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父の戒め――菊池幽芳の「己が罪」と島崎藤村の「破戒」の比較――

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島崎藤村の「破戒」が出版されたほぼ七 年前、同じく父親の素 性を隠せという戒めを破って告白した物語を取り扱った小説があ った。それは明治一二二年ー三三年「大阪毎日新聞」に迎載された 菊池幽芳の新聞小説「己が罪」で あろ 。その梗屈を述ぺて四く。 大阪の豪呉の娘箕輪環は母を喪って以来、父の手一っで愛 育された。十四歳の時上京、女学校に在学中、福島素封家出 身の医学生の塚口虔三に欺かれて、その子を宿していた日は 虚偽が分かり、苦悶の末、隅田川に投

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しようとするところ を一老女に救われた。後、一子玉太郎を生んだが円州の漁家 にあずけて里子とすろ。ヒステリー症に悩み、父の許に帰っ て静喪するうらに、父親から、欺かれて子を生んだことを隠 せと戒められて、過去を隊して、櫻一戸隆弘と結婚、子爵夫人 となり、一子正弘をもうけて生活は しばらく幸福だったが、 つねに過去隠匿の良心の苛資と恐怖に堪えていた。偶々房州 海岸に遊んで七歳になった正弘を失い、正弘とともに溺れた (一)

ー菊池幽芳の「己が罪」と島崎藤村の「破戒」の比較l

漁夫の子ーー玉太郎はわが子であろことを知るに及び、環は 悲術を抑え難く、子爵に過去の秘密を悉く告白して懺悔した。 厳格な子爵は環と疎際すろに至り、一 家の上に暗い影が環っ たが、 環の父親が子爵に対する申訳のために自殺し、また、環 の献身的な愛情が子爵を動かして、再度園涌な家庭をつくっ ” 』 0

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「己が罪」は明治三一_一年ーー三四年、前中後一二冊として春陽堂 によって刊行された。 「当時檀頭して来た家庭小説中の傑作とし て大 に迎へら 」(土芸i文四罪ね咋氏g

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なU )。 「営時の 新聞小説中、遥かにレペルを抜くものであった。その成功した鮎 は、可憐な環を中心として心理描窯に隣れ、時代の流行・趣味な どを採り入れ、態度が置面目で(中略)「不如錨」についで常時最 多く讀まれたもので、震々新派によって上荻され、一層この作の 人氣を高めた」(同上)。このように多く統まれ、 広く影響を及 ぽした告白の物語 が「破戒」出現の七年はど前に出たことに眼が 引かれろ 。特に同じように父親の戒めを破っての告白ということ、

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-36-それについて比較分析すること は近代文芸にお ける「告白文学」 の理解に何か役立つかと思う。 凡その隧匿しなければならぬことは公に認められない、あろい は腹視されろことである。これ は宗教、秩序などに関して言う点 では 所開「罪」となることがある。「罪」について「広辞苑」 斬H世2$改gg ) 引いて見 .t 昭和五十一年m--i翫覺行 「罪」(例文略) ①悪、樅、禍など、神の禁忌をおかし、その報いを受けるペ き凶

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③社会の規範、風俗、道徳などに反した、悪行、過失、災禍 など。また、その行いによって 受ける罰。 ®刑罰を科せられる不法行為。 法律上の犯罪。 ④仏教・キリスト教で、その教法を破る行為。あるいはその 人の背負っている罪業。 ⑤謳いことや行いに対す る自党、もしく は責任。 ⑥無慈悲なこと。思いやりのないこと。 「己 が罪」で環が父親に隠 させられるのは欺かれ て子を生んだ ことである。これ が「不貞」「磁れ」と見 られるのは「貞女は二 夫をならぺず」と いう道面からであろう。既成辺徳違反 として環 の卯は前述の®にあたる。「破戒」における丑松 打明けてはい けないと戒められるのはその出身で ある。出身を高黄、卑賤とす るのは社会規筍の強制である。また そういう規範によろ傭兄の強 (二) (「破戒」二十 制であろ。丑松は偏兄のつくった西芦悉ツ罪人」 二章二)である。その「罪」は②に入るであろう。 この両方の「罪」の性 質についてさらに言えば`次の三つの共 通点があろように られろ。その一は 、いずれも前近代的罪意證 によるものであろ。所謂「不貞」 という価似設は僻教的であり、 「身分」観念は既に封建的遺物の悩見であろ。近代に入ろに従っ てその合理性が失われ、否定され つつあろの である。両作品とも このような「罪」を 合理とし て取り扱った傾向性が強いように 思われる。罪ではなくなりつつあ る「罪」を背負って苦しむ主人 公であるからこ そ、広範な共嶋、時代的反響を引き起し、悲劇的 効果があったのである。その二は両者の「罪」はいずれも受身的 であろ 。即ら自主的に「罪」を犯したのではなくて、「罪」を背 負わされたのである。「己が罪」の因は謀さ れてそのような罪の 身となり、「破戒」の丑松の出gは生 れつきのものであるように 強制されたのである。そ の三は、不条 理、受身的とは言え、そ の面巳 は実在しており 、即らその罪による罰、罪による受難というもの が確かに存在すろということであろ。「不貞」で理想的結婚がで きない、「出兵」で人並の人生が送れないというのは実際の罰であ り、最も注目したいの は、それは 父親たちの「戒」の 大きな理由 となった所であ る。

