東京学芸大学附属小金井 中学校 『 研究紀要』第
49号
2013学校 ・大学の歴史を調べる
平田 博嗣
すべてのもの には歴史があるが、 自分 の通 う学校 の歴史 を知 る機会 は少 ないo しか し生徒 に とって、全体の大 きな歴史 にま して、小 さいけど共感 の持てる歴史がそ こにはあるo
荒畑藤吉 さんの 「 けや きの碑」を通 して見 えて くる軍 .国の政策 とそれ に翻弄 され る農民の生 きざまを考 えさせたいoまた学芸大学 に学ぶ者 として、心 に銘記 しない といけない この土地 にま
〔 キーワー ド〕 「けや きの碑
」強制買収 空 白の地図 荒畑藤吉
1
.はじめに
自分 の通 っている学校が、 どんな歴史の上 に成 り立 っているのかは、生徒 にとっては本 当は興味のあ るところであろ う。 しか し、実際はそのよ うな授業はなかなか展開できない。必修授業 の過密でかつ綿 密 なカ リキュラムに原 因を求めたい ところだが、教師 もなかなか地元 を歩いて調べ る時間がな く、増 し て転勤 したての教師は尚更である。小学校 か ら地元 に通 っている生徒 の方が詳 しいか もしれない。それ が附属 のよ うに、 自分 の住 んでいる地域ではなければ、教師が主導 して、地域 を調べ る姿勢 を示 さな け れば、なかなか興味がわかない。
私 は、新卒で勤 めた学校 が、東京都立川市 であ り、そ こが昭和 3 0 年代 に大 きな問題 となったアメ リカ 軍 の基地問題、立川では砂川闘争 の拠点校 であった。 しか しその ことを知 ったのは、勤 めて
5年経 った 時の ことであった。土地 の農民、労働者、学生たちと東京都 の土地接収の係、警察 とが衝突 したもので、
農民たちの 「 心 に杭 は打 たれない
」との言葉 が印象的な調査 であった。その裏 には 日米安保条約改訂が あ り、 日本現代史の傍証 として も大変重要 な内容でもあった。 しか し、 この実践 で もっ と生徒たちの心 に残 ったのは、 当時の中学生の作文であった。 中学 2年生 の時 と3年生のもの載せたのであるが、同 じ 中学生が感 じた ことは、現代の中学生 にとって他事ではない、切実な問題 として とらえれ ることができ た。そ してその生徒 が
1年経つ と、単なる感情論 ではな く、 もっ と大 きな視点、 日本、 アメ リカ、世界 とい う意識 の中で意見 を述べていることが、現代 の中学生 にも共感できる内容 となった。( 1 ) ここで私 は、
単 なる知識 を伝 えるだけでな く、共感できる内容で以て、 中学生 に迫 らない といけない ことを学 んだ。
二枚 目が本校 であ り、最初 は地理的分野 の身近な地域 と地形図の読み方 として、先輩 の教師が作 った 小金井市の明治
10年代、大正時代、昭和
10年代、昭和
10年代、現在の地形図の変遷 を追 う授業の中で、
学校や大学 に走 る江戸時代か らの道 を追 うことに、興味 をもった ことか ら始 まった。 「この道 は江戸時 代か らあるのだ よ。」 との話 は、生徒 たちには新鮮 で、江戸時代 の名残 をさが した ものである。 授業 の展開は、現在か ら昭和
10年代の地図 になる とどこが変わ っているか、つ ま り消 えている とか、前身が わかってい くとい う形ですすめた。普通 は古い地図か ら、順順 に新 しくなってい くのか もしれないが、
私 は逆 に時代 を逆上 る と手法 をとった。その方が、生徒 たちにとっては、身近な もの となるし、. 切実感 が増す と思われたか らである。例 えば、現在 ある駅がない、道がない ことがわか る。生徒 が興味 を引い た ことに、刑務所 の建物 の形が変わ った ことである。 ×の形 の建物 が、 ‑の形 になってい く。 これは、
刑務所 の警備 の しかたが ×の交差点で監視 をす る体制か ら、テ レビカ メラでモニターす る体制の変化 を あ らわ している。昭和
