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自己とのつながりが提示され、自己変容が促されていく。

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(1)

中学校数学科における絵本づくりの実践 −数学教 育における自己の意味生成と語り−

著者 竹村 景生

雑誌名 教育実践総合センター研究紀要

11

ページ 53‑61

発行年 2002‑03‑31

その他のタイトル A Practical Study of making a picture book in Junior high‑school Mathematical Study

URL http://hdl.handle.net/10105/4080

(2)

一数学教育における自己の意味生成と語り −

竹 村 景 生

(附属中学校・数学科)

A PracticalStudyofmakingapicturebookinJuniorhigh−SChooIMathematicalStudy

KagekiTAKEMURA

(JuniorhighschoolattachedtoNaraUniversityofEducation)

要旨:新教育課程の教科の目標に、数学的活動が新たに加わった。しかし、この数学的活動の範疇では捉えきれない ほどに、子どもたちの数学離れが進行している。数学絵本づくりは、技能習得や認知の形成に傾きがちな教室での数 学の学びに対して、自己の意味生成の回路を形成する数学を位置づける。そこにノンセンス体験がひらく数学世界と

自己とのつながりが提示され、自己変容が促されていく。

キー・ワード:数学教育mathematicaleducation、数学的活動mathematicalactivities、絵本picturebook、自己 の意味生成generativemeaningofself、ノンセンスnonsense

1.数学科における絵本づくりの位置づけ 1.1.中学校数学科改訂の趣旨から

2002年度からの教育課程の基準のねらいとともに、

数学科の改善事項が次のように示された。

(ア)小学校、中学校及び高等学校を通じ、数量や図 形についての基礎的・基本的な知識・技能を習得 し、それを基にして多面的にものを見る力や論理 的に考える力など創造性の基礎を培うとともに、

事象を数理的に考察し、処理することのよさを知 り、自ら進んでそれらを活用しようとする態度を 一層育てるようにする。

(イ)そのために、実生活における様々な事象との関 連を考慮しっっ、ゆとりをもって自ら課題を見つ け、主体的に問題を解決する活動を通して、学ぶ ことの楽しさや充実感を味わいながら学習を進め ることができるようにすることを重視して、内容 の改善を図る。

これを受けた学習指導要領の数学科の目標として、

「数量、図形などに関する基礎的な概念や原理・法則 の理解を深め、数学的な表現や処理の仕方を習得し、

事象を数理的に考察する能力を高めるとともに、数学 的活動の楽しさ、数学的な見方や考え方のよさを知り、

それらを進んで活用する態度を育てる。」(太字は著者)

と、数学的活動が強調された。

1.2.数学的活動

それでは、数学的活動とは何なのだろうか。根本は、

「中学校新教育課程の解説 数学」の中で、数学的活 動について、「自分の行為を振り返り問題の本質を探 り考え続ける」活動を目指し、「内的な思考活動が活 発に行える必要性がある」として、「観察する、操作 をする、実験してみるなど異体的な活動によって、何 か(真理や普遍性)が見えてくるような活動」である と述べている。そして、その「『数学的』活動を個の 中にいかに実現するか。」が課題であるとしている。

根本は「プロセスにみられる、工夫、驚き、感動を味 わい、数学を学ぶことのおもしろさ、考えることの楽 しさを味わえるようにすることが大切である。……数 学を見つけ、つくり、発展させるプロセスで感動を伴 うような授業の展開を工夫することが大切である。と きには骨のある問題に取り組むことを励まして、問題 を解決できたことに喜びを覚えさせる機会をっくるこ とも望まれる。そのためには、教師が数学を伝えると いう立場ではなく、生徒とともに数学をっくりあげて いくのだという気持ちが必要である。」(根本5.P133)

と、私たちへの数学的活動への姿勢を提案している。

その「ともにつくりあげていく」プロセスに、「事象

の数理的な考察においては、帰納的な考え方、演繹的 な考え方、類推的な考え方など数学をっくり、発展さ せる数学的な見方・考え方が用いられる」(根本5.p

(3)

133)のである。以上に述べてきたプロセスを、自己 の変容というもっとパーソナルな問題意識から取り組 んでみようというのが、絵本づくりの実践である。

1.3.数学的活動としての絵本づくり

以上より次の3点を、数学絵本づくりの数学的活動 の意義として捉えた。

① 問題解決活動 と して問 いが 設定 され る

②帰納 的な考え方、 演繹 的 な 考 え方 、 類推 的 な 考 え 方

(内的 な恩考活動) を必要 とす る

③ 自分 の内的活 動の意味を 振 り返 る反 省 的思 考 が 生 ま れ る

これは、池田が「ダヤンの絵本づくり絵本」の前書 きの中で述べていることに通ずるものがある注1)。

また、絵本づくりから数学的活動を省みるとき、こ のような内面を掘り下げて創作される活動においては、

「制作」や「語り直し」という視点が自己との意味生 成において強調されてよいものと考える。

④ 直観 的 イ メー ジを 制作 の原 動 力 (パ トス) とす る

⑤ ノ ンセ ン ス体 験 が 至 高性 に導 く

⑥ 創 作 され た作 品 を語 り直 す こ と によ って 自己 の存 在 感 が 強化 す る と と もに 、他 者 を ケ アす る はた らきを

もた らす

そこで、上記3点を加えて、数学絵本づくりの学習 過程を、「数学的活動」と区別して、「物語的活動」と 呼ぶことにする。根本の数学的活動が問題解決を通し

ての「交流(transaction)」の過程とするならば、

「物語的活動」(ここでは数学絵本づくり)を、「変容

(transformation)」の過程として捉えることができ る。

根本の「数学的活動」は、学びの主体の明確化と同 時に、学びの質の段階(図1の○枠)を明らかにする

ために、問題解決の各プロセスに於ける主体の自己認 識を促し、反省的思考を生み出すところに有意味性が ある。しかし、それは単元(1次関数や相似といった 要素に還元された)を舞台にした問題解決学習の域を 脱せずにいる。つまり、数学的活動は、発達としての 教育が前提にあり、教育を必要とする学習者の存在が 出発点となり、そこには社会的な有用性が常について まわる。しかし、自己変容を促す数学体験(物語的活 動)とは、生成としての教育として、社会生活上の必 要性を出発点とはしない。