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-37-曰の父親 も、 丑松の父親 も「罪 」の素性に対し て、 同様に「か くせ」と戒め その動機について引いて見る と次の通り あろ。 偲蔵はひたすら娘 が未来の幸福を願ふの心 に眼眩み、 子あ る事を他人 に知らするは いふ迄もなき

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自身にさへそを 全く忘れしめずば、 為蔽かろべしと、 子を思ふ間の殺心 ... (「己が罪」p129)。 「仰蔵は三国一の善き婿持たせて 、これ 迄の苦労を忘れさせ の老をも慰め んと、 ただそれに のみ心 かろヽなりしが、 ーにも二に も甘娘のためと思へば、田の氣 に入らぬ男を持たせん心微座もなく・・・」(p130)。 「私はお前 が善い婿でも貰うて、 これならお前の行末を任せても大取な いと 安心した上 でなければ、 死ん でも眼はつぶられ ぬ、 私の 心も察して呉れといふのは、 何も 自分の欲をいふので はない、 みンなお前の ためを思うていふのぢや:・・」(Plss)。 「私の 頼みぢ や、 どうぞ 眼を つぷつて黙つて良人を持つてくれ・・・」 . ( p134) 得蔵の「黙つて良人を持つて くれ」という頼み は皆娘の行末、 .禾来の幸福を思う親 心からである。丑松の 父親の戒めは丑松の「立 身出世」「社会から捨て られない」よう にするためのもので ある ことは周知の通 りであろ。 取実を隠すとは一般的に人間の正常の理性と相剋する ものと言 わねばならぬ。 隠瞑を特徴とする 父親の戒め は守らなければなら ぬのは、 それだけの理由がある ものだと思われ る。 それをまず第 一に親と子の関係に求めて見る。 「黙つて りや 分りツこがな うけれども、 それで 何だか神様が 許しなさ らないや うな氣がいたします」(PlSS) 「知ら ない顔をして良人を持つ車だけは、 どうしても空恐し 氣がいたします」 (p134)。 というのは団の本心であろが、 それ に背いて父親の意志に したが って結婚したのは「父の 感情を害せじ」「父の心を休むるこそ菩 」「お父さんさへ御安心遊ばされるなら・・・」というように思 って、 自分の幸福のため に尽す父親への愛梢からのものである。 また 得蔵は男の手―つで一人娘環を育てた父親であ り、 これは いっそ う、 通常の 親子関係以上にその連命の連帯と感情の連帯を 浮彫にして いるの である。 さら 蔵は 9 「私の身鉢はど うなつてもだん ないよって、 ここはどこま でも娘の卯を我身に引受、 どない にしても嫁 入させ にや殴か ぬ、 私は神や佛の罰が常つて地獄へ落ちよとまま、娘のためな ら悪人 になって もだんない、櫻戸の御前様に疵ものの娘を知ら ん額で差上ろなどA、 このような恐しい事はないけれ ど、 もかも可愛い 娘の ためぢや、 善えゎJ\、 はしッかりと度 胸を極めた、 その代りひよっと間違でも出来 たら その時こ

