• 検索結果がありません。

A Week On The Concord And Merrimack Rivers にみられる東洋思想について 六 川 信

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "A Week On The Concord And Merrimack Rivers にみられる東洋思想について 六 川 信"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

A Week On The Concord And Merrimack Rivers

にみられる東洋思想について 六 川 信

HenryDavidThoreau(1817‑1862)

の読書を分類す ると,博物学の ものを別 にすれば, エマスン,ギ リシャ ・ラテンの古典,東洋の聖典,イギ リスの

17

世紀の詩人,アメリカの歴 史,アメリカ ・インデ ィアン,旅行記に大別で きるであろ う

(1

)

.

ソーロウが どの分野に最 も関 心をもっていたかを特定す ることは難 しいが,古典に対する関心の深さと東洋の聖典への評 価の高さは, ソーロウの読者の誰 もが気付 くことである.東洋の聖典は トラソセソデソク リ ス トにとっては必読 の書で もあった. ソーロウに及ぼ した東洋思想の研究は,今 まで,多数の 研究家によって試み られてきた

(2).

ソーロウの東洋思想や東洋文学の研究

(theOrientalism)

は印度のヒン ドゥー教の聖典 と中国の儒教の経典が主であるか ら, ソー ロウの場合,東洋思 想 とい うとき,印度思想 と中国思想を指す, と言える.まず, ソーロウと東洋思想 との関係 について,著名な批評家の見解を検討 してお くこととす る.

William ElleryChanning

HenryS.Sal

t は, ソー ロウが ヒン ドゥー教 に関心を も っていた ことに注 目しているとはみ られない.次に

,MarkVanDore

n は, ソーロウほ三 つの文学的源泉‑ 東洋聖典,西洋古典,過去の英国の詩人たち‑ に よって養われた と書 き , 「ソーロウは西洋的だ.‑ ソーロウに対す る東洋哲学の影響は広 くも深 くもない.‑か れは,東洋的態度の真の意味を理解 しているとは言えない.‑ ソーロウは象徴や文章を東洋 の書物か ら借用 しているが,思想は借用 していない.彼 の心に残 ったのはその文章であった.

‑ ソーpウほ東洋の精神 よりギ リシャ精神を うま く理解できた人であった」( 3 )と述べている.

ド‑ レンの見解は,東洋聖典が ソーロウに与えた影響を強調 しすぎることな く,均衡が とれ ているように思われ るが, ソーロウと東洋の書物 との関係についての深い研究に うらづけ ら れた ものではない.

ArthurChristy

は, ソーロウと東洋思想の関係を詳細にとり扱 ってお り, この研究のパ イオニア的役割をはた している

(4).

ァ‑サー ・クリステ ィは ド‑ レンの考えを基本的には踏 襲 しているが, 結論は非常に異なってい る. その主旨を要約すれば , 「ソー ロウは ヨーガ行 者 のように霊魂を鍛 えるとい う目的で孤独 と隈想を求めたが,彼は リア リス トであ り自虐的 な苦行には関心がもてなか った.そのため, ヨーガ行者のような訓練方法を とらなか った.

要するに, ソーpウは自分の思想を広げ るため印度思想を借用 したが,ニュー ・イングラン ドの宗教の遺産を うけついでお り,ニュー ・イングラン ドの ヨーガ行者であるにすぎない」

とい うことになる. クリステ ィーは印度哲学の ソーロウの受容 とい う視点に立 ってはいるが, ヒン ドゥー教 とヨーガの一般論に終 っている感がある.

