静岡大学教育学部研究報告 (教科教育学篇)第35号 (2004.3)61〜82
二面的開示の視点からみた数学教授 と教授過程の内省に関する研究
Research about Reflection on Mathematics Teaching and Teaching Frocess
from the viewpoint of Dual Indication
両 角 Tatsuo
(平成15年10月 1日受理
)
1.「
問 うこと」 について「人間 とは間 う存在である」とい うボルノー(1997)の言明に代表 されるように、我々は間 うことを通 して様 々な事柄 に気づき、深 く思考 してい く。 さらに、間 う過程の中で他者 との差異性や異質性を意 識す ることにより「 それまでの自己にはない新たな観方で物事を捉えようとすること」「 自己をみつめ るきっかけを生む こと」「変容 した自己を認識す ること」が行われ る。すなわち、間 うことを通 して
「 自分の言動、思想、意識などの内面を深 く省みる」という内省する活動が促 されてい く。(両角,2003) ボルノーは「 問い」について、私への問いへの答えが私に一定の情報を与えて くれる「 イ ンフォメー ションの問い」 と人間にとってこれまで自明的であったことが疑わ しくなったときに成立する「 内省 の問い」の2種類があると述べ、「 内省の問 い」と他者の意識 に基づ く対話の重要性を述べる。 さらに ボルノーは「人間は世界に開いた存在 として間 うことができ、また自分の問いに答えることによって 自分の世界を広 げることができる」 と述べ、問 いにょ り主観か ら客観へ、客観か ら主観へ双方向に開 示 され ることを主張する。 ボルノーに代表 され る教育人間学では、陶冶活動 に向けて「問 うこと」 を 非常 に重視 している。
一方、数学教育学 において も「問 うこと」は非常に重要な要素である。岡本(2001)は、次の教育観の パ ラダイム変換に基づ く生徒が数学する数学授業、有意味学習論に基づ く数学授業を提唱 している。
その教育観 とは、次の言明で表 される事柄である。
「 生徒のあ り方 :「問われ る生徒」か ら「間 う」生徒ヘ 教師のあ り方 :「教える教師」か ら「学ぶ」教師ヘ 授業のあ り方 :「管理」か ら「保障」ヘ
「正 しい」解決か ら「価値ある」解決 と創造へ」
「問 う」生徒、「学ぶ」教師など、岡本の提唱するパ ラダイムの基軸には「問 うこと」の重視がある。
生徒が数学す る数学授業は「学習内容の概観、 自分の「問い」を もつ こと、「 問 い」を追求す ること、
新たな「問 い」 を もつ こと」の4つ の段階を経 る。一連の授業の場を設定す る際の教師の教材研究で は、教師が自ら「問い」を持ち、新たな題材観や授業 に対する価値観をつ くることが要求 される。 ま た、生徒の学習において も「問い」を軸に授業が展開 されていく。教師、生徒双方に「 問い」の意識 61
男 獅
0
達 Mor
を高 くもつ授業形態 といえる。
岡本の提唱する教育観を実践に移すためには、十分な教材研究や題材観、当初予想 されない「 問 い」
に対す る姿勢、共 に学 び新たな ものを追求 してい く姿勢など、教師に高 い力量が要請 され る。教師 に 対す る負担度 は大 きいが、生徒が数学する数学授業が うま く機能すると、確実 に型 にはまった授業か
ら、躍動感あふれる授業が形成できる。
現在、浜松市立村櫛小学校では、「躍動する算数学習」 というテーマの もと、「問 うこと」を非常 に 重視 した実証的研究を進めている。例えば、村櫛小 における最近の算数の授業運営は、学年進行によ る発達を加味 した3段 階のね らいを踏 まえ、「子 どもの問 いを生み、子 どもの問いを活か した算数授業」
を重視する。(2003)
【村櫛小学校の算数授業でのね らい】
低学年 :自分がや ってみたいことや不思議に思 った こと、知 りたいことをみつけることができる。
中学年 :み んなのや ってみたいことや不思議 に思 ったこと、知 りたいことを仲間分 けする。
高学年:みんなの学習 したいことを仲間分 けした ものを基に、順序を決めて学習の計画を立てる。
村櫛小学校 は54年間に渡 って、算数研究を継続的に行 っているところである。歴史的に培 ってきた
「対話 を通 して互 いの考えを練 りあい、追求す ること」「 学習を支える環境 として多様な状況を創 り出 す こと」などの研究 と関連 しあい、興味深 い算数授業、そ して意欲的な研究が行われている。
一方、Jaworski,et al(2003)は 、問 いを起点 とした社会数学的活動が生徒の数学学習におい て本質 的であること、数学教師にとって教育実践を内省すること、内省をするために同僚 と対話を した り問 うこと、内省をより深めるために異質な他者、特に指導的教師 と対話をすること、な どの必要性を指 摘す る。Jaworski,et alの 言明には、学 びの入 り口、教育実践の内省や諸判断における「問 うこと」の 重要性が主張 されている。 また、「 問 うこと」に関連 して、教師の自律性、教師の同僚性 について言及 する。前者は、「 問 うこと」に対 し、それぞれの解釈や判断ができる自由度の保障である。後者は、「問
うこと」 に対する質、「問 い」 に対する解釈の質を高 めることへの要請である。
「問 うこと」によ り、生徒、教師それぞれが、客観的な事柄 に関わる理解や洞察を深めるだけでな く、
客観的な事柄 に即 して私 自身の内省が促 されるといえる。本稿では、「間 うこと」を契機 に した教師の 数学教授 と教授過程の内省 について、論 じてい く。
2.研究の目的 と内容