今日、問題となっている数学嫌いや数学離れという 問題は、学んだ結果が社会的な有用性に収赦されるた めに、 私には数学は必要ない と切り捨てたとたん に、自己との関係性が見出せなくなることをいう。だ から、単元の学びにおいては比較的その有用性・具体 性が体験できるために、「1次関数離れ」とか「相似 嫌い」と言わないのである。むしろ、世界的にみても 学力調査における各単元の日本の子供の理解は上位に

ある。問題なのは、1次関数と相似の学びが、生徒

(私)の中の数学という場で結びあわせるパターンが 見つからない事である。それをつなぐ物語を見出し得 ないまま数学を終えてしまうところに数学嫌いが生じ ていると本稿では捉える。それでは自己とのつながり を自覚させ、自己変容を促す数学とは何か。それが、

数学の至高体験、つまり美としての数学体験にある。

そして、物語るとは、「自己を世界へと結びあわせる パターンを提示してみせること」(矢野2.p93)であ る。ここでいう数学の美(至高性)とは、その結びあ わせるパターンそのものである。そして、そのきっか けとなるのが教師の語りである。それを矢野は「生成 としての教育は、学ぶ者の存在からではなく、過剰な 贈与性をもった教える者(教師)の誕生から始まる…

このとき、教師と弟子の誕生の順序は、発達としての 教育の場合と逆になる。まず教師が生まれ、その教師 と出会うことによって弟子が誕生するのである。」(矢 野2.p45)として、純粋贈与としての教師の語りを 意義づけるのである。至高体験を経た教師の数学に対 するあこがれ(その語り口)に対するあこがれが生徒 の模倣を促し、対象となるもの(図や式や形など)に 入り込ませ(潜入)、直観的イメージを数学的活動の 中で現実化(交流)する過程で、絵本化が仕組んだ

「立ち往生させられる」(「ダブル・バインド」矢野2.

p21)状況に、構成された数学はノンセンス(nonsen se)として立ち振る舞う。それによる意味の切れ目か ら、数学の至高体験が得られるのである。以上、概観 してきた生徒の自己変容(意味生成のプロセス)をモ デル化したのが図1であり、本稿はこの図をもとに行っ た数学絵本づくりの授業実践の考察である。

図1数学絵本づくりにおける物語的活動(生徒の自 己変容過程)のモデル図(著者作成)

2.絵本づくりの実践計画

本実践は、図1のモデルを構想して実践を行った。

授業は、個人絵本とグループ絵本の制作に取り組むた めに、必修と選択の授業の双方を織り交ぜた。授業内 容と、ねらいは図2の計画表の通りである。

(4)

個人絵本の制作には、必修授業では1時間しか設定 しなかった。それは、絵本の中に 数学をこうしなさ い という枠にはめるよりも、絵本という世界に、彼 らの今まで培ってきた数学世界がどのようにつながっ てくるのかを、そのままの姿で伺うことができるであ ろうからである。また、その絵本での数学の取り上げ 方が、おそらく日頃の教師の語り口、つまり、教師が 授業の中で大切にしてきた数学的なものの見方や考え 方が反映されることが予想できたからである。私の数 学の授業の中で大切にしていることは、「数学は見え ないものに見える働きをつくる」ことである。その

「働き」が自己と世 図2 数学絵本づくりの実践計画 界を結びあわせるパ

ターンとして数学世 界のなかで楽しみな がら展開されていく のだという考え方を している。つまり、

授業時間は1時間で はあるが、その仕込 みとしての語りは数 十時間を前提として

いる。

次に、グループ絵 本と個人絵本の両者 の設定について述べ る。(詳細は2で述 べる。)

当初この計画はグ ループ絵本だけで行 う予定であった。だ が、グループ絵本の 第1時間目は、題材 の選定すら定まらな いまとまりのつかな い状況に終始した。

それは、絵本制作の 体験がない生徒達に とっては、絵本はま ず何から始めればよ いかを自ら問い返す 経験がなかったため である。更に、その 絵本制作がグループ で、いきなり数学を 題材としたために余 計に生じた混乱でも あった。そこで、急 遽練り直したのが図 2の計画表である。

これによって、まず個人が数学とじっくりと語り合う 時間が保障され、絵本として表現される数学世界がイ メージできたといえる。この計画変更は、その後のグ ループ絵本の流れをスムーズなものに変えていったし、

読み聴かせでの評価でも、自分の絵本における数学世 界との参照活動が行われた。それは、自己と数学との 意味連関(つながり)を新たに見直す機会となったと いえる。ここに、自己の意味生成として、数学絵本の 制作が、物語的活動として捉えることができる。