* 昭和

54

10

月 日本英文学会中部支部大会において発表

* * 一般科 英語 助教授

原稿受付 昭和

56

9

24

(2)

52

長野工業高等専門学校紀要 ・第

12

HenrySeidelCanby

,RalphWaldoEmerson

NaLure

とヒン ドゥー教の聖典が ソーロウの思想の形成の上で重要である,と述べ る.彼は,印度思想が ソーPウの意識に深 く分け入 ってい ること,特に

TheBhagavadGita(5)

が ソー pウに重要な影響を与えている ことに注 目している. だが, キ ャンビーは 「ヤンキーは東洋人にはな らなかった. ソーp

‑は必要 とす る思想を借用 し二度新生したヤンキーとなったが,以然 として変わ らぬヤンキ ーであった

」(

6 )と述べてい る.

以上の意見に対 して

,ShermanPaul

,

『マヌ法典

』(TheLawsofMenu)

が ソーロ ウの霊的生活への案内書 とな り,ブラフマン

(Brahman)

が ソーロウの探求す る霊的主人公 となった と論 じ,興味ある論評を展開している( 7 ) .

WalterHarding

も, ソーロウは孤独 と 院想の必要性の根拠を東洋文学の中に発見 し,東洋文学 の中にす っぽ りとひた っていること は明 らかである,と述べている

(8). Miriam AliceJeswine

は,学位論文において,ソーP ウに及ぼ した東洋思想 (ヒン ドゥー教思想)の影響がいかに多大であったかを論述 している.

ジェスワインは,チ ャニソグ, ソール ト, クリステ ィ,ヰ ヤンピー,シャーマン ・ポール等 の ソーPウ研究家は皆ことごとく, ソー pウが ヒン ドゥー教 の聖典を どれ程深 く研究 してい たかに注 目していない, と批判する.ジェスワインは, ソー pウが読んだ ヒ1 / ドゥ‑教関係 の書物をすべて読破 した後, ソーロウの作品に見 られ るヒン ドゥー教の影響を検討 し て い

る (9).

本稿では, ソーロウの処女作

A Week ontheConco71dandMerrimackRivers(

以下

A Week

と省略)

(1849)

にみ られ る東洋思想の検討を試みたい.

A Week

は ソーpウの 傑作

Walden

の初版本であ り, 序章 「コンコー ド 川 」 と土曜 日か ら金曜 日までの各章 との

8

章で構成されてい る

420

ページの旅行記である.

1839

年の夏, ソーロウが兄

John

と共に, ポー トで コンコー ド川を下 りメリマ ック川を上流へ進み

WhiteMountains

‑ 登 り, 二週 間後に コンコー ドに帰来 した舟旅が もとになっている.紀行文の体裁をとっているこの作品 の実際の旅行記は

131

ページを占め るにす ぎない色 噂 .他は,川旅の途上でのその土地の歴史, 文学論,宗教論等で うまっている. 「 水曜 日」の章の 3分の 2が友情論であることは, この 作品の特質を如実に物語 っている.

1

ソーロウが東洋思想に関心を もち始めたのがいつであるかは不明 だ が

,HenryS.Salt

,

F.B.Sanbo

r n

,ArthurChristy

等の著名な研究家に従 うな ら的, ソーpウとェマスソの交 友は

1837

年 ソーロウの‑‑バー ド大学卒業以後に始 まり, ソーロウの東洋思想への関心を初 めて喚起 したのは彼の師友エマスソであ った. ソーPウは‑‑バー ド在学中は東洋の書物を 読んだ ことはなかったか ら的, ソーpウが東洋思想に関心を抱 くようになったのは

1837

年以 降であることは確かである.ソ‑ロウの

1838

8

22

日の日誌には,

"Howthrillinganoble sentimentintheoldestbooks

,‑

inHomer,theZendavesta,orConfucius!

脚 と あ り,ホーマー , 「ゼソ ド=アべスタ」,孔子を感銘をもって読んだ ことが述べ られてお り, 研究家の裏づけを提供 している. ソーロウは自己と社会 との関係について中国思想か ら学ぶ

ところが多 く,社会批評がその一部をなす

Walden

では中国思想‑の言及が多 くみ られ る

84.

