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佐藤晋一*

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茨城大学教育学部教育研究所紀要第22号(1990)173−183       173

国立国会図書館法前文について

佐藤晋一*

〈は じ め に〉

国立国会図書館法(以一E国図法)は1948年2月9日に公布された。これは,法律としては異例の前 文を伴った法律である。この前文が加えられた経過及び前文のもっ意義については,主として図書館関 係者の間において論及されて来ているが,本稿では教育の論理とかかわらせて論じてみたい。

1.前文がつけられた経過

「国立国会図書館は,真理がわれらを自由にするという確信に立って,憲法の誓約する日本の民主化 と平和とに寄与することを使命として,ここに設立される」という前文を,法律としては異例なのであ るが国図法はもっている。まず,この前文がつけられることになった経緯を見よう。

当時の参議院図書館運営委員長・羽仁五郎は,1948年2月4日の参議院本会議における委員長報告で

「前文はとくに,参議院の図書館運営委員会(以下,図運委)において起草せられたものが,衆議院の 同意を得て,掲げられたものであります」と報告している(r国立国会図書館三十年史』〈以下,r三 十年史』>1979年,p.55)。前文中のく真理がわれらを自由にする〉という句は国図法の作成過程で羽 仁委員長が,かってドイツで学んだ時にその言葉を(実際にはく真理は汝らを自由にする〉という言葉 であった)掲げていた大学図書館があったことを思い出して,この言葉を何らかの形で法律に盛り込み たいとしたことが契機であるという1)そして結果的には前文として起草されることになったのである。

       ■

u本法案の前文は,とくに,ぼくの起草したものであり,……ぼくの起草したこの前文をクラップ君自 身鉛筆をとって訳し1)たものであると,羽仁は書いている。なお,〈真理が汝らを自由にする〉という 言葉は,元来は,ヨハネ福音書第8章32節にあるものである。

羽仁自身の創意によって起草された前文がくみ込まれるまでの経緯にっいては,羽仁と一緒に国図法 の作成に尽力した参議院事務局の酒井 悌氏(当時)が,次のように書いている。昭和22年12月14日,

両議院の要請により,米国議会図書館副館長ヴァーナー・W・クラップ(Verner毘Clapp)と米国図書 館協会東洋部委員長チャールズ・H・ブラウン(Charles H. Brown)が,米国図書館使節団として来日

(r三十年史』p.49)しており, 「羽仁委員長は両使節との大体の協議が終り,館の輪廓が略明確に把 握できる時点になった時(1948年1月6日に,使節団から国図法の勧告案が覚書として示されていた),

参議院事務局に対し国図法の草案の起草を命ぜられたので,われわれ関係者は,検討を重ね,一っのド ラフトができあがっていた。」1948年1月末の時点である。r三十年史』によれば,この1月末には衆 議院側でも同趣旨の法案の提出を検討中であったという(p.50)。 「羽仁委員長は,館設立の精神を簡 明に表現した一条を法律の中に盛り込みたいとの希望をもっていたδ〈真理がわれらを自由にする〉と

*茨城大学教育学部

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いう句を何とか織り込めないか,というのであったが,法律になじまない語句なのでわれわれは取り扱 いに苦慮していた」ところ,「1948年1月29日に,羽仁委員長はホテルに両使節団をたずねた。その時 丁度クラップは国図法の最終草案をもって,ブラウンの部屋にいたところである。……羽仁委員長がた またまクラップ・ブラウン起草の最終草案をみると,その方が参議院事務局案より数等優っていること を感じとり,そこで彼はとっさに法律は使節起草のものをそのまま採用し,その代りとして,かねがね 考えていたr真理がわれらを自由にする』一連の文句を,前文として挿入したい旨を申し入れたところ,

クラップは直ちに賛成したが,ブラウンはそれを英訳して示して欲しいとのことで,そこでクラップ自 身鉛筆をとって, The National Diet Library is hereby estabhshed as a result of the firm conviction that truth makes us free, and with the object of contributing to internationa1 peace and the democratization of Japan as Promised in our constitution と訳しブラウンに示し た。ブラウンはこれを一読したのち,直ちに賛意を表し,この前文を付けることによって,反って館法 自体に筋が通って引き立ってきたと非常な喜びようであった。」クラップ自身は「1948年1月3日(土)

夜ll時国図法の初稿を完了……(翌4日)午前中ブラウンと国図法の原案を討議する1}と記録している。

この原案が6日に使節団の覚書第9号として交付されていたのである。尚,上記英文は,英文の国図法 にそのまま採り入れられている。

基本的には,このような経過をたどったのである。前文を加える直接の動機は羽仁にあったのである。

羽仁は当初,参議院事務局に対して,法案の中に織り込むことを要求していたのであるが, 「結局は,

両使節が作成したドラフトがそのまま原案となって提出され可決された」ことになってしまって,参議 院事務局が作成した案は採りあげられなかったから「われわれは羽仁委員長に〈無駄骨を折らせた〉と ぐちったところ,さすがの羽仁さんも閉口し」たのであるが「しかし,羽仁委員長は,図書館そのもの に関することは使節団のドラフトをそのまま採用したが,そのかわりに国図法の精神をあらわす前文の 中に参院が発議してく真理がわれらを自由にする〉という文句を挿入させることを承諾させた意義を理       4) してほしいとのことであった。」っまり, 「法制部(現在の参院法制局の前身)部長を中心に私たち

