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市民社会と主体形成

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市民社会と主体形成

黒 沢 惟 昭 はじめに

人間がこの世において疎外された「受苦的」存在であること、しかし、同時に人間 はこの疎外を意識化し、それをのり超えていく「情熱的」存在でもあること。これが 私の研究の前梯である。このことを実感できたのは、三井三池の労働者たちとの交流 であった。一方、私は60年代の疎外論研究の時代的背景のもとで、初期マルクスの思 想の追思惟という知的作業を通して、疎外とその回復の論理を究めようと試みたので あった。私の修士論文「人間の疎外と教育」は、如上の問題意識と方法によって作成 された。その後、この修論を彫琢し、展開させて『疎外と教育』(新評論、10年)

と題する小著として公刊してから早や20数年が経つ。

詳しくはこの拙著を参看願いたいが刊行当時拙著の解説を意図して書いた草稿が手 許にあるので、本稿の目的である市民社会と主体形成について私の問題の所在を明ら かにするために以下の序章に若干の修正を加えて再録したい。

第一章 初期マルクスの人間=社会=教育観

――問題の所在と現代教育学批判の断層――

一 方法の問題

ここ数年間私は、少年マルクスから青年期のマルクス――彼が経済研究に取り組む 以前の――の主要論稿を詳細に検討するという作業を遂行してきた。ここに一応のま とまりをみたので、この作業から得た私なりの確認点を開陳して一まずの区切りをつ けたいと念う。

ところで、私がこのような作業を自らに課したのは謂うところの「初期マルクス」

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の思想の概説を志向したものではなく、さりとて新しい資料に基く新解釈ないし異説 の展開を意図したものでもない。ただ、私は常に或る高名な経済学者の次の章句に励 まされてこの作業を続けてきたのである。

「別に異説を立てなくてもいい。昔からの解釈のすばらしさを深く再認識すること も、創造行為です。むろんそこには賭けがあり、賭けに価するだけの準備が必要で す」(内田義彦『社会認識の歩み』岩波新書、p.6、傍点引用者)

ところで、当初私が試みようとした「賭け」とは、マルクスの思想形成を 教育 という観点から考察し、できればそれを再構成したい、ということにあった。その「準 備」ともいうべき背景には従来のマルクス(主義)教育研究に対して、多くの不満を 抱いていたからにほかならない。課題意識を明らかにするために以下にその点を若干 の例を挙げつつ述べてみよう。

今日に至ってみればすでに古典的存在になってしまった感があるが如上の私の関心 から注目すべきものに、いずれも東独(当時)の学者による、二つの労作が公刊され たことである。一つは、ハインツ・カルラス著『マルクス主義教育学の構想』であ り、他の一つは、ゴットホルト・クラップ著『マルクス主義の教育思想』である。

前者は主としてマルクスの『資本論』に内在してそこから教育との関連を探ることを 意図した研究であり、後者はそれ以外のマルクス及びエンゲルスの諸著作にも論及し て、「生産労働と教育の結合」というマルクス(主義)教育論の基本構想を論証しよ うとした労作である。

他の機会にも指摘したように(前掲注記拙稿参照)『資本論』の教育的論点の剔 抉、マルクス・エンゲルスの教育と労働についての諸見解、及び児童労働の教育的意 義、さらに総合技術教育の構想、その社会主義国東独における現実等々に関して両著 から示唆をうけたことはいうまでもない

しかし、その反面、著者達が社会主義国の研究者であるためか、 労働と教育 いう場合、私の主要関心である(資本主義国における)労働が孕まざるをえない否定

モメント

的側面とそれに対する教育の意味――疎外された労働とその回復の契機――について は、明快に論じられているとはいえないことであった。すなわち、謂うところの「大 企業の本性とその資本主義的形態との間に横たわる矛盾」を揚棄する主体形成という

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領域の論及が殆ど欠落しているのである。さらに、そのメダルの裏側ともいうべき

「国家のイデオロギー装置」としての教育の役割についての論述も総じて軽視されて いることは期待外れであった

ところで、資本主義社会における教育が内包する意義及びその作用をめぐっては、

わが国において、「教育科学論争」と通称される一連の論争があったことを想起する べきである。

海後勝雄、広岡亮蔵氏らによって、「世界教育史のマルクス主義的書きかえ」を意 図したといわれる論文、「資本主義の発展と教育上の法則」(プリント刷)をめぐって 開始されたこの論争は、その後多くの論者を巻き込みつつ様々な論点を孕んでいく が、その核心は、「史的唯物論でいう上部構造と下部構造との関係において、教育は いかなる位置を占めるか」に集約される。豊かな内実を予想された論争ではあった が、当時の論者の唯物論理解の不充分さもあってか、結局、不毛の論争といわざるを 得なかったのはこの国の教育研究にとって不幸であった。いまここで、その詳細を紹 介、検討する余裕はないので、端的にいって或論者の次の批判的断言は正鵠を射てい ると思われるのでそれをもって私の結論にかえたい。『土台と上部構造』というワク の中で発想し、国家論を媒介する発言はついになかった」(傍点引用者)

以上、当時の東独とわが国におけるマルクスの教育観、 マルクス(主義)教育学 研究のほんの一端を例示し、それについての私見を述べたに過ぎないが、それら先駆 的労作に深く学びつつもなおそこにおけるすでに触れたような限界を指摘しないわけ にはいかないのである。

ところで、小論の冒頭に青年マルクスの諸論稿を教育の観点から考察するという私 の関心について述べたのであるが、後論するような近代公教育の批判的のりこえとい うすぐれて現代的問題の追究に対して、その方法はいかにも不充分であり、ともすれ ば牽強付会に陥入る危険性は熟知するところである。しかし、本来、教育実践家で も、教育学者でもなかったマルクスの学説がわれわれの関心を強くひくことをあらた めて内省してみれば、マルクスの問題意識が、近代国家・市民社会の全面的変革とそ の超克にあったことと深く関わることに注目すべきである。しかし、従来のマルクス

(主義)教育学説なるものが、往々にして、マルクスの論稿のなかから「教育」なる 語句が散見する章句を抽出・アレンジし、それらのアンソロジーをもってことたれり とする傾向があったことは否定できないのではないか。もともと専門領域として教育

