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商法教授方法に関する研究手帳(1)

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(1)

商法教授方法に関する研究手帳(1)

著者 淺木 愼一

雑誌名 金沢法学

巻 51

号 1

ページ 89‑167

発行年 2008‑11‑30

URL http://hdl.handle.net/2297/12483

(2)

《研究ノート》

商法教授方法に関する研究手帖(1)

淺木,愼

第1帖「商」の概念 第1章商法の意義

1.形式的意義の商法

1-1.出発点一商法という法律(法領域)のイメージ(image)

1-2.1日商法の編纂、

1-3.現行商法の編纂

1-4.現行商法の編別およびその変遷 1-4-1.商法総則編

1-4-2.商法会社編 1-4-38商法商行為編 1-4-4.商法手形編 1-4-5.商法海商編 1-5.形式的意義の商法の意味 2.実質的意義の商法

2-1.緒言

2-2.わが国の議論展開一商的色彩論から商法企業法説へ 2-2-1.商の発生史論的考察

2-2-2.商的色彩論の登場 2-2-3.商法企業法説の展開 2-3.商法上の企業の意義 2-4.商法企業法説の諸問題

2-4-1.絶対的商行為規定の存在意義 2-4-2.原始生産業と商法

2-4-3.自由職業と商法 2-4-4.手形法の位置づけ

2-4-5.会社注および経洛潅の付脅づけ-わが今*+排の櫟

-4-5.会社法および経済法の位置づけ-わが会社法の機能的変化の道程を辿りつつ

2-4-5-1.第2次大戦前の会社法

2-4-5-2.経済法の登場

2-4-5-3.商法・経済法分離論と融合論の展開

89

(3)

2-4-5-4.わが企業社会の変遷と会社法の機能変化 2-5.付言-21世紀の経済システムと商法

3.商法と民法との関係一商法の地位① 3-1.特別法と一般法

3-2.民商法の規定内容の関係 3-3.民法の商化

4.商法と労働法との関係一商法の地位② 5.商法の特質

5-1.探究の意義

5-2.行為法としての商法の特質 5-2-1.営利性

5-2-2.契約自由主義 5-2-3.簡易迅速主義 5-2-4.個性の軽視 5-2-5.定型化 5-2-6.公示主義 5-2-7.外観主義 5-2-8.責任の加重と制限 5-3.組織法としての商法の特質

5-3-1.資本の集中 5-3-2.人的施設の整備 5-3-3.企業危険の分散 5-3-4.有限責任 5-3-5.企業の維持 5-4.行為法と組織法の論理 6.商法の傾向

6-1.考究の意義 6-2.進歩的傾向 6-3.国際的傾向 第2章商法の法源

1.法源の意義 2.各種規範の法源性

2-1.商事制定法 2-2.商事条約 2-3.商慣習

90

(4)

2-4.商事自治法 2-5.普通取引約款 2-6.商事判例 2-7.条理

3.商事に関する法源の適用順位 3-1.商法1条2項の意義 3-2.商慣習と民法との関係 3-3.商慣習と商法典との関係 3-4寸法源適用の総合順序 4.商法の適用範囲

4-1.人および空間に関する適用範囲 4-2.時間に関する適用範囲

第1帖「商」の概念 第1章商法の意義

1.形式的意義の商法

1-1.出発点一商法という法律(法領域)のイメージ(image)

個々の単語の正確な意味はさておき、我々が「商法」と聞いて連想するのは、

「営業または事業の主体客体および営業行為または事業行為を規律する私法規 を中心とする法律」といったところであろう。

上のような規整目的を達成するため、わが国は、明治期において、文字通り

「商法」とし、う名称を付した法律を編纂した。いわゆる「商法典」である。

へんさん

1-2.旧商法の編纂

周知のように、わが国における近代法制の整備は、江戸幕末以来の欧米列強 諸国との間で交された不平等条約の改正問題を契機とする。とくに、治外法権 を撤廃して、外国人をわが国の法権に服せしめるには、列強諸国を納得させう るだけの法制の整備が不可欠だったのである。

明治4,5年(1871,2年)辺りから、わが国は、法律の制定に関しては、

(5)

とくに英仏2か国を範とする方針を採り、検討を開始した。この辺りの事情を 乱暴に纏めれば、イギリスの法体系は判例法を中,L、とするものであったのに対

まと

し、フランスは、成文法の形をとって民法・商法をlまじめとする諸法典が揃つ

そる

ていた。急速に近代法市Uを整備する必要に迫られていたわが国にとっては、お

せま

そら〈、前者よりも後者の形式|こ倣う方がより分かり易く、近道であると考え

なら

られたのであろう。そのため、形式上はフランスに倣って、民法・商法などの 主要な諸法典を編纂するという方針が採用されたものと思われる。

わが国最初の商法典は、ドイツ人へルマン・レスラー(HemannRoesler,1834

~1894)の起草に係るものである。レスラーの商法草案は、明治22年(1889年)、

当時の立法府であった元老院において可決され、翌23年(1890年)に、同年法 律第32号として公布された。講学上、屡々「|日商法(典)」と呼ばれるものが

しばしば

これである。旧商法は、「商ノ通則」「海商」「破産」の3編から成っていた。

旧商法が破産規定を置いていたのは、欧州においてかつてこの制度が商人法と して発達し、商人に特有の制度であったという沿革的理由によるものであろ う。今日の会社法□手形法に相当する規定は、商ノ通則中に収められていた。

この商法は、明治24年(1891年)1月1日から施行される予定であったが、

フランス人ギュスターブ・エミール・ポアソナード(GustaveEmileBoissonade deFontarabi,1825~1910)の起草に係るいわゆる旧民法(明治23年(1890年)

法律第28号)と共に、有名な「法典論争」の渦中に投じられ、施行延期に追い 込まれてしまった(1)。1日商法は、結局その後、会社・手形・破産に関する部分 だけが明治26年(1893年)7月1日から施行され、残りの部分も、明治31年(1898 年)7月1日から施行された。旧商法は、不平等条約の改正に寄与するなど一 定の役割を果たしたものの、わが国の商事を規整する法律としては、結果とし てきわめて短命に終わることになった。

(1)|日商法を巡る論争については、淺木愼一『日本会社法成立史」(信山社.2003年)

11-38頁参照。

92

(6)

1-3.現行商法の編蟇

現在、我々の眼の前にある現行商法は、形式上は、上の旧商法を修正すると いう形で編纂されたものであるが、実質上はまったく別物の法典であると評価

してよい。

現行商法草案の起草は、旧民法・旧商法の修正案を審議起草するために設置 された法典調査会において、起草委員として任命された梅謙次郎(1860~

たなくかおる

1910)、岡野敬次目B(1865~1925)、田部芳(1860~1936)に係るものである。

現行商法は、起草に係る人的構成から観れば、純然たる国産商法である。委員 に任命された明治28年(1895年)の時点で、梅・田部が35歳、岡野が30歳であっ た。現行商法は、若き気鋭の先達|こよって起草されたのである。現行商法は、

