中 国 南
伝
仏
教
に
お け る
溌 水
節
の
地域 的
な
特徴
鄭 筱 笏 著
嘉
木
揚 凱 朝
訳
は
じめ
に溌 水 節は,東 南ア ジア の
仏
教 国と中
国雲南
省に お け る上座 仏 教を信 仰して い る仏 教徒
の 共 通の 記 念 日で ある。 こ の 溌 水節
は,仏教
を伝 道
す るこ とに主 た る 目的
が あ り, その発展
の 過程
に地 域 的, 民族 的特徴
が顕
わ れてい る。 し か しなが ら,現 代 化 と観 光行 事化
な どの 影 響 を受けて い る現 代 社 会で は, 溌 水 節は仏 教の 記念
日か ら世俗
化 し た祭 日に変化
し て い る。同時
に地域
的 な特
徴の変 化 も あ るの で , こ の 問題につ い て研 究 す る必 要が あ る。 本 研 究に よっ て 溌水節
が,中国雲 南省
で定 着
し,発展
し,変化
して い る状
況 を把 握 し理 解 す る こ と が で き る と考える。1
.雲 南 省 に
おけ
る上 座 仏 教 が
もつ地 域 的 な
特 徴
と民
族 性
雲 南 省の 上座 仏教 は,東 南アジア上 座 仏 教の 影
響
を深 く受 けてい るが ,将
来
さ れ た宗派
の 違い と言 語
の違
い に よっ て,受
け 入 れ た文化
的影響
の度
合い とその様
式が異なっ て お り, シ ー サ ン パ ン ナ(
西 双版納 )
の 中心 に 位置 す る シ ー サ ン パ ン ナ お よび思茅
地域
t徳 宏
を中
心 とす る地域
,臨滄
を中
心 とす る 地域
に分
ける こ とがで き る。そ れ ぞ れの 地域で は 上座 仏
教
の伝
統 を護 持
す る一 方で , 相当
の差 異も存在
す る。 主 要な差 異は制 度の 面に あ る。 例えば, 仏 に 対 す る礼 拝な どの 習 俗 ・ 様 式に顕 著 な 差 異が 認め られる。 シ ー サ ン パ ン ナ ・思茅
地域
で は, 主に 上 座仏
教の 中で潤 派 を中 心 と し, 古 代 蘭那
王 国 の 法脈
を受 け継
い で い る。従
っ て,制 度 的な変 化は相 対 的にい え ば 明 らか に単純
で ある。
4
パ ーリ学 仏 教 文 化 学従
来
,僚
暦の2
月の豪
幹 節 に は,全 比丘 は,行 政 単位で ある動 ご とに, 中 心仏寺
に集
ま る。寺 内
の空地 に茅葺
きの 小 屋を建て, 十日十 夜修 行に精 進す る。午 前
,初 夜
,午 夜 の 三 時に座禅を す る。 朝 晩は本 堂で誦 経す る。 昼, 布 薩 堂 に集 まっ て それ ぞ れ に過 し た 全比
丘は一列 に 並 んで堂 を出て , そ れ ぞ れ 左手
に貝葉
の 団扇
を ,右
手に禅 杖
を持
ち ,袈裟
を偏 袒
右 肩 に掛
け ,裸
足で, 胸 の 前に鉢 を持ち, 隊 列 を組 んで 村へ 托 鉢 に行 く。 信 者 は, 村の 入 口 で 比丘 に供養
す る。 こ れ は, 全 く仏教従来
の伝統 的
な僧 伽
にお け る生活様 式
を伝
え るもの で あ り, シー サ ン パ ン ナ地 域 に お け る 「潤 派」 とい う上座仏 教
に特 有 の もの で ある と考 え られ る。一一方,
徳
宏を中
心 とす る地域
で は, 四つ の仏教
の宗派
が広
まっ て い る た め に複 雑で ある。 四派の 巾で ,撰 庄 派, 多 列 派お よび左 抵派 は,直接
に ミャ ン マ ー か ら伝え られ , 潤 派 は タ イ か ら臨 槍 江 に沿っ て徳 宏 地 域 に伝わ っ た。 徳 宏地域の 潤 派の 仏 教 と,殆 どシ ー サ ン パ ン ナ 地域 の潤派
の仏 教 と, 基 本 的に 同様
で ある。 所依
の経
典 は すべ て シ ー サ ン パ ン ナ文字
で書
か れ て お り,法 要 ・法事
とい っ た仏 教 行事
もシ ー サ ン パ ン ナ地 域 と同じで ある が, 他の 三 派,撰 庄 派, 多列派, 左 抵 派 所 依の 経 典 はすべ て徳 宏地域の 榛 文 字で 書か れ て い る。 それ ぞ れの 派の 戒 律 に よっ て 区別で き, 潤 派 仏 教 とは,仏教行事
で も若干
の 差異
が見ら れ る。臨 滄地域の 仏 教 は, シー サ ン パ ン ナ地 域の 仏 教と徳 宏 地域 の 仏 教 の 中 間 的 な位 置にあ る。 両 地 域の 影 響を受 け なが ら,
歴 史 的発展
の中
の過程
で 本 来の 土着 的な信 仰な ど民 族的 な特徴 も融 合 して い る。 仏 教の 行 事に は, 徳宏
地域 の 仏 教 の 特 徴が ある が , シ ー サ ン パ ン ナ地 域 の 特 徴 も見 られ る。 歴 史的 に は, 多 列 派 と左抵 派
が , ミャ ン マ ーか ら直接 伝
来 した の で , ミャ ン マ ー仏教
流 派 の 特 徴 が見 られ る。2
.溌 水 節
の地 域 的 な 特 徴
溌 水 節は, 上座
仏 教 を信仰
して い る東
南ア ジ ア仏
教 国 と中
国雲南省
にお け る仏 教 徒に共 通す る祭日で , 仏 教 を伝 道 す る こ とを 主 目的 とするが, 明 らか中国南伝 仏 教に おけ る溌 水 節の 地 域 的な特 徴 5 に 民 族 性の 違い に よ る
差
異が あ り,地域
そ れ ぞ れに独 自の 民 族 性 を示 して い る。「発生学 」 的
観
点か ら見れ ぼ, 溌水節
を記
念 日 とする の は , 農耕
の祭 日で あ り, また仏教
の祭
で あ っ た ものが, や がて民族
文 化の 祭 日 へ と変遷
して き た もの と考え られ る。 変 遷 の 過程で こ の 祭日は 一一方で は 中国上座 仏 教の 深い 影響
を 受 け なが らも, 個 性 的 な 民族 的特
徴を有
するに至っ て い る。特
に , 溌水節
に関
わ る伝
説故事
,行
事の内
容,儀
式そ れ ぞれ に顕著
で あ る。 し た が っ て これ らの現 象に対 して研 究を進め る こ とに よっ て , 発 展 し変 遷 して き た過 程を知 る こ と が で き, 溌 水 節 の変
化の 有様
や特
徴を把 握で き る と考
える。雲 南
省
の 溌 水 節 は,本 来は, 俸 族の 新 年 行 事で あっ た とされ る。 愼 西 南 地域
