第2章 監査役制度の変遷1
黎明期からの制度的試行錯誤と無機能化の実態
1 総 説
監査役制度の歴史は、わが国商法の誕生とともにある。商法の歴史は、そ の形式で大別すると、明治23年(1890年)のロエスラー草案を発展させた旧 商法、明治32年(1899年)から平成16年(2004年)までの新商法(この新商法の 時代に大きな改正がいくつかある)、そして平成17年(2005年)の会社法制定以降 の三つの時代に区分される。したがって監査役制度の歴史は新商法から数え ても100年以上にわたるものとなる。
この間、何度となく挫折を繰り返しながらも、わが国では監査役制度が存 続されている。平成14年(2002年)の商法改正で、大会社の経営監視機関に ついて監査役設置会社における監査役監査と委員会設置会社における監査委 員会監査の二者を選択できるようになったが、圧倒的に前者が多く採用され ている。それにしても現在に至るまでに、数多くの制度的試行錯誤を繰り返 してきた監査役制度であった。その背景にあるのは監査役制度の無機能化で あったといって過言ではなかろう。
監査役制度の歴史についてはすでに多くの先人の優れた業績が残されてお り、筆者が付け足すような点はあまりないように思われた。ただ、商法改正 全体の一部として取り上げられているケースがほとんどであり、また、監査 役に焦点を当て取り上げた論稿でも改正資料の解析に集中し過ぎている感も ある。そこで本章ないし第4章では、100年以上にわたる監査役制度の歴史
(平成17年(2005年)会社法制定前の商法まで)について、先人の業績を筆者なり に整理し、かつ経済的・社会的背景を踏まえ、制度変遷を簡単にストーリー 化することを試みた。
1 総 説 47
2 ロエスラー草案と明治23年旧商法の悲劇
(1)明治政府の狙いとロエスラー草案
商法の成立は、明治政府による経済近代化に向けての努力が反映されたも のといえよう。経済近代化の結実に商法の成立が果たした役割には大きな意 義が認められる。
明治政府は明治14年(1881年)、ドイツ人ヘルマン・ロエスラー(Herman
Roesler)に要請し、近代的資本主義体制を法体系のアプローチから整備しよ うとした。つまり、わが国の会社全体をひとつの一般法で規制すべく統一商 法典を作成しようと企てたのである。その草案づくりにロエスラーは取り組 んだ。そして明治17年(1884年)にロエスラーによる草案が明治政府に伝え られた。それまでは会社の設立に関する一般的な法とか拠り所はなく、政府 が特別の会社について例えば国立銀行条例・株式取引所条例・日本銀行条例 などの単行法を制定したり、あるいは、日本鉄道会社・日本郵船会社・明治 生命保険会社など個別の会社設立に免許を与えることで規制してきた 。
当時のドイツ人の手による草案であり、商法草案はプロイセン株式会社法 を母体とするドイツ法の流れを汲むものである。これが、わが国商法は大陸 法たるドイツ法を継受法としているといわれてきた所以である(だが、昭和25 年(1950年)、平成14年(2002年)の商法改正により米国の影響を大きく受けてきた。そ して平成17年(2005年)の会社法では大陸法の香りは薄れている)。しかし、編別につ いてはフランス商法を範としたといわれている 。
ロエスラー草案は、会社機関となる監査役について、第230条から235条ま で規定を置いた。草案当時、現在の取締役は「頭取」と称され、監査役は
「取締役」と称されていたことが注目されよう。およそ以下の内容である
(なお、現在の取締役・監査役に置き換えて記すことにする。また、必要に応じ用語につ いて括弧書きで補足説明する)。
草案230条は、申合規則[定款]に定めがあるときまたは会社が便宜と認 めるときには総会の決議により株主の中から3名以上5名以下の監査役を選 挙[選任]するものと定める。その任期は2年である(再任可能)。
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草案231条では、監査役の職務について下記三点を定めた。
