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ホアキン・フランシスコ・パチェコ 「法典:その編纂と議論」(1836)

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(1)

<翻 訳>

ホアキン・フランシスコ・パチェコ

「法典:その編纂と議論」

(1836)

訳:

訳者序

本稿はイサベル2世統治下の19世紀スペインにおいて,政治家,法学者, 作家として活躍した Joaquín Francisco Pacheco(1808!1865)の “Códigos: Su Formación y Discución”(原典のタイトル表示すべて大文字,アクセン ト記号なし)の邦訳である。底本としているのは彼の論文集 “Estudios de Legislación y de Jurisprudencia”(1843, Imprenta De La Viuda De Jordan É Hijos, Madrid,当時の正書法によるタイトルは “Estudios de Lejislacion y de Jurisprudencia” で原典表紙ではすべて大文字表記:スペイン国立図 書館蔵)であり,本論文は同書所収の第2論文として19頁から27頁に掲載 されている。この論文の初出は,「司法学および立法学報」(Boletín de Ju-risprudencia y Legislación:当時の正書法による表記は “Boletin de Juris-prudencia y Lejislacion”)の初期のシリーズ(1836)に掲載されたもので ある。 本稿の書かれた時代背景と本稿の意義について簡潔に触れておく。 当時のスペインは激動の真只中にあった。1808年,フランスのナポレオ ン・ボナパルトが軍事力を背景にスペイン王を排除し,兄ジョセフ・ボナ パルトをスペイン王ホセ1世として即位させた。ホセ1世は,バイヨンヌ 憲法を制定し,スペインにおけるフランスの支配を強めた。スペインの民

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衆は蜂起し,フランスからの独立戦争(半島戦争)が勃発した。スペイン 南部カディスに逃れたスペイン人たちの議会は,1812年自由主義的な色彩 を帯びたカディス憲法を制定する。これは反フランスのスペイン人たちの 手によるものであったが,その内容はフランス1791年憲法の影響を強く受 けたものだった。ナポレオンの敗走後,1814年にはスペインの王フェルナ ンド7世が即位するが,フェルナンド7世は絶対王政を志向し,カディス 憲法を停止し,強権政治を強いた。フェルナンド7世の治世中,自由主義 派がマドリードを制圧した「自由主義の三年間」などを挟みつつも,彼の 治世は基本的に強権的であり,とりわけ最後の10年間は「忌むべき十年間」 として歴史にその名を刻まれることとなった。なお,この1810年頃から 1825年までの間にスペインはフィリピン,キューバ,プエルトリコを除く すべての海外領土を失った。 1833年フェルナンド7世の没後,娘イサベル2世がわずか3歳で即位す る(摂政:母マリア・クリスティーナ)と,これに反発したフェルナンド 7世の弟カルロスは,カルロス5世として即位を宣言し,王位を巡る内戦 (カルリスタ戦争)へと突入する。カルロス5世を担ぐカルリスタたちは, 絶対主義と伝統主義を旗印にしたため,マリア・クリスティーナは,穏健 な王政支持派と自由主義者による立憲王政を模索した。そこで,カディス 憲法を支持するマルティネス・デ・ラ・ロサが政府を主導し,1834年には 自由主義的欽定憲法たる王国組織法(Estatuto Real)が制定される。しか し,同法では極端な制限選挙が敷かれるなど,その自由主義的な性格は十 分なものではなかったため,進歩的な自由主義者の失望を招いた。1835年 には進歩派が各地で都市暴動を主導した。王党派は,カルリスタ戦争にお いては仲間である進歩派に歩み寄ることを余儀なくされた。そこで,マリ ア・クリスティーナは,進歩派メンディサバルを首相とした。本稿はその 時代に書かれたものである。なお,本稿の発表と同年にメンディサバルは 罷免されたが,進歩派軍人や警護兵によるクーデター・蜂起があり,カ ディス憲法の復活や領主制の廃止等の進歩的改革が行われ,翌年には王権 は依然として強いものの,序文で国民主権を謳い,三権分立を規定する新

