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学位論文の要旨 1

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Academic year: 2021

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全文

(1)

ふ り が な さ と う ゆ う た 氏 名 佐 藤 雄 太 学 位 博 士 ( [経 済 学 ])

学 位 記 番 号 高 経 大 院 博 ( 経 済 ・ 経 営 ) 第 6 号 学 位 授 与 の 日 付 平 成 2 5 年 9 月 2 5 日

学 位 授 与 の 要 件 学 位 規 程 第 4 条 第 2 項 該 当

博 士 論 文 名 室 町 ・ 戦 国 期 に お け る 制 札 の 研 究 論 文 審 査 委 員

主 査 富 澤 一 弘 ( 高 崎 経 済 大 学 経 済 学 部 教 授 ・ 博 士 [学 術 学 ])

副 査 今 野 昌 信 ( 高 崎 経 済 大 学 経 済 学 部 教 授 ・ 博 士 [経 済 学 ])

副 査 和 泉 清 司 ( 高 崎 経 済 大 学 地 域 政 策 学 部 名 誉 教 授 ・ 博 士 [史 学 ])

学 位 論 文 の 要 旨

1 序 文

平 成 25 年 6 月 、 佐 藤 雄 太 氏 が 提 出 さ れ た 博 士 学 位 の 請 求 論 文 「 室 町 ・ 戦 国 期 に お け る 制 札 の 研 究 」 は 、 論 文 の 本 体 が A4 用 紙 131 頁 、 補 論 が A4 用 紙 41 頁 の 合 計 172 頁 ( 400 字 の 原 稿 用 紙 で 、 約 688 枚 に 換 算 ) に も 及 び 、 さ ら に A3 用 紙 52 枚 の 「 制 札 一 覧 表 」 ― 文 治 元 年 ‐ 慶 長 19 年 ( 1185‐ 1614) ま で の 、 430 年 間 、 全 国 で 約 1600 点 の 制 札 史 料 の デ ー タ 等 ― が 添 付 さ れ る 、 浩 瀚 な 労 作 で あ り 、 そ れ 自 体 、 優 に 研 究 書 の 単 著 1 冊 分 に も 相 当 す る も の で あ る 。

今 回 、 論 文 審 査 の 主 査 ・ 副 査 を 務 め 、 審 査 の 実 務 に あ た っ た 我 等 は 、 こ の 論 文 の 提 出 ・ 受 理 以 来 、 日 々 精 読 ・ 検 討 を 重 ね た 上 で 、 7 月 31 日 ( 水 ) の 「 最 終 口 頭 試 問 」、 な ら び に 8 月 28 日 ( 水 ) の 「 学 位 審 査 公 開 発 表 会 」 に 臨 席 し て 、 専 門 的 見 地 か ら 、 長 時 間 に わ た り 、 直 接 質 疑 を 行 い 、 同 氏 よ り 適 切 、 か つ 合 理 的 な 説 明 ・ 回 答 を 得 て き た 。

そ の 結 果 、 佐 藤 雄 太 氏 の 博 士 学 位 の 請 求 論 文 は 、 学 術 論 文 と し て 、 極 め て 優 秀 で あ る こ と 、 ま た 同 氏 の 研 究 能 力 、 業 績 、 識 見 と も に 、 著 し く 卓 越 し た も の で あ る こ と 、 し か も そ の 水 準 は 、 本 大 学 院 研 究 科 博 士 ( [ 経 済 学 ] ) の 学 位 を 授 与 さ れ る の に 、 十 分 に ふ さ わ し い も の で あ る こ と を 、 審 査 委 員 の 三 者 一 致 の 下 、 確 認 し 得 た 次 第 で あ る 。

な お 、 本 論 文 の 要 旨 は 、 以 下 の 通 り で あ る 。

2 要 旨

佐 藤 雄 太 氏 の 博 士 学 位 の 請 求 論 文 「 室 町 ・ 戦 国 期 に お け る 制 札 の 研 究 」 は 、 専 ら わ が 国 の 中 世 後 期 以 降 、 近 世 初 頭 に か け て 発 給 さ れ た 公 文 書 で あ る 「 制 札 」 を 、 全 国 規 模 で 悉 皆 的 に 収 集 ・ 検 討 の 上 、 そ の 歴 史 的 ・ 経 済 史 的 意 義 を 明 ら か に す る こ と を 、 目 的 と さ れ て い る 。

「 制 札 」( 禁 制 ) と は 、 主 と し て 中 世 ・ 近 世 の 幕 府 や 統 一 政 権 、 ま た は 大 名 等 の 権 力 者 が 、 都 市 ( 都 、 町 、 宿 駅 、 市 場 等 ) や 郷 村 、 寺 院 や 神 社 等 に 交 付 し た 文 書 、 乃 至 は 木 札 で あ り 、 法 令 の 遵 守 と と も に 、 不 法 行 為 の 禁 止 を 命 じ る 場 合 や 、 領 主 の 新 法 令 を 周 知 さ せ る た め に 、 民 間 に 下 付 さ れ た も の で あ る 。 制 札 に は 一 般 に 、 違 反 者 に 対 す る 厳 し い 処 罰 文 言 を 伴 う こ と が 常 で あ り 、 そ の 最 も 普 遍 的 な 量 刑 は 、 今 日 の 「 微 罪 」 と い え ど も 死 罪 で あ っ た 。

法 制 史 上 、 禁 令 の 木 札 に よ る 掲 示 は 、 奈 良 ・ 平 安 期 の 律 令 国 家 の 時 代 よ り み ら れ 、 ま た 現 存 す る 最 古 の 制 札 は 、 鎌 倉 時 代 初 期 に ま で 遡 り 得 る も の の 、 現 実 に 制 札 が 大 量 発 給 さ れ る よ う に な っ た の は 、 南 北 朝 期 か ら 、 室 町 ・ 戦 国 期 に か け て で あ り 、 織 豊 政 権 期 か ら 、 徳 川 幕 府 成 立 期 に 至 る ま で 、 制 札 は 、 発 令 者 に と っ て も 、 領 民 に と っ て も 、 極 め て 政 治 ・ 経 済 上 、 重 要 な る 意 義 を 有 し て い た 。 し か し な が ら 、 そ の 重 要 性 に も か か わ ら ず 、 明 治 期 以 来 、 現 在 に 至 る ま で 、 制 札 に 関 す る 研 究 は 、 法 制 史 や 古 文 書 学 、 そ の 他 有 職 故 実 に 関 連 す る 一 部 の 業 績 を 除 き 、 な お 乏

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尐 で あ り 、 研 究 史 に お い て 、 経 済 史 的 見 地 か ら の 明 確 な 検 討 や 、 位 置 づ け は 、 未 だ な き に 等 し い 。

そ れ 故 、 佐 藤 雄 太 氏 は 、 こ の 博 士 学 位 の 請 求 論 文 に お い て 、 鎌 倉 時 代 初 期 以 降 、 江 戸 時 代 初 期 ま で に 発 給 さ れ た 制 札 を 、 今 日 知 ら れ て い る 限 り 全 て 収 集 、 文 頭 表 現 、 発 給 年 次 、 発 給 者 、 発 給 目 的 、 発 給 対 象 地 域 等 々 、 精 緻 に 分 類 の 上 、 斯 界 の 研 究 者 へ の 公 開 を 想 定 し て 、 デ ー タ ベ ー ス 化 を 行 わ れ て い る 。 そ の 収 集 は 、 430 年 間 、 約 1600 点 に も お よ び 、 か か る 史 ・ 資 料 を 縦 横 に 活 用 さ れ た 上 で 、 全 国 的 視 野 か ら 、 検 討 ・ 考 察 を 行 わ れ て い る 。 章 立 と 梗 概 は 、 以 下 の 通 り で あ る 。

序 章

第 1 章 南 北 朝 時 代 の 制 札 第 2 章 室 町 時 代 の 制 札 第 3 章 戦 国 時 代 の 制 札 第 4 章 統 一 政 権 大 名 の 制 札 終 章 総 括

付 録 制 札 一 覧 表

( 以 上 、 論 文 本 体 ) 補 論 1 大 名 の 制 札 に よ る 商 業 統 制

補 論 2 制 札 全 体 の 検 討

補 論 3 戦 国 期 徳 川 家 康 の 制 札

( 以 上 、 補 論 )

ま ず 第 1 章 「 南 北 朝 時 代 の 制 札 」 に お い て 、 佐 藤 雄 太 氏 は 、 南 北 朝 時 代 ( 1336

‐ 1392 年 ) の 制 札 に つ い て の 総 合 的 検 討 を 行 わ れ て い る 。 第 1 節 に お い て 同 氏 は 、 武 家 政 権 を 開 い た 足 利 氏 の 制 札 、 殊 に 足 利 尊 氏 ・ 直 義 兄 弟 発 給 の 制 札 に 焦 点 を あ わ せ て 、 考 察 さ れ て い る 。 南 北 朝 動 乱 の さ な か 、 乱 暴 狼 藉 ・ 略 奪 の 禁 止 、 安 全 保 護 を 目 的 と す る 「 戦 時 の 制 札 」 の 需 要 は 急 速 に 増 加 し 、 武 家 方 か ら も 、 宮 方 か ら も 、 大 量 の 制 札 が 発 給 さ れ る こ と に な っ た が 、 当 該 期 に 最 も 多 く の 制 札 を 発 給 し た の は 、 足 利 尊 氏 ・ 直 義 兄 弟 で あ っ た 。

足 利 氏 は 、 執 権 ・ 北 条 氏 と の 決 戦 ( 1333 年 ) の 段 階 か ら 、 後 年 の 様 式 に 類 似 し た 、 独 自 の 制 札 を 発 給 し て い た が 、 建 武 政 権 の 崩 壊 ( 1336 年 )、 足 利 幕 府 の 樹 立

( 1338 年 ) 以 後 は 、 乱 妨 狼 藉 の 禁 止 、 竹 木 伐 採 の 禁 止 、 陣 取 り の 禁 止 の 3 箇 条 の み を 基 本 と す る 、 簡 潔 な 制 札 (「 足 利 尊 氏 様 式 」) を 、 大 量 交 付 す る よ う に な っ た 。

こ れ と 並 行 し て 、 当 初 、 政 権 第 2 位 の 地 位 に あ り 、 政 務 全 般 に 強 く 関 与 し て い た 足 利 直 義 に よ り 、 寺 院 の 由 緒 や 祈 願 、 信 仰 告 白 等 を 含 ん だ 、 長 大 な 文 言 の 制 札