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を研究したり、また、その実践に従事したわけではないマルクスの思想の営為からそ の教育観を汲みとろうと志向する者は、一まず、「教育」という語句から離れ、近代 の超克という彼の生涯の志向にこだわり続けながらもその課題解決のために、マルク スが生涯を賭けて、 求めたもの のなかにおいてその教育についての意想を再構成 するという回り道が必要とされるのではあるまいか。

以上が私の従来のマルクス(主義)教育論に対する反省であり、それに基く自らの 研究姿勢である。

ところで、これ亦後論するように、今回私が考究の対象にした時期はマルクスが学 生時代の専攻、「法哲学」の研究を武器にヘーゲルの思想と対決し、それを超出しよ うとしていた時代にあたる。この期においては、教育についての言説はおろか、教 育・発達・形成と密接に関わる「労働」それ自体についての論及もみられない。した がって、教育研究としての小論は極めて不充分である誹を免れ得ないところである。

だがすでに述べたように、この時期のマルクスの思想の確認は私の研究テーマにとっ て、いかにしても超えねばならない通過点である。直接の教育論から離れた論及が殆 どである事実は私自らが認めるところであるが、前述の私の意図から諒とされたい。

二 人間=社会観について

人間観=社会観について、この期のマルクスの意想を端的にいえば、全体的人間観 ともいうべき人間観でそれはあったといえる。すなわち、十七・十八世紀の人間は、

一面では封建的社会形態の解体の産物であり、他面では十六世紀以来新しく発展して きた生産力の産物であった。こうして、前近代的共同体から解離された、「市民社会」

ア ト ム モ ナ ド

に誕生した個人を前提とする原子(単子)的人間に対決して定立されたものがマルク スの人間観――当時のマルクスのことばを用いれば、類的存在(Gattungswesen)と しての人間、という概念であった。

ここでも亦、結論的にいわざるを得ないが、この人間観は十七・十八世紀の啓蒙主 義的な人間観(それは当然に社会観と密接な関係にあるが)とは意想を異にするもの であり、ヘーゲル及びヘーゲル左派の人間観の継承的産物であることをまずもって 指摘しなくてはならない。

しかし、さしあたってマルクスは、ヘーゲルの思想に辿りつく以前にどのような人 間=社会観を抱いていたのであろうか。後論のためにもまずその点を要覧してみよ

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う。

マルクスはこの時期――ギムナジウム時代――に三つの作文を書いている。そこに おける人間=社会観についてはすでに他の箇処でやや詳しく考察したので、ここで はそれに基いて要点のみを述べることにする。

有名な「職業選択にさいしての一青年の考察」においては、個人の完成と人類の完 成、幸福が決して敵対するものではなく、人類全体のために働く場合には、統一され ることが説かれる。さらに、卒業作文「キリストと信徒の合一、ヨハネ伝第一五章第 一〜第十四節による、その根拠と本質、その絶対的必然性とその効果の叙述」では、

キリスト教の社会観に基いて個人と人類を統一的に考えていた。すなわち、個人は神 への愛を通じて人類と結びつくことがブドウの樹のたとえ話によって述べられてい る。もちろん、天才マルクスとはいえ、当時十七歳程度の少年に一貫した思想を読み 取ることはいかにしても無理であり、三つの作文には指導教授の思惑も配慮してか、

不協和音 が散見されるのは致し方ないところであるが、それらの諸事情を勘案し ても、ヘーゲル学徒以前の、この期のマルクスも亦、個人というものをつねに全体と の関わりで考える姿勢を示していたことは後年のマルクスの思想を識るわれわれに とってはやはり興味深いことといわねばならないであろう。

次に、マルクスはヘーゲル思想の強い影響下に、『学位論文』を書き上げる。その 題名が示すごとく、「それはデモクリトスとエピクロスの自然哲学の差異」を論じた ものであり、さらにいえば、デモクリトスと対比してのエピクロス自然哲学の独自性 を論証したものと巷間いわれている。しかし、私の考察によれば――といってみて も、もちろん、先学の諸研究の検討に基く私なりの推断に過ぎないのであるが――如 上の説は一面的であり、マルクスはデモクリトスに対して相対的に支持したエピクロ スについても、批判的であったことを想起すべきである。これ亦、他の機会に論じた ところであるが、念のためにその結論のみを要約する。

この論文におけるマルクスの立場は、「抽象的・普遍的」「ストア哲学」)の立場で もなく、さりとて、「抽象的・個別的」「エピクロス哲学」)のそれでもなく、まさ に、「具体的・普遍」(Das konkrete Allgemeine)(ヘーゲル哲学)の立場をとってい たのである。

ところで、このマルクスの「具体的普遍」は明らかにヘーゲルの概念の継承である が、遺憾ながらいま私はここで、両者の概念の相異を明確に開示する用意はない。と

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りあえず、それについてのヘーゲルの謂うところを引証しよう。

「概念の普遍は、それにたいして特殊が独立の存在を持っている共通なものとはち がう。それは自ら特殊化するものであり、他者のうちにありながらも、曇りない姿で 自分自身のもとにとどまっているものである。認識にとっても実践にとっても単に共 通なものを真の普遍と混同しないことが大切である」。さらに、ヘーゲルは、この点 を、ギリシャ人とキリスト教の相異において例証する。「あんなにも高い教養を持っ ていたギリシャ人も、真に普遍的な神および人間を知らなかった。ギリシャの神々 は、精神の特殊な諸力にすぎなかったし、普遍的な神、すなわちあらゆる民族の神 は、アテナイ人にとってはなお隠れた神であった」。これに対して、「キリスト教は絶 対的自由の宗教であり、キリスト教徒のみが人間そものの無限性と普遍性とを認め る」。さらに、ヘーゲルは、ルソーの学説までにも論及して、以下のようにいう。「ル ソーは、国家の法律は普遍的意志(volonte generale)から生じなければならないが、

といって決して万人の意志(volonte de tous)である必 要 は な い」(G. W. F. Hegel Werke in zwanzig 8 Enzyklopädie der philosophischen Wissenschaften 1 ; Theorie Werkausgabe, Suhrkamp Verlag, S. 312、松村一人訳『小論理学』(下)岩波文庫、

5年、pp.8〜19.

