思想動向にとどまらず︑さらに明末仏教︵第Ⅱ部︶やキリシタン︵第Ⅲ部︶といった﹁外部﹂との関わりのなかで設定されるべきだと著者は考えていた︒﹁日本近世仏教の研究は︑中世と近代の仏教との内的関連を踏まえながら︑東アジア仏教思想史として進められる必要がある﹂︵一五〇︱一五一頁︶と著者が記したゆえんである︒それは︑中世︱近世︱近代という時間における垂直方向の連続性だけではなく︑日本︱東アジア︱ヨーロッパといった空間的な水平方向の連続性をも視野に入れた壮大な思想史叙述の構想にほかならない︒
本書においてこうした構想が実現したと言うことはもちろんできないだろう︒むしろそれはいまだ緒に就いたばかりであり︑そして著者はその中核を担うべき人物であった︒だからこそ著者の早世は︑評者にさらなる痛惜を覚えさせるものなのである︒
かつて評者は幕末護法論に関する科研で著者とともに共同研究︵科研基盤︵C︶﹁幕末維新期護法論の思想史的研究﹂24520078︶を行い︑著者には本書にも収められている排耶論や須弥山説を中心とした成果を寄せて戴いたことがある︒その際︑これらの成果が︑幕末維新期や日本といったフィールドをはるかに越えた重厚で広範なものであったことに︑評者は強い衝撃を受けたものである︒
日本仏教思想史の叙述における著者の構想全体を評者が担うことは極めて難しい︒しかしその構想の一端なりとも︑自身の専門とする分野において継承することは︑評者ら後進のなすべきことであるに違いない︒ 諸 点淑著
﹃ 植 民 地 近 代 と い う 経 験
││ 植民地朝鮮と日本近代仏教 ││﹄
法藏館 二〇一八年六月A5判 ⅴ+三四二+五頁 七五〇〇円+
陳 宗 一 近年︑近代をめぐる日韓の異なる歴史認識に焦点を当て論が盛んに行われているが︑こうした歴史認識の相違が生原因はどこにあるだろうか︒主な理由の一つとして︑日本国が﹁近代﹂という歴史を部分的に共有していながら︑相る立場とアイデンティティによって近代に対する視点と解違ってくる点をあげることができる︒このような歴史認識違が︑かつての宗主国と植民地の関係の上で叙述されるとより克明にあらわれることは言うまでもないだろう︒著者っているように︑右に述べた問題を解決するために﹁一国偏らない韓国仏教の﹃近代﹄を考察するため︑日本仏教と環関係に注目﹂︵九頁︶することは有効な手立てである︒ンスナショナル・ヒストリーの視点において︑著者は先行の中でも特に磯前順一の研究成果︵磯前順一﹃植民地朝鮮教││帝国史・国家神道・固有信仰﹄三元社︑二〇一三︶考にしながら議論を展開している︒
第二節 真宗大谷派の社会事業の展開││﹁大谷派慈善協会﹂を中心に第三節 浄土宗の社会事業の展開││﹁浄土宗労働共済会﹂を中心におわりに第二章 植民地朝鮮における真宗大谷派の社会事業はじめに第一節 真宗大谷派の朝鮮布教 1 近代宗教概念をめぐる両国の宗教事情 2 真宗大谷派の朝鮮布教第二節 真宗大谷派の初期社会事業 1 日本人居留民の登場 2 各地域における日本人居留民対象の社会事業 3 各地域における朝鮮人対象の社会事業第三節 植民地朝鮮における真宗大谷派の社会事業││﹁向上会館﹂を中心に
1 向上会館の設立背景 2 向上会館の事業内容おわりに第三章 植民地朝鮮における浄土宗の社会事業はじめに第一節 浄土宗の朝鮮布教
1 浄土宗の海外布教
2 浄土宗の朝鮮布教 本研究は︑韓国の近代史を読み取るための手段として日本仏教を分析している︒よって︑韓国の近代史を相対化しながら究明しようとする︒さらに︑日本仏教の近代性が植民地朝鮮という場/空間において社会事業という活動を通じていかに展開されたかということと︑その特徴について綿密に検討を行っている︒二 本書は次のように構成されている︒以下において︑各章の内容を簡略にまとめながら紹介したい︒
序章第一節 問題の所在第二節 近代﹁日本仏教﹂から韓国の近代史を読む 1 近代﹁日本仏教﹂のとらえ方 2 ﹁帝国史﹂的な観点から近代の﹁日本仏教﹂をとらえなおし 3 研究の方法第三節 先行研究 1 日本﹁近代仏教﹂に関する研究現況 2 東アジアにおける日本仏教の布教 3 朝鮮における日本仏教の布教第一章 日本仏教の社会事業の展開はじめに第一節 ﹁日本型社会事業﹂の誕生
