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忘却のかなたのマリノフスキー : 1930年代におけ る文化接触研究

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忘却のかなたのマリノフスキー : 1930年代におけ る文化接触研究

著者 清水 昭俊

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 23

号 3

ページ 543‑634

発行年 1999‑03‑15

URL http://doi.org/10.15021/00004117

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清 水 忘 却 のか な た の マ リノ フス キ ー

忘 却 の か な た の マ リ ノ フ ス キ ー 1930年 代 に お け る文 化 接 触 研 究

清 水 昭 俊*

Malinowski Rising out of Oblivion:

The Culture-Contact Studies of the 1930s

Akitoshi Shimizu

マ リノ フ ス キ ー は,「 参 与 観 察 」 の調 査 法 を 導 入 した,人 類 学 史 上 も っ と も 著 名 な 人 物 で あ る。 そ の 反 面,彼 は理 論 的影 響 で無 力 で あ り,ラ ドク リフ=ブ

ラ ウ ンに 及 び え な か った。 イ ギ リス社 会 人 類 学 の二 人 の建 設 者 を 相 補 的 な姿 で 描 く この 歴 史叙 述 は,広 く受 け 入れ られ て い る。 しか し,そ れ は 決 して公 平 で 正 当 な 認 識 で は な い 。 マ リノ フス キ ー が イ ギ リス時 代 最 後 の10年 間 に行 っ た も っ と も重要 な研 究 プ ロジ ェ ク トを無 視 して い るか ら だ。 こ の論 文 で私 は,ア フ リカ植 民地 に お け る文 化 接 触 に 関す る彼 の実 用 的人 類 学 の プ ロジ ェク トを考 察 し,忘 却 の 中か ら未 知 の マ リノ フス キ ー を よみ が え らせ て み た い 。

マ リノ フス キ ーは 大 規模 な ア フ リカ ・プ ロジ ェ ク トを主 宰 し,人 類 学 を古 物 趣 味 か ら厳 格 な経 験 科 学 に 変革 し よ う と した。 植 民 地 の文 化 状 況 に関 して統 治 政 府 に 有 用 な現 実 的知 識 を 提供 す る能 力 の あ る人 類 学 へ の変 革 で あ る。 こ の プ ロ ジ ェ ク トは,帝 国 主義,植 民地 主 義 との共 犯 関係 に あ る人 類 学 の も っ と も悪 し き実 例 と して,悪 名 高 い もの で あ るが,現 実 には,彼 の 同時 代 人 で マ リノ フ ス キ ー ほ ど厳 し く植 民地 統 治 を批 判 した人 類 学 者 は い なか っ た。 彼 の弟 子 との 論 争 を 分 析 す る こ とに よ って,私 は,ア フ リカ植 民 地 の文 化 接 触 につ い て人 類 学者 が 観 察 す べ き事 象 とそ の方 法 に関 す る,マ リ ノフ ス キ ー の思 考 を再 構 成 す る。1980年 代 に 行 わ れ た ポ ス トモ ダ ン人 類 学 批 判 を,お お くの点 で彼 が す で に 提示 し,か つ乗 りこえ て い た こ とを示 す つ も りで あ る。 ラ ドク リフ=ブ ラ ウ ン の構 造 機 能 主 義 は,こ の 新 しい観 点 か ら見れ ぽ,旧 弊 な古 物 趣 味 へ の回 帰 だ っ た が,構 造 機 能 主義 者 は 人 類学 史 を一 貫 した 発 展 の歴 史 と描 くた め に,マ リノ フス キ ーの プ ロ ジ ェ ク トの 記憶 を消 去 した。 戦 間期 お よび戦 後 期 初 め の 時 期 に お け る マ リノ フス キ ーの 影 響 の 盛衰 を跡 づ け よ う。,

*国 立民族学博物館民族社会研究部

Key Words : Malinowski, culture contact, colonial administration, practical an- thropology, critique of colonialism

キ ー ワ ー ド:マ リ ノ フ ス キ ー,文 化 接 触,植 民 地 統 治, 実 用 的 人 類 学,植 民 地 主 義 批

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国立民族学博物館研究報告  23巻3号

Malinowski is One of the most distinguished figures in the history of anthropology, who introduced the empirical method of 'participant observation'. By contrast, he has been considered feeble in theoretical I influence, in which he could not eventually rival Radcliffe-Brown. This representation,which depicts the two founding fathers of British social anthropology in complementary terms, has been broadly accepted by an-

thropologists. However it is neither fair nor correct; it entirely neglects Malinowski's most important project in his last decade in Britain. In this paper, 1 will investigate this project on the practical anthropology of

culture contact in !African colonies and try to resurrect this so-far unknown Malinowski from entire oblivion. 1

Through the project he endeavoured to transform anthropology from antiquarianismn to a rigorous, empirical science which should be able to provide cololinial administration with practical knowledge on the dynamically changing cultural situation of the colonies. Although the project was notorious as a worst case of complicity with imperialism and

colonialism, it is allso true that no anthropologist among his contem-

poraries criticised colonial administration so severely as he did. I will reconstruct Malinowski's ideas on what and how anthropologists should observe concerning culture contact in African colonies, by way of analys- ing the arguments he presented to his own students who participated in the African project.,It will be revealed that he foresaw and overcame in many respects the post-modern criticisms of anthropology conducted in

i the 1980s. The Radcliffe-Brownian structural functionalism, when seen

in the new light of Malinowski's project of culture-contact studies, was

actually a retreat to, an obsolete antiquarianism. However, structural functionalists constructed the history of anthropology as that of a steady

development up to their school, by systematically erasing the memory of

Malinowski's project. The rise and fall of Malinowski's influence in the

late inter-war and the early post-war periods will be traced.

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清 水   忘 却 の か な た の マ リノ フス キ ー

1  は じめ に

2人 類 学 史 の描 くマ リノ フ スキ ー   2.1  1920年 代 の 革 新 と戦 間期 人 類 学  2.2戦 間 期 と第 二 次 大 戦後 の連 続 性  2.3  断 絶 した 戦 間 期

3  現実 の表 象 一 一 一経 験 主 義 の 真 価一   3.1戦 間 期 イ ギ リス 人 類学 の亀 裂   3.2 構 造 機 能 主 義 者 の見 た ア フ リカ政 治       シス テ ム

  3.3  1930年 代 ア フ リカの文 化変 化   3.4  同時 に 描 い た 二 つ の ア フ リカ像   3.5歴 史 的 評 価 の 変 転

4  植 民地 統 治 と実 用 的 人 類 学  4.1植 民 地 統 治 へ の 貢献  4.2  回 心

 4.3実 用 的 人 類 学  4.4間 接 統 治

 4.5  人 類 学 の変 革 一 「い ま現 在 」 を認       識 す る人 類 学 ヘ ー

 4.6  人 類 学 批 判

 4.7実 用 的 人 類 学 プ ロ ジ ェ ク トの進 展 5文 化接 触 へ の ア プ ローチ

  5.1弟 子 た ち との 亀 裂

  5.2 植 民 地 の 文 化 的 状 況一 鳥瞼 図一   5.3文 化 変 化 の基 点 「ゼ ロ ・ポ イ ソ ト」

      の構 想

  5.4 真 実 の過 去,幻 想 の過 去,生 きて い       る伝 統

  5.5 歴 史 的 「現 在 」   5.6マ リノ フ スキ ーの歴 史観   5.7文 化 混 合

      一 文 化 要 素 の 起 源=所 有 一   5.8 統 合 体 と して の 植 民地 社会   5.9 構 造 的 社 会 史

  5.10  文 化 接 触 の三 領 域

      一 一伝 統 が 析 出 す る枠 組 み一

6  「い ま現 在 の 過程 」

  一 マ リノ フ スキ ーの 求 め た も の一   6.1  課 題 と回 答

  6.2  現 在進 行 中 の過 程 を把 ら え る   6.3  視 野 の拡 大

  6.4  未達 成 の課 題 7現 実 批 判

  7.1実 用 的 人 類学 の挫 折   7.2  中 断 した 思考   7.3  植 民 地 統 治批 判   7.4  植 民 地 主 義批 判

  7.5  遡 及 的 批 判 と同時 代 的 批 判   7.6  人 類 学 者 の 思想 的 条 件   7.7批 判 的認 識 の ダイ ナ ミズ ム       ー 「徹 底 した経 験 主 義 」‑

8  実 用 的 人 類 学 の浸 透   8.1応 用 人 類 学作 業 委 員 会

  8.2  戦 時 下 に 描 い た 「社 会 人類 学 の将 来 」   8.3  科 学 的 研 究 と実用 的研 究 の乖 離 9ふ た た び サ ル ベ ー ジ人類 学 ヘ   ー マ リノ フ スキ ー以 後一   9.1持 続 す る人類 学 的 関心

  9.2  ラ ドク リフ=ブ ラ ウ ン とオ ヅ ク ス       フ オー ド ・グル ー プ

  9・3 パ ラ ダイ ムの 交代

  9.4エ ヴ ァ ンズ=プ リチ ャー ドの転 向宣       言

  9.5  マ リノ フス キ ー の そ の後   9。6 歴 史 の 書 き換 え 10  結 語

  10.1ポ ス ト モ ダ ン 人 類 学 批 判 の 共        犯 関 係

  10.2  歴 史 研 究 へ の転 進

  10.3  イ デ オ ロギ ー と経 験 主 義

  10.4  マ リノ フス キ ー と 日本 の人 類 学

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国立民族学博物館研究報告  23巻3号

1は   じ め  に

       

  人 類 学 者 が み ず か ら書 き記 した 人 類 学 の 歴 史 的 回顧 の 中 で,マ リノ フス キ ーは お そ ら く も っ と もお お く取 りあ げ られ た 人 物 で あ る。 「 参 与 観 察 」 の調 査 法 は彼 の最 大 の 功 績 で あ り,そ れ に よ って近 代 人 類 学 を変 革 した 。 マ リノ フス キ ー の考 察 を この 評価 か ら始 め て も,人 類 学者 か ち異 議 を と な え られ る こ とは,ま ず な いだ ろ う。 た だ し,       i