本研究の目的は、内省の過程 として二面的開示を捉え、数学教授 と教授過程の内省 において三面的 開示の考えが反映で きること、を示す ことである。そこで、次の3つ のステ ップにより、「数学教授 と 教授過程の内省」と「二面的開示の考え」との融合を論 じる方法をとる。1つ目は、内省の過程 として 三面的開示を捉 え、二面的開示の機能および二面的開示を促進す る問 いを明 らかにす ることである。
2つ 目は、数学教師の力量形成の視点か ら語 られる「数学教師による数学教授 と教授過程の内省に関す る最新の先行研究」に着 日し、その概要を明 らかにすることである。3つ 目はヽ数学教授 と教授過程の 内省に関する先行研究 と二面的開示の考えとの融合を、「二面的開示を促進する問い」を踏 まえて考察 す ることである。
二面的開示 に関わ る先行研究 として、 クラフキ らに焦点をあて継続的 に研究を進める渡邊の論稿、
理論 と実 践 との統合、教 師 一指導 的教 師 の対 話的/有 機 的 な体 制 の重要 性 を主 張 す るRuthven, Jaworski,Zaslavsky,et alの 論稿 に着 目する。
二面的開示の視点からみた数学教授と教授過程の内省に関する研究 63
3.二面的開示の考え
二面的開示 とは、クラフキによって提唱 された ものであ り「主観 と客観 との相互作用により行われ、
客観の側では一般的な内容 0本質的な内容が明 らかになることであ り、 それに即 して主観の側では一 般的な洞察0経験、即 ち様々な内容を獲得するための範疇を身 につけること」(渡邊,1994)、「陶冶 とは、
これを客観的側面か らみれば、現実のさまざまな内容を解明するためのかぎ、つまり、範疇 となる一 般的・基本的内容が明 らかになることである。 これを主観的側面か らみれば、一般的 0基本的な洞察、
体験、経験、つまり、さまざまな内容を獲得するための範疇を身につけることである。」(高久,1968)で ある。
クラフキに関する継続的な研究を している渡邊の様々な論稿を もとに解釈すれば、二面的な開示 と は次のよ うな図式で表せ るものといえる。
[主観 と客観の軸を行 き来す る二面的開示の解釈
]
クラフキは二面的開示の事例 として、実際に実験可能な状態か ら理想化 された状態 を思考 してい く
「 月 とその運動」の思考実験の学習例を挙 げる。
「 月 とその運動」の学習の起点 となるのは「大気圏を突 き抜 ける高 い山の頂か ら石を強 く投 げた らど うなるだろ うか」 という問 いである。 この問いに対 して、一定の初速度 に対 して石は地球の内部 に落 ちることがな く、地球の周 りを一回転 し、円軌道を描 いてい くという「慣性の法則」 に関わ る学習が 行われ るとい う。渡邊 によれば、「 大気圏か ら突 き抜 ける高 い山の頂か ら石を投 げる」 という場 には、
単純な例で純粋な思考を扱 っていること(古典性)、 子 どもにとってのイメー ジの しやすさや論理上の つなが りが期待できること (客観性)が、一般的内容 として コーテレングされているという。 さらに、
客観性や純粋 な思考に刺激 される形で、その思考方法などが物事を捉える上で役 に立つ こと(機能性
)
や類似 した事象 における方法 (方法性)を身につけさせ るという。
主観か ら客観 にある「範例」に働 きかけ、その範例に関わる「範例的なもの」を意識・ 顕在化する ことを通 して、前述のような古典性や客観性を知 る。その範例的な ものに即 して、主観の側では機能 性や方法性な ど、物事を捉える基本的な枠組み (範疇)を獲得 したといえる。
この過程は「意識→表現・顕在化→了解→内的同化」のサイクルで表現することができる。
物事を捉える 基本的枠組み
(範疇)の獲得
具体的事例など
(範例など
)
一般的/本質的な内容
(範例的な もの,
純粋な思考連関
)
範疇の精緻化
ここで了解 とは「客観における一般的/本質的な内容を、主観の体験、 自己移入、追体験 など主観 との兼ね合 いを踏 まえて捉えようとするプロセス」である。了解が進み、主観の側で物事を捉える基 本的な枠組み、その ものへの思考が行われることを内的同化 とする。
クラフキによる二面的開示の考えは、次の図式のように陶冶の主観的側面 (形式陶冶)と陶冶の客 観的側面 (実質陶冶)を上揚 した範疇的陶冶の考えが基調 にある。
4.二面的開示 を促す問い
クラフキの提唱 した二面的開示は、主観か ら範例 に働 きかける「主観→客観」 という動 き、そ して 明 らかになってきた範例的な ものに即 して「客観→主観」 という動 き、双方の動 きが生 じ思考が深 ま ることである。 この二面的開示の考えは、範例的教授・学習論を支える重要な考えである。大高(1999)
は、 ヴァーゲ ンシャイ ンの論稿 にみ られ るアスペク トカラクター (アスペク ト性の見解)などにつ い
て詳細な検討 を行 っている。 アスペク ト性の見解は、次のように二面的開示の考えを反映 している。
[主観→客観]物理学の観方により、 自然の様相 (断面)を知 る。その ことにより、私 にと ってのそれまでの自然の観方が変わること。
[客観→主観]「ある観方か ら自然や対象を捉えている私」を意識す ること。
ある観方 に限定 されている私を意識することにより、 より多様な観方で捉 え ることの必要性を感 じること。 さらに、限定 されて捉えていた私の狭 さを意 識 し、 自然 に対する畏敬の念を抱 くこと。
主観か ら客観へ、客観か ら再 び主観へ、 という連続的な動 きにより、内面を捉えてい くことは内省 の過程 その ものといえる。
では、「意識→表現・ 顕在化→了解→内定同化」の過程を促進するものは何か。
次の①〜③の問いが、このサイクルを促進するものではなかろうか。
`
①
②
③
□ って何だろうか?
