法 幣 の 危 機 年 の 同 顧
1 1
支那幣制問題研究の一節 li
主主
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垣
寅 三 た
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無敵皇軍の進撃による漢口.由関東の陥落を契機として︑日支事費はこ
Lに新たなる段階に上って来︑た
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新東亜建設.
の大使命は正に我等日本閤民の双肩に捨はされてゐる︒支那経瞬間愛の大業は︑武力の戦争に共ぎまたそれと相並ん
一日の倫安を許さないことである︒然るに経揖組織の根底をたすべき
新支那の幣制は如何にすべきか︒北支幣制の整備強化︑中支新幣制の僅制︑南支幣制の鹿哩等︑問題はそれ等をめぐ で︑我等に解決を促してゐる大問題であって︑
り︑種々たる相続をそたへて多方面に横たわり︑
一般に解きがたいゴルディウスの結び目とされてゐる︒私は誌では それ等の問題についての封策を論議しようとするのではたい︒斯かる難問の基底に横たわる事貫と︑それに闘する所 見を陳べて︑凡そこれ等の問題の研究に志す人々の参考に供したいと息ふ︒それは既に温ぎ去った事質として︑歴史 的同顧の中に埋めらるべきものではたく︑今後に来たるべき問題に艶躍する上の︑基礎問題としての重要牲をもつも
ので
ある
︒ 支那現行の法幣制度は昭和十年十一月四日︑英闘の指導の下に打ち立てられたものである︒それは支那の幣制史よ
法幣の危機一年の悶顧
一
法倣市山危機一年の同顧
四
り見れば劃期的な改革であって︑殊に我闘に於ては頭初よりその前詮に封し︑悲観的た観測が多く行はれてゐた︒然
るに法幣の制度はその後堅買の護展を途げ︑蒋介石政府は之によって圏内の銀をその手に集中し︑之を外闘に積出し
外貨安金に換ふることによって︑軍備を整へ軍需を調達することを得た︒敗戦相弐ぎ︑白に経携領域の大部分を喪へ
るにも拘らず︑依然として法幣の制度は維持せられ︑金融恐慌も通貨混鼠も玄き起すことたく︑鞍時経構運替の徐裕
を一不すかに見ゆることは︑確かに一円ノの驚共である︒然︑かもとのために悶民政府の執り来った通貨政策は︑今年一一一月
‑に至るまでは金融安定耕法を中心とするものであった︒日支事費愛生後まもたく︑法幣の山朋潰近しと箱路断した我が論
壇に︑法幣の強靭牲を今更の如く見直すかの如き傾向が反動的に頴著とたって来た︒それは恰かも先の幣制改革の営
時.之の意外の成功をまのあたりにして︑一不さYるを件たかうた態度を訪梯せしむるものがある︒
然るに本年三月︑法幣制度の上には大なる轄機がもたらされた︒北支に於ける中園聯合準備銀行の開業を機として
蒋政府のとった翁替統制賓の制度は俄然として法幣の封外債値を動揺せしむるに至ったからである︒調来︑法幣の
封外債値は一路低落の方向を指し︑園民政府の通貨政策もまたそれに磨じて漸く多面的とたって来た︒私どもはその
苦悶
の象
徴を
︑級
生一
uのとれる各種の財政的・貨幣的関策の中に見出すことができる︒
黙し私どもは事態の推移を冷静に判断することが必要であってその上に立って結論をひき出して来ねばだらぬ︒
北支活貨政策の護展も︑中南支新幣制の構想も︑法幣に関する誤りたき観測を前提としなくてはならぬ︒法幣制度の
過去一一年の経歴は︑私どもに幾多の示唆に富んだ事貰を教へてゐる︒この小篇は支那事'費このかた︑法幣制度の歩み
来れる苦悩の道を顧みて︑凡そこの問題に興味をも司人々に減るべき基礎を示さんことを期するものである︒
法幣の崩壊を導く力
支那事襲勃琵の直後︑法倣巾の崩壊近しと橡臨聞した数多の一言設が若し誤ってゐたとするたらば︑それは崩壊の時期の
具哩的な断定についてピあった︒上海の占領とか南京の陥落とか軍事上の成果を︑法特倒潰の一轄機と考へたことは︑
軍事的なるものと終神的たるものとを直ちに混同する鮪に於て誤つ一℃ゐた︒また法幣の持績し得る期間を具盤的に限
定したことは.主として支部の経静諸力を描少に許債した結果であった︒然しながら︑法幣崩壊の必然性とその理論
的た関聯を指摘する限りに於ては︑決して誤つてはゐ一なかった︒そのことは今倫ほ確かに断定し得るところである︒
たどその時期と凋落の速度とを明かにし得ないのは.理論は橡一一日ではたいからである︒経構的たるものも︑軍事的た
るもの︑政治的たるものと離れて︑何時までも之の濁立的た存在在維持し得るものではない︒軍事的には連載連敗と
刊とまるところなく︑政治的には支配地域を相共いで喪失し︑経掛的には生産諸力を破壊され流通範圏を塵縮せられな