と法律専門の職員が,徹夜に徹夜を重ねて練りあげて,案を作って出したら没ですから腹を立てる」こ とに事務局はなった。しかし「今さらクラップの案をくずしていくっていうわけにはいかなかった」の であり, 「それで苦心の末考えっいたのが,前文をっけるということ」であった。 rr酒井さんたちの 意志を実現させるために前文を入れよう。そうすりゃ,全部アメリカ側に作ってもらったんじゃない,

前文は日本側で作ったんだ』と言うので」ある。それで調査課側は「腹の虫を収め?たのである。

このあと,前文を挿入することにっいては衆議院側とのやりとりがある。衆議院側では衆議院として の構想もあり,法案の成文化もすすみっつあったが,参議院の提案に反対の意見が強かった。「私を含 あて,何人かのものはしかし,この 国立国会図書館は,真理がわれらを自由にするという確信に立っ

{ママ}

て,……… という文学的表現を法律の前文にもってくることに賛成ではなかったのである。聖書(ヨ ハネ伝八:三二)にある場合の真理とは,神の言葉の正しい認識といったものを意味し,定冠詞つきの ものとして理解されるのである。大学だとか,図書館の入口あたりにかかげるモットーとしては適当で あるかもしれないが,法律の前文としてはふさわしくない,というのが私どもの意見であった。」しか しながら衆議院図運委の委員長中村嘉寿は「おそらく,この種の提案を拒否するであろうと」思われて いたのであるが,「ところが私どもの意に反して,父はこの前文がお気にめしたらしい。カントを引用 したり,ルソーの自由を評したり,私どもは相当執拗に反対した。しかし父は決してゆずらなかった?

というような事情があり,結局は衆議院側も異議なく賛意を表することとなったのである。

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佐藤:国立国会図書館法前文にっいて       175

豆.前文の意味について

皿一1.図書館使節団来日の意味

前文の意味について検討する場合,まず第一に重要なことは図書館使節団来日の事情と〈覚書〉の 公表までの経過である。使節団来日については,まず中村衆議院図運委委員長の報告(1948年2月4日,

衆議院本会議)から引用しよう。 「本法案は,わが日本において文化国家を創立する,非常に立派なる 法律案である。昨年4月に公布された国会図書館法により,りっはな図書館をっくろうということであ

ったが,この図書館を有効なものにし,少し違ったものにしなければならぬというわれわれの考え方か ら,欧米各国における図書館の運営を検討したところ,わが国の一般が考えておるような図書館とは,

すこぶる趣きを異にしている。従来,われわれの観念において図書館とは,書物が集っていて,これを 読みに行くところであるというのが通念であるが,欧米各国における国会図書館というものは,知識の 泉であり,立法のブレーンであり,ものを整理するところの元締である。

かような図書館が,わが国において最も必要であるところから,過去第一国会(1947年5月)から今 国会にわたり,九回の委員会と二十二回の懇談会を開き,また十一回の参議院図運委との合同会を開い たのである。さらに法規委員会並びにこの議会の運営委員会ともしばしば懇談して,この法案を産み出 したのである。このような計画をするについては,先進国を範にとるため,わが衆議院において,まず これに経験の深いアメリカから専門家を招き,これに指導してもらうことを提議した。さいわい参議院 の賛成をえて,ただちに両議院の議長(衆・松岡駒吉参・松平恒雄)ならびに両院の委員長が連署し て,マッカーサー元帥にこの使節の派遣方を懇請した。元帥はこれを受諾して,ただちに本国にその人 選方を求あた結果,アメリカにおいて最も図書館に堪能なヴァーナー・クラップとチャールス・ブラウ ン両氏が選ば礼この両氏は,来日以来これが計画に参画され,われわれは,ほとんど日参して,相談 をした結果,かような法律案をえた次第である。この間,司令部のヂャスチン・ウィリアムス博士が特 に尽力され,CIE(民間情報教育局)のネルソン並びにバーネット氏等の斡旋よろしきを得て,今日 の結果を得た」(r三十年史』p.51)のである。この〈米国図書館専門家派遣依頼書簡〉はr三十年史

・資料編』1980)に収録されている。使節団を招くことについて「終始リーダーシップをとったのは羽 仁五郎氏を委員長とする参院図運委であって,両院議長名でのGHQ宛の懇請状も羽仁氏が原案を作り 参院の渉外課長が訳したもので,これを参院の図運委にかけて承認を得たものである。」また,使節団

という名称は,当初は顧問団であったが「日本側との最初の会談で,その日本訳を使節団と呼ぶことに

   7}

ネった」のである。

使節団の招請は日本側の事情が原因なのである。中村委員長の報告にある如く,国会図書館法は1947 年4月30日に公布され,翌5月3日施行された。この法案は,一方では国会法の制定に関して,1946年