それ に反 して, 自己修養では印度思想に多 くを学び, 自己の向上をテーマとした

A Week

(3)

A WeekOnTheConcordAndMerrimackRivers

にみられる東洋思想について

53

では,孔子の ことば の引用が二か所,孟子か らのが‑か所 あるにす ぎない.

Confuciussaid.〃NevercontractFriendshipwithamanwhoisnotbetterthantIly・

self.M(A Week.288)

<子日,無友不如己者> ( 『 論語』一学而第‑ )

Confuciussaid:〃TocontracttiesofFriendshipwithanyoneistocontractFriendship withhisvirtue.Thereough tnottobeanyothermotiveinFriendship.

H( A

Week,299)

<子日,友也老友其徳也.不可以有挟也> ( 『 孟子』一万貴下‑)

Menciussays:

"

Ifonelosesafowloradog,heknowswellhowtoseekthem agaln;

ifonelosesthesentimentsofhisheart.hedoesnotknow how toseek them again. Thedutiesofpracticalphilosophyconsistonlyinseekingafterthosesentimentsofthe heartwhichwehavelost;thatisall."(A Week,280)

<孟子日,仁人心也,義人蕗也. 舎其路而弗由.放其心而不知求.京哉.人有難犬放,則知求之,有 放心而不知求.学問之道無他,求其放心而己臭. > ( 『 孟子』‑告子章句上)

以上の引用は 「水曜 日」の章の友情論 の中にある.友情論が

A Week

に入れ られたのは,

LinckC.Johnson

に よれば

,1848

年であ り, ソー Pウが ウォルデソ湖を去 って か ら で あ

る的.

1845

年には

A Week

の初稿は完成 していたので, 以上 の引用は ソー ロウの最初 の構 想 にはなか った とい うことになる.

A Week

では , 「月曜 日」 と 「日曜 日」の章を中心に, ヒン ドゥー教 の影響が濃厚である. 従 って

,A Week

におけ る東洋思想は 印度思想が中心 だ, と言 って よいであろ う.

2

ヒン ドゥー教関係で, ソー Pウがェマスソのすすめに より最初 に読 ん だ の は,Si

r W il liam Jones(1746‑1794)

の訳になる

TheOydinancesofMenuAccordingiotheGlossof Culluca(1799

年版) であった. では,いつ この 『マヌ法典』にふれたのだ ろ うか. キ ャ1 /

ビーは

1841

年 と述べ的, 多 くの研究家 もその説を とってい るようであるが, ジェス ワインは

1840

年 と主張 してい る.その根拠は,ソー ロウの

1840

8

17

日の 日誌に,̀

vrhisfairmod・

erncreationisonlyareprintoftheLawsofMenuwiththeGlossofCulluca.''的 と

あ るか らである.筆者は

,1840

年か ら

41

年にかけて ソー ロウが 『マヌ法典』を耽読 してい っ た とす るジェス ワインの説 を と りた い.

1841

3

月の 日誌には,

"Menusaysthatthe

̀supremeomnlpreSentintelligence'iaspiritwhich can only be conceived by a mindslumbering.'Wisdom andholinessalwaysslumber;they are neveractive in thewaysoftheworld."(W ,VII.229‑230)

とある. ソー Pウは 『マヌ法典』か ら,宇 宙 に遍在す る最高の神を知 るには,静寂 と院想が必要であることを学んだ, といえ る.

1841

4

26

日, ソー ロウはェマスソ家に寄寓 し,エマスン邸 の内外 の世話をす ることに

なる.‑マスソほ ソーPウに造園,大工仕事な どの腕を期待 し, ソーロウは読書 と散策 の時

間 と場所 を与え られた. ソー ロウは

,1843

5

月‑マスソの兄の息子の家庭教師 として ニ ュ

ー ヨー ク市へ と発つ まで,エマスソ家に滞在す ることになる. この二年間, ソー ロウは,七

(4)

54

長野工業高等専門学校紀要 ・第1

2

マスンの蔵書か ら東洋の聖典 と思想書を読破 した.彼は東洋の書物を系統的に読み,その傾 倒ぶ りはェマスソを凌いだ. ソーロウはエマスンより多 く,また完全に ヒン ドゥー教の聖典 を読 んだのである.

