清代志怪小説の形成について
著者
田中 智幸
雑誌名
鶴見大学紀要. 第1部, 日本語・日本文学編
号
57
ページ
747-781
発行年
2020-03
URL
http://doi.org/10.24791/00000888
Creative Commons : 表示 http://creativecommons.org/licenses/by/3.0/deed.ja清代志怪小説の形成について 七四七
清代志怪小説の形成について
田
中
智
幸
はじめに
志怪小説の特徴として、一篇の骨子を成す怪異譚とよく似た話が他書にも見える事がある。しかし、その怪異譚は 説話の単なる重複ではなく、従来の説話をもとに、更に新たな物語性が付加された全く別の作品となって存在してい る。 と り わ け 清 代 の 志 怪 小 説 に は こ の 傾 向 が 顕 著 で、 そ こ に は『 捜 神 記 』『 捜 神 後 記 』 以 来 の 六 朝 志 怪 を は じ め と す る説話を材料にして、新たな志怪小説を模索し創造しようとする作者の著作態度が伺える。記録文学としての伝承を 担うという、志怪小説本来の使命から意図的に逸脱を図る姿勢に対しては、蒲松齢の『聊斎志異』が世に出ると、早 くも紀昀によって批判がなされた。 『閲微草堂筆記』 「姑妄聴之」に載せられた盛時彦の 跋 (注 1 ) 文 には「先生、嘗て曰く『聊斎志異』は一時に盛行す。然れ ども才子の筆にして著書者の筆に非ず。虞初以下、干宝以上、古書多く佚す。其の見る可き完帙は、劉敬叔『異苑』 、 陶 潜『 続 捜 神 記 』 は 小 説 の 類 な り。 『 飛 燕 外 伝 』『 会 真 記 』 は 伝 記 の 類 な り。 『 太 平 広 記 』 は 事 ご と に 類 を 以 て 聚 む。 故 に 併 び 収 む 可 し。 今、 一 書 に し て 二 体 を 兼 ぬ。 未 だ 解 せ ざ る 所 な り 」 と 記 さ れ て い る。 『 聊 斎 志 異 』 は 才 子 の 筆 に七四八 成 る 創 作 で あ っ て、 国 家 が 責 任 を も っ て 保 存 す べ き 著 作 と は 認 め ら れ な い と、 明 確 に 区 別 す る の が 紀 昀 の 立 場 で あ り、前野 直 (注 2 ) 彬氏 は「尋常の怪異談とは違う独自の小説的世界を構築しているところに『聊斎志異』の特質がある」と 指摘している。卑見によれば、清代の志怪小説におけるこのような潮流は、 『聊斎志異』のみならず、 『閲微草堂筆記』 『子不語』 『諧鐸』等にも当てはまると思われる。小論では、この問題を検証すべく、清代を代表するこれらの志怪小 説の中から、その典型例と思われる作品を手がかりに、清代志怪小説がどのような資料をもとにして書かれ、如何に して形成されたか、検討してみたい。
一
『諧鐸』の著者、沈起鳳、字は桐威。 薲 漁または紅心詞客と号した。喬雨舟の『諧鐸』 「校点 後 (注 3 ) 記 」に拠れば、乾隆 六 年( 一 七 四 一 ~?) 江 蘇 呉 県( 今 の 蘇 州 ) の 人。 生 平 の 事 跡 を 伝 え る 資 料 は 乏 し い。 二 十 八 歳 で 挙 人 と な っ た が、 そ の 後 会 試 に 何 度 挑 む も 及 第 せ ず、 安 徽 省 祁 門 県 の 県 学 の 教 官 と な っ た。 売 文 と 幕 僚 と な る こ と で 生 計 を 立 て た が、 窮困潦倒の生涯であった。卒年は不詳であるが、乾隆五十九年(一七九四)に著した『周次岳公八旬寿序』と『馬太 君寿序』とによれば、乾隆の末年にはまだ在世していたことが分かる。蒋瑞藻の『小説考証』巻七に引く『青灯軒快 譚 』 に は「 諧 鐸 一 書、 聊 斎 以 外、 罕 有 匹 者 」 と あ る。 魯 迅 の『 中 国 小 説 史 略 』 に は、 『 聊 斎 志 異 』 を 手 本 と し た も の と し て 呉 門 の 沈 起 鳳 が 書 い た『 諧 鐸 』 十 巻( 乾 隆 五 十 六 年 序 ) を 挙 げ、 「 意 味 内 容 が 滑 稽 に 過 ぎ て、 文 章 も 繊 細 す ぎ る」という簡単な記述が見えるのみである。 『 諧 鐸 』 が『 聊 斎 志 異 』 を 手 本 と し て 書 か れ た と い う 魯 迅 の 指 摘 は 確 か で、 そ れ は 本 書 を 別 名『 新 聊 斎 』 と 称 し た清代志怪小説の形成について 七四九 ように蒲松齢に私淑していた事が伺えるが、さらに沈起鳳は『聊斎志異』以外の書についても参考に成書したと思わ れる。本項では、この筆者の推測を裏付ける典型的な作品として『諧鐸』の中から巻一「虎痴」を取り上げ、この作 品が具体的にどのような資料に基づいて書かれたものであるか、検討を試みる。最初に『諧鐸』巻一「虎痴」と「虎 痴 」 を 執 筆 す る に 際 し て 参 考 に し た と 考 え ら れ る『 聊 斎 志 異 』 巻 六「 向 杲 」 の 全 文 を 掲 げ る。 読 み 易 さ に 配 慮 し て、 資料は適宜段落分けを行っている。 秦 川 の 女 子、 霍 小 媖 は 殊 色 有 り。 父、 豪 右 の 某 と 田 界 を 争 ひ、 他 事 を 以 て 諸 官 に 誣 し ひ ら れ、 竟 に 獄 に 斃 る。 母、 痛哭して曰く、家に男子無し。誰か父の復仇者と為る者ぞ。恐るらくは白骨冤埋し、終に千秋黒獄と作らんこと を、と。 女 むすめ 、涕を含みて進みて曰く、児、不肖にして髫齢稚歯、趙家の娥と作る能はず。仇人を得て之を殺す者 有 れ ば、 児、 願 は く は 箕 箒 を 執 り て 之 に 事 へ ん、 と。 母、 其 の 誠 に 鑑 み、 日 々 其 の 言 を 以 て 諸 を 西 山 の 麓 に 祷 る。 一 日、 某、 県 令 の 寿 を 祝 い に 入 城 す る に、 路、 西 山 に 出 づ れ ば、 虎、 前 に 突 起 し 喉 を 噛 み て 斃 す を 聞 く。 母・ 女、方に手を額にして慶ぶ。忽ち一虎、尾を曳きて来たり、徑に堂上に登る。母女、色を変じ却き走る。虎、徘 徊瞻眺し、殊に悪意無し。母、扉を闔して語りて曰く、今日、某を道に殺す者は、汝に非ざるか、と。虎、之に 頷く。母曰く、君の義に仗り、我が 前 さき の仇を雪ぐを蒙る。㷀㷀たる母女、定めて当に香花頂礼し、用て大徳に酬 ゆべし。未だ識らず、降臨玉趾するは、意、何為せんと欲する、と。虎、目を怒らせて視ること、其の約を 爽 たが ふ る者を憎むに似たり。母曰く、汝、我れを食言すると 以 おも ふか、と。 息壤は彼に在り、本より宜しく敬みて幼女を将つて侍して裳衣を奉ずべし。但だ起居寝食は、彼此れ道殊にす。 安くんぞ竟に伉儷を成すを得ん。況んや我が年、桑楡に近く、家に蘭玉無し。方に倚婿を将て活を為さんとす。
七五〇 汝、地下人の為に怨みに報ゆるも、独り未亡人の為に徳を施さざるか。謹しんで衷曲を陳ぶ。 乞 こ ふ、衿全を賜は らんことを、と。 虎、 其 の 語 を 聞 く や、 神 凋 へ 気 喪 ひ、 頭 を 垂 れ 出 で ん と 欲 す。 而 れ ど も、 一 歩 に 九 顧 し て 依 依 と し て 舎 か ず。 女、 慷 慨 し て 前 み て 曰 く、 君、 且 しばら く 住 とど ま れ。 妾 に 一 言 有 り。 幸 こひねが は く は 明 听 を 垂 れ ん。 妾、 前 に 身 を 以 て 相 ひ 許 す、 と。 豈 に 敢 へ て 昧 心 せ ん や。 想 ふ に、 衾 裯 の 共 に す る、 君 亦 た 其 の 不 可 な る を 知 る。 如 し 旧 約 を 忘 れ ざ れ ば、当に一室を掃除し、君と終身相ひ守り、夫婦の名を存するは可なり、と。 虎、首肯すること再三、欣然として嘉納す。女、乃ち虎を導き帷に入れ、菟裘を綉榻の旁に営む。食は則ち牢を 同 とも にし、居は則ち室を同にす。女、晨に起き粧を理むれば、虎、必ず身を奩次に潜め、目を側めて偸み窺ふ。夜 は女の装を卸し、床に登り、就寝するを俟ち、始めて床下に伏すも、竟夕寐ねず。鼾声を以て其の清夢を擾すを 恐るるなり。時に甘旨の給せざる有れば、則ち鹿脯を 銜 ふく み以て進む。小恙を抱く 或 あ れば、焦思噪急し、室内を盤 旋すること停趾する無し。病癒ゆれば、始めて歓び躍ること初めの如し。 女、習ひ以て常と為す。而れども、母氏、年 邁 ゆ き依る無きに因り、時に女の失計を咎めて、虎を遇する礼貌も亦 た衰えたり。虎、一夕、竟に去る。母、婿を擇ぶを為さんと欲す。女曰く、徳に背けば不祥なり。恩に負けば福 に非ず。況んや女子の心を以て人に許すをや。豈に必ずしも形骸の論を作さんや、と。執りて 允 ゆる さず。後、女郁 疾を以て死す。屍を堂上に停む。虎、忽ち嘷哭して来たり、泪下ること雨の如し。送殮する者、皆な之を見る。 継いで玉を祖塋の側に埋む。虎、一日に巡視すること三たびす。春秋の令節には輒ち山果を 銜 くは へて以て 奠 まつ る。三 載を越ゆること一日の如し。母は貧乏にして自活すること能はず。虎、猶ほ日々、山獐・野兔を取りて其の家に 恤 あは れみを存すると云ふ。 (『諧鐸』巻一「虎痴」 )