で は6
月か ら10
月まで は雨季
ill月
か ら翌年
の1
月
まで は 温 涼 季,2
月 か ら5
月 まで は熱 季 で あ る。 自然 環 境 の影 響で,槇
西 南地域に居 住 して い る 俸 族で は, 収 穫の 季 節 は, 多 くは雨 季 後の10
月か らで, 収 穫 し, その後 食
糧を倉 庫
に 入れ る。 その た め の 新 しい倉庫
は , 翌 年の2
月か ら3
月 まで に完
成
す る よ うに建
て ら れて い る。槇
西 南 地 域で は,6
月が年の第
・ 周 期か ら第二 周 期 に入る季 節 とされ,僚
族は6
月 を年の 初め と して い る。 そ こ で , 「送旧迎 新 」 が行わ れ る。シ ーサ ン パ ン ナで は ,祭 日の
第
一 日を, 僚 語で 「宛 墨 」 とい う。 これ は中 国 漢 民族
の 旧暦
の春
節の 晦 日に相 当す る。 各 家 庭で大 掃 除を行
い , 買い物
を して正 月の 準備をする。 昼 に は さ まざまなお祝い の 行 事 を す る。 例え ば, 賽 龍 舟, 歌 舞表 演
, 買い物
の 交流
, 赴撰
な どが あ っ て , 「送
旧迎新
」 を す る。 夜は , 映 画を放 送 し ,高 く放 水 した りす る。第二 日に は, 「宛 悩 」 とい う祭が あ る。 「宛
悩
」 は , 「空日」 とい う意味
で, 旧年に も新 年 に も所属
し ない 「日」 で あ る と さ れ る。 民間
で は, 「悪 神頭顱
腐 爛 之 日」 と呼ば れて い る。 主要
な行事
は, 「 溌 水」 とい う祭で,今 日で は, 民 族 文 化 大遊演 と赴 撰 とい う祭に 変わっ た と さ れ る。 即ち ,僚
族に お け る風 情 と習俗に関
す る大 規模 な展 示 活 動を指 し てい る。第
三 日は, 「宛岶
雅宛
瑪 」 と呼 ば れ る。 こ の 日は 「 日様」 が人 間界 に 来 臨6 パ ーリ学 仏 教 文化 学 す る 日 と考え られて い る。 正 月に
相 当
す る。本 来
は こ の 一EI
に , 堆 沙,浴 仏, 滴 水, 放高
昇,拜 年(
新 年の挨 拶)
,溌 水な どが行わ れ るが ,今 日で は,都 市
で主に新年
の挨
拶 と溌 水が行わ れ てい る。 村寨
で は, 昔の 伝 統 習 俗をそ の まま保持
し, その 上に音 楽
歌舞
な ども加 えて い る とさ れ る。 他の 地域
で の 溌 水 節 は, 俸 族 文 化の 影響
が 大 き く,基本
的に は 同様
で あ る と考え られ てい る。(
1)
溌 水 節の伝 説 ・故 事類
型の地 域 的特徴
につ い てω現
在収
集す る こ と が で き る溌 水 節伝
説 に関
す る史料
の 主な出
所は, 二点
で ある。 最 初は文 章 化 さ れて書 籍 中に収め られた文 字 記 録 (漢 字 と榛 文で収 め られた もの の 二種類
が あ る)
,民 間
の 凵伝資 料
か ら収 集 さ れた もの , 各 地 の旅
行 団体
に よる宣伝
資 料 に載せ ら れ た簡単
な紹介
で あ る。これ ま で に収 集 され た溌 水
節
の 伝 説 ・各 種の異なっ た故 事に よ っ て流伝
の 過程
に顕
れ た もの を参 照
し な が ら地域
的特性
を明 らか にす るこ とに よ っ て , 溌 水 節 伝 説 ・故 事の 主 要 なテ ーマ の差
異の 分布
を明 ら か に す るこ とが で き る。 一般 的に は溌水節
の伝説
を以下
の よ うに分 類 する こ とがで きる 。[
第一類]
季 節 に関わ る伝 説 と故 事一 善 悪 判 断 し ない 種 類故 事の 主
題
は, 明 らか に溌 水 節の伝説
と故事
の 比較
的早
い 時期の作
品に属 して お り, その 重 要な 内容 は こ の 溌 水 伝 説の記述 箇
所 と似
通っ た とこ ろ が あ る。農 耕
民 族 と して の 俸 族 の 歴 史 文 化的 な 過去を反映 す る原 初 的な特 徴 を持
っ て い る。俸 族の こ の 種 の 文 献 に記 載さ れた 故 事 は創 世 史 詩で あ る 『巴 達 麻 嗄 捧
尚
羅
』 が代表
的で あ る。 こ れ は シ ー サ ン パ ン ナ地 域 に広 く伝わ る僚 族の 創 世 史 詩で , 貝葉 経 に記 録 され, 榛 族 地 域に広
く伝
承さ れ た。 そ の 内二 つ の 事節
の 内容が,溌 水 節 とい う節 口の 淵源 に触
れ て い る。 こ の 他 に徳宏
地域
,臨滄
地 域に も溌 水 節 に関して は, 淵源説 話 と共 通す る部 分を持つ 伝 説が ある。 総 じ て こ の 類 型 の伝説
は,数
量的
に最
も多
く, さ らに大部
分で は文体
が素朴
で中 国 南伝 仏 教に お ける溌水 節の地 域 的な特 徴
7
流 暢
で あ り, 過 度な文
飾が な い 。 こ の類
型の伝
承は次の 要素
を備え て い る。あ る大
神
が原 因
で 人間
界 の 季 節に 混 乱が 生 じ,寒
暑が定
ま らず
, 民が 困 る。こ の 問
題
の解
決の た め に大神
が殺
さ れる。 大 神 を殺 した人は,彼 の実の 娘で あ る。大
神
を殺 す 方 法は, 髪 の 毛で 首 を切 るこ とで ある。大神
の 死後
,頭
は地に落
ち てす ぐ燃
え だ し, 人 間に様々 な災 害 をも た らす。
娘
が順 番に 父 の頭
を抱 く と, 火 は再 びは燃え な い 。こ の女の た めに
水
を撒
き洗滌
す る。こ の ほか
各
地 域で は, 上述
の基本 要素
に別
の プロ ッ ト,例
えば民 間
の青年
が上 天の 命に よ っ て天 帝の 文で 死 ぬ(3)とか, あるい は天 神が青 年 に変 化 す る とか, 「串姑 娘
」 の話
形 の 七 女の協
力を取
り付
け る な どの説話
が加わ るが,基本 的
な要 素
は変
わ ら ない 。総 じて い え ば, シ ーサ ン パ ン ナ地 域に流
布
して い る俸
族の 創 世史詩 『巴達麻 嗄捧 尚羅
』 と同じ よ うな説 話
を持
つ伝説
の中
に は,登 場 人物
に対
す る明確
な褒
貶 的傾 向は見 られ ない 。 殺さ れた大 神が民 間 に災い を もた ら し て も,依 然 と して 民間
