第一次大戦期イギリスの証券動員策による戦費調達
―
対
外
投
資
の
減
少
と
の
関
連
で
―
British Financing of the World War I;
Dollar Securities Mobilisation Scheme
河
合
正
修
Masanobu Kawai
は じめ に 先 に発表 した 「第一次大戦期におけるイギ リス の戦費調達 と戦費支 出」 1『長野大学紀要』第3 巻第1・2
号合併号,1
9
81
年)は,当初 において 計画 した各章,各節で論述す る予定であったが, 計画を変更す ることに した。このよ うに したのは, 各節の表題 をそれぞれ独立の論文で書 きお こすの が,内容的 に も一貫す るもの となると考 えたか ら である。 したが って,例 えは,第2節の租税,公債,一 時貸上金は,租税 についていえは, これを独立 の 租税徴集政策 による戦費調達 とし,内公債,一時 貸上金,外債 は, カレソシー, ノー トの問題 とを 含めて大戦期 の公信用問題 として近い将来,独立 の論稿に したい と考 えている。 本稿は第一次大戦期 イギ リスの証券動員策 に よ る戦費調達 を主題 とし, これをイギ リスの対外投 資 の減少 との関連 で とらえ よ う'tす る もので あ る。 なお, ドル証券動員については,拙稿 「第一次 大戦期のイギ リス公債政策」
(『証券経済学会年報』 第9
号,証券経済学会,1
9
7
4)
の中で取 り上げて いるが,今 回は従来の不完全 な諸点を補充 し,全 く新 らたに論 じた ものであることを ことわ ってお きたい。
以下は第一次大戦期にイギ リス政策当局が とっ た戦費調達 のための証券動員策について大戦初期 における証券動員 に至 る経過,制度仏),制度(B)の 実施,大戦後期の証券強制徴発制度へ と段階的 に 移行 した措置 についてそれぞれ検討を加 えた もの である。 また,公信用を媒介に した これ ら証券動 員策によるイギ リスの国家独 占資本主義の政策 が 副題 に示 した対外投資の減少に有力に作用 した一 因であ った ことを究明す るつ もりであ る。Ⅰ
大戦 初期 の証 券動 員策(
1
91
4-1
6
)
(i) 証券動員策 に至 る経過 第一次大戦勃発直前,すでにニュー ヨークの電 信為替 レー トは異常 なほ どの高 さであ った。大戦 勃発直後か ら8月 1日にかけて,ポ ン ド為替はな お も急騰 し,例 えば,それは7月29日の1ポン ド あた り4.
9
4
5
0N
ドルか ら8
月1
日には, 7
ドルを 記録 した(1)0 (当時 の為替平価 は1ポ ソ ドあた り4.
8
6
6
6
ドル)その後 ロン ドソ為替市場 は崩壊状態 に落ち入 った。すでに7月30日から 8月4日まで に,北 アメ リカの為替市場 に一般的崩壊 があ り, ロン ドン為替市場 の最初の状態はすべての為替 レ ー トが名 目的であ ったが,後 には建値 が付かない 状態であった。 カーコルデ ィは, ロン ドソ為替機 構 の崩壊の原因 として次の諸点をあげている。 (1) コールや短期通知貸 とを問わず,市中銀行 と金融商会の海外保有残高の全般的回収。 (2) ロン ドンに対す る満期債務,特 に ロン ドン 引受商会 によるスター 1)-/グ為替 に対す る一 般的需要, これに対 して大規模且つ突然の需 要 を履行す るのに十分且つ利用可能 なスター リング為替が存在 しなか った こと。金融手形 の創造が停止 された ことである。(
3
)
敵国 との不可避的な為替崩壊 は,直 ちに他 の諸国の為替 に作用を及ぼ した。 これは各国 の為替市場 の相互依存性によるものである。(
4
)
株式取引所 の閉鎖。(
5
)
数 カ国による金輸出の禁止。第1表 1914年度財政予算 な らびに補正予算 (単 位 :千 ポ ン ド) 項 目 巨 9霧 豊実 ・予算歳入1914年度 項 目 191予算歳 出4年度(2)1-9_予算歳出14年度補正 騰 考 関消 費 税税 35.39.350650 34,39,400950公利 払 い 管 理 者債 費 16,741 20,750(1)
也
)租税ベ-ス 関税及び消費税合計 75,000 74.350 元 本 返 済 分 7,759 3.443(2) による○ 相 続 税 28,000 27,770 道 路 改 善 修 基金 1.545 1.545 (2)提出された 印 耗 税 9,900 7,575 地方税勘定補助 費 9.885 9,885 見密 りーこよる 地 租 700 700 その他 の整理基 金 1.706 1.706 ¢) 1914年度 家 屋 税 2,000 2,000 整 理 基金 の 合 計陸 軍 費 37,636 37.329 補正予算歳入 所 得 税 所 得 付 加 税 45,3,250300 63,121350β) 51,28.885550 28,51.885550 項 目の所得税は所得付加税 地 価 評 価 瑞内 国 税 収 入 合 計 89,725875 101.516碍海窮:Ⅰ場の諭 弛軍 費む を含めているO. 租 税 収 入 計 郵電電 便信話 収収収 入入入 皇 領 地 収 入 164.875 175,866 民関税及び消費税と内政 費 26,57,4,152066696 26,58,4.741227885 21.3,6,900530750100 20,3,6,200000330530 ス-ズ運河株収入及 び貸付金収入等 雑 収 入 租 税 外 収 入 2,1.370130 1.4.370000 郵 便 局 施 設 費議 定 費 合 計臨 時 事 件 費国収入のため磯 費 35,780 35.430 168,349 170,288 325,000(出所) SirBernaTd MalletR.C B.and C.Oswald GeorgeB.S.C.(Econ.)∫Bn'iishBudget,Second Sen'es,1913-14to1920-21,MacmillanLondon1929,p.288-p.291.よ り作 成。 これ らの影 響 の結 果 , 裁 定 操 作 は不 可 能 とな っ た の で あ る(2)0 8月4日に, イ ギ リス政 府 は ドイ ツに対 して宣 戦 布 告 を行 った 。 これ は8月1日の ドイ ツの ロシ ア に対 す る宣 戦 布 告
,2
日後 の フ ラン スに対 す る 宣 戦 布 告 に対 抗 す る もの で あ った。 同 日, イ ギ リ ス政 府 は陸 軍 正 規 軍 の動 員 , 陸 軍 予備 役 , 国 防 義 勇 軍 兵 士 の動 員 召 集 を行 った。 この動 員 に は 多額 の戦 費 を必 要 と した が, 1914年 度 財 政 予 算 で は, もち ろ ん大 戦 勃 発 を予 想 して予 算編 成 を行 って お らず , この緊 急 事 態 に対 処 で きる もの で は な か っ た 。 1914年 度 の イ ギ リス財 政 予 算 は, 同年5
月4日 に ロイ ド・ジ ョーージに よ って提 出 され た が, これ に よれ は, 1914年 度 の歳 入 予 算 は, 2億65万5千 ポ ン ド,これ は対 前 年度 の 歳 入予 算 に比 して4,830 万 ポ ン ドは どの増 加 とな って い る。 他 方 , 歳 出予 算 は2億598万5千 ポ ン ドで ,歳 入 予 算 は歳 出予 算 を わ ず か533万 ポ ン ドを うわ まわ った に す ぎ な か った(3)0 (第1
表 を み よ。) 1914年 7月末 の第 一 次 世 界 大 戦 の勃 発 は, 経 費 を飛 躍 的 に増 加 させ た。 す なわ ち, 1914年 度 財 政 予 算 で は, 大 戦 勃 発 以 降 の 戦 費 支 出の急 激 な増 加 に対 応 で き る もの で なか った。 ー2-イギ リス政府 は, 8月6日に第一回臨時事件費 1億 ポ ン ド, 第二回臨時事件費 を11月16日に 2億 2,500万 ポ ン ド,第三回臨時事件費は1915年 3月 1 日に3,700万 ポ ン ドを議決 した。したが って,1914 年 度 全体 の臨時事件費総額 は3億6,200万 ポ ン ド に達 した。 これ らの戦費支 出に対 して大戦当初 の 2,3カ月間 は一時借入金3,500万 ポン ドと大蔵省 証券8,280万 ポ ン ドの発行 によって,と りあえず 1 億 ポ ン ドにのぼ る第- 回臨時事件費の支 出に対応 す る ごとがで きたが,第二 回臨時事件費2億2,500 万 ポ ン ドの支 出に対 しては,政府 は再 び短期借入 れ に よって戦 費 を調 達 す る こ とは不 可 能 と判 断 し,11月17日に第一回軍事公債 (利率3%%,節 面95ポ ン ド) 3億5,000万 ポ ン ドの発 行 にふ み き り,これに よって2億9,600万 ポ ン ドの国庫収入 を 確保 した。且 つ,同 日に補正予算を議決 した。 しか し第一 回軍事公債発行 に よる国庫収入の一 部 は,大戦勃発直後 の短期債務 の返済 にあて られ たため,1915年 に入 って,財政収支 は極度 に逼迫 した。実際上 は1915年 3月 1日の第三回臨時事件 費3,700万 ポ ソ ドの下 院 の追 加 承認 に よ り, また 1914年度 の補正予算の各項 目の増減 に よって,最 終的 には,1915年度3月31日末 の決算において, 国庫収入は2億2,669万4千 ポ ン ド,国庫支 出は 5 億6,047万3千 ポン ドとい う結果 にな り,ために 3 億3,377万 ポ ン ドの赤字 を計上 した。このために政 府 は先 にふ れた第一回軍事公債 に よる国庫収入2 億9,600万 ポ ン ドと大蔵省証券6,415万 ポ ン ド, 3 分利付国庫債 券4,770万 ポ ン ド,政府債務等の総額 4億785万 ポ ソ ドの借入れを行 っていたが,この う ち,第- 回軍事公債か らの短期 の債務返済分
