特集◎21世紀の中国経済
中 国 経 済 研 究 の 現 状 と 課 題
七八年以降イデオロギー的・政治的呪縛から解き放たれた中国経済研究︒中国専門家の枠をこえ官界・産業界・学界におけるデータの共有化はもとより中国・欧米をも含めたデータベースを活用した研究アイデアのネットワーク化を示唆する︒
中兼和津次︿東京大学経済学部教授﹀×丸山伸郎く齢鱗響司会今井理之︿齢鱗獺撚﹀
今井﹁中国経済研究の現状と課題﹂と
いうことでお話を伺いたいと思います︒
まず日本の現代中国経済の研究の現状と
課題ということで︑丸山さんから簡単に
ご紹介ください︒
七〇年代以前との相違
丸山日本の現代中国経済研究は︑一九
四九年以降に限定しますと︑少なくとも
一九七〇年代の半ばぐらいまでの中国研
究と︑七八年以降の中国研究というのは 質的に区別されるべきだと思います︒一
つは︑情報とか統計の量が圧倒的に違う︒
基本的に向こうから流される情報をベー
スに分析してきたのが︑日本の七〇年代
の半ばまでの中国研究だったと思いま
す︒その頃は︑日中関係は七二年以降に
国交は正常化しましたけれども︑まだ日
中の政治関係と経済関係が分離せずに中
国研究が行われてきたわけです︒世代と
しても割合老齢化しており︑まだ官界︑
産業界を巻き込んだ中国研究というのは なされてこなかったと思います︒
七〇年代以前の研究について︑やはり
情報量︑統計量において圧倒的な格差が
でき︑それを埋めるだけの充分な知的な
作業というのは︑あまり行われてこなか
った︒主として中国側から流されてくる
情報︑さらには政治運動の脈絡で中国研
究が行われてきたというのが実状じゃな
いかと思います︒
七八年以降は︑やはり中国自体も統計
年鑑を公表するし︑さまざまな資料も公
中国経済研 究の現状 と課題
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表する︒それだけ中国ヘアクセスする手
段が非常に多様化してきたということ︒
もう一つは︑一九七九年から中国が日本
のODAの対象になったわけでありまし
て︑そうすると日本政府としても中国政
策について具体的にコミットしなきゃな
らん︒それでODA機関としてジェトロ︑
それからOECF︑アジア経済研究所︑
そういう政府機関においても︑中国研究
というのが一つの公式な業務として出て
きた︒それだけ中国研究の層が厚くなっ
てきたということが言えると思います︒
八〇年代以降について︑ともかく七〇
年代半ば以前とは条件がやっぱり圧倒的
に︑違ってきたということでありまして︑ それだけ研究の対象領域と関心分野も多
様化してきたということであります︒
今井はい︒それでは中兼先生お願いし
ます︒
中兼確かに七八年に中国の改革開放が
進み始めてから︑統計ないしは情報量と
いうのは多くなってきて︑それに伴って
多様な研究がなされるようになってきま
した︒私自身は実は一九六四年にアジア
経済研究所に入りまして︑早速︑石川滋
先生(現在一橋大学名誉教授)のもとで
中国経済研究の修業を始めたわけです
が︑その頃どういう作業をしたかと言う
と︑中国の断片的な資料および情報を集
めて︑それを加工して整理して︑ある弱
い結論を導くということだったわけで
す︒
ただ七八年以前の研究は︑それ以後の
ものに比べて質的に劣ってたかと言うと
必ずしもそうではないという気がするの
です︒石川研究会が中心になって中国経
済の統計的研究とか︑中国経済の長期展
望といったような作業をやりましたが︑
それは当時としては世界的に見ても︑か なり優れたものであったのではないかと
思うのです︒今から考えると︑情報のな
いところでいろいろな前提︑仮定を置い
て推計をしますから︑ずいぶん間違って
るところもあります︒しかしそういう作
業それ自身は︑決して無意味ではなかっ
たと思っています︒
七八年以前の研究とそれ以後の研究の
もう一つの大きな違いは︑七八年以後は
統計情報も豊富になったということもあ
りますが︑イデオロギー的な︑ないしは
政治的な問題にあまり巻き込まれること
がなくなってきたということがいえま
す︒逆に言いますと︑経済研究ばかりで
なくて政治研究その他のいろんな研究が
そうですけども︑七八年以前は中国研究
は非常にイデオロギー的︑政治的な対立
に巻き込まれることが多かったわけで
す︒私なんかはあまりそういうイデオロ
ギー的な対立や︑政治的な動きに巻き込
まれることもなく︑石川門下のやり方に
沿って︑主として統計などを追っかける
ということをやってきたわけですけれど
も︑それが七八年︑はっきり言いますと
七六年ですね︑毛沢東が死んでから日本
の中国研究はイデオロギー的な呪縛から
解放されたわけです︒
それでは︑イデオロギー的な呪縛があ
った時代︑つまり七八年以前︑ないしは
七六年以前は中国研究はどうしようもな
かったかというと︑必ずしもそうではな
い︒ある意味で対象に対して非常に真剣
なところがあったと思うのです︒と言う
のは︑イデオロギー的に中国に惹かれて
いた︑俗に親中派と言われる人は︑中国
に本当にシンパシー︑共感をしていたわ
けです︒私のようにやや中国に対して距
離をもってた者は︑それに対して批判す