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憲法が承認されることになる。 著者パチェコ(あるいはパチェーコ)は,1808年スペイン南部アンダル シアのエシハに生まれ,セビーリャ大学で法学を学んだ。後に,首相や大 臣,在フランス大使を務め,スペインの政治・法学に多大な影響を与える パチェコだが,本稿の出版当時の1836年は彼の法学者としてのキャリアの スタート地点に当たる。1836年以前にパチェコの発表したものといえば, 詩や戯曲がほとんどである(彼はロマン主義の作家としても名高い)。1836 年に,本稿を含む数本の論文を掲載する「司法学および立法学報」を創刊 し,アテネオ・デ・マドリードで講師を務めるなど,法学者としての精力 的な活動が始まった。なお,彼の政治的な立ち位置は穏健派自由主義であ る。1837年からアンダルシアのコルドバで穏健派政党の政治家として議席 を有していた。1847年首相兼外務大臣,1854年外務大臣および司法大臣, 1864年外務大臣を務めた。1865年10月8日,パチェコはコレラにより57歳 でこの世を去った。 本稿は,パチェコの法学者としてのキャリアの最初期の論文である。そ の主張は,現代では直ちに賛同しがたいところもあるが,時代背景と併せ て考えるとその意義は理解可能である。本稿で彼は2つのことを論じてい る。法典編纂の順序と議会での議論方法である。前者については,彼はま ず権利を確立する民法典を編纂し,しかる後に商法典,刑法典と続くべき であるという。後者については,多数の議会での細かい議論は必ずしも法 典編纂に向いていないのではないかと疑問を呈する。彼の主張は,つまり, 人間理性の問題である法典の基本原則は議会が議論すべきだが,個々の条 文の文言等については起草を委ねられた少数の専門家が決めるべきであり, 細部まで専門的知識を持たない多数の議員が容喙すべきでないというもの である。そうでなければ,欠陥に満ちた法典が成立してしまい,法的安定 性を欠くという。およそエリート主義の主張のように思われるが,国中で 絶対王政派と立憲王政派の内戦があり,さらに立憲王政派の中で穏健派と 進歩派の武力衝突がある中で議会の綱引きが行われていることを考えると, この主張の真に意図するところもまた見えてくるのかもしれない(そのよ

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うな政治的な意図があるのかそれとも純粋な立法理論的な話でしかないの かは,さらに研究を進めないとわからないので,現段階では断言しない)。 パチェコの議論を知ることは,スペイン法学史研究にとって重要である ことは論を俟たないが,それだけでなく日本法学にとっても重要である。 19世紀は欧州における国家単位を超えた近代法立法の世紀であり,近代法 学発展の世紀であった。スペインももちろん例外ではなく,パチェコは刑 法学者としてフランス刑法理論をスペインに持ち込んでいる。19世紀の後 半には日本もこの流れに加わり,世界各国の法典・法学を参考にして法典 を整備していった。この時代の欧州の立法議論を知ることは,日本近代法 成立史の一端に触れることに他ならない。本稿自体が日本法に与える直接 的な影響はおよそないと思われるが,一連のパチェコの法学者・政治家と しての活動の最初期の作品としての重要性は疑いようがないだろう。 なお,本稿の原点には注釈は打たれていない。本稿の注釈はすべて訳者 による訳注である。

法典:その編纂と議論

長い間,スペインにおいては新たな諸法典の編纂が求められてきた。民 法改正の必要性や刑法ならびに両訴訟法の制度をより良い基盤の上に打ち 立てることの必要性は,万人にとってあまりにも明らかであった。パル ティダ(1)スの多くの条項と現在の我々の文明や慣習との不一致,そして法 規 (2) 集の欠陥と無効性は,新法典編纂の要求に反論する声もその必要性を疑 う声も,そして結局のところ今日我々が有している現行法の存続を擁護す る声のただのひとつも上がらなかったほどに明々白々であった。ここ30年 にわたり我が国において移り変わってきた諸政(3)権,その設立原理は様々で あったが,対立する意見をとりあげて公言することで,社会問題をいつも その政治色に染め上げようとする諸政権ですら,まったくもってこの点で はすべての政権が合意する義務を履行してきた。ホセ王政権とカディス議 会が,フェルナンド王政権とマドリード議会が,憲法の閣僚たちとセ (4) アの