10年代 になる と大学がな くなる。現在 の大学の敷地は農地や雑木林 であった。
明治時代 になると、 中央線 がな くなる。授業 の宿題 としては、 「 明治の地図に中央線 l ① 現代
を書 き込 め
」とい うもの を出 した。 中央線 は地 図 の 中で は真 っ直 ぐな線 で描 ける。 そ れ は 日本 で は珍 し く新 宿 か ら立川 まで、 ほ ぼ真 っ直 ぐに線 路 が引 けて い る。江戸時代 には、 甲州街道、五 日市街道 の街道沿 い に 街や村 が形成 され てい た。現在 の中央線 の 場所 は、武蔵野 の原 生林 だ った。鉄道忌避 伝説 もあ るが、 とにか く人 が ほ とん ど住 ん でい な く、主要 な建物 をなか った こ とが、
中央線 を直線 に引 けた理 由であった。
2. 学 校 ・大 学 の 歴 史 を 知 る 授 業
授業 のための 教 材開 発 は
、中央線 の歴史
や国鉄 ・ ∫ R東 日 本 の施策
、土地 の開発 に
おける市 ・町 ・ 村 の役割 な ど、調査 は多岐
に渡 った。その 中 で、大学 がかつては陸軍
の兵器研究所 で あ った ことを改 めて知 るに 至 った。実 はそ の ことは、私 が大学 に在籍 していた昭和5 0 年 代初頭 には、 まだ兵舎 が 残 っていて、そ こ で授業 を受 けた こともあ るので、知 って い た。 またプール門 とい う 地名があるのだ が 、それは斜 めの傾斜 がつ いた プールで、 上 陸上陸用収艇 の試験場 で あった ことも知 っ ていた。そ して、その こ ろの地図 には、 真 っ白な部分 のある異常 な 地図であった こ と を知 った。 これは生徒 に とっては興味 ・ 関 心 を引 く内容で と思われ た。軍 の秘密 の た めに、 この よ うな地図が できてい ること は 、 当時の様子 をよく伝 え るものである と 考 えた。 ここで小金井市史 を調べ、 当時 の 様 子 を伝 える文章 に出会 っ た。 『小金井今 昔 ばな し』 か ら引用 す る。
「 忘 れ も しな い 、 昭和 十 五年 二月 十 五 日 だった。軍用地 と して貴殿所有 の土地 を買 収 したいので、 印 鑑持参 の上 ご参集 くだ さ
現在 の小金井付近
昭和
10年代 の小金井付近
明治
10年代 の小金井付近
れたい。 と、 こ の よ うな意 味の手紙 が軍 か
らとどいた。員 収 計 画の中には、 自分の住んでいる宅地 をはじめ、農耕地、山林原野 とも大部分の土地
が含まれていた 。 青 天の弄塵 とは正 にこのことだった。会場 に当て られた第一小学校 には、通知を うけ
た貫井 きたまち の 農 家七、八人 と、そのほかに関係者が何人かが集まっていたが、員収担当といわれる
将校は、切 り口 上 で 土地は元来陛下のもので、大戦遂行にぜひ とも必要な土地であるか ら、員収するこ
とになった。 こ の 承 諾書 に調印するように、不満の者は調印しな くてもよろしい。そのかわ りに即刻強
制買収の手続 き を と るといわれて、一言の抵抗 もできなかっ
た。 ( 中略)軍では、勝てない戦争 を勝つ
ために、あらゆ る 兵 器の研究が至上命令 として進められていたので、適当な郊外 に極秘の うちに土地探
Lが進 め られ、 中央沿線 を飛行機 が何 回 も飛 んでいたが、最終的 に、小金井 と国分寺 の中間で、比較的 人家 の少 ない貫井北町が選 ばれ たのだ ろ う。予定 の
200‑ クタール には少 々欠 けるが、小平分 を含 めて
175‑ クタール。昔 の数字で五十三万坪 とい う広大な土地 だった
。」 (2)こ うして、強制的 に接収 された土地 であ ったが、戦争が終わ り、平和 が訪れた とき、軍 の関係者 は、
