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- - - - - - 播磨国福本池田家における家臣団の変遷

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播 磨 国 福 本 池 田 家 に お け る 家 臣 団 の 変 遷

郡  山  志  保 

はじめに

本稿は、大名から交代寄合 の旗本、そして再度大名へと変遷を遂げる福本池田家の家臣団の実態を解明しようとす るものである。 福本池田家に関する先行研究は伊藤康晴氏「播磨国鳥取藩領、 及び福本藩に関する基礎的考察」 、 長谷川義徹氏『福 本藩史』 、『高砂市史』 があるのみであり 、福本池田家の家臣団構成については未だ未解明な点が多い。また、近世大 名の家臣団編成についての先行研究では国持の大藩や譜代大名の家臣団については研究がみられるが 、小藩に至って は管見の限り、自治体史での研究にとどまっており、小藩の家臣団を正面から取り上げた研究は少ないのが現状であ る。 また交代寄合の先行研究については、古くは平山敏治郎氏「参勤交代する旗本」 があるが、本格的に交代寄合を取 り 上 げ た 研 究 と し て は 西 田 真 樹 氏、 伊 藤 孝 幸 氏 の 一 連 の 研 究 が あ げ ら れ る。 西 田 氏 は「 「 交 代 寄 合 」 考 」 の 中 で 交 代 寄 合 の 種 類・ 格 式・ 軍 役・ 成 立・ 諸 家 の 歴 史 に つ い て 制 度 的 に 論 じ て お り、 「 交 代 寄 合 と は 何 か 」 に 言 及 し た 最 初 の 研究である。伊藤孝幸氏 は交代寄合の中でも土着的性格の強い四衆の一つである美濃衆の高木家を取り上げ、高木家 の地域支配の内容について具体的に様々な角度から分析している。しかし、交代寄合の大部分を占める表御礼衆の性 格や家臣についてはほとんど論じられていない。

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そこで本稿では播磨国福本池田家の家臣団を取り上げ、実態を解明することを目的とする。福本池田家の家臣団の 実態を解明することは、近世小大名だけではなく、交代寄合の家臣団の性格についての研究に対しても一石を投じる ことにつながるであろう。また合わせて、明治元年(一八六八)に立藩を果たしながらも明治三年に廃藩となる経緯 について若干の考察を加えたい。

第一章   福本池田家の成立過程

さて福本池田家の成立については伊藤康晴氏論文 、本号小特集の今井修平氏論文に詳しいため、ここで詳述するこ とは避けるが、第一章以下を述べていく前提として、簡単に福本池田家について概略を述べることとする。 福 本 池 田 家 は 寛 文 三 年( 一 六 六 三 )、 池 田 政 直 の 入 封 に よ り 成 立 し た 一 万 石 の 小 藩 で あ る。 政 直 の 父 に あ た る 池 田 輝 澄 は 池 田 輝 政 の 四 男 で、 母 は 徳 川 家 康 の 娘 督 姫 で あ っ た。 そ の た め、 二 代 将 軍 徳 川 秀 忠 か ら は 甥 に あ た る と し て、 松平姓を名乗ることを認められ、親藩に準ずる扱いを受けていた。輝澄は播磨国佐用郡・宍粟郡にて六万八〇〇〇石 を領していたが、家臣同士の争いが起こり、御家騒動へと発展した。その結果、 輝澄は 領地没収の上、宗家にあたる 鳥取藩池田光仲方にお預けとなったのである 。そして因州鹿野へ蟄居となり、堪忍料一万石が輝澄の実子である政直 に与えられた。この堪忍料は鳥取池田家の所領である因伯両国から分け与えられており、その代わりとして鳥取池田 家に対しては、幕府から播磨国神東郡・神西郡・印南郡に一万石の飛地領が与えられた。

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寛文二年(一六六二)輝澄が死去したことにより、政直が家督を継ぎ、大名として独立することが認められた。政 直は播磨国内にあった鳥取藩の飛地領一万石を改めて所領として与えられ、播磨国福本へ陣屋を置いたのである。し かし、寛文六年(一六六六)政直が三一歳の若さで亡くなると、跡継ぎとなる嗣子がいないため、 政直 の弟である政 武が政直の跡を継ぎ、さらにもう一人の弟の政済に三〇〇〇石を分知させて屋形池田家を創設した。よって福本池田 家の領地は七〇〇〇石となり、大名家から旗本へ転換したのである。しかしながら、一万石の小大名であったときと 変わらず封地福本に陣屋を構え、江戸へ参勤交代する交代寄合席表御礼衆の旗本となったのである。その後、貞享四 年(一六八七)には政森の弟政親に吉冨池田家として一〇〇〇石を分知し、福本池田家三代目当主である政森の代か ら、福本池田家は六〇〇〇石を領することとなった。 さて、福本池田家は江戸に藩邸、大坂に蔵屋敷を持っており、幕末期には京都にも新町通一条に上屋敷を所持して いた 。藩邸の所持からして大名家並みであるといえる。また、幕府から与えられた職務としては、福本池田家四代当 主の喜以が大番頭を、続く五代目当主喜生は伏見奉行を任じられている。 このように、寛文六年(一六六六)に一万石の小大名から七〇〇〇石、貞享四年(一六八七)には六〇〇〇石の交 代寄合となった福本池田家であったが、慶応四年(一八六七)六月、再度立藩することとなった。しかし、その二年

( 吉冨 池田 家

(屋 形池 田 家)

福 本 池 田 家 略 系 図

1 2

3

4

5

6

7

8

( 吉冨 池田 家

(屋 形池 田 家)

福 本 池 田 家 略 系 図

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後の明治三年(一八七〇)十一月に廃藩置県を前に鳥取藩に帰属することになる。この経緯については第三章で詳述 する。

第二章   福本池田家の家臣団編成

( 1 )家臣団の変遷 本節では福本池田家の家臣を年代ごとに表①から表④に示し、家臣団の規模の変遷、役職、禄高について検討して いく。はじめに、佐用郡・宍粟郡 六万八〇〇〇石 を有した池田輝澄の時代の家臣団を見てみよう。 表①は高松家文書、寛永十六年(一六三九)の「分限帳」 を表にしたものである。高松家とは、輝澄の代から福本 藩の廃藩まで仕えた譜代の家臣である。 表①を見ると、 少なくとも二〇一人の家臣が存在したことがわかる。 ただし 「分 限帳」には、扶持取のいわゆる中間的身分の家臣の記述が少ないため、二〇一人以上の藩士によって家臣団を形成し ていたと思われる。この中にはのちに御家騒動で処罰を受ける家老の伊木伊織や小川三郎兵衛、石丸六右衛門などの 名前が見える。 家臣団が第一の画期を迎えたのは、寛永十七年(一六四〇)の御家騒動により輝澄が処罰を受け、佐用郡・宍粟郡 から因州鹿野へ蟄居となった時であろう。六万八〇〇〇石の領地を没収され、堪忍料として一万石を輝澄の子政直に あてがわれることとなったからである。これは藩として一旦消滅したことを意味している。そのため、徳川家康の血 筋を受ける家柄として存続させるための措置として一万石の堪忍料が鳥取藩池田家から支給されたのであり、厳密に 言え ば 輝澄は大名ではなくなったと言える。すなわち、これまでの大名家としての軍団である家臣団編成の必要がな くなり、 「家」として最低限存続可能な家臣団になったと推測される。 『高砂市史』によると「輝澄の家中四〇〇人の 内、寛永十七年より前に暇を取ったり死去した者が十七人おり、寛永十七年に二三一人が退去または暇を出されてい

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【表①】

藩士名 禄高 備考

伊木伊織 000 石 伊木文太助 500 石 小河四郎右衛門 000 石 4 田邊庄右衛門 000 石 5 小川三郎兵衛 800 石

6 別所六左衛門 700 石 旗 0 本 7 石丸六右衛門 600 石 鉄砲 0 丁 8 矢木庄兵衛 700 石 鉄砲 0 丁 9 大原与兵衛 500 石 鉄砲 0 丁 0 寺西九郎左衛門 500 石 鉄砲 0 丁 桑倉喜右衛門 500 石

成田廉之助 500 石

山本喜右衛門 500 石 母衣 4 丸尾左太夫 500 石

5 高松徳之丞 500 石 6 石川内蔵助 400 石 7 本城半右衛門 400 石 8 丸山忠兵衛 400 石 9 菅与三左衛門 400 石

0 杉谷多左衛門 400 石 鉄砲 0 丁 宇津孫右衛門 400 石 鉄砲 0 丁 村田新五左衛門 400 石

大野右馬丞 400 石 4 鈴木半太夫 400 石 5 津田庄左衛門 50 石 6 長谷川猪兵衛 50 石 7 安積彦兵衛 50 石 8 鈴木儀大夫 50 石 9 山脇久左衛門 00 石 0 菅八郎左衛門 00 石

篠浦亀之丞 00 石 鉄砲 0 丁 村山孫平次 00 石

尼子八右衛門 00 石 4 若原半兵衛 00 石 5 八田杢兵衛 00 石 6 石河弥左衛門 00 石 7 河合兵次郎 00 石 8 松浦傳左衛門 00 石 9 渡瀬惣右衛門 00 石 40 湯浅藤右衛門 00 石 4 武坂又左衛門 00 石

