• 検索結果がありません。

前口上

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "前口上"

Copied!
1
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

前 口 上

 新しい世紀(すなわち、21 世紀)は「対話の時代」である、と言われて、すでに久しい時間が経 ち、もはや 21 世紀も五分の一に近い時期にまで達しています。もちろん、このような標語(スロー ガン)が多くの人の口に上り、口から口へと受け渡されました背景には、逆に 20 世紀が余りにも 「対話」の乏しい、これを欠いた時代であったからに他なりません。そのことを、これまで私たち は自分自身の、ごく身近な人間関係を通じて、あるいは、さまざまな形で世界を巻き込み、頻発し た暴力を介して、これを経験し、今に及びますが、例えば大学における学問や、その研究や教育に 関しましても、このような閉塞状態は「二つの文化」(C. P. Snow : The Two Cultures, 1964)の対 立や背反として、はっきり姿を現わしています。そして、これらを打開するために、とりわけ 1970 年代以降、数多くの「対話」の場が設えられ、そこから数限りない、もろもろの「対話」が産み出 されたことも確かです。  けれども、そのような取り組みを通じて、はたして私たちの「対話」嫌いの性格は、反対の「対 話」好きの性格へと、言ってみれば、性格改善をされるに至ったのでしょうか。それならば、おそ らく 20 世紀の末年から 21 世紀の初年に掛けて、あたかも世紀末のごとき出来事が積み重なり、私 たちの国でも次々と、皮肉にも「対話」という語を表題に冠した著作が刊行され、これらの書物が 私たちの時代(コンテンポラリー)を考える、ある種、必読書(マスト・ブック)にまでなる情況 は、生まれなかったのではありますまいか。それは例えば、河合隼雄の『対話する人間』(1992 年) であったり、中島義道の『〈対話〉のない社会』(1997 年)であったり、はたまた平田オリザの『対 話のレッスン』(2001 年)であったり、する訳ですが、その折の河合隼雄のタイトルを借り、また、 そこに本誌なりの細やかな、トリビュートの思いも込め、本号は「対話する人間」と銘を打った次 第です。  このようにして振り返りますと、どうやら私たちの「対話」嫌いの性格は、この性格という語の 起源の一つの、英語のパーソナリティー(personality)が示しております通りに、そもそも私たちの 先天的な、変更不能の人格(person)であるのか、それとも、それは私たちが後天的に、ある時は 家族や地域の中で、ある時は学校や職場の中で、その都度の人間関係と、その教育を介して身に付 けた、実は仮面(persona)に過ぎないのか、それが改めて、問い直されざるをえません。そして、 それが仮に、その都度の私たちに割り振られた役柄であり、宛がわれた刻印(キャラクター)であ るのなら、きっと私たちは 21 世紀が、どれほど「対話」の乏しい、これを欠いた世界に映ろうとも、 その状況を確実に、少しずつでも「対話の時代」へと変え、そこに人類の未来や人間の幸福を垣間 見る、かすかな願いを根絶やしにするべきではない、と希望を持って、訴えることが出来るに違い ありません。

参照

関連したドキュメント

と歌を歌いながら止まっています。電気きかん車が、おけしようを

ともわからず,この世のものともあの世のものとも鼠り知れないwitchesの出

関係委員会のお力で次第に盛り上がりを見せ ているが,その時だけのお祭りで終わらせて

前回パンダ基地を訪れた時と変わらず、パンダの可愛らしい姿、ありのままの姿に癒されまし

このように、このWの姿を捉えることを通して、「子どもが生き、自ら願いを形成し実現しよう

このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた

えて リア 会を設 したのです そして、 リア で 会を開 して、そこに 者を 込 ような仕 けをしました そして 会を必 開 して、オブザーバーにも必 の けをし ます

[r]