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「自由への読書」のための実践的研究2 -「平和への対話をしでぃる」言語教育プロジェクト-: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Title

「自由への読書」のための実践的研究2 −「平和への

対話をしでぃる」言語教育プロジェクト−

Author(s)

上原, 明子

Citation

沖縄キリスト教短期大学紀要 = JOURNAL of Okinawa

Christian Junior College(41): 27-50

Issue Date

2013-02-28

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/11301

(2)

irJ1純キリスト教短期大学紀要第41 (2013)

由への読

」のための

践的研究

E

一 「平和へ の対話 を しで い る」言 語 教 育 プロジ、エク トー*

上 原 明

要 約

この数年、 子ども述・若者連が

r

1':1山」に生きる人間に育ちゆくための豊かな 「しでどうくる (育 つ場所

)

J

となりたいと願い、研究と教育実践を模索してきた。「平和主義的感性の育成

J

を通奏低音 に響かせた体系的な言語教育としての 「自由への読告,

J

では、子ども遥-若者逮が真に白律した自由 な人間へ育ちゆくための、成長段階に即した言語活動を提唱している。 現代におけるエネルギー問題や環境問題、基地問題、領土問題等、さまざまな3課題と向き合うには、 これまでのような多数決の論理に頼っていることはできない段階を迎えている。教育に携わる私たち の責任とは、 子ども遥-若者連のために、新たな教育思想に基づいた新たな教育笑践を始めることで はないだろうか。「自由への読占

Jという体系的な言

ー語教育で育みたいのは、理性と感性の調和のとれ た「美しい」パランス感覚である。そのような感覚を持った人々の創る社会では、平和文化が創造され、 今とこれからの生命の全てと共に生きるための持続可能な社会が実現されるだろう。 本稿は、上原2012に続き、実践的研究の第二段階として、 DVD教材「しでいるjの解説と 「平和 への対話をしでいる」 言語教育プロジェクトの実践報告から導き出される、「対話的思考」についての 臨床の知の再構築を試みるものである。

めに

小さな殻頂から始まった員の命が螺旋状に成長するように、豊かな言語 教 育 こ そ が 豊 か な 考 を 育 む と い う 教 育 観 を 殻 頂 と し て、「自由への読書」という体系的な言語 教 育 の 探 求 を 螺 旋 状 に行ってきた。多 く の 研 究 や 教 育 実 践 が、目的を決めて行為の手)11買を意識的に構成しながら為 されていく 「分 別 知Jに 即 し た も の で あ る の に 対 し、上 原

2

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7

か ら 始 め た 「自由へ の読 書

J

という一連の探求は、自発的な活動を行う自然な心 の状 態 か ら 生 み 出 さ れ て く る 「無 分 別 知

J

あるいは「直観知

J

に由来しているように思う。無 分 別 知 と は、ものごとを全体 の 結 び つ き の うちに思考する知性である。 [ひとつらなり

J

という認識力を深めながら、 こ の時代を生きる 教 育 者 と し て、 ま た 、 ひとりの人間としての責任や役割jを問う中で、内発的な気づきに促され て「自由への読書」という体系的な言語 教 育 が 生 み 出 さ れ て き た。 「平和主義 的 感 性 の 育 成

J

を通奏低音に響かせた体系的な言語 教 育 と し て の 「 自 由 へ の 読 書j で は、子ども達 ・若者達が真に自律した自由な人間へ育ちゆくことを願 い、成 長 段 階 に 即 し た 言語 活 動 を 提 唱 し て い る。その根幹にあるのは、パウロ ・フレイレの 「対 話 型 教 育 」 や M.チ ク セ ン ト ミ ハ イ の 「フ ロ ー 理 論I、シ ラ ー の 「 理 性 と 感 性 の 調 和 の と れ た 美 的 人 間 教 育jで あ

*

Action Research for且.Readingfor Freedom'.II

ー “LanguageEducation Project : IncubatingDialogue toward Peace..一

*

*

Akiko Uehara

門/

内 ノ

(3)

1'1'純キリスト教短期大学紀要第41号 (2013) る。それらの理論を経糸に張り、赤ちゃんから

2

1

歳頃までの成長段階に即した様々な言語 活 動を緯糸に通しながら「共感的想像力

J

と「批判的思考力」を育む魂の綾錦が織られるのであ る。子守唄やわらべうた遊び、民話の語りで「普」に浸された子ども達は、コトパの響きとリ ズムのための絵本の読み愛や群読、コロス劇削、和歌や琉歌の朗読を通して「美jに貫かれ、 神話的思考に包まれた自然科学をそまり口として、論理的思考を鍛えながら、「真jへと連なっ ていく。そのような言語教育のダイナミズムの中で、ゆっくりと螺旋を廻るように「自由

J

な 人間として育まれていくことが、理性と感性の調和を生むのである。 現代社会において様々な課題が迫ってくる中で、遠回りに思えても豊かな思考を育むための 言語教育を行うことから軸足がぶれないようにすることが、未来に対する私の責任であると思 っている。古代中国の賢人は、舌し世に翻弄される小国の問いに対して 「ひたすら善をなせ

J

と 答えた。たとえ国が一度は滅ぶことがあろうとも、真の教育が行われていれば、どんな状況に あっても自らの誇りと尊厳を失わない人聞が残り、再び国を興すこともできるというコ トパは、 私たちの行く道を照らしてくれる。 本稿は、上原

2

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1

2

に続き、実践的研究の第三段階として、

DVD

教材「しで、いる

J

の解説と 「平和への対話をしでいる

J

言語教育プロジ‘ェクトの実践報告から導き出される、「対話的思考

J

についての臨床の知注2の再構築を試みるものである。

1

.平和主義的感性の育成のための言語教育

平和主義的感性の育成のための言語教育を行うにあたり、私は「貝」をパートナーにしてい る。貝と私の関係は、単なるロマンチシズムやコレクターとしてのそれではなく、私の教育思 想、を具現化するものである。民塞思想家として知られている柳宗悦が、ウィリアム ・ブレイク を研究する宗教哲学 者として出発していることをご存知だろうか。プレイクの語る「表現の価 値とは、幼子のような作為のない自然な心から生み出されるものにあるjという思想を学び、 そこへ近づきたいと願っていた柳宗悦は、自分の思想を具体化して表現している民撃と出会い、 思想を深めるために入り込んでいったようである。そうした柳宗悦の姿勢について、人類学者 の中沢新ーは「どんなにすぐれた思想であっても、それが具体的な現実やモノとして、この世 に表現されることがなければ、たいした価値は持ちません。宗教思想家としての柳宗悦は、自 分の思想に具体的 ・物質的な表現をあたえる相手を探し求めていたのでしょう。

J

(中沢b

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p.l

6

4

)

と述べている。柳宗悦の民事は、私にとっての貝である。オガタザクラという美 しし、小さな淡紫の二枚貝との出会いは、まさしく 「我、貝を見る。貝、我を見る。j瞬間であ った。 貝を愛でることは、具体的に世界と関わることに通じる。センスオプワンダーから始まる平 和主義的感性は、買を手に取り、その文様やフォルムの美しさへの驚きと共に拓かれる。ひと つの貝との出会いが、子ども達 ・若者連を自然科学や宇宙の真理探究へと、環境問題や時代認 識へと導いてくれる。歌人の佐々木幸綱は、地球を愛すという抽象的なことはできないが、た ったひとつの草の名前を知ることで、具体的に地球を愛すことができるようになるのだと述べ、 それこそが、短歌を生み出す「愛でる

J

心の在り様だという。貝は、私の求める思想を具体的 に示してくれている。私が百のコトパを連ねるよりも、ひとつの美しい貝を手渡すことの方が、 学びの場を活き活きとさせてくれるだろう。貝はまさしく、 「地球からの命の手紙

