一九二〇年代における文部省の公民教育論
山 崎 裕 美
目 次 はじめに
第一章実業補習学校における公民教育
第一節 実業補習学校公民科教授要綱の成立過程
第二節 ﹁人と社会﹂
第二章 文部官僚の公民教育論
第一節公民教育の目的
第二節 公民教育の内容
第三章 中学校における公民科
第一節 文政審議会での論議
第二節 ﹁国家の重要意義﹂
一九二〇年代における文部省の公民教育論 ︵都法四十九ー一︶ 三六五
三六六
おわりに はじめに
明治維新以後︑近代日本における為政者たちにとって最大の政治的課題は︑国家としての独立維持と国民の国家
への統合であった︒﹁日本﹂という一定の領域において対外的にも対内的にも主権を確立して︑欧米列強による植
民地化を回避し尚且つ各国と締結した不平等条約を改正し︑国是として富国強兵を掲げて︑法律的.政治的.経済
的゜文化的に日本の独立を保つこと︑同時に廃藩置県などの統治構造の変革により中央集権化と忠誠対象の一元化
を実現し︑日本に住む人々に対して国家への帰属意識と忠誠心を芽生えさせ︑社会的秩序の形成と維持に主体的に
関与させること︑つまりこれらの要件を満たす国民国家の形成が近代日本の至上命題であった︒国民統合に不可欠
な︑国家に対する忠誠心の養成と喚起を主に担ったのは︑学校教育に組み入れられた修身をはじめとした道徳教科
である︒しかし︑時代が下るに従って政治的にも経済的にも状況が目まぐるしく変転し︑従来通りの方法を踏襲す
るだけでは社会秩序の維持や忠誠心の調達が困難に陥っていった︒そのため︑忠誠心の調達.育成方法は新たな政
治制度の確立や国民の国家意識の深度︑その時代を覆った社会思潮などを含めた社会事象の展開に合わせて変容し
ていった︒
学校教育制度に公民科が登場した背景には︑深刻な社会不安があった︒第一次世界大戦勃発による好景気とその
終結後の恐慌は︑小作争議と労働争議の頻発をもたらした︒生活難の改善を要求するこれらの行動の増加を背景と
して︑社会秩序の再建と維持が急務となり︑一九二〇年代以降︑新たに教科として各種学校に設置されたのが︑国
家に対する帰属意識の内面化の徹底と社会知識の付与を目的とする︑公民科であった︒この教科の設置意図と教育
理念を︑社会思潮を踏まえながら具体的に解明することが本稿の目的である︒特に公民科において理想的国民とし
て創り上げられた公民像を分析することに重点を置くこととする︒
学校教育の公民科︑並びにその設置以前から存在する︑国民としての資質の養成を目的とした﹁公民教育﹂と通
称された教育については︑数多くの先行研究が存在する︒松野修は︑﹁合理的な社会認識の形成を目的とした︑自
然権論を基調とする公民教育﹂を研究対象とし︑その理念だけでなく社会認識の変容に着目し︑具体的な教育内容
の変遷を明らかにすることを目的として︑明治期の道徳教育から学校教科の法制及経済︑公民科までを通史的に検
ユ 討している︒しかし︑研究の中心課題が教育内容の解析にあるため︑公民教育の制度設計の全体についてはそれほ
ど関心が払われていない︒これに対し斉藤利彦は︑文部官僚の公民教育論を取り上げることにより︑公民科の設置
意図を明らかにしようとした︒斉藤は︑公民教育の特徴を国民の政治意識の養成を目指すものであることに求めて
おり︑政治的要素を鶉する立場をとって起ぷ・そして堕疋的ではあるものの・戦前の公民科が個人を基調とした
自申平等観念という︑修身とは異質な側面を内包しているとして施・食警?﹂うした独自性を抽出するた
めに文部官僚の公民教育論を部分的に取り出す手法が取られ︑彼らの本来の設置構想の全体像は必ずしも明らかで
はない︒またこれまでの研究では︑最初に実施された実業補習学校の公民教育と︑その後に設置された中学校の公
民科との相違に三ては意識されず︑理念も共通したものとして捉えられて話・中学校食科に三ては・中等
教育改革の一環として公民科新設を扱った谷口琢男による研究があるが︑考察対象が中学校公民科に限定されてい
るため︑比較検討はほとんど行われてい蚕口・従って本稿では・教科としての公民科の設置意図を文部官僚の言説
一九二〇年代における文部省の公民教育論 ︵都法四十九ー一︶ 三六七
三六八
に基づき考証し︑その全体像を把握すると共に︑その変化を明示することを課題とする︒
第一章 実業補習学校における公民教育
第一節 実業補習学校公民科教授要綱の成立過程
学校教育における公民教育は︑一九二二年の実業補習学校標準学科課程の規定により︑実業補習学校の後期課程
における修身で公民心得を教授することが定められたのが制度化の最初である︒一九二四年にはその具体的内容を ヱ 示した実業補習学校公民科教授要綱が策定され︑公民科という名称が文部省訓令で正式に使用された︒その後︑公
民科は一九三〇年に実業学校︑一九三一年に中学校と師範学校︑一九三二年に高等女学校︑一九三五年に青年学校
︵修身及公民科︶でそれぞれ必須科目として設置された︒公民科の原型には︑第一に中等学校以上に一九〇〇年以
降順次設けられた﹁法制及経済﹂と︑第二に日露戦争後に内務省中心に開始された地方改良運動における﹁自治民
育﹂としての公民教育の二系統が存在する︒
実業補習学校で公民教育が制度化された時代背景は以下のようなものである︒第一次大戦は日本に好景気と︑産
業発達による急激な経済変動をもたらした︒その結果︑都市と農村との経済格差が拡大し︑物価の急騰は都市の俸
給生活者や労働者の生活を脅かした︒大戦終結前後には米騒動や三二独立運動が発生し︑普選運動の高揚やロシ
ア革命の国内への影響など政情不安定化の要素が重なった︒原敬政友会内閣は米騒動直後に誕生し︑こうした社会
不安に対処していった︒庶民生活の困窮を救済するため︑社会事業や失業対策を行う社会局が内務省にできたのは
一九二〇年のことである︒公民教育が制度化されたのは同時期のことであった︒一九二〇年に実業補習学校規程が
改訂され︑職業教育とともに公民教育が実業補習学校の二大眼目として明記されている︒一九二二年十月には・実
業補習学校標準学科課程の制定を受けて公民教育調査委員会が設置され︑この委員会において公民科教授要綱の作