(「 足 利 直 義 様 式 」) が 、 発 給 さ れ て い っ た も の の 、 観 応 の 擾 乱 ( 1350‐ 1352 年 ) に よ る 足 利 直 義 自 身 の 没 落 以 降 、 こ の 種 の 制 札 は 、 ほ と ん ど 発 給 さ れ な く な り 、 足 利 政 権 の 制 札 は こ の 後 、「 足 利 尊 氏 様 式 」 に 一 本 化 さ れ て い っ た 。

第 2 節 に お い て 同 氏 は 、 3 代 将 軍 足 利 義 満 の 発 給 し た 制 札 を 中 心 に 検 討 ・ 考 察 、 足 利 尊 氏 時 代 の 制 札 と の 比 較 を 行 わ れ て い る 。 収 集 さ れ た 制 札 の 中 に は 、 義 満 自 身 の 花 押 、 袖 判 の あ る 制 札 は 尐 な か っ た が 、 様 式 に つ い て は 足 利 尊 氏 ・ 義 詮 の 頃 と 大 差 は な く 、「 足 利 尊 氏 様 式 」 が 、 ほ ぼ 継 承 さ れ て い る 。 足 利 義 満 自 身 の 制 札 が 尐 な い こ と は 、 室 町 政 権 の 確 立 と 、 職 制 の 整 備 に 伴 い 、 将 軍 が 至 高 の 権 威 と な り 、 自 身 が 制 札 の 発 給 者 と な る 必 然 性 が 薄 ら い だ た め で あ る 、 と 同 氏 は 述 べ ら れ て い る 。 事 実 、 こ の 時 期 は 前 代 と は 異 な り 、 将 軍 そ の 人 に 代 わ っ て 、 管 領 や 諸 国 の 守 護 が 、 大 量 の 制 札 を 発 給 し 始 め た 時 期 で も あ り 、 制 札 の 様 式 ( 書 札 礼 ) 上 、

「 足 利 尊 氏 様 式 」 の 発 展 型 で あ る 「 室 町 政 権 様 式 」 が 確 立 し た 時 期 で あ る 、 と の 指 摘 が な さ れ て い る 。

第 3 節 に お い て 同 氏 は 、 足 利 氏 の 一 族 ・ 細 川 、 今 川 の 両 氏 と 、 足 利 氏 の 最 有 力 家 臣 ・ 赤 松 氏 が 、 南 北 朝 内 乱 期 に 発 給 し た 制 札 に 注 目 、 そ の 悉 皆 的 検 討 の 上 、 そ れ ら 制 札 の 様 式 、 内 容 、 特 色 等 を 考 察 さ れ て い る 。 彼 等 は 武 家 政 権 の 高 官 で あ る

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と 同 時 に 、 国 内 屈 指 の 有 力 守 護 大 名 で も あ っ た 。 か か る 背 景 か ら 、 こ れ ら 各 氏 が 発 給 す る 制 札 は 、 ほ ぼ 「 足 利 尊 氏 様 式 」 に 倣 っ た も の で あ り 、 将 軍 足 利 義 満 の 時 代 以 降 は 、 定 式 化 さ れ た 「 室 町 政 権 様 式 」 の 制 札 を 、 多 数 交 付 し て い く こ と に な る 。

第 4 節 に お い て 同 氏 は 、 ま ず 、 九 州 探 題 と し て 四 半 世 紀 も 在 任 ( 1371 ‐ 1395 年 )、 西 海 道 に 威 勢 を 振 る っ た 今 川 貞 世 と そ の 一 族 に 注 目 、 南 北 朝 期 の 制 札 を 、 詳 細 に 検 討 さ れ て い る 。 そ の 結 果 、 今 川 氏 の 場 合 、 本 拠 地 の 東 海 地 方 に 発 給 し た 制 札 も 、 九 州 地 方 に 発 給 し た 制 札 も 、 と も に 「 足 利 尊 氏 様 式 」、 乃 至 は 「 室 町 政 権 様 式 」 で あ り 、 幕 府 本 体 の 書 式 に 倣 っ て 、 一 族 内 部 で 統 一 が な さ れ て い る 。 恐 ら く 、 こ れ は 今 川 氏 に 限 ら れ た 現 象 で は な く 、 同 時 期 の 他 の 足 利 政 権 高 官 や 、 守 護 大 名 等 も 、 同 様 の こ と と 推 測 さ れ る 。

つ い で 同 氏 は 、 室 町 ・ 戦 国 期 に 、 山 陰 ・ 山 陽 両 道 に 権 力 基 盤 を 築 き 、 隣 接 す る 北 部 九 州 に ま で 影 響 力 を 有 し た 幕 府 高 官 、 兼 有 力 大 名 の 大 内 氏 を 取 り 上 げ て 、 そ の 発 給 に か か る 制 札 を 考 察 さ れ て い る 。 周 防 国 を 本 拠 地 と す る 大 内 氏 は 、 南 北 朝 期 以 後 、 多 く の 制 札 を 発 給 し た こ と で 知 ら れ 、 ま た 家 法 「 大 内 家 壁 書 」( 1439 ‐ 1529 年 、 現 存 分 ) を 編 成 ・ 公 布 し た こ と で も 知 ら れ る 、 名 門 の 大 名 家 で あ る 。 大 内 氏 の 制 札 に は 、 当 時 一 般 的 で あ っ た 「 戦 時 の 制 札 」 の み な ら ず 、 史 料 上 、 他 の 守 護 大 名 に 比 べ て 早 い 段 階 ( 1382 年 ) か ら 、 平 和 時 の 寺 社 ・ 領 民 の 権 利 保 護 や 、 商 人 保 護 等 を 目 的 と し た 「 平 時 の 制 札 」 が 、 発 給 さ れ て い る 。 後 年 の こ と で あ る が 、 室 町 時 代 中 期 の 大 内 氏 は 、 経 済 ・ 商 業 政 策 の 振 興 の た め に 、 制 札 を 積 極 的 に 活 用 し て い っ た こ と で 知 ら れ て お り 、 現 在 わ が 国 で 最 古 と さ れ る 「 撰 銭 令 」

( 1485 年 ) も 、 大 内 氏 が 制 札 を 介 し て 領 国 に 周 知 し た も の で あ る 。 こ の 事 実 を 想 起 す る と き 、 恐 ら く 、「 平 時 の 制 札 」 は 、 将 軍 足 利 義 満 の 時 代 ( 1368 ‐ 1394 年 、 在 任 ) ま で に は 、 本 格 的 に 発 給 さ れ る よ う に な っ て い る 。

第 2 章 「 室 町 時 代 の 制 札 」 に お い て 佐 藤 雄 太 氏 は 、 足 利 義 満 没 後 ( 1408) か ら 、 応 仁 の 乱 ( 1467 年 ) 勃 発 ま で の 室 町 時 代 中 期 の 制 札 に つ い て 、 検 討 ・ 考 察 を 遂 げ ら れ て い る 。 そ の 第 1 節 に お い て 同 氏 は 、 4 代 将 軍 足 利 義 持 か ら 、 6 代 将 軍 足 利 義 教 ま で の 幕 府 発 給 の 制 札 を 、 慎 重 に 分 析 、 結 論 と し て 、 長 期 に わ た る 戦 乱 を 伴 わ な い 平 和 時 に は 、「 戦 時 の 制 札 」 が 激 減 す る 半 面 、 寺 社 ・ 領 民 等 の 政 治 的 ・ 経 済 的 既 得 権 を 、 幕 府 が 改 め て 追 認 す る 形 式 の 制 札 が 、 多 く 発 給 さ れ る よ う に な っ た 事 実 を 指 摘 さ れ て い る 。 ま た 幕 府 の 経 済 ・ 商 業 政 策 に 連 動 し て 、 都 市 、 領 国 の 住 民 へ の 法 令 の 周 知 化 の た め に 、「 平 時 の 制 札 」 が よ り 多 く 、 発 給 さ れ る よ う に な っ た 旨 も . 指 摘 さ れ て い る 。

し か し な が ら 、 幕 府 に よ る 鎌 倉 公 方 ・ 足 利 持 氏 の 追 討 ( 1438‐ 1439 年 ) や 赤 松 満 祐 に よ る 将 軍 足 利 義 教 の 暗 殺 ( 1441 年 ) 等 、 兵 乱 が 発 生 す る と 、 当 然 、 戦 時 下 の 安 全 保 障 を 謳 っ た 「 戦 時 の 制 札 」 の 発 給 が 急 増 し て い る 。

第 2 節 に お い て 同 氏 は 、 応 仁 の 乱 ( 1467‐ 1477 年 ) 当 時 の 制 札 に つ い て 、 検 討 さ れ て い る 。 こ の 戦 乱 に 際 し て は 、 再 度 、 安 全 保 障 、 治 安 維 持 の た め の 「 戦 時 の 制 札 」 が 大 量 に 発 給 さ れ る よ う に な り 、 こ れ と は 対 照 的 に 「 平 時 の 制 札 」 が 大 幅 に 減 尐 す る こ と に な っ て い る 。 戦 国 時 代 ( 1467 ‐ 1568 年 ) へ の 突 入 を う け て 、

「 戦 時 の 制 札 」 の 需 要 は 一 層 、 増 大 し て い き 、 畿 内 周 辺 に 止 ま ら ず 、 全 国 規 模 で 大 量 、 か つ 広 範 囲 に 交 付 さ せ る よ う に な っ て い く 旨 が 、 指 摘 さ れ て い る 。

第 3 節 に お い て 同 氏 は 、 室 町 政 権 期 以 降 の 大 内 氏 の 制 札 を 取 り 上 げ て 、 考 察 さ れ て い る 。 こ の 時 期 、 日 明 貿 易 に 直 接 関 与 し て 、 政 治 力 、 経 済 力 と も に 伸 張 の 著 し い 大 内 氏 は 、 ま と ま っ た 量 の 制 札 を 残 し て い る 。 そ の 特 色 は 「 平 時 の 制 札 」、

特 に 商 業 の 振 興 や 、 物 流 の 統 制 を 謳 っ た 領 国 内 へ の 制 札 の 多 様 性 に あ り 、 守 護 大 名 と し て の 成 長 と 権 力 の 確 立 に 連 動 し て 、 撰 銭 令 ( 1485 年 ) を 始 め と す る 新 法 令 の 公 布 や 、 禁 令 の 再 告 の た め に 、 領 内 全 域 に 制 札 を 立 て 、 周 知 徹 底 を 図 る 政 策 を 導 入 し て い っ た 。 大 内 氏 は 、 現 存 す る 史 料 上 、 制 札 を 通 じ た 領 民 支 配 に 最 も 熱 心 な 守 護 大 名 で あ り 、 尐 数 の 利 害 関 係 者 に 対 し て の み 制 札 を 交 付 す る と い う 、 従 来

