ドイツ経営経済学における
「ステイクホルダー」
―― 理論的展開とその実践的関連から ――
柴 田 明
Ⅰ は じ め に
本稿の目的は,ドイツ企業経営において一般的に根付いているとされる「ス テイクホルダー志向」を,代表的なドイツ経営経済学の展開の中でどのように 扱われてきたのかを学説史的に検討し,さらにそれをドイツの企業経営の実践 と関連づけることである。
「コーポレート・ガバナンス」の議論や,「企業の社会的責任(Corporate Social
Responsibility : CSR)」「企業と社会」「企業倫理」問題において,重要な役割
を演じる概念が「ステイクホルダー」である。そこでは,株主,従業員,顧客,取引先,地域社会など,企業に対して利害を有する様々な関係者集団がステイ クホルダーと見なされ,彼らが企業経営に大きな影響を及ぼしており,無視で きない存在として,企業はその存在を考慮すべきであることが叫ばれているの である。
一般的に,アメリカを中心とするアングロサクソン諸国の企業経営において は企業のステイクホルダーとして株主が最重要視され,「企業は株主のもので ある」という見解が受け入れられているのに対し,ドイツをはじめとするヨー ロッパの企業経営は,株主一元的な見方ではなく,労使の利害二元型,あるい は様々なステイクホルダーの利害を考慮するという利害多元型の経営モデルを 取っていると言われている(海道 ;海道 )。たとえばドイツでは,共 同決定法により労働者代表が企業のトップマネジメントに参加できること,ま
た「EUマルチ・ステイクホルダー・フォーラム」の存在,環境問題や地域社 会問題に対する企業経営の意識の強さなど,アングロサクソン型の株主利害一 元的な企業経営モデルとの明らかな志向の違いが見て取れる。
このような企業経営の実践におけるドイツ的な特質を,ドイツ経営経済学
(Betriebswirtschaftslehre)の諸学説はこれまでどのようにとらえてきたのか,
そしてこれからのドイツ経営経済学はどのようにとらえようとしているのか。
さらに,これまでの通説であるドイツの企業経営における利害多元性をどれく らい反映しているのか,あるいは反映していないのか,これを探るのが本稿の 課題である。
しかしドイツ経営経済学と一口に言っても,きわめて多様な展開がなされて おり,それをすべて概観することは不可能である。本稿では,ドイツ経営経済 学における「一般経営経済学(allgemeine Betriebswirtschaftslehre)」を志向する 代表的な学説を大まかに概観し,それらが「ステイクホルダー」をどのように 扱っているのかを検討する。そしてドイツ企業経営の実践についてもごく簡潔 に触れ,ドイツ経営経済学の理論展開との関連を考察することで,今後推し進 めていく「ドイツ・ステイクホルダー志向型企業倫理モデル」研究確立への第 一歩としたい。
Ⅱ ステイクホルダー/ステイクホルダー論の 基本的想定
「ステイクホルダー
stakeholder」の語源は「正当な所有権を保有する移住民」
だとされるが(水村 , ページ),経営学においてステイクホルダー概念 は, 年にスタンフォード研究所において経営戦略の策定に関わるものと して創案されたと言われている(出見世 , ページ)。ステイクホルダー の概念が登場し,「抽象的な「社会」という概念をより具体的にとらえること を可能にする」(出見世 , ページ)ものとして定着して以降,理論およ び実践の場でステイクホルダー概念が徐々に浸透していき,経営学の理論展開 や経営学教育の場において,ステイクホルダーを無視して議論を展開すること
は不可能であるといって過言ではないし,企業経営実践,とりわけ
CSR
や企 業倫理の展開において,ステイクホルダーの存在は非常に強く意識されてい る。そもそも「ステイクホルダー」とは何か。たとえば経営学史学会編( ) は「企業の行動,決定,政策,または目標に影響を与えたり,あるいはそれら から影響を受けたりしうるような諸個人ないしは集団のこと」( ページ)と 定義しており,また吉田/大橋監修( )は,「…企業の目標形成や意思決 定に様々な影響を与える関係者たる集団」( ページ)と定義している。
具体的には,たとえば株主,銀行,従業員,顧客,取引先,国家,地域社会 などがステイクホルダーとして挙げられる。しかしながら上記の定義から考え れば,企業の外部に存在する集団がすべてステイクホルダーというわけではな く,企業経営に何らかの関わりを持ち,企業経営の政策に影響を与えることが できる集団がステイクホルダーとなるだろう。
企業とステイクホルダーの関わりの尺度として,従来のステイクホルダー研 究は,たとえば「資源」,「権力」,「正統性」,「関係性」など,様々な観点から ステイクホルダーの存在を分類・区別・分析してきた(たとえば宮坂 ; 水村 を参照)!。
ステイクホルダーに関する研究は百花繚乱の状態にあり,必ずしも整序され た状態にないため,ここで従来のステイクホルダー研究を概観することはでき ないが,たとえば従来のステイクホルダー研究を踏まえて谷口( )は,ス テイクホルダー理論の前提として,①企業の視点から機能別に社会を分類して いること,②企業と個別のステイクホルダーというダイアド関係(二者関係)
を想定していること,③ステイクホルダー間の利害の対立を前提としているこ とを挙げている( ページ)。
以上のことを踏まえて,本稿でステイクホルダーを考える際に,次の つの
( ) また,たとえば谷本( )は製造業におけるバリューチェーンのあり方とそれに関 わるステイクホルダーのあり方を図示し,この考え方を採用しているノバルティス社の 例を示している( − ページ)。
ポイントを前提として考えることにしたい。
まず第一に,ステイクホルダーとは,企業の目標や意思決定,企業の存続に 何らかの形で影響を与えることができる,あるいはそれらから影響を受ける関 係者であるということである。
当然ステイクホルダーといっても,各ステイクホルダーの持つ権利やパワ ー,要求内容などは異なるが,近年の
CSR
の取り組みにおいて多様なステイ クホルダーの存在が前提となっており,たとえば各企業の「ステイクホルダ ー・エンゲージメント」などの取り組みを見ても,ステイクホルダーの存在や 主張を企業経営に反映させないで事業活動をすることは不可能と言ってよいだ ろう。よって,ステイクホルダーの存在が,企業の目標形成や意思決定に大き な影響を与えるというステイクホルダーの定義をわれわれはまず第一に考えな ければならない。そしてもう一つの重要なポイントは,さまざまなステイクホルダーがそれぞ れ異なる権利や利害を持ち,利害の衝突が存在するという点である。たとえば 株主は株式価値の最大化を,従業員は自身の報酬の増大や職場環境の改善を,