成が開始された︒委員会は文部官僚をはじめ︑内務官僚︑東京帝大教授などの二十四名の委員から構成され・文部
省書記官兼参事官の木村正義を幹事とし︑実業補習教育主事の岡篤郎・千葉敬止らの五名は員外として参加し口︒
委員会による審議の成果は︑実業補習学校公民科教授要綱並教授要旨︵訓令第十五号︶として一九二四年十月に公
布されている︒この公民科教授要綱は︑それまで地方改良運動の中で各地域で区々に実施されていた公民教育に・
初めて統一的基準を示したのである︒
この公民科教授要綱の特徴は第一に︑欧米諸国の公民教育論を参照して作成されたことであり︑第二に︑公民教
育の理論として社会有機体説から発展した社会連帯論︵︒︒oO﹂巴Q力︒巨昌蔓︶が導入されたことである︒日本の公民教
育は︑ケルシェンスタイナー︵独︶︑スタッチェル︵独︶︑ホワイト︵英︶︑デューイ︵米︶︑ダン︵米︶ら教育学者
の一九〇〇年代から二〇年代までの著作から多くの範を得ている︒木村正義は︑ドイッの公民教育では﹁国家観念
の酒養を力説し︑英米では公民資格︵○昌冒o⇒°・巨廿︶の教養に重きを置いて国家社会に奉仕せしむる性格を陶冶する ユ を目的とせる﹂と述べている︒ドイッの公民科がc︒古8雷ぴ巳σq隅古5昔と称され国家意識の養成が中心であるのに対
して︑アメリカでは9註8という名称であり︑社会意識の養成を軸としているとの認識であるが︑国家もしくは
社会に奉仕するという共通項で両者が括られている︒また教授要綱の要目は﹁人と社会﹂から始められ︑家︑郷土・
市町村︑府県︑国家︑世界へと徐々に大きな社会につながるように配置されている︒授業での説明も児童の実際生
活の経験から採り︑卑近な具体的事例を示すべきだとさ匙・︑﹂れらは・デューイの経験主義警を採用したアメ
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三七〇
︵11︶ リカの公民教育を下敷きにしたものであった︒
第二の特徴である社会連帯論の採用は︑忠孝観念を軸に形成された国家.社会秩序を補強すべき新たな人間関係
とその規範として︑﹁共存共栄﹂を提示したことに表れている︒それは︑教授要綱において最初の題目﹁人と社会﹂
のうちの細目として掲げられた︵本稿第三章第二節を参照︶︒経済発展やそれに伴う社会変動に対応するには︑従
来の修身で教育している親や君主に対する縦の道徳だけではなく︑共存共栄という横の道徳が不可欠であると判断
されたからである︒修身は抽象的な理論で︑道徳のための道徳を教えるような感じがあり︑社会の実際生活に役立
つ徳育ではないとされて賑超二九二・年代において︑修身は現実の情勢に合っておらず︑生徒の興味をひかない
教科であると警界でも批判されていたので驚・讃要綱において示された共存共栄とは﹁互に人格を尊び要求
を認め︑相椅り相助けて社会生活を為すを謂ふのである︒この場合行ふべき主なる道徳は協同である︒これは︑小
異を捨てて大同に就き︑分離を抑へ︑衝突を避け︑自他の力を合せて生活することである︒即ち心を一にし力を合
わせることである︒私を捨てて公に奉ずる公共的精神はこれが基礎である﹂というものである︒これは調査委員会 き 委員の深作安文の案であるが︑委員会で支持を得て成案となった︒幹事であった木村正義はこれを解説して﹁共存
共栄は亦社会生活の有機的関係を意味するものであるから︑例を人体︑樹木等に採りて全部と部分︑独立と帰一と
の関係を明らかにすべきである﹂︑そして﹁社会の為めの個人︑個人の為めの社会︵国③合∂﹃巴§臼臣﹃︒﹃国9け︶
たる関係を明かにして︑社会的共同意識の下に協同的︑犠牲的︑公共的︑愛国的︑奉仕的精神を発揮して︑吾人の
共同生活を道徳的共同団体の無限の高遠なる理想に近かしむることに精進する所あらしめねばならぬ﹂と教授方針
を示して奉社会連帯論竺九三年から一九二三年にかけて呆で盛んに紹介援用毒︑社会は覆員たる
個人個人が連帯することにより成り立ち︑進化発展するという説である︒公民科で掲げられた共存共栄という新た
な社会理念は︑この社会連帯論を基にしていたことは木村の解説から明らかである︒
第二節﹁人と社会﹂
実業補習学校の公民科教授要綱で︑冒頭に置かれた題目は﹁人と社会﹂であった︒要綱を作成した当事者たちも
自覚していたように︑このことは︑これまでの修身や法制及経済とは区別される公民科の方向性を特徴づけるもの
であった︒木村は﹁﹃人と社会﹄は公民教育の始であると共に又其の究極﹂と︑この題目の重要性を表現する︒な
ぜなら︑公民科において政治・経済の知識を扱うにしても︑実際生活における政治や経済の意義を習得するには︑
社会生活を理解し︑社会道徳を陶冶する必要があるからであり︑まず人と社会との関係︑即ち人は相互依存の関係
にあることを了解することこそが必須だからである︒従ってこの﹁人と社会﹂が︑単なる一教材ではなく︑その趣
旨が公民科の全範囲に亘ることを示すために︑最初に措定された︒そして︑自我の解放や個性の自覚は近代人の特
色であるが︑現在においてはこの個性の社会的自覚が期待されており︑これを喚起するためには生徒の日常生活そ
のものの実体を捉え︑経験を振り返り︑人は孤立しては生きられないこと︑人類生活の実相を正しく会得させるこ
とが﹁人と社会﹂の整方法なので窪・この﹁人と社会﹂という題目は・調査委昼五に提出された原案には存在
お しない︒けれども委員会において︑社会生活への理解を徹底することの重要性が共有され︑﹁人と社会﹂を最初に
掲げることに各委員の賛同が得られたという︒﹁人と社会﹂の細目の最後にあるのは﹁人生の意義﹂である︒これ
が﹁人と社会﹂の結論であり︑公民科全体の目的とされる︒この細目は︑人生の意義は単なる個人の問題ではなく︑
その個人を含む社会の完成にあることを示すことを内容と稔・つまり・社会を完成すそ﹂とは各個人を完成させ
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ることと不可分であり︑個人はそれぞれの立場で自我の実現に努め︑理想社会の達成に向かって奮闘しなければな ︵20︶ らないことを学習させるのである︒
