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ビ デ オ で 読 む 小 津 安 二 郎

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(1)

痙 攣 す る デ ジ ャ ・ ヴ ュ

⎜⎜

ビ デ オ で 読 む 小 津 安 二 郎

⎜⎜

﹃ 宗 方 姉 妹 ﹄

ド ン

・ キ ホ ー テ の 運 命

︑ あ る い は 激 発 す る 暴 力

中 澤 千 磨 夫

幻の ノー ベル 賞 から 第四 十三 作︒ 一 九五

〇年 撮影

・公 開

︑新 東宝 映画

︒小 津 安二 郎初 めて の他 社作 品

︒撮 影は 厚田 雄春 で はな く小 譲治

︒小 原は 五 所平 之助

﹃恋 の花 咲く 伊 豆 の踊 り子

﹄︵ 一 九三 三年

︶や 黒澤 明﹃ 一 番 美し く﹄

︵一 九四 四 年︶ の 影を 担当 して い る︒ 原作 は一 九四 九 年六 月二 十五 日か ら 十二 月三 十一 日︑

﹃ 朝日 新聞

﹄に 連 載さ れた 大 佛次 郎の 編小 説︒ 冒頭

︑八 坂の 塔 の空 ショ ット が京 都 から 始ま る物 語で あ るこ とを 示す

︒続 く京 都 大学 の時 計塔 のシ ョ ット は︑ 津好 みで 頭が 切 れて いる

︒針 は十 時 二十 七︑ 八分 を示 す

︒京 大は 四十 九年

︑新 制 大学 に改 組さ れて お り︑ 湯川 一

(2)

秀 樹が 日本 人初 の ノー ベル 物理 学賞 を 受賞 して いた

︒場 面 は医 学部 の階 段教 室に 代 わり

︑教 授の 内田 譲

︵斎 藤達 雄

︶が

﹁ウ サギ の 耳を 剃っ てコ ール タ ール を塗 る﹂ と︑ 山 極勝 三郎

︵一 八六 三〜 一 九三

〇年

︶の 人工 癌 発生 研究 に つい て講 義し て いる

︒ 一九 一五 年︑ 東 京帝 国大 学の 山極 勝 三郎 と特 別研 究生 の 市川 厚一

︵一 八八 八〜 一 九四 八年

︶は

︑ウ サ ギの 耳に コ ール ター ルを 塗 布し

︑癌 を作 ると い う地 道な 研究 に従 事 し︑ 世界 で初 めて 刺激 物 が癌 の原 因と なる こ とを 突き 止 めた

︒こ の研 究 はノ ーベ ル賞 の候 補 にな った が︑ 受賞 に は至 らな かっ た︒ 東洋 人 への 偏見 があ った と もい う︒ 今 も幻 のノ ーベ ル 賞と して よく 知ら れ てい る︵ たと えば

︑ 遠藤 憲一 主演 の映 画・ 近 藤明 男﹃ うさ ぎ追 い し 山極 勝 三郎 物語

﹄︵ 二

〇一 六年

︶︶

︒ 映画 では 内田 教 授は 宗方 姉妹 の父 た る忠 親︵ 笠智 衆︶ の 旧友 で主 治医 とい う設 定

︒大 佛次 郎の 原作 で は忠 親が 通 って いる のは 大 阪大 学︒ 原作 には 言 及さ れて いな いこ の 癌研 究が ノー ベル 賞候 補

︵候 補に なる こと 実 に四 回︶ に なっ てい たこ と を︑ 脚 本 を書 いた 野田 高梧

・小 津 安二 郎が 知 って いた かど うか は詳 ら かに しな い︒ 湯 川 秀樹 ノー ベ ル賞 の余 韻が 冷 めや らぬ 頃だ から

︑ 関連 付け た話 題︑ つ まり 候補 にな りな がら 受 賞し なか った 日本 人

︑山 極・ 市 川の ほか に北 里 柴三 郎︑ 鈴木 梅太 郎

︑野 口英 世な どの 話 題提 供が 当時 あっ たと い う可 能性 はあ る︒ つ いで なが ら

︑﹃ 毎日 新 聞﹄

︵二

〇〇 九・ 九・ 一三

︶に よ れば

︑賀 川豊 彦が ノ ーベ ル文 学賞

︵一 九 四七 年︑ 四八 年の 二回

︶︑ 平 和 賞︵ 五四

〜五 六 年の 三回

︶の 候補 に 挙が って いた こと も 分か った

︒ ノー ベル 賞繫 が りと いう のも 興味 深 いこ とで はあ るが

︑ より 恐ろ しい 連想 とい う のは

︑宗 方忠 親が 癌 を患 って い るこ とか ら生 ず る︒ 小津 映画 の癌 と いえ ば︑ なん とい っ ても 撮ら れる こと なか っ た﹃ 大根 と人 参﹄ の 設定 だ が︑

(3)

﹃ 宗方 姉妹

﹄に お い て︑ ウサ ギの 耳に 癌 とい うモ チー フが 出 現し てい るこ とに 慄然 と する

︒小 津安 二郎 が 腮源 性癌 腫 とい う喉 の癌 で 亡く なっ たの はよ く 知ら れた 事実

︒田 中 眞澄 は﹃ 小津 安二 郎周 游

﹄︵ 二〇

〇三

・七

︑ 文 藝春 秋︶ に おい て小 津の 癌 は毒 ガス 兵だ った こ とに 関係 する だろ う かと いう 問題 を提 起し て いた

︒日 本の 毒ガ ス は瀬 戸内 海 に浮 かぶ 大久 野 島︵ 広島 県豊 田郡 忠海 町︵ 現在 は 竹原 市忠 海町

︶︶ で製 造さ れて い た︒ 戦時 中は 軍事 機 密で 地図 か らも 消さ れて い た︒ 大久 野島 は小 津 が逝 った 一九 六三 年 に国 民休 暇村 とな り︑ 今 では 野生 化し たウ サ ギと 触れ 合 える 島と して 人 気を 呼ん でい る︒ こ の島 では

︑戦 時中 ま で毒 ガス の実 験用 にウ サ ギが 飼育 され てい た

︒国 民休 暇 村は

︑現 在野 生 化し てい るウ サギ は 毒ガ ス実 験用 のそ れ とは 無関 係で ある とい っ てい るが

︑私 はい さ さか 疑問 に 思っ てい る︒ ウ サギ を介 して 毒ガ ス と癌 が繫 がる ので あ る︒ 小津 は大 久野 島の ウ サギ につ いて は知 ら なか った と 思う

︒し かし

︑ 小津 映画 が恐 ろし い のは

︑こ うい った 連 想を 呼ん でし まう とい う こと なの であ る︒ 市川 厚一 は後 年

︑北 海道 大学 獣医 学 部教 授と なっ た︒ 北 海道 大学 総合 博物 館に は

︑市 川が 実験 した ウ サギ の耳 の 癌標 本が 展示 さ れて いる

︒耳 と喉 が ひと つな がり であ る のは 指摘 する まで もな い

︒ 宗方

姉妹 って ど う読 むの 時計 塔の 針が 十 一時 二分 を指 して い る︒ 内田 教授 の研 究 室に

︑節 子︵ 田中 絹代

︶ が待 って いる

︒こ の 映画 の中 で

︑節 子は 一貫 し て着 物姿 であ る︒ そ れは

︑妹 の宗 方満 里 子︵ 高峰 秀子

︶が 一貫 し て洋 服を 着て いる の と対 比的 に 作ら れて いる

︒ 今和 次郎 の調 査︵

﹁東 京 銀座 街風 俗記 録﹂ 婦人 公論 一 九二 五・ 七

︶に より

︑大 正十 四 年の 銀座 街 頭で 洋装 モガ の 割合 がた った の一 パ ーセ ント だっ たこ と はよ く知 られ てい る︒ 今 は﹁ 目に つき やす い もの は多 三

(4)

数 に感 ぜら れる

﹂︵ こ こで の引 用 は 考現 学入 門 一九 八 七・ 一

︑ち くま 文庫 によ る

︶と 分析 した が︑ 日 本女 性の 洋 装が

︑戦 時中 の モン ペを クッ ショ ン に劇 的に 平準 化す る のは 敗戦 後の こと であ る

︒ ここ で素 朴な 疑 問を 呈し てお けば

︑ 三村 亮助

︵山 村聡

︶ の妻 たる 節子 は︑ 三村 節 子で ある はず だ︒ し かる にな ぜ

︑宗 方姉 妹で あ るの か︒ 脚本

︵こ こ では 井上 和男 編﹃ 小 津安 二郎 全集

﹇下

﹈﹄ 二

〇〇 三・ 四

︑新 書館

︒ 以下 同︶ に も宗 方節 子と な って いる

︒今 は三 村 節子 であ って も︑ 旧 姓宗 方の 姉と いう こと く らい なの か︒ ある い は節 子の 行 く末 が暗 示さ れ てい るの か︒ 女性 の服 装に つ いて は︑ 大佛 次郎