消費者は低価格で高品質な商品の提供を求めるだろう。これらの利害は,たと えば株式価値の最大化を目指す中で,従業員の給与や人員の削減を行い,商品 の品質を低下させるといった形で,必ずしもすべての利害が一致するわけでは なく,むしろ一方の利害を追求することで別の利害が損なわれる,という意味 で利害は相互に対立する関係にあると見るのが妥当である。
経営学においては,このような多様な利害を持つステイクホルダーの存在を 考えるときに,そのような利害の対立をいかに調整するのかということが問題 となる。
調整装置としてあげられるのが,たとえば対立する利害の結節点にある企業 のトップ,すなわち経営者による意思決定である。経営者が個人的な倫理観や 理念などに基づいて,特定のステイクホルダーのみの利害を考慮するのではな く,全体の利害がうまく調和するような企業意思決定を下すのである。
別の調整装置としてあげられるのが,企業あるいは企業経営者外部に何らか
の調整装置を想定することである。たとえば「市場」における価格メカニズム による各種利害の調整という発想はその代表である。また逆に,国家による強 力な権力を用いた利害調整を考えることもできよう。さらに,何らかの規範的 な理念を超主体的に想定し,それを理想的なポイントとして,各関係者の利害 の対立を克服しようとすることも考えられるだろう。
しかしながら,たとえば市場メカニズムについて見れば,それが機能するた めには新古典派経済学が想定するような完全合理性や完全情報などの非現実的 な想定が必要となる。また新古典派経済学や一般システム理論のオープン・シ ステム・モデルなどは,市場などのシステムを想定することで様々な利害が調 和するという均衡論的な世界観を持っているが,企業をとりまくさまざまなス テイクホルダーの利害対立の先鋭化を考慮すると,均衡論的な世界観ではな く,利害の不均衡を前提とした議論が展開できる新しいアプローチが必要とな るように思われる。
以上のポイントを踏まえて,次にドイツ経営経済学における代表的学説にお ける「ステイクホルダー」の存在を考えることとしたい。
Ⅲ ドイツ経営経済学における「ステイクホルダー」
. 成立期〜 年代後半までのドイツ経営経済学における「ステイクホル ダー」
周知の通り,ドイツにおける経営学は,当初その名称についていくつか変遷 があったのち,「経営経済学(Betriebswirtschaftslehre)」が定着することとなっ た。他に有力な名称として「私経済学(Privatwirtschaftslehre)」があったが,
当時経営学に対しては国民経済学(
Volkswirtschaftslehre
)から「金儲け論」な どの激しい非難があり,単に企業のみを考察するかのような印象を与える「私 経済学」あるいは「個別経済学(Einzelwirtschaftslehre
)」ではなく,「経営経済 学」が普及することとなったといわれている。この意味で,ドイツの経営学は 国民経済学からの批判に応える中で自らのアイデンティティを確立させていっ たといえる。しかしながら,たとえば以下の池内( )の指摘は非常に興味深い。当時 のドイツでは「産業社会化運動によって企業の形態が名実共に社会化せされ,
そのために個別経済を研究の対象とする経営経済学はその研究領域を, 人営 利経済のみならず公企業,協同組合など要するに営利の獲得を直接の目的とし ない経営にまでひろめ,かくしてこの研究は経営一般を問題にするという意味 で経営経済学と改名せらるるにいたったのである。経営経済学は高き利潤を目 ざす研究ではなく,むしろ高き経済性の追求を究極の目標とするものであると ニックリッシュはいい,シュマーレンバッハもまた経営の協同経済的生産性を たしかめることに経営経済学の課題をもとめるなど,要するに経営の社会性に 考察の目標をおきかえる傾向がいちじるしく前面に現れてきた」( ページ)。
以上の池内の指摘を鑑みれば,他方でドイツ経営経済学は,金儲け論への批 判のみならず,創立当初より企業の社会性,あるいは「企業と社会」問題を意 識していたとも言えるだろう。
たとえばシュマーレンバッハ(E. Schmalenbach)は,原価計算や計算制度論 を確立する中で「共同経済的生産性(gemeinwirtschaftliche Produktivität)」ある いは「共同経済的経済性(gemeinwirtschaftliche Wirtschaftlichkeit)」の概念を提 唱した(Vgl. Schmalenbach
; Schmalenbach
)。この概念は,小島( ) をはじめ多数の論者が指摘しているように必ずしも明確な概念ではないが,全 体経済に対して企業の経済的効率的な活動の結果生み出された収益がどれほど 貢献したのかについての尺度として設定されていると解釈できる!。またシュミット(F. Schmidt)も,当時のドイツの激しいインフレーション 下における企業の価値評価を問題意識として,その独自の有機的世界観から,
国民経済という有機体の細胞として企業をとらえ,その全体経済との有機的連 関を強調した"。
( ) 小島( )は,この共同経済的生産性ないし経済性の概念について,「自由価格機 構を想定し,限界原価で裏打ちされた価格に対する拘束経済価格の近似度または節約性 と解すべきだと思う」( ページ),あるいは「…現実における不経済がどの程度彼の 考える理論値から背馳するかどうかを判定したかったのである」( ページ)と述べて いる。
しかしながら,当時の問題状況から見れば当然だが,代表的なドイツ古典的 経営経済学説において,企業をとりまくさまざまなステイクホルダーを直接に 取り上げ,それらへの特別な考察を行った学説はないといってよいだろう。こ れら学説が計算制度の問題を中心に扱い,企業における価値評価の計算におい て様々なステイクホルダーとの価値や貨幣の流れが関わっているとしても,あ くまで企業自身の収益性や経済性が中心命題であり,ステイクホルダーの利害 を企業目標や意思決定において考慮した学説はなかった!。多くの学説が国民経 済と企業との密接な結びつきを主張していたものの,それらはいずれも,個別 利害と全体利害が調和するという予定調和的世界観,均衡論的世界観を暗黙的 に想定していたと思われる。たとえばシュマーレンバッハは『回顧の自由経済』
(Schmalenbach )において,自由市場経済のメリット・デメリットなどを 彼の研究に基づいて指摘しているが,彼の問題意識は当時のドイツ企業におけ る固定費の増大に対する価値評価問題への解答であり,自由経済における価格 機構を理想的な機構としてとらえることで予定調和的・均衡論的世界観を想定 していたことが窺える"。
この流れは第二次大戦後に一大パラダイムを形成したグーテンベルク(E.