がら︑その幣制のみがひとり何時までも難攻不落を誇り得る道理はない︒
事襲の勃護以来︑支部に於いて通貨政策の矛盾を結果し︑また法幣の崩壊を導くべき諸僚件として挙げられる主た
るものは共の如くである︒
デフレイション政策の矛眉蒋介石政府が上海開戦以来とり来った金融上の政策は︑金融安定耕法を根幹とす
るデフレイション政策であって︑散時経酵の膨脹を抑へ︑法幣の債値を維持せんとするものであったが︑それには自
から多くの矛盾が含まれてゐた︒金融安定耕法は八月十五日財政部から布告せられ︑即日貫施されたのであるが︑支
法幣の危機一年山一同顧一三五
法幣の危機一一年の悶顧
一三
六
那銀行及び銭旺に於ける預金引出額を毎週各人の預金残高の五が以下︑最高限度百五十元と限定して︑法幣の流通を
極度に牧縮しようとするものであうた︒斯かる預金封鎖が金融恐慌を未然に防ぎ︑資本逃避の源泉を抑へて︑潟替相
場の崩落を阻止し得た殻某は決して少くたかった︒然し斯くして法幣の供給を抑匿する結呆は︑商取引に基づく遁正
の貨幣需要をさへ充たすことLたらず.従ってその不足を補ふべき新通貨形態の出現を招き︑他面には相反する艶策
を必要とするに至った︒
即ちその一は上海に於ける漉劃
4 1
己目当ちの制度であって八月十七日の補充金融耕法によって規定せられた︒ザセ
の意闘するところは︑金融安定解法によって封鎖されることLたった預金を︑銀行業者聞に限り振替決構の用に供せ
しめ以て資金の不足に因る金融の梗塞を防がうとするものであった︒その結果は法幣の鹿頚につれて起るべき外
園貨幣の通用と共に︑流通貨幣に多元性を持たしめる虞れがあった︒
また通貨膨脹の抑制に懸命であった結果は︑却って逆に遁正たる経樺活動にまで支障を来たすことを免れなかった
のであって︑奥地に行はれた諸種の金融劃策は︑即ちその事費を雄需に語ってゐる︒例へば政府系四銀行(中央・中
閤・交通・中園農民の各銀行)をして︑聯合貼放委員舎を設置せしめ︑法幣を以て貸出を行ひ︑内地の産業資金の供
給を潤津友らしめることを定め︑或は事獲の要求に鑑み︑産業金融の疏通をはかるがために地方金融機構改善醜法
を定めて小額紙幣の放出を目論見るに至った如きは之である︒凡そ斯くの如きはデフレイション政策の矛盾性を示し
たものであって法幣制度運営の前誌に暗雲をたげかけたのであったが︑法特を支ふる他の諸力のあるがために︑ま
だ破綻を示すに至らたい︒
インフレイショヤの不可避性紙幣と信用との何れの形態を以てするを聞はず︑インフレイションの傾向は︑
戦時経構運営に随伴しやすい現象である︒この必然的傾向とデフレイションに劃する切賓の要求との矛盾を周避する
ために蒋政府は通貨の増護を専ら奥地に於いて行ひ︑震替先換は本年三月潟替割蛍制を貫施するまでは事賃上之を
上海のみで行ってゐた︒事費愛生以来蒋政府が︑極力デフレイション政策をとり︑貨幣慣値の維持に努めたことは一
般に唱へられたところである︒確かに皇軍の占操地域若くは親日政樺の治下に於いては︑その努力の跡を認むべきで
あって︑それは法幣が日本の手に渡り︑法幣攻撃の手段に利用せられることを避けるためだと一試はれてゐる︒然し奥
地の紙幣が先換を求めて矯替銀行に集まって来ることは︑如何たる制限を以てしでも避けがたい9それは経構上の必
宴︑法幣に劃する懸念等から見て蛍然のことであって︑決してその責を我が方に轄嬢すべきことではたい︒奥地に於
ける通貨並に信用の膨脹の貢献については︑信操すべき数字を得ることはできたいが︑金融の梗塞を防ぐために︑或
は政府の財政上の必要から見ても.インフレイションの傾向は不可避の貫勢として現はれざるを得ず︑法幣制度の危
機として奉げることができる︒
蒋介石政府財政の窮乏化闘民政府の財政的窮迫は共第に切貫とならざるを得たい︒北より南にかけて経梼的
に最も宮裕たる部分を喪ふことによって︑その財政が著しく困難とたって来たことは一耳ふまでもたい︒殊に歳入の大
宗たる闘税・盟税・統説は大部分︑園民政府の支配の外にある︒凡そ政府の財政を賄ふ方法は.租税の徴牧・公債の
募集・紙幣の護行の三者を出で得たい︒歳出の側に於いても支配地域の縮少による節減を貌想し得るにしても全般
的には事費の下に節減を認めがたい︒租視の牧入すでに斯くの如く・公債の霊行も屡j停へられるが如く不成績に終
法幣の危機一年の問顧
七
法鮮の危機一年白岡願
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ってゐる限りは︑政費支耕の方法は白から紙幣の愛行によらざるを得たい︒支那政府従来の手法によれば.公債の愛
行される場合にはそれに先だち政府の借入あり︑之を公債に振替へるのであるが︑若し公債を務行して一般の廃募を