ス ト ッ キ ソ グに よれ ぽ,実地 調 査 の 方 法 に つ い て は 彼 の 師 リ ヴ ァ ー ズ が,マ リ ノ フ ス キ ー と ほ ぼ 肌 程 度 に 整 った形 で 提 示 し て い た.マ リ ・ フ ス キ ー は 自身 の 鰍 を 神 話 化 し て,提 唱 者 の 名 誉 を独占 し た と い う。 歴 史 家 の 目 に は マ リ ノ フ ス キ ー は 脱 神 話 化       i

の 対 象 だ っ た(Stocking  1983)。 絵 画 的 な 描 写 に よ る 情 報 の 豊 か な 民 族 誌 は,人 類 学 者 の 理 論 的 関 心 が 移 り変 わ る と と も に,彼 ら の 間 に 新 た な 理 論 的 関 心 を 喚 起 し続 け た       旨(

モ ー ス1973[初 出 は1925];レ ヴ ィ=ス トロー ス1972[初 出 は1956]:ch.8;Leach 1961;198・[初 出 は1967];清 水1973;B・unt・n  1975;ス ・・イ ・199・[初 出 は1982])・

彼 の 仕事 は人 類 学 の コ ンテ クス トで受 け止 め られ たぽ か りで は な い。 人 類 学 に対 す る 彼 の個 性 的 な営 為 は,マ リレ フス キ ー とい う人 物 そ の もの へ の 関心 を喚 起 し,民 族 誌

       

の 記 述 ス タ イ ル と権 威 的 な 説 得 力,暴 露 的 に 刊 行 さ れ た 調 査 旅 行 中 の 日記 な どを 素 材       …

と して,文 学 批 評 ス タ イ ル φ 分 析 を 誘 っ た(Payne  1981;Clifford  1988:ch.1;ギ ア ー ツ1988:ch.4;関 口1986)1a

  私 が 関 心 を 寄 せ る の は,ア リ ノ フ ス キ ー と い う人 物 の コ ソ テ ク ス トと人 類 学 の コ ソ テ ク ス トと の 狭 間 に あ っ て ち ど ち ら か と い え ば 後 者 よ りの 問 題 で あ り,人 類 学 史 の 中 で 忘 失 さ れ た マ リ ノ フ ス キー の 一 面 で あ る 。 人 あ っ て,マ リノ フ ス キ ー に 関 す る考 察       i

が す で に こ れ だ け お お く累 積 さ れ て い る の に,ま だ 再 考 す べ き こ と が 残 さ れ て い る の か と,い ぶ か し く思 うか も しれ な い 。 しか し,私 の 見 る と こ ろ,マ リ ノ フ ス キ ー の も       1

っ と も 重 要 な,む し ろ 貴 重 と も い うべ き 貢 献 が,人 類 学 史 の 中 で ほ と ん ど 省 み られ る こ と な く,忘 却 の か な た に 葬 り去 ら れ て い る 。

        1

  す でに 触 れ た 「参与 観 察 」 の調 査 法,トロ ブ リア ン ドの民 族 誌 に加 えて,家 族 や言 語 意 味 論 に関 す る考 察 も,セ リノ フス キ ーの 功 績 と して よ く知 られ て い る。 しか し, マ リノ フ ス キ ー の ア フ リカ研 究 は と問 わ れ れ ば,お お くの人 類 学 者 は とま ど うの で は なか ろ うか 。 事 情 は 植 民地 統 治へ の貢 献,実 用 的 人 類 学 に つ い て も同 じだ ろ う。 マ リ

ノ フス キ ー につ いて 現 在 の 人類 学 者 が抱 い て い る知 識 は,そ の粗 密 に か かわ らず,決

して 満遍 な い もの では な く欠落 が あ りそ うだ とい うこ とは,た とえ ぽ マ リノ フ ス キ ー

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清 水   忘 却 の か な た の マ リノ フ スキ ー

の 教 育者 と して の貢 献 に 関 して も うか が うこ とが で き る。 マ リノ フス キ ーが お お くの 優 れ た人 材 を 養 成 した こ とは,よ く知 られ て い る。 イ ギ リス人 類 学 は第 二 次 世 界 大 戦 後 に空 前 の興 隆 を 見 る こ とに な る の だ が,そ の主 力 を 担 った の は,マ リノ フス キ ーの 弟子 た ち であ る。 そ の お お くは ア フ リカ研 究 者 だ った 。 マ リノ フス キ ーの養 成 した 人 類学 者 に,な ぜ 著 名 な ア フ リカ ニス トが お お い のか 。 この 問 い が 問 い と して成 り立 つ こ と 自体 に,す で に マ リノ フス キ ーに つ い て の知 識 の偏 りが 顕 れ て い る。 彼 らは マ リ ノ フス キ ー の ア フ リカ研 究 プ ロ ジ ェ ク トか ら育 っ て い った ので あ り,こ の 大規 模 な プ ロジ ェ ク トは植 民 地 統 治 と実 用 的 人 類 学 と 「い ま現 在 」の 現 実 に か かわ る ものだ った 。   少 し長 い歴 史 的 視 野 でい え ぽ,イ ギ リスの 人 類 学 は19世 紀 末 に,バ ッ ドソや リヴ ァー

ズ,セ リグマ ソ らに よ って,人 類 学 者 み ず か らが実 地 調 査 を行 うとい う研 究 ス タイ ル に移 行 した。 彼 らはみ ず か らの 新 しさを 強調 して,「 フ ィール ド人類 学 者 」 と称 した 。 彼 らは 他分 野 の,お お くは 生 物 学,心 理 学 な ど 自然 科 学 の 出だ った が,そ の 彼 らが初

め て 大 学 で 人 類 学 の専 門 家 と して育 て た の が,「 訓 練 され た 人 類 学 者 」(trained an‑

thropologist)と 呼 ぽ れ る世 代 で あ り,マ リノ フス キ ーは ライ バ ル の ラ ドク リフ=ブ

ラ ウ ソ と と もに,こ の 世 代 の 旗 手 だ った 。 「フ ィール ド人 類 学 者 」 も 「 訓 練 され た 人

類 学 者 」 も,実 地調 査 の重 要 性 を強 調 した 。 しか し彼 らは 調査 地     当時 の歴 史 的 コ

ソテ クス トでは 植 民 地 だ った一 で,眼 前 の 現 実 を 観 察 した の で は な い。 む しろ眼 前

の 現実 を意 識 的 に無 視 した。 後 に述 べ る サ ルベ ー ジ人 類 学 の 伝 統 が,彼 らの間 に あ っ

て もな お強 固 だ った 。 マ リノ フス キ ー の令 名 も この 伝 統 の 枠 内 で形 成 され た もの で あ

るが,晩 年 に な っ て,彼 は ア フ リカ研 究 の大 規 模 な プ ロジ ェク トを 実 施 し,人 類 学 者

が 調査 地 で 目撃 す る 「 い ま現 在 」 を研 究 す る方 向へ と,転 換 しよ うと した。 人 類 学 者

が 調 査地 の現 実 と正 面 か ら切 り結 ぽ うとす る,そ の最 初 の組 織 的 な 試 み で あ る。 彼 は

そ の た め に,在 来 の人 類 学 を批 判 して変 革 を求 め る と同 時 に,研 究 対 象 に つ い て は,

植 民 地統 治 へ の貢 献 と植 民 地 統 治批 判 とい う,た が い に反 す る二 面 的 な営 為 を行 った 。

実 地 調 査 を 必須 の方 法 と して組 み 込 ん だ 人類 学 は,必 然 的 に 調 査 地 の 状 況 と密 接 な 関

係一 批判 的 に みれ ぽ現 地 を 支 配 す る権 力 との 「 共 犯 関 係 」     に 入 り込 む こ とに な

る。 マ リノ フス キ ー の プ ロジ ェ ク トは,実 地 調 査 を 介 して一 層 可 視 的 とな った 人類 学

研 究 の一 面,学 術 的 実践 で あ る と同 時 に 社会 的実 践 で もあ る とい う一 面 に お い て,新

た な実 験 だ った 。この プ ロジ ェ ク トの事 実 が,と りわ け こ こに 手 短 に 述 べ た諸 特 徴 が,

マ リノ フス キ ー以 後 の人 類 学 者 の描 く人 類 学 史 か ら欠 落 して い る。 そ れ は 単 な る偶 然

では ない 。 イ ギ リス 人類 学 に おけ る マ リノ フス キ ーの影 響 がか げ る と ともに,ラ ドク

リフ=ブ ラ ウ ンの構 造 機 能 主 義 が 指 導 的 な地 位 を確 保 した。 この指 導 的 な潮 流 の 交 代

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国立民族学博物館研究報告  23巻3号          

を 理 路 整 然 と し た 歴 史 の 発 廉 と して 表 象 す る た め に は,マ リ ノ フ ス キ ー の プ ロ ジ ェ ク トを 消 し去 る こ と が 必 要 だ ギ た 。

  1990年 代 も終 わ りに 近 づ い た 現 在,人 類 学 は す で に マ リ ノ フ ス キ ー か ら遠 く隔 た っ         1

て い る 。 しか し,マ リノ ブ ズ キ ー の 消 去 は,マ リ ノ フ ス キ ー に す ぐ続 く世 代 の 人 類 学 研 究 の み が か か わ る の で は な い 。 マ リ ノ フ ス キ ー の 影 響 を 排 除 し て 成 立 し た 構 造 機 能       1

主 義 は,こ の排 除 を要 因 の+つ と して,さ らに次 の世 代 の人 類学 を形 成 した 。 現 在 の 人 類 学 者 に よる研 究 のす くなか らぬ 部 分 が,マ リノ フ スキ ーの 影響 を排 除 した 歴 史 か ら,間 接 的 で あれ 制 約 を被 らて い る。 私 が歴 史 の発 掘 を 試 み るの は,人 類 学 が 忘 失 し た もの の あ ま りの大 き さに,感 慨 を 禁 じえ な いか らで あ るが,た だ過 去 へ の関 心 のみ か ら発 して い る の で はな い 。,この 忘 失 の現 在 に お よぶ,遠 くか つ底 深 い影 響 を 確 認 し た い か らで もあ る。