Gutenberg)学説においても変わりはない。周知の通り,グーテンベルクは企
業を「生産要素の結合過程(Kombinationsprozeß)」ととらえ,その合理的な結 合のあり方を,「生産性」を指導原理として,近代経済学の手法を用いて数理 的に解明した(Vgl. Gutenberg )。また彼は,企業経営のあり方がどのよう に資本主義や社会主義といった「経済体制」と関わるのかという観点からさま ざまな経営原理を導き出しており,この意味でそれまでのドイツ経営経済学に おける,全体経済との関連の中で企業経営をとらえようとする伝統を受け継い( ) たとえばSchmidt( )などを参照。その他,たとえばワイヤーマン(M. Weyerman)
/シェーニッツ(H. Schönitz),リーガー(W. Rieger),シェアー(J. F. Schär)なども,
経営原理を追求する中で,企業経済と全体経済との関連を常に意識していたといえる。
これらについては,たとえば小島( );吉田( )などを参照。
( ) たとえばSchmalenbach( )では無形資産として「グッドウィル(Das Goodwill)」
に関する考察があるが,ステイクホルダーという視点からの考察ではない。
でおり,ステイクホルダーとの関連を考察できる下地はある。しかしながら,
彼は資本主義という経済体制において成り立つ経営原理(「体制関連的事実」)
として,自律原理,営利経済原理,単独決定原理を提示しており,資本主義体 制における企業の経営原理は,実質的には資本家単独による利潤最大化行動に 向けた意思決定を想定している。よって資本家以外のステイクホルダーは,グ ーテンベルクのモデルでは意思決定に影響を及ぼすあるいは影響を受けるステ イクホルダーとは想定されていない。グーテンベルクのモデルは新古典派経済 学に依拠したものであり,それまでの学説と同様,全体社会経済との関連は,
個別利害と全体利害が調和するという予定調和的世界観,均衡論的世界観を暗 黙的に想定していたと思われる!。
しかしながら, 年代後半以降のポスト・グーテンベルク経営経済学の 登場まで,これまでの流れの例外だったのがニックリッシュ(H. Nicklisch)を 創始とする「規範的経営経済学」の流れである。ニックリッシュは彼の経営共
( ) 一連の研究におけるシュマーレンバッハの問題意識として, 年代以降の拘束経済 の時代における固定費の増大,あるいは価値評価の問題があった。すなわち,企業の大 規模化やその他の要因により,市場経済での価値,価格と経営内での評価が乖離を引き 起こしてしまうのである。そのような乖離を考慮し,いかに適正に企業における価値を 評価するのかがシュマーレンバッハの問題意識だったと言えるが,彼の著書のタイトル Freie Wirtschaft zum Gedächtnis (『回顧の自由経済』)にも現れているように,彼には 自由な完全競争のもとで形成される市場価格への信奉があり,彼の言う「共同経済的経 済性」は,自由な競争市場における市場価格からの乖離の中でいかに適正な計算を行う のかについてのある種の基準が設定されていると見なせる。つまりシュマーレンバッハ は,個別企業が生み出す利益が共同経済的生産性,すなわち社会全体の成長率を高める と想定していたのである。これに関連して,たとえば菊澤( )はシュマーレンバッ ハの学説をフォン・ノイマン(v. Neumann)の「均衡成長モデル」によって基礎付ける 試みを行っているが,菊澤によれば,「シュマーレンバッハの主張する共同経済的生産 性あるいは共同経済的経済性の尺度としての利益とは,個別企業が生み出す力としての 利益に等しく,企業はこの利益を増大させることによって自らの収益性を高め,さらに 共同経済的生産性,経済成長率を高めることになる」( ページ)。すなわち,個別企 業の効率性が全体経済のメリットである共同経済的生産性を高めるという,新古典派経 済学の均衡論的世界観が暗黙的に想定されていると解釈できる。
( ) グーテンベルクは『経営経済学原理』において「企業管理」を第 の生産要素とし,
そ れ 以 降 の 研 究 に お い て さ ら に 企 業 管 理 に 注 目 し て い っ た(Vgl. Gutenberg ;
Gutenberg )。しかしながら,これら議論においても企業の目標は所有者の利益最大
化であり,その他のステイクホルダーに関する特別な考察はなされていない。
同体の議論において,「ステイクホルダー」としての労働者の利害を企業の価 値創造過程において考慮することで,他の経営経済学説とは一線を画する議論 を提示した。
ニックリッシュの経営共同体論の核をなすのが,組織論(
Nicklisch