個人絵本をまず必修で取り組み、その後「選択数学」でグループ絵本の制作というか たちをとった。

時 間 活  動  項  活 動 内 容 ・ね ら い 備  考

1 h 1 .絵 本 づ く り ガ イ ダ ン ス ・ 自 分 が 今 ま で 学 ん で き た 数 学 を 振 り 絵 本 づ く り テ キ ス ト配 布 必 修

自 宅

2 .個 人 絵 本 の 制 作

3 . 自 宅 で の 課 題 制 作

4 .個 人 絵 本 の 絵 コ ン テ づ

返 り数 学 が 自 分 と ど う 関 わ り を も っ 教 師 作 成 の 「数 学 絵 本 」 て き た の か を 対 話 す る 時 間 を 設 定 す の 読 み 聴 か せ を 行 う

る 。 絵 本 コ ー ナ ー を 教 室 前 廊

で の ・絵 本 の 題 材 選 択 に あ た り 、 自 分 の 興 下 に 設 置 (自 由 閲 覧 ) 制 作 昧 ・関 心 に こ だ わ る。 こ れ が 、 「私 数 学 関 連 図 書 を 1 3 0 冊 図 は 3

週 間

の 中 の 数 学 で あ る 」 と い う 直 観 か ら 題 材 を イ メ ー ジ 化 して ゆ く。

書 室 に 展 示 く り ・読 み 聴 か せ の 対 象 を 明 確 に す る

5 .数 学 的 知 識 の 確 認 ・絵 本 で 展 開 さ れ る 数 学 的 知 識 が 正 し 6 . ス トー リ化

7 .製 本 化

く扱 わ れ て い る か を 検 討 す る 。

1 h 8 .個 人 絵 本 発 表 会 ・解 説 を 聞 い て 作 品 に つ い て の 討 議 ・ 評 価 カ ー ド配 布

個 人 絵 本 を 教 室 前 廊 下 に 必 修 ・絵 本 の 読 み 聴 か せ 評 価 (よ り 絵 本 と して 、 数 学 と して

・絵 本 が 書 け る と 碓 信 した 高 ま っ た も の に ) を お こ な う 動 機 や 、 そ こ に 数 学 を ど ・絵 本 の 鑑 賞 と そ こ に 表 現 さ れ た 各 自

の よ う に 表 現 し 、 ス ト ー の 数 学 世 界 へ の 共 感 と 理 解 を 形 成 す 展 示 す る リ ー 化 した か の 工 夫 を 語

る 。 ・よ り 発 展 的 な 数 学 の 形 成 を 目 指 す

4 h 9 . 個 人 絵 本 か ら 、 グ ル ー ・グ ル ー プ 討 議 に よ り テ ー マ 設 定 す る 計 画 表 配 布

絵 コ ン テ 用 紙 配 布

グ ル ー プ 活 動

図 書 館 、 C P 教 室 の 活 用 選 択 プ 絵 本 の 制 作 へ ・グ ル ー プ 内 で 共 有 化 さ れ る 数 学 的 知

1 0 .絵 コ ン テ づ く り (ス トー 識 や 活 用 方 法 (間 主 観 的 な 数 学 ) を リー の 作 成 、 を 形 成 す 形 成 す る

る 数 学 素 材 の 配 置 ) 1 1 . 作 業 分 担

1 2 .表 現 さ れ た 数 学 の 検 討

1こ 

遠        _ と 修 正

1 3 . ス ト ー リ ー の 完 成 に 向 け た 討 議

荘 …

1 h 必 修

1 4 . グ ル ー プ 絵 本 発 表 会 1 5 .読 み 聴 か せ を 終 え た後 、

・絵 本 の 価 値 を 吟 味 す る 題 材 の 状 況 設 定 が 適 切 か 数 学 的 知 識 が 正 し く活 用 さ れ て い

評 価 カ ー ド配 布

評 価 カ ー ドの 回 収 そ の 絵 本 制 作 に 関 わ っ る か

て の 発 表

1 6 .質 疑 ・応 答

絵 本 と し て の 表 現 は 適 切 か

・私 と数 学 と の 関 わ り (表 現 し た 数 学 ) を 語 る こ と が で き る

・そ の 発 表 を 聞 い て の 、 質 問 、 批 判 そ れ に 対 す る反 論

・よ り よ い 数 学 絵 本 に す る た め に 、 ど の 様 な 数 学 が そ こ に 展 開 さ れ れ ば よ い か

1 h 1 7 .反 省 会 ・絵 本 か ら、 「非 一 知 」 な る の 数 学 体 数 学 通 信 選 択 ・新 た な 問 い の 発 見 験 に 導 か れ る 、 ノ ン セ ン ス な 問 い か 図 書 館 展 示

け を お こ な う 。 大 学 で の 絵 本 展

(5)

3.作品からの知見 3.1.絵本づくりの実際

完成した生徒達の数学絵本は、おおよそ図3の組み 合わせで分類された。

図 3  生 徒 作 品 に現 れ た数 学 絵 本 の 特 徴 説 明 型        算 数 の 世 界

クイ ズ 型       数 学 の 世 界 (数 学史 も含 む ) 発 見 型        日常 生 活 の 世 界 (そ の他 )

+ ス トー リー 性

説明型とは、まず始めに教えたい核があって、それ を核にして数学を演繹していく内容である。内容的に は、数をテーマに、「これが1、これが2」と絵と数 を組み合わせて楽しく数の世界を解説するもの。連立 方程式をテーマにして、「こんな場面でも使えますよ」