得られない場合には︑銀行の引受とたる外はたく︑それだけ祇幣の増獲を結果ずる︒蒋政府が努めて通貨増設を避け
んとしてゐるのも︑その弊の恐るべきことを知るからであらうが︑古来︑幣制の崩壊は概ね財政の窮迫によるインフ
レイションに基づいてゐた︒金属貨幣の行はれた時代には︑それは貨幣の品位量目を悪化することによって行はれた
が︑紙幣制度の下にあっ'ては増愛の手段による︒方式は兵たるも︑目的に於いて異なるとにろはない︒
在外正貨の減少傾向幣制の基礎︑殊に之の潟替相場を支ふる経樟力は在外正貨にある︒財政は窮乏し︑生産 回
力は破壊され.輪出の道は遮断され日然かも
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額の軍需品を輸入せざるを得たい支那にとって︑在外正貨はたど一途に減退せざるを得たい︒在外正貨にして調掲すれば︑法幣の崩壊を決定的ならしむるのみではたく︑蒋政府の抗日戟
をも帥枠組せじめるものである︒即ちそのために外岡より物資を轍入することは困難となり︑封外的信用は薄弱とたる@
政府としては現に行へる震替の統制買を減少するのみではたく・停止したくてはならたいがそのために法幣の劃外
慣値印ち潟替相場は崩落せざるを得たい︒
在外正貨は油渇するも︑外園よりクレディットを得る道もあるべきであるが︑それには固より限界がある︒今日の
欣勢において外闘が︑蒋政府に封し何時までも積極的援助左典ふるとは想像し難く列闘の劃支財政援助の弐第に泊
叩倒的となることは川口同然の道行と一耳はねばたら一ぬ︒英圏皇帝の戴冠式に列席しての蹄詮︑孔鮮照が各闘を担って諸種
の借款を成立せしかるさとに奔走したのは.事明暗証愛生の鴬時晴体せられたところであった︒その後も列閣の謝支財政
的援助の風設は絶えなかった︒園民政府の財政窮迫に伴って︑費二夫闘の艶支クレディット設定説︑
フランスの鞠支
鶴道・南支開発批判款説︑米闘の現銀を捨保とする借款︑銀行経営・鍍山之の他を揖保正する借款の成立等が︑まこと らしく停へられてゐた︒近くは輸出桐油を権保とする借款が成立せんとしてゐた折柄︑輪出路の閉塞と蒋政擢念轄落 の懸念とのために︑失敗に関した旨も報︑ぜられてゐる︒列園の艶支態度より見て︑その綿てを否定することは
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しく たいかも知れぬ︒然じ支那側の敗鞍が既に蔽ひがたい事賀として︑列闘にも認識せられつLある現般の下にあって︑
蒋政府の財政窮迫の深刻化は︑列闘を支那から離反せしむること
Lたるべきは明かである︒
五 法幣の流通に劃する信認の動需
費質的慣値を有せざる貸幣の流通するは︑全くその流通に艶する一般の信認 によるのである︒この信認にして存する限り遂行者の如何は問題でない管であるがその護行流通が圏構によって左 右せられる以上は︑関樺に謝する信頼が貨幣の流通を支配することを認めたくてはならぬ︒敗載の事賓が支那民家の 問に知れ波った︑ならば︑法倣巾に謝する民衆の信認は動揺し︑貨幣を物に換へる所謂換物運動の接頭を見るに至るは必 然である︒その誌に五九ざるは︑未叫ん敗戦の事責民衆に徹底せず︑民衆は今たほ蒋政府のなす所あるを期待せるがた めである︒管坦通費は之を支ふる政櫨と運命を共にするを常道としたくてはならぬ︒政権を離れ民衆の信頼のみによ って支持流通ぜられることも︑可能たる如く思はれるが︑共に興るべき政櫨の底置如何によっては︑その通貨の前途 も測りがたい︒故に献幣に劃する信認は政権に艶する信認と相表裏すべきである︒蒋介石の惨敗の事実︑今なほ支郊 民衆に徹底しあらざることは認むべきであらう︒巧妙なる支那の喧俸と擬援によれば︑敗退は議定の退却であり︑且取 後の勝利は支郊にあり芝︑信じてゐる民衆も多いのであらうと思はれる︒故にその民相を一般に知らしめ.法幣の民
法符の危機一年の同顧
一三
九
法枇而の危機一年の同額
。
回債を明かにすることが緊要である︒新政権下に於ける新幣制の確立強化を見る障には︑蓄性倣巾を駆逐し︑その死命を
制することLたるべきは一式ふべきでもたい︒
凡そ上述する所は︑法幣の運命を規定するものとして拳げられる主なる僚件である︒事態は恐らくそれ等の指示す る紘に沿ふて進むであらう︒私は以下改めて︑それ等の諸黙に含まれる主要の一事責を
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り︑法幣制度の歩み来れる足
跡と辿るべき前塗とを明かにしたい︒
一 一 流通貨幣多元化の危険
盟系を異にする数種の貨幣が流通し.
