大目安奈羅儀相
の
研
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田
義
遜
」M色. 日目 篇 綿 一、長茶羅の起源 一一、法華三部と受茶経 三、遺文に見ゆる数翻本学 問 、 始 旧 制 回 交 茶 羅 の 意 義 篇 各 論 一、側部の詩傘 ニ、中給首題と雨傘との閥係 三 、 境 州 H V 一 円 合 と 仰 山 介 縁 起 図 、 蓮 華 部 の 詩 情 守 五、金剛郊の詩命 論 玉、三凶未曾有の深義 六、儀相と五期の分類 七、注文、目安茶協和に於ける諸鎗と讃文 八、前後二期と綜合三期 千 発 六、問天王と二明王 七、通別の讃文 八、受茶羅に於ける花押 丸、問問削長茶経の意義 信 仰ま
息
論
一、量葉羅
の
起 源 長奈川維は汎く之をいへば伸殺の行門に於ける一釘象であって、諸経に於ても必やや何等かの形式を以て之を説いて 居るのである。併し正しく之を説示したのは真言密殺といはねばならね。抑制が略緋に﹁長茶羅は密経より出台良一一白 家の法也﹂と説いたのはこれがためである。勿論法華経にも長茶維が設かれてあり、且内 J 宗祖が三秘の随一の本門の 大長茶羅の儀相の研究 五一 六 大長茶経の儀相の研究 本傘として大量茶羅を圃顕せられたことは‘純正宗皐の立場からは我が大量茶維は、正しく法華経の所明たるととは いふ起もないが、汎く悌敬思想史の上から見る時は、保田妙本寺の大日相承譜や‘金津本の理性院血脈︵﹁法華﹂二三 の四披拙稿参服︶や、妙法尼御返事に於ける高野遊撃の記事︵一七七
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︶等からして‘鎌倉遊撃巳来二十余年の修事 中には、真言事相の相承のあったととは否み難い所である。叉略排が﹁組師彼を朋て法華経の大量茶羅を製作し給也﹂ とは.思想史的一面を示したものであらう。 由来長茶羅は良一言の性相たる六大・四憂・三密の体相府三義の中、自ら第二相大に営るのである。輝師は大品交茶維 に 封 し て ﹁ 蹟 緋 ﹂ 一 一 一 玄 に は 八 名 ・ ﹁ 略 輪 開 ﹂ 下 位 に は 六 名 、 ﹁ 棺 諭 儀 詑 ﹂ ト 一 に は 凶 名 等 種 々 の 名 稿 を 附 し て 居 る が 、 と れ 等 は庚略の相違で左の如く憂茶維の休相用に約する義立に外ならぬのである。その中庚排は本隼の名に依り、略排と儀 詑 と は 畏 茶 山 維 の 名 に 依 っ て 之 を 示 し て 居 る が 、 A?とれを圃表にすれば左の如くである。 ︵ 庚 排 ︶ ︵ 略 緋 ︶ ︵ 儀 詑 ︶ ︵ 三 歳 ︶ ︵ 数 観 ︶ ︵ 二 畳 ︶ リ﹁唯一法界一本狭山等∼法界一白繭且史可法界一常住憂茶羅︿約果︶|休l i
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− − 妙 紘 一 本 畳 ﹀ ピ 襲 山 崩 現 本 相 隼 霊 山 顕 現 憂 l同l
相/女守| ヨ 道 場 旋 般 本 形 等 道 場 荘 巌 長 l 同lM
\者﹁一 丁伸J
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起 ︵ 始 畳 ︶l
相| 間 余 生 心 共 本 有 傘 行 者 心 具 憂 己 心 本 有 量 茶 緩 ︵ 約 国 ︶ | 体l
観 門 | 一 五念々縁起本起品専念々縁起憂 山い依正各共本位隼依正各具憂 七翻服売察本境隼 八 諸 伸 尚 一 誰 本 質 等 主 ま右の如く庚動の八名も同事寛儀記の凶名に外友らぬのであるが。その凹名の休に営る中の法界常住と己心本有とは、執 れも体ではるるが前者は本鳳品川市位に於ける一大圏怖を去し、後者は始畳因位観門本傘の休たる行者己心に約したる伸 界縁起の是茶雑である。とれと相用の二敬門憂茶羅の三は、共に始畳の重に於ける伸界縁起の量茶羅で、とれ前の法 国外常住の一大国仰の休に封ずれば共に相であり、また起信論の二畳と同意でるる。而して今の相に於ける敬観二門と休 相則三義との配営も、とれ一往の配営であって再往は二門に体相用のあるととはいふ迄もたい。但三義の中体の己心 本有は翻門に親しく‘相の霊山顕現と用の道場荘厳とのごは救門に親しいのである。而してその根本の休は妙法瓦宇 を 以 て 開 聞 は さ れ た る 、 一大国伸たる法界常住隼に外ならぬのである。かくて今述べんとするのはその体の一大国怖の 法体論たる教観の問題で友く、叉用の修行論でもたく正しくその相たる帥界縁起の諸曾に就ての形相論である。而し 乍ら休相具足し始めて民の形相であり、修行の正境たるととは、輔行一に 縦 便 琵 心 不 = 員 賞 ↓ 者 、 縁 = 於 正 境 一 功 徳 禍 多 、 乃 五 故 知 若 非 コ 正 境 二 縦 無 ニ 安 鵠 一 亦 不 L成 レ 種 。 ︿ 一 ノ 四 一 ↑ 一 ︶ と あ る 如 く で あ る 。 斯の如き我が大量茶羅は純正宗皐より見る時は‘始頴の讃文に明かなる如く、 ﹃御滅後二千二百二十余年未曾有日 蓮始闘之﹄と遊ばされたる如く、とれ法華本門の開顕に依る本化別頭、一脚力別付の大法である。而し乍ら若し帥救史 上 よ り 見 る 時 は . 働 救 由 宇 中 民 言 省 救 の 最 も 特 長 と す る 所 で あ っ て 、 法 華 憂 茶 羅 の 最 初 も 法 恭 一 ・ 註 家 中 天 台 の 六 組 荊 漢
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︶と、粗ぽ同時代に出でたる真言の不安︵訪問︶の翻智儀軌を推さねばならぬ ο 即 ち 法 華 憂 茶 羅 も そ の 員 一 一 一 口 の 法 華 法の憂奈羅を出費点として、宗祖の所前﹁侍敬大師の帥子身中の三虫﹂たる慈畳、智設‘安然に依て弐第に法華宗化 され、講演法恭一・儀より蓮華三昧艇に見ゆる如く本門的傾向に向ひ.更に中古天台の本魔法門の栴盛期を経て、終に法 大且毘茶羅の儀相の研究 七大長茶羅の儀相の餅究 A 刊手探義に立脚したる宗組の三秘の開顕となり、その随一の本門本傘として大量茶維が同財閥せられたのである。輝帥が 二 千 論 二 に 、 若 五 コ 叡 山 傍 敬 一 者 、 初 正 弘 − 一 宜 敬 一 後 却 粂 ニ 薬 師 仁 王 民 言 等 一 、 査 問 権 意 耳 、 椛 宜 雑 胤 基 本 在 レ 此 。 ︵ 二 一 言 ﹀ と指摘せる如く、大師問棋の意に徹せざりし故に雑乱となったのである。然るに我等より見れば後世の本門間顕が密 教にまで豆り、出川救をも柴龍中に躍取して始めて三秘悶顕となったのである。されば侍救以後の所詞顕密雑凱は営時 の天台北パものから見れば勿論雑蹴であったが、本門開顕の見地より見れば雑・乱でなく揺政と解すべきである。斯くし て是茶維思想は完全に法華の思想となり、此に本門の本曾として大量茶羅が問顕せられたのである。とれは開顎であ って模倣ではない、査し間同期とは思想史的意味を純正宗接的に解離した訪である。本得得意紗に妙棄の所詣﹁皮膚毛 総 出 ニ 在 衆 典
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に 依 る ﹃ 大 綱 成 伸 、 網 目 不 成 伸 ﹄ ︵ 一 −C