「ここにもあるでしょ」といったもの。1次関数のグ ラフはこのような活用の仕方が、日常生活のこのよう な場面で有効であるとかいった内容である。

クイズ型は、例えば、場面として設定されたクイズ 番組に「ドラえモン」が出てきて、既習知識を様々な 形式をとりながら次々と問いかけ、解決していく内容 である。

発見型は、絵本の作者には帰納的な考え方が必要と なり、読者には推論が要求される。3.5で紹介する

「数の不思議」が該当する。様々な場面設定があり、

これらの問題解決の後に、「あっ、そういうことだっ たのか!」という気付きを促す内容である。もちろん、

以上の3タイプに明確に分類できる絵本ばかりではな く、その各タイプが重なり合った内容で展開される絵 本の方がむしろ多数である。

ストーリー性のあるなしについては、絵本が扱う数 学やテーマによって、ある方が読み手にとって面白い 場合もあるし、またそうでない場合もある。よって、

一概にストーリー性が大切であると全面に出して強調 することは、特に数学絵本においては第一義的には考 えられない。しかし、注目点として、ストーリーは、

各自の絵本体験が原型となっていることが、制作後の インタビューで明らかになった。また、ゲームソフト や、愛読している漫画のストーリーを援用している例 もあったが、絵本の単純ではあるが感動も伴うといっ た構成には、題材にする数学にしても、ストーリーと して原型となる物語にしても、自分の中でよく読みこ なせたもの、本音で納得したものが、彼らの絵本のス

トーリー展開のベースになっていったといえる。

3.2.メタファーの発生

グループ絵本の話し合いは、当初は各自のばらばら

な問題意識から出発した。意見を出しては反論された り、つぶされたりのコミュニケーション過程を経験す る。しかし、どのグループにも話し合いのある局面で、

突然のように共通してメタファー(隠喩metaphor)

が、ストーリー展開の具体化の手だてとして生まれて くる。例えば、N班では「さいころ」から、切断面や 確率などを絵本のストーリーの展開として議論してい たのだが、どうも班員問のイメージが共有しえなかっ た。だが、班員であるYくんが「『ひとで』なんてど

うか?」と言った瞬間に、「それって屋形の1800 じゃ ない。」という合いの手が生じ、この局面から突然に 話が共有化され、彼等は「ひとで」のメタファーから、

海岸を舞台にした星形多角形の物語を構想したのであ る。彼らの話し合いは、5本→3本→7本→n本と一 般化へと進み、「ひとで」が「屋形」であり、「星形」

が「ひとで」となる、内側(ひとで)の視線と外側

(屋形)からの視線が統一された作品へと絵本がまた たくまに制作されていくのであった。それでは、メタ

ファーはどうして生まれてくるのか。ここで述べるこ とは容易ないが、なかなか生まれてこない理由には共 通した事情がある。1つめは、教師の方であらかじめ 絵本づくりの環境整備(絵本の題材にふさわしい素材 の絞り込みと提示)を特に行わなかったこと。2つめ は、話し合いの相互作用の中で、提案者の発言を受け る順接型の「接続詞」が登場しなかったからと考えら れる。2つめに関しては、彼らの提案は、「だから、

こうしてはどうか」「だから、そういうことか」とい う呼応(自分の問題として考えてみよう)ではなく、

突然主張したい内容に入り、「こうだろう」で、いき なり議論が展開される。そのために、相互作用以前と して、「ではない」と否定が呼応してくる。仮に、議 論が生まれず否定されなくても、ストーリーに「こう だろう」と提案された数学を無理矢理乗せようとする と、班員の共通の課題にもならなければ、そこからの 絵本を舞台にした数学の発展性も兄いだしえない。

「ひとで」は、生徒たちのコミュニケーション過程の 中で、「だから」が生じるタイミングに出てきた言葉 である。と同時に、教師の介入も手伝いながら、話し 合いが「だから」をっないでいき、そこでの数学の核 心とは何か、また共有化されるであろう数学的知識や 活動をテーマ性をもってストーリー化されていく見通 しを、生徒達が直観し得たからこそ、「ひとで」への 潜入を可能としたのである。このとき「ひとで」は数 学になり、数学が「ひとで」になったのである。

加えて、絵本づくりの題材として提案された数学が スト1リーとして共有化され拡張されてゆくためには、

図1に示されたコミュニケーションの過程が、数学的

活動にともなって現れてくると考えられる。だが、今

日それが数学的活動を、実際には教室では取り組み難

くしている背景にもなっている。つまり、コミュニケー

(6)

ション能力の土台となるのが数学(の基礎・基本のス キル)だからである。数学の基礎・基本とは、すなわ ち要約力であり、そのことをもって確かな語りが成立 する。昨今は、まず協同学習ありきで、話し合いや調 べ学習の作業過程で何か新しいものが創造されるかの ような気分が学校現場を支配しているように思える。

「だから」の順接の前後に問われるものは、確かな数 学の知識であり、その数学の自覚された各自の内化の 過程である。それが、数学的活動における「交流」を 確かなものとし、「変容」を促していくのである。

3.3.「わからなさ」の自覚

ここでは、Sさん、M君の評価プリントから紹介する。

「数学の授業で、図形の授業に入る時にプリントが配 られた。そこには、正三角形と正方形で平面を敷き詰 めた図がかかれてあり、正五角形については、自分で やってみようという問題がありました。そのときに、