一闘の給制に分裂をきたすことは︑取引関係に混雑を生ずる所以であって︑
粧憐流通の上から見て決して喜ぶべきことではない︒
一閣の幣制は主穫によって之を統一仁︑堅買なる流通領域を鑑
大すaることを念じたくてはたらぬ︒法幣が難局に立っと共に︑幣制多元化の疑びの存ずることは︑これまで多くの識
者によって唱へられた︒或は邦貨のみではゑく︑英米貨・香港弗等心外閤貨幣までも用ひられる懸念のあることは︑
今も一部の識者に認められてゐるところである︒誌には斯かる懸念の離にふれず.これまで内部的に起れる多元化の
事実をあげるに止めたい︒
闘民政府のデフレイション政策が矛盾を含み︑流通貨幣の多元化を導︿懸念については就にそれに踊れておいた︒
現在の朕勢に於て︑それば法輪に
L f ) り説命的結果をもた
hりしてはゐたいが︑事費護生のはビめ上海に於ては︑八月十
五日布告の金融安定耕法にもとづく資金の鼠乏から免れるために︑濫劃当白山
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の制度が盛んに行はれるに至った︒
それは貨幣の新じい種類の如く考へられ︑法幣制度の分裂を意味するやうにさへ唱へられたものである︒それは質金
を金融業者間に振替移植押せしめる手投正して用びられる手形であって︑従来も行はれてゐたものに︑緊念︒必要にも
とづく特殊の意義が附興されたのである︒
涯劃とは銀行及び捜抵の後行する手形︒
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及び八月十二日以前に振出した手形小切手にして︑銀行間にのみ流通し得るものL綿稀であってB雰酉に躍劃なることを記載すベく︑之を以てしては法幣の引出も外貨への免
換も許されたい︒然し之を以てすれば︑金融安定耕法に上る引出の制限を超えて預金を引出し得るがために預金を
銀行聞に振替移柑押せしむるの作用を有するのである︒この名一榊は決して今事費に始まったものではない︒鰹頭と艶構
して以前から支部に用びられてゐた︒印ち一出頭は各種手形の一覧抱一たるを一不すに劃して︑区制副は手形交換の謂であっ
て︑その支梯は手形交換を経て行はれるのである︒上海に於いては︑支那銀行及び銭症は往々にして護行手形に封す
る準備金を蹴き売るを以て︑一日一巨額の現金取付に遭遇するときは︑支梯不能に陥ることが少くたかった︒故に一日
の猶輪開を置き資金の調達に便したものに外ならたかった︒偶とこの制度は現金の不足に艶鹿する方法として︑重要の
役目を阿武ずに至うたのである︒それは恰も米闘の金融恐慌の歴史に於いて︑手形交換所詮券会
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ずが蓋しもんと同様の働きである︒然るにこの慌劃粟が法幣と並んで流通するときは︑後者は外国府局者に先換せられるに反して︑前者はその働きをな
さねが故に︑南者の聞には債値の開きを生ずることを汚れたい︒支持決持が圏内取引のみに限られるならば︑その決
協同手段が法幣たると漉劃票なるとは間ふと乙ろではない︒然し漉劃票は外関貿易に闘しては支梯手段たり得友いため
法耐柑の危機一年の岡原
四
出拭幣の危機一年の回顧
同
に︑例へ委本の海外逃避を目的としたいまでも.設幣との債値比較が行はれざるを待たい︒その結果涯劃貨には割引
の生ずるを免れず︑償値を具にするこ曹の貨幣が並立することLなる︒それは於缶して極端に走らせれば︑貨幣制度
の分裂とたる︒事賞︑聞もたく涯劃には割引を生ずるに至った︒然れば本年一月︑上海の銀行公舎は.園民政府の指
令に基き︑解劃の霊行を商取引の需要にのみ限りてその僚枯胞の維持に努めるやうに︑各銀行宛に通牒を費した︒之は
程劃貨制度流布の危険性を認めたものである@
本年六月二十九日の﹁金融商業報﹂は︑海劃の割引を五・一!五・コ一五ゲルと報じてゐた︒法幣白憧の魚替相場が低
落歩調を示してゐるとき︑陸劃から法幣を通じての外貨への逃避傾向が願著とたるこ正は蛍然であって︑従って割引
率の増大することは必然である︒それは事態の一本質よりすれば︑外圃貨幣の流通を見るに至るべき可能性と共に︑注
幣の危機をト意味すべきものであるが︑事態はまだそこまでには至らたい︒事費愛生の頭初における想定は︑躍劃の闘
する限り誇接されてゐたことを感ぜざるを得たい︒
特約替割官制の異相とその結呆
蒋政擢の通貨膨脹抑制策は漸くにしてその妓果を維持
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︑資本の逃避・翁替の低落を悲き起すことたくして︑事費以来七ヶ月訟を経過して来た︒日間山るに本年三月に至り︑北交における中関聯合準備銀行の開業を機として政府は鶏
替統制に一来出し︑潟替割営制を貫施するに去った︒之は法幣制度の維持に必要た己むを待ざる要求に基づくものであ
り︑その今後の運命を語る何よりの指標とたるものである︒
事費以来支那中央銀行は法幣の魚替相場を一志ニ片四分の一に維持することを目標として︑上海において外貨先換