の 判 は 、 正 し く 純 正 ん 一 不 串 の 根 本 原 則 で ・ な っ て 、 讃 文 の 三 園 未 曾 有の意も此の原則に依った純正宗墜的立脚である。 国に二一目することは大量奈羅と倖敬大帥との関係である、 とれに就ては現に輝仰が﹁後却粂=薬師仁王真言等一 査 悶慌意耳﹂と越ペし如く‘大師が我が立つ柚の一乗止観院、即ち後世の根本中堂の本隼に薬師如来を勧請したとんは 本 命 砂 に 、 体 救 大 師 粗 顕 ニ ユ 小 法 花 経 質 義 − 、 雑 レ 然 時 未 し 来 之 故 建 一 一 立 東 方 鴎 王 一 、 不 L旧 制 ニ ー 本 門 問 主 口 薩 一 、 所 詮 震 − 地 涌 千 界 一 譲 = 輿 此 一 故也 o G J とある如く、協王とは三十二相の中手足縄網相に約する仰の異名で、薬師の東万の俳たる故にん 7 は薬師のと止で、こ れ毒景品の大良皆の大薬師に封する東方小薬師に営るのであるが、此の薬師一一等ではなくして、日光月光並にその十二聞の表象十二一脚力の財閥現たる十二紳勝、林凡夫、帝棒、同大天王を以てその脇士とし、叉樺迦堂には大師一万三耕の 作三等如来の一在る樫迦如来とその脇士文殊普賢、党天帝棒、四大天王を現に安置して居るが、とれ倖救大師以来の 形相とすれば、全く本隼紗の 粧 大 乗 並 浬 襲 、 法 華 経 遮 門 等 梓 迦 、 以 = 文 殊 普 賢 ↓ 話 = 脇 士 一 、 此 等 悌 桂 一 一 番 一 正 像 一 未 レ 有 = 書 量 口 問 伸 一 oQJ の 文 に 見 ゆ る 如 く で あ る 。 故 に と れ に 依 れ ば 大 師 の 畏 茶 羅 式 が 大 休 謎 門 に 依 り 、 阻 伴 骨 ヰ ハ 輔 衆 師 ︶ を 中 等 と し 、 文 殊 普 賢 、 党天帝棒、日月四大天王を脇士として勧請せられたととが知られるし、叉建治二年春頃の憂茶羅の第二段の左側に、 十二一脚王を配したのも、小繋帥の脇士を大薬師に配したと見れば、叡山に於ける大師の迩門中心の本掌様式が重大な る暗示となって民るととを見逸してはならぬのである。此の点は法華憂茶薙史上重大在る意味を有するものであり、 宗曲が大師を外相承の師と仰ぐ一要素である。故に日疋に就ての根本的史的研究は後日を期するものである。叉法華一柳 誼との交渉も一重要課題として考へねばならぬ。
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、
法
華
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禁
羅
今 法 華 ・ に 就 て そ の 長 茶 羅 形 相 を 見 る に 、 宗 祖 の 法 華 経 は 註 法 刊 唯 一 ・ 粧 が 法 恭 一 ・ 三 部 を 註 し 、 本 隼 紗 の 一 代 三 段 が 法 華 三 部 十 怨 を 正 ︷ 一 不 Q J としたのに依て明らかなる如く、天台以後侍救如円詮等何れも三部一具として見たのに準するに、八 7 の長茶羅も法華三部十容を所依とすべきである。叉法華の註家は道生、光宅、天台等執れも密救侍来前に属する放に、 塁茶羅的解樟は思想史上営然斡殺侍来後に属すべきであるが、法華三部の経文上には自ら憂茶羅的形相が存ずるので あ る 。 大量茶経の儀相の研究 大A大員十余緑儀相の研究
。
先 づ 閉 経 た る 無 量 義 経 に 就 て 之 を 見 る に 、 市 此 法 口 問 第 二 に 無H E
或 の 意 を 説 い て 無 量 義 者 従 二 法 − 生 、 共 一 法 者 即 無 相 、 名 岱 = 宜 相 一 、 乃 至 苦 男 子 以 ニ 円 正 義 一 故 、 能 以 二 身 一 一 不 = 百 千 寓 億 那 出 陀 無 量 無 数 恒 河 沙 身 日 、 乃 至 日 疋 則 諸 伸 不 可 思 議 甚 深 境 界 、 非 = 二 乗 所 Z 知 、 ︷ 女 非 = 十 地 主 口 一 降 所 Z 及 、 唯 悌 興 レ 伸 乃 能 究 了 。 と述べ、との時空中より天華が降り、問方問維上下も亦然なりとあるが、 一 法 応 対 よ り 無 景 一 身 を 顕 現 す る は 、 と れ 一 一 相 の伸界縁起の憂茶羅の相である。 , 市 内 に 法 哉 ・ 八 容 に 就 て は 、 不 器 の 儀 軌 を 始 め と し て 、 法 華 系 統 の 謹 術 は 、 悉 く 買 塔 品 の 二 伸 並 座 の 儀 相 依 っ て 照 る と とは、鑑真の南都戒壇︵備会二O
一 、 ト − 一 ︶ 天 武 朝 に 於 け る 大 和 長 谷 寺 の 千 悌 銅 版 中 の 法 華 経 相 、 そ の 他 雲 山 岡 の 石 窟 の 彫 刻 を 始 め 、 和 漢 各 地 の 多 賓 塔 等 に 見 て 明 か で あ る 。 故 に 古 来 法 十 唯 一 ・ 呈 茶 羅 と い へ ば 、 一 に 費 ヰ 口 聞 の 儀 相 の 如 く に 思 は る L に至ったのである。併し乍ら法華経中に憂茶羅の儀相を求むれば、序口問最初に見ゆる霊山の儀相は.舎利弗等高 二千の整問、八高の菩薩、二界八番の雑衆歓喜合掌一心観悌と詑き。叉眉間白書相の光は下阿鼻獄より、上阿迦尼陀 天 に 至 る と 設 け る は ‘ と れ 一 一 砲 の 十 界 の 憂 茶 雑 で あ る 。 + 引 に 化 按 品 に は 聞 方 向 維 の 阿 閥 よ り 、 開 伸 迦 に 至 る 十 六 伸 が 、 無 責 市 内 億 の 菩 薩 啓 一 聞 を 谷 属 と せ り と 説 く は ‘ と れ 一 一 極 の悌界縁起の四重量茶羅であり、更に費培品に至って三稜土問して、八方に於て各二百寓億那由陀の同を悉く清浮・な らしめ、且つ 無 L有 = 地 獄 餓 鬼 及 阿 修 羅 司 、 叉 移 = 諸 天 人 ↓ 置 = 於 他 土 ↓ 、 乃 至 通 得 二 伸 園 土 一 、 宮 地 平 正 、 再 時 大 衆 見 二 如 来 と説くに依れば、四悪趣なく且つ人天被移せられた浮土で‘とれ亦四聖一蹄命の呈茶羅である。以上は述門の三長茶羅 で あ る 。若し本門に至つては書量品に 我 寛 成 僻 巳 来 無 量 無 謹 、 百 千 高 億 那 由 陀 却 、 乃 至 於 = 是 中 間 一 我 一 兆 燃 燈 仰 等 、 乃 至 名 字 不 問 、 年 紀 大 小 、 六 惑 一 不 現 の設に依れば、関白砂に﹁法華経前後の諸大乗経に、 一宇一句もなく、陪身報身の顕本はとかれや﹂︵拙六︶とある如 ︿.霊山の敬主は無作三身如来と開顕せられ、叉燃燈悌等とあるは、取意妙に ﹁ 大 日 如 来 、 阿 捕 陀 如 来 、 勢 師 如 来 等 謹 十 方 諸 錦 、 我 等 本 師 敬 主 轄 隼 所 従 也 。 ﹂ 三 一 間 ︶ と楳されし如く、樺迦一⋮仰の顕本に依て開顕せられたる通一悌土の諸伸来たる伸界縁起の儀相である。叉神力品に於 ける結要付属の儀相、累品組付の儀相は何れも法華・憂茶羅の一儀相である。 若し観普賢粧に於ては十方棺備に依る機悔の法を詑き 市無稽迦牟尼伸、甫無多費悌塔、南無十方樺迦牟尼伸分身諸伸、作=是語一己週開=十方悌\南無東方善徳悌及分身 諸 伸 。 等と説いて居るが、それ又一一極の機悔法の憂茶羅である。若し最初の隷迦を書貴嬬本の仰とすれば‘多費塔内に二伸 を 認 め ね ば な ら ぬ が 、 既 に 累 口 聞 に 多費伸塔、遺可レ如レ故、設ニ是認一時‘十方無量分身諸伸、及多賀悌並上行等乃至一切世間天人阿修羅等、間働所説 皆 大 歎 喜 。 とあるに依れば、薬品の敬主と同じく臆即法九河本備なることは、﹁樟迦牟尼悌名昆慮遮那遍一切底﹂の文に依ても明か である。今如上の三部所顕の憂茶羅相を一不さば左の如くでるる。 大 量 茶 血 相 儀 相 の 研 究