1841

9

2

日の日誌に,

"ThesublimesentencesofMenucarryusbacktoatime whenpuri丘cationandsacrificeandse

l f

idevotionhadaplaceinthefaith ofmen,

‑"(W,ⅤⅠ.280)

とあ り, ソーpウは 『マヌ法典』 か ら

purity

の原理を学んだことが 明 らかである.この年の夏,『マヌ法典』を耽読 した ソーロウが到達 した一つの結論がこの原 理である.『マヌ法典』は興味の対象 とい うよりもソーロウの内面に深 くしみ こん でい った,

とみ られ る.同年

8

月6日と7日の日誌は ソーロウが感動を もって 『マヌ法典』を読んだ こ とを物語 っている.

"∫cannotreadasentencein thebook ofthe Hindoos without beingelevatedas upon th'e tabk>land oftheGhauts. ・‑The impression which thosesublimesentencesmadeonmelastnighthasawakenedmebeforeanycock・

crowing."(W ,ⅤⅠ.266‑267)

この

Elevation

( 上昇,崇高)の感覚は, ソーpウが この 教典か ら得たものであ り,狭い個人か ら大宇宙の精神へ と高 まる気拝を示 している.‑マス ンは,霊

(sou

l ) と業

(karma)

とい うヒン ドゥー教の教義が 自分の思想に適 していること を発見 したのにとどまったのに対 して, ソーロウは,その教義の精神 と生 き方そのものを学 び とったのである的.特 に,『マヌ法典』の第

6

章及び第1

2

章 の 「輪廻」 と 「最高の福祉をも た らす行為」の節は, ソーロウの思想 と行動に最大の影響を及ぼ してい る.

『マヌ法典』にみ られ るバラモンは, ソーロウの精神生活の崇拝すべ き人物像であった.

ニュー ・イングラン ドの保守的支配階級はイン ドの立法者が軽蔑す る商業階級 の人 々であっ たのに対 し,バ ラモンは最高のカース トに属す るだけでな く,精神の探求が最 も重要な仕事 とす る人 々であったか らで あ る

胸.

隈想

(meditation)

と禁欲生活

(asceticlife)

と孤独

(solitude)

を求めて ウォルデソ湖に隠棲 し自己の精神を純化 しようとした ソーロウのモティ ベーシ ョンは,すでにシャーマン ・ポールの意見を掲げた ように, この 『マヌ法典』に よる ものなのである. 超絶主義者の問では, 当時, 森 の小舎にこもって院想生活をす るとい う ことが比較的一般に行われ,隠棲的生活は一つの流行 となっていた. ソーpウの場合は,こ うした流行に流 された ものではな く,東洋の聖典の導 きによった ことは注 目さ れ て い い.

̀̀OneofthemostattractiveofthoseancientbooksthatIhave metwith is the LawsofMenu.‑ Iknow ofnobook which hascomedown touswith grander pretensionsthan this."

( A Wee k,1 54 ‑1 55 ) この ことばは ソー Pウが

1844

年に書いた

ものであることを考えるとき, ソーpウは 『マヌ法典』の教義に導かれてウォルデソ湖畔で

の孤独 と院想の独居生活に赴いた, といえる.独居生活に入 って

1

か月余たった

8

月1

5

日の

日誌 に,

HWhatifweweretoobey thesefine dictates,thesedivinesuggestions

,

whichareaddressedtothemindandnottothebody,whicharecertainlytrue, nottoeatmeat,nottobuy,orse

l

l,orbarter,etc.,etc.,etc.?''(W,ⅤⅠ.382)