に臆じてゐた︒然るに一二月十三日の財政部布告を以て︑外闘潟替管理醜法及び同購入申請規則を定め︑外闘詩替賓買
方法に改正を加へて各銀行に通牒した︒部ち同日以後︑外闘潟替を得んとする銀行は毎週木曜日午前十時までに.漠
口の中央銀行本市または香港の耕事庭に劃し申請したければたらぬ︒中央銀行営局はこれ等の申請を審査して︑翌日
金曜日午前十時までに潟替割蛍額を各銀行に通告するのである︒その理由としたところは孔財政部長の撃明によればも
北支に準備銀行が設立せられ︑外貨に先換されたい銀行雰を畿行するに至ったこ左はそれを以て法幣と交換した後︑
支那の在外資金を獲特ぜんとする企闘に外たらたい︒故にそれに封躍して錆替の費出を必要た限度に止めるためだと
一試ふ︒それも暗部組されたところではあらうが︑震の原国はむしろ他にあった︒蒋政櫨の前迭に鏡みて資木の海外逃避
を増加する懸念のあれ/たこと.北支の分離に伴ふ財政的・控梼的打撃が愈と深刻にたって来たこと︑それと共に在外
資金が漸減して来たこと等を考へたくてはならぬ︒
その事買を詮明ずる一つの資料を︑週刊誌﹁金融商業報﹂に現はれてゐた営時の記事から借りよう︒﹁最近とみに著
しくなってゐた潟替需要は︑水曜日(一一一月九日)に至って益と増加し︑震替は急激に軟化した︒去の大手筋は支那銀
打であって︑
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額の米弗を先物にて買謹んだ︒その外に煙草食紅・行油合枇壮一寸も相営の舗を需要してはわたが︑それよりも潟替相場への霊座主たつ土大き念力は︑香港からの取引であった︒五額の法融問が外貸に換へられるために呑港
から上海に逸られて来た︒これ佐一寸の大部分は漢口から旅たものであるが︑その外に漢口・贋東問の地域から来たもの
も幾部分かを占めてゐた︒支那政府紋漢口で除外闘通貨を供給したいために︑法倣仰は香港に流れ︑そこで香港弗叉は
法酎給自危機一年の阿顧
四
法幣の危機一年の同額
一四
回
英貨に換へ
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れる︒香港の銀行はその法幣乞上海に法ってカヴァーを取ら一うしたのである
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鮮照の撃明は賓にこの事賞を蔽ふ煙世帯に外ならなかった︒
闘民政府はその直後三月二十六日︑事態の異相役曝露する一一瞬訟を公布してゐる︒部ち政府は法幣が奥地から上海・
香港に移動するのを防ぐため仁︑紙幣を運搬せんとする者はその数量・用詮・積出地及び到達地主明示して営局の許 可を受くべく︑五百一五以上の紙幣を携帯して上海叉は香港に荻行ぜんとする者も同様であって︑許可詮なくして職註
する設幡は淡牧することL
した︒他方海闘に謝しても︑容港上海に向ふ飛行機・汽船
e汽車・・白働事及び放容を巌
霊に検査するよう命令し売︒また六月一日から漢口に聞かれ完全園金融命日議の決議による日本軍占接地域に艶する 詮金制限の趣旨に基づき︑財政部は各銀行に封しベ奥地上り被占領地域への鴬替港金は十分に制限されたい︑郵政局 が戦直に翁替詮金を友す場合にもプ一人一同百元を超ゆるととを得念い︑また矯替手数料を引上ぐベし己と命令した︒
之も法幣の一免換を求めて金融中心に流出することを︑防がんとする趣旨に外たらたい︒
この魚替割蛍制の賓施は︑首時の客観的諸情勢の下に己むをえたい鹿量であったとは一宮へ︑却って反甥の殻果を招 いたことが少く友い︒それは法幣低落の耐因をつくり在支外人の商業上の利益子‑動揺せしめるに至った︒上海に於 ける外闘銀行は上海市場を蝿棄して震替割静岡を行ふことの誤謬を指摘し︑外岡商人も之に猛烈な攻撃を加へた︒そこ で政府はその要望を零れて四月十二日から︑上海にも外樫遇訊庵を設くる外に︑数度に渉って修正を加へ︑割合同に封 しては漸突に制限を践亙にした︒然らばとの制度の賢施以来︑毎週の潟容需要は幾何に上ぽり︑それに劃する中央銀 行の割営は如何たる献態にあうたか︒そ心推移の跡は如啓一貝に法幣維持の窮迫化を一不すのであって︑之と上海市場に於
ける震替相場の饗動とを鈎照するとき︑
一一般明かにその事責を現はしてゐる︒
中央銀行矯替申請額・訓蛍額
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設に拐げた矯替申請額並に割賞額位︑固より公に登表せられたものではたい︒市場人の情報に基づき作成したもの
であって︑世上に殻表せられるもの柱︑々にじて符合せざるは︑その情報の根操を共にするがためである︒とにかく震
替申請額は決して減退せず時に却って著しく増加せるにも拘らず︑割営額は共第に減少して最近は僅に一︑二%に
担ぎない︒殊に最近八月八日以一降は︑震替の割首は昨年末までに外国の溢を積出Lたる職入品に封じてのみ之を行ふ
こと
Lじ︑事質上停止にも近い制限を加ふるに五つがい︒ざれば渇替割首制賞施盤明後の上海舟替市場は︑昭和十年の