﹃宗 方姉 妹

﹄に も 田代 宏の 感 慨が こう 述べ られ て いる

︒﹁ だが

︑そ れ にし ても 若 い女 性の 変化 の 急速 なの には 驚く の だ︒ 男性 はま だ戦 争 の疲 労を 残し てゐ て服 装 だつ てい つま でも 薄 汚な いの に

︑若 い女 たち は 何と

︑早 く形 を変 へ て了 つた こと であ ら う? 口 紅や 髪の 形が 変 化し たせ ゐだ けで は ない

︒新 時 代に 伴つ た解 放 の度 合が

︑男 より も 深か つた せゐ もあ ら うか

﹂︵ ここ での 引 用は

︑角 川文 庫一 九 五二

・五 初 版の 第 二三 版六 二・ 二 によ る︒ ただ し旧 漢 字は 新漢 字に 直し た

︒以 下特 に断 る以 外は こ の版 によ る︶ と︒ ちな みに

︑サ ン グラ ス投 げキ ッス で アメ リカ から 帰り

︑ アメ ショ ン女 優と の悪 評 判を 頂戴 した 田中 絹 代の 帰国 後 第一 作で あっ た

︒そ の田 中を 着物 で 通す 役に 振っ た小 津 の計 らい はな んと も小 粋 であ る︒ 節子 は内 田か ら 手紙 を貰 い︑ 父・ 宗 親の 病状 を聞 きに や って きた のだ

︒父 は京 都 に住 んで いる

︒節 子 は父 の寿 命 があ と半 年か 一 年と 聞か され る︒ 内 田は

﹁ 宗方 は いい やつ だよ

﹂と いう

︒﹁ むな か た﹂ で はな く﹁ むね かた

﹂と 発 音し てい る︒ 田 中眞 澄は 松竹 映像 版 権室 編﹃ 小 津安 二郎 映畫 讀 本﹇ 東 京﹈ そ して

﹇ 家族

﹈﹄

︵ 一九 九三

・九

︑ フィ ル ムア ート 社︶ の作 品 解説 で︑

﹁題 名 は﹁ むね かた

・き ょ うだ い﹂ と 読 む︒

﹁む なか た・ し まい

﹂で はな い﹂ と 記 す︒

(5)

﹁ きょ うだ い

﹂は

﹃戸 田家 の 兄妹

﹄︵ 一九 四 一年

︶に も引 きず られ て いる だろ う︒ もっ と も︑ 大佛 次郎 は﹃ 朝日 新 聞﹄ 連 載予 告︵ 作者 の言 葉 一九 四 九・ 六・ 一 九︶ で﹁ むね か たき よう だい

﹂と 読む こ とを 示し てい たか ら

︑そ れが 踏 襲さ れて いる だ けか もし れな い︒ た だ︑ 厄介 なこ とに 私 が確 認し た角 川文 庫版 と 新潮 文庫 版︵ 一九 五 四・ 三︶ の 改版 二十 九刷

︵七 二・ 八

︶に は﹁ む なか た

﹂と ル ビが 付 され てい る︒

﹁ むな かた しま い﹂ と読 むの が自 然な の で︑ 旧 稿に 朱を 入れ る こと 多か った 大佛 も 折れ てし まっ たか

︒ 小川 和也

﹃ 大佛 次 郎の

﹁ 大東 亜戦 争﹂

﹄︵ 二

〇〇 九・ 一

〇︑ 講 談社 現代 新書

︶ でも

﹁む なか たし ま い﹂ とル ビが 付さ れ てい るが

︑こ こで はこ れ 以上 詮索 しな い︒ た だ刷 数か ら して

︑﹃ 宗 方姉 妹﹄ はか なり 読 まれ 続け た作 品で あっ た こと を確 認し てお こ う︒ 苗字 の読 み方 と いえ ば﹃ 小 早川 家 の秋

﹄︵ 一九 六 一年

︶︒

﹃ 小津 安二 郎映 畫讀 本﹄ 作 品 解説 で田 中眞 澄は

﹁﹁ 小 早 川﹂ は﹁ こ はや がわ

﹂と 読ま せ てい る︒

﹁こ ばや か わ﹂ で は︑ 台 詞と して 映画 の中 で強 く 響き すぎ ると いう 配 慮が あっ た らし い﹂ と いっ て いる

︒﹁ な﹂ 音 と﹁ ね

﹂音 の わず かな 違 い︒ そこ まで 小津 が神 経 を使 って いた とい う こと か︒ 歳の

離れ た﹁ き ょう だい

﹃ 宗方 姉妹

﹄の 登 場人 物た ちは 何歳 な のか

︒整 理し なが ら

︑宗 方家 の来 し方 を振 り 返っ てお こう

︒脚 本 に書 かれ て いる 年齢 を記 す と︑ 物語 の時 点︵ 公 開時 の一 九五

〇年 と する

︶で

︑宗 方忠 親・ 六 十歳

︑節 子・ 三十 四 歳︑ 満里 子・ 二 十五 歳︑ 田代 宏・ 三 十五 歳︑ 三村 亮助

・三 十 七歳

︑ 真下 頼子

・三 十 二歳

︑前 島 五郎 七・ 二 十七 歳︑ 内田 譲・ 五 十九 歳と いう 設 定︒ 数え 歳で ある か も知 れぬ が︑ その 点 は無 視す る︒ 忠親 を演 ず る笠 智衆 の実 年齢 は 満四 十六 歳

︑節 子の 田中 絹 代は 満四 十歳

︑満 里 子の 高峰 秀子 は満 二 十六 歳︑ 宏の 上原 謙は 満 四十 歳︑ 亮助 の山 村 聡も 満四 五

(6)

十 歳︑ 真下 頼子 の 高杉 早苗 は満 三十 一 歳で あっ た︒ 島津 保 次郎 の﹃ 隣の 八重 ちゃ ん﹄

︵ 一九 三四 年︶ で デ ビュ ーし た 高杉 早苗 は梨 園 に嫁 ぎ一 度引 退し た が︑ 戦後 復活

︒女 優 とし ての 幅も 広が った

︒ 子は 二代 目市 川猿 翁 ら︒ 孫に 香 川照 之︵ 九代 目 市川 中車

︶︑ 四 代目 市川 猿之 助が いる

︒ のち に神 戸の 宏 の店 を満 里子 が訪 ね

︑姉 の 日記 を 話題 にす る︒ 一 九三 七年 の こと

︒﹁ 帝 劇﹂

︑﹁ お堀 端﹂ や﹁ 由 比ヶ 浜

﹂で 節子 と宏 が 逢引 きし てい たと い うの だ︒ これ もの ち に分 かる 満里 子が 女学 校 二年

︑宏 がフ ラン ス へ行 く前 に 大連 で会 った と いう 事実 を勘 案し て みよ う︒ 女学 校二 年 を十 三︑ 四歳 とす ると

︑ 十一

︑二 年前

︑つ ま り一 九三 八

︑九 年の こと に なる

︒こ の時

︑忠 親 は満 鉄勤 務だ った と いう こと にな るか

︒節 子 と宏 の恋 が実 らず

︑ 亮助 と結 婚 した のが

︑こ の あと

︑宏 がフ ラン ス に行 って から とい う

︒節 子は 子を 授か るが

︑ 不幸 にも 亡く して し まう

︒そ れ がい つの こと で あっ たか

︑映 画で 特 定は 出来 ない が︑ 原 作で は敗 戦時 のこ とと さ れる

︒あ の夏 の引 き 揚げ 混乱 時 のこ とな のだ

︒ 節子 と宏 は想 い 合う 仲で あっ た︒ 末 尾に 近く 薬師 寺で

︑ 十四

︑五 年前 に法 隆寺 へ 行っ た帰 りに ここ へ 来た こと が ある とい う会 話 が︑ ふた りの 間で 交 わさ れる

︒一 九三 五

︑六 年と いう こと にな る

︒満 里子 が女 学校 へ 上が るこ ろ

︒満 里子 はど こ の女 学校 に入 った の か︒ それ は大 連で の こと だろ う︒ 大連 には 複 数の 高等 女学 校が あ った

︒二

〇 一三 年六 月一 日 の﹃ 朝 日 新聞

﹄︵ 夕刊

︶は 大連 弥生 高等 女 学校 の最 後の 同窓 会が 東 京都 港区 の明 治記 念 館で 開か れ るこ とを 報じ

︑ 当 時︑ 大連 周 辺に は︑ 旧制 中学 や高 等 女学 校が 20近 くあ っ た と伝 えて いる

︒ 節子

・宏 が 焼け ぼ っく いに なる か どう かと いう のが

︑ スト ーリ ーラ イン の ひと つな のだ が︑ それ が はっ きり しな いの が

︑こ の作 品 の印 象を 薄く し てい る要 因な ので あ ろう

(7)