1
億 1,600万 ポ ン ドを控除すれば,実質上3億9,185万 ポ ン ドの赤 字 を計上 した ことになる。(第2
表 をみ よ。) これは ともあれ, ともか く大戦勃発 か ら1915年 3月31日末 までに,イギ リス財政 は実質 2億9,185 万 ポン ドの赤字 を計上 したのであ って, イギ リス 財政 は大戦勃発 の初年度か ら赤字財政 に転落 した のである。 1914年度 の第一回か ら第三回 に及 んだ臨時事件 費 は,そのすべ てが国庫 か ら払 い出 されたわ けで はな く,剰 余金 として2,500万 ポ ン ドが残 った(4)0 だが, イギ リス政府 は1915年 3月10日のイギ リ 第2表 1914年度決算 と赤字分 (単位 :千 ポ ン ド) (I) 歳 入 一 226,694 也) 歳 出 l 560.473 (3) # S 333.779 赤字補足分 296,000 (4)第-回軍事公債にJ:る国庫収入 (5)大蔵省証券による国庫収入 64,150 (6) 3分利付国庫債券に上る国庫収入 47,700 (7) (4)∼(6)借入れ総額 407,850 (8)実質上の赤字 291,850 慕-回軍事公債発行収入に上る 116,000 (出所) Sh2tist,1.Apn'11916 実質上の赤字額は自己算定による。 ス軍 の ヌーヴ ・シ ャベルの攻撃, ダー ダネルス再 上陸 にそなえ,更 に多額の戦費を必要 としていた。 それがため,政府 は1915年 3月 1日に1915年度第 - 回臨時事件費2億5千 万 ポ ン ドを下 院 に提 出 し, これを議決せ しめた(5)。 ところで,大戦勃発当初, アスキス内閣は徴兵 に反対 していたので, キ ッチナ-将軍 が軍需大臣 に就任す る と, キ ッチナ-は初 めの6カ月間で10 万人の志願兵を募集す るつ も りでいた。 しか るに 「この控 えめな計画 は,愛 国熟の波 に よって凌わ れ は じめの1
カ月で50万人が志願 し,その後 の 補充率 は,その後 の18カ月間 にひ と月10万人を こ えっづけ,全体で イギ リスは,300万人 を超 える志 願兵 を集めた。(6)」この予想外 の大量 の軍隊を戦場 に動員す るのに大量 の食塩 と軍需品が必要であ っ た。イギ リス軍 はすでに3月10日に砲弾 が不足 し, 攻 撃がで きなか った といわれている。 1915年度5月 4日の戦争第 2年度の予算が, ロ イ ド・ジ ョージに よって提 出 された。1916年4月 1日の 「ステ ィテイス ト」誌 によれば,歳入は3 億501万4千 ポン ドに対 して,歳 出は15億8,990万 4千 ポ ン ドで,歳入欠陥額 は12億8,489万 ポン ドに のぼ った. これは前年度赤字額 の4倍近 くにのは る. この赤字額 は政府債務発行 に よっ'て カバ ーさ れねはな らなか ったのであ る。 この赤 字額 は予想 外 に増加 し,1915年度 のイギ リス国庫 の決算(1916 年3月31日末)では,1915年度 の歳入決算額は約 -3-第3表 1915年度決算 と臨時事件費 (1916年 3月31日未決算) (単位 :ポ ン ド) 歳 入 336,766.824 1915年度臨時事件費 歳 出 1.559,158.377 第1回臨時事件費 250,000,000 -赤歳出内訳字 1.222,391.553 第(1915.2. 25)(1915.7. 10)2回臨時事件費 250,000,000 (I)永久公債費 20,338,257 第●く1915. 7. 19)3回臨時事件費 150,000,000 (2)戦時公債利払額 .その他 39.911.054 第4回臨時事件費 250,000,000 (3)道路改修基金 694.395 第(1915. 9. 14)5回臨時事件費 400000,000 (4)地方税勘定補助金 .その他 9,756.851 (1915.ll. 9) β) 整理基金費 2,787.790 ¢)議 定 費 1.485,670,030 第如(1916. 2. 16■回臨時事件費回∼第6回臨時事件費合計7) 1,420,120.000,000,000000 踏時事件費剰余金 20,347,989 (出所)
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.
より作成。◆議定費の うちに臨時事件費を含めている。 3億3,676万6千 ポン ドであ って,実質的 には当初 歳入額 を3千万 ポ ン ド以上の増 であ ったが,歳 出 額 は15億5,915万 8千 ポ ン ドで あ って予算額 を下 まわ ったのであ る。 したが って,1915年度 の実質 歳入欠陥額 は,12億2,239万 2千 ポ ン ドで予定歳入 欠陥額 を小幅 なが ら下 回 ったが, これは前年度歳 入欠陥額 の4倍近 くに達す るものであ った。(第3 表 をみ よ。)1915年度 の決算歳 出額 は15億5,915万 8千 ポ ン ドで,その うちの議定費14億8,567万 ポソ ドの95%は臨時事件費 に よるものであ った。 1915年 度 臨 時 事件 費 は第 1回 か ら第 6回 に及 び,その総額 は第3表 に示す よ うに14億2,000万 ポ ン ドに達 した。 この よ うな巨額 な戦費支 出に対 し て, イギ リス政府 は,1915年6月21日に乗換権 を 有す る4%%
利 率 の第2回軍 事公債 を 1億5,422 万 ポ ン ド発行 し, 7月20日∼10月26日の間に 5億 8,700万 ポ ン ドが現金で応募 された。 1916年 3月31日の決算で,第 2回軍事公債 の発 行受取金 は約9臆 ポン ドと増加 したが,戦費支 出 14億 2千万 ポ ン ドに対 して,政府債務 に よる戦費 調達財源 は,第4表 に よれは,第二 回軍事公債発 行 に よる約9億 ポ ン ド以外 に1920年12月1日に期 限 の切 れ る国庫債 券 の発 行受取 金1億5,537万 ポ ン ド,大蔵省証券発行受取金4億9,342万 ポン ド, 戦時貯蓄証書発 行の手取金138万 ポ ン ド,1915年軍 事公債法 の もとにおけるその他の公債 の発行受取 金924万 ポ ン ド,英仏共 同公債5億 ドルのアメ リカ か らの借入れの分割 による収入5,136万 ポン ド,そ れ に一時貸上金 に よる収 入1,989万 ポ ン ドの総 計 16億3,152万 ポン ドに達 したので,イギ リス政府 の 同年度 の政府債務の純増 は,前年度 よ り9臆6,760 万 ポ ン ドとなった。 これに よって, イギ リス財政 の債 務負担 は前年度 の4億5,519万 ポ ン ドの2倍 強 とな った。一方, 同年度 に政府 は植民地 な らび に連合国に対 しての,大戦中の最大の貸付額5
億 4,470万 ポ ン ド行 なった。他方,同年度 に政府 は巨 額 の内国債発行 と外債発行 に よる債務負担 に重圧 されていた。 す でに,1915年5月4日の予算編成上 の段階で, イギ リス財政当局 は,歳入欠陥額12倍8,489万 ポ ン ドが生 じた ことに対 して深刻 な危機感 をいだいて いたのであ る。 これ故 に,第2年度 (1915年度) の財政予算 の議決後, イギ リス財政 当局者 な らび に関係者 は,その後 の戦費支 出の増大 に対 して新 たな戦費調達財源の捻出に苦慮 しなければな らな か ったのである。それが内外債 の発行 に よる戦費 調達策であ ったが, これに よって問題 は解決 され ず, この よ うな戟費調達財源 とい う面 か らの単 に 深刻 な財政危機 に とどまらず,国際収支対策上 か らの特 にポ ン ド為替 の安定 とい う面か ら立案 され たのが, ギ ブソン氏の発議 による ドル証券動員計 画であ る(7)。 -4-第4表 1915年度 の公債 手取金 (1916年 3月31日未決算)(単位 :ポン ド) 公 債 の 種 類 公 債 手 -取 金
(
I
) 41/2串 軍事公債 1.927- 45、 9億 83万 1.583ポン ドの発行にエ 587,196,137.146,155.371.19523,5,863,660261.238,803,468,3 12276133474260 る現金応募 (.分払い済証書 と領収書を含む ) (2) 貯畜銀行基金 の勘定 と交換 してコンソール公債 3,579万 5,490ポン ド の相殺部分 (3) コンソール
公債 2億 1.939万 1ー867ポン ドの うち 41 /2帝軍事公債-の乗部分 (4)■21/2帝年金公債 817万 2.241ポン ドの うち 41/2車軍事公債-の栗 換部分 (5) 23/4飾年金公債 107万 6,485ポン ドの うち 41/2 飾軍事公債-の乗 換部分 (6) 3 1/2頭軍事公債 1億 3,746万 8.426ポン ドの 41/2 ¢軍事公債-の 乗換分. (7) 19 20年 12月 1日期限の国庫債券の発行収入 (8) 大蔵 省証券発行収 入 493.427,000 -(9) 戦時貯畜証券の発行収入 1,387,191 (lQ) 19 i5年軍事公債法のもとにおけ るその他の公債発行収入 9,246,575 (ll) 5億 ドルの7メ l)カか らの借入れの分割部分 51.369.863 (12)一時貸 上金収入 19,896,500 (出所)Re