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の 形 式 を 早 期 に 脱 却 の 上 、 後 の 戦 国 大 名 同 様 、「 平 時 の 制 札 」 に よ る 領 国 支 配 を 強 く 志 向 し て い っ た 、 と 考 え ら れ る 。「 平 時 の 制 札 」 の 重 視 と 、「 平 時 の 制 札 」 を 介 し た 領 民 統 治 の 徹 底 化 、「 平 時 の 制 札 」 に よ る 経 済 ・ 商 業 政 策 の 推 進 化 、 と い う 方 針 は 、 こ の 時 代 以 後 、 他 の 守 護 大 名 や 戦 国 大 名 に も 受 け 継 が れ て い っ て い る 、 旨 の 指 摘 が な さ れ て い る 。

第 4 節 に お い て 同 氏 は 、 南 北 朝 動 乱 以 来 、 室 町 中 期 に 至 る 時 代 の 制 札 の 役 割 変 化 に つ い て 、 小 括 的 に 言 及 さ れ て い る 。 す な わ ち 初 期 の 制 札 は 、 戦 時 下 の 安 全 保 障 の た め に 、 発 給 さ れ た 「 戦 時 の 制 札 」 が ほ と ん ど を 占 め て い た が 、 や が て 南 北 朝 合 一 、 平 和 の 回 復 に 伴 っ て 、 寺 社 、 領 民 等 の 権 益 の 保 証 ・ 追 認 の た め の 制 札 も 頻 繁 に 発 給 さ れ る よ う に な り 、 つ い で 室 町 政 権 の 安 定 期 を 経 て 、 経 済 ・ 商 業 政 策 の た め の 「 平 時 の 制 札 」 が 交 付 さ れ る よ う に な っ た 旨 を 再 確 認 さ れ て い る 。 あ わ せ て 制 札 の 発 給 に 際 し て は 、 発 給 者 側 が 安 全 保 障 、 権 利 保 証 等 を 、 責 任 を も っ て 引 き 受 け る 見 返 り に 、 被 交 付 者 か ら 「 判 銭 」、「 取 次 銭 」 の よ う な 手 数 料 を 、 受 け 取 る 慣 行 が 広 く 存 在 し て い た こ と を 指 摘 、 そ の 結 果 、 発 給 者 と 被 発 給 者 の 間 に は 、 継 続 的 、 か つ 固 定 的 な 支 配 ‐ 被 支 配 の 関 係 が 、 や が て は 形 成 さ れ る に 至 っ た 旨 が 、 明 述 さ れ て い る 。

第 3 章 「 戦 国 時 代 の 制 札 」 に お い て 、 佐 藤 雄 太 氏 は 、 全 国 的 視 野 か ら 各 地 方 を 代 表 す る 戦 国 大 名 の 発 給 し た 制 札 に 焦 点 を 合 わ せ て 、 多 角 的 に 検 討 ・ 考 察 を 行 わ れ て い る 。 第 1 節 に お い て 同 氏 は 、 旧 守 護 大 名 家 の 制 札 が 、 戦 国 時 代 を 通 じ て 、 ど の よ う な 変 遷 を 遂 げ て い っ た の か 、 を 示 す た め に 、 今 川 、 大 内 の 両 氏 の 事 例 を 、 中 心 的 に 取 り 上 げ て 、 言 及 さ れ て い る 。

今 川 氏 は 、 南 北 朝 時 代 初 期 以 来 、 駿 河 国 を 拠 点 に 守 護 大 名 と し て 、 東 海 地 方 を 支 配 し て き た 。 戦 国 時 代 に は 、 守 護 大 名 か ら 戦 国 大 名 に 転 化 、 東 海 道 屈 指 の 有 力 大 名 と し て 、 存 続 し て い っ た 。 今 川 氏 は ま た 、 東 国 最 古 の 分 国 法 「 今 川 仮 名 目 録 」( 1526 ‐ 1553 年 ) を 制 定 ・ 施 行 、 独 自 の 法 令 、 独 自 の 支 配 の 下 、 優 れ た 領 国 統 治 を 行 な っ て お り 、 民 政 上 、 大 量 の 制 札 を 発 給 し た こ と で も 知 ら れ て い る 。 す な わ ち 、 15 世 紀 末 の 今 川 氏 親 の 時 代 よ り 、「 平 時 の 制 札 」 が 多 く み ら れ る よ う に な り 、 制 札 を 活 用 し た 富 国 強 兵 の 政 策 が 推 進 さ れ て い っ た 。

大 内 氏 は 、 さ き に 第 2 章 で 言 及 し た 通 り 、 南 北 朝 動 乱 の 初 期 以 来 、 制 札 を 多 く 発 給 し た 家 柄 で あ る 。 分 国 法 「 大 内 家 壁 書 」( 1439 ‐ 1529 年 ま で の 法 令 を 含 む ) の 下 、 山 陽 道 、 山 陰 道 、 西 海 道 に わ た る 広 域 領 国 の 住 民 に 対 し て 、 経 済 政 策 に 連 動 し た 新 法 令 ― 年 貢 収 納 法 か ら 、 商 業 ・ 貿 易 統 制 、 金 銀 相 場 、 徳 政 、 撰 銭 等 々 、 極 め て 多 岐 に お よ ぶ ― を 、 都 市 、 郷 村 の 要 衝 に 掲 げ ら れ た 制 札 を 通 じ て 、 周 知 化 さ せ て い る 。 殊 に 撰 銭 令 ( 1485 年 、 初 見 ) は 、 再 三 に わ た り 布 告 さ れ て お り 、 制 札 に 鐚 銭 の 実 例 を 、 見 本 と し て 示 し た 上 で 、 町 場 や 「 市 」、 宿 駅 等 に 掲 示 さ せ て 、 周 知 化 が 図 ら れ て い る 。

な お 、 大 内 氏 滅 亡 ( 1551 年 ) の 後 、 山 陽 ・ 山 陰 道 の 遺 領 を 継 承 し た 安 芸 国 の 毛 利 氏 は 、 旧 主 ・ 大 内 氏 の 制 札 を 追 認 、 制 札 発 給 の 機 能 を 部 分 的 に 受 け 継 い で い る も の の 、 大 内 氏 ほ ど 、 積 極 的 な 制 札 の 活 用 は 行 っ て い な い 旨 、 指 摘 が な さ れ て い る 。 ま た 同 じ く 、 大 内 氏 滅 亡 の 後 、 北 部 九 州 の 遺 領 を 継 承 し た 豊 後 国 の 大 友 氏 の 場 合 、「 戦 時 の 制 札 」 の 発 給 こ そ 、 行 わ れ て い る も の の 、 戦 時 に お い て も 、 平 時 に お い て も 、 大 内 氏 ほ ど の 制 札 の 重 視 は 、 な さ れ て い な か っ た 旨 が 、 指 摘 さ れ て い る 。 確 か に 毛 利 、 大 友 両 氏 と の 比 較 と 、 そ の 隔 絶 ぶ り が 物 語 る 通 り 、 戦 国 期 の 大 内 氏 が 採 用 し た 、 制 札 駆 使 に よ る 領 国 統 治 は 、 同 時 代 の 西 国 で 最 も 先 進 的 、 か つ 傑 出 し た も の で あ っ た 、 と 明 述 さ れ て い る 。

第 2 節 に お い て 同 氏 は 、 戦 国 期 甲 信 越 の 武 田 、 上 杉 ( 長 尾 ) の 両 氏 に 焦 点 を 合 わ せ て 、 そ の 発 給 に か か る 制 札 の 悉 皆 的 検 討 の 上 に 、 考 察 さ れ て い る 。

甲 斐 国 の 武 田 氏 は 、 武 田 信 玄 の 時 代 に 、 信 濃 、 上 野 、 駿 河 等 の 隣 国 に 進 出 し て 、 領 国 を 拡 大 、 そ の 結 果 、 本 国 と と も に 、 領 国 化 さ れ た 征 服 地 に 対 し て も 、 制 札 を 大 量 発 給 す る に 至 っ て い る 。

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武 田 信 玄 ・ 勝 頼 父 子 の 治 世 は 、 常 に 「 戦 時 」 で あ り 、「 平 時 」 が 存 在 し な か っ た か の 如 き 印 象 を 与 え か ね な い も の の 、 現 実 に は 富 国 強 兵 、 領 国 経 済 の 振 興 の た め に 、「 平 時 の 制 札 」 も 相 当 数 、 発 給 さ れ て い る 。 す な わ ち 、 農 民 、 商 人 、 職 人 等 の 既 得 権 益 を 保 証 ・ 追 認 す る 制 札 や 、 検 地 、 新 田 開 発 、 年 貢 の 上 納 、「 市 」 の 開 設 、 撰 銭 、 宿 駅 ・ 伝 馬 の 整 備 、 鉱 山 の 開 発 等 々 、 経 済 政 策 に 連 動 す る 新 法 令 の 布 告 の た め に 、 武 田 氏 は 、「 平 時 の 制 札 」 を 、 積 極 的 に 交 付 ・ 掲 示 さ せ て い る 。 か か る 姿 勢 は 、 分 国 法 「 甲 州 法 度 之 次 第 」( 1547 年 頃 、 成 立 ) を 編 成 ・ 公 布 し 、 甲 斐 国 府 中 を 首 都 に 、 全 領 国 を 集 権 的 に 統 治 し よ う と し た 、 武 田 氏 の 政 策 に 合 致 す る も の で あ る 。

ち な み に 、 武 田 信 玄 の 制 札 に は 「 禁 制 」、「 制 札 」 と い う 、 当 時 一 般 的 で あ っ た 文 頭 表 記 の 他 に 、「 高 札 」 と い う 文 頭 表 記 も 使 用 さ れ て い る 。 こ の 「 高 札 」 は 、 主 と し て 本 国 ・ 甲 斐 国 以 外 の 征 服 地 に 発 給 ・ 掲 示 さ れ た も の で あ り 、 新 領 主 ・ 武 田 氏 の 威 令 を 顕 示 す る 役 割 を 担 っ て い た 。 尤 も 、 次 の 武 田 勝 頼 ( 1573‐ 1582 年 、 当 主 ) の 時 代 に は 、 領 国 縮 小 化 の 結 果 で あ ろ う が 、「 高 札 」 の 文 頭 表 記 は 、「 制 札 」 の そ れ と と も に 、 使 用 さ れ な く な り 、 発 給 の 制 札 は 、「 禁 制 」 と い う 文 頭 表 現 に 統 一 さ れ る こ と に な っ て い る 。