せんだっ

明治32年(1899年)に当時の帝国議会で可決成立し、同年3月9日、法律第48 号として公布された。同年6月16日、勅令第133号により施行され、施行の日

をもって旧商法は、破産に関する部分を除いて廃止された(破産の部も、大正 11年(1922年)法律第71号破産法によって後に廃止された)。

1-4.現行商法の編別およびその変遷

成立当初の現行商法は、「総則」「会社」「商行為」「手形」「海商」の5編か ら成っており、おおむねドイツ法系に属する内容の立法と評価してよいもので あった。

1-4-1.商法総則編

第1編総則は、その第1章を除き、他の章はすべて商の主体たる商人に関す る一般規定のみから成っていた。商法全体の通則を定める「総則」という名称 ,こ相応しいのはその第1章だけであり、平成17年(2005年)改正前には「法例」

ふさわ

という章題を付されていた(2)。平成17年の商法一部現代語化に際し(同年法律

(2)立法時の説明によれば、「法例ナル語ハ法律ノ適用ナル意義ヲ有シ能ク該章ノ規定 シタル所ヲ包含スルニ足ルカ為メナルニ因ル」とされている(東京博文館蔵版・商法

修正案理由書(1898年)1頁)。

98

(7)

第87号)、章題を「通則」と改めた。第1編の基本的な性格・内容は、立法以 来実質上さほど大きな変化はないが、平成17年改正によって会社法が単行法と して商法典から独立した(同年法律第86号)ことにともない、第1編の規定の 多くは、会社を除く商人のみに適用されるものになった。とくに、その第4章 以下の規定は、会社には適用されない。

1-4-2.商法会社編

立法当初の第2編は会社であった。会社に関する特別規定はきわめて多く、

かつ特殊の体系をなしているため、第1編中の商人とは別に独立した1編が設 けられたのである(3)。

あよう いしずえ

会社法制の有り様は、その国の経1斉力を支える礎になるとともに、資本主義 経済体制を採る国家にあっては、国家の有り様すら決定するだけの影響をその 社会に及ぼすものである。そのため、内外の資本主義の進化にともない、ある いはその時々の国内の経済`|青勢に即して、必然的に改正の頻度が高くなる。わ

ひんと

が国においても、立法以来最も数多くの改正が繰り返し加えられたのが、第2 編であった。昭和13年(1938年)、同25年(1950年)、同56年(1981年)、平成 17年(2005年)の各大改正が、4大改正と位置づけられよう。このうち最後の ものは、第1編総則で言及したように、商法典からの会社法の独立に関するも のである(平成17年法律第86号、同第87号)。

わが国の会社法制は、ドイツ法系を採る立法から出発し、昭和13年(1938年)

改正にあたり若干の英米法に由来する諸制度をその体系中に採り入れた。ま た、同年改正に際しては、実質的に会社編と同列の法律として「有限会社法(同 年法律第74号)」が制定された。昭和25年(1950年)改正は、第2次世界大戦 の敗北による連合国(実質的にはアメリカ)占領下の時代に、アメリカの強い 影響下でなされたものである。この改正を契機に、わが会社法体系が、アメリ カ法に倣って修正変革きれるという、以後の基本的な道筋が敷かれることにな

(3)松本蒸治『商法大意』(岩波書店・1926年)7頁。

94

(8)

る。とは言え、いわゆる戦後高度経済成長期を経て、わが国が自らの経済シス テム(system)に対する自信を深めるにつれ、会社法は、次第に日本独特の法 体系であるという色調をも強めていくことになる。昭和49年(1974年)には、

大規模株式会社・」、規模株式会社の監査等に肌理細かく対処するため、「株式

きめ

会社の監査等に関する商法の特例に関する法律(同年法律第22号)」が制定さ れた。講学上、「商法特例法」と呼ばれるのがこの法律である。商法特例法は その後、監査分野にとどまらず、広く大規模株式会社・小規模株式会社を特別 に規整する法律として発展を遂げることになる。昭和56年(1981年)以降の改 正は、昭和50年(1975年)の法制審議会商法部会の決定に係るいわゆる「会社 法根本改正計画」に即する形で、言わば計画的・系統的に実施きれた。この長 期にわたる系統的な一連の改正がひと段落したのが平成12年(2000年)である。

その過程の後期には、いわゆるバブル(bubble)経済の崩壊という大きな危機 が訪れ、また世界経済の相互依存の深化(世界経済のグローバリゼーション,

globalization)が猛烈な勢いで進展した。これらへの対処のため、20世紀末に おいては、わが会社法の改正の眼目として「企業経済の効率化・競争力の向上」

という理念が急速に浮上し、平成13年(2001年)以降の改正は、この理念を強 く反映するものになった。平成17年(2005年)の会社法の制定(同年法律第86 号)は、同13年以降の改正の集大成と位置づけられる。単行法となった会社法 は、先に述べた有限会社法・商法特例法をも吸収統合し、とりわけ従来の有限 会社法制を株式会社法制中に完全に吸収して(有限会社法制の廃止)、21世紀

へきとう

跨頭にあって、わが株式会社法市Uをきわめて柔軟な構造にした(4)。

1-4-3.商法商行為編

立法当初の第3編は商行為であった。商行為に関する通則および各種の商行

(4)立法以来の会社法の変遷の概要については、浜田道代編『日本会社立法の歴史的展 開(北澤正啓先生古稀祝賀論文集)』(商事法務研究会・1999年)、淺木愼一「会社法 制定の検証のための視座」淺木愼一=小林量=中東正文=今井克典編「検証会社法(浜 田道代先生還暦記念論文集)」(信山社.2007年)所収、を参照のこと。

95

(9)

為に関する特別規定を定めている。明治44年(1911年)改正(同年法律第73号)

以降、その実質的な内容にさほど大きな変化はない。平成17年(2005年)の会 社法単行法化にともない、第2編に繰り上げられるとともに、その第4章まで が現代語化された。平成20年(2008年)には、その第10章保険が商法典から独 立し、「保険法」として単行法化された(同年法律第56号)。このため同章は削 除された(同年法律第57号)。

、1-4-4.商法手形編

立法当初の第4編は手形であった。手形に関する行為は商行為の1種とされ ているが(商501④)、手形法は特殊の沿革と理論を有しているから、これを独 立の1編としたのである(5)。

現在のわが国の手形法・小切手法は、1930年(昭和5年)のいわゆるジュネー ブ統一手形法および1931年(昭和6年)の同小切手法を採用したものである。

わが国は、手形法・小切手法に関するジュネーブ統一条約(theGenevaConven‐

tionsonBillsofExchangeandCheques)に合意した後、直ちにこれを批准し、

商法手形編の規定を全廃して、「手形法(昭和7年(1932年)法律第20号)」「小 切手法(昭和8年(1933年)法律第57号)」を制定した。両法は、昭和9年(1934 年)1月1日から施行され、ごく小さな部分的改正を経つつ今日に至っている。