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,9.36.より作成。 (ii) ポ ン ド為替安定のための ドル証券の動員 ドル証券動員計画は,戦費調達財源の確保 とい うことに とどまらず, ポン ド為替の安定 とい う他 の課題 の解 決 とい う点 か らも意 図 されたので あ る。以下は ドル証券の動員計画が発動 され るまで のポ ン ド為 替の動向についてその概要をみた もの である。 冒頭にもふれた よ うに,大戦勃発か ら1914年8 月上旬にか けて ロン ドン金融市場 は未 曽有の混乱 状態 にあ った。 7月30日に 3%か ら4%に引上 げ られたイングラン ド銀行の公定歩合は,31日には 事態が極め て深刻 にな り,一挙に2倍の8%
に引 上げ られた。当 日, ロン ドン証券取引所は閉鎖 さ れた(8)08月1日に,イングラン ド銀行は恐慌利率 ともい うべ き10%にまでバ ンク ・レー トを引上 げ た。同 日の同行の金準備 は,7月29日の3,813万 ポ ソ ドか ら一 挙 に2,762万 ポソ ドと1,000万ポン ド以 上の大幅減 とな った(8)。政府 とイング ラン ド銀行 の関係者,民間銀行 との間で恐慌 に対処す るため に1844年の銀行条例の停止を含めて緊急通貨の供 給が協議 されていた。 8月2日に, 1カ月の支払延期を為替手形に関 して認める特別 モ ラ トリアムが布告 された。 8月3
日に,政府は一般 モ ラ トリアムの一環 として銀 行休 日を8月6日まで延長 した。6日に,,バ ンク・ レー トは6%
に引下げ られ7
日に, さらに5%
にまで引下げ られた。 この 日まで銀行休 日は事実 上継続 され, 9日の 日曜 日は,銀行は きしくも自 然休 日であ り,時間的余裕 もあって大蔵省 とイン グラン ド銀行 との間に協議が行われた後,為替手 形の支払延期の宣告が発せ られた。 この宣告の内 容は8
月4日以前の要求払手形以外のいかなる手 形 も支払呈示 に際 して, 1カ月の予告 の 日付で再 引受 され るが,その場合には,再引受の 日に手形 額面額にバンク ・レー トの1
カ月の利子を債務者 に課す るとい うものであった。 この1カ月の支払猶余は引受商会 に余裕を与 えた。 これは さらに9 月4日まで延期 された。 5日に, イングラン ド銀 行は,モラ トリアム以前の満期手形を払戻すため の資金 を引受商 会 に貸付 け るであ ろ うと声 明 し たく9)。その貸付 はバンク・レー トよ りも
2%
割高の 利子が付いた。 同行は戦争終結後1年 まで返済を 要求 しよ うとしなか った。 この恐慌対策で,引受 商会は危機 を一時脱出す ることがで きた。 8
月6
日に,政府 は 「カ レンシー ・ノー ト並 びに銀行券 汰(
1
0
)
J
を制定 し,通貨不足を解消 したo その後,恐慌 が沈静化 して くると,9
月2
9
日に, イングラン ド銀行 は布告を発表 して, モ ラ トリア ム以前の手形を割引 く協定をで きるだけさけよ う とす るために,時を移 さずそれ らの申 し出を送付 す るよ う要請 している(ll)。 セイヤーズは「8
月1
4
日の1
日だけで,1,
0
0
0
万 ポン ドの手形が同行に持ち込 まれ,最終的には総 額1,
2
0
0
万ポン ドほ どに達 した。おそ らく,この金 額は市場にあった手形全体の兄に及んだ と思われ る。 これ らの手形 は,1
9
1
5
年2
月までに大部分決 済 されたが,その決済にあた って,計画の第2
段 階にもとづ くイングラン ド銀行の手形引受人に対 す る資金の特別融通が,手形の決済 と同歩調では ないにせ よ急増 し, この引受人に対す る融通 の大 部分が戦争中返済 されず に終わ り,戦後 まで残 っ た(12)J
と言 っている. この状態 は一 向に改善 されず,
∫
.
M.
ケインズに よって強力 に批判 された.(13)。概 して 1億2.
0
0
0
万 ポン ド以上が11月末の申込みの停止以前 に割引か れた。株式銀行 はイングラン ド銀行 と政府 と協力 して,もし必要 な らば,手形が満期 になった とき, モラ トリアム後 の満期手形の引受けを履行で きる よ うにするために引受人に貨幣を貸付ける用意が あると声明 した(14)。 その後為替機構が引受商会に対す る手厚い保護 によって漸次に回復 して きた。 このために要 した 期間は1
0
月∼1
2
月の3カ月の期間を要 した。1
9
1
4
年度末,ポン ドあた り4 ドル86セン ト% まで回復 したが,1
9
1
5
年 に入 って,為替 レー トは再び下落 しっつげ, 7
月に4
ドル77セン トにまで下 った。1
9
1
5
年1
月 か ら7
月 まで輸入超過 が激増 しっづ け,この間の輸入超過額は 1億9,
4
0
0
万 ポン ドに達 した。これは前年度 の7月∼1
2
月の入超1侍こ
9
0
0
万 ポン ドをはるかに しの ぐものであ った。 したが っ て,1
9
1
5
年 に入 ってか らのポン ド為替 の下落は,1
9
1
5
年1
月∼7
月の入超を反映 した もの と思われ る(15)。 8月に入 って,大蔵省はポン ド為替下落に対 し てイングラン ド銀行が アメ リカ ・ドル証券を ロン ドンにおいて買上げ,それ らを売却す るためにニ ュー ヨークに送付す るよ う指示す ることで為替市 場 を救済す るための最初の措置を とった(16)。これ らの操作は年度末 まで継続 された。 これによって 当時2
億3,
3
0
0
万 ドルの証券 の名 目額 が買上 げ ら れた。対米為替相場 は1
0
月末か らしば らくの問, 上昇傾向をた どりなが ら, 4ドル7
7
セ ン トと4ド ル5
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セン トの間を変動 しっづけた。 (iii) ドル証券動員の導入の実施1
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年1
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月1
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日, イギ リス大蔵省 にアメ リカ ・ ドル証券を売却 もしくは預託の意向のある同証券 保有者の リス トを提 出す るよ う求め る大蔵省の回 章が,保険会社,投資信託会社等 に対 して送付 さ れた(17)
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月2
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日に,同様の回章が一般公衆に対 して も送付 された(18)0 すでに1
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年の秋をつ うじて,対米 ドル為替問 題が切迫 し,1
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月にはニューヨークで英仏共同公伝 (
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億 ドル (概算1
億ポ ン ド)の起債協定がアメ リカ合衆国 との間に取 り 交わ された(19)。 この協定の 目的は,い うまで もな く他の対米借入れ と同 じく, ロン ドン金融市場-ドルを供給す るとい うことよ りもむ しろ, これに よって政府収入を増大 させ,戦費調達 を確保す る ことにあった。 か くして, イギ リス政府はアメ リカ合衆国か ら の大量の食糧 と軍需物資の輸入のために生 じた債 務の増大を金現送以外の方法で処理 し,対米為替 相場のポン ド為替の改善 と維持をはか るための機 構を構築 したのであ る。 これが ドル証券動員計画 とよばれる政策であ る(20)0 す なわち,政府が民間保有の外国証券, とくに アメ リカ ・ドル証券 と植民地証券を買上 げ と預託 のいずれかの方法で動員 し,買上げ られた証券の 多 くがアメ リカ証券市場で売却 された。 また買上 げ られた他の証券は, アメ リカ証券市場で起債 さ-6-れた イギ リス国債 の担保 として使用 さ-6-れた。証券 動員 によって調達 された資金の多 くが, い うまで もな く大戦 の戦費 目的に充用 されたのである。 こ の証券動員策 によってポン ド為替の安定維持 と英 仏共 同公債等 の対外借入れによって国内 インフレ 圧力に対す る緩和が可能 になった と共に軍事公債 の発行による戟費調達の補完が行われた といえよ う。
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年1
2
月1
3
日に, マ ッケンナ大蔵大臣は議会 で次の よ うな演説を行 った。「政府 に とってはイギ リスの証券保有者 によって保有 された一定のアメ リカ, カナ ダ ・ドル証券を即座 に売却 もしくは預 託す ることが望 ましい。 また このよ うな証券 を対 米為替相場 に安定 させ るの に使 うことが望 ま し い」 とした(21)0 これによって も明 らかな よ うに, ドル証券の売 却 もしくは預託の当面の意図が,対米 ドル相場 に おけるポン ドの安定維持にあった ことはい うまで もなかろ う。 ドル証券委員会の設立以前 に, ドル 証券 の売却,預託が, ポン ドの安定維持に役立 っ た ことは注 目すべ きであるといえよ う。1
