというのを見たものは感じとられる。本来は時間の移動が右から左 なので、時間を忠実に反映すると、まず一番右に蛙が倒れていて、その周りを仲間 が見ている。さらに、進めると、兎や蛙が手に木を持って追いかけているのを見 る。その先には猿が逃げている。ここで、見たものは猿が犯人で追いかけられてい るのだとわかる。実際の絵の描き方の方向の方が、見るものの側からすると、事件 性を感じられると思う。時間の推移を傍観的に見ているというより、見るものに向 かって時間が押し寄せてくるという表現方法であろう。動きが左から右に向かい、 絵の順が逆になっている。それぞれの巻が独自に作られ、後にまとめられたと言わ れており、また、それぞれの巻にも時間的な関連性が感じられなく、絵を羅列的に 描いたと思われる。また、獅子の口や法師の口から一本の筋が出ているのが分かる が(図 6)、ことばなのか、漫画の吹き出しの原型とも考えられる。鎌倉時代に作 られた空也上人立像で、念仏を唱える口から六体の阿弥陀が出ている像が有名だ が、ことばと吹き出しの関係を暗示させる。「おこ絵」(「おこ」は馬鹿の意)とも 言われる戯画であり、娯楽を中心に置いた現代の漫画のルーツとも言われる絵であ. −184−. (. 9. ).

(10) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. 図 6 「鳥獣人物戯画」甲巻(『新修日本絵巻物全集 4』角川書店 1976) る。 昭和初期に漫画という用語が定着するまでは、江戸時代から「鳥羽絵」という名 前や大津の三井寺に参詣に行く旅人対象に売られていた民芸絵画を指す「大津絵」 が一般的に使われていた。湯本編(1997)では、江戸期に庶民にはやった娯楽性の 強い漫画本を「鳥羽絵」の他、妖怪を描く「妖怪絵」、対象の特徴をとらえて簡略 に描く「略画」、荒いタッチで描く「麁画」、「狂歌」に対する風刺を行う「狂画」、 「北斎漫画」に代表される「漫画」、文字を使った遊び絵の「文字絵」、さらに「遊 び絵」、「戯画」、「画譜」 、「草画」と分類している。いずれも絵が中心であり、文字 も書かれているが副次的な絵の説明であり、物語性はないが、現代の漫画に通じる ものとして、笑いを誘う絵の描き方をあげることができる。「北斎漫画」には風刺 の精神も豊かに含まれているし、また、描画の技術を学ぶためのデッサンのような 性質も持っている。また、江戸期の戯画にも隣の絵との区切りを示すためにマスが 描かれており、清水(2009)では現代の漫画のコマとの関連を述べている。コマを. ( 10 ). −183−.

(11) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 読み進める順は決まっているように見えるが、それぞれのコマに独立性が強く物語 展開を示すための時間推移を示すためのコマであるのか不明である。. 2.3.黄表紙  次に現代の漫画の起源として考えられるのは、江戸期に発達した「草双紙」であ り、同じく『広辞苑』によると、 江戸時代の通俗的な絵入りの読物。表紙の色や製本のしかたによって、赤 本・黒本・青本・黄表紙・合巻(ごうかん)などと呼ばれて時代を追って発 展。体裁は、享保(1716 ∼ 1736)以後、だいたい大半紙半截(はんせつ)二 つ折の中本形、1 冊 5 丁で数冊を 1 部とするのが定型となっていた。 とある。現在の本の形式になっており、二つ折りの紙を表裏にし、見開きで表現さ れている。草双紙は、「通俗的な絵入りの読物」という通りあくまでも私的な世界 を背景としており、表紙の色によって赤本・黒本・青本・黄表紙と呼び分けられて いる。初期の赤本は子供向けの絵本として誕生し、親が絵を見ながら子供に話を作 りながら聞かせるといった性質のもので、文字数も少なかったが、次第に話の筋も 展開も文字を使って表されるようになり、大人の読者を想定するように発達したの が黄表紙である。当初は絵が中心であり、画工が書き入れを行っていた。洒落本で 著名な山東京伝も画工北尾政演の別名であるが、次第に分業が行われるように なった。最初の黄表紙と言われているのが、安永 4 年(1775)戀川春町画作による 「金々先生栄花夢」である。絵の中に話の筋と登場人物の台詞が文字によってあら わされており、まさに現代の漫画の中でも劇画と同じである。しかし、劇画と黄表 紙の大きな違いは、物語を展開のしかたが、劇画は台詞が中心であるのに対して、 黄表紙は地の文が中心である。現在の劇画が 100 ページ以上に、それも各ページが 10 コマ平均コマ割りされて物語の展開を 1000 以上の絵で表し易くなっているのに 対して、「金々先生栄花夢」を例に挙げると見開き 10 ページの少ない絵で物語を展 開していく必要があるために、必然的に文字による説明は必要であったことが理解 できる。それでも、地の文と台詞が文字によって書かれている。宇田(1997)の解 説によると、「趣向立ては黄表紙の最も特徴的な根源をなす技法で、場面(絵組) 場面の緊張関係が文字と絵によってもたらされている。言葉を換えれば、文字に. −182−. ( 11 ).