J

である。

-

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(4)

-上原 「自由への読担 jのための実践的研究JI-f平和への対話をしで‘いる」言語教育プロジェク トー 子ども達 ・若者達との学びの場で、貝に託された命の手紙を一緒に読み解いていきたい。 平和主義的感性を育成するための言語教育で培いたいのは、理性と感性の調和のとれた美的 な人間としての成長と、他者や周りの環境を、命を、尊重できる感覚である。そのためには、 科学と芸術が融合した、神話的思考に照らされた学聞が必要であると考えている。神話を最古 の哲学と捉え、これからの社会のあり方への指針をもたらすものとして提唱している中沢(前 掲)は、新しい芸術的科学が生み出されねばならないということについて、以下のように述べ ている。 精霊の穴でおこっているトポロジカルな出来事を正確に表現できる数学や科学は、まだ出来上がって おりません。そこでいまのところはただ芸術だけが、人間の心の中のこの部分におこっている出来事に 注目して、それを直感的で非体系的なやり方で表現してきました。科学と芸術が結合して、新しい芸術 的科学が生みだきれなければならないのは、まさにこの地点においてなのです。科学は芸術と結びあわ ないかぎり、トーラス上の窓昧笑践として、パターンの反復に陥る危険性を免れることができないでし ょうし、現にそうなりつつある兆候をいたるところで発見できます。 (巾沢b2012p.l33) 平和主義的感性の育成のための言語教育に携わる教育者は、自然とヒトは「ひとつらなり

J

であるという認識を実感として持っておかねばならない。生物多様性と言語の多様性は相関関 係にあるといわれている。豊かな言語教育が豊かな思考を育むという観点からも、切実な問題 として、生物多様性を守ることの意味が明らかになってくる。これからますます、教育の場に は員や自然、の生命の力が必要となるだろう。 2. DVD

教材「しでいる

J

における臨床の知

平和主義的感性の育成のための言語教育を行うにあたり、上原

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では

r

r

気づき、学び、 行動する』という教育理念は、対話的思考が支えている。対話を生み出すためには、共同探 求者たらんとする教育者の自覚の下に設えられた教育環境と適正な教材が必要であるJ(よ原

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p

.

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)

と述べ、創作神話「クカル考jについて論考した。本業では、

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月に完成 した大学生向けの DVD教材「しでいるJについての解説を通して、対話を生み出すための教 材を制作することについて考えてみたい。 対話を生み出すための教材として、素人ながら DVD制作を手がけたのは、民族学者折口信 夫の、自らの思想を多角的な方法で示していく姿勢に共感したからである。平和主義的感性の 育成としての言語教育を豊かなものにするために、これまでのような授業形式、群読舞台、ワ ークショップに加えて、神話創作や短歌作り、さらには映像の分野へも自分自身の教育思想の 表現方法や実践方法を求めてみたいと考え、「しでいる」を制作することにした。 DVD教材'を制作するにあたり、本学の建学の精神でもある fPeaceMaker

J

というテーマ を学生達にどんな題材で伝えていくかという構想に半年以上を費やした。そんな中で起きた 2011年3月11日の大震災は、「今とこれからの生命の全てと共に生きる」ための教育と研究 への意識の変化と覚醒をもたらした。この時代の沖縄を生きる教育者として、学生達と「本当 の豊かさとは何か」という視点に立った対話をしたいと思った。それが、平和を創り出す者を 育てるひとつの方法ではないかと考えた。

-

2

9

(5)

-1'1'純キリスト教短期大学紀要第41号 (2013) 題材に選んだのは、沖縄の南部、八重瀬町にある、戦火を免れて残った「上江門家(うえじ ようけ)Jの築

1

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年余の伝統家屋の美しさと保存に関わる人々の志の高さであった。子ども 達の文化活動の拠点として伝統家屋の保存と活用のプロジェクトが始まり、「掠瓦基金」を創 設しようとしていた

NPO

法人うていーらみやの活動を、ドキュメンタリーとして撮影するこ とにしたのしかし、搬影が始まってしばらくすると、プロジ‘ェク トが中止となり、ドキュメン タリー撮影は行き詰まってしまった。これも何かの啓示であると捉え、第一部に、人間の叡智 の結晶である伝統家屋の映像と鼎談を配し、第二部では、自然とヒトとの共生を考えるための 題材として、辺野古基地建設で揺れる大浦湾という、世界でも稀有な生物多様性の豊かな海を 撮影することにした。 制作にあたり、大事にしたのは「美しい

J

映像と音楽、そしてコトパである。写真家で映像 作家の今泉真也氏と竹笛演奏家で、チェロ奏者でもある浦添春夫氏、わらべうた研究家であると 同時に数々の古民家再生に関わってきた田中美也子氏、貝類研究者の名和純氏に力添えを頂き、 「しでいる」が成った。瓦文化の保全に尽力なさっている大城孝仁氏と田端忠氏、大浦湾で平 和活動を展開している西平伸氏らの協力にも、言葉に尽くせないほど感謝している。 「しでいる」というタイトルは

J

生み出す、解化する」という琉球方言に由来する造語である。 。沖縄語辞典:[sidi=jun] Q)卵がかえる。解化する。 ②尚武の人が生誕する。お生まれになる。 ③いただく。頂戴する。身分の低い者が使う。 。奄美の琉歌:港笹草やシュクぬシデどころ アンマふところや わシデどころ (海の藻場l立、小さな魚の育つ場所、お母さんの懐は私の育つ場所 本よ原訳)

O

谷川健一「産屋考

J

(谷川2012 p.25): 人間の出産を動物の産卵と同じように見立てていたことは越中から東国にかけて、産屋を「巣」と 呼んでいたことからもうかがわれる。この語に対応するように南島では卵が鮮化することを「巣1+1るJ と呼んでいる。緋化した卵を「すでチ」、解化しない卵を「すも子」と呼ぶ地方もある。それからして 「すでる」という語は、蝦や慣や蛇が脱皮するぱあいも使用される。 奄美群島の喜界島や宮古の大事11島では一年の折り目にあたる節(しつ)の円には水をあびる。これ は本土の若水に相当する若返りの水で「すで水」と呼ばれている。こうした例カ、ら推して考えるとき に、,Qが卵から雛にかえって「巣jから出、または蛇や僚が甲羅を脱ぐことが生ま札返りであり、人 間も同級にして生まれるという観念があったことが分る。 「生み出す

J

というテーマを象徴する映像として、卵を抱くセグロアジサシと軒先瓦から滴 る雨の雫を印象的に差し込みながら、全体に様々な「生み出されるものJを散りばめて、観る 人の感性と響き合う作品に仕立てた。妥協することなく、芸術的な作品を作り上げることを目 指したのは、私の教育観の核に灯っているシラーの「美の朝焼けを潜らなければ、本当の真理 に達することはできない

J

というコトパを具現化したいと願ったからである。 上映にあたっては、極力、 上映会と対話会を対とした。(私の手を離れて個人やグループで 鑑賞する場合は、「しでいる」の芸術性とメッセージが対話へ誘ってくれていることを期待し ている。)教育の場のおける「しで、いるjの扱いについては、対話を生み出す教材としての特 性 上、映像鑑賞で完結するもので、はない。そのため、上映中に解説やメッセージ、時には朗読 を交えながら、共同探求的な場を設えて、鑑賞を行っている。

-

3

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(6)

-上原 「自由への読担」のための実践的研究JI-["平和への対話をしでいる」 言語教育プロジェクトー 2・1螺旋状の構成 (*閲 1~3 は、 名和純氏撮影による) 「しでいる