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年1
2
月3
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日, ドル証 券 委 員 会 が任 命 され た(22)
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年1
月6
日に, ロン ドン為替委員会が 設置 され,為替 くぎ付け政策が開始 された。 ほぼ 同時期に, ドル証券委員会は,5
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の指定 ドル証券 の 1)ス トを公表 し,業務を開始 した(23). 大戦終了後 の1
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年1
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月2
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日, アメ リカ ・ドル 証券委員会 は,証券動員計画の もとで政府 によっ て買上げ, もしくは預託 された証券 と関連 しての 見解を含めた興味ある報告書を提 出 した(24)0 この報告 に よる と, ドル証券委員会の機能 は, 多量 の軍需 物資 とそれ以外の食糧物資等の購入の 結果,大戦勃発以来,漸次 に下落 しっづ けて きた 対米為替 レー トを改善 し,維持す るために大蔵省 で とられた政策を統制す ることにあった。 この委員会の報告書は,証券動員の経過,(制度 也),制度(B),強制散発制度)について詳細 にふれ ているので,以下の論述は,多 くを この報告書 に よっているが,報告書 と関連 した事項で報告書 に のべていない部分については他の資料等 によって 補充 した。 これによって我 々は ドル証券動員策 に よる第一次大戦期のイギ リスの戦費調達の詳細 を 知 ることがで きよ う。 1 制度仏トー一一一第一段階(
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制度仏)を規定 した諸事項 は,1
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年1
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月1
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日, 「ロン ドン ・ガゼ ッ ト」 に公表 された(25)0 a.買上 げ 大蔵省は ニュー ヨーク株式取引所の相場値 に も とづいた価格で適当な ドル証券 を買上 げたが,売 手 は代金 としては現金の他 に将来長期軍事公債の 額面 プラス利子に応募可能 な1
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年満期 の5%
国 庫債券 を選択で きた。その際 に支払われ るスター リング価格は,当 日のニュー ヨーク為替市場 で換 算 されて支払われた。相場値段 によらない場合に 紘,協定で定め られた価格でな された。b.
預 託 大蔵省で預託 された証券は預託者に対 して証券 の額面1
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ポン ドにつ き年0.
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%
の追加利子を支払 うとい う条件で預託 の時期 か ら 2カ年問受託 され た。証券は大蔵省 によって登記 され,譲渡証券に よって移譲 され る。預託者 は このよ うに預託 した 証券を ニューヨーク証券市場で ドルで売却す るよ うに政府に要求す ることがで き,その場合は当 日 の為替相場でスター リングに相当す る額 に換算 さ れて ロン ドンで支払われた。 なお,政府 は一定の 条件で預託者の要求がな くとも証券を売 る権利を 留保 した。 この留保は債券保有者の承諾を うるこ とがで きなか った。後に,大蔵省が証券を処分す る と決定 した ときには,預託者 に通報 し,市場価 格で証券を買い戻す ことを1
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日以内に預託者 に許 可す ると約束 した。各預託証券 に対 しては, ロン ドソ市 場 で 売 却 可 能 な大 蔵 省 証 書(
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が発行 されたが,預託証書は,預託 期間の終 りに大蔵省証書 と交換 に預託者 に対 して 返還 され ることがで きた。制度仏)の もとにおける 預託証券について交付 された大蔵省証書 の株式取 引所 における売買 については,株式取 引所委員会 との協定がなされた。 先 にもふれた よ うに,1
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年1
月, ドル証券委 -7-貞会 は
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銘柄 の指定 ドル証券の リス トを公表 し, オペ レーシ ョンを開始 した。 この5
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銘柄の ドル証 券 リス トは, その前夜 Fと電信で送付 された ニュー ヨークの市場価格 に もとづいたそれぞれの相場値 段 がっ いていた。 第1
日目は45
万 ポン ドほ どの額の証券が獲得 さ れ,その後指定銘柄数は増 えつづけ,その筋は制 度 が普 及す る につれ て一層急速 に増加 して い っ た。そ の後 も適 当 な債券 と株 式 の追 加 リス トが 時 々公表 され, これ によって大蔵省は1916年3月 17日までに256銘柄以上 の指定証券 を市場価格 で 買上げ ると申 し入れた。 さらに リス トに引用 された投資物件の範囲に限 定 しないで非常 に多量 の証券が,協定 された金額 で多 くの保険会社,銀行等か ら買上げ られた。 こ れ までの委員会 の業務 は, アメ リカに売却す るた めの証券の買上 げにか ぎられていたが,政府の要 請 に応 じて3月24日に,大蔵省は証券預託の開始 を決定 した。預 託 に適 当な778銘柄の証券 リス トを 含むパ ンフレ ッ トが,
「ロン ドン・ガゼ ッ ト」 に公 表 された。預託証券の最低額 は, 5千 ドル と定め られた。証券保有者 は制度の条件を承諾 して契約 にサインした。 5月16日には,大蔵省は買上げか預託 として受 け入れ られ るであ ろ う909銘柄 の証券 リス トを公 表 した。当局 が1916年 3月17日か ら 5月16日の間 に買い入れた証券 に支払 った額 は,約8,500万 ポン ドであ った。また預託証券の名 目額は4,828万 ポン ドであ った. これ らの数値 は必要額を下回 ってい たので,大蔵大 臣は5月27日に増額のための特別 の要請 を発表 した。 5月29日に,下院は決議で もって大蔵省の特別 リス トによって買上げ る意 向を表明 したかかる証 券を保有す る者 に対 しては,利子1
ポン ドあた り2
シ リングの所 得税の追徴を行 う事 を規定 した。 最初 の特別 リス トは,1916年7月 5日の 「ロン ド ン ・ガゼ ッ ト」 の付録5に公表 された。 第5表 は,制度仏)において証券預託が開始 され てか ら制度(B)が公表 され る8月12日までの買上げ と預託 の証券筋 を示 した ものである。 この よ うに わずか3カ月以 内の問 に動員 された証券は,買上 げが約5,911万 ポソ ド,預託が約7,500万 ポン ドの 合計 1億3,412万 ポン ドであ った。両者の割合は買 第5表 制度伽のもとにおける証券動員 (単位 :千ポン ド) 週 末 (a)買い上げ (b)預 託 合 計 1916.5.27 2,227 2,219 4,446 6.3 ll,575 7,740 19,315 6.10 ll,892 7,678 19,570 6.17 6.866 10,385 17,251 6.24 7,400 8,891 16,291 7.1 4,225 5,139 9,364 7.8 3,087 3,571 6,658 7.15 2,950 5.465 8,415 7.22 3,316 5,780 9,096 7.29 2,596 5,958 8,554 8.5 1,727 8,554 10.281 8.12 1,256 3,623 4,879 合 計 59,117 75,003 134,120 (出所)R
eportoftheAmen'canDolklr Secun'tiesCommittee1919,p.5. 上げが44%,預託が56%であった。 2 制度(
