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パーリ学仏教文化学 (30) - 002山口 周子「悪女マーガンディヤーの物語」

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(1)

[論文]

悪女マーガンディヤーの物語

── Udenavatthu(ウデーナ王物語)とその類話をめぐって──

山 口 周 子

Stories of the Villainess, Māgandiyā:

The Fifth Story in the Udenavatthu and Similar Stories

Yamaguchi, Nariko

Māgandiyāvatthu is the fifth story in the Udenavatthu, which is contained in the Dhammapadāṭṭhakathā (the Commentary on the Dhammapada). This story tells of an “incident” before Māgandiyā, the beautiful daughter of a Brahman named Māgandiya, was married to King Udena. The story has two gāthās (verses), one of which is told by the Buddha, and shows his aversion to women, in his saying that all women’s bodies are filled with excretions. Hearing this verse, Māgandiyā came to have a strong hatred for the Buddha.

By analyzing these two gāthās, I clarified the following: (1) The role of the fifth story in the Udenavatthu

Neither gāthā is contained in the Dhammapa, although the Udenavatthu is a part of the Commentary on it. Why does the fifth story in the Udenavatthu contain such “irrelevant” gāthās? The key to this problem is one of the two gāthās, which was told by the Buddha. Through comparison with some other Pāli texts such as the Suttanipāta and so forth, I identified this as the 835th verse

in the Suttanipāta. Thence, it can be said that the fifth story in the Udenavatthu was originally a commentary on this verse.

This story was probably taken from another text—although it is not yet clear which—as an introduction to the sixth story, which tells of the tragic death of Sāmāvatī, a follower of the Buddha, who was killed by Māgandiyā due to her strong hatred for him.

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(2) Similar stories in Northern Buddhist texts

Among the Northern Buddhist texts, written in old Chinese, Sanskrit, Tibetan, and Mongolian, there are variants of this story. Regarding the two gāthās, the descriptions in each text differ slightly. For example, among the old Chinese texts, such as the Yi Zu Jing (義足経), the Liu Du Ji Jing (六度 集経), and the You Tian Wang Jing (優填王経), there are partially common descriptions. This shows a likely “reuse of texts” when they were translated. The texts of Mūlasarvāstivādavinaya, which have been translated into several languages, also show different translations in each language text.

Furthermore, these similar stories are not necessarily commentaries, because some old Chinese texts report severe comment of the Buddha in prose style, instead of in verse. In Northern Buddhism, Māgandiyā’s story seems to have spread as a simple episode about a young woman who was rejected by the Buddha and became a villainess.

キーワード: ウデーナヴァットゥ,スッタニパータ,仏説義足経,六度集経, 根本説一切有部毘奈耶

1.本稿の目的

  本 稿 は,『 ダ ン マ パ ダ 注 釈 書 』(Dhammapadāṭṭhakathā: 以 下 DhpA と す る)(1)に あ る 第 2 章(Appamādavagga) 第 1 節「 ウ デ ー ナ 王 物 語 」 (Udenavatthu: 以下 Uvt とする)(2)とその類話をめぐる研究の一環として,第 5話「マーガンディヤー物語」(Māgandiyāvatthu)を取り上げる。この物語 は,バラモンであるマーガンディヤの娘,マーガンディヤーが,ウデーナ王 に嫁ぐまでの経緯を伝えるものである。ここでは,この物語をめぐって以下 の2つの点についての考察を試みる。  - Uvt における Uvt 第5話の位置付け    Uvt 第5話には,2つの偈頌が含まれているが,それらはいずれも 『ダンマパダ』(Dhammapada: 以下 Dhp とする)には記載されていな い。Dhp とは無関係である偈頌しかもたない本物語が,なぜ Dhp の 解説話のひとつである Uvt に記されているのか。  -「北伝仏教テキスト」類話をめぐって

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   Uvt 第5話に類似する内容をもつ説話(類話)が,西北インドで作成 されたサンスクリット語による仏教説話集や,漢語,チベット語訳仏 典などにも記載されている。全く異なるそれぞれの言語圏で,どのよ うな形で伝えられ,翻訳されていったのか。  これらの点を考察するにあたり,本稿では Uvt 第5話に見られる2つの偈 頌を着眼点とする。  ついで,本稿で扱う第5話(マーガンディヤー物語)のおよその筋につい て触れておきたい。    コーサンビーに,マーガンディヤというバラモンがいた。彼は,街に 現れたブッダを一目で気に入り,美しいひとり娘マーガンディヤーの嫁 ぎ先にと考える。そして,その娘と妻を同伴し,直接ブッダに会い,娘 を娶るように勧める。しかし,ブッダは「女性は排泄物(糞尿)を湛え た肉体にすぎない」との謂いとともに,彼の申し入れを拒絶した。この 言葉で自身の誇りを傷つけられた娘のマーガンディヤーは,ブッダに深 い恨みを抱くようになる。一方,マーガンディヤ夫妻はブッダの言を聞 いて預流果を得,親戚に娘を託して遊行者となった。その後,マーガン ディヤーは,ウデーナ王に嫁いだ。  さらに,続く第6話で明らかになってゆくことだが,この時のマーガン ディヤーの私怨が,ウデーナ王のもうひとりの妃であるサーマーヴァティー を死に追いやる根本的な原因になる。

 なお,Uvt の冒頭の記述より,Uvt の主旨は Dhp 第2章(Appamādavagga) 第21‒23偈の由来を説くことであることが窺える。換言すれば,これらの偈 頌の由来を伝える第6話が,この物語の根幹といえる(3)

2.先行研究と使用テキストについて

 考察を進めるに先立ち,主な先行研究について触れておく。これらはおお むね,類話という観点から Uvt に関連付けられる。  まず,[平岡2007: 435]には,『ディヴィヤ・アヴァダーナ』(Divyāvadāna)