如上のヘーゲルの例証で、「具体的普遍」の概念をイメージすることができると思 うが念のために引続き、ヘーゲルの次の章句を引用しよう。

「普遍性はここでは単に、独立に存在して普遍性に無関係な個々のものを包括す る、外的な紐にすぎないようにみえる。しかし実際は普遍は個別的なものの土台であ り根柢であり実体である。例えば、われわれが、……都市または或る国のその他の住 民を考えてみれば、かれらがすべて人間であるということは、単にかれらに共通な事 柄ではなく、それはかれらの普遍であり類であって、この類がなかったら、個々の人 間は全く存在しないであろう」(S.7、同邦訳、pp.0〜11)

如上の文意から「普遍」(類)は「共通」とは異なるものであること。個との関わ りでいえば、個的人間でありながら現実的に類的存在となっている人間であることを 確認できよう10

この期のマルクスの人間観はこのヘーゲルの「具体的普遍」を継承したものである ことはすでに指摘したところであるが(継承過程におけるヘーゲル左派、特にフォイ エルバッハの類概念の媒介については省略)、残念ながら、ここで両者の「具体的普

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遍」についての相異を構造的に展開する準備はない。さしあたって、マルクスに依る

ペーベル

その継承過程の一産物―それは救済としての対象にすぎなかったヘーゲルの貧民

(Päbel)の捉えかえしとして意味づけられたものであるが――プロレタリアートの 萌芽としての「貧民」についてみよう。

この継承過程の作業は、いわゆる『ライン新聞』期における諸論文において遂行さ れる。そこにおいてマルクスは、「特殊が全体と関連しているときにだけ、すなわち、

それが全体と分離していないときにだけ特殊を精神的であり、自由であるとみなす」

「第一論文」)立場、つまり前述のヘーゲルと軌を一にした立場から、その体現者を

「慣習的権利」を擁護しようとする「貧民大衆」の欲求に見いだし、それはゲルマン 法の趣旨から理性に適うものであること(普遍的存在)。同時に生活に根ざす現実的 な欲求でもあること(具体的存在)を実証する。つまり、彼らの欲求(実践)がそれ 自体、具体的普遍の立場を即自的に示すものと捉えられた。もちろん、この「貧民」

も用語としてはヘーゲルからの継承であるが、ヘーゲルにあっては、「賎民」ないし

ゲジヌング

「窮民」とも訳されるべき――市民社会の心情を攪乱するものとして――救済の対象 としてのぺーベルであるのに対して、この期のマルクスの「貧民」概念は、市民社会 の変革の主体としてのプロレタリアートの萌芽ともいうべき内実をもったものとして 捉えかえされている点に注目すべきである(客体から主体への反転!)

周知のように、ヘーゲルにあたっては、現実との適合〔Akkommodation〕のため に、具体的普遍、「定在における自由」は実在世界を所与の前提として定立されたも のであった。したがって、ヘーゲルの具体的普遍は一つの虚構に終らざるを得なかっ た。これに対して、マルクスはヘーゲルの方法原理に立ち還り、「現実を理念で測る」

という哲学的実践、すなわち、 批判 を遂行する。『ライン新聞』はこの作業のため の恰好の舞台であった。そこ(地上の現実)においては、哲学と現実は「緊張関係」

をはらみ、哲学自体の「内的な自己充足と完成とは破られ」ざるを得ず、「内的な光っ たもの」が「外部に向かう焼きつくす炎となる」のであるが、同時に、その場合(地 上の舞台)には、ヘーゲルにおけるように、実在を所与の前提として「哲学の実現」

をはかることは不可能であった。マルクスがヘーゲルから継承した「具体的普遍」

は、このようにして地上の現実で、遂に「貧民」概念の捉えかえしとして、その具体 的体現者(プロレタリアート)の発見の契機に迄突き進んだのである11

マルクスのプロレタリアート観は、その後「ヘーゲル法哲学批判・序説」において

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論ぜられるが、そのまえに、「ヘーゲル国法論批判」におけるマルクスの人間=社会 観をみてみよう。

周知のように、この評注的論稿においてマルクスは、フォイエルバッハの宗教・批 判の方法を援用してヘーゲルにおける主語・述語の関係を正立させたのであるが、こ の構えのもとにマルクスが発想する類と個の統一としての共同態(人間=社会関係)

は真の「民主制」(die whare Demokratie)である。この「民主制」によって彼は国 家圏と市民社会圏の分裂という近代に特有な疎外の克服を志向する。

この「民主制」も亦すでにみた「具体的普遍」の具体化であることは明らかである が、その論述は抽象的に過ぎる憾みがある。この点についても他の稿12で詳論したと ころであるがここではその要目を集約してみよう。

マルクスによれば、「君主制はこの疎外の完璧な表現」であって、「共和制は、疎外 自身の圏内での疎外の否定である」と両体制がそれぞれの限界において批判され、そ れに対して、「民主制」こそが「体制の類」であり、「民主制にしてはじめて普遍と特 殊との真の一体性」なのであると主張される。さらに、「君主制」も、「共和制」も、

国家と市民社会の分離に基いた「抽象的国家形式」の体制であるのに対して、「民主 制」はこの分裂を克服した地平に構想されることに注目すべきである。マルクスの表 現によれば、それは「抽象的国家形式」そのものを否定することによって、「形相的 原理が同時に質科的原理」であるような体制なのである。

しかも、この実現の方途――と同時にこの体制の原理でもあるが――として「立法 権」への参与が繰り返し強調される。しかし、この参与は前述の「分離」を前提した 謂うところの「代議制」などでは断じてなく、成員の無制限の参加(直接民主主義)

でなければならないとして以下のように主張される。

「市民社会がごっそり、あわよくば、そっくりそのまま、立法権のなかへ押し入れ ること、現実的な市民社会が立法権の虚構的市民社会に取って代ろうとすることは、

己れに政治的存在を与えようとする、あるいは政治的存在を己れの現実的存在たらし めようとする、市民社会の努力にほかならない。己れを政治的社会に化そうとする、

あるいは政治的社会を現実的社会たらしめようとする、市民社会の努力は、立法権へ のできるだけ一般的な参与の努力としてあらわれる」13

『ヘーゲル国法論批判』の直後に書かれたと思われる『ユダヤ人問題によせて』に おいては、小論の関係でのみいえば、マルクスの「具体的普遍」は「人間的解放」(die

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menschliche Emanzipation)として論ぜられる。この論稿においては、国家と市民社 会の分離、それに相応する抽象的な「公人」と現実的「私人」への分裂という近代人 の宿命がより一層詳論され、しかも両者がいわば相互補完的関係に立つものであるこ とは次の「ユダヤ人問題によせて」におけるマルクスの章句によく表われている。「国 家のイデアリスムスの完成は、とりもなおさず市民社会のマテリアリスムスの完成で ある」。このことによって人間疎外はより深化したものとなっていることが了解され よう。この疎外の克服のために「民主制」にかえて提示されるのが「人間的解放」で ある。これについてのマルクスの説明を以下にみよう。