ち)- 第2段 階 (1916.8.12-12.30) 戦争の第3年度 目に, 証券を動員す る第 2の計 画が制度(B)として拡充 された。 この制度は政府 に よる証券の買上げを意図 した ものでな く5年間公 衆か ら証券を受託す るこ とをね らった ものであ っ た。1916年8月12日に, 大蔵省 は 「8月14日か ら 一定の条件 と期限 とを以 って種 々の証券の預託を 受 け入れ る用意がある」 として証券預託の新制度 (B)を公表 した(26)。この制 度 の条件は多 くの点で制 度仏)のそれに近 い もので あ った。但 し,次の諸点 で相違 していた。即 ち,(1)預託 の期間は,1917年 3月31日か ら5年 と規定 された。ただ し, 3カ月 の予告で1919年3月31日以後のいかなる時期で も 証券を返還す る権利を大蔵省は留保 した。(
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大蔵 省 は預託の期間の末 まで 利 払 い と0.5%の追加払 いを継続 して行 うが, も し必要 な らば,証券を勝 手 に処分す る権利 を留保 す る。満期時には,同 じ 証券が返還 され るか, も しその よ うに返還で きな いはあいには,大蔵省は預託者 に証券の預託価値 に預託価値の5%をプラス した ものか,証券の売 却価格か, いずれかよ り大 きい方の額 を支払 うこ とを決定 した。 制度(心の もとでのアメ リカ ・ドル証券の保有者 -8-は,1916年9月16日以前 に予告 して彼等の預託を 制度(B)に切 り換 えることがで きた。1916年8月12 日の リス トに指定 された銘柄のすべての証券の預 託価値 は,1916年8月11日の ロン ドン株式取引所 の総平均建値 であると規定 された。 8月15日に, 大蔵省は,制 度(B)の もとでの預託証券の若干を売 却 す る権 利 を 行 使 す る必 要 が あ る と声 明 し た く27)
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平均売却価格 は預託価値 にプ ラスす ること5% 以上 の価格 となろ う。 もし証券が返済 されないな らば,預託者 は預託期間の終 りには,実際 に実現 された平均売却価格の全額 を受取 るであろ う。預 託証券の売却 に関す る大蔵省の権利留保は,制度 (B)の導入で少 なか らず誤解 を生 じた とカーコルデ イはのべてい る(28)。 1916年8月12日に,政府が最初 に指定 した証券 には, アルゼ ソチソ政府証券, アルゼ ンチン鉄道 秩, ブラジル基金債券,種 々の カナダ政府証券 と エジプ ト市債,その他 スカソジナヴィア諸国, 日 本, オランダ, スイスの各政府証券 と各市債 とが 対象 に含 まれていた。さらに多 くの証券 リス トが, 後 に公表 された。登録形式 のカナダと南 アメ リカ 鉄道債 は自由に預託 され,預託総額は約1億7,300 万 ポ ン ドとな った。各鉄道会社 と大蔵省 との問の 協定 によ り,鉄道会社が大蔵省 の登録簿を保管 し て,配当を支払 うこととされた。 この協定 によっ て,国債管理委員会は35万人に対 して毎年配当を 支払 う手間を省 くことがで きた。 16万2千枚 をかぞえる大蔵省証書が,大蔵省 に よって用意 され,発行 された。 ロン ドソで支払わ れ るクーポン付 きの持参人払いの証券 は, 自由に 預託 され,総額1億1,200万 ポン ドにのぼ った。こ の場合には,特別 な協定が支払機関の間 に結ばれ, これ に よって支払期間 は,一 定 の期 間 に クーポ ン ・プラス ・追加割増額を支払 うことを決めた。 この二重制度で大蔵省証書 は供給 されたので, こ の よ うな形態 では,計算が完全 になされた とみて よいであろ う。 次いで政府 の意図は海外で起債の担保 として預 託証券を使用す ることにあ った。そのために,政 府は同年8月23日に 「イギ リス政府側 に重大な変 化がないか ぎ り,預託証券 は売却 されないであろ 第6表 制度(B)のもとでの証券動員 (単位 :千ポンド) 週 末 (a)買上げ (b)預 託 合 計 p 1916. 8.19-8.26 1,282 22.788 24,070 9.2-9.30 2.695 117,152 119,847 10.7-10.28 1,954 76,416 78,370 ll.4-ll.25 1.308 31,088 32,396 12.2-12.30 1,802 16,466 18,268(出所) ReportofAmen'canDolkzrSecun'ties Committee1919,p.6.より作成。 ラ (29)J とい う主 旨の声明を行 った。 1916年10月
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モルガン商会は,イギ リス鉄 道社債の一定額 を来 るべ きアメ リカでのイギ リス 国債発行のための担保に入れ るのが望 ましい とイ ギ リス大蔵省 に通告 して きた。ただ限 られた額が 要求 されていたにす ぎないので,少数 の大 口債権 者,主 として保険会社に彼等の債権を預託す るよ うに勧誘状を発行す ることに決定 した(30)0 制度(B)が開始 されてか ら制度(
心が廃棄 され,刺 皮 (B)に全預託者が移 った12月31日まで の証券 の総 買上げ額 と総預託額 は次の通 りであった。第6表 は この期問の証券動員を示 した ものであ る。 これ に よれば,制度(B)の もとで買上げ られた証券 は, 904万 ポン ド,預託額は2億6,391万 ポ ソ ドで,刺 皮 (B)の も とで動 員 され た 証 券 の額 は総 計2億 7,295万1千 ポン ドであ った。両者の比率 は3.3% と96.7%であった。Ⅰ
Ⅰ
大 戦 後期 の証券 動 員策 (1917.1-1918) 強制徴発制度 (1917.1.26-1919.3.31) すでにイギ リス政府は,Th
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(国 防条例)に もとづ き1914年8月12日, 国防令(
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,1914)を公布 し たが,同年11月28日にこれをすべて改正 した うえ で,Th
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,1914として公布 し,その後一部改正 を行 った後,今回,新たに外国証券強制散発令を 1917年1月26日に 「ロン ドン ・ガゼ ッ ト」 に公表 した。 従来の証券動員計画であ る制度(心,制度(B)が申 -9-込入の 自発性 によるものであったのに対 して,今 回の外 国証券強制散発令 は名称 の示 しているとこ ろか らもあ きらかな よ うに,国家の強制力を とも な うものであ った ことに根本的 な特異性を有 して いるのである。 この強制散発令は従来の国防令第7条のB項 に 新 らたにC項3節,D項2節,E項3節を付加 し た ものである。 第
7
条C
項1
節では,大蔵省 は外国証券 もしく はイギ リス以外 で外国証券,財産,企業 を所有 し, 支配 し,あるいはイギ リス以外 にあって主 として 営業す る企業の証券 に対 して強制散発令を適用 し た。 イギ リスの財政状態を強化す る 目的のために 便宜であると考 え られ る時には,大蔵省令で特 に 証券を指定 し, その証券がイギ リスに現存す ると 否 とにかかわ らず, 当該省令のなかに定め られ る べ き除外例 な らびに条件 に したが って本令を適用 す ることがで きるとした。ただ し, イギ リスの非 居住者 が,1917年1月24日において所有 し,その 後引続 き所有すべ きであ ると証明 された証券に対 しては,上記の大蔵省令を適用 しないことに した。C
項2
節 において,大蔵省が大蔵省令のなかに 定めた条件 に したが って,その適用期限内に本令 を適用 した証券の占有権 を取得 し,あるいはその 引渡 しを要求す ることがで きる とし, または これ を 自由に処分す ることがで きる とした。 また この よ うな適用証券 の保有者 と利害関係を もつ人, 普 たはその登録責任者 は,大蔵省 に当該証券を移転 し,又 は引渡すために大蔵省の命令 したすべての 手続 きを履行す る義務を負 った。大蔵省当該官吏 の署名 した証券 占有証書 は,かかる証券登録義務 者 によって,その記載事の最終証拠 として取扱 う べ きである とした。 また,
C項3節では,大蔵省 に移転又は引渡 し た証券が質権その他の担保の対象であ る場合にお いては,大蔵省 は大蔵省令(
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を もって当該証券 とその賠償物 との担保人換を命ず ることがで きる と規定 した。 第7粂D項の1節 と2節 において,大蔵省は, 特定 の適用証券 の保有者はそれをイギ リス以外の 地域 に移 し,非居住者 に対 して これを売却す るこ とがで きない とい うこと, また適用証券の所有者 は指定期間内に これ ら証券 に関す る詳細 な事項 を 大蔵省 に報告す る義務を負 うべ きだ と規定 した。 第7条E項の1節 において,本令第7粂C項及 びD項 における証券 とは,国債 ・株式(「ス トック」 と「シ ェア」),その他証券を含み,外国証券 とは, 証券 の元本 または利子が外国で支払われ, また元 利支払資金が外国か ら供給せ られ る証券を含み, 登録義務者 とはあ る証券に関 して登録証券登録の 責任を もち, または これに関係ある人及 び記名証 券台帳記載 の責任を有す るものを含む とされてい る。第7条 E項 の 2節では,第 7粂 C項,D項 の 中の外国証券 に適用す る規定は,元利がイギ リス 植民地,保護領等の属領において支払われ, また 元利支払資金が これ ら属領によって供給せ られ る 証券 に これを適用 している。第7