節子 と満 里子

︒ 歳の 差は ここ のつ

︒ 戦前 の﹁ きょ うだ い

﹂は 大人 数が 普通 だか ら 珍し くも ない か︒ で も︑ ふた り

﹁き ょう だい

﹂ だか ら︑ やは り育 ち の感 覚は かな り違 う だろ う︒ 満州 体験 も随 分 と違 うは ずだ

︒何 も かも 失っ た 満州 帰り の宗 方 家の 人々 は︑ 期待 を 込め て天 津に 渡っ た 戸田 家の 兄妹 の後 裔な の では ない か︒ 小津 も また

︑宗 方

﹁き ょう だい

﹂ と呼 ぶの は︑ そん な 意味 合い が込 めら れ てい るか らか もし れな い

ATOMIC BOMB

障子

︑障 子 と画 面奥 の庭 に向 か うに 連れ 閉じ てい く 小津 の遠 近法

︒た だし

︑ 正面 から 少し 右に 寄 った 位置 に カメ ラが 据え ら れる

︒横 向き に坐 り

︑煙 草を 吸い なが ら 英文 雑誌 をめ くる 忠親

︒ 煙草 は内 田教 授が 好 まし くな い とい って いた 刺 激物 だ︒ 注目 すべ きは

︑ 見出 しの

ATOMIC BOMB

﹂と いう 文 字が はっ きり 読め るこ と

︒ノ ーベ ル賞 湯川 秀 樹の 中間 子 理論 とい い︑ 小津 の 演出 が戦 争へ 戦争 へ と向 かう

︒ア イン シュ タイ ン を始 めと して

︑一 九四

〇年 代の 物理 学 は︑ こ とご とく 原子 爆 弾や 原子 力平 和利 用 とい う名 の原 子力 発 電に 繫が って いた

︒小 津 の関 わり 知ら ぬこ と で余 談に な るが

︑一 九六 八 年か ら七 八年 まで

︑ 日本 原子 力研 究所

︵現 在の 日 本原 子力 研究 開発 機 構︶ 理 事長 を務 めた の は︑ 宗 像英 二︵ 一 九〇 八

〜二

〇〇 四年

︶で あ る︒

﹁ むね かた

﹂と 読 む︒ 宗 像は 戦時 中︑ 朝鮮 窒 素肥 料阿 吾地

︵ 現在 は北 朝 鮮︶ 工場 で︑ 人 造石 油開 発に 関わ る 技師 だっ た︵ 岩間 敏

﹃日 米開 戦と 人造 石油

﹄ 二〇 一六

・一

︑朝 日新 書

︶︒ 宗 像英 二が 理事 長 の時 代に 高速 増殖 原 型炉 もん じゅ の設 計 と建 設計 画が 進め られ た

︒ そこ にシ ャツ に 前掛 けス カー ト姿 の 満里 子が 入っ てく る

︒続 いて 田代 宏も 加わ る

︒隣 の部 屋に 暖簾 だ ろう か︑ 七

(8)

九 曜紋 が七 つ︒ なぜ か左 端 のも のだ けひ と回 り大 き い︒

﹃父 あり き﹄

︵ 一 九四 二年

︶の 寺 の鴨 居に も九 曜紋 があ っ た︒ 小 津映 画に おけ る 家紋 とい う問 題設 定 も成 立す る︒ 観る た びに 謎が 深ま るの が小 津 映画 の魅 力な ので あ る︒ 満里 子が

﹁ま だ 女学 校の 二年 生ぐ ら い﹂ の時

︑大 連で 会 って 以来 だと いう 話に な る︒ 名前 から 明ら か なよ うに 満 里子 は満 州生 ま れで ある

︒原 作で は忠 親 が国 境の 町満 州里 に出 張 中︑

﹁大 連で 生れ て

︑あ ち らで 教育 を 受け た﹂ と ある から

︑満 州 里に ゆか りと いう こ と︒ さら に︑ 宗方 は

﹁終 戦と 同時 に失 脚し た 一家

﹂と 記さ れて い た︒ 満里 子 と田 代が 大連 で 会っ た年 の秋

︑田 代 がフ ラン スへ 行っ た こと

︑忠 親が 満鉄 に勤 め てい たこ とな どに 話 が及 ぶ︒ 田代 が神 戸で 家 具を 作っ てい るこ と が分 かり

︑満 里子 が

﹁あ あ︑ ファ ニチ ュア

﹂と 確認 する

︒満 里 子が 英語 に 堪能 であ ると い うこ とが 示さ れる

︒と いっ て も︑ そ れを から か う父 もま た英 文雑 誌 を読 んで いた とこ ろだ か ら︑ 単 に戦 後の 新風 俗

︑つ まり アメ リカ に 犯さ れる 日本 とい う 側面 を示 すと いう わけ で はな い︒ アメ リカ と の戦 争が 始 まる と︑ 敵性 語 とし ての 英語 を禁 じ る喜 劇が 演じ られ た が︑ 宗方 家の 場合

︑そ れ 以前 から 英米 欧の 文 化を 摂取 す る土 壌が あっ た と理 解す る方 が正 確 だ︒ とは いえ

︑娘 の 英語 をか らか う父 が︑ オ キュ パイ ド・ ジャ パ ンの 現状 を 皮肉 交じ りに 眺 めて いる こと も当 然 であ ろう

︒占 領下 小 津映 画に 現れ た英 語の 意 味は

︑考 えて みた い テー マで あ る︒ 独立 後の 作 品で はあ るが

﹃東 京物 語﹄

︵ 一九 五三 年︶ で は

︑美 容師 の平 山志 げ︵ 杉村 春子

︶が

﹁ ネ ープ ライ ン

﹂︑

﹁ レフ ト・ サイ ド﹂

︑﹁ ラ イト

・サ イド

﹂と いっ た英 語 を使 って いた り︑ 平 山実

︵村 瀬禅

︶が over.Sprinhacome.  Thwinter is

﹂ と﹃

NEW TSUDA READER

﹄を 読 み上 げて いる

︒後 者 につ いて

︑小 野俊 太郎

﹃﹃ 東 京 物語

﹄と 日本 人﹄

︵ 二〇 一五

・一 一

︑松 柏社

︶は

︑﹁ この 映 画が 変化 をめ ぐる 物語 で ある こと を私 たち に 告げ てい る

﹂と 読ん でい た

︒志 げの

﹁ネ ープ ラ イン

﹂を 小野 は︑ 医 者・ 幸 一の ドイ ツ語 とと も に﹁ 職業 上必 要だ った せ い﹂

(9)

と する

︒ 節子

の流 行観

﹃ 宗方 姉妹

﹄に 戻 れば

︑英 語使 いは 満 里子 だけ では ない

︒ 着物 で通 して いる 節子 も 使っ てい る︒ 節子 が 藤代 美恵 子︵ 坪 内美 子︶ と共 同経 営す る バー

ACACIA

︑満 里子 が 雑誌 に載 って いる よう な 洋服 を作 ろう かと い うと

︑姉 は

﹁似 合わ ない わ よ︒ そん なフ ァン シ ーな の︒ ドレ ープ が 強過 ぎる わよ

﹂と 応ず る

︒や はり 時代 の﹁ 変 化﹂ を表 す のだ とで もい っ てお くべ きこ とだ が

︑よ り重 要な のは

︑ のち に言 及さ れる 節子 の 流行 観だ ろう

︒ 夜遅 く︑ 酒を 飲 んで 帰宅 した 満里 子 を節 子が 注意 する

︒ 節子 は反 発し

︑義 兄に 我 慢し てい る姉 をな じ る︒ 姉は

﹁ 満里 ちゃ ん には まだ 分か んな い のよ

﹂︑

﹁ そん なも の じゃ ない のよ

︑夫 婦 って

︒い つ も いい 時ば っか りあ る もん じゃ な いわ

﹂と 応ず る︒

﹁ そん な古 い考 え方

﹂は 嫌い だと 満里 子 は自 分の 部屋 に入 って 行 く︒ 追っ てき た節 子 は語 る︒

﹁ あた しは 古 くな らな いこ とが 新 しい こと だと 思う のよ

︒ほ ん とに 新し いこ とは

︑い つま でた って も古 く なら ない こ とだ と思 って る のよ

︒そ うじ ゃな い

︒あ んた の新 しい っ てこ とは

︑去 年流 行っ た 長い スカ ート が今 年 は短 くな る って こと じゃ な い︒ みん なが 爪を 紅 くす れば

︑自 分も 紅 く染 めな きゃ 気が すま な いっ てこ とじ ゃな い の︒ 明日 古 くな るも んだ っ て︑ 今日 だけ 新し く 見え さえ すり ゃ︑ あ んた