し‘

そどう で生先の短い身鉢、 屑よう霰腹かツ割いてお詫し・・・」 (p168)。 と命まで賭して決心した所にも守らなければならぬ迫力と権威性

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-38-.が見られるであろう。 「破戒」では丑 松の父親 は「功名を夢見る 心は一生火のやうに 燃えた人であった。 (中略)自分で思ふやうにならない、 だから、 せめて子孫は思ふやうにしてやりたい。 自分が夢見ることは、 卒子孫に行はせたい。 よしや日は西から出て東へ入る時があらう とも、斯志ばかりは堅く執つ て変るな3(七章六)という執念で、. 辺僻な烏帽子ケ駁の痙の西乃入牧場で 牧牛を業とし て寂し い生涯 を辛抱していて、 臨終になって「山で葬式をして呉れと言ふのも、 っ2 畢党るところは丑松の為を思ふからで」(七章四)ある。 この生 前死後ともわが子に 執念深い 希望と情熱をこめた父親の戒めは一 度は丑松 が膝下を罪れろ時、 一人息子の前途を深く案じて「一生 の秘訣」「唯―つの希望」「唯一つの方法 として言ったもので あり、 一度は遣言として「忘れ るな」と言残したのであろ。 この 門出の時の教えと死の断戸際の過言の堅をとった戒めの感惰世界 を支配する厳しさはいっそう父の戒めを厳格的なものにしたので ある 親子、 さらに父親と一人娘、 父親と一人息子という関係の設定、 「三国一の善き婿を持たせる」と、 自分は思うよ うにならないが、 だからせめて息子を思うように出 世さ せたいというわが子の幸福 を願う情念深い親心、 また、 命までもかけて、 あるいは生前死後 とも辛抱して、 子の素性を閑す親の恐しいとでも言えそうな情熱 と執着などの面で「己が罪 と「破戒」は相似点が多くて、 そう であろからこそ、 その戒めは守らなくてはいけないし、 によ って、 両作品の主人公ーー深と丑松の精神の自由を束絆するだけ の力があったように思わ れる。 隠匿は親子という関係の権威性によって維持されるものの、 偽とつなが るものである。 とくに特定した対象に対してその虚偽 性が強く意識されること がある ように思われる。 罪」では、 環の夫 ーー 子爵 隆弘は名門の末に生れ、 「家門の名といふ事には一種の爵と認められる迄露きを困いて居 る1(p141)家の名のために何ものでも犠牲に供し、 情実とか愛 梢とか恩義とかいう事は家の名には換えられないと主張する人間で ある。 そして櫻戸隆弘自身の言う所 によ れば、 「私の性質として偽りと不正とを許さないのです、偽りや 不正は鋏砧ではなくて罪屈なのです、」(p184) 「私の信ずる虞では愛情とか慈悲と か、 或は同情とかいふ ただしい ものは、 みな正といふことが基礎になつて居るの で、 心の偽 りのあ る虞には愛情も慈悲も同情も成 立つものではない 」(P 01 ) 「罪を隠すという のはその罪より も却てよくない」(p219) 「私が今日まで一ツの偽 りをも許さ なか った事は、 貨女は よく御存じの筈です、 私はこ の非常なる汚れた偽りを、 どう して許すことが出来ませう・・・、 J (p325) とあって、 櫻戸はいか に偽りと不正を憎む人間とし て描き出され

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-39-. たか分るのである。 この虚偽を む櫻戸は、 性を隠せという 蔽の対立面となって一段と斑を虚偽と 罪意識の 間にさいなま せ、深 刻な精神的苦痛に陥るようにさせたのである。 「子爵様の御言葉に、 は包み隠しするのが一 番いけな い、 何事も打明けるに限ると仰しゃったが、 そンなお心ならもし 打明けて懺悔を申したなら、 お許し下さる事か も知れない、 たら 隠して岡いたなら、 あのやうな性質で居らつしやる上 は、 決. してお許し はなさるまい、 あAどうしたら菩い甲ゃら・:」5 (p 17 「今は懺悔すぺ き折をだに失へる 身の、 此上は団ねての折あ らん迄、 如何にし てもわが身の秘密を包み、 良人 に仕へまゐ らする外 さる にても偽りと不正とをば身 の仇敵と憎 かしづ み圭ふ良 人に 、偽りの身 をもて冊けるわが身 こそ返すf\も空 恐ろしきも りけれと、 われから心に資められて、 薄氷 を踏む 思ひの、 胸苦しさ を何に例ふぺき 、」(p186) 「環は自らも妊坂を喜ぺる と、 良人 が喜びく 、 ニ 菰の喜びを覚えながらも、 心に秘密を問せる身の、 云ひ知れ ず安からぬ思ひの之に伴ひ て起り、 殊に良人 の所存を聞きて よh後は、尚^己の如き恐ろしさも加はれるに とりわが居 室に戻りて心の中、 良人 が懐妊を喜んで下さるの はどんなに 熔しいか知らない が、 それも妾を偽りの無い 正しい と思召し て居らしゃろ からで、 通りの御氣質では、若レも偽りの女の腹 じます、 私は熱心に此世でも来世で も、 二人 身憫こそニッ られた二人 の中は、 何物でも その間を断つ事は出来ないと信 ります、 正袈のある虚、 私の愛の注ぐ虞で、 正義に結びつけ に出来た子と、 お知 り遊ばし たなら、 屹度お憎しみなさ れて 可愛く思召さないや うになるのではあるまいか、 もしさうい ふ事 であった時には折角喜ばれた兒も 、妾の罪ーツ故に、何に も知らない身 でありながり、悲しい運 命に逢はねばならぬとは、 何といふ哀れな事であらう3(Ploo) とあったよう に環は夫の偽りを憎む性 質を思うたびに精神の苦痛 が増して来る。 また素性を隠すということは環を愛 慕わし い夫に心を打明け ることもできないように精神の束縛を し、 苦しめた のである。 櫻一戸は厳格な人間でありながら 分の2動を慎しみ、 風俗改 良、 女子 嬌風運動、 慈菩事菜などをやって 「天下茶屈村の人々は 何れも 子爵櫻一戸隆弘の徊を謡ひ、 心よりの敬意を表する」(Pm)