大長茶羅儀相の研究 ー 問 ︵ 無 量 義 経 ︶ 正 法 華 経 〆圃唱恒国ーJ、ー’圃,−、 本 語 暴 利l 需 質 化 序 ー 結 ︵ 観 普 賢 粧 ︶ 仁3 十 { 弗 界 生 城!大通伸四方四維等 格ー一一伸 並 座 間 聖 1 品 力 量 I I I 悌 悌 等 分 間 待 顕 身 士 号 子 本
束 十 諸
方 ノ り 三盆 4 四 伸話 身 分
等 等 士 身 諸 働 問 顕 右の如く閉経並に控門は十界衆生の開頴を大綱去し、本門並に結経は十方諸仰の開頴を犬綱去するのである。 然らぽ我が大量茶羅執れに相営するといへば、新尼御返事に 今此の御本隼は教主樺隼五百鹿点却より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひて四十余年、共後叉法華経 の中にも遊門ははせすぎて、費塔品に事をとり、書量品に説雪崩し、一脚力属国最に士事極まりしが23
とある如く‘賓塔品の分身来集に起り、書量品に開頴せられ、紳力付属に克る本傘紗に所謂 ﹁ 如 レ 日 疋 本 隼 在 世 五 十 余 年 無 レ 之 、 八 年 之 問 但 限 = 八 品L
と詑かれしものである。 する書量所顕の本悌を中等とし、南側には費塔品の二伸、涌出口聞の四大士、並に弘安巴前には普賢経の東方善徳伸、 若し呈茶羅の諸掌に就て見れば、南無妙法蓮華経を費披と 費塔累品にも見ゆる十分身諸悌を第一段とし、第二段は法華に出づる文殊普賢等の逃化諸菩薩を始め九界諸等を列ね 第三段の鬼母、剃女並に雨側の四大天王は序品陀羅尼品に出づる所であるが、その他龍樹等三閣の問依、天間八幡、並に不動愛染の二明王等は、全く本門開顕の意に基いて呈茶羅の諸隼に列したのである。されば日女紗には、 震に日蓮いかなる不思議にてや候らん、龍樹天親、天台博敬等だにも顕はし給はざる大憂茶羅を、末法二百余年の 頃、はじめて法華・弘通のはたじるしとして頴はし奉るたり。是会く日蓮が自作にはあら歩、多賓塔中の大牟尼世隼 分身の諸伸よりかたきたる本隼なり︿宗︶ と三園未有なると共に、本有の傘形・なる所以を明かにし、更にその内容を詳詑して されば首題の五字は中央にか L り 、 四 大 天 王 は 賀 塔 の 四 方 に 紘 一 一 し 、 醐 伴 迦 多 賓 本 化 の 四 菩 薩 肩 を 誼 ペ 、 普 賢 文 殊 等 、 舎利弗日連等感一を屈し、日天月天、第六天の魔玉、龍王、阿修羅其外不動愛染は南北の二方に陣を取り、悪逆の連 多、愚痴の龍女一座をはり、三千世界の人の露命を奪ふ悪鬼たる鬼子母刷、十羅利女等、総じでは大小の⋮明暗等休 の 一 脚 つ ら な る 。 其 余 の 用 の 一 抑 制 ロ に も る べ き や 。 賓 塔 品 に 一 疋 く ﹁ 接 諸 大 衆 、 品 け 在 虚 空 ﹂ 一 再 々 。 此 等 の 伸 菩 薩 大 聖 等 、 時じて序口叩列坐の二国外八呑の雑衆等一人ももれ守、此本隼の中に佐し給ひ‘妙法五字の光明にてらされて、本有の 曾形とたる、是を本金とは申す也。 と序品列店を始めとして、顕密の諸傘、三間四依、天間八幡等十界悉く本怖の光明に服されて本有の隼形と間開閉した 書量間期間の憂茶羅でるる。今の文に賓塔品の﹁接諸大衆、皆在虚空﹂と以て、本隼の依交とする如く長茶羅は虚空合 八品の儀相でもあるが若し御義口俸には書量品の﹁時我及衆併、供出護鷲山﹂の文を以て 霊山一合慌然未散の h X なり、本門事の一念三千の明文なり‘御本隼は此の文を顕し出し玉ふなり。︵下
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といふに依れば霊山顕現の儀相でもある。故に古来の相承には︵本雰論資料︶ 一 虚 空 舎 の 儀 式 朗 門 流 ﹁ 日 像 記 ﹂ 合 一 − J 大量茶織儀相の併究大量茶巌儀相の研究 二 四 二二鹿三舎の儀式 三草山一舎の儀式 問 法 華 舎 の 儀 式 錯すといふが、書量品には﹁我常在此、婆婆世界﹂と設き、妙薬は之を轄して ハ 向 上 ﹀ 興 門 流 ﹁ 奥 師 口 傍 ﹂ ︵ 二 二 日 J 大 綱 探 秘 紗 ︵ 二 三 一 一 肯 ﹀ ﹃ 茸 離 = 伽 耶 一 別 求 = 常 寂 − 、 非 E寂党外別 有 = 抽 安 婆 ﹃ ﹄ ハ 文 句 記 、 二 六 一 ↑ − 一 ︶ と 詑 き 、 又 ﹃ 直 観 = 此 土 九 四 土 具 足 、 故 此 伸 身 即 三 身 也 ﹄ ︵ 二 九 割
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と 説 け る 如 く 、 議 量の顕本を経れば虚空といひ襲山といふは、とれ未顕の貫に於ける所費化の無常土の方鹿であって此土を離れて三災 四却を出でたる常住の浄土は左いととは本隼紗に明かである。故に法華一・の憂茶羅としては前掲の諸名中、相に約した 霊山顕現の憂茶繰といふのが躍はじい様である。一
、
遺
文
に
見
ゆ
る
敬
観
本
箪
圃同期憂茶羅の研究に先だちて‘先づ遺文に見ゆる憂茶羅の所明に就て研究する必要がるる。遺文中本隼叉は憂茶雑 の所明は、随所に見出さる L のであるが、その中判然たるものを抽出すれば‘佐前に二十余、佐後には百余を敷ふる ととが出来る。それ等の中正しく呈茶羅の形相に就て述べたと見らる a Aものは‘佐前に七、佐後に二十六を敷へられ るが先づ是等の諸交を通観するに.支障元年の唱題紗は台営の分岐点と見トりるるととは.文中自ら南宗の本品与が併華 されて居るからである。即ち 本 曾 は 法 華 経 八 巻 、 一 巻 、 一品︵以上天台﹀或は題目を書て本隼と定むべし o 法師品並に神力品に見えたり。叉た へたらんは樺迦如来、多賓備を書ても浩ても法華経の左右に可 b奉 b立 レ 之 。 叉たへたらんは十方の諸働普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるペし。会問︶ とあるに依て明かであるが、経企伶本館はこれ法師品の﹁経容所住之蔵、起七質塔、不レ須一復安=合利 L の 交 と . 一 岬 力 口 問 の ﹁ 経 企 竹 所 住 之 慮 、 皆 躍 起 塔 供 養 ﹂ の 文 広 依 る の で あ る 。 と れ 天 台 の 法 恭 一 ・ 織 法 に 見 ゆ る 本 傘 で あ る 。 と れ に 封 し て 書量文底の題目を以て本等とし中館としたのは我が大豊茶雑である o 次に﹁叉たへたらんは﹂の第一は回目に二伸を 添へた略本傘であり、第二は更に十方諸悌並に普賢等を加へた梢や庚完の略本傘である。而して此にいふ法華経とい ふのは、天台や経文に見ゆる如き経容でないととは明かである。即ち前の八余二容等の法華経は法山河合利を意味し、 後の法華経は題目を質蹴とする本怖を意味したものである。