1-4-5.商法海商編

立法当初の第5編は海商であった。船舶に関する規定を定めている。その主 要な部分を占める海上運送および海上保険は、商行為の各1種であるが(商502

④⑨)、海商法は古来特殊な発展を遂げて来たものであるから、これを独立の 1編としたのである(6)。

昭和13年(1938年)改正時に第4編に繰り上げられ、平成17年(2005年)改

(5)松本・注(3)前掲8頁。

(6)同前。

96

(10)

正時に第3編に繰り上げられた。

1-5.形式的意義の商法の意味

20世紀においては、「形式的意義において商法という場合には、明治32年法 律第48号商法すなわち商法典を指すものである(7)」という表現は、おおむね正 しかった。平成17年(2005年)改正前の商法典は、会社を含む商事および商法 的法律事実を規整する総合的な法典としての面目を保っていたからである。し かし、商法典の中核を占めていた会社法が商法典から独立した後は、商法総則 編の大部分の適用範囲が会社に及ばなくなった。先に述べたように、平成20年

(2008年)には、保険法も商行為編から独立した。将来の民法財産法の有り様 如何lこよっては、商法商行為編はさらに大きな影響を受けるかも知れない。こ

いかん

ういった事情を勘案すれば、商事に関する総合法典としての商法典の地位およ びその担う役割は、徐々に低下するものと思われる。

さしあたり、21世紀初頭の現時点にあっては、田邊光政(1937~)が説 くように、形式的意義の商法には、商法(典)・会社法・手形法・小切手法・

保険法・社債、株式等の振替に関する法律・担保付社債信託法・金融商品取引 法・商業登記法その他が含まれる(8)と、商法典の周囲に存在する複数の法律の 集合体と解する他ない。そうなると、およそどの範囲の法律を「商事に関する 法」として把握すべきか、という実質論が重要度を増すことになるのである。

2.実質的意義の商法 2-1.緒言

何を指して実質的意義の商法と言うのか。この解を探る作業は、一言で言え ば、商事に関する総合的法典としての商法典の解体が進行中のわが国にあっ

(7)大隅健一郎I商法総則(新版)」(有斐閣・’978年)1頁、服部栄三『商法総則(第 3版)』(青林書院・1988年)3頁。

(8)田邊光政『商法総則・商行為法(第3版)!(新生社.2006年)5頁参照。

97

(11)

て、「なお商法として統一的体系的に把握されるべき特殊の法領域(9)」がどの ように画されるのかを探る作業であるといえよう。これは、商法の根源にある ものは何か、ということを問う本質論である。したがって、沿革上は、中世の

たんしよ しようか

欧)、ト|で萌芽発展した商人社会の慣習法を端緒として近代国家の商法へと昇華し た欧州商法を継受して今日に至ったわが国においてもまた、実質的意義の商法 を画する理論は、中世商人社会の,慣習法としての商法と、先端的な21世紀の商 法に共通する根本的な特徴を把握できる理論でなければならない('0)。

2-2.わが国の議論展開一商的色彩論から商法企業法説へ 2-2-1.商の発生史論的考察

思考の順序として、おそらく誰しもが考えるであろうことは、経済的意味の

「商」(固有の「商」)の概念を手掛かりにこれを探究すればどうか、という手 法であろう。これは、固有の商(u)を原初とするその後の人類の経済活動の発展 にともなう商の拡張を発生史的に考察し、商法が対象とする商とは何かを探る という手法である。実際、わが母怯たる欧州においては、このような手法から 議論が始まったようである('2)。しかし、この手法は、わが国においては、独自 に大きな展開を見せることが(少なくとも商法学界においては)なかったよう に思われる。その要因のひとつは、おそらくわが国が欧州から商法を継受した

(9)大隅・注(7)前掲1頁。

(10)関俊彦『商法総論総則(第2版)』(有斐閣・2006年)12頁。

(11)商法研究者の間では、従来から、生産者と消費者との間に立って、貨財を生産者かもと ら需め、これを消費者に供するという媒介を目n勺とする営業を、固有の商あるいは経 済上の商と捉えている。なお、商学上の「流通」概念は、生産と消費との間の隔たり を架橋することにより、財の持つ効用をよりよく発揮させ、価値を高める経済活動の ことであると定義されているが、商学においては、この定義中に、法学研究者が言う ところの補助(的)商をも包含して捉えているようである。

(12)鴻常夫『商法総則(新訂第5版)』(弘文堂・1999年)4頁。なお、大森忠夫『新版

商法総則講義』(有信堂・1962年)4-5頁、8頁、大隅・注(7)前掲29-30頁参,

照。

98

(12)

時点ですでIこ、そこに規定きれた法律上の商が経済上の商と大きく乖離してし

かいD

まっていたことにあったのではなかろうか。

18世紀後半にイギリスから始まった産業革命は、欧I、|、|大陸に伝播し、まずフ

でんぱ

ランス・ベルギー・オランダがこれに追随し、これらの諸国が大陸における産 業革命の牽引的役割を果たした。ここ|こ至り、須奥にして欧州さらに北米にお

しゆゆ

いて本格的な近代資本主義制度の確立を見るが、わが国が範として継受したの は、すでに産業革命を終え、将来の資本主義の進むべき方向を展望して立法さ れた19世紀後半の列強諸国の商法だったのである。したがって当然、わが国に おいては、立法当初から、法律上の商は、すでに固有の商を離れて大きく拡大 していた。すなわち、運送(商502④)・倉庫(商502⑩)・銀行(商502③)・

保険(商502⑨)などのように、本来の商を補助し、かつこれと密接な関係が あるものばかりでなく、製造工業(商502②)・電気ガス供給業(商502⑦)な ども、初めからその規整下に収めていた。さらに昭和13年(1938年)改正時に は、進んで鉱業のような原始生産業の一部でさえもその規整下に取り込んだの である(商4Ⅱ)。このため、松本蕪1台(1877~1954)・竹田省(1880~1954)

せい

など、明治末葉に活躍を開始した著名な商法研究者でさえも、商に関する発生 史論的考察をさほど顧慮することなく、法律上の商を概括的・統一的に示すこ

とは、不可能あるいは困難であると述べている('3)。

近時、この手法に再度焦点を当てたのが関俊彦(1941~)である。彼は、

このような検討手法は、商法の歴史的な発展に対して一定の整合的な説明を加 えることに成功はしているものの、商法の対象の捉え方が不統一(不十分)で あると結論づけている(M)。とりわけ、営業組織の基本となる会社法に関する理 論的な位置づけを提示していないという点に、この手法の大きな欠点を見出し

(13)竹田省「商法総則」(弘文堂・1932年)1頁、松本・注(3)前掲2頁。

(14)関・注(10)前掲13頁。もつとも、このような見解は、従来の多くの商法研究者の 共通認識でもあった(たとえば、竹内昭夫「企業法の地位と構成」竹内昭夫=龍田節 編『現代企業法講座第1巻」(東京大学出版会.1984年)15-16頁、大隅・注(7)

前掲29-30頁など)。

99

(13)

ているものと思われる。ただ、彼自身も鋭く指摘しているように、この手法に よる検討は、20世紀以降に企業社会が開花する前段階の商法に関する議論であ る('5)という点には注意する必要がある。現代にあっては、この手法に関しても、