社会を主題として扱うという意味で︑冒頭の﹁人と社会﹂と対になる形で︑最後から二番目に置かれた題目が
﹁社会改善﹂である︒これも原案には存在しなかったものである︒細目の﹁思想問題の概要﹂では︑﹁デモクラ
シー﹂・社会主義・共産主義などの批判を︑﹁社会問題の概要﹂では労働問題︑小作問題などを︑﹁社会改善﹂では
社会政策︑社会事業を扱うように指示されている︒つまり︑思想問題と社会問題を正しく理解させ︑社会改善に努
めるように促すことがこの題目の目的である︒このように正面から現実の社会問題を取り上げ︑さらにその改善の ひ ための社会政策を教育内容に含むことは︑公民科を他の教科から区別する特質である︒当時噴出していた社会矛盾
を隠蔽することなく︑現実として受け入れ︑その解決方法として社会政策を提示する教育を施すことは︑教育対象 ︵22︶ であった青年の急進化の歯止めや︑革命を回避する方策として期待されていたのである︒
第二章 文部官僚の公民教育論
第一節 公民教育の目的
(一
j目的
本章では︑公民科教授要綱の作成に携わった文部官僚たちの公民教育の解説書を手掛かりに︑文部省の意図した
公民教育の教育方針を解明したい︒まず公民教育の目的について︑木村正義は﹁公民教育の要旨は︑国民をして社
会公共生活を完うするために︑家︑学校︑職業︑郷土︑自治団体︑国家並に国際関係を理解せしめ︑特に立憲自治
の思想︑経済観念︑並に公徳心の酒養に留意し︑之を実際生活に実現し︑国家社会に奉仕せしむ精神を酒養するに
︵23︶ 在りと思ふ﹂とする︒これは公民科調査委員会の第一回目が開催された際に︑鎌田栄吉文相が述べた挨拶を受けた
︵24︶ ものである︒調査委員会の審議は︑文相により提示されたこの目的に沿って進行していったと考えられるが︑公民
科教授要綱には食教育の定義を明瞭に示す必要はないと判断された蕊・その定義や目的は各人によって表現が
異なるものとなった︒
では︑他の文部官僚の見解はどのようなものであったのか︒岡篤郎は︑公民教育の目的を﹁社会公共生活を完う
するように︑立憲自治の国民を教養しようとするもの﹂とし︑これを敷術すれば︑﹁立憲国民として必要な知識や︑
道徳を授けると共に︑職業に関する知識︑技能︑並びに道徳を授けて︑兼ねて国民として︑国家社会等の団体生活
に於ける個人の責務を自覚せしめて社会公共生活を■兀うせしめるもので驚﹂となる・つまり・政治教育と職業教
育︑社会道徳教育の三種を内容とするのであるが︑最も重んじられるのは政治教育ではなく社会生活とその道徳で
ある︒立憲国民に対し政治知識と道徳を教える場合には︑まず先に社会連帯や共存共栄の精神という社会道徳と社 ︵27︶ 会生活の意義とを理解させなければ︑選挙権を正当に行使することはできないとするのである︒千葉敬止は︑﹁公
民教育とは︑国民性の陶冶及び団体生活に対する共存の精神の酒養を根底とし︑立憲自治の国民としての公的生活
に必須なる知識を与え︑之が訓練をなすを以て目的とす﹂と記している︒これの意味するところは木村のものとほ
とんど違いがない︒即ち︑共同共存の精神を養うこと︑公的生活である国家・自治体の政治生活︑社会生活に関す
る知識を与え︑経済生活に奮闘し国家・自治体の発展に尽くす人物を育成することを公民教育の目的とするのであ
︵28︶る︒
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木村との比較で注視すべきは︑﹁立憲自治の国民﹂という語を岡や千葉が使用していることである︒両者の公民
教育の目的と内容が政治知識に限定されていないことから推測される通り︑﹁立憲自治の国民﹂は政治主体そのも
のを指すのではなく︑﹁立憲自治という制度をとる国家の人民﹂という意味で使用されており︑﹁国民﹂とほぼ同義
である︒一九〇〇年以後の公民教育の流れを振り返れば︑そこで使用された﹁自治公民﹂も﹁立憲国民﹂も参政権
の主体を指し︑公民教育は地方自治に関わる政治・経済知識の付与から出発していた︒従って︑﹁立憲自治の国民﹂
という語を用いることは︑公民科が参政権の主体のみを対象とし︑自治体や立憲制度に関わる教育を専らとするも
のであるとの誤解を招きかねなかった︒木村はこれを回避しようとしたのである︒木村︑岡︑千葉の三者における
公民教育の目的・内容を一瞥したが︑文部省としては大体一致した見解を持っていたことがここに見てとれる︒
(一
黶j
ホ象と公民の定義
再び︑木村により示された公民教育の目的に立ち返り︑その詳細を検討する︒木村は公民教育の目的を﹁国民を
して社会完成のために政治経済其の他社会生活に関する知識を授け徳操を酒養して実践躬行せしむること﹂とも表 ︵29︶ 現している︒そしてこれを四分節して解説している︒第一に公民教育の対象と公民の定義︑第二に公民教育の目指
す理想︑第三として公民教育の内容︑第四は公民教育の使命である︒まず第一に︑公民教育の対象と公民の定義に
ついて次のように述べている︒公民教育の対象は国民全体であり︑老若男女を問わず︑また市制・町村制の公民と
も区別される︒つまり地方改良運動での公民教育とは明らかに異なり︑対象は参政権の主体である公民に限定され
ず︑国民全てとするのである︒そして公民教育で育成すべき目標の﹁公民﹂とは︑﹁社会公共生活を営む一員とし オホミタカラ て社会連帯の責任を負へる者を称する﹂︒その由来は﹁︒昔冒︒巨であり︑古文書における﹁公 民﹂であるとする︒
前者は日本の公民教育のモデルが欧米の公民教育であることを理由にしているが︑後者に由来を求めるのは木村だ
けに限らない︒元内務官僚の田沢義鋪も公民教育の公民は︑我が国古来の用例で天皇と人民との関係を表す﹁おお ︵30︶ みたから﹂であると述べているし︑文部省嘱託の川本宇之介も公民に︑平等な権利と義務を付与された立憲国の国 オホミタカラ ︵31︶ 民という意義と同時に︑﹁公 民﹂と称する天皇直接の臣民という意義を含有させている︒即ち天皇の下で平等な ︵32︶ 存在ではあるが︑天皇にひたすら服従する受動的存在としての意味も公民は有していることになる︒