あ り, 『マヌ法典』に従お うとす るソ‑ロウの態度が表われてい る. ソーロウが ウォルデソ

湖畔に赴いたのは,彼が

"Mypurpose in going to Walden Pond wasnotto live cheaplynortolivedearlythere,buttotransactsome privatebusinesswith the fewestobstacles;‑"

約 と述べているように, A We e k の執筆が一つの目的であった こと

(5)

A WeekOnTheConcordAndMerrimackRiversにみられる東洋思想について 55

は確かである.だが,彼が

HIwenttothewoodsbecauseIwishedtolivedeliberately

,

tofrontonlythe‑essentialfactsoflife

, ・

・Iwantedtolivedeep and suck out all themarrow oflife

,

‑ todrivelifeintoacorner."

脚 と述べ るとき, 彼は 『マヌ法典』

の教義を脳裡においていたのである. ソーロウは,

"Thewisestconservatism isthatof theHindoos. Immemorialcustom is transcendent law.'saysMenu. That is, it wasthecustom ofthegodsbeforemenused it. The fault of our New England custom isthatitismemoria

l . "(

A Week,140)

と述べ るように, 太古の時代の原始性

と神聖にひかれていた ようである.彼の東洋聖典‑の関心 と原始主義 とは通 じてい るらしい のだ.

3

『マヌ法典』 と並んで, ソーロウの思想形成に大 きな影響を及ぼ し彼を して新 しき人間‑

と生 まれ変わ らせたのは

,TheBhagavadiGita

である

軸.

彼は,この聖典を,1

9

世紀の標準 版 となっていた

CharlesW ilkins

すheBhagavat‑Geeta (London:Nourse,1785)

で 読んだ

脚.Krutch

に よれば, ソーロウほ これを1

845

年の冬

A Week

執筆中に精読 した

朗.

彼は,1

854

年に再読 し多 くの句を書写 している. ソー pウほ

,A Week

に ウィルキソズの 言葉を引用 して述べている. 「 英国のイン ド支配が終わ ることがあっても 『ギータ』は 永遠 に残 るであろ う」 と.

ソーPウは, ウォルデソ湖畔の独居生活中に,『マヌ法典』 と 『ギータ』 に親 しみ, 彼の 好 きなことばを用いれば , 夜の トオモ ロコシの ように成長 し」,変態を とげ,精神を新生さ せていった, とい うことができる. ソー ロウが 『ギータ』をいかに高 く評価 していたかを彼 のことばに聞 こう.

TheNew Testamentisremarkableforits pure morality;the bestof the Hindoo Scriputure,foritspureintellectuality.Thereaderisnowhereraisedintoandsustained in a high er,purer,or rarerreg10n Ofthough tthan in the Bhagvat‑Geeta.

・Itis unquestionablyoneofthenoblestandmostsacred scriptures which have co'me down tous.(A Week,142)

IwouldsaytothereadersofScriptures,iftheywish for a good book, read the BhagvaトGeeta.‑ translated by CharlesWilkins. Itdeserves tobe read with rever・

enceevenbyYankees,asapartofthesacredwritingsofa devoutpeople;and the intelligentHebrew willrejoiceto丘ndin ita moralgrandeurand sublimity akin to thoseofhisownScriptures.(A Week,1471148)

IncomparisonwiththephilosophersoftheEast,Wemaysay that modern Europe hasyetgivenbirthtonone.BesidethevastandcosmogonalphilosophyoftheBhagvaト Geeta,evenourShakespeareseemssometimesyollthfullygreen and practicalmerely.

・Exoy7'enEctuxmaystillbethe motto of scholars.fortheWestern world hasnot yetderivedfrom theEastalltheligh twhichitisdestinedtoreceivethence.