「現実の個別的な人間が、抽象的な公民を自分のうちにとりもどし、個別的人間の ままでありながら、その経験的な生活において、その個人的な労働において、その個 人的な関係において、類的存在となったときはじめて、つまり人間が自分の『固有の 力(forces propres)』を社会的な力として認識し、組織し、したがって社会的な力を もはや政治的な力の形で自分から切りはなさないときにはじめて、そのときにはじめ て、人間的解放は完成されたことになるのである」(同上)

みられるように、市民と同時に、国家の成員(公民)でもあるという回り途(二重 性)を経ることなく現実的人間のままで個と類を直接的に統一すること。このことに よって個人に特有な力を社会的な力として認識し組織するというマルクス固有の共同 態観(人間―社会観)をこの章句は端的に表現している。この共同態は「具体的普遍」

のより具体的表現であることは明白である14

しかし、この「人間的解放」の構想は、「民主制」が国家の立場から、より政治的 に傾斜して発想されているのに対して、より市民社会的、その意味でまさしく人間的 発想と断定して然るべきである。この傾向は「第二論文」において一層強められ、抽 象的ではあるが貨幣物神に到るまで論及されていることを惟えば、「具体的普遍」の 内実が「民主制」を経て一層現実的に究明されていることが理解できよう。この意味 で、以下のような極めて高い評価が与えられている。「これこそ、マルクスのコミュ ニズムであり、マルクスの生涯をつらぬくものです。『資本論』時点のマルクスが、

「個体的所有の再建」として、コミュニズムを規定する思想的基礎が、ここに定めら れていたのでした」「この意味でのコミューン主義こそ、マルクスのコミュニズムの 精髄であります」(平田清明前掲書、pp.8〜19)。平田清明氏の指摘を俟つまでも なくわれわれは、マルクスが少年時代に構想したキリスト教の人間社会観を前提にし

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つつ、その後、『学位論文』時代にヘーゲルから継承した「具体的普遍」の概念のマ ルクス独自の継承の結実を、その独自な人間=社会観をここに確認することができる のである。

小論が限定する範囲内でのマルクスの人間=社会観それ自体については以上でほぼ 考察を終えるのであるが、マルクスの特色はその構想の実現のための主体形成に迄論 及していることである。そこで以下、この主体=プロレタリアート観についても関説 するが、この点についても私は他の機会15に考察したのでここでも亦それに基く要約 以上を出るものでないことを諒とされたい。

「ユダヤ人問題によせて」の論述が市民社会圏に傾斜したものであることはすでに 指摘したが「序説」においてはこの傾向は一層強まる。すなわち、マルクスはドイツ 革命の担い手をブルジョアジーにではなく、「突然やってきた産業の運動をとおし て、ようやくドイツにとって生成しはじめている」プロレタリアートに見てとる。そ してマルクスはこのプロレタリアートを「人間の完全な喪失」と端的に規定し、それ 故に、「人間の完全な回復によってだけ自分自身をかちとることのできる」存在であ ると結論する。要するに、プロレタリアートは特殊な一身分でありながら、普遍的要 求をもつものと捉えられ、構想されていることに注目すべきである。いいかえれば、

後進国ドイツの特殊性の洞察からプロレタリアートの存在に着目し、それによる普遍 的解放、人間的解放を展望したのである。しかも、より具体的な方途として「頭脳」

(ドイツ哲学)と「心臓」(プロレタリアート)の結合によって、「ドイツ人の人間へ の解放が成就される」と論及している点は、レーニンの「なにをなすべきか」16にお ける社会主義理論と労働運動との結合の論理を先取りしているように思われるのは興 味深い。

こうして「ユダヤ人問題によせて」で提起された「人間的解放」が一層具体的に展 開されたのである。

プロレタリアートの発見とその帰結としての人間的解放の展望――此の期のマルク

ア ト ム モ ナ ド

スの人間=社会観はこのように集約される。それは近代社会に特有な原子的・単子的 人間観に対決し、それを超出するものとしてまさに画期的意義をもつものであった。

だが、その内実は、ヘーゲル法哲学批判の成果としての発想、構想ともみるべきもの であって、市民社会の固有な論理によって定礎されたものとはとうていい得るもので はない。その内容がより具体化されるためには、人間と、人間がその一部であるとこ

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ろの自然との関係の在り様、人間労働の解明がまずもって必須である。この在り様の なかにこそ、人間の実在=個と類の関係(具体的普遍)――その近代的在り様(疎外)

も含めて――が確証される筈である。この期以降マルクスはヘーゲル批判のもう一つ の側面――「近代的国家およびこれと関連した現実の批判的分析」『序説』)すなわ ち、「政治・経済学批判」の方向に収斂していくのである。さしあたっての成果は『経 済学・哲学草稿』として結実する。そこでは、「人間の完全な喪失」は労働者の自己 疎外として追究され、人間=社会観は「実存と本質との、個と類とのあいだの抗争の 真の解決としての共産主義」として捉かえされる。さらに後期においては、資本主義 社会の変革の対象は労働力の商品化であり、その主体はプロレタリアートであるとす る科学的社会主義の理論(『資本論』体系)として展開されることも亦周知のところ である。

以上で、私がここ数年書き留めてきた少年から青年にかけてのマルクスの思想の要 約を了える。さらに、以下に教育の観点に関わって若干の補筆を行い本稿の小括とし たい。

小括。

「互いに教育しあう自由人の結合体」。この短い章句のなかにこの期のマルクスの 人間(個人)=社会=教育についての考え方が簡潔に表わされている。より詳しくみ れば当時のマルクスによって「国家」と呼ばれたこの結合体そのものが、「その成員 を国家の成員とならせることによって、また個々人の目的を普遍的な目的に変え、粗 野な衝動を倫理的性向に変え、自然的な独立性を精神的自由に変えることによって、

さらに個々人が全体の生活のなかで自分の生活をたのしみ、全体が個々人の心情を自 己の心情としてたのしむということによって、その成員を教育するのである」という ことになる。