20世紀以降における社会科学の並行的な発展の成果、とりわけ現在の商学研究 の到達点などを視野に含めて、新たな検討を加える余地があるのではなかろう か。ただし、今日の商学研究は、商的流通機能(市場情報の把握、商品情報の 提供など)、物的流通機能(輸送、保管など)、助成的機能(流通金融など)に おいて生起する新たな現象へと研究対象を拡大しつつも、なおその主たる対象 を、依然として生産と消費との間の隔たりを架橋する営業、すなわち商法研究 者が従来から固有の商・補助(的)商と認識してきた領域に軸足を置いている

ように思われる。

2-2-2.商的色彩論の登場

商法の意義に関して、統一的・総合的視座からわが国で初めて考察を試みた のは、田中耕太郎(1890~1974)であった。田中耕太郎は、大正末葉から昭和 跨頭に掛け、精力的に商事法全般またはその各領域に関する本質論を展開した 一時期を有するが、その考察が抽象的観念論に走ることは決してなかった。た とえば、株式会社の研究にあっては、常に社会生活の現実ことに法律事実を眼 中におかなければならないとし、「生ける株式会社」の研究、すなわち単なる 法条の解釈または伝統的な概念の体系の研究を超えた「法律の事実的方面の探 究」をもなすべきであると説いている('6)。このような、社会事実を見据えて妥 当な結論を模索しつつ現実的な理論を展開するという田中の基本的姿勢は、こ の時期の彼の論稿において終始一貫している。

田中の首唱に係るいわゆる商的色彩論は、私法の体系に中にあって、商法と

(15)関・同前14頁脚注(14)。

(16)田中耕太郎「株式会社法改正の基本問題」法学協会雑誌48巻1号(1930年)42-43

頁参照。

ZOO

(14)

いう独立した法領域が、とりわけ民法と別異に何故に存立しうるのか、という 間掛けに対する解を与えるべく展開されたものであると思われる('7)。彼は、民 商法の対立は、その規整する法律事実の種類によるものではない、一般私法の 法律事実のうち商的色彩を帯びるものが商法上の法律事実であり、かかる法律 事実を対象とするものが商法であると説いた('8)。そして、一般私法上の法律事 実が商的色彩を帯びるとは、これが商すなわち営利的活動の目的に捧げられる

ことを意味すると述べた('9)。このことは、民法の一般的非限定的目的に対する 商法の特定的限定的目的、すなわち商法が民法と同種類の法律事実を規整しつ つも民法に対する特別法たる地位を占める根拠にも繋がる(20)。さらに田中は筆 を進め、商的色彩として強調すべき特色は、商法上の法律事実に通有な集団性 あるいは個性の喪失といった、多面に技術的な側面であるという趣旨を説い

た(21)。

商的色彩論は、大正宋年から昭和15年前後までの約20年間(1920年頃から1940 年頃)、わが国の商法学界を風廃していたといっても過言でI土ない(22)。

ふうび

ひっきょう

商的色彩論は、畢寛、商法が規整する法律事実を、その性格に貝Uして把握 することを試みるものである。この説に対しては、商法の総合的、統一的把握 という点でわが商法学|こ新生面を拓いた功績は高く評価しなければならない

ひら

が、それは商法の対象たる生活関係の表面に現れた特殊性を捉えてはいても、

その発現せしめている基本の生1舌関係そのものを内容的に把握していない」憾み

うら

があるとの批判が加えられた。すなわち、商的色彩なるものは、商法の対象た る生活関係が外部から受ける色彩ではなく、生活関係そのものの内から発現す

(17)田中耕太郎『商法研究第1巻』(岩波書店・1929年)105-106頁、162頁参照。

(18)同前163頁。

(19)同前167頁。この色彩は、専門化された営禾U的活動たる投機売買から演鐸されうる

えんえき

べき特`性であるとしている。

(20)同前170頁参照。

(21)同前170頁、田中耕太郎『改正商法総則概論』(有斐閣・1938年)7頁,43頁。

(22)鴻・注(12)前掲4頁。

JOJ

(15)

る特色に他ならないのであるから、そのような統一的な色彩を発現せしめる統 一的な生活関係こそを追求しなければならないと批判されたのである(23)。

要するに商的色彩論は、商法が規整する法律事実はその性質よりもむしろそ の内容にHUして把握されるべきであると反駁されたのである。

はんばく

2-2-3.商法企業法説の展開

商法企業法説は、西原寛一(1899~1976)の首唱に係るものである。西原は、

昭和8年(1933年)、法学協会雑誌51巻5.6号掲載の「商法の発展と非商人 の地位-特に企業に関連し」と題する論稿において初めてこの考えを唱え、そ の後この説を発展させたのである。

西原は、商法の対象の限定は、生活関係自体を問題とする経済的観点に立ち、

経済的概念構成を補助としてこれを試みるのが適当であるとした。そして、商 法の対象の過去・現在および将来の発展を通じて妥当する経済上の概念は何で あるのかを考究し、これを「企業」に求めたのである。すなわち、法律上の商 とは企業のことであり、商法とは企業生活に関する特異な法律秩序であるとの 主張を展開した(2イ)。

西原によれば、企業とは、私経済的自己責任負担主義の下に、継続的意図を もって企画的に経済行為を実行し、これによって国民経済に寄与するとともに

(公共性)、自己および構成員の存続発展のために収益を挙げることを目的と する(営利性)、1個の統一ある独立の経済的生活主体であると定義される(25)。

彼は、元来固有の商に内在した経済的精神とその活動の形式とが、固有の商を 超えて、順次に他の生産に影響にしてこれを企業化せしめるに至ったのであ り、かかる経済的事情に順応すべ〈、商法の規整する範囲が拡大したのである と解したのであるに6)。

大隅・注(7)前掲31頁、32頁参照。

西原寛一『商法総則・商行為法』(岩波書店・1952年)2頁。

同前3頁。

同前参照。

(23)

(24)

(25)

(26)

102

(16)

彼が導いた解に従えば、商法が補助(的)商(27)をもその適用の支配下に置い たのは、それが固有の商を補助する関係にあったからではなく、企業なるもの が固有の商の営業から補助(的)商の営業へと順次発展した結果に他ならず、

ざらにその範囲が発展して、商法の規整は固有の商と関連のないいわゆる第三 種の商(28)にまで及んだと説明されることになる(29)。かくして、商法企業法説は、

法律上の商の拡張過程を、経済社会学的考察の面でもまた歴史的な考察の面で も、正当に説明することができる確固たる成功を収めた理論である(30)として、

商法学界に広く受容された。

商的色彩論は商法性格論として、商法企業法説は商法対象論として把握で き(31)、それぞれが1個の完成した理論としての価値を有するが、その分野の実 体法の本質を論じるにあたっては、当該の法の対象である生活事実が何である かを明らかにすることこそ第1義的に重要な問題であるから、商法の規整対象 の決定に関する限りでは、商法企業法説の優位を認めるべきであるとして(32)、

