Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
NII-Electronic Library Service Society for theStudy of Pali and Buddhist Culture
[EmaX]
th
pt.
me
fi
"(stN&
8
at
ig
th>
o
fk
M;ff.l
Kulumbasutta
8
Catuparivatt.asutta
)EerP,LN}L)F]Ic
K
maa
Apocryphal
S2ittas
Not
Listed
in
the
Buddhist
Councils:
Kitlumbasutta,
datupariva.ttasutta
andOther
Source-Materials
in
the
Atthasa'lini
Hayashi,
'fakatsuguThe
formation
of theTipitaka
in
Theravada
history
has
been
an object ofstudy since
the
beginning
of rnodern studies, andthe
notion ofthe
"Canon"fbr
afixed
list
ofP51i
scriptures alsohas
been
reconsideredfbr
thelast
severaldecades.
However,
studies of the canonization ofthe
Pali
scriptureshave
mainly
fbcused
onthe
extant setofthe
Tipitaka,
including
comparisens withthe canonical collections
in
otherBuddhist
schools, while "apocryphal" wotksin
contrast to "canon",which were to
be
excludedfrorn
a closed canon,have
been
fbr
some reason neglected, exceptfbr
considerablylater
works.The
SZimantapjZsddiha
classifiesBuddhist
texts regardingthe
expesitionof cthammas, and
here
is
alist
of works outside ofthe
Canon,
namely,"those
which were not
listed
in
the
three councils": theKtilumbasutta,
the
Rby'ovjdosutta,
the77kkhindrlya,
theCZituparivaLta,
theAJandbpanando
aswell as the
Apaldladomana,
of whichthe
last
oneis
not counted accordingto
aSthala-a.t.thaimthdi
(MZihopaccarD.
Those
suttas are notfound
in
the
present
Canon
and seem tohave
been
lost
in
the
Theravfida
tradition.[Adikaram
1946:
98]
mentionedthem
in
the
contextof "other
compilations, which were not recited at
the
three councils,but
seemto
have
been
acceptedby
the
Theravadins".
While
[ven
HinUber
199611997:
sec.4371
noted thatnothingis
known
about theircontents, some ofthem
areSociety for the Study of Pali and Buddhist Culture
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22
パ ーリ学 仏 教 文 化 学quoted
in
the
P
轟li
commentaries .This
paper
investigates
theA
伽 鰤 (As
)which contains
passages
f
セom theKulambasutta
, 肋 m
the
Catapar
’vo ,’asu ”a along with theJndriyagocarasutta
andfrom
an anonymous no 皿一canonical sutta, cont ]ributing
to
the
discussion
onthe
nature andthe
date
ofthe apocryphal textsin
Therav
亘da
Buddhism
.Same
passage
丘ornthe
Kulum
ろo−sis
citedin
severalP
窃li
commentaries,
and
it
appearsin
theAs
in
thediscussion
丘om theMahdi
一α勲σんα’層 as oneof the
leading
Sihala
一α勧α艙’肋 s.Comparison
with theChinese
Agamas
reveals that this sutta
has
phrases
typical to thePali
2W
版γαs. The terminologyand
the
method of analysisfound
in
thequotation
from
thcC
α御ραr’v曜α一sand the
Indriyagocara
−s, 飴 ally evaluated aspariya
’
yadesanj
, showthe
characteristic exclusive
to
the
later
P
匪li
/4bhidl
〜a〃1〃la, especiallythe
P
α’ψδηα.An
anonymous sutta which was ‘‘notlisted
in
the
Council
”is
cited to supportthe
interpretation
of 磁 α.Moreover
, thefirst
ofthe
fbllowing
three
versesapparently related to this sutta
is
also not canonica1 .The
third
unfamiliarverse accompanied
by
the second canonical verse (Sn
654
)preexists
in
the
Kathth
,atthu wherethe
opponentquotes
and theTherav
袞dins
agree to them as「
suttantas and as what was said
by
the
Buddha
.キーワ ー ド
パ ーリ註釈文献,ブッ ダゴーサ,正典 ・外 典, 仏語, ア ッ タ サ ー リニ ー
初 期 仏教の聖典 成 立
史
や資料状
況を解
明す る こ とは, これ まで 長い 間パ ー リ仏 教学
にお ける主 要 課題 の ひ とつ で あ り, その た め にパ ー リ仏典
を中
心軸
に据
えて諸部派
の 阿含
や律 との 比 較, あるい は古代
イ ン ドの他
の宗教文献
と の比較
を通じ た共 通 要 素の抽 出 など を基 本 手 法 と して膨大 な 研究が蓄積 され て き た。 ま た その 一 方で , 唯 一 フ ル セ ッ トで 現 存す るパ ー リ三蔵
に つ い て は, ア シ ョ ーカ王 以前に遡 る と思 わ れ る文 書を一部 含み なが ら も , あ くまで部派仏教
の 一派
が伝
承し整 備 した文献体系
で ある とい う事 実を重 視 し て, 従来