(12) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. よって描写しきれない事柄や事象(これは政治的圧力など、何らかの制約によって 明示できない場合にも当てはめることが出来る)は絵によってこれを補完し、絵に よって登場人物の置かれた状況や背景を描くだけでは表現し得ない心的状態など は、逆に文字によって写し出すのが、黄表紙の表現上の大きな特徴になっていると いってよい」(pp.614 ∼ 615)とあり、文字と絵画による表現であるとされてい る。 文字による物語展開を詳しく見ていこう。まず、地の文はほとんどの黄表紙で図 の上側に書かれているが、「曲亭一風京傳張」(曲亭馬琴作・画者不明・蔦屋重三郎 板・享保 1 = 1716)のように、地の文が長くなり同じ場所に書く場所がなくなり、 右下に「やぶれ▲」そして間を空けて左下に「△たるは」のように、続きを▲の印 を付けて下の余白に続けている。二つある場合には▲と△で区別を付けている。多 くの黄表紙では右下の「きせるの」の前に「へ」の印があるように会話文の最初に 「へ」の印あり、地の文との区別を付けている。しかし、常にそうなっているとは 限らず、また「へ」の印はあるが、会話の始まりだけでなく、地の文のつながりを 示すのにも使われている(図 7)。. 図 7 「曲亭一風京傳張」(『黄表紙十種』有朋堂文庫 1914). ( 12 ). −181−.

(13) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. また、台詞についてもいくつかの工夫が施されている。ほとんどの黄表紙では登 場人物の近くに台詞が書かれている。さらに登場人物の名前を書きさらにその人物 の衣の袖に「名壺」と称される名前のタッグを付けて分かりやすくしている。会話 が複雑になると、「親分」のように発話者の名前を書いたり、「慈悲」を示す名壺の 「慈」が書かれている右の登場人物の発話であることを示すために「じひ」に四角 い囲みを会話文の初めに書いたりして、話し手を明確にしている(図 7)。しかし、 「江戸生艶気樺焼」(山東京伝作・北尾政演画・蔦屋重三郎板・天明 5 = 1785)で は小説形式の影響であろうが、「家内の下女ども、のぞき見ておらが旦那に惚れる とは、千家か古流か遠州かしらぬが、とんだ茶人だとささやく」のように、発話を 地の文に入れて描いており、統一がない。現代の漫画であれば、「おらが旦那に惚 れるとは、千家か古流か遠州かしらぬが、とんだ茶人だ」の台詞は吹き出しの中で 描かれている。現代の漫画では、会話がなされている場合には常に右の登場人物か ら左の登場人物に対してであり、一つのコマの中にも時間の流れがある。黄表紙で も会話が行われている場合には左右の登場人物は顔を合わせており、右から左の順 に発話がなされている場合が多いが、しかし、「桃太郎後日噺」(明誠堂喜三二作・ 戀川春町画・鱗形屋孫兵衛板・安永 6 = 1777)では、左の「犬」の名壺で示され ている犬の「なんと商いがあるかの」という質問に対し、右の店の女房お福が「旦 那のお蔭、有がたふござります」と答えているが、順序が逆である(図 8)。. 図 8 「桃太郎後日噺」(『新編日本古典文学全集 79』小学館 1999). −180−. ( 13 ).

(14) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. 他の黄表紙を見ると、どこから読んでも会話に矛盾がない場合には、左上、右下、 左下に発話があり、順序に一貫性がない。どうも発話の順序がなく、一つの図を時 間に関係なく読者は見ていると思われる。 Halliday & Hasan(1976)によって文章 の結束構造(Cohesion)の問題が取り上げられ、その後大きく研究が発展した。 文は単独にあるのではなく、文と文のつながりの中で言語的機能を担っているとい う観点の研究である。具体的には、指示、代用、省略、接続が挙げられているが、 指示を例にとると、A:「太郎は来たか」という質問に対して、B:「あいつは来な かった」というように、指示詞「あいつ」で受けることによって、AとBの会話が 結束性を以て一つのまとまりを保っている。接続詞においてはもっと顕著で、 A:「昨日来なかったのか。会わなかったな」という質問に対して、B:「え、しか し、行ったよ。行き違いがあったのかな」の逆接の接続詞「しかし」はAの質問が ないと決して使われない。結束性の観点から黄表紙の台詞を見たが、台詞間の結束 性は見られなかった。 現代の漫画では吹き出しを使って登場人物の台詞を示しているが、最初の黄表紙 である「金々先生栄花夢」 (戀川春町画作・鱗形屋孫兵衛板・安永 4 = 1775)では、 吹き出しの中に主人公の夢の絵があり(図 9) 、他の黄表紙にも心中の描写に吹き出 しが使われている。このために吹き出しは会話に使えなかったのではないか。. 図 9 「金々先生栄花夢」(『新編日本古典文学全集 79』小学館 1999). ( 14 ). −179−.

(15) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 黄表紙でも読者の笑いが興味の中心であったらしく、「鸚鵡返文武二道」(戀川春 町作・北尾政美画・蔦屋重三郎板・天明 9 = 1789)の舞台設定で、菅原道真が義 経、鎮西八郎、小栗判官を呼び出している場面があり、「私どもはあなた方より ずっと後の世の人でございます」という三者に対し、菅公は「時代違いも知ってい るが、ここがくさ草紙だからうっちゃっておきやれ」と笑いを誘う台詞がある。ま た、「桃太郎後日噺」(明誠堂喜三二作・戀川春町画・鱗形屋孫兵衛板・安永 6 = 1777)では、最後に版元が登場して、読者に買ってくれと口上を述べる絵がある (図 10)。手塚治虫の漫画にも手塚自身が登場することがあり、共通性を感じさせ る。また、黄表紙が子供向けの赤本から発展したという歴史的経緯がある。一般庶 民の大人を読者層としているという背景により、漢語も使用されてはいるが、文字 はかな表記を主に使っている。矢野(1990)によると、かなだけでは読みづらいた め、語頭と語中に使う変体仮名を使い分け、読みやすくする工夫を行っている。ま た、久保田(1993)では、できる限り口語的な文章を使っていることが示されてい る。現代の漫画の娯楽性と通じるものを感じさせる。. 図 10 「桃太郎後日噺」(『新編日本古典文学全集 79』小学館 1999). −178−. ( 15 ).

