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フランスの高校 (リセ)の哲学教育について

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Academic year: 2021

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■弘前大学哲学会 (講演)

フランスの高校 ( リセ)の哲学教育について

白 井 成 雄

フランスの中等教育の大 きな特徴 として、最終学年 (日本で言 えば高校3年)で哲学を教 えることがあげられ ます。 ヨー ロッパの よその国で も中等教育 レベルで哲学を教 えている ところはあ りますが、フランスの場合 この科 目に伝統的 に特別 に力が入れ られてい る と 言って よい と思 います。

その力の入れ よ うを具体的 に時間数で申 します と、将来人文系に進む コースです と週8 時間、理系 に進む生徒の場合で も4時間が当て られ、 これが生徒全員 に必修 とされます。

そ して大学人学資格試験 (バカ ロレア) には、文理 を問わず哲学の筆記試験 (作文)が課 せ られてお り、文系の場合です と試験全科 目の点数の中で 占める哲学の点数の割合は20%

を超 え、単一科 目としては一番 ウエイ トの重い配点 になっています。

では これ ほ ど力を込めている科 目の教育 目的は何か と言 うと、別 に古今の大哲学者の学 説 を教 える点 にはあ りません。そ うではな く、 この科 目の 目的は、高校 を卒業 して、 これ か ら一人の大人 として人生を歩み出す若者 に、既成の価値観 にとらわれず、 自由で 自主的 に物事 を考 え判断す る能力を身につ けさせ、またその 自主的な判断をできるだけ正確な言 葉を用いて論理的 にきちん と表現す る力をつ けさせ ようとい う点 にあると言って よく、ま た、そ うした若者が将来のフランス社会 を形成 してゆ くことを願 っている、そ うした願い を込 めて設 けられている科 目だ と言 えます。

これはいわば 「ものを言 う市民」の育成 とも言え、社会がある程度民主化 していない と、 かなか定着 しない教育制度です。

フランスで リセはナポ レオンの時代 に制定 され、最終学年で哲学を教 えるシステムは 当 時か ら徐々に形成 されてきま した。 しか し、19世紀のフランスはナポ レオン帝政のあ と王 政復 古があ り、また短い共和政の時期を経て第二帝政 に移行す るとい うよ うに、まさに政 治的動乱の世紀で した。そのため、 この政治的体制の変 化に伴い、その時々の哲学教育 も いろいろな影響 を受 けています。

た とえばナポ レオン時代 には 「公教育は神 と皇帝 とい う二つの理念 に結びつかねばな ら ない」 との通達が出 されてお りますか ら、哲学の授業 に現在見 られ るよ うな 「自由」の息 吹が感 じられることはなかったで しょう。

王政復 古時代 になると哲学はラテ ン語で教 え られねばな らない ことが定め られます。 こ

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れ には、フランス語で書かれた新 しい啓蒙思想が哲学教 育に入 り込むのを防 ぐ意味合いが あったので しょう。

さらに、当時 の哲学教育 には宗教教育 も入 りますが、 この さい、 もっぱ らカ トリックの 立場 に立つ ことが求め られま した。そ して哲学教員にな るための資格試験の試験官 には、

すべて聖職者があたっていま した。

また第二帝政 下では教育界‑の思想統制 は一段 と厳 しくな り、「歴史や哲学の授業は知性 が未発達の少年たちに教 えるべ きではない」 として、哲学の授業が一時廃止 された ことも あ りました。

しか しこ うした束縛 を受 けなが らも、フランスの哲学教育は19世紀 を通 じて、特 にヴイ ク トール ・クザ ンの尽 力によ り、制度 として教育 界に徐々に根 をはってゆきます。 ヴ イク トール ・クザ ンの哲学的 立場は よ く 「折衷主義」 とい う名の下 に批判的 に捉 え られ ますが、

しか し、公教育の制度 としてみた場合、政治 と宗教 の影響 を出来 るだけ排除 しよ うとし、

ある特定の立場 に立たず、哲学思想の歴史の中に多様な主義 を認め、それ を広 く取 り入れ ようとした彼の姿勢は重要だった と思われ ます。

いずれ にせ よ、 「自由」 を基調 にした現在の リセ の哲学教育の精神が社会全体か ら異請 な く受 け入れ られ るよ うになるのは、結局1871年 に第三共和制が成立 し、そ して19∩5年 に 政教分離が確立 され、公教育か ら宗教の直接的影響が排除 され るよ うになってか らの こと にな ります。

なお最近 イスラムの家庭 の子女がスカーフをかぶ って登校す る問題 を巡 り、フランスで は激 しい議論が巻 き起 こ り、公教育サ イ ドは この点 についてかな り厳 しい制限を加えてい るようです が、 これ も宗教 と公教育の葛藤の長い歴史 を踏 まえた上での措置であることは 言 うまでもあ りませ ん。ただ し一言付け加 えるな らば、19世紀か ら20世紀初頭 にかけての 問題は、社会 に大 きな力を振 るっていたカ トリックと公教育 との関係であったの に対 し、