正五角形の1つの内角は108。で、360。にしようと思っ ても半端に余ってしまうことがわかりました。それか ら、図形の学習に入っていきました。そのときに、私 は他の多角形ではどうなっていくんだろう、また、な ぜこのように敷き詰められたり、敷き詰められなかっ たりするのだろうかと疑問に思いました。授業が進む につれて、私の疑問に対する答えが見えてきました。

その解決には、内角の和が関係していることに気付き ました。絵本づくりという課題を聞き、私はこのテー マなら絵本にできると恩いました。」(Sさん)

「姉がチェロを弾いているとき、よく何も書いていな いのに弦をおさえるだけで音階が弾けるものだと感心

していましたが、この1本の弦を決まった数字、例え ばドの音を出す弦の長さを3分の2にするとソになり、

ソの3分の2はレになり、レの3分の2はラというよ うに、弦の長さを3分の2にするごとに5度音が高く なるということを知り、これはおもしろい!こんなと ころに数学があるんだと思ったからです。しかも、調 べてみたらそれはピタゴラス音階といって、有名なピ タゴラスが考えたものだというので、さらに感激した。

僕は音楽が好きだから、絵本の最後のページに割り箸 とゴムで作っておいた。こんなに簡単な道具でピタゴ ラス音階がつくれたらすごくうれしい。数学がこんな にも自分と関係が深かったのには感動しました。僕た ちの身の回りには、ひょっとしたら数学がいろんなと

ころにあふれているのかもしれません。」(M君)

数学の語りは、何も「わかる」ことだけを前提にす るものではない。自分の「わからなさ」にこだわり続 けることも、自分の中の内的な数学体験であると考え られる。従来の授業改善や、「数学的活動」の特徴は、

共通して「わからない」を排除していく、つまり「わ かること」を主題としている。しかし、数学は常に

「わかる」「わからない」が個のなかに併存しながら展 開されていくのが、授業を行う者の実感である。その 意味で、絵本づくりは、個の「わからない」に価値を 与える活動であるといえる。

「わかること」を語ることと同時に、ひとは「わか らないこと」に沈恩黙考する。こころの深い部分で対 話し続けているのである。それが、Sさんが授業の中 で疑問に思い続けていたことであり、単元が進むにつ れて氷解し、自主的に答えを見つけだした感動となり、

絵本というかたちに結実したのである。おそらく、S さんが自分の問題関心として「敷き詰めのわからなさ」

を考え続けてきた問に問題解決のプロセスが形成され、

自分と数学の間に生じた「わからなさ」の意味を問い、

Sさんの数学的語り(絵本のストーリーや会話部分)

が生まれたものと考えられる。

他方、M君は、姉がチェロを習っている関係で、1 弦でも音階が奏でられることを知ったことが疑問の発 端となっている。それが、「数学っぽいな」という関 心はあっても、どのような数学なのかまでは当初はM 君は探究しなかった。だが、この絵本制作の機会に、

この疑問について考えてみたようだ。ここで、制作に ついて言及すると、制作は「もの」への潜入によって 成立する。M君は、1弦琴になりきって、ピタゴラス 体験を語っている。また、Sさんは、いっしか敷き詰 めになりきり、タイルからの視点を獲得している。こ れが、内からの観察であり、制作へと向かって物語は 展開される。このとき、外からの観察(数学的活動)

はどのような数学を構成してゆくのだろうか。またそ れは、どの様な語りから伺うことができるのだろうか。

「図形には一種類の図形だけを使って、平面をすき間 なく敷き詰められるものと、そうでないものとがあり

ます。どんな三角形でも内角の和は1800 になり、ま た、どんな四角形でも内角の和は3600 になるので、

これらは一つの図形で平面をすき間なく敷き詰めるこ とができます。また、正六角形は、一つの内角が1200 なので敷き詰められますが、他の六角形では敷き詰め

られません。」(Sさん)

Sさんの「わからなさ」の自覚は、絵本化への試みに 促されて、Sさんをして自ずと数学的活動に導いてい るように思える。この数学的活動で構成された数学は、

絵本という他者への語りを意識することによって、一

般化が試みられている。ここでの一般化とは、単に公

式化することを意味しない。問主観的な知識となるに

は、結果とともに考え方の導き出され方(ものの見方

や考え方)も共有される。ここでは、Sさんは「〜と

なるもの」と「〜とならないもの」の対比を試みてい

(7)

例示して語っている。これが、外からの観察としての 数学的活動である。潜入による内側からのモノの語り

と外からの数学的言吾りが統一され、「わからなさ」を 包摂して乗り越えていく。そこに、創発が生まれ、数 学絵本が表現されていったのである。

3.4.ダブルバインド

それでは、グループ絵本の中で数学はどのように語 られているのだろうか。それをYさんたちのグループ 絵本の絵コンテ(図4:本文末)から探ってゆきたい。

ここでは、平行四辺形を使って絵本のストーリーを 考えているのだが、あいにく平行四辺形は3学期の授 業の範囲であるので、未習である。そこで、Yさんた ちは平行四辺形の性質を、平行四辺ケーキ屋の「しきゃ くん」というキャラクターを使って考え出そうとして いる。ケーキづくりのメタファーを使った彼女たちの 数学的活動は、右往左往しながら、数学的語りとして の意味を紡ぎだそうと進んでいることがわかる。結果 として全ての平行四辺形の性質が導き出せたわけでは ないが、その中のいくつかの性質は彼女たちの相互作 用の中で理解されたものと考えられる。Yさんたちの 当初の絵コンテには、ケーキ屋さんのケーキの話とい う仮構性は伺えるのだが、その仮構に必要な数学的な 知識が十分でないために拡張や深化がおこらず、帰納 的推論が働かないのである。そのために、物語として よりは、説明文的で平板なストーリー展開となってし