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第36話の類話として Uvt が挙げられている(4)。さらに,『根本説一切有部毘 奈耶』第47‒48巻,『六度集経』なども類話として併記されている。ただ, Uvt と,これらのテキストとの詳細な比較は示されていない。  また,東トルキスタンで発見された『スッタニパータ』(Suttanipāta: 以下 Snp とする)の断片について述べられた[Hoernle 1916],Snp の和訳である [中村 1984]は,ともに Divyāvadāna 第36話(以下 Divy36とする)を Snp 第4章第9節「マーガンディヤ・スッタ」(Māgandiyasutta)に関連するテキ ストと位置付けている。ただし,この2つの先行研究は Snp を主眼とした ものであり,DhpA に関する指摘は見られない。  次に,本稿の考察で使用するテキストについて述べる。まず,前述の [Hoernle 1916]および[中村 1984]で指摘された Divy36との関係性より, Snp を比較対象に取り入れたい。ただし,[Hoernle 1916]で扱われた東トル キスタン出土の Snp は,本稿で着眼点とする Uvt 第5話の偈頌に相当する と見られる箇所が,写本の欠損によりほとんど確認できないため,文献情 報などは注にあげるにとどめる。その他,本稿で使用する比較対象テキス トは,以下の通りである。なお,パーリ語で表記されたテキストを「南伝」 (「南伝仏教テキスト」の略)とし,サンスクリット語,漢語,チベット語, モンゴル語で表記されたものは「北伝」(「北伝仏教テキスト」の略)に分類 した。[ ]内は,本稿において使用する略号である。また,翻訳者や成立 年代などは,すべて注に記した。 【南伝】  Suttanipāta; Māgandiyasutta [Snp](5)

 Dhammapadāṭṭhakathā; Māgandiyāvatthu(Udenavatthu 第5話) [DhpA-1]  Dhammapadāṭṭhakathā; Māgandiyavatthu / Māradhītarānaṃ vatthu [DhpA-2](6)

 Paramatthajotikā; Māgandiyasuttavaṇṇanā [PJ](7)

【北伝】 〈漢訳〉

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 仏説義足経(8)T198 摩因提女經第九 [義足]  六 ろくどじゅっきょう 度 集 経(9)T152 第四巻(三七) [六度]  法ほ っ く ひ ゆ句譬喩経(10)T211 利養品第三十三 [法譬]  仏説優 う で ん の う 填王経(11)T332 [優填]  根本説一切有部毘奈耶(12)T1442 第47,48巻 [MSV-Ch] 〈サンスクリット語〉

 Divyāvadāna No. 36 Mākandikāvadāna(13) [Divy36]

〈チベット語〉

 ’Dul ba rnam par byed pa (Tbetan version of the Vinayavibhaṅga) 第76‒77章(14)

[MSV-T](9世紀) 〈モンゴル語〉

 Nomuγadqaqui teyin böged ilaγaγči (Mongolian version of the Vinayavibhaṅga) 第76‒77章(15) [MSV-M]  モンゴル語テキストに関しては,上掲のチベット語訳に一致する部分が多 いため,本稿本文中では特に引用はしない。こちらも,着目すべき記述は注 に掲載する。

3.Uvt における Uvt 第5話の位置付け

 前述のとおり,Uvt 第5話──つまり,DhpA-1だが──には,Dhp には 含まれない以下の2つの偈頌が記されている。    (A)バラモンの妻の偈頌(足跡による観相)    (B)ブッダの拒絶の偈頌  偈頌(A)は,バラモンのマーガンディヤの妻が述べたとされるものであ る。物語のあらましでも述べたとおり,マーガンディヤは娘を娶るようブッ ダに申し入れる際,自身の妻と娘を伴っている。彼らがブッダのもとに向か う途中,妻はブッダが地面に残した足跡を目にする。その足跡の「相」を観 た彼女は,すぐさまブッダの人品を悟り,この偈頌でもって「娘を娶るよう な人ではない」と夫に伝えた。

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 一方,偈頌(B)は,マーガンディヤ親子の前でブッダが述べたものであ る。妻の忠告に耳を貸さず,ブッダに娘を娶るよう勧めるマーガンディヤに 対し,ブッダは,自身にはすでに女性に対する欲望はなく,むしろ「汚穢な る存在」として嫌悪感を抱いていることをこの偈頌で告げる。 (A)バラモンの妻の偈頌(足跡による観相)  では,偈頌(A)についてみてみよう。下線および和訳は,本稿筆者によ るものである。

DhpA-1; rattassa hi ukkuṭikaṃ padaṃ bhave / duṭṭhassa hoti sahasānupīḷitaṃ //

mūḷhassa hoti avakaḍḍhitaṃ padaṃ / vivattacchadassa idaṃ īdisaṃ padan // ti(16)

DhpA-2; rattassa hi ukkuṭikaṃ padaṃ bhave / duṭṭhassa hoti sahasānupīḷitaṃ //

mūḷhassa hoti avakaḍḍhitaṃ padaṃ / vivattacchadassa idam īdisaṃ padan // ti(17) 実に,欲に染まった[人]の足はしゃがんだ[時につくような](18) 跡である。怒り[を抱く人]の[足跡は]力任せに踏みにじられてい る。迷妄なる[人]の足跡は引きずられた[様な形状になる]。[煩悩 という]覆いを払いのけた人の足跡は,このようなものである。 Snp; なし

PJ; rattassa hi ukkuṭikaṃ padaṃ bhave / duṭṭhassa hoti anukaḍḍhitaṃ padaṃ //

mūḷhassa hoti sahasānupīḷitaṃ / vivattacchadassa idam īdisaṃ padan // ti(19)

実に,欲に染まった[人]の足はしゃがんだ[時につくような]足跡 である。怒り[を抱く人]の[足跡は]引きずられた[様な形状にな る]。迷妄なる[人]の足跡は力任せに踏みにじられている。[煩悩と いう]覆いを払いのけた人の足跡は,このようなものである。

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 記述の差異はあるものの,偈頌(A)は,DhpA-1,DhpA-2,そして,PJ の3つのテキストに記されている。地面に着いた足跡を観て,いわゆる「三 毒(貪・瞋・痴)を有する人」と「欲を離れた人」とを判別する「観相」が 語られる。人物像とその足跡の特徴の対応,および使用されている表現をま とめると,次のようになる。 DhpA-1 DhpA-2 PJ ratta ukkuṭika ukkuṭika ukkuṭika duṭṭha sahasānupīḷita sahasānupīḷita anukaḍḍhita mūḷha avakaḍḍhita avakaḍḍhita sahasānupīḷita