4 山田八郎太夫 00 石 普請奉行 4 板源右衛門 00 石

44 加藤佐左衛門 00 石 45 細井五郎左衛門 00 石

46 小寺八郎右衛門 50 石 横目 47 牛尾四郎左衛門 50 石 横目 48 竹田半之丞 50 石

49 赤座与三右衛門 50 石 50 安藤長左衛門 50 石 5 安藤半助 50 石

藩士名 禄高 備考

5 北村次郎太夫 50 石 5 飯嶋清左衛門 50 石 54 河村三太夫 50 石 55 中山弥兵衛 50 石 56 近藤三郎四郎 50 石 57 阿破勘兵衛 50 石 58 松村九郎兵衛 50 石 59 不破藤太夫 50 石 60 福岡太兵衛 50 石 6 大原久右衛門 00 石 6 星野市兵衛 00 石

6 黒川徳左衛門 00 石 鉄砲 0 丁 64 鈴木平右衛門 00 石 鉄砲 0 丁 65 河村善兵衛 00 石

66 佐治吉之丞 00 石 67 中村助之進 00 石 68 牧新助 00 石 69 柏倉十左衛門 00 石 70 安村新左衛門 00 石 7 熊谷数之助 00 石 7 堀与一左衛門 00 石 7 伴市郎兵衛 00 石 74 田嶋覚左衛門 00 石 75 小川九兵衛 00 石 76 生田与左衛門 00 石 77 永田助左衛門 00 石 78 多田五左衛門 00 石

79 春日弥市右衛門 00 石 同心 人、

町奉行 80 三沢七左衛門 00 石 同心 人、

町奉行 8 斎藤又左衛門 00 石

8 河合九之丞 00 石 8 小谷十兵衛 00 石 84 山中文之丞 00 石 85 松原新右衛門 00 石 86 河崎八左衛門 00 石 87 河田太郎太夫 00 石 88 福原小左衛門 00 石 89 小寺夫左衛門 00 石 90 中村九左衛門 00 石

9 武嶋半三郎 00 石 御佑筆 9 岡本猪太夫 00 石

9 辻七兵衛 00 石 94 伊藤十太夫 00 石 95 加藤傳左衛門 00 石

96 佐野忠右衛門 70 石 宍粟郡奉行 97 大屋久太夫 60 石

98 沢井十左衛門 50 石 99 仙石甚兵衛 50 石 00 中村権兵衛 50 石

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藩士名 禄高 備考 0 玉木左兵衛 50 石

0 堀田与右衛門 50 石 0 本城猪右衛門 50 石 04 吉田杢左衛門 50 石 05 渡瀬彦右衛門 50 石 06 長谷川治郎右衛門 50 石 07 小沢三郎右衛門 50 石 08 津田清兵衛 50 石 09 菅権左衛門 50 石

0 室井又右衛門 50 石 弓 6 丁 岡嶋文右衛門 50 石

村上文左衛門 50 石 御用郡奉行 牛尾弥右衛門 50 石

4 北村五郎左衛門 50 石 5 大村源左衛門 50 石 6 濱名三郎左衛門 50 石 7 飯田助之進 50 石 8 六浦安右衛門 50 石 9 遠藤九左衛門 50 石

0 原道伯 50 石 外料 行本吉左衛門 0 石

野間茂左衛門 0 石 上野弥左衛門 00 石 4 多田助之丞 00 石 5 山脇又兵衛 00 石 6 大口仁左衛門 00 石 7 福尾六郎左衛門 00 石 8 中西与三兵衛 00 石 9 大口孫次郎 00 石 0 水野三右衛門 00 石 吉田十太夫 00 石 伏田久右衛門 00 石 菅十太兵衛 00 石 4 松野徳右衛門 00 石 5 林茂右衛門 00 石

6 高見十右衛門 00 石 御持弓 6 丁 7 関作左衛門 00 石 御持弓 6 丁 8 高松孫右衛門 00 石 御持弓 6 丁 9 道家権右衛門 00 石

40 尾崎三郎兵衛 00 石 4 津田三之丞 00 石 4 中村猪之助 00 石 4 熊田新助 00 石

44 廣瀬作庵 00 石 医師本道 45 大口傳右衛門 60 石

46 森五兵衛 50 石 47 五十坂宇兵衛 50 石

48 山脇権之助 0 人扶持 合力米 400 俵 49 浅井甚内 5 人扶持 合力米 00 俵 50 奥田七郎左衛門 7 人扶持 80 俵 5 樫田左郎左衛門 7 人扶持 80 俵

藩士名 禄高 備考

5 釜内半兵衛 合力米 80 俵 5 延原孫兵衛 5 人扶持 40 俵 54 川勝喜内 合力米 00 俵 大坂ニ住す 55 田原玄徳 5 人扶持3貫

500 目 医師儒医半 年詰 56 堀立哲 5 人扶持3貫

目 医師儒医半

年詰 57 池上祐庵 5 人扶持2貫

500 目 医師 58 武井俊治 5人扶養金子

0 両 医師茶道半 年詰 59 岩井玄竹 7人扶養 50

60 田中又左衛門 50 石 医師伊木伊 織与力 6 小瀬弥三左衛門 50 石 医師伊木伊

織与力 6 嶋田又兵衛 50 石

6 外山傳左衛門 50 石 64 余田九郎右衛門 50 石 65 渡辺五郎兵衛 50 石 66 石河猪右衛門 50 石 67 竹田五郎右衛門 50 石 68 小瀬八左衛門 00 石 69 木内傳兵衛 00 石 70 静明山青蓮寺 00 石 7 舟越山瑠璃寺 50 石 7 宇津弥太郎 7 人扶持 60 俵 7 森清九郎 中小姓扶持方 切米□内有之 74 渡辺源三郎

75 本木八之丞 76 鈴木権七 77 佐野亀之助 78 中村三郎助 79 勝部平三郎 80 行本六郎右衛門 8 寺田金平 8 田上七郎太夫 8 木村藤太夫 84 田路五郎兵衛 85 平山善右衛門 86 角田六左衛門 87 春名六兵衛 88 春木弥五左衛門 89 多田久兵衛 90 岩本新右衛門 9 宇崎八左衛門 9 清水九右衛門 9 佐治惣左衛門

94 并河又右衛門 0 俵 5 人扶持

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藩士名 禄高 備考 95 中井作兵衛 0 俵 5 人扶持 96 杉田安兵衛

97 野部勝五郎 98 松村勘左衛門 99 三沢治兵衛 00 黒川武兵衛 0 大谷左兵衛

【備考】 高松家文書「分限帳」(寛永 6 年)より 作成

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るので、一五二人程度が鹿野に随従したものと考えられる。 」とある。 「はじめに」で述べたように、 その後 寛文二年 に輝澄が死去し、翌年政直がそれまで鳥取藩の飛地であった播磨国神東郡、神西郡、印南郡曽根村一万石を将軍から 知行地として与えられ、福本に陣屋が置かれたことにより、福本藩(大名家の福本池田家)が成立したのである。 ここで、因州鹿野から政直とともに福本へ随従してきた家臣について検討していきたい。表②は福本池田家三代目 当主政森の時代である享保二年 (一七一七) の家臣を表にしたものである。この表は徹心寺所蔵文書の 「御用日記」 (享 保二年)と『福本藩史』掲載の史料「覚書」 (正徳五年)を元に作成した。 「御用日記」と「覚書」は作成年代が二年 しか空いていない、 同時期の史料である。 「覚書」が原史料ではないため、 享保二年の「御用日記」をベースに「覚書」 を参考とし、両者の史料を合わせて表②を作成した。表②は政直が福本へ入封した寛文三年から五十三年~五十五年 後の家臣団を示したものである。このとき初代政直に嗣子がいなかったため、政直の弟政武が七〇〇〇石、その弟で ある政武が屋形三〇〇〇石を分知した後であり、すでに福本池田家は交代寄合となっている時期である。表②を見る と 家 老 が 三 人 で、 扶 持 取 が 多 数 を 占 め て い る こ と が わ か る。 表 ① の 輝 澄 の 時 代 と 比 べ て、 領 地 が 六 万 八 〇 〇 〇 石 か ら 七 〇 〇 〇 石 に 減 知 し て い る た め、 家 臣 の 数 は も ち ろ ん の こ と、 俸 禄 も か な り 少 な い。 ま た、 家 臣 の 全 体 の 人 数 は 一三六人であるが、岸田分六以降の者は用聞のような商人や福本池田家の飛地である印南郡曽根村の庄屋も含まれて おり、福本池田家の諸士ではない者も含まれている。そのため正式な家臣の人数は一二〇人前後であろう。 なお、この家臣の中には輝澄の代から続く家柄の家臣も含まれていると考えられる。ここで 輝澄時代の家臣団の表 である 表①と 福本池田家の家臣団の表である 表②~④を見比べ、輝澄時代の家臣が鹿野蟄居時代を経て、福本藩の家 臣になっているかを検討するために、同じ苗字の家臣を拾っていくと二十二人の家臣が表①と表②~④で同じ苗字を 持つ者としてあげることができる。二十二人の名前は表②~④であげると本城 ・ 高松 ・ 多田 ・ 加藤 ・ 中村 ・ 林 ・ 牛尾 ・ 田路・佐治・上野・田邉・奥田・福岡・佐野・木原・田中・吉田・小寺・伊藤・杉田・中井・伊木である。果たして この二十二人の家が輝澄に従って佐用郡・宍粟郡から因州鹿野へ行き、政直に伴って播州福本へ随従した家臣である