(16) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. 2.4.ポンチ絵  イギリスの絵入り週刊新聞“The Illustrated London News”の特派通信員として 来日したイギリス人、Charles Wirgman は文久 2 年(1862)から明治 20 年(1887) にわたり横浜で、“The Japan Punch”という政治漫画雑誌を英語で出版した。大 半が‘cartoon’と呼ばれる風刺漫画一枚画であった。復刻版が出されており、ど のようなものであったかを見ることができる。そこでは‘balloon’(風船)と呼ば れる吹き出しが使われているのが目に新しい。“The Japan Punch”は日本に大き な影響を与えて、日本語による次のような「ポンチ絵」と呼ばれる政治風刺漫画が 出版された。野村文夫による『団団珍聞』、宮武外骨主宰『滑稽新聞』、北澤楽天主 宰『東京パック』等が続々登場する。『団団珍聞』には一枚画の風刺漫画が載せら れているが、それぞれの絵の表現形式は多様である。会話文の示し方も、黄表紙の 伝統を継いだものか手書きで登場人物の隣に「へ」の印によって会話を示したもの や、印字で絵の背景に、客「……」、占「……」というように小説風の会話文形式 で示したものや、数は少ないが、西洋漫画の影響か明治 22 年(1889)729 号に吹 き出しによって会話文を示したものも見つかる(図 11)。. 図 11 『団団珍聞』729 号(複製版 本邦書籍 1981 ∼ 1985). ( 16 ). −177−.

(17) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 2.5.コマ漫画 『滑稽新聞』には、明治 38 年(1905)の絵にコマが使われている。1 頁が縦 3 コ マ、横 2 列の 6 コマに分割されており、文字はなく、順番が右上から右下に、そし て左列に読み進む筆順は逆だが「N」型の形式がとられている(図 12)。. 図 12 『滑稽新聞』第 92 号 (赤瀬川原平、吉野孝雄編『宮武外骨・滑稽新聞』筑摩書房 1985 ∼ 1986). −176−. ( 17 ).

(18) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. 北澤楽天はオーストラリア出身の漫画家 Frank Arthur Nankivell から西洋漫画の 技 術 を 学 び、 福 沢 諭 吉 指 導 の『 時 事 新 報 』 に も 漫 画 を 投 稿 し た。 明 治 38 年 (1905)の『東京パック』6 巻 13 号では、縦 2 コマ、横 3 列の 6 コマ漫画が載せら れており、右上から右下、次の左の列と読み進める形式がとられており、読み順を 示す番号が記されている。説明を示すキャプションが日本語の他に英語および中国 語が併記されており、購買層を海外にも求めていたのが分かる(図 13)。. 図 13  『東京パック』6 巻 13 号(復刻版『グラヒック= The graphic』柏書房 2005). 北澤楽天が主に担当した『時事新報』に載せられた漫画のコマ数は、1 コマ 156 点 (24%)、2 コマ 85 点(13%)、3 コマ 73 点(11%)、4 コマ 116 点(18%)、5 コマ 47 点(7%)、6 コマ 103 点(16%)、7 ∼ 12 コマ 65 点(10%)とコマ数は雑多で 現在のように起承転結をもつ四コマ漫画はまだ定着していなかった。清水(2009) によると、この頃、欧米流のコマが導入されるようになった。『団団珍聞』では、 明治 30 年代になると西洋コマ漫画の紹介が盛んにおこなわれるようになった。ア メリカから帰国した今泉一瓢は『時事新報』にアメリカ流のコマ漫画を紹介し、小 林 清 親 は『 東 京 日 日 新 聞 』 に コ マ 漫 画 を 寄 稿 す る よ う に な っ た。 明 治 30 年 (1897)刊の『教育いろは談語』で、小林清親の版画の中で、文は骨皮道人が担当 し、絵と文の分業がなされている。絵の中に、内儀「……」、主人「……」という. ( 18 ). −175−.

(19) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. ように小説風の会話文形式で示している。ヨーロッパからもフランス人 Georges Ferdinand Bigo が明治 15 年(1882)来日し、風刺画家として漫画や挿絵を寄稿し た。. 2.6.新聞連載四コマ漫画  大正期になると、新聞の四コマの連載漫画が物語を持った漫画として確立してく る。大正 10 年(1921) 『時事新報』に日曜漫画付録「時事漫画」が創刊され、大正 12 年(1923)以降新聞各紙に毎日連載の四コマ漫画が登場する。北澤楽天、岡本一 平、宮尾しげを等の漫画家が活躍するようになる。そこには西洋特にアメリカの漫 画の影響が強く見られる。アメリカの新聞漫画、George McManus の‘Bringing up father’が大正 12 年(1923)日本語に翻訳され「親爺教育」という題で日刊『アサ ヒグラフ』に連載された。原作のまま、左上から右上、左下から右下というように 「Z」型に読み進むようになっており、読む順に番号が振られている。カタカナ横 書きが使われたり、また、縦書きにはなっているが、コマの中の吹き出しの順序が 左の登場人物が右の登場人物に話しかける形式になったりしている。これは、横書 きで左から右に書くという英語の表記法に従っているものである(図 14)。しか し、その後横書きではあるが、吹き出しは右から左に書き改められた。「親爺教 育」の影響を受け、麻生豊が大正 12 年(1923)から大正 15 年(1926)まで『報知 新聞』に「ノンキナトウサン」という漫画を連載するようになり評判になった。コ マは「田」型で左上から右上、左下から右下というように「Z」型に読み進むよう になっており、読む順に番号が振られているが、吹き出しは左から右に、横書きが 使われているが、ひらがなからカタカナに途中で変わっている。徐(2013)による と、コマ数が 8 コマから 6 コマ、そして 4 コマに連載半年後には定着した。さらに 麻生豊が読売新聞社に入社し、そこでも昭和 5 年(1930)に半年間「のんきな父さ ん」を連載した。そこでは横書きではあるが、「田」型で右上から左上、右下から 左下というように、現代の漫画の「逆Z」型に読み進むように変化した。しかし、 麻生豊が昭和 10 年(1935)に縦四コマ漫画で描いた「クンスケクン」において も、吹き出しで縦書きと横書きが作品によって両方使われており、一定していな い。. −174−. ( 19 ).