① 取締役および発起人の業務取扱い[業務執行]を監督・検査するこ と。殊に、会社の設立に際して法令違反がないかどうか、また業務取 扱いが申合規則の定めおよび会社の決議に適合するかどうかを監視 し、かつその業務取扱い上の誤りを検かく[監査]すること。
② 計算の検査をすること。決算帳[会計帳簿]、比較表[貸借対照表]
および利足[利息]・利益の配当案を検査し、これを株主総会に報告 すること。
③ 会社の利益上、必要または有益と認めるときに総会[株主総会]を開 催すること。
草案232条では、監査役の報労金[報酬]は、申合規則で確認するかまた は総会の決議により決定するものとする。
草案233条では、監査役の業務分掌を認めながらも、取締役または会社と 共同一体[連帯]とする旨を定める。
草案234条では、監査役はいつでも会社業務の景況を審査し、会社の商業 帳簿およびその他の書類を展開[閲覧]し、会社会計の実況を検査する権利
[権限]ある者とする。
草案235条では、監査役は取締役の業務執行およびその結果について責任 を負うことはないが、自己の義務を怠り、会社または債主[債権者]に損害 を与えた場合には賠償責任を負う旨を定める。
以上のとおり、ロエスラー草案では、監査役は各社の定款によって設置で きる任意機関である。だが、ひとたび選任されればまさに会計事項を含む会 社経営全般の監視機関であり、出資者である株主の立場に立った位置づけで あったことが読み取れよう。
ただここで留意しておくべき点が二つあるであろう。その1は、ロエスラ ー草案が免許主義ではなく、準則主義の立場を採っていたことである(草案 179条)。当時のドイツでは、1870年の第一株式改正法で、設立免許主義を廃 止して準則主義を採用したため、草案もこの影響を受けている。この準則主 義か免許主義かの点が後の明治23年商法制定までの議論に影響を与えること になる。その2は、それまで政府高官等の会社関係事情を汲み取るための外
2 ロエスラー草案と明治23年旧商法の悲劇 49
国への派遣はイギリスが多かったためと思われるが、会社を規制する条例等 は、イギリス会社法の影響を受けた個別規制が行われ、かつ運営されていた ことである。いわばドイツ法を手本とするロエスラー草案は、当時すでに展 開されていた会社運営の慣行や国情に合致しない部分が相当にあったのであ る 。
(2)明治23年旧商法の悲劇
ロエスラー草案はその後、法律政調委員会の審議に付された。明治23年
(1890年)には、太政官の議決を経て公布された。なお、施行期日は明治24年
(1891年)1月の予定であった。ところが、この旧商法はほとんど日の目を見 ず、事実上、明治32年(1899年)までお預けの格好になってしまう 。
旧商法は、次の二つの理由により再検討が必要とされ、最終的に明治29年
(1896年)まで施行が延期になった。
・外国法の模倣に近く、わが国の固有の実情や慣習が顧慮されていないこ と。
・フランス人ボアソナード(Boissonade)による民法典との調整が不十分 であること
施行日までに間に合わせるべく修正案の検討が法典調査会でなされたが、
結局明治29年(1896年)までに作成が間に合わず、商法全部の施行は明治31 年(1898年)までさらに延ばされた。修正案(これが新商法の母体となる)は明 治30年(1897年)の国会に上程されたが、帝国議会が二期続いて解散となっ たため、明治32年(1899年)の新商法として変身し日の目を見るまでに、お よそ10年近くの空白が生じてしまったのである。
このような悲劇を辿った旧商法であるが、この間の議論の中で、とくに監 査役に関する議論の中心は、免許主義・準則主義と監査役の必須機関性の関 係であろう。明治23年旧商法では、結局わが国の実情を踏まえ、免許主義の 立場を採りながらも監査役を必須機関とした。
免許主義を廃止して準則主義を採用する株式合資会社のような場合は、国 家の監督に代わって、何らかの経営監視機関すなわち監査役を必須機関にし なければならないと考えられたからである。明治23年旧商法の起草者は「起