木村は︑公民教育はこれまで三段の変化を遂げてきたとする︒それは︑市町村民としての教育である公民教育の
自治化︑立憲自治の国民の養成を目的とした公民教育の国民化︑自治体や国家だけでなく国際関係をも含む社会を ︵33︶ 内容とする公民教育の社会化の三段階であり︑今日はこの第三の社会化に及んでいるとする︒公民を社会公共生活
の一員として責任を負う者とする定義も︑この社会化に従ったものである︒公民教育の目的を述べる上で﹁立憲自
治の国民﹂という語を避けたのも︑第二段階から第三段階へと現在進んでいることを明瞭にするためであった︒公
民教育での対象であり︑また到達すべき理想像としての公民の定義も︑文部省において統一化がなされたことは︑
千葉による定義の変化に見ることができる︒千葉は一九二一二年の時点では︑﹁立憲政治の国に於ては︑その国民は
誰人でも︑その資格に応じて文武官に任ぜられ及びその他の公務に就くことが出来︑又それぞれ地方の政治に参与
し︑一国の政治に参与することが出来るのであるから︑立憲政治の国では︑これ等の資格を有している国民を公民 ︵誕︶ と称している﹂︑﹁立憲政治の国にありては︑広義に解せば︑国民を公民と解しても差し支えない﹂としていた︒つ
まり︑参政権と公職就任の資格が公民の要件であり︑責任意識の有無は問われていない︒ところが︑一九二六年に
は﹁公民教育の公民とは自治公民といふやうな狭義なものではない︒立憲自治民の意よりも梢広い︒⁝⁝即ち公民
とは︑自己を支配する能力ありて︑自治の公民であり︑立憲治下の国民であり︑社会の一員であり︑世界人類の一
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︵35︶ 員であることを自覚し︑是等共同生活体を支持し貢献せんとの意識を有する人民をいふのである﹂と述べている︒
公民を参政権の主体という限定されたものとしてではなく︑共同生活体の一員としてこれへの貢献意識をもつもの ︵36︶ とし︑国籍を有する人民全てではなく︑陶冶された国民とするのである︒
先行研究ではこれまで︑公民教育の主唱者たちが公民教育における公民を︑統治機構に参与する主体として捉え ︵37︶ ているとしてきた︒松野修は公民を﹁立憲制下における権利主体﹂の意味で使用されてきたとし︑また斎藤利彦は︑
公民には﹁立憲国民﹂﹁立憲自治の民﹂と表現される﹁近代立憲国家における公権を有する主体﹂という概念が含 ︵38︶ まれているとするのである︒斎藤は︑公民教育を国民の国家的統合を実現するために﹁政治参加を行なう成員の養 ︵39︶ 成を目ざす教育﹂とし︑立憲政体とは切り離せないものと述べている︒しかしながら︑文部官僚の公民の定義では︑
公民は参政権を持つ主体を表す﹁立憲自治民の意よりも梢広い﹂︵千葉︶のであり︑社会の一員であることを自覚
して︑その責任を負う者としている︒先行研究は︑公民は社会の一員であるとするこのような見解には触れてこな
かったのである︒そのため︑実業補習学校の公民科において社会問題と社会改善が授業内容として取り上げられた
という特徴を見出すことはできても︑なぜ社会に着目し︑取り上げることができたのかという理由については説明
されていないのである︒そして︑公民教育の公民が参政権の主体を指すのかどうかということが重要な問題である
のは︑境界線上の存在である女子生徒や婦人が公民たり得︑また公民教育の対象となり得るのかということに大い
に関わるからである︒
木村は公民教育講演会で﹁公民教育と云ふから女に対しては一体公民教育を施すべきものであるかと云ふやうな
ことが三四年前迄は地方の講演会などで質問が出ました︒⁝⁝是は老若男女を問はない︑国民全体に必要なる教育
︵40︶ である﹂とわざわざ断っている︒﹁公民﹂が市制・町村制では参政権を付与された者を指す言葉であるため︑その
ような疑問が出ても不思議ではないとしながらも︑公民とは国家の一員であり︑社会の一員であるから︑参政権の
ない婦人も当然公民の資格を持ち︑公民教育の対象であるべきだとするのである︒木村は婦人だけを公民とするの
ではない︒将来成人後に公民になると一般的に考えられている児童もまた︑現在公民であると次のように説明する︒
公民科を教授するに当たって教師が注意すべきことは︑﹁児童生徒が現に公民たることである︒児童生徒が社会の
一員として共同生活を営み︑生命身体財産の保護︑教育衛生︑其の他諸般の社会的施設の恩沢に欲することは何等
大人と異るところがない︒⁝公民たるの社会的地位は・大人たると児童たるとに依つて何等異るところが隠﹂・
現に公民であるからこそ︑今何が公民として実践できるのかを児童に教育するという指導姿勢は︑アメリヵの公民
教育を参考にしたものであるが︑木村の意図するところは参政権の有無ではなく︑現に社会生活を営んでいること
により公民とされ︑公民としてふさわしい教養を身につけ︑行動をとるべきであるということにある︒そして尽く
すべき任務は年齢によって異なるのであり︑また各々がそれぞれの立場で職業などを通して社会共同生活に参与し
貢献すればよいとするのである︒
女子に公民教育を行なう是非について岡は﹁男子に立派な立憲治下の公民としての責務を完うせしめるにも重大
な関係を有するものであるばかりでなく︑家庭は公民の生れ出でる所であり公民の教授を受ける第一の教育所であ
るから此警の場所を預る女子に対して公民としての教育を授けることの必要なことは殆ど説明するの要は蘂﹂
とする︒岡は女子が公民であるか否かについては言及していないが︑女子に公民的教養が必要な理由について︑男
子を支え協力すべきことと︑家庭での子供の教育を受け持っていることを挙げている︒つまり︑婦人もその立場か
ら社会の連帯責任を負うために︑公民教育を受けるべきであるとするのである︒公民の定義を参政権の主体から︑
共同生活体を支える一員とするものに転換させた千葉は︑女子が公民の要件を満たすのかということについても︑
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この定義の転換に伴って変化させている︒最初の著作では︑﹁女子も公務に就くこともあり︑公民たる夫を助け︑ お 公民たる子の母となる次第故︑間接の公民と見倣すことが出来る﹂とし︑女子を﹁間接の公民﹂としていた︒だが