故に今の抄は法︵台︶伸︿常︶各々庚時要三械の本骨悼を 示したものであり、﹁書ても埴りても﹂といへば‘御本傘は一遍首題或は一悌の要と、 二怖を加へた略と、十方諸伸 普賢をも添へた庚いの三様、呈茶羅或は木檎に亘って一不されたのである。 若しその他の文に依る呈茶維の儀相の所明に就ては、概ね第一段の悌一部を出し、その他に就ては第二段の蓮華部主 詳説し・或は第三段の金剛部を詳説する等一様ではない。円疋等諸部の所明に先だちて、先づ中曾の所明に J成て見るな らぽ、位前と佐後の弘安以後とは共に法華経を以て中等を表して居るが、位前後の法華経は共に天台のそれとは異る のみなら歩、位前後に於ても自らその内容の意味は別である。即ち位前に於ては唱題抄を始めとして、舶守砂金↓︶ 善 榊 擁 護 紗 ︵ 訓 ↓ ︶ ‘ 月 水 紗 ハ 4 J 四 僚 制 限 ︵ 4 J 等は諸備等を以て行者擁護とする、己心本伸、己心本等の意と解すぺ き で 、 文 永 二 年 の 聖 愚 問 先 川 紗 ︵ M J が最も明らかにとの意を示して居る。即ち中品与を首題を以て表し、且っとれを仰 性の意と解し 夫妙法蓮華経者一切衆生伸性也、悌性者法性也、法性者菩提也、所前樺迦多賓十方諸仰上行、無法行等、普賢文殊 大量茶羅儀相の研究 二 五
大 量 茶 園 騨 儀 相 の 研 究 一 一 六 会利曲即日蓮等、大発天王、樺提恒困、日月明星北斗七星二十八宿、無量諸星天衆地類、龍榊八部人天大舎、閤魔法 王土悲想雲上、下那落炎底、所有一切衆生所レ備僻性を妙法蓮華経とは名くる也
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と越べて居るが、此の行者悌性所表の中等白首題以外の諸隼は、悉く行者擁護の諸隼であって、佐後妙一茶羅を以て行 者の守護子話相︶とせると同一筆法でるる。斯の如く佐前の己身本備の義は‘伸性を以て本有の隼形とする‘綱要師 の逆縁本隼︵剛時七三︶と同工異曲でるる。本第抄の末文に﹁不 L識二念三千二四大菩薩守=護此人LGJ
と 同 義 で 悉く己心本隼に約して昂る。叉佐後に入つでも文永九年の﹁生死一大事血脈紗﹂SJ
‘ ﹁ 阿 伸 房 御 書 ﹂ ︵ 凱 = ︶ 、 ﹁ 最 蓮 田 お 御 返 事 ﹂Q
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、 ﹁ 日 妙 聖 人 御 堂E
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、 十 年 の ﹁ 妙 法 長 茶 羅 ・ 供 養 ﹂ に も 此憂茶維は文字は五字七字に候へE
も 、 三 世 諸 伸 の 御 師 、 一 切 の 女 人 の 成 伸 の 印 文 也 。 ︵ 七 ︶ と越ペて、佐後と雄も本骨骨紗以前は矢張大体佐前と同じく中骨掃を己心本伸観心本隼に約して越ぺて居るが、同年の本 傘紗以後は、その所表一様ではたく、大体左の五種に分たれる。 一 五 字 七 字 丸 四 O 、 九 七 五 、 一 O 三三、一 O 丸 一 、 二 題 目 首 題 丸 八 五 、 一 六 二 五 、 一 七 九 四 、 一 八 七 三 三 書 量 僻 丸 四 六 、 九 六 O 、 九 六 四 側 教 主 揮 隼 一 O 三八、一五 O 丸、一八三 O 却 法 華 経 一 七 一 八 、 一 八 一 ・ 犬 、 一 九 四 八 、 一 二 U 八 五 併し乍ら佐渡に於ては、中等を書量本僻とした教門本隼の蓮に約して居るのである。随って佐後逸年に法華経といふ 一 六 二 五 のは、所詮能頴の経典の意でたく所詮能顕の本僻の義と解すべきでるる。此の本写に於ける敬翻隔様の解樺は、殺人の生涯を通観して、白ら一秘時代と三秘時代との相違と相平行して居ると見べきである。故に遺文に於ては十年四月営 身の大事たる本隼砂が、己心本穿より教門本隼へと開国した説明書であり。次で周年七月八日一谷に於ける本隼始頴 への史宜と契合するものである。されば比企谷に倖へられたる身延相承の章一抄に一観心本隼齢者先今大 8 7 茶 羅 儀 軌 可 レ 得 レ 心 也 。 ﹂ ︵ 資 料 一 一 八 八 ︶ と い へ る は 、 会 く 今 の 意 を 裏 書 す る も の で あ る 。
四
、
始
額
憂
棄
羅
の
意
義
古来本簿紗は本ん一訴に於ける観心修行とその封象たる本曾とを併せ明したものと稀せられて居るが、宗祖三秘の所明 に 就 て は 、 文 永 九 年 五 月 四 依 金 吾 に 封 し て ﹁ 本 門 書 量 口 聞 の 三 大 事 ﹂ ︵ 司 J と始めてその名を示し、次で宮木股に封して ﹁ 水 門 の 三 撃 ﹂ ハ 訊 J とその義を明し、期立年四月本隼紗に於て﹁事行の南無妙法蓮華経の五字、並に本門の本傘﹂︵抗 J と 三秘の二法を開顕し、翌月義洋一房に封して始めて三大秘法の名字を確立し、七月八日本隼の始顕と友ったのである。 而して此の本隼の始掘はん一不組の一期を通じて何たる意義があるかといふに、勿論佐前並に始顕以前に於て品交茶羅の同 顕もあったのであるが、前越の如く遺文に於けるお ι 茶羅の所明は、本曾紗を分岐点として、前後に於て、本隼の上に 教組の別が分ち得るとすれば、佐渡始顕を以て宗祖の三秘共掘と見・なければたらぬ。即ち本隼紗を以て大長茶羅の儀 軌として、之に依て始めて三秘随一の敬門本傘即ち本門本診が確立したのである。随って本曾に於ける位後始頴は、 三秘の本門本隼の始顕であって、末法の行門は此に同具したととになるのである。此に所謂本門本隼とは己心本食、 観心本隼でなく、全く報思妙にいふ如く教主樟隼を本隼とし、十界の諸傘を以て始めて脇士となす、悌界縁起の義主 成するのである c とれ日朝の﹁本傘行者用心口決﹂に 大 且 覧 茶 離 脱 問 相 の 研 究 二 七大長茶羅儀相の研究 A 本傘所レ列諸掌・天部日月旦民等、特迦一伸一身一念踊於法界形也。︵資料、一↑ J といふ所以である。とれに封して己心本傘、親心本命といふのは本傘紗の翻心段に受持譲興に約して 我等己心開伴等五百鹿点乃五所期三身無始古伸明。乃至地涌千界主口薩己心禅傘谷届也、乃至一身一念遍於法界、乃五 己心三千共足三顧世間也
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たるもので、平賀の日意御談に 所 詮 本 隼 勧 ニ 請 十 回 外 \ 心 外 十 国 外 非 − 一 己 心 所 共 十 界 一 也 、 去 問 我 等 題 目 一 一 返 奉 レ 唱 己 心 十 界 衆 生 同 時 唱 即 身 成 品 川 也 。 ︵ 資 利 ニ ト 。 ﹀ と い へ る も の で あ っ て 、 蹄 帥 が 唱 題 視 に ﹃ 中 央 南 無 妙 法 蓮 華 ・ 経 円 疋 顕 = 己 心 本 僻 休 一 共 休 周 遍 合 一 一 容 十 方 諸 俳 ‘ 法 国 外 有 的 、 無 号一利土森羅寓物一﹄といふのも全く同意であるが、併し乍ら此の己心本傘、翻心本品与にも信誘に依り、綱嬰師の所訓順 逆の別を分ヲべきである。即ち前越の位前乃至始穎以前の伸性中得の己心本隼と、受持即成に依るそれとは全く別呉 である。此の順逆の別を除かんがために起ったのが、本門の大救であり三秘の妙行である。故に始顕以前は夜纏の己 心木等で−あり、妙行に依り受持即成のは出纏の己心本持ゆでるる。襖 ι 一目すれば己心本診に信前信後の相違があるのであ る。即ち始顕以前は信前であり、始穎以後に至って漸く信後の己心本骨子が販はるべきである。本曾紗に﹁己心棒傘﹂ といひ、営体一誌に﹁営体蓮華・伸﹂等とあるは信後の意であり・十凶作が行者守護の意に常る所明は信前の意と解すべきで ある。此の信前信後の分岐点なる所に、佐後始顕の本命の京大意義が存するのである。間設帥﹁本曾論﹂一O