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大臣が,すべての政権がこの改革を推進することを公言し,合意していた。 これらのプロジェクトは,それぞれの政権の本質や性格に応じて,多かれ 少なかれ精力的に行われたが,最終的に同一の一致した結果が得られな かったことは確かである。そのためには,ひとつの立法に関する政治主義 が常に支配的でなければならず,かつその主義が次の政権にも受け継がれ なくてはならないからである。しかし,それらの結果がどうであったにし ても,実行されたプロジェクトがいかに異なったものであったとしても, それらは一連のものであったし,それらは普遍的な信念の厳粛な確証であ る。そして,それらは反論の余地なく,古い立法の歪みや抜け,そしてそ の喫緊の全体的かつ絶対的な改正の必要性を,どのような政権の下にあっ ても,明らかにしてきたといえよう。 憲(5)法の公布以来,現在我々を統治している政府は,政治状況の許す限り の優先性をもって,疑いなくこのプロジェクトに従事してきた。1834年立 法府の当初会期には,刑罰の一部だけでなく手続部分にも関する刑法の包 括的な草案が提出された。民法の起草を委任された委員会も,その任務を きわめて迅速に終わらせたようだ。民事ならびに刑事の手続法の編纂も, それらの委員会において非常に進んでいるといわれている。かくして,間 もなくその欠陥の最も顕著である私法における主要法の改正があることに なろうと予測すべきである。というのも,正当な司法行政が日々それを必 要としているからである。 さて,我々が歩み始めそしてそれゆえ現に歩んでいるこの道が最も実用 的で最も理性的に確固たるものとして推奨しうるものであるかを検討する 仕事が我々には残されている。すなわち,この複数法典の同時編纂が適切 であったのか。それとも,法典に基礎を提供するべき他の法典の成立や可 決がないままでは最終的な草案は作成しないという論理的かつ承継的な順 序で着手した方がより賢明であったのかということの検討である。そして また,こういう検討もある。すなわち,議会での議論の方法,つまり細部 の議論方法が,章立て,条文,表現,修正が,我々の望む成果を得る目的 にかなうものか,秩序ある体系的な一貫した諸法典を創出する目的にかな

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うものか,そしてそれら法典が国家の利益とそれを構成する個人の利益が 要求するものとなっているかの検討である。 今示した2つの問いのうちの前者は,至極単純であるように思われる。 我々は,問いを検討するとき,多数派の感情や意見に対立することを恐れ ることはない。この問題は自ずと次のような別の問題に解消されるだろう。 すなわち,「あるひとつの社会における諸法典の間に調和関係はあるか, またはあるべきか」,「それらの諸法典の間に依存関係はあるか,またはあ るべきか」,「優先関係または序列関係があるか,またはあるべきか」とい うことである。もし,それらがないのならば,適時に全法典を同時起草す ることができる。適時に作業部門により多作を開始すればよく,それによ り時間を節約し,国家の資源を増大することができる。しかし,もし諸法 典間にこれらの関係があるならば,第1の法典起草を終わらせずに第2に 進むのは疑いようもなく間違いであり,誤りである。これでは,基礎なし の建設,あるいは不安定な基礎の上の建設となる。それは,今日骨を折っ て為したことを,明日には破棄するといったことを余儀なくさせる。これ では,安定的で決定的で持続的な法典を常に求めている社会を害する,暫 定的で儚い諸法律を制定することになる。 ところで,我々が今話題にしている現に事実上それらの法典間に存在す べきこの関係を,誰かが知らないなどということがありうるだろうか。商 法と民法との関係は世の万人に知られている。商法典起草に際して,それ に基礎を与え,根拠づけとなるべき民法典の起草がなされるまで,商法典 の一部の条文の起草を中断すべきことを委員会が理解していたのは幸運な ことだった。だが,このような関係は,負けず劣らず緊密に,民法と刑法 との間にも存在する。民法は,諸権利を確立するものである。そして刑法 は,刑罰制裁によって諸権利保障を行うものに他ならない。これより緊密 で論理的な関係はないだろう。これほど相関的な2つの理念はありえない だろう。これほど正確な順序を不可欠に要求する2つの仕事はないだろう。 この順序をあべこべにすると大変おかしなことになる。すなわち,存在し ない権利に制裁を加えることや,制裁を必要とする権利を制裁なく設定す