清代志怪小説の形成について 七五一 向杲、字は初旦、太原の人なり。庶兄の晟と最も敦き友たり。晟、一妓と狎る。名は波斯。割臂の盟有り。其の 母 の 直 あたひ を 取 る に 奢 る を 以 て、 約 す 所 は 遂 げ ず。 適 々 其 の 母、 良 に 従 は ん と 欲 し、 願 ふ に 先 ず 波 斯 を 遣 ら ん と す。 荘公子といふ者有り。素より波斯に善し。贖ひて妾と為さんと請ふ。波斯、母に謂ひて曰く、既に 同 とも に水火を離 れんと願ふ。是れ地獄を出でて天堂に登らんと欲するなり。若し妾、之に はし れば、相ひ去ること幾何ぞ。肯へて 奴の志に従へば、向生其れ可なり、と。母、之を諾し、意を以て晟に達す。時に晟は偶を喪ひ、未だ婚せず。喜 び、貲を竭くし波斯を聘き以て帰す。 荘、 聞 き、 好 む 所 を 奪 は る る を 怒 り、 途 中 偶 々 逢 へ ば、 大 い に 詬 罵 を 加 ふ。 晟、 服 せ ざ れ ば、 遂 に 従 人 を 嗾 そそのか し、 折 箠 も て 之 を 笞 う つ。 斃 る る に 垂 ん と し、 乃 ち 去 る。 杲、 聞 き て 奔 り 視 れ ば、 則 ち 兄 は 已 に 死 す。 哀 憤 に 勝 へ ず。 具 に 郡 に 赴 く に 造 いた る。 荘、 広 く 賄 賂 を 行 ひ、 其 の 理 を し て 伸 ぶ る を 得 ざ ら し む。 杲、 忿 を 隠 し て 中 に 結 ぶ も、控訴す可き莫し。惟だ路に荘を刺殺せんことを要めんと思ふのみ。日々利刃を懐き、山径の 莽 くさむら に伏す。久し く し て、 機 漸 く 洩 おこ る。 荘、 其 の 謀 を 知 り、 出 づ れ ば 則 ち 備 へ を 戒 し む る こ と 甚 だ 厳 な り。 汾 州 に 焦 桐 な る 者 有 り、勇にして善く射るを聞き、多金を以て聘き衛りと為す。杲、施す可きを計る無し。然れども、猶ほ日々之を 伺ふ。 一日、方に伏すに、雨暴かに作り、上下沾濡し、寒さと戦ふこと、頗る 苦 はなは だし。既にして烈風四塞し、氷雹継い で至り、身は忽然として痛癢すら復た覚ゆる能はず。嶺上に旧より山神の祠有り。強いて起ち、奔り赴く。既に 廟に入れば、則ち識る所の道士内に在り。是に先だち、道士嘗て行きて村中に乞ふ。杲、輒ち之に飯せしむ。道 士、 故 を 以 て 杲 を 識 る。 杲 の 衣 服 の 濡 れ 湿 る を 見、 乃 ち 布 袍 を 以 て 之 に 授 け て 曰 く、 姑 く 此 に 易 へ よ、 と。 杲、 衣を易へ、凍ゆるを忍び、蹲ること犬の若くす。自ら視れば則ち毛革頓に生じ、身は化して虎と為る。道士は已
七五二 に在る所を失ふ。心中、驚き恨む。転じて念ず。仇人を得て其の肉を食らふは、計るに亦た良得なり、と。山を 下り旧処に伏す。己の屍は叢莽の中に臥るるを見、始めて前身の已に死するを悟るも、猶ほ鳥鳶に葬らるるを恐 る。時時に 邏 めぐ りて之を守る。 越日、荘、始めて此を経。虎、暴かに出で、馬上に於て荘を撲ち落とし、其の首を齕み之を 咽 の む。焦桐、馬を返 して射れば、虎の腹に中つ。蹙然として遂に斃る。杲、錯楚の中に在り。恍として夢より醒むるが若し。又た宵 を経て始めて能く行歩し、厭厭として以て帰る。家人、其の連夕返らざるを以て、方に共に駭き疑ふも、之を見 て喜び相ひ慰問す。杲は但だ臥し、蹇渋して語る能はず。少間くして荘の信を聞き、争って牀頭に即き、慶びて 之に告ぐ。杲、乃ち自ら言ふ、虎は即ち我なり、と。 (『聊斎志異』巻六「向杲」 ) 『 諧 鐸 』 巻 一「 虎 痴 」 は、 霍 小 媖 と い う 女 性 の 父 親 が、 豪 族 の 某 と 田 畑 の 境 界 線 に つ い て 争 い を 起 こ す が、 別 件 で 濡れ衣を着せられたまま獄中で無念の死を遂げた。母と娘は父の仇討ちを悲願とし、代わりに無念を晴らしてくれた 者には奉公人となって仕える旨を西山の麓に祈った。するとある日、西山を通りかかった某に虎が襲いかかり、某を 噛み殺したのだった。 母と娘が額に手を当てて喜び合っているところへ突然虎が現われ、約束を迫るかの風情であった。虎と連れ添わざ るを得なくなった霍小媖はしぶしぶ同居を始めた。やがて霍小媖が病で亡くなると、虎は悲しげに咆哮しながら雨の ように涙を流し、一日に三度も墓の見回りをした。また、母親が貧乏で生活が立ち行かなくなると、虎は毎日、鹿や 野兎を獲って来たが、それはまるで生活の足しにしようとするかのようであったという。 以 上 は「 虎 痴 」 の 簡 単 な あ ら す じ で あ る が、 前 半 部 の 内 容 は、 今 示 し た『 聊 斎 志 異 』 巻 六「 向 杲 」 と よ く 似 て い る。すなわち、兄を撲殺された向杲が、荘公子という無法者を役所に訴え出たが、荘公子は賄賂によって役人を買収
清代志怪小説の形成について 七五三 したため控訴できなかった。それでもなお兄の怨みを晴らすべく、毎日、利刃を懐にして山中に身を潜め、荘公子を 待ち伏せしていると、道士の術によってその身は虎となり、遂に宿敵荘公子を噛み殺した。その時、護衛として雇わ れていた焦桐の放った矢によって虎は息絶えるが、やがて息を吹き返し、向杲は家に帰ることができた、というのが 「向杲」の内容だからである。 と こ ろ で『 諧 鐸 』「 虎 痴 」 は そ の 主 題 の ご と く、 虎 が 人 間 の 娘 に 恋 を し、 娘 に 代 わ っ て 仇 討 ち を す る と い う、 極 め て 奇 異 な 内 容 と な っ て い る こ と は い ま 見 て き た 通 り で あ る が、 動 物 が 人 間 の 娘 に 恋 を す る と い う 趣 旨 の 話 は「 虎 痴 」 独自のものではなく、古く『捜神記』巻十四に二箇条見えている。いま、該当箇所のみ次に掲げる。 時に戎呉、強盛にして数々辺境を侵す。将を遣り征討するも擒勝すること能はず。乃ち天下に募り、能く戎呉の 将軍の首を得る者は、金千斤に購ひ、邑万戸に封じ、又た賜るに少女を以てせん、と。後、盤瓠の一頭を銜み得 て 将 に 王 闕 に 造 いた ら ん と す。 王、 之 を 診 視 す れ ば、 即 ち 是 れ 戎 呉 な り。 之 が 為 に 奈 何 ん せ ん、 と。 群 臣 皆 な 曰 く、 盤瓠は是れ畜なり。官秩す可からず。又た妻す可からず。功有りと雖も施す無きなり、と。少女、之を聞き、王 に啓して曰く、大王既に我れを以て天下に許す。盤瓠は首を銜みて来り、国の為に害を除く。此れ天命の然らし むるなり。豈に狗の智力ならんや。王者は言を重んじ、伯者は信を重んず。子女の微躯を以て明約を天下に負く 可からず。国の禍なり。王、懼れて之に従ふ。 (『捜神記』巻十四) 旧説に、太古の時、大人有りて遠征す。家に余人無く、唯だ一女・牡馬一疋有るのみ。女、親ら之を養ふ。窮居 幽 処 し、 其 の 父 を 思 念 し、 乃 ち 馬 に 戯 れ て 曰 く、 爾、 能 く 我 が 為 に 父 を 迎 へ 得 て 還 れ ば、 吾 れ は 将 に 汝 に 嫁 せ ん、と。馬、既に此の言を承け、乃ち韁を絶ちて去り、徑に父の所に至る。父、馬を見て驚喜し、因りて取りて 之に乗る。馬、自ら来たる所を望み、悲鳴して已まず。父曰く、此の馬、事無くして此くの如し。我が家、故有