るということで︑中国研究においてある 種の緊張感みたいなものがあったと思う
のですね︒
ところが七八年には皆が中国を批判し
始めた︒某先生は﹁現代中国は常識で分
かるようになってきた﹂というふうにメ
イゲンを吐いたわけです︒そのメイゲン
は﹁名言﹂か︑﹁迷言﹂なのかが問題で
すが︒七八年以降は正に常識的に中国を
解釈しようという動きが主流になってき
た︒私は︑一面ではそれは非常にいいこ
とだと思います︒そうは思うのですが︑
もう一面から見ますと︑ある種の緊張感
みたいなものがなくなってきたという感
じがします︒
もう一つ︑確かに丸山さんが言われた
ように︑いろいろな研究ができるように
なった︒しかしそれを総合しようという
動きというのはあまり出てこないのです
ね︒これは一つの課題になると思います︒
かつては石川滋という大先生がいて︑そ
の先生が自分なりのフレームワークでも
っていろんな研究者を集めて枠組みを提
示し︑それに乗っかって一つの大きな総
合的な中国経済研究を作ろうとした︒そ れをやろうというある種のパッション︑
情熱みたいなものが石川先生初め全員に
あったと思うのですけど︑今は段々なく
なってきまして︑悪く言えば研究者全員
がサラリーマン化してきたという気がし
てしょうがないのですね︒
かといって︑かつてのようなイデオロ
ギi的体質をもう一度研究に持ち込んで
大いにやりましょうと言っても︑それは
もうまっぴらであるし︑またそんなこと
はできっこないわけです︒ただ七八年以
前の研究を︑質的に落ちた︑優れたもの
ではなかったというふうに決めつけるの
は︑ちょっとどうかなと︑私は思います︒
欧米と日本の研究レベル
今井当時︑七八年以前の話ですが︑欧
米の研究レベルと日本のレベルとでは︑
どのような違いがあったんですか︒
中兼これは全く私個人の考えですけど
も︑当時欧米の中国経済研究の水準と︑
日本の中国経済研究の水準というのは︑
それほど大きな差はなかったという気が
するのです︒実際アメリカの若い︑大学
中国経 済研究の現状 と課題
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院クラスの中国経済研究をこれからやろ
うとする人達が日本にずいぶんやってき
ました︒何人かは石川先生を頼ってやっ
てきたり︑あるいはアジ研にも訪れてき
ました︒どうしてかと言うと︑もちろん
日本の研究レベルが相対的に今と比べて
高かったということもありましたが︑そ
ればかりでなく︑当時外国人は中国に行
けなかったのですね︒仕方なく欧米の研
究者は香港に行って情報を収集する︒香
港のユニオン・リサーチ・インスティテ
ユート(友聯研究所)などで調べる︒そ
うすると香港に行くついでに日本にやっ
てきて︑日本のいろいろな研究者と会っ
て話を聞こうということになったのだと
思います︒
一つの例を挙げますと︑今世界銀行に
いますトーマス・ウィーンズという人
が︑アメリカから日本にやって来ました︒
最初の頃は大阪にいまして︑中国の農業
技術の発展に関心を持ち︑天野元之助先
生のところによく行きずいぶん教えても
らった︑ということを言っていました︒
彼は東京に来ますと石川先生に会って︑ もう少しマクロスコピックな観点から中
国の農業をどう見るかというようなこと
をやっていました︒
今はアメリカにおける中国経済研究者
はあまり日本に来ないですね︒先ほどた
またまアメリカの農務省にいるフランシ
ス・トワンという人と話をしてきたので
すが︑彼が言うには︑かつてはアメリカ
から中国に行くのに︑必ず日本に立ち寄
り︑東京で乗り換えなければいけません
でした︒彼はワシントンに住んでいるの
で︑中国に行くのに二十二時間かかった
そうです︒今はワシントンからまずデト
ロイトに行って︑そこから北京に直行便
で十四︑五時間で行けるということです︒
それを聞いてふと︑ああ︑ジャパン・小
ヘヘヘヘッシングじゃないかと(笑)思った次第
です︒最近は日本に来る欧米の中国経済
研究者は非常に少なくなりました︒私は
アメリカの中国経済研究者をけっこう知
ってるほうですが︑前ほど来なくなった
というのは︑一つは彼らの専門である対
象領域である中国へ直接行ってしまうか
らでもあります︒ もう一つの理由というのは︑やはり彼
らが日本に来てあまり刺激を得るような
研究にお目にかからないからではないか
という感じがするのですね︒これはまあ
あとで述べたいと思います︒
今井そうですね︑またあとでお願いし
ます︒
丸山七八年以前の研究と七八年以降の
研究を比べてどうかというのは︑人によ
って違うから評価が難しいんですけれど
も︑七八年以前の中国研究の世界という
のは非常に狭い世界だったと思うんです
ね︒それでアジ研の中の石川先生のグル
ープのように特に数量的な研究をする人
の範囲というのは非常に限られていた︒
あとはイデオロギーに呪縛されて政治志
向的な研究が多い︒石川先生の計量研究
はそれなりの水準があったと思うけど︑
やっぱり全体として情報量と統計類が足
らなかったもんですから︑その点のハン
ディキャップは当然あったと思うんです
ね︒
それで七八年以降は︑中兼さんはサラ
リーマン化したというけど︑やっぱりこ