)と 価値循環論・価値創造論(Nicklisch − )である!。ここで彼の議論を簡潔 に再構成すると,まず彼の組織論において,組織は有機体であり共同体であ る。そしてその共同体を構成しているのが,「良知(Gewissen)」を持つ精神的 存在たる人間である。人間は良知を持つがゆえに自らが全体即部分であること を自覚しており,それゆえに,自らの自由を発揮すると同時に組織への貢献を 果たすことができるのである。また組織自身も自由であると同時に全体社会へ の貢献を果たすための存在である有機体であり,人間は組織を自由に形成し,維持することで全体社会に貢献する。このような組織は「自由の法則」「維持 の法則」「形成の法則」を持つとされるが,特に「形成の法則」はドイツの共 同決定法の理論的根拠になっているといわれている。
このような有機的世界観を「価値創造」の観点から論じたのが価値循環論で ある。ニックリッシュは家政を本源的経営,企業を派生的経営として,各経営 間における価値の流れを,給付と対価(成果)という観点から詳細に論じてい る。ここで労働者は,共同体の一員として,労働という給付に対して正当な対 価を得るとされる"。
以上のニックリッシュの考察は,ステイクホルダーとしての「労働者」が「企 業の目標や意思決定に影響を与える存在」と見なしているといえ,当時の他の 学説が企業家(資本家)のみを重要なステイクホルダーとしていたことを考え れば非常に画期的な議論であり,現代のステイクホルダー理論に繫がる重要な 学説であると言える。
ちなみにニックリッシュは,企業組織を「資本と労働の組織」ととらえてお
( ) ニックリッシュ学説の全体像を窺える日本語文献として,たとえば市原( );大 橋編/渡辺監訳( );田中編( )がある。
( ) ニックリッシュの価値創造論について詳しくはたとえば木村( )を参照。
り,成果分配には資本家も含まれる。よって労働者と並んで資本家も重要なス テイクホルダーである。
原理的に考えれば,彼のいう価値循環には,「価値の流れ」,すなわち「給付」
と「対価(成果)」に関わるすべてのステイクホルダーが包摂されるはずだが,
彼の考察における成果分配では,資本と労働,企業自体が成果分配の対象とし て考察されており,それ以外のステイクホルダーについては,価値循環におい て給付に参加し,対価を得る存在ではあるものの,「企業の目標や意思決定に 影響を与える」存在としては扱われていない。
またニックリッシュの議論は有機体論であり,ステイクホルダーとしての
「労働者」についての規範的な考察を除いては,当時の他のドイツ経営経済学 説同様,企業と全体社会の均衡論的な世界観を保持しているとも言える。「企 業組織の利益追求が社会全体の利益にも繫がる」という予定調和的,均衡論的 世界観において起こりうる諸問題,とりわけ企業の利潤追求と引き替えに犠牲 にされる労働者への過小配分といった問題を解決すべく,「良知」を持った精 神的人間という「規範」を企業外部に設定することで,均衡的世界観を補完し たとも解釈できる。その意味では,ニックリッシュの考察は現代の複雑なステ イクホルダー問題を考察する枠組みとしては依然として不十分と言えるだろ う!。
またニックリッシュの学説は「規範的経営経済学」として,現実を出発点と するのではなく,経営のあるべき姿を描いた哲学的で理想主義的な議論を提示 したのであり,現実のステイクホルダーとの関わりを説明する理論としては支 持されにくい性質を持っていたと言える。
ニックリッシュの規範的経営経済学の流れは,戦後グーテンベルク・パラダ イムの隆盛にあっても,フィッシャー(G. Fischer)やザンディッヒ(C. Sandig)
らによって脈々と受け継がれてきたが,ニックリッシュの経営共同体の議論を
( ) もちろん,山縣( )がいうようにニックリッシュがその他のステイクホルダーの 利害を考慮しなかったことは「時代的な制約」( ページ)であろうし,今日の企業経 営における労働問題等を考えれば,ニックリッシュ理論は決して現代的意義を失ってい るわけではない。
大きく超えるものではなかったといえ,ドイツ経営経済学における本格的なス テイクホルダーへの考察は, 年代後半のポスト・グーテンベルク学説の 登場を待たねばならなかった。
. ポスト・グーテンベルク経営経済学における「ステイクホルダー」
周知の通り, 年代後半に西ドイツ経済が停滞局面を迎え,政治的な不 安定が発生し,共同決定法改正などが叫ばれた頃,グーテンベルク理論の限界 も共に指摘されるようになり,ポスト・グーテンベルク学説として様々な学説 が登場した。
これらの議論はグーテンベルク学説の限界を克服しようとして登場したもの だが,限界として焦点を当てられた問題の つが,企業の利害多元性,すなわ ちステイクホルダー問題であり,この問題を正面から扱った議論として,たと えばシュタインマン(H. Steinmann)学派の構成主義経営経済学や労働志向的 個別経済学,シュミット(R. -B. Schmidt)の企業用具説をはじめとするコジオ ール学派の議論などがあった。
まず構成主義経営経済学についてみれば!,主導者であるシュタインマンは シュライエッグ(G. Schreyögg)らとともに「所有と経営の分離」現象に関して 実態調査を行い,経営者支配企業が相対的に業績のよいことを指摘した(Vgl.