また環の過去を知らないまま結婚し て心 を披いて環を愛し、 大事 にするのであろ。 これに対して環は「日を経るままに団は良人の 熱き情を身に知り いよいよわが身 の罪の恐しい」ことを感じ るようになったのである。 銀燭の夜に あなた 「私は今は痛gの愛を投嬢に注い 居るのです、 なは一暦 此愛情を培ムのは貴嬢のお心ーツで、 私は貢嬢の奴邸にもな

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-40-と あ っ た 。 であろが魂はい つで も 一ツになつて離れぬ事を希望するので ••• 9(p183) と櫻戸の言うのに対して 「一々胸を貫く熱心なろ良人の詞に、環の五鉢は宛ら木の 菓の如く点感ぶ、さはれ色を失へる顔の、臼粉のために目 立ざりしこそ幸なれ、良人に答ふぺき適常の詞も出ぬまAに」 (p183) また、夫の愛情とと もに来るのは恐怖であった。 「殊に良人の厚き情を被むれば、女の苦しき もの ヽ限りな ろ、嫉妬と怨みとに悩まさろヽ事もなく、却て果報に餘る恐 ろしさを思ふ ... 3(p196) 「曰が良人の熱き情を身に知る平のいよー\多きに迎れて、 却て心の底に落めろ恐怖の念を鋭くせるも道理なりけり。」 (p202) 「斑はかばかり親切に良人に 努はら れ、良人の腕に支へら るヽを、い つもならばいと/‘始しと、思ふべきなれど、今 は餘りに罪多き身の上を思うて、良人のgに廣れつヽあろこ とを、いふばかりなく恐ろしと思へるなり9(p289) 秘密を悶しているから、愛されても恐怖を感じる、またその愛 をすなおに受けることができない。愛は隔意と恐怖のある時に成 長しないと小説は言っているのであろ。 「破戒」では猪子址太郎は丑松の告白の啓蒙師であり、丑松は その「懺悔録」などの一迎の著密を読み、そこから告白の原因と なる「精神の自由」などの感化を受けた。一方猪子はまた丑松の 思慕敬愛の人生千本でもあり、彼は猪すuいう真実にいきようとする 透明清浄な人格に触れて、初めて良心の痛みを感じ、秘密で暗く 塗抹された虚偽な自我を強く意織するに至った。 に苦しめたのである。 「猪子曲太郎先生、瀬川丑松より」と認め終った時は、深 ここ^ く深く良心を偽 る やうな氣がした(中略)恐しい夢ばかり 見 つづけた9(六章三) 「其秘密を酎して居 ろ 以上は、既知口酸くなるほど他の こた 事を話したところで、 自 分の真情が先輩 の 胸に徹へる時は 無いのであろ3(七章二) 「宮はうとしては躊躊した。躊躇しては自分で自分を召め なか た。丑松は心の内部で、憫れたり、迷ったり、悶えた り した のである。」(八章四) 「残念乍ら、丑松は自分で自分を欺いて居ろやうに感じ て 来た。却太郎にまで関して居るといふことは、実は丑松の良 心が許さなかったので あろ。(中略)rどうしても苔はない の は虚偽だ3と丑松は心に蓬ぢたり 悲んだりし た1(九章 四) というように、丑松は父親の「関せ」とはまったく違った人生態 これも丑松を切実