こぞって物資 を確保 して逃 げ出 してい った。そ して土地 にはだれ もいな くな った。 そ もそも強制的 に奪 われた とい う意識 の強 い農民 たちは、放 り出 されていた土地 をただ見てい るわ けではなかった。 また戦 後 の無政府状態 の中で、国の規範や法律 な どが無力化 してい る中で、何 を規準 にして 自分たちの生活 を 律 してい くかがわか らない、不安 な状態であった。農民 たちは放 り出 された土地 に昔 の よ うに農作物 の 種 を蒔 き、収穫 をめ ざしたのは当然 と言 えば当然 の行為で もあった。 しか し戦争 が終わ り、一年、二年 と経過す る と、
GHQによる占領政策 も中央 か ら地方‑、小金井 の地 にも徹底 され、 同時 に日本 国 とし ての施策 も徐々 に浸透 してい った。政府 の役人が旧陸軍 の兵器研究所 を訪れ、今後 の利用 を考 えて よ う とした時、土地 には元 の持 ち主が作物 を栽培 していたわ けである。 ここでまた政府 は、農民 たちに立 ち 退 きを命ず るのであるが、時代 は戦後 で、民主主義 の時代 の到来 を告 げていた。戦前 の よ うな強制的な 手段 は とれない。 そ こで政府 は 「 敗戦 国 日本 の将来 は、教育 にかかっている」 とのス ローガ ンを掲 げ、
マスコ ミに訴 えた。実際の経過 を知 らない多 くの国民 は、教育 に 日本 の将来 を託す との考 えに賛 同 し、
世論 は陸軍 の跡地 を平和 の象徴で もある教育 のために使用 す ることを支持 したのだ。 ここに荒畑 さんた ち農民
11名は、裁判 に訴 えたのだ。土地 をめ ぐる農民対学大 の裁判 が始 まった。
2009
年度大学院生 による臨地研究で、陸軍 の兵舎 の建物 の様子 をわか る資料 を使 った授業 を、 中学校 を使 って展開 して くれた。戦争 が終わ ってか らアメ リカ軍 が とった航空写真 を使 った もので大変興味深 い ものであった。 また大学 の保健体育科 の研究室がある建物 の傍 にあった 「けや きの碑」 についての報 告があった。 この碑 の存在 は知 っていたが、文面 の通 りの理解 だけであったが、 ここに当時の荒畑 さん
と学大 との裁判 の歴史の未 に建立 された とい う事実 を知 った。
3.
「けやきの碑」について
「けや きの碑
」の表側
ここに林立す る七本 のけや きは、白樫、末、竹 な どとともにもと農家の屋敷林 を構成 していた もので あるo武蔵野 の農家 は防風 のため、一般 に屋敷林 にか こまれ、その森 の中心 をな していた木が けや きで あったo現在都市化が急速 に進 み昔 の姿が失われつつ ある中において、けや き群が大学 の構 内にこの よ
建碑者荒畑藤串 は昭和十五年陸軍 の土地員収 当時、この土地 の地主であったoその祖先 は遠 く武蔵野 新 田開発時代 この地 に土着 した ものであるo
大学 の保健体育研究棟 の北側 に、碑 は建 っている。前述 の通 り、農民 は本来 の土地 の所有者 は、 自分 たちであ り、国は 自分 たちに土地 を返還す るか地価 に相応 の代金 を支払 うべ きである との訴訟 を起 こし た。 しか し訴訟 は長期 に渡 って争われ、昭和五七年 に一応 の決着 を見た。院生 たちは、
2009年 当時 の学 長 の阿部猛先生 か ら聞 き取 り調査 を行 った。その内容 を再録す る。
「 戦時 中一一人 の地主か ら陸軍 が土地 を強制買収 した
。‑ ・( 戦後)豊島師範が移転 して きたo昔 の
地主が買 い上 げ価格 が安かったので、土地 を返却す るか不足分 の費用 を支払 え とい う訴訟 を起 こした0
被告 は学長。気持ちのいいものではない。当時学芸大学は国 立大学だったので関東財務局が直接の相手 となった。私 は裁 判所 に行 っていない。訴訟 を起 こした
11名の農民 の代表が荒 畑 さんだった。小金井市史の編纂委員 をしていた高名な郷土 史家か ら、訴訟が長引き、荒畑 さんのお じい さんも高齢 とな り ( 当時