商法企業法説は、現在のわが国において、通説と言って差し支えない地位を獲

得して今日に至っている。

大森忠夫(1908~1972)の主張に係る、商法は営業または企業経済生活関係 に特有な法規の総体一企業活動それ自体に関する法規のみならず、企業経済生 活の主体・その施設・組織・手段、これらに関連する出来事など、ひろく企業 (27)商法研究者は、固有の商を補助する行為を補助(的)商と呼ぶ。たとえば、商行為 の仲立ち・取次ぎ・代理、商品の運送・寄託・保険、銀行取引がこれである。すでに 述べたように、商学上の「流通」概念には、これらは包含される。

(28)たとえば、旅客の運送、生命保険、傷害疾病定額保険、会社形態をもって行われる すべての事業などのように、固有の商と直接何ら関係するところがなく、ただ固有の 商または補助(的)商と類型的であるにとどまる行為(固有の商または補助(的)商

と同一の経営方法によって営まれる営利活動)をこう呼ぶ。

(29)西原・注(24)前掲14頁、大隅・注(7)前掲33頁。

(30)鴻・注(12)前掲6頁。

(31)服部・注(7)前掲4頁参照。

(32)鴻・注(12)前掲6頁。

Jq3

(17)

経済生活に関連しその特徴を反映する諸事実に関する法規をも含む-である(33)

はんちゅう

とする考え方も、商法企業法説の範蠕|こ属するものである。

2-3.商法上の企業の意義 それでは、「企業」とは何か。

上の問掛けに対して商法研究者が提示する解は、その思考経路などにおい て、必ずしも一様ではない。

先に述べた西原寛一の解は、経済学上の企業概念を応用して導かれたもので あると評価できよう。

大隅健一郎(1904~1988)によれば、企業は本来経済学上の概念であり、し かも経済学においてもきわめて議論の多い概念であるが、それは一定の計画に 従い継続的意図をもって営利行為を実現する独立の経済単位をいうとされ、加 えて、企業は、消費経済たる家計に対し、一定の金額(資本)をもって経済活 動を営み、その金額を基礎として収益の計算を行うところのいわゆる資本的計 算の下に財産の増殖をめざす営利生活体であるという特色を有するとしてい る(鍬)。この考え方も、発想として、経済学上の企業概念の延長線上に定立され たものと評価できる。

田中誠二(1897~1994)によれば、商法における企業とは、不定量の利潤(収 入と支出との差益、すなわち余剰利益のみならず、収支適合を目標とする費用 充足をも含む)を獲得するために、計画的にかつ継続的に資力と労力とを投じ て経済的給付を供給する行為をなし、このための特別の施設もしくは組織を有 する独立の経済単位体であるとされており、この定義は、経済学上の企業の概 念に、商法の重要規定と比較的によく調和するような修正を加えたものである

(33)大森・注(12)前掲7頁。

(34)大隅・注(7)前掲36頁。

104

(18)

との付言がなされている(35)。企業概念を法律上の概念として定立しようとした 姿勢は肯定的に評価できる。また、彼が企業的設備に着目した点も見過ごして はならない。

商法上の企業概念は、必ずしも経済上のそれと同一であることを要しないと して、法律上の企業概念を定立すべきであると強調したのが服部栄三(1920~

92008)である。彼は、企業を、資本的計算方法の下に経営される継続的・営利 的経済単位にして、法律上独立体として取り扱われるべきものであると定義し た(36)。これは、企業概念の定立につき、営業の(法的)独立性ないし主体性と

いう側面を意識したものである。

現在の商法研究者の多くは、企業概念をほぼ上の服部説に沿って説明してい る(37)。必ずしもすべての企業が資本的計算方法によって行動するだけの合理`性 を有しているわけではないとして、資本的計算方法を採ることを企業要件から 除くべきであるという主張もある(38)。これによれば、この経営計画には必ずし

も客観的な合理性・綴密'性までは要求されなし』ということになろうか。

ちみつ

ところで、大隅説などが説くように、企業がその営利活動の実現に向けて計 画的・継続的意図を有するという側面を強調すれば、すべての企業活動が規整 なくして自動的に秩序を維持するかのように非現実的に美化される危`倶がある (35)田中誠二『全訂商法総則詳論」(勁草書房・’976年)19頁。なお、彼は、1日説にお いて、企業概念の定立につき、商法の形式的規定をより重視する定立方法を試み、「商 業」もしくは「法律上これに類似する制度を必要とし、これに類似して取り扱われる ことを必要とする企業」を「商的企業」と呼び、これに特有な法を商法と解していた が、自ら形式に過ぎると述べて改説した。商法の対象を商的企業に限定すべきである とする考え方については寸鴻・注(12)前掲35頁脚注(10)、服部・注(7)前掲脚 注(2)参照。また、商的企業法説に対する批判としては、大隅・注(7)前掲35頁、

大森・注(12)前掲10頁脚注(9)参照。

(36)服部・注(7)前掲10頁。

(37)弥永真生「リーガルマインド商法総則・商行為(第2版補訂版)』(有斐閣・2007年)

1頁、森本滋編「商法総則講義(第3版)』(成文堂.2007年)2頁〔小林量〕など。

(38)関・注(10)前掲18頁。

、5

(19)

との注目すべき指摘がある(39)。企業の営禾I活動に内在する窓意性のようなもの

しい

(周囲の事情を配慮せず無計画に無限の利益を追求しようとする属性)を見落 としてはならず、この属性もまた企業概念を論じる上で認識しておくべきであ るとの關俊彦による主張である。すなわち、従来から商法企業法説が定立して きた企業概念は、企業が持つ-面の属性だけに着目してきたものであると指摘 し、企業本来の属性として窓意的性質を具有することに着目すれば、経済秩序 維持法としての各種経済法・消費者法などもまた、商法とは異なる側面から観 た企業法と位置づけることができるとの主張であると思われる。「企業に関す る法」を多面的に捉えるという点で興味深い。

確かに、商法企業法説に係る従来の企業概念は、元来が、所有権絶対の原則・

契約自由の原則を2大指導原理とする私法体系の中にあって、企業が資本主義 経済体制の進化・発展を支えるうえで必要欠くべからざる有益な存在であるこ とを前提とする、言わば楽観的見地からのみ構築されてきたものであるように 思われる。このような企業概念は、強く意識したか否かはともかく、商法(と りわけ会社法)が私法規に属するものであるとする伝統的観念を前提に定立さ れたものであると思われ、企業は、社会における各権利主体の多様な経済的需 要に応え、権利主体間の財貨の循環・財貨の再配分を行う役割を担うという、

その積極的側面のみに着目して定立された概念であると言える。社会的分業が 進んだ今日の社会を生体に臂えれば、商法企業法説'よ、企業を生体の存続に必

たと

要な健全な器官・細胞と捉えてその概念を構築しているのであろう。この事 が、企業活動を非現実的に美化していると言ってしまえば確かにその通りでは

あるのだが。

事実、企業という器官・細胞は、暴走すれば生体(社会)の健康を損ね、あ

さら がん

るいは死の危険|こ晒すような、言わば癌化する'性質を内包している。第2次大 戦後の経済法は、社会という生体を構成する企業という器官・細胞が癌化する のを予防する処方菱として、あるいは癌化した器官・細胞を治療する処方菱と