七五四 ること無きを得んや、と。亟に乗り、以て帰る。畜生の非常の情有りと為し、故に厚く芻養を加ふ。馬、肯へて 食らはず。女の出入を見る毎に、輒ち喜怒奮撃す。此の如くすること一に非ず。父、之を怪しみ、密かに以て女 に問ふ。女、具に以て父に告ぐ、必ず是の故が為なり、と。父曰く、言ふこと勿れ。家門を辱かしめんことを恐 る。且つ、出入すること莫れ、と。是に於て弩を伏し、射て之を殺し、皮を庭に暴す。 (『捜神記』巻十四) 右 に 示 し た『 捜 神 記 』 の 二 箇 条 の 記 事 を 一 読 す れ ば、 人 間 に 恋 を す る と い う『 諧 鐸 』「 虎 痴 」 の 虎 の 話 は、 王( 高 辛氏)の姫に恋した犬の盤瓠や、大人の娘に恋した馬の話に着想を得たことは明らかであろう。さらに「虎痴」の虎 が理不尽な死を遂げた家族の仇討ちをするというのは、既に見た『聊斎志異』巻六「向杲」の話がもとになっている と思われる。 次に「虎痴」の後半部について。霍小媖は虎との約束を果たすべく、一室で虎と寝食を共にして連れ添うこととな る。虎が霍小媖を気遣うさまは、いびき声で安眠を妨げないように一晩中眠らず、ご馳走が必要な時には、すぐに鹿 の肉を咥えて来、娘が病気の時には思いつめた様子で部屋の中を歩き回るなど、あたかも下僕のようであった。やが て 娘 が 病 死 す る と、 虎 は 毎 日、 残 さ れ た 母 親 に 鹿 や 野 兎 の 肉 を 届 け、 生 活 の 面 倒 を 見 た と い う。 こ れ と よ く 似 た 話 は、 『聊斎志異』巻五「趙城虎」の後半部に見えている。煩雑になるが、考察に必要であるから全文を次に掲げる。 趙城の嫗は、年七十余。止だ一子のみあり。一日、山に入り、虎の 噬 か む所と為る。嫗、悲痛して 幾 ほと んど活くるを 欲せず。号啼して宰に訴ふ。宰、笑ひて曰く、虎、何ぞ官法を以て之を制す可けんや、と。嫗、愈々号跳して制 止する能はず。宰、之を叱るも亦た畏懼せず。又た其の老ゆるを憐み、威怒を加ふるに忍びず。遂に虎を捉ふる を 為 す を 諾 す。 嫗 は 伏 し て 去 ら ず。 必 ず 句 牒 の 出 づ る を 待 ち、 乃 ち 肯 へ て 行 さ ら ん、 と。 宰、 之 を 奈 と も す る 無 し。即ち諸役に問ふ、誰か能く往く者ぞ、と。一隷あり、名は李能。醺酔して坐下に 詣 いた る。自ら言ふ、之を能く
清代志怪小説の形成について 七五五 す、と。牒を持ち下り、嫗は始めて去る。 隷、醒めて之を悔ゆ。猶ほ謂ふ、宰の 局 とき を偽り、姑く以て嫗の 擾 みだ るるを解かんとするのみ。因りて亦た甚だしく は意を為さざらん、と。牒報を持ち 繳 かへ さんとす。宰、怒りて曰く、固より之を能くすと言ふ。何ぞ復た悔ゆるを 容れん、と。隷、 窘 くる しむこと甚だし。牒を請ひ、猟戸を拘せんとす。宰、之に従ふ。隷、諸々の猟人を集め、日 夜、山谷に伏す。冀はくは一虎を得て、責を塞ぐ可きを庶ふ。月余、杖を受くことる数百、冤苦 控 うった ふる罔し。遂 に東郭の嶽廟に詣で、跪きて之に祝す。哭すれども声無し。 何ばくも無くして、一虎、外自り来たる。隷、錯愕して 咥 か 噬 まるるを恐る。虎、入りて殊に他顧せず。門中に蹲 立す。隷、祝して曰く、如し某の子を殺す者は爾なれば、其れ俯して吾が縛を聴け、と。遂に縲索を出し、虎の 頸 に 縶 ぐ。 虎、 耳 を 帖 た れ て 縛 を 受 く。 牽 き て 県 署 に 達 す。 宰、 虎 に 問 ひ て 曰 く、 某 の 子、 爾 之 を 噬 か む か、 と。 虎、之に頷く。宰曰く、人を殺す者の死するは、古への定律なり。且つ、嫗は止だ一子あるのみ。而るに爾、之 を殺す。彼の残年、尽くるに垂とす。何を以て生活せん。 倘 も し爾、能く子の若くするを為すか、我将に之を赦さ ん、と。虎、又た之に頷く。乃ち縛を釈きて去らしむ。 嫗、 方 に 宰 の 虎 を 殺 し て 以 て 子 に 償 は せ ざ る を 怨 む な り。 遅 旦、 扉 を 啓 ひら け ば 則 ち 死 鹿 有 り。 嫗、 其 の 肉 革 を 貨 う り、以て資度に用ゆ。是自り以て常と為す。時に金帛を 銜 ふく み、庭中に 擲 な ぐ。嫗、此れ由り豊裕に致る。奉養は其 の 子 に 過 ぎ、 心 竊 か に 虎 を 徳 と す。 虎、 来 た り、 時 に 簷 下 に 臥 し て 竟 日 去 ら ず。 人 畜 相 安 ん じ、 各 々 猜 忌 無 し。 数年、嫗死す。虎、来たり堂中に吼ゆ。嫗、素より積む所あり。綽として葬を営む可し。族人共に之を 瘞 うず む。墳 壘方に成らんとす。虎、驟かに奔り来たる。賓客尽く逃ぐ。虎、直ちに冢の前に赴き、嘷鳴雷動し、時を移し始 めて去る。土人、義虎の祠を東郊に立て、今に至りて猶ほ存す。 (『聊斎志異』巻五「趙城虎」 )
七五六 老婆のひとり息子を山中で噛み殺してしまった虎が、老婆の訴えにより自分に逮捕状が出ている事を知ると、郊外 の東にある嶽廟に自首して来た。虎は知事の温情により、息子の代わりになることを条件に死罪を免れた。虎はその 後、息子以上に老婆に対して孝養を尽くしたため、老婆と虎は互いに信頼し合い、疑いや恨みの気持ちを持たなかっ たという。人と虎との穏やかな暮らしぶりは、霍小媖に誠心誠意愛情を注ぐ「虎痴」の虎を彷彿させる。このように 『 諧 鐸 』「 虎 痴 」 と『 聊 斎 志 異 』「 趙 城 虎 」 に は、 い ず れ も 人 語 を 会 す る 心 優 し い 虎 と の 和 諧 の さ ま が 描 か れ て い る と い う 点 で 共 通 し て い る。 注 目 す べ き は、 「 虎 痴 」 と「 趙 城 虎 」 に は よ く 似 た 記 述 が 多 く 見 い 出 せ る こ と で あ る。 次 に それぞれの対応関係を示そう。上段に「虎痴」 、下段に「趙城虎」の資料を対比させる。 母、其の誠に鑑み、日々其の言を以て諸を西山 の麓に祷る。 今日、某を道に殺す者は、汝に非ざるか、と。 虎、之に頷く。 虎、首肯すること再三、斤然として嘉納す。 虎、其の語を聞くや、神凋へ気喪ひ、頭を垂れ 出でんと欲す。 時に甘旨の給せざる有れば、則ち鹿脯を銜み以 東嶽の嶽廟に詣で、 跪きて之に祝す。 哭すれども声無し。 宰、 虎 に 問 ひ て 曰 く、 某 の 子、 爾 之 を 噬 む か、 と。 虎、 之 に 頷 く。 宰 曰 く、 人 を 殺 す 者 の 死 す る は、 古 へ の 定 律 な り。 且 つ 、 嫗 は 止 だ 一 子 あ る の み 。 而 る に 爾 、 之 を 殺 す 。 彼 の 残 年 、 尽 く る に 垂 と す。 何 を 以 て 生 活 せ ん。 倘 し 爾、 能 く 子 の 若 く するを為すか、我将に之を赦さん、と。虎、又た之に頷く。 虎、耳を帖れて縛を受く。牽きて県署に達す。 遅旦、扉を啓けば則ち死鹿有り。
清代志怪小説の形成について 七五七 「虎痴」と「趙城虎」の記述中にこれだけ対応する表現が多く、しかもその内容の特異性を考えると、 『諧鐸』巻一 「 虎 痴 」 は、 そ の 前 半 部 は『 捜 神 記 』 巻 十 四 の 二 箇 条 の 説 話 と『 聊 斎 志 異 』 巻 六「 向 杲 」 を も と に、 ま た 後 半 部 は 『聊斎志異』巻五「趙城虎」をもとにして書かれたと推測される。 さ て、 こ こ で『 諧 鐸 』 巻 一「 虎 痴 」 を め ぐ る 一 連 の 考 察 の 対 象 と も い う べ き 虎 に つ い て、 さ ら に 検 討 を 加 え た い。 先 ず、 『 聊 斎 志 異 』「 向 杲 」 に 見 え る「 人 間 が 虎 に な っ た 」 と い う 記 事 に つ い て。 人 間 が 虎 に な っ た と い う 特 異 な 話 は、唐の李景亮「人虎伝」に先立ち、既に『捜神記』と『捜神後記』に見えている。 江 漢 の 域 に 貙 人 有 り。 其 の 先 は 稟 君 の 苗 裔 な り。 能 く 化 し て 虎 と 為 る。 長 沙 に 属 す る 所 の 蛮 県、 東 高 の 居 民 は、 曽て檻を作り虎を捕へんとす。檻、発して明日、衆人共に往き之に 格 いた れば、一亭長の赤幘大冠して檻中に在りて 坐するを見る。因りて問ふ、君何を以て此の中に入る、と。亭長大いに怒りて曰く、昨、忽ち県に召され、夜雨 を 避 け、 遂 に 誤 り て 此 の 中 に 入 る。 急 ぎ 我 れ を 出 せ、 と。 曰 く、 君、 召 さ る る に、 当 に 文 書 有 る べ か ら ざ ら ん て進む。 女郁疾を以て死す。屍を堂上に停む。虎、忽ち 嘷哭して来たり、泪下ること雨の如し。 春秋の令節には輒ち山果を銜へ以て奠る。 (中略) 虎、猶ほ日々、山獐・野兔を取りて其の家に恤 れみを存すると云ふ。 (『諧鐸』 「虎痴」 ) 嫗死す。虎、来たり堂中に吼ゆ。 虎、 驟 か に 奔 り 来 た る。 賓 客 尽 く 逃 ぐ。 虎、 直 ち に 冢 の 前 に 赴き、嘷鳴雷動し、時を移し始めて去る。 嫗、 其の肉革を貨り、 以て資度に用ゆ。是自り以て常と為す。 時に金帛を銜み、庭中に擲ぐ。嫗、此れ由り豊裕に致る。 (『聊斎志異』 「趙城虎」 )