一 方 、 越 後 国 の 上 杉 ( 長 尾 ) 氏 に 目 を 転 ず れ ば 、 以 下 の 通 り で あ る 。 室 町 時 代 に 山 内 上 杉 氏 の 家 宰 ・ 守 護 代 を 務 め て 、 越 後 国 府 中 を 拠 点 に 勢 力 を 蓄 え た 越 後 長 尾 氏 は 、 長 尾 景 虎 ( 後 の 上 杉 謙 信 、 以 下 、 上 杉 謙 信 で 統 一 的 に 表 記 す る ) の 時 代 、 関 東 管 領 ・ 上 杉 憲 政 か ら 管 領 職 と と も に 、 上 杉 姓 を 譲 ら れ 、 戦 国 大 名 と し て 、 上 杉 姓 を 名 乗 る よ う に な っ た ( 1561 年 )。 こ の 前 後 よ り 、 甲 斐 国 の 武 田 氏 、 相 模 国 の 後 北 条 氏 と の 激 戦 を 繰 り 返 し て き た 上 杉 謙 信 は 、「 戦 時 の 制 札 」 を 大 量 に 発 給 し て き た が 、 武 田 、 後 北 条 両 氏 と 同 様 、 戦 時 の 合 間 を 縫 っ て 、 年 貢 上 納 の 方 法 や

「 市 」 の 設 定 、 金 銀 相 場 や 特 産 物 売 買 の 規 制 、 宿 駅 ・ 交 通 の 整 備 等 々 、 経 済 ・ 商 業 政 策 に 関 連 す る 「 平 時 の 制 札 」 を 発 給 、 掲 示 さ せ て い る 。 ま た 、 新 た に 征 服 ・ 領 国 化 し た 国 々 に 対 し て は 、 制 札 を 通 じ た 法 令 の 告 知 を 行 っ て い る 。 武 田 、 後 北 条 の 両 氏 に 比 べ れ ば 、 制 札 活 用 の 度 合 は 小 で あ る が 、 上 杉 氏 も 「 平 時 の 制 札 」 を 介 し た 領 国 統 治 を 、 志 向 し て い た こ と が 知 ら れ る 。

第 3 節 に お い て 同 氏 は 、 相 模 国 小 田 原 を 本 拠 と し て 、 5 代 に わ た り 関 東 を 支 配 し た 後 北 条 氏 に 注 目 、 伊 勢 宗 瑞 ( 北 条 早 雲 ) 以 来 の 全 制 札 を 検 討 の 上 、 考 察 さ れ て い る 。 後 北 条 氏 は 、 戦 国 大 名 の な か で も 、 特 に 民 政 面 で 優 れ た 政 治 を 行 っ て い た こ と で 知 ら れ る が 、「 平 時 の 制 札 」 を 活 用 、 年 貢 率 の 公 定 や 農 地 開 発 の 奨 励 、 諸 役 の 指 定 や そ の 免 除 、 営 業 特 権 の 公 認 や 追 認 、 都 市 の 整 備 や 「 市 」 の 創 出 、 物 流 の 管 理 や 交 通 の 整 備 等 々 、 手 厚 く 農 ・ 商 ・ 工 の 住 民 を 保 護 し て い る 。

な お 、 制 札 の 文 頭 表 記 に も 独 自 の 傾 向 が み ら れ 、 首 都 ・ 小 田 原 、 お よ び そ の 周 辺 で は 、 後 年 に な る ほ ど 「 禁 制 」 の 比 重 が 大 き く な っ て い る 。 こ の 「 禁 制 」 に は 、 大 名 家 当 主 (「 大 途 」) の 持 つ 虎 の 朱 印 が 押 さ れ た も の が 多 く 、 後 北 条 領 国 で は 最 も 高 権 威 の 制 札 と み な さ れ て い た 。 ち な み に 後 北 条 氏 は 、 当 初 制 札 に 対 し て 複 数 の 文 頭 表 記 を 混 用 し て い た が 、 領 国 が 広 域 化 し た そ の 後 期 に は 、「 禁 制 」 表 記 に 一 本 化 を 志 向 し て い た 模 様 で あ る 。 こ れ は 法 令 と し て の 統 一 性 を 保 つ と 同 時 に 、

「 室 町 政 権 様 式 」 に 倣 っ て 、 一 層 の 権 威 化 を 図 る た め で も あ っ た 。

以 上 、 第 3 章 の 検 討 を う け て 、 同 氏 は 戦 国 大 名 が 「 戦 時 の 制 札 」 に あ っ て は 、 自 身 の 権 威 を 高 め る べ く 、「 室 町 幕 府 様 式 」 の 制 札 を 踏 襲 す る 一 方 で 、「 平 時 の 制 札 」 に あ っ て は 、 領 国 内 部 の 実 情 や 、 経 済 ・ 商 業 政 策 の 周 知 化 の た め に 、 そ れ ぞ れ 独 自 の 様 式 を 採 用 し て お り 、 応 仁 の 乱 を 契 機 に 、 制 札 の 役 割 が 大 き く 変 化 し た こ と を 、 指 摘 さ れ て い る 。

次 に 第 4 章 に お い て 佐 藤 雄 太 氏 は 、 統 一 政 権 の 大 名 発 給 に か か る 制 札 に 注 目 、 検 討 ・ 考 察 を 行 わ れ て い る 。 ま ず 第 1 節 に お い て 同 氏 は 、 織 田 信 長 の 制 札 を 取 り 上 げ て 、 そ の 特 徴 を 分 析 さ れ て い る 。 織 田 信 長 政 権 ( 1568‐ 1582 年 ) は 、 東 国 、 畿 内 、 西 国 の 広 い 範 囲 で 、 敵 対 す る 大 名 や 、 宗 教 勢 力 と の 間 に 、 激 し い 戦 争 を 繰

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り 返 し て い っ た が 、 こ の 統 一 戦 争 の 過 程 で 「 戦 時 の 制 札 」 を 、 大 量 に 発 給 し て い る 。 こ れ ら 制 札 は 、 同 時 、 か つ 同 一 地 域 に 、 大 量 発 給 す る の に 適 合 し た 簡 潔 な 様 式 で あ り 、 し か も 戦 場 や 征 服 地 で 、 よ り 末 端 の 住 民 に 至 る ま で 禁 令 が 周 知 さ れ る よ う に 、 仮 名 交 じ り の 簡 単 な 内 容 と な っ て い る 。

か か る 「 戦 時 の 制 札 」 の 簡 潔 ・ 簡 易 化 は 、 織 田 信 長 政 権 下 の 「 平 時 の 制 札 」 に も 影 響 を 与 え て お り 、 同 政 権 が 発 令 す る 法 令 ・ 命 令 等 も 、 簡 潔 、 か つ 簡 易 な 制 札 に よ っ て 、 周 知 化 が 図 ら れ て い っ た 。 織 田 信 長 政 権 下 、 発 令 さ れ た 撰 銭 令 ( 1569 年 )、 楽 市 令 ( 岐 阜 加 納 、 1567 年 、 安 土 城 下 、 1577 年 ) 等 は そ の 象 徴 で あ る 、 と 指 摘 さ れ て い る 。

第 2 節 に お い て 同 氏 は 、 豊 臣 秀 吉 の 制 札 を 取 り 上 げ て 、 考 察 さ れ て い る 。 豊 臣 秀 吉 政 権 ( 1582‐ 1598 年 ) は 、 織 田 信 長 の 統 一 事 業 を 受 け 継 ぎ 、 つ い に 全 国 統 一 を 実 現 ( 1590 年 ) す る が 、 そ の 統 一 戦 争 の 過 程 で 、 織 田 信 長 政 権 の 様 式 に 倣 っ た

「 戦 時 の 制 札 」 を 、 組 織 的 に 発 給 し て い る 。

ま た 織 田 信 長 政 権 と 同 様 、 重 要 法 令 の 布 告 の た め に 、「 平 時 の 制 札 」 を 活 用 、 太 閤 検 地 ( 1582‐ 1598 年 ) や 、「 伴 天 連 追 放 令 」( 1587 年 )、「 刀 狩 令 」( 1588 年 )、

「 海 賊 停 止 令 」( 1588 年 ) 等 々 を 、 全 国 の 都 市 、 郷 村 、 漁 村 、 寺 社 等 の 末 端 ま で 伝 達 す る た め に 、 駆 使 し て い る 。 か く し て 政 権 権 力 意 思 が 、 従 来 に も 増 し て 、 直 接 住 民 に 周 知 徹 底 し う る 体 制 が 、 生 み 出 さ れ て い る 。 石 高 制 が 成 立 し 、 村 請 制 に よ る 郷 村 自 治 が 開 始 を み た こ の 時 期 、 制 札 を 介 し て 、 最 高 権 力 者 の 太 閤 の 、 つ い で 将 軍 の 法 令 ・ 禁 令 が 、 大 名 家 の 個 別 領 主 権 の 垣 根 を 越 え て 、 農 ・ 工 ・ 商 の 階 層 の 再 末 端 に 至 る ま で 浸 透 す る よ う に な っ た こ と は 、 き わ め て 重 要 で あ る 、 と 指 摘 さ れ て い る 。

終 章 「 総 括 」 に お い て 佐 藤 雄 太 氏 は 、 全 体 的 総 括 を 行 わ れ て い る 。 す な わ ち 、 南 北 朝 初 期 以 来 、 室 町 期 、 戦 国 期 、 織 豊 政 権 期 を 経 て 、「 制 札 」 が 、 い か に 発 給 目 的 や 様 式 、 記 載 内 容 と も に 、 大 き な 変 容 を 重 ね つ つ 、 や が て 全 国 規 模 で 定 着 ・ 活 用 さ れ て 、 最 終 的 に は 統 一 政 権 期 に 体 制 化 さ れ 、 江 戸 幕 府 成 立 期 に 至 っ た の か 、 整 理 ・ 理 論 化 さ れ て い る 。 そ の 大 要 は 、 以 下 の 通 り で あ る 。

① 制 札 の 直 接 的 起 源 は 、 鎌 倉 時 代 初 期 ま で 遡 る も の の 、 そ の 本 格 的 な 大 量 発 給 は 、 南 北 朝 動 乱 期 以 降 の こ と で あ り 、 当 初 制 札 の ほ と ん ど は 「 戦 時 の 制 札 」 で あ っ た こ と 。