87歳)、なん とか決着 させたい と言 っているとい う 話 を聞いた。条件が碑 を建てることだった。 ここに家があっ たことがわかればいい とい うことだった。関東財務局は、
1m以内の碑な らいい、大 きなものは国有地だか ら困ると言 っ た。だか らあの碑は 1m より低い。碑文の内容は荒畑 さん と 大学がお互いに了承 したもの。費用 も荒畑 さん。関東財務局 は国費は出せない とい うことで、国有地 に建て させてや った、
とい う態度だった。 この件 については大学全体の問題 とはせ ず、事務局長 と学長で対処 した。大学内で特 に話 し合 った こ とはない。今小金井市内には専業農家はな く、屋敷林 もほ と
ん ど残 っていない。記憶 も失われていった。それが ここには残 っている。 どのよ うに家が建 っていたの かもわかる。昔のこの辺 りの風景 を思い出せ るもの として、学生 には見てほしい。」
こ うして建 った碑である。荒畑藤吉 さんは
1895年生まれ、今はもう亡 くな られている。
この 「けや きの碑」の建立の話は生徒 には興味 ・関心 を引 くのでないか と考 え、授業 を企図 した。
4.
学習指導案
目標 ・自分たちの通 っている学校 ・大学 に関心 も持 ち、土地の歴史を調べた りする態度 を身につ ける。
・戦 中 ・戦後の日本 における軍や国 ( 体制) と農民 ( 個人)の問題 について理解する。
・
「けや きの碑」か ら、当時の人たちの思いを くみ取 ることができ、 自分の問題 として考 える。
学習項 目 生徒の学習活動 指導上の留意点
学芸大学 の 「 学芸大学がで きる直前 には、 だれが この土地 答 え は 出 さ な い 興 味 .関心 が湧 い 前身 には住んでいたので しょうか ?」 で、興味 .関心 を たかo
・農民 . 湧か
地形 図 ( 覗 現代 と昭和
10年代 の地形図を比較 して、現在 細 かい作業 な ど 昔 か らの道 を見 つ 代 と昭和
10使われている道で昔 か らのものにマーカーで着 のあま り正確 さを ける こ とが で きた
年代)
空 白の地図 色するo は、地図に空 自があることに気づ くo プ リン ト
(∋ (3)を見て、昭和
10年代後半の地図に 求める と時間がか かるo 教師 か らの発 間 か○ 意 味 を理 解 で い た 地 図上 の空 自の
・なにか秘密があった。
。軍 の関係で、一般 には知 らせない。
『 小金井今昔 ばな し』
巡検 ( 旧荒畑 家 と そ の 周 辺)
略図の見方
「け や き の 碑」
戦後史の復習
阿部学長の話
『小金井今昔 ばな し』 を読 んで、農民 の土地 が どの よ うな経緯で買収 されたかを知 る。
その農民 たちの 中心人物 であった荒畑 さん の家 の跡 を見 に行 く。
プ リン ト②
(4)旧荒畑家 の略図を見なが ら、 け や きを一本一本探 してい く。
「 お っ と、 こんな所 に碑 が建 ってい る。何 が書いてあるか見てみ よ う
」・けや きの碑
教室 に戻 り、 も う一度 「けや きの碑」 の表 側 と裏側 の内容 について考 える。
「 なぜ、 こんな碑 を建てたのかな ?」
・何 かの思い出
・自然がいっぱいだった昔 を偲ぶ
・ここは俺の家だった
「 戦 後 、 陸 軍 が い な くな って、 ど うな っ た か ?」
・農民が戻 って くる
「しか し、国は どうしたのか ?」
・国有地だ
・すでに支払いは済 んでいる
昭和
57年 当時 の学芸大学学長 阿部猛先生 の 話 を、教師 よ り聞 く。
感 じた ことを発表 しあ う。
ノー トにま とめ と感想 を書 く。
途 中で、歴 史 の 授 業 で学 習 した 内 容 を思い出 させ る。
生 徒 は教 室 の外 に出 る こ とを喜 ぶ が、 注意 散 漫 にな る ことを意識す る。
一本 一 本 探 して い くこ とに よ り、
意識 が深 まる。