条E
項3
節では, 何人 も本令第7条 のCまたは第7条Dを犯 し, 普 たは これに従わない者は,本令即決罪違反者であ る。該条 の権限は大蔵省に帰属す るもの と規定 し ている。 この強制徴発令は1月24日か ら大蔵省 に この権限を与 えた。 1917年1月30日付の大蔵省の通達 は,以上の規 定の もとでの諸条件 をさらに具体化 している。す なわも,大蔵省は これ ら証券を海外で売却 で きる こと,そのためにアメ リカ ・ドル証券委員会に必 要 な許可を出す権利があることを証券保有者に通 告 した ものである。 1917年2月17日に,大蔵省は国防条例の もとで の最初の省令を出 した(31)。それは条例の7項 目の 規定をある特定の指定証券に対 して適用 した もの であ り, この よ うな証券の所有者 もしくは保管者 及び これ ら証券の利害関係者にアメ リカ ・ドル証 券委員会に対 して証券を引渡すのに有効な措置を とる事を要求 した ものである。 3月6日に第2回 の大蔵省令が 「ロン ドン ・ガゼ ッ ト」 に公表 され た(32)。さらに第3・回 と第4回の追加省令が1917年4
月1
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日付(33)と5
月7
日付(34)で大蔵 省 に よ って 公布 された。1917年 5月11日に, ポン ドあた り2 シ リソグの罰則税の対象 となるものを除いて,預 託証券の受 け入れが停止 された。だが,証券の買 上げは継続 された。 このよ うに して,大蔵省は証券を徴用す る権利 や徴集す る権限を与 えられ, イギ リスな らびに海 外 における特定の種板の証券のすべての保有者か- 1
0-第7表 強制徴発の対象 となった証券 (1917・ト 1919・3・31) (単位 :ポッ ド) ( )内は%を示す。 証券の種類 買 上 げ 預 託 合 計 ド ル 証 琴 136,002,998(63) 39,571,276(10) 175,574,264 ド ル 株 式 48,263,552(22) 60,718,776(15) 108,982,328 ス タ ー リ ソ グ 証 券 27,803,232(13) 115,160,124(28) 142,963,356 ス タ ー リ ン グ 株 式 875(-) - 875 登 録 公 債 4,119,358( 2) 171,851,047(42) 175,970,405 鉄 道 株 17,494,182( 4) 17,494,182 フ ラ ン 証 券 - 338,340(-) 338,340 ク ロ .ネ - 証 券 - 452,894(-) 452,894 ラ p - .) ソ 証 券 9,300(-) 364,550(-) 373,850 フ ロ ー リ ン 株 式 445,091(-) - 445,091
(出所)
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1919,p.9.(注 1) 各国通貨はすべてポソ ドに換算 した。アメリカ ・ドルはポン ドあた り5ドル, フランス ・フランはポ ン ドあた り25フラン,クロネ-はポン ドあた り18クロネ-,フロー リンはポン ドあた り12フロー リン である。 らそれ ら証 券 を獲得す る ことがで きるよ うにな っ た。 1917年 4月の アメ リカの参戦 とついでア メ リカ 政府 に よる同盟 国政府 に対す る相次 ぐ貸付の供与 は, イギ リス政府 に よるアメ リカでの新規起債 の 担保 として必要 な証券 の預託受入れを不必要 に し た。 その結果 ,1917年 5月11日に,大蔵省 は次の よ うな主 旨の声 明を行 った。す なわ ち,次の予告 ま で1ポン ドあた り2シ リングの罰則税 の対象 とな る証券を除 いて,制度(B)の もとでの証券 の預託 は 受 け入れ られ ないであろ う。 だが,証券の買上 げ は継続 され た。 ポン ドあた り
2
シ リングの罰則税 の対象 とな る証券 と徴発命令 の対象 となってい な い証券 とは,制 度仏)の期 間 と条 件 に したが って 1922年 3月31日の満期 までの問, なお預託 として 受 け入れ られた。ただ し, 3カ月の予告で,大蔵 省 は これを何時で も返還 で きる事 とした。 預託の時 か ら2
カ年 の間,制度仏)の もとで預託 された証券 は, 1918年 3月に満期 とな って預託者 に返還 され始めたが,制度(B)の もとで預託 された 証券 と同 じ時期 に満期が くるので証券の返還 に応 ず るためには,期限を延長す るよ うに申 し入れ る ことが望 ま しい と考 え られた。多数の預託者 は こ の申 し入れ を受入れ,47万6,270ドルだけの名 目額 の証券が元 の満期期 日に返還 された。預託制度 の 部分的閉鎖 に もかかわ らず, イギ リス大蔵省 は, アメ リカでの売却 に適 当なアメ リカ, カナダ ・ド ル証券を即金で買 い入れ ることに依然熱心であ っ た。 これ までみて きた よ うに,1918年 3月 1日に制 皮(B)が廃止 され,大戦後期 はほ とん どとい って よ いほ ど強制徴発制度 に よって ドル証券動員策 を実 施 して きたが,第 7表 は,強制徴発の実施か ら1919 年 3月31日までに徴発 された証券を示 している。 これ に よる と,徴 発 対象 の買上 げ総 額 は約2億 1,664万 ポ ン ド,預託総額は 4億595万 ポ ン ド,敬 発対象 とな った証券動 員 の総額 は約 6億2,259万 ポン ドにのぼ った。証券動員総額 に占め る買上 げ の割合は35%,預託の割合は65%であ った。 また 買上 げの85%が ドル証券 と ドル株式 であ った。 したが って, ドル証券委員会の公表 した報告 に よれは,証券動員制度(
心の開始か ら1919年 3月31 日までに証券動員 の対象 とな った証券額 を算定す る と次の よ うにな る。制度仏),制度(B), お よび強 制 徴発 の下 での買上 げ総額 は約 2億8,480万 ポ ン ド,預託総額は約 7億4,486万 ポン ドであ り,買上 げ と預託の総計は約10億2,966万 ポン ドとな る。 なお,預託額については大蔵省 に売却 された預 託証券2,436万 ポ ン ドと上記 の表 に含 まれて いな い カナ ダ太平洋鉄道株800万 ポ ン ドの特 別預託 を 合計すれば,実質上 の預託総額 は 4億3,831万 ポン ドとなる。ところで,遺 憾 なが ら ドル証券委員会 の公表 さ れた報告数値 は,徴発証券 の名 目額 を公表 しなが らも,証券 の処 分 につい ては,我 々に詳細 な情報 を も公表 してい ないのであ る。 モ ーガンは この点 に関す る資料 は非常 にわ か ら ない状態 にあ る とい って い る(35)0 1919年 の予算演 説で, ボーナ 一 ・p-大蔵大 臣 は証券売却 を約10 億 ポ ン ドと言及 した。 この言 明は,先 の ドル証券 委員会 の報告 の試 算 とほぼ一致す るわ けであ る。 後 の評価 では大 蔵 省 に よって徴発 され,売却 され た第一 級 の証券 が約6億2,300万 ポ ン ドで あ った と商務省が言 明 した。 モ ーガンは この言 明は きわめて広 く引用 され, うけ入れ られ て い る とし,それ は危険 な誤 りを含 んでい るよ うに思わ れ る と言 ってお り,商 務省 の 推計 は,すべ て の証券が売却 された とい う仮定 に もとづ いてい る(36)。 しか しなが ら,事実上, アメ リカ ・ドル証 券 委 員 会 の最 終 報 告 書 で は
,3
億 1,300万 ポ ン ドが預 託者 に返還 され た と公 表 して い る。この報告 は イギ リスで公表 され なか ったが, ア メ リカ軍需産 業特別委員会 (1937)で公開 され てい る(37)。 この数値 では大戦後 の数値 を も含めて い るので,一大戦 後 の数値 を差引 かなければ な らな い。大戦期 の ドル証券売却額 は第8表 か ら算定 し て2
億7
2
0
万 ポ ン ドとな る。しか しなが ら, ドル証 券委員会 の資料 は, ドル証券委員会 の成立 以前 に 始 ま り,1917年 1月 まで継続 した多額 の民間売却 につ いて何 らの考慮 も入れていない。 モ ーガンは この問題 をつ きつ め, ジ ョージ ・ベ イシ ュの推 計 に よって イギ リス保有 の ア メ リカ証 券 の約85%が鉄 道株 と鉄道債券であ った こと, 普 た ル ー イ ス女 史 の推 計 は,1914年7月 1日か ら 1919年12月31日の間のイギ リス投資の減少を26億 5,500万 ドル とみ てい るか ら,これを ポ ン ド換 算す れ ば,約5億5,000万 ポン ドが海外資産 の喪失で あ るが, この数字 には, ア メ リカにおけ るイギ リス 所有企業 の売却1億 ドル (2,197万 ポ ン ド)を含 め てい る。 か くして, モ ーガ ンは イギ リスの民 間資産 の売 却 が公 的資産 の売却 と同 じ くらい大規模 な もので あ った ことはあ き らかであ る としてい る(38)。 しか し, これはは っ き りしていない。∫
.
P.