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藩士名 禄高 役職 組

大塚孫右衛門 00 石 家老

関口十郎兵衛 0 石 家老

(本城八左衛門) 00 石 家老

4 岩本庄蔵 70 石 側用人近習詰

5 西崎彦兵衛 60 石 側用人近習詰 6 大塚團九郎 人扶持(御仕着)

7 関口要 人扶持

8 奥田久太夫 70 石 裏判役徒士組預り 9 内井太左衛門 80 石 江戸留守居 0 野崎兵右衛門 70 石

浅場文左衛門 70 石 領内惣奉行(勝手方用掛・足軽組預)

高松徳之丞 50 石 都筑市左衛門 60 石

4 内藤権平 60 石 江戸裏判役・奥方用掛

5 森岡新左衛門 60 石 大目付・勝手方諸事用掛・足軽預 6 前野九兵衛 50 石 寺社奉行・金銀預り徒士組預 7 能勢郷助 60 石 大目付役・勝手方諸事用掛・徒士組預

8 西川玄隆 60 石 医師

9 原田弥左衛門 5 俵 5 人扶持 0 赤羽九郎兵衛 5 俵 人扶持 高畑源助 俵 4 人扶持

都筑市之丞 6 俵 人扶持 近習詰并金銀預り納戸役横目役 渡利市郎兵衛 5 俵 人扶持

4 野崎忠七 6 俵 人扶持

5 矢野市右衛門 0 俵 人扶持 近習詰并納戸役

6 堀口孫三郎 人扶持 近習詰

7 中川文太夫 俵 人扶持 8 原田武助 4 俵 人扶持

9 中山彦蔵 人扶持 仕着近習詰

0 多田半右衛門 0 俵 人扶持 佐治伴七 0 俵 人扶持

屋吹團右衛門 俵 人扶持 近習詰 谷田熊蔵

4 能勢八郎 人扶持(御仕着) 仕着近習詰 5 内藤早蔵 人扶持

6 信太飛助 人扶持 7 信太庄兵衛 0 俵 人扶持

8 牛尾見庵 5 俵 4 人扶持 医師

9 西川為免三 人扶持 医師

40 三溝作右衛門 5 俵 人扶持 4 奥田安太夫 俵 人扶持

4 豊原郷七 人扶持(御仕着) 仕着 4 柚垣元右衛門 5 俵 人扶持

44 藤井藤内 5 俵 人扶持

45 谷玄志 5 俵 4 人扶持 医師 46 小田原平六兵衛 0 俵 人扶持 馬役 47 梅原与右衛門 5 俵 人扶持 金銀銭払役 48 屋吹五右衛門 5 俵 人扶持 代官 49 岡本宇兵衛 5 俵 人扶持

50 東郷弥右衛門 5 俵 人扶持

5 神谷与左衛門 5 俵 人扶持 青銅預り

【表②】

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藩士名 禄高 役儀 組 5 渡利喜五郎 人扶持

5 藤井源五郎 5 俵 人扶持 54 中川文六兵衛 0 俵 人扶持 55 藤井勘右衛門 0 俵 人扶持 56 神谷四郎太夫 俵 人扶持 57 羽岡傳左衛門 5 俵 人扶持 58 柚垣小三郎 人扶持

59 林又六 俵 人扶持 徒目付世話焼兼

内井太左衛門組 60 竹木田清九郎 5 俵 人扶持 世話焼

6 中村藤七 0 俵 人扶持 作事奉行 6 山田彦右衛門 0 俵 人扶持

6 野関惣右衛門 0 俵 人扶持 64 中村恵斎 人扶持(御仕着)

65 木原金六 俵 人扶持 66 佐野才助 0 俵 人扶持 67 佐谷権兵衛 0 俵 人扶持

68 前川園右衛門 0 俵 人扶持 世話焼

浅場文左衛門組 69 加藤七左衛門 0 俵 人扶持

70 加藤猪兵衛 俵 人扶持 勘定方 7 小林傳内 0 俵 人扶持 料理人 7 下村五斎 人扶持(御仕着) 仕着 7 清瀬遊喉 人扶持(御仕着)

74 野崎忠兵衛

75 羽岡作兵衛 0 俵 人扶持

前野九兵衛組 76 鹿田仁太夫 俵 人扶持

77 石場又兵衛 0 俵 人扶持 78 森本六右衛門 9 俵 人扶持

79 中野五六兵衛 8 俵 人扶持 浅場文左衛門組

80 上野甚右衛門 0 俵 人扶持

前野九兵衛組 8 溝口万蔵介 人扶持(御仕着)

8 森本彦斎 人扶持(御仕着)

8 本郷團助 俵 人扶持

能勢郷助組 84 溝口岡右衛門 0 俵 人扶持 台所奉行并世話焼

85 原田甚七 0 俵 人扶持 86 今本助右衛門 5 俵 人扶持 87 今本銀兵衛 0 俵 88 部久兵衛 0 俵 人扶持 89 橋本又三郎 0 俵 人扶持 90 木原半左衛門 0 俵 人扶持 9 鹿田勘左衛門 8 俵 人扶持 9 田中金平 8 俵 人扶持

浅場文左衛門組 9 小嶋惣兵衛 7 俵 人扶持

94 吉田市平 7 俵 人扶持 95 小原弥五兵衛 7 俵 人扶持 96 今西新右衛門 7 俵 人扶持 97 小原吉兵衛 7 俵 人扶持 98 森藤右衛門 7 俵 人扶持 99 那倉甚六 6 俵 9 合 5 夕 00 今井勘六 6 俵 9 合 5 夕 0 安達藤助 6 俵 9 合 5 夕 0 犬井善六 6 俵 9 合 5 夕 0 佐谷善兵衛 6 俵 9 合 5 夕 04 小嶋平八 6 俵 9 合 5 夕

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藩士名 禄高 役儀 組

05 西山甚八 6 俵 浅場文左衛門組

06 中村半助 6 俵 07 伊藤覚兵衛 7 俵 人扶持

森岡新左衛門組 08 奥山半右衛門 7 俵 人扶持

09 岸原平助 7 俵 人扶持 0 高崎六助 7 俵 人扶持 松本六兵衛 6 俵 9 合 5 夕 依成傳兵衛 6 俵 9 合 5 夕 西本覚助 6 俵 9 合 5 夕 4 岸本与七 6 俵 9 合 5 夕 5 山田段六 6 俵 9 合 5 夕 6 中野半蔵 6 俵 9 合 5 夕 7 高橋権七 6 俵 9 合 5 夕 8 大野勘助 6 俵 9 合 5 夕 9 渡辺傳六 6 俵 9 合 5 夕 0 柏尾定八 6 俵 9 合 5 夕 杉田藤兵衛 6 俵 9 合 5 夕 小寺五兵衛 6 俵 9 合 5 夕 岸田分六 6 俵 9 合 5 夕

4 久八 御切米 4 俵 8 升 御長柄京詰高朝

5 御小人 俵ニ 9 合 5 夕 田村内 人 4 俵ニ扶持

6 小丈 4 人 人ニ付 俵 升 7 牛飼 人

8 御園菜之者 0 人 人ニ付 俵 9 合 5 夕 9 赤羽宗円 御合力米 0 俵 5 人扶持 0 南性院(赤羽九郎兵衛伯母) 5 人扶持

立木以休後家利性 人扶持 了心 徹心寺

4 大庄屋清太夫 人扶持 (御役料 0 俵

外ニ小者 人 俵ニ 人扶持)

5 曽根村庄屋吉太夫 人扶持 6 研屋嶋田安右衛門 人扶持

【備考】徹心寺文書「御用日記」(享保 年)、「覚書」より作成

(12)