Steinmann / Schreyögg
)。これに基づき彼らは,現実の企業はグーテンベルクの主張するように企業者利害のみを追求しているわけではなく,実際には 多くの利害関係者が密接に関わっているため,むしろそのような利害多元的な 状況を克服するための新しい哲学が必要だとし,ローレンツェン(P. Lorenzen)
を中心としたエアランゲン学派の構成主義科学哲学に注目した。
この構成主義科学哲学は,東西冷戦状態に典型的に見られるような現実に おける様々な対立状態の克服を企図し,間主観性に基づく理性的な「対話
(Dialog)」をその解決策として提示したのであった。この対話の研究のために
( ) 構成主義経営経済学に関する研究として,たとえば小島( );万仲( );万仲
( )などを参照。
彼らは言語分析や共通言語の研究へと向かうのだが,何よりこのような対立状 態は企業にも見られるものである。シュタインマンらの構成主義経営経済学 は,企業は所有者利害のみを追求するものではなく,経営者,労働者など様々 な利害のひしめき合う利害対立状況を呈しており,そのような利害対立状況の 克服のためには理性的対話が必要だとしたのである。さらに彼らは,企業体制 の議論から企業倫理への考察を発展させているが,彼らの企業倫理については 後で詳細に扱うことにする!。
労働志向的個別経済学は,ドイツ労働組合総同盟の経済・社会科学研究所
(Wirtschafts- und Sozialwissenschaftliches Institut des Deutschen Gewerkschaftsbundes)
のプロジェクト・グループから生まれたものであり, 年の経営組織法改 正などによる労働者の経営参加をめぐる運動や労働の人間化をめぐる議論を背 景として,グーテンベルク理論やその他の実証主義志向の経営経済学があまり にも資本家志向で労働者利害を扱うことができず,また労働者利害を考慮する ためには価値判断の取り入れが免れ得ないとして,資本の増殖を優先的に目指 す行動を特徴付ける資本志向的合理性ではなく,「解放合理性(emanzipatorische
Rationalität)」に基づく新しい個別経済学を展開した(Vgl. Projektgruppe im WSI
)"。
彼らの議論の背景にはアドルノ(T. W. Adorno)やハーバマス(J. Habermas)
( ) 構成主義経営経済学と同時期に登場し,関連の強い学派として新規範主義経営経済学 がある。主導者はロイトルスベルガー(E. Loitlsberger)とシュテーレ(W. H. Staehle)だ が,たとえばシュテーレは,「経営経済学への規範的言明の導入に関する弁護」(Staehle
)と題する論文において,グーテンベルクやハイネン(E. Heinen),あるいは批判 的合理主義にもとづいて経営経済学を構築するシャンツ(G. Schanz)らの没価値的アプ ローチを批判し,価値判断を積極的に考慮すべきだとした。そこで彼は,ドイツ連邦共 和国の基本法における民主的原則にみられる社会的人格主義を出発点として,人格的自 由,連帯原則の重要性を説き,規範的経営経済学の有効性を主張することで,規範的経 営経済学に向けられる批判に反論した。彼らの議論は直接ステイクホルダーに関心を向 けたものではないが,ドイツ基本法における社会的人格主義が「規範」となり,ステイ クホルダー間の利害対立を調停すると解釈することもできるだろう。新規範主義経営経 済学についてはたとえば森( )を参照。
( ) 労働志向的個別経済学については,たとえば高橋( );海道( );今野( );
Schanz( )を参照。
らフランクフルト学派の批判理論があったが,彼らは労働者の労働場所の確 保,所得の確保,労働の最適形成といった労働者利害の考慮を強く求め,規範 的価値判断の積極的導入によって,利潤最大化仮定のもとに労働者を物質的生 産要因の つとしてしか考慮しないグーテンベルク理論を強く批判したのであ る。この意味で労働志向的個別経済学も規範学派の一種といえるだろう!。
シュミットはコジオール(E. Kosiol)の門弟であり,コジオールが多大な影 響をうけたニックリッシュの発想をベースとして,企業は多様なステイクホル ダーが自身の利害を追求するために用いる「道具」のような存在であるとする 学説であり,伝統的なドイツ経営学における「価値の流れ」の考察,具体的に は,ニックリッシュ以来の「価値創造」の議論を「成果使用」という観点から,
企業と,企業を用具として用いるステイクホルダーとの関係の中で,企業利益 や成果をどう分配するのかという点について考察したものである(Vgl. Schmidt
; Schmidt ; Schmidt
)。ここでの価値は,主として会計上評価できるものが想定されているのであり,シュミットをはじめとするコジオール学 派による価値創造や成果使用論をベースとした議論は,ステイクホルダーと企 業との関係を「価値の流れ」という観点からとらえようとする点で,ドイツ経 営経済学の伝統を受け継いだ議論であるといえ,アメリカや日本で議論されて いるステイクホルダー論とは一線を画する注目すべき考察だと思われる"。
以上の議論は,グーテンベルク理論を批判し,その弱点の克服を企図して登 場した議論だが,当時グーテンベルク理論の発展的継承を目指した議論の中で も,近年の展開においてステイクホルダー重視の議論に変容した学説もある。
たとえばウルリッヒ(H. Ulrich)を創始とするザンクト・ガレン学派のシス テム志向的経営経済学は,当初グーテンベルクの生産性志向を一般システム
( ) シャンツはこの労働志向的個別経済学について,確かに従来の経営経済学の弱点に目 を向けさせ,多くのイデオロギー的要素が暴露されたという点で意義を持つといえると しているが,しかし労働組合の戦略の展開として党派性を経営経済学に持ち込むのが理 にかなっているのかどうかは疑問であるとしている(Schanz ,抄訳 − ページ)。
( ) シュミットやコジオール学派の議論ならびにその「ステイクホルダー」との関連につ いては,すでにたとえば海道( );海道( );山縣( );山縣( )など において詳細な検討がなされている。
理論やサイバネティクスの観点から再解釈した,資本家や経営管理者一元志向 の議論を展開していたが,近年の展開においては,システム理論の発展に影響 を受け,利害多元性を考慮に入れた新しいマネジメント・モデルを提唱して いる!。たとえばリュエッグ・シュテュルム(J. Rüegg-Stürm)による「新しい ザンクト・ガレン・マネジメント・モデル(Das neue St. Galler Management-
Modell)」(Rüegg-Stürm