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-41-度をとった蓮太郎に接して阻す苦悩を感じた り 、 「戒め」の束縛 を意識したり、 また、 敬愛する師に閑し事が あって敬っても親し むことができない、 心が通わないという精神的衝突が父親の態度 と菰太郎の態度との対照において一段と克明に描き出されている と思われる。 (三) •長い間、素性を打萌けよう、打賄けようとし て打明けられな い苦し みに堪えていた主人公はとうとう親しい人の死をきっ かけに、告 白懺悔したということも「己が卯」と「破戒」の共通する所であ る。 「己が罪」では、 環は産後の療養を兼ねて家族で房州海岸に行 って、 そこ で里子とな った虔三との間の子供玉太郎とあった。 夫 の目を忍んで玉太郎に会ったけれども母子の名乗はできない、可 憐な玉太郎のために、 断腸の思いをし、 「罪却の深きに恐れ」 て いる 9 一方、 玉太郎は「顔が似ている」とか言われて環 は自分の 実の母親だ、 正弘は 自分の弟だと感づき、視を慕い、正弘とも「大 人になったら必ず相共に棲まん」 と 誓ったりするほど親しむよう になった。 海辺で遊んでいると、 潮に呑まれ かけて いる正弘を見 た玉太郎は「己 れ自品に取りて、 非常に危険なる ことを知らぬに はあらず、 されど彼は自身の危除を念頭 に殴ぬなり、 (中略)彼 は是非とも 正弘自身のために、 はた母と思ふ環のために、 必ず正 弘を救はでは止まじと決心せるなり1(p309)と悲愴な党悟で救 出にあたる。 にもか かわらず、 二人とも怒沼のために呑み去られ てしまった。 それに 「心の全く破れた る」環は 二人の子を失った のは「みンな恐しい母の罪が頑是ない兒に酬いて来た3「神様の 罰の恐しい事」と思いこんで、 極度の悲しみに陥り、 「此上に罪 を誼ねることは、 もう出来ません、 妾は何もかも良人に懺悔しま す9(p318)とついに 夫に素性を告白したのである。 「破戒」では、 告白しようと決断がつかない丑松が最後に告白 した直接の契機も猪子蓮太 郎の惨死である。 其時に成つ て、 初め て丑松 も気がついたのであろ。 自分 <

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はそれ を隠蔽さう閑蔽さうとして、 持つて生れた自然の性質 すりへら を鎖磨して居たのだ。其為に一時 も自分を忘れることができ 丸つはり なかったのだ。 思へば今迄の生涯ー虚偽の生涯であった。自 分で 自分を欺いて居た。 (二十章四) 韮太郎の死が丑松に告白の決心を つけ さ せたのは明瞭である。 二人の子を失った後の聞の「かう知ったらほんとに母子の名乗 をしてやりましたものを…」「あヽその時に打明けて仕舞へば・・い一 といふ自責、 「破戒」における 丑松の「斯ういふことを知ったら、 もうすこし早く(中略)打明けて話したものを。 あるひは其を為 たら、 自分の心情が先紐の胸にも深く通じたらうものを。」(ニ +章三)という後悔、 いず れも死者の生前に偽善者として対して しまった主人公の新しい精神の苦痛である。