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ることになる。 このようなことは,同様の結合関係のない他の法典間には当てはまらな い。手続を規定する諸法典や,ベンサムが従属(6)的と称するところの規則 を内容とする諸法典,法の公布に関する法や,または同一起草者の手にな る諸実(7)体法の場合がそれである。民事訴訟および刑事訴訟は,民法およ び刑法から独立している。これら同士は,それぞれに異なってよい。この ように,原理に変化があっても,これら同士は維持することができる。 ここまで述べたことから次のことが導き出される。今まで採用されてき た法典起草の方法は,民法よりも先に刑法から始めた点において,まった く間違った方法であった。もっぱら我々の刑法が最も欠陥品であったとい うことが,立法府の注意を最も強烈に引きつけ,考慮を促し,最優先で検 討させたのであろう。悪名高い欠陥があったのだとしても,善を行おうと することの焦りが,この行動には表れている。そうでなければ,どうして ガレイ(8)氏の啓蒙主義から,当初より話題となっているような刑法草案が議 会に提案されることが予想できただろうか。非常に多くの重大な醜い欠陥 があり,その欠陥が世の万人に認識され,当局もその欠陥を認識した。そ れらの時ですら,提出された草案の擁護者たろうとする者はいなかった。 他の何の考慮によりこの草案が支持されたのか分からないが,それがいか にひどく欠陥のあるものであるといえども,これまでの状況やまだ現行法 であるところのものの状況に照らしてみると,より良いものであったのだ ろうということは推察できる。 しかし我々は,勤勉かつ正しい意志の正義を有する,秩序の,論理の, 完全性のために我々が必要であると信じるところのものの最大の支持者で ある。我々は,法典としての性質を有するものを,毎日のように作り出し たり,取り消したり,修正したりすることはできないと考えている。これ らの法典は,ひとたび裁可され制定されると,再び触れられることなく数 世代過ぎると思われる。これらの法典すべてに国家の利益として要求され る威厳を与えるためには,その安定性が,その尊重が重要であると思われ る。我々は公布をそれほど急ぎはしない。というのも,それが公布される

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ときには,もっと完成度の高くまたはせめて欠陥の少ないものとなること を望んでいるからだ。公のニーズに合致しない法律の欠陥によって,さら に数か月も苦しむのは耐え難いが,結局のところ,何世紀も苦しんできた 者たちは,完全性に向けた大いなる進歩たる変化をまだ待ち望んでいるは ずであり,立法のたびに触る必要のない,基礎的欠陥のせいでいつも不快 に思うことのない安定した決定的な法を持ちたいはずなのだ。 したがって,つまり私見によれば,最初に着手し編纂されるべき法典は 民法である。その次が商法である。そしてさらにその次が刑法である。権 利そのものを規定する実体法に関しては,このとおりである。 訴訟法典については,それらの間にも,実体法との間にもそのような関 係がないことはすでに述べた。このような場合には,最も早く終わる方法 が望まれる。その順序を政府の意思によっても,その優先順位によっても, 公益からは刑事訴訟法の優先が要求されるだろう。刑事訴訟法は同時に最 も関心の寄せられている法であり,残念ながら,より普遍的かつ絶対的な 改革を必要とする法である。 2つ目の問いに移ろう。議会での法典議論についてである。 これには先例があり,実務はそれに従っていると思われる。法案が提出 され,委員会を通過し,委員会による報告書が提出され,ひとつひとつの 条文ごとに承認されまたは修正されあるいは差し替えられる。一般討議が 開始され,それに続いて投票が行われる。おそらくこの状況をひとつひと つの条文ごとに繰り返す。そうして1条また1条と議論がなされ,承認さ れまたは修正されあるいは差し替えられる。何日も何週間も何ヶ月もかけ てこのように進み,その終わりに法典が公布される。 ここに述べたような,憲法が求める全手続によって,すなわち俗に法律 編纂の小芝居と多くの者に思われている手続によって,法典が公布される。 ところが,その法典が,欠陥に,矛盾に,なお不条理なおかしな規定に満 ちていることがありうる。いま述べたことにさらに次のことを付け加えて も極端すぎはしないだろう。すなわち,法典はいつも,起草した当初のも のよりも,その後に委員会によって修正されたものよりも,劣ったものに