11月4日連合国最高指令官総司令部(GHQ/SCAP)からの示唆があったこと,他方ではそれまでに日本の 図書館関係者・国会議員の中にあった国会(議会)図書館設立の根強い願望とがあいまって作成された のである。が, 「それは,第一条に目的(国会図書館は,内外の図書記録の類を蒐集し,議員の調査研 究に資する所とする。国会図書館は,別に定める規定に従い,一般にこれを利用させることができる。)

をしるした外に,職員の構成,部課の設置規定をふくめ僅か七力条の全く簡単なものにすぎなかった。

このたあ,一体,国会と国民に対し,どういうサービスを提供し,どういう活動をなすべきかというよ

うなことについては具体的に記されていなかった。」そこで,第一回国会以来具体的な検討が開始され

た。衆・参両院図運委は1947年6月3日にはじめて開催された。6月27日,当時ロックフェラー財団ヒ

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ユーマニティ部次長チャールズ・ファーズが来日し,J・ウィリアムズ国会課長と共に国会を訪問した。

そこで「国会議員と国会図書館建設について懇談する好機会があった。その際国会議員の間から国会 図書館の建設について,アメリカの図書館専門家によって各種の助言を得たいという希望が表明された。

このことが契機となって,昭和22年7年12日,両議院の議長は,両議院図運委合同懇談会の決定に基づ いて,国会図書館設立準備顧問として米国議会図書館その他から,図書館運営の専門家を招へいしたい という要望をGHQに対し正式に懇請したのであった。このことはまた米国議会図書館にっいての調査 研究がすすむにつれて現行のr国会図書館法』では不備であり,理想的な図書館をっくるためには米国 の専門家の意見を必要とするという意見が強まったことによるものであった。」 (r三十年史』pp.45〜

46)・尚・ファーズは,6月27日の懇談の際に,顧問団の派遣についてrJ・ウィリアムズは顧問を1人 送ってはどうかとの案を出した」と証言し,それに対して彼は「1名ではなく3名送ることを提案した?

と言っている。この間衆・参両院の調査部は各々調査研究を行い,貴重な資料を刊行するなどの活動を していたのである。特に参院調査部の活動は目ざましかった。

■   o   o

クラップとブラウンは,7月12日の正式要請からわずか5カ月後の12月14日に,突然何の前ぶれもな      9)

ュ来日した。彼らは「東京に到着の翌日から直ちに精力的な活動を開始し,日夜その任務の達成に努力 し,その際彼らが示した献身的な態度は日本の人々をいたく感動させた。」(r三十年史』p.49)。両 使節団到着までのことにっいて,参院側及び羽仁委員長は「要請の書簡を出しているのにウンともスン

とも返事がない。十二月に入っても音沙渓丑いので1°1大変心配をしていたようである。 「顧問の来日 がおくれたのは,米国側でその人選が二転三転したためと,クラップ,ブラウン両氏に決定した後この 両人の間で日本の図書館界の再建と国会図の占める地位にっいての長期間の研究と討論があったll先め であった。従って,両使節は来日後直ちに覚書を公けにしっっ日本側との作業に入れたのである。

「この米国図書館使節との交渉の経過は,衆議院調査部資料第六集(昭23・1・21),参議院調査部資 料第三輯(昭23・1・20,謄写),さらに第二回国会参議院図書館運営委員会会議録第一号(昭23・1

・22)に記載されているとおりであるが,昭和22年12月17日から,昭和23年1月6日まで合計13回にわ たって議事協議が重ねられ,国会図書館の構想が作られた」(r三十年史』p.49)のである。そして,

両使節はr覚書』の形で基本構想を明らかにした。覚書は(一)から(九)まであり,1947年12月19日 から1948年1月6日までに出されている。この間さまざまな,複雑なやりとりがあった。 r三十年史』

によれば参院側はrl948年1月30日,国立国会図書館法草案を図運委で討議し,その結果を委員長と理 事が整理することになった」のに対して(既述のようにこの時点で事務局案とクラップ案が入れかわる),

衆院側は「2月3日,図運委・議院運営委員会連合審査会を開いて起草原案を審議し,これに必要な修

●   ●   ●   ●   ●

正を加えた。同日の衆議院図運委において,この修正案を委員会提出法案として取り扱うことが決定さ れ(p.50)」た。この日の「参議院議院運営委員会においては,衆議院の,前記連合審査会における字 句の修正を加味して法案の原案が整理され,上程手続上の問題を解決して四日に両議院とも本会議で可 決する予定であると報告された。ここに,衆議院案と同じ件名の参議院案(羽仁五郎議員外5名発議)

■   ●   ■   ●   ●

がまとまり,予備審査のため衆議院に送付された。このようにして,同一内容の衆議院案と参議院案と が準備されるに至ったので,これらの法案の上程手続きにっいて両議院間で協議した結果,衆議院提案

の法案をまず両議院で審議することとし,2月4日に両議院とも本会議を開くこととなった。(翌4日      o   ●   ●   ●   ●       ●  ●  ●  ●  o  o  ■  ●