一 参 照 。 されば所前信前は中等は自ら本畳一秘の題目でるり、下神.の法体であり、随って傍傘の二伸問主口薩等は本曾紗の末 交の如く行者擁護の諸伸菩薩諸天善一仰である。故に本曾を以て行者の守護と見、御守として見・なければならぬ、綱要の所謂逆縁本隼は此の義であらう。されば佐前本懐未顕、三秘未聞の己心本寧は、本畳に約した行者伸性因果未分の 己心本隼である。とれに封して位後信後に於ては、本懐開顕 J ニ秘顕揚の上に於ける悶門始直耳、三秘随一の行門の敬門 木等と、果門の始即本の所化同体、尚一然譲奥の翻心本傘との雨様がある。而して本隼紗の受持譲典、営体遺の正直捨 模信法華経唱題等は、正しく前者の敬円本傘に封する三秘の妙行を示したものである。叉妙一女紗に 本門の即身成併は営位即妙、本有一小改と断やるなれば、肉身を共ま L 本有無作の三身如来と一五へる是也。主 と述べ、御義一口停に﹁服するより無作三身﹂と談ぜるは,正しく後者の始費即本魔に依る翻心本隼の意であって、日 朝の﹁本傘行者用心口決﹂に 所詮十界衆生己心妙。経庭事顕事、然即十界凡聖共営位々々不レ改誰=己心妙法一成伸一疋也。的十国外骨成伸極理此御本 骨 尋 問 問 玉 畑 町 也 。 ︵ 資 料 一
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︶ と説けるは全くその意である。 此に於てか我等は受茶雑︵本隼︶に三極の別を認めねばならぬ。三種とは始顕以前の行封印寸護の親心︵己心︶本等 L ι .三秘随一たる救門木等と、受持譲興に依る観心本隼とである。然るに此の三麓は法休に就ては供に本地難忠の境 の妙法たる本質法身であるが、生怖の感揺に依る行門上に相遣があるのである c 而して此の行門始畳門に於ける相違 はとれ自ら敢行設の相違と見られるのである o 始頴以前即ち信前の己心本隼は、とれ因果未分本質殺の重の憂茶雑。 仏州問問以後行門の封象たる敬門本隼は悶門行の草の蔓茶羅。果門始即本の信成就の翻心本隼は詮の重の且喫茶雑である。 而して此の救行設三重の長茶羅は、自ら種熟股の三話、並に題口、本傘、戒壇の三秘に相営するものでるる。 大且見茶経儀相の研究 九大長茶羅儀相の研究 ぐJ h教||未分翻心ーー額 1 1 題
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本 三 指 長 一 茶 羅 ︷ 行 l |悶行教門l
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本傘| 1 1 始 発 ︶ 部 H I − − 来 線 親 心 i !股||戒壇||始即本︸ 兜 [ 一 秘 的 町 駅 前 三秘||始期後 此の場合行門の本曾は三秘妙行の封照の意であり、戒前一は寂光土を表して三秘の果徳を意味するのである。常門の三 秘 口 決 の 日 賞 記 に ﹁ 戒 壇 叉 本 曾 儀 式 上 可 レ 習 し 之 也 ﹂ ︵ 費 料 二 句 一 ︶ と も ‘ 亦 ﹁ 妙 法 受 持 人 住 底 悉 資 戒 壇 也 ﹂ ︵ 同 上 ∼ 一 六 ︶ 等 と 轄するは、自ら今の意に営るのである。 要するに営身の大事と宣へる本隼紗を以て本宗長茶羅の儀軌となし‘以前の段茶経は悶果未分、本史、伸性の法体 に約する行者守護の己心本傘、以後は因門始費に約する三秘妙行の封象たる教門本傘なるととは、遺文の所明に依て 判然としか解すべきである。此に於てか佐後始販の長茶維に殺風一上重大意義が存するのである o 即 ち 始 顕 前 後 の 現 穴 水 羅は自ら敬行の相違と見ねばならぬが、若し受持一議興所化同体の果門詮の重に至つては、行の修すぺきなく本隼の論 十べきはないのである ο 始顕前後の場一茶羅に就ては、右様の解離上に相違があるのであるが、併し乍ら若し固瓶詰一茶 羅に就ては、悉く三秘随一の本門本隼と解すべきであらう。王
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既に地べたる如く長茶維は、悌敬史上よりこれを見れば、真言の法に依る故に先師が畏茶羅の各部を呼ぶ名稲の如 きも概ね彼に附順して居るのである o 併し乍ら彼と異る点は白ら宗義の根本相違があるからであって、とれを正像未 弘三岡米有の大憂茶羅と棉するのである。若しその形相の彼より出づる点は‘法華品且茶羅の最初たる不宰の観智骨軌は、維の胎識長茶羅に法り法華賓塔品の二伸並座を中隼とし、八葉蓮華に越化の諸隼を配してとれを中心とする、と れ法華謹門の聞編に依る三重憂茶臨雑である。然るに我が大憂茶羅が形式上此に源を護し、台密の揺笹期を経て全く本 門開顕の意に伎で大成せられた故に、二時三園未有と讃歎する所以である。併し乍ら此の歴史的進展の事情は、本隼 論資料中に見ゆる諸先聖の相承中にも散見する所であって、就中常門相承の八葉九隼圃︵二一一 J .朝師の﹁本門三種知 識﹂に於ける智詮の講演法華憐に依る八葉九隼園︵コ D ﹀等は儀軌との閥係を物語り、朝師の法華曇茶羅八葉九隼園 ハ一主﹀は中等を儀軌の無量害決定如来とたし、左右に樺迦多賓の二備を配して‘とれを南部の大日と友し・︿取要抄 一 − m ﹀本化の問菩薩、越化の四菩薩−
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八葉に配したのは、亦伎の長茶羅との交渉を意味するものである。 故に法華努一茶羅なる点に於ては儀軌乃車台筏のそれと同一系統に属するのであるが.その形相に就てとれを見るに 先づ諸隼の表象に於て棋は畜像であり、此は文字でるる。叉その配列に就ても伎は平面的であり、此は立体的である。 随うて維は中心より四固に及ぶのであるが、此は上より下に及ぷのである。叉彼の儀軌の法華量茶羅は伸部、蓮華・部 金剛部の三部三段より在って民り、叉我が大憂茶羅も同じく三部よりも仏るととは、朗門相承の大畳詑︵費料一一= J 並 に 日 経 記 ︵ 岡 山 。 ︶ 乃 至 朝 傍 岡 師 の 口 傍 ︵ 資 料 一2