まった。つまり、継ぎ足し、継ぎ足ししなからようや く結論にたどりつくのである。このような、絵本にも 数学にもならないダブルバインド状況の中でYさんは、

平行四辺ケーキを「みんながおいしく食べたい」とい うユーモアによって、それまでの平行四辺形(から何 かを作る)の文脈ではない新しい場面転換を生んだの である。

このユーモアはどうして生まれたのであろうか。そ れは、述語的同一性によると考えられる。

平行四辺形を     分割する ケーキを       分割する

から、「平行四辺形はケーキである」。だからおいしく 食べたいというユーモアが生まれたのである。この

「隠喩の論理」(矢野2.p90)から導かれたユーモア は、「ケーキが平行四辺形でない場合も、みんなでお いしくいただけますか?」というさらなる場面展開を 用意し、数学的な深化と拡張をもたらしてくれるので ある。ここに、数学的なものの見方や考え方が伺える。

3.5.ノンセンス

個人絵本は、グループ絵本に比して、作品のテーマ は個人にゆだねられるために、手慣れた作品も随分と 現れてくる。ここで紹介する図5のAさんの作品「数

「私ね、と,ても続柄がすいてtlうり。ぶ臥せから.

篭のくりちょうたいいり

レl、さな′I、さな舶鞠ポ小な小的声で,た市 債け

こ・いよ.。

と音,てそりくり去あげた.′はな′I、さなれずみl寸 うれしそうに立ち費の中へ璃えてい,た.

柳も丸?射撃錘rl不別離現場−。

先生たちの答えはみんな速,て巧.こ丸では債武一 如政綱iに時,て絹くり教は分のら恥1。

0両なあ−.7イ釦lなあ−、そ萌とモ 佃なののなわー。

みんなは∠纏う?

図5 Aさんの数学絵本『数の不思議』から

(上・申・下とも)

(8)

の不思議」には、ノンセンスが仕掛けられている。作 品は、「ぼく」が森に入って木の実を拾い、そこに小 動物が3度現れて、木の実をもらっていく設定で、最 後、「ぼく」が森を出るときには何個の木の実を持ち ますかという問いに、3人の先生が登場してそれぞれ の解答を解説する設定である。絵本の中の語りを図6 で紹介する。

僕はそのことをS先生に聞いてみた。S先生は、「1 個のくりを拾うたびに出会った動物にくりをあげるの

だから、これを式になおすと、

1−1+1−1+1−1+1……となる。だからかっ こでくくって計算すると、

(1−1)+(1−1)+(1−1)……となってい

くので答えは0

つまり君はくりを持っていないということだ。」と教 えてくれた。

するとY先生は、「それはおかしいですよ。1個のく りを拾うたびに出会った動物にくりをあげるのだから、

式は 1−1+1−1+1……となる。最初にくりを 1個拾ってそのあとあげたり拾ったりするのだからこ れをかっこでくくると、

1+(一1+1)+(−1+1)+(−1+1)+…

となり、答えは1個

つまり君はくりを1個だけ持っているということにな る。」と教えてくれた。

すると数学教師のT先生は「僕は数学の時間に君たち に方程式を教えただろう。それを使えば答えが簡単に だせるさ! まず、1−1+1−1+1……をⅩとお く。次に始めの1を残して後の数をかっこでくくると、

1−(1−1+1−1+1−1……)=Ⅹ となる。

そしてかっこの部分にⅩを代入すると

1一Ⅹ=Ⅹとなり、これを解くと、Ⅹ=% だから 答えは%個だ。つまり、君は%個だけくりを持ってい

ることになる。」と教えてくれた。

あれあれ?変だなあ

先生たちの答えはみんな違っている。これでは僕が森 を出る時に持っているくりの数はわからない。0かな あ   、1個かなあ   、それとも接個なの

。みんなはどう思う?

すうL絃学教師りT芝生は

根は蜘嗜吼誘たちに台地鵡教え長だちう.

そ血豆イ更えば 培え粛個蜂鳥㌣せシ日 和昔車車けトHH血の止か宗祇 鳴りり1盲鎖して徹り軟か恒こでくく吉と、

いい−1巨けトト…)こ上とナよる。そして、

帖こり野分にえ皇イ入如し トとご九となり、これを瑠くと.tニま だ1サlら堵え1豆イ虜だ.

フまリ.君はま佃だけくり皇積ってl

T先生(賢者)が

1−1+1−…の

数学的論理の世界 を説明している。

(Aさんの『数の 不思議』から)こ こから無限のもつ パラドックスの世 界が広がっていく。

この1−1+1−1+…の、数学的論理の世界が、

ノンセンスの世界である。ここでノンセンスについて、

矢野は「ノンセンスとはゲームであり、ゲームの本質 は世界をコントロールする事にある。……ノンセンス

体験とは、世界の区切り方をねじり、意味の決定を不 可能にし、時間による遠近法的な視点を崩壊させるの

みならず生きた時間を凍りつかせ、言語による意味の 秩序世界を解体することである。つまり、ノンセンス 体験とは、『わたし』というアイデンティティを象る 外部との境界面にひび割れを起こしてしまう体験であ