とは異な る視 点か らテ ク ス トの 概 念や形 成 過 程 を再検
討す る試み も行な わ れ て い る(
[
Lamotte
1988
]
,[
Collins
l
990 ]
,[
Nomlan
l
99712006
]
,[
馬 場2008 コ
な ど)
。 上座 部 大 寺 派が 「ブ ッ ダの 言 葉(
Buddhavacana )
」 とみ な したパ ー リ三蔵
N工 工一Eleotronio LibrarySociety for the Study of Pali and Buddhist Culture
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仏 典 結 集で収 載さ れなか っ た経 典
23
は,釈 尊入滅 後 数 回にわ たっ て 開催さ れ た仏 典結 集 会 議を基 礎に して , その 後もお そ ら く教 団に よ る編纂
過 程で増 広 と体 系化が継 続 的に重ね られ, 次 第 に現 行の か た ちに ま と め られて い っ た もの で あ る。 しか し, 註釈 期に 三蔵の 文 書 的枠 組み を最 終 確 定 した あ と は, 新た に制 作さ れた文書 を その なか に混 入 させず, 改変
の ない 忠実な伝 承を維 持 し て き た こ とが 上座 部の 聖典を特微 づ けて い る とい え よ う。こ の よ うな位 置づ け と成立背 景を もっ たパ ー リ 三 蔵につ い て, 欧米で は,
4
世 紀 末に キ リス ト教v 一マ ・カ トリッ ク が諸 派の 文書を審 議 し認定 した新 約 聖書
の27
文 書 に対 して 用 い る概 念で あ る 「正 典(
canon , 規範 )
」 と同様 に, “P51i
Canon
” や ‘‘TheravEda
Canon
”, “ canonical
literatUre
” とい っ た呼称が 与え られて き た。 し か し, パ ー リ 三 蔵を 「上座 部 大 寺 派が規 定 した 正典 」 と して と ら え, その 正 典 化(
canonization)
の 過 程を検 討す ると き, そ の 一方 で , 文書 範 囲の 閉鎖 に伴 う 「排 除 」 の 聞題は これ まで ほ とん ど考 慮されて こ なか っ た。人々 の 間で 正 典 文書 と同 じ ように流 布 し伝 承さ れて , そ れ ら と類 似 した形 式を も ち な が ら も, 何 らかの 理 由で採 用か ら漏れた文 献は正 典の 外 部に お か れ, そ れ が
異端
の書
とみ な さ れ れば厳 しく斥
け られ る。 新約 聖書
正 典か らみ た そ れ らは 「外 典 (apocryphal works ) 」 と呼ば れ る(1)。 「正 統 ・異 端 」 の 対 立項
と重なる 「正典
・外
典」 とい う キ リス ト教の 図式は, その ま ま仏 教に は あて は ま ら ない もの の , 正典
とは,除外
さ れ るべ き外部
文書
を前提
とし, 対 立 する外 典の存 在を 想定さ せ る概 念で ある こ とは 注 意 して お くべ きで あ る 。で は, 上座
部仏
教 に おい て正典ニ カーヤ 以外
に パ ー リ経
典 と 同等の 文 学形 式を もつ 文書
は存 在 した の か 。確
か に, キ ャ ン デ ィ 時代(
16
世 紀以降)
に成
立 し た と考
え られ るT
叫dilo
幅dasutta
や, お そ ら くタ イか カ ン ボ ジ ア で 制作
さ れ たNibbanasutta
,14
世 紀 の タ イ僧の 作 とみ ら れ るM
…iravattErasutta
の よ うに,後 代
の上座部教
団で はパ ー リ語経 典
を制 作
して い た事実
が ある 。 これ らはい ずれ も 「経(
sutta)
」 を名乗 り, “ evam me sutam ” か ら始 まる由緒 正しい経典
の 形 式を有
す る。 また,Pafifiasajataka
や東南
ア ジア に残されて い N工 工一Eleotronlo LlbrarySociety for the Study of Pali and Buddhist Culture
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24
パ ーリ学 仏 教 文化 学 る単
独の ジ ャ ー タカ作
品(
Si
吻ay寧 taka な ど)
に つ い て も, 「ジ ャ ー タカ 」 とい う ブ ッ ダの 前生物 語 (集 )を指す 正 式名 称が使 用さ れ る事例が あ る。 こ れ ら は経 典の 継続 的創 作を最 大の特 質 とす る初 期 大 乗 仏 教の 運 動 と比べ る と時代 も地 域 も分 量 も限 定 的で 異例 な事 態 とい え るが, 一般 に伝 統 堅 持の 保 守 的側面が強 調されが ち な 上座 部に おい て も経典の 創 出が行わ れ た こ とを 示 して い る点で は興味深
い 。 こ う したパ ー リ語経典
は上座部
の外典文書
という意 味で “apocryphal texts”, “apocryphal
Jataka
”な ど と名づ け られ(
Hallisey
は誤 解を生 む apocryphal の 語を避けて “
allegedly non −canonical sutta” と呼ぶ)
研 究 基 盤
i
も整い つ つ ある 。 し か し, 「外典 」 を正 典 化の過 程で 現れ る概
念 と とらえるな ら, は る か後 代 に創 作され た経 典ではな く, 正 典の範
囲が まだ流
動 的な時期, あ るい は閉じ る段 階で 存 在 して い たテクス トの状
況 に 目 を向け る必 要が あ る だ ろ う。こ の ような問題 意 識 を もっ て , 本 稿で は上座
部
大寺派
が認
定 した 「三 回の 仏典 結集で 収 載され なか っ た」 文書の 一覧に注 目 し,三蔵 正典外
の経
典の位
置
づ けにつ い て考察
する。 また, その リス トの う ち,特
にKulumbasutta
とCatupariv
磯 asum とい う失わ れ た経典
が上座部 自身
の文献
に実 際
に現れ る事
実を指摘
しな が ら, これ まで パ ー リ註
釈文献
の 源泉資料研
究に おい て も見過 ご さ れて きた外
典 的文書
の様 相
と制作
時期を検
討す る。1
. 三つ の結集
で収載
され な か
った 教
法
パ ー リ 『
律
蔵』Vinaya
(
Vin)
に は,具
足 戒を受
けて い ない 沙弥
や在俗信者
に対 して 比丘 が教 法(
Dhamma
)
を読 誦
して鞭
す る と きに,弟
子た ち に は句 ご とに(
padaso)
同 じ タ イ ミン グで 唱和 さ せ た り,語や句の途 中か ら 一緒 に唱 えさせ た りして はな らない とい う波 逸提 (
pacittiya
) 第 4 条 (
未
受 具 戒 人 同誦 戒)
の 条 項が あ る (Vin
IV
.14
−15
)(3) 。 こ こ で ,Vin
自身の 条 文 解 釈 に よ れ ば, 「教 法 」 と は 「ブ ッ ダ所 説 (Buddhabhasita
)」, 「声 聞所 説」, 「聖仙 所 説」, 「天 所 説」, お よ び 「意 味を伴 っ た もの(
atthUpasarnhita 一 顛hakathanissita
,Sp
742
)
」, 「真
理(
法)
を伴
っ た もの
(
dhamm
面pasa
岫ita
=Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
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仏典 結 集で収載さ れ な かっ た経典
25
P51inissita
,ibid
.)