ところで、この教育の定義に関する限りでいえば「国家の成員」に育成することに 教育の意義をみいだした『法の哲学』におけるヘーゲルの意想と同様であるといって よいだろう。『ライン新聞』時代のマルクスは、少なくとも「貧民」に着目する以前 はヘーゲルから継承した「具体的普遍」の現存を理性的国家に托しつつそれに依拠し て「出版の自由」を実現すべく論陣を張っていたからである。だが類似点はここ迄で ある。

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その後、マルクスは貧民の権利獲得への情熱とその普遍性の洞察において現実の国 家がもはや理性的な、互いに教育しあえるような結合(共同)体などではないことを 実感せざるを得かなった。それは同時にヘーゲル国家論への不信の端初でもあらねば ならなかった。しかし、このことはマルクスがただちに、前出の「結合体=共同体」

の理念そのものを捨て去ったことは意味しない。むしろこの想念は彼の生涯を貫く理 念として生涯にわたってその具体的実現が追究されたものであることは周知のところ である。

ところで、ヘーゲルの教育観はたとえば方法としては「労働による教養の獲得・陶 冶」といった肯定的側面をはらむものではあったが、その要石は結局のところ「愛国 心」の確信の育成という意識において国家の公民に至ることにあった。人間の意識に よって(幻想)共同体はつくり得ても、その現実の人間は共同体から切り離された全 くの「私人」=(市民)として分裂していること。冒頭のマルクスの自由人なること ばを用いれば、たしかに意識において、国家の公民として、人間は「自由人」になる ことは可能であった。事実、近代社会の人間の在り様はそのことを開示している。し かし、ここにおいては、それはあくまで国家を媒体としてのみ――一つの疎外態とし ての自由人にすぎないことである。例えば近代が確立した「自由」なる人権は市民社 会の現実においては「所有の自由」であり、それは共同体から分離されたモナド・ア トム的人間を前提とした限りでの自由でしかあり得ず、謂うところの「平等」にして みても亦この所有の自由を平等にするものでしかありえない。これでは、「互いに(平 等に)教育しあう自由人」による「結合体」も所詮虚構に終らざるを得ない。

マルクスはこの現実を克服すべく「真の民主制」を、「人間的解放」を要求する。

だが、この要求をいかに実現すべきか。

このためにマルクスは再び「貧民」の意味に着目する。すなわち、個的存在であり ながら普遍性を内包するもの、現実と理念の統一を即自的に体現するものとしての

「貧民」に着目し、それを捉えかえし、さらに「プロレタリアート」概念にまで彫琢 するのである。その即自的存在(自然発生性)をいかに対自性(意識性)にまでたか めていくか。この考察においては後のレーニンの『なにをなすべきか』における労働 者と知識人の結合の論理を想起させるような、労働者の自己認識(教育)についても 示唆を与えていることに注目すべきである。この自己認識(教育)を通して一つの「身 分」としてのプロレタリアートが現実に自由人になることによって、社会の全構成員

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が自由人になること。この自由人を前提にしてのみすでにみた結合体=共同体は現実 に創造できることを展望し得たのである。

もちろん、プロレタリアートが自由人になることはこの社会の止揚を意味するので あり、そのためにも自己認識(教育)が不可欠であるが、この際、止揚の時点におい て、教育はその役割を完了するなどというものではなく、新しい社会=自由人の結合 体においても不可欠とされる。未来社会の展望を表現した冒頭のマルクスの章句にあ えて「教育」の語句が使用されていることは教育なくしては人間の真の自由は現実に 発現することは在り得ないというマルクスの確信を表明していると思われる。

以上で、私が本稿で意図した課題の要約を終える。ところで、この小論と現代教育 研究との距離は大きいが、今後の研究のためにこの国の教育学研究におけるすぐれて 現代的側面についても若干の私見を述べておきたいと念う。

三 現代教育学の課題

前節で例証した「教育科学論争」はその後、再開・発展を見ぬままに終息したが、

教育の論争点は以後、教育の主体形成をめぐる「国民教育論」17へと移っていった。

ここでも亦、その論争の領域・論点の詳細については割愛するが、それらのなかで私 は特に堀尾輝久18、海老原治善氏19の論稿、とりわけ、持田栄一氏20の諸論作に多大な 教示を与えられた。

三者の論点・強調点はそれぞれの論者の専門領域、及び立場、従って発想の相異か ら論証・結論に大きなずれがみられるのは当然であるにしても、マルクスの国家・市 民社会についての学説を授用しつつ、「教育権」を中心にして夫々の教育論を展開し ている点では三者共通の方法意識であり、この意味でいずれもすでにみた「教育科学 論争」時の限界の超出を展望するものであることは明白である。なかでも、今にして 想えばそれ程長いとはいえなかったその研究年月を、近代公教育の批判とそののりこ えのために捧げ、執念をこめて書き上げた故持田栄一氏の諸論考は、私の問題意識に とって絶大な示唆を与えてくれた。

厖大な量にのぼる持田教育論の功績を思い切って要約すれば、「マルクス(及びグ ラムシ)の国家・市民社会論を援用しつつ『教育権』を鍵的概念として近代の教育構 造を(したがってその矛盾をも)トータルに把握したこと」、この考察に依拠して、

「土台=上部構造を短絡し、国家論なき不毛の論争といわれた、前出の『教育科学論

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争』やマルクスの『教育』という章句の アンソロジイ の域を出かなかった(と私 には思われる)従来の『マルクス主義教育論』の水準をいっきょに科学的理論に引き 上げた」(前掲拙稿)こと、より正確にいえば、引き上げるべき活路を切り拓いたこ と、にそれはあるといえよう。

さらに、このような氏固有の理論を敷衍して、「教育権」を人類普遍の価値と措定 して立論する、たとえば前出の堀尾輝久氏を代表とする「国民教育論」(堀尾輝久前 掲書参照)を氏は厳しく批判する。その批判は概ね肯綮に中る点についても亦他の拙 稿で指摘したところである(前掲注記の拙稿参照)

以上にみられるように、持田教育理論の功績は画期的であるが、少なくとも当面の 私にとって最大の問題関心であるヘゲモニーとしての教育という側面に関していえ ば、次のような限界も有すると思われる。