)においては,企業をとりまくさまざまなステイクホルダーが明示的に考察対象とされており,マネジメントはそのようなステ イクホルダーを戦略的観点,すなわち企業自身の生き残りという観点のみなら ず,倫理規範的観点,すなわち社会において存在する価値規範に沿った利他的 な観点からも考慮しなければならないという。リュエッグ・シュトゥルムによ ればマネジメントは各ステイクホルダーから正当性を得られるような活動をし ていかなければならない"。
またハイネン(E. Heinen)の意思決定志向的経営経済学を継承したミュンヘ ン学派のキルシュ(W. Kirsch)らも,当初行動科学的な意思決定論を志向し ていたが,ハーバマスの討議倫理学の知見などを摂取することにより,マネジ メント論や組織論の枠組みにおいてより倫理規範を重視する立場に変容してき ている。すなわち,彼らの提唱する「進歩能力のある組織(fortschrittsfähige
Organisation)
#」のコンセプトにおいて企業組織は,企業組織に関わる様々な関係者がそれぞれ多様な利害や立場から組織に関わることの複雑さを処理するた めに,ハーバマスのいう道徳的合理性や美的合理性をも考慮して,関係者の欲 求を考慮できる能力である「感受性(Responsiveness)」を持つとされる。これ によって,進歩能力のある組織は「企業に直接,間接に関わる人々の欲求や利 害の充足における進歩」を果たすことができる。この「進歩能力のある組織」
( ) システム志向的経営経済学について詳しくはたとえば柴田( a)を参照。
( ) リュエッグ・シュトゥルムによれば,両方の観点は混在しており,どの場合にどちら を用いるのかといった基準は示され得ない。しかし,組織構造や文化などの企業の内部 プロセスにおいては,倫理規範的観点よりも戦略的観点が重視されるべきだとしている
(Vgl. Rüegg-Stürm , S. )。これらについて詳しくは柴田( )を参照。
( ) 進歩能力のある組織のコンセプトについては,たとえばKirsch( ); Kirsch / Seidl
/ Aaken( ), S. ff. ; 渡辺( );加治( )などを参照。
を,多様な利害を持つステイクホルダーの欲求を考慮するために,企業組織が 従来の合理主義的な発想のみでなく,「生活世界(Lebenswelt)」への意識や価 値規範への感応度を高めておくと解釈することも可能であるだろう。このよう に見れば,彼らの議論はステイクホルダー理論の一種として展開可能な議論で あるとも言えるし,組織や管理の議論に価値規範を導入しようとする試みであ るともいえる!。
以上のように,ポスト・グーテンベルク学説においては,グーテンベルクを 批判する学説のみならず,グーテンベルク学説を当初継承しようとした学派の 諸学説においても,何らかの形でステイクホルダーを考慮しようとしているも のがあることが窺える。
. 「企業倫理」論の隆盛
以上のポスト・グーテンベルク経営経済学の流れに加えて,近年ドイツ経営 経済学において「企業倫理(Unternehmensethik)」がさかんに議論されるよう になり,これらの議論においてステイクホルダーが積極的に議論されている。
ドイツにおける企業倫理の考察は,「経済倫理・企業倫理(Wirtschafts- und
Unternehmensethik)」の枠組みで議論されている。ここでは経済的行為や企業
行為に関する倫理学的な考察がなされており,経済学・経営学と倫理学との境 界領域をなしているが,経営学者による考察も多数なされている。た と え ば 先 に 述 べ た シ ュ タ イ ン マ ン 学 派 は,当 初 企 業 体 制
(Unternehmungsverfassung),すなわちコーポレート・ガバナンス(企業統治)
問題に取り組んでいたが,多発する企業不祥事などを前にして,法規制などに 重点を置く企業統治のみに注目するのでは十分ではないとして,個々の企業に よる自発的な「自己拘束(Selbstbindung)」としての企業倫理の分析に向かっ たのである。
企業倫理の議論において,彼らは構成主義科学哲学における「対話」の発想
( ) ミュンヘン学派の議論については,柴田( a);柴田( b)を参照。
を応用する。具体的にいえば,彼らはネスレ社の粉ミルク事件の事例に基づい て,企業の利潤追求行動は,時には市場によってうまく調整されない場合があ り,そのような場合には,その利潤追求行動を制限し,さまざまなステイクホ ルダーと「対話」を行うことで,市場がもたらす企業と社会との軋轢を解決す ることが求められるというのである。そのような「対話」という手続きの制度 化は,利潤の状況的制限,すなわち通常の活動では企業の利潤追求活動が正当 化されるが,それが社会的問題を引き起こす際には,利潤追求活動が制限され なければならないというものである(Vgl. Steinmann / Löhr
; Steinmann /
Löhr
)。またザンクト・ガレン学派創始者ハンス・ウルリッヒの息子で,ザンクト・
ガレン大学の企業倫理講座を担当するペーター・ウルリッヒ(Peter Ulrich)も,
これまでの近代経済学における一面性を批判し,新たな経済科学の構築を目指 して,ハーバマスの討議倫理学を参考に,従来の経済合理性に代わる新しい経 済理性の構築を模索する。その際彼は,企業を所有者の利益獲得のための道具 ではなく,対立する利害を持つ多様なステイクホルダーが関わる「準公的制度」
ととらえ,そこでの利害対立を調整するためには,「企業政策に関する対話」が 必要だとする(Vgl. Ulrich
a ; Ulrich b)。
さらに,ホーマン(K. Homann)とその共同研究者たちは,経済学的な方法 論,すなわち個人主義的な立場における効用計算の観点から,経済や企業に おける倫理やモラルを説く(Vgl. Homann / Blome-Dress
; Suchanek ;
柴田 )。彼らのアプローチは,倫理的提言を導き出す際に,根本的な倫理規範の存在 を前提としつつも,人間行為を取り巻く経験的条件の存在を加味することで,
より現実志向的な倫理的提言を導き出すことを目指している。彼らはゲーム理 論における囚人のジレンマモデルを倫理的問題状況の出発点とし,この「ジレ ンマ構造」の解決が経済倫理・企業倫理の課題だとする。ジレンマ構造では,
プレイヤーが協調した方が利得が高くなるにもかかわらず,情報の非対称性な どの理由から協調行動を取ることができず,結果としてお互いに利得が低くな
る。彼らはここに,モラルに反してでも自己利益を追求するという反モラル的 行為の根源を見ているが,これを抑制し,全体の協調利得を高めるための仕組 みが,法律や条令などの「枠組み秩序(Rahmenordnung)」,すなわち制度であ る。
経済倫理の課題は,ジレンマ構造を解決し,協調利得の獲得を実現できる枠 組み秩序や制度の構築だが,企業倫理が求められるのは,反モラル的行動を 抑制するための制度に不備がある場合である(Homann / Blome-Dress
, S.