  2人 類 学 史 の 描 ぐ マ リ ノ フ ス キ ー

  2.1  1920年 代 の 革 新 孝 戦 間 期 人 類 学       i

  イ ギ リ

ス に おけ る人 類 学 は,第 一 次 世 界 大 戦 後,マ リノ フス キ ー とラ ドク リフ=ブ         1

ラ ウ ソの攻 撃 的 な企 てに よ つて,新 た な時 代 へ と転 換 を 遂 げ た。 二 人 の最 初 の本 格 的 な単 行 本 規 模 の民 族 誌 が,同 じ1922年 に刊 行 され た 。 い ずれ も同時 代 の人 類 学 とは 異 質 の文 化 理 解 を提 示 す る もの だ った。 歴 史 と相 関 させ ず に,共 時 的 な空 間 に 同 時 に 見 出 され た 諸 事 象 を,そ れ ら の問 の関 連 の み に よ って理 解 しよ うとす る文 化 理 解 で あ る。

ス タ ン ダー ドな人 類 学 史 では,二 人 の民族誌の斬新さ を評 価 して,人 類 学 は この 年 を

        1

画 期 と し て 新 た な 時 代 に 入 っ:たと され る 。 こ の 年 に は ま た,偶 然 の 一 致 で あ る が,前          

世 代 を代 表 す る人 類 者 リヴ ァi一ズ が亡 くな って い る。 二 人 の企 図 した 新 しい 人 類 学 を          

指 して,イ ギ リスで は 「社 会 人類 学 」 とい う名 称 が定 着 して い く。 こ こで は 方 法 上 の 特 徴 に着 目 して,「 経 験主義人類 学 」 と呼 ん で お こ う.

  ただ し,新 しい 人 類 学 は 出発 時 か らただ ちに 同 時代 の社 会 に受 け 入 れ られ た わ け で は な い。 マ リノ フ スキ ー と ヲ ドク リフ=ブ ラ ウ ンが導 入 し よ う と した 経 験 主 義 が,人 類 学 内部 で定 着 す る まで に は,彼 らの登 場 以 後 ほ ぼ一 世 代 に お よぶ 時 間 を 要 した 。 す

で に権 威 を確 立 して い た 人 類学 者 に対 抗 し,同 時 に 当事 者 の 間 で もそ れ に 劣 らず 熾 烈

に 競 争 し,そ れ ぞ れ の 登場 人物 は実 験 的 な 試 行 に 果敢 に挑 戦 した 。 二 人 が と もに 活 躍

した のは,第 一 次 世 界 大 戦 の混 乱 か ら回復 して,人 類 学 研 究 が 再 開 され て か ら,人 類

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清 水   忘 却 のか な た の マ リノ フス キ ー

学 の 研 究 環 境 が 第 二 次 大 戦 に よ っ て ふ た た び 激 変 す る ま で の,20年 余 の 戦 間 期 で あ る 。 そ れ は,新 し い 人 類 学 が 徐 々 に 形 成 さ れ て い っ た 過 渡 的 な 時 代 で あ り,こ の 戦 間 期 の 人 類 学 の 特 徴 は,成 果 と して 世 に 問 うた も の で は な く,む し ろ 形 成 の ダ イ ナ ミ ッ ク な 過 程 に あ る 。 こ の 過 渡 期 に マ リ ノ フ ス キ ー と ラ ドク リ フ=ブ ラ ウ ンが 育 て た 社 会 人 類 学 は,第 二 次 大 戦 後 に 一 斉 に 開 花 し て,イ ギ リ ス 人 類 学 を 一 色 に 染 め,イ ギ リス 人 類 学 の 歴 史 の 上 で 最 大 の 興 隆 期 を 迎 え る 。

  こ の 経 験 主 義 人 類 学 に つ い て,ス タ ン ダ ー ドな 人 類 学 史 は,マ リ ノ フ ス キ ー と ラ ド ク リ フ=ブ ラ ウ ソを ペ ア と し て 扱 う と 同 時 に,彼 ら の 貢 献 を 対 照 的 な も の と描 く。 そ れ を お お づ か み に い え ば,経 験 主 義 人 類 学 の 形 成 と 定 着 は,こ の 二 人 の 影 響 が た が い に 入 れ 替 わ る よ うに して 展 開 さ せ た 歴 史 で あ る 。 次 世 代 の 人 類 学 者 に 対 す る影 響 で は マ リ ノ フ ス キ ー が 先 行 し た 。1918年 に メ ラ ネ シ ア調 査 を 終 え た 後,1920年 に は イ ギ リ ス 本 国 の ロ ソ ドソ 経 済 学 院(London  School  of Economics)で 社 会 人 類 学 の 講 義 を 担 当 す る よ うに な り,1923年 に は 同 学 院 「社 会 人 類 学 」 の 教 授 職(reader)1)に つ き, セ ミナ ー を 開 始 し て,人 類 学 者 の 組 織 的 な 養 成 に 乗 り出 した 。 そ れ 以 降1938年 に ア メ

リ カ に 渡 る ま で,イ ギ リス 人 類 学 の 新 時 代 を 指 導 し続 け た 。 そ の 間,1927年 に は ロ ソ ド ン経 済 学 院 人 類 学 の 初 代 教 授 兼 科 長 に な っ て い る(Kuper  1983:19;Goody  1995:

14)0

  マ リ ノ フ ス キ ー の 教 育 は も っ ぱ ら セ ミ ナ ー で,彼 自身 や 学 生 た ち の 「参 与 観 察 」 に よ る 調 査 資 料 を 素 材 と し て,き わ め て 実 践 的 な 形 で 行 わ れ た と い わ れ る2)。 彼 の セ ミ ナ ー は 人 類 学 者 の 養 成 機 関 と して 多 産 で あ り,イ ギ リス 本 国 とそ の 植 民 地 の み な ら ず,

ヨーロ ッパ 大 陸 諸 国,北 ア メ リ カ,中 国,日 本 な どか ら 学 生 が 参 加 し た 。 第 二 次 世 界 大 戦 後 の イ ギ リス 人 類 学 の 興 隆 を 担 っ た 人 材 は,エ ヴ ァ ン ズeプ リチ ャ ー ドの よ うに 彼 と対 立 し た 者 も 含 め て,そ の お お くが 彼 の セ ミ ナ ー で 学 ん で い た(Kuper  1983:

69‑70;Goody  1995:ch.2)。 マ リ ノ フ ス キ ー は セ ミ ナ ー で 学 生 を 養 成 す る と と も に, 国 際 ア フ リカ 研 究 所 と 共 同 で ア フ リ カ研 究 プ ロ ジ ェ ク トを 実 施 し,学 生 た ち を ア フ リ カ 調 査 に 送 り出 した 。

  マ リ ノ フ ス キ ー が イ ギ リス 本 国 で 活 躍 す る の とは 対 照 的 に,ラ ド ク リフ=ブ ラ ウ ソ は イ ギ リス 世 界 の 外 周 部 を め ぐ り歩 い た 。 南 ア フ リ カ(ケ ー プ タ ウ ン大 学)と オ ー ス ト ラ リア(シ ドニ ー 大 学)で5年 ず つ す ご して,そ れ ぞ れ の 地 で 最 初 の 人 類 学 科 を 創 設 した 。 さ ら に6年 を ア メ リカ(シ カ ゴ大 学)で す ご し,よ うや く1937年 に イ ギ リス 本 国 の 大 学(オ ッ ク ス フ ォ ー ド大 学)に 帰 還 した 。 こ の 間 に シ ドニ ー で は,オ ー ス ト

ラ リア 諸 社 会 を 対 象 と し た,親 族 を 中 心 と す る社 会 構 造 の 類 型 論 を 発 表 し て,構 造 機

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国立民族学博物館研究報告   23巻3号

能 的 鰍 会 研 究 の 理 論骨格 を示 し(Radcliffe‑Brown 1930),オ ース トラ リアや オ セ ア ニア を研 究 す る人類 学者 を養 成 した 。 シ カ ゴで も同 じよ うに,構 造 機 能 的 な方 法       …

で先 住 ア メ リカ人 諸 社会 を研 究 す る人 類 学 者 を 育 て,社 会 現 象 に 関 す る厳 格 な実 証 科 学 的 ア ブ 。一 チを表明 す る『社 会 の 自然 科 学 』 ・)を残した。

  ラ ドク リフ=ブ ラ ウ ソがイギ リス に帰 還 した 翌1938年,彼 と所 を 入 れ替 え る よ うに して,マ リノ フ スキ ーは アメ リカ に渡 り,間 もな く始 まった 第 二 次 世 界 大戦 に よっ て       i 帰 欧

を 阻 まれ て,ア メ リカ滞 在 を延 長 す る間 に,1942年 に客 死 した 。 第二 次大 戦 後 に 興 隆 期 を迎 え るイ ギ リス人 類 学 を担 った の は,マ リノ フス キ ーが セ ミナ ーで養 成 した

       

人 類 学 者 た ちで あ るが,彼ら が 理 論 的 指導 を仰 い だ のは ラ ドク リフ=ブ ラ ウ ソだ った。

  ス タ ン ダ ー ドな 学 説 史 は,:次 世 代 の イ ギ リス 人 類 学 者 た ち が こ の よ うに し て,マ リ ノ フ ス キ ー か ら 「参 与 観 察 』 の 調 査 法 を,ラ ドク リ フ=ブ ラ ウ ソか ら構 造 機 能 主 義 的 な 社 会 理 論 を 学 ん だ と描 く'(Kaberry  1957:87‑8;Kuper  1983)。 二 人 の デ ビ ュ ー作,

