清代刑法に於ける因果関係再論
著者 森田 成満
雑誌名 星薬科大学一般教育論集
号 11
ページ 113‑122
発行年 1993
URL http://id.nii.ac.jp/1240/00000190/
清代刑法に於
ける因果関係再論
森田 成満
13 かつて︑清代刑法における因果関係の構造と機能および科刑体系全体の中に於けるその特徴や働きの解明を目的とする
﹁ 清代刑法に於ける因果関係﹂と題する小論を公にした︒︵以下︑旧稿と記す︒︶それについて︑いくつか御教示を頂いた︒
叱正の労をとって下さったことに︑心から深く謝意を表しながら︑それらの御教示に対して釈明したい︒
旧稿で記したことを極く短く言えぽ︑清代刑法に於ける因果関係は︑現代刑法学説にいう客観的相当因果関係説に類似
ヨ
する︒因果関係の存否は条件関係の存在を前提に実行行為性と因果経過の相当性の二つの構成要件該当性の判断としてな
される︒そして︑相当性の判断の仕組みはある程度類型的にとらえられる︒ただ︑個々具体的な構成要件によってこの二
つの判 断の基準が違う点は客観的相当因果関係説とは異なるのであって︑処罰の重い構成要件ほど厳しく評価される︒そ ωして︑因果経過の相当性が逓減していくのに対応して構成要件が二つ︑三つ用意されて︑具体性が高く︑絶対的に刑を法
定 している刑法の特性にも拘らず処罰のきめはそれなりに細かくなつていたということである︒
御教示の第一は︑因果関係の概念あるいは構造に関係する︒実行行為と因果関係の有無は不可分であるので︑実行行為
− 性と因果経過の相当性に分けて判断することはできないとするものである︒謀殺以外の人命事犯について︑結果から遡っ
て︑因果の線のたどりつくところが実行行為なのであって︑実行行為の有無と因果関係の有無とは本来不可分であり︑実
141 体として同じことであるとする︒また︑謀殺以外の故殺︑闘殺︑戯殺︑過失殺などは︑死亡という事実から出発してその
原 因行為が実行行為となるのであって︑未遂概念はそもそも存在しないともいわれる︒
しかし︑因果関係とは原因と結果の間の関係概念であって︑どちらから出発するというような概念ではない︒どちらか
ら出発しても同じである︒結果から見ると因果関係はないけれども原因から見ると因果関係があったり︑逆に︑結果から
見ると因果関係があるが原因から見ると因果関係がないというようなことはありえない︒
勿 論︑関係概念であるのだから当然のことながら原因と結果のいずれかが存在しないときは因果関係は存在しない︒そ
れ 故︑因果関係の有無は原因の有無︑および結果の有無と本来不可分である︒原因から因果の線のたどりつくところが結
果なのであって結果の有無と因果関係の有無とは本来不可分であり︑実体として同じことであるといういい方もできる︒
また︑因果関係は原因︑結果のどちらから出発するというような概念ではないということから︑謀殺以外の人命事犯
は︑実行行為から始まって結果が死亡という事実に至るものであって︑未遂概念はそもそも存在しないといういい方もで
きる︒
具体的 な事案に於いて結果から遡って考えているのは︑すでにはっきりしている結果から遡るのが原因を認定するため
に便利であるからであって︑因果関係の存否を認定する仕組みの問題である︒
構成要件とは実行行為と結果とその間の因果関係を主な要素とする類型的な犯罪行為の枠である︒因果関係とは構成要
件 的実行行為と構成要件的結果との間の類型的関係である︒清代刑法に於ける人命事犯の実行行為はある程度幅のある概
念であり︑因果関係は条件関係より狭い概念である︒因果関係の存否は条件関係の存在を前提にして︑構成要件が予定し