︑そ れが 好き

︒前 島 さん 見て ごら んな さ い︒ 戦争 中

︑先 にた って

︑ 特攻 隊に 飛び 込ん だ 人が

︑今 じゃ そん な こと けろ っと 忘れ て︑ ダ ンス や競 輪に 夢中 に なっ てる じ ゃな いの

︒あ れ があ んた のい う新 し いこ とな の﹂ と︒ 満 里子 は﹁ 育っ た世 の中 が 違う んだ もの

﹂と い い放 つ︒ 節子 の台 詞は い かに も小 津節

︒﹃ 宗 方姉 妹﹄ 撮影 の年 頭︑ 小 津は

﹁ 一九 五〇 年に な った から とい って

︑ 僕に はこ 九

(10)

と さら 新し いも の があ ると は思 えな い

︒永 遠 に通 じる もの こそ 常 に新 しい ので あっ て

︑巷 にあ ふれ るロ ン グス カー ト だと か何 だと か とい う流 行は 単な る 現象 にす ぎな い︒ 現 象が 変ら ぬこ と⁝

⁝そ れ が新 しい ので ある か ら︑ 古い と か新 しい とか い うこ とが

︑た だ 現象 だけ で いわ れる のな ら僕 の 今年 はこ とさ ら古 い もの を追 及し たい

︵﹁ 僕 は古 い もの で⁝

⁝/ 新 しい 年へ の提 言﹂

﹃ 読売 新聞

﹄一 九五

〇・ 一・ 一︑ ここ での 引用 は 田中 眞澄 編﹃ 小津 安 二郎 戦後 語 録集 成 昭和 21︵ 1 94 6︶ 年

⎜ 昭 和38

︵1 96 3

︶年

﹄一 九八 九・ 五︑ フ ィル ムア ート 社に よ る︶ と語 って い た︒ 三上 真一 郎﹃ 巨 匠 とチ ンピ ラ 小津 安 二郎 との 日々

﹄︵ 二

〇〇 一・ 四︑ 文 藝春 秋︶ に 出て くる 有名 な エピ ソー ド

︒小 津が いつ も 一張 羅の

﹁グ レイ の 三つ 揃い

﹂ば かり を 着て いる と思 って いた 三 上が

︑北 鎌倉 小津 邸 の押 入れ を 開け ると

︑ず ら りと グレ イの 三つ 揃 いが 幾組 もあ った と いう 話を 思い 出す

︒と は いえ この 節子 の台 詞

︑あ まり に スト レー トな の で︑ かえ って 印象 が ぼや ける

︒ 大妻 女子 大学 の 創設 者・ 大妻 コ タカ

﹃ 女 性教 養家 事全 書﹄

︵ 一九 三六 年︶ はこ んな こ とを いっ てい る︒

﹁ 無闇 やた ら に流 行の 尖端 を 走る こと を好 んだ り

︑新 らし がり やで あ るこ とを 誇つ たり する と ころ に飛 んで もな い 失敗 を招 い たり

︑真 面目 な 人々 から 顰斥 され た り︑ 又職 業上 必要 に せま られ て洋 服を 着な け れば なら ない 人々 に 迷惑 をか け なけ れば なら な いや うな こと にも な るの であ りま す︒

/ 或る 処の お嬢 様が

︑外 国雑 誌 の流 行型 を見 て︑ これ こそ 珍 らし いハ イカ ラ なス タイ ルだ と思 つ て︑ 早速 その 通り の 型を 作る やう に︑ 洋服 屋 に命 じた さう です

︑ する と︑ ど うで せう

︑そ の 素晴 らし いと 思つ た 洋服 の型 は︑ 彼地 の ギヤ ング の服 装で あつ た とい ふ話 があ りま す が︑ 映画 や 雑誌 など から 無 意味 に撰 んだ 洋服 に はよ くこ んな こと が ある もの であ りま す︒ そ れは 外国 の国 情に 通 じな い為 め に︑ 起る 悲喜 劇 の一 場面 で︑ 笑つ て のみ は過 せな いこ と もあ りま せう が︑ 詰ま る 処は

︑主 とし て新 ら しい もの

(11)

を 好む 若い 婦人 の 好奇 心の 皮肉 な現 れ であ ると 申す べき で あり ませ う︒ です から 日 本婦 人の 洋服 は︑ 特 に﹁ 私 の 着物 とし て﹂ と いふ こと を第 一条 件 とし て撰 ばな けれ ば 国内 に於 て非 難さ れる ば かり でな く︑ 外人 か らも 笑は れ なけ れば なら な いや うに なり ませ う

﹂︵ ここ での 引用 は

︑一 九五 三・ 一

〇の 第五 一 版︑ 日本 女子 教育 会 によ る︒ 奥 付は

﹃最 新実 用 家事 全書 改 訂版

﹄︶

︒ 大妻 の洋 服観 は

﹁働 く婦 人た ちの 職 業服

︑ま た 運動 を必 要と す る児 童服 等も 殆ど 洋 服に 代ら うと する 勢を 示 す﹂ 昭 和初 年代 を経 た 直後 のも の︒ この 感 覚は

︑戦 後し ばら く 経っ ても 共有 され てい た だろ う︒

﹁ 大き いお 尻﹂ つい でな がら

︑ これ に続 く姉 妹の 会 話を 採録 すれ ば︑ 満 里子

﹁ 似合 わな くも ない さ

﹂︑ 節子

﹁ 似合 うも んで す か︒ あ んた なん か︒ 大 きい お尻

﹂と いう 具 合︒ 実は

︑庫 裏の 父 娘の シー クウ ェン スか ら

︑満 里子 の﹁ 大き い お尻

﹂は さ りげ なく 映さ れ てい た︒ この よう な フェ ティ ッシ ュな 描 写は

︑足 の裏 など とと も に小 津お 得意 のも の だっ た︒ 二

〇〇 七年 十月 二 十九 日︑ 小津 ゆか り の茅 ヶ崎 館︵ 神奈 川県 茅ヶ 崎 市中 海岸

︶で

﹃麦 秋﹄

︵ 一九 五一 年︶

︑﹃ お 茶漬 の 味﹄

︵一 九 五二 年︶

︑﹃ 東 京物 語﹄ の照 明助 手 を務 めた 八鍬 武さ ん から 面白 いエ ピソ ー ドを 聞い た︒ 茅ヶ 崎 館・ 森 浩 章さ んの 肝い り であ る︒ 八鍬 さん は 自転 車で やっ て来 ら れた

﹃ 麦秋

﹄の 茅ヶ 崎海 岸 ロケ での 事︒ 物語 の 中で は鎌 倉の 海︵ 脚 本で は﹁ 海岸

﹂︶ で なけ れば 不自 然だ が

︑実 際の ロ ケは 茅ヶ 崎館 を 出て すぐ の砂 浜で 行 われ た︒ それ が証 拠 に烏 帽子 岩が 映っ てい る し︑ 江の 島も 左手 遠 くに 見え る

︒嫁 ぐこ とが 決 まっ た間 宮紀 子︵ 原 節子

︶が 兄嫁 の史 子

︵三 宅邦 子︶ と海 辺で 話 す︒ 小津 が背 後か ら 自分 の臀 一

(12)