」 の6
種
を指
す。 ブッ ダゴ ー サ作
と伝
え られ る5
世 紀の註 釈書
SamantaPZsEdikE
(Sp
)で は, これ らの分類
につ い て逐一 具体
的に経典
を あて は め て解 説 したあとで, 次の よ うな説 明 を与 えて い る。
Sp
IV
.742
:tisso
safigitiyo arulhadhammalpyeva
padaso
v翫centassa apatti_tisso
safigitiyo anara !he
pi
Kulumbasuttarp
Rfijovfidasuttarp
Tikkhindriyarp
Catuparivattarp
Nandopanandan
tiidise
apatti
yeva
,Apalfiladamanan
pi
vuttam ,Mah
巨paccariya
卑pana
patisiddh
躑 ,三 っ の
結 集
で収 載
さ れ た教 法こ そ を句
ご とに 唱 え させ る者
に は犯 戒が あ る。 …三 つ の 結 集 で 収 載 されな か っ た
Kulumbasutta
(
子 孫 経)
,RajovEdasutta
(諌王経)
,Tikkhindriya
(
鋭根)
,Catupariv
鴫a(
四章)
,Nandopananda
(
ナ ン ドーパ ナ ン ダ[
竜の 調 伏]
)
とい う こ の よ う なもの で す ら も
[
句 ご とに 唱え させ る者
に は]
まさ し く犯 戒
が ある。Apa1
五1adamana
(
アパ ラー ラ[
竜]
の 調 伏)
も言わ れて い るが, し か しMah
再pacc
頒 で は否定
さ れてい る。(
漢訳 『善 見 律 毘婆
沙 』Tl462
,779b
−c に は こ の 箇所 の訳 出な し)
こ の な か で,
「三 つ の 結 集 で 収 載 さ れ た 教 法 (
tisso
sathgitiyoarulha
−dhammarp )
」 が指すの は, 言 う まで も な く パ ー リ 三蔵で ある(4〕 。 歴史
的事実
は さてお き, 上座 部 大 寺 派に とっ て パ ー リ 三 蔵の 正統 性 を保 証 す るの は,結 集会議
に お い て そ れ らが 「ブッ ダの言葉
」 と して提
起さ れ承認
を受けて 収 載 され た とい う認 識 こ そに ある とい え よ う。そ れに 対 して, 「三 つ の 結 集で 収 載さ れ なか っ た もの 」 と して 経 題が示 さ れ た
Ku1umbasutta
を姶
め と す る5 書
, お よ びApalaladamana (
古 註 釈Mah
互pacc
頷 は認 めな い)
は ど れ も 現行三 蔵に 見 られ な い 正 典 外 文 書で ある。 さ らに, そのす ぐ後で
Dhammasenapati
(Sariputta
)作のS
茄padesa
, お よび
Maggakath
互,Arammapakath5
,Buddhikaradapdaka
,N
加avatthu ,Asubhakath5
とい っ た文 書 も見 られ る
(
Sp
IV
,743
)
が , その う ちMaggakatha
以下の5
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26
パーリ学 仏 教 文化 学書は,
『相 応 部 註
』
Saratthappak5sini
(Spk
ll
.201
)に 言 及 さ れ る 「三 つ の 結集 に
収 載
さ れ な か っ た5
つ のkatha
−vatthu(
−Dh5tUkatha
,
Arammapakatha
,Asubhakatha
,Napavatthukatha
,Vijjakadambaka)
」 とほ と ん ど対 応す るこ とから, こ れ らの
書
もKulumbasutta
な ど と同 じ正 典外 文書
リス トに加 え るこ とがで きるだ ろう(5)。 現に ブッダゴ ー サに
帰
せ られるパーテ ィ モ ッ カの
註釈書
K
kh
巨vitara阜1 (Kaiikh
)は 「Maggakatha
な ど」 も 三結 集 不 収 載 経 典の リス トに加えて い る。
Kahkh
84
:padaso
dhamma
那 v〃cの頻ti
sa血gi
耐ttaya
甲 an亘r與ham
pi
R
江jov
甜 a−Tikkbindriya
−C
飢uparivatta −N
跚dopa
皿 跚 “a−Kulump
窺sutta −M
勠ggakath
亘一di
曲 a a五ca 蠅 ti賃aya 噸 而1
蜘 tipitakaChammah capa
蜘Pa
蜘 vaceyya .こ の よ うに上座
部
大寺
派で 三結 集 不収 載 経 典 とみ な され る文書は明確 な範 囲 が 規 定 され て い ない 。 さ らに, 「R 勾
ov 巨da
…Maggakatha
な どのdl
a」 と 表 現す るKafikh
の 説明 を 見 る限り, これ らがdllamma
で あ る点 につ い て は 正 典三蔵 と区別す る意図 が 見 られ ない。 ま た , これ らの文書
群が少な く と も 大寺派
の教法
か ら排除
されて い ない こ とをこ こで確
認 して おきたい 。一方, 上記の
Sp
IV
.742
の す ぐあとの 箇 所で は , こ れ らとは明 らか に区 別さ れ て, 「ブ ッ ダの 言 葉で な い もの(
a−Buddhavacana
)
」 の リス ト が存
在 し, そ こ に はVaqrpapitaka(
称 賛 蔵)
,Aiitgulimalapitaka
(
ア ン グ リ マ ー ラ蔵
)
,Ra
仙 apalag 切jita
(
ラ ッ タパ ー ラ の 雷 鳴)
,Alavakag
疝ita
(アー ラ ヴ ァカ の 雷
鳴 )
,GUIhaummagga
(
秘匿
さ れ た ウ ン マ ッ ガ[
ジ ャ ー タカ ?])
,GUIIiavessantara
(
秘匿
さ れ た ヴェ ッ サ ン タラ[
ジャ ー タカ ?])