長が趣旨弁明を行った後,採決して可決し参議院に送付した。(pp.50〜51)」

参院では「直ちに図運委を開き,審議及び討論を省略して採決し,満場一致で可決して本会議に上程

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佐藤:国立国会図書館法前文にっいて       177

した。本会議においては,羽仁図運委委員長が報告し,堀(真琴),岩本(月洲)両議員の討論があっ た後に採択し,全会一致で可決した(p.51)」のである。参院案はどうなったのか。「参議院案は上の

●   ●   ●   ●

可決案と同一事案と認めて日程から削除された(p.51)。」(以上,傍点は引用者による。)この参院本 会議にはクラップとブラウンが「傍聴のため(p.55)」来ており,法案成立の後「議員は一斉に強い拍 手をもって感謝の意を表した(p.55)。」このように「政局は極あて複雑かっ困難な局面にあったにも かかわらず(p.51)」法案が成立したのである。2月10日に片山内閣が総辞職した。中村委員長も「ま ったく奇蹟的に通ったとでも申すべきでありましょう。政局は非常に混乱を極めまして,四日の日が最 後の機会でした。もしあの機会を逸したならば,ついに日の目を見ないかもしれなかった(pp.55〜56)」

であろうと,3月16日の衆院図運委において述べている。

ここにみられるように実に複雑な経過をたどって法案が成立するのであり,この間の経緯にっいては 本格的な検討がなされる必要があるが,公式文書としてのr三十年史』からうかがえるように,実質的 には参院案が通過したのである。形式的には衆院案(委員長提案)を参院側が,まず図運委で,審議・

討論は省略して採決し満場一致で可決し,本会議でも全会一致で可決したのであるが,参院案は衆院案

●   ●   ■   ●

と同一事案と認められて,本会議に付議されなかったのである。衆院の中村委員長は,2月4日の本会 議報告の中で法律案にっいては両使節のもとにほとんど日参して,相談をした結果として(成案を)得 たと述べているのに対して,「館長にっいては特にわれわれは力を尽した」(r三十年史』p.51)と発 言している。 「衆院側は図運委委員長と担当課長のみが法案作成にタッチしていたので,衆院の(事務        12)

ヌの)同僚が時々顧問との会談の進捗状況をわれわれにききにくる程度であった」ともいう。ちなみに,

衆院の図運委には,吉田 茂,芦田 均,片山 哲,石井光次郎,三木武夫がいた。参院には山本有三,

金子洋文,徳川頼貞,徳川宗敬,岩本月洲,堀 真琴がいた。さらに,1月6日に使節からく覚書9>

として「新r国立国会図書館法案』の勧告案」 (r三十年史・資料篇』収録)が公けにされていたので あり,参院側はドラフト作成にまで及んでいたが,衆院側は2月3日に起草原案を審議し,修正等を行 っているのである。クラップとブラウンは1月8日,中国図書館界との懇談のために中国へ出発し28日 に帰国する。この間,日本側は覚書をもとに日本側としての草案作成に努力できたはずなのである。ク ラップは,この約20日間の中国訪問の間に「日本側がじっくり自分達で協議し,国立国会図書館の構想 を改めて考える機会をもってもらいたかった」と考えており,「両使節と日本側の意見の相違を歓迎」

することを表明していた使節団は「いやしくも自分の意見をおしつけるということは一度もなく,謙虚        13}

ナ」あったことは「日本側関係者の一致した感想」であって,日本側の主体的なドラフト作成はむしろ 望ましいことであったのである。参院側のドラフト案が,結果的にはクラップ案にとって代わられたこ

とは既に見たところである。だから,このクラップ案が衆院案だったのである。羽仁はく今さらクラッ プの案をくずしていくっていうわけにはいかなかった〉という表現をしているが,根本的理由は「私た ちの作った法律よりやはり経験豊かなクラップの書いたのがずっとよい1艶いうことであろう。いい方 をかえれば,クラップが羽仁に、1月29日の夜に示した〈最終草案〉は,1月6日に公表されたく覚書〉

であったとみなしうる。酒井氏は「結局は両使節が作成したドラフトがそのまま原案となって提出され1)

たと書いている。

皿一2.前文の意味について

前文に込められた意味は何か。敢えて「真理がわれらを自由にするという確信に立って(それを前提

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として)憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命」とするという文句を挿入し た意味は,国図法の前提である国会法の意義及び課題が何であるかによって,おのずから明らかになる のである。国会法は1946年11月4日のGHQ/SCAPの示唆をうけて作成が開始され,1947年3月18 日に成立した(官報公布は30日)。この間の事情については,図書館使節団の派遣にサジエスションを 与えたほか国図法の成立にもきわめて重要な役割を果した,J・ウィリアムズのrマッカーサーの政治 改革』 (市 雄貴・星 健一訳,朝日新聞祉1989)が詳じ巳)・。同書によると,日本においてのあるべ

き国会は「ポツダム宣言の表現によればr平和的傾向を有し,かつ責任ある政府』の礎となる」もので あり「最高司令官,日本の首相のいずれにもこき使われるような存在になるべきではない(P.41)」の であり, 「主権在民,交戦権の放棄,基本的人権,政治機構における三権分立の基本原則」は明らかに なったのだから「新しい国会にふさわしい組織と手続き(p.217)」を明確に示す法律が必要なのである。