部 のシ ョッ トを 狙 って いる のに 気付 い て三 宅邦 子は 恥ず か しが った

︒八 鍬さ んが 三 宅に 立つ 角度 を変 え て少 し斜 め にす ると 小さ く 映る から と助 け船 を 出し

︑三 宅も そう した

︒と ころ が

︑小 津 は正 対 する よう 直し たと いう の だ︒ 八 鍬さ んか らは ほ かに も楽 しい 逸話 を 伺っ てい るが

︑ま た 別の 機会 に︒ なお

︑全 国 小津 安二 郎ネ ット ワ ーク の築 山 秀夫 副会 長は

︑ 別の 機会 に八 鍬さ ん の話 を録 音︵ 未公 開

︶し てい るは ずだ

︒こ ち らの 活字 化も 待ち た い︒ サボ

テン

︑苔

︑ そし て落 花す る椿 姉妹 が薬 師寺 見 物を する シー クウ ェ ンス

︒唐 招提 寺へ 行 こう と薬 師寺 から 去る 場 面︒ 姉妹 が上 手へ 消 える とカ メ ラは 移動 する

︒ 大き な幹 が画 面を 覆 うこ の移 動撮 影が 美 しい

︒小 津は いつ もフ ィ ック スだ とい う俗 説 を信 じて い る読 者は もは や いな いと 思う が︒ 続い て︑ 神戸 の 空シ ョッ ト︒ 脚本 で は﹁ 元町 あた り﹂

︒右 手 に﹁ 神戸

﹂の 文 字が 入 った ポス ター

︒正 面 に六 甲の 山 容︒ 左手 のビ ル に﹁

Export Bazzar

﹂の 看板

︒次 のシ ョ ット では 神戸 市電 が田 代 の店 の前 を疾 駆す る

︒シ ョー ウ ィン ドウ の内 側 には 凝っ た装 飾の 椅 子四 脚の 背と ふた 鉢 のサ ボテ ン︒ サボ テン は なぜ か﹃ 東京 物語

﹄ で平 山周 吉

︵笠 智衆

︶が 涼 むう らら 美容 院の 物 干し にも 登場 する

︒ 瀟洒 な小 物に 溢 れる 田代 の部 屋︒ 田 代が 瓶の コカ

・コ ーラ をふ るま う︒ コ カ・ コ ーラ は﹃ 晩春

﹄︑

﹃ 麦秋

﹄︑

﹃ 秋日 和

﹄︑

﹃ 小早 川家 の秋

﹄に も 登場 して いた 小津 好み の アイ テム

︒コ カ・ コー ラに つ いて は︑

﹁痙 攣 する デジ ャ・ ヴュ

⎜ ビデ オで 読 む小 津安 二郎

⑩﹃ 麦 秋

﹄⎜ 死 者の 眼︑ そし て麦 穂 の鎮 魂

﹂︵ 二

〇〇 六・ 三︑

﹃北 海 道武 蔵女 子 短期 大学 紀要

﹄ 38︶ で触 れた

︒コ カ

・コ ーラ も英 語同 様

︑小 津と アメ リカ とい う 問題 設定 に通 ずる

一 二

(13)

田代 に火 を点 け ても らい 煙草 を吸 う 満里 子︒ 姉の 日記 を 読ん でし まっ た満 里子 は

︑節 子と 田代 が﹁ 愛 人﹂ 関係 だ った ろう と活 弁 口調

︵﹃ 小津 安二 郎映 畫讀 本

﹄田 中 眞澄 の作 品解 説 では

﹁ 徳川 夢声 ば りの 映画 説明 調﹂

︑ 竹岡 和田 男﹃ 映 画は い つも 映画 だっ た 1 94 5 19 58 のメ モリ ー

﹄一 九八 四・ 三

︑輔 仁書 院で は﹁ 大河 内 伝次 郎か 徳 川夢 声か の声 色

﹂︶ でか らか う︒ 日記 は﹁ 一 九三 七年

︒お 姉さ ん は二 十一

︑宏 さん は 大学 生﹂ の こと だ とい う︒ そこ にや って く るの が真 下頼 子︒ 田 代は

﹁パ リー から の お友 達﹂ と満 里子 に紹 介 する

︒頼 子の アン ニ ュイ な感 覚 はよ く出 てお り

︑宏 の爛 漫さ と対 比 され る︒ 満里 子は

﹁ あん な 気取 った 人﹂

﹁あ ん な内 緒ご とみ たい な 匂い のす る 人﹂ は嫌 いだ と いう

︒ いち いち 原作 と 対応 させ るの はこ ち たい こと で︑ 最小 限 にし たい が︑ やは りこ こ は重 要だ

︒原 作で 満 里子 と頼 子 が初 めて 会う の は︑ 祇園 のグ ラン ド京 都 とい うホ テル

︒そ の翌 朝の 宏 の部 屋の 場面 から 引 用す る︒

﹁ 服 装を 整へ な がら

︑寝 台を 見 ると

︑枕 のと ころ に 自分 ので ない 小さ い 腕時 計が 深い オリ ーブ の 色の リボ ンを 見せ て 落ち てゐ た

︒拾 つて ポケ ッ トに 入れ て部 屋を 出 た︒

/ 真下 頼子 が泊 つた 部 屋の 扉は

︑ま だ閉 ぢ てあ つた が︑ バス

・ル ー ムで 湯 を出 して ゐる 音 が聞 えて ゐた

﹂︒

﹁小 さい 腕時 計﹂ ひ とつ で︑ 部 屋は 別に 取 った もの の︑ 頼 子が 昨 夜︑ 宏 の部 屋に や って きた こと を 示し てい る︒

﹁﹁ 睡れ た

?﹂ と︑ 言ひ なが ら︑ 宏 は ポケ ット から 時計 を 出し て掌 に伏 せて 手渡 し た︒ 問 はれ たこ とに 答 へよ うと して ゐた 頼 子は 時計 を受 取つ て

︑顔 を 薄く く して 目で 笑 ひな がら 手首 に巻 き始 め た︒ 湯 上り の皮 膚に 香 油が 匂つ てゐ た﹂

︒こ こ まで 引け ば野 暮っ た くな るか

︒繰 り返 すが

︑映 画に 於い て高 杉 早苗 は︑ け だる さを よく 表 して いる

︒相 手役 の 上原 謙は どう か︒ 飄 逸さ は上 原の 持ち 味だ が

︑原 作に ある よう な 大人 の感 覚 をう まく 伝え て いる とは いえ なか ろ う︒ 誤解 なき よう い って おけ ば︑ 上原 が表 現 しそ こな って いる と いう ので 一

(14)

は ない

︒映 画版 の 関心 が︑ その 点に あ まり 拘っ てい ない と いう 方が 正確 だろ う︒ 映画 に戻 る︒

﹁ 東 山あ たり の料 亭﹂

︵脚 本︶ では

︑苔 寺 見 物を 終え た忠 親と 節 子が 食事 をし てい る

︒椿 の 花が 苔の 上 にお ちて いた こ とな ど話 題に

︑父 は 一献 傾 けて いる

︒﹁ お 父 さん

︑も う 長く もな さそ う だよ

︒苔 寺も こ れで おし ま いだ と思 って

︑ 今日 は見 てき たん だ よ︒ ああ

︒う ーむ

︒ あの 椿は 良か った あ﹂ と い う父 の語 りに

︑娘 は胸 迫 り︑ う なだ れる

︒春 を 告げ る赤 い椿 が緑 の 苔の 上に 落ち てい た のを 感慨 深く 語り 合う 父 娘︒ 季節 が巡 るこ の 国で

︑忠 親 は来 年の 椿を 見 るこ と叶 わな いで あ ろう

︒父 も娘 も分 か って いる

︒分 かっ てい る のは 父と 娘だ けで は ない

︒映 画 の読 者も 等し く この 感慨 を共 有す る のだ

︒﹃ 戸田 家の 兄 妹﹄ 以 降の 小津 映画 は死 と 生︑ つま り時 間の 残 酷な 移ろ い を鋭 く描 いて い った のだ った

︒ この 時︑ 田代 の店 に あっ た熱 帯常 緑の サ ボテ ンは 落花 する 生命 と 対比 され てい たか も しれ ない

︒さ らに

︑﹃ 東京 物 語﹄ うら ら美 容 院物 干し のサ ボテ ン の横 に坐 って いた の は︑ やが て妻

・と み︵ 東 山千 栄子

︶に 先立 た れる 周吉 だ った とい えば

︑ 穿ち すぎ だろ うか

︒ 建築

家・ アン ト ニン

・レ ーモ ンド アー ル・ デコ 様 式の 教文 館ビ ルの 空 ショ ット

︒壁 に﹁BIBLE HOUSE

﹂︑

TIME

﹂︑

LIFE

﹂ と大 書 され てい る

︒小 津 映画 の教 文 館は ほか に︑

﹃ 風の 中 の牝 鶏﹄

︵ 一九 四八 年

︶︑

﹃ 晩春

﹄︑

﹃ 東京 物語

﹄︒

﹃ 東京 暮色

﹄︵ 一 九五 七 年︶ で は︑ 映像 は出 な いが

︑脚 本中 バー

・ ガー ベラ の場 所を 示 すた め﹁ 銀座 教 文館 ビ ル﹂ の指 示が ある

︒ 一九 三三 年 に竣 工し た教 文 館ビ ルを 設計 した の は︑ オー スト リア ハン ガリ ー帝 国出 身の ア ント ニン

・レ ーモ ン ド︵ 一八

一 四

(15)