引用した文章をみても分かることだが,DhpA-1と DhpA-2では,全く同じ 偈頌が記されている。一方,PJ のものは,DhpA のふたつの偈頌に非常によ く似ているものの,いくつかの点で一致していない。まず,DhpA の両テキ ストでは avakaḍḍhita が使用されているのに対し,PJ では anukaḍḍhita が使

われている(20)。さらに,「duṭṭha(怒りを抱く人)」と,「mūḷha(愚かさを抱

く人)」の足跡に関しては,DhpA と PJ では,sahasānupīḷita と avakaḍḍhita/ anukaḍḍhita が入れ替わっていることが分かる。  一方,Snp には,この足跡に関する偈頌は記載されていない。さらに付け 加えれば,Snp は,バラモンであるマーガンディヤとブッダの問答のみが偈 頌の形式で綴られた内容であって,娘マーガンディヤーの輿入れについては 何一つ語られていない。  なお,この「観相法」が,実際に仏教の伝統の中で使用されたものなのか といった点や,背景となる思想,あるいは占術については,まだ確認するに 至っていない。あるいは,インドの民間占術といった側面からも調べてみる 必要があるかもしれない。 (B)ブッダによる拒絶の偈頌  次に,偈頌(B)について見てみる。先にも述べたが,これは「美しい女

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性とはいえ,所詮は排泄物に満ちた袋のようなもので,むしろ嫌悪の対象に しかならない」との旨を伝えるものである。  なお,DhpA-1では,この偈頌を目の前で言われたマーガンディヤーは, それ以来,ブッダを深く恨むようになったことが述べられている。そして, その私怨はやがてウデーナ王のもう一人の妃であり,ブッダの在家信者でも あったサーマーヴァティー妃に対する強い殺意へと変わってゆく。

DhpA-1; disvāna Taṇham Aratiṃ Ragañ ca / nāhosi chando api methunasmiṃ //

kim ev’ idam muttakarīsapuṇṇaṃ / pādāpi naṃ samphusituṃ na icche ’ti // [Norman 1909: 202. 3‒6]

DhpA-2; disvāna Taṇhaṃ Aratiṃ Ragañ ca / nāhosi chando api methunasmiṃ /

kim ev’ idaṃ muttakarīsapuṇṇaṃ / pādāpi naṃ samphusituṃ na icche ’ti // [Norman 1970:199. 1‒4] タンハー,アラティ,そしてラーガー(21)を見て[も],[私には]肉 の交わりにおける愛着などなかった。 一体,この糞尿に満ちた[女性の肉体]が何だというのだろう。その [ようなもの]には,足ですら触れたいと思わない。  これらは,ブッダの生涯を説くテキストではしばしば見られる,「成道前 のブッダのもとに死魔(Māra)の3人娘がやってきて誘惑する」というエ ピソード(22)も引き合いに出し,女性への嫌悪を表現したものと考えられる。 さらに,この偈頌は,Snp の中に第835偈として見出された。

Snp; disvāna Taṇhaṃ Aratiṃ Ragañ(23)ca / nāhosi chando api methunasmiṃ //

kim ev’ idaṃ muttakarīsapuṇṇaṃ / pādāpi naṃ samphusitaṃ na icche //835//  [163.14‒17]

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これに続いてバラモンであるマーガンディヤとの問答が記され,その中で ブッダは「内なる安らぎ(ajjhattasanti)」への重視などを説いてゆく。  一方,PJ では,この Snp 第835偈の解説として次のように記されている。

PJ; Ajapālanigrodhamūle nānārūpāni nimminnitvā abhikāmam āgataṃ

Māradhītaraṃ disvāna Taṇhaṃ Aratiṃ Ragañ ca chandamattam pi me methunasmiṃ nāhosi, kim ev’ idaṃ imissā dārikāya muttakarīsapuṇṇaṃ rūpaṃ disvā bhavissati, sabbadā pādā pi naṃ samphusituṃ na icche, kuto nena saṃvasitun ti. [Smith 1966: 544. 20‒25]

アジャパーラ・ニグローダ樹の根元で,さまざまな姿を現してやってき た情愛あふれる死魔の娘を見ても,飢え渇くような欲望(taṇhā)や欲 求不満(arati),そして燃えるような愛欲(rāga)[といったような]わ ずかな愛着すら,私の肉欲には生じなかった。一体,これなる,[つま り]この娘の糞尿に満ちた姿を目にした[とて]何になろう。いつ何時 であれ,足でもってもそれに触りたくはない。[ましてや,]どうしてそ れと共に住みたい[と思うだろうか]。 [Smith 1966]に従い,偈頌の箇所は斜字体で表記した。補足としての散文 が挿入されているため,偈頌としての全文を一目で確認することは難しい が,やはり上掲の Snp および DhpA-1,2と同様のものであることがわかる。  なお,[Smith 1966]の大文字表記にはそぐわないが,死魔の娘が単数で 記されている(Māradhītaraṃ)と見られるため,‘Taṇhaṃ’,‘Aratiṃ’,‘Rāgañ’ は,ここではすべて一般名詞として解釈した。  以上のとおり,偈頌(B)に関しては,これが Snp の第385偈であること, さらに,DhpA-1,DhpA-2,PJ といった,ここで扱っている3つの注釈テキ ストすべてにおいて見られることが確認できた。  次に,これまで見てきた事柄をふまえ,Uvt における DhpA-1の位置付け