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なる。私見の真意が批判されることを恐れず,最も深い信念をもってこの 主張を断言し,維持する。我らの議会のように,多数人からなる機関のい くつかは,このような法律の編纂に最も不向きである。これらの機関は, その起草者を必要とし,投票において成立に影響を与えうる数を必要とし, かくも多数人からなる会議では求めることがばかげているその議題に関す る特別知識を必要とするだけでなく,このことだけに専従するごく少数の 人間にしか見られない信条の確かな統一性と確かな体系精神まで必要とす る。しかし,あらゆる政治的審議機関の大部分が,それとは異なる状況に 遭遇するはずである。これら機関の大部分を法律家と極めて優秀な法律家 から構成することを前提とするのは無理がある。そして,理解できない点 についてはその都度棄権するような必要な思慮分別はいつも期待すべくも ない。なんということだ。多くの者は誠実にようやく迎え入れた学問を心 底まで知ろうとは思わないのか。あたかも公理のように子供時代から身に 着けてきた俗流の偏見があるのではないか。権威と目されている人々の思 慮について実に間違って判断しているのではあるまいか。結局のところ, 学問の最たる問題が,政治的党派の反映と帰結により,その感情的な色眼 鏡で染め上げられている可能性はないか。 この議論から我々が議会制を批判しているあるいは議会から法律への投 票権を奪おうとしているなどと誤解しないでほしい。そのような見解は, 我々の見解からはかけ離れている。だが,統治機構のこの部門について俗 に抱かれる見解は,特に立法や行政などといった古く極めて不適切な権力 の区分についてとても重大な誤りを犯しているようである。この見解の帰 結として言われてきたこと,なお一般に言われていることは,議会はもち ろん君主と協働する立法権力であるということである。ここから,議会は 作成された法律のすべてを承認しなければならないということを言わんと しているのなら,誰もそのような見解や名称に反対できないであろう。し かし,立法機関であり他の何物でもないという観点のみから議会を考察す るというのならば,議会に対してきわめて狭量な考え方を持っているとい えるのは確かだろう。議会は,何よりも政治機関であり,統治機関である。

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それは,議会が議会自身を自分で統治しなければならないからではなく, 政府機構を,承認したり反対したり,創出したり打ち倒したりしなければ ならないからである。これが議会の主たる使命である。答弁によって,請 願によって,単純投票によって磨き上げられる使命である。その後に,そ う,ただその後にのみ,議会は立法行為に関与することになる。立法は実 に偉大かつ立派な特権だが,私見によれば,とりわけ,政治的な法の審議 が行われているのでないときは,この特権は序列的にはきわめて副次的な ものである。 もし我々が余りにも軽々に立憲政治を攻撃しているというのなら,読者 には許してほしい。その哲学原理も,俗にそのようなものであると流布し ている見解の誤謬もほとんど知られていなかった。このような誤謬こそが 祖国を統治する制度の敵であったのだということを知らない者たちのため に,このごく短い余談が必要だったのだ。 さて,今ここで,どのような法典であれ,巨大審議機関で詳細に議論し なければならないというのは不条理であると思われるという現実的な話を しよう。というのも,巨大審議機関の大多数は法典を理解することも評価 することもできないからだ。さらには,議題の専門家であると評される幾 人かが述べ,投票するところに委ねるしかなくなり,あらゆるところで, 結果として危険と不確定性が生じよう。また,いくつもの矛盾,いくつも の過ちを犯し,そして体系も秩序もない作品が出来上がるだろう。また, おそらく,最終的には,両方の欠点を併せ持つものになるだろう。なぜな ら,予見し計算すべき帰結をこのようにして偶然に任せてしまうとき,そ のようなことがまったくもって起こりうるからである。 このような議会において適時に立法の主要原則の議論をすることは,そ れはいわば,個々の規定のすべてをその上に置く土台である。そこに困難 はないだろう。これら諸原則は,政治的な問題または人間性についての, 純粋理性についての,常識についての問題に他ならない。すべての下院議 員ならびに上院議員は,特別な学問上の階層にあることを要求されること なく議論できる。そしてここで,議会の仕事は終わりとすべきである。原