(20) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. 図 14 「親爺教育」洗濯屋の巻 (清水勲『四コマ漫画 ―北斎から「萌え」まで』岩波新書 2009)  大正期になると新聞連載子供向け漫画が数多く出版されるようになる。その代表 として、イギリスの新聞“The Daily Mirror”に 1919 年から 1956 年まで連載され ていた ‘Pip, Squeak and Wilfred’ に影響を受け、画・東風人、作・織田小星に よって、「正チャンの冒険」が大正 12 年(1923)から大正 14 年(1925)にかけて 『アサヒグラフ』や『朝日新聞』などで、タイトルを変更しながら連載された。縦 四コマから一時「田」型になるが、大正 14 年(1925)に縦四コマに戻り、今日の 新聞漫画の縦型はこの漫画から始まったと考えられている。「田」型の時代には、 読み進むべき順序を示す番号がふられており、決まったコマの読み方が定着してい なかったことが分かる。また、カタカナが使われており、説明文がコマの欄外にあ り、吹き出しで会話が示されている。説明文は縦書きであるが、コマの中の吹き出. ( 20 ). −173−.

(21) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 図15 「アルヒノコト」 (竹内オサム編『少年小説大系別巻1 少年漫画集』三一書房 1988). −172−. ( 21 ).

(22) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. しは、横書きであったり、縦書きであったりして、一定していない(図 15)。上か ら下に並ぶ縦四コマの配列と上から下に読み進める縦書きと関係があるように考え られる。新聞においては伝統的に現在に至るまで縦書きが使用されていて、そこに 縦四コマに定着した漫画においても縦書きは自然な表記法だと考えられる。「田」 型のコマ形式の時に、それぞれの漫画のタイトルが「トコノヒルア」(ある日のこ と)のようにカタカナの右横書きで付けられている。右横書きについて、屋名池 (2003)では、「手がかりのないまま横書きをまねるならば、また自分は知っていて もそんなことを知らない普通の人々に読みはじめの特別な注記なしに読んでもらお うとするならば、日本語の一行一字の縦書きを日頃見慣れていた人たちにとって、 右から左へ文字を並べてゆくことは当然の選択だったのだろう」(p.43)と西洋趣 味や西洋主義の反映と解釈している。  かな書きについては、漢字カタカナ交じり文と漢字ひらがな交じり文の両方が使 われている。カタカナは漢文訓読の訓点として 9 世紀より使われてきた背景がある ため、ひらがなに比べ学問的傾向が強いので、戦前の日本ではより正式な文字とみ なされ、法令全書その他の公文書で用いられていた。明治期から教育面でもひらが なに先行して教えられていたため子供向け漫画においても漢字カタカナ交じり文が 多く使われていた。それがひらがなを先行して教えるように移行するのは戦後であ り、昭和 30 年(1955)に当時の文部大臣松村謙三に対し、国語審議会会長の土岐 善麿が「かなの教え方」についてという報告書を答申している。そこではひらがな がカタカナに先行して教えられている学校教育の現状に対して異論が出されている が、カタカナ教育にも力を入れる必要があるという内容の妥協案が示されてい る。これを見ると、現在の表記法、漢字ひらがな交じり文中心に戦後移行している ことが分かる。戦後の漫画においても漢字ひらがな交じり文に移行する。 文字表記については①吹き出しが付けられているもの、②説明文が付けられてい るもの、③吹き出しと説明文が両方とも付けられているもの、④絵だけで吹き出し も説明文も両方とも付けられていないもの、と分けられるが、時代によって大きく その割合が変遷して、吹き出しが主流になる様子が分かる。大正 12 年(1923)か ら昭和 12 年(1937)までの 138 の子供向け漫画の使用状況を調査した徐(2013) によると、吹き出しが付けられている割合は、大正 12 年(1923)から昭和 6 年. ( 22 ). −171−.

