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寺 前 秀 一

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Academic year: 2021

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本四三橋時代における地域づくりの現況と課題

ーとくに中四国地域を対象として一

1 国土計画体系の背景

I 国土計画体系の背景 1

1 国土計画体系の範囲と理念 I

1

1 参加と連携

寺 前 秀 一

ご紹介いただいた寺前である。お手元にレジュメを配らせて頂いているけれども、それに従って、説明 をしたいと思う。最初に井原先生から非常に丁寧なご紹介を頂いて、恐縮いたしている。高松の、あるい は、四国のことを全部承知しているわけではないので、むしろ、間違いがあったら、訂正を頂きたいと 思っている。

1 議論の入口

配られている資料の、表紙を入れて3 枚目の「国土計画体系の背景」というところをご覧頂きたい。そ れからまず話をさせて頂きたいと思う。

私は、0002 年の6月まで国土庁計画・調整局というところに在職致していて、裔々 2年間であるが、国 土計画の仕事をさせていただいた。そこで自分なりに理解して貯めたデータがある。12 世紀になる前に国 土計画体系を見直せと言う宿題も頂いてきて、そのための勉強ということで作成させて頂いた資料がある。

本日はそれらに基づいて話したいと思う。

国土計画というのは最初当たり前のように実在するのだと議論していたのだが、段々やってまいると、

「国土計画というのは何だ一言で言ってみろ」と言う話になってしまった。自分としてはすっきりした答 を出せなかった。

下河辺元会長にもお教え頂いたのであるが、自分には何かよく分からなくて、そのまま 2年間考え続け てきたということである。

それで、国土計画も地域計画も実は一緒じゃないかというところが時々ある。気をつけてしゃべらない 「国土計画=(イコール)国の計画」だということで、話をしている内に、議論が混乱してまいると、

地域計画の話にすり替わっていたりして、いろいろ問題点を指摘されると、よくいえば上手に使い分けら れ、悪く言えば、全く混乱をして説明をされるということがある。

これは人のことではなくて、私が在職していたときの国土庁の中でもそうである。問題点が全然かみ合 わないまま、地域計画と国土計画を定義付けしないまま、議論するというようなことがある。

その反省に立って、ここは、国が作る国土計画という流れで、一応書いてある。

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その国土であるから、 「日本」の国土であって、その「日本」というのが何だということである。

左肩に書いてあるが、戦後、戦争に負けて、人口が7 千万人からスタートした。歴史的な話になるが、

六百万人外地から帰国してきた。ここから戦後の国土計画というか、国として考える計画が始まって、当 然のことながら、どうやって食糧を確保するかということが国の一番重要な関心事であるということから スタートしたわけである。

話は飛ぶわけであるが、国土計画の土俵がはっきりしないと、何を業務の対象にするかということが明 確にはならない。国土計画は法律で定められた法定の計画であるということを前提にしたいとおもう。そ うしないと、総理大臣が、総理になるたびに、いろいろな計画を政治的に出していくわけであるし、ある いは、野党の方も出してくる。そういう計画についても、国土計画いう認識は可能であるが、その範囲は その都度作成者が決めるものと思われる。従って、国の役所が役所として議論をする以上は、立法府があ る程度方向性を定め、行政府は立法府からこういう計画を作りなさいという指示を受けたという前提で考 えるべきものだと理解すべきだとおもう。

2 国土計画作成の経緯

昭和52 年に全国総合開発等に関する国土総合開発法という法律ができた。今イギリスは大雨で、河川氾 濫が向こうの大変なニュースとして流れているが、当時の日本も台風等の被害のことがよく新聞に出る時 代であって、治山治水、食糧増産という中で、社会科の教科書で出てきたが、特定地域の国土開発計画と 言うか、只見川であるとか、北上川、そういった地域の開発計画が必要であるという、こういった時代で あった。義務教育でも教えられ、中学生でも記憶しているということがあった。

その時に、国土総合開発法案の原案は地域計画が基本ではあったのであるが、地域計画を作る以上は全 国の計画が必要ではないかと、内閣法制局で言われて、実体が必要かどうかではなくて、理屈上必要だと いうところから、地域計画の元となる国の国土計画が必要である、ということで後に法案に追加されたも のが全国総合開発計画である。

法案成立後も、当時の吉田総理が計画というものをあまり好きではなかったということもあって、これ を無視されたと伝承されている。全国計画を作ることに「うん」と言わなかったようである。従って、法 律はできたのであるが、全国総合開発計画は作成されず、特定地域総合開発計画だけが作成された。

それで、昭和73 年に、このフローチャートの真ん中に出ている全国総合開発計画、これが各地域の計画 の元となるものだよということで、作成されたわけである。

ではなぜ昭和73 年に全国総合開発計画ができたかというということであるが、このフローチャートの左 側に出ているように、所得倍増計画というものが、池田内閣の時に出たことに関係する。この計画は、先 ほど申したように、総理が自分の政治的なスローガンとして作られた計画で、ふるさと創生計画であると か、日本列島改造計画とかとおなじく、非法定の任意計画である。だが政治的にはこちらの方がはるかに 重要だと受けとめられる。しかし、国民の代表である立法府が、法律できちんと、長期間に渡って国の方 向性を定める計画を定めなさい、といったものではないわけであるから、内閣が変われば当然無視される という性格にも近いわけである。

昭和53 年、まさに高度経済成長期に突入する時に作成された所得倍増計画の文面を読むと、私自身は必 ずしも、太平洋ベルト地帯に特化して、中国流に言えば富めるところから宮みなさい、といったような計 画ではなく、それなりにいろいろなところに配慮してあるものだと思うのであるが、マスコミ流の解釈で はやはり、太平洋ベルト地帯に特化した殖産工業的な計画だと言われている。