に お い て祭 られ る し, 彼が処罰
された こ とは, そ の季節
を定め る時の 誤 りで あ っ て 、 民衆
の反抗
で は ない 。 ま た同時
に故事
の プロ ッ ト中
の 神を殺 した女児に よる懲罰 も そ れ ほ どに厳格
で は な い 。こ の 故
事
の成
立年 代か らい え ば , これ らは比 較 的 古 く, 俸 族 稲 作 文 明 に あ る奥 深い 文 化の 委 曲や特 徴 を忠 実 に反 映して い る。 ま た長
期に亘 る流伝
と創 造の 過 程の 中で , 同 様の 系統性
や 理論性
, 一貫性
を もっ シ ナ リ オ を次第
に完 成 して きた。 こ の よ うな故事
が シ ー サ ン パ ン ナ ・思茅
地域
, 臨滄
地域
の榛 族
中に流 伝 し, ま た徳 宏 地 域の 俸 族や徳昂族の地 域 に も伝わっ て い る 。[
第二 類]
賭 頭(
安 象頭 )
の 故事
の 類 型こ の 種の 伝
説
は数
が多
くな い 。 主 に徳 宏 地 域に伝 承 され て い る。 その 中で
8
パ ーリ学 仏 教 文 化 学 整 っ て い る もの は江 応櫟氏著
の 『僚族 史
』 に所収
の伝説
で あ る。 これで は仏祖
が暦
法 を定め る伝説
に触
れて い る。 しか しこの暦
法の 正確i
さにつ い て太 白 金 星が疑 い , 人の 頭 を 賭 けて 再 び 新 た に暦
法 を制 定 した が, 失 敗 に終
わ っ た。 彼の 頭が地 に落ち る こ とに よっ て 大 火 が 引 き起 こ さ れ , 玉皇大 帝は七 人 の娘
を派
遣 して,順 番にか わ るが わ る こ の頭を抱か せ た。 交替
す る時に人 間 界に鮮 血が 降 りか か り災難
を も た ら す の を避け るた め に , 溌 水 洗滌
し な け れ ばな ら ない 。 こ の伝説
は明 らかに仏 教 と道教
との争
い を反 映 して お り, 争 論 の 結 果,仏 教が道 教 に 勝 ち,道 教の もっ とも典 型 的な存
在で ある太 白金 星が 自分 の 約 言 を実 現 し な け れ ば な らな い た め に負けた ら賭けた頭を割 るの だ と い う(5}。注 目すべ きは この
故事
が イ ン ドの 象 頭神 (
ガ ネ ー シ ャ)伝説
の流伝
を想 起
させ る こ とで , 両 者の 関 係 は言 を また ない 。 し か し こ の 故 事が か ろ うじて 徳宏地域
の俸 族
の間
にだ け伝承
され て い る こ とは,徳
宏 地 域の 歴史
上の ,宗教
が 発 展 す る ときの 複 雑 な背 景, 仏 教が伝 播 する過 程 で発生 し た他の 宗教 との争
い と融 合
の状況
を読
み取
るこ とがで き る。[
第三 類]
闘 魔 故 事の 類型こ の
類
型は シ ーサ ン パ ン ナ地 域で は広範
囲に流伝
してい る。臨滄
地域
で は わず
か に見 ら れ ,徳
宏 地域
で も けっ して拡
が っ て い ない 。こ の 故 事 は
魔
王 と七 人の娘
の 故 事 及 び魔
王 と七 人の妻
の故事
の 二 つ に分
け られ る。 こ の う ち魔
王 と七人の娘
の 故 事の 方が や や早
く成 立 し, 魔王 と七 人 の 妻の 故 事 はや や遅れ て生 ま れ た。こ の 伝 説 は各 種の 新 聞雑 誌 類, あ るい は
各種
の 宣 伝資
料 に散 見す る。 そ れ らの多
くは散文
の形
で表
さ れ, 文体
は精 緻
で し ば し ば多 くの 字 数 を割
い て , 人物 の形 象 を描き 出 して い る。その
中
で代 表
的な もの は 『シ ーサ ン パ ン ナ榛 族 民 間故事 集 成』 中巻所 引の 「過節
溌 水の 伝 説 」 で ある{6)。 基 本は, 第 一類型 の伝 説
の プロ ッ トが発展
変化
した もの で あ り, その 中で 最も変 化 し た部 分 は,中 国南 伝 仏教に おける溌 水節の地域 的な特 徴
g
殺
さ れ た者
は神
で はな く, 悪 事の 限 りを尽 くす魔王 で あ り, 人々の 怨嗟
の 声が道 に溢れ た。その 娘 或い は掠 われ て きた
妻
は, 民の害
を除 く ため に魔
王 を殺
す こ と を決 心 す る。酒 を呑 ませ て
魔
:E
を酔
わせ ,秘密
の 情報
を得た。髪の
毛
を使
っ て魔
王 を殺
し, 民の害
を除い た。人々 は英 雄 を記 念す るた め に毎
年
溌 水節
を行っ た。 とい うこ とで あ る。これ を見 る と主要人物の役 割が大 き く変化 して お り, そ れ ぞ れ に 明
確
な善 悪 傾向
が現れ て い る。 この物
語の 叙 述 に は歴 史 文化
の中
に ある正義
が 必ず邪
悪に勝
利す る とい う図 式 をな ぞ らえ る, 英雄
を宣 揚 す る社 会 背 景が あっ た。 こ こ では 「捧
麻点達拉乍
」 は現 世 に災禍
を も た ら す悪神
で あ り, 彼の娘
た ち は人 間 界の た め に害を除 く英 雄 で ある。 人は, こ の 七 人の 娘が大 義 親 を滅 し, 民の 害を除い た こ と を 記念 して, 毎年
溌水節
を挙 行す る。 一見 す る とこ の 故事
は比較
的原始
的な形 態を現 して い る よ うだ が , その実
,大
き な文化
の感染
力に よっ て俸族
の 生 活の中
に 浸透 した こ と で ,結 果 第…類の 伝 説 と共存
す る局 面 を形 成 し,甚だ し きに至っ て は, 時 として 政 府の 提 唱 と宣伝 に よっ て 主 導か っ決
定 的な地位
を持
っ権 威
の あ る テ キス ト となっ た の で あ る。 しか しこ の プロ ッ ト と描
写 方 法か ら見る と,第一類 型の故 事 との関
係 は密
接で あ り, こ の類型 は第 一 類の 故 事の 基 礎の 上 に さ らに発展
し た もの とい うべ きで ある。こ れ らの こ とか ら原 始 農
耕 時
代は,溌 水 節の伝 説の萌
芽が あ り,伝 説の 伝 承 過 程 で各
所 の文化
的要
因の 影響
に よっ て, 伝 説 は不 断に変
異せ ざ るを得 ず, シ ーサ ンパ ン ナ地域
の故 事
類型 は節
旬 ・暦
法を 主題
とする故 事 を経