② 同 時 期 、 武 家 政 権 の 制 札 に は 、 そ の 主 た る 発 給 者 に ち な ん だ 「 足 利 尊 氏 様 式 」、「 足 利 直 義 様 式 」 の 2 様 式 が み ら れ た も の の 、 1350 年 代 以 降 、 前 者 に 一 元 化 さ れ 、 や が て 足 利 義 満 政 権 期 ま で に は 、「 室 町 政 権 様 式 」 と し て 、 定 式 化 ・ 権 威 化 を み た こ と 。

③ 足 利 義 満 政 権 下 の 平 和 の 回 復 を う け て 、 こ の 時 代 以 降 、 従 来 の 「 戦 時 の 制 札 」 と は 異 な り 、 経 済 ・ 商 業 政 策 と も 連 動 し た 「 平 時 の 制 札 」 も 発 給 さ れ る よ う に な っ た こ と 。

④ 足 利 義 満 没 後 、 平 和 時 に は 「 平 時 の 制 札 」 が 発 給 さ れ 続 け て い く も の の 、 1430 年 代 後 半 の 兵 乱 発 生 以 降 、 再 度 「 戦 時 の 制 札 」 が 増 大 し て い っ た こ と 。

⑤ 応 仁 の 乱 以 降 、 室 町 政 権 の 政 治 的 権 威 が 失 わ れ 、 戦 国 時 代 に 突 入 す る と 、 全 国 各 地 の 戦 国 大 名 に よ り 、「 戦 時 の 制 札 」 が 大 量 に 発 給 さ れ る よ う に な っ た が 、 そ れ と 同 時 に 、 各 大 名 の 経 済 ・ 商 業 政 策 に 連 動 し た 「 平 時 の 制 札 」 も 、 独 自 に 発 給 さ れ る よ う に な っ た こ と 。

⑥ 織 田 信 長 ・ 豊 臣 秀 吉 の 統 一 政 権 下 、 制 札 の 様 式 は 平 易 化 ・ 簡 易 化 の 方 向 に 進 み 、「 戦 時 の 制 札 」、「 平 時 の 制 札 」 と も に 、 よ り 広 範 囲 に 、 よ り 末 端 の 階 層 に 、 法 令 の 周 知 化 が 図 ら れ る よ う に な っ た こ と 、 ま た 統 一 政 権 の 経 済 ・ 商 業 政 策 に 関 係 す る 重 要 法 令 も 、 制 札 を 介 し て 、 発 令 さ れ る よ う に な っ た こ と 。

⑦ 徳 川 幕 府 成 立 期 の 制 札 、 高 札 場 の 制 度 も 、 織 田 ・ 豊 臣 政 権 下 の 政 策 を 、 継 承 す る も の で あ っ た こ と 。

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ま た 、 本 章 後 段 に お い て 同 氏 は 、 今 回 の 研 究 の 残 さ れ た 課 題 と 、 今 後 の 研 究 の 方 針 に つ い て 明 言 さ れ て お り 、 そ の 末 尾 に は 、 付 録 の 「 制 札 一 覧 表 」( 1185 ‐ 1614 年 、 約 1600 点 ) が 添 付 さ れ て い る 。

論 文 本 体 は 、 以 上 で あ る が 、 こ れ に 続 い て 佐 藤 雄 太 氏 は 「 補 論 1 大 名 の 制 札 に よ る 商 業 政 策 」、「 補 論 2 制 札 全 体 の 検 討 」、「 補 論 3 戦 国 期 徳 川 家 康 の 制 札 」 の 補 論 3 本 を 、 あ わ せ て 添 付 さ れ て い る 。

「 補 論 第 1 大 名 の 制 札 に よ る 商 業 統 制 」 に お い て 、 同 氏 は 大 内 氏 の 「 市 」 規 制 や 、 上 杉 氏 の 町 ・ 宿 駅 へ の 法 令 布 達 、 後 北 条 氏 の 商 業 ・ 交 通 奨 励 策 、 織 田 信 長 の 楽 市 ・ 楽 座 政 策 等 々 、 制 札 を 介 し た 経 済 ・ 商 業 政 策 を 取 り 上 げ て 、 戦 国 大 名 が 領 国 経 済 の 振 興 の た め に 、 積 極 的 に 「 平 時 の 制 札 」 を 活 用 し て い っ た 事 実 を 敶 衍 、 論 文 本 体 の 第 3 章 、 第 4 章 を 補 強 さ れ て い る 。

次 に 「 補 論 第 2 制 札 全 体 の 検 討 」 に お い て 同 氏 は 、 欠 文 が な く 、 文 頭 表 記 が 判 明 す る 文 治 元 ‐ 慶 長 19 年 ( 1185‐ 1614) ま で の 430 年 間 の 全 制 札 ・ 1582 点 を 、 発 給 年 次 、 文 頭 表 記 ― 「 制 札 」、「 禁 制 」、「 定 」、「 高 札 」 等 々 ― に 即 し て 、 分 類 ・ 作 表 の 上 、 1 年 刻 み で 掲 載 さ れ て い る 。 同 氏 は 、 ま ず 発 給 年 次 と 発 給 頻 度 の 関 係 か ら 、 建 武 3 年 ( 1336)、 観 応 2‐ 文 和 元 年 ( 1351‐ 1352)、 応 仁 元 年 ( 1467)、 永 禄 4 年 ( 1561)、 永 禄 11 年 ( 1568)、 天 正 3 年 ( 1575)、 天 正 10 年 ( 1582)、 天 正 13 年 ( 1585)、 天 正 18 年 ( 1590)、 慶 長 5 年 ( 1600)、 慶 長 19 年 ( 1614) の 各 11 ピ ー ク を 指 摘 さ れ た 上 で 、 こ れ ら 年 次 に 対 応 す る 歴 史 的 事 象 、 す な わ ち 兵 乱 の 存 在 に 言 及 、「 戦 時 の 制 札 」 は 、 文 字 通 り 戦 時 に 直 接 連 動 し て 、 発 給 さ れ て い っ た こ と を 、 改 め て 明 述 さ れ て い る 。 つ い で 全 制 札 の 文 頭 表 記 に 注 目 、 1582 点 の 制 札 に つ い て 、 円 グ ラ フ を 掲 示 さ れ た 上 で 、「 制 札 」 が 11%、「 禁 制 」 が 42%、「 定 」 が 7% 、「 高 札 」 が 3% 、 そ の 余 は 他 の 表 記 で あ る こ と を 、 証 明 さ れ て い る 。 同 氏 は 、 本 補 論 を 通 じ て 、 論 文 本 体 の 第 1 章 ‐ 第 4 章 ま で を 、 補 強 さ れ て い る 。

最 後 に 「 補 論 第 3 戦 国 期 徳 川 家 康 の 制 札 」 に お い て 同 氏 は 、 弘 治 2‐ 慶 長 8 年 ( 1556‐ 1603) ま で の 徳 川 家 康 発 給 に か か る 全 119 点 の 制 札 を 、 一 覧 表 と し て 掲 示 の 上 、 将 軍 職 就 任 以 前 の 徳 川 家 康 が 、 如 何 な る 制 札 を 交 付 し て い た の か 、 具 体 的 に 検 討 ・ 考 察 を さ れ て い る 。

同 氏 は 、 今 川 氏 の 属 邦 時 代 、 主 家 の 制 札 様 式 を 準 用 し て き た 松 平 氏 ( 徳 川 氏 ) が 、 桶 狭 間 の 合 戦 ( 1560 年 ) を 契 機 に 自 立 し て 、「 戦 時 の 制 札 」、「 平 時 の 制 札 」 と も に 、 独 自 に 発 給 す る よ う に な っ た こ と を 、 ま ず 指 摘 さ れ て い る 。 尤 も 、 戦 国 大 名 と し て 特 に 個 性 的 な 制 札 を 、 徳 川 氏 が 交 付 し て い た 訳 で は な く 、 豊 臣 秀 吉 へ の 臣 従 ( 1586 年 )、 五 大 老 へ の 就 任 ( 1597‐ 1598 年 頃 )、 関 ケ 原 合 戦 の 勝 利 ( 1600 年 )、 将 軍 職 へ の 就 任 ( 1603 年 ) と い う 一 連 の 過 程 を 経 て 、 結 果 的 に 全 国 統 治 者 と し て 、 制 札 発 給 を 行 う よ う に な っ た た め に 、 織 田 ・ 豊 臣 政 権 下 の 制 札 の 様 式 を 、 ほ ぼ 踏 襲 し て い る こ と を 指 摘 、 あ わ せ て 徳 川 氏 発 給 の 制 札 が 、 統 一 政 権 の 最 終 決 戦 と も い う べ き 時 代 に 交 付 さ れ た こ と か ら 、「 戦 時 の 制 札 」 が 圧 倒 的 に 多 か っ た こ と を 、 指 摘 さ れ て い る 。 同 氏 は 、 本 補 論 を 通 じ て 、 論 文 本 体 の 第 4 章 を 、 補 強 さ れ て い る 。

補 論 は 以 上 で あ る が 、 こ れ ら 3 本 の 補 論 を 通 じ て 、 各 指 摘 、 デ ー タ と も に 、 論 文 本 体 が 、 か な り 増 強 さ れ て お り 、 論 旨 は よ り 明 快 と な っ て い る 、 と 思 わ れ る 。

佐 藤 雄 太 氏 の 博 士 学 位 の 請 求 論 文 「 室 町 ・ 戦 国 期 に お け る 制 札 の 研 究 」 の 要 旨 は 、 以 上 で あ る 。 本 論 文 が 学 術 論 文 と し て 、 極 め て 優 秀 で あ る こ と 、 ま た 同 氏 の 研 究 能 力 、 業 績 、 識 見 と も に 、 著 し く 卓 越 し た も の で あ る こ と 、 し か も そ の 水 準 が 、 本 大 学 院 研 究 科 博 士 ( [ 経 済 学 ] ) の 学 位 を 授 与 さ れ る の に 、 ふ さ わ し い も の で あ る こ と を 、 審 査 委 員 会 の 主 査 ・ 副 査 と も に 、 十 分 に 確 認 し 得 た 次 第 で あ る 。

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審 査 結 果 の 要 旨

1 審 査 の 結 論

論 文 審 査 委 員 の 主 査 ・ 富 澤 一 弘 、 副 査 ・ 今 野 昌 信 、 副 査 ・ 和 泉 清 司 の 三 者 は 、 今 回 佐 藤 雄 太 氏

提 出 に か か る 博 士 学 位 の 請 求 論 文 「 室 町 ・ 戦 国 期 に お け る 制 札 の 研 究 」 が 、 学 術 的 に 高 度 な 水 準 に あ り 、 ま た 同 氏 が 本 研 究 科 博 士 ( [ 経 済 学 ] ) の 学 位 授 与 に 値 す る 、 十 分 な 研 究 能 力 を 保 持 す る こ と を 、 一 致 し て 確 認 し た 。