(39)同前。

106

(20)

して発展してきた。したがって、時に抗癌剤(企業活動制約法)として秩序を 乱す細胞の増殖を抑えることも主要な目的となる。かくして、経済法と商法と の融合論を否定する分離論に立脚する限りにおいて対経済法は、先の2大指導 原理の下にある商法の目的(富の蓄積という自由競争を通じた企業社会ひいて は一般の資本主義社会の進化)と同一の目的を有するものではないということ になる。そうであるとすれば、商法経済法分離論に立脚する限り、あるいは、

経済法の位置づけに関する議論が未成熟であった過去にあっては、商法が規整 する法領域においては、企業概念に、その属性として「恐意性」を取り込む必 要`性に対する認識が低かったとまでは言えるのではなかろうか。

商法の企業概念中に、その本来的属性として窓意性を加えるべきか否かは、

商法体系中に今日の会社法(および経済法)をどう位置づけるかに密接に関わ るものと思われるので、この点については後に検討する(本章2-4-5)。

2-4.商法企業法説の諸問題

2-4-1.絶対的商行為規定の存在意義

商法企業法説によれば、たとえ非商人が1回に限ってした行為であっても商 法の規整を及ぼすという絶対的商行為(とりわけ商501①②所定の投機売買)

の存在を認めることの説明ができない。しかし今日では、絶対的商行為には中 世的な階級的商法から近代商法に移行するための架橋たる役割を果たしたとい う商法史的意義が認められるにすぎず(40)、現代においてはむしろこのような行 為を認めることにこそ問題があるとの評価が下されているM1)。少なくとも今日 では、絶対的商行為概念はさして重要性を有しているとはいえず、商法典中に これが存在することが、理論的に商法企業法説を肯定することの妨げとなるも のではない(42)。

(40)

(41)

(42)

服部・注(7)前掲11頁、関・注(10)前掲15頁。

近藤光男『商法総則・商行為法(第5版補訂版)』(有斐閣・2008年)6頁脚注(5)。

同前、関・注(10)前掲15頁。

107

(21)

2-4-2.原始生産業と商法

商法企業法説は、農林水産業をはじめとする原始生産業への企業の進出につ いてどのように考究すべきかという、現代および将来へ向けての課題を内包し

ている。

先に述べたように、商法は、昭和13年(1938年)改正時(同年法律第72号)

に、原始生産業のうち、鉱業営業者を商人とみなし(商4m、鉱業営業を商 法の規整下に置いた。鉱業の企業的設備ならびに経営方法および形式に着目し た結果である(43)。しかし、現在までのところ、商法は、鉱業以外の原始生産業 に対しては沈黙したままである(法が許容する範囲内において、会社という企 業形態をもってこの事業を行うことにより、これを商法の規整下に取り込むと いう進入路はあるが(会5))。この理由については、一般的に従来から、原始 生産業に対する特別の経済的・社会的配慮(原始生産業を伝統的に商業と区別 することに、相応の経済的・社会的配慮が存在した結果である)に帰せしめら れてきた。

原始生産業と商法との関係につき、鴻常夫(1924~)は、農業をはじめ とする原始生産業と商法の関係いかんという問題の正しい解決は、理論的に は、原始生産業と商業との伝統的な区別が必ずしも現実の所与に照応していな いことを正しく認識したうえで、原始生産業と商業との区別の法律的基礎を歴 史的.経済的所与のうちに探究すべきであるということになろうと、その解決 の方向を示している(")。関俊彦は、他の原始生産業に商法が沈黙しているのは、

条文が成立した時代に規整が必要な程度に組織的に成長していたのは鉱業者だ けだったのであろうと、上の方向に副った洞察をしている(45)。

今日の生命工学.生物工学(バイオテクノロジー,biotechnology)の発達に

かつも<

は舌U目すべきものがある。生物(動植物)が行う化学反応や機能を工学的に矛Ⅱ

前掲101頁、大森・注(12)前掲83頁、弥永・注(37)前掲18頁。

前掲8-9頁脚注(1)参照。

前掲15頁。

(43)

(44)

(45)

(12)

(12)

(10)

鴻・注 鴻・注 関・注

108

(22)

用…応用する技術の発達にともない、遺伝子組換え、細胞融合技術などの飛躍 的技術革新による動植物の品種改良、クローン(Cloning)技術の畜産業への 導入など、原始生産業と工業製造業との垣根は、著しく暖昧|こなりつつある。

あいまい

しかも上のような事態は、企業抜きでは考えられない。このような現実は、20 世紀の相当に末葉にあってもなお、立法者の予想を超えたものであったと思わ れ、このような原始生産業に根差す新しい種類の企業生成に、成文法の対応が 遅れているというのが現実である。かかる事態への対処は、最終的には立法論 の問題であるが、解釈論としては、原始生産業(この呼称が今日なお適切であ るかはともかく)の規模、経営方法および当該の具体的問題について存在して いる法律制度と商法の制度との類似性を考慮したうえで、一般法としての民法 と企業に関する特別法としての商法のいずれを適用すべきかを決定すべきであ ろうと説く鴻常夫の主張(46)が示唆に富むものと思われる。

2-4-3.自由職業と商法

主として学術技芸に関する部門に携わるいわゆる自由職業(弁護士、医師(47)、

公認会計士、芸術家など)と商法との関係については、結局のところ、主とし てこれらが営業または企業と認められるか否かは、当該事業活動の指導理念と して、その事業の収益性や投機性がどの程度の比重を持つかを標準として定ま るところの、いわば社会通念上の問題に帰着するものと思われる(48)。すなわち、

いわゆる自由職業は、社会通念上、その行為の客観的なあるべき性質が、本来 営禾Iのために行われるべきでないとの認識が、未だ社会の一般常識に適うから

かな

商法の規整の外に置かれているのである(法が許容する範囲内において、会社 という企業形態をもって参入しない限り、企業がこの分野へ進出することを社 会意識が許そうとしない、少なくとも好まない)と一応の説明が可能である。

111678444III

鴻・注(12)前掲8-9頁脚注(1)。

獣医師業については、商法502条2号該当行為を業とする者と解すべきである。

大森・注(12)前掲6-7頁。

109

(23)

ただ、今日的な自由職業の展開もまた立法者の予想を超える局面を迎えている ことは事実である。これらに関してもまた、原始生産業と商法との関係で言及

ひょうそく

した鴻常夫の主張と平)灰:の合う議論が必要となろう。

2-4-4.手形法の位置づけ

商法企業法説によれば、手形(以下、小切手を含む)制度が企業を越えて企 業者以外の一般人に開放されている現状を捉え、手形法が実質的意義の商法に 属さないのではないかという主張がある。この主張を肯定する説は、たとえば、