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草に際しては、株式会社は国家の監督に服するべきであり、株式合資会社は それから自由であるべきであるという前提から出発した。したがって、株式 合資会社においては一連の特別の予防措置が設けられており、特に監査役は 無条件に必要と考えられていたのである。株式会社に自由を与える場合に は、この予防措置、特に監査役を必要機関として採用しなければならない」
と述べている 。
ともあれ明治23年旧商法では、監査役を必須機関と定めたが、これ以外の 点では草案とほぼ同様の規定を設けている。
ロエスラー草案の230条〜235条に対し、明治23年旧商法では監査役につい ておよそ以下の内容で191条〜197条を設けることにした。なお、監査役に対 する訴訟に関する規定は取締役と共通の条文に設けられた(228条)。また、
頭取・取締役の呼称については、この旧商法において現在の取締役・監査役 の語に変更されたほか、定款など新しい用語が使用されている。
明治23年旧商法191条では、監査役の選任・員数・任期等を扱い、株主総 会は株主の中から3人以上(明治26年の改正で2人以上)の監査役を選任する。
任期は2年以内で、再選は可能である旨を規定した。
同192条では、監査役の職分[職務]を規定し、次の内容とした。
① 取締役の業務施行[執行]が法律・命令・定款・総会の決議に適合す るかどうかを監視し、かつ、総ての[取締役の]業務施行上の過
[懈怠]および不整[不正]を検出する[検査する]こと(明治26年の 改正で後段削除)。
② 計算書、財産目録、貸借対照表、事業報告書、利息または配当金の分 配等を検査し、このことについて総会に報告すること。
③ 会社のために有益と認めるときは、総会を招集すること。
同193条では、監査役の調査権限を規定した。監査役は何時でも会社の業 務の実況を尋問し、会社の帳簿その他の書類を展開し[閲覧し]、会社の金 匣[保有している金銭等]およびその全財産の現況を検査する権利[権限]
がある。
同194条では、とくに監査役の中で意見が分かれた場合を規定し、株主総 会に対し意見を提出しなければならない。
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同195条では、監査役の会社または債権者に対する損害賠償責任を規定し、
監査役が192条に定める責務を欠いたときは、会社または債権者に対して加 えた損害について責任を負う旨を定めた。
同196条では、監査役の給料または報酬を受ける場合は、総会の決議で定 める旨を定めた。
同197条では、監査役および取締役は、何時でも総会の決議でもって解任 できる旨を定めた。
3 新商法の成立 明治32年商法
上記のとおり、明治23年(1890年)の旧商法は紆余曲折を経て成立したが、
さらにこの旧商法をベースに10年近くの歳月を費やし議論を加えた結果とし て、新商法が第13回帝国議会で成立し、明治32年(1899年)3月に公布され、
同年6月から施行されることになった。
ほぼ10年にわたり議論された結果、基本的に以下の方向でとりまとめられ ることとなった。
・監査役の任期については1年とする。同一人物を長くその任に当たらせ ることは弊害を生じるし、総会は毎年1回招集されるのだから、2年よ りも1年がよい。この発想は、現行会社法における委員会設置会社の取 締役の任期に対する発想と同様である。
・監査役の員数についてはとくに規定しない。監査役の員数は、株主総会 にまかせ、その定めるところによることが妥当なので、法律で定める必 要はない(員数の条項削)。この考え方が昭和56年(1981年)の商法改正前 まで続く。
・監査役の職務権限については包括的に定めることでよい。結果として当 時の新民法59条の監事の規定と平仄を合わせる格好となった。旧商法に あった「監視」の語は会社の業務の状況の調査に含まれるし、「検査」
の語は会社財産状況の調査に含まれる。また「会計帳簿の展開」の語は 監査役監査の範囲外であるとの主張の下、包括規定となった。だが、後 述するように遺憾な議論であったように思われる。また、明治32年法で 52