モル ガ ン商 会 が,大戦時 に清算 された ア メ 第8表 アメ リカ ・ドル証券委員会 による 証券売却額 財政年度 ドルの(S mn受取宅)頁 各年度の平均為替 レー トで換算 したスター リング(100万ポン ド) 1915-16 270.8 57.4 1916-17 531.1 111.5 1917-18 116.9 24.5 1918-19 65.6 13.8 1919-20 12.5 3.0 1920-21 10.2 2.8 1921-22 0.2 0.06 合 計 1,007.3 213.0(出所) E.V.Morgan,StudiesinBritishFi nan-chtlEblicy1914-25,p.330,Table51を参 照。原資料はFinal Report of Dolklr Secun'iiesCommittee.
リカの短期債務 は
5
億 ドルにのは った と推定 して い るが(39), この うちの大部分が イギ リスに よる も のであ った とい ってい ることか らみれ ば, イギ リ スの民間対外資産 の喪失 で もって ア メ リカの大戦 前 の対外短期債務 は帳消 しにな った とい えよ う。 ドル証 券委員会 の最終報告書 では,大戦期,大 戦後 に3億1,300万 ポ ン ドが元 の証券保有者 に返 還 された として い るけれ ども, ポ ーナ 一 ・ロー大 蔵 大 臣 は証 券 売 却 を約10億 ポ ン ドと見 積 って い る。 なお,動員 された証券等 のなかで預託 と買上 げ を合計 して7百万 ポ ン ド以上 の中 には, 次 の諸 会 社 等が含 まれ てい る。紙数の関係上 ドル証券 と ド ル株式 の詳細 な種掛 こつ いては省略 した。 証券の名称 と会社等の名称 預託・買上げの合計 (単位 :万ポン ド) I DollarBonds(ドル債券)AIchisonTopekaandSbnkZFePly BoIEimweandOhioR.R.Co.
UniEedSiatesSieelCoゆoTlation
II DollarShares(ドル株式)
NorthernPucljcluy PennsyluanktR.R.
UnionPucljcR.R.
ⅠⅠI SterlingBonds(スターリング債券)
JapaneseGouernmenl
IV RegisteredStocks(登録公債) BuenosAyTleSG71eatSouihenlRly canada(Dominionof)3%%Key Siock1930-1950 - 1 2-879 1,224 711 710 1,196 741 2,412 1,219 1.487
CanadaRucIPcRly 4,608 動員 された ドル証券についていえば, ドル債券 と ドル株式 とで買上げ額全体の85%を占めた。(第 7表 をみ よ。)預託については登錠公債 が42%を, 次いでスター リング証券が28%を占めた。その他 の証券 としては,鉄道株, フランス債券, クロー ネ債券, フ ロー リン債券, フロー リソ株式が対象 に含 まれていた。特 に 日本政府か らの
4
%
, 4
% %,5%sterlingloanの合計額2.412万 ポン ドが き わだ ってい ることが,上記か らもあ きらかであ る。 か くして,制度仏),制度(
B
)
,強制徴発制度にお いて動員 された証券額は,制度仏)の1億3,412万 ポ ン ド,制度(B)の2億7,295万ポン ド,強制徴発制度 の6億2,259万 ポン ドの総計10億2,966万 ポン ドと なる。この うち,買上 げの対象 となった証券額は, 制度(心5,911万 ポン ド,制度(B)の904万 ポン ド,強 制徴発制度2億1,664万 ポ ン ドの総計2億8,480万 ポン ドであ って,強制徴発制度 に移 ってか らの買 上げが増大 しているのが 目立 っている。 大戦初期 の証券動員策 に比 して大戦後期の強制 徴発制度 に移行 してか らは,買上げが,証券動員 額の3
分の1強を占めて くる。 ともあれ,第一次大戦 によってイギ リス資本主 義は,1919年 のポーナ一 ・。-大蔵大臣が予算演 説で表 明 した よ うに,上記の計数か らも判明 した よ うに,約10億ポン ド以上の対外資産を喪失 した のであ る。 むす び イギ リスは第一次大戦期における証券動員策 を 通 じて,対外資産を約10億ポン ド喪失 し, この う ち民間資産 の売却 は約5億5,000万 ポ ン ド近 くで あ った と思われ る。しか し,第一次大戦勃発以降, 証券動員以前 の大蔵省の勧告によるイングラン ド 銀行の2億3,300万 ポ ン ドの ドル証券 の買入れ と 公的資産の売却 を含めれば,実質上,約12億3,300 万 ポ ン ド以上 の対外投資 の減 少 とい うことに な り, これは大戦前の対外投資約36億7千万 ポン ド を約3分の1減少 させた ことになる。すなわち, 第一次大戦前 のイギ リスの対外投資は,1913年 の フェイス(40)の推計によると,次の如 くであった。 海外投資総額約36億7千万ポン ドの うち,鉄道投 資が最 も多 く約15億 ポン ド,次いで外国政府,植 民地 ・自治領-の投資約11億ポン ド,資源投資 に 約4
億ポン ド,商工業投資2
億 ポン ド,公共投資 約1億7千万ポン ド,金融部門投資3億 ポン ドで あった。 これ らの対外投資はいずれ も大戦以降の対外投 資規制(41)と戦争の影響で急速 に減少 して,例 えば 1917年 には対外植民地政府等-の投資 はわず か 530万 ポン ドで大戦前 の約1/20とい う急減ぶ りで あ り,鉄道投資にいた っては910万ポン ドで6/100 とい う激減で, さらに資源投資,商工業投資,公 共投資 もの きなみがた減 りであった。 最後 に,第一次大戦期のイギ リスの戦費調達額 は,拙稿 「第一次大戦期 イギ リスの戦費調達 と戦 費支出」で算定 した101億 ポン ドであ ったが,その うち,証券動員 に よる戦 費調達 の総 計 は約10億 2,966万ポン ドであ り,証券動員以前 の大蔵省勧告 に よるイングラン ド銀行買入れ部分2億3,300万 ポン ドを加算すれば,12億6,266万ポン ドとい うこ とになるが,1918年3月か ら預託証券保有者に対 して制度(B)のもとで預託 された証券の返還が開始 されたが,第一次大戦後に元の保有者 に返還 され た額は約3億1,300万ポン ドであるか ら,これを差 引けば,第一次大戦期 イギ リスにおける証券動員 策 による戦費調達額は9億4,966万 ポン ドとなる。A.
R.Hall(ホール)(42)の推計 に よる1870-1913年 の大戟前 の対外投資額 は累計で約36億4,100万 ポ ン ドであ る。 したがって,大戦前の対外投資額は 証券動員 による戦費調達で4分の 1強減少 した こ とになる。 次に,第一次大戦期の民間海外投資 の減少分は ルイスの推計によれば,約5
億5
千万 ポン ドとし ているが(43),これには1919年度分が含 まれている が,概算5
億 ポン ドとして も, これに証券動員に よる対外資産喪失分9億4,966万 ポ ン ドを加 えれ ば,第一次大戦期 イギ リスの対外債権 の喪失額は 約14億9千万ポン ド以上 にのぼ る。これでみれば, 第一次大戦前 の対外投資額36億4,100万 ポ ン ドは 第一次大戦 によって14億9
千万 ポン ド減少 して, 第 一 次 大 戦 後 の イギ リスの対 外 債 権 額 は21億 5,100万 ポン ドと激減 した。 ケインズの「平和の経 済的帰結(44)Jによれば,第一次大戦期 のイギ リスの連 合 国援 助 は17億4千 万 ポ ン ドで あ り, 加 えて 対外借 入れ部 分 が13億 ポ ン ドで あ って, そ の うち 8億4,200万 ポ ン ドが対 米借 入 れ で あ った。これで み るか ぎ り, イ ギ リスの連 合 国援助 分 と対外 借 入 れ部 分 を相殺 す れ ば,公 的 ベ ースの対 外債 権 ・債 務収支 は約
4
億 ポ ン ドの収支 黒 字 で あ るが,民 間 ベ ースで は8億1,700万 ポ ン ドの赤 字 で あ り,総合 収 支 ベ ースで4億 ポ ン ド強 の赤 字 を計 上 した。第 一 次大 戦後 の イ ギ リス資 本 主 義 は21億5,100万 ポ ン ドの対外債権 国 と して と どま るが, 政府 債 務58 億 ポ ン ドの累積 と証 券動 員 を含 めた対 外債 権 の減 少 とで深刻 に悩 ま され た ので あ る。大 戦前 の イギ リス帝 国 の基 盤 は掘 り くず され て いた の であ る。 筆 者 は第一 次大 戦期 イギ リスの証券動 員 に よる戦 費 調達 が イギ リス特 有 の もので公信用 政策 の一環 と して と られ た こ とに大 きな意 義 を 見 るの で あ る。 (1)1914年 7月25日の ニ ュー ヨーク電 信為替相場 は,4ドル89セン ト25であ り,この電信為替 レー トの異常な高 さは,主 として,海外で保有す る流 動資金を ロン ドンで借入れている大陸諸国が,大 戦 の勃発 と共 にポ ン ドに対す る買い需要 を求め て殺到 し,急騰 した ことによる。8月 1日に,ノ ミナル相場 としてポン ドは非常 な堅調を示 し,7 ドルを記録 した。しか し,当 日の取引がほ とん ど 5ドルを上 まわ ったか ど うか疑わ しい とカー コ ルデ ィは ドル証券委員会 と同様 の見解 をカー コ ルデ ィは とっている。Reportof ikeAmen'can DolklrSecun'ties CommitteeReturn toan orderof theHo n-ouTlable TheHouseof Commons,dated19
Nouember1919,London,9.3.A.W.Kirk a-1dy:BritishFinanceduringandafterthewar, 1914-1921,London,1921,p.331.参照
(2)A.W.KiTlkaldy:oPcit"9.331-332.