,GUIhavinaya
(
秘 匿 さ れ た律[
蔵]
)
,Vedallapitaka
(ヴ ェ ー ダッ ラ蔵)
とい う8
つ の 書 名 が記 録 さ れて い る(
[
馬 場2011
:151
−152
]
参 照)
。 こ れ らが大寺派
で否
定 さ れた文 書で ある こ とは,Mahapa
血ibbanasuttanta
な どで語
ら れ る有名
な 「四 大 教 示(
catUppadesana , 四大 教 法)
」 の註
釈箇
所 か ら も判 明す る。 つ ま り, 四大 教 示 の 指標
に よ れ ば,経典
に合 致
せず
世 尊の 説 い た言葉
(
bhagavato
N工 工一Eleotronio LibrarySociety for the Study of Pali and Buddhist Culture
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仏典 結 集で収 載さ れなかっ た経 典 27 vacanarp
)
で は な い もの は放 棄
す べ き と さ れ て い る が, こ こ で 『長
部 註 』Sumailigalavilasini
(Sv
)および 『増
支部
註 』ManorathapOr
頗(
Mp )
が 指 摘 して い るの は, もっ ぱらG
司havessantara
な どの文書
で あ る (6) 。ま た,
Sv
II
.568
にお け る四大 教 示の 解 説の なか に は, 三 結 集で 伝 承 され た もの 以外
は 「非難
さ れ るべ き経(
g5rayhasutta
)
」 で あっ て , 上 座 部の 文 書 と して 不採
用(7)とい う判 断
が示 さ れ る が, 同 じ文脈
を もつSpI
.232
に よ る と, こ こで想定
さ れてい る文書
は, や は りG
司havessantara
な どの 「非 仏語
」 の 方で あっ て, 三結集で の 不 収 載 経典で あ るKulumbasutta
な どで は ない (8)。ブッ ダゴ ーサ の 時代か らは るか後 代の
14
世紀
頃に制作
され たsarasahgaha
に おい て も,Ku1umbasutta
な どの結集 不収
載 文献
と非仏語
文 献 とは扱い が明 確に異なる(
[
浪 花1998
:102
]参
照)
。Sp
IV
.742
の文書
リス トを最初
に紹介
したの は[
Adikaram
l
946
/1994
:98
−99]
だが, こ れ まで こ の 重 要な記述 につ い て研 究者
の関
心 を呼ぶ こ と は ほ と ん どな か っ た。
[
vonHinUber
l
99611997
:sec .437 ]
は,「テ クス トその もの が残
っ
てい ない と して も, 正 典に含まれ なか っ た
外
典的
な経
の題
目は知られて い る(
Even
if
the textsthemselves
do
not survive, titles of apocryphal
Suttantas
, _ ,areown
)
」 と述べ てSp
の リス トを紹介 する。 しか し, 彼 はこ こ で “Kulumba
−s;Rajovada
−s;Tikkhindriya
;CatUparivatta
;Nandepananda
;Apalaladamana
;Rattha
−palagajita
;Alavakagajjita
;Ga1haummagga
(−ja
);Galhavessantara
(
−j
a)
”
LV
}う
10
書を区別 な く並 記 し, さ らに, 総 合 的な文
書
集成 (
wholecollections
)
と して“
Varp
.tapi1aka ;
AiigulimElapitaka
;GU1havinaya
;Vedallapitaka
”を加 え た う え で ,「これ らすべ て の文 書は abuddhavacana と して特 微づ け られ る
(
Sp
742
,
31
)
。二 っ の ジ ャ ー タ カ が大 寺 派の 正 統三蔵の なか の 当該
文献
に対す る外典
的カウ ン タ ーパ ー トで あ る 以外は 内容に関 して 何 もわ か っ て い ない
(
All
these
scriptUres are characterized as abuddhavacana ,
Sp
742
,31
.Nothing
is
known
abouttheir contents except that
both
Jatakas
mentioned obviously seem tobe
apocryphalcounterparts
to
the
corresponding textsin
the orthodoxMah
琶vihara −Tipitaka
.)
」 と,Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
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28
パ ーリ学 仏 教 文化 学まと めて い る。
彼の 考 え る 「これ らすべ
て の文 書
(
All
these
scriptUres)
」 が直 前のV
跏 a−pitaka
以下で は な く,Kulumba
−s な ど を含 め た すべ て の 文 書 を指す こ と は, ジ ャ ータカ に言及 して い るこ とか ら も了解で き る。 そのた め, 彼の説明で は すべ て が 「非仏語
」 の よ うに誤解
や混乱
を招
い て し ま う。し か し, 上 記
Sp
の記述 か ら上 座部 の文 献 状況 を 整 理 す る と, ま ず , 三 回の 結 集に基づ い た教 法 と して 三蔵正典が あ り, 一 方で , 「ブ ッ ダの 言葉で ない 」 と判 断され教 団か ら排 除された文書 類が あ る。 重 要なの は,結集
に 収 載 され なか っ たKulumbasutta
な ど が後者
に分類
さ れ て お らず, こ れ ら もDhamma
で あっ て , 上 座 部大 寺 派に とっ て必ず し も批
判や排斥
の対象
と して 取り上げられて い ない こ とである。残念
な が らいず
れ も現在
の上座部
の伝
承 か ら失わ れて い る が,実
際の とこ ろ, 「タ イ トル 以 外何 も わか っ て い な い 」 わ けで はな い 。 パ ー リ註 釈 文 献を詳 細に調査 し て み る と, こ の リス トの な か でい くつ か の 文 書は, パ ー リ註釈
におい て 明示 的に引用さ れて お り, そ れ ら の 経 文 も部分 的に回収
可 能で あるこ とが わ か る。2
.Ku1umbasutta
(
子 孫 経
)
Kulumbasutta
は, 『法 集 論 』Dh
− sailtgapi の註 囎
A
賃ha
曲 丁(
As
)
}こ おい て 業 とそ れ らの 拠 り所 となる門 との関
係 を論
じる 「門論(
Dvarakatha
)
」 の なか で 引用さ れて い る。他
に もSp
II
.441
で は波
羅夷
罪の 殺生 に関連 して , 『如 是語 註 』Itivuttaka
−atthakatha (lv
−a・II
.49
)で は五戒の うちの 殺生 に関連 し て , ま た 『所 行 蔵 註 』Cadyapitaka
−aqhakat 贓(
Cp
−a159
)
で は苦 行者
の 呪詛 の言葉
を解 説
す る箇
所で そ れ ぞ れ 同じ引用が見 られる。 テ キス トに よっ て
lumba
−,lumpa
一な どの 異 読が見 られ るが, 胎 児 (gabbha )
を 呪殺す る内容を含み,復 註で も 「胎 児 家
(
kula
)
(9)」 と言い 換え ら れ て い るの で ,
Skt
.kUtumba
(
n.)