も「監視」の語が旧法どおり使用されていれば、今日のガバナンス論は もっと議論の整理が早かったように思われる(第1章参照)。
・監査役の株主総会招集権については制限を緩やかにする。「会社のため に必要または有益と認めるとき」という制限をはずすことで、監査役自 身が必要と認めれば招集できるようにした。
・監査役と執行側の兼任禁止規定を設ける。取締役や支配人から独立不偏 の立場に立って監査させようとした。この当時から監査される者が監査 する者と同一であってはならないという自己監査の問題が意識されてい たものといえよう。注目すべきは、取締役が欠員となった場合に、監査 役が一時取締役の職務を行うものとされたことである。
・旧法どおり訴えについての会社代表権を設ける。取締役と会社間の訴え については整理したうえで、監査役が会社を代表することを明らかにし た。
以上の議論に基づき成立した明治32年の新商法における監査役関係の規定 は180条から189条に定められ、以下のような内容となった。なお、前述のと おり、監査役の員数規定は、株主総会に委ねるのがよいとの理由で削除され ている。つまり1人以上ということであるが、これが昭和56年の改正まで続 くことになる。また、取締役関連の規定の箇所に置かれた条項であるが、そ の176条では、取締役の自己取引は、監査役の承認を得て行うべきものとさ れていることに注目すべきであろう。
明治32年商法180条では、監査役の任期を1年とした。ただし、任期満了 の後、再選することを妨げないとされた。こうして監査役の任期は1年とさ れたが、人事の困難も想定し、再選は従来どおり認めることとした。
同181条では、監査役は、いつでも取締役に対して営業の報告を求め、会 社の業務および会社財産の状況を調査することができるものとした。これだ けである。明治23年旧商法192条ないし194条の規定が、本条と183条に変更 されている結果になるが、これではいくら包括規定とはいえ明治23年旧商法 が本来想定していた職務が曖昧になったのではないかと思われる。この改正 が以降の運用に与えた悪影響は大きかったであろうと想像に難くなく、数多 い監査役制度改正の中でも制度本来の趣旨を没却させるものであったものと 3 新商法の成立 明治32年商法 53
思われる。
同182条では、監査役が必要と認めた場合は、株主総会を招集できること にした。なお、後段では、株主総会において会社の業務および会社財産の調 査のため、監査役以外に検査役の選任もできることとした。
同183条では、監査役は、取締役が株主総会に提出する書類を調査し、株 主総会にその意見を報告することを要するものとされた。
同184条では、いわゆる兼任禁止規定として、監査役が取締役または支配 人を兼ねることができない旨の規定が新設された(前段)。また、取締役に欠 員が生じたときは、取締役および監査役の協議によって、監査役の中から一 時取締役の職務を行うべき者を定めることができきるものとした(後段)。
同185条では、会社と取締役間の訴えについては、監査役が会社を代表す るが、ただし株主総会は監査役以外の者を代表者とすることができるものと した(1項)。資本の10分の1以上の株主が取締役に対し訴えを提起すること を請求したときは、とくに代表者を指定することができるものとされた(2 項)。
同186条では、監査役が任務を怠ったときの会社および第三者に対する賠 償責任を明らかにした。
同187条では、株主総会で監査役に対する訴えを提起することを決議ある いは否決した場合において、資本の10分の1以上の株主が取締役に対して請 求したときは、会社は決議・または請求の日より1ヶ月以内に訴えを提起し なければならないが、この場合は監査役が会社を代表するのではなく、185 条1項但書および2項の規定を準用することにした。つまり監査役に訴えが 為された場合は他の者が代表することを明確にした。
同188条では、監査役が破産者または禁治産者となった場合は退任するも のとし、監査役の法定退任事由を明確にした。