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そういうイメージがあったことは事実であろうし、政治的にはそういうふうにされているのも事実であ ろう。これを閣議決定する際に、当時の与党である自民党から反対を受けた。バランスが崩れているとい うことで、政府は「所得倍増計画の基本構想」というものを同時に作成している。このなかで、日本には 格差が3 つあるという認識のもとで、鹿業と工業の格差、大企業と中小企業の格差、それから地域間の格 差、これらの格差をなくす政策を進めろということが、所得倍増計画の基本構想のなかでうたわれたとい

うことである。

農業・工業間格差については、ご承知のように確かに所得の水準について農業と工業の格差があった。

農業基本法というものが、正確な記憶ではないが、昭和36 年、この所得倍増計画の直後にできている。つ いこの前まで、この農業基本法が国の農業政策の基本となって延々と続いてきたわけである。

蛇足であるが、国の政策の一番重要なものは、やはり、食糧増産であって、もう少し大上段に言えば、

平安時代から国の為政者にとって、国民が飢えて死なないように食料を如何に確保するかというこ とが一番重要な政策であった。徳川時代も明治時代も食糧増産、食糧確保が中心である。0003 万石の時代 には、 0003 万人の日本人がいたわけであるし、0004 万石の時代には0004 万人の日本人がいたわけである。

食料が供給できる数しか日本人は存在できなかったわけである。

戦後スタートするときに、日本人は0007 万人いて、米の生産量は0007 万石には足りなかった。如何に食 糧を増産するかということが我々の一つ前の世代で提唱されていたわけである。

これが、お配りした高度経済成長期のところに書いてあるように、作付面積では、昭和93 年に033 ah ということでピークを迎えているし、収穫高で言うと、昭和24 年にピークを迎えた。

ちなみに昭和34 年には当時の西ドイツのGNP を抜いて、世界第二位の経済大国になったわけである。

交通の世界で言うと、バスの輸送量のピークが昭和34 年、つまり、モータリゼーションがはじまりマイ カ一時代に移っていった時代である。

従って、昭和34 年には、農業基本法の目的を遂げ計画を達成したということになろうかと思う。同時に、

それから国土政策のうち農水省関係の政策というのは、減反政策と農業地域の振興にウェイトが移ってゆ

それから、中小企業と大企業との格差ということであるが、これについては自分自身も勉強不足であっ て、まだまだ勉強が足りないわけであるが、一応、経済の二重構造と言われてきていることである。戦後 7

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0 万人でスタートしたといっても、日本の農村部に非常にたくさんの人がいたわけであり、二男三男の 仕事をどう確保していくかが最大の課題であった。長男や父親の農業の手伝いをするような状態から始 まっているわけであるが、とても、将来にわたって生活していける状態ではないということから、国とし てどう考えるかということで、実は、日本の農村部の余剰人口をどんどん東京や大阪に人を送り込む政策 が採られた。そういう形で地方財政も楽になるし、東京や大阪が雇用を吸収し、産業復興の助けになった わけである。

では、中小企業と大企業との格差についてであるが、どうも、集団就職列車で出てきた人々は、日本の 社会でいわれているような終身雇用制のところに就職されたわけではなくて、むしろ、クリーニング屋さ んであるとか、お肉やさんであるとか、労働法がちゃんと適用されているのかされていないのかわからな いようなところに、就職されていったわけである。

従って、どうも倍増計画や国土計画でいっている中小企業基本法が目的とするところと、農家の二男三 男が、特に東京に集まった方の格差是正とは、実体としては結びつかないわけである。スローガンとして は、今でいうところの「系列」関係の、大企業と中小企業との格差是正ということが所得倍増計画でうた

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われ、農業基本法と同時に中小企業基本法というものが作成され、戦後高度経済成長期以降の政策の柱に なったわけであるが、農村部からでてきた大半の人々は中小企業にも就職できなかったわけである。

それから、 3つ目の地域間の格差是正。これは、政治的スローガンとしては一番分かりやすいところが ある。ただ、いろいろ調べてみると、昭和53 年の時点では、 「過密」という言葉はあるようであるが、

「過疎」という言葉がまだない時代である。

従って、全総(全国総合開発計画)が昭和73 年に初めて作られた時は、読んでみると、基本的には東京、

大阪の大都市対策、過密対策は書かれているが、地方の人口が少ない地域について、今でいう高齢化社会 問題みたいな記述はない。つまり、過疎という問題意識がないわけである。地域間格差是正といっても、

今にいう問題ではなかったわけである。

この全総ができた時にはちょうど東京都の都下の人口が1千万人になったと言われる。そのうちの、 02 -24 歳の半分は地方の出身者だということである。

繰り返しになるが、地方の出身者というのは、今でいう大企業・中小企業のうちの中小企業に就職され て、大田区の工場に入ったというのではなくて、むしろ、おそばやさんであるとかお手伝いさん、そうい うものに入った。そういう方の方が多いといわれている。その後、お分かりのように、高度経済成長期を 迎えて、外需が経済を牽引した印象がある。戦前よりも対GDP 輸出比率は半分であるし、決して日本がス テレオタイプにいわれているように、外国から資源を輸入して加工して外貨を獲得して経済が成長して いったというよりも、むしろ農村から出てきた都会へ住んだ人たちが、テレビを買い、洗濯機を買いとい うような内需が、日本の国を引っぱってきたというふうに、今では解釈をされている。

それで、減反政策が始まる事になるわけであるが、話を一気に飛ばすと、私が国土庁でお世話になった ときには、三つの格差是正が全部終わりじゃないかと言われている時期であった。ウルグアイラウンドを 経て、農水省はどうするんだということから、この農業基本法というものが改正というか、廃止になって、