( A

Week

,

149‑150)

(6)

56 長 野工業高等専門学校紀要 ・第12

ここにみられ る強烈なまでの異教への傾斜は, ソー ロウの内部には以前か らあった.彼は,

1838

年頃,コンコー ドのユニテ リアン教会か ら離脱 していた.彼は,既成のキ リス ト教のわ

くか らす っぽ りと抜け出 して しまっていた.権威主義的で因習化 した教会の神を次の ように 厳 しく批判す る."

Itseemstomethatthegodthatiscommonlyworshipedin civi lizedcountriesisnotatalldivine,though Ile bears a divine name,butisthe overwhelmingauthorityandrespectability ofmankind combined. Men reverence oneanother,notyetGod."(A Week,6566)

ソーロウの求めるのは

God

なのであっ て

god

なのではないのである.彼のキ リス ト教批判は教会の根底を もゆきぶ る発言をも生 み出す.

"Some,tome,Seeminglyveryunimportantandunsubstantialthingsand relationsareforthem everlastinglysettled

, ‑

asFather,Son,and Holy Ghost

,

andthelike. Theseareliketheeverlastinghillstothem.〟(A Week,70)

『 聖書』

を軽視 した ソー ロウは,ついに,キ リス トを人間に引き下 してしまう.

Christwasasub‑

1imeactoronthestageofthewo

r l d . "

(A Week,74)

彼は,自己と神 との関係を,辛 リス ト教 の中に見出せなかったのである. ソーロウは, ヒン ドゥー教徒の方が‑プライ人 よ りもはるかに静かに完壁 に宗教的であると考えていた の で あ る.神の絶対性に対 して個人 の霊的個性の尊厳を徹底 して尊重 した ソーpウが 『ギータ』を え らんだのは, 『ギータ』が 国家や教会に対する義務は議論の対象 とせず 自己に対す る自己の義務についてのみ述べてい るか らなのである鴎, 更に, 彼が 『ギータ』にひかれたのは,彼の精神の中に本来そなわ っ た素質があったか らであ り, ピュー リタンの子孫 として,生活の簡素化 と禁欲生活を信条 と した ピュー リタンであったか らだ とい う意見がある餌. また,生来 自然を愛 し孤独を好んだ ソー ロウの気質は, ヒン ドゥー教の哲学 の説 く沈黙 と思索の美徳 と一致 した とい う説 も あ る

附.

超絶主義者の態度 とヒン ドゥー教徒の態度 の相違はきわめて微妙であるために, ‑マ スソを師 として超絶主義の思想か ら出発 した ソーロウは,それに類似 した ヒン ドゥー教の思 想を受容 Lやすかった, とも考え られ よう.

個人の主体性 と自己信頼を重ん じた ソーpウは,キ リス ト教を宗教の中の独占の地位か ら ひきおろ し, 仏教や ヒン ドゥー教 と並べてしまう.彼の信念は "

Everypeoplehavegodsto suittheircircumstances."(A Week,66)

なのである. ソーロウは一人の神秘家 として, 秤 ( 彼は これを

Walden

の中で

theperennialsourceofourlife

と呼び

A Week

では

everlastingSomething

または

UniversalOne

と言 っている)に近づ くべ く其聾に生きた.

彼の最大 の関心事は大宇宙の中に神を見 ることであった鰯. その彼にとっては,形骸化 した 宗教 にとらわれ ることは無意味であった.

ItrustthatsomemaybeasnearanddeartoBuddha,orChrist,orSwedenborg

,

whoarewithoutthepaleoftheirchurches.ItisnecessarynottobeChristiantoap・

preciatethebeautyandsignificanceofthelifeofChrist. Iknowthatsomewillhave hardthoughtsofme,whentheybeartheirChristnamedbesidemyBuddha,yetIam surethatIam willingtheyshouldlovetheirChristmorethan my Buddha,forthe loveisthemainthing,andllikehim too."GodistheletterKu,aswellasXhu."