同189条では、取締役に関する規定の監査役に対する準用規定を置くこと にした。監査役は株主の中から選任すること(164条の準用)、監査役は株主総 会の決議によって解任することができること(167条の準用)、監査役の報酬は 定款にその額を定めなかったときは株主総会の決議をもって定めること
(179条の準用)を明確にした。
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4 無機能化の実態 明治44年の商法改正
明 治27年〜28年(1894年〜1895年)に は 日 清 戦 争、明 治37年〜38年(1904年
〜1905年)には日露戦争という二つの戦争をわが国は経験することとなった。
この二つの戦争があった10年の間に、経済は企業熱の高まりを中心とする景 況とその反動による恐慌を何度か繰り返し、大規模会社が拡大成長を遂げる 一方で泡沫会社も少なからず認められ整理される現象もみられた 。そして 大規模会社の破綻や泡沫会社の濫設の批判から、商法改正の声があがってき た。これが明治44年(1911年)の改正につながっていく。
新商法施行後10年あまりを経た時期ともなるが、このような経済波動の中 で、監査役制度はどのような足取りをたどったのであろうか。結論として商 法全体はドイツ法の色彩を強める大きな改正となっていったが、監査役制度 自体はほとんど改正されなかった。改正事項は、その任期や会社との法律関 係等に関するものに留まるが、およそ次の内容である。
明治44年商法180条では、監査役の任期は2年を超えることができないも のとした。改正前は1年であったが、ちょうど1年とすると短くも長くもで きなかったので不便であるという実際界の声を反映してこのような形にし た。
同186条では、監査役が会社または第三者に対して責任を負う場合におい て、取締役もまた責めに任ずべきときは、取締役との連帯債務とした。
同189条は準用規定であるが、準用する条項を増やした。定款による最終 配当期[決算期]に関する定時株主総会までの任期延長(166条但書の準用)、 欠員の場合における次の監査役が就任するまでの権利義務(167条ノ2の準 用)、損害賠償責任(177条の準用)を追加した。
ところが問題は、むしろ監査役の無機能化の実態であった。この実態に関 する批判が明治32年の新商法制定当時からあったのである。当時から監査役 制度の実効性について学界や実務界で活発に議論されていた。しかし、この 議論は明治44年の改正には直接つながらなかった。明治44年改正後も実効が 上がらず、実務界からは、監査役は「閑散役」と称されていたのである。こ 4 無機能化の実態 明治44年の商法改正 55
の頃の議論を紹介しておこう 。いずれも監査役が有名無実化していること を前提にしたものである。
・監査役を株主の中から選任する制度をやめて、株主以外の者から広く人 材を求めるべきである。
・イギリスの公認会計士にならって、公認の会計専門家の制度を設け、会 社の会計につき監査させるべきである。しかし、単に会計の正否を検査 するだけの機関にすぎない法制度下ならともかく、会社業務の全般が中 心の、会社の業務に通暁周知していなければ十分にその職責を尽くせな いわが国商法の下では、職業的計算人に託することは到底許されないと する反対意見が強かった。
・監査役が独立して職務を行うための方法としては、監査役に専属の書記 を置き、監査役の命ずるままに会社の会計を審査させることも考えられ るが、肝心の監査役が取締役に対して独立の地位を有しない限り、問題 の解決にならないことは明らかである。
等々であるが、昭和49年、昭和56年、平成5年、平成13年(第三次)の改正 時や平成17年会社法(および平成18年の法務省令)制定時の議論にもそのままつ ながる内容のように思われる。
5 経済実態と法の乖離 昭和13年の商法改正
大正時代に入り、わが国の企業は経営困難に陥るものが多かったが、大正 3年(1914年)に勃発した第一次世界大戦によって景気は数年間にも及ぶ好 況を続けることになった。しかし、大正9年(1920年)の株式暴落をきっか けに、昭和2年(1927年)の金融恐慌を迎え、多くの企業は吸収合併あるい は解散を余儀なくされた。結果として資本集中が進み、財閥形成がここに完 成期をみる。