J

は、蝶旋状の構成で制作されている。蝶旋は、森羅万象の命を生み出す力を象 徴している。上原

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の創作神話 「クカル考jでは、森の王アカショウピンが海の主イトマ キボラと一体化してクカルとなる場面で、命の循環を蝶旋で表現した。 わたしはおまえに、おまえはわたしに、命の螺旋はめぐりめぐる 古い命の終わりに、新しい命の始まりがある、命の蝶旋はめぐりめぐる 沈黙の│剖に光さして、コトパを超えたコ トパが生まれる、命の螺旋はめぐりめぐる (上原 2012p.47) 螺旋や渦巻きという力動的な運動は、私の研究と実践に欠かすことのできない、創造する力 の表象である。 2・1・1螺旋と渦巻きについて [凶1 カイコの蝶旋] イモガイ科のクロモドキの打ち上げ貝。 取b心の│匝i転と、次第にiJ/i-くなってi飾を巻いて いく内部再構築のフォJレムがとても美しい。 古代の人々の叡智は、貝と蚕の内部空間を、 命を育む卵 (カイコ)だと考えた。 螺 旋 (helix)とは、三次元曲線の一種 で、回転しながら垂直方向へ上昇 す る 動 き を 持って いるカタチであり 、渦巻き (spiral)とは、二次元曲線で、回転しながら中心から外側へ拡がっ ていく動きを持っているカタチのことをいう。 そうした構造をイモガイ科のクロフモドキ注3の殻の内部にみることができる。特 に 揺 り 上 げ貝からは、螺旋の構造をよく観察することができる (図1)。員の殻は、付加成長に伴い大 きくなるが、種によっては、成長の途中で殻の一部を溶かし、再吸収という現象がみられるこ とが知られている。イモガイ科の員の再吸収は、殻の内部を大規模に再吸収するため、堺、層の 内部は紙のように薄くなっている。佐々木猛智の 『貝 類学jによると 「このように殻の内部を 再吸収してリフ ォ ー ム す る 成 長 様 式 は 内 部再構築とよばれている.殻 の 最 外層を厚くして内 部 を 再 吸 収 す る 形 態 は 殻 の 強 度 を 損 ね ることなく 内部の空間を効率的に利用できる意味が あると考えられる

_

J

(佐々木

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p.l

7

1

)

という。 可 l ム qJ

(7)

1'1'純キリスト教短期大学紀要第 41号 (2013) [凶2:殻1買の渦巻] イモガイ科のクロフモドキの貝盤 (殻頂)。 均整のとれた渦巻きの美しいフォルムは、占 来から、生命を象徴するものとして、 i様々な イマジネーションの源泉となった。 琉球から輸出された貝燃は、九州怖、ら北海道 まで広い地域の遺跡から出土している。 さらにまた、イモガイ科の貝の貝盤(殻頂)の渦巻きは、線が等間隔となるアルキメデスの 螺旋に近く、調ったリズムの美しさを感じることができる(図2)。規則的仁螺旋状に成長す る巻貝の殻は、対数蝶旋と等角蝶旋とよばれる図形で表現することができるといわれている。 佐々木(前掲)によると 「等角蝶旋にしたがう殻では,殻を螺旋の軸の方向からみた場合,螺 旋の中心と蝶旋の周縁上の点を結ぶ線と,その点での接線のなる角度がつねに一定である.多 くの貝殻は等角堺、旋にしたがって,一定の比率を保ちながら,相似形として成長する

.

J

(佐々木 2010 p.l21)という。 貝の美しい渦巻きや螺旋のフォルム、文様の全てが、芸術的にあるいは自然科学的に、そし て神話的思考に包まれた芸術的科学として、子ども達・若者逮のそれぞれの成長段階に閲るこ とは、彼らの魂の滋養となるだろう。 渦巻きについて、

R

シュタイナーの十二感覚論をホリスティック医療や教育英践に用いて いる医師のズスマンは、人間の腸の形状や耳のなかの蛸牛が渦巻きの形をしていることは、必 然、のことであると述べている。外界を内側に取り込み自分のものとして再構築するためには、 渦巻きの形でなければならないという。「腸の渦巻きは、そこで‘外の世界が終わること、そし てそこから独自の世界が築かれていくことを表しています。

J

(ズスマン2007p.l76)は、大 変 に興味深く、想像力が喚起されるコトパで‘ある。 古代の人々も、イモガイ科の貝の貝盤(殻頂)の渦巻きを力のあるもの、永遠を象徴するも のとして特別に扱っていることが、世界中の遺跡や文様の中にみることができる。植物や動物、 台風や銀河系に至るまで、力動的な運動である渦巻きや螺旋が、命の動きの形状となっている 不思議と、私たちは様々なシーンで出会うだろう。 中沢 (前掲)は、革命revolutionを、語源的にreは「元に戻る

J

、volutionは「巻き込む」 として分解し、「つねに源泉に立ち戻りながら、渦を巻くようにして外に進み出ていき、また 源泉に戻っていくという循環運動こそが、革命の原動力だJ(中沢

a

2007pp.48

-

4

9)と述べて いる。

r

自由への読書jという体系的な言語教育では、子ども達・若者達、教育に携わる人々 の内に、内発的な変革、revolutionを起こすことで、オルタナティブな思考を拓きたいと願っ ている。その教育実践のあり方は、目的へ向かつて急いで、進む線的な動きではなく、瞬、旋を廻 るようなゆっくりとした動きでありたい。 2・1・2

r

瀬嵩浜の物語

J

3つの物語と2つの詩の役割 <*テキスト全文は巻末資斜参照のこと) 「しで、いる」とは、「今とこれからの生命の全てと共に生きる

J

という持続可能な社会へのオ ルタナティブな思考を生み出すための、「平和主義的感性の育成

J

のための、教材である。制 η ノ 山 内 d d

(8)

上原 「自由への読担」のための実践的研究JI-["平和への対話をしでいる」言語教育プロジェクトー 作にあたっては、全くの素人であったため、映像作品制作に係るセオリーを無視して、私の手 がけてきた群読舞台やコロス劇の手法を用いるしかなかった。 私が手がける群読舞台やコロス劇は、舞台芸術としてのみ完結するものではない。芸術的創 造を用いた「平和主義的感性の育成」のための言語教育のひとつの試みである。そのため、舞 台は、フロー状態を潜るという大きな役割はあるが、真に大切な教育の賞味は、そこに向かう までのプロセスと、舞台という「美の朝焼け

J

を潜った後にシ生じる内発的に真理を求めて進 む力にあると考えている。 教育の場における芸術の役割について、

R

シュタイナーの 『教育芸術

J

の理論と実践に基づ いた「芸術治療」を行っているク リステラーのコトパを引用しておく。

R

シュタイナーの「教 育芸術」は、シラーの「理性と感性の調和のとれた美的人間教育jに通低するものであり、私 の教育観と水脈を同じくするものである。 私たちが問うているのは、世界を単に知るだけではなく愛することをも学ぶためには、どのように したらそのための感覚を育んでいくことができるか、ということです。そのためには、世界について 対象的に知ることLこはさほどの意味はなく、むしろ世界にじかに接して得られる体験が重要になりま す。そして、 芸術的行為こそが、世界に最も官接的に接することのできる行為としてあるのです。 (クリステラーl仰6p.79) [図3:回転する取h心] タケノコガイ科の一種の、 j~tli心と渦巻きが回転し ている様子がわかる揺り上げ貝。 l~h心の回転に合わせてリズムよく成長する巻貝の 数学的な美しさに驚嘆する。 私はこれまで、演じ手と観客の心が一体化することで、螺旋状に昇華するトポスとしての舞 台空間を創り出したいという挑戦をし続けてきた。そのための台本も、図