『西 太 平 洋 の 航 海 者 た ち 』(Malinowski  1922)と 『アン ダ マ ン 島 民 』(Radcli価e‑

Brown  1922)を 比 べ れ ば一目 瞭 然 の よ うに,実 地 調 査 の 方 法 の 提 示,調 査 に も とつ く対 象 社 会 の 生 き 生 き と し た 描 写,こ の 描 写 か ら 推 定 され る 実 地 調 査 の 密 度 な ど,実 地 調 査 に 関 して は あ ら ゆ る点 で マ リ ノ フ ス キ ー の 方 が 優 れ て い た 。他 方,二 人 と も 「機 能 的 」 あ る い は 「機 能 主 義 』 と い う言 葉 を 用 い て い た が,少 な く と も 社 会 な い し文 化 の 体 系 函 珪 論 で は,ラ ド ク リ フ=ブ ラ ウ ソ の 影 響 が マ リ ノ フ ス キ ー を 凌 駕 し た 駕 マ リ ノ フ ス キ ー は 「機 能 的 」 と い う表 現 に よ っ て,あ る 中 心 的 事 象(交 易 組 織 ク ラ な ど) とそれ に関 連 す る諸事 象 を数珠 つ な ぎ に記 述 して い く手法 を 表 して い た が,そ れ 以上 に は 体 系 的 に ま と ま っ た 理 論 を 教 示 し な か っ た5)。 か く して ス タ ン ダ ー ドな 人 類 学 史 は,マ リノ フ ス キ ー と ラ ドク リ ブ=ブ ラ ウ ソが た が い に 競 争 しな が ら も,次 世 代 に 対          

す る影 響 では 相 補 的 な 関 係 に あ った と描 く。 次 世 代 の 人類 学 者 は 二 人 の指 導 者 それ ぞ れ の最 良部 分一 マ リノ ブス キ ーか らは 「 参 与 観 察 」 法,ラ ドク リフ=ブ ラ ウ ンか ら          

は構 造 機 能 主 義 理 論一 を摂取 した とい う解 釈 で あ る。この 解 釈 に よっ て,ス タ ン ダー          

ドな人 類 学 史 は さ らに,戦 間期 とそれ に続 く第 二 次世 界 大 戦 後 の時 期 とを,連 続 す る       ;

一 つ の時 期 と して 描 く 。 戦 間期 は第 二 次 大 戦 後 の 社 会人 類 学 の興 隆 を 準 備 した過 渡 期 とい う理 解 であ る。

2.2  戦 間 期 と第 二 次 大 戦 後 の 連 続 性

         

  戦 間期 と第 二 次 大 戦 後 の興 隆 期 との連 続 性 を 示 す 格好 の書 物 が あ る。 戦 間 期 の終 局,

        1

1940年 に 出 版 さ れ た フ ォ ー 引 イ ス お よ び エ ヴ ァ ンズ=プ リチ ャ ー ド編 集 の 論 集 『ア ブ

      i

(10)

清 水   忘 却 の か な た の マ リノ フ ス キ ー

リ カ の 政 治 シ ス テ ム 』(Fortes  and  Evans・Pritchard  l940c)で あ る 。 こ の 論 集 は 国 際 ア フ リカ 研 究 所 の 援 助 で 出 版 され,8人 の 若 い 人 類 学 者 が 各 自 の 実 地 調 査 に も と つ く 論 文 を 寄 稿 した 。 彼 ら の 大 半 は マ リ ノ フ ス キ ー の セ ミナ ー の 出 身 者 で あ り,マ リノ フ ス キ ー が 同 研 究 所 お よ び ロ ッ ク フ ェ ラ ー 財 団 と共 同 で 計 画 し実 施 した 研 究 プ ロ ジ ェ ク トの 参 加 者 だ っ た 。 他 方 で,こ の 論 集 に は ラ ド ク リフ=ブ ラ ウ ン が 緒 言 を 寄 せ,政 治 シ ス テ ム とい う共 通 の テ ー マ に 関 す る 理 論 的 な 枠 組 み を 示 して い る 。 戦 間 期 を 導 い た 二 つ の 相 補 的 要 素,マ リ ノ フ ス キ ー の 「参 与 観 察 」 法 と ラ ドク リ フ=ブ ラ ウ ン の 構 造 機 能 主 義 理 論 が,双 方 と も に よ く作 用 し て い る 。 戦 間 期 の イ ギ リス 人 類 学 を 特 徴 づ け

た 新 し い 流 れ の,よ き 成 果,よ き代 表 と い え よ う。

  長 期 的 な 視 野 で 見 れ ば,こ の 論 集 は,第 二 次 大 戦 後 の イ ギ リス 社 会 人 類 学 の 興 隆 を 予 告 す る 記 念 碑 的 な 書 物 で あ り,戦 後 間 も な く 出 た ラ ド ク リ フ=ブ ラ ウ ン お よ び フ ォ ー ド編 集 の 『ア フ リカ の 親 族 婚 姻 シ ス テ ム』(Radcliffe‑Brown  and Forde  l  950)と 対 を な し て,構 造 機 能 主 義 に も と つ く人 類 学 的 研 究 の モ デ ル を 提 供 し た も の と評 価 さ

れ て い る(Kuper  l983:ch.3)。40年 の 論 集 は 政 治 シ ス テ ム を 扱 い,二 つ の 政 治 類 型, つ ま り 「国 家 な き 社 会 」 の 分 節 リ ニ ー ジ体 系 と 「未 開 国 家 」 の 王 権 と の,そ れ ぞ れ の 構 造,儀 礼,政 治,経 済 を 考 察 し た 。50年 の 論 集 は 親 族 婚 姻 シ ス テ ム を 扱 い,単 系 出 自 の 構 造 的 原 則 と関 連 さ せ て,親 族 集 団,家 族 お よび 婚 姻 を 描 い た 。 こ れ ら は 第 二 次 大 戦 後 に イ ギ リス 人 類 学 が も っ と も 関 心 を 払 い,理 論 的 な 考 察 を 集 中 さ せ る こ と に な る テ ー マ 群 だ っ た 。40年 の 論 集 は 人 の 面 で も 当 時 の イ ギ リ ス 人 類 学 を 代 表 し て お り, 緒 言 を 寄 せ た ラ ド ク リ フ=ブ ラ ウン と二 人 の 編 者 は,オ ッ ク ス フ ォ ー ド大 学 の 人 類 学 科 を 拠 点 と し て,戦 後 の 興 隆 期 を 支 え る組 織 的 中 心 の 役 割 を 果 た した 。 他 の 寄 稿 者 た ち も,戦 後 の 興 隆 期 で 活 躍 した 人 類 学 者 ば か りだ った 。 さ き に,ス タ ン ダ ー ドな 人 類 学 史 は 戦 間 期 を,第 二 次 大 戦 後 の イ ギ リス 人 類 学 の 興 隆 を 準 備 した 過 渡 期 と位 置 づ け て い る と述 べ た 。40年 の 論 集rア フ リ カ の 政 治 シ ス テ ム 』 が,こ の 解 釈 ど お り,戦 間 期 と 戦 後 期 とを 連 続 さ せ る 要 の 位 置 に あ る こ と が 了 解 さ れ よ う。

2.3  断 絶 した 戦 間 期

 戦 間期 と戦 後 の興 隆 期 とを連 続 した一 つ の時 期 と見 る ス タ ンダ ー ドな人 類 学 史 の解

釈 を 見 て き た。 しか しなが ら この連 続 性 は,あ る1冊 の 書 物 を 登 場 させ る こ とに よ っ

て,見 事 に 分 断 され る。 こ こで私 は,『 ア フ リカの政 治 シス テ ム』 に 先 立 っ て1938年

に 出 版 され た 実験 的 な 論集 『ア フ リカに お け る文 化 接 触 の研 究 方 法 』(Mair  1938b)

を,念 頭 に置 い て い る。 この論 集 を40年 の論 集 と対 比 させ て 取 りあ げ る の は,唐 突 に

(11)

      国立民族学博物館研究報告  23巻3号 思 え るか も しれ な い 。 実 際,i私 の知 る限 り,こ の 論 集 を積 極 的 に評 価 した 人 類 学 者 は

         

皆 無 で あ る 。A.ク ー パ ー は}私 が 「ス タ ン ダ ー ドな 人 類 学 史 」 と 見 な す 認 識 を 提 示         1

し た 主 要 な 人 類 学 者 で あ るが、 彼 の 書 物 で は ・ マ リ ノ フ ス キ ー の 章 で 文 化 接 触 研 究 に 1節 を 当 て,38年 の 論 集 に も触れ つ つ,そ れ は 未 完 で 不 毛 に 終 わ っ た 試 み だ っ た と 断 じ て い る(Kuper  1983:31‑4)。 イ ギ リス 系 人 類 学 老 に よ る ア フ リ カ研 究 を 回 顧 し た          

グ デ ィは,そ の 考 察 を マ リノ フ ス キ ー の ア フ リ カ研 究 プ ロ ジ ェ ク トか ら 始 め て い る。

しか し,こ の プ ロ ジ ェ ク トの成 果 を 代 表 す る38年 の論 集 には,ま った く触 れ て い な い       i

(Goody  1995)o

  この よ うに評 価 され る こ とiのない 書 物 で あ るが,38年 の論 集 を 刊 行 当 時 の 時 代状 況 に 置 き戻 して再 考 す る な らば,人 類 学 史 の埋 もれ てい た 一 面 が 明 らか に な る。 しか も, 一 旦 明 るみ に 出 され てみ れば た だ ち に ,こ の 隠 され た 一 面 は,戦 間 期 の イ ギ リス人 類 学 の 展 開 を い う ど る,も っ と も際 だ った 特 徴 で あ る こ とが 判 明 す る。 この 書 物 が,

        i

1930年 代 に マ リノ フス キ ーの!主導 の も とに行 わ れ た,当 時 の イ ギ リス 人類 学 最 大 の プ        i

ロジ ェ ク トの到 達 点 を,直 接 に 証 言 す る もの だか らであ る。 人 類 学 史 で無 視 され る こ との お お い この プ ロジ ェ ク ト1は,それ 単 独 で も十 分 に,戦 間 期 を イ ギ リス人 類 学 の歴