次の著作では︑﹁女子でも︑既に選挙権を与へている国もあり︑我が国は未だ然らざるも各種公務に就くことが出 ︵坐︶ 来︑公民たる子の母となり︑且つ社会の一員として自主的に生活している次第故︑公民と看倣すことが出来る﹂と
し︑社会の一員であることから女子は公民とされたのである︒従って先行研究のように︑公民教育の推進者らが公
民を立憲国民として︑政治的権利の主体という意味で使用していたとするならば︑公民の概念が権利主体というだ
けでなく︑社会の一員にまで広げられたことによって︑公民か否かという境界線上にあった女子の扱い方が変化し
たことを見逃してしまうのである︒
︵三︶公民教育の目指すべき理想
木村の提示した公民教育の目的のうち︑第二の分節では公民教育の目指すべきものを明記している︒即ち公民教
育は﹁国民が社会完成のために施す教育﹂であるとするのである︒ここでいう社会とは広義の意味であって︑﹁国
家並に国家内に於ける府県市町村等の地方自治団体たる公の権力団体は勿論︑家︑学校︑郷土︑組合︑国際社会其
の他あらゆる社会を包含し︑此等の社会生活を完成すること﹂即ち国民が理想とする社会を追求することを公民教
育の目的とするので紮・このような社会の嚢は公民科讃要綱に採用されている・木村は社会古兀成のための教
育というのは︑﹁ケルシエンシユタイナーが公民教育の目的は法治国及文化国の完成にあると云つたのと殆ど同じ
であります︒アーサー︑ウィリアム︑ダンと云ふ⁝⁝人は社会の共通目的の達成と云ふことを云つて居ります︒・⁝: ︵46︶ それと同じ意味であつて社会の共通目的を達したならば社会は完成される﹂とする︒ケルシェンスタイナーは憲法
により規定される国家統治の面での完成だけでなく︑国家と国民の精神的・物質的活動の発展をも目的としている ぜ という意味で社会の完成を目指している︒つまり木村が目的が同じだとしたのは︑国家や自治体といった政治的要
素だけでなく︑それ以外のものも含めた社会生活の完成を理想としているからである︒そして︑社会の完成が同時
に個人の人格の完成や幸福の実現であると説かれ・個人が社会と亘の運命を辿ることへの自覚を促すので羅・
木村において︑国家は社会の一つであるとの位置づけがこの社会の定義から明らかである︒そして国家を権力団
体と呼び︑その他の集団である社会︵部分社会︶やこれら全てを包含する社会︵全体社会︶とは明瞭に区別してい
る︒国家的な価値が相対化され︑社会的な価値が自立化しており︑一九二〇年代の新しい時代思潮ともいえる﹁社
会の発見﹂の影響がそこには見られるのである︒それまでの論壇の言説では︑国家が全体社会とされ︑国家の範囲
と社会の範囲は同じものであるとするのが主流であり︑二〇年代以降にも根強く大勢を占めていた︒しかし社会が
発見されることにより︑国家や社会の再定義が行われたのである︒国家を他の社会集団と同じ地位に引き下げ︑国
家の優位性を否定する多元的国家論はこの時代の代表的な理論である︒そこでは︑国家主権による社会への介入は
限定される︒木村もこの多元的国家論を採用しているが︑国家の優位性を否定するまでには至っていない︒国家に
ついて︑﹁国家は一定の領土があつて唯一の権力に依つて支配されて居る所の多数人民の団体でありますが︑是は
社会の中で最も発達した︑最も団結の強い最も強き権力を持つて居るもので竃﹂と述べていることからも・国家
が他の社会に比べ優位性を保っていることがわかる︒しかし︑だからこそ他の社会とは異なり特別な地位にある国
家が︑社会政策を実行して社会問題を解決するということが可能であることに木村は気づいて違・国家と社会と
の区別が公民教育の特徴であることも︑先行研究では扱われてこなかった︒公民を国家の一員としてのみ捉え︑参
政権の主体とすることにより︑社会の一員とする見方を無視してしまうのと同様に︑この区別に着目してこなかっ
一九二〇年代における文部省の公民教育論 ︵都法四十九ー一︶ 三七九
三八〇
たのである︒しかし公民科教授要綱に社会問題と社会政策が取り上げられたのは︑文部官僚に国家とは区別された︑
生活共同体としての社会への視線があったからである︒単に社会という概念が公民教育に持ち込まれただけではな
く︑個人が構成している集団や集団間の関係の捉え方自体が変化していることが公民教育の内容に大きな特徴をも
たらしていたのである︒
︵四︶使命
公民教育の目的の解説の第三として︑木村は公民教育の内容を﹁国民をして政治経済其の他社会生活に関する知 ︵51︶ 識を授け徳操を酒養せしむるに在り﹂とする︒そして第四では︑﹁公民教育は国民をして実践躬行せしむるを以て
目的﹂とするとされ︑政治経済社会の知識と徳操を実際生活に実現することに従来の修身︑法制及経済とは異なる︑ ︵52︶ 公民教育の価値と使命があるとされるのである︒木村は次のように説明する︒公民教育は法制及経済の欠点を克服
するために︑実際生活の理解を与えることを主眼とし︑知識の教育に偏重してはならない︒公民教育は道徳教育で
あり︑﹁社会奉仕の精神︑公徳心の酒養は公民教育の核心をなすもの﹂である︒しかし︑従来の修身のように道徳 ︵53︶ 教育だけを目的にして︑知識を軽視するようなことはしてはならない︒なぜなら﹁政治経済に関する道徳と云ふも ︵斑︶ のは政治的事実︑経済的事実の中に存在する﹂からである︒文部官僚の社会に向けられた視線は現実の社会に直接
向き合う姿勢を与え︑そこで実際にどう生きていくかを主題とし︑生活に必要な知識や道徳を教育内容とする公民
教育を生み出した︒即ち公民教育は︑修身や法制及経済のように抽象的な知識や道徳の教育ではなく︑また知識と
道徳のどちらか一方の育成に偏するのでもなく︑実際の社会生活に関する知識と社会奉仕.公徳心という道徳の両
方を酒養し︑さらにそれを実際生活において役立て実行できるように国民を養成することを目的とするのである︒
ここまで公民教育の目的に関する木村の四つの解説を順を追ってみてきた︒これらの解説を組み合わせると本節冒