・ z J 等に示す所でるるが‘我が憂茶維の中には四重或は瓦重のもの もないでは友い。然らぱ如何様に三重と見るかといへば、小林萱帥は大量罪、羅進一考に、中隼並に二伸︵善徳、分身︶ 四大士を第一重備部とたし‘越化の問主口薩と韓間家即ち四拍車までを第二葉蓮華部‘以下六遣を悉く金剛部として居る 公 一 京 乗 講 義 録 二 ﹀ と れ は 建 治 年 代 に 確 定 し た 凹 豊 崎 命 に 依 っ た の か も 知 れ ・ な い が 、 長 茶 羅 の 第 二 段 に 発 鰐 日 月 は 勿 論 、 輪玉、阿修羅‘龍王等迄を列ぬるもの多く、叉輪王以下は第二段と第三段の聞に勤講せられるととは弘安後の大宇が それでめる。叉鬼子母一脚、十羅利の如きは建治以後常に第三段の筆頭に列せられて居るが‘とれとて建治元年十一月 大品毘茶経儀相の研究大長茶緑儀相の研究 ︿身延本命鑑第八闘︶凶には、第二段左側の龍王の上に列せられたものさへある。随って此の第二段は必やしも、間同軌 の蓮華部に準チるのでなく、既に本化を以て僻地建の菩↓睡として伸郎に接した故に、第二段後は民く油化の菩薩以下 の 九 界 の 衆 生 を 接 し た も の と 見 ね ば ・ な ら ぬ 。 然 る に 鬼 子 母 一 脚 と 十 雑 利 女 と は 、 陀 継 い 店 品 に 於 て 法 韮 ・ の 行 者 守 護 を 宣 − 一 日 し、且つ宗祖偉導時代には常に影の形に添ふ如く、身濯を守護せられし放に、末法日本に於ける守護の筆一間として第 三段の始めに列したのであるが、とれは第二段に九界の諸傘を躍し粂ねし故に、輪王等と川じく第三段に流出し末法 行者守謎の意を以て第三段に勧請されたので、・貨は第二段の九回芥の流出と見べきであらう。 斯くて第三段は正しく三閣の四位と日本闘の守護神たる天照八幡とたるのである。而して此の第三段の勧請諸偉に 二時未弘三岡未有の本門の本隼たる意義の一部が存するのである。興門の日俸は深秘抄に長茶羅を以て 法 華 一 舎 陸 儀 式 、 十 界 成 悌 旨 被 ι遊 者 也 ︵ 資 料 こ で 一 一 ︶ ム︸越ペて民るが、若し単に十凶作成伸の旨といへば、連門に於けるこ乗作怖に依る十界成伸の旨がそれである。随って 間平に此の十回作成悌の意を表したものとすれば、観知刊儀軌の法華劫一茶雑も亦此の意に外ならぬのである。而して此の十 田作成伸の原理に依れば‘肢に昼間的には安営でるるが、とれのみでは監の時間的の安営性が鴎寓されるのである。換言 すれば迦門開顕に依れば横に十界の統一は出来るが、堅に働界の統一が不可能である。即ち本門の開頴に侠たたけれ ば‘憶に時間的安営性を猷き随って悌界不統一に師ずるのである c 故 に 開 臼 妙 に は 、 遮門方便品は一念三千二乗作備を説て、爾前二種の失の一を枕れたり、しかれどもいまだ殻述顕本せざればまとと の一念三千もあらはれや、二乗作悌も定まらや、乃至かうてかへり見れば華厳挫の台上十方、阿合経の小棒迦、方 等般若
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金光明粧の阿繭陀粧の大日経世一すの樺伸等は、此書量品の仰の天月しばらく‘影 bL 大小の器にして浮べ給ふを、諸宗筆者等近くは自宗に迷ひ、遠くは法華経の書量品をしらや、乃至十門十四品も涌出書量の二口聞を除ては皆 始成を存せり、法華経前後の諸大経に一字一句たく、法身の無始無絡はとけども脂身報身の顕本はとかれや、乃至此 過去常踊る L 時 諸 悌 皆 揮 掌 の 分 身 ・ な り 。
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︶ と読破せる如く、諸経に見ゆる無量の諸伸を悉−く樺迦一⋮仰の分身散体なりと開顕せられたのが本門の悶穎である。故 に本隼妙には 爾前述門園救向非=悌因−、何況大日経等諸小乗経、何況花蹴真言等七宗等論師人師宗︵司耳︶ と庇し、取要妙には大日捕陀薬師等の諸伸を樺隼の所従なる分身なりと悶顕し‘本牟紗に所謂﹁十界久遠之上闘士世 間 既 顕 ﹂ ︵ 4 J 、 ﹁ 十 方 諸 伸 慮 = 大 地 上 ﹃ 表 = 趨 伸 埴 土 \ 但 限 八 日 間 ﹂ の 儀 式 と 同 期 間 せ る が 本 門 の 本 傘 た る 大 憂 茶 続 で あ る 、 之を圃顕したのが佐後始頴の憂茶雑である。 併し乍ら経交の設相に依れば‘樺迦備の塵点質成であり、我説然燈伸等と設ける如く樺隼の本生謂の開閉闘に外なら ら左いのである。故に宗祖は悌設の根本精神に突入して濯頂紗には﹁且立塵点﹂と断じ‘開日紗には﹁文底秘法﹂︵1
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と読破せられた所以である。故に我が大憂茶羅は経文の本国日たる二門開頴に立脚し、その微意を洞察して経文に瀬一説 せ ざ る 雨 界 の 大 日 を ﹁ 賓 塔 品 多 賓 如 来 左 右 脇 士 ﹂ ヘ − 一 ↑ 町 ︶ と し て 掲 げ ︵ 建 治 元 年 十 一 月 身 延 本 季 鑑 第 十 一 国 ︶ 良 一 育 の 法 長 茶羅の悉曇種子を以て不動愛染の二明王を出し、その他本門開嬬の意に依て龍樹、天親、南岳、天台、妙梨、侍政等 の三闘問依の諸聖を列ね、天間八幡等の日本園内大日紳祇を列ねたのでるるが、とれ全く害量文底の深義に依るもの である。此の本門閥頴の意を依る故に、本門の本傘を以て働界縁起の大量茶器維と棉する所以である。 斯の如く雨部の大日並に二明王等は、正しく終救を舎したものであり‘ M 入三国問依、日本闘大小の榊抵の代衣たる 大島耳茶経儀相の研究大長茶緑川田相の研究 問 天間八幡を崩して.顕密超過の大憂茶維を創浩した故に二時未弘、三園未有と稿するのである。而して第二重の九界 諸隼と、雨側の四天王二明王の中聞に、第三重として三園四依と天照八時を加へたのは、とれ叉本門開掘の意に依る ものであるが‘雨側の問天王二明王は第三重よりも‘第二重に睡ずべきでるらうが、之は若し真言摂茶維に封ずれば、 外金剛部として三重以外に見べきである。今は雨側ではあるが凶方四維より諸牟を擁護する意であらう。何れにもせ よ本門開掘の経意に立脚して創造したのが我が大長茶雑である。故に朗門の口倖臼経記には 此大使茶雑十国外ソロヘテ勧諸問、大字ヲソロヘト讃大字置也。共故彼宗依経大日経二一五不共一一切聾聞亦非世傘、地 u 震 二 切 衆 生 玉 、 彼 民 一 コ 口 ヲ 小 品 X 茶 雑 定 士 十 国 外 皆 定 義 快 故 也 。 サ テ 今 此 宮 大 乗 妙 。 粧 品 耳 茶 雑 ヲ 、 大 型 茶 羅 ト 定 ム ル ハ 十 兆 皆成義、ソロウ底ノ即身成悌大豊茶羅故也。︵二元︶ と述べ、常門の本宰相倖日置記には 大 者 真 言 小 円 相 一 茶 羅 相 針 義 也 、 雌 し 然 再 往 不 し 可 レ 有 − − 相 封 一 也 。 大 品 豆 茶 維 ハ 無 品 売 別 大 也 ︵ 二 ↑ J と躍し、桐安一には 破 = 破 ・ 三 統 一 立 = 此 三 秘 一 、 陵 = 線 南 部 小 母 一 茶 羅 一 、 顕 = 此 十 界 大 量 茶 雑 一 、 壊 コ 続 本 隼 観 − − 成 ニ 今 翻 心 本 隼 ↓ ︵ 一 同 ニ ︶ といふも全く同一徹である。併し乍ら前越の如く十界湖請は肢の大であって、堅の大を快く故に本門間掘に依て諸僻 を統一して、竪の大を加へて始めて慌竪無蓋輪国共足の大旧安茶維と棉し得るのである。受茶維の讃交に﹁悌滅後二千 二百二十余年之間二閤序提之内未曾有之大量茶羅也。﹂の意は全く顕密開顕‘即ち本門間顕の一貫義に依らねばなら由。