食料・農業・農村基本法というものがついこの前成立したわけである。食料増産を前提とした公共政策と いうものが無くなり、食料安保的な思想が非常に強く出てきた。さらには、例えば中山間地域のかつて稲 を植えていたところのその環境をどう確保するかということで、むしろ国策として、所得保障をしてでも、

農業を持続してもらって環境を保全することが必要であるという思想が強くでるようになった。食料政策 というよりもむしろ環境政策として維持していくというようなところに広い意味での農村を維持するとい うふうな、新しい食料・農業・農村基本法というのができたわけである。

それから中小企業の問題につきましても、ステレオタイプの、中小企業と大企業との格差是正というも のは、経済構造改革の世界で解決するという思想に変化した。金融ビッグバンを初め規制緩和するんだと いうことであるから、自由に競争させろという通産省が自らおっしゃった政策もあるということであって、

中小企業基本法の精神を格差是正から自立促進に変化させた。

中小企業対策は、農業ほどは影響はしていなかったと思うが、それでもかなりの政治的な力になった。

今日の主催者も商工会議所であって、その一翼を担っておられる団体である。釈迦に説法のような話で恐 縮だが、多分、中小企業基本法の精神が変わったということでご説明があったと思う。これからは、自主 的な努力、創意工夫を中心とした経済構造改革をしていこう、なんていうようなことが計画の中心になっ ていくかと思う。

この所得倍増計画の中の大きな課題の2つについては、 12 世紀前に国の方向性を変えたと言うことであ る。更に、この地域間格差の是正と言うか、国土の均衡ある発展という言葉で言われるわけであるが、こ れをどうするかが最後の課題となったわけである。

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l 国土計画体系の範囲と理念

つい、 2年前に「21 世紀のグランドデザイン」、戦後5番目の全国総合開発計画を出したばかりであっ て、普通であれば、 12 世紀はその計画に従って政策を作っていくんだというわけであるが、その計画の中 で、新しい国土計画の理念というものを作成すべきだという思想がビルトインされているわけである。自 分で自己否定するような、やや矛盾することをうたう非常に珍しい計画である。グランドデザインのなか では、新しい理念のもとに地方分権、行政改革、実効性の課題について計画の新しい体系を作っていく、

こういうふうなことがいわれているわけである。お配りした資料の、この図の矢印で五全総とかいてある が、まさにその中に書いている。

1 新理念は必要か

五全総では、何を時代背景にものを考えているかということであるが、まず、少子高齢化時代。つぎに、

地球時代。地球定員は001 億人程度であるということからの地球環境をいかに確保してゆくかという問題 意識、国境を越えた経済社会活動が増加するボーダレス社会の問題意識、こういうものに対して、国とし て何を考えていくか。あるいは、森総理も提唱している IT 、高度情報化時代。これらがある。

こういったことを背景に五全総が作成されたわけである。その中で今申し上げたように、地域格差の是 正という国土計画を見直すんだという意識があった。

実はそこに大きな問題があって、分かりやすくいえば、 「地域格差の是正というものをやめる、やめな ぃ」の議論を始めると、では、国土計画というのは何だということになる。地域格差の是正が国土計画の 一番重要な部分だと、私はそう思っているのであるが、仮に、いろんな意見があるのであるが、そうだと して、それをやめるとなると、では、国土計画というのは今後一体何のために作るのだろうかということ になるわけである。

では、やめるのかというと、やめてもいいわけであるが、国土計画は、国の計画として森羅万象、全て のことを説明するようなそういうものではないわけである。国によっては本質的に曖昧である国土計画は 存在しないところもあるし、アメリカはご案内のように国土計画はない。

吉田総理が嫌いだといったように、一種のデマゴーグみたいなものになってしまうものはいらないとい うふうにすれば、いらないわけである。法律をもって基本法を作って、法定計画で何かをするような時代 ではないのではないかという認識も成り立つわけである。

2 都市と農村における人口の適正な配置

それで、国土計画という中身にはいってゆくわけであるが、元に戻って頂いて、昭和37 年、東京都で1 千万人になった。この頃はまだヨーロッパ並の車社会にはなっていない。日本がヨーロッパ並に車社会に なったのは、0891 年代になってようやく 1人当たりの台数がイタリアやドイツ並になった時である。いず れにしても、車は増え始めた。モータリゼーションが引き起こした社会的な影響というのはそこにかいて あるが、 「都市と農村における人口と産業の適正な配置」ということに対する影響がきわめて大きかった。

なぜ、 「都市と農村における人口と産業の適正な配置」とわざわざ長たらしいことを書いたかと言うと、

国土計画を作成する基本となる法律に、国土総合開発の中で計画事項というものが記載してある。計画事 項の中には電力や道路や鉄道や港湾といった事項が記載されている。しかし、電力も港湾も鉄道もそれぞ れ別の体系で計画がある。それらを総合する計画として全国総合開発計画があるとするならば、高速道路 計画や環境計画や防災計画といったほかの国の大きな計画の中では対象としていない国土計画独自の計画

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事項は何だと、こういう議論になるわけであるが、唯一ほかの計画では記載事項として書かれていない法 定記載事項が、この「都市と農村における人口と産業の適正な配置」という計画の事項である。

まさにこれこそ国土計画の真髄ではないかというふうにしかいいようがないわけである。好きか嫌いか ではなくて、立法者の主旨はこういうことなんだというふうに私は思った。

「都市と農村」という言葉についてであるが、 「都市」という言葉はそれぞれ法律なんかでも対象とす る言葉はある。 「蔑村」という言葉も法律でよく出てくるが、農村というのを説明して下さいよとなると、