=“household
,
family
, offspring ,progeny
”に
由来
す る経名
で ある ことが
窺
える(
本 稿で はKulumba
一に統一 した)
。As
に よ る と, 不 善の 身業
は必 ず身体 動作 (
身
門)
と言 語 活 動(
語 門)
をSociety for the Study of Pali and Buddhist Culture
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仏典結集で 収載 さ れ なかっ た経 典 29
介 する とい うの が 上座 部の 正統 説で あ る が,難 癖 論 者
(
Vitapdav
琶din
,詭 弁 論 者)
は意 門に お い て も不 善の 身 業が 生 じると主張し, その 根 拠 と して この経を引用 する
(
林[
1993
]
)
。As
iii
,123 (
Ee
90
−91
)
;vidaddhav 菰pan
’ 甑 a;akusala 鵬kayakammam
manodv 亘一re
pi
samut 晦 ti, so ‘tayo sa血gahe
副h
鋤 s蝋 奇ha
鯲 ti vuttoida
卑Kulumba
−s“伽 甲 n百ma
ahari
.‘‘puna
capara恥
bhikkhave
idh
’ekacco samapo v互br5hmaqo
v巨iddhim5
cetovasippatto afiiiissきkncchigata
甲gabbham
p
巨pakena
manas 巨nupekkthako
hoti
:‘aho vatEyaTX )kucchigato
gabbho
na sotthin 五abhinikkhameyy ま’ti
. eva 珥bhikkhave
Kulumbassa
upagh5tohot
ゴ’ti.一
方
,難癖論者
は言
っ て い る。「不 善の 身業は意 門に お い て も
等
起す る 」 と。彼
は, 「三 っ の 集 成(
三蔵
)
に収
載 さ れ て い る経 文を(
君 は)
引用 せ よ」 と言わ れ て, こ のKulumbasutta
と称す る もの を 引用 した。「そ して T さ ら に ま た, 比丘た ち よ, こ こにある沙 門またはバ ラモ ン は, 神 通 を有 して心 に よ る支配力に達 して い る者で あっ て,別の女の腹に
入っ た
胎児
を ,悪 意 をもっ て 熟 考 する (繰 り返 し観 察 する) 者 と な る,『お お ,
腹
に 入 っ た こ の胎
児 が 安全に(
svasti)
出て き ませ ん よう に』 と 。比丘 た ちよ, こ の如き が ク ル ンバ
(
子 孫)
の破
壊とな る」 と。Sp
で は 経題を 示 さ ず “idh
’ ekaccQ ” の語句 を 欠い て お り,Iv
−a で は書き 出 し の [‘puna
capararpbhiktkhave
” を欠 く とい っ た違い (lo)が あ る もの の , 文 章はAs
の もの とすべ て 同一 で あ る。引用 文の 特 徴に 関して は, まず 基 本的 に経 典や
律
に おい て釈
尊の語
り を示 す 弟 子へ の 呼 び か け “
bhik
ave ”を
含
み, “puna
caparalp(
bhikkhave)
idh
’ekacco _”
や “
idh
’ekacco samano va
brahmarpo
va _” とい うパ ー リ経 典
に頻
出す る分 類 列 挙や例 示の 形 式 (
DN
I
.101
,105
,109
,230
;AN
・
IV
.55
な ど)
が確認で きる。 ま た, “
papakena
manasanupekkhati ” は,AN
III
.302
−303 (
Mp
IIL
Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
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30
パ ーリ学 仏 教 文 化 学351
)
が 唯一 の 用 例だ が, 漢訳
の 対 応経
が存在
し ない こ とか らパ ー リ経典
独特の フ レー ズ とい え るか も しれ ない 。
“
iddhimfi
cetovasippatto ” は どうだ ろ うか。 パ ー リ経 典に は確か に “bhikkhu
iddhima
cetovasippatto ”(
AN
II
.186
,
IV
.
340
)
とい う表
現 が あ る が, 例 え
ば,『倶 舎 論
』 に よ る 『発智 論』 の 引用
(
Abhdh
−k
−bh
(P
),p
.43
:arhanbhikSuh
IddhimamS
cetovaSitvampraptah
)
や 『菩 薩
地 』(
Bodhisattvabhami
,
Wogihara
edn .
p
.263
:bodhisattva
gddhimam
≦ cetovaSipraptab .)
に も見 ら れ る こ と か ら,これ は上 座 部に限らず 多 くの 仏教 教団 に 共 通 の言い 回 しで あろ う。 た だ し, “
samai to va
brahmapo
vaiddhimE
cetovasippatto ”(
MN
I
.377 )
の よ うに広範
囲 で一致す る フ レーズを有
す るの はパ ー リ経 典だ けの よ うで あ る(11> 。さ らに特 筆 す べ き は,
DN
II
.108
とAN
IV
.312
に お け る地 震 の 第2
原 因 の 説 明 箇 所 で あ る。 そ こ に はKulumbasutta
の 一 節 とほ ぼ 同 じ“puna
caparalp
Ananda
sama40 va[
hoti]
br
巨hma
草o vaiddhima
cetovasippatto (devat
葱vamahiddhikfi mahdnubhava )”が確 認で き る
。 以下の よ うに
Skt
本や漢 訳 仏 典での 対 応
箇
所(12}に同
一表現
が ない こ とか ら, これがパ ー リ仏 教の もの で ある こ とが 明瞭
となる。・
MPS
l
7
.6
:punar
aparalpbhik
學ur maharddhikobhavati
mah 巨nubhavah .,.bhik
爭u4idevat
乞 va maharddhik 五bhavati
mahEnubhEv 且_・『根 本 有 部 律 雑 事
』
Tl451
, vol .24
,388a24
−
26
「蒜 芻 有大 威徳具大 功用 …若芯
芻
尼及諸
天衆大威徳
」・
Divy
204
:punar
aparam
Ananda
bhikSur
maharddhikobhavati
mah 巨nubhavah ...devata
maharddhikEbhavati
mahanubh 互vfi .,.・『長 阿
含經
』DA
, T1 ,vol .1
,16a2
−3
「得
道比
丘比
丘尼 及 大神 尊
天 」 ・『佛