事業の分析をとおして︑﹁植民地空間における日本仏教の代化﹄をとらえることができる﹂からであるという︵一六 第一章では︑まず日本仏教の近代化とともに行われた﹁事業﹂と﹁感化救済事業﹂が﹁社会事業﹂として位置付ける過程に焦点をあてている︒近代になってから組織化され本の社会事業は︑国家における﹁良民の育成﹂を目的とすのであった︒こうした﹁日本型社会事業﹂が植民地に移植るとき︑近代天皇制に基盤をおく﹁良民の育成﹂のためのとして植民地権力の暴力性が表出されると論じる︒宗教的よりも一つの国家事業としての性格が強いことが日本型社業の特徴であると指摘する︒次に︑真宗大谷派の﹁大谷派協会﹂と浄土宗の﹁浄土宗労働共済会﹂を取り上げ︑社会としての展開とその性格を概観する︒初期段階においては者個人や教団内部の反省からはじまったものの︑社会事業織化が進むにつれて近代天皇制国家のシステムと密接にかりながら構築されていったことを確認する︒したがって︑事業が一つの国家システムとして作用する場合︑実施されとしては暴力性を孕むものとしてみられる部分があると主る︒結果として︑日本仏教の社会事業は前述した暴力性をしたまま植民地とする地域まで展開されていったという︒
第二章では︑韓国併合以前の朝鮮における真宗大谷派の布教活動と社会事業の実態と性格を明らかにし︑そこから取れる日本仏教と朝鮮仏教の近代性について考察してい﹁日本仏教は西洋の宗教概念を模倣︑受容しながら近代宗しての日本仏教へと変貌していくが︑このような宗教概念 第二節 浄土宗の初期社会事業
1 浄土宗の初期教育事業の動向 2 開城学堂 3 明進学校第三節 植民地朝鮮における浄土宗の社会事業 1 釜山共生園・開城学堂商業学校 2 和光教園の設立背景 3 和光教園の事業内容 4 新聞紙上に登場する﹁和光教園﹂おわりに結章あとがき
著者は序章で︑本書の問題意識について︑一国史に偏った歴史観が有する限界を意識しながら日本と韓国が忘却してきた近代という歴史をトランスナショナルな観点からとらえなおし︑現在の韓国人と日本人のアイデンティティの問題を再考することを目指すものであると述べている︒以上の問題を解決するために著者が注目したのが日本仏教である︒日韓の近代史を問うに際して有効な共通基盤であり︑そうした側面からナショナリズムにもとづいて日本仏教と韓国仏教が忘却してきた︑あるいは忘却しようとする側面を確認するためであるという︒さらに︑日本仏教の朝鮮における活動を布教活動と社会事業に二分した上︑植民地朝鮮における日本仏教の社会事業を中心に議論を展開すると示す︒よって︑宗教の近代的実践ともいえる社会
が︑朝鮮人を対象にした社会事業的な性格を有していたことにあるという︒こうした流れの中で設立されたのが向上会館であり︑その設立背景について︑朝鮮総督府が日本仏教の社会事業を植民地統治のための有効な方法として注目したことと︑真宗大谷派が布教の不振を打開するための方法として社会事業を展開したことを取り上げている︒とりわけ︑植民地朝鮮における真宗大谷派の社会事業の特徴が︑朝鮮人に対して文明的な手段としての宗教をともないながら実施されたことにあると指摘し︑それが植民地という︿場﹀において﹁植民地主義﹂という﹁近代性﹂が内在化される過程で発露していったという︒宗教者の宗教的な実践としての﹁慈善﹂の近代的な変化の手がかりとなったのが︑植民地朝鮮における日本仏教の社会事業であったともいう︒また︑京城府の依頼を受け︑真宗大谷派が向上会館を通じて﹁土幕民﹂対策に協力したことを分析して﹁仏教的教化と社会教化の不可分の関係により創出された︑﹃植民地教化﹄という日本仏教の﹃近代性﹄の表出であった﹂とし︑そこで行われた慈善は植民地権力の意向が反映された近代的な﹁慈善﹂であったと論じる︵二〇一頁︶︒向上会館の動向は朝鮮総督府からの指示によって動きはじめたものであり︑その設立目的・動機に見える宗教としての仏教精神は︑植民地統治の要請を覆い隠すかのように出現したものであった︒日本仏教の近代以前の﹁慈善﹂が︑日本国内の﹁日本型社会事業﹂の概念化を経て植民地空間へと移植されると︑より強い﹁暴力性﹂を孕む﹁慈善﹂として変貌したのである︒