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-42-• また図の 「恐 しい母の罪が頑是ない兒に酬い て来た」 罰の恐ろ しい事」 「最早偽りの重荷を白ふに堪ずなれるなり」と いう所と 、. 丑松の 「思へば今迄の生涯は虚偽の生涯であった。 分で自分を欺いて居た3 とい う所は両方ともその死によっておそ るぺき虚偽偽営の罪を犯していた実感 、より一陽探い卯の自覚を して懺悔 ったのである 「罪」を背負わされて、 また戒められて偽りの罪を犯した環と 丑松の懺悔は父の戒 虚偽に対すろ否定ではあるが、 自身の全人 格の否定ではない所に注目したい。深は 「妾の身憫こそ汚れて居 りますが、 この哀心 ・・・愛情に汚れはない 存じます9 (p324)と 冒の当時自分の潔白を強 く主張したのである。 丑松は「正月に なれば自分等と同じゃうに店蘇を祝ひ、 天長節が来れば同じゃぅ しあばせ に冦が代を歌つて 阪なが ら自分などの幸福を、 出世を祈るとg ったツけ 1 斯う思出して頂きたいのです。 (中略)仮令私は卑 か んが ヘ しい生れで も皆さんが立派な思想を御持ちなさる ゃうに、 毎日其を心掛けて教へて上げた積りです」(二十一章六) 全人格を捨てなかったことが認められろ。 告白の契機 しては、 「己が罪」で二人の子の死は偶然の中の 偶然とgい たい。 蕊たらが房州海洋にきて里子となった玉太郎と 会ったこと、 また、 正弘が海に溺れかけていろ所を同胞の五太郎 が見かけて助けようと してできなくてと もに死んだことは偶然事 召わざるをえないような気がする。 もっとも、「己が罪」は小 「神様の 悦全体から言っても偶然が目立ち 、例えば 、団の懺悔を聞いて絶 た隆弘は海外へ出ろ。 ペトナムで 「極めて頑固なろ博染的熱 性病」(P碑)にかかり 台湾で君護婦をしていた環の心をこめ た君病で助ったという後の夫婦復緑の露要原因ともなったストリ ーもそうである。 前述の子供の死をも含めて、 一迎の偶然によっ てなされた説者への迎合という大衆小説の通俗性が見られるよう であろ。 「破戒」の蓮太郎の死は彼の身分を公表し抗争し抗霞するなど、 その典型行為をなす所とつながるのであり 、その一迎の行為の発 展の必然的結果であるように描いてある。 不平等な扱いの不当で あろ点からも、 抗争の犠牲としても、 また特定の政敵のある選挙 34 応援演説 いう政治闘争の失敗としても、 その死は偶然ではなぃ _ ように兄えろ。 問せという戒め、 偽り いう罪の意盟、懺悔の契機などで、 致する所の多いその告白は、 その 最終の結果は違って来ろ。環の 告白は一時夫婦間を実質上の離縁に至らせたが、 そののら、 環が 献身的な愛をこめて、 瀕死の隆弘を園病から助けたということも あって、 隆弘は既 罪を悔い改めたものに対しては許さないとい う辺理はどこからも見出せないと悟り、 環を「は用し、 敬愛すろ 念は、 前よりも しました、(中略)今日からはお互ひに過 ホ ープ 去の何事をも忘れて、 そして希望の光りに導かれ の温かな世 界の新しい腔 上らうではありませんか」(p369)という隆弘の

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「この身は どうなされませ うと少しもお怨みに存じません 更生と許しで二人はめ でた<復縁でき て幸 福が復帰したのである。 .丑松の懺悔に対して、 同情、理解をする人もだいぶいるにもか かわらず、それでそ の町に居にくくなり「職業も捨てなけれ ばな らん、名営も捨てなければならん 」(二十二章―ー)という結果と なって、テキサスヘ行くことになったのであった。 環の素性は夫の隆弘一人に対する罪であり、隆弘一人がその罪 を許せばそれで罪滅しになる、すくなくとも夫婦二人だけの婚姻 契約は二人だけの承諾で成立できるのである。それ に対して、丑 松は磁絃~の罪人」(二十二章二)である。公法上で身分関係が 取り去られ た場合、その「 罪」は「社会」 の規範の罪ではなくな り、またもともと宗教世界の罪と遊離したものであるゆえに、そ の「罪」は世俗の普週的偏見によるもので はなかろうかと思う。 であるならば、法的承認、宗教的「愛」「慈」などがあるにして も、丑松の幸福の復帰は偏兄の消失を待たなければならず、ある いは、偏見から脱 出し なければならぬのである。 懐悔者の懺悔に至るまでの精神活動は阻しによる精神の拘束及 び虚偽に対する罪意益を特徴とし、虎偽からの解脱、精 神の拘束 からの解放など、精神の自由の獲得を目的とする。環の懐悔の晟 後に、 (四) が・・との精神の自由だけはどうぞお許し下されまして:•J(P 324 ) とあって、懺悔の後の丑松は 「二六時中忘れることの 出来なかっ た苦痛は僅かに胸を離 れたのである。今は烏のやうに自 だ9(二十三章一) とあった。し かも、環も丑松も紫性隠匿に対して、「良心の苛責」 という倫理的意識が含まれ ているが 、環の場合はとくに「神様が お許しなさ らない いう宗教的精神からのものが目立つのである。 隆弘 最後に懺悔をした覇を許した理由 は、彼が聖書 慰藉を 求め、煩悶 結果翻然 として 一道 光明を見出し、「既 罪を悔い改めたもの に封しては基習を始め、(中略) あらゆる神、一 44 あらゆる宗教は なそ の罪を許して居 のです。 然るに遥かに神 に及ばぬところの人間がこれを許 さないといふ遥理はどこからも 見出せない・・・3(P函)と悟った所にある。これは作品が懺悔告 白の合理性に対する 解釈の一っであるようにも見られる。これに 対して「破戒」の懺悔告白の底に流れるのは「自然の性質を銅磨 して居た」と いう自然的精神である。. 「破戒」の時代から、百十三年間ほどさかのぼると、フランス 近代の啓蒙思想家Iルソーの著した「懺悔録」(心五95心り1