「国会は,法律をっくり,行政を監察し,国民を代表するという三つの基本的機能を遂行しているかど うかで評価されるべき(p.274)」ものである。このような構想にもとついて作成された国会法の130条に は「議員の調査研究に資するため,国会に国会図書館を置く,国会図書館は,一般にこれを利用させる ことができる」とある。国会図書館は国会の不可欠の機関として位置づけられている。既にみたように,

国会法成立と同じ日に官報で国会図書館法が公布されていたが,これが根本的に改変されて国立国会図 書館法となってゆくのである。

J・ウィリアムズは「国会によって,見事に消化されたきわめて重要な二っの改革」は「常任委員会 制度と国立国会図書館による立法考査業務である(p.242)」と言い, 「国立国会図書館の調査及び立法 考査局の助けを借りて,両院の常任委員会は組織的に日本の状況に適応し(p.242)」つつあるとしてい る。 「国会はその力の源泉を常任委員会に持つ」のであり, 「常任委員会のおかげで,あらゆる立法に 最終決定権を行使し,国の唯一(最高)の立法機関としての地位に恥じない活動をみせている(p.243)」

のである。これこそが「行政に左右されない立法府に属する図書館17あ意義なのであり,図書館の中心 的機能はこの点にあるのである。

主権者は国民であり,その主権者が構成する国会が唯一の立法機関である。議会が唯一の審議機関で あり,最高の議決機関である。国民はこの議会における代表者を通じて行動するのである。国政は国民 に由来する。国民は恒久平和を念願し,政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにし なければならず,この崇高な理想と目的を全力をあげて達成することを国家の名誉にかけて誓ったので ある。そのためにはどうしなければならないか。つまり,議会が真に国民の議会として運営されるたあ にはどうしなければならないのか。

まず第一に,国民自身の問題であり,これは国図法と同様異例の前文をもっている教育基本法が,

その前文において,憲法にかかげられたく理想の実現は,根本において教育の力にまつべきものである〉

と銘記していることにつながる。国民自身が思惟・判断の主体であり,そうであるためには知り・学ぶ ことが必要なのである。こうしてのみ国民は実践主体となりうるのである。このことは,直ちに子供の 問題でもある。1946年,アメリカ教育使節団は「我々の最大の希望は子供たちにある(Our greatest hope is in the chHdren)」と宣言した。極めて残念なことは,この言葉が日本側から出たものではな いことである。教育学の歴史をみても,教育学が学問として自律的であるためにはそれ自体の論理的前 提として子供の存在が明確に把握される必要があるのであるが,この点こそが欠けていたとされねばな らない。教育の実践活動においては,子供を主体とせねばならないことが強調され,実践が展開されて

●   ●   ●   ●   o

いたにも拘らず,である。結局のところ,それは子供の独立が不可能だったからである。独立した人格

(7)

佐藤:国立国会図書館法前文について       179

としての子供という考え方が1945年8月15日までは不可能であったのである。子供はく従属するもの〉

であった。 「日本の民主憲法は明治維新以来支配者の地位にあった少数派を破滅させ,大衆をr臣民』

(subjects)の地位からr人民』(the people)に引き上げる分水嶺であった(J・ウィリアムズ同上・

p.213)」のである。国民という概念が成立しないところに,子供の人格の独立はありえないのである。       ●   ●

第二に,国図法前文のく真理がわれらを自由にするという確信〉である。国民が個々のレヴェルでの 失敗を防ぐだけではなくして(この場合は個々のレヴェルで失敗をカヴァーすればよいし,それしかな いのであるが),全体としての失敗を防ぐことを真剣に考えないと,全体の失敗・ミスを個がカヴァー することは不可能である。個々の失敗の単なる寄せ集めとして全体の失敗が生ずるのではないし,全体 の失敗を個に還元することはできない。この間の矛盾をいかにして解決するか。それには個々のレヴェ ルでの判断力のみならず,国民全体としての思惟・判断のレヴェル・アップが必要である。主権在民と は,国民自身が自からのために自から思惟・判断を形成し実践することなのである。だからこそ立法機 関は調査機関,立法考査機関を持たなければならないのである。

羽仁委員長は,従って委員長報告で「真理がわれらを自由にする。これが根本精神であります。今日 のわが国民の悲惨の現状は,従来の日本の政治が真理にもとつかないで,虚偽に立脚していたからであ ります(r三十年史』p.53)」と言い,無知がすべての悲惨の原因であり,不幸の大部分が無知から来 たことを反省することからすべてが始まると強調したのである。これは憲法前文がく政府の行為によっ て再び戦争の惨禍をくりかえさない〉としたことと対応する。それ故,国立国会図書館創設の意義は,

次の三点にあると,羽仁委員会は言う(国図法第2条(目的)を記しておこう。<国立国会図書館は,

図書及びその他の図書館資料を蒐集し,国会議員の職務の遂行に資するとともに,行政及び司法の各部 門に対し,更に日本国民に対し,この法律に規定する図書館奉仕を提供することを目的とする。〉)。