「 制 札 」( 禁 制 ) と は 、 主 と し て 日 本 中 世 ・ 近 世 の 幕 府 、 大 名 等 の 権 力 者 が 、 都 市 ( 都 、 町 、 宿 駅 、 市 場 等 ) や 郷 村 、 寺 院 や 神 社 等 に 交 付 し た 文 書 、 乃 至 は 木 札 で あ り 、 法 令 の 遵 守 と と も に 、 不 法 行 為 の 禁 止 を 命 じ る 場 合 や 、 領 主 の 新 法 令 を 周 知 さ せ る た め に 、 民 間 に 下 付 さ れ た も の で あ る 。

制 札 に は 一 般 に 、 違 反 者 に 対 す る 厳 し い 処 罰 文 言 を 伴 う こ と が 常 で あ り 、 そ の 最 も 普 遍 的 な 量 刑 は 、 今 日 の 「 微 罪 」 に あ た る も の と い え ど も 、 死 罪 で あ っ た 。

法 制 史 上 、 制 札 の 遠 源 は 、 奈 良 ・ 平 安 期 の 律 令 国 家 の 時 代 に ま で 遡 り 、 ま た 、 そ の 直 接 的 起 源 は 、 鎌 倉 時 代 初 期 に ま で 遡 り 得 る も の の 、 実 際 に 大 量 発 給 さ れ る よ う に な っ た の は 、 南 北 朝 動 乱 期 か ら 、 室 町 ・ 戦 国 期 に か け て で あ り 、 織 豊 政 権 期 か ら 徳 川 幕 府 成 立 期 に 至 る ま で 、 制 札 は 、 発 令 者 に と っ て も 、 領 民 に と っ て も 、 極 め て 重 要 な る 意 義 を 有 し て い た 。 し か し な が ら 、 そ の 重 要 性 に も か か わ ら ず 、 明 治 期 以 来 、 現 在 に 至 る ま で 、 制 札 に 関 す る 研 究 は 、 法 制 史 や 古 文 書 学 、 そ の 他 有 職 故 実 に 関 連 す る 一 部 の 業 績 を 除 き 、 な お 乏 尐 で あ り 、 研 究 史 に お い て 、 経 済 史 的 見 地 か ら の 明 確 な 検 討 や 、 位 置 づ け は 、 未 だ な き に 等 し い 。

近 年 、『 寧 楽 遺 文 』、『 平 安 遺 文 』、『 鎌 倉 遺 文 』、『 南 北 朝 遺 文 』、『 戦 国 遺 文 』( い ず れ も 、 東 京 堂 出 版 社 刊 行 ) 等 の 古 代 ・ 中 世 古 文 書 集 が 刊 行 さ れ 、 奈 良 時 代 以 降 、 戦 国 期 ま で の 古 文 書 で 学 術 上 、 重 要 な 史 料 は 、 ほ ぼ 悉 皆 的 に 活 字 化 さ れ て い る 。 ま た 昭 和 40 年 代 以 降 、 平 成 20 年 代 に 至 る 、 全 国 的 な 自 治 体 史 ― 都 道 府 県 、 市 町 村 等 の 各 自 治 体 が 刊 行 し た 公 的 史 書 で 、 古 代 よ り 現 代 ま で の 通 史 ・ 史 料 集 等 を 含 む ― 刊 行 を う け て 、 各 地 に 散 在 す る 中 世 初 期 か ら 戦 国 期 ま で の 古 文 書 、 古 記 録 等 も 、 こ れ ま た ほ ぼ 悉 皆 的 に 活 字 化 さ れ て い る 。 し か し な が ら 、 こ れ ら 史 料 集 、 自 治 体 史 等 の 文 献 を 縦 横 に 活 用 し て 、 わ が 国 で 今 日 知 ら れ て い る 全 て の 制 札 を デ ー タ ベ ー ス 化 し 、 全 国 的 視 野 か ら 検 討 、 独 自 の 視 点 か ら 、「 制 札 全 史 」 を 明 ら か に し よ う と す る 研 究 者 は 、 本 大 学 院 生 ・ 佐 藤 雄 太 氏 の 登 場 以 前 、 恐 ら く は 皆 無 で あ っ た 。 従 っ て 、 同 氏 の 研 究 姿 勢 や 、 研 究 方 針 そ れ 自 体 が 、 学 術 上 、 大 き な 意 義 を 有 す る も の と 認 め ら れ る 。

佐 藤 雄 太 氏 は 、 本 学 位 請 求 論 文 の 執 筆 に 先 行 し て 、 中 世 前 期 以 降 、 江 戸 時 代 初 期 ま で の 、 現 在 知 ら れ て い る 限 り 、 全 て の 制 札 1600 点 余 を 古 文 書 と し て 収 集 ・ 翻 刻 し て 、 デ ー タ ベ ー ス 化 を 行 っ た 上 で 、 主 と し て 室 町 ・ 戦 国 期 に 時 代 を 絞 っ て 検 討 を 重 ね て 、 14 世 紀 の 足 利 政 権 以 降 、 17 世 紀 の 徳 川 政 権 成 立 期 に 至 る 制 札 の 歴 史 を 、 政 治 史 的 ・ 経 済 史 的 側 面 か ら 考 察 さ れ て い る 。

本 論 文 は 、 序 章 (「 研 究 の 動 機 」、「 制 札 の 概 要 」、「 先 行 研 究 」、「 こ れ ま で の 成 果 」) を 経 て 、 第 1 章 「 南 北 朝 時 代 の 制 札 」 よ り 本 格 的 な 検 討 が な さ れ て い る 。 同 氏 は 、 第 1 章 第 1 節 に お い て 、 足 利 尊 氏 ・ 直 義 兄 弟 の 発 給 に か か る 制 札 を 取 り 上 げ て 、 そ の 内 容 と 特 色 を 詳 細 に 検 討 さ れ た 上 で 、 南 北 朝 初 期 に は 、 い う な れ ば 、

「 足 利 尊 氏 様 式 」、「 足 利 直 義 様 式 」 の 2 様 式 が 、 武 家 政 権 内 部 に 存 在 し て い た こ と 、 ま た そ の 後 、「 観 応 の 擾 乱 」( 1350‐ 1352 年 ) に よ る 足 利 直 義 の 没 落 の 結 果 、 幕 府 発 給 の 制 札 の 様 式 が 、 戦 乱 の 勝 者 の 側 の 文 書 形 式 ・「 足 利 尊 氏 様 式 」 に 一 元 化 さ れ て い っ た こ と を 、 論 証 さ れ て い る 。

あ わ せ て 、 同 氏 は 、 内 乱 初 期 の 制 札 の 大 部 分 が 、 乱 暴 狼 藉 の 禁 止 、 竹 木 伐 採 の 禁 止 、 陣 取 り の 禁 止 を 三 大 骨 子 と す る 「 戦 時 の 制 札 」 で あ り 、 寺 社 、 都 市 、 郷 村

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等 の 安 全 と 治 安 維 持 の た め に 、 全 国 的 に 大 量 交 付 さ れ て い っ た と い う 事 実 を 、 的 確 に 指 摘 さ れ て い る 。

ま た 第 2 節 、 第 3 節 に お い て 、 同 氏 は 、 足 利 義 満 政 権 の 樹 立 ・ 強 大 化 に 連 動 し て 、「 足 利 尊 氏 様 式 」 の 制 札 が 完 備 を み て 、 こ れ 以 降 の 将 軍 、 三 管 四 職 等 、 幕 府 高 官 の 発 給 す る 制 札 の 規 範 、 す な わ ち 「 室 町 政 権 様 式 」 と な っ て い っ た こ と 、 ま た こ の 時 期 、 南 北 朝 合 一 ( 1392 年 )、 平 和 の 回 復 と い う 情 勢 を う け て 、 い わ ば

「 平 時 の 制 札 」 と も い う べ き 、 経 済 ・ 商 業 政 策 を 強 く 意 識 し た 新 し い 内 容 を ふ く む 制 札 ― 都 市 政 策 、 市 場 政 策 、 通 貨 政 策 等 々 ― が 、 室 町 政 権 下 、 出 現 す る に 至 っ た こ と を 、 正 確 に 指 摘 さ れ て い る 。 か か る 指 摘 は 、 蓋 し 中 世 制 札 史 研 究 の 一 時 代 を 画 す る 、 重 要 指 摘 で あ る 。

次 に 第 4 節 に お い て 、 同 氏 は 、 南 北 朝 期 の 有 力 守 護 大 名 ・ 今 川 氏 ( 東 海 道 、 西 海 道 )、 大 内 氏 ( 山 陽 道 、 山 陰 道 ) の 両 氏 を 取 り 上 げ て 、 当 該 期 に 各 任 国 に 発 給 し た 全 制 札 を 検 討 、 そ れ ら の 分 析 結 果 か ら 、 両 氏 の 制 札 が 基 本 的 に 「 足 利 尊 氏 様 式 」、 お よ び 「 室 町 政 権 様 式 」 に 依 拠 し た も の で あ る こ と を 実 証 さ れ て い る が 、 こ の 事 実 は 、 当 時 の 守 護 大 名 が 、 後 年 の 戦 国 大 名 と は 全 く 異 な り 、 将 軍 権 力 の 分 身 と し て 、 忠 実 に 在 地 支 配 を 行 っ て い っ た こ と を 、 雄 弁 に 物 語 る も の で あ る 。 さ ら に 第 2 章 「 室 町 時 代 の 制 札 」 に お い て 、 同 氏 は 、 足 利 義 満 没 後 ( 1408 年 ) よ り 、 応 仁 の 乱 ( 1467‐ 1477 年 ) 当 時 に 至 る 幕 府 、 有 力 守 護 の 制 札 を 検 討 さ れ て い る 。 す な わ ち 、 第 1 節 「 室 町 時 代 中 期 ま で の 制 札 」、 第 2 節 「 応 仁 の 乱 時 の 制 札 」、 第 3 節 「 室 町 期 大 内 氏 の 制 札 」、 第 4 節 「 南 北 朝 期 の 制 札 と の 違 い 」 の 各 節 を 通 じ て 、 以 下 の 指 摘 が な さ れ て い る 。