かつて商人法として発達し、商人に特有の制度であった破産制度が一般化し て、破産法が商法から分離して独立の法域を形成しているのと同様に解しうる と説き(イ9)、あるいは、手形に関する法規整の対象が、有価証券上の行為として 企業取引とは性格を異にする有価証券法という独立した体系の一部を形成して いると説く(so)。しかし、商法企業法説に依拠しつつも、形式的議論より現実を 重視して、手形が実際上は主として企業生活との関連において最も多く利用さ れていること、手形法は商法の特色と認められる種々の特色を最も典型的に有

している(少なくとも商法の特色と多分に共通性がある)ことを理由に実質的一 意義の商法に属せしめて理解することが可能であると説く立場もある(51)。さら

には、手形法は、その成文法上の規定に加え、金融界で使用される各種自治法 規(銀行取引約定書、当座勘定規定、手形交換所規則など)と共に、与信取引・

決済取引などを規律する銀行取引法体系を形成しており、手形法単体としては 形式上企業に固有の法律ではないけれども、現実には企業者以外の一般人をも 対象とする一般法として機能していないとの指摘もある(52)。

確かに、手形制度は、その技術的利便性のゆえに、いったんは企業者以外の

大隅・注(7)前掲38-39頁。

服部・注(7)前掲12-13頁参照。

鴻・注(12)前掲8頁、大森・注(12)前掲9-10頁。

関・注(10)前掲39頁。

(49)

(50)

(51)

(52)

110

(24)

一般人にも開放された制度である。しかし、今日では、クレジット・カード

(creditcard)や電子マネー(clectronicmoney)の普及にともない、とりわけ 企業者を除く一般人の間では、証券を矛U用した決済手段が急速に駆逐されつつ

くち〈

ある。しかし、企業生活関係においては、信用取引になお慎重を要する場合が あるし、信用取引の場で証券が物理的に存在することによる安心感や証拠手段 としての簡便さなど、手形を利用することへの需要が残っている。企業生活関 係においてはなお、電子決済を補完する手段としても手形の需要は今しばらく 命脈を保つものと思われる。また、商人間信用を銀行信用へと転換する手形割 引が果たす役割も大きい。言うならば、手形制度は、いったん非企業者の生活 関係へと拡大したのであるが、今日再び企業に固有の生活関係へと収縮(回帰)

していると評価することが可能である。

2-4-5.会社法および経済法の位置づけ-わが会社法の機能的変化の 道程を辿りつつ

たど

2-4-5-1.第2次大戦前の会社法

会社法は、典型的な企業としての会社を規整する、多分に企業組織法・企業 形態法としての`性格を有するそれ自体完結した法体系である。それゆえ、すで に述べたように、立法当時から、他の商人と区別して商法典中に特別な地位を 与えられ、独立した1編として設けられて、この体裁が近時まで維持されてい

た。

商法典中に規定された立法当初の会社編は、主として会社の内部および会社 の外部における各権利主体(会社それ自体、社員ことに株主、役員、一般会社 債権者、社債権者など)相互の利害の調整法たる側面に軸足を置き、なお純然 たる商私法としての面目を十分に保っていた。日清・日露両戦役後の泡沫会社 現象といった、法制の不備を一因とする苦い経験を有しつつも、第2次大戦前 の会社法は、昭和13年(1938年)改正(同年法律第72号)後もなお、企業の私 的発展と企業的活動量の増大による各人の経済生活の向上とを尊重し、これら

111

(25)

が国民経済の進歩発展と調和し、かつこれを促進しうるという楽観的立場(53)を 当然の前提としてい7t=のである。勿論、当時の商法研究者の中にも、会社企業

もちろん

が社会に与える負の側面を顧慮しない自由主義的・不干渉主義的立場を維持す

けいしよう

る会社法に警鐘をⅡ鳥らす主張はあった(剛)。わが国で経済法的規整の必要`性が説 かれ始めるのも、昭和10年(1935年)前後のことである。わが経済法の歴史的 展開の特徴は、その必要性が会社法改正論議の文脈の中から始まったという点 にある。この点は銘記されるべきである。しかしながら、企業者の多くは、自 由主義的・不干渉主義的会社法の基調を維持することを支持した。たとえば、

昭和初期の企業者は、会社法が会社に対する公権力の関与を行政機関でなく司 法機関に委ねたのは、会社法に行政法的色調が混入するのを避け、なおこれを 私法体系中に留め置くという立法者の苦心の産物との見方も出来なくもないと しつつ、司法機関の関与すら排除しようと試み、進歩した商業社会においては、

定款の自治制定、不干渉こそが商業自治の精神に通ずるのであるから、検査役 の選任等|こっても商工会議所のような斯界に適する民間機関を利用すべきであ

しかい

るとする趣旨の主張を展開している(55)。

2-4-5-2.経済法の登場

第2次大戦の敗戦にともなう占領政策の一環として、連合国(アメリカ)は、

財閥解体などの産業界の民主化政策を実現するため、「私的独占の禁止及び公 正取引の確保に関する法律(独占禁止法)(昭和22年(1947年)法律第54号)」

をはじめとする経済諸法の整備を指示し、これに副ってこれら新しい諸法が、

商法(会社法)の外に、言わば「企業に関するもうひとつの法系統」として続々

(53)西原寛一「商法改正法案管見」法律時報8巻5号(1936年)3頁。

(54)高窪喜八郎「商法改正要綱は根本の改造を要す(1)」法学新報44巻5号(1932年)

44頁、鳥賀陽然良=大橋光雄=大森忠夫=八木弘「商法改正案を評す(13)」法学論 叢34巻1号(1937年)149頁、西原・同前など。

(55)原田鹿太郎「実際家より見たる新株式会社法(1)」法律新報481号(1937年)2-

3頁。

112

(26)

と誕生することになる。こうして誕生した経済法は、一般的に、国民経済全体 の立場から企業組織や企業活動を規制する法律であると捉えられた(56)。ともあ れ、このような規制法が、商法(会社法)の外に、形式上別個の法系統として 制定されたことによって、会社法本体の基本的な性格は、第2次大戦後にあっ ても、自由主義的・不干渉主義的立場を基調とする私的利害調整法たる体系を 保持することになる。会社法を含む商法典は、戦後に至ってもなお商私法と呼 ぶに相応しい性格の法典であった。会社法中に置かれた公法規としての刑法則 や訴訟法則は、あくまでも私法則の実効を保障するためのものであるという位 置づけであった。

2-4-5-3.商法.経済法分離論と融合論の展開

経済諸法の整備が進み、その体系が充実してくるにともない、当然に企業法 としての商法と経済法との関係が商法研究者の考究の俎上Iこのぼされること

そじよう

になる。わが国においては、独占禁止法が経済法の中心であり、言わば経済法 の頂点に立つものであるという位置づけが一般的に認められていることから、

具体的には、独占禁止法が実質的意義の商法に属するかという問題を中心に、

この考究が展開された(57)。

商法と経済法との関係については、いわゆる両法分離論と両法融合論の展開

が見られる。

分離論の主張はおよそ以下のようなものである。すなわち、商法は企業をめ ぐる経済主体の利益の調整を関係経済主体間の権利義務秩序として調整する法 であるのに対し、独占禁止法をはじめとする経済法は、公正な競争による自由 主義経済という実質的な経済秩序を実現するための法規整である点において、