一九一〇年以前の朝鮮における真宗大谷派の活動は︑﹁文明 逆に︑日本的なものへと転換され︑日本国家にふさわしい﹃日本仏教﹄へと定着していった﹂という︵一一〇頁︶︒こうした二重の概念化で作られた日本仏教が朝鮮に渡って展開されていった︒一八七七年に奥村円心が釜山に本願寺別院を建てることによって真宗大谷派の朝鮮における本格的な活動が行われるが︑朝鮮僧侶側において真宗大谷派は仏教と文明の両者を同時に受け止めていたと理解することができるという︒また︑真宗大谷派側からすれば近代宗教の過程を経ていない朝鮮仏教をとおして自らの宗教が近代宗教的なものであることを認識できる要因にもなったと述べる︒朝鮮における真宗大谷派の近代化への試みは︑日本側においては﹁国家﹂と結びついた近代性を有するもの︑朝鮮側においては﹁文明﹂という近代性として受け入れられたものであって︑その重なり合いの中で行われたものであると分析している︒このように︑日本と韓国︵朝鮮︶の両方の観点から考察しているところが本書の議論をより豊かなものにしていると思われる︒さらに︑真宗大谷派の朝鮮における社会事業について︑地域ごとに日本人居留民と朝鮮人に対象を分類してその実態を概観している︒その上︑社会事業の内容面における特徴として教育事業が行われたことに言及しながら︑それが真宗大谷派の布教使によって作られた近代的産物ではあるものの︑根底には帝国的性質を孕んだ﹁近代﹂が流れていたとまとめている︒
韓国併合以降の日本仏教の植民地朝鮮における社会事業は一九一九年に勃発した三・一運動の翌年から総合施設として活発に行われたとし︑一九二〇年代における日本仏教の布教の特徴
いう︒さらに︑韓国併合以降にみられる変化に関して︑異宗教事情の中で浄土宗が日本国内とは相異なる活動を展開るを得なかったことをあげている︒続いて︑浄土宗の朝鮮ける初期社会事業が教育事業を中心に行われ︑それが近代育制度を積極的に取り入れようとする朝鮮社会を背景に朝と朝鮮仏教界に影響を与えたという︒具体的にはまず︑開堂における教育事業が浄土宗によって行われたものであるかかわらず︑朝鮮人有志者が深く関与したことを踏まえて城学堂が﹁近代﹂を指標として創出された日本仏教と朝鮮よる﹁共生の場﹂であったと指摘する︒次に明進学校の事ら︑浄土宗が西洋との接触によって経験した仏教の概念化を植民地空間において朝鮮仏教に強要し︑それを通じて﹁仏教﹂という自己認識をしようとしたと言及する︒朝鮮仏近代的教育を受け入れながら﹁近代化﹂を目指した一方︑宗は近代的教育を媒介して朝鮮仏教を包摂しようとしたと点から植民地という場が作り出した﹁近代の二重性﹂を析る︒一九二〇年代以降の植民地朝鮮における浄土宗の社会の性質については︑和光教園の設立によってより体系化・化されたと述べている︒和光教園の設立背景には︑朝鮮人明を伝達する日本人としての使命が内包されており︑そこ教精神を表明しながら植民地という社会的背景から発生す問題に対処しようとする動きがあった︒真宗大谷派の向上の設立にもみられるように︑浄土宗の和光教園の設立も三運動の勃発に影響を受けたものであったことが︑朝鮮総督支援にもとづいて設立されたことからも窺える︒朝鮮人の 的﹂宗教という自覚のもとで開始された︒そのような真宗大谷派の姿を︑朝鮮側は︑﹁文明﹂という近代性として受け入れた︒これを﹁近代化﹂という側面からとらえれば︑植民地となる朝鮮における日本仏教の﹁近代化﹂への試みは︑日本側においては﹁国家﹂と結びついた近代性を含有したものであり︑朝鮮側においては自身たちを開花に向かわせる﹁文明﹂という近代性として受け入れられるといった重なり合いのうちに行われたものであったという︒この相異なりながらも重なり合う出会いの媒介になったのが︑朝鮮における真宗大谷派という日本仏教であった︵二〇三頁︶︒植民地空間で創出された近代的な﹁慈善﹂は︑支配する側と支配される側の空間において︑帝国主義︑植民地主義という近代的なヘゲモニーと密着した関係を有しつつ︑植民地にふさわしい﹁慈善﹂として概念化されたといえる︵二〇五頁︶︒