□を知 っていると、 どんないいことがあるのだろうか?
□を学ぶ ことが、私 に何を語 りかけて くれるのだろうか?
例えば、「
15°
という角」を□として考えてみる。「①
15°
という角 って何だろうか?」 の問いに対 しては、「三角定規の先端よりもずっと小 さな角」「 なだ らかなスロープの傾き」「時計の時刻を示す数字 と数字の間の角」「分度器を使 って測 り、示すこ とのできる大きさ」など多様な答えが出てこよう。
15°
という角に関するイメージや概念が、語る側の 学習経験や関心事などをもとに、多様な言葉で表現 されて くる。①により生 じるのが、15°
という角 の「意識」および「表現・顕在化」である。‐
〈陶冶の主観的側面〉
様々な内容を獲得する ための範疇を身につけ ること
〈陶冶の客観的側面〉
現実の様々な内容を 解明するための鍵を 身につけること
範 疇 的 陶 冶
二面的開示の視点か らみた数学教授 と教授過程の内省に関する研究
続 いて「②
15°
という角を知 っていると、どんないいことがあるだろうか?」 というよさに関わ る間 いに対 しては、「15°
は、1組 の三角定規を、辺が共有す るように組み合わせてつ くることができる角 である。 また、1組 の三角定規を、辺が共有するよ うに組み合わせてつ くれる角は、すべて15°
の倍数、である。」「三角定規の角はすべて
15°
の倍数である。図形の中でよ く使われる角は、15°
が基 にな っ ているのではないだろ うか。例えば、1時間を15°
の回転移動 とみれば、15°
は一つの「単位」とみる ことがで きる。」「正三角形や二等辺三角形に補助線をひくと、15°
の角が出て くる場合がある。加法 定理の意味を典型的な図を伴 って学習す るときに、15°
に関わる図を用 いる。15°
の角の場合 に着 目 す ると、興味深 い図形の性質が出て くるのではないだろうか。」など、多様な答えが出て こよう。 こう したよさを表現 していくことを通 し、「表現・ 顕在化」や私の こととして対象を捉えよ うとする、「 了 解」の段階に至 る。②の問いを踏まえ、了解 としての思考をより深める問いが「③
15°
の角を学ぶ ことが、私に何を語 り かけて くれるのだろうか?」 である。例えば、1組 の三角定規の組み合わせを強 く意識 したならば、三 角定規のもたらす神秘性、不思議さ、美 しさ、さらに15°
を基準に捉えた角の世界のおもしろさなどが 答えとして出る。そして、15°
という角をきっかけに、改めて「角 とは何か?」「角を知ることのよさとは何か?」 という問いが生 じるかもしれない。
[二面的開示を促す問 い
]
③□が私に何を 語 りかけるのか?
③□が私に何を 語 りかけるのか?
3つ の問いにより、「主観から客観へ :①→範例に関する意識や概念を高めていくこと→①,②→範例 的なものを表現すること,一般的/本質的な内容を顕在化 していくこと→客観か ら主観へ :② ,③→私 にとっての意識の高まりと了解→③→私の変容を知ること→改めて①→¨・」と、二面的開示が促 され ていく。
実際に行われた授業の流れを通 して、①〜③の問いが二面的開示を促すことを示 したい。
例えば、今年の5〜6月 に静岡大学教育学部附属浜松小学校の鈴木教諭によって行われた円 (小学
4
年)に関する一連の授業では、次のような系列で実践 されていた。まず、鈴木教諭による授業では「丸凧 って何だろう?」 という問いが起点 となり、丸凧についての 感覚、既有の知識、実際の丸凧か ら得 られる直観、それらに基づ く丸凧の概念づ くりが行われる。そ 65
①□って何だろう?
のよさは何か? 物事を捉える
基本的枠組み
(範疇)の獲得
範疇の精緻化′
具体的事例など
(範例など
)
一般的/本質的な内容
(範例的な もの,
純粋な思考連関
)
して、丸凧か ら形を抽出 して得 られる円に焦点があた り、「 円って何だろう?」 という範例が主たる話 題 とな っていった。
「 円って何だろうか?」 の問いに対 しては、外側か ら直感的に円を捉えようとする見方、内側か ら円 を捉えよ うとする見方、対角線など当初みえない要素を意識 して円を捉える見方、内側 と外側 との捉 えの関わ りを意識 した見方 により、円を物語 る言明が多様 に出る。
例えば、外側か ら円を捉える見方 として、上下左右同 じようにみえる図形、 ボールなどをスパ ッと 切 った ときにできる図形、直角な どとが った部分のない図形、直線で囲 まれていない図形な どが挙 げ られる。内側か ら円を捉える見方 としては、ひごの一方を固定 して ぐるぐるっと回す ことによりみえ る図形、同 じ長 さの何本かのひごをlヶ所で次々とたばねることによりできる図形、中心を通 る直線で どのよ うに折 り返 して もぴった り重なる図形、ある点か ら等距離 にある点の集 まりとして描 ける図形 な どである。
感覚的なまんまるではな く、円とは何かを知 り、円のかき方を知 つた上で「丸凧の設計図を書 くこ・ とができ、実際に丸凧が作れる」という体験をすること。 これは、②の問いに関わることといえる。 さ らに、「丸凧をつ くる際にどのように竹 ひごを等間隔に置 くか、何本の竹 ひごな らばよいか」など、機 能や方法に関する問 いも生 じている。 こうした問いは、改めて円とは何か、直径 とは何であ りどのよ うな機能があるのか、等間隔を長 さで語 るか角度で語 るか、などの学習 に発展 され、各 自の丸凧づ く りの切迫感 と共 に了解の状況 に至 っているといえよう。 また、授業の中では、マ ンホールや立体 ゴマ など、円や円の中心 にさらに注 目させ る話題が展開 される。マ ンホールが円形であることの不思議 さ と下 に落 ちることがないという機能性や安定性、物事 には中心があることによる調和や美 しさ、転 じ て物事 の判断 において、円やその特徴を捉えるような思考方法が可能なのか という観方など、③の間 いに関わ る議論がなされている。 この一連の円の授業を通 し、調和、安定、美 しさ、不思議 さなどに 関わる範疇が形成 されてい く。
[鈴木教諭による一連の円の授業]
①,丸凧から範例「円とは何か」ヘ
①,②,円とそ
,の
性質の認識②,形を抽出するよさの認識
②,③,改めて①、有用性、方法性など
①,②,内側から円をとらえる見方の深まり
丸凧 つて何だろうか?(丸凧の仕組みへの着 日
)
円つて何だろうか ?(円 とその特徴の明確化
)
丸凧を実際につ くってみよう
(調べて明らかになった円の特徴を使おう
)
学校の中やまわりにある円を探 してみよう
円の特徴がうまく使われているものを探 してみよう
―マンホールの仕組み―
立体 ゴマの特徴を調べてみよう 一中心 って何だろう一
改めて円つて何だろうか ?