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をめぐる考察に移りたい。ここで注目したいのは,偈頌(B)が,Snp 第 835偈に相当しているという点である。PJ は Snp の注釈書なので,偈頌(B) とそれにまつわる物語として,この「マーガンディヤーの輿入れ騒動」が記 されていても,何ら特異ではない。だが,Dhp の注釈書に含まれる Uvt の中 に,この偈頌とその由来を説く物語が残されているのは,どういう理由があ るのだろうか。  まず,Snp と PJ の関係から考えて,このマーガンディヤーの物語は,本 来,Snp 第385偈を解説する役割を充てられたものであると考えるのが妥当 だろう。要するに,DhpA-1および DhpA-2は,その解説話を「転用」したと いう可能性が考えられる。ただし,引用箇所からも分かるとおり,PJ の記 述がそのまま取り入れられたような形跡はない。つまり,PJ と DhpA にあ る2つの類話に,直接的な関係性はおそらくなく,現時点では推測の域を出 ないが,やはり何らかの「原型」に相当する物語が存在したと考えられる。  ところで,Dhp の解説書の一部である Uvt に,なぜこの Snp 第835偈の解 説話が入っているのだろうか。まず,DhpA-1は,マーガンディヤーがウデー ナ王のもとに嫁ぐまでの経緯を語るものである。また,この物語は Uvt の主 題ともいえる Uvt 第6話──ウデーナ王の妃のひとりであり,ブッダの在家 信者でもあったサーマーヴァティー妃殺害を語る物語──の導入話ともいえ る。つまり,DhpA-1──便宜上,ここでは Uvt 第5話と言い換えてもよい ──は,Uvt の核ともいうべき Uvt 第6話の前に置かれた,いわば第6話の 「前置き」の機能を果たしていると考えられるだろう。したがって,Uvt 第 6話で語られる悲劇を招いた原因を説明しておくという意味で,Uvt 全体に とっては必要な物語であったといえる。  なお,DhpA-2の方は,「ブッダはいかなる誘惑にも揺るがない」というこ とを説いた Dhp 第179,180偈に対する解説話である。そのためか,マーガン ディヤーの最終的な身の振り方は伝えられておらず,ブッダが成道前に3人 の死魔の娘達を退けたエピソードを伝える物語という性格がつよい。

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4.「北伝仏教テキスト」類話をめぐって

 次いで,北伝仏教テキストに伝わる DhpA-1の類話テキストについても, 偈頌(A)および偈頌(B)2つを中心に比較検討する。  提示する順は,漢語,サンスクリット語,チベット語と言語ごとに分類し た上で,成立年の古いものからあげる。 (A)バラモンの妻の偈頌(足跡の観相) 〈漢語〉  DhpA-1の類話をもつ漢語訳テキストは,以下の5つである。なお,「法譬」 は,他のテキストとは異なり,妻子を連れてブッダのもとに赴いたとは記さ れておらず,したがって,「足跡による観相」の偈頌そのものがない。一方, 「義足」は「Snp の漢訳」といわれるが,現存する Snp とは違い,偈頌が説 かれるまでの経緯とともに,偈頌が記されている。 義足; 婬 人 曳 踵 行  恚 者 斂 指 歩    癡 人 足 踝 地  是 迹 天 人 尊 [iv 180a26‒27]   好色な人は踵を引いて歩く。怒りをたたえた人は,[足]指を寄せ合わ せて(24)(?)歩く。愚かな人の足は踝が地[につく(?)](25)。[しかし ながら,]この足跡は,神々と人が尊ぶ方[のもの]。 六度; 婬 者 曳 足 行  多 恚 斂 指 歩     愚 者 足 築 地  斯 跡 天 人 尊 [iii 20a21‒22]   好色な人は,足を引きずって歩く。怒りの多い人は,[足]指を寄せ合 わせて(?)歩く。愚かな人の足は地面を踏み固める。[しかしながら,] このような足跡は,神々と人が尊ぶ方[のものである](26) 法譬;なし(27)

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優填;婬人曳踵行 恚者操指歩 愚者足䤵地 斯跡天人尊 [xii 79c25‒26]   好色な人は,踵を引いて(引き上げて?)歩く。怒り[を抱く]人は指 を操って歩く。愚かな人の足は地[面]でよたついている。[しかしな がら,]このような足跡は,神々と人が尊ぶ方[のものである]。 MSV-Ch; 染欲之人跡不正 急性多瞋踏地堅   愚癡者跡不分明 此是離欲 人行處 [xxiii 886b12‒13]   欲に染まった人の足跡は[形が]歪である(28)。せっかちでよく怒る人 は,地面を堅く踏みしめる。愚かな人の足跡ははっきりしない。[だが] これは,欲を離れた人が歩いた跡である。  これらのテキストにおいても,足跡を観て,「三毒を有する人」と,「欲を 離れた人」とを見分けるという主旨は共通している。ただし,記述そのもの は異なっている。  それでも,「義足」「六度」「優填」の三者で使用されている語彙にはある 程度の一致が見られる。例えば,「三毒」のうち「欲望」と「怒り」に相当 する語として,それぞれ「婬」「恚」の字が充てられている。また,「欲を離 れた人」を表すには「天人尊」と,同一の表現が用いられる。それに対し て,MSV-Ch で使用されている表現は,他のテキストとは一致していない。 さらに,足跡を表現している箇所にも注目して,テキスト間の対応を示す と,以下のようになる。 義足 六度 優填 MSV-Ch 婬 (ratta) 曳踵行 曳足行 曳踵行 跡不正 恚 (duṭṭha) 斂指歩 斂指歩 操指歩 踏地堅 愚 (mūḷha) 足踝(蹋)地 足築地 足䤵地 跡不分明  まず,「義足」「六度」「優填」の3つでは,下線で示したとおり,部分的 に共通するパターンの表現が使用されていることがわかる。いずれも,「歩