3

にイメージされる ような螺旋状の構成に設えである。メイン作品は回転しながら進行する軸心であり、その周り を挿入詩や挿入曲が渦巻き状に展開していくことで、全体が螺旋状の動的な舞台を意Ijり上げて いく。演じ手と観客は切り離されることなく 「ひとつらなり」になって、螺旋という「場」、 すなわち、ある種の巻貝のフォルムを形成していく。 谷川

l

健一は、「カイ」について以下のように記している。 すなわち、死から生への移行にあたっては昆虫のメタモルフォーゼがそうであるように外部からう かがい知ることを許さぬ繭ごもりを必要とし、密室の作業をおこなわなければならなかった。蚕の ほかに卵をも「カイコ

J

と呼ぶ例が与那国烏などにある。卵は「カイ」に包まれた子であり、繭の 中に入る蚕と同じである。物を蔽うものを「カイ」というのは貝、峡などに共通しているが、その 中でもっとも完全なものは卵である。 (谷)11b 2012 p p.27・28) 町 、 u qJ

(9)

1'1'純キリスト教短期大学紀要第41号 (2013) 演じ手と観客が 「ひとつらなりjとなり、螺旋のトポスを創りあげる舞台空間とは、カイで あり、繭であり、卵である。その場から生み出されるもの、「しでいる」ものは、命を守り育 む思考である。これが「平和主義的感性の育成

J

のための言語活動としての舞台の目指すもの である。「しでいる

J

には、この蝶旋の動きの手法を用いた。第一部、第二部が進行する力に、 渦巻きを起こす原動力として、「瀬古浜の物語」と詩のコトパを据えることLこより、作品に芸 術的創造性をもたらした。おそらく、そのように設えたことが、大学の授業で使う教材である ことを超えて、芸術的な映像作品として鑑賞・するに堪えられるものとなっているのではないだ ろうか。 「瀬嵩浜の物語jの3つの物語と2つの詩は、貝類研究者の名和純氏による、自然科学と芸 術の融合した新しい渚の神話ともいえる言語芸術であり、ネイチャーライテイング (環境文学) でもある。観客は、無音の場面の暗閣に浮かび上がる文字を読むことで、あるいは、朗読によ り場を共有することで、詩的なコトパのリズムと斡きを身の内に取り込んでいく。 (1)第一話「貝の帯

J

第一話には、大浦湾の環境と

i

頼白浜の打ち上げ貝の立かさに象徴される生物多様性が描かれ ている。併せて作られた詩は、映像作品を飛び出して、対話の時間に 「群読」として用いてい る。たくさんの打ち上げ貝の名前と 「しやらしやらしやらしやらjという汀に寄せる貝の音を リズム良く組み合わせた群読は、映像と対話を繋ぎ、プログラムの場と日常生活をも繋ぐ役目 を

f

旦ってくれている。 映像の最初に静かに無菅で始まるというしかけは、観客の心を集中させると同時に、オルタ ナティブな思考へと誘っていくだろう。 (2) 第二話「オガタザクラの旅

J

第三話には、世界中で瀬嵩浜にしか生息していないオガタザクラ創 という、 美しい小さな 淡紫の二枚員の、時空間を超えた生物史が描かれている。観る人の想像力を喚起するために、 映像の中に敢えてオガタザクラを査場させなかった。想像力の枯渇と企画化は、 言語の貧困を 生む。映像作品は、想像力に対して諸刃の剣である。美しい情景を見せることができると同時 に、見せすぎてしまうという功罪もある。豊かな言語教育のための映像教材とはどうあるべき か、オガタザクラを想像させることで表現してみた。 第二話と併せて作られた詩は、映像と文字を組み合わせることで作品に変化を与えている。 同じ内容を表現していても、散文とリズムあるコトパでは、心の動く部分が異なっていること を感じることができるだろう。多角的な方法で感性を揺さぶる豊かな言語教育の教材として、 理想的な部分となっている。

(

3)

第三話「貝の光

J

第三話は、

3

つの物語の中で、寓話的な要素の強い作品となっている。「人々は言う。昔、 この海を埋めて外国の基地が造られそうになった時代があったそうだよ

J

という基地問題への 回想は、希望の予言である。 第三話に、詩はない。その代わりに、ラスト

3

分間の波音とチェロの共演による探い眠想的 な時聞が、観客それぞれの心にそれぞれの詩を生み出すことだろう。 A 斗 A 内 d d

(10)

上原 「自由への読担」のための実践的研究JI-

1

平和への対話をしでいる」言語教育プロジェクトー 2-2内容解説 (*岡4-10は、今泉其也氏の撮影による) [凶4 しでいる] 大浦湾の平島で営巣するセグロアジサシ。 オーストラ1)アから渡ってくる美しい鳥。 沖縄の暑い円差しで卵の温度が上がらない ように日陰を作り、 l時々海で矛lを捕らして気 化熱で卵を守っている。 「しでいるjのテーマ「生み出す」を象徴す る写!!である。 「しで、いるjには全編を通じて、「生み出すjというメッセージを込めた映像と、沖縄の子守 唄が流れている。内容の流れとしては、人間の叡智の美しい結晶としての伝統家屋と人間の崩 れたバランス感覚が生み出した基地を対比させ、さらに大きな枠組みで、人聞社会と自然、を対 比させながら、ラストの波音とチェロの共演で、自然とヒトの美しい共生のあり方を表現した。

4

0

分の映傑作品に心を澄まして、ゆっくり螺旋を廻ることで、観る人の心に平和への対話が「し でいる」のではないだろうか。 沖縄応にはるか昔から続いてきた渚(瀬i'4浜せだけはま)と赤瓦 (上江門家うえじようけ)を未来に 受け継いでいくために、映像、コトパ、音楽を結晶化させた映像作品。観る人の完成を揺さぶり、平和 への対話が生み出されていくことを願って創られました。 (1しでいる

J

フライヤーより) (1)奏でる

I

みるく節

J

[図5:生まれ出づる雫] 軒先瓦から水滴が生まれる瞬間。 雨の雫は、ゆっくりと命が育まれていく卵 のようである。 大いなる平和へ速なる水J1帳のはじまりに 心を澄まして寄り添いたい。 「しで、いる」の最初の場面、軒先瓦から雨の雫が簾のように摘る場面に流れているのが、「み るく節」という沖縄の八重山地方に伝わる美しい調べである。これは、祭りやお祝いの場で歌 われる大事な命の寿ぎ歌である。わらべうた研究家の田中美也子氏の唄う「みるく節」は、本 当の豊かさへと観る者を誘ってし、く。 第三部の終わりでは、海に降る雨の場面が、「しでいるjの蝶旋を一巡して、再び軒:先瓦か ら雨の雫が生まれる瞬間の映像へ移る。そうして再び「みるく節jが奏でられるが、それはた くさんの人々が唄う「みるく節

J

である。ひとりから始まった歌が、 一滴の雨の雫から始まっ た水の流れが、共に生きることへ海への始まりであったことを表現している。 堺、旋を廻ることは、円環運動ではあるが、閉じてはいない。原点に戻りながらも止揚してい に u qJ

(11)

1'1'純キリス ト教短期大学紀要第41号 (2013) く運動であることを、最初と最後の「みるく節jと雨の雫で伝えたいと思った。 [みるく節] みるくゆゃいもちあすぱばんあすびうどうらばん うどうり うゆるしでいむぬ うゆるしでいむぬサンサン ・ みるくゆどう しるし とうかぐしぬゆあみかきぐしゃい みしより みゆぬ しるしみゆぬ しるしサンサン ・ (2)問いかける 「本当の豊かさとは