       

史 の上 で独 立 した一 つ の時 代 と して扱 う こ とを 要 請 す る。 この論 集 の再 考 は さ ら に, マ リノ フス キ ー と ラ ドク リフヒ ブ ラ ウ ソの関 係 に つ い て も再 考 を 促 し,同 時 に,こ の 書物 が人 類 学 史で無視 され て きた理由 を も説 明す るだ ろ う。 人 類 学 史 の見 直 し頓 求 す る この論 点 を,詳 し く述 べ て い きた い。 なお,考 察 の 必要 か らか な りお お くの文 章 を 引 用す る こ とに な るが,引 用 文 中 の強 調 は す べ て,引 用 す る私 が つ け た もの で あ る。

 3 現実の表象  軽験主義の真価

      5

3。1戦 問 期 イ ギ リス 天 類 学 の 亀 裂

      【

  1938年 の論 集 『ア フ リカに 油け る文 化 接 触 の 研 究 方 法』 と40年 の論 集 『ア フ リカの 政 治 シ ス テ ム』 は,内 容 で は極 端 に 対 照 的 だ った が,同 時 に お お くの特 徴 を 共 有 して いた 。40年 の 論 集 に ラ ドク リフ=ブ ラ ウンが 緒 言 を寄 せ た の に対 し,38年 の 論 集 に は マ リノ フ スキ ーが序 論 を寄 せ てお り,当 時 の イ ギ リス 人類 学 を代 表 す る二 人 の 指導 者 が,分 担 す る よ うに して,そ れ ぞ れ の 論 集 に 君 臨 して い た。 いず れ も,標 題 が示 す よ うに,ア フ リカ研 究 の論 集 で1らり,国 際 ア フ リカ研 究所 とい う同 じ研 究 所 に 関 係 した

       

出版 物 だ った 。 そ れ ぞれ の執 筆 者 の 半 数 あ ま りが双 方 に重 複 して 寄 稿 した 。 そ して,

(12)

清 水   忘 却 のか なた の マ リノ フス キ ー

この二 冊 の 論 集 の執 筆 者 た ちが 主 要 な担 い手 とな っ て,第 二 次 大 戦 後 に イ ギ リス人 類 学 に 興 隆 を もた ら した。 出版 を 支え た研 究 所 と研 究 地 域 と執 筆 者 の 重 複,そ して歴 史 的 な 位 置 か ら見 れ ば,こ の二 冊 の 論 集 は,イ ギ リス人 類 学 が 戦 間 期 の 約20年 の成 果 と

して 生 み だ した,ほ とん ど双 生 児 とい え る書 物 で あ る。

  しか し双 生 児 とす れ ぽ,こ れ ほ ど異 質 な組 み 合 わ せ も珍 しい。す で に述 べ た よ うに, 40年 の論 集 が第 二 次 大 戦 後 の イ ギ リス人 類 学 の興 隆 を 準 備 す る古典 とな った の に対 し

て,38年 の論 集 は そ の後 ほ とん ど省 み られ る こ とな く終 わ った 。 つ ま り,一 つ の時 代 の 終 了 を 告 げ る書 物 だ った6)0戦 間 期 に イ ギ リス人 類 学 が成 し とげ た 進 展 は,非 常 に ダイ ナ ミッ クで あ り,内 部 に 大 きな 亀裂 を生 み だ してい た の で あ る。 この二 冊 の書 物 は,分 裂 した イ ギ リス人 類 学 の 二 つ の方 向 を代 表 す る もの だ った 。 そ の一 方 が後 世 に 継 承 され,他 方 は 棄 て られ た。 つ ま りイ ギ リス人 類 学 は,戦 間 期 と戦 後 の興 隆 期 と の 狭 間 で,そ の後 の方 向を 決定 づ け る重 大 な選 択 を 行 った の で あ り,二 冊 の論 集 は そ の 決 定 的 な岐 路 を構 成 して い た。

  イ ギ リス人 類 学 の歴 史 に お け る この よ うな位 置 か らす れ ば,棄 て られ た論 集 の 内容 は古 くさ く,後 続 の 時 期 の 先駆 け とな った 書 物 は よ り新 鮮 な はず で あ る。 そ して,そ の とお りで あれ ば,棄 て られ て歴 史 の 中 に埋 もれ た 書 物 を,い まの 時 点 で 改め て掘 り お こす 意 味 は な い。 しか し事 実 は奇 な こ とに,そ して また 印 象 的 な こ とに,今 日の時 点 で読 み 返 せ ば,両 者 の評 価 は ま った く逆 転 す る。 後 者 が 古 色蒼 然 と して い る のに 対

し,前 者 は 驚 くほ ど新 鮮 な の だ。

  第 二 次 世 界 大 戦 後 の 人類 学 の歴 史 は,今 日に い た る まで に,さ らに も う一 回 転 の展 開 を遂 げ て い るの で あ る。 しか しそ れ に して も,半 世 紀 以上 を経 た後 で さ え新 鮮 に 見 え る試 み を 棄 て さ った とは,戦 後 期 の初 め に 当 た って,イ ギ リス人 類 学 は一 体 ど の よ うな質 の選 択 を 行 った の だ ろ うか 。 い ま の時 点 で この 二 冊 の書 物 を振 り返 る と き,改 め て根 本 的 な 問 い を 投 げ か け た くな る。 経 験 主 義 人 類学 者 た ち は,同 時 代 の ア フ リカ を対 象 に しなが ら も,二 冊 の論 集 で実 に 対 照 的 な ア フ リカ像 を描 い た。 半 世 紀 後 の 目 で見 れ ば,一 方 は 古 色 に染 ま り,他 方 は 新 鮮 さを 保 って い る,そ の対 照 の あ りさ まを 見 て お こ う。

3.2構 造 機 能 主 義 老 の見 た ア フ リカ政 治 シ ス テ ム

  そ の 後 の 人類 学 の歴 史 を導 い た1940年 の論 集 『ア フ リカ の政 治 シス テ ム』の方 か ら,

さ きに 見 て お こ う。 理 論 的 な表 明 を か な りお お く引 用 す るが,そ れ は この 本 の緒 言 や

序 論 が理 論 的枠 組 み に強 調 を 置 い て い るか らで あ り,ま た,二 つ の 書物 の コ ン トラス

(13)

国立民族学博物館研究報告  23巻3号 トを構 成 す る要 点 だ か らで もあ る。

  本 書 は 一 つ の 共 同 研 究 の実 験 で あ り,ア フ リカ社 会 学7)の 主 要 な諸 問題 の一 つ に 焦 点 を 当 て た試 み で あ る。 ア フ リカの 政 治 組 織 と い う主 題 につ い て は お お くの独 断 的 な 意 見 が あ り,そ う した意 見 が 行 政 の 実 務 で 利 用 され て さ え い る。 しか し,い ま だ か つ て,ア フ リカ 社 会 の この側 面 に つ い て,広 い 比 較[研 究]の 基 礎 の上 にた っ て精 査 した者 は い な い 。 こ の 書 物 は,望 む ら くは,そ の よ うな 探 求 の 必 要 性 を示 す だ ろ う… …。 本 書 が 照 明 を 当 て た 諸 問 題 の お お くは,さ らに 一 層 の 調 査 に よ っ て のみ 解 決 が 可 能 で あ る。 しか し,こ の よ う

な調 査 の機 会 は急 速 に な くな りつ つ あ り,い ます ぐに把 握 しなけ れ ぽ,永 遠 に失 わ れ て し ま うか も しれ な い の で あ る。(Fortes and Evans‑Pritchard  l940a:vii)

  ・ ・ 何 人 か の執 筆 者 は,彼 らが調 査 した 政 治 シ ス テ ム の変 化,つ ま り ヨー ロ ッパ 人 に よ る 征 服 と支 配 の 結 果 と して生 起 した変 化 を記 述 して い る。[し か し]仮 にわ れ わ れ が … … この 変 化 の側 面 を強 調 しな い とす れ ぽ,そ れ は,執 筆 者 の全 員 が 行 政 的 な問 題 よ りも人 類学 的 な 問 題 の方 に よ りお お くの 関 心 を 惹 きつ け られ て い るか らで あ る。 しか しな が らわ れ わ れ は,人 類 学 が 現 実 的 な 諸 問題 に無 関 心 であ る とい い た い の で は な い。 『間 接 統 治 』 の 政 策 は い まや イ ギ リス領 ア フ リカで 広 く受 け 入 れ られ て い る。 思 うに,仮 に本 書 で扱 う よ うな ア フ リカの 諸 政 治 シス テ ム に つ い て,[人 類 学 が]そ の[構 成]原 則 を解 明 した と して,長 期 的 な 視 野 で見 れ ぽ,そ して そ の場 合 に の み,そ の[人 類 学 的]理 解 が 有 益 で あ る と判 明 す

るだ ろ う。(Fortes and Evans‑Pritchard  l  940b:1)

… … 本 書 で記 述 され る諸 政 治 シス テ ムは 二 つ の 主 要 な カ テ ゴ リーに 区分 され る … … 。 一 方 の グ ル ー プ に は … …集 中化 され た権 威,行 政 機 構 お よび 司 法 制 度 を もつ 社 会,つ ま り政 府 を もつ 社 会 か ら な る。 も う一 方 の グル ー プは … … 政 府 が な く,位 階 や 地 位,富 の鋭 い 区分 が な い よ うな社 会 か らな る。 … … 国家 とは政 府 諸 制 度 の 存 在 に よ って 定 義 す べ き だ と考 え る人 は,最 初 の グ ル ー プを未 開 国 家 と見 な す だ ろ う し,第 二 の グル ー プを 国 家 な き社 会 と 見 な す だ ろ う。(Fortes and Evans‑Pritchard  1940b:5)