て , 闘 魔 を 主題 とす る叙 述 形 式 に 変 遷 し, 現 在 広 く知 ら れ て い る の は闘 魔主題 で , 思茅地域が代 表で あ り, 臨 滄 地域 もこ の傾
向が あ る ω が ,徳
宏地域の み で ま だ節 旬
の 故 事が中
心と なっ て い る。ユ
0
パ ーリ学 仏 教 文 化 学(
2)
溌 水 節の地 域 的 な 特 徴雲 南 省の 上 座 仏 教は , はっ き り し た地
域 的特
徴を持
っ てい る。 し か し東
南 ア ジ ア諸
国の上座 仏教
と同 じ く, 仏 教 各 宗派 の 主 要 な 区別は , 教 学 理 論の 方面
にな く, む し ろ仏 教 戒律や 誦 経の声
調 の差異 な どに よ り多 くみ ら れ る。 し た が っ て , 雲 南省
の そ れ ぞ れの 地域の 上座 仏 教に お い て, その祭 節な どの仏 教 の行事
で は,微 細
な点
で地 域 的 な特 徴が 現れて い る。 その 相 違 する点は主 に仏 教 行 事の 内 容に あ り, 溌 水 節につ い て い えぼ, 採 花, 行 像, 浴 仏, 堆 砂 な どの 溌 水節
の 重要
な活動
に見 られ る。 シー サンパ ンナ の場 合シ ーサ ン パ ン ナ地
域
で の溌 水 節
は, 一般
に3
日か ら5
日 か けて開催
さ れ る。 最初
の数 日間は, 年を送 る行 事で あ り,最 後の 日は,新年
を 迎 える行 事 となる。 こ の 数 日間 を他の 地 域 と比 較 して , 最 も重 要 な差 異は, シ ー サ ン パ ン ナ地域
に あ る総仏寺
で行
わ れ る行像
行 事 と溌水
行事
にあ る。祭 の 日, シ ー サ ン パ ン ナ 地域 で は,
(
勘膳
県で あ れ ば俸
族 の村
の青 年
男 女 は皐 朝5
時す ぎに仏 寺に赴い て , 仏 爺 (長老)
の 念 経 を聞き , 景 洪 市で は や や お くれ て 仏 寺 に行 くが)
村 人 は全 て , 必ず 沐 浴 を し な け れ ば な らず,祭 用 の盛 装 (
制
服)
を着
て仏 寺
に潅 仏 (
餤 仏 )
に行
く。潅 仏
の後
, 仏寺
で 「堆 砂」 とい っ て砂で4
ない し5
基の 塔を作 る。 村 人全てが塔を囲ん で座
り,仏
爺
の誦経
を聞
く。 そ の後
既
に建
て て お い た 竹 屋に仏 像 を迎え, 女性
た ち は, 香 花 を浸 し た呑 水を もっ て , 優 し く潅 仏す る。 雲 南 省で は仏 を 「洗塵
」 す る とい う。 仏 寺で の 潅 仏を終え る と, 人々 は溌 水 の 遊 び を始め , 互 い に 祝 福を す る。景 洪 市の 場 合 は, 人々 は浴 仏の 前に 「受圭竜 」
総仏寺
の仏 像
をお迎 え し, 車 に載せ て 供 養 行 事を盛 人 に催 し, 「行 像」 を行 う。か つ て の シ ーサ ンパ ン ナ地域で の 最
高
統治者
で あ る 「召片 領」 の 管 轄 地 域 を練 り歩き ,大 通 りをひ と とお り廻 る。 沿 道の 人々 は歌 と踊 りを捧 げる。 最 後 に総 仏 寺 に戻 り, 神聖 荘 厳な浴 仏 法 会 を行 う。中 国 南 伝 仏 教に おける溌 水 節の地域 的な特徴
ll
臨滄
地 域 の事例
私
た ち が調
査 した過程
で得
たのは ,僚 族村寨
で も, あ るい は布朗族
や ,仮
族の 村寨
で も, 擺庄
派, 潤 派,多
列 派 を問わず, そ れ ぞ れの 部 族が集 落で溌 水 節を過ごす の に, シ ーサ ン パ ンナ地域
の景洪市
で 行っ て い る 溌水節
の よ う に は , 溌水節
の 行事
と して 「行像
」 な どの行列 を盛 大に は行 っ て い ない こ と で あ る。 しか し, ひ と しなみ に 「採花
」 や 「堆 砂 」 の よ うな行 事 は盛 大 に 行っ て い る。 こ の 地域
内で堆砂
の行 事
が行わ れ る時
, あ る地域
で は2
回行
う し, ま た あ る地域
で は 一度
で済
ませ る とこ ろも ある。例
え ば ,滄 源 県の 班老
仮族 自
治 郷の価 族は,潤 派 仏 教を信 仰して い る が,2
回の 「堆 砂 」 の 行 事を 行っ て い る。 最初
は, 榛 族(
暦)
の新年
の第
1
日(
即
ち溌 水節
の第 1
日)
で ある。 こ れは, 旧年
の穢
れ な どを駆 除
し,新年
を迎
え るた め に行
う。2
回 目 は ,僚
族の新 年
の第
3
日(
溌 水 節 の 第3
日)
で あ る。 その 時 は新 年 を迎え, 幸 福 と平 安 を祈 願 する た めに行
う。 し か し,滄源 県
の動角
の僚 族
,彝族
,伍
族の自
治郷の 人 々 は同じ く潤 派 仏 教 を信 仰 して い る が , 溌 水 節の 第 一一日にだ け 「堆 砂
」 の行
事を行っ て, 旧年 を送 り新年
を迎
えて よ し とす る。そ の ほ か
2007
年 に調 査 し た結 果 で は,臨滄
地 域 の 耿 馬 県に あ る総 仏 寺の 僧 侶が 溌 水 節の 遊 行 活 動 に参
加す る場 合,徳宏
地 域や シーサ ン パ ン ナ地 域 と 大き く異
なっ て い る。耿
馬 県 総持
寺の 僧 侶が まず
先頭
に立っ て総持寺
を出発
し左 手に砂
を一杯 入れ た器 を持
ち, その上に新 鮮
な花
を差
し,右 手に傘
を持
ち, 一一 列 に並 び,後
に各 村寨
の信 者宗
徒 が随 行 す る。 群 集 も年齢
の高低
に 従っ て , 老 人 と小児を先
頭に し,後に年 若 い女の 子 と男の 子, 少 女 , 少年が続
く。青年
も女 性 を先に ,男 性が後に なっ て, 全員
が砂
を 一杯
入 れ た器を持
ち, そ の 上 に新
鮮な花を差 し, 右 手に傘
を持
ち 一列 に並んで, 耿 馬 県に あ る 一番 大 き な大青樹
が 生 えて い る孔 雀 坡へ 向 けて 出発す る。 そ こ で皆
は 「白
象」 の 到着を待つ 。 白象の行 列 が着 く と,遊 行 の 人々 は, 耿 馬 県 総 持 寺に 向 けて移 動す る。 白象 遊 行の 行列 の 人 々 は道 すが ら, 歌を捧 げた り,舞
を捧
げ た り し な が ら進
んで は踊 り, 踊っ て は進