このように大正期から昭和初期の企業は基礎的な発展を遂げつつも経済的 大変動の波にさらされた時期といえるが、法制度と実態が乖離するという現 象が蔓延しており、ここに商法改正の動きが出てきたのである。他方、第一 次世界大戦後、欧州を中心に個人的資本主義をある程度規制しようとする会
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社法改正の動きがあった。この動きもわが国の商法改正論議を後押しする格 好となった 。
政府は、昭和4年(1929年)、法制審議会を設置し、商法改正の要綱を諮問 することとなった。法制審議会の検討結果は、改正法律案として昭和13年
(1938年)帝国議会で成立し、商法中改正法律および同法施行法として同年4 月に公布された。なお、小規模閉鎖会社向けの有限会社法が商法の特別法と して制定され同時期に公布されたが、いずれも昭和15年(1940年)1月から 施行された。
ところが、監査役については、これといった改正はみられない。条文は大 幅に移動されているが、前述の監査役の資格のほか、以下のようないくつか の改正がある程度である 。
昭和13年改正法259条は、監査役の資格は株主たることを要しないことと した。これは、明治32年(1899年)の立法当時から問題とされていた監査役 を株主に限定する旨の規定を削除した結果である。監査役の資格を株主に限 定する実質的理由はすでに失われているから、遅きに失した改正といわれた が、その資格制限をとり除いても、やはり適材の監査役を得て監査を充実す ることは結果的にできなかったことを裏付けるものといえよう。
同268条は、会社の監査役に対する訴に関する規定の整備を行った。会社 から監査役に対する訴えに関し、訴の取り下げ、和解、請求書の放棄、少数 株主の資格および少数株主が訴の提起の請求をなすべき期間について制限規 定を附加した。
同280条は、監査役の職務執行の停止または職務代行者の選任について定 める。取締役の職務執行停止、代行者選任に関する270条から272条までの新 設規定の準用がされている。
ところで、この当時の(昭和14年)監査役制度に対する感想として、田中 耕太郎博士の興味深い記述があるので、ここに紹介しておこう 。なるべ く原文どおりに紹介するが、表現等は現代文に書き改めている箇所がある。
以下のとおりである。
…[ドイツの監査役と比べて]わが国においては、監査役の権力は小で あって、概ね取締役の鼻息を伺い監督の実をあげざるを得ない状態にある。
5 経済実態と法の乖離 昭和13年の商法改正 57
ドイツでは監査役が主・取締役が従であり、わが国ではその反対であるが、
いずれの場合にも監督は有名無実になる。あるいは英仏における常任検査役 すなわち会社業務に関与せずして単に会社の計算を審査し、それを株主総会 に報告する機関を設置してこの弊害を除去すべしという意見がドイツにもわ が国にも存在する。この制度たるや監督機関が業務執行に関与することによ り生ずるドイツにおける通弊を矯正すべく、他方、監査役が計数に暗く大会 社の計算を監査する技術的知識を具備しないことから生ずる欠陥を充たすこ とができるのであるが、しかしながら実現が容易でないのは、彼我において 検査役に人材を得ることが困難であることに要因がある。近時、信託会社の 発達に伴い、この会社が監査に適当な人物を擁することをもって、これを監 査役にさせるべきであるとの主張があるが、これは注目に値する所論であ る。要するに監督機能が正しく行われるかどうかは、会社のみならず一般公 衆の利害に関するところが大である。法は株式会社設立に関し準則主義を採 用しているが、設立後の国家的監督は行われておらず、私的監督機能の無力 なることこれまで述べてきたとおりである。我々は、株式会社の著しき発達 に鑑み、特殊銀行に対し為される国家的監督を一般株式会社に及ぼすために 特別の行政機関を設置する必要を痛感する。」