  編 者 た ち か ら の 引 用 文 は,こ の 論 集 の テ ー マ と,そ れ を 位 置 づ け る 状 況 的 条 件 と の 双 方 に つ い て,述 べ て い る 。 論 集 の テ ー マ は,「 未 開 国 家 」 と 「国 家 な き 社 会 」 の 二 類 型 に 整 理 さ れ る 「ア フ リカ の 」 政 治 シ ス テ ム で あ り,そ れ ぞ れ の 個 別 事 例 を 実 地 調 査 に よ る 資 料 に も と つ い て 記 述 分 析 す る 。 こ こ で い う 「ア フ リカ の 」 は,編 者 た ち の 了 解 で は,ヨ ー ロ ッパ 人 に よ る 支 配 の 影 響 を 被 っ て い な い 「ア フ リ カ 本 来 の 」 と い う 意 味 で あ る。 こ の 「ア フ リカ 本 来 の 」 政 治 組 織 を,彼 らは 均 衡 シ ス テ ム と し て 把 握 す

る 。 ラ ド ク リ フ= ブ ラ ウ ン の 緒 言 は,法 と 制 裁,道 徳 的 強 制,超 自 然 的 制 裁 な ど,政

治 的 秩 序 の 均 衡 を 維 持 す る メ カ ニ ズ ム に つ い て 述 べ,フ ォ ー テ ィ ス と エ ヴ ァ ン ズ=プ

リチ ャ ー ドに よ る序 論 も,政 治 シ ス テ ム の 二 つ の タ イ プ を 比 較 しな が ら,親 族 組 織

人 口 規 模,生 業 形 態,諸 種 の 力 の バ ラ ン ス,ヨ ー ロ ッパ 人 支 配 に 対 す る反 応,神 秘 的

価 値 そ の 他 の 項 目 に わ た っ て 概 説 す る 。

(14)

清 水   忘 却 の か な た の マ リノ フ ス キ ー

  他方,こ う した 研 究 を と りま く状 況 的 条 件 と して,編 者 た ち は植 民 地 統 治 と社会 変 化 に言 及 して い る。 しか し,そ れ は研 究 テ ー マ と して で は な く,む しろ考 察 か ら除 外 す る対 象 と して で あ り,除 外 の理 由 に簡 潔 に 触 れ て い る。 編 者 た ちは 行 政 的 な 問題 と 人 類 学 的 な問 題 を 対 置 させ,後 者 の選 択 を 表 明す る。 彼 らの認 識 で は,前 者 に か か わ る植 民 地 統 治 は 後 者 の 研 究 に と って危 機 的 な状 況 を 作 りだ して い る。 植 民 地 支 配 に よ る社 会 変 化 に よ って 「調査 の機 会 は急 速 に な くな りつ つ」 あ るか らだ。 つ ま り,彼 ら は この時 点 で な お サ ル ベ ー ジ人類 学 の基 本 的 な前 提 を表 明 して い る。 また,人 類学 的 問 題 の追 求 が 長 期 的 視 野 で は行 政 的 問 題 へ の貢 献 に つ な が る と も述 べ る。 この よ うな テ ー マ選 択 と研 究 姿 勢 は,次 に述 べ る マ リノ フ スキ ーの提 唱 を念 頭 に置 いた 発 言 で あ

り,そ れ に 対 す る反 論 の表 明 で もあ った 。

3.3  1930年 代 ア フ リ カ の 文 化 変 化

  他 方,38年 の論 集rア フ リカ に おけ る文 化 接 触 の研 究 方 法 』 が課 題 と した 現 象 は, 次 の引 用 文 が 簡 明 に 要 約 して い る。

  こ こで の議 論 を 具 体 的 な もの に す るた め に,今 日の ア フ リカ が どの よ うな姿 で あ るか を 一 瞥 して お こ う 。 帝 国 航空 の 内 陸 ル ー ト便 に 乗 った 客 は,ほ と ん ど文 字 どお り鳥瞼 図 を 見 る よ うに[ア フ リカ の]文 化 的 状 況 を 目 の当 た りに で き よ う。 … …乗 機 は ナ イ ル 川 の 緑 の 帯 を 大 陸 の 心 臓部 に 向 か って遡 り,や が て ナイ ル 上 流 の大 湿地 帯 の上 空 に達 した と ころ で, 乗 客 は 黒 ア フ リカの 最初 の 印象 を刻 む 。古 来 の パ タ ー ソに 従 って作 られ た 円形 の 村 々。ヨ ー ロ ッパ 風 の建 築 は一 つ た りと もな い 。 土 地 の 人 々は 古 来 の服 装 で,… … 囲 い の 中 の牛 の 間 を 行 き来 して い る。 一 つ一 つ の 村 は,ほ とん ど近 寄 りが た い よ うにみ え る 湿地 に 囲 い 込 ま れ て い る。 目に入 る ものす べ て が この よ うに して,古 い 手 つ か ず の ア フ リ カの 印 象,少 な

くと も表 面 上 は そ の よ うな 印 象 を与 え る。 ・ ・ …

  乗 機 が …… バ ン ツー人 の領 域 に 入 る と,こ こは も う変 容 した ア フ リカ で あ る。 … … ガ ン ダ人 の 地 域 で は,家 々は新 し く方 形 で,ヨ ー ロ ッパ 形 式 で建 て て あ る。 … …道 路 と教 会, 自動 車 と トラ ッ クが,こ こは変 化 の ただ 中に あ る世 界 で あ る こ とを告 げ て い る。 そ こで は,

[ア フ リカ と ヨー ロ ッパ の]二 種 の 要 因 が と もに 作 用 して,新 しい タ イ プ の文 化,つ ま り ヨー ロ ッパ とア フ リカの 双 方 と関 係 の あ る,し か しそ の いず れ の コ ピー で もな い タ イ プの 文 化 を,作 りだ して い る。 機 が キ ムス に 着 陸 す れ ぽ,こ こは,こ の地 域 の金 鉱 経 済 に席 巻 され て い る小 さ な 町 で あ る。 あ る箇所 は ほ とん ど ヨ ー ロ ッパ そ の も の で あ り,い くつ か の 街 路 は イ ン ドを 思 わ せ る。 しか し,町 が 近 隣 の ア フ リカ人 諸 部 族,在 留 ヨー ロ ッパ人,そ

して …… イ ン ド人 移 民 に規 定 され て い る とは い え,町 の 全 体 は そ れ 自体 の存 在 形 態 を もつ

合 成 的産 物 で あ る。 町 は重 要 な 金 の 輸 出 貿 易 セン タ ーで あ り,[そ れ を 理 解 す る に は]ア フ

リカの 労 働 者 と天 然 資 源 の み な らず,世 界 市 場,海 外 の 産 業 セ ンタ ーお よび 金 融 組 織 と の

関 係 を 視野 に 入れ た社 会 学 者 が,研 究 す る必 要 が あ る。

(15)

国立民族学博物館研究報告  23巻3号

  ナ イ ロ ビ[に 移 れ ぽ],… … こ こ は ヨ ー ロ ッパ 人 の 巨 大 な 行 政 官 庁,銀 行,教 会,商 店 に 支 配 さ れ て い る 。 白 人 の 住 民 は … … 表 面 を 見 た 限 り は ほ と ん ど ア フ リ カ に 影 響 さ れ て い な い 世 界 に 生 き て い る 。 し か し 事 実 は,こ の 世 界 は ア フ リ カ の 基 礎 の 上 に な り立 っ て い る 。   ・ ・ 東 ア フ リ カ の ヨ ー ロ ッパ 風 文 化 は,総 じて ヨ ー ロ ッパ か ら 輸 入 さ れ た も の で あ る が, ア フ リ カ の 自 然 環 境 へ の 適 応 を 経 た も の で あ り,ア フ リ カ の 人 的 環 境 の 上 に 依 存 し続 け て い る 。

  わ れ わ れ は[ア フ リ カ を]航 空 ル ー ト,鉄 道,自 動 車 道 の どれ に そ っ て[移 動 し て]も, こ の 三 領 域 区 分 に 出 会 う。 古 い ア フ リ カ,移 入 さ れ た ヨ ー ロ ッパ,そ し て 「新 し い 合 成 文 化 」 の 三 領 域 で あ る 。(Malinowski  1938:vii‑viii)

マ リノ フス キ ーは こ の序 論 で,こ の三 領 域 に わ た る文 化 的 状 況 を作 りだ して い る要 因 と して,ヨ ー ロ ッパ と ア フ リカ との 「 文 化 接 触 」 とい う概 念 を提 示 し,こ の 文 化接 触 を とお して急 速 に 変 化 して い る文 化 的 状 況 の全 体 を 「文 化変 化」 と呼 んだ 。

3.4  同 時 に 描 い た 二 つ の ア フ リカ 像

  研 究 成 果 の評 価 が 時 と と もに変 化 して い くの は,歴 史 の必 然 で あ り,そ の 大半 は研 究 者 に と って コ ン トロール しえ な い外 的 な要 因 に よ って い る。 研 究 者 と して は この よ

うな評 価 の変 転 を 受 け 入 れ ね ば な らな い。 しか し,み ず か ら描 きだ した 内 容 は,み ず か らの コ ン トロール の 範 囲 内 で あ り,第 三 者 は 何 故 を 問 うて も よいだ ろ う。二 冊 の論 集 の執 筆 者 た ちは,同 じ対 象 つ ま り1930年 代 の ア フ リカを 見 て い た。 そ れ に もか かわ らず,彼 らが 描 きだ した ア フ リカ像 は,あ ま りに も対 照 的 だ った。 一 方 は,外 来 の影 響 は な いか の ご と くに,シ ス テ ム と して の 自立 性 を 堅 持 して い る,静 的 か つ純 粋 な ア フ リカ で あ り,他 方 は,植 民 地 支 配 の影 響 に 席 巻 され,変 化 と多 様 化 の動 態 の た だ 中 に あ るア フ リカで あ る。