現在のフランス社会 において イスラムの勢 力はマ イ ノ リテ ィーですか ら、問題 として 異 なった側面 を含む ことも事実です。

では この哲学教育の具体的 中身は何か といえば、その基本は文部省の省 令で定め られて お り、現 在 (2003年以降) は別表 1で 見 られ る よ うに5つ大枠 の下に、23のテーマが取 り 上げられています。ただ この点 については時代 とともに多様 な変遷があ り、た とえば 在容易 に手に入るフランスの哲学教科書の翻訳 として、ポール ・フルキエ 『哲学講義』 ( 摩書房)があ りますが、 この1960年代の代表的教科書 の構成、テーマ設定はまたかな り異 なってお ります。御参照 していただけた らと思 います。

現在の5つ の枠組み につ いて 一言だけのべ るな ら、第‑の 『主体』 とい う枠組みでは、

まず考える自覚的主休 として個 としての人間が扱われ、意識、無意識な どのテーマか ら始 め られます。 「心理学」の分野 にほぼ呼応 している と言えます0

第二 の枠組み の 『文化』で は、集 団 としての人間が先史以来、何 らか の レベ ルで常 に 持 っていた言語、芸術、技術、宗教 な ど人類文化の普遍的な特徴 に生徒の 目を向けさせ、

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人類の 文化の基本 は何なのかを考 えさせ よ うとしてい ます。

第三の枠組みは 『理性 と現実』 となっています。哲学教育は高校三年で集 中的 に行われ ますが、 この枠組 みでは高校二年まで にな らった諸教科 の特徴的な思考法 を総合的 に捉 え なおす ことを 目的 としています。大学 レベルでい うな ら諸学問の方法論 といえば よいのか もしれ ませ ん。

は新 しい傾向で、哲学が現 代社会 の諸問題 に直接向き合わなけれ ばな らない、 とい う自覚 の表れか と思 い ます。そ して この間題が、 「社会」 とい うテーマでは 自由主義、社会 主義 とい うよ うに経済的側面 か ら、 「国家」 とい うテーマで は民主主義、絶 対主義 とい うよ う な政治的 体制の側面か ら扱われ ます。 また 「権利」 「正義」 とい うテーマ もこの枠組み に 挙げられてい ますが、 ここでい う 「権利」 とは 「人権宣言」 に詣われている 「人間は権利 において平等 に生 まれ る」 とい う意味での権利で して、豊かなアメ リカに生 まれ よ うが、

貧困のアフ リカに生 まれ よ うが、人間 として等 しく尊重 され る権利があることが教 え られ、

そ してその 「権利」 を保障 し、実現す ることが 「正義」である とされています。

最後 の第五の枠組 み として 『道徳 (モ ラル)』があ り、そ こでのテーマ は 「自由」、 「 務」、「幸福」となってお ります。「自由」をめ ぐってはいろいろな議論が出来 るで しょうが、

ここではまず 「種 々の束縛か らの解放」 とい う側面か ら 「自由」の問題が取 り上げられ ま すQそれは第一 に人間 に対 して猛威 を振 る う自然の束縛か らの科学の力による解放です, つ ぎにた とえばファシズムの よ うな社会的束縛か らの解放であ りますが、 この点では弱肉 強食の言葉 が示す よ うに、強者の 自由は弱者の不 自由を もた らす 可能性があ りますか ら、

法」 による束縛 が社会全体 に、か えって大 きな 自由を生み出す点 も指摘 され ます。そ し て最後 に個人 レベルの問題ですが、いわゆる個人の欲望 に基づ く自由奔放な行動 は個人が 欲望 に束縛 されている不 自由な状態 として捉 え られ ます。ですか ら 「自由」 とは理性 と倫 理 を基盤 に しなが ら日々熟慮反省 して創造 され る状況であ り、 この 「自由」の実現 を 「 思的 自由」 を持 って 目指すのが人間の義務であ り、そ こに幸福 もある、 とい うふ うに論 じ

られ るのが普通か と思 います。

取 り上 げるべ きテーマは以上の よ うに文部省令で定め られていますが、 も う一つ省令で 定め られてい るのは、 こ うしたテーマを論 じる際 に支 え として参考 にすべ き哲学者 名であ り、そ こにはプラ トン、ア リス トテ レスか ら始 ま り現代にいたる数十人の哲学者 ・思想家 の名前があげ られています。なお ここで一つ補足 します と、 この数十人にわたる哲学者、