まず碑 か ら読 ま せ る。 後 に プ リン トに書 い て あ る こ とを伝 える。
碑 の 内容 につ い て疑 問 を喚起 させ る。
他 の碑 につ い て も 言 及 して、 類 推 さ せ る。
最 初 の 問 い の答 えが こ こに出 て く る。
国 の立 場 につ い て考 えさせ る。
生 徒 の感 じた ま ま を言 葉 を大切 し な が ら、 阿部 学 長 が ど う思 って い た か につ い て も考 え を広 げさせ る。
農民 たちの思 い を理解 できたか。
本 当 に現在 も家 の跡 がわか るのか 自分 で 確 か め た か。
古 い けや きの大 木 の意 味 を理解 で
きたか。
碑 に興 味 を もっ たか。
碑 の内容 につい て 疑 問 を 持 っ た か。
歴 史 の学習 の成 果 が 表 れ て い る か。
立場 に よ り意見 が違 うこ とを理解 できたか。
自分 の問題 の よ
うに切 実 な ことに
感 じられたか。
授業 の様子 をすべて詳述す ることができないので、授業の抜粋 をのせ る。
T :
戟後、陸軍がいな くなって、 どうなったのかな ?
Sl:空 き家。
S2
:放置 されていた。
T :
農民たちは、 どう思 ったのかな ?
S3:だれ もいないな ら、戻 ろ う。
S4
:で も、軍 に売 ったの よ。
S5
:だって、無理矢理取 られたのだ よ。
S6
:そ うだ。
T :
だか ら、勝手 に入 っていいの ?
S7
:で も 先生、だれが文句言 うの ?
S8:国がな くなった じゃないの ?
S9:そ うかな ?
SIO:
だか ら、文句は言わない よ。
T :
じゃ、戦後 はす ぐは大丈夫だ として も、少 したった ら、 どうなの ?
Sll:や っぱ、国は文句言 うかな。
ここしてまた国が農民か ら土地 を奪 う図式 が出て くるわ けで、生徒たちの多 くは、義憤 を感 じなが ら も、 どうして よいかわか らない とい う教室 の雰囲気 になった。
5.
成果 と課題
毎 回生徒 たちには、 「 ま とめ」 と 「 感想」 を書 かせてい る。生徒 たち書いた もので授業 の評価 を考 え ていきたい。
まず、生徒 たちは何 を学 んだか。生徒 のま とめはなるべ く箇条書 きで短 くとの指示 を出 している。
S A ・歴史 は深 く知 ることによって、生 きる教訓 となるものもある。
・ち ょっ とした ことが細か く考 えることで分かることも多 くある。
SU
・大 きなけや きがあると、そ こは古 くか らある土地 だ と言 うことだ分 かる。 また風 向きも分 かる。
・戦争 中は農民の土地がただ同然で買収 されて しまっていた。
・けや きの碑 は農民 の国に対す る最後 の反抗 で建て られた。
S A ・ここ ( 学芸大学) には昔、農民か ら土地 を取 り上 げてつ くった軍用地 があった。
・昔 は農民が住 んでいたが、人 口密度が低 い ところだった。
N ・以前 この土地 の地主 は荒畑 さんだった。
この土地 は軍 に買収 されていた。
・碑 はこの地 に荒畑 さんが生 きた証である。
M ・ケヤキの碑 は荒畑 さんがそ こに住 んでいたいた ことをの こすために建て られた。
・昔 の道 を追 って行 くときは、大 きなケヤキの木が 目印。
・基地 のかいてある地図の、その部分が白紙なのは ( 土地利用 ・等高線 な どがないのは)極秘 にした
いほ ど重要な土地 だか ら。
次は感想である。生徒たちの思 いの広 が りや深ま りを読み取 っていきたい。
A ポッンと建 っている 「 けや きの碑
」にも、荒畑 さん と戦争 の悲 しい歴史があることが分か りま した。
僕 は、そ ういった どんな小 さな遺跡 も、後世 に大切 に保存 してい くべ きと思 います。題名 「 先人達 の 歩いた道 を行 く」は、江戸時代 の人 も歩いた と思 うと、何 だか うれ しくなるので、 この題名 にしま し た。