以下r図書館の論理』に拠って,羽仁委員長の言うところをみてゆこう。

「第一に,わが憲法の保障する人民主権の確立に寄与することにあった。無知はすべての悲惨の原因 である。人民主権は人民自身の組織およびその運動によって実現されるので,人民主権は人民の無知の

うえに確立されることはできないのである(p.163)。」〈真理がわれらを自由にする〉という言葉は

「大学図書館にふさわしい言葉じゃなくて,国立国会図書館(以下,国会図)にこそふさわしい(p.140)」

のである。「国会の立法機関としての機能の発展を保障する(p.162)」ことが最大のポイントであり,

近代的・組織的な調査機能が国会自身のものとならねばならない。 「個人の頭脳ではなくて社会の頭脳 としての論理,機能 (p.150)」を持たねばならない。ここに国会図の「革命的意義があった(p.162)」

のである。国会図の立法調査機能は,国会図が同時に国立中央図書館をかねることによってのみ,十分 なものとなる。

第二の意義は「国会図が国立中央図書館の機能をはたすことによって,日本の図書館を文部省などの 官僚主義の支配から解放し,わが図書館の自由の発展の方向を明らかにしたことにある(p.165)。」っ まり,1945年に至るまでの反省からしても「図書館を行政機関の支配から解放し,人民主権の選挙する 立法機関である国会の図書館が,同時に国立中央図書館として自由の発展充実を期待(p.166)」される べきである。立法府は国民の直接選挙によって構成されるのであるが,行政府官僚はちがうのである。

従って国立中央図書館も国民自身が常にコントロールできなければならないのである。っまり,国民は 立法府を構成し直しっっ行政に左右されない図書館を目ざさなければならない。

そこで国会図創立の第三の意義は「行政各省の図書館及び司法すなわち最高裁判所の図書館を国会図

の分館とすることによって,あわゆる政治資料を人民主権の国会の手のとどくところにおいたことにあ

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る。これは,敗戦にいたるまでの議会が天皇制の行政府官僚主義の権力独占のために三権分立の実質を 失い,立法府の実質を失っていた」ことがあらゆる悲惨の原因なのだから「敗戦後の国会は人民主権の 立法府として最高の権威をそなえ,あらゆる政治資料を官僚の独占から解放し,公開し,国会が十分の 政治資料をもって,立法,予算編成および行政監督などの機能を実質的に発揮することを可能(p.167)」

にせねばならない。J.S.ミルも言う如く,代議制の最大の機能は行政府を監督することにあるのであ る。このためには「立法部である国会の図書館が行政部である政府各省の図書館および最高裁判所の図 書館を分館として管理することを実現(p.167)」せねばならない。このため館長は国務大臣待遇とされ たのである。しかしこのことを実現した国はまだない。 「国図法によって日本は世界においてはじめて これを実現することとなった(p.167)。」この構想に当時「もっとも積極的に賛成した(p.168)」のは 農林省であった。

国会は行政部・司法部に対して「あらゆる文書そのほかの資料の公開を要求することができるし,そ れらに付属する図書館を分館とすることによって,あらゆる文書そのほかの資料の管理において公開主 義をっらぬくことができ(p.168)」,そのことによって「国会は政治の調査資料においても行政各省の それよりもはるかに高い水準を示すことができなければならない(P.168)。」これが羽仁委員長の報告 である。このことはr国立国会図書館支部図書館外史』もくはしがき〉の中で確認している。 「このよ

うな体制の創設によって国会図は政府のあらゆる資料を国会の政策決定に提供することができるととも に,政府機関相互の間においても他の政府機関の資料を利用しうる」のである1艶。

初代の国会図副館長中井正一は図書館が「真実を単なる個人として探ろうとしているのではなくて大 きな集団的組織として探ろうとしている。個人の記憶のかわりに資料の精密を極めた整理目録を用意し,

個人の思惟に代って委員会をもってしている。国家のいかなる出来事も記憶し,どんな天才よりも広い 知識と意欲をもっ巨人となって,自らを創造しようとしている」のだとし,「かかる実験は,すでに方 法論的実験であって,真理の意味も,自由の意味もが,その形成の姿をより広く,より大きくするもの である。新たな哲学,新たな論理の創造への,試みの石とすらなろうとしている」のだから「現実にま ともでなければならない」と,1948年10月13日に国会図職員研修特別講義において述べた。中井は「現 実に対決する時」にのみ真理も自由も明らかになるのだと言う。r真理の形そのものは生活の上に基礎 を置きながら,常に傷っき,いたみながら,再びまた人間の歴史の上に生きて来るものなのである。」

個々の,そして人間全体の実践を媒介して「真実そのものが人間の自由に関連しながら発展して来てい る」のである。真理は実体的概念ではなく,既に形として在るものではない。個人は個人のレヴェルで 誤謬を踏みしめながら自からの「形をもって真理を手探りしようとしている」のであるが,人類は人類 としてそうしなければならない。そのためにこそ,社会的存在としての図書館が出現したのであり,こ の図書館は「中央気象台」として予測をせねばならないのであり,その「組織の不備と崩壊は,やがて 予報の誤謬となづ?歴史・社会そのものの崩壊につながるのである。つまり,実践のもつ個別性・局所 性をそれとして正当に位置づけるためにも,座標軸変換に対するクリテリウムを持たねばならず,クリ