  しぼ しぼ,同 一 の 対 象 で あ っ て も,複 数 の 観 察 者 は それ ぞれ が 異 な った 認識 像 を描

く といわ れ る。 認 識 の 客 観性 や科 学 的 正 確 さを 疑 う論 者 が,好 ん で指 摘 す る論 点 で あ

る。 しか し,こ こで 問 題 と して取 りあげ て い る対 照 的 な認 識 像 は,同 一 の 対 象 を異 な

る人 物 が 描 いた とい うば か りで は なか った 。4人 の 人 類学 者 が双 方 の論 集 に 寄稿 して

い た。 そ の 中の 一 人,Lシ ャペ ラ のみ は,一 貫 した 社 会 史研 究 の態 度 を維 持 した。38

年 の論 集 では,植 民 地 支 配 の初 めか ら現 状 に い た る まで の文 化 変 化 を,歴 史 資料 を参

照 して跡 づ け る とい う,き わ め て健 全 な社 会 史 研 究 の 方 法 を示 し,40年 の論 集 で は,

植 民 地 統 治 下 の べ チ ュアナ ラ ン ドの社 会 を,そ れ も30年 代 当 時 の具 体 的 な 状態 を,植

民 地 統 治 史 に言 及 しつ つ記 述 した(Schapera  1938;1940)。 しか し,残 る三 人 の寄 稿

者 は,そ れ ぞれ 同 一 の 社 会 を対 象 に しなが ら も,二 冊 の論 集 で きわ め て 異 質 な社 会 像

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清 水   忘 却 の か な た の マ リノ フ ス キ ー

を提 示 して いた 。

  た とえ ぽM.フ ォー テ ィス。40年 の 論 集 で 彼 は 「タ レ ンシ の領 域 で は[文 化]接 触 の 活動 的 な 実 施 者 は 植 民 地 行 政 府 の み 」 で あ る と注記 しつ つ,「 原住 民 社 会 シ ス テ ム の 基礎 は手 つ かず め ま ま残 され て い る」(Fortes 1940:240)と 述 べ る。 植 民 地 統 治 は そ の事 実 に言 及 す るの に と どめ,も っぱ ら,植 民 地 統 治 に 組 み 込 まれ る 以前 の タ レ ン シ社 会 を記 述 してい く。 そ れ は典 型 的 な 「 国 家 な き社 会 」 で あ り,論 文 は,父 系 出 自 の分 枝 す る系 譜 関 係 に そ って 集 団 が入 れ 子 型 に組 み 上 げ られ て い く分 節 リニー ジ シ ス テ ムの構 造 を述 べ,戦 争 や儀 礼,経 済 活 動 な どを とお して 顕 在 化 す る分 裂 と結 合 の メ カ ニズ ム,首 長 の権 威 と役 割 な どを描 い て い る(Fortes  l940)。 こ の論 集 か ら受 け る フ ォー テ ィス の 印象 は,彼 の そ の後 の活 躍 を追 った 者 に は 親 しい フ ォーテ ィス像,つ ま り典 型 的 な 「 国 家 な き社 会 」 タ レン シを扱 っ た,卓 越 した 構 造 機 能 主 義人 類 学 者 そ の もの で あ る。

  しか し38年 の論 文 は,こ の フ ォ ーテ ィス像 とあ い いれ な い 姿 を あ らわ にす る。 彼 が 調 査 した ゴー ル ド ・コー ス トの よ うに,西 欧 との接 触 が5世 紀 に もお よぶ地 域 で は, 西 欧 との接 触 以 前 の現 地 人 社 会 を復 元 す る こ とは不 可 能 で あ る こ とを 力 説 し,植 民 地 で進 行 中 の文 化 接 触 の現 状 を 「 機 能 的方 法 」 で把 握 す る こ とが 必 要 だ と説 く。 そ の上

      コ   ユ  ニ ア イ

で,タ レ ンシ人 の 地域 社 会 で進 行 中 の変 化 を,二 つ の位 相 に絞 って 描 写 す る。一 つ は, 変 化 を もた らす 要 因 とな って い る外来 要 素 で,し か も コ ミュニ テ ィの 統 合 的部 分 と し て 機 能 して い る よ うな要 素 で あ り,具 体 的 に は植 民 地 行 政 官(地 区 弁 務 官),診 療 所, 宣 教 師 を 取 りあげ て い る。 た とえ ば地 区弁 務 官 に つ い て,「 タ レ ソシ人 の政 治的 お よ び 法 的 行動 は,平 民 も首 長 も,彼 ら 自身 の伝 統 と同 じ程 度 に,地 区 弁 務 官 の つ ね に感

じられ る存 在観 に よ って,条 件 づ け られ て い る」 と述 べ る。 この 認識 か らす れ ば,「 原 住 民 社 会 シス テ ム の基 礎 は 手 つ か ず の ま ま残 され て い る」 は ず は なか った 。

  二 つ 目の 位 相 と して,貨 幣 経 済 の 浸 透 に 伴 う労働 移 民 の現 状 を述 べ,そ の 影 響 を考 察 す る。 著 者 の推 計 で は,コ ミュニ テ ィの 成 人 男子 の 内,遠 隔 地 に 出稼 ぎに 出 て い る 者 の 割 合 は 常 時15パ ー セ ソ トに 達 して い た。 論 文 で は さ らに,男 た ちを 労 働 移 民 に駆 り立 て る経 済 的 背景,移 民 の形 態,移 民 を 送 り出 す地 域 社 会 へ の影 響,帰 還 後 の 生 活 な どを 考 察 して い る(Fortes  1938)。

  率 直 に 述 べ れ ぽ,こ の38年 の論 文 に 初 め て 目を 通 した と き,私 は,フ ォーテ ィス が 植 民 地 統 治 に よる変 化 を テ ー マ と して い る こ とに,新 鮮 さを覚 え,さ らに 彼 が 労働 移 民 に論 及 し,こ の現 象 を 多 方 面 か ら記 述 分 析 す る の を 見 出 して,こ れ が あ の フ ォ ー

テ ィス の論 文 か と,驚 き と疑 い を 禁 じえ な か った 。 私 の記 憶 で は,「 労働(出 稼 ぎ)

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国立民族学博物館研 究報告  23巻3号 移 民」 とい う言 葉 と現 象 が 人 類学 者 の視 野 に 入 って きた の は,1980年 代 で あ り,日 本 で人 類 学 者 の調 査 テ ー マ とな った の は,90年 代 に 入 ってか らの こ とで あ る。 構 造 機能 主義 者 と して の フ ォー テ ィス 像 に慣 れ た者 に は,同 じフ ォ ーテ ィスが こ の労 働 移 民 を 1930年 代 にす でに 調 査 して い た とは,ま った く予 想 外 の こ とだ った 。

  フ ォ ーテ ィス の38年 の 論文 と40年 の論 文 の コ ン トラス トは,調 査 者,調 査 地,調 査 期 間,調 査 資 料,分 析 方 法  考 察 対 象 の社 会,そ して著 者 のす べ てが,同 一 で あ る と

は 思 え な い ほ どに大 きい 。 一 方 は,西 欧 と の接 触 以 前 の社 会 を復 元 す る こ とは 不 可 能 との認 識 に立 ち,他 方 の 論文 は,現 地 人 社 会 は 基 本 的 に変 化 して いな い とい う,矛 盾 した前 提 に立 って い る。 同 じ社会 を観 察 した 同 一 の 資料 か ら,い か に して この よ うに 対 照 的 な認 識 が 導 き出 され た の か,第 三 者 と して 問 うて も よいだ ろ う。

  同 じ コ メ ソ トは リチ ャーズ に も当 て は ま る。 彼 女 が調 査 した ベ ンバ 人 は,植 民 地統 治 が お よん でか ら僅 か30年 余 りしか た って い な い。 それ に もか か わ らず,社 会 変 化 が 劇 的 に進 行 してお り,男 性 の40か ら60パ ー セ ソ トに も達 す る人 々が,労 働 移 民 と して 鉱 山 に 働 きに 出 て い て 不 在 だ った 。 首 長 層 か ら の統 治権 力 の 剥 奪,「 戦 争 と奴 隷 制 の 禁 止,キ リス ト教 と教 育 の導 入,貨 幣 使 用 の強 要,[植 民 地]政 府 に よる[人 頭 税 な どの]課 税 とい った 変 化 に 加 え て,人 類 学 者 は,… …成 人 男 性 人 口の 不 在 に よ って根 底 を揺 る が され て い る部 族 シス テ ム を研 究 しな け れ ぽ な らな い」(Richards 1938:49)。

別 の論 文 で も,急 速 な変 化 に 翻 弄 され るベ ンバ社 会 を描 い て い た(Richards  1932)。

に もか かわ らず,40年 の 論 集 で彼 女 が 描 いた の は,西 欧 的 要 素 の ま った くな い ベ ンバ 王 国 の構 造 だ った 。 も っ と も リチ ャー ズは,論 文 の最 後 の一 節 を 植 民 地 統 治 に 当 て,

イ ギ リス南 ア フ リカ会 社 の 支配 下 に入 って 以 来 の変 化 に言 及 す る。 旧首 長 層 が 権 威 を 失 い,キ リス ト教 宣 教 師 と植 民 地 統 治 者 が,従 前 の首 長 層 の権 威 を 受 け 継 ぐもの と し て,住 民 に受 け い られ た 様 相 の記 述 な どは,興 味 深 い もの で あ る。 また,1929年 に 間 接 統 治が 導 入 され,旧 首 長層 が,細 か く明 文 化 され た規 定 の も とに,権 威 を 復 活 し, 植 民 地 行 政 組 織 の中 に 取 り込 まれ た過 程 に も言 及 す る(Richards  1940)。