− )。すなわち,企業が「自己拘束(Selbstbindung)」し,自らが自発的 に自らを縛る,セルフ・コミットメント行動を取ることで,制度的不備がある 場合に起こりうる,企業の自己利益追求行為に起因する反モラル的行為を抑制 するのである。
この自己拘束の方法は企業が置かれている競争の状況に応じて変わる。すな わち,競争環境に応じて,個々の企業が自発的・戦略的に自らを縛る,たとえ ば倫理綱領を制定し,モラルの実行を宣言するなど,セルフ・コミットメント をすることでモラルを達成する「個別的自己拘束」の方法をとるか,あるいは,
政府や地方自治体に働きかけるなどして,業界や企業全体に適合するような法 制度を制定することで反モラル的行為を抑制する「集合的自己拘束」の方法を とるか,いずれかを取るべきとされているのである。
ホーマン学派の分析は個別経済主体のインセンティブやメリットを前提とし ているので,個別的自己拘束が戦略的に自己の利益になる場合は個別的自己拘 束が選択されるが,たとえばフリーライダー問題が生じるなど,個々の企業に とって個別的自己拘束が自己のメリットにならず,ジレンマ状況に陥る場合に は,企業集団全体を縛るような規制,たとえば業界自主規制や法制度などの制 定を求めるロビー活動を行うことが倫理的に望ましい。
以上のホーマン学派の分析においても,シュタインマン学派や
P.
ウルリッ ヒのいうような「対話」戦略をはじめとして,ステイクホルダーを重視する様々 な企業行動は倫理的に望ましいとされている!。しかし彼らの分析は,常にステ イクホルダーとの対話を要求するシュタインマン学派とは異なり,企業自身のメリットという観点から,ステイクホルダー対応は戦略的行動ととらえられ,
また当該企業が置かれている状況に応じて,個々の企業が各自で自己拘束をす るか,それとも企業外部から企業集団を拘束するか,戦略は変わってくるので ある。
たとえば「従業員」というステイクホルダーに対して企業はどのように対応 するべきなのか。ドイツにおいては古くから「共同決定法」が存在するが,彼 らによれば,それは「集合的自己拘束」の一種である(Homann / Blome-Dress
, S. ff.)。従業員というステイクホルダーを重視することが長期的にみ
て企業業績にポジティブの効果が見込まれるのであれば,個々の企業がそれぞ れに従業員を重視し,個別的に従業員重視政策をするインセンティブがあるは ずである。しかしながら共同決定法という集合的自己拘束の形態を取るのは,
個々の企業による個別的自己拘束は,フリーライダー問題の発生などの理由に より,ジレンマ構造を解決できないと判断されるからである!。
Ⅳ ドイツにおける「ステイクホルダー」の特質:
理論的・実践的考察
. ドイツ経営経済学における「ステイクホルダー」論の特質
以上,ドイツ経営経済学の代表的学説,とりわけ「一般経営経済学」を志向 する学説を中心に,「ステイクホルダー」の位置づけを確認してきた。ドイツ
( ) たとえばホーマン/ブローメ・ドレースは次のように述べている。「…環境保護のよ うな,道徳的に敏感な領域において,開かれた,批判的な世間との対話を求める企業政 策が会議のプログラムに載っている(auf der Tagesordnung stehen)」(Homann / Blome-
Dress , S. )のであり,たとえばドイツ銀行(Deutsche Bank)による「対話戦略」
が,世間の信頼を獲得するとともに,「長期的に設定された投資戦略」であるとしてい る(Ebenda)。
( ) しかしながら,「共同決定法」はドイツやその他一部の国でのみ法制化されているに 過ぎないため,経済倫理・企業倫理の普遍性を追求するホーマン学派にとっては,国に よる枠組み秩序のあり方の違いをどう理論的に説明するのかという問題が発生するだろ う。この点,たとえばヴィーラント(J. Wieland)の「ガバナンス倫理(Governanceethik)」
は,企業組織の倫理的行為を実現する上で,多数の制度の組み合わせを想定しており,
このような国ごとの違いなどの相対性を説明できる可能性を持っている(Vgl. Wieland
)。ヴィーラントの学説については柴田( )を参照。
経営経済学の展開は,設立当初からある意味で企業の「社会性」を常に意識し ていたと言えるが,とりわけ初期から戦後の学説の多くは具体的な考察をして いたわけではなく,企業の収益性が高まれば社会全体の効用も高まるといった 予定調和的・均衡論的世界観を保持していたと言える。ニックリッシュの規範 的経営経済学やその流れを汲む学説を除いて,「ステイクホルダー」への関心 を高めていったのは,グーテンベルク理論の限界が露呈した第 次方法論争以 降である。最後に, 節でのステイクホルダー論の概要と 節での学説検討か ら,ドイツ経営経済学におけるステイクホルダー論の特質や発展可能性,さら にドイツ企業のステイクホルダー政策の可能性などについて考えてみたい。
まず前節で検討した諸学説からみる特質としてまず挙げられるのが,ドイツ の議論では,利害対立の調整装置として「経営者」が登場することが少ないと いうことである。カリスマ的な経営者が強力なリーダーシップを発揮し,理念 や哲学に沿ってステイクホルダーの要求を満たしていくといったヒロイズム的 なアプローチを想定する,あるいは経営者の個人的理念や哲学を調停装置とす る議論はあまり見られず,むしろ人間の外にある何らかの価値規範や制度など を調整装置と見なす議論が多い。ニックリッシュの議論はとりもなおさず「良 知」を持つ人間を規範とした議論であるし,近年のドイツの経済倫理・企業倫 理の学説はいずれも,道徳的・倫理的問題の解決を「制度」に求めるがゆえに
「制度倫理(Institutionsethik)」と呼ばれている。これら以外の学説も,組織構 造などの制度的問題を議論の解決策としている傾向がある!。
次に,ステイクホルダー間の利害対立の根源である「価値」について,ドイ ツ経営経済学は伝統的に計算制度論を中心として「価値の流れ」から経営現象 を考察してきた。企業は各ステイクホルダーと価値の交換を行うことで取引関 係を結んでいるのであり,この意味で,ドイツ経営経済学の一連の考察はステ イクホルダー理論にとってもきわめて示唆的なものになり得るだろう。上で述
( ) ただし,マネジメント論として展開されているザンクト・ガレン学派とミュンヘン学 派の議論では,経営者や管理者の個人的理念や哲学が鍵となる可能性を持っていると言 える。