法律として農村という言葉の定義がされている例がない。

農業という言葉はあるのであるが、農村という言葉は、分かるようで今になってみるとわかりにくいわ けである。各省でいろいろな補助金があるのであるが、農村と都市がはっきりと分かれているのであれば、

補助合戦みたいなことはおきないわけである。現実は都市と農村が混在化し、都市と農村の境目がなく なった、言葉を換えていうと、農村がない社会になってしまったのではないかというのが私なりの考えで ある。

それは、なぜそうなったかというと、車社会になったわけで、それは発展した社会である。環境的な問 題を別にすれば、自由に好きなところに住むことが可能となった発展した社会が実現したのである。

このことに関しては、土地問題という形で大きく出てくるわけであるが、美しい日本の農村風景がなく なってしまったと批判をされる方もいる。

2

1 世紀のグランドデザインに副題が付いていて、戦後5番目の全国総合開発計画は、美しい国土の創造 12 世紀の国土計画の基本とするという意味を込めているわけであるが、これも都市と農村の混在化とい うことから始まっているのだろうというふうに理解をしている。

3 国土の均衡ある発展

話が飛び飛びになって恐縮であるが、ここの国土計画というものを考える場合に、国土計画というもの の範囲がはっきりしないにもかかわらず、国土計画の理念議論がある。

理念と範囲をどういうふうに解釈するか、ということで、法律の言葉としてこの国土総合開発計画の中 には一言も書いてないが、戦後作られた同様な立法例を参考にして言葉を作ってみた。それが資料の一番 左の言葉であって、 「国土の均衡ある発展」である。

「国土の均衡ある発展」というのがキーワードであるが、一方で「国土の均衡ある発展」という時代で はないのであるというような批判があるわけである。しかし、全国総合開発計画の一番最初の計画にも、

あるいは国土総合開発法にも「国土の均衡ある発展」という言葉は全く出てきていない。

それで、国土の均衡ある発展という言葉を掘り下げてみた。非常に多義的な言葉ではないかということ から、全体に分けてみたのが「甚礎条件の改善」 「条件の不利な地域」。高松でも南北格差があるように、

あるいはどの地域でもあるように、条件が非常に不利な地域が存在する。離島であり、豪雪地帯であり、

戦後、そういう地域の格差是正立法例で、条件の改善という言葉がよく使われている。

これは、ナショナルベースで、日本国全体で、病院を設置するとか港を確保するとか、小学校を設置す るといった最低限の生活水準は確保すべきであるというコンセンサスに基づいて使われている。学齢期の 子供がいると、そこの市町村長は、必ず小学校を開設する義務が学校教育法上ある。郵便法では、明確に 書いてないが、法律の前文にあまねくなんとかかんとか、と書いてあり、郵政省の解釈では「あまねく条 項」というのだそうであるが、その「あまねく」で、富士山の山頂まで、郵便を届ける義務が郵便事業に はあるのだと言うことで、全国のどんな条件の不利なところでも、最低のサービスを致すとしている。こ

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れはすばらしいことであるが、そういうことの考えが国土の均衡ある発展のベースになっている。

世の中が発展してまいると、これだけではなくて、最低条件はクリアしているのだけれども、発達した 地域と、発達していない地域に格差がある。これがまさに全総ができた昭和53 年の時の発想であって、太 平洋ベルト地帯とそうでない所との格差を是正するのだということであった。

「地域間格差の是正をする」これは、国の計画だけではなくて、地域の計画でも基本課題である。冒頭 から申しているように、実は国土総合開発法では、国の計画と地方の計画との2本立てになっている。国 の計画も地方の計画も、計画事項であるとか、目的とか、同じ条文を使っている。従って、立法者の意思 としては、作成する基本方向では国、地方に差がないというわけであって、総理大臣が作る場合も、知事 が作る場合も、同じ発想で作るよう規定されているわけである。

従って、例えば、香川県であっても、香川県も総合開発計画を作る場合に、基礎条件の改善であるとか、

地域間格差の是正というのは、当然問題になるし、法律が無くても、町内会の計画を作るのでも、多分こ の地域間格差というのは、いつでも出てくるはずである。

政治が介入する材料にもなるが、ある地域がまとまって何かを考えようという時には、必ず地域内の格 差是正は発生する問題である。

この地域格差是正が不適切というのは、少し言い過ぎだと思うが、もうそういう時代ではないだろうと 言われていて、そういう時代でないのであれば、国土計画というのは確かに使命は終えたことになる。地 域計画においても、格差是正、地域間格差是正がいらない、もうそういう時代じゃない、こういうことに なれば、地域計画としての国土計画もいらない、そういうことになってくる。

少し誤解があるかもしれないが、全ての地域計画が要らないというのではなくて、何でもかんでもバス ケットに入ってくるような計画ではなくて、その地域の環境計画とかその地域の生涯学習計画であるとか、

個別の課題に対する計画はそれぞれ問題が残る所であるが、首長の立場でいろいろ行政が関与すべき課題 を全て網羅して作るような法定計画というものは要らないということになるんだと、思うわけである。

それで、歴史的には、地域間格差是正は、そのままではさすがに評判が悪いというところがあって、次 に「地域の特色ある発展」という言葉が前の過疎対策法から使われ始めた。すべての地域を平等に扱うの ではなくて、それぞれ特色を生かして発展していくのだという発想が10 年前にできている。この「地域の 特色ある発展」という言葉の方も、既に10 年も使われている。 5全総ではなく 4全総時代からであるから、