J

[図6:ゆらぎの響き] 上江門家の赤瓦。 何度も塗りこめた漆喰は厚みを結び、雨の Hには、苔の緑が鮮やかに輝く。 直線ではない瓦の組み方に、おばあちゃん 達の唄う子守唄の微分背の揺らぎのように 美しいリズムを感じることができる。 「戦後沖縄は豊かになったといわれています。でも、本当の豊かさつてなんだったんだろう

J

という問いかけは、「しでいる

J

全体に響いていく。この時代の沖縄にあって、子ども達 ・若 者達と何を学び合うのか。それは、

2

0

0

年後の人々にまで届けられる志や、真の豊かさへ向 か う感性を拓いていくことではないだろうか。赤瓦の美しさ、伝統家屋に込められた先人達の智 慧、世界に比類ないほどの生物多様性が豊かに4息づく自然、全てはすでに満たされてあるのだ ということを、子ども達 ・若者達と対話しながら、共に学び合っていきたい。 赤瓦の美しさを愛でること。沖縄の豊かな富に誇りを持つこと。呼吸する木造建築の空間の 心地よさを知っていること。黒い土から生まれる赤瓦の不思議、科学の面白さを感じること。 漆喰の色が、黄色から白へ、 風雨にさらされて黒くなり、やがて苔生した緑色へと変化するこ とを楽しめる心のゆとりを持つこと。雨粒のすだれをゆったり眺める時間を生きること。真 の 豊かさとは何か、共に考え続けたい。 (3)呼びかける iPeace Makerへ

J

r o

内 d d [図7:ひとつらなりの生命] 瀬出i兵に息づくヤドカリ逮。 はるかかなたの昔から続いてきた命の系脈 を私たちの時代の浅薄な考えで断ち切って しまってはならない。 ヤドカリの息づく I~I 然の諸は、 査かな森、 マングロープ、河川、海、ひとつらなりの 生命の象徴である。

(12)

上原 「自由への読担」のための実践的研究JI-["平和への対話をしでいる」言語教育プロジェクトー 全 て の 教 育 の 通 奏 低 音 に 「 平 和 主 義 的 感 性jが 響 い て い て 欲 し い と い う 教 育 観 を iPeace Makerへjと い う 詩 的 な コ ト パ に 結 晶 さ せ、「共に果てしのない夢を求めていきましょう」と 呼 び か け た。そ こ に は、富 津 賢 治 の 「 求 道 す で に 道 で あ る

J

という思想が流れている。Rシ ュタイナーは「果てしないものへの展望は、私 た ち に 積 極 的 な 態 度 で ど の 瞬 間 に も 乗 り 超 え て い こ う と い う 希 望 を 与 え て く れ る

J

(R.シュタイナー 2007p‘142)というの鳥 は、飛 び た い と 願ったから飛べたのだという神話を想う。 Peace Makerへ 「平和を創り出す者jを育てる学舎たりたいという 決して朽ち果てることのない目標へ向かつて 私 た ち は 今 ここにあります。 持続可能な社会を目指すために 今とこれからの生命のすべてと共に生きるために あなたと私たちにできること たとえば・ 世界の問題に目を向けて日々の生活をおくること いかなる暴力にも加担しない自分を選択すること 笑顔に思いやりをのせて今日を暮らしてみること -あなたなら? そんな11常生活の中にある「平和jを生きることが 一人ひとりが穏やかに暮らしていくことの述なりが 私たちの一歩先の「予利」にむかっているのだという 喜ばしい実感Lこつながるような行動の回路がもてますか? 「平和Jは不断の営みにおいてのみ 創り出されるのです。 共に 果てしのない夢を 求めていきましょう。 (4)しで‘いる 1

i

鼎談(ていだん)

J

[[:g18 ・ ill'~:Ill.の宮] 戦火を免れた築150年余の上江門家。 家はみんなで建てるもの、ヒトとヒトとの つながりを象徴するもの。 同時に、屋敷林や木造建築の中に息づく生 物多様性を守る場所でもある。 伝統家屋の件まいは、並かな 「沖縄の広J。 沖縄の南部、八重瀬町にある上江門家の屋敷林を背景に行われた鼎談では、伝 統 家 屋 の 保 全 や 再 生 に と ど ま ら ず、新しいソーシャルキャピタル(社会的資本)としての伝統家屋を建てよ うという、これからの社会へのオルタナティブな提案がなされている。9つ に区切られた鼎談 を貫くものは、伝統家屋の美しさとそれを生み出した人間の叡智の素晴らしさである。 η i qJ

(13)

1'1'純キリスト教短期大学紀要第41号 (2013) 鼎談に挟まれる伝統家屋の美しい映像や、そこに息づく命の映像を通して、先人達の叡智を 感じ取り、「沖縄の富

J

を学ぶ。そのことが、これからの自然とヒ トが共に生きる社会への智 慧を生み出し、私たちの進むべき道を照らしてくれるのではないだろうか。 lm/談内~l 01初│時悦「琉球の富

J

02よ江門家 (うえじようけ) 03タケブキ 04本米の姿 05軒先瓦 06

r

赤j瓦 07漆 喰 08伝統家屋 ω200年 後 ( 5) しで‘いる 2

r

息づき合う生命との響き合いj [図9:フローする瞳] アダンの根っこをなう子ども達。 自然の叡智と繋がった子ども遥の臨は、美 しく輝いている。 全ての子ども逮が学ぶ喜びに夢中になれる、 安心して「フローなj状態になれる環境を 設えること。それが私たちの役割。 沖縄の北部、名護市にある辺野古基地建設で揺れる大浦湾は、世界でも稀有な生物多様性の 豊かな海である。2011年 5月に撮影された映像には、オーストラリアから波ってきたセグロ アジサシの営巣する様子や、瀬嵩浜の貝の帯、平島での夢中になって遊ぶ子ども達の姿がみら れる。また、映像に合わせて編曲され、演奏されたチェロの音色は、水飛沫さえも命あるもの のように感じさせてくれる。チェロの深い斡きを通して、豊かな自然の命の雄弁なコ卜パが語 られる。 私は、子ども遥が夢中になってその場に繋がることのできる活動こそが、本当の意味で未来 に繋がる平和活動だと思っている。怒りや闘いに棋を持つ基地反対や自然保護運動とは別のア プローチとして、美しい自然に丸ごと身を委ねることが、平和主義的感性によるもうひとつの 課題解決の道筋になるのではないかと思うのである。正解はどこにもない。一人ひとりが、命 の声に耳を澄ませて、内発的な気づきに従いながら、為すべきことを為すだけである。 バイオリ←ジョナリズム (Bioregionalism)、生命地域主義とは、生態系を基礎として分割 された地域を生活の中心に据えることを提唱する、自然とヒ トとが共存するための思想である。 「しでいる」で表現した「ひとつらなり」という世界観は、この生命地域主義と通低している。 「ひとつらなりの渚。ひとつらなりの生命。ひとつらなりのココロ。」に、はるかかなたの昔か らはるかかなたの未来へといのちの光が灯されるのである。

-

3

8

(14)

-上 原 「自由への読担」のための実践的研究JI-["平和への対話をしでいる」 言語教育プロジェクトー

(

6

)

祈る 「波とチェロのハルモニア

J

[図10:平和への祈り] 渚の

J

1

砂に

J

古かれた貝の帯。 平和の祈りは、汀に寄する波のように何度 も何度もくりかえす。 共に生きること。対話すること。共感でき ること。沖縄のおだやかな海のように生命 を慈しむ心。自然を人を思いやる心。 はるかかなたの未来へ。共に生きょう。 「しでいる