かどうかは定かではない。特に表①は扶持取の家臣の記述があまりないため、表②の扶持取の家臣と百石以上の俸禄 を も ら っ て い る 家 臣 の 苗 字 が 同 じ で あ る か ら と い っ て、 同 じ 家 の 者 と は 限 ら な い。 し か し、 次 節 で 詳 し く 述 べ る が、 高松家は先祖書によって輝澄の代からの家臣であることが判明している。ただ、先祖書や由緒書等の史料が多く残っ てはいないため、推測の域は出ないが、この二十二の家の中で高松家のように譜代の家臣が存在する可能性は高い。 輝澄とともに佐用郡・宍粟郡から鹿野へ随従した家臣が一五二人程存在したと先行研究では述べられているが、表 ②を見ると、家臣団全体の数が一五三人から一二〇人前後に減少している。この減少から考えて政直の福本入封が池 田家家臣にとっての第二の画期となったと推定される。福本への入封の際に暇を出した家臣が存在した可能性がある からである。また逆に福本にて新規に召し抱えた家臣もいたとも考えられる。この新規召し抱えの家臣については次 章で述べることとする。なお、家臣の人数が減少しているのは尾形池田家、吉冨池田家へと分知した際、福本本藩か ら家臣を送っている可能性も指摘できる さて次に示す表③は年代不詳ではあるが、幕末期の福本家臣団である。表③の元となる史料 には家臣の禄高は書か れておらず、役職と氏名のみの記述となっており、人数は八十四人であることが読み取れる。 次に表④は明治三年(一八七〇)の徹心寺所蔵文書「士籍」を表にしたものである。表④の元となる「士籍」が書 かれた背景については次章で詳述することとして、この「士籍」は福本池田家の家臣名、家族名(出自・養子関係) 、 檀那寺、家督相続の経緯、明治以降の役職の遍歴が書かれた史料である。それを家臣個人の情報(④ ― 1 )と家族の 情報 (④ ― 2 ) に分けて示した。ちなみに表④の 内井亘理 と 不死原源太以降 の間を太線立て分けている。その理由は、 不死原源太以降の家臣の禄高が少なくなっているということと、役職が徒士、足軽といった士分における中間的身分 であるからである 。つまり、 内井亘理までが諸士であり、 不死原源太以降の面々は徒士足軽ということになる。なお、 福本の地元から取り立てている者も不死原源太以降見受けられるため線引きをした。 さて、幕末期の家臣団である表③と明治三年の家臣団の数を比較するとわずかではあるが、家臣が増えていること

4 4

5 5

(13)

職制 役職 藩士名

御加判 高松弥九郎

御用人 森岡新左衛門

谷田佐三右衛門

4 柚垣弁蔵

5 浅場□□□馬

6 大目付 中川左司馬

7 御給人元席 田路勇太左衛門

8 大塚福治

9 御者頭 御給人元席 森岡鉄之進

0 中藤鎗之助

寺社奉行御勝手掛り 御給人元席 西崎左右馬

佐久間

御者頭格御番頭 安田紋太 4 御元締奥付兼勤 大御小姓元締 石場又右衛門 5 御中小姓元席 吉田歡蔵

6 同 本城鹿之丞

7 御近習 大小姓元席 高松文蔵

8 御小姓元席 竹内宗平太

9 川越初男

0 石場善蔵

伏原石蔵

御中小姓元席 佐久間□

御小姓元席 大谷松造

4 藤井運三郎

5 原田鶴之丞

6 大御小姓御番頭 御筆方兼勤 大谷仲右衛門

7 田邊市右衛門

8 切手会所兼勤 柚垣岩蔵 9 御目付御蔵目付兼 溝口喜文

0 牛尾郡二

御中小姓 田邊丹治

岡谷太右衛門

岩本範二

4 吉冨御代官 上野左一平

5 助教 神谷 之進

6 牛尾岩之丞

7 藤井小太郎

8 五嶋忠左衛門

9 修業 高松肇

40 御書方 田邊謙太郎

4 御相手 田路千代之助

4 儒官 伊木逸十郎

4 御小姓 岩井強太

44 御代官 中井亘理

45 助教周旋方 八木好馬

46 御書方 新堀瀧万

【表③】

職制 役職 藩士名

47 御小姓 御蔵奉行 伏田為三郎

48 切手会所 五嶋忠司

49 鹿田利喜馬

50 浅田栄吉

5 御勘定奉行 佐治文太

5 北山鉄之助

5 溝口太十郎

54 中井路之助

55 原田霍之丞

56 片部三四郎

57 森田周吉

58 高橋吉左衛門

59 北山市太郎

60 修業 岩井兼助

6 御徒士 御目付 高橋半左衛門

6 福岡清次郎

6 本間虎次郎

64 御台所奉行 井上三次郎

65 御勘定奉行 赤羽作太夫

66 木村広助

67 御祐筆 藤江権一郎

68 吉村留多惣八

69 御作事奉行 飯高啓之進

70 御坊主 山田■造酒太郎

7 森本勝五郎

7 中村謙介

7 前川作太郎

74 御帳方 ふし原源太

75 ふし原与三右衛門

76 岡本又介

77 藤井荘太郎

78 屋吹谷三郎

79 八木祐馬

80 大原豊吉

8 岸本豊一郎

8 福岡熊市

8 大医方 田邊円之丞

84 渡利喜藤太

【備考】高松家文書 4 より作成

(14)

が分かる。これは第三章で触れるが、福本池田家は慶応四年六月に鳥取藩からの蔵米分与により石高一万一五七三石 となり、再び立藩を遂げた。そのため福本藩の再成立にあたり、慶応四年から明治初年にかけて、新規召抱の家臣を 登用したのではないだろうか。表④ ― 1 の須田兵一は明治二年にお抱えとなっていることが表から読みとれる。須田 以外にも岡松蘇太郎が明治に入ってから召し抱えとなっている。そのため、表③の幕末期の家臣人数より表④の明治 三年のほうが若干増えていると考えられる。 家臣の人数変遷については、徒士や足軽、中間小者といった中間的身分の人々が含まれていない表もあるが、福本 藩 初 代 藩 主 政 直 か ら 明 治 三 年 ま で 二 一 八 年 の 間、 福 本 池 田 家 家 臣 団 は 福 本 藩 か ら 交 代 寄 合、 そ し て 再 度 立 藩 す る と い う 過 程 を 経 て、 表 ② の 享 保 二 年 時 点 で は 一 二 〇 人 余、 幕 末 期( 交 代 寄 合 ) で は 八 十 六 人、 明 治 三 年( 福 本 藩 ) は 九 十 七 人 と、 家 臣 の 人 数 は 平 均 し て 一 〇 〇 人 余 で あ っ た。 小 藩 か ら 交 代 寄 合 へ と 転 換 を 経 て も、 福 本 池 田 家 の「 家 」 を維持する家臣団の人数はさほど変わりはなかった。明治に入って再度の立藩にあたり、若干の人数の変動があった のみである。このことから、福本池田家は交代寄合であってもなお、小大名と同じ「家」を保持できる家臣団を維持 していたことがわかる。

(15)

【表④- 1】

藩士名 禄 宗派 家督相続 明治期の役職

森岡隼太義明 0 俵扶持 人 日蓮宗

徹心寺 父新左衛門義宣隠居

明治元年0月 鹿務局正 明治元年6月 免職 明治元年月 執政 明治3年6月 改正縣務

明治3年7月 諸職務免職、権大参事 岩本範次 0 俵扶持

人口 法華宗 徹心寺

岩本平兵衛絶家相続、

故生野地役■田金次郎 方より養子

明治元年7月 貢士 明治元年8月 公務人 明治元年0月 権大参事

田路勇大胤祐 0 俵 人口

一向宗鶴居村妙 楽寺

養父守右衛門死去につ き

明治元年正月 物頭高砂表出張、 月引揚 明治元年4月 大目付

明治元年月 大目付退役、会計司 明治2年月 会計司退役、民政執事参政 明治3年6月 民政執事退役、副執政 明治3年7月 免職、少参事、大参事試補

4 田路基 勇大嫡子 - -

慶応3年正月 召出 明治元年正月 近習 明治元年0月 五位公附 明治3年7月 委抱

5 大塚義夫 0 俵扶持 人口 禅宗

吉祥寺

故孫右衛門家名存続の ため、安井紋太方より 養子にくる

慶応4年5月 大目付給人格 明治元年0月 監察、大目付退役 明治2年月 刑法執事 明治3年7月 参政刑法執事退役 明治3年7月 大属心得弁務 6 浅場弥次兵衛 0 俵扶持 口 法華宗

徹心寺

故 弥 次 右 衛 門 家 名 相 続、丹州篠山藩福原伴 左衛門より養子にくる

明治元年閏4月 会計執事 明治3年7月 退役 明治3年7月 大属心得会計

7 中川雄 0 俵扶持 人口 法華宗

徹心寺

柏原藩岡田興三右衛門 方より養子にくる、明 治元年 5 月養父文太夫 隠居につき

明治元年 御目付御元締 明治元年5月 大御目付

明治元年月 御用人(大御目付御元締退役)

明治元年月 軍政執事兼務

明治3年7月 大属兵制軍監兼軍曹(軍政執事退役)