ている実行行為の枠の内にあるかどうかということと︑因果経過に着眼してその構成要件が予定する因果経過に該当する
か否かの二つの判断に分け られる︒エ80者は行為時に特殊な事情が存在したときに於ける結果に対する相当性の問題であり︑
後 者は行為後に特殊な事情が介入したときに於いて︑結果は起こったとしても因果経過に相当性があるか否かの問題であ
る︒
そ して︑ある人命事犯が予定する実行行為をなしながら死亡の結果を引き起こさなかったり︑その予定する因果経過を
経 ないこともある︒ただ︑そのときも処罰するか否かととかどのような構成要件として処罰するかは犯罪そのものの性質 ㈲ によつて決まるのではなくて︑政策選択上の問題︵ポリシ←である︒
起こった事実が故意の内容まで至っていないけれども処罰するものとして︑刑律謀殺人条にある傷害を与えたが死亡し
なかったとか︑殺害を企み現場にも行ったけれども傷害は与えなかったとかの条項がある︒意欲した事実を達成しなかっ
たという意味でそれらは未遂という言葉にまさに該当する︒因果関係は現実に起こった事実の間の関係であり︑さらにそ
論 れは構成要件の腰素であるので︑謀殺人条のこれらの条項と謀殺罪とは謀殺罪がいかに幅のある概念であるとはいつても締構成要 件が異な郁・また︑人命事犯のいわば結果的加重犯や無意犯に於いて︑その構成要件が予定する結果が生じなくて
関 け
果 も処罰することもある︒ただ︑この場合も︑処罰は違う構成要件としてなされる︒そして︑これらのことは因果関係の構因る 造を見る際︑謀殺を他の人命事犯から分けてとらえる必要がないことを示している︒け瞭 もっとも︑行為を類型的にとらえる構成要件という考え方があるか否かということと構成要件に該当しているかどうか
舷を判断する・との難易とは別個の問題であ・て︑戯殺︑過失殺は実行行為の概念が具体性に乏しい故︑それらの予定する
代
清 実 行行為︑因果経過の枠の中に入るか否かの判断がむつかしいこともある︒それ故︑先行行為と結果を見て構成要件の該 ㈲ 当性を判断することがある︒また︑構成要件の該当性を否定している事案がそれらの予定する実行行為に該当しないため田 なのか︑あるいはそれらの予定する因果経過の相当性に合致しないためなのか史料からははっきりしないものもなくはな
い︒しかし︑構成要件の該当性を否定するときはいずれにせよしりぞけるのであるから強いてどちらであるかを明示する
161 必要はない︒
御教示の第二は因果関係の内容をどのようにとらえるかという点に関係する︒清代刑法の因果関係は︑条件説をとりつ
つ常識的に見て異常な経過を辿ったときは因果関係の中断を認めるものとしてとらえるべきであるとされる︒
しかし︑実務上は安定をもたらすものであったのかもしれないけれども︑条件説をとりつつ因果関係の中断を認めるの ⑨ は矛盾である︒因果関係が果たす機能の一つは極めて異常な結果を除くことである︒ただ︑因果経過の評価をしない限り︑
因果関係の中断をなすべき事案を見つけ出すことはできない︒常識的に見てという言葉を事後に於ける裁判官の判断とし
て︑行為時の情況で平均的人間なら結果の発生を予想できたであろうという意味にとれば︑まさに旧稿でとった客観的相
当因果関係説的思考となる︒
このように︑実体的な因果関係の概念としては因果経過の相当性の存在が要件となる︒ただ︑手続き的な証明の仕組み
としてはその存在が否定されない限り相当性はあると認定される︒ことの顛末を記すことによって条件関係の存在を認め
ているだけで相当性の詮議をしていない一見︑条件説をとっているように見える事案の多くは︑因果経過の相当性の存在 ⑩ が直 感できる位に一見明白な場合だと思おれる︒いずれにせよ相当性がないとはいえないときである︒ oo