七五八 や、と。即ち懐中の召文書を出す。是に於て即ち之を出す。 尋 つい で視れば乃ち化して虎と為り、山に上り走ぐ。 (『捜神記』巻十二) また、 『捜神後記』巻四にも次のような記事を載せる。周畛という者の下男に、虎になる術を身に着けた者がいた。 妻と妹を伴って山に入り、二人を高い木の上に登らせると、やがて一頭の大きな黄斑の虎が現れた。暴れ回り大きな 声で咆哮するさまは非常に恐ろしかった。周畛が下男の体を調べてみると、髻の中に大きな虎を描いた紙があり、虎 の近くには符が書かれていたという。長文に亘るので、該当箇所のみを次に示す。 魏 の 時、 尋 陽 県 の 北 山 中 の 蛮 人 に 術 有 り。 能 く 人 を し て 化 し て 虎 と 作 ら し む。 毛 色・ 爪 牙・ 悉 く 真 の 虎 の 如 し。 郷人、周畛に一奴有り。山に入りて薪を伐らしむ。奴に婦及び妹有り。亦た 与 と 倶 も に行き、既に山に至る。奴、二 人に語りて云く、汝且く高樹に上り、我の為す所を視よ、と。其の言の如くす。既にして草に入り、須臾にして 一 大 黄 斑 の 虎、 草 中 よ り 出 づ る を 見 る。 奮 迅 吼 喚 し、 甚 だ 畏 怖 す 可 し。 二 人、 大 い に 駭 く。 良 やや 久 し て 草 中 に 還 り、 少 時 し て 復 た 還 り て 人 と 為 る。 二 人 に 語 り て 云 く、 家 に 帰 り 慎 し み て 道 ふ こ と 勿 れ、 と。 ( 中 略 ) 唯 だ 髻 髪 中 に於て一紙を得たり。画くに大虎を作し、虎の辺に符有り。 (『捜神後記』巻四) これまでの資料に基づいて、虎についてさらに述べれば、 「諸を西山の麓に祷る」 (虎痴) 、「東郭の嶽廟に詣で、跪 きて之に祝す。哭すれども声無し。何ばくも無くして一虎、外自り来たる」 (趙城虎) 、「雨暴かに作り、上下沾濡し、 寒さと戦ふこと、頗る苦だし。既にして烈風四塞し、氷雹継いで至り、身は忽然として痛癢復た覚ゆる能はず。嶺上 に 旧 よ り 山 神 の 祠 有 り 云 々」 ( 向 杲 ) 等 の 記 述 か ら、 虎 が 登 場 す る 場 面 は、 祠・ 嶽 廟 が 舞 台 と な り、 風 雨 が 吹 き 荒 れ る等の共通する内容となっているが、この事は今まで見てきた資料だけでなく、他にも多くの資料に散見しているか ら次に示そう。
清代志怪小説の形成について 七五九 郡城東嶽廟は南郭に在り。大門の左右の神は高さ丈余にして、俗名は鷹虎神なり。猙獰にして畏る可し。廟中の 道士は任姓なり。鶏鳴する毎に、 輒ち起きて焚誦す。 (中略) 方に山下に至れば一巨丈夫を見る。山自り上り来る。 左臂に蒼鷹あり。適き与に相ひ遇ふ。近くに之を視れば、面は銅青色にして、依稀するに廟門中の習ひ見る所の 者に似たり。 (『聊斎志異』巻一「鷹虎神」 ) 行くこと方に数十里、暴かに雨、忽ち集まる。途の側に危崖有り。夫妻、奔りて其の下に避く。少間くして雨止 み、復た行くことを始む。纔かに数武に及び、崖石崩墜す。居人、遥かに両虎の躍り出で、両人に逼り附きて没 するを望む。 (『聊斎志異』巻五「陽武侯」 ) 歴 陽 に 彭 祖 の 仙 室 有 り。 前 世 云 く、 風 雨 を 祷 請 す れ ば、 輒 ち 応 ぜ ざ る は 莫 し。 常 に 両 虎 有 り、 祠 の 左 右 に 在 り。 今日、之を祠り 訖 を ふるの地には則ち両虎の跡有り。 (『捜神記』巻一) 衡農、字は剽卿。東平の人なり。少くして孤なり。継母に事へて至孝なり。常に他舎に宿す。雷風に値ふ。頻に 虎の其の足を嚙むを夢む。農、妻を呼び、庭に相ひ出で、頭を叩くこと三たび下す。屋、忽然として壊れ、壓死 する者、几百餘人。唯だ豊(農)夫妻のみ免かるるを獲たり。 (『捜神記』巻十一) こ の よ う に、 廟 を 拠 り 所 と す る「 虎 の 神 」 が お り、 人 間 の 思 い を 虎 に 伝 え て い る の で あ る。 こ の こ と は、 清 代 の 人々には周知の事だったようで、だからこそ「趙城虎」で虎の捕縛を命じられた李能が、なかなか虎を見つけられず 知事の責め苦を受けた時、東郭の嶽廟に祈ったのである。いずれにしても、虎には他の動物とは異なる不思議な能力 が 備 わ っ て い る と い う 認 識 が な さ れ て い た 筈 で あ る。 ま た、 虎 の 葬 儀 に お け る 行 動 に つ い て も「 女 郁 疾 を 以 て 死 す。 屍を堂上に停む。虎、忽ち嘷哭して来たり、泪下ること雨の如し。送殮する者、皆な之を見る。継いで玉を祖塋の側 に 埋 む。 虎、 一 日 に 巡 視 す る こ と 三 た び す 」( 虎 痴 )、 「 嫗 死 す。 虎、 来 た り 堂 中 に 吼 ゆ。 嫗、 素 よ り 積 む 所 あ り。 綽
七六〇 として葬を営む可し。族人共に之を 瘞 うず む。墳壘方に成らんとす。虎、驟かに奔り来たる。賓客尽く逃ぐ。虎、直ちに 冢 の 前 に 赴 き、 嘷 鳴 雷 動 し、 時 を 移 し 始 め て 去 る。 土 人、 義 虎 の 祠 を 東 郊 に 立 て、 今 に 至 り て 猶 ほ 存 す 」( 趙 城 虎 ) というように、虎の高い倫理性・義侠心が目を引くが、これは『諧鐸』 『聊斎志異』に限らず、 『捜神記』巻十一にも 次のような記述が見える。 王業、字は子香。漢の和帝の時、荊州の刺使と為る。部を出行する毎に、沐浴斎潔して以て天地に祈る。当に愚 心 を 啓 き 佐 け、 百 姓 を し て 枉 ぐ る こ と 有 ら し む る こ と 無 か る べ し、 と。 州 に 在 る こ と 七 年、 恵 風 大 い に 行 は れ、 苛慝は作らず。 山に豺狼無し。 湘江に卒す。 二白虎有り。 頭を低れ尾を曳き、 其の側らに宿衛す。 喪去るに及び、 虎、州境を踰え、忽然として見えず。民、共に為に碑を立て、号して湘江白虎の墓と曰ふ。 (『捜神記』巻十一) 七年間にわたり民に善政を施したた荊州の刺使、王業が湘江で卒した時、二頭の白い虎が現れ、夜通しその亡骸の 番 を し た と い う。 そ の 後、 虎 の 義 侠 に 感 じ た 民 の 手 で、 湘 江 白 虎 の 墓 と し て 碑 を 立 て た と い う の は、 「 虎、 一 日 に 巡 視すること三たびす」 (虎痴) 、「土人、義虎の祠を東郊に立て、今に至りて猶ほ存す」 (趙城虎)というのを想起させ る。 以上の考察から、虎は古く六朝志怪の頃より、高い倫理性・霊性が備わった動物として位置付けられており、この 考 え 方 が 清 代 の 志 怪 小 説 ま で 継 承 さ れ て い る こ と が 分 か る。 い ず れ に し て も、 沈 起 鳳 の『 諧 鐸 』 巻 一「 虎 痴 」 は、 『聊斎志異』巻五「趙城虎」 ・ 巻六「向杲」 と 『捜神記』巻十二 ・ 巻十四等の資料をもとにして書かれたと推測される。
二
清代志怪小説の形成について 七六一 『 聊 斎 志 異 』 巻 八「 象 」 は、 象 に 拉 致 さ れ た 粤 の 猟 師 の 話 で あ る。 猟 師 が 山 の 中 で 休 息 し て 眠 り こ け て し ま い、 気 が付くと象の群れに鼻で持ち上げられて連れ去られた。象は猟師に木に登って欲しい様子であった。やがて狻猊(獅 子)が現われ、一頭の肥えた象を打ち斃して嚙みつこうとした。象たちは怯えて逃げる勇気も失せ、ただ木の上を見 上げて救いを求めているかのようであった。猟師は象の気持ちが分かると、弩を発射し狻猊を一矢で斃した。すると 象は猟師を乗せて歩き出し、抜け落ちた象牙が無数に埋まっている場所を教えた。猟師は象牙を括り、象の背中に乗 せた。象はそれを背負って山から送り出し、猟師は帰ることができたという。 粤 中 に 獣 を 猟 る 者 有 り。 矢 を 挾 み 山 に 如 く。 偶 々 臥 し 憩 息 し て 沈 睡 よ り 覚 め ず。 象 の 来 た り 鼻 に 攝 かか げ て 去 ら る。 自 分 は 必 ず 残 害 に 遭 は ん、 と。 未 だ 幾 な ら ず し て 樹 下 に 釈 お 置 き、 頓 首 し て 一 鳴 す。 群 象 粉 れ 至 り、 四 面 旋 繞 し、 求むる所有るが若し。前象樹下に伏し、仰ぎて樹を視、俯して人を視、其の登らんと欲するに似たり。