(23) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. (1931)9 月 ま で 40 %、 昭 和 6 年(1931)10 月 か ら 昭 和 12 年(1937)7 月 ま で 63%となり、さらに詳しく昭和 10 年(1935)から昭和 12 年(1937)7 月までに限 定すると 79%になっており、吹き出しが西洋漫画の影響で一般化していく様子が 見て取れる。. 2.7.劇画  講談社の編集長だった加藤謙一が、昭和 22 年(1947)に学童社から『漫画少 年』という漫画雑誌を創刊した。それまでの新聞連載の四コマ漫画でなく、長編の 物語を持った漫画が雑誌という形体で出版されるようになり、『漫画少年』の成功 を受け続々と漫画雑誌が刊行されるようになった。物語を持った漫画は大城のぼる が昭和 8 年(1933)に出した 128 ページにわたる長編漫画「愉快な冒険隊」に始ま ると言われているが、昭和 10 年代では「連続漫画」と呼ばれていた。また、戦後 漫画勃興以前に物語と挿絵が渾然一体となった読む紙芝居のような「絵物語」と呼 ばれた漫画が始まり人気を博したが、作者も紙芝居の絵を描いていたものが多く、 紙芝居の延長と考えられている。昭和 8 年(1933)から昭和 14 年(1939)まで 『少年倶楽部』に連載された島田啓三の「冒険ダン吉」がその代表である。台詞が 付いた絵の横に文字による物語が書かれて一対になっており、絵と文字が対等の関 係を持っている。絵を見せながら演じ手が語る紙芝居に対して、語りの部分を文字 で読ませる形式になっている。昭和 32 年(1957)に辰巳ヨシヒロが「幽霊タク シー」の中で子供向けでない中学生以上を読者とする漫画に対し「劇画」という造 語を使い、一般化していった。  コマの読み進め方については、昭和 24 年(1949)から昭和 31 年(1956)まで福 田鉄次作の「長編絵物語」というジャンルでアメリカのコミックの影響を受けたカ ラーの「砂漠の魔王」が『冒険王』に連載され、人気を得た。コマの読み進め方を 記した番号が載せられており、号によって右上から右下、左上から左下に読み進め る「N」型の読み方と、右上から左上、右下から左下の「逆Z」型の読み方が混在 している。1948 年に出された花堅原芳明「コグモの冒険」では、「逆Z」型の読み 方を採用している。現在のコマ割りでは右から左に読む場合には横に並行にコマを 割っているが、この図のコマはずれており、今ではありえない方法でも書かれてい. −170−. ( 23 ).

(24) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. る(図 16)。「逆Z」型の読み方が定着していたためにこのような配置が可能で あったのだろう。実際、大正 13 年(1924)から昭和 34 年(1959)までの漫画を採 集した松本・日高編著(2004)を見てみると、昭和 34 年(1959)の漫画でも番号 が付けられている漫画も残存しているが、多くは番号が付けられておらず、ほとん. 図16 花堅原芳明「コグモの冒険」 (松本零士・日高敏編著『漫画大博物館』小学館 2004). ( 24 ). −169−.

(25) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. どの漫画では「逆Z」型の読み方を採用しており、一般化しているのが分かる。  また、吹き出しの書き方については、戦前「冒険ダン吉」で人気を得た島田啓三 は昭和 26 年(1951)に「カリ公の冒険」という連続漫画を発表しているが、アメ リカン・コミックの影響の元吹き出しで横書きが使われている。敗戦後、アメリカ ン・コミックが、原文に日本語訳が付けられて出版され日本の漫画に影響を与え た。「ポパイ」や『週刊朝日』や『朝日新聞』に連載された「ブロンディ」が有名 である。しかし、松本・日高編著(2004)を見てみると、ほとんどの漫画は縦書き が使われており、縦書きが一般的になっていたと思われる。  これらの連続漫画や劇画は雑誌や単行本の形式で発表されており、本が右開きと いうことが、縦書きと「逆Z」型の読み方が一般的になるという事実と連動してい ると思われる。. 2.8.少女漫画  西洋の漫画の影響で獲得したコマの概念を大きく変えたのは 1970 年代に活躍を 始めた少女漫画の作者たちであった。物語の展開に必要であった時間の経過を表現 するために長い時間を得て獲得したコマを破壊したのは少女漫画であった。夏目 (1997)によると、コマの基本的な働きは、①時間分節、②圧縮と開放、③空間表 象であるが、少女漫画では「内面の時間を強調することで、逆に話の中の日常的な 時間を内面に含み込んでしまう。これは、七〇年代以降の少女マンガが開発し、得 意としたコマと言葉の用法から生み出されたものです。……コマがコマを内包し、 重なるものになっています。この内包や重層は少女マンガが主に開発した新しいコ マの構成法だったのです」(pp.158 ∼ 159)とあるように、登場人物、特に主人公 の内面の心理を描く必要性のために、コマの進行による時間表現をあえて無視し、 新しいコマの構成を作り上げた。何も書かれていない「空白コマ」という手法をも 生み出した(図 17)。  小説においては、地の文、会話文、心話文と三つに文の描写を分けるが、少女漫 画において、長い時間を得て獲得した吹き出しは会話文のために使い、それと区別 するために心話文のための文字表記が必要とされた。少女漫画においてはどのよう な手法で地の文と心話文と会話文を区別しているのであろうか。小説において会話. −168−. ( 25 ).

(26) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. 文を示す括弧の役割を吹き出しとか風船と呼ばれる形式が果たしている。さらに吹 き出しにもいくつかの種類が存在している。丸い物、丸が途中でくびれたもの、雲 状のもの、多角形、波型、破裂型等が会話部分に、方形のもの、放射された線分に よるもの、棘付きのものが心話文に使われている。各作家によって違いはあるもの の、同一作品内では統一がなされていると思われる。地の文は吹き出し外で表され ることが多い。また、多種の文字種が使われている会話文と心話文を違った文字種 で描くとその区別が示されることになる。. 空白の 2 つのコマは何をあらわしているか(桑田乃梨子『ほぐれゆく私』 1993年 LaLa デラックス). 図17 桑田乃梨子「ほぐれゆく私」 (夏目房之介『マンガはなぜ面白いのか ―その表現と文法』NHKライブラリー 1997). 例を挙げてみてみると(図 17)、会話文はとがっている吹き出しで表されており、 心話文は泡状の吹き出しで描かれている。そうすると、地に書かれた手書き文字の 「ありがとー」は会話文と思われ、次のコマの「お互いさまって」は心話文であ る。大塚+ササキバラ(2001)では、二十四年組と呼ばれる少女漫画の代表者、萩 尾望都が昭和 46 年(1971)に発表した「11 月のギムナジウム」では吹き出しによ る台詞の他に、吹き出しの外で、①心の中の台詞(心話文)、②語り手の独白、③ 手紙の文面など他のテキストの引用、④主題を強調する短いフレーズが異なった書. ( 26 ). −167−.