む。沿道の人々 は しき りに行 列の 人 々 に 手
中
の 水をそ っ とか け る。 総 持 寺に着12
パ ーリ学 仏 教 文 化 学 浴 仏 (潅仏)の祭を始め る前 臨 滄耿 馬 溌 水 節僚族僧侶 臨滄地域溌 水節 浴 仏 亭 く と人々 は持
っ て い る砂
と花を あ ら か じめ積
んで お い た砂の 塔 に差 し, 次 に本
堂 に入 っ て御 経
を聞
き終
わ る と, 人 々 は 寺 院 境 内で 「白
象 舞」 「馬鹿舞
」 その他の陽 気 な 民族舞
踊を舞 う。 舞い 終わ っ た ら,っ い で人々 は互い に水 を掛
け合っ て祝福
す る。注 意す べ き こ とは, 徳 宏 地
域
の 僧侶
は溌 水 節 の 行 列 に参加
す る時
に,帽
子 をか ぶ る こ と と傘 を持っ こ と を禁 じ ら れて い るこ とで あ る。 こ れ は臨
滄地域
中 国 南 伝 仏 教にお け る 溌水 節の 地 域 的な特 徴 と徳 宏 地 域で もっ とも異な っ て い る とこ ろで あ る。 i3
徳
宏 地 域の 事例溌 水
節
に は,採
花, 浴仏
,堆 砂
,溌水
を行
う。 その中
で ,採 花
は 徳宏
地 域 で は他 地 域 と比べ て僚 暦
の新 年
を 過 ご す際 の 最 も 重要な特 色あ る行 事 とな る。 か つ て , 溌 水節
に は 主 に山に 登っ て花 を摘み, 花の橋 を架 けた求 雨 節(
採花 節
と も)
と浴仏
・潅 水(
洗 仏 節 とも)
の 二 っ の部 分
か ら構
成さ れて い た。徳 宏 地 域の
僚 族
は俸 暦
の新 年
,即 ち溌 水 節 を迎 えるに際して , 様々 な準
備 を する。掃 除
して清潔
に し,新 しい 衣服 を作
っ た り,節
句 に欠
かせ ない 食物
で あ る 厂毫
悶」(
溌 水 杷 杷 とも)
と黄 花御飯
を作
っ た りする。 溌 水 節の 二 日 前, 村の 老 人た ち は仏寺
の境 内
にポ ン プと花 亭を造っ て置
く。 溌水節
の前
日 の 朝, 老 若 男女 は グル ー プ を作っ て 山に登 り採 花す る。 太 陽 が 西に傾
い た 時, 採 花 人 た ちは, 新 鮮 な花をか か えて下
山す る。山
に登 ら な かっ た人は,銅鑼
を叩い た り(
敲 鑼)
, 太 鼓 を鳴
ら し た り (打 鼓 ) しなが ら採 花 人 を迎え る。 人々 は歌舞
の 問に 一束
一束鮮
花を花 亭に挿
して い く。日
照
りの年
は,溌 水節
の 第一 口に も, 僧侶
が行列
に参
加す る が, シ ーサ ン パ ン ナ 地 域の よ う に仏 像を乗
せ な が ら歩 くこ と は しな い 。 仏 教関係
の 旗 な ど を持っ て歩 き,帽
予 と傘
は持
た ない とい う。何
人か の 老人 が先
頭を歩
き, 「姐借
」 とい う下
が 丸 く,両
横が 羽の よ うな銅
片を叩い て歩 き ,僧 侶 と と も に経を念 誦す る。 そ れに続い て 人々 の 行 列が 随行す る。 女 は水桶
を担
い ,男
は旗
を かつ い で、 青松 柏 の枝 を持
ち,花轎
を担 っ て 運 びなが ら,村 寨 を 巡回 し, 雨を 求め る とい う (8) 。溌 水
節
の第
一 目の 朝,各 家の 老人 は鮮
花, 毫 悶,線
香, 蝋 燭な どの供 養
品 を捧
げ持
っ て仏 寺
に参 拝 す る。 その後
, うや うや し く運んで き た漢 白
玉 の小 仏を ポ ン プの蛇口 の 四角 に,絹 織 物で 縫い 上 げた方 形の 枕 を置い て その 上 に 置 く。 そ の 時人 々 は 花 亭を 囲んで 礼 拝 し, 長老 の 誦 経 を聞 く 。 午 前11
時 頃, 青 年 男 子は, あらか じ め寺内
にい て 銅鑼
を叩き太鼓
を鳴
らし は じめ,僧 侶
の14 パ ーり学 仏 教 文化学 誦 経が 終わ るの を待つ 。 老 若 男 女は集ま り 一列 に並んで , 鮮 花を 入 れた
清
水 を取 り出 し,木 棚 に乗
り,清水 を 竜 型 タ ン クに入 れ る、 竜 の 頚を 通っ て , 竜 の 凵か ら流れ出
る。構
造 と して は上 に向けて開
か れ た竜の 口 の中
に は垂直
に 立たせ た一本
の鉄
管が あ り, 上部
に は輪
状 に小 管が は め られて , それ ぞ れの 小 管 に は多 くの 穴が あ る。 大き な管の 水は, 小さ な管 に流れ, 輪 を回 転 さ せ る。噴 出
した清
水は転
盤 上 に彫
ら れ た仏像
の 上 に降
りかか る(
雲 南省
で は 「仏洗塵
」 と呼
ばれ る)
。 他に信徒
は こ の 水で 目を洗
い , 「心 明 眼亮
」 を求め, 病 難 を避け る。続 けて 人々 は老 人の た めに洗塵 し, 老 人の 幸 福 と長 寿を祈 願 す る。 若者
は男女
と も,水 竜亭
を出て, そ の 周 辺で お互
い に溌水
を し な が ら 遊ぶ。 その 後四 方八 方の 道に 出て 人々 に溌 水 し, 祝 福 し,災い を消 し病 を 避 けよ うと祈 願
す る。第
二 日と第
三 日は,各 村
で , 甲村
は乙村にい っ て溌水
して祝
福 し, 乙村は 甲村に い っ て祝福
し溌 水す る。 溌水の行 列 は整然 と してい て 順序が ある。 先 頭 は鼓 楽隊
す ぐ近 くに儀
仗 隊 と溌 水に参 加 す る老
若 男 女 とな る。 溌水
に先
立 っ て,相
手の村寨
の仏教 寺院
に行
き仏像
と仏塔
に礼拝
して か ら, 清 水 を竜 型 タ ン クに入 れ, 潅 仏 し, それか ら人々 は互い に溌水
し な が ら祝 福
す る。三 日間の 溌 水
節
後 も しばら く溌 水が続 くとい う。 民 間で は, 「三天 大 溌 七 天 小 溌」(
三 日間
は盛大 な 溌水, 七 日間
は小規 模な溌 水 ) とい う諺が あ る。ただ し
注
目すべ き こ とは,徳宏
地域
で は ,溌水 節
の 期聞
に もっ ぱ ら盛 大 な 堆 沙 行 事 を行 う 日が ない よ うだが, そ の 実 彼等
に は もっ ぱら堆
沙 行事
を行う 口が あ る。僚 暦 の 一 月十五 日
(
旧 暦 十 月 十五 口)
, 徳宏
地域