  リチ ャー ズは 植 民 地 の文 化 変 化 の状 況 に 焦 点 を絞 った38年 の論 集 で も,西 欧 との文

化 接 触 に よる文 化 変 化 の 程度 と内容 を知 るた め に は,仮 設 的 で あれ 「 接 触 以 前 」 の状

態 を再 構 成 す る こ とが 必 要 で あ る と強 調 して い た(Richards  1938)。 この立 場 か らす

れ ぽ,40年 の 論 文 で は,「 接触 以 前 」 の ベ ンバ 社 会 を 復 元 した 姿 を述 べ,植 民 地 統 治

に よる変 化 も考 察 した とい う こ とな のだ ろ う。 リチ ャー ズは マ リノ フス キ ーの 弟 子 の

中 で は例 外 的 に,文 化 変 化 の テ ー マを 追 求 し続 げ た人 で あ るが,同 時 に 「接 触 以前 」

を扱 った研 究 も並 行 して 行 った。38年 と40年 の二 つ の論 文 は,そ の 意 味 で,彼 女 の二

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清 水   忘 却 の か な た の マ リ ノフ ス キ ー

つ の研 究 志 向 に対 応 す る も ので あ る。 リチ ャー ズ の思 考 の 中 で は,ベ ソバ 社 会 の 二 つ の 像 は歴 史 的 な前 後 関 係 に 置 か れ るの だ ろ う。 しか しそ れ に して も,彼 女 は,み ず か ら行 った調 査 で得 た 同一 の 資 料 か ら,自 足 して安 定 した べ ソバ王 国 と,変 化 に翻 弄 さ れ るベン バ社 会 とを,描 き分 け る こ とが で きた。 フ ォー テ ィスの場 合 と同様 に,な ぜ い か に と問 うの に値 し よ う。

3.5歴 史 的 評 価 の変 転

  二 冊 の論 集 が観 察 した事 象 の違 いは 明 瞭 だ ろ う。 同 じ よ うに ア フ リカの 現 実 に つ い て鳥 鰍 的 な 見 通 しを与 え る こ とを 意 図 しな が ら も,40年 の論 集 『ア フ リカの 政 治 シス テ ム』 は,マ リノ フス キ ーが 区 別 した 三 領 域 の 内 で も,「 古 い ア フ リカ」 のみ に視 野 を限 って お り,そ の 中 で もさ らに,ヨ ー ロ ッパ との文 化 接 触 に よる影 響 や 文 化 変 化 の 様 相 を 除 外 した 視 野 で,ア フ リカ社 会 を 見 て い た。 サ ル ベ ー ジ人 類 学 の 研 究 ス タイ ル で あ る8㌔ 逆 に い えば,こ の書 物 の執 筆 者 た ち は,こ の よ うに 視 野 を二 重 に狭 く限 定 す る こ とに よ って,ア フ リカの諸 民 族 の政 治 形 態 を,統 合 され た姿 で把 握 し,そ の 統 合 の様 相 を 彼 らの 概 念 で 「 構 造 」 と 「 機 能 」 の 均 衡 シス テ ム と理 論 化 す る こ とが で き た。 この よ うな利 点 を 得 るた め の代 価 が二 重 の 視 野 の 限 定 だ った。

  さ きに,第 二 次 世 界 大 戦 後 の 人類 学 の歴 史 は さ らに 一 回 転 の展 開 を遂 げ て お り,戦 間期 の終 わ りの 時 点 で歴 史 的岐 路 を構 成 した 二 冊 の 書 物 は,お よそ半 世 紀 を経 た 現 在 に 改 め て読 み 返 す な らば,評 価 が逆 転 す る と述 べ た 。 実 際,40年 の論 集 は,あ の二 重 の視 野 の限 定 が あ ま りに も大 きな代 価 で あ りす ぎた と,そ の歴 史 的 コ ソテ クス トの無 視 が批 判 され て い る。 主 要 な テ ーマ だ った分 節 リニ ー ジ シス テ ムや 「未 開」 王 権 は, 現在 の人 類 学 で は議 論 の場 を 見 つ け る こ とさ え難 しい 。 そ れ は,こ の論 集 と対 を なす 論 集 『ア フ リカ の親 族 婚 姻 シス テ ム』 の テ ー マ であ る,単 系 出 自集 団 や 母系 家 族 につ い て も同 じで あ る。 ラ ドク リフ=ブ ラ ウ ン,フ ォー テ ィス,エ ヴ ァンズ=プ リチ ャー ドらが 作 り上 げ た 「 社 会 の 自然 科 学 」,つ ま り構 造 機 能 的 な社 会 理 論 は,主 要 なパ ラ ダ イ ムの一 つ と して人 類 学 研 究 を 導 き,パ ラ ダイ ム と して の可 能 性 を十 分 に尽 く して, 1970年 代 に は役 割 を終 えた 。40年 の 論 集 が 今 日,古 色 蒼 然 と して 見 え るの は,歴 史 の 流 れ と して不 思議 で は な い。

  そ の 後 の 人類 学 は この遺 産 の 上 に さ らに さ きへ と前 進 した 。 人 類 学 が 今 日関心 を寄

せ て い るの は,現 代 で あれ 過 去 で あ れ,歴 史的 時 間 の 中 で変 化 しつ つ あ る文 化 の諸 相

で あ る。38年 の論 集 『ア フ リカに お け る文 化接 触 の研 究 方 法 』 が 今 日な お新 鮮 に見 え

る のは,こ の論 集 が30年 代 の ア フ リカに 見 出 した文 化 的 現 象 が,現 在 の 人 類学 が捉 え

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国立民族学博物館研究報告  23巻3号 よ うとす る現 象 と,よ く似 て い るか らで あ る。 この論 集 は,今 日か ら振 り返 れ ぽ,時 代 を 先 取 りす る革 新 的 な要 素 に 満 ちて い た と評 価 す る こ とが で きる。 論 集 で は,執 筆 者 に よ って 重 点 に差 が あ る もの の,い ず れ もマ リノ フ スキ ーが 区別 した 三 領 域 の す べ て に 関心 を払 って お り,「古 い ア フ リカ」 に 言 及 す る場 合 で も,「 古 来 の 」 表 面 の も と で 進 行 して い た文 化 変 化 を捉 え て い た 。 さ らに,論 集 の 指導 者 だ った マ リノ フス キ ー は,当 時 の ア フ リカ の文 化 的 状 況 を,「 新 しい合 成 文 化 」 に焦 点 を絞 っ て捉 え よ う と した。 か く して この論 集 は,植 民 地 行政 府 に よ る西 欧近 代 的 な行 政,司 法,教 育制 度 の移 植,部 族 間 戦 争 や 首 狩 り,妖 術信 仰 な どの 習 俗 の禁 止,キ リス ト教 宣教 師 に よる 布 教,西 欧 資 本 に よ る鉱 山 や プ ラン テ ー シ ョ ンの 経 済,大 量 の労 働 移 民,彼 らの雇 用 条 件,こ れ らに よ って 「脱部 族 化 」 した都 市 住 民,そ れ に もか か わ らず都 市 で増 え て さえ い る妖 術 信 仰,キ リス ト教 徒 の行 う民 俗 的 儀 礼,新 た に生 じた 民俗 的儀 礼,ヨ ハ ネ ス ブル クの ア フ リカ人 ス ラム文 化,人 種 差別 政 策,ア フ リカ人 の 白人憎 悪,バ ソツ ー ナ シ ョナ リズ ムな ど,多 岐 にわ た る 同時 代 の 現 象 に言 及 して い た 。 これ らは,現 代 の 人 類 学 者 が 現 代 の現 象 と して追 跡 して も,十 分 に魅 力的 で あ り うるテ ー マ群 であ る。

  現 代 の 人 類 学 は,ど の よ うな文 化 現 象 で あれ,つ ね に 複 眼 的 な 視野 で接 近 す る。 そ れ は,直 接 の研 究 対 象 に対 す る局 地 的 な視 野 と,世 界 大 に 現 象 の広 が りを 追 跡 す る巨 視 的 な 視 野 とで あ る。 局 地 的 な現 象 は,政 治,経 済,情 報 の ダイ ナ ミズ ムが 世 界 大 の 規 模 で速 や か に浸 透 す る グ ローバ リゼ イ シ ョンの影 響 か ら,無 関係 では あ りえ ず,局 地 的 な 現 象 もま た,条 件 を 与 え られ れ ぽ,容 易 に 他 地 域 に影 響 を波 及 させ る。 この現 代人 類 学 の複 眼 的 な視 野 は,そ れ ぞれ の要 素 を 歴 史 的 時 間 に即 して置 き換 え れ ば,マ

リノ フス キ ーた ちが1930年 代 当 時 の ア フ リカ の文 化 的 状 況 を 「 文 化 接 触 」 の 概 念 で捉 え よ う と した 視 野 と,ほ ぼ重 な る こ とが 分 か る。

  文 化 接 触 は ヨー ロ ッパ 的要 因 とア フ リカの 局 地 的 な要 因が 相 互 作 用 す る ダイ ナ ミッ

クな現 象 を 意 味 して い た。 巨視 的 に見 れ ば,30年 代 に観 察 され た 植 民 地 支 配 と,そ れ

を介 した ヨー ロ ッパ 的要 素(法,教 育,宗 教,資 本 と経 済 シ ス テ ム,生 活様 式 な ど)

の浸 透 とは,当 時 の歴 史的 位 相 で の グ ロ ーバ リゼ イ シ ョ ンに ほ か な らない 。この グ ロー

バ ル な状 況 は,38年 の論 集 が 対 象 に した1930年 代 に は,イ ギ リスの 植 民地 統 治 を 間接

統 治 政 策 に転 換 させ て お り,植 民 地 の 文 化 的状 況 に大 きな 刻 印 を 残 して い た。 間 接 統

治 は 植 民 地 住 民 の社 会 的 政 治 的 条 件 を 統 治政 策 の 中 に取 り込 も うとす る。 この政 策 転

換 は,お お かれ 少 なか れ,植 民 地 現 地 人(そ の社 会,慣 習,制 度,価 値 観)に 対 す る

評 価 の転 換 を伴 って い た。 「 異 文 化 理 解 」 に 関 して人 類 学 が用 意 して きた概 念 で い え

ば,西 欧 近 代 の 自民 族 中 心 主 義 的 な 普遍 主 義(具 体 的 に は進 化 主義)か ら文 化 相対 主

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