6 米国の影響下における変質 昭和25年の商法改正
昭和の時代に入り、好不況の乱高下を繰り返しながらも、鉱工業レベルか らすると世界水準にまで発展をみせてきたわが国であるが、昭和14年(1939 年)から第二次世界大戦に没入することになった。結局、昭和20年(1945年)
には敗戦を迎え、わが国は連合国司令部 GHQの支配下に置かれることとな った。商法も GHQ占領下の影響で大きく変化を見せることになるのであ る。
とりわけ監査役制度については、まるで別種の制度のごとく変貌した。商 法はこれまでドイツ法を継受法とし、会社機関のあり方もドイツ法を基礎と していたが、アメリカ法の影響を受けざるを得ず、株主の地位向上、会社と の関係や取締役会制度の創設について議論が交わされた。この結果として、
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監査役制度が変貌を遂げることになった。すなわち、監査役は業務監査権限 を剥奪され、もっぱら会計監査のみがその権限となった。
昭和25年の監査役制度の改正は、その制度自体の適否を直接の目的とする 改正論に端を発したものではなく、取締役の権限強化とそれに伴う取締役会 制度の創設およびその業務監査(監督)機能という他の諸制度の改正による いわば「さや寄せ的」な改正であったといわれている 。
占領下という特殊事情の下に、株式会社の民主化を建前として、株主の地 位強化を図る考えが当時の GHQから支持され、アメリカ法を大幅に導入し た取締役会制度が設けられることとなったが、この取締役会は、業務の意思 決定機関として執行機関たる代表取締役を監督する機能を併せもつことか ら、もし、業務監査機能を依然として監査役に与えておく限り、監査機能の 重複が生ずることとなると考えられた。そこで、監査役の存廃が改正法審議 に際し議論の対象となったのである 。
政府原案は、進んでその名称も「会計監査役」と改め、むしろ従来の監査 役制度はこれを廃止し、もっぱら会計監査を担当する「会計監査制度」を新 設するという考え方をとったが、参議院では、そのように名称まで改める必 要はないとして、「監査役」という名称に復帰することになった。結果的に は、従来の監査役の権限が会計監査のみに縮小されたものと考えられよ う 。
さらに、昭和25年の改正論議として以下の業務監査と会計監査をめぐる議 論が注目されよう。
従来の監査役に対しては、実際上取締役に隷属してその任務を十分尽して いなかったという批判がなされたうえ、アメリカ法には監査役に当たる機関 が全然存在しないため、立案の過程では、その全廃論もなかったわけではな いが、新法における株主の地位がアメリカ法におけるほど強力ではないこと を考えると、少なくとも、会計監査をその職務とする監査役を存置すること が必要とされた。
このように会計の専門的監査機関を置く以上は、公認会計士監査とする方 が一層その意義が大きいことは当然であるが、それには公認会計士制度が実 質的に充実されることが前提とされる。しかし、当時においてはまだ公認会
6 米国の影響下における変質 昭和25年の商法改正 59
計士は確立されていなかったから、監査役の会計監査権限をすべて公認会計 士に譲り、監査役制度を直ちに廃止することもできなかった。そのため、昭 和25年の改正では、一応過渡的に監査役の存在を認めたが、公認会計士制度 が確立されれば、監査役制度は、早晩廃止されるべきものであるという論議 がなされたのである 。
このような昭和25年の商法改正であるが、その成立までは紆余曲折があっ た 。昭和25年5月に改正商法は成立したものの、商法施行法・有限会社 法の整備等のため施行は26年に延期され、昭和26年7月の商法再度改正とと もに施行となった。
監査役関連の条文は以下のとおりである。それまで50年以上にわたって続 いた監査役の業務監査権限は剥奪され、会計監査を職務とする内容に変わっ ている。