●   ●   ■

テリウムは不動なものではなく個別的・局所的・動的な実践との関係においてのみ不変量なのである。

クリテリウムは,それ自体が実体的なものとして在りっづけるのではなく,実践に媒介されっっ実践を

測るものである。〈今〉とくここ〉に限定されている存在を,そこから脱却せしめるのは実践のみであ

る。〈概念のないところには言葉だけがやってくる〉とは,っまり実践がないということである。そも

そもく真理がわれらを自由にする〉という言葉の源泉であるヨハネ福音書において,キリストはくもし

汝らが私の説くところを信ずるならば,そして行うならば〉真理が汝らに自由を得させるだろうと言っ

(9)

佐藤:国立国会図書館法前文にっいて       181

●   ●   ●

ているのである。単にイエスのことばだけがやって来ているのではないのである。おそらく,アウシュ ヴィッツに掲げられた<Arbeit macht man frei>という言葉は,言葉だけが概念と乖離してやって来 た最も恐るべき事例であろう。

そして,実践が向かうべきところlaどこか。それはあらかじめ定ってはいない・答があるのではない。

o   ●   ●

〈クオ・ヴアディス?〉一キリストはどう答えたのか。ことばを以って答えたのではない。未来にの み向っての,大いなる非合理としての実践あるのみと答えたのである。その実践だけがく私の言葉〉の 真理性を顕にする,というのである。実践の前方にこそ真理を求めねばならないのである。 「人のやっ た仕事を,幾通りも並べて見て,初めてそこに疑ひや惑ひが生じて来るなどは,いっも外から傍観する       20}

ホかりで,自分は何もすることにしてゐない閑人のすること」でしかないのである。

最後に,簡単に〈真理がわれらを自由にする〉という言葉に関して触れておこう2n

1)ギリシヤ語では,∬「A/ffirθEIA E/IE1「θEP2ΣEI rMAE Cη αλ ηθε α ελεひθερ  (Dσεt  ひμδζ・.)。

ヘー@ アレーセイア     エリユーセローセイ    フユーマス

2)ラテン語では,Veritas liberabit vos,又はVeritas vos liberabit.(田中秀央・落合太郎編 r新 増補版 ギリシア・ラテン引用語辞典』岩波書店,1963.)

3)フライブルク大学には〈DIE WAHRHEIT WIRD EUCH FREI甑CHEN>とかかげてある。

4)英訳では,The truth will set you free,あるいはThe truth shallmake you free.

以上の2)あるいは4)のいずれかをモットーとして掲げている大学がアメリカでは,かなりあるようで ある。日本でも明治学院大学と北星学園余市高校に掲げてあるとのことである。

■   ■   ■

5)国会図には上掲のギリシヤ語と日本語の〈真理がわれらを自由にする〉とが掲げてある。日本語は,

羽仁五郎が,3)のフライブルク大学のものを<Wahrheit macht man frei>,あるいはくWAHRHEIT WIRD漁N FREI撚CHEN>と記憶していたことに拠る。この日本語がクラップに英訳されてくThe truth

 makes us free>となり,国図法の前文に挿入された。       ●

U)ラテン語には,Veritas liberatという言葉がありく真理がわれらを自由にする〉と訳されている。

(r新増補版 ギリシア・ラテン引用語辞典』岩波書店.)このラテン語は別府大学の建学の精神に用      ●いられている(但し,日本語訳はく真理はわれらを自由にする〉である。)。周知のように本学附属

図書館の壁面にはこのラテン語が掲げられている。尚,このラテン語がくThe truthwill set you free>の意味でかかげられている大学がアメリカに2校あるとのことである。

7)アメリカのプロテスト・ソング<We shall overcome>には, Additional versesとしてくThe truth willmake us free>という一節がでてくる。日本ではこの一節はあまり歌われないようである。

8)〈The truth makes free>を標語としている大学が,アメリカにあるとのことである。       ●

X)桐生市立図書館には,羽仁五郎自筆のく真理はわれらを自由にする〉が額として掲げられている。

〈お わ り に〉

国立国会図書館法前文の意味は,いかにして憲法前文にかかげられた実践的課題を現実のものとする かという〈実践の論理〉に基づいてのみ理解されうるのであり,この実践の論理(「答の論理」)は,

論理学そのものの問題であると同時に,実践そのものに内在すべきものである。このことを羽仁委員長

は根底において自覚していたのである。「論理学というのは1+2=3といった形式的なものではなく

(10)