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則の承認,法典の政治的社会的精神の承認およびその適用とその範囲は, もっぱら少数の人々に委任されるべきである。政府から提出された法典の 見直しについても同じである。少人数の人々が作成した法案について,議 会は詳細を検討することなく,有効であり,良くできたものであり,確か なものであるとの承認を与えるのである。このやり方ではいくつかの有益 な意見を見逃してしまうことになるかもしれない。だが,体系的で,統一 性と単一性と哲学をもって考えられ作成された作品を得るための確実さが 得られるだろう。 この種の考えを表明したのは,我々が最初ではない。すなわち,特定の 法律について議論する我々の制度が誤りであると断じたのは我々が最初で はないのだ。法学ならびに議会討論の実務において最も傑出した人物の一 人であるフランス下院議長のデュパン(9)氏は,我々と同じ意見から生じ,あ るいは我々と同じ精神に刺激を受けたいつかの検討事項をちょうど下院に 依頼したところである。彼によれば,法律編纂のためにフランスの議会で 採られている方法,それはすなわち実質的にスペインの議会において使用 されているものと同じ方法だが,それでは一定の量を有する法案について は,その性質上うまい編纂結果に決してならないという。かの国では,40 ないし50の条文で構成される法律は,分量の多い法律とみなされるのが常 であると指摘されている。となれば,特定の点につき扱った,おそらく 2500条や3000条までにもなる法律については,何と言えばいいのか。 これが,諸法典を編纂する順序と議論の方法に関する私見である。前者 においては関連性と一貫性を求め,後者においては統一性,体系性,一貫 性を求めた。今や,すでに述べたとおり,法典は,日々変化すべき作品で はないというべきである。法律をつくるにあたり,人間の社会に与えられ ている限りの完璧に近づくため,尽力すること。それを可能にするための 手段のいずれもおろそかにせずにいること。無計画にせず,どんな小さな 状況でも見逃さないようにすること。このやり方のみが,現代のニーズを 満たすことができる。そしてその時,その名を刻む幸運に恵まれた者たち のために栄光の記念碑が建つことになるだろう。

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(1836.) 注 *訳者序を執筆するにあたり,歴史的な事項の説明については,J・アロス テギ・サンチェス他著〔立石博高監訳・竹下和亮,内村俊太,久木正雄〕 『世界の教科書シリーズ41 スペインの歴史 スペイン高校歴史教科書』 (明石書店,2014年),立石博高編『スペイン・ポルトガル史』(山川出版 社,2000年),川成洋『スペイン通史』(丸善,2020年)を,パチェコの生 涯については,Enrique Aguilar Gavilan, Joaquín Frencisco Pacheco : Perfil biográfico de un político andaluz, en Boletin de la Real Academia de Córdoba, de ciencias, Bellas Letras y Nobles Artes, Nr. 115, 1988, pp. 209!214 ; Ri-cardo Navas Ruiz, El Romanticismo Español, 1990, p. 388. を適宜参照した。 (1) Partidas:13世紀アルフォンソ10世賢王により編纂された「七部法典」 (Siete Partidas)のこと。 (2) Recopilación:16世紀にフェリペ2世の勅令で作られた法規集に端を 発するスペインの法規集のこと。3集あるが,ここでは1805年の「最新 法規集(Novísima Recopilación)」を指す (3) 主に,ホセ1世の治世(1808!1813),カディス議会(1810!1814),フェ ルナンド7世の治世(1814!1833)のうちの絶対主義の6年間(1814! 1820),自由主義の3年間(1820!1823),忌むべき10年間(1823!1833) および本論文が執筆された時代であるイサベル2世の治世(1833!)の 諸統治をいう。

(4) Zea:フランシスコ・セア(Francisco Cea Bermúdez : 1779!1850)政 治家。現在の正書法では Cea。

(5) Estatuto:Estatuto Real(1834年王国組織法:自由主義的欽定憲法だ が,極端な制限選挙制度が敷かれていた)を指す。

(6) adjetivas(原文イタリック体):ベンサムのいう “adjective law”(助法, 付加的法,従属的法など邦訳は様々)すなわち,実体法ではない法のこ とである。

(7) sustantivas(原文イタリック体)

(8) Sr. Garelly:Nicolás María Garelli(1777!1850)のこと。自由主義の 法学者・政治家。バレンシア大学教授。最高裁判所長官(在任期間: 1843!1850)。自由主義の3年間(1820!1823)の間に始まった民法改正 起草者のひとりであり,王国組織法公布(1834),異端審問裁判所廃止 (1834)に司法長官として関与している。彼の姓は Garelli とも Garelly

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とも綴るが,現代では Garelli が正書法に適合的であり一般的である。 (9) Mr. Dupin : André Marie Jean Jacques Dupin(1783!1865)のこと。フ

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