②,③,範疇の獲得と意識
二面的開示の視点か らみた数学教授 と教授過程の内省に関する研究 67
5.「理論 と実践 との統合」 と「教師 ―指導的教師の対話的/有機的な体制づ くり」 に関する 先行研究 と二面的開示 の考えとの融合 に向けて
数学教師 としての専門的な力量を形成 し、その力量 を高 めるためにはどうすればよいか、 という研 究が最近多 く行われるよ うになってきている。例えば、Journal of Mathematics Teacher Education, Second lnternational Handbook of Mathematics Education(2003), Handbook of lnternational Reserch in Mathematics Education(2002)な どでは、数学教師 としての専門的力量形成に関わる論稿 が多 い。 これは、International Handbook of Mathematics Education(1996)の 頃には強 くみ られなか った傾向である。TIMSSな どの国際比較調査、TIMSS Video Studyな どの研究動向、Teaching Gapな どを きっかけに した授業研究(Lesson Study)へ の国際的な関心の高まりなど、昨今の数学教育を取 り巻 く 環境が背景 にあるでのはなかろうか。
数学教師 としての専門的力量形成 に関わる論稿 よ り、 ここではRuthvenに よる「理論 と実践 との統 合」、Jaworski,et al,お よびZaslavsky,et alに よる「教師 一指導的教師の対話的/有機的な体制づ
くり」の先行研究 に着 目す る。その理由は、次の通 りである。
○ 「理論 と実践 との統合」においては、日々の教育実践の意味や意義を、関連す る理論 と比較対照 す ることが行われる。 また、 日々の実践に刺激 される形で理論構築を した り、理論 に基づいて新 たな実践が模索 されてい く。 この過程では、教師が私の行 っていることの意味や意義を内省 し、
さらに効果的な教授活動を目指す ことが期待 され る。
○ 「 教師 一指導的教師の対話的/有機的な体制づ くり」では、他者の存在に刺激 され る形で日々の 教育実践を内省する活動が行われる。特に、同僚 としての教師だけではな く、異質な観方を もつ 指導的教師 との対話を通 して、 さらなる教授活動 に向けた内省の機会を得 ることがで きる。
いずれの先行研究 において も、数学教師が教育実践を内省 し、 より質の高 い教育実践を行 うことが 目指 されている。 さらに、「理論 と実践 との統合」「教師 一指導的教師の対話的/有機的な体制づ くり」
の双方 に、二面的開示の考えが包摂 されていると捉えた。
そこで、双方の先行研究を概観 し、二面的開示の考えとの融合を検討 していくこととする。
6‑1.Ruthvenにみ られる「理論 と実践 との統合」
理論か ら得 られる知識 と教育実践その ものとの隔た り、数学教育研究者 と数学教師 との距離感等々、
理論 と実践 とのギ ャップを指摘す る声 は少な くない。Ruthven(2002)は 、最近のICMI関連 の研究 の中 で、理論 と実践 との隔た りに関す る論稿の多 さを指摘 し、理論 と実践 との統合に向けた研究の必要性 を主張す る。例えば、最近のICMI関連の研究にみ られる「理論 と実践 との隔た り」の意見 として、次の
ことが挙 げ られている。
○ 研究者が数学教育研究を行 う上で感 じる困難性 は、研究か ら得 られた知識 と教育実践 との関連 に関わ ることである。数学教育研究および研究者は、理論知の再構築のため、実践者の もつ知識、
観方、仕事、活動状況などについて、 より実践者の視点か ら知 ることが必要である。
○ 教育 目標、教育意図、教育方法、基準などについて、研究者は実践者 ともっと議論 し、対話す べ きである。そ うしなければ、研究が本質的な意味で、数学教育の実践に何の影響を与えていな いことになって しまう。
○ 数学教育研究は、本質的には、社会的にも文化的な面 にも地域や共同体の影響を強 く受 けた、そ れぞれの地域の教育実践が対象にな った ものである。数学教育の国際化が進む ことによ り、それ ぞれの地域での語 られ方を超えた ところで議論がなされている。ある尺度で国際比較研究を進 め
ていくことは、それぞれの地域での教育実践の特徴の幾つかを捨象することともいえる。国際化 の視点で研究を進めることにより、地域 ごとの教育実践や実践知に関わる点が軽視 されてきてい るといえないだろうか。地域 ごとの教育実践や実践知に関わることの中に、数学教育研究をより 進 めてい く上での大切な萌芽がある。その萌芽を大事 にすることは、数学教育の国際化 に新たな 視点を与 える。
○ データを収集 し、そのデータを分析 していくことは、研究者内でのね りあいになる可能性があ り、教育実践 と乖離 して しまう場合がある。
○ 子 どもの数学学習に対する研究者 と教師の捉えには、顕著な違 いがある。研究者は、数学学習 の過程の中で、 どのように心的なものが動 いているか、 さらにどのような困難性を持 っているか という点 に強 い関心がある。子 どもの数学学習における認知的な側面であ り、困難性の同定であ る。 これに対 して、教師は子 どもの心的な ものをいかに望 ま しい方向に変容 させ るか、困難を乗 り越え、 いかに成功体験を経験 させ るかという点 に強い関心がある。研究者 と教師の間 には、 そ の ときのあ りのままの状態を克明に分析 しようとする捉え (現実志向)と、子 どもをどのように 指導 してい くか という捉え (未来志向)がある。
研究者、教師双方の捉え方を もっと交流 させてい く必要があるのではないか。