持田教育論の核芯ともいうべき「教育権」概念がなお未分明ではあるまいか。いわ ゆる「国民の教育権」を人類普遍の価値として捉える考え方を非社会科学的として指 弾する点はこの上もなく正しい批判なのであるが、それを前提としての氏独自の見解 の証示としては、「国民の教育権」といわれるものを「その現存の実態からとらえか えし」「そこにおける矛盾を止揚していく方向で、教育権を再構築していくこと」、い いかえれば「『近代』におけるそれとは異なった地平に教育権論を構築していく」こ とが提唱され、その方法については、『国民の教育権』の自覚をふくめて、近代教育 の古典的原則のうち、価値あるものは、労働者階級によってうけつがれ、かれらの教 育を豊かにするものとして構成される。しかし、このような『継承』と『再構成』は 短絡した形でなされるのではなく、近代教育の古典原則を否定し止揚する勤労人民の 実践と運動を媒介としてするめられるものである」(前掲注記拙稿参照)と主張され る。これらの発想は誤りではないとしても、一般的・抽象的である。したがって、こ の提言を、持田理論の肯定面を媒体としつつ具体的・理論整合的に展開すること。こ れが後進に残された課題である。

小論では、原理的側面に論点を限定したいので、運動論に関する領域については禁 欲するべきであるが、持田論の限界の論及の関連としてこの点についても若干の私見 を開陳しておきたい。

ここでも亦、他の国民教育論者が説く、父母・保護者と民主的教育者の連帯による

「聖なる共同体」の幻想性を社会科学的に曝露する持田論はまことに鋭い。しかし、

−1 6−

(15)

その批判の上にいかなる独自の共同体が構想されるのか。なるほど、「近代公教育変 革のための主体としての自己権力形成は、労働者党が中核となり、労働者階級をはじ めとした市民各層が結集される」ことによってつくりあげられる、とされる。こうし た「主体」形成の論理がいわゆる「批判教育計画」として提起さえるのであるが、そ こにおいては、中核となるべき労働者党の教育政策の分析及び教育の現場における主 体形成についても具体的論理の展開がみられぬまま、突如(と私には思われる)とし て、地域(地方自治体)における「新しい教育共同体」の創造が提唱される。たしか に、そこでは「批判教育」の立場を貫徹することが逐一強調され、そこにいくつかの それなりの具体的発想が説かれるのは持田理論の独自性として高く評価されるのはい うまでもないが、端的にいえば、それは「現在へのとらえかえし」「問いかえし」と いう精神的な姿勢論に終始している――その限りで氏の批判の対象とされる立論と同 様ではあるまいか――と断ぜざるを得ないのである。ここに持田理論の限界のもう一 つの面を指摘することができる(前掲注記拙稿参照)

以上、ヘゲモニーとしての教育解明という私の課題意識に関わらしめて、当時の東 独の学者の研究成果の検討から始まり、戦後わが国の教育研究者の諸論考の考察――

やや主観的であるという懸念は拭えないとしても――の結果、現時点においては故持 田栄一氏の理論が戦後教育学の一つの到達点を証示しているというのが私なりの一応 の結論である。しかし、反面、その功績を高く評価しつつも、そこにはなお残された 問題点が在ることはすでに指摘したところから明らかである。

それらの課題を認識し、その理論の限界を乗り越えていくことがわれわれ後進の学 的責務である。小論も将来その一端を担うことを意図したささやかな基礎固めの一つ である。

付記。本稿は冒頭に記したように、先に公刊した拙書『疎外と教育』(新評論)の第一部の「ま とめ」を意図して成稿したものであるが紙巾を大きく越えたので拙書収録に際しては大幅に短 縮せざるを得なかった。従って、前掲拙書第八章「疎外と教育―初期マルクスの人間=教育論」

と重複する箇所が多いことを諒とされたい。

《注》

はじめに・第一章

1 Heinz karras ; Die Grundgedanken der sozialistischen Padagogik in Marx Hauptwerke

Das Kapital.” Volk und Wissen Volksigner Verlag, 3, Auflage, Berlin 1961.田中昭徳訳

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『マルクス主義教育学の構想』 (明治図書、1 9 7 0年) 。この著作の内容と批判について は、拙稿『教育学基本文献ノート』ハインツ・カルラス著『マルクス主義教育学の構 想』についての覚書」 (一橋大学一橋学会編『一橋論叢』第6 4巻第三号)参照。

2 Gotthold Krapp ; Max und Engels uber die Verbindung des Unterrichs mit produktivre Arbeit und die polytech-nische Bildung 3, Aufl.Volk und Wissen Volksrigener Verlag, Berlin, 1960.大橋精夫訳『マルクス主義の教育思想』 (御茶の水書房、1 9 6 1年) 。

3 その他に、ぺ・エヌ・グルズデフ編・大橋精夫訳『マルクス=エンゲルス教育論』1・

2(明治図書、1 9 6 8年) 、さらにレーニンのものに関しては、ヴェ・ぺ・グルズデフ 編・矢川徳光・大橋精夫監訳『レーニン教育論大系』 (明治図書、1 9 6 7年)等を上げる ことができる。また、東独の教育学説に関しては、同国の教育学誌『pädagogik』所収 の論考に多くの教示を得た。その一端に関しては、拙稿、 〔学会展望〕 「陶冶と訓育に ついての若干の問題点」 (一橋大学一橋学会編『一橋論叢』第6 8巻第2号)を参照。

4 この点、当時亦多くの教示を得た、スバトコーフスキー著、倉内史郎・鈴木秀一訳『マ ルクス主義教育学の方法論』 (明治図書、1 9 6 4年)にはたしかに、教育の階級性の強調 はみられるが、 「グラムシがヘゲモニーと呼んだところのもの、すなわち、抑圧的支配 の形態と結合して被搾取階級にたいする支配的階級の支配を保証する、非―暴力的で はあるが説得的な支配の形態」 (L・アルテユセール著・西川辰夫訳『国家とイデオロ ギー』福村出版、1 9 7 7年、p. 7. ) 、すなわち、ヘゲモニーとしての教育への関心は稀薄 である。

5 この論争については、船山謙次『続日本戦後教育論争史』 (東洋館出版、1 9 5 8年) 、小 川太郎著『教育科学研究入門』 (明治図書、1 9 6 5年)特にその補章、等を参照。

6 村田栄一『戦後教育論』 (社会評論社、1 9 7 0年)p. 1 1 2。因みに、この論争の成果を踏 まえたと思われる、小川太郎著『教育科学入門』 (前掲注記)においても、生産関係・