中村正人氏は筆を執って御教示下さった︒その第一は刑法の謙抑性という考え方が存在しない清代刑法には因果経過の
相 当性の考えはないということであり︑第二は相当性に責任要素を含めてとらえることはできないのであって︑因果関係
としては条件説をとった上で︑因果関係の外で責任あるいは情状による減刑を認めているとしてとらえるべきであるとい
うことである︒
しかし︑相当因果関係説的思考が本来的に近代的な罪刑法定主義から派生する刑法の謙抑性に根ざすものであるとはい
えない︒刑法の適用の広狭は実行行為性︑因果経過の相当性の評価基準の厳しさの程度にも関係する︒清代刑法は軽微な
事 案ほど実行行為性︑因果経過の相当性とも緩やかに評価しており︑刑法適用の幅は広い︒他方︑重事は二つとも厳しく
評価 された︒客観的相当因果関係説に類似する考え方は︑特に︑重事に於いて異常な結果の責任まで行為者に負わせるこ
とをなくし︑刑法を客観的で社会防衛的性格を帯びるものとする役割を果たしている︒
非類型 的な異常な経過を辿ったために減刑している事案は︑構成要件によって相当性の判断基準である結果発生に対す
る蓋然性の評価が異なるために因果関係が異なるとされた結果︑異なる構成要件として減刑しているのであって︑同じ構
成要 件の中で因果関係の外に於いて責任を考慮して減刑しているのではない︒また︑犯罪論とは別に量刑論として情状を
考 えて減刑しているものでもない︒例えぽ︑殴打することによって人を威逼し︑自殺に追い込んだとき︑闘殺とは異なる
構成要 件である威逼人致死として闘殺より一等軽く処罰するとする条例がある︒殴打して︑結局相手を自殺するに至らし
論 めているとき︑威逼人致死は成り立つけれども︑闘殺は成立しない︒原因行為︑結果︑結果に対する認識に違いはないの願であるから・因果関係に於ける相当性の墓である薫性の評価の違いとして説明するしか蕊・このように・因果関係関
果 は行為の客観面と主観面が総合され︑違法性や責任とも関係する︒このような因果関係の構造を反映し︑構成要件が違法因る 有責な行為類型となり︑それが細かく具体的なものとして数多く存在することにより量刑論と表裏をなしているところにナ を る球
清代刑法の一つの大きな特徴があぷ︒
継 ちなみに・因果関係の内容に関しては・中村茂夫博士も条件関係は存在するけれども・因果関係が否定され過失殺にな代 oo
清
らない事案を紹介されている︒
7 ところで︑中村正人氏も述べられているように︑この論争の持つ意味は小さくはないと思われる︒因果関係の構造や因11 果 関係の内容の解明を通して構成要件の有無や性格を明らかにできるのであって︑それは清代刑法の本質に関係する問題
181 である︒因果関係の存否の認定を実行行為性と因果関係の相当性の二つの判断に分けることはできないという考え方は構
成要件 なるものを考えないときに親しむ︒構成要件がなけれぽ構成要件の該当性を考える判断はあり得ない︒また︑因果
関係は条件関係があれぽ存在するとしてあとは責任の問題として処理するという考え方は︑構成要件がなかったり︑それ
を違法な行為類型として考えるときに親しむ︒しかし︑清代刑法には処罰される行為と処罰されない行為をはっきりと限
界づけ︑個々の犯罪を他の犯罪と区別する働きをする構成要件が存在する︒そして︑構成要件を違法で有責な定型的行為
の類型として考えているので︑それは犯罪類型とも言いかえられる︒それ故︑構成要件は犯罪個別化機能を徹底して果た
している︒例えぽ︑過失殺は有意犯と責任の段階で区別されるものではなく︑過失殺には固有の実行行為性と因果経過の