八 八〜 一九 七六 年

︶だ った

︒レ ーモ ン ドは 帝国 ホテ ル建 設 のた め︑ フラ ンク

・ロ イド

・ラ イト とと もに 来日 し た︒ 主 な作 品に 聖路 加 病院

︑東 京女 子大 学 礼拝 堂︑ 札幌 聖ミ カ エル 教会 など があ る︒

﹃ 宗方 姉妹

﹄の 脚 本で は︑ のち に二 回

︑聖 路加 病院 の空 シ ョッ トが 入る こと にな っ てい た︒ まず

︑宏 と 節子 が一 丁 倫敦 で別 れた 後

︑﹁ 築地

﹂︵ 脚 本︶ の 宿に 満 里子 が訪 ねて くる 場 面︒

﹁向 うに 聖路 加 病院 が見 える

﹂︵ 脚 本︶ と ある が

︑実 際の 映画 には 聖 路加 病院 のシ ョッ ト はな い︒ も う 一カ 所︒ や は り宏 の宿

︒﹁ 聖路 加病 院が 見 える

﹂︵ 脚 本

︶と あ る︒ ここ の映 像 は︑ 屋上 に星 条旗 が たな びき

︑﹁TOKYCENTRAHOSPITAANNEX

﹂の 看 板が あ る︒ 塔 の上 に立 つ銅 像

︵誰 だろ う︶ を挟 み

︑人 力車 と自 動車 が 対比 的に 配さ れて いる の は︑ 占領 下日 本を 視 覚的 に提 示 して いる のだ ろ う︒ 私は

﹁痙 攣す る デジ ャ・ ヴ ュ

⎜ ビ デオ で 読む 小津 安二 郎

⎜ 小津 安二 郎 作品 地名

・人 名 稿

︵戦 後モ ノク ロ 映画 編︶

﹂︵

﹃ 北海 道武 蔵女 子 短期 大学 紀要

﹄39

︑ 二〇

〇七

・三

︶ で この ショ ット を聖 路 加病 院の 映 像と した が︑ それ は間 違い で あっ た︒ 築 地 を示 すこ の空 ショ ッ トは

︑旧 海 軍 軍医 学校 であ る︒ そう いえ ば︑

﹃彼 岸 花﹄

︵一 九 五八 年︶ の佐 々木 初︵ 浪花 千栄 子

︶は 聖 路加 病 院の 人間 ドッ クに 入る た め京 都か らや って 来 たの だっ た

︒も ちろ ん︑ 十 字架 の塔 が映 され て いた

︒ 聖路 加病 院も 教 文館 ビル も東 京空 襲 を生 き抜 いた 建物 だ った

︒そ こに なん らか の 意図 は働 いた のだ ろ うか

︒気 に なる

︒と いう の は︑ 運命 の皮 肉が レ ーモ ンド を待 ち受 け てい たか らだ った

︒来 日 以来

︑日 本を 仕事 場 とし てい た レー モン ドは

︑ 一九 四一 年秋

︑日 米 開戦 を前 にア メリ カ に渡 った

︒一 九四 三年 の 初め

︑レ ーモ ンド は 戦時 局の 命 令で

︑ス タン ダ ード 石油 と共 同で 焼 夷弾 の破 壊効 果実 験 に従 事す るこ とに なっ た

︒具 体的 には

︑ユ タ 州の 砂漠 に ある 爆撃 実験 場 に日 本の 木造 住宅 群

︵つ まり 日本 の都 市

︶を 再現 し︑ 焼夷 弾の 開 発に 供し たの であ っ た︒ 一

(16)

三沢 浩﹃ アン ト ニン

・レ ーモ ンド の建 築﹄

︵ 二〇

〇七

・九

︑鹿 島出 版会

︶は

﹁心 の 矛盾 は︑ おそ らく は かり しれ な いも ので あっ た ろう

︒彼 は自 分の 日 本に 残し てき た作 品 にも 当然 愛着 があ った は ずだ し︑ 破壊 され る おそ れを 充 分に 知っ てい た

︒自 らの 手で 自ら の 作品 を壊 すこ とは

︑ 忍び 難い こと であ った に 違い ない

﹂と いう

︒ 一九 四八 年 に日 本へ 戻っ た レー モン ドの 感慨 は いか なる もの だっ た のだ ろう か︒ レー モン ド はそ の﹃ 自伝

﹄に い う︒

﹁ 車は

︵ 羽田 から

︶都 心 に 向か って 出発 した

︒ 途端 に何 マイ ルに も わた る完 全な 荒廃 が私 の 目を 射た

︒ま った く 無秩 序な 廃 墟以 外に 何も な かっ たの であ る︒ 派 手な 着物 や︑ 祭の よ うな 賑や かな 人の 群が い た︑ 一九 一九 年の 日 本到 着の 最 初の 日に 代わ る のは

︑幽 鬼の よう な 人び との 姿で あっ た

︒人 びと は廃 墟の あち こ ちで 灰に まみ れ︑ や せ衰 え︑ 凄 惨な 姿を して い た︒ あま りの こと に 私は 心が 動転 し︑ 誇 張で はな く︑ 泣く のを こ らえ 切れ なか った

︒ 考え てい た より も︑ はる か にひ どい もの であ っ た﹂

︵こ こで の引 用 は︑ 三沢 浩﹃ アン ト ニン

・レ ー モ ンド の建 築﹄ によ る

︶︒ そ の二 年八 ヵ月 前 に日 本に 帰っ てき た 小津 も同 様の 風景 を 見て いた

︒さ らに いう な ら︑ 永井 荷風 のよ う な時 間を 越 える 想像 力を も って

︑た とえ ば現 在 繁栄 して いる かの よ うな 東京 の風 景に 廃墟 を 浮か び上 がら せる こ とが いか に 重要 であ るか と いう こと であ る︒ 広島

・長 崎は も とよ り︑ 日本 無差 別 空襲 が︑ ハー グ陸 戦 条約 違反 の一 般市 民に 対 する 虐殺 行為 であ っ たこ と強 調 して もし 過ぎ る こと はな い︒

﹁ 暗い 影﹂ 帯び る山 村 聡の 肉体

BAR ACACIA

内 部の 壁に

drinupooccasionSometimesuponoccasionDoQuixote

﹂ の文

一 六

(17)

字 が浮 き彫 りさ れ てい る︒ 小津 映画 に はス コッ チが 頻出 す るが

︑ジ ョニ ー・ ウォ ー カー の大 きな 人形 と 灰皿 もあ る

︒バ ーテ ンの 前 島五 郎七

︵堀 雄二

︶ が︑ まだ コル ク栓 時 代の ジョ ニー

・ウ ォー カ ーの ウイ スキ ー︵ 黒 か赤 かは 白 黒映 画の ため 判 別で きな い︶ とチ ェ イサ ーの 水を 注ぐ

︒ 満里 子が それ を客 に運 び

︑編 み物 をし てい る 姉の 横に 坐 る︒ ここ で︑ 先 に触 れた

﹁ド レー プ﹂

︑﹁ 大 きい お尻

﹂の 会話 とな る

︒そ の後

︑﹁ 協同 経 営者

﹂︵ 脚本

︶の 藤代 美恵 子 が入 って くる

︒ 五郎 七も 美恵 子も 映 画内 で大 きな 役割 を 負わ され るこ とは ない

︒ 五郎 七に つい ては 後 述す る︒ 場面 変わ って

﹁ 大 森あ たり

﹂︵ 脚本

︶の 墓地 のシ ョッ ト︒ 手 前の 墓石 裏面 に﹁ 昭 和十 四 年﹂ と刻 まれ て いる

︒修 水 河渡 河作 戦の 年 だ︒ 墓地 の向 こう を 東海 道線 の電 車が 走 り抜 ける

︒墓 地近 くの 家 の二 階で

︑眼 帯を 着 けた 三村 亮 助が 小さ な声 を 出し なが らド イツ 語 の本 を読 んで いる

︒ 満里 子が 入っ てき て︑ 義 兄に 新聞 が空 いた か と聞 く︒ 亮 助が まだ と応 え ると

︑満 里子 はそ の 新聞 を放 り出 す︒ 放 り出 すこ とで 不満 を表 し はす るが

︑階 下に 持 ち去 るこ と はな い︒ つま り

︑風 呂に 入る 順番 な どと 同様

︑新 聞を 読 む順 番が

︑家 父長 制の 名 残り とし て残 って い ると いう こ とだ ろう

︒節 子 と満 里子 が話 をし て いる 階下 へ降 りて き た亮 助は

︑新 聞を 放り 投 げ外 出す る︒ 妹は 姉の 日記 を 読ん でし まっ たこ と を告 げ︑ なぜ 田代 と 結婚 しな かっ たの かと 問 い詰 める