格制改草以来見ることを待たかっ先ほどの混観を惹き起した︒法幣の謝外債値が顛落の一詮を辿るに至ったのも︑そ
れ以後のことである︒割嘗額を貿易額・輸入超過額壮一寸に艶比して見ても︑取引決構上の貫需を充たすには必ずしも不
十分では友かったことから一再へば多分に心理的た原因によることを否定し得たい︒即ち申請額が取引上の賞需を超
ぇ減退を一不さどることは︑資本逃避の要求と先行不安に基づく投機的需要によるものである︒割蛍額の漸減して止
まることたきは︑外貨資金の訣乏を一不すものであり︑震替相場の低落浮動は郎ちそれ等の事態を反映し︑また園民政
府の運命に就ての観察の二且二憂を現はすものと一耳はねばたらぬ︒
今後もたほ外貨資金の減少につれて矯替割営は困難と‑なるべく・割嘗制の停止せられるとき︑法幣は封外的に機
能を喪ふものと一再はねばたらぬ︒それが法幣制度全種の上に如何たる結果をもたらすかは︑必ずしも簡単に断定する
ととを得たい︒艶外的機能を喪へる貨幣にも︑たほ劃内的機能は残され得るからである︒
四
在外正貨の減退とその運命
法幣の運命の大半を決定し︑その艶外債値を支配する僚件が在外
E
貨にあることは︑改めて一式ふまでもあるまい︒その額が果して幾何に上ぼるかと一式ふことは︑誠に推算に困難な問題である︒闘民政府の内部にあってすら︑蒋・孔・
{木・徐等六人のもの以外にはその残高は知られたいと一試はれてゐる︒我園に於いてこの間題については第一の樺威土
屋計左右氏の研究を出残離にとるのが︑最も嘗を得たことである︒(同氏︑支那在外正貨の研究︑参照﹀
土屋氏は咋年五月十三日孔砕照が倫敦において護表した.在米一億二千高弗︑在英二千五百高接合せて約八億三千
寓元友る数字を基礎として︑それ以後本年五月末に至るまでに之を増減せしめた諸要因を吹のやうに考へた︒郎ち
法幣の危機一年の回顧
四 七
法幣の危機一年の岡顧
四
ノL
潟一替費出高四億一千士山内充︑金銀輪日合計四億八千六百寓元
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閥抵牧入による外貨増加額六百高一冗も在外公館費一千一 百寓一冗︑華僑詮金及びその献金一億一千五百寓一五︑政府系銀行買入輸出手形七千五百高元︑軍需品職入額七億一戸とし て︑本年五月末現在の在外正貨を一二億八千蔦元と推算した︒一般に停へられる推定も犬健それに近く︑それより推せ ば漢口陥落の蛍時払於いて.多くも二億一冗在出で得たい欣態にある︒
ざれば圏民政府は在外正貨の補強蓄積のためには︑種々なる方策を講じた︒在外華僑に劃し愛園献金を強要するが
如き︑或は軍事・℃挙
器等以外の酎学科に属劃する留国学生を禁止し︑読に三ヶ年以上在留の商学生に謝しては︑九月以降‑ u
の詮金を禁じて︑年々一千高元以上にのぼる在外岡晶子生放行者費の削減を計った如きはその一例であるが︑更に次の如
き
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貨補支策をとった︒同民政府は今年四月二十三日輸出活替決樟耕法を公布し︑輸出活替を中園・交通の雨銀行に取組まじめ︑取立
外貨は中央銀行勘定に振替へさせて︑外貨を中央銀行に集中せしめることLした︒漢口に於ける外周銀行に劃しても︑
職出手形を政府系銀行に費渡すべき同日の通告を護した︒印ち総出商は輸出貨物心債格・相蛍外貨等につき貿易叫管理委 員舎の査定を受けて輸出許可設を得︑之を有の雨銀行に提示じて轍出潟替を取組み︑去の説明書を海闘に提出して輪 出手績を行ふものである︒之によって政府は園産品の輸出を授八時し︑生産不足心商品の職出に制限を加ふると共に︑
在外資金の維持補強を同らんとしたのである︒職入についても七月一日土り轍入統制排法乞施行し.軍需品並に生活
必需品ならざる殆
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綿ての商品の職入を埜遇するに至った︒殊に之は外貨の割嘗と並行して行ひ必需品・不必需品・
萱揮品の種別により割営率を兵にすることL
した
︒
五月一日堕積牧入を揖保として護行した金貨公債は︑海開金単位・英貨・米貨を以て表示せられたものである
が︑その目的は金・外貨・並に外園詮雰を吸牧することにあった︒外園詮努を以て臆嘉するものは市債によりて摸算
し︑藤公債叉は弗公債を受取ることにもなる︒政府は之を賓却し叉は捨保として外貨を得ることができるが︑この公債
の麿募成績については俸はるところがたい︒
支那には肯ほ十八憶元に相蛍する銀が民聞に保摘せられてゐると唱へられ︑政府は退薙金銀の買上に努めた︒
長期抗載に於ける制覇の鍵は経構力の充賓にありとの見地から︑六月一日より一一一日に渉り漢口に開かれた金園金融曾
議に於ても︑引績を金銀の蒐集に努むることを決議した︒慶東に於ては銀を集中するために七月十六日以降その流通
費格を奪ひ.退戴者を営局へ通報したものには賞金を興へることL
して
ゐた
︒
これ等の諸工作が漸減しゅく正貨を補強する上に幾何の寄興があったかは明かでたい︒抑も支那の圏際牧支が如何
