ベケット論争と二重処罰禁止原則
目次はじめに第一節国王ヘンリー世と大司教トマス・ベヶットの主
張についての伝統的見解
第二節二重の危険の原則の起源と﹃グラーティァーヌ
ス教令集﹄第二部第二事例第一設問の内容
第三節ボローニャ学派とパリ学派における二重処罰禁
止原則第四節アングロ・ノルマン学派における二重処罰禁止
原則第五節トマス書翰︑ギルバート書翰︑そしてウィリァ
ム・オヴ・カンタベリのトマス伝における二重
処罰禁止原則
おわりに
ベケット論争と二重処罰禁止原則
英米法における二重の危険︹の禁止︺ao匡三の万○窟﹃号︶
の原則の歴史的起源を辿る際︑必ず言及されているのがベヶ
︵1︶ツト論争における二重処罰禁止原則である︒
ベケット論争とは︑一二世紀後半にイングランド国王ヘン
リー世︵在位二五四八九年︶とカンタベリ大司教トマ
ス・ベケット︵在位二六二七○年︶との間で生じた︑主
として裁判管轄権をめぐる争いのことである︒この論争の一
契機となったのは︑ヘンリー世によって成文化された二六
四年のクラレンドン法︵以下︑年号を付さずに単にクラレン
ドン法と表記︶であり︑全一六条の中でも特に問題となった条項の一つが第三条で姦淫︒第三条の内容については本文で
後述するが︑これに対するトマスの反論点としては︑ほとん
どいつも次の二点が取り上げられている︒第一点は︑第三条
が︑犯罪を行なった聖職者に対する世俗裁判権の行使を宣言 はじめに
苑田亜矢
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