新しい理念ということにはならないということになる。 「多軸型国土構造形成」これは4全総の言葉であ るが、これはまだ実現をしていない。今度の全総でも 4つの国土軸、多軸型の国土の形成ということにな るわけであるが、四国の地域に関連するもので言うと、新太平洋国土軸というものがあるのであるが、一 極集中を是正していくのだということを打ち出した。 首都機能移転についてもポジティブに解した。

一極集中是正というのは確かに国土の均衡ある発展の言葉として新しい意味を持っているわけである。

この意味での国土の均衡ある発展はまだまだ実現していないから、これを新国土計画体系の新しい理念の 中の機軸にして考えていくことは可能である。こういう結論を考えているわけであるが、これについては、

国土計画が存在するという前提で考えろといわれた、極めて小役人的な発想になるのであるが、そういう ふうなことを考えていた。

ただし、一極集中が悪いか悪くないかという議論にまで立ち返ると、これはいろいろな考えがある。扇 国土庁長官が問題提起されたようなこともあって、これは難しい問題である。ただ、立場もあって、説明 すると、国会で一応超党派で首都機能移転の決議が行われるし、法律でも首都機能移転に関する法律があ るから、我々公務貝は法律に従って仕事をしていくという立場の人間である。その法律では、首都機能移

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転をポジテイプに検討して候補地の選択をして、さらにはそれと東京との比較をして結論をだしてゆくの だということになっている。首都機能移転論議を否定するとなると、国民の代表である、超党派の議論の 場である国会で、きちんと見直しをすべきということになるわけである。

4 国土計画体系の現状

それで、今までは歴史とこの頃の流れを話したのであるが、次にもう 1枚の資料、国土計画体系の現状 という資料であるが、地域計画の話に焦点を当てる形で説明している。法律の名前が国土総合開発法とい うのが左側の上に二重囲みでくくつているが、この法律があり、その直下に全国総合開発計画がある。つ ぎに、特定地域総合開発計画、これは只見川であるとか北上川であるとか、そういったところの計画をか つて作ったことがあるが、ある特定の地域の開発計画である。それからその下に地方総合開発計画という のがある。これは複数の都府県が共同で作る総合開発計画で、全く実例はない。それから都道府県レベル になると、都府県総合開発計画であるが、これは北海道が北海道開発計画という形で別の法律で特殊な扱 いになっているので、都府県総合開発計画と道が抜けている。これも実例がない。総合開発という言葉に ついて、知事がもうそういう時代じゃないということで名前を変えているかもしれないが、総合開発計画 は都府県総合開発審議会で審議されることとなっており、この審議会条例が形式的に残っている県が結構 ある。

実は、富山県、鳥取県等で総合開発計画を作成をして国に上げてきた経緯があるのであるが、国がこれ を上げられて、じやあそれをどう位置付けるかといったときに、お話ししたように、全国総合開発計画が 昭和73 年まで作成していなかったわけである。それで、戦後昭和02 年代に知事さんが、せっかく法律があ るのだから我が県も開発計画を作ろうと作成されて、当時の経済企画庁に打診をしてもってきたわけであ るが、国の計画がないのに、地域の計画が出されたら困るということから、これを受け付けなかったとい う経緯があると伝承されている。

今は、我々の方は、都府県計画は作成されていないというのであるが、そうではなくて、作成されてな いというよりも、国の計画がなかったので、扱いに困ったというのが実情である。知事さんはその代わり に都道府県総合計画といった名前の計画を作成されておられる。実質上総合開発計画の内容を含んだもの となっている。

このように、全国の都道府県知事は全て条例で自分の計画をお作りである。しかも、総合開発計画は、

昭和40 年代以降はいっさいこの言葉が出てこなかった。やはり、環境問題について県民なり市民の意識が 高く、総合開発を標榜したのでは選挙に勝てないという理解があったのだろうと理解される。

私どもは、法律で全国総合開発計画と名称が決まっているから、ずっと総合開発計画と言ってきたので あるが、やはりそこで下河辺元会長は、最後の全総の作成になって、ご自身は早く法律を改正して、総合 開発計画という言葉を法律関係から消せというくらいのものであったものであるから、ストレートに使う のはいやだという意識が全面にでてきた。しかし、一方では法律を作っているわけであるからこうなるわ けである。この妥協が「21 世紀の国土のグランドデザイン」という副題のようなものを持って、国土計画 を立てるのだというふうな妥協がなされたということである。

閣議決定をするときには全国総合開発計画に基づいてと書いてあるわけである。私なんかは5全総とい わないと、こういう場で説明するときに、 12 世紀のグランドデザインといってみたところで何が何だか分 からないと思い、両方言うことにしている。この副題をつけるやり方についても、私流に解釈すると、知 事さん達は既に昭和40 年代に実施しているよとおっしゃられると思う。つまり、総合開発なんて言葉は古

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いということでお使いにならなくなったとのことである。最終的には結局国の国土計画も地域計画に言葉 を合わしていったというようなことである。国土総合開発法では、国の計画は地域の計画の指針となる計 画と解釈されてわけであるが、現実は地域計画を参考にして国の国土計画が名前を変えたということにな

5 立法論としての国土計画法

もう 1つ、分かりづらい話を申し上げるとすると、資料の右側に国土利用計画法という法律がある。実 は田中内閣の時の列島改造論の時に、土地の値上がりが激しかったということで、ご承知の方もおられる と思うが、土地の利用規制をしなくてはいけないということから、総合的な国土計画を立法しようという 動きがでてきた。国土庁は実はこの時できた役所になるわけである。