特 に、大学 に基盤をお く研究者は、学校 に基盤をお く教師 と「 よ り等 しくなる」観方や方法 に 気づ くべ きであ り、そ うした観方や方法が何であるのかを探 る必要がある。
○ 研究者 と教師が、相互交流を活発 に行い、協同で教育および研究のプログラムをつ くってい く ことは、双方の異なる観方を乗 り越える上で非常に有効である。教師 としての役割、観察者 とし ての役割を もって、教師 と協働 していくことにより、それまでにはない新 たな洞察を見 いだす こ
とができる。
Ruthvenは、「理論 と実践 との隔た り」か らの脱却、教えることと研究することとの一層の調和、あ る教育実践を もとにさらなる実践へとつながる対話的な知識の形成を目指 し、次のよ うな「 理論知 と 実践知の対話的な循環図」を提唱する。
[理論知 と実践知 との対話的な循環図
]
Ruthvёnによれば、 この図式は次のよ うに循環 してい くという。
「 循環の中の、ある段階で、理論知は教えることに関連づけられた り (再び関連づけられた り)、 実践 知の構築 (再構築)を刺激 した りする。次の段階では、実践知 により研究することが刺激 され、研究 することを通 して実践知が明確な ものにな り、成文化することができる。双方の段階で、対話が理論
研究 す ること (reseaching)
理 論 知 (scholary knowledge)
実 践 知 (craft knOwledge)
教 え ること (teachin」
CRuthven(2002), pp.595)
面的開示の視点からみた数学教授 と教授過程の内省に関する研究 69
知や実践知などの知識をより洗練 させた り、定式化を うながす。理論知か ら引き出された もののみが、
実践知 を形づ くった り、その中身を組み替えることができる。同様に、実践知か ら引 き出 された もの のみが、理論知 としての適切 さや有益 さを示す ことができる。」(pp.595)
「理論知、教えること、実践知、研究すること」の4つ の軸のどこを起点 に して も、循環 してい く様 子が この図式では描かれ る。Ruthvёnの言明にみ られるように、「理論 と実践 との統合」 に関わること
は、図式の上側 と下側 とを結ぶ矢印に込め られ る。
さらに、し2図式では双方向の矢印の部分がある。「研究す ること/理論知」と「教えること/実践 知」 との関係を、「活動/知識」 ととられれば双方向の矢印は次のように解釈できる。
[知識→活動]よりどころとなる知識か ら、実際 に活動を行 うこと
[活動→知識]既に行 った活動を内省することか ら、よりどころとなる知識の検討 と再構築 知識か ら活動へ、活動か ら知識へ、 という双方向の動 きを活発 に行わせたい、 という強 い意図を
「 対話的な」 という語を多用するRuthvenの言明か ら感 じる。
Ruthvenは この図式を踏 まえ、教師 と研究者が協働す ること、その協働体制を もって理論 と実践 との 統合を図 る必要性を強調す る。特 に、教育実践を通 して経験的に培われてきている「実践知」を重視 す る。教師 と研究者 との協働 により、教えることに関わる「実践知」を発展 させ ること、教師が経験 的 に培 っている「 実践知」の中か ら、他の教師 による実践 にも活 きる効果的な指導のあ り方 を見 いだ す こと、ひいては効果的な指導過程の枠組みやメカニズムを解明することを本質的な こととして挙 げ る。
6‑2.「理論 と実践 との対話的な循環図」 と二面的開示の考えとの融合
Ruthvenの提唱 した「理論 と実践 との対話的な循環図」に対 して、客観 として「教えること」「実践 知」、主観 として「 研究すること」「理論知」を位置づけ、二面的開示の考えを反映 させてみ る。次ペー ジの(a)〜⑥ のステ ップを踏んで行われ る思考であ り、図式 に表す ことができる。 また、主観 として
「 研究すること」 と「理論知」を、客観 として「教えること」「実践知」 を位置づけた場合 も、同 じよ うに解釈を してい くことができる。
(a) 数学教師が 自分 自身の教育実践 を客観視する段階
「私 の行 った教育実践 って何だろうか?」「 このよ うな教授活動 を したけれ ど、具体的に何 を したのだろうか?文章で表す とどう言えるのだろうか?」 など、「□ って何だろ うか?」 とい う 問 いを通 して、活動を意識 し、表現 してい く段階。
(b) 客観視 した教授活動を知識 としてまとめる段階
「私の行 った教育実践 って何だろうか?」「 その教育実践を行 うことが、我々にどのようなよ さがあるのだろ うか?」 など、「 □を知 っているとどんないいことがあるのだろうか?」 とい う よさに関わる問 いを通 して、教授活動を知識 として整理す る段階。
(c) 実践知の意味や意義や改めて考えてい く段階
教育実践 を行 う上での目的や生徒の様相などを踏まえて、実践知の意味や意義 を問 う段階。
「 その教育実践を行 うことが、私や生徒たちにどのよ うなよさがあったのだろうか?」 という問 いに加え、改めて「 その教育実践 って何だ ったのだろうか?」 という「□ って何だろ うか?」 と いう意味が問われることもある。
さらに、実践知を強 く意識することを通 し、「 その実践知を知 ることが、私 に何を語 りかけて く れるのだろうか?」 という内省を深めることもある。
(d) 私 にとっての意味 を深 く考えることを通 して、実践知の背景 にある理論知 を意識 してい く段 階、さらに理論知を構築する段階
「 その実践知を知 ることが、私 に何を語 りかけて くれ るのだろ うか?」 とい う問 いに関わ っ て、実践知を裏付 けた り、実践知 に関わる理論知を意識する段階。
さらに、実践 に関わ る理論を、私な りに構築 してい く段階。
[二面的開示の視点か らみた「理論知 と実践知 との対話的な循環図」の解釈1]
(の 内的同化 ⑥ 表現・顕在化
①□って何だろうか?