こ の 期 間 、 政 治 的 動 乱 を 伴 わ な い 平 和 時 に は 、 流 通 統 制 や 交 通 政 策 、 そ の 他 、 経 済 ・ 商 業 振 興 を 強 く 意 識 し た 「 平 時 の 制 札 」 が 、 比 較 的 多 数 、 発 給 さ れ 続 け て き た こ と を 、 ま ず 指 摘 さ れ て い る 。 そ の 一 方 で 、 鎌 倉 公 方 ・ 足 利 持 氏 の 討 伐

( 1438 ‐ 1439 年 ) と 、 こ れ に 連 動 す る 「 結 城 合 戦 」( 1440 ‐ 1441 年 )、「 嘉 吉 の 乱 」( 1441 年 ) の 発 生 以 降 、 兵 乱 や 政 情 不 安 か ら 、 再 度 「 戦 時 の 制 札 」 の 発 給 が 増 大 す る よ う に な り 、 さ ら に 戦 国 時 代 ( 1467 ‐ 1568 年 ) 突 入 以 後 、「 戦 時 の 制 札 」 の 発 給 に 一 層 、 拍 車 が か か り 、 全 国 的 に み て 、 よ り 大 量 、 か つ 広 範 囲 に わ た っ て 制 札 が 交 付 さ れ る よ う に な っ た 事 実 を 、 明 快 に 指 摘 さ れ て い る 。

つ い で 第 3 章 「 戦 国 時 代 の 制 札 」 に お い て 、 佐 藤 雄 太 氏 は 、 殊 に 制 札 発 給 量 の 多 い 戦 国 大 名 に 着 目 、 東 国 よ り 南 九 州 に 至 る 主 要 大 名 の 制 札 を 、 悉 皆 的 に 分 析 ・ 検 討 さ れ て い る 。 周 知 の よ う に 、 こ の 時 代 、 足 利 将 軍 の 政 治 的 権 威 は 、 山 城 国 、 お よ び 近 国 ま で し か 及 ば ず 、 国 内 66 カ 国 の う ち 、 大 部 分 は 、 そ の 土 地 の 戦 国 大 名 の 主 権 下 、 独 自 の 支 配 が 行 わ れ 、 独 自 の 法 令 が 施 行 さ れ て い た 。 同 氏 は 、 第 1 節 「 旧 守 護 ・ 幕 府 重 臣 の 制 札 」 に お い て 、 今 川 、 大 内 、 毛 利 、 大 友 の 各 氏 を 、 ま た 第 2 節 「 東 国 大 名 の 制 札 」 に お い て 、 武 田 、 上 杉 の 両 氏 を 、 さ ら に 第 3 節 「 後 北 条 氏 の 制 札 」 に お い て 、 関 東 の 後 北 条 氏 を 取 り 上 げ て 、 当 該 期 の 全 制 札 を 解 析 ・ 検 討 を 重 ね ら れ て い る 。 そ の 結 果 、 こ れ ら 代 表 的 戦 国 大 名 は 、「 戦 時 の 制 札 」 の 発 給 に 際 し て は 、 自 家 の 権 威 を 高 め る べ く 、 文 書 様 式 ( 書 札 礼 ) 上 、「 室 町 政 権 様 式 」 に 準 拠 し て 制 札 を 発 給 す る 一 方 で 、「 平 時 の 制 札 」 の 発 給 に 際 し て は 、 領 国 の 実 情 や 、 自 身 の 経 済 的 ・ 商 業 的 政 策 に 連 動 し て 、 そ の 大 名 独 自 の 様 式 の 下 、 制 札 を 発 給 す る 傾 向 が 顕 著 に み ら れ る こ と が 、 指 摘 さ れ て お り 、 実 に 卓 見 で あ る 、 と 言 わ ね ば な ら な い 。 か か る 有 力 大 名 の う ち 、 東 国 の 武 田 、 上 杉 、 後 北 条 の 三 氏 は 、 特 に 制 札 を 通 じ た 領 民 統 治 と 、 領 民 保 護 に 熱 心 で あ り 、 後 の 統 一 政 権 の 経 済 ・ 商 業 政 策 や 、 民 政 、 農 政 等 を 、 先 取 り す る よ う な 、 優 れ た 政 策 を 行 っ て い た こ と も 、 指 摘 さ れ て い る 。

さ ら に 第 4 章 「 統 一 政 権 大 名 の 制 札 」 に お い て 佐 藤 雄 太 氏 は 、 織 豊 政 権 期

( 1568‐ 1598 年 ) に 織 田 信 長 、 豊 臣 秀 吉 が 交 付 し た 制 札 を 、 悉 皆 的 に 分 析 ・ 検 討 さ れ て い る 。 第 1 節 「 織 田 信 長 」、 第 2 節 「 豊 臣 秀 吉 」、 第 3 節 「 統 一 政 権 の 特 殊 性 の 検 討 」 の 各 節 を 通 じ て 、 地 方 大 名 か ら 上 昇 、 全 国 を 支 配 す る 政 権 の 担 い 手 と な っ た 織 田 、 豊 臣 の 両 氏 が 、 如 何 に 都 市 ( 都 、 町 、 城 下 町 、 宿 駅 等 )、 郷 村 、 寺

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社 勢 力 に 対 し て 、 有 効 に 制 札 を 発 給 し て 、 統 一 事 業 を 推 進 し て い っ た か 、 明 述 さ れ て い る 。 な お 、 同 氏 に よ れ ば 、 織 田 ・ 豊 臣 政 権 に あ っ て は ,「 戦 時 の 制 札 」、

「 平 時 の 制 札 」 と も に 、 仮 名 交 じ り に よ る 平 易 化 と 、 様 式 の 簡 略 化 の 方 向 性 が 、 明 瞭 に 看 て 取 れ る が 、 こ れ は 制 札 の 内 容 を 、 こ れ ま で 以 上 に 広 範 囲 に 、 し か も 、 よ り 末 端 の 階 層 に 至 る ま で 、 周 知 徹 底 さ せ よ う と い う 、 権 力 意 志 の 強 い 表 れ で あ る 。 こ の 指 摘 は 、 至 当 で あ り 、 楽 市 令 ( 岐 阜 加 納 は 1567 年 、 安 土 城 下 は 1577 年 ) や 撰 銭 令 ( 1569 年 )、 伴 天 連 追 放 令 ( 1587 年 ) や 刀 狩 令 ( 1588 年 ) 等 、 統 一 政 権 の 重 要 法 令 の 表 記 法 、 な ら び に 発 令 方 式 ― す な わ ち 制 札 , 高 札 を 介 し た 周 知 化 ― に も 相 通 じ る 、 大 き な 変 化 で あ る と い え よ う 。

徳 川 幕 府 成 立 後 、 全 国 す べ て の 都 市 、 郷 村 の 要 衝 に 高 札 場 が 設 け ら れ 、 特 に 重 要 な 法 令 は 、 巨 大 な 木 札 に 大 書 さ れ て 、 長 期 に わ た り 掲 示 さ れ る よ う に な る が 、 か か る 制 度 は 、 同 氏 の 指 摘 さ れ る 通 り 、 織 田 ・ 豊 臣 政 権 下 の 制 札 発 給 の 新 展 開 の 延 長 線 上 に あ る と 思 わ れ る 。

最 後 に 「 終 章 」 に お い て 佐 藤 雄 太 氏 は 、 第 1 節 「 時 代 に よ る 役 割 の 変 化 」、 第 2 節 「 様 式 の 変 化 」、 第 3 節 「 地 域 性 」、 第 4 節 「 今 後 の 展 望 」 の 各 節 を 通 じ て 、 全 体 的 総 括 を 行 わ れ て い る 。 す な わ ち 、 ① 制 札 の 直 接 的 起 源 は 、 鎌 倉 時 代 初 期 ま で 遡 る も の の 、 そ の 本 格 的 な 大 量 発 給 は 、 南 北 朝 動 乱 期 以 降 の こ と で あ り 、 当 初 制 札 の ほ と ん ど は 「 戦 時 の 制 札 」 で あ っ た こ と 、 ② 同 時 期 、 武 家 政 権 の 制 札 に は 、 そ の 主 た る 発 給 者 に ち な ん だ 「 足 利 尊 氏 様 式 」、「 足 利 直 義 様 式 」 の 2 様 式 が み ら れ た も の の 、 1350 年 代 以 降 、 前 者 に 一 元 化 さ れ 、 や が て 足 利 義 満 政 権 期 ま で に は 、

「 室 町 政 権 様 式 」 と し て 、 定 式 化 ・ 権 威 化 を み た こ と 、 ③ 足 利 義 満 政 権 下 の 平 和 の 回 復 を う け て 、 こ の 時 代 以 降 、 従 来 の 「 戦 時 の 制 札 」 と は 異 な り 、 経 済 ・ 商 業 政 策 と も 連 動 し た 「 平 時 の 制 札 」 も 発 給 さ れ る よ う に な っ た こ と 、 ④ 足 利 義 満 没 後 、 平 和 時 に は 「 平 時 の 制 札 」 が 発 給 さ れ 続 け て い く も の の 、 1430 年 代 後 半 の 兵 乱 発 生 以 降 、 再 度 「 戦 時 の 制 札 」 が 増 大 し て い っ た こ と 、 ⑤ 応 仁 の 乱 以 降 、 室 町 政 権 の 政 治 的 権 威 が 失 わ れ 、 戦 国 時 代 に 突 入 す る と 、 全 国 各 地 の 戦 国 大 名 に よ り 、

「 戦 時 の 制 札 」 が 大 量 に 発 給 さ れ る よ う に な っ た が 、 そ れ と 同 時 に 、 各 大 名 の 経 済 ・ 商 業 政 策 に 連 動 し た 「 平 時 の 制 札 」 も 、 独 自 に 発 給 さ れ る よ う に な っ た こ と 、