最初は、国土総合開発庁という役所を考えていたが、列島改造論に対する批判が強くなったことから、

国土総合開発庁ではなくて国土庁になり、その使命を土地の値上がりを抑える仕事をするようなことにな わけであって、法律も国土利用計画法という形のものができた。

田中角栄さんの発想は、国土総合開発法をやめてしまって、新しい立法にするのだということである。

しかし、その「総合開発」が列島改造論の問題に象徴されるようになったものだから、名前が国土利用計 画変わった。その時に、開発指向の国民の声というものも無視できない状態あったからから、従来の国土 総合開発法とあわせて両方の法律が残ってしまうことになった。

ということで、国土利用計画法と国土総合開発法の2 本立ての国土計画体系になった。ところが、国土 総合開発法は昭和52 年からの古い法律で、立法技術的にはいろいろ欠陥のある法律である。昭和94 年の国 土利用計画法は、日本独特の立法技術が確立されているから、隙のない法律となっている。

ということで少し説明すると、資料の国土利用計画法の一番下を見てみると、 「住民」とくくったとこ ろがある。まず、住民が市町村に意見を申し述べることができるよとなっている。住民が意見を申し述べ て、市町村長は、市町村計画を作成することができるとなっている。その時に、地方自治法により作成義 務のある「市町村の基本構想」に即して市町村計画を作成しなければならないということになっている。

そこで国土計画である市町村計画と「市町村の基本構想」は何が違うのだという難しい問題がある。教育 計画、福祉計画とか国土計画には通常含まれないものもあるが、これらは基本構想には記載される点で国 土計画と異なると理解している。どちらにしても作成するときには、議会の議決が要る。極めて民主的な 制度になっている。

この市町村計画を作成するときに、その上にある都道府県計画、これは都道府県が作成するわけである が、この計画を基本としなければならないということになっている。

それに対して市町村長は、都道府県計画が作成される場合に、都道府県に対して意見を申し述べること ができる。この都道府県計画の上に国の計画があって、都道府県計画を作成する場合には国の計画を基本 としなければいけないということで、全国計画は、都道府県計画の基本となり、都道府県計画は市町村計 画の基本となる、という構造になっている。

一方では、住民は市町村に意見を言い、市町村長は都道府県知事に意見を言い、都道府県知事は国に意 見を言うことができる、ということになっており、一方では「基本とし」、一方では「意見を申し述べ る」という、対流する原理が働いている、ということで、 ドイツ流の対流原理が法律上は実現されている。

ですから、常識的にはこれにまさる制度はない訳であって、しかも都道府県、市町村レベルでは、住民 の代表である議会の議決が要ることになっている。手続的にはこれにまさる手続は考えられないのであっ

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て、何も改正する必要はないのだという認識になる。

結論的に私が考えたのは、全国総合開発計画をやめて、国土利用計画法の1本で行けばいいではないか ということである。そうすると、国会にたいして最小限の改正で済むわけである。しかし、その結論に対 する理解がなかなか得られない。国土利用計画法は存在すら知らない方が多くて、全総は名前を知ってい る人は多いので、立法技術論がわからない人には常識にあわないという問題が残ってしまったわけである。

その次に、資料はあとで配布するが、口頭で説明する。国の計画と地方の計画は、今ご説明したような 国土利用計画法のように、国の計画があり、都道府県の計画があり、市町村の計画がある。そして住民の 意見を聞く。こういう流れの計画と、それから一方的に国の計画があって、それに地方の計画は違反して はいかんという計画の流れがある。それは防災計画が実例である。防災計画は事柄の性質上、中央防災計 画があり、都道府県防災計画があり、市町村防災計画があって、規則裁量的に融通性のきかない体系でで きている。これは、国防計画であるとか、会社の売り上げ何とか計画とかそういうものに近いものがある のではない思う。

一方で、それの対極が環境計画である。環境計画というのは、環境基本法に基づいて、法律があるわけ であるが、これは国の計画しかない。法律では、国の環境甚本計画があり、非常に状態の悪い地域につい ては、総理が公害防止計画を作成してもらうことをその地域に指示をして、作成することになっているが、

それは例外であって、一般的には国の計画だけである。都道府県が作成する場合には、都道府県環境審議 会というものを設置するとか、そういう周辺的なことに関して法律の整備はされているが、基本的には自 治体の環境計画は自ら自分で勝手に作る形になっている。環境計画を作るときには、都道府県の議会で環 境基本条例という、自分で自ら計画を作るための条例を作成してやるということになっている。それでは、

都道府県は作ってないかというと、 74 都道府県全てが環境基本条例を制定し環境基本計画を作っておる。

それから、防災計画のように、上意下達のような計画もある。両者の中間的なものは国土利用計画法であ

これからの地域の国土計画、地域計画はどうあるべきかといったときに、環境基本計画的に地域が自由 にやってもらったらいいじゃないかという意向がある。その時にも冒頭申したことと重なるのであるが、

難しいのは、環境基本計画であると、何を作るかというのは、割とはっきりでてくるわけであるが、では、

国土計画は何を内容にするのだということになると明確でなくなるわけである。国の全国計画は仮に作成 したとして、香川県の地域基本計画を作成しなさいといわれたとき、何を中身にするのだということが問 題になる。道路、鉄道を作るのですよと、あるいは小学校を作るのだとか、そういう計画は既に個別にあ るわけである。知事はわが香川県をどういう地域にするのだということを構想して、地域計画を作るわけ である。その時の理念だとか計画事項などが人によりずいぶん異なる。条例や法律で作るような計画であ ると、予算的な襄づけも要るから、実行しなくてはいけない。ということになって、国土計画の定義は一 体何なのだといことになる。やっぱりそこはどうも、 「都市と農村の人口と産業の適正な配置」だとか、

どうもそういうものしかないということになる。あるいは、地域の均衡ある発展ということ以外その計画 を作成して動かしていく原理はない、というふうには思えるようになってきたわけである。