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上来伝一茶羅の由来‘始顕の意義並に三岡未有の所以、即ち法華憂茶羅の思想的研究と、純正山一刑事的の意義に就て述 べたから、以下正しく今の目的たる形相研究の封象を定め、とれを綜合して始頴以来の形相上の控還に就て統計的に 研究を試みんとするものである。斯かる研究の封象としては、少なくとも現存する御真蹟全部が根本封象あり、,次に は確賓ゑる御形木、並に先師の馬停等も重要たる研究資料である。而して右の中第一に相等するものは、大正元年稲 四海素師が須原屋万殻行した﹁御本傘馬民鑑﹂巻之一、とれには妙嬬寺の宗祖の御宵像︵狩野永納︶並に玉津の輸長 茶羅︵土佐大蔵筆︶を加へて三十一日枚、即ち静一茶羅三十葉、此の中文永八年より弘安五年までの御真蹟十六葉︵中一 葉日等摸寝﹀を第一資料とし、此の外会開諸山に珍識する御真蹟二十二葉、とれ稲阿梅索、師、竹下良品ヰ京等好意に依 て知り得たるもの、又は自ら諸山に就て拝話したもの等である。共に向山蔵弘安御形木ご一葉、身延文内仲裁弘安御形木 板木一枚の計御形木川葉、次には身延文庫殿、朝・乾・逮・会・亨の謹貫目録に侍ふる.遠抗亨師の身延所停の御民 蹟摸思二十八葉、明治三十九年五揮の境雲遺師珍蔵せるを﹁本隼鑑﹂として日宗新報枇で費行し、五本は現に身延文 庫に珍蔵せられて居る。 若し身延の﹁本隼鑑﹂は摸窮するに営って、寸法材料までが判然と記せられ、且つ羽・乾・遠・実・亨の謹費目録 と封照して、多少配列の相遣はあるが、全く一致する所である。今内容の確宜を諮するために﹁木等鑑﹂と封照闘表 すれば 大長茶羅儀相の研究 ヨ].大長楽緩儀相の研究 」4・ ノ、 ・ーーー"・ −−ー−・4・ __,・ 圃』圃圃帽a・ __.・ ・ー−・4・ 蹴者干 五 四 三 二 一
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第 重 一 第 中 重 一 第 蓮〉 (部 偽〉 主 主 (部 働〉 踊 薬 普 安 持 金 十 樺 首 多善民胎主 上 無 立
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長以上は五期に於ける諸隼の整備欣態を R喫茶羅の配列に順じて示したのであるが、若しとれを綜合的に諸部に就て見る た ら ぽ 、 大 休 左 の 如 く た る の で あ る 。 勿 論 様 式 、 讃 文 、 花 押 は そ の 偉 と し て 雨 金 蓮 伸 諸 剛 華 側 部 部 部 部 成 成 文 立 立 永 成 初 建 立 期 成 後
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古 立 期 トーー,『ー守 完 完 初i 弘 成 成 期 完 後 安 成 右の如く働部に於ては文永建治には二伸四大士外に善徳分身を配したが、弘安以後は二隼四大士のみとなり、蓮華部 に於ては建治時代は文殊繭勅ハ右﹀普賢築王︵左﹀とせるを、弘安以後には文殊薬玉︵右﹀普賢輔勅︵左︶と二隼を 喚宣されて居る。金剛部は鬼母利女、天台偉敬、天照八幡が建治の後期に成立して居る。南側の四天王二明王は文永 以来何等増減は無いが、名指に於ては弘安初期までは脅漠出靖し、弘安後期に於て東西南は漢、北方のみ党名で名競 が確定したのである。而して飾部蓮華部の弘安初期の完成と平行するは讃交と花押とである。とれを古来一丹治未再治 本意財閥未樹、随自随化等の名を以て判じて居るのはそれがためでるるむ更に詫意すべきととは文永時代は鵠蹄命であ るが、建治以後は同型師命たるととである。とれ等に就ては項を改めて詳説する所である。 大且虫茶羅儀相の研究 四大長茶緩儀相の研究 問 f!Lf
第七、遺文、豊葉羅に於ける諸隼と讃文
品安茶目維に於ける中隼は悉く首題であるが、遺文の所明に於ては或は法華絞或は五字等と一定しないととは前越の如 くである。共他の点に就て憂茶羅に於ける僻部は、前越の如く弘安以後には全く善穂並に十方分身を除いて昂るが、 若し遺文の所明に見れば弘安以後に至つでも等しく、とれ等を列して居るのである。勿論遺文に於ける東方普鯨俳とL
ては弘安二年の日限女紗︵一−むに唯一ケ所見ゆるのみである。然るに十方分身諸伸に五つては弘安以前︵店 4 副 た い3
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文 殊 踊勅︵諸問。︶と雨様に表示して、長茶羅の配列とは全く合致しないばかりでなく、且ワ雨表 一不は雑然と用ゐられて居るのでるる。叉聾聞衆に於ては夢∼茶羅には、通じて四大農一間中舎利弗︵右﹀迦葉︵左﹀の二 入者を以て、之を代表させて居るのであるが、遺文に於ても矢張二人以上は列ねて居らぬが‘舎利弗、目連企訣む等 と列して、迦葉に代ゆるに日蓮を以てして居るが、未だ目蓮を列した長茶器はとれを見ぬ様である。若し諸天以下に五つては、建治弘安に亘って次第に整頓せられ、勢、棒、第六天日月明星を連ね、人界以下は輪王 阿闇世玉、阿修羅玉、龍王、提婆等を連ねて居るが、天部以下は遺文には相営詳略に述べて居るのである。就中聖恐 問答紗には 大発天王、緯提桓困、日月明星、北斗七星、二十八宿、無量諸昼、天衆地類、龍一脚八部、人天大合、開魔法王、上 非想雲上、下那落炎底、所有一切衆生。
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と 一 不 し 、 諸 法 宜 相 紗 に は 、 天 一 柳 七 代 、 地 榊 五 代 の 紳 k 、鬼子母榊、十羅剥女.四大天王、党天帝棒、閤魔法玉、水紳、風神、山紳、海紳‘大 日如来、普賢、文殊、日月等の諸隼。マ と明し、上野紗κ
は、﹁大勢天王、日月等の明玉、諸天も八部王も、十羅利女等も、日本闘中の犬小の諸榊も己主と 列し、日女紗には伸部、蓮華部、二明王、四天、鬼母、剥女等を畢げ終って﹁加之日本国の守護榊たる天照大一脚、八 幡 大 笠 口 一 陸 、 天 一 肺 七 代 、 地 榊 五 代 の 一 柳 々 、 組 じ て 大 小 一 肺 抵 等 の 体 の 一 柳 つ ら ・ な る 共 余 の 用 の 一 脚 茸 も る ベ き や o ﹂ 一 一 政 等と記 して居るに見れば、諸天以下は梨口聞の誓約に法って、悉く行者守護の意を以て列したのである。而して蓮華部は党禅 日月‘金剛部は鬼母、剃女、天間八幡を以てその代表としたのである。諸天以下の遺文の所明は、長茶羅以上諸隼を 列ねて居るが、とれ行者擁護の意に外なら・ないのである。斯の如く長茶羅と遺文との所明は、 一定して居らぬのであ るが、長茶維は信何のお象怠る故に表現形式を一定すべきであるが、遺文はその内容的説明を中心’とする故か、自ら 所表に左右のあるのである。 ,次に注意すべきは伸械年代を以て棋示した長茶羅の讃文である。此の議文には伸減後二千二百二十余年と三十余年 大長茶羅儀相の研究 四 五大 量 衆 愚 僕 械 の 一 研 究 阿 "ft. ご百余年の三様あるが‘二百余年とある如きは所夜不明の建治二年十月憂茶羅め見ゆるのみで、大半は二十余年と三 十余年の二種でるる。此の悌減年代が遺文にも随所に散見するのであるが、遺文に於けるもの h 大半は題目の讃交と して用ゐられて居るのでるる。要するに宗祖の用ゐられた伸減年代は、悌陪の山川世を明かにするために僻減年代を明 示したのでなく.勿論間接にはその意味もあるが、宗祖が末法の導師として正像二千年後に出生した、如来使たる事 賓を判明せんがために用ゐたものであって、随ってその所弘の法たる三秘の讃文として之を用ゐるに烹ったのである。 市して畏茶羅に於ける讃文は大体文永建治年代は二十余年.弘安年代は三十余年であるが、前代に三十余年、ハ四︶後代 に 二 十 余 年 つ 一 九 、 一 三 ‘ 美 . 一 一 一 九 . 四 五 、 四 昔 、 四 八 ︶ を し た 例 も 少 な く な い の で る る 。 若し遺文に於ける悌減年代に就ては‘往年崎報四八に詳説したのであるが、遺文中最も正鵠の数字を示したのは、 ↓二千二百二十二年︵文永十年﹀波木井砂苛 ロ二千二百二十五年︵捷治二年︶報恩紗↑担 当二千二百二十七年︵弘安元年︶妙法尼紗お 剛二千二百七十一年︵同五年﹀波木弁書宇 右の間交である。その外大教を接げて題目の讃鮮としたものは、凡そ突の同類である。 一 二 千 二 百 余 年 二二千二百一十余年 三二千二百二十余年 側二千二百三十余年 ヘ 問 b M ’ n . . Z 4 九 ・ 七 c − 一 ・ λ 口 七 、 鴨 川 九 九 J f 一 六 八 口 ‘ 一 七 AE . − 凡 主 主 ﹂ 敬持時闘紗州 、 、 ・ 屯 = 丸 、 & 崎 支 令 、 九 七 三 、 九 七 九 ‘ ↓ 4 0 て−−− D J f − − を 口 . HE − − − . − 一 一 − λ 丸 ﹃ − R 老 六 ﹄ ﹂ ﹃ ﹃ 4 = = 2 R・ 4 完 七 七 ﹄ ‘ − セ 元 同 ・ 4 七 九 − J f − R O L 屯 . = o ↓−−一・=口・九一﹂