たる構成をもってゐたかを顧みるたらば︑その前途を考へる上にも多大の示唆とたるであらう︒私の手にし得る最新
の支那闘際牧支表は︑イ1・ヵI
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000七︑外図公館支出
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れた現献に於て︑今後支那にとって有利とたるべきことは想像しえない︒経棒繁柴の地域を綿て喪ふことによって︑
商品の職入は杜絶するとしても︑軍需品代金・外債の支悌・資本逃避等は依然として桂くこ
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に蓮ひはない︒かくして蒋政府が借款の成立に狂奔するは営然であるが︑その窮迫は愈と列閣の掛支援助の消極化を導くべきこと︑
推定せらるL如くである︒
一般
に
五 戦時財政とインフレイショ
ンの不可避性
今までのところ蒋介石政府の戦時財政に闘して︑公に務表せられた何雫の数字をも持ちえない︒南京陥落後一ヶ月
を経た一月十九日︑財政部長孔鮮照は﹁支那鞍時財政説明書﹂を護表したがBをれは抽象的のものであって具樫的最
字に縮れてゐたい︒事費一周年の記念日に園民政府の財政報告が護表されたがそれにも非常時局の困難に虚し︑産
業の振興・金融の安定・輸出の促謹に全力を注ぎ.枕牧の増加・公債の護行・金銀の蒐集等によって凌いで来たこと
を紫観的に吹聴してゐる︒
然し同民政府歳入の犬{一市たるは閥視であって︑歳入綿額の一一一分の一を占めてゐたのであるが.海闘は今や総て日本
軍の占接地域に屈する︒従ってその牧入は何等蒋政府の財政に寄典せざる情勢に立ち至った︒第二の税源は盟視であ
って関税牧入の竿ばを占めたが︑今や海岸紘一帯を喪ひ僅に奥地の舟瞳に期待するのみであって︑税源としては一耳ふ
に足りないも?とたった︒第一一一の税源は各種の統視でありて︑全歳入の一割一分を占めてゐたが︑経構築柴地域の殆
ど全部主失った今日︑恐らく闘民政府の牧入に訴するものは︑その十分の一にも及ぶまい︒か︑ふる情勢の下に於いて
国民政府はこれまで︑如何
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してその財政を賄クて来たか︑殊に今日以後何に財源を求めんとするか︑甚だ奇異の感を懐かざるを得たい︒
圏民政府の鞍費が幾何を要したかは︑更に推定に困難なことである︒紐育タイムス特波員は昨年十月支那の鞍費を
一ヶ月一億一冗と報ビ.また香港大拳教授長治平は一回百五十寓元と推算した︒之に反して﹁金融商業報しには︑
ク
月約一億五千寓元であっ︺て︑開載のはじめこの外に一億元を費じたから︑開戦以来七月末までに合計十九億一克と計上
した︒(同誌六月二十二日韓)勿論これ等の数字の首否を判定すべき材料はたい︒叉その中の幾何部分を園内費材を以
て賄ひ︑幾何を輸入に倹たねばならぬかを明かにすることも出来ぬ︒従て支那の戦時財政の窮肢を数字的に説明する
ことは難しいが︑歳山山補嘆の道を公債の登行と紙幣の増護とに求めたことは︑疑びえない事賓である︒
法幣の危機一年の同顧
一五
法幣の危機一年の岡顧
一五
開戦以来鞍費調達のために弐のやうた公債が議行された︒第一一は昨年九月一日に霊行された五億元の救闘公債であ
って︑その募集の成績は護表されてゐたいが︑今年一月イI
・カ
Iンはその臆募額を二億元と推定してゐた︒之によ
って見れば︑その鹿募成績の決してよくたかったこ之が察せられる︒第二は﹁民園二十七年圏防公債﹂と呼ばれるも
のであって︑綿額五億元︑五月一日の護行である︒救圏公債が年利四分であったのに劃して之は年利六分であって︑
そは護行僚件の後退募集の困窮化を語るものである︒同じく五月一日に﹁民園二十七年金公債﹂が護行された︒之
は外貨の獲得を目的とするものであって︑
一億
海闘
金皐
位︑
一千高接︑五千寓米弗の三種に分たれ︑鹿募者はその中
任意の債穿を謹揮し得るのであった︒利率は年五分︑護行穂額は時債に換算して約七億元であった‑︒更に六月二十一
日漢口に於ける圏民政府行政院曾議は︑難民救梼を理由として脹構公債一憶元の護行を決定し︑七月一日その第一同
分三十寓元を品単行した︒その成績は融て満足たものでは・なかった︒
かくの如き財政昧勢の下にあって︑紙幣護行額は営然に増加すべきものと考へられるのであるが︑左表に一不す数字
は貨幣債値の喪失を意味する如きインフレイションでは決してたい︒
支那に於ける紙幣議行額(単位百高一万)
中央銀行中園銀行
突遁銀行
中園農民銀行民間銀行
合 計 一九三六︑十二月末三二五四五九二九五
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司)の数字によれぽ︑十早川県後一年間の蛮行増加は一一一億二千寓元に過ぎず︑固より之を以て描度のインフレイションと
たいものと唱へてゐる︒ も見るを得ず︑法幣崩漬の徴候ありとも断定しえたい︒
一 一
一 一 一