今資料を配っていただいている。こちらの不手際で申し訳ございません。

言葉で申し上げたことを書いてあるわけであって、一番左側の防災計画であるが、社会秩序の維持とい うのが法律の理念であるので、抵触禁止という流れのヒエラルヒー的な計画がある。右側の方は、環境基 本法という法律があって、国の責務とか、自治体の責務を書いてある。従って、都道府県の責務みたいな

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ものを書いてあるが、抽象的である。しかし、箸の上げ下ろしまで指示するわけではなくて、責務だけ書 いて、後はそれに従ってその中で都道府県が判断をしていただく。という大きな建て方があって、真ん中 に現行の国土の均衡ある発展という理念を国土利用計画というのがある。こういうふうになっているわけ である。

それでは、国土計画の資料のレジメの 1 ページ目をめくつてください。今申し上げたのだが、 1 番目の 国土づくり・地域づくり計画の体系というところで、国土計画体系の背景、国土計画体系の現状、それか

ら国と自治体間の計画関係の類型化ということで、前半説明をさせていただいたつもりである。

m 参加と連携

井原先生からご指示いただいた、本四三橋時代における地域づくりの現況と課題というのは、建前みた いなところが前文にかいてある。非常に使いやすいことが書いてある。こういうお話をいただくと、キー ワードとしてこれからは参加と連携の時代だといっている。

1 民主主義のもとにおける参加の形態

私が国土庁にお世話になり始めたときに、キーワードは「参加と連携」だと言われて一瞬戸惑った。当 たり前の言葉である。国土軸だとか、定住圏だとか、新聞で聞いていた句とかフレーズは耳に残っておる。

それはそれなりに意味が解らなくてもフレーズが残るような言葉であったが、参加と連携だと言われたと たんに、それがフレーズだといわれて何か言葉を忘れそうで、非常に理解しがたく、それは蘊蓄のある深 い意味がある言葉なのだと思うが、同時にパンチがない言葉でもあった。

しかしながら、何回も使っているうちに慣れた。これからは参加と連携だと 2年間言い続けてきたわけ である。そのうちの「参加」であるが、自分が考えたわけではなくて、そういう場に何度も呼ばれ、呼ば れた人に教えていただき、やっていく中で、参加というのが、参加するのが当たり前みたいなところもあ るし、後ろからくつついていくようなこともあるということがわかってきた。資料に米国との比較で書い てあるが、確かに、日本には徴兵制があるわけでもないし、陪審制度があるわけでもない。税金の収め方 一つ一つでも、日本はなんとなくプロに任せておけばいいやという世界である。その方が楽である。それ が最近はどうも私が属している役所の世界でも、一つ一つがそうではないぞと言われ始めているわけで あって、我々自身が混乱をしているという時代に入ってきている。そういう中で、これからは参加の時代 となると、なるほど意味は非常にあるなと思い始めた。役人だけが行政を作るような時代ではなくて、い ろいろな形で市民が入ってくるという意味では、確かに全総がうたった社会である。

参加に関する話題であるが、四国の吉野川と久万町にアドプトシステムというのがある。建設省の国土 事務所や河川の事務所で、川や道路をきれいにする道具を国土事務所等に置いておいて、それをその地域 住民が借りて町をきれいにする、あるいは川をきれいにしておる。そういうアドプトシステムというもの がアメリカでは普及しており、これをわが国でも積極的に導入すべきではないかという意見がでた。四国 出身の関谷建設大臣兼国土庁長官に対して説明したところ、 「当たり前じゃないか。昔、わしの子供の頃 は家の前の掃除をやっておったぞ。」とこういわれた。全総で参加が云々といってみたところで、確かに 日本も昔は自分のことは自分でやる社会があったのだなということを思い出された。緋やちりとりまで用 意して参加を呼びかけるのが当たり前だと思っていたのが、どうもそうじゃないということを大臣に言わ れて恥ずかしい思いをしたということがある。

これはご説明するまでもなく、 NPO NPO 法もできたし、制度がでてきたということであるが、一

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つ立場としていつもよく分からなくなるのが、そういう参加ということと議会制度という問題である。住 民は行政に税金を納めていただき、議会は納税者の代表ということでチェックをする。行政は絶えず議会 に対して住民の代表者である議会に対して責任を問われるということでは、緊張感がある。

その中で、今までは議員じゃない人からいろいろ言われてもこれは逃げまわるに限るとか、何かを言わ れても何もいいことはない、叱られるだけであるという意識が行政側にあった。私なんかも、正直申し上 げれば、 02 年近くはそんなものだと思っていた。しかし、どうも段々仕事をやっていて、役所も自信をな くしてきた面もあり、おまけに全総で参加と連携だというような時代になってきた。うけねらいも一部あ るわけであるが、パブリック・インボルプメントだとか住民参加だとか、そういうことが重要だというこ とになってきた。しかし、最終的には日本は三権分立の国で機能しているわけであるから、裁判所に訴え る権限があるのかないのかという判断が必要だと思われる。日本の裁判所は非常に消極的と言うか、門前 払いをする判断の強いところである。この辺りがどんどん変わってくるのだと思うが、やはり裁判所で訴 える利益のある人がちゃんとした資格で責任を持って参加をし文句もいうということが望ましいわけであ る。ということでないと、なかなか役所も対応しないし、できないし、しても意味がないということにな る。そういう緊張感が必要である。

直接民主主義が建前としてはそれに尽きるわけである、その中で議会が便宜的には必要である。そこの バランスを立法で住民投票の制度をきっちり作るべきではないかと思う。四国は、ついこの前、重要な住 民投票があったわけであるけれども。これからどんどんこういう問題がでてくるだろうと思う。役所が政 府提案で法律を作っていくだけの時代ではなくなって行くと思うから、こういうことも真面目に、真剣に、