②□のよさは何か? (範疇 の獲 得 と形 成
)
上の図式のように、①〜③の問いを踏まえ、教師自身が自分の教育実践を内省 し、教育実践の質を 高めるような活動を促すことができるのではないだろうか。
例えば、長野県内の公立小学校の教師は、①〜③の問いをもとに教育実践を内省することに対 し、次 のような回答を寄せる。なお、①〜③の口にあたる部分は、各自の関心のあることがらとし、自由記 述としている。
[A教諭の回答
]
① 「算数0数学のおもしろさ」って何だろうか?
Jヽ3で は算数がおもしろいと思う子どもが8〜9害
J。
「おもしろい」とは、「問題が解けるようになるのがうれし い」「知らなかったことがわかっておもしろい」「へえ〜と思うことがある」など。中3で「おもしろい」と思う子 どもは2割 くらいだった。「はじめはわからなくても、考えていると今まで習ったことを使うことがわかってでき る。それがおもしろい」と言った子どももいた。数学だけではなくて「考えること」がおもしろくなっているの か?② 「算数・数学のおもしろさ」を知っているとどんないいことがあるだろうか?
子どもたちが「算数がおもしろいね」と思って勉強できるような授業が したいと思う。
算数・数学を学ぶおもしろさとは何だろう、と私も思います。知 りたいです。
③ 「算数・数学のおもしろさ」を学ぶことが私に何を語 りかけてくれるだろうか? 目指す方向がみえる。
③□が私に何を 語 りかけるのか?
研究すること 教えること
③□が私に何を 語りかけるのか?
①□って何 だろうか?
二面的開示の視点か らみた数学教授 と教授過程の内省に関する研究
[B教諭の回答
]
① 「J竣畑 ってなんだろう?
整数の間のはしたの量 (大きさ)を表す数
単位の大きさを10等分 して、新 しい単位をつくり、そのいくつ分で表す
② 「小数」を知っているとどんないいことがあるだろうか?
どのような量も、大きさも表すことができる 数が連続 していることを表 している (棚密性)
③ 「小数」を学ぶことが私に何を語 りかけてくれるだろうか? 昔の人々の生活の知恵を学ぶことができる
[C教諭の回答
]
① 跡日音」ってなんだろう?
高さの違う二つ以上の音が同時に響きあう時にきこえる音のこと。普通、三個の音が重なる三和音が典型であ る。3度 、4度 など、その響きにより、協和音と不協和音とにわけられる。
基本形で使われることもあるが、転回形で使われることが多い。
② 「和音」を知っているとどんないいことがあるだろうか?
ハモった時のここち良さ、ハーモニーの美しさを感 じられ、何ともいえない気持ちになる。また、和音の移 り 変わりから、和声へと発展 していける。 トニカ、サブ ドミナント、ドミナントかにより、今、音楽がどのような状 態にあるのか (緊張感、開放、終止など)がわかる。調性もはっきりしてくる。古典およびロマン派の音楽に多
い 。
③ 研口音」を学ぶことが私に何を語りかけてくれるだろうか?