相 当性があり︑構成要件の個別化に役立っている︒過失殺固有の構成要件があるのだから︑その人の行為に因ることが明
らかになっただけでは足りず︑実行行為性と因果経過の相当性の判断が必要である︒そして︑因果経過の問題を因果関係
とは別の責任や情状として処理すると︑刑法は行為者に着目した主観的性格の強いものとなる︒しかし︑清代刑法は定型
的行為が あるか否かを中心にして構成され︑客観性が強い︒官は人民が平均的人間として行動するように期待していたの
である︒
註ω 星薬科大学一般教育論集第八輯︵一九九一年︑全五六頁︶︒
② 裁判という事後における裁判官の判断として︑実行行為が終わった時点において存在した事実を基礎にして︑平均的人間ならそ
の結果の発生をどの程度予想できるかを考えて相当性の存否を考える︵旧稿一=二頁︶︒そして︑行為者の主観を離れ︑客観的事実
を基礎にして平均的人間を基準に考えているので︑旧稿に記したように相当性を客観的色彩の濃い類型に分けられる︒
㈲ 旧稿では自然的因果関係という言葉を使った︒
ω 本来︑人命事犯のような重事については︑構成要件は成文化されているものに限られている︒ただ︑ときに比付による構成要件
論 も存在する︒比付を成文法の類推解釈と理解すれば不文の構成要件は存在しないのかも知れないけれども︑比付は新しい法の定立 であると考えれば不文の構成要件が存在することになる︒また︑軽微な刑事事件は成文法によらないこともある︒中村正人氏は旧 稿を法理は成文法であり︑調整法理は情理によるとしているとして紹介されているけれども︻中村正人書評︷註⑪︸三〇四頁下段﹈︑ 法 理︑調整法理と成文法︑不文法は必ずしも対応しない︒
㈲ 偽証罪のように実行行為だけが問題となるいわゆる挙動犯であれば︑未遂概念はそもそも存在しない︒しかし︑人命事犯は実行
行為だけではなく結果の発生を要求する結果犯である︒
⑥ 現代刑法における殺人未遂罪も殺人罪の構成要件に該当するとした後で︑責任が減少するから刑罰を軽減するのではなくて︑構
成要 件の重なるところはあるけれども︑それが修正されてそもそも殺人罪の構成要件に該当しない︒殺人の未遂罪と構成して殺人
罪を意識した構成要件としているのは殺人罪を量刑のための参考にしようとしているからである︒
ω 例えば︑後述の ︵本稿二七頁︶条例では︑闘殺の実行行為には該当するけれども︑因果経過の相当性がないため闘殺は成立し
ない︒しかし︑威逼人致死に該当する範囲でそれは処罰される︒
⑧ 旧稿に於いて︑過失殺とは正常な行為をしていて死亡の結果をひきおこすものであるとの中村茂夫博士の考えに対して︑不正常
︵広く反社会的︶な行為から死亡の結果をひきおこしている過失殺の事案が存在することを紹介した︒︵旧稿一〇三頁︶それに対し
再 てそこで博士が言われている正常な行為とは不可罰の行為という意味に理解するべきであり︵それ故︑過失殺の未遂処罰はない︒︶︑昧 反社会的な行為であ・ても不可罰であれば正常な行為に含まれるという趣旨の御教示を得た・しかし︑不可罰の行為から死亡の結
醒 果をひきお・したというだけでは︑望ば︑争いの籍を作ったものを処罰する不応為条の適用の一場A・との区別をつけられない︒る ︷中村茂夫﹁不応為考ー﹁罪刑法定主義﹂の存否をも巡ってー﹂︵金沢法学二六巻一号︶五頁︑六頁︸︒ナ榔 過失殺は正常な行為をしていて死亡の結果をひきおこすものであるという考えは︑過失殺を認定する仕組みから概念を定めよう
涼 としている点で︑因果関係を結果から遡・てとらえて説明するのと︵霜二三頁工西頁︶その発想響しい︒刑案や判語史