頭に記した公民教育の目的となるのである︒
第二節 公民教育の内容
次に︑公民教育の具体的な教授内容について考察することとする︒公民教育の内容とは前述したように・国民が
社会生活を完成させるために必要な︑実際の社会生活に関する知識と道徳である︒木村はこれを細分化して︑社会・
政治︑経済に関する事項としている︒政治も経済も社会の重要な要素の一つであって分離することはできないが・
社会生活で重要な部分を占めるため︑あえて別に分けることとして転び・以下では第三社会・第二に政治・第三
として経済に関する公民教育の内容について辿ることとする︒
第一に公民教育の全体にわたる社会に関する内容である︒公民教育は国民に社会生活を理解させることが最も重
要であるとする︒そして社会生活の円満な発展と社会問題の解決は︑その社会を形成している個人の社会意識にか
かっており︑この社会意識の啓発が現代における要諦なので稔・しかし現在の呆では・家や国家を忠とする
生活において︑親や主君に対する縦の道徳は優れているものの︑つまり縦の生活における社会意識はあるものの・
他人の人格を尊重し他の人と共に共同生活を営む横の道徳︑即ち団体意識︑公共道徳は欠如しており︑横の生活に
おける社会轟には遺憾の点が多いと彩従ってこの状況で現在最も必要な道徳は﹁協同﹂であるとする二協
同﹂という道徳について木村は︑教授要綱における﹁共存共栄﹂の説明そのままを用いているが︑遵法の念と自治
一九二〇年代における文部省の公民教育論 ︵都法四十九ー一︶ 三八一
三八二 自制の徳︑忠君愛国の至情と社会連帯の責任感などあらゆる社会道徳がこの﹁協同﹂から発するものであると述べ︑
木村独自の解釈が示されている︒特に修身の中心道徳である忠君愛国が︑公民教育の中心道徳である協同を基礎と
するとの見方は︑修身が機能不全に陥り︑忠君愛国だけでは秩序維持の徳目として成り立ち得ず︑忠君愛国の至情
を養成するためには︑新しい道徳とその教育が必要であることを認めているに等しいのである︒新しい規範として
の﹁協同﹂は︑政治や経済を含めた社会生活すべてを貫く道徳であった︒文部官僚は発見された社会における秩序
を保つ徳目として︑﹁協同﹂を選択し︑公民教育において酒養すべき道徳であるとしたのである︒
前節で見たように︑公民教育の目指すべき理想は﹁社会生活の完成﹂とされていた︒木村によればこの社会生活
の目的とは︑﹁安寧の社会︑幸福の社会の実現を図る﹂ことであり︑社会の安寧幸福を追求することが社会生活の
完成であり個人の完成なのであるとされる︒社会と個人に幸福を齎す条件の主なものは︑政治や経済のほか︑保健︑
衛生︑生命財産の保護︑教育︑交通︑宗教などである︒これらの条件を満たすために学校や公園︑工場︑鉄道など
の社会的施設が存在する︒社会の構成員即ち公民は︑社会の幸福に対して興味を持ち︑これらの社会的施設の運用
に関する知識を備え︑社会発展の手段と方法に関し明晰なる判断力を持ち︑それを実行しなければならないとされ ︵鯉︒そのような公民を養成する公民教育は社会生活において問題解決や幸福追求のための活動の実行方法を考える
訓練をし・国民に判断力を与える警なので襲・自ら実行方法を考え︑判断する訓練をなすことにより初めて︑
国民は公民教育で得た知識と道徳を実際生活に実現させることができる︒公民とは︑社会の安寧幸福に関心を持ち︑
社会発展の実現手段と方法を判断し実行する能力をもつものを言うのである︒
公民教育の内容の第二は政治に関する事項である︒木村は︑公民教育が必要とされた理由の一つは︑国民に対す
る立憲政治思想の酒養であるとする︒立憲政治の時代になり︑国民は国家や地方自治体の一員として政治参加の権
利を得たからである︒﹁即ち国民は︑被治者たると同時に治者たるの地位を獲得したのである﹂︒さらに地方の事務
は地方に委任するという地方分権も実施されたため︑公民教育の必要が高唱さ麓・国民が治者としての山蕩を得
たのは︑政治において個人の価値が承認されたからで離ご﹂こで木村は・近代国家における個人の尊重が政治的
方面においても実行されたことを示す︒そして日本においても成立した普通選挙制度の下での国民の政治参加は・
白蓮扶翼のための臣民翼賛としてのものではなく︑国民協同の最大の表現L函利民福の最大要催Lとされる・国
民の政治参与が国家の興隆と国民の幸福に寄与するものとなるためには︑参政権は﹁国民各自の公正なる自由と国
家に対する深き理解︑強き信念の下に行使せられねばならぬ﹂と木村は 一牛弛・参政権は国民個人の権利として・国
民の幸福と国運の進展のために行使されるものと位置づけられている︒同時に参政権は国民各自の自治により・国
家公共団体に認る責務を自覚させるため︑自他の力を△・わせ私を捨て公に奉ずる協同の形式として国民に付与さ
れたものとされる︒つまり﹁国民全部が共同の責任を以つて国の政治に参加し国民全部の最大幸福を計り・以つて
あ 国運の興隆を期する﹂のである︒このような意義を与えられた参政権を国民が正当に行使し︑治者として政治に参
与するための素養を育成するために︑公民教育は必要とされたのである︒木村は︑公民教育が今必要な理由につい
て以下のように述べる︒日本では立憲制度が確立し︑政治参加の権利を明治時代に得たにも関わらず︑国民には立
憲道徳がないとする︒その結果︑選挙違反は後を絶たず了憂慮すべき事態となって馳・従って・政治が国民協
同の最大の表現であることを国民に理解させることが︑今日の時弊に対処するための急務なのである︒政治的革新
を図るには公民教育から出発しなければならない・とするので羅・
公民教育の第三の内容として︑経済に関する事項を木村は挙げ︑その内容を次のように説明する︒経済生活は社
会生活中最も根本的なものである︒社会生活が今日のように複雑で広範になったのは︑経済発展の結果だからであ
一九二〇年代における文部省の公民教育論 ︵都法四十九ー一︶ 三八三
三八四
︵馳・個人は社会的に緊密な結合をなし︑経済を離れて生存することはできない︒個人と社会生活の完成を目指すな
らば︑個人は経済生活の正しい意義を理解し︑社会の経済事情に精通しなければならない︒そして現代の社会人は︑