べたとおり,ニックリッシュの価値創造論を受け継ぐ,シュミットらコジオー ル学派の一連の考察は,計算制度の観点から各ステイクホルダーとの価値の流 れを考察するものであり,たとえば
CSR
会計や環境会計,統合報告書といっ た,近年の企業経営実践においてCSR
や企業倫理の取り組みを客観的にとら えようとする取り組みと軌を一にするものでもあり!,きわめて興味深いアプロ ーチだと言える。しかしながら,ニックリッシュが人間を,良知を持った規範的存在ととらえ て公正な成果分配を主張したのに対し,それ以降のアプローチでは利害の調整
=成果分配の基準が不明確である。また,これらのアプローチでは会計上計算 できる「価値」のみが考察対象となるため,たとえば企業のブランドやレピュ テーションのやりとり,あるいはステイクホルダーとの価値観の衝突など,計 算不可能な「価値」の考察ができないという問題があるだろう。
この点,ザンクト・ガレン学派の新しいマネジメント・モデルやキルシュら の「進歩能力のある組織」,そしてドイツ企業倫理の各学説は,計算不可能な 様々な価値をとらえることができる可能性を持っている。たとえばブレント・
スパー事件やナイキのような発展途上国における児童労働問題に対する
NGO
の対応など,企業の多国籍化・グローバル化に伴い,近年では価値観の多様化 に関するステイクホルダー問題が多発している。このような事情を鑑みれば,ステイクホルダーの利害対立においては,必ずしも明確に示すことのできない 価値の相違や対立をもとらえることのできるアプローチが求められると考えら れる。ドイツにおける議論は,そのような調停困難な価値の対立を,「制度」や
「規範」によって解決しようとするところにその特質があると言えよう。
. ドイツ企業経営の特質
現代の企業経営におけるステイクホルダー問題はきわめて実践的な課題であ
( ) たとえば東芝のCSRレポート( 年版)では,「ステイクホルダーへの経済的価値 分配」( ページ)と題して,当該年度に各ステイクホルダーにどれくらいの成果が分 配されたのかについて概算が掲載されている。
り,ドイツ経営経済学の議論は,現実のドイツの企業経営の特質に影響を受け ていると思われる。以下,ドイツの企業経営の特質を簡潔に検討する。
たとえば山縣( )は,ドイツ企業経営の特質として,①資本構成と企業 形態−同族支配・財団所有と金融機関の影響力−,②監督と執行の制度的分 離,③社会的側面の重視,④エコロジー的側面の重視の つを挙げている(
ページ)。
とくに「ステイクホルダー」志向に関連して重要な側面は,②と③に関わる
「共同決定法」の存在だろう。企業のトップマネジメントにおける意思決定の レベルと経営の事業所レベルのいずれにおいても,ドイツ企業では従業員が企 業経営の意思決定や政策に関与できるのであり,アメリカや日本の企業体制に は見られない大きな特徴となっている。豊島( )が指摘するように,近年 ドイツ企業において株主の存在感が高まり,労働者の影響力が相対的に弱まっ ているという事実があるにしても,依然としてドイツにおいては労働者の企業 経営への影響力は大きい。
日本の企業経営も同様に従業員が重要なステイクホルダーと見なされてきた が,ドイツと日本の違いは,日本ではあくまで慣行として,暗黙的に従業員志 向の経営がなされてきたのに対し,ドイツでは法律などによって制度的に従業 員志向が現れているということである。ここにドイツにおける「制度」志向が 見て取れる。
従業員以外の他のステイクホルダーについてはどうだろうか。この点につい て,たとえば海道( )によれば,監査役会においては労働側代表のみなら ず,その他重要なステイクホルダーの代表がポストを占めており,そこにはイ ンフォーマルな関係も形成されているという( ページ)。すなわち,労使二 元型の共同決定システムにおいて,労働者以外の他のステイクホルダーも影響 を行使している可能性があるということである。
さらにまた
EU
の以下の政策は注目に値する。EUは 年頃より積極的にCSR
の推進を政策的に取り組んでおり,同年の「リスボン宣言」でCSR
の重 要性を確認したのち, 年の「グリーンペーパー」や 年の「ホワイトペーパー」の発行を踏まえ,関係するステイクホルダーが集まり,CSRのあ り方などについて議論するための「マルチ・ステイクホルダー・フォーラム」
を開催した(谷本 , ページ以下;國部 を参照)。
EU
は,たとえばドイツの社会的市場経済に典型的なように(海道 ;海 道 ),自由主義的な資本主義経済体制を取りつつも,その問題点を政府の 規制などによって是正していくという,社会的側面を重視した経済政治運営や 福祉国家型の社会システムをとる国が多く,労働や雇用の問題のみならず,社 会的排除などの社会システム全体に関わる問題に対する関心が高い。そのた め,企業のCSR
にそのような問題の解決の一端を担うことが期待されたので あり,上記の「マルチ・ステイクホルダー・フォーラム」の開催に見られるよ うに,社会の様々なステイクホルダーが一堂に会し,対話を重ね,社会問題に ついて協議するということは,ヨーロッパ的な社会経済政策に沿った特徴的な 動きだと思われる。また 年より施行されている社会的責任の規格である
ISO
も,「マ ルチ・ステイクホルダー・プロセス(MSP)」による議論を経て成立したこと から,多様なステイクホルダーとの関係を重視する「ステイクホルダー・エン ゲージメント」が推奨されており,そこでは多様なステイクホルダーの意見を くみ取り,組織の意思決定に反映させることに重点が置かれている。以上のような多様なステイクホルダーとの関係を重視する「ステイクホルダ ー・エンゲージメント」については,ドイツでも現在すでに多くの大企業で取 り組みが見られる。取り組みについて各社はウェブサイトなどに報告書の形で 掲載しており,簡単に確認できる。各企業で具体的な取り組み内容は異なるも のの,様々なステイクホルダーと積極的に関わりを持とうとしていることがう かがい知れる!。
( ) たとえばフォルクスワーゲン社は,ウェブサイトにおいて「ステイクホルダー・マネ ジメント(Stakeholder Management)」の標題において,エンゲージメントやダイアログ
(対 話)の 活 動 を 紹 介 し て い る。http://sustainabilityreport .volkswagenag.com/strategy/
stakeholder-management( 年 月 日閲覧)。またドイツにおける企業倫理の制度化
状況についてはたとえば風間( )を参照。