︒節 子は

︑ 宏を 本当 に 好き だと 気付 い た時 には 三村 との 話 が決 まっ てい たの だ と応 える

﹁ 大森 駅附 近の ガー ド

﹂︵ 脚本

︶の シ ョッ ト

︒極 端な あお りで あ る︒ 電車 が上 手か ら 下手 へ︑ より 正確 にい え ば︑ 画 面手 前か ら奥 へ と駆 け抜 ける

︒先 ほ どの 墓場 のシ ョッ ト とは 反対 方向 へ走 って 行 くの だ︒ 小津 映画 に おい て︑ こ の反 対方 向と い うの が重 要だ

︒﹃ 東 京物 語﹄ で は︑ 冒頭 と 大尾 では 乗り 物が 走る 方 向が 反対 にな って い る︒ つま り

︑平 山と みの 死 を挟 んで

︑世 界の 動 きが 反対 にな る︑ 循 環し てい ると いう こと な のだ

︒﹃ 宗方 姉 妹﹄ で は

︑父

・ 一

(18)

忠 親の 死が 予想 さ れて おり

︑そ の暗 示 と初 読の 読者

︵こ の 映画 を初 めて 観る 人︶ は 思う だろ う︒ だが

︑ のち に意 外 な死 がも たら さ れる

︒と もあ れ︑ 世 界は 何事 もな く循 環 して いる とい うこ とな の だ︒ 大森 の墓 場は

︑ 宗方 家の 菩 提寺 のも のと 考 えて もよ い︒ ガー ド近 くだ ろ う︒ 三村 亮助 が猫 を 抱き なが ら焼 酎を 飲 んで いる

︒亮 助は

﹁猫 は 不人 情な とこ ろが い いん だ﹂ と いう

︒﹁ 先 生﹂ と 呼 ばれ る亮 助だ が︑ 職 は無 く節 子の 収入 で 生活 して いる

︒亮 助に つ いて

︑脚 本に は﹁ 何か 陰鬱 な

︑暗 い影 があ る

﹂と 説 明さ れる が︑ 山村 聡 の身 体は それ をよ く 表現 して いる

︒小 津 の読 者な らば

︑三 年後 の﹃ 東 京 物語

﹄で 山村 が 演ず る平 山幸 一の 冷 静ニ ヒル な言 動に

︑ 亮助 の﹁ 暗い 影﹂ を重 ね 合わ せる に違 いな い

︒戦 後長 ら く失 業し てい る 亮助 は︑ 満州 で大 規模 な開 発 事業 に携 わっ てい た

︒ド イ ツ語 の書 物 を読 んで いる こと など か ら︑ 満 蒙開 拓に 携わ っ た技 官︑ ある いは 拓務 省 の役 人な どと いっ たと こ ろか

︒原 作で は︑ 訪ね てき た元 の部 下か ら﹁ 局 長

﹂と 呼ば れて い る︒ 満鉄 に勤 めて い た宗 方忠 親の 一家 と 大連 で出 会い

︑節 子と 結 婚し たと いう こと に なる か︒ 大佛

次郎 の書 き 加え これ まで 私は 角 川文 庫版 の原 作を 使 用し てき た︒ だが

︑ ここ で新 しい テキ スト を 紹介 しな くて はな ら ない

︒そ れ は﹃ 大佛 次郎 自 選集 現 代小 説 第 五巻 宗 方姉 妹﹄

︵ 一九 七三

・二

︑ 朝日 新聞 社

︶で ある

︒刊 行は 大 佛次 郎の 死 の二 カ月 前で あ る︒ 大佛 は完 璧を 求 め自 作に 入朱 する 作 家だ った から

︑本 来き ち んと 異同 を追 うべ き とこ ろだ が

︑本 稿で はそ こ まで 踏み 込ま ない

︒ だが

︑﹃ 自選 集﹄ の追 加に つい て は触 れな いわ けに は いか ない

︒﹁ 付録 月 報﹂ の

﹁編 集室 から

﹂ には

﹁あ とが きか ら も分 りま すが

︑著 者 は当 初こ の小 説を 敗戦 直 後の 満洲 国か ら書 き はじ める

一 八

(19)

意 図だ った よう で す︒ 占領 法の 制約 の ため

︑そ れが でき な かっ たわ けで すが

︑今 回

︑ま った く新 しく 序の 章 が 書き 加え られ た こと によ り︑ 初め の 意図 の何 分の 一か は 補足 され たと いえ まし ょ う︒ 序 の章 によ り

︑こ の作 品 の奥 行き がい ち だん と深 まっ た感 じ がし ます

︒本 巻収 録 の﹁ 宗 方 姉妹

﹂が 今 後底 本 とい うこ とに なる でし ょ う﹂ と ある

︒ 件の

﹁ あと がき

﹂に 大 佛 はい う︒

﹁私 の﹁ 宗方 姉妹

﹂に つ いて は︑ 改め て述 べる と ころ はな い︒ 満洲 に 渡っ て夢 を 抱い て働 いた 平 凡な 或る 個人 の︑ 不 意の 没落 と絶 望と

︑ 家庭 の︑ 表に は隠 して い る自 己崩 壊の 姿を

︑ 私自 ら悲 し いと 思い なが ら 書き 綴っ た︒ しか し

︑そ の人 たち は︑ や はり

﹁亡 びて 行く 人た ち

﹂で ある

︒︵ 略

︶/

﹁ 宗方 姉 妹﹂ の この 巻を 出す の に当 って

︑私 は新 た に序 章を 書き 加え た

︒た だの 古都 小説 にし た くな かっ たか らで あ る︒ 生き る 人間 の境 遇次 第 でど うに でも 変化 す るひ﹅

弱さ

︑哀 しさ を︑ 後の 未来 の 宗方 姉妹 にも 感じ て 置き たか った

﹂︵ 傍点 原 文︶ と︒ 作者 の生 の言 葉 を引 用し て論 を進 め るの は︑ あま りみ っ とも いい もの では ない

︒ しか も︑ 四半 世紀 近 くの ちの 証 言や 書き 足し で

︑映 画を 論じ てい る 本稿 では 本筋 を外 れ てい ると の批 判も あろ う

︒だ がし かし

︑こ の 新し いテ キ スト には

︑小 津 が描 こう とし た﹃ 宗 方姉 妹﹄ を読 み解 く 大き なヒ ント が︑ けざ や かに 刻み 込ま れて い るの だ︒ 日本

女性 が大 の 男を リン チ 元来

︑原 作は 姉 妹の 高山 寺見 物か ら 始ま って いた

︒一 方

︑映 画は 京大 医学 部の 講 義か ら始 まり

︑そ の 後︑ 姉妹 の 薬師 寺見 物と な る︒

一 九

(20)

それ が﹃ 自選 集﹄ でど う変 わっ たか

︒ 冒頭 はこ うだ

︒﹁ 終 戦の 年の

︑朝 から 暑 い夏 の日 であ った

︒ 鴨 緑 江 の鉄 道 橋の 側面 に在 る 板の 歩道 を︑ 三 村 亮 助 は︑ 歩い て 朝鮮 の新 義州 に渡 っ た︒ 彼は 満洲 側 の国 境の 町︑ 安 東の 副市 長 だっ たの で︑ 満 人の 苦力 の洋 車