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一般の観測もまたこの数字に信頼して法敵巾の猷溌
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然し事態の異相は紙幣の増設を必然としてゐるのみならず︑その傾向を一不すべき事賞もある︒闘民政府は極力イン 二二九
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法幣の危機一年の嗣願 れてゐる︒それは皇軍の努力圏内のこ主であって︑法幣が日本の千に渡り在外正貨の収牧に利用せられるととを倶れ
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法幣の危機一年の同顧
一五 四
るためと一足はれる︒それに反し奥地に於いては︑金融の調整・農工業の助成・生産品需要の増加を闘るがために︑四 月二十九日﹁地方金融機構改善耕法﹂を公布施行するに王づた︒それに上れば地方金融機関は︑法幣・園債・地方債・
土地家屋工場・農産品・工業原料及びエ産品・商品・農業誰穿・商業誰券・社債を準備として︑政府系四銀行の護行 する一元多及び補助先換多の融通を受けることができる︒この制度は一方に於いては︑奥地の法幣を吸敬してその債 値の維持を圃り︑公債の消化を意国すると共に他方︑金融の梗塞を打開せんとする一石数烏の妙案たることを期待
したものであった︒
園民政府はその後地方金融の改善を闘る円かために︑六月一日より三日に互り漢口に会園金融合議を聞いた︒出席者 は各省市代表者七十四名の外に︑財政経梼方面の樺威者十飴名を加へ︑各地金融の欣況を報告し︑地方金融機構改善 耕法を貫施する手績を研究し︑その経営方針を審議した︒然るにこの計萱は︑保件の巌に過ぎるがために貫施を見る に至らたかったとイI・カIンは報じてゐる︒(金融商業報六月二十二日続) インフレイションは草に紙幣増愛の形態をのみとるものではたい︒信用の膨脹であっても結果に於いて異たるとこ ろはない︒既に見るが如き闘民政府の財政窮乏と金融上の必要とは︑インフレイションの必然性を宿したがら︑これ までたほ破局的た事態を惹き起すほ
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午後如何なる形態をとって現はれるべきかは︑甚
だ興味深い問題とじて注目したくてはたらぬ︒
以上に於いて私は︑支那事費費生このかた法幣の辿り来れる苦悩の足跡を顧みたがら一︑その今後に展げられてゐる
宿運の道を看取することが出来た︒現貫は必ずしも常に理論と共に歩むものではないが︑然し理論に背いて動くこと
の出来るものではない︒武漢・出関東もすでに陥ち︑経棒的に重要な地域の大部分を喪ひ︑ながら︑法幣制度はたほ強靭
の力を示してゐる︒然しこの欣態はどこまで績くものであらうか︒
法幣制度の今後に辿るべき運命については之を支持する要素が如何に韓関化すべきかによって判断したくてはなら
ぬ︒それは支那民衆の蒋政権並に法幣の流通に劃する信認と︑比較的十分なる在外正貨と︑外闘の財政的・道徳的援
助とによって支へられてゐた︒大僅においてこれ等の要素は︑互に補足し関聯するところの多いことを認めねばなら
ぬ︒在外正貨が既に残り少なく︑今や多くを之に期待し得ないことは明かであり︑法幣の崩壊を導く有力の要素なる
乙とは明かであるが︑たどこの酷から法幣の前注を決することは出来ない︒外囲の財政的援助にして積く限りは︑そ
の快けたるを補ふに十分であるからである︒蒋政擢の波落と共に内外の信認を失ひ︑法倣巾の崩壊に至るべきは︑
一般
の道理として誤りのないことであるが︑たほ経静的制度として内外の支持により民衆の聞に残されることも考へら
れる︒かくて内外の支持・信頼が法幣の前設を決する霊大友保件となるが︑今や法敵巾は単なる蒋政樺の制度とのみ思
料すべきではない︒その背後を支ふる諸俊件を考へねばならぬのであって︑之にむかつて立てる針策はその見地の上
に築かれねばならぬ︒理想に馳って単純に結論をひき出すこ︒とは許されたいことである︒
わが大陸経梼政策の目標は︑日浦支を打って一丸とする経韓協同盟制を貫現し︑支那のために経韓関裂を困ると共
に︑我園のために生産資源を確保し︑産業販路を獲得することを努めるにある︒それは我が園民に課せられた大きな
仕事であるが︑その必要保件として幣制の統一を期することを理想とするリ更生新支那経構建設の前提として︑経清
法幣の危機一年の同顧一五五
法符の危機一年の同顧
一五
六 協同健制樹立の根幹として︑幣制調策をその要求の線にそふて進めるべきは云ふまでもたい︒然し理想の前には難問
が横たわり
J .
錯綜せる幾多の僚件乞内包する関係において︑解きがたい多くの問題を
A千
叫ん
でゐ
る︒
理論
の一
上に
も政
策 の上にも.之をめぐづて周到の研究を霊ねたくてはならぬ︒
この小篇︑護者の開心をこの霊大問題にびきつけるために若干の役立ちをなし︑私見の持ち方にづいて批判乞受け る機縁ともたり得れば誠に仕合せである︒ハ昭和二ニ・一
C
・ 一 ニ