8 岩井強太 0 俵扶持 人口 禅宗

向本寺 父善助死去につき

明治2年0月 公用方 明治2年月 退役 明治3年正月 弁務補助

明治3年7月 大属心得出仕刑法大監察

9 谷田佐之衛 0 俵扶持 人口 法華宗

徹心寺 父拙蔵隠居につき

明治元年0月 重政執事 明治2年 退役 明治2年0月 総学執事 明治3年7月 参政、総学執事退役 明治3年7月 大属心得総学大寮長 0 藤井小太郎 0 俵扶持

人口

浄土真宗鶴居村妙

楽寺 父宰助隠居につき

明治元年 御目付

明治3年正月 東京詰公用方書記兼会計方 明治3年2月 権大属心得分課公用方 明治3年0月 権大属分課書史詰中弁務兼務

森岡勉茲 0 俵扶持 人口 法華宗

徹心寺 父森岡新左衛門召出

明治元年 者頭、江戸留守居退役 明治元年月 社寺郡方者頭退役 明治2年2月 池田保之助殿掛兼務 明治3年6月 民政執事取扱 明治3年7月 退役

明治3年7月 権大属心得郡司兼神務市政産物 明治3年8月 池田貞之助殿掛退役 竹内宗平太 0 俵扶持

人口 浄土真宗

安楽寺 釜谷太郎死去につき 明治元年0月 体調

明治2年9月 士列隊長、兵制小隊長 田邊謙太郎 0 俵

人口 法華宗

徹心寺 父丹治隠居につき

明治元年0月 外交方西京公用人補助 明治2年3月 監察、 月退役、弁務 明治3年正月 弁務退役、監察、6 月退役、弁務 明治3年7月 少属心得分課書史兼秘書掛 4 田邊丹治 謙太郎父

(隠居) - - 明治3年9月 馬術小教正

(16)

藩士名 禄 宗派 家督相続 明治期の役職 5 吉村多喜八 0 俵扶持

人口 法華宗 徹心寺

安政 5 年養父死去につ き、末期養子にて家督、

吉田歓蔵弟

明治3年3月 弁務補助

明治3年7月 退役、少属心得出仕書史

6 石場章夫 0 俵扶持 人口 真言宗

法楽寺 父又右衛門隠居につき

明治2年6月 東京において給人格侍士小長 明治2年0月 郡方補助

明治3年正月 退役

明治3年正月 社寺郡方、7 月退役 明治3年7月 少属分課郡司神務市政物産兼務

7 石場一保 章夫父 - - 嘉永六年 元締当分大目付

明治元年 退役 8 佐久間環 0 俵扶持

人口 法華宗

徹心寺 父藤右衛門死去につき

明治元年5月 寺社領奉行約 明治元年0月 社寺郡方 明治2年月 退役、会計方 明治3年7月 退役、少属心得会計

9 上野佐一平 0 俵扶持 人口 浄土真宗

生蓮寺 父佐一兵衛死去につき

明治元年0月 隊長、6 月退役 明治2年0月 剣術師範 明治3年7月 軍曹吏撃剣中教正 明治3年8月 総学副寮長 明治3年8月 軍曹退役

0 伏見田為三郎 0 俵扶持 人口 法華宗 徹心寺

養 父 覚 右 衛 門 名 跡 相 続、福本藩高松文蔵方 より養子

明治元年5月 御目付、0 月退役 明治元年0月 会計

明治元年月 会計方 明治3年7月 退役 明治3年7月 権少属心得金穀 國富信也 0 俵扶持

人口 法華宗

徹心寺 祖父忠左衛門隠居につ き

明治2年0月 士列隊長補助 明治3年7月 退役

明治3年7月 権少属心得出仕卒半隊司令

國富重比古 信也父 - - 明治3年6月 書記

明治3年7月 退役

明治3年7月 権少属心得出仕社寺取調掛り 渡利喜藤太 8 俵扶持

人口 法華宗

徹心寺 渡利可悦家名相続、加西郡

畑村久左衛門方より養子 明治2年月 巡察方

明治3年7月 権少属心得出仕鞠獄兼小監察 4 飯高昇 8 俵扶持

人口 一向宗

妙楽寺 養父昇死去につき、本 間虎次郎方より養子

慶応4年9月 御徒士目付 明治2年2月 退役、巡察方

明治3年7月 退役、権少属心得鞠獄兼小監察

5 八木林 0 俵扶持 人口 法華宗

徹心寺 父逸十郎死去につき

明治元年正月 周旋方 明治元年4月 公務人 明治元年0月 監察 明治2年0月 漢学教頭 明治3年正月 監察退役 明治3年7月 漢学中教正 6 本城鹿男 0 俵扶持

人口 法華宗 徹心寺

父猪右衛門家銘相続、

姫路藩清野五兵衛方よ り養子

慶応4年7月 御目付 明治元年月 退役 明治2年2月 柔術師範 明治3年7月 柔術中教正 7 高松文蔵 0 俵扶持

人口 禅宗

吉祥寺 父彌九郎隠居につき 明治3年7月 史生兼聴掌 8 川越初男 0 俵扶持

人口 法華宗

徹心寺 父隼太死去につき

慶応4年5月 御納戸御膳番 明治2年9月 漢学助教給人格 明治2年月 監察補助

明治3年8月 史生聴掌、漢学助教退役 9 佐治文太 0 俵扶持

人口 法華宗 徹心寺

養父長左衛門死去につ き、西崎壮夫方より養 子

明治2年9月 御蔵方、 月退役 明治3年7月 御勘定方退役 明治3年7月 会計局掌筆算 0 神谷重雄 0 俵扶持

人口 法華宗

徹心寺 父四郎太隠居につき 明治元年0月 外交方 明治2年3月 退役

神谷四郎太 重雄父 - - 慶応2年0月 用人役

明治元年4月 退役 西崎壮夫 0 俵扶持

人口 法華宗 徹心寺

父彦八郎隠居、江戸表 にて兄吉衛が家督を継 ぐ、壮夫家家督をつぐ

明治元年月 社寺郡方退役 明治3年7月 史生兼聴掌、8 月退役

(17)

藩士名 禄 宗派 家督相続 明治期の役職 横田玄碩 0 俵扶持

人口 法華宗

徹心寺 父玄的死去につき - -

4 西川為三 0 俵扶持 人口 真言宗

法楽寺 父文橘隠居につき - -

5 牛尾始男 0 俵扶持 人口 法華宗

徹心寺 父岩之丞死去につき - -

6 高松肇 0 俵扶持 人口 禅宗

吉祥寺 高松文蔵別家につき 明治元年8月 洋学修行 7 溝口喜又 0 俵扶持

人口 法華宗

徹心寺 父弥平太死去につき 明治元年 御代官 明治2年 退役 8 浅田栄吉 0 俵扶持

人口

禅宗高朝田村

林昌寺 父蔵太死去につき - -

9 鹿田弘 0 俵 人口 法華宗

徹心寺 父小左衛門死去につき 明治3年7月 知事公附 40 五嶋忠治 0 俵

人口

浄土真宗鶴居村妙 楽寺

亡父祐右衛門隠居につ

き 明治3年7月 五位公附

4 片部三郎 0 俵扶持 人口 禅宗

林正寺

生野銀山小国謙蔵方よ り養子、父謹九郎死去

につき - -

4 森田県 0 俵扶持 人口 浄土真宗

正蓮寺 父甚七死去につき - -

4 塩田春海 0 俵扶持 口 法華宗

徹心寺 酒見北条塩田春堂季弟 - -

44 安田熊太郎 0 俵扶持 人口 法華宗

徹心寺 父紋太隠居につき - -

45 柚垣倉蔵 0 俵扶持 人口 法華宗

徹心寺 養父弁蔵隠居につき 明治3年7月 五位公附 46 牧野駒次良 0 俵扶持

人口 法華宗

徹心寺 父貫治死去につき - -

47 吉田田吉 0 俵扶持 人口

禅宗中村慈増 寺

養父歓蔵死去につき、

北山東蔵方より養子に

くる - -

48 岡谷勇 0 俵扶持 人口 浄土真宗

安楽寺 祖父観治隠居につき - -

49岡谷観治

(勇祖父) - - -

明治元年5月 物頭にて西京へ出張 明治元年6月 帰宿

明治元年7月 御蔵目付御金方 明治2年5月 退役 50 三輪義哉 0 俵扶持

人口 法華宗 徹心寺

養父良齊隠居につき家 督相続、赤穂藩広瀬譲

平より養子にくる - -

5 原田準夫愛準 0 俵扶持 人口 法華宗

徹心寺 父源蔵死去につき 明治2年0月 五位公附 5 大谷實 0 俵扶持

人口 禅宗

大林寺 父仲衛隠居につき - -

5大谷仲衛

(實父) - - - 明治2年月 蔵方、 年退役

明治元年0月 会計司、同年退役 55 飯田嵯平 0 俵扶持

人口 東京一向

宗光桂寺 - 明治3年8月 池田貞之助附退役、福本藩士族会計 局掌補助

56飯田耕治

(嵯平子) - - - 明治3年8月 池田貞之助附退役、福本藩士族入隊

57 小原春治 0 俵 人口 禅宗

地慈寺 父惣衛右門死去につき - -

(18)