般 泥疸經
』(
白
法祖
訳)
T5
,vol.1
,165b
1
−3
「阿羅漢
尊貴
… 天威神 大 」 ・『般泥 沮經
』(
失 訳)
T6
, vol .1
,180c17
−18
「得 道沙 門及神
妙天戒 徳 隆盛 」 ・『大般
泥 酒經
』(
法顕 訳)
T7
, vol.1
,191c25
−26
「比丘比丘尼 優 婆 塞優 婆 夷有修神通始成
就」 N工 工一Eleotronio LibrarySociety for the Study of Pali and Buddhist Culture
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仏 典 結 集で収 載されな か っ た経 典 31 ・
AN
・IV
.312
= 『中阿含
經 』M
入,T26
(36
), vol ,1
,477c14
−15
「比 丘有大 如 意 足 有 大 威 徳 有大 福 祐 有大 威 神心 自在 如意足」、『増
壹阿含經
』EA
,Tl25
(42
−5
) , vol.2
,753c26
−27
「有
大神
足 比 丘心得 自在
」Kulumbasutta
がパ ー リ経 典 特 有の 表現を有す るこ と は , パ ー リ註 釈者
が 引 用文
を細
部に わ た っ て自
覚 的に書き換 えて 自派の フ レー ズ に合わせ た 結果 とは考え難い 。 む し ろ, も と も とパ ー リ仏 教 (上座 部 ) 内部で 形 成 され た経
典, も し くは非常
に 近 い部
派 に属す る経 典 とみな す有 力な根 拠 となる だ ろ う。Sp
で は, こ の 経を引用 し た の は 「ある人々(
keci
)
」 と匿名に され てい る が,
12
世 紀の サ ー リプッ タ作 と考え られ る復 註Saratthadipani
−tika
Be II.257 (
Ne
II
,194)
で は, 彼 ら を大衆部 (
Mah
翫sahghika)
に同 定 して い る。 し か し, 他の 復 註(
Vajirabuddhi
,Vimativinoda
)
は無 言であ り, よ り古い 法集 論の 復 註,復々 註で もコ メ ン トがない こ とか ら信 憑性が疑わ れる。上掲の
As
で は, 「三 つ の 集 成(
三蔵)
に掲 載 さ れ て い る経 文」 を要 求さ れ て , 難 癖 論 者がKulumbasutta
を 引用 して い る点に つ い て, 彼 らが 実 際に こ の経を正典 内文書 と考え て い た な ら, それ は上座 部大 寺 派の 正統 と は異な る立場に あ るこ と を意 味 す る か も しれ ない (t3)。 し か し, そもそ もこれがパ ー リ仏 教 系の 経 典で あるな ら, あと は上座 部に お ける 三蔵 内外の 分類の 問題に す ぎない 。 さ らに, こ の 議 論(
門論)
は正典が最 終確 定 して い ない 古註 釈段 階の もの と考え ら れ るため, こ の 点を もっ て難
癖 論 者を非上座 部(
大 寺 派)
と結論づ け るこ と は でき ない (14)。で は,
Kulumbasutta
に対す る註 釈 家の ス タン ス は ど う なの か。 こ の経が修 所成の神
通に よ る殺 生(
意門
に お け る不善身業
の等
起)
を示 す と主 張す る難
癖論者
に対 し,註釈家
は仏 道修行 で獲得
した神
通 に よっ て不 善 業を行 う矛盾
を突 く。 そ して , その 直 後に み ずか ら経 典を再 解 釈して い る。kim
pana
evam mahantam suttam niratthakan ti no niratthakam . tvampan
’assaattharp na
jan
互si.iddhimdi
cetovasipatto ti. ettha ...Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
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32
パ ーリ学 仏 教 文 化 学しか し, こ の よ うに偉 大な経が無 意 味 な もの か, と
[
言わ れ れ ば]
,無
意
味
な もの で はない。 そ うで はな く, 君 は, こ の[
経の]
意 味を理 解 して い ない 。 つ ま り, こ の 場 合, 『神 通 を有 して 心に よ る支 配 力に達 し て い る者』 と は … こ の 記述か ら明 らか な よ うに, 註釈
家
は こ の経
典自
体を否定
して い るわ けで はない 。 し か も, その 経文に対 し て正典の註 釈 と同じ手法で註 釈を施 し, そ こか ら 「身 ・語の 所 作を伴 っ た呪術 所 成の神通 に よる殺生 」 とい う別解
釈 を 引き出す(
Iv
−a は 「語 の み」)
。一 方,
Sp
II
.439
−441
で は , 殺生 の 実 行 方 法(
payoga
)を6
種 挙 げ, そ の う ち 「呪 術 所成(
vijamaya )
」 と 「神 通 所 成(
iddhimaya
)
」 は聖典(
Pali
)
にない 方 法で あ る として , 古 註 釈
(
複 数 形 顛hakath
の
に基づ い て , 前 者 を ア タ ル ヴ ァ [ヴ ェ ー ダ]に属す る者 (Athabbanika
)たち と呪 術を有す る者 (瑚 adhara)
た ち に よ る もの と し, 後 者を 業 異 熟生 の 神 通(
= 竜 , 金 翅 鳥, 夜叉
天, 王)
と定 義 する。 こ こ で ,Kulumbasutta
の 文章 を引用 して 「修 所 成の 神 通」 に よ る殺生 を主 張 する 「ある人々 (keci
)」 を とりあ げた うえ で, こ の 解 釈に反 論 する。 し か し, こ こ で も註釈 家は経文 自体の 存在や言 説を否 定 して い るわ けで は ない 。次 に,
Cp
−a158
−159
で は, 怒れ ば相
手 を灰に す る こ とがで き る と言う結 髪行者
マ ー タ ン ガ賢者
の 呪 力(
Cp
88
−89
;ii
,7)
を解 説 する際, 「修 所 成の 神 通」 と解して こ の経 を 引 用 す る難癖 論者に対 して 反論 し,As
と1
司様の反 論 とKulumbasutta
の 語 句 に対 す る註釈 に よっ て , や は りア タル ヴ ァ[
ヴ ェ ー ダ]
に属
する神
通(
Athabba4ika
iddhi
)
で あるこ とを主張
する。Iv
−aII
.49
の事例
は興味深
い 。 こ こ で は,殺
生 の成
立 に関
して殺害
の意思(
業)
は意 門に 起こ らない と説き, 「呪術所成の神
通」 の例と して註釈 家みず か らKulumbasutta