昭和25年商法273条は、監査役の任期について定める。その任期は2年で あった。なお、員数についての定めはない。監査役関係の条項がある限り最 低1人ということである。取締役は3人以上とされている。
同274条では、取締役に対する報告請求権と業務財産状況調査権を定める。
監査役は何時でも取締役に対し[会計監査のために]営業の報告を求め、会 社の業務財産の状況を調査できる権限を定めた。
同275条では、監査役は、取締役が株主総会に提出しようとする会計に関 する書類を調査し、株主総会にその意見を報告しなければならない義務を定 めた。まさに会計に関する監査に限定されたわけである。ここでいう取締役 が株主総会に提出しようとする会計に関する書類とは、決算書類としては、
財産目録、貸借対照表、営業報告書、損益計算書、準備金および利益または 利息の配当に関する議案であるが、その他に、清算開始に当たって作成する 財産目録および貸借対照表、清算期間中に作成する清算年度計算書類、営業 譲渡・事後成立・資本の減少・会社の合併に関する書類中の会計に関する部 分、資産再評価に関する計算書類等が対象となっている。
同276条では、取締役・支配人など経営執行部との兼任を禁止する規定が 置かれた。自己監査を排除するためである。ここに会計監査に限定されなが らも、三権分立的な要素が残されているものといえよう。また、監査役は、
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取締役が欠員になった場合は、監査役が職務代行者となることについても規 定されている。
同277条では、訴えに関する会社代表は監査役であることが規定されてい る。
その他、278条で取締役に対する連帯責任なども維持されているほか、265 条において、取締役と会社間の取引に対し、監査役に承認権を与えているこ とは興味深い。
[注]
(1) 浦野雄幸『株式会社監査制度論』商事法務(1970年)74頁参照。同書は昭和49年改 正以前の監査制度変遷に関する名著・基本書と思われる。本章でもその多くを同書に 負っている。
(2) 浦野・前掲(注1)77頁。
(3) 浦野・前掲(注1)80頁。
(4) 浦野・前掲(注1)86頁参照。
(5) 伊藤紀彦「近代的会社法の出発⎜⎜レースラー商法草案と明治23年商法」北澤正啓 先生古稀記念論文集『日本会社立法の歴史的展開』商事法務(1999年)71頁。同書も また明治以降の商法の歴史を辿るための名著・基本書といえよう。本章および次章に おいては同書に負うところが大である。各章ともに資料を丹念に駆使した詳細な論述 が展開されている。
(6) 詳細は、藤井信秀「日露戦争後の経済発展への対応⎜⎜明治44年の改正」北澤正啓 先生古稀記念論文集『日本会社立法の歴史的展開』商事法務(1999年)125〜128頁参 照。
(7) 浦野・前掲(注1)91〜94頁参照。
(8) 詳細は、浅木慎一「大正バブルの崩壊と経済的矛盾の露呈⎜⎜昭和13年の改正・有 限会社法の制定」北澤正啓先生古稀 記 念 論 文 集『日 本 会 社 立 法 の 歴 史 的 展 開』
152〜157頁参照。
(9) 浦野・前掲(注1)96〜97頁参照。
(10) 田中耕太郎『改正・会社法概論』岩波書店(昭和18年第6刷。なお初版は昭和14 年)589〜590頁。文中の英仏における会計職業専門家による会計監査については、す でに大正10年の松本烝治『会社法講義』厳松堂書店(大正10年第17刷。なお初版は大 正5年)320〜321頁において、その記述が見られる。
(11) 浦野・前掲(注1)100頁。
(12) 石井照久・鈴木竹雄『改正株式会社法解説』有斐閣(1950年)189頁参照。
(13) 浦野・前掲(注1)101頁。
(14) 石井・鈴木、前掲(注12)190頁参照。
6 米国の影響下における変質 昭和25年の商法改正 61
(15) 詳細は、中東正文「GHQ相手の検討の成果⎜⎜昭和25年・26年の改正」北澤正啓 先生古稀記念論文集『日本会社立法の歴史的展開』商事法務(1999年)221頁以下参 照。
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