、 、 ノ 併し乍ら右の中三聖人御難事訟は三十に、四の撰時紗主、初心成僻紗
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等は二十に作るべきである。とれ等は長 r e、
茶維に於けると同じく例外であるが、斯の如く二十三十は敢字の相違はともあれ、末法所弘の題目叉は本隼即ち三秘 の法体の希有たるととを表する、正像三園未弘未曾有の妙法宍る讃僻に外・ならぬのである。 されば古来憂茶羅の讃文に就て、身延相承の日朝の口俸には 一、悌滅後二千二百二十余年等トアソパシタルハ、建治文永等ノ御本隼爾カアソパシグル也。是ハ末再治ノ御本容 ナル故也。サテ二千二百三十余年等トアソパシタルつ弘安御浬繋ノ時分−一雨カアソパシタルナリ。故ニ身延今家 ノカタギノ本隼−一ハご千二百三十余年等トアソパシタル也。日疋ハ再治定ノ御本等ナル故也。的テ弘安中ノ本傘−一ハ 善 控 分 身 等 ヲ ア ソ パ サ マ ル 也 。 ︵ 者 料 て 一 ︶ と述べ、同仰の口停に 文 永 忠 治 ノ 年 ニ ハ 蹴 − 一 二 十 余 年 等 一 一 五 々 、 此 等 年 続 ノ 比 ハ 未 レ 如 = 本 意 一 書 顕 ハ シ 玉 ハ ザ ル 敗 。 弘 安 年 披 こ ニ 十 余 年 等 一 五 h 局 、 共 比 ハ 如 = 御 本 意 − 整 束 シ テ 室 内 顕 玉 フ ト 見 ヘ タ リ 。 サ レ パ 三 十 余 年 ト 一 五 ヘ ル 御 本 傘 可 レ 奉 レ 詰 レ 之 者 敗 。 ハ 同 一 三 ﹀ と日偉し、叉常門の日源の口停には 此 事 ハ 佐 渡 以 前 ハ 陪 他 意 謹 有 し 之 、 三 津 紗 一 五 佐 渡 以 前 悌 雨 前 経 思 ス ペ シ 等 一 五 k 、次三大秘法ノ中題目始絶無 ι 別 、 就 − − 御 本 傘 一 品 川 一 後 沙 汰 有 レ 之 、 的 建 治 年 中 マ デ ハ 向 此 随 他 意 遵 有 ι之 . 東 方 山 一 昔 徳 備 等 十 方 分 身 等 一 EKH 疋也。弘安年中御本容 随 白 意 脅 也 、 何 コ 一 十 余 年 ト 云 ヘ ル ハ 陪 円 意 謹 也 。 ︵ 同 二 ニ o J と 口 侍 し 、 叉 和 語 式 は 三 十 余 年 を 以 て 肖 行 性 徳 、 本 意 正 顕 ︵ 二 一 一 三 一 、 問 ニ C ︶となし。啓蒙は向一行所詩、本意顕畢合言 J と判じ、期村日正師は二十三十を以て随自他、在減、庚布断絶、弘通の始格︵本容論九 O ︶と轄しであるが、要するに 大長茶様儀相の研究 問 七大量茶経儀相の研究 p_q , 、 、 本意顕未顕‘随自随他、再治未再法の意を出でたいのであるが.此の相建は僻部に於ける普徳十方分身の有無を依件 として‘二十三十の相違と結び付けての判別である。併し乍ら若しその僚件としては、更に花押の上に於ける弘安前 後の鍵字と勃噌略字の相違のるるととも、勿論遺文と平行して居るが矢張考慮すべき事賞でるる。之に就て後に持一説 するのであるが是等の善徳十方、二十三十、花押の相違はとれ憂茶雑形相上に於ける重要の異点といはねばたらぬ。
第八、前後二期と綜合三期
上越の弘安前後に於ける三つの異点は、古来先師の指摘せる如く、 n 安茶羅の上に於て再治未再治、本意顕未顕、随 自随他の語を以て判ゃるのが安営であらうが、勿論聖人の化道の上に於ては、陰穎進退の蟹化のあったととは認めね ばならぬが‘営身の大事たる本隼紗を儀軌として、開顕せられた三秘随一の長茶羅に就ては、形相上諸隼の具略はあ ったにしても‘之を以て直ちに法鉢上の判語たる‘本意顕米顕の一請を以て判やるととが出来ゃうか、とれ三樺紗の文 意に照しても‘此の語は勿論臨肖随他の語を以て判やるととは出来たいのである。併し乍ら形相の上には明かに‘建 治弘安の聞に於て少たくとも‘ト一掲の三点丈けは認めぬ課には行かたい。併し乍ら形相上の錘化を示す語としては、 再治未再治は上掲三義の中では最も近い諾かも知れぬが三秘の随一白星茶羅としては始顕以後絶封に慣値の高下を以 て 評 慣 す べ き で は な い 。 併し乍ら右の三義が善徳十方分身の有無を以て相遣の僚件とした点に就て再休日味する必要がある。今翻って儀軌の 法華品交茶緯と今の大憂茶羅との中心をたす働部諸隼に就てとれを見るに‘儀軌の憂茶羅は賓塔品の二伸並座儀相を中台に配し、調勤、文殊、輔衆玉、妙昔、常精進、無謹意、観昔、普賢の遮化の八菩薩を八葉に配した、八葉十隼を悌部 と す る 迩 門 の 憂 茶 開 純 で あ る 。 A 7 此の八葉十隼の形相を且らく小林輩師が大量茶羅私・考三にいへる如く本門中心の我が 大長茶羅に求むれば、建治元年十一月︿身延本隼鑑第八圃﹀二伸善徳分身の外に南部大日を躍し‘更に本化の四大士 を以て僻部としたものがそれである。即ち本門間顕の意に伎で二伸凶大士の外善徳十分、南部大日をも躍した顕密附 国間伸界統一の儀相が、首題の中傘に二伸の境智冥ム口を以て中台とし、善徳以下を八葉に八刀封せしむれば、思想的に法 華長茶羅の倖統が判然するのである。然るにその他の文永建治は此の開掘を貰く顕密に亘らやして、法華三部の上に 限り法華中心とした故に、雨部の犬同を除き且つ二伸をも.毒堂本怖より一段下して遮門の二伸として、本怖を中台に 案じ、二伸、善穂、十方、四大士を八葉に分封したものとすれば、矢張善徳十方を加へた建治式には、思想的侍統の形 式が認められるのである。故に悌部の諸骨与を本等紗の但限八品に還元し・全く法華本門中心の儀相に要的すれば、二 伸聞大士のみを悌部とすぺきである。此の傍統的八葉九傘式を純本門式に還元したのが、弘安以後の大長茶羅’とすれば 前掲の本意顕未甑、随白随他、再治末再治の義も内一ら営然の意と解するととが出来る。故に右の話は始頴以後本門金 茶羅組意のト一には不通営の語であるが、思想的停統打破の意が若しありとすれば、再往吟味する必要があるのである。 故に受茶一維の諸等共略に思想的体統的意味を偶した時事術的には優劣を判やることは出来るが、宗救的には全く認め 得ぬのである。とれ常門の日源が 弘前巳前取合二千二百二十余年也、但弘安己後三十余年御者也一五て別御義無レ之︵資料二 4 九 J と判ぜるは受賞の詮言であらう。 如上の意味即ち倖統的形式を認める時、讃えの二十三十の相迫並に花押の鑓化にも、白ら何等の意味を認めねばな 大長茶羅儀相の研究 問 九