藩士名 禄 宗派 家督相続 明治期の役職 58 田邊龢 0 俵

人口 日蓮宗

徹心寺 丹羽長門守殿家来島田 旦治方より養子にくる

明治元年正月 高砂表へ物頭にて出張、 月引揚 明治元年月 外交方

明治2年正月 侍士小長 明治2年0月 知事公附 59 伏原足雄 0 俵

人口

浄土宗粟賀村生

蓮寺 父又蔵隠居につき 明治2年0月 五位公附 60伏原文三郎

(足雄弟) 人口 - - - -

6 高橋金 0 俵 人口 禅宗

長泉寺 父林之助死去につき 明治元年9月 御小姓 明治2年 侍士 明治2年0月 知事公附 6高橋冨吉

(金弟) - - - 明治元年0月 卒族

6 内井常也 0 俵扶持 人口 日蓮宗

徹心寺

父亘理隠居につき家督 相続、柏原藩三宅源太

兵衛方より養子くる 明治2年0月 五位公附 64内井亘理

(常也父) - - -

明治2年0月 書記政局掌 明治3年6月 聴掌 明治3年7月 退役 65 不死原源太 8 俵

人口

浄土宗粟賀村生

蓮寺 父嘉八郎死去につき - -

66 不死原治郎作 8 俵 人口

浄土宗粟賀村生 蓮寺

本家與三右衛門家督相 続、不死原源太より養

子にくる - -

67 岸本豊一郎 (破損) 禅宗田原村大林寺

養父平右衛門死去につ き家督相続、姫路藩佐

次十五衛より養子くる - -

68 藤江復三 8 俵

人口 法華宗 徹心寺

父藤蔵隠居に付き家督 相続、溝口喜又(次男)

より養子にくる 明治3年6月 書記免、五位公附 69 藤井荘太郎 8 俵

人口 一向宗

妙楽寺 父源右衛門隠居につき - -

70 藤本耕平 8 俵

人口 禅宗犬見

村祐泉寺 父茂助死去につき - -

7 中村新 8 俵

人口 日蓮宗

徹心寺 父藤吉死去につき - -

7 前川寿夫 8 俵 人口 禅宗

正法寺 父鏻之丞死去につき - -

7 下士赤羽與三郎 8 俵 人口 法華宗 徹心寺

絶 家 赤 羽 九 郎 兵 衛 家 続、旧縁により神西郡 新野村徳兵衛(四男)

より養子にくる

明治2年2月 書記 明治2年6月 五位公附

74 赤羽初太郎 人口 - - - -

75 屋吹谷三郎 8 俵

人口 日蓮宗 徹心寺

文 久 年 月 養 父 直 次之進死去につき家督 相続、生野銀山三嶋哲 助より養子にくる

- -

76 森本賢 8 俵

人口 浄土宗

生蓮寺 元治元年 4 月父伴介退

身につき - -

77 御徒士井上門彌 8 俵 人口

浄土真宗飾万津西 徳寺

元治 年 4 月御徒士召

抱につき - -

78 山田七五三 8 俵

人口 一向宗 安楽寺

慶応 4 年 4 月養父祐左 衛門名跡相続、国冨信

也より来る - -

(19)

藩士名 禄 宗派 家督相続 明治期の役職 79 田邊亀三 8 俵

人口 日蓮宗

徹心寺 慶応 4 年 5 月苗丹治別

家につき - -

80 曽野一二郎 8 俵

人口 新野村禅宗 正法寺

安政 年孫兵衛家名相 続、広嶺柴田外記方よ

り養子にくる - -

8 久保田虎市 8 俵 人口 禅宗

吉祥寺

養父吉兵衛死去につき 絶 家、 明 治 元 年 0 月 大 谷 仲 衛 依 願 家 名 相 続、福本藩神谷重雄よ り養子にくる

- -

8 福岡熊市 8 俵

人口 真言宗

中村法楽寺明治 年父清次郎隠居

につき - -

8福岡清治郎

(熊市父) - - 弘化 年福本村御足軽

召出、下士 - -

84 谷岡泰蔵 8 俵

人口 一向宗

安楽寺 明治元年 9 月召出 - -

85谷岡文平

(米蔵父) - - 弘 化 年 0 月 福 本 村

より御足軽召出 - -

86 須田兵一 8 俵 人口

浄土宗生野銀山

西福寺 明治 年御抱入 - -

87 藤井運三郎 8 俵 人口

一向宗鶴居村妙 楽寺

明治 年 9 月藤井小太

郎二男別家につき召出 - -

88 本城友弥 8 俵

人口 日蓮宗 徹心寺

明 治 年 0 月 本 城 為 之進家銘相続につき生 野銀山内海又兵衛より 養子にくる

- -

89 大原房治 8 俵 人口 禅宗

祐泉寺 明 治 年 月 養 父 豊

善死去につき - -

90 新堀多喜男 8 俵

人口 日蓮宗

徹心寺 水 口 藩 菅 清 右 衛 門 二 男、安政 6 年召出

明治2年3月 西京公用人、0 月退役 明治2年0月 書記政局掌 明治3年6月 退役、聴田掌 7 月退役 9新堀正

(多喜男倅) - - 明治 年 9 月召出 - -

9 岡松蘇太郎 8 俵

人口 日蓮宗

徹心寺 明治 年召出 - -

9 木村常次郎 8 俵 人口

一向宗生野銀山 輪願寺

明治 年 月養父一真 隠居につき、浅田栄吉

方より養子にくる - -

94 本間琢二

8 俵 人 口(幼年につき 俵御預)

日蓮宗徹心寺 明 治 年 0 月 父 虎 次

郎死去につき - -

95 岩本範治

未差し出し分

- - - -

96 藤井小太郎 - - - -

97 内藤魁 - - - -

【備考】徹心寺所蔵文書「士籍」より作成

(20)

【表④- 2】

藩士名 妻 妻出自 父 父

(養子経緯) 母 母出自 子・兄妹・厄介 季抱 家来 季抱家来

出身村 森岡隼太(4) くふ

()

但馬生野銀 山地附約二 人小田切扶 作女

- - 美衛

(69)

但 馬 生 野 地 附 役 人 小 田 切林三之女

嫡子 (9)、女子 ()、

女子 (5)、女子 ()

(6)鹿蔵

(44)仲蔵 柏尾村中村

岩本範次(7) かく

(6)林田藩志津

喜禄女 - - - - 嫡子善次 (8)[明治 年 8 月、出石藩井上藤兵衛

方より養子] - -

田路勇大胤祐(48) かち

(44)加西郡朝妻

村志 [] 助女 - - - - 嫡子基 (8)[安政 6 年 月生野高雄元清四男] 平蔵

(9) 吉冨村 4 大塚義夫(5) なか

(6)

印南郡今市 村[……]

善左衛門女 - - - - 嫡子延次郎 (6)、次男寅 夫 (5)、三男光治 () 鶴蔵

(7) 東柏尾村 5 浅場弥次兵衛(9) くま

(6)

丹州氷上郡 和田監物養

女 - - - - 嫡子七郎 ()、れん (8)、

春次郎 (4)、せん () 常吉

(5) 柏尾村 6 中川雄(7) ふさ

(0) - - - ちつ

(5)

丹 波 牧 山 小 畠 村 植 木 教 之輔方

蔵 ()[明治 年 5 月、

柏原藩岡田興三右衛門 次男]、妻妹さたゑ (8)

() 加納村捨蔵

7 岩井強太(54) かう

(46)姫路藩松野

郡太夫娘 - - - -

嫡子半吉 (9)、ちか (7)

[播州亀山八田善助嫁]、

く に (6)、 う ら (8)、

■ ん (6)、 み ち ()、

なみ ()、■■郎 (8)、

十太 (6)

() 高朝田村紋吉

8 谷田佐之衛() すえ

() 五嶋忠治妹 拙蔵

(58) - 直志

(58) -

妹辰[加東郡西村九郎 左衛門妻]、弟糺 ()[明 治 元 年 月 雇 士 ]、 妹 秀 (8)

(9)房蔵 姫路藩支配所 西小畑村

9 藤井小太郎(55) かね

(8)姫路藩三森

善助娘 - - - -

嫡子澹 (5)、二男運三 郎 (0)、 三 男 万 亀 蔵 (4)、 四 男 茂 太 ()、

五 男 光 五 郎 (4)、 ゑ い (6)、つる (9)[明石藩 管内三木町西面塔蔵方 嫁]、ゆう (8)[姫路藩 管内瀧野村阿江信太郎 へ養女]

- -

0 森岡勉茲(9) みり

()

生野銀山役 人篠原伴助

娘 - - - - 嫡子松太郎 (8)、二男辰

次郎 (4)、三男庚太郎 () 作蔵

(4) 小田原村 竹内宗平太() ゆき

(4)下総結城藩

福城熊三娘 - - - - 金二 (8)、せう (8)[姫 路 藩 守 谷 久 八 郎 へ 養

女]、録三 (4) 喜市 福本村 田邊謙太郎(4) ちせ

()

本多紀伊守 殿家来加茂 来助妹

(6)丹治 本家田邊丹蔵方よ

り養子 - - 弟亀三 (8)、きん (5) 重吉

(57) 加納村 吉村多喜八(0) - - - - とよ

(48)養母

織 田 衛 守 様 知 行 所 丹 波 森 村 郷 士 大 垣藤三郎妹

- 清蔵

(6) 柏尾村

4 石場章夫(0) まき

(7)靎牧藩士野 添兵作妹 一保

(69) - せん

(55)加 西 郡 窪 田 村平七娘

嫡子義次郎 (5)[鶴牧藩 士野添兵作次男]、姉こ う ()[加西郡鎮岩村 伊兵衛嫁]、妹よう (5)

[靎牧藩士野添兵作嫁]