る。」(矢野2.P132)と、述べている。

このもっともな数学的論理の支配に私たちは当惑す る。それは「命題内容の選択の懇意性と、命題間の関 係が示す論理的必然性とのあいだに横たわる目の眩む

ような深淵にふれる」(矢野2.p122)からである。

しかし、このノンセンスの眩車から、私たちを「生の 技法」(矢野)に導いてくれる、その役回りを小動物 や、トリックスター(trickster)としての3人の賢者

(教師)が担ってくれる注2)。なぜ、絵本に動物であり 賢者が登場するのかはここでは議論しないが、その不 思議なファンタジー感覚は、試行の回数や登場人物、

場面設定における「素数回」という、物語が好む数字 によって象徴化されていく。それは、先の「ひとでと 星形多角形」のストーリーが「5本→3本→7本→n 本→おち」と、素数回で展開されるストーリーにも共 通している。つけ加えれば、教科書におけるキャラク ターは、「もうひとりの自分」として、メタ認知を形 成する働きがあるが、私には「生の技法」に導いてく れるキャラクターとしての小動物を教科書では飼いな

らしてもいいのではないかと考える。現に、ドイツの

「数の本」(小学校1〜4年)の教科書には「かぎ回る 活動」として、アナグマが随所に配置してあるのは注 目される。

Aさんへのインタビューで、彼女はこの作品のベー スに、幼いときの絵本の読み聴かせ体験があることを あげている。つまり、彼女の絵本づくりは、「語り一 聴く」の体験(身体性)の記憶が、暗黙知となり、絵 本づくりの中で呼び覚まされ、自己と数学の意味の生 成に導く体験となったと考えられる。そして、この絵 本からのノンセンス体験は、絵本展示会で小学生から お年寄りまでが感想で聞かせてくれた「答えのない数 学ってあるのですね」という未知なる数学世界の深淵 を垣間見た驚きと眩車にあらわれている。

3.6.語り直し

絵本制作を終えたYKさんの自己評価カードに次の ようなことが書かれてあった。

「この本に出てくる「ぼく」(眠れないお星様)は、

私の心の中の住人で、この本は「ぼく」が私に言いき

(9)

かせている本なのです。心では、数学についていろい ろ考えを持っていても、心の住人の悪魔の奴が、「数 学は嫌だ」と思いこませるように仕向けているのです。

だから、「ぼく」が私に言いきかせていることを本に すれば、私も、この本を読む人も数学が少し好きにな

るのではないかと思い、この本をかきました。」

この数学絵本づくりの中で出てきたYKさんの語り を私たちほどの様に受け止めていけばよいのだろうか。

YKさんの語りは「私に言いきかせていることを本に すれば、私も、この本を読む人も数学が少し好きにな るのではないか」にも表れているように、明らかにケ ア(早川8.p87)を志向する語り(語り直し)であ

る。ここでいうケアの特徴とは何だろうか。早川は

「ケアする者は、他者とともにいることによって相手 の世界に入り込み、相手のために存在し、それによっ て相手の独立と成長を促す。また、自分自身に対する ケアは、広い意味でのケアすることの一部であり、自 分自身を他者の場に置き換えてみて、自らを他者とし て感じ取ることができなければならない。その意味で は、ケアする人間は、自己中心的ではなく、つねに自 分とは離れたところにいる他者のために役立っように 関わっていくのである。……ケアの行為が自らの自己 実現につながるためには、自らがいるべき『場を兄い だす』ことが必要である…それは、自分を発見し創造 する場のなかで他者と関わることであり、それによっ て関係が継続されていく。自分にふさわしい場を見つ けることは、ケアする対象として『適切な他者』を見 つけることである。……ケアする場は基本的には、そ こに関与する人間の成長の可能性を強化する。」(早川 8.p87)と、述べている。YKさんのケアへの気付 きを引き出せたことが、数学絵本づくりの学びの豊か さではないだろうか。つまり、自分の中の「わからな さ」「わかりずらさ」も含めての、内的体験を語り直 していくことが、自己変容という存在論的課題に応え うる数学経験となっていると考えられる。

4.さいごに

本稿では、絵本づくりの過程で生まれてくる自己と 数学の意味生成(自己変容)について考えてきた。最 後に、その意味生成を促す数学について少しふれてお きたい。戦後、塩野直道の数理思想を引き継いだ和田 義信は「先程私は基礎力というもの三つを並列に考え てまいりました。論理的思考・想像力・美ともち出し てまいりました。それでは我々が想像するということ を根本にして考えてみますと、何が最も上に立ってま いるかと申しますと、私は美しさであろうと思います。

算数・数学教育はいったい何をしているのかと申しま すと、先程申した立場における美の創造の営みであろ

うかと恩います。あるいは学校において美の再生産で あろうかと患います。その再生産をまっとうしていく ためには、美の創造をまっとうしていくためには,そ の手段として論理的な思考力だとか想像力というもの をたよりにして、また使って美を発見したり美を完遂 してまいるのだと思います。そういう意味で基礎力の 形成ということは、もっとつきつめて考えますと私た ちがものごとの中に美しさを感じとる、またそれを具 体化していくということが最も根幹にあるのであって、

またそれによって論理的思考力、あるいは想像力とい うものが啓増されていくのではないか」(和田10.p 87)と述べている。美というものを構想する営みには、

絶対的な精神に(だれもが)ふれる体験が必要である。

それが、「非一知」なる体験である。つまり、私たち の日常的経験(センス)との差異を自覚させてくれる のがノンセンスなる体験であり、そこで気付きを得た 数学が、すなわち数理思想に根ざした数学である。生 徒の作品を例にとる。K君は、1十2+3+4+…+