(27) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 体を使い分けて表現されていると分析している。. 2.9.海外の漫画  日本の漫画に影響を与えた海外の漫画について最後に記しておく。山下(2009) によると、19 世紀の中ごろフランスでは 1 ページを 30 コマに分けたエピナル絵本 が流通しており、各コマの下に文字による説明がつけられている。実際、1830 年代 にスイス人の Rodolphe Töpffer はコマ割りのように一つのページを区切って絵を並 べた漫画を残している。また、吹き出しについては、1908 年創刊の『エパタン』と いう雑誌に掲載された Louis Forton による『ピエ・ニクレ』で初めて用いられ、擬 音語も絵に描き込まれている。また、Waugh (1947) や小野(2005)によると、ア メリカにおいては 1896 年に Richard Felton Outcault によって‘The Yellow Kids’ という一枚絵の漫画が最初に描かれたが、コマの連続する漫画としては Rudolph Dirks により 1897 年から始まった新聞連載漫画‘The Katzenjammer Kids’があ る。1993 年にイタリアのルッカ市で開催された国際コミックス大会で、物語漫画、 コミックスの定義を、 「コマが連続し、台詞が画面の中の吹き出しに入っているこ と」とすることが主張された。Waugh(1947)はさらに、 「複数コマにわたり同一 の登場人物が登場すること」という定義も加えている。アメリカにおいても一コマ 漫画からコマを有する物語を持った漫画に発展したことが分かる。1897 年 10 月 17 日の“New York Journal”に載せられた‘The Yellow Kids’には一コマの中に多 くの登場人物が描かれているが、1 週間後の 24 日では横 3 列縦 2 行の、合計 6 コマ の絵が描かれており、それぞれのコマに主人公の Yellow Kid の姿が描かれてい る。しかし、読み進め方を示す、番号が各コマに記されている。1905 年に‘Little Jimmy’が James Swinnerton によって出されたが、絵の簡潔さ、コマ運び、吹き 出し等現代の漫画の型が出来上がったと考えてよい。「Z」型の 15 コマの漫画だ が、各コマに番号が記されている。これらの 3 人によってアメリカのコミックスが 作り出された。初期の漫画、1930 年の‘Blondies’や 1939 年の‘Krazy’等にコ マ内に数字が書かれている漫画があり、時間を経て定着したものと思われる。コ ミックスのアメリカにおける歴史は、‘Peanuts’や‘Blondies’などの新聞の連載 漫画から、漫画だけを集めた雑誌形式のコミックブックは 1930 年代にはじまり、. −166−. ( 27 ).

(28) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. 有 名 な の は 1938 年 に“Superman”、1939 年 に“Batman”、1960 年 代 に は“The Amazing Spider-Man” が刊行された。西洋語は横書きで左から右に読み進めると いう書記上の形式のため左上から右上、左下から右上という「Z」型のコマの配置 が決められている。  英語では‘comic’と‘cartoon’という用語が使われることが多いが、違いはど うなっているのであろうか。英語学習者向きの英英辞典“Cambridge Advanced Learner s Dictionary”によると‘comic’は、‘a magazine, especially for children, which contains a set of stories told in pictures with a small amount of writing’ (ほとんど文字を使わず絵によって表された物語を掲載する、主に子供向けの、雑 誌:筆者訳)、‘comic strip’ は、‘a short series of amusing drawings with a small amount of writing which is usually published in a newspaper’ (一般的には 新聞に掲載された、ほとんど文字を使わず戯画で表されている小物語:筆者訳)と あり、‘comic strip’は物語漫画を意味する。‘cartoon’は‘a drawing, especially in a newspaper or magazine, that tells a joke or makes an amusing political criticism’(ジョークや政治的諷刺を表現している、主に新聞や雑誌に掲載されて いる、絵画:筆者訳)で一コマ漫画を表すことが多いように見える。類義語に ‘caricature’があり、‘a drawing, especially in a newspaper or magazine, that tells a joke or makes an amusing political criticism’で‘cartoon’と同じ定義が 示されている。“Oxford Advanced Learner s Dictionary”でも同様な定義がなさ れており、定冠詞付きの複数形‘the comics’を‘the section of a newspaper that contains comic strips’(新聞の中で comic strip を記載している部分:筆者 訳)とあり、新聞の数コマ漫画を指している。. ( 28 ). −165−.