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き方」で残る足跡を表現しようとしたものと考えられる。さらに,「欲に染 まった人」については「義足」と「優填」が「曳踵行」,怒りを抱く人につ いては「義足」と「六度」がともに「斂指歩」と,同一の表現を用いてい る。  こういった部分的な共通性の一因としては,原典テキストの近似性もある のかもしれないが,それ以上に,漢訳テキストそのものの相互影響を考える 必要もあるだろう。つまり,訳者の翻訳環境に,訳語の参考になるようなテ キストが存在した場合,それを資料として,いわば再利用した可能性があ るのだ。ここにあげた3つの類似した表現をもつテキストの訳出年代を考 えても,この点は否定できない(29)。特に,「義足」の訳者である支謙と「六 度」を翻訳した康僧会の両者は,ともに呉の初代皇帝である孫権(在位期間 222‒252年)と関わりをもっており(30),生活圏そのものからしても非常に近 かったのではないかと考えられる。  ただし,ここで取り上げたテキスト間で,テキストの「再利用」や「相互 影響」を明確に示すような具体的な証左を見出すことはできていない。した がって,ここでは,あくまでその可能性の高さを示唆しておくにとどめる。  一方,上掲の漢訳テキストの中でも,MSV-Ch は,他のテキストとは明ら かに異なる表現で記されている。翻訳の語彙や表現のみならず,おそらく原 典の段階から,MSV-Ch と本稿でとりあげた他の漢訳テキストの関係性がさ ほど強いものとは考えられない。むしろこちらは,「根本説一切有部の律文 献」という観点から,次にあげるサンスクリット語やチベット語テキストと も関連付けてみる必要がありそうだ。 〈サンスクリット語・チベット語〉  DhpA-1の類話をもつサンスクリット語文献として,Divy36があることは, 先にも述べた。なお,現時点では,根本説一切有部律のサンスクリット語テ キスト(Mūlasarvāsti vādavinaya: 以下 MSV とする)の中に,類話は確認さ れていない。ただ,Divyāvadāna 自体は MSV と関連の深いテキストとされ

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ているため,現存する MSV の欠損部分を考える上での参考資料となりえる。 ここでは,MSV のチベット語訳にあたる MSV-T と,どの程度の対応関係が あるのかについてもみてゆきたい。

 また,先にも述べたが,中央アジア出土のサンスクリット語断片資料に関 しては,注にあげる(31)

Divy36; raktasya puṃsaḥ padam utpāṭaṃ syān nipīḍitaṃ dveṣavataḥ padaṃ ca /

padaṃ hi mūḍhasya visṛṣṭadehaṃ suvītarāgasya padaṃ tv ihedṛśam / …  [517. 18‒21]   欲に染まった人の足跡は,[踵が(?)]上がって[いるような跡にな る]。怒りを抱く人の足跡は踏みにじられよう。愚かな人の足跡は形 (輪郭)が崩れている。しかしながら,すっかり欲を離れた人の足跡は ここにあるようなものになる。 第1パーダにある utpāṭaṃ は,足跡の形状を表現するものとして解釈が難し い。そして,先に見た MSV-Ch の記述も,あまり参考にはできない。そこ で,本稿ではテキストにある utpāṭaṃ に基づいてさらに意味を補い,上記の ような解釈を提案しておく(32)。なお,[平岡 2007]は,この偈頌の解釈を, 次に示すチベット語訳に依っている(33)

MSV-T; skyes bu chags pa’i rjes ni gsal mi ’gyur / zhe sdang ldan pa’i rjes ni zab

pa yin /

rmongs par gyur pa’i rjes ni nogs par ’gyur / shin tu chags bral rjes ni ’di ’dra ste / … [P: Te 159b7‒8 D: Nya 171b2‒3]   欲望[ある]人の足跡は,鮮明にはならない。怒りを抱く人の足跡は,

[地表に]深く[残される]。愚かな人の足跡は,擦られた(34)[ように曖

昧に]なる。完全に欲望から離れた[人の]足跡は,このような[形] なので,…

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 偈頌の全体的な内容という点では,Divy36と一致しているが,表現その ものの一致はあまり高くはない。特に第1パーダの utpāṭaṃ (Divy36) と gsal mi ’gyur(MSV-T)は対応しておらず,さらに,「不正」とする MSV-Ch も 明確な解釈の指針を与えるものとはいえない。ちなみに,モンゴル語訳テキ ストである MSV-M にも,この偈頌については問題点が見られる(35)  もっとも,少なくとも Divy36は,説話集であって,MSV のテキストその ものではない。そういった点から考えれば,MSV の代替テキストと位置づ けるのは多少の無理があるのかもしれず,このような不一致は却って認めら れてもよいのかもしれない。  いずれにせよ,ここにあげた「北伝仏教テキスト」すべてに共通するの は,「『三毒を抱く人』と『離欲した人』を足跡の形状から見極める偈頌」と いう点である。一方で,使用されている表現は,程度の寡多はあるものの, すべて異なっており,各テキストの直接的な関わりについてはさらなる検討 が必要といえよう。 (B)ブッダの拒絶の偈頌 〈漢語〉  ブッダが「汚物の詰まった袋」との喩えをもって女性を拒絶する偈頌をも つのは「義足」と MSV-Ch の2つで,その他のテキストは内容的には共通 がみられるものの,散文で記されていた。 義足; 我本見邪三女 尚不欲著邪婬    今奈何抱屎尿 以足觸尚不可  [iv 180b5‒6]    私ははじめ,邪なる3人の娘を見たが,やはり邪淫に執着したくはな かった。今さら糞尿[のつまった肉体]を抱いて,どうしようという のだ。足ですら触るべきではない。

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六度; 偈文なし(世尊告曰。第六魔天。獻吾三女。變爲兔鬼。今爾屎嚢。又 來何爲。[iii 20a24‒25]) 法譬; 偈 文 な し( 卿 自 譽 女 端 正 姝 譬 如 畫 瓶 中 盛 屎 尿 有 何 奇 特。 [iv 603c21]) 優填; 偈文なし(昔者吾在貝多樹下。第六魔天王莊飾三女。顏容華色天中無 比非徒此論。欲以壞吾道意。我爲説身中穢惡。即皆化成老母形壞不復 慚愧而去。今是屎嚢欲何所戀急將還去。吾不取也。 [xii 71a15‒19]) MSV-Ch; 魔王奉三女 端正世無雙   瓔珞盛莊嚴 我不生欲意 況此卑賤身 不淨遍充滿   令我足指近 亦無如是事 [xxiii 886c8‒11]   魔王は3人の娘を[私に]捧げてきた。[彼女らは]整った容姿で,世 に比べるものがない[ほど美しく,]瓔珞できらびやかに[身を]飾っ ていたが,私には[彼女たちを]欲する気持ちは生じなかった。まして や,この卑しい身体には,不浄が隅々まで満ちている。私の足指をもっ て近づけよう[とも],またそのようなことはない。 「義足」と MSV-Ch の両テキストに確認された偈頌はいずれも,ブッダがか つて,魔王の3人の娘の誘惑を退けたことと,すでに女性への欲望を持ち合 わせていないことを語る内容になっている。ただし,記述そのものはやは り,MSV-Ch よりも「義足」の方が Snp 第385偈に近いことが確認できる。  一方,「六度」,「法譬」,「優填」は,上掲の偈頌と内容的に類似する事柄 を散文で記述している。その散文部分の内容をまとめると,以下の3つに要 約することができる。これらのうち(2)の項目は,偈頌では語られていな い内容である。   (1) 死魔は,ブッダの成道を妨げるべく,3人の娘を遣わした。   (2) ブッダは,彼女たちを醜い老婆に変えてその誘惑を退けた。   (3) 美しい女性であってもその肉体は汚物(糞尿)に満ちており,もは