その音楽の美 しさを感 じさせてくれ、曲の構成、曲の表現の仕方や聴き方を語 りかけてくれる。歴史 (その時 代の音楽の特徴)から作曲者の働きかけの一部を感 じ取れる。
回答 の内容 には個人差 がみ られ るが、問 いが① か ら③ に移行す るに従 い、徐 々にその教師 の題材観、
指導観、価値観 が生 じて いる。
例えば、B教諭の②に対する回答では、小数を知ることのよさとして「大 きさの表現可能性」と「数 の連続性」の2点を挙げている。 このよさの指摘から、「ノ
lヽ
数を知ることによって、身の回 りのものの 大 きさをより正確に伝えることができること」「ノjヽ
数を知 ることによって、様々な大きさを表すことが できること」「数には1よ りも小さい数がたくさんあること」「ノ」ヽ数を知ることによって、数直線にはたくさんの数が並んでいること」などに価値をおいた、実践知が想定できる。
さらに、③に対する「昔の人々の生活の知恵を学ぶ ことができる」という回答を発展させれば、「昔 の人々の発想から私は何を得ているのか」「生活の知恵 としての小数 として、私は何を実感として感 じ ているのか」などの問いが生 じてこよう。また、 これらの問いをきっかけにして、小数を学ぶことの 意味や意義を改めて考えることにつながるのではなかろうか。
また、D教諭は「 いろいろな解 き方」のよさとして、次のような回答をよせる。
[D教諭の②の回答
]
同 じような問題に出会 った時、それまで積んできた解法の引き出 しをあけて一番早 く解 くことができます。子ども 達に教えていると納得 し、ス トンと心におとせる子、納得 しなくてもこういうものとして心におとせ る子、いくら説明
して も納得できない子、いろいろいるので、引き出 しの数 もそれぞれです。
71
D教諭の回答では、引き出 しという喩えを用 いて、子 ども自身が多様な解法を身につける様子、子 ど もの解法選択の自由さを述べている。同時に、授業内にみ られる多様な レベルにある子 どもへの対処 の可能性 について も言及 している。 このD教諭の回答か らは、実際に教えた ことを振 り返 ることを通 し、子 どもの状態をあ りのまま表現すること (意識、表現・ 顕在化)に加え、実践知の意味 を私の も のとして考え始めていること (了解に向けた活動)を見 いだす ことがで きる。
③の問 いに関 しては、C教諭の回答が特徴的である。肝口音が私に、曲の美 しさや曲の表現の仕方や 聴 き方を語 りかけて くれる」 という表現 に、和音に対 して私はどう対峙するのか、和音 に即 して私 は 何を獲得するのか という思考を見いだす ことができる。 また、「歴史か ら作曲者の働 きかけの一部を感 じ取れ る」 という表現か らは、和音に対する私の感 じ方を大事にすると共に、和音の教授・ 学習を通 して子 どもたちに伝えたいことが出ている。
「 ある観方か ら対象を捉えている私」を意識すると共 に、私の観方 その ものを意識 した状態 といえよ う。「 ある観方か ら対象を捉えている私」を意識すること、さらに多様な観方で対象を捉える必要性を 感 じることな どは、理論知の形成 において非常 に重要な点である。
Ruthvenに よる「理論知 と実践知 との対話的な循環図」では、「研究すること/理論知」「実践知/教
えること」の部分は双方向の矢印で結ばれている。 この双方向の矢印の部分に関 しては、例えば次の 図式のように「主観 と客観」の視点を入れて、二面的開示の考えを反映 させ ることができる。
[二面的開示の視点か らみた「理論知 と実践知 との対話的な循環図」の解釈2]
認 識
②回のよさは何だろうか?
③□が私に何を語りかけるのか?
①□って何だろうか?
7‑1.Jaworski.Zaslavsky,et alにみられると「教師―指導的教師の対話的/有機的な 体制づくり」
Jaworski,et al(2003)は 、数学の教授・学習において次の7つの専門的な知識が重要な役目を果た すと考える。この7つの知識は、Shulman,et alに よって提唱されたもの (教授学的文脈の知識)であ
り、これらの知識を数学教師が教育実践の中で作り上げていくことが大切であると述べる。
① 実質的・構造的な、内容に関する知識
② 授業を運営する上で必要な、一般教授学的な知識
③ 教材や教授計画など、カリキュラムに関する知識
④ 範例、概念の表現形式、有用な類推など教科領域に関わる教授学的文脈の知識
⑤ 学習者に関する知識
主 観 客 観
了解 1,内 的同化 意識・ 表現 1.顕 在化 0再
研 究 す る こ と 理 論 知
面的開示の視点か らみた数学教授 と教授過程の内省に関する研究 73
⑥ 共同体や文化など、教育的な文脈 に関す る知識
⑦ 教育的 目的 と教育的価値 に関する知識
例えば、「数学 に関す る概念間の関係やうなが りを、有意味に見 いだす ことのできる教師は、単一な 見方を提供す る教師 よりも効果的な学習指導をすることができる」 と述べるよ うに、複数の概念を有 意味 に結びつける観方の重要性を指摘する。 この有意味 に捉える観方の強調 と、Shulman,et alに よっ て指摘 された 7つ の教授学的文脈の知識は、次のように対応 している。
最初 に、教師 自身が複数の数学の内容を関連づけ、構造的に捉えることが必要である。(①
)
次 に、有意味 に関連づけ られた数学の概念や知識を、 どのような場で、 どのような展開において学 習指導するのが効果的か という検討がなされる。(②〜④)
続 いて、学習者 にとって教師の想定 した教授過程が的確か どうか、学習者が属す共同体や環境 にお いて的確か どうか という検討がなされる。(⑤〜⑥
)
最後 に、有意味 に結 びつける観方を持つ ことの意味や意義の検討が、学習者 に培わせたい事柄 との 比較対照の もとに行われる。(⑦
)
これ らの7つ の知識 (教授学的文脈の知識)を教育実践の中で形成 してい くためには、「徒弟的な取 り組 みを通 して、教育実践を内省す るきっかけを得 ること」「教育実践を内省す る姿勢 を高 めるため に、他者 と内省 しあう空間をつ くること」「教育実践を内省する姿勢を高 めてい くこと」が必要である と述べる。 ここで徒弟的な取 り組みとして、レイヴらによる状況的学習論をあげ、次のよ うな教授・学 習観 に支え られ るもの としている。