混乱もなく考えていかないと思う。その時に実は、若干の反省を込めて言うと、 5年くらい前までは行政 手続法というのはなかったわけである。例えば住民が文句を言う、意見を言うときに、今でも言葉として はいろんな言葉があるが、種類は2つしかないわけである。 1つは公聴会というシステム。名前は住民集 会でもなんでもいいのであるが、とにかくそういう集会、公聴会というシステムがある。もう一つは文章 で自分の意見をいうシステムである。私は誰の誰でと名乗って行う。いわゆる投書で、たれこみみたいな のは無責任になるから採用されない。その2種類しかない。意見の陳述という法律的な言葉で言うと何の 面白みもない言葉であるが、これをインターネットで集めるとパプリック・インボルブメントだといって いるわけであるが、これを規則かなんかで作ると、意見の陳述を行うことができると何か当たり前のよう なことに戻っていくわけである。こういうものをありとあらゆる行政について法律をつくったのが行政手 続法である。これには、例えば標準処理時間というのを決めてある。ですから、例えば03 日以内に結論を 出しなさいということになる。宅急便について路線トラック免許の申請がされて、なかなか結論が出され なかった例がある。それで有名な小倉社長が、 1年経過後、裁判所に行政事件訴訟法で訴えてきた。結果 的には認められることになったわけである。こういうことが今の行政手続法のもとでは発生しないように

なったわけである。

2 行政手続と情報公開

それをさらに推し進めたのが、今度の電子政府という、 3002 年までに、基本的には行政文書は全部電子 化するという計画である。私は今その担当であるが、行政手続法で役所が書類を求めるときには、文書で、

法律でどうして必要かと言うことをちゃんと明記をして求めなければいけないこととなった。だから上司 にあれこれ聞かれるからあの書類も出せ、この書類も出せと、とかく優秀な役人にありがちなのであるが、

そんなことはできないよというのが行政手続法になった。それを電子的な申請でそれを出してきなさいと

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いうことになると、さらにフォームが決まってくるから、そんなことはできなくなる。

なぜ電子政府にするかというと、 TI 社会を作るということもあるが、もう一方では情報公開があって、

行政情報を開示しなくていけない。その時に何月何日の入札の何とかとか、何とかの申請についてどう なっているのかと聞かれたときに効率的に対応できなければならない。政府のベースであるが、行政文書 は原則電子的に保存をするということになる。電子的に保存をしていくから検索をかければ出てくるわけ である。ということで、情報公開、それから行政手続、セットできいてくるわけである。

ということでこの行政手続法の世界、透明性の確保と書いておいたが、住民の意見の陳述あるいは公聴 会システムをサポートする、むしろそっちの方が厳しいのかなと思う。インターネットで意見を聞くよと いってみたところで道路審議会でパプリック・インボルプメントをやった例があったが、やはりとても読 み切れないことが多いようであるし、あるいは全く出てこない、どちらかになってしまう。参加していた だくということはなかなか難しいというふうに聞いておる。

それから、同じことの繰り返しであるが、地方分権の中で全国計画と地方計画の役割の明確化が求めら れている。ドイツでは対流原理といった、先ほどの資料の真ん中の、この住民の意見を聞き、小さな計画 は大きな計画に矛盾してはいけない、逆に大きな計画は小さな計画を十分に汲み上げなければいけない、

そういう対流する原理をドイツでは国土計画法に書いてある。であるから、日本でもちゃんとやっている のではないかということに戻るわけである。

3 地方自治と連携

それから、次が端折って申し訳ないが、連携であるが、この連携を長々といったのは、日本の場合に都 市と農村がまさに混在化し、 12 世紀は車を前提とすれば完全な都市型社会になるのではないかと思う。そ うすると、ようは都市と農村との連携みたいなものが考えられないわけで、かなり等質の世界の連携をす るとこういう時代に入っていくわけである。

その場合の日本の自治体というものの規模を見てみると、数字の上では日本の方が欧米より大規模であ る。市町村合併の機運を決して否定しているつもりではなくて、実感としてはもっと推進すべきだと思っ ているが、それだけがものを解決することではないとみて、どうも市町村合併をしたからといって、旧町 村の区画は残るし、首長の立場に立ってみると、永遠の政治課題である地域間格差の是正が絶えず最後ま でつきまとうのではないかと思う。

自主財源の方もいろいろ言われているし、確かに自主財源を確保した方が流れにあうし、その方が自治 体としても望ましい面と厳しい面と両方ある。しかしながら、欧米先進諸国と比べて日本が突出して中央 集権的な国かというと、制度的には必ずしもそうではない。メンタルな面では極めて等質社会であるから、

中央集権的というより自治体が自分で決めないというか、なかなか決められないという社会である。日産 のああいう世界でも、フランス人が社長であるから、あれだけの赤字減らしができるのではないかと思う。

役所のリストラというのもいわば外部の政治主導でないとできないだろうなと思う。そういう意味では自 治体も同じではないかという気はいたしている。

それから、小学校や郵便局や温泉源の数とかを調べたのがあって、見ると 25千とか結構な数だとい うことで、連携する材料はいくらでもあるような気がいたす。本四三橋時代ということを、あまり詳しく 説明できないので申し訳ないが、本四三橋時代というのをどういうふうに思うのかなというふうに少し考 えてみたわけである。私なりにこれに意味あいを持たせるとすると、瀬戸内海というのは、大きな川のよ うに思うわけであって、川があって対岸と運輸がなかなかできない。そういう時に、この三本橋が上流、

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