を 引用 し, それが語 門の み に よっ て成 就 す る とい う新 解 釈を示 して い る(15)。 註 釈 家は こ の 正 典 外の 経 典を 用 い て上座 部 大 寺 派の見 解の 根 拠 とする こ とに対 し て釈 明を付言す る こ ともな い 。 N工 工一Eleotronlo LlbrarySociety for the Study of Pali and Buddhist Culture
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仏 典 結 集で収 載さ れ な かった経 典
33
3
.Catupariv
罎
asutta(
四
章経)
と1ndriyagocarasutta
(
根境経 )
CatUparivatta
は結 集 不 収 載 経 典 と してSp
IV
742
で名
を挙
げられて い る文
書で あ るが,
As
は これ につ い て も経題を 明 示 して引 用 して い る。 こ の経は,眼
(
視覚機 能)
の説
明に関連
してIndriyagocarasutta
とい うも うひ とつ の 聞き慣れ ない 経(16)とセ ッ トで現れ る。
As
iv
,29 (
Ee
307
−308
):ya
珥pana
Indriyagocarasutt
ピ 6ekalp mah 巨bhOtalp
up 巨一daya
(17)pasado
pathavTdhatuya
tihi
mahabhUtehi susa 靼gahito
翫podhatuya
catejodhEtuyE ca v且
yodh
盃tuy互 cバ,
Cat
皿parivattasutte
“
dvinna
正
P
mah 互bhit
互na 甲up 言
d
且ya
pasado
pathavTdh
且tUya ca 五podh
酖uy 翫cadvihi
mah 巨bh
廿tehi susa 卑gahito
tejochdtuy5
ca v巨yodhatuy
蕊cE”ti
vuttarp .し か し,
Indriyagocarasutta(
根境
経)
で は, 「一 つ の大種に依 存 し た浄(
一大 種 所 造の浄色)
は , 地界に 三 つ の大種
がよ く包摂
さ れて い る もので ある,水 界 と火 界と風 界 [とい う 三つ の大 種
]
が」,CatUparivattasutta
(
四章
経)
で は, 「二 つ の大 種に依 存 した浄 (二 大種 所 造の浄色)は地 界と水 界 と に二 つ の大
種
が よ く包 摂 さ れて い る もの で ある, 火 界 と風 界 [とい う二 つ の大種 ]が」 と,述べ ら れ て い る。こ こ で は 「結 集に収 載 さ れ な か っ た」 とは言わ れ て い ない が ,
両
方 と も 現 存 ニ カ ー ヤ に存 在 し ない 経で あ る。 パ ー リ 固 有 名 詞辞典[
Malalasekera
l974
]
の “lndriyagocarasutta
” と“Kulumbasutta
” の項でAs
に 引 用が ある こ と を指摘
して い るが , ‘cCatUparivattasutta ” の 項で はこ の 事 例が 抜 けて い る。CatUparivaUasutta
に つ い て ,P
V
Bapat
は 『法 集 論 註 』 校 訂テ キス トAs
,p
.249
, n.2
で 『中部
』Majjhimanikaya (
MN >
, no .115
,BahudhatUkasutta (
多 界
経)
との 関 連 を示 唆 して い る。 こ の 経は視 覚(
眼)
を始め とす る十八 界 な ど さ ま ざま な 界(
dhatU
)
の 分 類が見 られ る た めBahudhatUka
とい う名 の 法 門(
dhammapariy5ya )
で ある と ともに, 界だ けで な く 「界 , 処, 縁起, あ り N工 工一Eleotronlo LlbrarySociety for the Study of Pali and Buddhist Culture
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34
パ ーリ学仏 教 文 化学 う る状 況 とあ りえ ない 状 況(
thana
−atthEna)
」 とい う四っ が説かれ る こ とか らCatupariv
巓 a とい う別 名で 呼ぶ こ とも経典 自身に 記 さ れて い る(
[
前田1964
:591
−520
])。 対 応す る漢 訳 『中 阿含 經』 (MA
,T26
, vol ,1
,723a
−724c
)で も経 題は 「多界経
」 で あ り,Tibet
訳
で も *Dhatubahutaka
−sntra(
Khatns
mangpo
pa
’i
mdo) (
Toh
297
;Ota
963 )
で あ るが,
経
集部
所収
の法顕訳
『仏 説四品 法 門經
』(
T776
, vol .17
,712b
−714a)
のSkt 名
は明 らかにBahudhatUka
で は な く , *CatUSparivarta
−dha
aparyaya に類す る もの と思 わ れ る。こ の 経 典 の 内 容 か ら す る と, catupariv 韻 a の 意 味 は, 「四 転 」
(
[
片 山2001
]), “Four
Cycles
”(
[Bhikkhu
粛的amoli /Bhikkhu
Bodhi
2002
])
よ
り
も
,
お そ ら く 「四 つ の 章
」
(
[
出 本2005
]
)
の 方 が ふ さ わ しい(
seeBHSD
, s.v.parivarta
,2
, section ,part
, chapter)
。 『仏 説四 品 法 門 經』 は当 然,『中 阿含
經
』(
724c)
で も 「四 品 」 と訳さ れて い る。 『中部註
』PapaficasrtdanT
(Ps
)IV
.126
では catUparivatta の
語義
に つ い て は解説
す る(
dhatU
一亘yatanapaticcasamup
画d
雄h
亘一n且岫 互navasena ca 枕互ro
pahva
恒kathi甸
が, 同じ名称
を もつ経典
の存在
に は触
れ ない こ とか ら,註釈
家
も両経
の関
連性
を認め て い ない とい える. 我々 が問題にす る
CatUparivaUasutta
の 引用文で は四界や浄 色(
眼 な ど)
を扱
うが ,諸
界を列 挙 して い る だ けの
Bahudhatuka
と は全 く異なる。ま た, catUparivaUa の 語 は, 修 行 上の 観 察 方 法
(
seeBHSD
, s.v.parivarta
,1
,turn, substantially = method ,
process)
と して 『相 応 部
』Samyuttanikaya
(SN
)III
.59
−61
の経
で用 い ら れ る。 そ こ で は, 五蘊
の 一 つ 一つ を証 知 し , その 起 因を証知 し, その滅を証知 し, その 滅の 道 を証知 す る とい うよ うに, 四 つ の 方 法, 観 点で 順々 に巡っ て 証 知す る こ と が説 か れ て い る。 『相 応 部註』