【徒弟的な取 り組みに関わる教授・ 学習観】 ・
〇 学習の起点は、学習者が数学的事実を自分の内面 にもつ事柄 と比較対照できるよ うな、社会数学 的活動(socio―皿athematical act市 ity)とすべきである。数学的活動が進行 してい く中で、学習者 に とって中心的な ジレンマが生 じること、 さらにその ジレンマが数学的な ものであるときに、本質的 な意味でその ジレンマが学習を進 める「問い」 となる。
○ 数学教師は学習者 にとっての「問い」が生 じるような社会数学的活動の場を設定する必要があ り、
かつその活動を通 して、中心的な ジレンマが学習者 に生 じてい くような教授活動を見 いだす必要が ある。 また、中心的な ジレンマが生 じるような教授活動の中にこそ、教授過程を内省するきっかけ が存在する。すなわち、教授活動を振 り返 る、教師 自身の「問 い」が存在す る。
○ 新参の教師は、熟練の教師の行 う教授過程の中か ら、 自分 自身の実践 に複写できそ うな活動を追 い求 める傾向がある。慣習やパ ター ンを獲得するばか りでな く、彼 らがみた ものか ら「問 い」を引 き出す こと、その「問 い」を もとに教育実践の意味や意義を考えることが大変重要 といえる。
「活動 に参加 し、活動を通 して私 自身を意識 し、問いを形成 してい く」という過程が主体的な学 びの ために重要であるという考えが、徒弟的な取 り組みの基調 にある。あ らか じめ準備 してある事柄を教 え、その通 り教え られるという学習観か らの脱却である。
Jaworski,et alは 、 この「活動への参加、私 自身の意識、問いの形成」という徒弟的・状況的な取 り組みの過程を、教授活動 における教師の主体的な学 び(よ りよい教授活動を模索するための学び)に も活かせ るとみる。 その理由の 1つ として、教育実践 その ものに社会的な側面 が強 いことを挙 げる。
教育実践は、教師 と学習者 との間の社会的相互作用により形作 られた ものであること、教育実践で行
われて きたことの妥当性は、活動が行われた集団の様相を踏まえ、社会的に検証 される必要があると 述べる。 その社会的な検証のために、教師は自分 自身の教育実践で生 じたことを「 ことばで述べるこ と」、さらに授業観察者が感 じたことや考えたことなどを「 ことばを伴 って授業者に伝え作用 させ るこ と」が重要であるとする。
いま1つの理由として、教師の もつ「 自己決定における独立性」(自律性
)が
保障 されていること、自 律性が保証 されるために質の高 い教育実践を維持 しなければな らない点をあげる。教師の もつ自律性 とは、教育実践を行 う上での教授意図 (授業のね らい)を教師が決定で きる行動の余地であ り、一連 の教授計画 (シラバ ス)の解釈に関する余地である。 こうした行動の余地が保証 されているため、教 授方法 に関 して も教師が自由に選択をすることができる。 この教師の もつ自律性は、 クラフキらの ド イツ教授学の流れを組んでいる。教師に自律性が保障 されているか らこそ、質の高い教育実践が行わ れる必要がある。すなわち、教師に自律性を保障することと、教育実践を社会的に検証することが兼 ねあわ されている。「 活動への参加、私 自身の意識、問いの形成」という徒弟的・状況的な取 り組みの過程を、教育実践 の内省 に活かすことに関 して、Jaworski,et alは 次のように述べ る。
「 教育実践を内省することは、教育実践の もつ慣習、相互作用にみ られる顕著な形式を明 らかな もの にす る。慣習を用 いる取 り組みと徒弟的な取 り組みを比較すると、徒弟的な取 り組みを行 っている 教師の方が、教育実践の中にみ られる慣習や形式を、批判的かつ厳密に吟味 しようとしている。 そ して、慣習化 された数学教授の構造や系列がどのような ものあ り、通常行われ続けている事柄が何 であるのか、その意味を問 うようになる。 また、授業の中のや りとりの中で偶然生 じたことが、結 果的 に教育実践の上で前進の糧 となることもある。 それゆえ、授業の中で生 じた事柄に対 して、教 師が内省することを もっと取 り扱 う必要がある。
また、教育実践を内省するために、実践者、1人あるいはそれ以上の観察者が互 いに信頼感を もっ て議論で き、教授経験を評価できるような空間が必要である。他者 と共に内省 しあ うことを通 して、
最終的には自己評価の能力を発展 させ ることができる。また、授業の中での相互作用のあ り方を深 く認識 してい くことにもつながる。」Op.845‑848)
この言明ではまず、教育実践を内省するために「教育実践を内省するための活動に自ら参加 し、 自 分 自身の教授活動が何であったか意識 し、 その教授活動の妥当性や必要性などを「問い」 として持つ こと」という姿勢を持つ ことの大切 さが指摘 される。そして、教育実践を内省するための活動を生み、
その活動を高 めてい くために他者の存在が大 きな役 目を果たす ことを述べる。「教育実践を内省する 姿勢を高めるために、他者 と内省 しあ う空間をつ くること」であり、「他者 との対話を通 して徐々に教 育実践を内省する姿勢を高 めてい くこと」である。
ある教師の教育実践 に対 して、その教師を尊重 しつつ、他の教師が参観 して感 じた ことや考えた こ とを自由に言 えること。教育実践に対 して、実践者 と観察者が自由に議論 じあ うことができること。
そ うした「他者 と議論する場」が、教師自身に自分の教育実践を振 り返 るきっかけを与えるという。
一つの授業を多 くの参観者が参観 し、授業終了後に実践者 と参観者が議論 じあ うこと。同 じ学年を 教える教師間で、教授方法などに関 して、お互 いの実践を もとに具体的に議論すること。授業を見合 う、授業につ いて具体的に語 り合 う、授業の進行のあ り方について賛否を議論する等々、他者 と議論 を重ね ることは我が国では多 くの教師に指示 されていることといえる。昨今脚光を浴 びている授業研