J

のテーマ曲として、沖縄の八重山地方に伝わる美しい子守唄 「月ぬ美しゃ」の

3

つのヴァージョンが、浦添春夫氏によって奏でられる。特に、最後の

3

分間の波とチェロの 共演は、自然とヒトの叡智の共演である。この美しいハルモニアこそが、今とこれからの生命 の全てと共に生きる世界のあり方ではないだろうか。自己との深い対話を生み出すための膜想 の時間、祈りの時間の中で、「しで、いる」の螺旋が、観客の心に巻き移っていく。 平和な世界とはどんな世界だろうか。その問いに、私は、「お母さんが安心して子守唄を唄 える世界」であり、「子ども達が夢中で遊ぶことのできる世界

J

であると答えたい。

3

.

r

和への対話をしで

j言語教育プ

ジェク

による臨床の知

2

0

1

2

年度に行った大小様々なプロジェク トの中から、大学生対象のプロジェクトと教育者 を対象としたプロジ‘ェクトについて報告する。それぞれにどのような視点からの対話を生み出 したのか、発問とプログラム内容等を示しながら紹介したい。 本プロジェク卜については、これから

1

0

年かけて磨いていこうと考えている。 3-1大学生へのプロジェク卜 大学生へのプロジェクトは、「平和主義的感性の育成

J

という視点に立ったしかけを様々に 散りばめながら、

1

5

回の講義を通して行われ、最終日に、「しでいる」 を鑑賞 した。「しでいる

J

という作品を生成の「場」とするためには、そこへ向かうまで、の感性のチューニングのような ものが必要で、あると感じている。特に、刺激の強い環境で生きている学生達にとっては。『し でいる」鑑賞までの授業は、学生達の感度を高めていくための、「対話」への焦点を結ぶための、 大切なチューニングの時間であった。 鑑賞後、学生達は、スピ←チ原稿という形態で、これまでの講義で培った他者意識に基づく 自己表現としてのレポートを書く ことにより、自己内対話と同時に他者である教訓1と対話を行 った。私は提出されたレポー トを彼らの思考と対座するように読むことで、彼らの思考と対話 した。直接的に相互に働きかける対話でなくとも、お互いを親和的に意識し合うことにより、 ある種の対話的思考は育まれていくと考えている。 本節では、「しで、いる

J

鑑賞後のレポー トの記述について、

I

オルタナテイプな平和感への萌 芽

J

、「自文化への自覚

J

、「非戦教育に囚われた平和感

J

、「観念的な平和感の危うさ

J

の4つの ハ w . v qJ

(15)

1'1'純キリスト教短期大学紀要第41号 (2013) 視点から、分析を試みる。

>

r

日本語表現法」講義 (2012年度前期沖縄キリスト教学院大学・沖縄キリスト教短期大学) 発問:

r

平和を表現するとは

?

J

[対象者]プレゼンテーション実務士資絡取得学生(英語コミュニケーション学科・英諦科) [内 容]他者理解をベースにした自己表現の追求。 (1)オルタナティブな平和感の萌芽 01-04では、これまでの自分の平和感についての気づきや、平和感への新たな転闘が起き ている。特に02の「戦争とセッ ト」だったという自覚からは、平和についてのオルタナテイ ブな思考が始まったことが伺える。 01私は今までの自分の周りのせまい範囲でしか考えられていなかったので、このDVDを観て、私達・人 聞が自分たちが楽に便利に暮らせることや、経済的な利主義などを追求するあまり、自然や小さな生物の 命も奪ってしまっていたのだと、改めて考えさせられました。 02ほとんどの人が平和と戦争をセットにした考えを持っているかもしれませんが、夜、にとって戦争がない ことだけが平和だと思えません。色々な場所で自然が嬢され、建物が建てられたり、海を埋め立てする ことによって多くの生き物が絶滅したり、住む場所が無くなります。人間が多くの生き物の住みかを森 うことによって、安心・安全に暮らしていけない=平和ではないと思います。 03平和って何だろう。経済が発展して、h重用が生まれ、泣かな生活をすることではないような気がした。 04私達の今の暮らしや環境は本当に平和で幸せなのだろうかと、考えさせられました。

0

5

~ 12では、 「自然との共生

J

をキーワードとして、平和につながる自分自身の行動への 回答を導き出している。さらに、 10-12は、本学の建学の精神の fPeaceMaker

J

について の自分なりの考えを述べており、思考の受肉が起きつつある。 05世界がどう変わっていくのか、その変わり方を私i主が関ることでより世界を腕かせるブjへかえる事 がヰl、逮の出来る事だと思います。 06精神的に豊かになり、相手-を思いやる気持ちを持ち、協調することができれば、自然、と'f和になっ ていくものだと思いました 07平和とは、生きていくということそのものだと思いました。 08 i平和」というのは人間だけのものじゃない。円然や動物、植物、地球にあるすべてのものが共に 生きることができて初めて 「平和Jにつながっていくと思います。 09私は生き物が生活している生きている海のそばで子育てがしたいです。このように地球上のみんな が共存している状態が「平和Jだと考えるからです。

10 MakingPeace ができる rJ~の Peace Maker

J

となるために、常に様々な問題に目を向けながら、

平和な未来へ向けて進んでいきたいです。

11私たちは、本当に失つてはいけないモノがあるということを知り、その上で何をしないといけない

のかを、考えなければいけないと思いました。それが平和を創り出す人となる、第一歩なのかな。

12まずは身近なILJ分のまわりのrJ然、を思う存分に感じることから、PeaceMakerの第l歩になるんで

(16)

-上原 「自由への読担」のための実践的研究JI-["平和への対話をしでいる」言語教育プロジェクトー はないかと思います。

(

2

)

自 文 化 へ の 自 覚 13-19で は、沖 縄 の 「 瓦

J

や 「 自 然

J

の 映 像 に 触 れ る こ と で、自 文 化 へ の 自 覚、沖 縄 の 富 への気づ、きがみられるの沖 縄 に は 美 し い 叡 智と自 然 が 息 づ い て い る の だ と い う 誇 り は、彼 ら の 人 生への 希 望 と な る だ ろ う。 13 i中綿に生きている生命の力強さを!感じることができました。 14私達が作りあげた伝統の瓦は、今やとても主主重な守るべきものだと知り、鼎談で言っていたように ーから作りあげ2∞年後に残したいと思いました。 15観光則のijl'縄ではなく、私が暮らしている本来の沖縄はこれだと強〈感じることができました。 16昔の沖縄には温かい、豊かな粕柄引が、文化的に自然にあったような気がしました。 17沖縄にまだこういう人工的なモノじゃない、自然界からの贈物みたいな場・所があることに誇りを持 ちたいです。 18 ijl'縄の瓦屋根の家から比る外の渋色はとてもきれいで、今まで何とも思っていなかった白然の美し さというものについて考えさせられました。 19人工的なピーチは、確かに設備も整っていて、安全で安心だけど、そこには生物がいなかったり、 何だか殺風主計ーだと感じられます。なので、白然的だからこそ、ill'純の海は美しいんだと思いました。

2

0

-2

6

は、沖 縄 を 平 和 と 結 び つ け た トポ ス と 捉 え て い る。特 に、

2

3

の あ き ら め か ら 希 望へ の 意 識 の 変化は、注 目 し た い 記 述 で あ る 。 ま た、

2

4-

2

6

に は、自 分 の 生 き る 環 境への肯定!惑 が 強 く 現 れ て い る。こ れ は、自 己 肯 定 感、自 尊 感 情へと 繋 が る 平 和 主 義 的 感 性 を 育 む た め の 大 事 な 感 覚 である。 20映像を見て、i'!'t~nの仁l然が平和を表している!~じがしました。 21本来の沖縄を学び、伝えていくことが平和への共存に繋がると私は信じます。 22沖縄は平和を発信していかなければならない島だと思った。 23私にとって「平和Jに対する考えは、111サAが平和になってほしい。でもそれは莫大で、白分では どうする事もできないもの」というものでした。しかし、私がこの自然豊かでユニークな文化をも