100の計算を目の前にして、絵本の中の「ぼく」が日 常的な「数合わせ」ごっこから、その両端の2数を組 み合わせることによって和が導かれることに気付いた このK君の作品にも、中学生なりに理解し、表現でき る数理の世界が獲得されている。

図7 K君の数学絵本「不思議物語」;ドイツの数学 者ガウスが小学生の時に気付いた計算方法を、

K君は絵本制作の中で気付いた。

本研究は、今日の数学嫌いや数学離れに、私たち数 学教師はどのような数学(教材)と授業構成ならびに 振る舞い(身体)でのぞむべきかを問い、生徒に対し ては、彼らが「数学は美しい」と語れ、その美の構成 に遊べる資質を育むには今日の授業に何が必要とされ るか(または欠けているのか)を、数学絵本づくりを 通して提案するものとなった。それには、教師の純粋 な贈与による語り(または語りを埋め込んだ教材)が 冒頭に用意されなければならない。(それは、Aさん やM君達が「先生は何でも数学で考えようとする」と いう感想文からの発言からも伺える)そして、その語 りは、教師の「非一知」の体験に根ざしたものである。

それが、教師のあこがれ(暗黙知)にあこがれるとい

う身体レベルをともなった生徒の学びともなる。しか

し、この体験が、「数学は美しい」と語れるためには、

(10)

要約力の基礎・基本となる数学のスキル(語り直し)

が大切である。それなくして、数学的活動を活動たら しめる対話力は生まれてこないという現実も学校現場 にはある。また、語りから始まる数学体験は、子供時 代の物語体験の様に、ものの内部に入り込み(潜入)、

直観的イメージを強化し、その後の数学的活動を導く 原動力(パトスpathos)となることが観察された。

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図8 YKさんの数学絵本「地球のみんなへ」

「まるでかくれんぼ。見えない数学がかくれている」

と、キャラクターの「ぼく」にYKさんは語らせて いる。

これが、本稿で言う「物語論」として語らせる根拠 となるのである。

新学習指導要領で数学科の授業時間数が減り、教科 内容は基礎・基本に厳選された。そこには、ミニマム・

リクワイアメント(minimum requirement)として

「最低(全員が)わからなければならない数学」が、

明確に示されたといえる。絵本づくりの面白さは、わ かり方の違いや、わからなさへの自分なりの関わりの っけ方といった内的体験をどのように表現し、語るの かというところにある。みんなが、一様に「わかる」

数学から、どのような物語が生まれてくるのかは未知 数である。それだけに、選択・総合との関わりにおけ る教科の環境整備が急務とされてくるし、学ぶ側から は、自己の変容を促す物語の必要性が求められてくる だろう。

注1)池田氏は「ダヤンの絵本づくり絵本」の前書き の中で次のように述べている。「巨人になったらゆ かいだな 小人になったら世界はどんな風に見える だろう 絵本の世界は何でもあり 現実ではありえ ないことだってできちゃいます だからといって現 実がまったく関係ないかというとそうじゃない 経 験は想像を広げてくれます 絵本づくりはいわばイ

メージのトレーニング 絵本をっくることでものの 見方を整理したり 発想を転換させるくせが身につ きます それはきっと日々の生活にも役に立っはず さて 皆さんも気軽な気持ちで絵本づくりをして みませんか わたしはそういう素質がないからと言 わないで 創作の芽は埋まっているものです もし もあなたが絵本を見て『いいなあ』と感じたら…

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4 ̄示で高.鞍,.′

,へ  ̄パへし、qlカニサHhト・・叫H

、もり.7〃1′J モし′I Jけさ か.

なにかを感じるということは創作の小さな芽が出て きたということ 絵本は見るのも楽しいけど つくっ てみるのも楽しいよ さあ やってみましょう」

注2)「キツネの教えは、バンプティ・ダンプティの 思考法と正反対の生の技法を示している。世界を愛 するためには、あるいは世界を意味あるものとする ためには、わたしたちはある人を、ある一匹のキツ ネを、ある一輪のバラの花を、「飼いならす」こと が必要なのだという。この言葉は…「絆を創造する」

という意味だと、キツネ自身によっていいかえられ ている。こうして飼いならすことによって、これま での時間や空間の在り方が、その飼いならされた者 と関係した厚みをもった時間や空間へと変容を受け る。飼いならすことによって、目にはみえなくとも、

そこに飼いならしたものが存在しているということ だけで、世界は別のものとなるのだという。さらに キツネは、ひとたび飼いならしたものにたいしては、

飼いならす者は責任を負っていて、約束を果たさな ければならないという。」(矢野2.p198)

く引用・参考文献〉

1.河合隼雄「物語を生きる」小学館、2002年 2.矢野智司「自己変容という物語」金子書房 2000

3.吉田敦彦「ホリスティック教育論」日本評論社 2000年

4.福島真人「暗黙知の解剖」金子書房 2001年 5.根本 博「中学校新教育課程の解説 数学」第一

法規1999年

6.池田あきこ「ダヤンの絵本づくり絵本」MPC 2001年

7.森岡正博「宗教なき時代を生きるために」法蔵館 1996年

8.早川 操「『ケアリングマインド』育成のための 教育理論とその課題」名古屋大学教育学部紀要

(教育学)第45巻第2号1998年

9.斎藤 孝「子どもに伝えたい く3つの力〉」NH Kブックス 2001年

10.和田義信「和田義信著作・講演集 第7巻」東洋 館1997年

【図4 Yさんグループの絵コンテ】

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