各自の職業生活と経済生活とを通じて人としての本分を完うすることができるのであるから︑教育の内容として︑
職業的陶冶・経済観念の嚢が重要となるので五犯・また二経済活動の主たる原動力は︑人の自利心と社会的公
共心に在りと云はねばならぬ﹂︒経済活動が個人の欲望に基づくことは確かであるが︑複雑化した社会ではある程
度制限がなくてはならず︑人が社会的公共心を失えば社会生活は破たんしてしまう︒従って︑国民に対して﹁経済
の社会的意義を理解せしめ︑各人の職業は即ち分業にして︑社会に於ける相互依嘱即ち協同の表はれであつて︑社 会奉仕の一形式たることを十分に意識せしめ︑社会連帯の責任感を啓発するのは極めて肝要である﹂︒
木村は︑個人の利己心や欲望を経済活動の原動力として認める一方︑発展を遂げた社会公共生活を維持する上で
は︑これを自制する共同生活本位の道徳即ち公徳心も必要であると説く︒そのためには国民は個人の生存に経済が
不可欠であり︑経済は社会生活の根本であるという経済の社会的意義を理解しなければならないと共に︑経済生活
の現状や知識を習得し︑経済観念の養成を図ることが重要であるとする︒経済観念の養成と同様に重視されるのが︑
職業意識の陶冶である︒職業は単に衣食の方便ではなく︑社会における相互依存の形態の一つであり︑社会奉仕の
手段であるということを認識して︑職業に従事するべきであるとされる︒職業教育は実業補習学校の二大眼目の一
つであり︑職業意識の陶冶が公民科教授要綱で強調されるのも当然のことであるが︑学校教育制度全体において実
業教育重視の傾向があったことからも︑職業的陶冶は特に実業補習学校の公民科にのみ該当する内容ではなく︑公
民教育において重要な要素として包含されていたと言える︒この経済観念の養成と職業意識の陶冶により︑社会不
安の原因を取り除き︑社会連帯の責任を喚起することが公民教育の経済に関する内容となるのである︒
国民が社会生活を完成させるために必要とされたのは︑﹁協同﹂という社会道徳であった︒公民教育の内容であ
る社会︑政治︑経済に関する事項は︑この﹁協同﹂を中心概念として構成されていた︒協同という道徳は︑国家を
含む社会への奉仕︑自己犠牲の精神︑自制心︑遵法という公共道徳の淵源とされた︒このように徳目を並べてみれ
ば︑修身との差異はほとんどないように見える︒しかしすでに検討してきた通り︑公民教育は個人の価値の尊重を
基調としていると見なすべきである︒木村は︑参政権を国民の幸福と国家の発展のために行使されるべき個人の権
利であるとし︑経済発展の原動力として個人の欲望と営利追求を容認する︒自我の解放と他人の干渉の排除に基づ
く個人主義は︑利己主義に陥らない限りで許容される︒何より︑個人主義の弊害は︑個人の自覚を社会的個性の自
覚にまで進化させることで解決することができるとして紅助・近代文化の養となった個人の自覚の確山券前提と
なっている︒また︑横の生活としての﹁共存共栄﹂という公民教育の基本概念自体が︑﹁他人の人格を尊び︑要求
を認め﹂ることを理想とする共同生活を意味しているのであり︑そこで個人の尊厳が保たれていることは明白であ
る︒従って公民教育は個人の尊厳を基調としていると見なすべきであり︑その中心道徳である﹁協同﹂は個人の価
値の容認を前提として構築されていると言うべきである︒
最後に︑公民教育で育成すべき目標とされた公民像を整理しておく︒公民教育における公民とは︑社会公共生活
を営む一員として社会連帯の責任を負うことのできる者であると木村は定義した︒この結果︑国民全てが公民教育
の対象であり︑児童も女子も公民の資格を持ち︑公民たり得るとされた︒国民が公民として習得すべきなのは︑政
治︑経済︑社会生活に関する知識と道徳︑そしてこれらを実際の生活で実行する能力である︒学習すべき知識は・
実際の社会生活に即した︑政治的・経済的事実を理解するための知識である︒公民の持つべき道徳とは︑私を捨て
て公に奉じる公共的精神としての﹁協同﹂である︒この道徳は︑互いの人格を尊重し要求を認め︑自他の力を合わ
一九二〇年代における文部省の公民教育論 ︵都法四十九ー一︶ 三八五
三入六
せて共同生活を営むという共存共栄の理想を支える︒知識︑道徳と同時に公民に必要なのが︑判断力と実行力であ
る︒公民は社会の安寧幸福に関心を持ち︑社会の幸福を左右する社会施設や社会問題︑思想についての正しい知識
を備えて︑社会発展の実現手段を考え︑判断し実行する能力を持たねばならない︒公民として持つべき道徳︑知識︑
実行力を備えたのが︑公民教育の理想像としての公民なのである︒
第三章 中学校における公民科
第一節 文政審議会での論議
中学校や高等女学校などの中等教育課程における公民科の導入は︑実業補習学校公民科教授要綱の完成前後には
文部省では既定路線となっており︑その導入は中等教育課程全体の改革との関わりで進展していった︒中学校教育
の改革を論議し具体化したのが︑文政審議会である︒中学校教育改革は﹁諮詞第十一号中学校教育改善に関する要
項﹂として示され︑一九二八年九月に文政審議会に諮問されている︒
一九二九年六月に提出された答申では︑中学教育改善策としてまず新たに生徒教養要旨を規定することが挙げら
れ︑また学科内容の改善の一つとして︑公民科を設けることが提案された︒生徒教養要旨では中学校教育は高等普
通教育であることが改めて明示された︒時代状況の変化による中学校生徒数の急増に対処するために︑中学校教育
改革は少数の進学者を対象とした受験用教育から︑より大衆的な高等普通教育への転換を意図したものだったので 曇・
答申の生徒教養要旨には道徳教育︑国民教育に関する留意事項が付されている︒留意事項の最初に︑教育勅語を
中心とした道徳教育の徹底と︑国体思想と忠孝観念の強化が掲げられたのは︑直接には一九二八年に起きた共産党
員の一斉検挙︑いわゆる三.一五事件の発生を受けたものである︒文部省はこの事件の直後︵同年四月︶に︑思想
善導に関する訓令︵訓令第五号︶を発布している︒その内容は要約すると以下の通りである︒第一次大戦以後︑国
家社会に対し奇矯過激なる新説を唱道する徒があり︑我が国もその波を受けた︒危惧しているのは︑外間読激の徒