⑥ 織 田 信 長 ・ 豊 臣 秀 吉 の 統 一 政 権 下 、 制 札 の 様 式 は 平 易 化 ・ 簡 易 化 の 方 向 に 進 み 、

「 戦 時 の 制 札 」、「 平 時 の 制 札 」 と も に 、 よ り 広 範 囲 に 、 よ り 末 端 の 階 層 に 、 法 令 の 周 知 化 が 図 ら れ る よ う に な っ た こ と 、 ま た 統 一 政 権 の 経 済 ・ 商 業 政 策 に 関 係 す る 重 要 法 令 も 、 制 札 を 介 し て 、 発 令 さ れ る よ う に な っ た こ と 、 ⑦ 徳 川 幕 府 成 立 期 の 制 札 、 高 札 場 の 制 度 も 、 織 田 ・ 豊 臣 政 権 下 の 政 策 を 、 継 承 す る も の で あ っ た こ と 、 等 々 の 重 要 な 指 摘 が 織 り 込 ま れ て お り 、 十 分 首 肯 し 得 る も の と な っ て い る 。 な お 、 上 記 の 「 序 章 」 よ り 「 終 章 」 ま で の 变 述 で 、 触 れ 得 な か っ た 事 象 に つ き 、 佐 藤 雄 太 氏 は 、 3 本 の 補 論 を 添 付 さ れ て い る 。 そ の 「 補 論 第 1 大 名 の 制 札 に よ る 商 業 統 制 」 に お い て 、 同 氏 は 大 内 氏 の 「 市 」 規 制 や 、 上 杉 氏 の 町 ・ 宿 駅 へ の 法 令 布 達 、 後 北 条 氏 の 商 業 ・ 交 通 奨 励 策 、 織 田 信 長 の 楽 市 ・ 楽 座 政 策 等 々 、 制 札 を 介 し た 経 済 ・ 商 業 政 策 を 取 り 上 げ て 、 戦 国 大 名 が 領 国 経 済 の 振 興 の た め に 、 積 極 的 に 「 平 時 の 制 札 」 を 活 用 し て い っ た こ と を 敶 衍 、 論 文 本 体 の 第 3 章 、 第 4 章 を 補 強 さ れ て い る が 、 そ の 行 論 は 史 料 的 に も 納 得 で き る も の で あ る 。

次 に 「 補 論 第 2 制 札 全 体 の 検 討 」 に お い て 、 同 氏 は 欠 文 が な く 、 文 頭 表 記 が 判 明 す る 文 治 元 年 ‐ 慶 長 19 年 ( 1185‐ 1614) ま で の 430 年 間 の 全 制 札 ・ 1582 点 を 、 発 給 年 次 、 文 頭 表 記 ― 「 制 札 」、「 禁 制 」、「 定 」、「 高 札 」 等 々 ― に 即 し て 、 分 類 ・ 作 表 の 上 、 1 年 刻 み で 掲 載 さ れ て い る 。 同 氏 は 、 ま ず 発 給 年 次 と 発 給 頻 度 の 関 係 か ら 、 建 武 3 年 ( 1336)、 観 応 2‐ 文 和 元 年 ( 1351‐ 1352)、 応 仁 元 年 ( 1467)、

永 禄 4 年 ( 1561)、 永 禄 11 年 ( 1568)、 天 正 3 年 ( 1575)、 天 正 10 年 ( 1582)、 天 正 13 年 ( 1585)、 天 正 18 年 ( 1590)、 慶 長 5 年 ( 1600)、 慶 長 19 年 ( 1614) の 各 11 ピ ー ク を 指 摘 さ れ た 上 で 、 こ れ ら 年 次 に 対 応 す る 歴 史 的 事 象 、 す な わ ち 兵 乱 の 存 在 に 言 及 、「 戦 時 の 制 札 」 は 、 文 字 通 り 戦 時 に 直 接 連 動 し て 、 発 給 さ れ て い っ た こ と を 、 改 め て 明 述 さ れ て い る 。 つ い で 全 制 札 の 文 頭 表 記 に 注 目 、 1582 点 の 制

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札 に つ い て 、 円 グ ラ フ を 掲 示 さ れ た 上 で 、「 制 札 」 が 11%、「 禁 制 」 が 42%、「 定 」 が 7%、「 高 札 」 が 3%、 そ の 余 は 他 の 表 記 で あ る こ と を 、 証 明 さ れ て い る 。

中 世 ‐ 近 世 初 期 に 至 る 430 年 間 の デ ー タ 、 お よ び こ の 分 析 結 果 、 指 摘 は 、 制 札 史 研 究 上 の み な ら ず 、 同 時 期 の 政 治 史 ・ 経 済 史 研 究 上 、 極 め て 貴 重 な も の で あ り 、 高 く 評 価 す る こ と が で き る 。

最 後 に 「 補 論 第 3 戦 国 期 徳 川 家 康 の 制 札 」 に お い て 、 佐 藤 雄 太 氏 は 、 弘 治 2

‐ 慶 長 8 年 ( 1556‐ 1603) ま で の 徳 川 家 康 発 給 に か か る 全 119 点 の 制 札 を 、 一 覧 表 と し て 掲 示 の 上 、 将 軍 職 就 任 以 前 の 徳 川 家 康 が 、 如 何 な る 制 札 を 交 付 し て い た の か 、 具 体 的 に 検 討 ・ 考 察 を さ れ て い る 。 同 氏 は 、 今 川 氏 の 属 邦 時 代 、 主 家 の 制 札 様 式 を 準 用 し て き た 松 平 氏 ( 徳 川 氏 ) が 、 桶 狭 間 の 合 戦 ( 1560 年 ) を 契 機 に 自 立 し て 、「 戦 時 の 制 札 」、「 平 時 の 制 札 」 と も に 、 独 自 に 発 給 す る よ う に な っ た こ と を 、 ま ず 指 摘 さ れ て い る 。 尤 も 、 戦 国 大 名 と し て 特 に 個 性 的 な 制 札 を 、 徳 川 氏 が 交 付 し て い た 訳 で は な く 、 豊 臣 秀 吉 へ の 臣 従 ( 1586 年 )、 五 大 老 へ の 就 任

( 1597‐ 1598 年 頃 )、 関 ケ 原 合 戦 の 勝 利 ( 1600 年 )、 将 軍 職 へ の 就 任 ( 1603 年 ) と い う 一 連 の 過 程 を 経 て 、 結 果 的 に 全 国 統 治 者 と し て 、 制 札 発 給 を 行 う よ う に な っ た た め に 、 織 田 ・ 豊 臣 政 権 下 の 制 札 の 様 式 を 、 ほ ぼ 踏 襲 し て い る こ と を 的 確 に 指 摘 、 あ わ せ て 徳 川 氏 発 給 の 制 札 が 、 統 一 政 権 の 最 終 決 戦 と も い う べ き 時 代 に 交 付 さ れ た こ と か ら 、「 戦 時 の 制 札 」 が 圧 倒 的 に 多 か っ た こ と を 、 指 摘 さ れ て い る 。 論 文 本 体 の 第 4 章 を 補 強 す る 本 補 論 は 、 制 札 全 史 を 構 築 ・ 研 究 す る 上 で 、 重 要 な 指 摘 を 多 々 含 ん で お り 、 高 く 評 価 す る こ と が で き る 。

以 上 、 佐 藤 雄 太 氏 の 博 士 学 位 の 請 求 論 文 「 室 町 ・ 戦 国 期 に お け る 制 札 の 研 究 」 の 論 文 本 体 、 補 論 の 紹 介 と 評 価 を 綴 っ て き た 。

な お 、 審 査 委 員 三 者 は 、「 最 終 口 頭 試 問 」、 お よ び 「 学 位 審 査 公 開 発 表 会 」 の 席 上 、 佐 藤 雄 太 氏 の 今 後 の 研 究 に つ い て 、 ① 現 在 ま で に 収 集 ・ 翻 刻 さ れ た 制 札 史 料 を 基 本 に 、 史 料 集 『 中 世 ・ 近 世 制 札 史 料 集 成 』 と し て 、 公 刊 す る こ と 、 そ の 際 に は 、 今 回 作 成 さ れ た 「 制 札 一 覧 表 」 を 改 訂 ・ 増 補 の 上 、 添 付 す る こ と 、 ② 奈 良 時 代 か ら 明 治 維 新 期 に 至 る 制 札 の 歴 史 を 、 本 格 的 に 検 討 ・ 考 察 の 上 、 通 史 『 日 本 制 札 史 』 と し て 、 公 刊 す る こ と 、 ③ 江 戸 時 代 の 制 札 、 高 札 に つ い て 、 政 治 史 、 経 済 史 、 法 制 史 、 文 化 史 等 の 広 い 視 点 か ら 検 討 ・ 考 察 の 上 、 体 系 的 な 論 文 と し て 、 公 表 し 続 け る こ と 、 ④ 古 代 の 律 令 、 中 世 ・ 近 世 の 武 家 法 、 公 家 法 、 寺 社 法 等 、 法 制 史 に 関 す る 知 識 を 深 め て 、 制 札 の 研 究 を 一 層 、 深 化 さ せ て い く こ と 、 ⑤ 史 料 上 の 制 約 か ら 、 検 討 が 及 ば な か っ た 守 護 大 名 、 戦 国 大 名 に つ い て も 、 鋭 意 、 史 料 の 発 掘 ・ 収 集 に 努 め て 、 本 論 文 の 補 強 論 文 と し て 、 公 表 し 続 け る こ と 、 ⑥ 鎌 倉 ‐ 江 戸 時 代 初 期 の 天 皇 、 皇 族 、 公 家 、 武 家 、 僧 侶 、 神 官 等 に よ る 日 記 史 料 、 年 代 記 等 を 繙 き 、 制 札 に 関 す る 記 事 を 、 検 出 ・ 集 積 し て い く こ と 、 ⑦ 文 献 ・ 史 料 の 博 捜 に 努 め て 、 既 刊 の 研 究 書 や 自 治 体 史 、 史 料 集 等 か ら 、 未 知 の 制 札 を 収 集 し 続 け る と と も に 、 新 出 の 原 文 書 発 見 の た め に 、 全 国 各 地 の 文 書 館 、 博 物 館 、 旧 家 等 に 赴 き 、 積 極 的 に 制 札 や 関 連 史 料 の 入 手 に 心 が け る こ と 、 等 々 の 希 望 ・ 助 言 を 表 明 、 同 氏 も こ れ を 、 進 ん で 受 け 入 れ ら れ て い る 。

本 大 学 院 研 究 科 の 博 士 課 程 進 学 か ら 、 わ ず か 3 年 半 に し て 、 全 国 的 に 厖 大 な 史 料 を 集 積 、 デ ー タ ベ ー ス 化 ・ 翻 刻 化 を 遂 げ ら れ た 上 で 、 か く も 精 緻 、 か く も 浩 瀚 な る 論 文 を 提 出 さ れ た と い う 、 同 氏 の 熱 意 と 恪 勤 ぶ り に は 、 主 査 ・ 副 査 と も に 、 衷 心 感 服 の 念 を 禁 じ 得 な い 。

こ こ に 審 査 委 員 と し て 、 佐 藤 雄 太 氏 が 本 研 究 科 博 士 ( [ 経 済 学 ] ) の 学 位 授 与 に 値 す る 、 極 め て 有 為 な る 研 究 者 で あ る こ と を 、 再 度 、 明 言 し た 上 で 、「 審 査 結 果 の 要 旨 」 の 筆 を 擱 く 次 第 で あ る 。

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