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や女性への欲望は感じない。  ところで,「六度」,「法譬」,「優填」はいずれも,Snp を除く,前掲の南 伝テキストよりも古くに成立している。このようなテキストの中で,Snp 第 385偈にあたる偈頌が伝わっていない点は,注目に値する。なぜなら,この ことは,漢訳仏典の中では,「DhpA-1およびその類話は Snp 第385偈を解 き明かすもの」とは断言できない状況を示すからだ。一方,「義足」では, Snp との関係性は保たれている。つまり,漢訳仏典においては,Snp 第385 偈は偈頌としても伝えられてはいるが,散文形式の「物語」に形を変えて伝 播した側面もあるといえよう。  なお,「法譬」の散文は(2)を含んではおらず,その点では偈文テキス トとより近いといえる。ただ,「法譬」は偈頌(A)も含まないところから, テキスト自体の関連性という観点では,本稿であげたいずれの漢訳テキスト からも遠いものと考えられる。 〈サンスクリット語・チベット語〉  このブッダの「女性観」に関する偈頌も,Divy36と MSV-T の双方に見ら れる。ただし,こちらでも両者の記述が「原典と翻訳」というレベルでの高 い一致を示しているとは考えにくい。

Divy36; dṛṣṭā mayā Mārasutā hi vipra tṛṣṇā na me nāpi tathā ratiś ca /

chando na me kāmaguṇeṣu kaścit tasmād imāṃ mūtrapurīṣapūrṇām // praṣṭuṃ(36)hi yattām api notsaheyam [519. 14‒18](下線部は本稿筆

者)   バラモンよ,実に,私は死魔の娘を見た。[しかし,]私には[彼女に対 する]飢え渇くような欲望はなかった。[さらに彼女を目にした]喜び も,また。諸々の情欲[の対象]の中で,私が愛着を抱くものなど何一 つない。それゆえ,この糞尿に満ちた[肉体をもつ女性]には,[娶る よう準備が]整えられたとて,触れることはできない。

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 Divy36の記述には,死魔の娘の人数に関する言及はなく,また,文脈上, tṛṣṇā および ratī を,固有名詞とみなすのは難しい(37)。したがって,ここは 「欲望」や「歓び」を表す一般名詞として解釈しておきたい。  ところで,筆者が波線を引いた,最終パーダにある yattāṃ は,今後も検 討が必要かと思われる。この語については,先行研究でもすでに「対案」と もいうべき語が提示されるなど,テキスト原文の記述をめぐっていくつかの 見解が示されている(38)。ただし,本稿ではひとまず校訂テキストに記され た読みにしたがって解釈を試みた。  一方,以下に示す MSV-T だが,前掲の偈頌(A)の場合と同様,Divy と は完全な一致を示さない。

MSV-T; bram ze nga yis bdud kyi bu mo ni / sred ma dga’ byed de bzhin dga’ mo

dag /

pham byas ’dod pa dag la lan ’ga’ yang / nga yis ’dun pa’i sems bkyes [P: skyed] ma gyur pas /

bshang dang ci [P: gci] bas gang ba ’di la ni / rkang bar reg par spro ba ’ang mi skyed do // [P: Te 160b5‒6 D: Nya 172b2]   バラモンよ,私は悪魔の娘[である]トリシュナー,ラティ,おなじく プリーティー(39)を打ち負かした。諸々の欲望の対象に,いつ何時たり とも私が愛着の心を起こすことはなかったのだから,この糞便と尿に よって満たされた[肉体]には,足で触れたいとも思わない。  こちらは,第1,2パーダが,成道前のブッダと死魔の3人娘との遭遇を 語っているとの解釈ができそうだ。もっとも,チベット語の韻文は音節の 制約もあるため,何らかの省略が起こっている可能性も否定できない。例 えば,第1パーダの nga yis を受ける動詞──もし Divy との対応を考えるの

であれば,mthong nas などが想定し得る(40)──が省かれているのであれば,

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きる。ただし,それでも第3パーダに示されている pham byas(打ち負かし た)に相当する語が,Divy には記されていない。  参考としてモンゴル語訳にあたる MSV-M も見てみたが,やはり MSV-T に一致しない箇所がいくつかあり(41),ここで取り上げている問題を解決す る有力な論拠と位置付けることは難しい。  以上のとおり,偈頌(B)についても,全体的な共通要素は「女性を『汚 物の詰まった袋』に喩えて嫌悪を示す」という点にとどまる。さらに,漢語 訳テキストの間には,死魔の3人の娘を退けたエピソードが述べられるとい う共通点が確認できる。ただし,使用されている表現や偈頌そのものの分量 が異なるなど,テキスト間の密接な関係性は見出し難い。  一方,MSV の系統をもつサンスクリット語とチベット語のテキスト間で も,完全な一致は見出せなかった。また,MSV-Ch も,この問題を解決する ような要素はもっていない。  先に見た偈頌(A)も含め,ここにあげた MSV 系統のテキストはすべて, 内容的な一致は認められても,使用されている記述そのものには一致しない 点が少なからずある。こういった現象が生じる原因としては,誤訳,翻訳者 の恣意的な操作,あるいは,原典テキストが異なるといった点が考え得るだ ろう。MSV の翻訳状況という観点からも,改めて問い直す必要があるので はないだろうか。