竺コ

Jlたが幡) あった。この近代における恐初の告白文学と 言わ れるルソーの自伝小説は 人問が太古か ら私語していた己れの ことを文学という公器によってあらわに語ろうとしたのである。

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「これ こそは自然のままに、 まった<真実のままに正確に描かれ た唯一の人間像」と書きはじめられている この自伝小説はルソ ー の生れてから五十三歳までの経歴及び、五十三年間の幸福と不幸、 屈辱と誇り 、 努力と挫折 、 すぺての感情を杏いたものである。 と くに 、彫刻師の家で窃盗する、 リポ ンを盗み 、 少女マリヨンに即 をなすりつけて生涯の苛黄となる 。 女中テレ ーズに五人の子を生 ませたが育兒院に捨て後悔の種となろ 。 とい ったルソ ー自身の卑 小と不良が雹かれたと ころは この 「懺悔録」の大きな特徴 と なる。 作者は 「懺悔録」で 「私は自己の懺悔を約束したが、 自己の辮護 は約束しなかった 。 (中略)私は員寅でありさへすればいいので あり 、讀者 は 公平であればいいのだ。私はそれ以上の何物をも讀 者に求めない1 (同上中巻p 624)と言っている。 ルソ ーの動機に は 、 自己の内部を裏面を、 ことととくさらけだすことによって、 自己の辮護ではな くて、 人間の真実を弁証しようとすろ意図があ っ た 。 藤村がルソ ー の「懺悔録」に初めて接したのは明治二七年の夏 であった。 近代的自我に目覚させた「懺悔録」について、藤村は 「ルウソオの「懺悔」中に見出したろ白己」で次のように匝って 、 ろ 。

「私はその頃 、 いろ(と駁難を してゐた時であった。 心も 暗かった。 で、 偏然に もルソオの書を手に して、 熱心に玩 んで行 く内 に 、 今 迄意諜せ ず に居た自分といふものを引出 されるやうな気がした。 (中略)朧気ながら 、此書を通して、 近代人の考へ方といふものが、私の頭に解ろやうになつて来 て 、 直接に自然を観ることを教へられ、 自分等の行くべき道 が多少理解されたやうな気がした。 (中略)ルソオの自然 に対する考へは、 今日から兄れば論難すべき余地があろ。(中 略) しかしながら 、真に束約を離れてこの「生」を観ようと すろその精神の盛んなことは又一生その精神を燒けたといふ ことは、 遂に私の忘れろ ことの出来ないところだ。 (中略)ルソ ォは「自由に考へる人」の父であった。 近代の人の卵はここ に胚胎して居る。 (中略)彼の「懺悔」は矢益り吾々と同じ ゃうに、 失望もすれば落胆もする弱い人間の一生の記録だ。 (中略)彼の「懺悔」を開いて、 到ろ処に自己を発兄すろこ 石111“鴫訳 「.帽“」 ノ とが出来る9(ll:9^Ic円鱒 「自然のまま」「真実のまま」「直接に自然を観ろこと」とい う自然認識を、 束縛を荏れての自由思考、自己発視のできろ「近 代」的伍値観として猛村は受けて、 「真実の告白」という文学万 法を確立したであろうと思う。 失望もすれば落胆もする弱い人間 であっても、 「真実でありさへすればいい」という近代的人闇解 放の典型として「破戒」の丑松が造型されたのであろう。 人間精神の近代化はま ず 自己が他から束埒されることから解放 (五)

(11)