思想家 はギ リシャ、 ローマ以来のいわゆる西洋の哲学者であ り、そ こにイスラムの世界 と か東洋の思想家名が入った ことは一度 もあ りませ ん。 この点が今後 グローバル化の進む世 界の中で どの よ うになるのか、将来 西洋以外の思想家 も取 り上げ られてゆ くのか ど うか、

気にな る ところです。

以上が哲学教育のテーマ とその材料ですが、つ ぎにその教育方法 について 申 し上 げますO

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哲学教育の指導要領 は時々出 され ますが、それ を瞥見 します と、哲学教育の基本精神 と して、先に申 しま した よ うに、 「自由」が よく謡われています。

その 自由 とは、 まず 先生が 自分の意見を 自由に述べ る権利ですが、それ と同時 に、その 先生の意 見を唯一絶対の もの として押 し付 けるのではな く、別の意 見があることも紹介 し て、生徒の 自主的な判断 力の形成を促す よ う、生徒の 自由も守 られ るべ きである、 とされ ています。

また注 目すべ きは、指導要領が 「教科書」の使用 には否定的な ことですO 高校の哲学の 教科書 とで もいえるものは多 くあ りますが、 こ うした教科書的な ものはいわ ば参考 書と位 置づ けるのが正 しいのか もしれ ませ ん。なぜ指導要領で教科書の使用 にネガテ ィヴか とい えば、教科書 を使 えばその陰 に先生が隠れて しま う可能性があるか らです。 そ うではな く、

哲学のクラスでは、先生が 自分の言葉で語 ることが大事で、先生の思索す る姿勢 に直接接 し、生徒が先生の 自由な精神の発露 を目の 当た りにす ることのほ うが、抽象的で正確な知 識を受 け入れ るよ り、教育効果が大 と見倣 されているよ うです。

さらに特筆すべ きは作文教育の重視です。フランスの教育では どの科 目で も作文 を重視 しますが、最終学年 におかれた哲学の作文は、いわばそれ までの学年の種々な科 目での作 文の総仕上 げ と考 えられ、月 に一回 くらい長文の作文 を書かせ 、思想の明確な表現 の訓練 がな され ます。 日本流 に言 えば起承転結がはっき りした、 自分の主張の反対意 見を も乗 り 越 えるよ うな形の、 ロジカルな展開の文章記述が求め られ、ただ単純 に 「私 は こ う思 う」

とい うよ うな主観的、印象主義風の文体は否定 され ますQ

以上の よ うな教 育を受 けて、生徒たちはバカ ロレアに臨み、通常4時間の時間をか けて 作文を書 きます。今年 の文系の試験問題 は 「正義 とか不正義 とい うものは慣習的な ものに す ぎない ものか?」、あるいは 「言語 は コ ミュニケー シ ョンにだけ役立つ ものか」 とい う 二者択一 の間竜 になっていま した。

こ うした問題ですか ら、採点の基準の設定は 当然難 しく、いわゆる公平 さが保ちに くい ことは 目に見えています。また 日本 と異な りフランスでは人種 は多様ですか ら、大衆 化 し た中等教育 において、多様な文化的背景 を持つ 生徒の作文 力を均質 に高い レベ ルに保つ こ とは至難の技 といえま しょう。事実、他の教科 には見 られない ことですが、バカロレアの 哲学の点数は20点満点で10点以下が三分の二を超 えるそ うです。現場 の哲学の先生か らは 教育の困難 さについて悲鳴 に似た声が 上がっているとも聞 きます し、 また近年の人文科学 の多様な発達 にかんがみ、哲学教育 を廃止 し、人文諸科学の基礎 を個別的 に教 えるべ きだ と主張す る人々もいるよ うです。 しか し他方では、哲学の授業を もっ と親 しみやすい形で 低学年か ら始めるべ きだ とい う意 見もあ ります。いずれ にせ よ、種々の困難 をは らみなが らも、フランスは今 もこの制度 を守 り続 けてお り、 これか らもこの伝統がそ う簡単 に崩れ る とは思 えず、やは り私たち も注 目して よい教育制度だ と思 ってお ります。

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1文系 プ ログラム (※は理 系 プ ロ グラム)

L ※意識 /知覚 /※無意識 /他者 /※欲望 /実在 (実 存 )と時 間

理性 と現実 理論 と実験 /※証 明 /解 釈 /※生命 体 /※物質 と精 神 /※真理 ※社会 /※正義 と権 利 /※ 国家

(以上の文 は、2005824日、青森県 日仏協会弘 前支部第14回例会 での話、 「ノルマ ン デ ィーの思 い出〜〜副題 :フランスの高校の哲学教育 について」か ら哲学教育に関す る部 分を抜 き出 し、若干 手を加えた ものです)

(名古屋大学名誉教授)

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参照

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