(29) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 3.まとめ 物語性に注目して、現代の漫画に至る背景を歴史的に見てきたが、コマ割りと吹 き出しと文字表記に絞ってまとめてみることにする。. 3.1.コマ割り 漫画の原点、数枚の絵と文字によって物語を展開していこうという試みは、8 ∼ 9 世紀に中国の画巻(がかん)の形にならい、10 ∼ 12 世紀に独得の構成力を持つ 絵巻芸術を作り出した。中国の画巻は開かれた一面でしか鑑賞されていないが、日 本の絵巻は両手をひろげた幅で巻いては広げ、広げては巻く、つまり動かしながら 見るのが鑑賞の原則で、開く順に右から左に時間的経緯を示すことができたという のがその原因と考えられている。物語性を示すには、複数の絵の空間的時間的な区 切りを示す必要があり、それぞれの場面の間に霞や山景を挟んで描き区切りを示 し、右から左への場面での出来事の時間の変化を示している。漫画の様なコマとい う囲い込みではないが、コマの概念はあったと考えてよい。同一画面の中に同一人 物が複数描く「異時同図」という手法を開発し一つの画面の中での時間的順序を表 現している。しかし、一つの絵の中で現代の漫画のコマのように右から左という時 間推移があるのかについては明確ではない。 次に現代の漫画の起源として考えられるのは、絵の中に話の筋を示す地の文と会 話文が文字によってあらわされている「黄表紙」と呼ばれる江戸期に発達した草双 紙である。冊子の形式で、二つ折りの紙を表裏にし、見開きで表現されている。し かし、黄表紙の始まりと言われている「金々先生栄花夢」を例に挙げると絵と文字 が一枚の版画の中で一体化しているが、見開き 10 ページの少ない絵で物語を展開 していく必要があるために、必然的に文字による説明は必要であったことが理解で きる。一つの絵の中に地の文と登場人物の台詞が細かく書かれている。現在のコマ の概念に置き換えると 10 コマで描かれている。また、現代の漫画では一コマの中 で右から左に時間的順序が表現されているが、黄表紙では一つの図を時間に関係な く読者は見ていると思われる。 これまで調べてきた限りでは、現代の漫画のコマ、すなわち、枠によって区切ら れたスペースがあり、決められた順序で枠の中に描かれている絵と文字を読み進め. −164−. ( 29 ).

(30) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. て行くと物語が展開されるという意味でのコマは、明治期に導入された西洋の、特 に、アメリカの‘comic strip’の影響が大きいとわかる。西洋の漫画では文字が 左から右に横書きされるので「Z」型のコマの配置が決められているが、日本語で は縦書きが本来的な書記法で、縦書きに従うと「逆Z」型が安定したコマの配置に なる。新聞の縦四コマに読み進める形式に定着するまでには色々な紆余曲折が あったことが分かる。また、第二次世界大戦後も、アメリカン・コミックスの影響 を受け、「N」型の読み方と「逆Z」型の読み方が一時混在している。 さらに、紆余曲折の結果獲得したコマの「逆Z」型の配置を破壊したのは、1970 年代に活躍を始めた少女漫画の作者たちであった。客観的な時間経過を示すより、 登場人物の心理描写に重点を置く少女漫画作家によって、コマの「逆Z」型の配置 だけでなく、コマそのものの存在も大きく変えられた。. 3.2.吹き出し 絵巻物において、場面説明や会話の詞章が絵の中に入り込んだ「画中詞」が創ら れ、次いで詞章と画中詞が一体化した絵巻物がある。会話部分を明確にするため 「一」「二」「三」の符号が付けられたり、登場人物の近くに台詞が書かれたりして いるが、まだ、吹き出しは考案されていない。 黄表紙では、会話文の最初に「へ」の印あり、地の文との区別を付けているのが 目立つ。また、ほとんどの黄表紙では登場人物の近くに台詞が書かれている。さら に登場人物の名前を書きさらにその人物の衣の袖に「名壺」と称される名前の タッグを付けて分かりやすくしている。会話が複雑になると、会話部の最初に発話 者の名前を四角い囲みで書いたりして、話し手を明確にしている。 しかし、現代の漫画と同じ吹き出しは西洋、特にアメリカン・コミックスの影響 によって、明治期に日本にもたらされたと考えてよい。アメリカにおいても James Swinnerton によって 1905 年に書かれた‘Little Jimmy’がコミックスの基 だ と 考 え ら れ て お り、George McManus の‘Bringing Up Father’ が 大 正 12 年 (1923)に日本語に翻訳され「親爺教育」という題で日刊『アサヒグラフ』に連載 された。最初は、原作のまま、コマの中の吹き出しの順序が左の登場人物が右の登 場人物に話しかける形式になったりしている。これは、横書きで左から右に書くと. ( 30 ). −163−.

(31) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. いう英語の表記法に従っているものである。しかし、日本の書記法に書き換えられ て吹き出しが日本の漫画に定着していく。. 3.3.文字表記 絵巻物にも詞章部分があり、そこで使われている文字はその絵巻物の性格に よって異なる。仏伝経典はその宗教的性格によって漢文が使われるが、多くは漢字 かな交じり文が使われている。黄表紙になるとその娯楽的性格から漢字をできる限 り抑えたひらがな中心的な表記が使われている。明治・大正期に西洋のコマ漫画の 影響を受けた漫画ではカタカナ表記が使われることもあった。子供向け漫画では、 学校において当時カタカナの方がひらがなに先んじて教えられていたため、カタカ ナで書かれることも多くあった。縦書きと横書きの面では、日本語では伝統的には 縦書きが用いられており、一時アメリカン・コミックスの影響を受けて横書きが使 われたこともあったが、紆余曲折を経て現在のように戦後縦漢字ひらがな交じり文 に定着していく。文字の配列はコマを読み進める方向と大きく関連しており、現在 の「逆Z」型に戦後定着していく。しかし、横書きを使って、上下にスクロールす るインターネット上での漫画が普及するとともに、横書きが普及する可能性も残さ れている。実際、多くの出版物が左開き横書きに移行している現状を反映してか、 横書き漫画も出版されている。『朝日新聞』に連載され英訳も出ている安野百葉子 の「オチビサン」は右横書きになっているが、コマの読み進め方を示す番号が振ら れており、まだ定着していないことを想像させる。そして、日本マンガの海外進出 するためにも、縦書きとコマの配置を反転する必要のないように横書きを考えてい る漫画家もいる。そうなると、「Z」型のコマ配置に変化する可能性も残してい る。 字体も問題も関与してくる。漫画、特に劇画では、擬声擬態語が絵の一部として 活躍しており、手書きで書かれたり、手書きでなくとも台詞や説明文と異なった字 体を活用したり、文字の大きさを変えたりして使われていることもある。少女漫画 では心理描写が重要になり、台詞の文字と心話文の文字を変えるということも行わ れている。 日本人は独創性に欠け、独自で新しいものを作り出すことは苦手だが、他人が創. −162−. ( 31 ).