刑 料には認定の仕組みに沿った経過が記されている︒しかし︑認定の仕組みではなく︑史料の文言の奥に潜む過失殺とか因果関係の酬 概念そのものをとらえる・とが藷なのである︒やはり︑実体的概念そのもの暑眼して規定するのが・いのであ・て︑認定のた
めの仕組みに着眼 していわば外側から必要かつ十分に定義することは︑できなくはないとしても大変むずかしいことが多いし︑課
19 題に対して正面から的を射た解答ではない︒
1
例 えば︑筆者はかつて清代に於ける土地所有権法の仕組みの解明を目的とする論稿を公にした︒︷﹃清代土地所有権法研究﹄︵勤草
出版サービスセンター︑一九八四年︶︸論稿は所有権の主体・客体︑所有権の効力︑所有権の変動︑所有権の負担に着眼して所有権む12 の存在の仕組みを明らかにする部分と所有権の司法的保護に関係する部分に大きく分かれる︒そして︑司法上の保護の準則︵法理︶
の中には︑いくつかの事実に優劣をつけることによって所有者を決める便宜的な準則があることを記した︒それはいわぽ所有権の
帰属を認定す るための仕組みである︒所有権を官がどのようなものとして位置づけているかということ︑すなわち︑所有権の定義
は上記の所有権の存在の仕組みとして明らかにされるのであって︑もし︑所有者を認定するための仕組みを示すことによって所有
権を定義するとしたら余りにからめ手に過ぎる︒
⑨ 旧仙禍一三六頁︒
⑩ 史料には︑何々が原因である︵﹁因⁝﹂︑﹁因⁝所致﹂︶といったり︑あるいはことの顛末を記すことにより因果関係の存在を示し
ている事案が多い︒ただ︑それが条件関係の存在をいっているのか相当性の判断までなしているのか︑文面からは必ずしもはっき
りしないものもある︒しかし︑因果関係の存在を認めている事案については︑進んで相当性が明らかになれば勿論問題はないけれ
ども︑たとえ相当性の存在の証明が記されていなくてもよい︒因果関係の存在が否定されているときに於いて︑条件関係の存在が
否定 されたのか︑条件関係はあるけれども因果関係の存在が否定されたのかが問題なのである︒そして︑後者の事案があれぽ条件
説は成り立たない︒
oo 中村正人︷法制史研究四二︵法制史学会︑一九九三年︶三〇四頁〜三〇七頁︸︒
⑫ 旧稿二四三頁︑ 一四四頁︒
⑱ 中村正人氏はその論述の多くをさいて︑筆者が旧稿で引用した馬秋林の一案を取り上げて批判されている︒因果関係の基本的理
解に関係するだけではなく︑筆者と氏との意見が対立するところでもあるので︑多少細かく検討したい︒まず︑原文と訳文を記し
て︑事案をもう一度紹介しておく︒︵旧稿=一二頁︒刑案醒覧巻三〇︑闘殴及故殺条﹁直督 盗馬秋林因伊族兄馬添林被王洪俊等按
殴遅
往 鴛護互相殴打云々︑道光二年案︒﹂︶
直督 盗.馬秋林因伊族兄馬添林被王洪俊等按殴.趨往誓護.互相殴打.王洪俊同常春光従茶鋪後門逃走.馬秋林以王洪俊係
殴 馬添林之人.意欲提與不依.因斜披窄小難行.姑立嘆罵.以致王洪俊回顧閃落河内.常春光亦因驚慌失鉄落河.王洪俊経救得
生.常春光沈麓溺命.査常春光落河歳所.與馬秋林立往嘆罵之虜.相距十有鹸丈.前面有路可行.並非十分危険.如馬秋林殴王
洪俊落河.以致同行之常春光由此堕水姥命.罪難軽縦.今馬秋林僅止在後立往嘆罵.而王洪俊相随常春光走避已遠.因聞罵驚慌.
先後失足落河.致常春光被滝身死.第核其常節.究與趨殴落河.殊有区別.況例内謀殺已行.其人知覚奔逃.或失鉄.或堕水.
難未受 傷.因謀殺奔脱.死於他所者.造意之人.尚止満流.若以行殴打之案.既非趨逼落河.亦迫於兇惇.不過因聞罵驚慌.奔
逃失鉄.致将同行之人.堕水掩整.比類参観.馬秋林其罪亦止流戊.惟馬秋林曾用腰刀孜傷斯保.応従重照兇器傷人例.擬軍.