で は 「堆 沙 塔」 の行 事が 行わ れ る。 僚 語で 厂広 母 賽 」 とい う。 村の 老若 男女 は, 川原 の砂 を運び, 老 女が仏 寺で 心を こ め て 「砂 塔」 を造 る。 あ る もの は節 沙, あ る もの は白粘土 を加 え, また あ る もの は い くつ か の セ メ ン トで 造っ た塔 の 土 台を持 っ て く る。 塔の 基 部に沿っ て 白粘土 を 塗 る。 さ らに 白粘 土で 約lm
の 塔 一 っ と,底
部の 周 囲約 3m
の 主 塔 を造 る。 四角
に は小塔 を 四基つ く り, そ れ か ら細かい砂
を ま く。 そ れ か ら仏
壇の中
心に十
字の 走 道を作 り, 地面
を 四分割
す る。 老中国南 伝 仏 教にお ける溌水節の地域 的な特徴
15
翁 た ちは,竹
で彩 紙
の塔 帽
を造
る。老 女
は先
に塔
の 形 を取 っ て 用 意 し た約30cm
の 筍の皮 に, 濡 ら し た細 砂 を入 れ, 馬 歯 石 類の 小さ な卵
形 の 石 や ニ ッ ケル 硬 貨 を塔 心 に入れ , 四面で 合わせ て 一千
の小砂塔
を造 る 。数
が そ ろっ た ら老 人の 男 女 は, 協 力 して主塔
に塔 帽
を か ぶ せ,籬
で諸 塔
を岡 う正方形
の 壁 を造 り, 主塔の 中 央 と籬の 四角
の 柱に 五彩紙
旗を掛 け る。 そ れ ぞれ の籬
の 四 本 の柱
に芭蕉樹
と葉
のつ い た甘蔗
を一本 ずつ つ ける。 それは, 収穫 と幸せな 生活
を象徴
して い る。 同 時 に竹で で き た 皿 で糖 果 米
花(
ボン菓
子)
を御供
え する。 準 備 が で き た ら老 女 は 主塔
の 仏壇 に置か れ た四 香 油の 灯 明に 火を 点け , そ れ か ら門を閉 じて ,会 場 を封 鎖す る。 籬 に い く らか の 竹槽
を置
き, 人々 が火 を点け る蝋 燭 と, 焼 香 に用い る香
を備え る。 全て整 っ た ら長 老 た ち に誦 経 を始め て も らう。夜に な る と,
象
脚鼓
の音
が雷の よ うに大 き く鳴 り響 き, 人々 は塔 を中心 と して 「翩 翩 起 舞」 とい うひ らひ ら飛び回 る踊 り を踊 る。 三 日にわた っ て 村寨
の 全て の人
が仏
寺で 過 ごす。 毎朝
毎 晩,寺 院
の 全僧 侶
が,沙 塔
で 凡そ30
分 の 誦 経 をす る。 第三 日の午
後に, 沙塔
を 片付
け た後,子 どもた ちは, 塔 心に 入れ ら れて い た硬貨
を貰
っ て 縁 起 物にす る。3
.当代
にお け
る溌
水
節
の地 域 的 な
特徴
の変
遷
溌 水 節は その 発
展
過程
で , 早 くに農
耕の 祭 日か ら仏 教の祭 日に変
遷 し, そ の 中で は, 仏 教儀 礼
の 実 行が最 も重 要な構 成 要 素に な っ た。 しか し現代 化 と 観 光 産 業の 深い 影響
を受 け る現 代社
会に あ っ て は , 溌 水 節は宗 教の 祭日 と し て 世俗化
の歩 調 を次 第に早め て い る。 伝 統 的文 化 は, そ の 消 滅 を防こ う とす る場 合 を除い て, 宗 教 儀 礼の 象 徴的 な 意義
が薄 まっ てい くが ,溌 水 節は祭日 と儀 式の性 質
に っ い て, そ の 元 来 有す る宗 教 的特
徴が 日ご とに薄 ま り, その ため に 民族 的
な あ るい は世 俗 的な祭 日儀 式 との 境界 が 日 ご とに分か ち が た く な っ て い る。 だ か ら溌水 節 を体 系的 に研究す る た め に は,仏 教の 儀 式な どの 変遷 と現 代 仏 教 の 発展変化 と を明 ら かに す る こ と が助けに な る。 現 代の 溌 水 節の 地域 的 特 徴 の 変化
は 主 に以下のい くつ かの 形で 現 れ てい る。16 パ ーリ学 仏 教 文 化 学 (
1
> 儀式 は娯 神型 (舞 神 型 )か ら娯 神 型(
錐 人型)
に変 化 し, 仏 教 にお ける神
聖性
質 特 徴は, 弱 くなっ て い る。溌 水 節の 期 聞 中の 「行 像」 とい う行
事
は, シ ー サ ン パ ンナ地 域 と他の 地 域 とを比
べ た時
に 一 つ の 大き な特
色が あっ た。 しか し ,最
近の行 事
で は,都市
の 溌 水 節に お け る行 像 とい う行 事は, その 地 位が低 く な りうす まっ てい る。 「行像
」 は依
然 と して保存
さ れて い る よ うだ が, 全 民 族 文 化 大 遊演
隊の 一部 分 しか占
め て お らず
, 原初
の 聖 なる偉 大 さ を感
じる こ とは大変難
し くなっ て い る。こ の 変
化
が近 年に現 れ た もの で あ る こ とは, 二種
類の 『西双版 納報』 中の 溌 水 節 に 関す る行 事 報 道 に つ い て み れ ば見 出す こ とがで き る。シー サ ン パ ン ナ 地域 の全 行 列 隊は合わせ て 三
隊
に分 け るこ とがで き る。 一 は俸
族 伝統
文 化の 行 列, 二 は 民族 芸 術 文 化 の 行 列, 三 は民族 民 問伝統文化
の 行 列で ある。仏教 的
色彩
を持
つ 「小 和尚
隊
捧仏 隊
」 は俸族伝 統
文化
の 行 列の中
に組み 入 れ ら れ , 俸 挙 隊, 民族 音 楽隊
僚 族 去 包 隊 花 腰 女 表 演 隊 俸族表 演 隊 民間動物表 演 隊
竹竿 木偶表演 隊
葫 芦絲表演 隊
と一緒
に俸 族 伝 統 文 化隊
に 入 っ て い る。仏
教 文化
と して の 「行像
」 とい う行 列 は, その 意 義が薄 れてい る。 歴 史的 な仏教文 化 の 「行 像 」 は , だ ん だ ん 人々 に 忘れ られ て しま うの だ ろ うか。 その神
聖 な権 威 は全 行 列 中で充 分 に表
現さ れて い ない 。 仏教
の 「行像
」 の時神
聖性
も次 第に 姿を消 して い る。 こ の 民族文化 的
一大
ペ ー ジ ェ ン ト に 表 現 さ れ た仏 教 行 事 「行像 」 の 歴 史も時を経 る ご とに 知る人 い な くな り,伝統仏
教の 「行像
」行 事
は民 族 文 化 大 遊 演へ と変 化 して い る と考
え られ る。溌 水
節
は , シ ーサ ン パ ン ナ地 域で 既 に農耕
民 俗的
な色彩