︵人 力車

︶に 乗っ て︑ そ こま で来 たの だが

︑車 に はリ ュッ クサ ック を 托し て︑ 自 分は もう 生涯 に 二度 と渡 るこ とも あ るま いと 信じ られ る 鴨緑 江の 橋を

︑徒 歩で 渡 って 対岸 に行 くこ と にし た︒ こ の長 い橋 は︑ 日 本か ら働 きに 来て い る女 たち がバ スケ ッ ト一 つを 提げ

︑新 らし い 働き 口を 求め て満 洲 側に 歩い て 渡る よう に成 る と︑ 二度 と浮 ぶ瀬 が なく

︑顚 落す るば か りに なる と定 説の ある も ので あっ た﹂

︒ 先に 私は

︑映 画 にお ける 亮助 の満 州 時代 の職 業を 建設 関 係の 技官

︵役 人︶ では な いか と推 測し たが

︑ 小説 では 安 東の 副市 長と い う高 官で あっ たと 明 かさ れた

︵ ある いは 特定 さ れた

︶︒ 亮助 は敗 戦 の十 日前

︑妻 の節 子 を日 本に 帰 し︑ 役所 の整 理 を行 い︑ 公文 書を 焼 却さ せた

︒ 歩い て朝 鮮に 渡 った 亮助 は親 切な 農 民の 施し を受 けも す るが

︑暴 民集 団も 見か け る︒ ある 夜︑ 亮助 は 満州 から 逃 げて きた 日本 人 難民 の二 十人 ほど の 集団 を目 撃す る︒ 以 下︑ 引用 は長 い︒

﹁ 夜の 森の 中の 空地 で あっ たが

︑蘇 聯 兵の 暴行 を逃 れる 為 に若 い女 が髪 を切 って 坊 主頭 にな り苦 力服 を 着て いた の で︑ 男た ちば か りで して いる よう に 見え たが

︑ほ とん ど 全部 が日 本の 女で

︑そ の 中に 色の 白い 十七

︑ 八の 美し い 娘ま でが

︑棒 を つか み︑ 裸か で木 の 幹に 縛ら れて 苦痛 に 大声 で泣 きわ めく 大の 男 を︑ 倦き るこ とな く 力ま かせ に 叩い て︑ た らた ら 血が 流れ るの にも 平気 で あっ た︒ こ ん畜 生︑ こ ん畜 生

︑と 黄ろ く 昻ぶ った 声で 女た ちは 叫 び︑ 先 を争 って

︑鞭 や 棒を 振り おろ した

︒ 助け てく れ︑ 後生 だ から 助け てく れと

︑男 は 泣き わめ いた

︒命 だ けは 助け て くれ

︒/ 顔 の可 愛ら し い娘 が︑ そ れを 聞い て 目を 光ら せて

︑よ し 命だ け は助 けて やる

︒そ の 代り

︑片 輪 にな れと

(21)

言 って

︑縛 られ て いる 男の 股の 間に 力 まか せに 棒を 突き 入 れ︑ その 度に 精一 杯の 悲 鳴を 上げ るの を︑ よ し︑ 吠え ろ

︑吠 えろ

︑誰 れ も助 けに 来な いか ら

︑貴 さま のよ うな け﹅

だ﹅も﹅

の﹅は

︑片 輪に なっ て

︑地 獄へ 堕ち て行 け

︑も っと 太 い棒 をさ がし て 来て 突い てや ろう

︒山 田 の 小母 さん を殺 した の は︑ 手 前じ ゃな いか

︑と

︑泣 く声 も出 なく な り︑ 繩 から 軀を 垂れ さ げて ヒイ ヒイ 言う だ けな のに

︑ま だ容 赦 なく

︑丸 太で 突き まく っ てい た︒ まわ りに 立 って 見て い るの も女 たち で あっ た︒ 平和 だっ た 日に は︑ 家庭 の主 婦 だっ たり

︑店 番を して い る愛 想の いい 女た ち だっ たろ う と思 われ るの が

︑狂 乱ど ころ か実 に 平静 で︑ 森の 中の 闇 に置 いた 黒い 彫像 群の よ うに 身動 きも せず

︑ たま に︑ 目 が醒 めた よう に どっ と歓 声を あげ 笑 声を 立て た︒ わ いせ つな 所 作ほ ど︑ 彼 女た ちに 気 に入 り︑ 悦 んだ

﹂︵ 傍 点原 文

︶︒ 少女 たち がリ ン チし てい るの はソ 連 兵な どの 敵国 の男 で はな い︒ 同胞 の男

︑お そ らく は満 州で 権力 を 欲し いま ま にし てい た同 胞 の男 に対 する 積年 の 恨み が爆 発し てい る のだ

︒﹁ 人間 が残 忍に なり 得 る一 面﹂

︑﹁ どこ ま で人 間が 崩 れて 堕ち るも の か?

﹂と 亮助 は思 う のだ った

︒ま かり 間 違え ば自 分も あの 男の よ うに 棒で 叩か れて い るか もし れ ない

︒目 撃す る 亮助 はそ う感 じて い たに 違い ない

︒し か し︑ 自分 はそ んな 悪い 事 をし ただ ろう かと も 考え なが ら

﹁ ︒ 序の 章﹂ を書 き加 え たこ とで

︑大 佛次 郎 の﹃ 宗方 姉妹

﹄は 性 格が はっ きり した

︒﹁ む ねか たき ょう だ い﹂ とい い なが ら︑ 主人 公 は三 村亮 助に なっ た とま でい って いい か もし れな い︒ 大佛 次郎 の

﹃宗 方姉 妹﹄ は三 村 亮助 や宗 方 忠親 を核 とし て

︑節 子︑ 満里 子︑ 田 代宏 らの 満州 とい う まぼ ろし に躍 らさ れた 人 々の 物語 なの だ︒ 前 田五 郎七 も 加え れば

︑時 代 にも てあ そば れた 人 々の 物語 とい って い い︒

二 一

(22)

満里 子の プロ ポ ーズ 映画 に戻 ろう

︒こ こま で 来れ ば︑ あ と は駆 け足

︒前 島が 帰り

︑節 子 が ひと り残 ったACACIA

に宏 が訪 ねて く る︒ 六

︑七 年前 に﹁ フ ラン スか ら帰 って き た時

﹂に 横浜 で会 っ て以 来と いう

︒そ れは 昭 和十 八︑ 九年 とい う こと にな ろ う︒ 宏と 節子 は丸 の 内の 一丁 倫敦 を歩 き

︑宏 が金 銭的 援助 を 申し 出る

︒﹃ 晩春

﹄︵ 一 九四 九年

︶で 曾宮 紀 子︵ 原 節 子︶ が 歩い た場 所を

︑ 翌年 は田 中絹 代が

︒ 痙攣 する デジ ャ・ ヴ ュ︒ 宏の 築地 の宿 に 満里 子が やっ てく る

︒満 里子 は真 下頼 子 から かか って きた 電話 に 宏が 不在 であ ると 嘘 をい う︒ 先に 触れ た姉 妹 のい い争 いの あと

︑ 満里 子は 京都 の父 を 訪ね る︒ 忠親 は満 里子 に

︑よ く考 えて 自分 の いい と思 う よう にや れと ア ドバ イス する

︒神 戸の 宏 の店 まで 足を 伸ば した 満 里子 は︑ 宏に 結婚 して く れと 迫る

︒も ち ろ ん︑ 宏 は笑 って 相手 に しな い︒ 満里 子に し たと ころ で︑ のち に 芝居 だっ たい い訳 する が

︑宏 と頼 子の 仲を 裂 き︑ 節子 と 宏を 元の 鞘に 納 めて 結び つけ よう と いう 底意 なの であ っ た︒ 満里 子の 行動 は 早い

︒大 坂の 真下 邸 を訪 れる

︒玄 関に 甲 が 飾っ てあ る豪 邸だ

︒ 満里 子は

︑頼 子に 正 面か ら︑ 大 っ嫌 いと いっ て 立ち 去る

︒頼 子と 宏 はパ リ以 来の おと な の間 柄で ある が︑ 高杉 早 苗は 気だ るい 雰囲 気 をよ く醸 し てい るこ とに は 既に 触れ た︒ 大森 の家 では 宏 に金 を借 りた こと 節 子が 夫に 告げ る︒ 亮助 の機 嫌 が極 端に 悪く なり

︑妻 は

︑田 代 に断 ると い う︒ 築地 の宏 の宿 で は︑ 満里 子が あの プ ロポ ーズ は﹁ シバ イ

﹂だ った

﹁で も︑ ちょ い と本 気な とこ もあ っ たん だ﹂ と いう

二 二

参照

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