猟者、意 を 解 し、 即 ち 足 を 以 て 象 の 背 を 踏 み、 攀 よ じ の ぼ 援 り て 升 る。 樹 の 巓 に 至 る と 雖 も、 亦 た 其 の 意 向 の 存 す る 所 を 知 ら ず。 少 しばらく 時 して狻猊の来る有り。衆象皆な伏す。狻猊は一肥者を擇び、意、将に搏ち 噬 か まんとす。象、戦慄し、敢へて 逃ぐる者無し。惟だ共に樹上を仰ぎ、憐れみ拯ふを求むるに似たり。猟者、意を会し、因りて狻猊を望み、一弩 を 発 す。 狻 猊、 立 に 殪 たふ る。 諸 象、 空 を 瞻 み 、 意 は 拝 舞 す る が 若 し。 猟 者 乃 ち 下 る。 象 復 た 伏 し、 鼻 を 以 て 衣 を 牽 き、其の乗らんと欲するに似たり。猟者随ひ、身を其の上に跨れば、象乃ち行く。一処に至れば蹄を以て地に穴 ほり、脱牙の無算なるを得。猟人下り、束治して象の背に置く。象乃ち負ひて送りて山より出で、始めて返る。 (『聊斎志異』巻八「象」 ) この『聊斎志異』 「象」とよく似た話は『捜神記』巻二十にも次のような記事が見える。 蘇 易 は 盧 陵 の 人 な り。 産 を 看 る に 善 し。 夜、 忽 ち 虎 の 取 る 所 と 為 る。 行 く こ と 六 ・ 七 里 に し て 大 壙 に 至 る。 易 を
七六二 厝 お きて地に置き、蹲りて守る。見れば牝虎有り。当に産むべきも、解するを得ず。匍匐して死せんと欲し、輒ち 仰 い で 易 を 視 る。 之 を 怪 し む も、 乃 ち 為 に 之 を 探 り 出 せ ば、 三 子 有 り。 生 み 畢 は れ ば、 牝 虎、 易 を 負 ひ て 還 す。 再三、野肉を門内に送る。 (『捜神記』巻二十) お産の世話が上手な蘇易という女性がある夜虎に捕まり、大きな洞穴に連れて来られた。そこには難産にのたうち 回る牝虎がおり、助けを求めるように見上げるのであった。牝虎は蘇易の手助けによって三匹の子どもを無事産み終 わると、背中に乗せて送り返した。その後は再三、野生動物の肉を家の門の中に届けたという。 さ て、 今 見 て 来 た こ の 二 つ の 説 話 は、 「 象 」 が「 虎 」 に 置 き 換 え ら れ て い る 他 は、 動 物 が 人 間 に 救 い を 求 め る た め に 拉 致 し、 目 的 を 遂 げ る と 背 中 に 乗 せ て 元 の 場 所 に 送 り 届 け、 さ ら に 返 礼 を す る と い う 一 連 の 内 容 が 共 通 し て い (注 4 ) る 。 説 話 の 独 創 性 か ら 推 測 す る と、 内 容 が 偶 然 に 一 致 し た と は 考 え に く く、 『 聊 斎 志 異 』 巻 八「 象 」 は こ の『 捜 神 記 』 巻 二十の資料を参考にして書かれたものと思われる。ところが『聊斎志異』巻十二「二班」には、さらに次のような話 が見える。稍々長文に亘るが「二班」の全文を掲げる。 殷元礼は雲南の人なり。鍼灸の術を善くす。寇乱に遇ひ、深山に竄入す。日は既に暮れ、村舎は尚ほ遠し。虎狼 に遭ふを懼れ、遥かに前途を見れば両人有り。疾く之を 趁 お ふ。既に至る。両人問ふ、客は誰ぞや、と。殷乃ち自 ら族貫を陳ぶ。両人、拱敬して曰く、是れ良医の殷先生なるか。山斗を仰ぐこと久し、と。殷転じて之に詰すれ ば、 二 人 自 ら 言 ふ、 班 姓 な り。 一 は 班 爪 た り、 一 は 班 牙 た り、 と。 便 ち 謂 ふ、 先 生、 余 も 亦 た 難 を 石 室 に 避 く。 幸ひに棲宿す可し、敢へて玉趾に屈せん、且つ求むる所有り、と。殷、喜んで之に従ふ。 俄かに一処に至る。室は巌谷に傍らす。柴を 爇 や き燭に代ふ。始めて二班を見るに、容躯は威猛なり。良善に非ざ るに似たるも、之く所無きを計り、即ち亦た之を聴く。又た榻上に呻吟するを聞く。細審すれば、則ち一老嫗偃
清代志怪小説の形成について 七六三 臥す。苦しむ所有るに似たり。何の恙なるかと問へば牙曰く、此の故を以て先生を敬求す、と。乃ち火を束ねて 榻を照らし、殷の視るを逼る。見れば鼻下口角、両贅瘤有り。皆な大なること碗の如し。且つ云ふ、痛くして触 る可からず、飲食を妨礙す、と。殷曰く、易きのみ、と。艾を出だして之を 圑 まる くし、灸数十壮を為す。曰く、夜 を隔てて愈ゆ、と。二班喜び、鹿を焼き客に 餉 おく る。並びに酒飯無く、惟だ肉一品あるのみ。爪曰く、倉卒にして 客の至るを知らず。望むらくは、輶褻を以て怪しむを為すこと勿れ、と。 殷、餐に飽きて眠る。枕は石塊を以てし、二班は誠樸なりと雖も、粗莽なること懼る可し。殷、転側して敢へて 熟眠せず。天、未だ明けず。便ち媼を呼び、患ふ所を問へば、媼は初めて醒めたり。自ら 捫 な づれば、則ち瘤は破 れ創と為る。殷、二班を促して起こし、火を以て就き照らしめ、敷くに薬 屑 せつ を以てす。曰く、 愈 い えり、と。拱手 して遂に別る。班、又た焼鹿一肘を以て之に贈る。 後三年、 秏 こう 無し。殷、適々故を以て山に入れば、二狼の道に当るに遇ふ。阻みて行くを得ず。日既に西し、狼又 た 群 が り 至 る。 前 後 に 敵 を 受 け、 狼、 之 を 撲 う ち 仆 す。 数 狼 争 ひ て 齧 り、 衣 は 尽 く 砕 く。 自 分 は 必 ず 死 せ ん、 と。 忽ち両虎驟かに至り、諸狼は四散す。虎怒り、大いに吼ゆ。狼、懼れ尽く伏するも、虎は悉く之を撲殺し竟に去 る。 殷、 狼 狽 し て 行 く も 投 止 無 き を 懼 る。 一 媼 の 来 た る に 遇 ふ。 其 の 状 を 睹 て 曰 く、 殷 先 生、 苦 を 喫 せ り、 と。 殷、戚然として状を訴ふ。問ふ、何の見識ぞ、と。媼曰く、余は即ち石室中に瘤を治すの病嫗なり、と。殷、始 めて恍然たり。便ち寄宿を求む。媼引き去り、一院落に入る。 燈火已に張る。曰く、老身、先生を伺ふこと久し、と。遂に袍袴を出だし、其の敝敗に易ふ。漿を 羅 つら ね、酒を具 へ、酬い勧むるに諄切たり。媼、亦た陶椀を以て自ら酌む。談・飲倶に豪なること巾幗に類せず。殷問ふ、前日 の両男子、老姥に係ること何人ぞや。胡ぞ以て見えざる、と。媼云く、両児は先生を 逆 むか へに遣るに、尚ほ未だ帰
七六四 復せず。必ず途に迷ふ、と。殷、其の義に感じ、飲むを縦にし、沈酔するを覚えず。酣にして座間に眠る。既に 醒むれば、已に曙たり。四顧すれば、竟に屋蘆無く、巌石上に孤坐す。巌下に喘息すること牛の如きを聞く。近 づき視れば、則ち老虎の方に睡りて未だ醒めざるなり。啄間に二つの瘢痕あり。皆な大なること拳の如し。駭く こと極まれり。 蹤 あと を潜めて 遁 のが る。始めて両虎は即ち二班なるを悟るなり。 (『聊斎志異』巻十二「二班」 ) 鍼灸の術に巧みな雲南の殷元礼は、ある時賊軍に追われ山中深く逃げ込んだ。途中、班爪と班牙と名乗る二人の男 に 出 会 い、 石 室 に 案 内 さ れ た。 そ こ に は、 鼻 の 下 と 口 の 角 に 大 き な 瘤 が 二 つ も あ る 老 婆 が 寝 台 の 上 で 苦 し ん で い た。 治療を求められた殷元礼は、すぐに艾を取り出して丸め、灸を何十回もすえ、一晩で治してやった。 それから三年の後、殷元礼が用事で山に入ったところ狼の群れに襲われ、もう助からないと観念した。するとそこ へ突然二頭の虎が現われ、狼をすべて打ち殺して引き上げて行った。殷元礼はうろたえ、宿の心配をしながら歩いて いると、一人の老婆と出会った。それは以前、石室で瘤の治療をした老婆だった。老婆は自宅に殷元礼を案内し、懇 ろに着替えと酒の準備をして心からもてなした。三年前に出会った班爪と班牙は自分の息子で、先程殷元礼を迎えに 行ったまま、まだ戻らないのだという。殷元礼は、この親子の義理堅さに心を打たれ、思う存分飲んで泥酔し、その 場で眠ってしまった。 やがて目を覚ますと、すでに夜が白々と明け初めていた。あたりを見回すと、どこにもさきほどの家はなく、大き な岩の上に一人で座っていた。近くに年老いた虎が牛のようないびき声を立てて寝ていて、口のあたりに傷跡が二つ あった。殷元礼は腰を抜かさんばかりに驚き、足音を忍ばせて逃げ出した。そこではじめて、前夜、狼の群れから命 を救ってくれた二頭の虎は、班爪と班牙だったことを悟った、というのが「二班」のあらすじである。 医 療 に 従 事 し て い る 人 間 が 重 篤 な 病 の 虎 に 治 療 を 施 し、 そ の 後 恩 返 し を 受 け る と い う「 二 班 」 の「 虎 の 恩 返 し 譚 」