(6) 貝野村梅吉

5 佐久間環(4) むま

(7)安井正太郎

姉 - - - -

嫡子斎 (9)、たき (5)、

太郎 ()[田邊和方へ養 子]、千万太 (9)、三子吉 (7)、たけ (4)、しげ ()

- -

6 上野佐一平(6) てい

(6)姫路藩安藤

新左衛門娘 - - - - - 冨蔵

(45) 福本村 7 伏田為三郎(6) 要

(7)柏原藩

飯田新方 - - - - 嫡子彌一郎 (4) - -

(21)

藩士名 妻 妻出自 父 父

(養子経緯) 母 母出自 子・兄妹・厄介 季抱 家来 季抱家来

出身村

8 國富信也() - - 重比古

(50)

出石藩長谷川立哲 二男、安政 年 脱 走、明治 年帰藩

(48)とし 祖 父 忠 左 衛 門娘

兄七五三 (0)[山田祐 左衛門へ養子]、姉もと (5)、 弟 勲 (8)、 祖 母 きた (77)[池田鑓三郎 様御内安見文平娘]

- -

9 渡利喜藤太(54) つな

(9)加納村

利右衛門方 - - - - 嫡子藤太郎 (4)、えつ (7)、新太郎 (6)、たけ ()

(9) 福本村清吉 0 飯高昇() とい

()龍野藩

佐々木弥七娘 - - - - - 十平

(5) 福本村 八木林() はづ

(7)

建部内匠守 殿家来池澤

代右衛門娘 - - 八重

(5)

寄 合 旗 本 屋 代 阿 波 守 娘

養女 - 平吉

(9) 小田原村 本城鹿男(4) た■

(9) 本城隼衛娘 - - - - 嫡 子 為 吉 ()、 ち え (9)、 み ち (4)、 ひ で (0)、酉次 (8)

(8) 粟賀村佐市

高松文蔵(4) - - 彌九郎

(54)

姫路藩根岸藤右衛 門より養子

(47)りせ

生 野 茂 戸 附 役 人 浅 田 粂 蔵娘

兄 (9)、弟肇 ()[別 家仰付]、みゑ (0)[林 田藩箕作敬之進妻]、弟 貞次郎 (6)[庸士(明 治 年)]、妹つる ()、

弟貫一 (9)

- -

4 川越初男(6) たえ

()龍野藩

瀬川淵蔵娘 - - ゑい

(4)

松 平 出 羽 守 殿 家 来 松 本 源平娘

妹 と に ()、 弟 庄 三

(9)、妹かね () - - 5 佐治文太() みさ

()

生野銀山附役人

木原惣平娘 - - - - - - -

6 神谷重雄() つる

(8)

池田鑓三郎 殿家来山口 文之進娘

(70)四郎太 - たか

(60)

宍 粟 郡 山 崎 町 篠 田 忠 蔵 より

嫡 子 隆 吉 (4)、 姉 こ と (5)、 妹 や す (8)[ 中 等華族米山類蔵嫁]、妹 くら (6)[宍粟郡山崎 町篠田忠蔵養女へ]、弟 屋 治 良 ()[ 宍 粟 郡 山崎町篠田慶治郎へ養 子]、弟虎市 (9)[窪田 吉平へ養子]

- -

7 西崎壮夫(9) とわ

(4)

姫路藩根岸 彌次右衛門 妹

(7)彦八郎 森岡隼太方より養 子

(66) 家女かず

嫡 子 鶴 太 郎 (4)、 妹 よ し (7)[生野銀山附役 人黒田謙八嫁]、弟欣治 (6)[飾東郡松原村冷 蔵方へ養子へ]、弟文太 ()[佐作長左衛門方 へ養子]、厄介大高国太 郎 ()[父格午壱人口 賜の親類へお預け]

- -

8 横田玄碩() - - - - きく

(56)野 崎 兵 右 衛

門娘 妹つぎ (7)、厄介野崎

元太良 () - -

9 西川為三() - - 文橘

(6) - せい

(44)姫 路 藩 吉 田

平録妹 弟正治郎 ()、弟熊三

郎 (9) - -

0 牛尾始男(0) - - - - さと

(4)生 野 杉 野 彦 太夫娘

姉いち (24)[播州川辺 村中川環平方嫁]、姉や ゑ (22)[生野杉野彦左 衛 門 方 嫁 ]、 妹 し ゆ う (17)、弟直太郎 (15)[播 州川辺村中川環平方へ 養子]、弟茂太郎 (10)、

妹ゆか (8)

- -

高松肇() - - - - - - - - -

溝口喜又(54) その

(4) - - - - - 溝口敏夫 - -

浅田栄吉(6) - - - - のぶ

(55) -

弟常次郎 (23) 木村廣助 へ 養 子、 妹 わ か (21)、

弟彦次郎 (19)、妹ちせ (16)、弟直治 (15)

- -

(22)

藩士名 妻 妻出自 父 父

(養子経緯) 母 母出自 子・兄妹・厄介 季抱 家来 季抱家来

出身村 4 鹿田弘(0) - - - - ひと

(4)姫路藩

飯嶋七治妹 妹まつ (17) 屋吹谷三郎

嫁、妹たき (13) - -

5 五嶋忠治(4) こう

(0)姫路藩三浦

六蔵姉 - - つね

(57)

生 野 銀 山 附 役 人 服 部 七 郎方

弟 彦 大 夫 (32)[ 氷 上 三木太郎右衛門方へ養 子 ]、 弟 肇 (25)、 妹 た き (23)[飾西郡新庄村 佐野富松方嫁]、妹すえ (21)、 妹 み ね (19)、 妹 こと (16)

- -

6 片部三郎(0) かね

(8) - - - かう

(4)姫路藩

柴田仙次娘 妻妹いを (13)、嫡子幹

(1) - -

7 森田県(9) - - - - ふさ

(40) - 妹つい (14) - - 8 塩田春海(9) ゆう

(6)

美嚢郡大村池内弥

三右衛門娘 - - - - たづ (1) - -

9 安田熊太郎(4) - - 紋太

(65) - こう

(6)

姫路藩秋 生 市 郎 大 夫娘

妹かい (39)[加東郡家 原浅野金之丞元家臣宮 脇 小 漁 太 妻 ]、 弟 義 夫 (35)[大塚孫右衛門名 跡]、妹きし (32)[加西 郡酒見北条尾芝武兵衛 妻]、祖母のえ (84)[同 藩高松弥九郎娘]

- -

40 柚垣倉蔵(4) つる

()

生野白口町 中田友右衛 門娘

(6)弁蔵 - つね

(5)姫路藩

中根千広姉 - 甚蔵

(6) 加納村

4 牧野駒次良(8) - - - - - - - - -

4 吉田田吉(7) - - - - - -

養祖母みね (73)[姫路 藩大橋彦助大伯母]、[叔 父多喜八 (30) 吉村格司 へ養子]

- -

4 岡谷勇(6) - - - - 母りん

(40) - 祖父観治 (69)、祖母と き (61)、 姉 せ い (18)、

妹しな (3) - -

44 三輪義哉(7) - - - - - - 養父良齊 (53)、養母を ざ (51)[播州印南郡今

市村入江重郎娘] - - 45 原田準夫愛準() - - - - たつ

(5) -

姉いの (26)、妹よふ (22)

[福本半卒族三嶋菊太郎 へ嫁入]、弟栄 (18)[雇 士 人口]、弟熊治 (17)

- -

46 大谷實(9) すて

(7)生野澤恒之

助姉 仲衛

(69)

屋形村依藤弥右衛 門三男養子くる

- - 嫡 子 保 (15)[ 大 實 村 植岡隆見二男養子にく

る]、はる (8) - - 47 飯田嵯平(5) いと

(49) - - - - - 嫡子耕治 (20)、この (13) - - 48 小原春治(4) - - - - まつ

(5)姫路藩 木村関原

姉せん (24)、姉はる (9)

[生野坂町森住屋新治方

へ嫁入] - -

49 田邊龢(7) - - - - クワ

(65)

本 多 豊 後 守 殿 家 来 内 藤 権左衛門娘

嫡子太郎 (13)[佐久間 環より養子にくる]、テ

ツ (6) - -

50 伏原足雄 - - - - - - 弟文三郎 (19) - -

5 高橋金(0) - - - - ふぢ

(5)吉 田 重 右 衛

門娘 弟冨吉 (27)、妹とわ (17) - - 5 内井常也(6) - - 亘理

(5)

野崎兵右衛門より 養子くる

(9)まき 生野茂山宗平娘

(後妻)

妹たか (12)、妹ゆき (9)、

弟乙治 (6)[姫路藩支配 所吉田村難波茂右衛門 厄介に遣わす]

(6) 西柏尾村米蔵

(23)

藩士名 妻 妻出自 父 父

(養子経緯) 母 母出自 子・兄妹・厄介 季抱 家来 季抱家来

出身村

5 不死原源太(44) きわ

(7)

姫路領平野 村郷士井上

弥右衛門娘 - - みの

(65)生野銀山 茂山正作娘

弟治郎作 (42)[本家與 三右衛門家名相続に遣 わす]、嫡子束 (15)、二 男 保 治 (13)、 三 男 要 (10)、四男房太郎 (7)、

よね (3)