71

1

'

純という品Lこ生まれたからこそもっと巡うところから平和をのぞき込んでいけるのではと感 じました。 24沖縄に生まれて、キリ学で、学んで本当に良かったと思いました! 25本当に711'縄人に生まれてこれてよかったし、もっと?q'縄らしさについて知っていきたいです。 26沖縄大好き !で終わるのではなく、一人ひとりがもっと、大好きながl'純をなくさない為にどうした らいいのか考えて、そんな人がひとりでも培えていけば答えの見えない対立なとはなくなってきて、 自然の中で、自然;と暮らせるような、本来の人聞の暮らしを少しでも取り戻せるのではないかと思 いました。 (3)非 戦 教 育 に 囚 わ れ た 平 和 感

0

1

-2

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に み ら れ る 「 自 然 、 と の 共 生 」 や 「 自 文 化への 肯 定 感

J

に よ る オJレ タ ナ テ イ プ な 平 和 可 l ム A 斗 &

(17)

1'1'純キリス ト教短期大学紀要第41号 (2013) 感に対して、

2

7

-30

には、「戦争jや「基地」と一対となった平和感、幼い頃からの非戦教 育に囚われた平和感がみられる。

3

0

では、瀬嵩浜の波音についての感性豊かな記述が見られ るが、やはり「基地

J

や「開発jというコトパがつきまとっている。 27この映像で感じた事は 「康しさJだった。3昔段の生活で自然を感じられる人は少なくなってきてい る今、私の身の回りの生活でも白然100%という場所はありません。基地の問題がどれだけ私たち の身近にあり、危険な出来事が起きてしまうという事を感じさせられました。私はもっと深く自 分たちのの品のためにアクションを小さい事から起していきたいと感じました。 28平和と聞くと自分違沖縄県民は、いろんな事を考えさせられ、これから私たちの子供の未来の為に 何か行動を起こし、過去にあった事と伝えなければならないと思います。今、また基地のf広大など により、自然がうばわれようとして、いろんな人や生き物遥の命がうばわれようとしています。こ れから私達は平和と向き合ぃ大事にしていかなければならないと思いました。 29戦争を無くせばいい、他国と仲良くすればいい、良く言われている事柄だけが「平和jではないと、 今回 「しでいる

J

を観て強く感じました。 30せだけ浜には、せだ、け浜だけの波の音があり、それは森やたくさんの生き物と一緒になって、かな でる背のように感じます。その波の背が基地や│刻発によって消えてほしくないし、波の音そのもの が私にとっての平和だと感じます。 (4)観念的な平和感の危うさ

3

1

の記述には、バーチャルな環境に取り巻かれている現代の若者が陥りやすい危うさを感 じる。異文化に対しての表面的なイメージと自文化への批判をベースにした「平和感」は、 見、論理的に見えるが、具体的には何にも繋がらない空虚で、幼い思考である。 31戦争がなくなった今でも、日本では公害やいじめなど、おだやかでない円常があるのも事実です。 経済が発展して、人々の暮らしが豊かになった日本よりも、車や屯気はなくても、向給自足の暮ら しをしている発展途上国の方が、平和なのかもしれません。インターネットのつながりがなくても、 村や家族の問で、深いつながりがあり、水道やガスがなくても、みんなで協力して、井戸まで且を 迩んだり、火をおこすのを助け合う。そんな暮らしがあるからです。 以上、4つの視点からレポートの記述を分析した。「平和への対話をしで、いる」言語教育プ ロジ.ェクトを潜った学生逮には、それぞれのレベルに応じた学びや気づきが起きているようで ある。対話型教育は、「気づき、学 び、行動する」という学びの螺旋のはじまりである。その 螺旋の途上で、再び彼らと出会うことを楽しみにしている。「平和を表現することjを共に探 求し続ける者として、私自身も学びを深めていきたい。 3・2教育者へのプロジェクト 教育者へのプロジェクトは、講演会やワークショップ形式で行われた。限られた時間内で参 加者に伝えたいこと、感じ取ってもらいたいことは、それぞれの教育の場における「対話する

J

意義である。 講演会やワークショップでの気づきが呼び水となり、参加された教育者の心の泉から懇々と

-

4

2

(18)

-上原 「自由への読担」のための実践的研究JI-

1

平和への対話をしでいる」 言語教育プロジェクトー 湧き出る清澄な水が、彼らと共に生きる子ども達 ・若者達に届くことを願っている。 く〉沖縄保育問題研究会主催 「第17回沖縄保育合同研究集会」基調講演 (2012.9.2) 発問:

r

育ちゆく子ども達のための豊かなしでどうくる(育つ場所)となるには

?

J

[対象者]保育・士、幼稚陸l教諭、学京保育指導員、教育関係者 [内 容

1

1.子守歌、わらべうた遊び、センスオブワンダー 2.1しでいるj鑑賞 3.

I

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:

の平稿リ 「線の平和

J

から f螺旋の平和」へ 平和主義的感性の育成のための、幼い子ども達に接する教育者への言語教育プロジェクトは、 「沖縄の富」 への気づきをテーマに設えた。「しで、いるjを鑑賞する前に、貝との出会いで心を 調えてから、子守歌やわらべうた遊びの中に息づく沖縄の自然に感性を拓いてもらった。途中、 機材のトラブルのため、かえって、これまでのよ映会よりもたくさんの対話ができ、特に、第 二部に移る前の機材トラブルにより、突発的に行ったわらべうたの群読は、大変に効果的な演 出となった。「ていんぬしちゃから うふなみ むちくーくー (天の下から大波もってこい)J という短いわらべうたを波のリズムで群読することで、第二部の海の命へ繋がる感性が拓かれ たようである。最後の

3

分間の波とチェロの共演では、深い自己内対話から涙ぐむ参加者もみ られ、幼い子ども達と日々過ごしている教育者の方々の感性の豊かさを感じた。 上映後に、再び、子守歌とわらべうた遊びを行ったが、参加者の心身がほぐれていて、よ り 親密な活動ができた。会場全体がひとつらなりの螺旋のトポスとなり、「平和

J

についての対 話ができるように感じたので、幼い子ども達への平和教育について話をすることで、参加者へ の「育ちゆく子ども達のための豊かなしでどうくるとなるには

?

J

という問いかけの締めくく りとした。 日本や沖縄では、非戦教育とセットになった「点の平和」の平和教育が主である。 [点の平和

J

とは過去に学び、過去の過ちを繰り返さないという平和観を育てることができる。とても大事 な平和教育であるが、未来を生きる子ども達のために、もうひとつの 「線の平和jの視点も必 要である。それは、「あなたは愛されている存在だ」ということを日常的に伝えていくことか ら始める平和教育である。子守歌やわらべうた遊びを楽しむことや自然、の渚で夢中になって遊 ぶこと、たくさんの命あるものと出会う機会そのものが、「線の平和

J

へと導いていく。 「点の平和」と「線の平和

J

について、コスタリカ研究家の足立力也は以下のように述べている。 「点の平和

J

とは、ある瞬間の例入や社会などの状態を切り取って、それを分析したものを指す。 (中略)一方、「線の平和jとは、人間や社会の思想!や行動、理念がどちらに向かっているかという方向 性:を考えるものだ。(中略)多くのコスタリカ人たちが自らを「平和主義だjと言い切るゆえんは、彼ら が常に平和を求めて 「動き続けている」という自負があるからだ。(中略)現状を分析するには、点の平 和の概念が役に立つ。社会の未来図を描くためには、線の平和の視点が欠かせない。 (足立b 20ω pp.l71.173) これから、[煮の平和