︵直隷総督の報告にょると︑馬秋林は彼の族兄の馬添林が王洪俊たちに押され殴られたので︑走っていって助け守ろうとし互い
に殴 打しあった︒王洪俊は常春光と茶店の後門から逃走した︒馬秋林は王洪俊が馬添林を殴った人物であるので︑何としても
追いかけたいと考えて我慢できない︒斜面の坂が狭小で進めないのでまっすぐ立って大声で罵ったところ︑王洪俊が振り返っ
て身を
翻 して河の中に落ちた︒常春光もまた驚き慌てて足を踏み外して河に落ちた︒王洪俊は助けられて命びろいをしたが︑
常春光は沈んで溺れ死んだという︒
調べたところにょると︑常春光が河に落ちた場所は︑馬秋林が立ち止まり大声で罵った処と相隔たること十丈余りあり︑前
方には進める道があってそれ程には危険ではない︒馬秋林が追いかけて王洪俊を殴って河に落とし︑同行の常春光もそれによ
って水に落ちて命を失ったのなら︑罪を軽くして適当にすませる訳にはいかない︒今︑馬秋林は僅かに止まって立って大声で
罵っただけであり︑王洪俊は一緒に常春光と歩いて身を避けて既に遠くにいた︒罵りを聞いて驚き慌てて前後して足を滑らせ
て河に落ち︑常春光は溺れて死亡した︒ただ︑その情況を調べてみると︑追いかけて殴りつけて河に落とすのとは特に違いが
ある︒いわんや︑条例には謀殺に既に着手して︑その人がそれを知って急いで逃げてあるいは足を取られ︑あるいは水に落ち
論
再 たりして︑また傷を負わないときでも︑謀殺から逃げ出し他の場所で死亡したとき︑造意の人は満流に止めるとある︒殴打し嚇 た藁で追いかけて河に落としたものでもないし︑凶暴さ匡倒された訳でもなく︑罵りを聞いて驚き慌てて急いで逃げて足
果 を取られて︑同行の人を水に落として溺死させたに過ぎないということで︑比較してみれば︑馬秋林のその罪もまた流罪に止因る まる︒ただ︑馬秋林はかつて腰刀を使って傷つけているので︑重きに従って兇器傷人の例に照らして軍罪に処するべきである︒︶ナ抱 まず︑問題になっている構成要件についての旧稿の考え方に対する氏の理解に誤解があることを記しておかなければならない︒
に 氏はこの事案に対する筆者の理解を︑﹁馬秋林が後方から大声で罵った行為と︑常春光がその声に驚き慌てて足を踏み外して河に落法
刑 ちて死亡 したという結果との間に因果関係が存在﹂しないものとして紹介されている︒しかし︑旧稿はこれを事件の発端である馬齢 秋林等と王洪俊たちの殴り合いと︑常春光の死亡との間の因果関係の存否を閨にしている藁としてとらえたのである︒そして︑
確かに闘殴の情形は存在するけれども︑闘殺という構成要件に該当するための因果関係はないとしているとした︒殴打という実行
21 行為は闘殺が予定するそれに該当するけれども︑因果経過の相当性が闘殺の予定するものに該当しないために闘殺は成立しない︒
1 ただ︑殴打から逃げ出した同行の人を驚き慌てさせて水に落として溺死させたという犯罪は成立するのであり︑謀殺の条例を参考
にして流罪に処するべきであるとしている︒ 12 氏は闘殺の構成要件に該当するとした後で︑責任ないし情状を考えて減刑されていると理解される︒しかし︑該当する構成要件
が既に闘殺ではなかったとしてとらえるべきである︒史料に即していえば︑結局︑﹁第核其情節.究與趨殴落河.殊有区別﹂の部分
を どのように理解するかということに帰結する︒旧稿はこれを闘殺の構成要件に該当しないと理解したのに対して︑恐らく氏はこ
の部分を闘殺には該当するけれども︑責任ないし情状が軽いと理解されるものと思われる︒
⑭ もっとも︑例外的には︑行為を要素とする構成要件の中に含まれない量刑の事情もある︒︵旧稿九六頁︑九七頁︑百頁︑百四九頁
〜百五一頁︶例えば行為後の情況のような行為と関連しない事柄によって刑が加減されることもあるし︑老幼年者や身体障害者の
刑事責任のように犯罪行為能力と受刑能力のような行為時と行為後の二つにわたる概念によって処理することもある︒
⑮ 中村茂夫﹃清代刑法研究﹄︵東京大学出版会︑一九七三年︶︑九三頁︑九四頁︒