が学生生徒に国体に反する思想を鼓吹注入し国家存立の基礎が破られることである︒従って偏奇の思想を根絶する
方策を講じると同時に︑学生生徒をこれに感染させないために︑特に建国の本義を体得せしめ︑国体観念を明徴な
らしめ︑堅実な思想を酒養するに努めることが喫緊の急務である︑というものであった︒この三・一五事件の衝撃
は当時かなり大きいものであった︒教育制度改革自体も思想善導に関する訓令に指示された通り︑建国の本義と国
体観念の酒養に重点を置いたものとなり︑公民科の内容も実業補習学校のものから変容を余儀なくされたのである︒
中学校教育改革は︑一九二七年四月に組閣された田中義一政友会内閣の下で進行したものである︒水野錬太郎文
相は六月の地方長官会議で︑﹁教育の改善は現内閣内政上の重要なる政綱の一つでありまして︑之を実現せしむる
が為に︑最善を尽くさんことを期しつつある﹂と訓示して滋・田中内閣の警肇は・政友会が一九二五年+月
に発表した﹁教育の根本的改善案﹂を基にしている︒これは同年四月に田中新総裁が誕生したのを受け︑政友会が
新政策として産業立国︑農村振興︑地租委譲とともに立案したもので麩・教育改善案は教育内容の革新・民衆教
育の向上︑官僚教育制度の打破という三つの目標を掲げている︒教育内容の革新とは︑形式的・画一的制度を打破
し︑国民生活の実際に適応させることであり︑﹁殊に精神教育を以て凡ての教授訓練の基調となし︑品性人格の向
上と国体観念の滴養とに一段の努力を要し︑又公共生活︑政治生活の基礎たる公民的教養と︑産業に対する理解及
一九二〇年代における文部省の公民教育論 ︵都法四十九−一︶ 三八七
三八八
︵67︶ びこれを尊重力行するの風尚を養ふこと﹂を実施することである︒政友会が教育改善において主眼としたのは︑中
間層以下の把握である︒社会運動の激化に対し秩序維持を目的として道徳教育を重視する一方で︑生活に密着した
実践的教養の育成と職業に直結する実学教育の強化を掲げ︑また青少年教育の充実や︑画一打破による地方状況へ
の教育の適合などを図ることによって︑農業を中心とした産業全体の生産力向上と政党支持基盤の確保を目指した
のである︒政友会がこの教育改善案で教育内容の革新として示した︑実際生活に適応した教育︑精神教育︑人格の
向上︑国体観念の酒養︑公民教育︑実業教育の重視という方針が︑中学校教育改革の趣旨に反映されていることは︑ ︵77︶ 文政審議会に諮問された要項︵答申とほぼ同内容︶や︑水野文相の訓示︑その後任である勝田主計文相の訓示から
︵87︶ 確認できる︒
では︑﹁諮詞第十一号中学校教育改善に関する要項﹂について︑公民科設置をめぐる文政審議会特別委員会での
議論の様子を︑速記録に見ていくことにする︒公民科の新たな設置は文部省にとっては既定路線であった︒にもか
かわらず︑公民科設置については賛否相半ばし︑公民科の存立自体が危ぶまれるほどの厳しい反対論にさらされた︒
これらの反対論に対して公民科の意義を強調する文部省の反駁から︑中学校公民科の特徴が明らかになる︒
議論が集中したのは既存教科の修身と法制及経済との相違がどこにあるのかという点である︒相違がないならば︑
公民科を新設する理由がないからである︒中学教育改善策の中でも︑国体観念の養成のため︑修身を含めた国民教
育にこれまで以上に力を入れることは重要な方針であった︒しかし︑修身重視の方針の他に︑さらに公民科を創設 お して公民教育を実施するという改善策は︑修身の価値を最も重んじる委員にとっては理解しがたいものであった︒
また公民科は︑知識偏重と批判され︑教育効果もなく失敗と言われた法制及経済と同様の内容をもつのであるから︑ ︵80︶ 同じ轍を踏むのではないかとの指摘を受けた︒これに対して武部欽一普通学務局長は︑公民科は法制経済とは趣を
変えており︑国民の国家生活︑経済生活︑政治生活の方面にわたり︑実際上の立場から︑特に精神を養っていく方
︵81︶ 面に力をいれていると法制及経済との違いを強調した︒
そして︑公民科の内容と目的を把握するために︑公民という概念を明確にしてもらいたいとの要望に対し︑武部
は﹁公民は主として立憲自治と云ふやうな方面︑或は人が公共生活を行って居ると云ふ方面に於て特に公民と云
ふ﹂とし︑﹁公民は公共生活を行って居る人﹂を指すとした︒この公共生活には︑経済的生活と︑権力関係即ち政
︵82︶ 治・行政に参与する生活の両方を含むと説明している︒粟屋謙文部次官も同様に︑市町村公民ではなく広い意味で
の公民を使って公民科と命名しており︑公民科とは自治体の組成員︑国政上における国民としての心得︑経済活動 ︵83︶ という社会生活をする場合の心得︑つまり道徳︑法制︑経済を一つに融合したものだと答えた︒ここに見られる公
民の定義は︑単純化はされているが︑参政権の主体としてだけではなく社会公共生活の一員として捉えられており︑
実業補習学校の公民科のものと同じであるとみなしてよい︒また︑文部省は公民科の新設意義を強調するために︑
この実際の教授方法と内容について︑実業補習学校公民科の担当教員と︑全国の実業補習学校を視察した岡篤郎を ︵路︶ 審議会に呼び︑報告させている︒これまでの法制及経済との違いを明らかにし︑公民科の教育効果について授業担
当者に話をさせて︑独立の科目としての価値を明示したにもかかわらず︑修身と公民科とを一体化する案は最後ま
で残った︒最終的には委員長の裁定で公民科新設が決まったものの︑結局︑文部省は新設反対者たちを説得するこ
とはできなかったのである︒
文部省は中学校教育の改善自体に力を尽くすと同時に︑その一つである公民科新設に対しても心血を注いだ︒公
民科を巡る議論で文部省として答弁したのは︑元実業学務局長の山崎達之輔文部政務次官︑粟屋謙文部次官︑武部
欽一普通学務局長︑森岡常蔵督学官であり︑他に岡篤郎実業補習教育主事︑鈴木静穂実業補習学校校長︑原孝房東
一九二〇年代における文部省の公民教育論 ︵都法四十九ー一︶ 三八九
三九〇
京高等師範学校教授が説明に当たった︒また︑木村正義書記官も発言はしていないが︑臨席していることが確認で
︵85︶