と仏 教 的な色 彩を 持っ 祭 日 と して の 行 事か ら,次 第 に大 衆 に迎 合す る観 光 文 化へ と展 観 し始め て お り, これ に よ っ て シ ー サ ン パ ン ナ地域 の 経 済の 発展を促進 す るための 文 化産 業
と な っ て い る。 こ の よ うに転換
して き て い る こ と を, 筆 者 は 、2003
年か ら2008
年 まで 五 年 に わ た っ て 行 っ た現 地 調 査 で詳細
に 記 録 して き た。 溌 水節
の よ うに,仏
教の 特 色が あ り,民 族 文 化 の 特 色が あ る双重 性 を特徴 と中 国 南 伝 仏 教に お ける溌水節の地博的な特 徴
17
す る祭 日行 事 は, 今日で は 、政 府が ,民族文化
の特
色 を生か そ う と計 画 し て い る中
で, ひっ そ り と変化
が発
生して お り, 宗 教 性が未だ全て無
くなっ た わ けで はない よ う だ が ,漸
次 弱ま っ て い る。溌水 節 におけ る流 行の受 容 と地 域 的差 異の漸
減
筆
者
が2007 年 4
月臨槍
地 域の 孟 定鎮
で 調 査 した際に, 村 の人 々 は,溌 水 節の 行 事の 中で イン ドの 腹舞
踊を初
めて行
い , 大変 人
気が あっ た。 イ ン ドの舞踊
を踊 る 人 は,各
国 の 民族 衣 装を着て , イ ン ド, パ キス タ ン , ミャ ン マ ー な どの舞
踊を舞
い ,観 衆
の喝采
を博
した。一
般
的に, 記念行 事
の中
で ,侃
族,徳昴族
,布 朗族
,彝
族,僚
族 な どの 少 数 民 族が それ ぞ れに持つ 独 特 な舞 踊 を踊 る こ とは,各
民族
が兄弟
の よ うに睦 み あっ て共 存
して い る とい う精神 的側 面
が,中
国 上 座 仏 教信仰
地域 の特
色で あ る こ と を 示 して い る。 し か し, 民族舞
踊 以外
の外
国 の舞 踊 まで 行 うこ と は,2007
年 以 前に は全 くな か っ た こ とで あ る。同時に臨
槍
地 域の 孟 定鎮
で は, 現 代都
市 化 した生活
の 中で , 第 一 回 ミス 水娘
コ ン テ ス ト(
第
一 届水
姑娘
選美
人)
の大 会 を開催
した。 こ の よ うな変化
は どれ も外部 で も見 られ, 臨 滄 地 域で は既 に流 行 感 覚の内容
も交
じっ てい る。シ ーサ ン パ ン ナ地 域 で も, 既 に流 行が 変 化 して い る。
2003
年か ら 「民 族 文化
大演 出
」 が新
し く増
加 し始
め。2004 年
「国際美食 節
」,水 幕 映画
,有
名歌 手
の演 奏 会
な どの行 事
が増加
した。 また 「俸 暦
1366
年 新 年説 曁
2004
年 中
国西双 版納 国 際 溌 水 節」 の 到 来 に伴っ て深い伝 統 文 化を持っ 景 洪城
は大 い に 賑 わい , 数 万 人 を超え る各
民 族 及 び各
国の 人 々 が押 し寄せ , 盛 大に 祭の 期 間 を過 ご し た。 こ の 年か ら毎 年シ ー サ ン パ ン ナ 地 域 で は, 「溌水 節 」 の 行事 を 積 極 的に経 済 発 展の 機 会 と して い る。例 え ば,
2007
年4
月, シ ー サ ン パ ン ナ州の 郵便
局 は,政 府に よ る溌 水節
の 宣 伝 を契機
と して 開催 さ れ た 「刀美 蘭 舞踏
芸術 50
周年
」 の 講 演を記 念 し, 記念 切 手帳1000
冊 を発行 した。2007
年4
月 】0
目,第
一 回 中 国 普酒茶 戦略 連 合 論 壇 峰 会の 百 年 貢 茶 を 迎 える儀 式が, 景 洪で行
わ れ た。
18
パ ーリ学仏 教 文化学観 光 客 を呼び込む た め に シ ー サ ン パ ン ナ地 域で は , 特に 溌 水
節
誦 経儀
式の 行 事 を景 洪 地 域 にある 「工人 文 化宮
広 場」 で 行い ,十
七 名の 仏爺 (
長 老)
が誦 経
し, 四度
巡回
し た。誦経
の声
は美
し く天地 に 充 満し た。誦
経の 後,長 老
た ち は, 聖 な る水 を人々 に注い で 祝 福 し た。 人々 は合 掌 し, 盛 大 な溌 水 節 を始め , 午 前11
時半
か ら 「波章
」(
宗 教儀
式の 司 会者
・導師)
が瀾槍
江 か ら取
っ て き た 「吉祥 水
」 を文化 宮広
場 に運ん だ。 十七名
の仏爺
は,再
び 「吉祥
水」 に 向かっ て誦 経 し祝 福 した 。 伝説
の七 名の娘
を演 じ る七 名の 俸 族の 少 女 は銀鉢
に 「占祥 水
」 を取
っ て ,両
手で州 副書 記
と州長
に差 し 上 げた。 州長
は, 「景 洪 城 歓慶
俸 暦1369
新 年 祝 賀 溌 水 行 事を開 催 しま す」 と呼び か け な が ら, 「吉 祥 水 」 を人々 に か け た とい う。 その 直 後 に, 大 鼓が 打 ち鳴
ら さ れ , 歓 声が わ き たち, 「吉祥
水」 が空一杯撒
か れ た とい う。シ ー サ ン パ ン ナ 地域 の 影
響
で ,他の 地域で も,俸
族の新暦年 (
溌水 節 )を 迎 える祭 事 を機に観 光に 生か して経
済 発 展 を促 進さ せ ようと して い る。 こ う した影 響 で, 中国 の上座 仏 教の各
地域 での 差異 が 小 さ くな っ て い る。4
.変
化
の原
因
〔9) [1
)
各 宗 派 相互 の承 認雲 南 省の 上 座 仏
教
の宗派 相
互で の 差 異 は, だ ん だ ん 減 少 して い る。 二 〇 世 紀,80 年
代 以降
は,相 互 交 流 が徐 々 に密接
に な っ て い る。 今 日で は お 互 い を尊 重 し, 親 睦共 存す る とい う歴 史 的な新 局面
が 見 られ る。 撰 庄 派に し て も,楞潤
派 に して も,撰
坦 派に して も, 撰 孫 派 に して も,多
列 派 に して も , 宗派を 問 わず, 相 互 に 団結す る こ とに 意 を 用い てい る。 お互 い の善 所 を 取 り,弱い 点を補 う と言 う方 針で ,相 互に理解 し協 力 し発 展 しよ う と し て い る。 形 式上 は 統 一 を 唱 え ,儀
礼上 は相 互 に 尊 重 しあい , 一緒 に夏 安 居 に 入 り, 一緒
に安 居 を解
き,維
薩 辛(