清代志怪小説の形成について 七六五 は、 既 に 見 た『 捜 神 記 』 巻 二 十 と 良 く 似 て い る。 た だ し「 二 班 」 は 説 話 の 物 語 性 と い う 点 で 明 ら か に 進 化 し て お り、 冒頭の虎との出会いについても、拉致されたのではなく、戦乱の避難先での出来事という自然な流れになっている。 次 に「 虎 の 恩 返 し 」 に つ い て は、 「 数 匹 の 狼 が 先 を 争 う よ う に 嚙 み つ き、 衣 服 は ず た ず た に な っ た 」 そ の 時、 二 頭 の 虎 が 突 然 現 れ た、 と い う 緊 迫 感 漂 う 描 写 が な さ れ て い る。 こ れ を「 野 生 動 物 の 肉 を 家 の 門 の 中 に 届 け た 」 と い う 『 捜 神 記 』 巻 二 十 の 記 述 と 比 べ れ ば、 読 者 を 意 識 し た 読 み 物 と し て、 完 成 度 が 各 段 に 高 く な っ て い る こ と は い う ま で もない。また「二班」の記述についてさらに指摘すると「既に醒むれば已に曙たり。四顧すれば竟に屋蘆無く、巌石 上に孤坐す」 (目を覚ますと、すでに夜が白々と明け初めていた。あたりを見回すと、どこにもさきほどの家はなく、 大きな岩の上に一人で座っていた)というように、屋敷が一晩で跡形もなく消え去るという表現は『聊斎志異』巻一 「 新 郎 」・ 巻 三「 道 士 」「 犬 燈 」、 巻 六「 河 間 生 」「 雲 翠 仙 」「 恵 芳 」「 蕭 七 」「 鴿 異 」「 八 大 王 」・ 巻 七「 閻 羅 宴 」・ 巻 十 一 「 三 仙 」 な ど に 屡 々 見 ら れ る 蒲 松 齢 が 好 ん で 使 う 常 套 句 で あ る が、 実 は こ の よ う な 記 述 は 既 に『 捜 神 記 』 巻 十 六 に 「未だ数歩を逾えずして舎宇を見ず、惟だ一冢有るのみ」と見えている。 一方、この「二班」の内容と同様、虎が人間に化ける話は、 『閲微草堂筆記』巻九「如是我聞」にも見えている。 先母張太夫人、嘗て一張媼を司炊に雇ふ。房山の人なり。西山の深処に居る。其の郷に、貧極まり家を捨て食を 覓むる者有りと言ふ。素より未だ外出せず。行くこと半日、即ち路に迷ふ。石径崎嶇、雲陰り晦暗、適く所を知 る莫し。姑く樹下に枯坐し、天晴れ南北を辧ずるを俟つ。忽ち一人、林中自り出で、三四人之に随ふ。併びに猙 獰偉岸、常人に異なる有り。心に、山霊に非ざれば即ち妖魅たるを知る。隠避すること能はざるを度る。乃ち身 を投げ、叩拝し、泣きて苦しむ所を訴ふ。其の人、惻然として曰く、 爾 なんじ 怖がること勿れ。汝を害せざるなり。 我れは是れ虎の神なり。今、諸虎の為に食料を配るなり。虎の人を食ふを待ち、爾其の衣物を収めよ。自活する
七六六 に足らん、と。因りて引きて一処に至る。噭然として長嘯すれば、衆虎坌集す。其の人、手を挙げて指揮す。 語は啁唽して辧ず可からず。俄かに倶に散去す。惟だ一虎のみ留まり、叢莽の間に伏す。俄かに荷担して嶺を度 る者有り。虎、躍起して搏たんと欲するも、忽ち辟易して退く。少頃して一婦人至る。乃ち搏へて之を食ふ。其 の衣帯を 撿 しら べ、数金を得れば取りて以て之に付す。 且 つ 告 げ て 曰 く、 虎 は 人 を 食 は ず。 惟 だ 禽 獣 を 食 ふ の み。 其 の 人 を 食 ふ は、 人 に し て 禽 獣 な る 者 の み。 大 抵 の 人、天良未だ 泯 ほろ びざる者は、其の頂上に必ず霊光有り。虎、之を見れば即ち避く。其の天良 澌 つ き滅ぶ者は、霊光 全く息む。禽獣と異なる無し。虎、乃ち得て之を食ふ。頃前の一男子は、凶暴にして人理無し。然れども、 攘 ぬす み 奪ひて得る所、猶ほ其の寡嫂孤侄を 恤 うれ ひ、飢寒せざらしむ。是の一念を以て、霊光は煜煜として弾丸の如し。故 に虎は敢へて食はず。後の一婦人は、其の夫を棄てて私かに嫁ぎ、又た其の前妻の子を虐げ、身は完膚無し。更 に後夫の金を盗み、以て前夫の女に貽る。即ち懐中携ふる所、是なり。是の諸悪を以て、霊光は消え尽き、虎之 を視れば、復た人身に非ず。故に 啖 くら ふ所と為る。爾、今我れに遇ふを得るは、亦た以て善く継母に事へ、妻子の 食を 輟 や めて以て養へばなり。頂上の霊光は高さ尺許りなり。故に我れ得て之を佑く。爾の叩拝し求哀するを以て に非ざるなり。勉めて善業を修めよ。当に尚ほ後に福有るべし、と。因りて帰路を指示す。 (『閲微草堂筆記』巻九「如是我聞 (三) 」) 生 活 の 困 窮 に 耐 え か ね て 家 を 棄 て、 食 べ 物 を 探 し に さ ま よ っ た 者 が、 道 に 迷 っ た あ げ く 険 し い 岩 山 に 迷 い 込 ん だ。 木の下で途方に暮れていると、そこへ獰猛な顔つきで大きな体の男が、数人の男を引き連れて現れた。頭を地面に擦 り付け、窮状を訴えて命乞いをすると、大男は「怖がらなくて良い。わしは虎の神で、これから虎たちに食料を配る 所だ。お前は食われた者の持ち物を手に入れよ。今後は生活が出来るようになるだろう」と言い、ある場所へ連れて
清代志怪小説の形成について 七六七 行った。大きな声で長く吼えると、虎たちが群がりやって来た。虎の神が手を挙げて指示したが、何を言っているの か分からなかった。そして一頭だけを残して散っていった。虎は草むらに身を伏せ、通行人を吟味するかのようであ ったが、やがて一人の婦人が通りかかると襲いかかって食べてしまった。虎の神は女の着物や帯の間を調べ、数金を 見つけると男に渡して言った「虎は人間を食わない。禽獣だけを食うのだ。人間を食うのは、人間でありながら禽獣 と変わらない者だけなのだ。人間は、天から授けられた良い心を失っていない者は、頭の上に必ず霊光がある。天か ら 授 け ら れ た 霊 光 が 尽 き て し ま っ た 者 は、 頭 の 上 の 霊 光 が 全 く な く な っ て い る の で、 禽 獣 と 同 じ に な る。 そ う す る と、虎は食えるのじゃ」 。「お前が今、わしに会うことが出来たのは、お前がよく継母に仕え、妻子には食べさせなく ても継母には食べさせたから、頭上の霊光は一尺ほどの高さになっている。だからわしはお前を助けたのだ。お前が 土 下 座 し て 命 乞 い を し た か ら で は な い。 善 行 を 積 む こ と に 励 み め ば、 後 で き っ と 良 い 事 が あ る に 違 い な い 」。 そ し て 帰り道を教えてくれた。 『 閲 微 草 堂 筆 記 』 巻 九「 如 是 我 聞 」 の あ ら す じ は 以 上 の 通 り で、 主 題 は「 虎 の 恩 返 し 譚 」 で は な く、 い さ さ か 儒 教 色 が 盛 り 込 ま れ た「 虎 の 神 の 話 」 に な っ て い る。 こ こ で 想 起 さ れ る の が、 『 捜 神 記 』 巻 一「 董 永 自 売 」 説 話 と『 捜 神 後記』巻五「白水素女伝説」であろう。この二つの説話は、あまりにも有名であるから資料は示さないが、話の趣旨 は同一である。すなわち、貧しく身寄りもない若者が、非法を履まず懸命に働く姿を天帝が憐み、救いの女神を地上 に 遣 わ し て 生 活 を 助 け た 後、 女 神 は 天 に 帰 っ て 行 く と い う 内 容 で あ る。 『 捜 神 記 』 の 董 永 は、 父 の 葬 式 代 金 を 工 面 す るため、自らは身を売り奴隷となるなど、両説話とも儒教的色彩が強調されている点は、この『閲微草堂筆記』巻九 と同じである。 ところで、 『閲微草堂筆記』巻九に見える虎の神の話は、既に示した『聊斎志異』巻一「鷹虎神」にも記載がある。