- -

54 不死原治郎作(4) べん

(4)養父與三右

衛門娘 - - - -

嫡子重太郎 (15)、りよ う (21)、たき (18)、男 子岩太郎 (12)、男子林 太郎 (9)

- -

55 岸本豊二郎(50) きん

(4)姫路藩植松

勢娘 - - - - 雄二郎 (14)[生野銀山 馬場祐八より養子にく

る]、やゑ (7) - - 56 藤江復三(50) - - - - - - か ち (12)、 た か (9)、

かね (5) - -

57 藤井荘太郎() まつ

(0)屋杉村伴蔵 妹

源右衛門

(65)堺住居 - -

弟市太郎 (28)[兵庫野 福寺僧]、弟亀太郎 (25)

[不毛村産右衛門方へ養 子]、妹くら (22)[三原 村茂平嫁]、男子喜太郎 (6)、のぶ (2)

- -

58 藤本耕平(50) つね

(44)福本村喜平

娘 - - - -

や す (21)、 り ん (19)、

と く (14)、 か く (12)、

とり (10)、男子龍太郎 (8)、男子虎治 (7)

- -

59 中村新(6) - - - - りう

(5)出石藩

古田郷右衛門 姉ぶん (25)、妹まき (19) - - 60 前川寿夫(7) - - - - すえ

(46) - 姉つね (22)[大歳神社

神主高橋波門嫁] - - 6 赤羽與三郎(5) ふゆ

(9)

生野銀山鯉 ノ棚ニテ久

右衛門娘 - - - - 嫡子初太郎 (17) - -

6 屋吹谷三郎(8) ふさ

(7) 廉田弘妹 - - - - - - -

6 森本賢(7) - - - - せつ

(5)姫路藩

戸田惣与門妹 - - -

64 井上門彌(4) - - - - さき

(69) - 厄介萬治 (11)[門禰弟 飾西郡廉谷新庄村欽蔵

の男子] - -

65 山田七五三(0) - - - - - - - - -

66 田邊亀三(8) - - - - - - - - -

67 曽野一二郎(50) とう

(8)生野銀山

小川直太郎妹 - - - - 養女てつ (14)[生野銀

山小川直太郎娘] - -

68 久保田虎市(9) - - - - - - - - -

69 福岡熊市(0) - - 清治郎

(58) - - -

兄 与 一 郎 (31)[ 出 奔、

兄波門 (29)[大歳神社 神主、高橋弥兵衛養子 に遣わす]、姉つや (27)

[姫路支配地神西郡溝口 村 弥 兵 衛 嫁 ]、 妹 と う (17)、さた (15)

- -

70 谷岡泰蔵(6) - - 文平

(6) - せい

(55)下吉冨村

善蔵娘 - - -

7 須田兵一(8) - - - - いく

(50) - 妹 す み (16)、 妹 か め

(13)、弟木作 (10) - -

7 藤 井 運 三 郎(0) - - - - - - - - -

7 本城友弥(8) - - - - - - - - -

74 大原房治(0) - - - - たけ

(48) - 姉かつ (24)、妹くに(9) - -

(24)

藩士名 妻 妻出自 父 父

(養子経緯) 母 母出自 子・兄妹・厄介 季抱 家来 季抱家来

出身村 75 新堀多喜男(5) たか

(47)東京金沢屋

惣吉娘 - - - -

倅正 (27)[柏原藩飯田 央二男娘幸へ養子に遣 わす]、かう (20)、孫ち よ (2)

- -

76 岡松蘇太郎() - - - - - - - - -

77 木村常次郎() - - 養父

(55)一真 - - - 妹きやう (18)、しか (15) - -

78 本間琢二(0) - - - - つね

(6)姫 路 藩 柴 田 逸叟娘

祖母まつ (67)、叔母い く (28)[林田藩中井上

長兵衛方嫁]、妹いの (8) - -

【備考】徹心寺所蔵文書「士籍」より作成

(25)

( 2 )譜代の家臣 本節では史料により確認できる福本池田家の譜代の家臣について検討していく。使用する史料は高松家文書の「先 祖 書 」 と「 元 播 州 福 本 藩 士 族 家 筋 書 上 全 」( 以 下「 家 筋 書 上 」 と 記 す ) で あ る。 「 家 筋 書 上 」 は 岩 本 範 治、 原 田 準 夫、 大髙國太郎、片部三郎、髙橋金、髙橋吉衛、野崎元太郎、不死原源太の初代から明治四年まで、先祖代々の役職や禄 高を記したものである。本節ではこれらの史料から、池田輝澄や政直の代から仕える福本池田家の譜代の家臣を取り 上 げ、 ど う い う 経 緯 で 因 州 鹿 野 か ら 福 本 へ き た の か 検 討 し て い く。 ま ず は、 高 松 家 か ら み て い こ う。 【 史 料 ① 】 は 高 松家文書「家筋書上写高松氏家筋」 、【史料②】は「 〔高松家先祖書〕 」 である。 【史料①】    初代   高松徳之丞従

是前十一代処分ニ仕江罷有候ニ付、別段著シ不申候

   池田三左衛門輝政公ニ仕江慶長年中被召抱年月格禄不相分(後略) 【史料②】    曾祖父   高松徳之丞勝知    慶長年中、池田輝政公於三州吉田奉仕、輝政公薨去之後四男輝澄公ニ仕、難波御陣ニ供奉ス、於播州宍粟郡三 河村恩禄百石賜   輝澄公家臣就騒動ニ宍粟郡被召放因州鹿野住居之節供奉シ仕フ、万治三年九月十一日行年七 拾四歳ニ卒ス(中略)    祖父   高松徳之丞勝貞    輝澄公宍粟従居城時奉仕ス、勝知卒ノ後、父子恩給合賜至テ政森公ニ奉仕ス(後略) 【 史 料 ① 】 で は 初 代 高 松 徳 之 丞 が 池 田 輝 政 に 仕 え、 慶 長 年 中 に 召 し 抱 え と な っ た が、 そ の 具 体 的 な 年 月 や 家 格・ 禄 高は不明であることがうかがえる。また【史料②】からは初代高松徳之丞が輝政死去後、輝政四男の輝澄に仕え、宍 粟 郡 に て 禄 百 石 を 食 み、 御 家 騒 動 の 後、 輝 政 と と も に 因 州 鹿 野 へ お 供 し た こ と が 分 か る。 二 代 徳 之 丞 も 輝 政 に 仕 え、

6 6

7 7

(26)

父の死去後は福本池田家三代目当主政森の家臣として仕えたという。 【史料②】は年代不詳であるが、高松家四代目の高松徳之丞の代に書かれたものである。 【史料②】の最後に「右紬 緒 政 森 公  聞 召 新 知 賜 」 と の 記 述 が あ り、 福 本 藩 二 代 目 藩 主 政 森 か ら 高 松 家 四 代 目 徳 之 丞 ま で の 先 祖 由 緒 を 聞 か れ、 新知を賜ったようである。時期は正徳から享保期のものであろう。 以上のことから、高松家は池田輝政の代から、輝澄の御家騒動、因州鹿野への蟄居、そして政直の福本への移封に もお供をし、池田家に一貫して仕えた草創の譜代家臣であったことがわかる。 次に「家筋書上」に記述されている八人の家臣のうち、譜代の家臣である岩本家、原田家の先祖書を中心にみてい こう。 【史料③】    一、 私先代岩本庄蔵儀、

後平兵衛と改名

寛 文 三 年 松 平 能 州 公 御 供 仕、 因 州 鹿 野 よ り 福 本 江 罷 越、 其 後 元

録 年 間、 江 戸 表 定 府 ニ 相 成、 当 人 義 ハ 同 所 ニ 而 致 死 去 候、 二 代 国 兵 衛、 帰 藩 相 勤 仕 候 処、 実 子 無 之 養 子 三 代 平 兵 衛

初名 小十郎

相続 勤役中、 天明之頃有故永之御暇ニ仰付絶家ニ相成申候、 乍併代々旧藩御家老職相勤、 高百五拾石拝賜罷在候由、 此養子平兵衛義ハ後僧ト相成、小児等夫々他家江奉公仕候間、追々旧書類取寄候趣ニ付、先代庄蔵以前ハ更ニ 相 分 り 不 申 候、 然 ル 処、 嘉 永 二 酉 年 池 田 弾 正 公 旧 家 ヲ 被 恵、 私 江 右 絶 家 相 続 ニ 仰 付、 同 庚 戌 年 御 小 姓 被 召 出、 甲寅年御側詰被仰付罷在候処、明治元七月貢士、同八月公務人、同十月公議人被仰付、同三年十月権大参事宜 下、其後福本廃藩ニ付免職、同鳥取藩大属被命相勤罷在候処、従来勤切不少仕候ニ付、為家禄現米二拾石拝賜 仕難有仕合奉存候、辛未八月依願大属免職、同月御用残之儀有之、当分大属之心得ヲ以、御用ノ向取扱候趣被 仰付候、 今度御調ニ付、大略奉申上候 、以上    明治四辛未年十一月 岩本範治

参照

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