J

と 「線の平和」の両方の平和教育がなされていく ことを、「螺旋の平 和

J

と呼び、「平和への対話をしでいる

J

言語教育プロジ、エクトの要として、深めていきたい 町 、 . U A 性

(19)

1'1'純キリスト教短期大学紀要第41号 (2013) と考えている。 「自由への読書jという体系的な言語教育の始まりは、センスオプワンダーである。沖縄の 子守歌やわらべうた遊びには、沖縄の自然、の本質が息づき、沖縄の富が隠されている。子ども 達に子守歌を唄って欲しい。わらべうたで遊んで、欲しい。ヤドカリが息づき 、たくさんの貝 が 打ち上がる、砂浜を掘ると水が湧く、そんな自然の浜を訪れて欲しいの子ども達の魂の椴養に なるものは、命あるものしかないのだと確信できれば、自ずから、子ども達への接し方や与え るべきものと遠ざけるべきものが見えてくるはずである。それが、幼い子ども達への平和主義 的感性の育成のための言語教育である。育ちゆく子ども達のための豊かな「しでどうくる(育 つ場所)Jとなることを求め続ける仲間がいることは、未来へ繋がる希望である。

4.

r

対話的思考j

ついての考

2

0

1

1

1

0

月に島根キリス ト教愛真高校で、最初の「平和への対話をしでいるj言語教育プ ロジ、エクトを行った。内村鑑三に学ぶ無教会主義の教義によって建てられた山間の全寮制の高 校で、2泊3日の旅程のうち、丸々一日の生活を共に過ごしながら、全校生徒と教職員合わせ て約

6

0

名と行った清々しい対話の時間を想うとき、 「対話」とは「斡き合い」であることを確 信する。午後に行った授業では、沖縄の大嶺海岸の広大な干潟のエコ トーン出の美しい映像 をみながら、経済振興と環境保全について問題を提起した後、参加者全員で新井満訳 「イマジ ン

J

の 「所有

J

の部分を群読することで、平和主義的感性による課題解決への気づきを促した。 その夜の語らいの時間では、車座に腰掛けて、「平和

J

についての活発な対話が繰り広げられ た。真剣な高校生の問いかけに、こちらも真剣に応じていくうちに、教える ・教わるという関 係を超えて、お互いが、「平和

J

に向かう共同探求者となっていった。パウロ・フレイレのいう、 対話型教育を実感した瞬間であった。対話的思考が、参加者に「平和」についての内発的な気 づきや変革を起こしたのである。 この奇跡的な 「対 話

J

は、理想的な教育環境が実現させたものである。残念ながら、多くの 教育の場においては、共同探求者として実際に 「対話

J

をすることは難しいのが実情である。 しかし、実際の 「対 話jの場が持てない場合でも、対話的思考の意義を教育者が確信している なら、必ず対話型教育への道は拓けていくと思っている。その工夫のひとつが、「発問

J

である。 発問とは、相手に対して、継続的で発展的な思考を促す問いかけのことである。教育者の役割 は、ひとえに、よい発聞ができるかにかかっていると言ってもよいだろう。発問こそが、対話 的思考の種である。発聞は、直接的なコトパによる場合だけではなく、美しい貝殻であったり、 一片の詩であってもいい。大げさではあるが、教育者の理性と感性のバランス感覚による世界 との対峠の姿勢、生き方の全てが、教育の場における発問へと結晶するといってもいいだろう。 ひとつの発聞が、漣のように相手の人生の全領域にまで、広がっていくこともある。対話型教育 を志す教育者としての発問の立任の重さはそのまま、やりがいの大きさでもある。発問を受け て、自分自身との対話が始まることが対話的思考の始まりである。直接的な対話という形式で なくとも、内発的な気づきや自己との対話を生み出せれば「平和への対話をしでいる」言語教 育プロジェク トの目的を達成したと考えている。 「自由への読書

J

という体系的な言語教育における全ての段階で、教育に携わる者に求めら れるのは、対話的思考を育む場を調えることである。上原

2

0

日 で、真に他者と出会い共に生

-

4

4

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-上原 「自由への読担」のための実践的研究JI-["平和への対話をしでいる」 言語教育プロジェクトー きるという、他者理解の力を育むために提唱した 「読み愛j という概念は、平和主義的感性を 育成するための必須の概念であり、対話的思考を育むための概念でもある。「あなたにjでは なく「あなたと」という心の在り方を示す 「読み愛」は、子守歌やわらべうた遊びから始まり、 論理的思考力の育成に至るまで、自ら育ちゆく子ども達・若者達の「しでどう くる (育つ場所)J を支える教育哲学であると考えるの 全ての教育の場に対話的思考を求めたい。フロー状態で夢中で対話のできる教育環境を守り たい。 学ぶ喜びの中で、子ども達・若者達は、理性と感性の調和が保たれ、真に自律した自由 な人間へと育ちゆくのである。それこそが、今とこれからの生命の全てと共に生きる持続可能 な社会へと、まことの幸いへと、私たちを導くための光となるだろう。

おわりに

現代におけるエネルギー問題や環境問題、基地問題、領土問題等、さまざまな課題と向き合 うには、これまでのような多数決の論理に頼っていることはできない段階を迎えている。教 育 に携わる私たちの責任とは、子ども達 ・若者逮のために、新たな教育思想、に基づいた新たな教 育実践を始めることではないだろうか。「自由への読書jという体系的な言 語教育で育みたい のは、理性と感性の調和のとれた 「美しい」バランス感覚である。そのような感覚を持った人々 の創る社会では、平和文化が創造され、今とこれからの生命の全てと共に生きるための持続可 能な社会が実現されるだろう。 この数年、子ども達 ・若者達が、「自由」に生きる人間に育ちゅくための豊かな「しでどう くる (育つ場所)J となりたいと願い、言語教育に軸足を据えて継続した研究・教育実践を模 索してきた。次回、実践的研究の最終稿では、

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教育

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ひとつらなり

J

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対話的思考

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神 話的思考

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科学と芸術の融合jというキーワードに基づく「持続可能な社会のための希望と しての言語教育」についての報告を行う。 「自由への読書

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は、 ヘルマン ・へッセの 「コザラス王遊戯」という論理的思考の芸術的表現 のように、ただひたすらに何事かを求めて究めていくだけの無為な行為にも思える。しかし、 このジェネラリスト的な探求が、自然とヒトが共生できる社会へ向かうための、そして、この 閉塞感の漂う時代を生きる子ども達 ・若者達のために、オルタナティプな思考を拓くための光 になるやもしれぬとの希望を灯して、はるけき道をゆっくり進むしかない。 マハ トマ ・ガンジーの

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wall王alone-ひとりで歩め」というコ トパは、「ひとりでもやる

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という内発的な力を期待したコトパではなかっただろうか。言語学者の仲宗根政善は 「くンち りミち一〈踏みわけで進む道

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という意味深い琉球方言を伝えてくれている。ひとりでもやる、 ひとりから始める決意をした我と我が集って、我々となり、大きなうねりを生じていくのであ る。この一連の探求は、何度も原点に戻りながら、ゆっくりと拡がっていく螺旋のような探求 であり、まことの幸いへ連なる祈りでありたい。 [注記] 1 :コロス劇とは、上原による造語。 朗読のひとつの形態である 「群 読jを場面展開や挿入劇、 舞台のしつらえ等を用いて、重芸術的に展開させた舞台のこと。「朗読庫

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や 「群読劇」 より も演劇的要素が濃くなっている。 に U A 斗 &

参照

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