七六八 すなわち、郡城の東嶽廟の大門の左右に「鷹虎神」と呼ばれる神像があり、ある時泥棒が廟に潜入して銭三百を盗ん だところ、左腕に蒼い鷹を止まらせた大男が山から下りて来たが、顔は緑青色で、あたかも廟の門内で見慣れた神像 そっくりであったという。虎の神が人間の大男の姿をしているというのは、この『閲微草堂筆記』の資料と共通して いることが 分 (注 5 ) かる 。 考 察 を「 二 班 」 に 戻 す と、 「 二 班 」 に つ い て 留 意 す べ き は、 「 虎 が 人 語 を 解 す る 人 間 に 化 け て い る 」 こ と で あ る。 「人間が虎になった」話は、前項で考察した『聊斎志異』巻六「向杲」 ・『捜神記』巻十二・ 『捜神後記』巻四の資料に も見えるように、古く六朝志怪から語られている。これに対して「虎が人間に化ける」という話は、六朝志怪等の古 い 文 献 に は 見 当 た ら な い。 ま た さ ら に、 「 二 班 」 及 び『 閲 微 草 堂 筆 記 』 巻 九「 如 是 我 聞 」( 三 ) に は「 人 間 に 化 け る 」 だけでなく「人語を解する」という要素を取り入れている点からも、清代の志怪小説ならではの進化が見て取れるで あろう。 ここで問題となるのが『聊斎志異』と『閲微草堂筆記』の先後についてであるが、紀昀が生まれたのは一七二四年 で、蒲松齢(一六四〇 ~ 一七一五)の没後であるから、 『聊斎志異』が先行することは確かである。 「二班」には登場 人 物 の 心 理 描 写 の 書 き 込 み や 科 白 の 細 や か さ な ど、 『 聊 斎 志 異 』 特 有 の 完 成 度 の 高 さ が 伺 え る。 紀 昀 が 蒲 松 齢 の 作 風 を批判した事については小論の冒頭で紹介した通りであるから、 『閲微草堂筆記』巻九「虎の神」の話は、 「二班」を もとにして書いたものではないことになる。そうであるならば、蒲松齢と紀昀の執筆当時、それぞれの手元には虎に 関する内容の資料、具体的には「虎の神」に関する資料に加え、高い倫理性を備えた虎の説話資料があらかじめ用意 されていて、それをもとに『聊斎志異』と『閲微草堂筆記』が書かれたのではあるまいか。つまり、蒲松齢は『捜神 記 』 巻 二 十 を 参 考 に し て『 聊 斎 志 異 』 巻 八「 象 」 を 書 き、 続 い て 手 元 に あ っ た こ の よ う な 虎 の 資 料 を も と に「 二 班 」
清代志怪小説の形成について 七六九 を書いたのであろう。その後、紀昀も同様に手元の虎の資料を参考にしつつ、さらに主題を変えて「虎の恩返し」で はなく儒教色を前面に押し出した『閲微草堂筆記』巻九の「虎の神」を書いたという次第なのではあるまいか。なぜ なら、紀昀の『閲微草堂筆記』には、従来の小説を土台とし、さらに独自の儒教観を濃厚に反映させて全く別の作品 に仕立て直した作品が他にも見つかるからである。その典型的なものとしては『閲微草堂筆記』巻四に見える武邑の 道学者の話が挙げられる。これは今考察した「虎の神」と同様の手法が用いられており、白行簡「奇夢」を土台にし つ つ も、 「 幽 体 離 脱 」 と い う「 奇 夢 」 の 主 題 を 変 更 し、 こ れ に 代 え て 紀 昀 独 自 の 思 想 が 盛 り 込 ま れ た 作 品 と な っ て い る。それは、次のような話である。 武 邑 の 某 と い う 道 学 者 が、 妖 怪 が 出 る こ と で 知 ら れ る 寺 の 経 蔵 の 前 で 深 夜 酒 宴 を 催 し、 酣 と な る に 及 ん で『 西 銘 』 の万物一体の道理を議論した。道学者をもって自ら任ずる某は妖怪を怖れることなく談じ続け、その場に居合わせた 者も皆、夜が更けるのも気付かず、衿を正して某の話に聞き入っていた。すると突然、経蔵の上から激しく叱りつけ る声とともに、石垣の瓦が投げつけられ、雷のような地響きをたてたという。 忽ち閣上に厲声あり、叱りて曰く、時、方に飢疫す。百姓頻る死亡する有り。汝は郷宦たり。既に早く義挙を 倡 とな へ、粥を施し、薬を 捨 お くを思はざれば、即ち応に此の良夜を 趁 お ひ、戸を閉め安眠すべし。尚ほ自ら了漢たるを失 はざらん。乃ち虚談・高論し、此に在りて、民は 胞 ともがら なり、物は 与 ともがら なり、と講ず。知らず、所謂、胞与とは安くに 在 る か。 就 たとひ 令 講 ず る こ と 天 明 に 至 れ ば、 還 た 飯 餐 を 作 す 可 き か。 薬 服 を 作 す 可 き や 否 や。 且 く 汝 に 一 磚 を 撃 た ん。汝、再び講ぜよ。邪は正に勝たず、と。 忽ち一城磚、飛び下る。声は霹靂の若し。杯盤・凡ての案、倶に砕 く 。某公、倉皇として走り出づ。曰く、程朱の学を信ぜざるは、此れ妖の妖たる所以か、と。徐ろに歩み太息し て去る。 (『閲微草堂筆記』巻四「灤陽消夏録」 )
七七〇 一 方、 「 奇 夢 」 は、 あ ら た め て 述 べ る ま で も な く、 唐 の 天 后 年 間、 劉 幽 求 と い う 朝 邑 の 丞 が 夜 中 に 仏 堂 院 の 側 を 通 りかかると、自分の妻が寺の中で十数人の児女と歓談飲食しているのが見えた。これを訝り瓦を投げ入れると、そこ に居た者たちは掻き消すように姿を消した。その後、帰宅した劉幽求が今体験した出来事を妻に話したところ、妻も また夢の中で見知らぬ十数人の者と寺院の庭で会食していた。その最中、何者かが外から瓦礫を投げ入れ、盃や皿が 飛散したところで目が覚めた、と語ったという話である。 天 后 の 時、 劉 幽 求、 朝 邑 の 丞 た り。 嘗 て 使 を 奉 じ 夜 帰 る。 未 だ 家 に 及 ば ざ る こ と 十 余 里 に し て、 適 々 仏 道 院 有 り、路其の側に出づ。寺中に歌笑歓洽するを聞く。寺垣短欠して尽く其の中を 覩 み るを得たり。劉、身を俯して之 を窺へば、十数人の児女雑坐し、盤餞を羅列し、之を環繞して共に食らふを見る。其の妻の坐中に在りて語笑す るを見、劉初め愕然として其の故を測らず。之を久うし、且つ其の当に此に至るべからざるを思ふも、復た之を 捨つること能はず。又熟視すれば、容止言笑、異なる無し。将に就きて之を察せんとするも、寺門閉ざされて入 るを得ず。劉、 瓦を擲げて之を撃てば、 其の罍洗に中つ。破迸走散し、因りて忽ち見えず。劉、垣を 踰 こ えて直ち に入り、従者と 同 とも に視れば、殿廡人無く、寺扃故の如し。劉、訝ること益々甚だし。遂に馳せ帰る。其の家に至 る 比 ころほ ひ、 妻 方 に 寝 ぬ。 劉 の 至 る を 聞 き、 乃 ち 寒 暄 を 叙 し 訖 おは る。 妻 笑 ひ て 曰 く、 向 に 夢 中 に 数 十 人 と 一 寺 に 遊 ぶ。 皆 な 相 ひ 識 ら ず。 殿 庭 に 会 食 す。 人 有 り、 外 自 り 瓦 礫 を 以 て 之 を 投 じ、 杯 盤 狼 藉 た り 。 因 り て 遂 に 覚 め た り、 と。 (白行簡「奇夢」 ) 右に示したこの二つの作品には、深夜、寺院で宴会をしている最中に瓦を投げつけられる、という特徴的な行為が 共通して描かれている点に注目したい。さらに「杯盤」という語が共通して使われるなど、破壊された宴席のあり様 と、その場に居合わせた者の狼狽ぶりも酷似している。これらの事から『閲微草堂筆記』巻四に見える武邑の道学者
清代志怪小説の形成について 七七一 の記事は、白行簡の「奇夢」をもとに書かれたのは明らかであるが、紀昀の狙いは「奇夢」の主題ともいうべき幽体 離 脱 で は な く、 志 怪 小 説 の 体 裁 を 借 り た 宋 代 の 思 想 で あ る 道 学 へ の 批 判 で あ っ た と 思 わ れ る。 こ の『 閲 微 草 堂 筆 記 』 巻四の中で妖怪に仮託して語られるのは、紛れもなく紀昀自身の官僚としての哲学であった筈である。そうであると すれば、この著作態度こそは、既に見てきた『閲微草堂筆記』巻九「如是我聞」の中で、虎の神に儒家思想を語らせ るのと同一の発想による紀昀ならではの作品であると考えられる。
三