生産力が直接に教科内容に反映するなどと論じられ、国家論(たとえば、その社会的、

政治的機能)を媒介としては論じられていない。

7 後年のマルクスによってこの点を引証してみよう。 「社会で生産をおこなっている個々 人、したがって個々人の社会的に規定されている生産が、いうまでもなく出発点であ る。スミスやリカアドがそこから説きおこしている個々ばらばらの猟師や漁夫は、十 八世紀の空想をまじえない想像のうんだものである。それはロビンソンの物語ではあ るが、けっして文化史家の考えるように、あまりにも洗練されたものにたいする反動 や、誤解された自然生活への復帰にすぎないものではない。……この自然主義はむし ろ十六世紀以来準備され、十八世紀にその熟成への巨歩をすすめた『ブルジョア社会』

を先廻りしてしめしたものなのである。この自由競争の社会では、個々人は、それ以 前のもろもろの歴史時代にかれを一定のかぎられた人間の集団の一員にしていた自然

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的な結びつきなどから、解放されてあらわれる」 。こうした情況に対する次の章句にマ ルクスの人間観が簡潔に表白されている。 「人間は文字どおりの意味で……〔社会的動 物〕である、単に群居的な動物であるばかりでなく、社会のなかでだけ自分を個別化 できる動物である」 (K. Marx, Kritik der Politischen Okonomie, MEW, 13. S. 615. 武田・

遠藤・大内・加藤訳『経済学批判』岩波文庫、pp. 1 8 7〜1 8 8、傍点引用者) 。

8 拙稿「少年マルクスの人間=社会観についての覚え書」――ギムナジウム時代の三つ の作文を中心に――(拙書『疎外と教育』 、 〔新評論、1 9 8 0年〕 、第一章、参照) 。

9 拙稿「マルクスの『学位論文』についての一考察――『具体的普遍』を中心にして」(前 掲拙書、第二章参照) 。

10 この「普遍=類」について、廣松渉氏は、まず、ヘーゲルの『精神哲学』の「個々人 の具体的存在には、彼の根本的諸関心の総体、彼が他の人間ならびに世界全般に対し て 立 つ……諸 関 係 の 総 体 が 属 し て い る。こ の 綜 体 性 が 個 人 の 現 実 性 を な す」

(Enzyklopädie der philosophischen Wissenschaften Werke, Suhrkamp. Bd.10.s.133.)

というマルクスの『フォイエルバッハに関するテーゼ』を連想させるような章句を引 用しつつ、 「それは悟性的概念の普遍=類ではなく、現実的なものであり、かの『民 族』 『国家』といった人倫的実体性である」こと。このヘーゲルの発想の理解のために は、 「民族精神と個々人との関係を表象するのが便利」であると指摘され、以下のよう に説明される。 「民族精神というものは、その民族に属する諸個人の精神の代数和では ないし、いわんや平均でもない。民族精神というものは、むしろ、それがなければ民 族の英雄はもちろんのこと、当該民族の諸個人もありえないような或るものとして考 えられる。そして、そのかぎりで、民族精神という普遍(類)がなければ『個』も当 の個としては存在しえず、民族精神が当該民族の諸個人の『実体』をなす、という考 え方がなされるわけである」 。 「この意味での民族精神、というよりも、人倫的実体を 原型としながら、それをヘーゲル一流のやりかたで理念化していったもの……それが ヘーゲル哲学の体系における絶対精神にほかならなかった。ヘーゲル哲学全体の主体

=実体たる『絶対精神』の原型、そしてこの汎神論的な神=絶対精神と宇宙万物との 関係の原型は『人倫』という在り方における人間存在であったということができる」

(廣松渉『唯物史観の原像 その発想と射程』三一書房、1 9 7 1年、pp. 2 0〜2 1) 。引用 が長くなったが、 「具体的普遍」の内実、及びそれとヘーゲルの「人倫」との関わりの 理解のために有益な示唆である。

11 『ライン新聞』期のマルクスの思想的営為については、拙稿「 『ライン新聞』時代にお けるマルクスの教育観」 (前掲拙書、三章)参照。

なお、前掲拙稿「マルクスの『学位論文』 」についての一考察――『具体的普遍』を中 心にして」――(前掲拙書、二章)特にⅢ節も参照のこと。

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12 拙稿「青年マルクスの共同態観についての一考察――『ヘーゲル国法論批判』 『独仏年 誌』時代を中心にして」 (前掲拙書、五章) 、参照。

13 この構想の敷衍的説明に関しては、竹内芳郎『国家と民主主義』 (現代評論社、1 9 7 5 年)特に、第一章、 「近代国家と民主主義の二重性――ジャン=ジャック・ルソーの現 代的意義――」が参照されるべきである。また、Galvano della Volpe、Rousseau e Marx, e altri saggi di critica materialistica, Roma, Editori Riuniti, 1964. 竹内良知訳『ルソーと マルクス』 (合同出版、1 9 6 8年) 、さらに ルソーマルクス関係 を詳論した田中吉六 著『マルクスからルソーへ』 (農山漁村文化協会、1 9 8 0年) 、特に第一、二章が多くの 示唆を与えてくれる。しかし、廣松渉氏はこの期のマルクスのルソー理解、及びルソー 国家学説そのものについては高い評価を与えていない(鼎談「近代政治思想とマルク スの国家観――『国家と民主主義』をめぐって」 ( 『国家論研究』No. 6・論創社、及び 同じく鼎談「マルクス国家論の根本問題――津田『国家と革命の理論』と柴田高好『マ ルクス政治学の復権』をめぐって」 〈同誌 No. 1 9〉における同氏の発言) 。なおマルク スの『ルソー・ノート』は新メガに所収される由であるから、その公開を俟って新た なるルソー=マルクス関係が解明されることが期待される。

14 平田清明氏は、この「固有の力」に論及して、それは「ルソー『社会契約論』のこと ばであって、マルクス的コミュ二スムスの一思想源泉をなすもの」 、マルクスのコミュ ニズムが「ルソー的な個体=コミューン思想のうえに立っていること」を指摘され、