ウ ェ サ ク)な どの 重 要な祭 事 を 共 同で開催
し, 同 じ仏 寺で 行 事 を行 うこ と も常 となっ て い る。 そ の 他お互い に 僧 侶 を派 遣 して仏
教 研 究 会を 開 催 して い るv 例 えば ,1980
年か ら, 徳 宏俸 族景頗 族自
治州 の 州 仏 教協 会 は, 進 注(
関
門節)
, 出佳(
開 門節 )
, 溌水 節
な どの 主要中国南 伝 仏 教にお ける溌 水 節の地 域 的な特 徴
19
な仏教行 事
を統
一 して開催
す る こ と を 決め た。 こ うし て各 宗 派 に は, 重要な 仏 教 祭 事 を共 同で 開 催す る動 き が形成
さ れて い る。組織
活動
の方 式政府
部 門
に よ る組織
と管
理 は, ま す ま す積極
的に 行わ れ て い る。 地 方に よっ て は, 政府側
が直接
に仏教行
事を管理 してい る。例
えば,郷 (
日本
の郡
相 当)
で は, 政 府が 主 催 し管 理 す るこ とに なっ て い る。 二 〇 世 紀80
年
代 以 来, 中 国政 府の 宗 教 政 策 と社 会 経 済 発 展な どの 影 響で , 宗 教 文 化 と社 会 経 済発展 及
び, 民族 文 化 との関係
は密 接
にな っ て い る。宗
教行 事
は, 次第
に 民族 文 化 の 祭に転 換 して お り,宗 教の 色 彩 を弱め て い る。 政 府の関 係部
門は その 地 方の経 済 を発 展 させ る機 会 とし て, 「文 化 搭 台 ,経
済 唱 戯」 とい っ て, 文化
を土 台に して経 済
を発展
させ る役割
を担
わ せ ,伝 統的
な宗教文化 祭事
の中
に,経 済 を発 展 させ る内 容を 加 えて い る。 溌 水 節に つ い て い え ば, 溌 水 節の宗教
的特
色は失
わ れ, よ り多
く商業
的傾
向の経 済 行事
が現 在 の 溌 水節
日程
中 に盛 り込 まれて い る。 シ ーサ ン パ ン ナ 地域
で は,溌水節
の 記 念行事
は,榛 暦
の暦 法
に よっ て定
め られて お り, 毎 年, 西暦
と多 少 異 なっ て い た が, 方 便 と し て シ ー サ ン パ ン ナ地 域 の 俸 族 自治 州は, 自治 州 人 民 大 会 常 任 委 員 会の 立法 に よっ て, 毎 年 西 暦 の4
月13
日か ら15
日 を 溌水 節 に決 定 し た。 同時に1999
年
か らは, シ ー サ ン パ ン ナ地域
の俸族 園
で は, 「天 天歓度溌
水節
」 とい っ て, 毎 日午後 2 時半
か ら,時
間を限っ て村 の 若い 男女が , 観 光 客の た め に溌 水 節 の 活 動 を行 う よ うにな っ た。 溌 水節
は,観
光客
と観 光会社
の た め に ,毎年
一 度 だ けの 俸 族 の 新 年 を迎え る行事
とい う概 念を既に失 っ て し まっ た とい え る。 溌 水 節 は, 遊 び と して 文 化 産品 に転換
され てい る よ うに見 られ る。発 展 し た 地域 文 化の承 認 と受
容
発
展
して い る地 域 の 仏 教 文 化 は,他地域の 人 々 の 学 習モ デ ル と なっ て い る。 シ ーサ ン パ ン ナ 地 域 の 仏教 の 現 状 は , 徳 宏 地 域, 思茅
地域
, 臨槍
地域
と 比 較 して , 二 〇世紀
80
年代
以 後 の復
興 発 展 の 過 程 で 常に 好 調で あっ た 。 雲20 パ ーリ学 仏教 文化 学
南
省の 上座
仏 教 と して は常
に主導
的 地位
に あ り, 現代的 な 通信 手 段や交通手 段の 設 備が進 歩 し、 各 地域
との仏教 交流
は ま す ま す盛
ん に な り,様
々 な交流
会
な どが行
わ れ てい る。仏 教
行事
な どの あ り方 もシ ーサ ン パ ン ナ地 域 の 仏 教 行 事 を模 範 と して い る。 地 方 に よ っ て は直 接 タ イや ミ ャ ンマ ーの 仏 教儀
式の 方 法 を取
り入 れて仏
教行 事
を行
う とこ ろ も あ る。 ま た積極 的
な政府
の溌水節
へ の関
与 に よっ て,溌 水 節 を商
標 化 し民 族 文 化 財 とし て広
く宣
伝 してい る。 特に シ ー サ ン パ ン ナ地 域で は, その積極
的な効
果が 顕れて い る。 昔は, 歴 史 的 な 要 因 と宗 派 の相 違に よっ て, 溌 水 節の行 事 も異な っ て い た が, 今 日で は , 民族文化
と して,徐
々 にシ ー サ ンパ ン ナ 地域
の仏 教 文 化を模範
と して行 わ れ る よ うに なっ て来
て い る。 こ うし た影 響で , 仏 教 文 化 も民 族文
化 財 とし て世俗
的商
品に転換
さ れて, その差 異は, だ ん だ ん無 くなっ て きて い る。お わ り
に溌 水
節
は東
南ア ジ ア仏 教国 と中
国雲南省
の 上 座 仏 教を信 仰 して い る仏 教 と の共 通
の祭
日で あ る。 こ の 溌zk 節
は,主に仏 教
を伝
道す るこ とが 目的で あ る。 そ の 発 展 過 程の 中で , 明らか に地域 的な民族 的な特 徴 を顕 して い る。 し か し, 現代
化 と観
光 行事 化
を反 映す る現代
の 社 会で は, 溌 水 節は,純粋な仏教
の祭
日法会
か ら世俗 的
な祭
りへ と進
んでい る よ うに思 われ る。 同時に地 域 的 な特 徴 も大 き く変 化 して い る よ うに思え る。 溌 水節
は,雲 南省
の ヒ座仏
教 を信 仰
す る地域
で は,農耕 民俗
的様 相
と仏
教 行事
的様 相 を 持つ 祭 祀 行 事か ら, 人 々 に 迎合 す る大 衆 化 し た観 光 業 事へ と次 第に変 化 し て い る。経済
発展
に よ っ て 起 こ る文 化 産 業 と そ の 商 品 化,世 俗 化の 特 徴 に よっ て , 地域 間の 差 は小 さ くなっ て い る よ うに見える。 こ の よ うな現象
が, 人々の 注 目や関
心に 値す るこ と は疑 うべ く も ない 。 注 (1
) 詳 し くは別稿 鄭 筱笏 『溌 水節 伝 説各 種 異 体 故事及 其 関係』 (未 刊 )。中国南 伝仏教にお け る 溌水 節の 地 域 的な特 徴