(3)SirBemardMalletK.C B andC OsuJald
George,B.Sc(Econ);BritishBudgets,Second Sen'es1913-14 10 1920-21, (Macmilkln,)
London,1929,p.20.参照
(4) 臨 時事件 費 の詳 細 につ い て は,Public Ac -counLsCommitteeReLum toanOrderof the HononTlablelheHouseof Commons,dated 6 December,1926.
Epiiomeof theRepoTisfT10m theCommiiEee
- 1
4-ofPublicAccounts1857 101925,14Decem・ ber,1926.を参照,1914年度の臨時事件費の剰余 金残高については,前掲 書,ibid.,p.569.p.70.を み よ
(5)Hansa7d'sPurliamenhZTyDebates:1Much, 1915.p.623. (6) A.J.P.テイラー著,倉 田稔訳 r第一次世界大 戦』新評論社,54頁か ら引用 (7) 為替市場 におけるポ ン ド救済 のため ドル証券 の政府 による買上げを最初 に構想 したあは,イギ リス王立協会 の会員で あ るA.H.ギ ブ ソンに よ るもの と思われる。彼 は1915年7月 5日付の大蔵 省 に対す る書簡 に於 いて証券動員 の計画を示唆 しているか らである。
A.W.KiTカaldy,Bn'tishFinancedun'ngand aftertheWar,1914-21,London,1921,9.183. (8) 1914年8月 1日号の 『エ コノ ミス ト』誌 によれ
は,ロン ドン証券取引所 の閉鎖は列強間の戦争 に よって惹起 された証券 価 格の崩 落 に よる として いる。
TjleEconomist.Iyeekly CommerchllTimes Sbiu71day,August11914,p.219. (9) 1914年8月 4日以前 に引受 け られた国内や外 国,銀行や貿易商会を問わず,外国為替手形の割 引で こ うむるであろ う損失に対 して,政府はイン グラン ド銀行に保証を与 えるであろ う。この保証 のために次の声明がな された。イングラン ド銀行 は1914年8月 4日以前 に引受 け られた外 国為替 手形の所有者 の応募 に対 して満期 以前 にいつで もJ:ソク ・レー トで割 引 きを行 う用意があ る。 --・イングラン ド銀 行 は引受商会 に対 してバ ン ク・レー トよ り
2%
高 い利子を支払 うことを一定 の予告で延期す る機会 を提 出す る。TheEconomist,lVeeklyCommercialTimes,
Satu71day,August15 1914,p.306. (10)公式の名称 は「1914年8月 6日,政府紙幣及び 銀行券法」〔4&5Geo5〕この法律に もとづ き, 大蔵省は1ポ ン ド及 び10シ リング紙幣を発行す る。 この紙幣は 「ソべ リン」及び 「半 ソべ リン金 貨」と同様に, イギ リス王国内において流通す る ことがで き,いかなる金額の支払 いについて も, イギ リス王国内において法貨の資格を もつ,紙幣 の所持者は請求以来金 貨 で もって額面相 当の価 格の支払いを受ける。紙 幣の回収 にあた ってはそ の時期及び方法について,条件に したがって紙幣 の額面価格に相当す る金貨を支払 う。本法に依 る 紙幣は1913年既造法及 び現 にイギ リス各地 にお
いて行わ れ てい る銀行券 に対す る犯罪 に関 係 あ るその他 の 法令 の範 囲内 に於 いて は銀行券 とみ な され る。同法 は8月28日に修正法が出 され,請 金 及 び当座 勘定 に対す る銀 行債務 の20%を最 高 限度 として銀行 の請求 に応 じ,イングラン ド銀行 を通 じて発 行 され るもの とした。
CurrencyandBankNotesAct,1914.〔4&5 Geo5〕〔CH.14.〕
(ll)A V.MoTgan;StudiesinByitishFinancial Roliq,1914-25,〝∽cmilhZn,London,9.17. (12) R.S.セ イヤーズ著,西川元彦監訳 日本銀 行金 融史研究全 訳 rイング ラン ド銀行一1891-1944』生 活経済新報 社,p.104. (13)J.M.ケインズは1914年12月に 「ThePylDSPect of Money, November 1914」 とい う論 文 を
『Economl'cJoumaljDecember,1915.に発表 し て,イング ラン ド銀行の民間銀行に対す る巨額 な 貸付が,戦争パ ニ ックの時点で イギ リスの金融機 構 を救済す るのに正当性 を もったであろ うが,現 在 の時点 (11月)では, この よ うに資金 を使 うこ とは,イ ソ フレーシ ョンイズム以外の何 もので も ない とい うイ ン グ ラン ド銀 行 の過 大割引 の行動 を強力に批判 した。
The Collected Wn'tingsof John May2a71d Keynes XI. Economic Articles and Corre -spondenceAcademic
,
I).3061311.(14) E.Ⅴ.Morgan:ibid.,p.17.
(15)この間 の統 計 数 値 につ い て は,J.Lawrence Langhlin:CreditofNations,NewYork,1918. p.108. (16) モー ガ ンは1915年8月に大蔵省 が イ ング ラ ン ド銀行に ドル証券 を買入れ ることをすすめ,且 つ それ らを売却 す るため に ニ ュー ヨ- クに送 付 す ることを勧告 し,1915年末 まで に2倍3,300万 ド ルの証券 が この方 法 で買入 れ られた とのべ て い る。 E.V.Morgan,ibid"p.227. (17) イギ リス大蔵省 は1915年12月15日にアメ リカ・ ドル証券買上計画覚書 と称す る回章を保険 会社, 投資信託会社等 に対 して公布 した。これは イギ リ ス大蔵 委 員 が英 米間 におけ る為替相場 の安 定 の ため,イギ リス国内において保有 され るア メ リカ (一部 の カナ ダ) ドル証券を買上 げ, また はア メ リカに於 いて締結 すべ きで あ る短期債 務 の担 保 に使用す るため, アメ リカ ・ドル証券 を預託す る ものであ る。この 目的 に適応す るとみな され る証 券 は次の如 くであ る。 - 1 5-(1) ア メ リカ貯 蓄 銀 行 が投 資す る こ とを許 容 し ている証券。 (2) ア メ リカ銀行 業者 に よって慣例上 担保 とし て引受 け られ るその他の証券。 大蔵省 は以上 の2方法 の うち,証券保有者 が直 ちにその証券を売渡す場合 に於 いては,常 に買上 げ方法を とるもの とす る。預託方法は証券保有者 がその証券 を売渡す として も,これを貸与 として 政府 を援助す ることがで きる。 (1ゆ 12月2日の大蔵省 の回章 は,次の如 しであ る。 これを要約すれば,個人への勧誘状 は1916年1月 1日以前 に も個 人 の保有者 の提供 を次 の条 件 で 受理す る。 (1) 保有者 に対 しては, ドル貨証券 にか ぎ り,証 券 の対象 は,ロソ ドン株式取引所相場表 に登録 した証券,アメ リカ政府証券,アメ リカ州 また は市町村債券,アメ リカ鉄道株,カナ ダ政府, カナダ州,市町村債券,カナダ鉄道証券に限定 され る。申出には,銀行業者及 び株式 仲買人及 び ロン ドン中央東部郵便局 ホール ド・ジュウ リ -国債委員内大蔵省書記官宛。 statist25.December,1915.p.862-863を み よ。 (19)英仏共 同公債 の内容の要約 は次の通 りで あ る。 この公債 はAnglo-Frenchloansとよばれ, 5% の債券の形態 を とってお り,債券保有者 はイギ リ ス,フランス両 国の課税 をすべて免除 された。公 債手取金 はイギ リス,フランス両国の問で公平 に 分割 された。 この債券 は,イギ リス, フランス両 国の共同で保証 されたが,何 らの見返 り担保 は要 求 されなか った。これ らの債券 は5年後 に償還 さ れ るが,現在の借入れ期 日か ら早 くて も15年 以内 に,遅 くとも20年以内にイギ リス,フラソス政府 の4