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芙美子論修正:「稲妻」をめぐって

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芙美子論修正:「稲妻」をめぐって

著者 森 英一

雑誌名 金沢大学語学・文学研究

巻 29

ページ 1‑3

発行年 2001‑09‑30

URL http://hdl.handle.net/2297/7053

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芙美子論修正

以一則小著一林芙美子の形成』二九九二年五月有精堂刊)を著したが、その後記述の誤りに気がついた。遅まきながらこの機会に訂正したい。それは「稲妻」をめぐるもので、同書一六○ページの次の部分である。その初刊は「純粋小説全集第六巻』(昭Ⅱ.n刊有光社)である。これに「蝶々館」や王星管賦」等々と一緒に所収され

たのである。この初刊本をテクスト⑧と称する。 以下、雑誌所収のテクスト㈲とこの⑧との本文異同を巡る問題

に触れているのだが、何を勘違いしたのか初刊本を『純粋小説全集第六》童と記してしまった。しかし、正しくは、『林芙美子長編小説集第一一一些苣(昭十一一一・九・十六中央公論社刊)と述べるべきであった。改訂版を出すこともなく、現在に至ってしまったが、

とりあえずは、小著をご利用の際は、⑧をそのように読み換えて l「稲妻」をめぐってI

いただければ幸共一である。この誤りはそれとして、現在でも「稲妻」をめぐっての基本的考えにかわりはない。

ただ、この鍵陛云に小著で触れる事が出来なかった占艸について改めて述べてみたい。まず「稲妻」をめぐる書誌的事項を整理してみる。(二昭和十一年一月~九月(但し、八月号を除く)「文藝」(一一)「純粋小説全集第六巻」(昭十一・十二・十八有光社)(一一一)『林←未美子長編小説集第一一一巻』(昭十三・九・十六中央公論社)(四)三柚一重(昭一一十一・五.三十飛鳥書店)(五)扉芙美子全集第五樂菖(昭二十七・四・二十八新潮社)

森英一

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(六)請聖童(昭二十八・一一一・’’’十一新潮等杢星,これらの中で、(一)と(二)の本文は同じだが(|)は巻末を全全乎で閉じているのに対して、(二)は全皿一馬噂として終了しているのが注目される。両者問に本文の異同が見られないので、おそらく芙美子は(二)の後に念竪旱を書き始める積りだったのであろう。それが「稲妻l紗璽早(|)‐」(昭十一一・二『文学塁)である。ただ、その後何らかの事情でその続きを誌上で一王叺させることが出来なかった。そこへ、(一一一)の企画があり、(一一)のままを良しとしなかった芙美子は書きかけの「稲妻l溌墜旱(|)‐Lを脇において、(二)に加除訂正をすることによって、一応の完成を図る道を選択したのではないかと緤獲正される。それが(三)だ。小著でも指摘したように(三)は(|)(一一)の約十二%分が増えている。それだけではない。一杢旱の添削もかなり念入りに行っている。例えば、何も言ふことがないので、少時く一一人は黙ってゐたが、朝から陰気な空あひで、雪の前触れのやうに雷が段々と鳴り始めた。(応じ二人はまた黙ってしまった。柱時二計がぽんぽんぼんと湿った音をたてて鳴ってゐる。障子の腰硝子から四坪ばかりの小さい中庭が見え、挨をかぶった八つ手の(略弓 冒頭の数行から引くこの例から知れるように念が入っている(1部は加除をざ土。ところで、(三)に「創作ノート」が付されたが、そこで次のように述べる。これは「文藝」に何年もつずけたい意欲でとりか、ったのだけれど、途中から力弱くなってしまった。(略)白厘口の衆と云ゐすてきれない幼い民衆のなかにも、こんな生涯があると云ふことを書きたかった。ここで述べるように芙美子は当初の意図から後退したけれども作品はそれなりに完成したことを認めている。従って、これを初刊本と判断する。(四)は(三)とほぼ同一の本文だが、ラストの〈暗い空に、細い稲妻が一筋二筋一瞬の早さで遠く走って行ってゐる。〉の〈細い〉が〈白い〉に直されているのは、注目すべきであろう。|一一ごうまでもなく、この方が檸旦泉が強く印象付けられるからである。また、これにも「稲妻に就いてのノート」という一文が付されている。しかし、その内容は(三)のそれとほぼ同一である。(五)は西)の本文を受け継ぐが、(六)は(一)と不足分を(四)以下か且梱7という不思議な本文を採用する。以上の検討から知られるように、作者は生前、その欲求に従って何度もこの作品に手を入れている。その結果、我々は幾種類も

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のテキストを持つことになった。しかし、それはそれとして、読者にとっては作品のその後の展開についてはやはり気になるとこ

例えば、綱吉の子を縫子はどうするつもりなのか。清子と国宗の関係はどのように進展するのか。満州へ渡った嘉助はどうなるのか。何よりも、光子、縫子、清子の三姉w妹の将来は?母せいは三人の娘達と暮らせるのか、等々。これらの行方を示すとしたら、現在我々が手にするテキストに倍する量を必要とするだろう。し

その代わり、作者は全てを稲妻と共に断ち切って読者に委任する形で詞塑董を完成させたのである。そこに彼女が白狭圭義文堂者・徳田秋声の紛れもない弟子である事を知る(小著『秋声から芙美子へ』一九九○年十月能脊印刷・出版部)。我々昼牙えられたテキストを受け止めるしかない。孚鱒玄警且 ろである。かし、作者はそれを生まなかった。

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