「 『政治的人間の抽象化』をルソーからまなんで、マルクスが彼のコミュニズムを展開 したこと」に注意を喚起しておられる( 『市民社会と社会主義』岩波書店、1 9 6 9年、

pp. 2 0 1〜2 0 2) 。田中吉六氏も、平田氏のこの章句についての評価に「多大な共鳴」を 感じつつ、 「具体的普遍」の表示としてこの「人間的解放」を位置づけておられる(『マ ルクス、再出発』 (三交社、1 9 7 4年、pp. 1 1 2〜1 3 0) 。さらに竹内芳郎氏も、平田氏と同 様、この期のマルクスにルソーの強い影響を認めている(前掲書 pp. 1 8〜3 8) 。しかし 廣松渉氏はこれらの諸説に対して次のように異説を唱えておられる。 「マルクスの『公 民』がたとえルソーのそれと二重写しに表象されていようとも……内実においては、

ルソーの『公民』の思想とはおよ そ 異 質 な、フ ォ イ エ ル バ ッ ハ 的 な『類 的 存 在』

(Gattungswesen) 、さかのぼればヘーゲル的な『人倫』の線上にあること、そして、

類と個、本質と実存、普遍と個別、とへの分裂とその止揚というモチーフ( 『学位論 文』以来の、なかんずく『具体的普遍』の発想と論理からの連続性!)に発するもの であることが肯けるであろう」 ( 『青年マルクス論』平凡社、1 9 7 1年、p. 1 5 8) 。現時点 において、私は行論から明らかなように、廣松氏のこの見解に妥当性を認めるもので あるが、ハーバーマスのマルクスはアングロサクソン的民主主義とルソー的民主主義 を明確に区別することなく、 「それと自覚せずにこの伝統を承けており、そして新しい

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内容を含ませながら、その革命概念を引き継いでいる」 (Theorie und Praxis,細谷貞 雄訳『理論と実践』社会哲学論集、未来社、1 9 7 5年、pp. 1 0 9〜1 1 0)という当時のマル クスとルソーの関係についての興味深い指摘も軽視できないところである。ルソー=

ヘーゲル関係、また前述(注記)のマルクスの『ルソー・ノート』の公開を参照にし ての私なりのルソー=マルクスについての詳論は他日を期したい。

15 拙稿「マルクスのプロレタリアート観形成をめぐって――『ヘーゲル国法論批判』研 究ノート」 ( 『情況』第8 7号) 、及び、前掲拙稿「青年マルクスの共同態観についての一 考察――『ヘーゲル国法論批判』 『独仏年誌』時代を中心にして」特に 3。前掲拙書、

第四・五章参照。

16 この点については拙稿「労働者学習・教育試論」 (一橋大学一橋学会編『一橋論叢』第 6 6巻第2号)を参照されたい。

17 論争・論者は多岐にわたるがさしあたって次の持田栄一氏のコメント的要約は参考的 になる。持田栄一編『講座マルクス主義6・教育』 (日本評論社、1 9 6 9年)pp. 1 0 4〜

1 0 7. この労作については拙稿(書評) 「持田栄一編『教育』 」 (一橋大学一橋学会編『一 橋論叢』第六十四巻第1号)を参照のこと。

18 たとえば、堀尾輝久『現代教育の思想と構造』 (岩波書店、1 9 7 1年) 。

19 たとえば、海老原治善『現代日本教育政策史』 (三一書房、1 9 6 5年) 、同『教育政策の 理論と歴史』 (新評論、1 9 7 6年)など。

20 特に、前掲(注記)書及び、持田栄一編『教育変革への視座―「国民教育論」批判―』

(田畑書店、1 9 7 3年)など。

なお、持田理論の概括については、拙稿「持田教育理論の功績と残された課題―国家・

市民社会と教育を中心にして」 、 (前掲拙書、第十一章)参照。

第二章 マルクスの主体形成論

一 プロレタリアートの自己解放論とその問題点

前章においては、旧稿によりつつ、初期マルクスの人間=社会=教育観を要覧し、

疎外と教育についての私の問題の所在を再確認した。その限りでいえば、初期マルク スの主体形成の核心はプロレタリアート観に行きつくことが理解できる。要目のみを 繰りかえしておこう。

マルクスは英・仏の情況を見据えつつブルジョアジーによる革命(政治的解放)の 限界を見定め、それに対して、変革の主体を「ようやくドイツによって生成しはじめ

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(20)

ている」プロレタリアートに托する。マルクスはこのプロレタリアートを「人間の完 全な喪失」と規定し、それ故に、「人間の完全な回復によってだけ自分自身をかちと ることのできる」存在であると考える。つまり、プロレタリアートは特殊な身分であ りながら、普遍的要求を内包するものと捉えられている。因みに、プロレタリアート は、『ライン新聞』時代の「第三論文」で論じた「貧民」の発展的概念であることは すでに考察した。いいかえれば、後進国ドイツの特殊性の洞察からプロレタリアート の存在に着目し、その主体化による普遍的解放、(政治的解放に対する)人間的解放 を展望したのである。序章において詳述したところであるがまずはこの点を重複を省 みず確認しておきたい。

ところで、以上のマルクスの構想に対する若干の補足と批判を紹介しよう。多くの 所説が公刊されているがここではローレンツ・シュタインの研究者森田勉氏の労作に 学び、それに代表させていただくことにしよう。

まず、マルクスが主体として期待した当時のドイツのプロレタリアートについて同 氏は次のように述べる。

「当時現実にドイツの若干の工業地域で生成しはじめていた『近代的労働者階級』

の惨状を素材にし、同時期の産業革命中のフランスの工場労働者の境遇をも視野に入 れて、その実態を理論化し、圧縮した簡潔な文章に集約したものであるといえよう。

すなわち、10年代のリヨン労働者の暴動やたしかに市民社会の大前提である私有財 産から完全に疎外されてしまった完全な無産階級であり、そのゆえに私有財産制の社 会とラディカルに対立して悲惨な境遇に陥しいれられている階級であるとともに、し かも市民社会にとって不可欠な基本的階級である。これをマルクスは認識して一般理 論へと構成したものであるといえよう」(森田勉『ローレンツ・シュタイン研究―憲 法―憲政論・国家=社会学説・法哲学―』(ミネルヴァ書房、21年、p44)

以上の森田氏の説明は、マルクスの想定した主体としてのプロレタリアートの具体 的背景を知るために大変参考になる。問題はこの説明に続けられる同氏の次のような 批判である。やや長いが引用しよう。

「しかし、……すなわち、マルクスがプロレタリアートの……歴史的・社会的特性

―境遇の必然的帰結として主張している、他のすべての階級を解放することなしには 自分を解放できない階級、人倫の完全な喪失であるがゆえに人倫の完全な回復によっ

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