て,現実を内容とする論理学というものがつくられなければならない。カントも,論理学はアリストテ レス以来ひとっも進歩していない,と書いている。(カントの著作は)アリストテレス以来ちっとも進 歩していない論理学というものを,一歩前進させるのだという意味で書かれた……。しかし,カントの 偉大な著作も,やはりある意味では,アリストテレス以来の伝統を抜け出ていない。…………三木清 のr構想力の論理』は,カントがいったようにアリストテレス以来進歩していない論理学,カントも進 歩させることのできなかった論理学を,一歩前進させようとしているものなのだ。ところが中井正一君 のr委員会の論理』は,哲学に現代の内容を与えようとした画期的な論文だった。そういう意味で,三 木 清のr構想力の論理』,中井正一のr委員会の論理』,などといったような関連の中で,現代の論 理学がっくりあげられねばならない12あである。だからこそ,初代の国立国会図書館館長に中井正一を 擬したのであった。中井正一は,残念ながら館長としてではなく副館長として全力を論理学及び図書館 論の創出に傾注したのであったが,惜しくも病のため未完に終ったのであった。

前文中のく真理がわれらを自由にする〉という言葉は,従って教育の論理と相補的なものであるとい える。真理を求めて実現してゆくのは,自由な,独立の人格をもった国民,即ち子供であり,自由に即 した国民・子供の実践なのである。教育基本法前文に言うくこの理想の実現は根本において教育の力に まっべきものである〉という言葉は,<我々の最大の希望は子供たちにある(Our greatest hope is in the children)〉という言葉と共に実に深い意義をもったものであったと言えるのである。逆に国図 法前文の意義は,このこととかかわらせてみると,より明瞭になると言えるのである。とりわけく真理 がわれらを自由にする〉という一句は,〈憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを 使命として〉全力をあげてわれらは努力する,ということを前提としてのみ,十分に理解されうるもの である。<Aus der kett,die uns entehrt−Schmieden wir ein blitzend Schwert>(われわれを辱 かしめる鉄の鎖から,われわれは輝く剣を鍛えだすのだ)というドイツ農民戦争のスローガンを羽仁委 員長は自己のく現代歴史家としての自覚をあらわす言葉〉であると考えているのであるが,アメリカ教 育使節団報告書の一節には,子供たちはくmust not be pressed down by the heritage of a heavy past〜塁)とあるのである。

      注

P)羽仁自身はこう言っている。「この前文を僕がどうして思いっいたのかというと,ドイツで勉強して いる時にフライブルク大学の建物に(この発言は1980年のもので,羽仁はそれ以前には別の大学の名 をあげている一引用者)〈WAHRHEIT WIRD漁N FREI甑CHEN> r真理は人を自由にする』とあるのを 読んだ時に非常に感動したね。こんなすばらしい標語はないよ。(これは)図書館にも通用するもの だと考えたんだ。」r図書館の論理』日外アソシエーツ,1981,pp.37〜38.フライブルク大学に掲 げられている標語は,正しくは,<DIE WAHRHEIT WIRD EUCH FREI撚CHEN>である。羽仁は,直接聖 書から〈引用〉したのではないし,「その後,国会図書館の人が,聖書に出てくる意味とはかなり違

った意味に使われていると書いていたが,それは確かにそうなんで,聖書は図書館のことを言ってい るわけではない」(同上,p.38)とも述べている。

2)羽仁五郎『国民に訴う』潮流社,1949,はしがき。

3)酒井悌・鈴木幸久「ヴァーナー・W・クラップと国立国会図書館」r図書館研究シリーズ』第20号,

(11)

佐藤:国立国会図書館法前文にっいて       183

1978,11,pp.41〜43.

4)酒井悌「国立国会図書館法成立の過程」r国立国会図書館支部図書館外史』(以下 r支部図書館 外史』),支部図書館館友会,1970,p.14.

5)羽仁五郎r図書館の論理』同上,pp.35〜38.

6)中村初雄「国立国会図書館法前文について」 r支部図書館外史』,p.20.

7)酒井「国立国会図書館法成立の過程」r支部図書館外史』,pp.10〜11.

8)酒井・鈴木,同上,p.10.

9)この使節団の構成の経過及び来日までの事情にっいては,酒井・鈴木の論文(注2の文献)が委細を 尽くしている。是非参照されたい。

10)羽仁五郎r図書館の論理』,同上,p.28.

11〜12)酒井「国立国会図書館法成立の過程」r支部図書館外史』p.11.

13)酒井・鈴木,同上,p.42.

14)羽仁五郎r図書館の論理』,同上,p.38.

15)酒井「国立国会図書館法成立の過程」r支部図書館外史』p.14.

16)尚,併わせてT.A.ビッソン(中村・三浦訳) r日本占領回想記』三省堂,1983,を参照された

い。

17)酒井「国立国会図書館法成立の過程」r支部図書館外史』p.12.

18)支部図書館の組織・運営について,また支部図書館創設当時の諸事情については,まとまったもの としては本書が唯一のものであろう。貴重なものであり,是非参照されたい。

19)中井 浩編r中井正一・論理とその実践一組織論から図書館像へ一』てんびん社197α

pp.88〜97.

20)会津八一r渾斎随筆』中公文庫,1978,p.119.

21)稲村徹元・高木浩子rr真理がわれらを自由にする』文献考」r参考書誌研究』第35(1989.2)

を手がかりとしてまとめたものである。

22)羽仁五郎r自伝的戦後史(下)』講談社文庵1978,pp.140〜141.

23)教科教育百年史編集委員会編r原典対訳・米国教育使節団報告書』建刷土1985,p.1α

参照

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