『 聊 斎 志 異 』 巻 六「 餓 鬼 」 は、 馬 永 父 子 の 一 代 記 で あ る。 無 頼 の 徒、 馬 永 は あ る 日 食 糧 を 攫 っ て 代 金 を 支 払 わ ず、 店の者に酷い目に遭っていた。これを憐れんだ朱翁は銭数百を恵んだことがあった。馬永はその後も悪行を繰り返し たため訴えられ、獄中死した。するとその夜、朱翁の夢に馬永が現われ、恩返しに来た旨を告げた。朱翁が目を覚ま すと、妾が男児を生んだことから、馬永の生まれ変わりであると悟り、その子を馬児と名付けて育てたというのが一 篇の趣旨である。 『聊斎志異』には、これとよく似た話が巻四「蹇償債」 ・巻八「銭卜巫」にも見えているが、とりわ け 注 目 す べ き は、 「 蹇 償 債 」 の 内 容 が『 子 不 語 』 巻 一「 大 楽 上 人 」 と 酷 似 し て い る こ と で あ る。 す な わ ち「 餓 鬼 」 と 同 様、 生 前 に 施 し を 受 け た 者 が 死 後 恩 返 し に 現 わ れ、 驢 馬 に 生 ま れ 変 わ っ た と い う 共 通 す る 内 容 を 骨 子 と し て い る。 考察の手順として最初に『聊斎志異』 「蹇償債」と『子不語』 「大楽上人」について検討を試みる。次に「蹇償債」と 「大楽上人」の全文を掲げる。 李公著明は慷慨施しを好む。郷人某は公の室に傭居す。其の人、少くして遊惰、農業を操ること能はず。家は窶七七二 貧 な り。 然 れ ど も 小 き よ り 技 能 有 り。 常 に 役 務 を 為 し、 毎 に 之 に 賚 たま ふ こ と 厚 し。 時 に 晨 炊 無 く、 公 に 向 ひ 哀 乞 す。 公、 輙 ち 給 す る に 升 斗 を 以 て す。 一 日、 公 に 告 げ て 曰 く、 小 人 日 々 厚 恤 を 受 く。 三 四 の 口、 幸 ひ 餓 殍 せ ず。 然れども、曷ぞ以て久しくす可き。主人に乞ふ、我れに緑豆一石を貸せ、資本と作さん、と。公、忻然として之 に授ければ負ひ去る。年余にして一も償ふ所無し。之に問ふに及べば、豆貲は已に蕩然たり。公、其の貧なるを 憐み、亦た置きて索めず。 公、 蕭 寺 に 読 書 す。 後 三 年 余、 忽 ち 夢 に 某 来 た り て 曰 く、 小 人、 主 人 に 豆 直 を 負 ふ。 今、 来 た り て 投 償 せ ん、 と。 公、 之 を 慰 め て 曰 く、 若 し 爾 の 償 を 索 む れ ば、 則 ち 平 日 負 ふ 所 の 欠 く る 者 は、 何 ぞ 数 算 す 可 け ん、 と。 某、 愀然として曰く、固より然り。凡そ人、為す所有りて人に受くれば、千金は報ぜざる可きなり。若し端無くして 人の資助を受くれば、升斗すら且つ昧きを容れず、況んや其の多きをや、と。言ひ 已 お 竟 はりて去る。公、愈々疑 へり。既にして家人、公に白す、夜牝驢一駒を産む。且つ修偉なり、と。公、忽ち悟りて曰く、駒の某為ること 毋 き を 得 ん や、 と。 数 日 を 越 し て 帰 り、 駒 を 見、 戯 れ に 某 の 名 を 呼 べ ば、 駒 は 奔 り て 赴 く こ と 知 識 有 る が 如 し。 此れ自り遂に以て名と為す。 公、乗りて青州に赴く。衡府の内監、見て之を悦ぶ。願はくは重價を以て之を購はん、と。議直ちに未だ定まら ず。適々公、家中の急務を以て待つに及ばず、遂に帰る。又た歳を 逾 こ し、駒、雄馬と同櫪し踁骨を齕折す。療す 可からず。牛医有り、公の家に至る。之を見、公に謂ひて曰く、乞ふ駒を以て小人に付せ。朝夕療養し、需むる に 歳 月 を 以 て す れ ば、 万 一 に 痊 い ゆ る を 得 ん。 直 る を 得 れ ば、 公 と 之 を 剖 分 せ ん、 と。 公、 請 ふ 所 の 如 し。 後 数 月、牛医驢を 售 う る。銭千八百を得たり。半を以て公に献ず。公、銭を受けて頓悟す。其の数、豆の價に適符する なり。噫、昭昭の債、冥冥の償、此れ以て勧むるに足れり。 (『聊斎志異』巻四「蹇償債」 )
清代志怪小説の形成について 七七三 洛 陽 水 陸 庵 の 僧、 大 楽 上 人 と 号 す。 財 に 饒 か な り。 其 の 隣 人、 周 某、 県 役 に 充 あた る。 家 貧 し く、 税 租 を 承 催 す れ ば、皆な之を侵触す。比期に 逢 ふ毎に、輒ち上人に向ひ借貸す。数年間積りて七両に至る。上人、其の償還する に 無 力 な る を 知 り、 復 た 取 索 せ ず。 役、 頻 り に 恩 に 感 じ、 相 ひ 見 れ ば 必 ず 曰 く、 吾 れ 上 人 の 恩 に 報 ゆ る 能 は ず。 死すれば当に驢馬と為り、以て報ゆべし、と 。 居 る こ と 何 も 無 く し て、 晩 に 人 有 り 門 を 叩 く こ と 甚 だ 急 な り。 誰 為 る か と 問 へ ば、 声 に 応 じ て 曰 く、 周 某 な り、 来りて恩に報ゆるのみ、と。上人戸を 啓 ひら けば了として人を見ず。以て相ひ戯むる者有りと為す。是の夜、畜ふ所 の驢、一駒を産む。 明旦役を訪へば、果たして死す 。上人驢の傍に至れば、産駒首を奮ひ、足を 翹 あ げ、相ひ識る 者の若し。 (『子不語』巻一「大楽上人」 ) 『聊斎志異』 「蹇償債」を一読して気付くのは、話の筋に飛躍があることである。人情に篤い李公著明の家に雇われ て住んでいた郷人某は、怠け者で貧しかったため、李公は長年経済的援助をしていた。するとある日突然、李公の夢 に郷人某が現れて「三年前に借りた大豆の代金をお返ししたい」と伝えた。李公が、これまで貸した金額を計算した らとうてい返せないであろうと慰めた。その夜、驢馬が子驢馬を一頭産んだという報を受けた李公はすぐに、その驢 馬 は 郷 人 某 に 違 い な い と 悟 っ た と い う。 し か し、 そ の 理 由 は 分 か り に く い。 な ぜ な ら『 子 不 語 』「 大 楽 上 人 」 の よ う に、 大 楽 上 人 か ら 長 年 の 恩 義 を 受 け た 周 某 が「 死 す れ ば 当 に 驢 馬 と 為 り、 以 て 報 ゆ べ し 」 つ ま り、 「 死 ん だ ら 驢 馬 に なって、これまでの御恩に報いたい」といった意思表示がないばかりか、郷人某が死亡したという記述がどこにも見 当たらないからである。 ま た「 蹇 償 債 」 の 構 成 に つ い て 見 る と、 「 大 楽 上 人 」 は、 周 某 が 驢 馬 に 生 ま れ 変 わ っ た 場 面 で 一 篇 が 終 了 し て い る の に 対 し、 「 蹇 償 債 」 で は、 某 が 驢 馬 に 生 ま れ 変 わ っ た 話 に 引 き 続 き、 さ ら に 驢 馬 に ま つ わ る 売 買 譚 へ と 話 が 展 開 し
七七四 ている。既に存在する資料に基づいて作品を書く場合における一般的な傾向として、元の資料に新たな要素を付加し て ゆ く 事 か ら、 勢 い 最 初 の 資 料 よ り も 饒 舌 に な る 傾 向 は 免 れ な い。 そ こ で 今 指 摘 し た 二 つ の 事 を 考 え 合 わ せ る と、 「蹇償債」が「大楽上人」をもとにして書かれたという一応の推論が成り立ちそうであるが、事実はそうではない。 『 聊 斎 志 異 』 と『 子 不 語 』 の 先 後 に つ い て は、 蒲 松 齢 の 生 没 年 が 一 六 四 〇 ~ 一 七 一 五 年 で あ り、 袁 枚 が 一 七 一 六 ~ 一 七 九 七 年 で あ る が、 『 聊 斎 志 異 』 は 蒲 松 齢 の 死 後 五 十 一 年 を 経 た 乾 隆 三 十 一( 一 七 六 六 ) 年、 厳 陵 の 太 守、 趙 起 杲 が 鮑 以 文 と そ の 他 四 人 の 協 力 に よ っ て 始 め て 青 柯 亭 本 と し て 刊 行 さ れ た こ と は、 す で に 先 学 の 指 摘 す (注 6 ) る と こ ろ で あ る。また、袁枚が『子不語』を執筆したのはその晩年、六十歳前後と言われているから、蒲松齢が「大楽上人」をも と に「 蹇 償 債 」 を 書 い た わ け で は な い こ と は 明 ら か で、 「 蹇 償 債 」 を 分 か り に く い 作 品 た ら し め て い る 記 述 の 不 備 に かかる原因は、この問題とは別のところにあることになる。 推 測 す る に、 「 施 し を 受 け た 者 が 死 後 恩 返 し に 現 れ、 驢 馬 に 生 ま れ 変 わ る 」 と い う 話 の 大 元 に な る 資 料 が 本 来 存 在 していて、それをもとにして「蹇償債」と「大楽上人」が別箇に書かれたのではあるまいか。資料にまつわるこれと 同種の問題については既に前項で、蒲松齢の『聊斎志異』と紀昀の『閲微草堂筆記』が書かれた背景に、志怪に関連 する大元となる共通の資料が存在していた可能性を指摘した。これもまた同様に『聊斎志異』と『子不語』が、それ ぞれ独自に書かれたという次第ではあるまいか。 この推論を裏付ける資料として、 『聊斎志異』巻八「銭卜巫」が挙げられる。 「銭卜巫」は金持ちの某翁が、夏商と いう貧しい者に同情し、大金を貸し与え商いをさせるが、いつも元手を欠いていた。田畑と家を売り払って借金を返 済しようとする夏商に対して翁は不憫に思い、さらに多額の金を貸すのだった。夏商は翁に向かって「十数金すら尚 ほ 償 ふ 能 は ず、 奈 何 ぞ 来 世 の 驢 馬 の 債 を 結 ば ん や 」( 十 数 金 で さ え お 返 し で き な い の に、 ど う し て 来 世、 驢 馬 に 生 ま