第三章では︑浄土宗の朝鮮における布教と社会事業の内容を分析している︒浄土宗における海外布教制度が定められるのは一八九八年であるが︑﹁日韓語学校﹂の設立とともに︑朝鮮人僧侶の布教使養成に重点がおかれていた︒真宗大谷派の初期朝鮮布教が日本人居留民を対象に展開されたことに対し︑浄土宗の場合︑初期段階から朝鮮人を対象とした点を取り上げ︑この時期的相違が真宗大谷派と浄土宗の性格に差異を生じさせたと述べる︒また︑植民地空間における日本仏教という概念形成は︑キリスト教︱植民地︱日本仏教︱他の宗教的なものといった重層的な形で登場するという点を指摘しながら︑こうした状況の中で浄土宗が自己のアイデンティティを形成していったと
において著者も強調している部分であるが︑一国史的な観点を回避して現象をより多角的にみるための方法として評価できる︒本書を読みながら評者が感じたところだと︑日本国内と植民地朝鮮︑日本人と朝鮮人︑日本仏教と朝鮮仏教︑真宗大谷派と浄土宗︑三・一運動の前後など︑様々な面において比較の方法を用いて現象を理解しようとしていることが見て取れる︒また︑宗教の社会事業を︑宗教的理念にもとづく実践と国家政策に促された活動に分けて読み取り︑それぞれの特徴について考察していることは注目に値する︒宗主国である日本の国家政策に影響を受けながら日本仏教が社会事業を実施した植民地空間において︑国家側の方針と宗教者の実践内容︑そしてその活動の対象となる植民地朝鮮の人びとの錯綜する思惑を異なる方向から検討しているからである︒
本書では︑社会事業をめぐる内容が国の政策と真宗大谷派・浄土宗の方針とそれにかかわる重要人物を手がかりに議論が進められる︒相対的に︑日本から植民地朝鮮に渡って活動する布教使個人や彼らと接する朝鮮人の心境が読み取れる資料が足りないようにも思われる︒現地調査を行っていると︑文字に残された資料とそれを実践した人びとの考えが一致しないことも多々ある︒現象の全体像を把握するためには巨視的な視点が必要であるが︑それを参考にしながらそれぞれの個人に関わる資料を読み解くことによって︑日本と韓国が経験した﹁近代﹂をより多面的に理解することができるだろう︒ という名分で︑植民地社会の統合や秩序の維持が解決できる社会教化事業を実現させるための場として︑和光教園が﹁布教の場﹂から﹁社会事業の場﹂に転換していったと指摘している︒植民地という特殊な場で行われた社会事業だからこそ︑植民地的近代性が際立つ社会事業と変貌していったという︒
日本仏教の社会事業は︑教化にもとづく宗教的活動と植民地社会の安定という二つの立場に立って成立したものであり︑植民地における日本仏教の社会事業はこのような二重性の中で推進されたのである︒このように︑著者は真宗大谷派の向上会館と浄土宗の和光教園の事例から︑植民地空間における社会事業が近代以前の慈善とは異なる性格を有するものであるとする︒つまり︑近代国家システムが整っていく過程で日本国内において概念化された日本型社会事業が植民地空間に移植されるとき︑植民地社会にふさわしい形に再概念化されていくことを析出している︒植民地朝鮮におけるこのような日本仏教の社会事業の特徴が︑植民地民側からすると宗主国の国家政策と密接に結びついた意味で暴力性を内包するようにみえるが︑それこそが植民地朝鮮で確認できる日本仏教の社会事業に含まれた近代性︑すなわち﹁植民地的近代性﹂であるという︒
結章では︑各章で考察した内容を全体的にまとめている︒ 三 以上︑本書の内容を概略したが︑特に分析方法において参考になったのは︑植民地朝鮮という空間にあらわれる﹁近代﹂と﹁近代性﹂について多面的に検討しようとする点である︒序章