(32) 漫画の沿革 ―物語表現法に焦点を当てて―  永田. り出したものを改良し、発展させるのが得意だと、よく日本人の特性として言われ 続けているが、漫画に関してもしかりである。古くは、物語を絵と文字によって表 現するという絵巻物も、中国の画巻の模倣をし、中国では発展しなかったが、巻物 を肩幅大に広げて、読み終えると閉じ、それを繰り返すことによって物語を展開さ せるという手法を開発した。現代の漫画のコマも西洋の漫画から導入したものであ る。物語漫画に必須の吹き出しも、黄表紙において、「へ」の印を開拓したが、風 船と呼ばれる形式はアメリカン・コミックスの影響に負うところが大きい。しか し、海外から取り入れたコマや吹き出しを改良し、反対に今では海外のコミックス に 影 響 を 与 え て い る。 “Cambridge Advanced Learner s Dictionary” に よ る と、 ‘manga’は‘comic books or animation from Japan which often include sex or violence’ (セックスや暴力をしばしば含む日本のコミックブックやアニメイショ ン:筆者訳)として英語の中にも定着している。 ‘often include sex or violence’と あるのは、 ‘comics’においては従来の漫画の中心的目的「笑い」を保持している のに対して、日本の漫画は成人向け漫画が出版されていたり、 「漫画で学ぶ∼」の ような題の学習漫画が出ているように、漫画が分かりやすい独自の表現手段として 発展、確立しているためであろう。10 年ほど前にオーストラリアに滞在していた 折、本屋のコーナーにも欧米の漫画を‘comics’ 、日本の漫画を‘manga’と区別 して置かれているのを目にした。興味のある事実である。加藤・熊倉編(1999)に よると、 ‘manga’は外国語になった日本語の一つとして挙げられており、ベトナ ムでは 1993 年から『ドラえもん』が、台湾では『クレヨンしんちゃん』が出版さ れたとある。 『少年ジャンプ』の英語訳“SHONEN JUMP”が 2003 年から月刊誌と してカナダ・アメリカで発売された。説明文や台詞は英語に翻訳されているが、日 本同様右開きを採用しており、そのため「逆Z」型のコマの読み進め方で描かれて いる。それが横書きの西洋のコミックスと異なるため、最後のページにコマの配置 の説明が記載されている。2012 年からは紙版に変わって週刊のデジタル英語版 “WEEKLY SHONEN JUMP ALPHA” が有料配信されている。また、日本製のア ニメに対して‘Japanimation’という新語が 1999 年刊の新語辞典‘The Oxford Dictionary of New Words’に記載されており、日本製のアニメが人気を博している のが分かる。. ( 32 ). −161−.

(33) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 参考文献 宇田敏彦(1997)『草双紙集』(新古典文学大系、岩波書店) 大塚英志+ササキバラ・ゴウ(2001) 『教養としての<マンガ・アニメ>』 (講談社現在新書) 小野耕世(2005)『アメリカン・コミックス大全』(晶文社) 加藤秀俊・熊倉功夫編(1999)『外国語になった日本語の辞典』(岩波書店) 久保田篤(1993)「近世の通俗文体としての黄表紙の文章」(『近代語研究 第 9 集』近代語学 会 武蔵野書院) 古原宏伸(2005)『中国画巻の研究』(中央公論美術出版) 徐園(2013)『日本における新聞連載子ども漫画の戦前史』(日本僑報社) 清水勲(1991)『漫画の歴史』(岩波新書) 清水勲(1997)『近代日本漫画百選』(岩波文庫) 清水勲(2009)『四コマ漫画――北斎から「萌え」まで』(岩波新書) 若林準治編(1995)『絵巻物の鑑賞基礎知識』(至文堂) 佐野みどり(2002)「物語る力――中世美術の場と構想力」(『日本の中世7 中世文化の美 と力』所収、中央公論社) 夏目房之介(1997)『マンガはなぜ面白いのか――その表現と文法』(NHKライブラリー) 松本零士・日高敏編著(2004)『漫画大博物館』(小学館) 矢野準(1990) 「一九の文字生活――蔦屋黄表紙五種の仮名表記の実態を中心に――」(『近 代語研究 第八集 吉田澄夫博士追悼論文集』近代語学会 武蔵野書院) 屋名池誠(2003)『横書き登場』(岩波新書) 山下雅之(2009)『フランスのマンガ』(論創社) 湯本豪一編(1997)『江戸漫画本の世界』(日外アソシエーツ) Halliday M. A. K. & Ruqaiya Hasan (1976) “Cohesion in English” (Longman) “The Japan Punch”(1975)雄松堂書店(復刻版) Waugh, Coulton(1947) “The Comics” (University Press of Mississippi). −160−. ( 33 ).

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参照

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