5.まとめ

 以上のとおり,北伝仏教テキストにある類話も含め,DhpA-1にある2つ の偈頌をめぐって比較考察を試みた。  まず,Uvt における DhpA-1の位置付けだが,DhpA-1自体は,本来は Dhp とさほど関係の深い物語ではなかったと思われる。おそらくは,Snp 第385 偈の由来を説く物語に基づくもので,何らかのテキストから取り込まれた可 能性が高い。その目的は,Uvt の主題ともいうべき Uvt 第6話で語られる,

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マーガンディヤーによるサーマーヴァティー殺害の根本的な原因を示すこと と考えられる。つまり,Uvt における DhpA-1(Uvt 第5話)は,Uvt 第6話 の「導入話」としての位置付けを与えられているといえるだろう。  一方,北伝仏教テキストでは,南伝と比べてはるかに多様性を伴って, DhpA-1の類話が伝わっている。まず,漢訳仏典では,偈頌の表現に近似性 をもたせつつも,全く同じ形では記されていない。さらに,偈頌(B)につ いては,類似する内容が散文で伝えられているテキストがみられるなど,か ならずしも Snp 第385偈との関連性が保たれているわけではない。換言すれ ば,北伝仏教圏では偈頌よりも物語のほうが主となって伝播したことが窺え る。  一方,偈頌(A)が,「法譬」をのぞくすべてのテキストで確認された点 は,興味深い。この偈頌については,由来なども未だ不明であり,今後の課 題のひとつとしたい。  また,MSV-Ch と Divy,MSV-T などの MSV 系統のテキストでは,翻訳 段階での問題もみられた。これらのテキストには,「原文と訳文」という関 係が期待され,そういった点でのテキスト間の一致が望まれるのだが,偈頌 (A)偈頌(B)ともに,語彙や表現において少なからず齟齬が確認された。 MSV の翻訳状況という観点からも,改めて検討される必要があるように思 われる。 注 ⑴ Buddhaghosa(5世紀)により,シンハラ語(Tambapaṇṇīdīpabhāsā)よりパーリ 語に翻訳された[Churn Law 2000: 449],[Norman 1906: 1]。

⑵ [Norman 1909: 199‒203]。この物語は,ウデーナ王本人,もしくは妻や義父と いった,ウデーナ王の周囲の人物に関する,6つの物語で構成されている。 ⑶ Uvt 冒頭では,Dhp 第21偈を引用し(‘Appamādo amatapadan’ ti …),サーマー

ヴァティーとその侍女らが命を落とす話であることが述べられている[Norman 1909: 161]。

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⑷ Uvt 全体ではなく,第5話とそれに続く第6話が類話と位置付けられているとい える。 ⑸ Snp は最古層の仏典のひとつであり,アショーカ王(約 BCE 268‒232)以前には 成立していた[中村1984: 435]。なお,Māgandiyasutta には娘に関する言及はなく, バラモン Māgandiya に対して,ブッダが女性への忌避を語る偈頌で始まり,両者の 問答で終始する。 ⑹ DhpA 第14章第1節[Norman 1970: 193‒199]。Dhp 第179,180偈の解説話である。 この中では,釈尊に拒絶された後のマーガンディヤーについては言及されない。 ⑺ DhpA と同じく,Buddhaghosa(5世紀)によって記された,Snp の注釈書[Churn

Law 2000: 466]。[中村 1984]では,[Hoernle 1916]で紹介されている東トルキス タンの断片とともに,Māgandiyasutta との関係性が指摘されている。 ⑻ Snp の「義品」(Aṭṭhakavagga)の漢訳テキストに相当し,全16巻からなる。た だし,内容の構成や相違から,Snp そのものとは伝承を異にするとみられている [鎌田 1998: 56]。翻訳者の支謙(3世紀)は,月氏出身の優婆塞で,呉の初代皇帝 である孫権にその学才を見込まれ,「博士」に任ぜられた[慧皎 2009: 64‒65]。 ⑼ 六波羅蜜を構成する6つの徳目を示すための物語を集めた経典。第1‒3巻に布施, 以下,持戒・忍辱・精進・禅定・智慧に,それぞれ1巻ずつ当てられている[鎌 田 1998: 39‒40]。訳者は,康僧会(3世紀)である。彼は赤烏10(247)年に呉に 入り,孫権および孫皓に仏教を伝え,教化活動に力を入れた。孫権は康僧会の顕し た霊験に感嘆して仏教信徒となり,建䌋に江南の地で初の寺院(建初寺)を建立 した。康僧会は,そこで『六度集経』等の様々な経典を訳したという[慧皎 2009: 67‒78],[船山 2013: 26]。 ⑽ 訳者は,法立と法炬(法巨とも)である。両者の活躍年代は,西晋第2代皇帝で ある恵帝年間(290‒306年)の末ごろから永嘉年間(307‒313年)とみられる[慧 皎 2009: 84]。 ⑾ Uvt 第5話と第6話に共通する内容を含むが,この経典の骨子は「男子の淫欲に 対する戒め」といえる[鎌田 1998: 92]。翻訳者は,上掲の法炬である。 ⑿ 訳者は義浄(635‒713年),訳出は8世紀になされた[平川 1999]。 ⒀ 主として『根本説一切有部律』に基づいて編纂された38話からなる説話集。10 世紀前後に西北インドで成立したと推定できる[平岡 2007: ii‒iii]。

⒁ 翻訳者は Sarvajñādeva,Vidyākaraprabha,Dharmākara,dPal gyis lhun po。成立年 代は9世紀とみられる[平川1999: 72‒78]。

⒂ 康熙帝(在位 1661‒1722)の命により1718‒1720年間に作成された木版版モンゴ ル語カンギュルに収められ,Samdan sennge(生没年不詳)の訳と伝えられる。な お,この木版テキストの「原本」は,リクデン・ハーン(在位期間 1603‒1634年)

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の意思により翻訳されたテキスト(1628‒1629年間成立)とされる。ただし,わず か2年間でカンギュルのすべてを翻訳するのはかなり困難と考えられるため,さら に旧い「原本」が存在するのではないかとみられる[Heissig 1964: 138‒142],[ハ イシッヒ 2000: 156‒162]。 ⒃ [Norman 1909: 201. 5‒8] ⒄ [Norman 1970: 195. 1‒4]