両者は、法規整の理念を異にする。時に経済法が関係経済主体間の権利義務関 係を規整することもあるが(たとえば独禁法による合併規整)、それはあくま

(56)鴻・注(12)前掲32頁。

(57)大隅・注(7)前掲53頁、服部・注(7)前掲57頁、鴻・注(12)前掲33頁。

113

(27)

でも実質的経済秩序の確立を問題としてのものである(詔)。

融合論の主張はおよそ以下のようなものである。経済法ないし経済統制法も その主たる対象が直接間接に企業であってみれば、これと商法との2元的対立 は、所詮は永久のものとは思われないのであって、過渡的な段階として両者を 一応別個の法域として把握することは認められるとしても、窮極においては両 者は統合されるべきものである(59)。

両説に対する評価は区々であるが、かつて1970年代に、服部栄三は、商法と 経済法との関係の「予測論」として、以下のような興味深い見解を述べている。

すなわち、個々の経済主体の利益がそれ自体として存在しうる限り、商法がそ の存在を失うということはない。しかし、このことは、商法が独立の法部門と して経済法とともに永久に並存することを意味するものではない。個々の経済 主体の利益を基礎として、経済主体相互間の利益を調整することも、国民経済 全体の利益を考慮することなしに不可能であるとの考え方が強まってくれば、

商法は経済法を背景としてのみ存在しうることになる(帥)。.

2-4-5-4.わが企業社会の変遷と会社法の機能変化

会社企業の事業活動に対する規制緩和と規市I強化との相剋は、すでに触れた

そうこく

ように第2次大戦前から会社法の議論の焦点であった。それでは、大戦後のわ が会社企業社会の現実の歩みはどうであったのか。果たして、服部の予測論に 対する解は今日提示されるに至ったのだろうか。

いわゆる戦後高度経済成長時代は、企業の属性の正の側面が如実に顕在化し た時代であったと言えよう。この時期の目覚ましし】経済成長は、戦後改革によっ

めざ

てその素地を形成していた労働者・農民への所得分配率拡大を現実のものと し、個人消費の拡大と設備投資の増大との歯車が噛み合うようになる。需要の

鴻・注(12)前掲33-34頁。

西原・注(24)前掲10頁。

服部・注(7)前掲60頁。

(58)

(59)

(60)

114

(28)

拡大がさらなる大量生産を可能にするという循環的な生産と消費の拡大が生じ たのである。中小企業も大企業と直結した系列化を進め、最大の就業人口を吸 収した。労働力が過剰から不足へと転換した1960年代には、大企業と中小企業 の賃金格差なども緩和の方向に向かったのである(61)。この時期、自由な企業活 動は朝野を挙げて歓迎された。企業は豊かな社会を実現する象徴であった。そ れゆえ、この時期は、会社法の改正も、昭和25年(1950年)改正(62)(同年法律 第167号・昭和26年(1951年)法律第209号)という激震の、言わば余震(ある いは積残し)に対応する改正(閉)、当時の経済界の要望に対応するそれ(")がなさ れたが、これらは、会社関係者の利益調整という商私法としての域に止まる改

正でしかなかった。

しゆうえん

高度経済成長が終焉した1970年代|こなると、企業の属`性の負の側面が目立 つようになる。60年代後半の不況により、大企業の大型倒産や経営危機が相次 ぐようになるが、その過程で粉飾決算が次々に露呈する。大企業の粉飾決算は、

70年代に入っても止むことがなかった。さらに海外から、1971年(昭和46年)

のいわゆるドル・ショック(dollarshock)、1973年(昭和48年)の第1次オイ ル・ショック(oilshock)の波がわが国を襲い、この時の売惜しみ.便乗値上 げといった形振かまわぬ企業の営禾U追求姿勢は、国民の反発を招くことlこな

なりふり

る。さらには、公害問題への対応といった面でも企業は批半Uの矢面に立たさ

やおもて

れた。70年代半ばには、「企業の社会的責任」という言葉が商法研究者の間で も盛んに用いられるようになる(65)。会社法改正議論の文脈の中に、企業は一定

(61)三和良一「概説日本経済史近現代(第2版)』(東京大学出版会.2002年)196頁。

(62)この改正については、中東正文「商法改正「昭和25年.26年」GHQ/SCAP文書」(信

山社.2003年)参照。

(63)昭和30年(1955年)改正(同年法律第128号)、昭和37年(1962年)改正(同年法律 第82号)である。これらの改正については、浜田編・注(4)前掲292-333頁〔浜田

道代・森光雄〕参照。

(64)昭和41年(1966年)改正(同年法律第83号)である。この改正については、同前334

-368頁〔戸川成弘〕参照。

(65)河本一郎「企業の社会的責任」ジユリスト578号(1975年)106頁以下参照。この議

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(29)

の制禦を要する存在であるという意識が再び明確に姿を現したのである。その 意味では、監査制度の強化を主眼とした昭和49年(1974年)改正(")(同年法律 第21号)は、戦後の会社法改正のひとつの転換点であったと評価できる。

昭和49年改正にあたり、参議院法務委員会が行った以下の附帯決議(同年3 月19日)をどう読み解くかは、先の服部の予脚I論の帰趨を見極める糸口となろ

きすう

う。すなわち、「現下の株式会社の実態にかんがみ…大規模の株式会社につい ては、その業務経営を厳正公平ならしめ、株主、従業員及び債権者の一層の保 護を図り、併せて会社の社会的責任を全うすることができるよう、株主総会及 び取締役会制度の改革を行うため、政府は、すみやかに所要の法律案を準備し て国会に提出すること」というものである(67)。上の附帯決議は、一応は、会社 およびこれと対I時する各権利主体との利益調整を商私法的規制強化手法によっ て実現することを希求したものと捉えることができよう。しかし、会社法の改 正によって会社の業務経営の厳正公平・その社会的責任の全うといった側面を 是正するには、そこに国民経済全体の立場から会社企業の有り様を考えるとい う視座が不可欠になる。このような視座は経済法のそれと共通`性を有するもの

であり、この辺りから会社法は、それ自体が伝統的な商私法の域に留まること

の限界を露呈し始めたと言えるのではなかろうか。

周知のように、これ以降のわが会社法の改正は、昭和50年(1975年)6月12 日に、法務省民事局参事官室から公表された「会社法改正に関する問題点」に 掲げられた検討事項におおむね即する形で行われる(いわゆる会社法根本改正 計画)。

昭和51年(1976年)に発覚したいわゆるロッキード(Lockheed)事件は、わ が国を震憾させた。この事件を契機に、企業の非行を防止すべ<、その自主ロ勺

しんかん

論に関する明快なまとめとして、龍田節「企業と責任」竹内昭夫・龍田節編『現代企 業法講座第1巻』(東京大学出版会・’984年)373-375頁参照。

(66)この改正については、浜田編・注(4)前掲369-425頁〔上田純子〕参照。

(67)昭和48年(1973年)7月3日、衆議院法務委員会も同旨の附帯決議を行っているが、

参議院決議の方がより具体的である。

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参照

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