D 今 日の授業で学 んだ ことは、学芸大 には様々な歴史がある とい うこと。特 にいつ も前 を通 っている ある裏道 のよ うな場所が、実 は昔か らある由緒正 しい道だった とい うことを知 った ときは驚いた。ま た今回主題 となった 「 けや きの碑」や修学旅行で見た 「 干拓 の碑
」な ど碑 とい うものは、今 まで大 き な石 に文字が刷 ってあるだけのものだ と思 っていたが、本 当は とて も深い意味があ り、 これ を建てた 人たちにとっては、す ごく大切 なものだ とい うことが分かった。
荒畑 さんの よ うに、戦争のために土地 を員収 されて しまった人が何人 もいるのだろ うが、その後 に 住む家 について国は保障 して くれていたのだろ うか ?もしされてなかった とした ら、国民 を見殺 しに してまで勝 たなければいけなかった戦争 だったのだろ うか ?国の政治を握 っている人 のワガママのせ いで沢山の人が困っているのは今 も同 じだ。 もっ と本 当の意味での民主主義 を実現 できるよ うにして ほしい と、今回の荒畑 さんの話 を聞いて思 った。
最近 は都市開発 な どで家が強制的 に撤去 させ られた り、 けや きな どの自然が切 られているが、 自分 たちの便利 さを追及す るために歴史的価値 の しるものを壊 していっていいのだろ うか ?いずれ碑 もと りこわ されて しま う時代が くる と思 う。今 まで継がれてきた昔 の人たちの思 いを、 これか らも失わな い ように生活 していかなければな らない と思 った。
T 軍 は とて も自分勝手だ と改 めて思 う。今 まで住 んでいた人 のいる土地 を軍用地 として使 って しま う ことにとて も驚 いた。その頃は 「 地下」 とい う文明が無かった と思 う。そのため、東京 の地下 に研究 施設 を作 ることは不可能なので、せめて もっ と田舎 の人がいない ところに作 るべ きだろ う。土地 を奪 われ、人生 を大 き く変 えられて しまった荒畑 さんが可哀相だ。また 自分 の土地 をかけた荒畑 さん と学 芸大学の学長 の間の裁判では、なぜあれ ほ ど長引いたのか疑問 に思 う。昔 を生 きた荒畑 さんは、軍 と い う権力 によって人生 を変 え られて しまった。 しか し僕 たちは違 う。人生のすべてを自分で決めるこ とができる。そ してその一歩が今回の衆議院議員選挙だ と思 う。投票率が問題 となっている今、た く さんの人 に投票 してほ しい と思 う。 日本 を変 える一票 か もしれない。 もっ とも未成年 である僕 にどう す ることもできなのですが ・・・。
R 今回の授業 は とて も奥深い話で強 く印象 に残 りま した。僕 は身近 な地域や昔 のことに興味 を持つ タ イプではあ りませ ん。ですが、今回は とて もおもしろ く感 じま した。なぜ今回そ う感 じることができ たのかを考 えてみる と、実際 に大 きな木 をた どっていった り、昔 の道 をイ メージした りしたか らだ と 思いま した。実際 に見 るとい うことの大切 さを改 めて感 じま した。昔 のこの土地 の写真な どを見 るこ
とができた らと思 った。 さらに、駅 に続 く トンネル とい うものをせめて写真だけで も見てみたい。
s A ケヤキの木 を迫 ってい くだけで昔 の道がわかることにはお どろいたが、理 由を考 え手見 る と、なる
ほ どと思 った。古い資料 を追 ってい くと、ケヤキの碑 についてのナ ゾが とけて、お もしろかったo こ
れか らは、そきよ うな方法で疑問を解決で きればいい と思 う。基地 の部 んが白かった ことは、は じめ
は ビック リしたが、理 由を考 えてみて何 ごとにも因果 関係があるのだ と思 った。府 中にあるケヤキ並
木 もこれ と同 じなのかな と思 った。
註 ( 1 )
(2) (3)