⒅ ukkuṭika について,DhpA-1および DhpA-2の英訳は一致しない[Burlingame 1921: 276],[Burlingame 1921: 32]。一方,[Turner 2008: 79]には utkuṭaka の見出語で ‘to sitting on the hams’,つまり,足の裏を地面につけ,臀部を地面につけないでしゃが み込む姿勢であることが示され,PTS では ‘a special manner of squatting’ とされる。 これに基づき,本稿では「そういった姿勢によって残る足跡」と解釈する。なお, この語については,大阪大学(世界言語研究センター)の北田信先生より貴重なご 示唆をいただいた。この場をお借りして深謝申し上げたい。無論,本稿訳文の文責 は筆者にある。 ⒆ [Smith 1966: 544. 1‒4] ⒇ これらの語はそれぞれ,kaḍḍhati(「引く」)の過去分詞に異なる接頭辞が付いた ものだが,足跡の形を表すものとして,特に異義があるとは考えにくい。 死魔(Māra)の3人の娘(Taṇhā, Aratī, Rāgā)をさすと解釈できるため,ここで は固有名詞とみなす。[Norman 1909: 276]も参照されたい。 [森・本澤・岩井 2000: 93‒95] 韻律(Indravajra)の都合上,Rāgañ を Ragañ と表記したものと考えられる。 原文は「斂」。足指の間を狭めて,地面に強く押し付けながら歩く様を表したも のか。 大正蔵中にあげられる異読「蹋(つまずく,すべる)」を採用すれば,「愚かな人 の足は,地でつまずく(すべる)」とも解釈できるだろう。 [常盤・他 1974: 197]は,「婬なる者は足を曳いて行く。恚多くして指を斂(お さ)めて歩む。愚なる者は足地を築く。斯の跡は天人の尊なり」とする。 娘を娶らせようとするくだりも散文で述べられる。妻子を同行させたとの内容は なく,バラモンが釈尊の噂をききつけ,すぐに出向き,娘を娶るよう勧める様子が 描かれる。 原文は「不正(まっすぐでない)」。[西山 1989: 272]は「正しくない」とする。 六朝時代末までの仏典翻訳作業場では,経典の公開講義や意見交換も行われてい た。詳しくは,[船山2013: 55‒56]を参照されたい。 注8および9を参照されたい。 [Hoernle 1916]によって報告されている,コータン付近に位置する遺跡カーダ

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リクより出土した,Snp サンスクリット語テキスト断片。Snp の Māgandiyasutta に 相当する偈文に,散文で記された物語が挿入されており,これが,Divy 36に相 当 し て い る。 こ の 断 片 は Stein Collection 中 に,Manuscript remains recovered from Khādalik: Sanskrit Texts and Fragments Kha. 0012.b. として分類される。Upright Gupta で記されているため,4世紀を上限とするテキストといえよう。 utpāṭa を,ここでは「踵を引き揚げて歩くことでついた足跡を示す語」とみなす。 [平岡 2007: 517]は,MSV-T を参考に,「好色な人の足あとは[輪郭が]曖昧で, 瞋ある人の足跡は押し潰され,痴ある人の足跡は薄汚きも,完全に離貪せる人の足 跡は実にかくの如し」と解釈している。 [平岡 2007: 517]は,第3パーダにある nogs pa の箇所を,「薄汚い」と解釈し ているが,本稿では nogs pa を足跡の形状を表すものと考え,[Chandra 1998: 1345] を参考に,サンスクリット語の parāmṛṣṭa(擦られた)等に相応する語とみなした。 MSV-M; törüleketen tačiyangγui-yin mör-i anu geyikü ülü bolumu : urin tegüsügsen mör-i anu gün narin bulai : mongqaγ boluγsan mör-i anu qataγuǰiqui bolumui : masida tačiyangγui-ača qaγačaγsan mör-i anu ene metü buyu :: [Te 224b9‒13]

 (欲深い人の足跡は,鮮明ではない(直訳は,「輝かない」)。怒りをもつ[人の] 足跡は深くて狭い。愚かな[人の]足跡は固まってしまう。完全に欲を離れた[人 の]足跡は,このようになる。)下線部が MSV-T とは異なっている。

[Edgerton 1993: 612]には spraṣṭavya には praṣṭavya の異形も認められることが記 載されている。これを参考に,本稿では praṣṭuṃ を spraṣṭuṃ に同じと見なす。 [平岡 2007: 520]も,tṛṣṇā,ratiś をそれぞれ「渇愛」「喜び」と解釈している。 [平岡 2007: 438(注49)]は,MSV-T の記述を参考に,praṣṭuṃ を spraṣṭuṃ に, yattām を padbhyām として解釈している。[Speyer 1902: 359]は,praṣṭuṃ を同じく spraṣṭuṃ に,yattām を dattām と訂正すべきであると述べる。

[Chandra 1998: 1203]は,死魔の娘として,sred ma,dga’ byed ma,dga’ spyod ma をあげる。

[Chandra 1998: 1072]

MSV-M; biraman-a minu simnu-yin okin kemebesü quričal-dur qurusuγči tegünčilen bayasuγči em-e : ilaγdaγči tačiyangγui-tan-dur olan-ta-bar minu bisirel-iyer sedkil egüsgegsen busu bügesü : burtaγ-iyar dügürügsen ene kemebesü köl-iyer kürgekü-yi durasiyaqui ber ülü egüsgeyü : [Te 235b25‒30]

(バラモンよ,私の[見た(?)]死魔の娘は,情欲に苛立つ者,同様に,喜ばし き女[に]勝利者[たる私]は,欲望ある[彼女ら(?)]に対して何時たりとも, 私の信解により,[欲望の]心を起こさなかったし,汚れに満ちたこの[女性の肉 体]というものは,足で触れたいとも思わない。)各下線部が MSV-T に一致しな

(24)

い。

略号

D=デルゲ版西蔵大蔵経   P=北京版西蔵大蔵経 T=大正新修大蔵経,東京:大蔵出版

参考文献

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参照

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