-45-されること

によってもた

らされる。

環を丑

松を縛りつけていた父

の戒めから二人

が解き放たれ

たが

故に自U3近代化が果

された。し

かし

人間社会における真の近代化は、

社会全体の因襲からの解放

をまたねばならない。先に指摘した

ように日の懺悔は一家庭内に

限定されたも

のであ

った。であ

が故に、

夫櫻戸の改悛によって

悲劇が回避さ

れる。

それに

対して丑松の場

合は、

畏い封建時代の因

襲による差別であるが故に、

その而での社会的な改

革が進めら

ねばならない。猪子逝太郎の死

は、

積極的

にそ

を進めようとす

る努力の挫折を意味して

いる。

日本の明治時代は個人債人の意識

の近代化に対して社会の近代化が一向に進ま

なかった

その点のく

いちがいに対して、

藤村の告白文学は‘

―つの行きづまりをみせ

ている。

丑松をアメリカのテキサスヘ送るという構想は、

社会と

正面から

対決し

ない苦肉の策である。

藤村の自己解放が悲劇を呼

ばなかったのは、

蒻村

の一時的な逃避によるのである。小説「春」

の胄木(北村透谷)の死のあ

と主人公岸本拾吉は仙台に抹立つ。

岸本は籐村の分身である。その後版村は小諸時代

を経て

「破戒」

を執筆する。

「破戒」の後は、

その社会的矛盾を解決することな

く、私小説へ転身すろ。姪との不純な恋の消冥過程を柑

いた「新

.生」では、

節子を捨ててフランスに株立ち、再出発をはかる。

村が逃げ場所を外国に求めたことは丑松をテキサスに送る趣向と

一致する。

薩村はそうした消極的な方法によって、

殴終的な破局

を回避しつつ

生き続けた。.この点で、

殆ど自殺に近い死をとげた

石川啄木や、

自殺の万法で自己矛后を解消した有島武郎や芥川龍

ライフ

之介等にくらぺて、

藷村は「生」を見つめて辛抱

づよか

った

とい

える。しかし、

最後の「夜明け前」に至り、

青山半蔵は、

どこへ

も脱出することができず、

座敷牢で悶死する.

青山半蔵の狂死は

社会改革の進まぬ日本の近代化に対する藤村の焦慮のあらわれで

あったと笞える。

日”泊*正改牛全集

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十八0

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尉宣は

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―年1ハ月十五日覺行

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閥翼HUH

笠”fllil閏和五十四年四月ーH'日発行

(遼寧外国語師範専科学校)

靱光は、

中国遼寧省遼賜市遼寧外閲語師範専科学校から派遥

された留学生で、

一九八七年四月から翌年三月までの一年間、

岡山大学に研究生として在樟した。

その間、

日本文学殊に近代

文学に関心を寄せ、

日本

の近代化に及ぽした文学の役割につい

て勉強し

た。

日本にとって、

明治とい

う時期、

殊にその三十年

代は強固な封建性と儲人

の自党の烈しい葛藉を演じた激勁期

ある。

籾光

は、偽人の自由を束純する父の力に沿

目し、

父の戒を

破って新世界をOO拓する小説として菊池幽芳の「己が罪」と島

綺藤村の「破戒」を比較し

の共通点及び相違点

を明らか

参考文献

『己が罪」

r破戒」

(12)

-46-· _ ; 9 金沢大学教従部論集 岐阜女子大学紀婆 人文科学編 金城国文 金城学院大学) 近代文学研究 上智大学) 第六十四号 第六集 芸術論集 大阪芸術大学芸術学部文芸学科研究室) 金沢大学語学文学研究 第十七号 第十七号 25ノ2、 26ノー 第二十号 第五百六十六号 第十七号 ヽノ 研究室受贈図書雑誌目録二 宇部国文研究 宇部短期大学国語国文学会) 愛媛国文と教育(愛媛大学) 大阪青山短大国文 大谷女子大国文 第四号 第十八号(玉上琢弥先生退職記念特輯) 大要国文 大妻女子大学) 第十九号 大妾女子大学文学部紀要 学苑(昭和女子大学) 活水日文(活水学院) 活水論文集 第三十一集 第十九号 第三号 第十九号 (赤 学) 菌語国文学報 愛知教育大学) した。 これは日本人のいまだ気づかなかった斬新な視点で、 治文学の研究に一石を投じたものとして評価できる。 研究紀要(尚網大学) 研究紀要(日本大学人文科学研究所) 研究と資料 国語学研究と資料の会) 言語学論叢(筑波大学一般・応用言語学研究室) 言語文化(一橋大学語学研究室) 高知大国文 第十八号 甲南国文 甲南女子大学) 甲南大学紀要 第三十五号 第二十四号

86

風閻力三先生退職記念文果(甲南大学国文科同窓会) 国語学研究 東北大学) 第二十七号 国語研究 岡山大学教育学部国語研究会) 第二号 国語研究(上越教育大学) 第二号 国語研究(横浜国立大学) 第六号 国語国文(金沢大学) 第十三号 国語国文(東海学園女子短大) 第三十三号 国語国文学 名古屋大学) 61

62 国語国文学会誌(学習院大学) 第三十一号 国語国文学会誌 福岡教育大学) 第二十九号 国語国文学研究・(熊本大学 第二十四号 国語国文学誌(広島女学院大学日本文学会) 第十七号 第四十五集、 第四十六集 文学編 第三十五号 第十一号 第十一号 第六号、 第七 -

参照

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(文献資料との対比として,“非文献資 料”)は,膨大かつ多種多様である.これ

いない」と述べている。(『韓国文学の比較文学的研究』、

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