( A We e k,6 8 )

(7)

A WeekOnTheConcordAndMerrimackRiversにみられる東洋思想について 57

この ような思想を もつ ソーpウほ,当然のこととして,当時の知識層の人 々か ら白眼視さ れたのである. ソー ロウが生前,また,死後 も長 く酷評 された原田の一つが これである. ソ ーロウの願望は,大 自然に融合 し宇宙の根源 と合一す ること,換言すれば,現象界

(maya)

に依存す ることを捨て, Br

ahma‑

一切生類の究極の目的で宇宙の根本原理‑ との融 合を果たす ことにあった. これがために,『ギータ』に見出 した ものは何であったろ うか.

TheOrientalphilosophyapproacheseasilyloftierthemesthan the modern aspires to;andnowonderifitsometimesprattleaboutthem.Itonly asslgnS their due rank respectivelytoActionand Contemplation,or ratherdoesfulljustice to the latter. Westernphilosophershavenotconceivedofthesigni丘CanceofContemplation in their sense.(A Week,1421143)

Beholdthedifferencebetween the Orientaland the OccidentaL The former has nothingtodointhisworld;thelatterisfullofactivity.(A Week,147)

西洋思想 と東洋思想が動 と静 との対照の下で対比 されてい る. ソーロウは,静かな る東洋 思想の中に院想の何たるかを見 出そ うとしている.彼が 『ギータ』か ら学んだ最大の ものは 院想であった とい う分析は, ソーpウ研究家に共通 した見解であ る. ソーpウは,『ギータ』

Contemplation

Elevation

とい う2 つの角皮か ら賛美 している. 院想 とい う視点で 眺めるとき,ゲーテは理性の領域に止 ま りヒン ドゥー教の聖者には遠 く及ばな く,シェイ ク スピアも広大で宇宙論的な 『ギータ』の哲学の前では青二才に見 える, とソー ロウは述べ る のである.院想の意味について,東洋的な色合いで深 くソー pウは気付いていたのであろ う.

『ギータ』が ソーPウの心の苔 とな り生渡の指針 となった ことは間違いはない.『ギータ』

か らの引用は

A Week

の 「月曜 日」の章の数ページにわた ってみ られ るが,そのい くつか を掲げたい.

Forthemanwhodoeththatwhichhehathtodo,withoutaffection,obtaineth the Supreme.(A Week.145)

「 執着を離れて行為を行なう人は最高所 ( 解脱)に到達するから

」(

『 ギータ』第

3

,19

)餌

Wisemencallhim aPandeet,whoseevery undertaking isfree from the idea of desire,andwhoseactionsareconsumedbythe丘reofwisdom.(A Week,145)

「 すべての行為が欲望や意図を離れた人'その行為が知恵の火で焼き尽 くされた人を,知恵のある者 は賢者と呼ぶ

」(

『 ギータ』第

4茸19

節)

HeisbothaYogeeand a Sannyaseewho performeth thatwhich he hath to do independentofthefruit.(A Week,145)

「 行為の結果を期待せず,義務的行為をなす者,彼は遠孤老 ( サンニヤー

ン)であり突修者 (ヨー ギ)である.

」(

『 ギーク』

節 6茸 1

節)

4

ソーpウが ウォルデソ湖‑赴いた時期は,儀式的行動によって崇高なものに到達す るため

参照

関連したドキュメント

ロボットは「心」を持つことができるのか 、 という問いに対する柴 しば 田 た 先生の考え方を

問についてだが︑この間いに直接に答える前に確認しなけれ

私たちの行動には 5W1H

  「教育とは,発達しつつある個人のなかに  主観的な文化を展開させようとする文化活動

はありますが、これまでの 40 人から 35

優越的地位の濫用は︑契約の不完備性に関する問題であり︑契約の不完備性が情報の不完全性によると考えれば︑

信号を時々無視するとしている。宗教別では,仏教徒がたいてい信号を守 ると答える傾向にあった

神はこのように隠れておられるので、神は隠 れていると言わない宗教はどれも正しくな