SdratthappakAsini
(
Spk )II
.276
に は , こ の語
の 短い 説明(
catupariva 畑n tiekekasmim
khandhe
catunnamparivattanavasena
)
が あるが , こ こ で も 同名の経 に触
れて い ない 。こ の よ うに, 現
存
ニ カ ーヤ に は関連 する経 典が見 当た ら ない 。 しか し, こ こ で使 用され る語 彙 と議 論 内 容が む し ろア ビダン マ の もの で あ る点は注 目 に値 す る。 まず
, 視 覚 などの 五つ の 感 覚機
能(
lndriya
,根 )
を意味
す る浄
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仏 典 結 集で収 載 さ れ な かっ た 経 典
35
(
pasada
, 浄 色)
は, 上 座 部の 聖 典で はDhs
を始め と して ア ビダン マ の 段 階で 用い ら れ る概 念で あ る(18)。 また, 引用 文にあ る “
【catUnnam ]mahabhUtanam upadaya
pasado
”とい うフ レ ー ズはDhs
とVibhattga
に特 有
の もの で, パ ーリ三蔵 の う ちで
他
の 文献
に は 使わ れ な い 。 さ らに, “ekam mahabhUtarp ”,
“
dvir
皿 arp mah5bUtanaip ” とい う語 句は共に
Pa
#hana (
P
礁h )
に しか 現 れ ない 。しか も, 四大 種 を
一 と
三 , 二 と二 に 分けて 関係 を考 察 するの は ,
PaCth
以外に は見 当た ら ない分 析 方 法で あ る。
eka 叩 mah 訌
bhUtalp
paticca
tayo mahabhUt 亘, tayo mah 亘bh
亘tepaticca
ekalp maha −bhUta
靼,dve
mahEbhtttepaticca
dve
mah 巨bhUt
巨.(19)
一つ の大種を縁 と して 三つ の大種が あ り,三つ の大 種 を縁 と して一つ の
大
種
が あ り, 二 つ の大種
を縁
と して二 つ の大種
が ある。 こ の よ うに 教理 的に関
連す る文 献が唯一P
鴫h
で あ る な ら,Indriyagocarasutta
とCatupariva
“as礁 a は と もに後
期ア ビ ダンマ 時代
に上座部
教 団で制作
さ れ た 可 能性
が考
え られる。パ ー リ
註
釈 文献
で これ らの経
が批判の 対象では な く,議論
を補 助す る た め に活 用 されて い る事実
は重要であ る。 これ らの引用の直後
に,註釈
家は次の よ うな評 価を述べ てい る。As
iv
,29
(Ee
308
):talp
pariyayena
vuttam . ayamhi
suttantakakath互namapariy
互一yadesan
互.yo
ca catunna 卑 mah 亘bhUt
訌nam upfid 巨ya
pas
且do
so tesu ekekass 乱pi
dvinnam
pi
pasado
yeva
tiimina
pariy
巨yena
tatthadesan5
5gat
巨.Abhidhamme
pana
nippariy5yadesanfi nama .
tasmfi
idha
‘catunna 単 mahabhUtana 卑 up亘daya
pasado
’ti
vuttam .
そ れ はパ リヤ ーヤ
(
pariyaya
, 異 門, 経に基づ く多様な説 明 法)
に よ って
述
べ られ た もの で あ る。 つ ま り, これ は経 典の 論 議 と名づ け られ たパリヤ ー ヤの 教示で あ る。 そ して ,
[
Dhs
で 述べ ら れて い る]
四つ の 大 種Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
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36 パ ーリ学 仏教 文化 学
に依 存 した 浄
(
四 大 種 所造の浄 色)
な る もの, そ れ は そ れ らの うち 一っずつ や二 つ に も
他
な らぬ浄が あ る とい う, こ の パ リヤ ーヤ を もっ て そこ(
「根境 経 」 と 「四章 経」)
で の教示が伝え られて い る。 しか し, ア ビ ダン マ で はニ ッ パ リヤーヤ (nippariyaya , 不異 門, ア ビダン マ に基づ く普
遍 的説明法
)
の 教示 と名づ け ら れた もの が あ る。 そ れ ゆ え, こ こ(
Dhs )
で は 「四つ の大種所 造の浄」 と述べ られて い る。 注 目 すべ きは, ニ カ ー ヤ に
含
ま れ な い こ れ らの経 文
をpariy
δyadesana
と み な して,nippariyaya で あるDhs
と対比 させ て い る点で あ る。 こ れ らの経の 内容 は上 述の よ うに む し ろア ビダン マ の 中で も最 後 期の 成立 と考 え られ るP
頭h
の み に関
連 するこ と を考
え る と, こ れは強
引な解説
に も見
え る。 しか し, そ れで もア ビダン マ の教 説 と対 照 すべ き経
典の教説
と して2
経 が提
示 されて い るこ とは, 逆に ,
Indriyagocarasutta
とCatupariv
頭asutta に つ い て正典ニ カー ヤ と同
等
の 「経
」 と して の ス テ ー タス が 与 え られて い た こ とを 意味す るQ復
註(
MUIattka
,Be
l
45
,Ne
249 )
に お い て も, “ sahgahito” や “pariyayena
” の語 句説 明 を補足 す るだ けで, こ の経 の位 置づ け や 所属を疑 問視した り弁明 した りす る こ とはない 。4
.匿 名
の経
As
に は も うひ とっ 「仏典 結集
で収載
さ れ な かっ た経
典」 が引用 さ れ ている。 こ の
箇
所は[
Hallisey
l
993
:99
]
の指摘 を受けて[
Norman
1994
:17
, alson.
493 ]
も触
れてい る。As
iii
.37
(
Fe
65
)
:svayam atthoimassa
sa血giti
甲 an 盃r崩lhassa
suttassa vasenaveditabbo . vutta甲
hetarp
:‘‘kamrnandnattaputhuttapabhedavavatth5navasena
li
血gan5
−nattaputhuttapabhedavavatth 且narp
bhavati
,lihgananattaputhuttapal
)hedavavatth
巨一navasena saf匝 百皿巨nattaputhuttapabhedavavatth 亘nam