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パーリ学仏教文化学 (22) - 005鄭 筱〓・嘉木揚 凱朝 [訳]「中国南伝仏教における溌水節の地域的な特徴」

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全文

(1)

中 国 南

お け る

溌 水

地域 的

特徴

鄭     筱  笏  著

揚 凱 朝

 

 

溌 水 節は,東 南ア ジア の

教 国と

国雲

省に お け る上座 仏 教を信 仰して い る仏 教

共 通記 念 日で ある。 こ の 溌 水

は,

仏教

伝 道

す るこ とに主 た る 目

が あ り, その発

の 過

に地 域 的, 民族 的

特徴

わ れてい る。 し か しなが ら,現 代 化 と観 光行 事

な どの 影 響 を受けて い る現 代 社 会で は, 溌 水 節は仏 教の 記

日か ら世

化 し た祭 日に

変化

し て い る。

同時

に地

的 な

徴の変 化 も あ るの で こ の 問題につ い て研 究 す る必 要が あ る。 本 研 究に よっ て 溌

水節

が,

中国雲 南省

定 着

し,

発展

し,

変化

して い る

況 を把 握 し理 解 す る こ と が で き る と考える。

1

雲 南 省 に

上 座 仏 教 が

もつ

地 域 的 な

特 徴

族 性

 

雲 南 省の 上座 仏教 は,東 南アジア上 座 仏 教の 影

を深 く受 けてい るが ,

さ れ た

宗派

の 違い と

言 語

い に よっ て,

け 入 れ た文

影響

合い とその

式が異なっ て お り, シ ー サ ン パ ン ナ

西 双

版納 )

の 中心 に 位置 す る シ ー サ ン パ ン ナ お よび思

t

徳 宏

心 とす る地

臨滄

心 とす る 地

ける こ とがで き る。

 

そ れ ぞ れの 地域で は 上座 仏

統 を

護 持

す る一 方で , 相

の差 異も

存在

す る。 主 要な差 異は制 度の 面に あ る。 例えば, 仏 に 対 す る礼 拝な どの 習 俗 ・ 様 式に顕 著 な 差 異が 認め られる。 シ ー サ ン パ ン ナ ・思

で は, 主に 上 座

教の 中で潤 派 を中 心 と し, 古 代 蘭

王 国 の 法

を受 け

い で い る。

っ て,制 度 的な変 化は相 対 的にい え ば 明 らか に

単純

で ある。

(2)

 

4

       パ ーリ学 仏 教 文 化 学

 

暦の

2

幹 節 に は,全 比丘 は,行 政 単位で ある動 ご とに, 中 心

仏寺

ま る。

寺 内

の空地 に茅

きの 小 屋を建て, 十日十 夜修 行に精 進す る。

午 前

初 夜

,午 夜 の 三 時に座禅を す る。 朝 晩は本 堂で誦 経す る。 昼, 布 薩 堂 に集 まっ て それ ぞ れ に過 し た 全

丘は一列 に 並 んで堂 を出て , そ れ ぞ れ 左

を ,

禅 杖

ち ,

袈裟

偏 袒

右 肩 に

け ,

足で, 胸 の 前に鉢 を持ち, 隊 列 を組 んで 村へ 托 鉢 に行 く。 信 者 は, 村の 入 口 で 比丘 に

供養

す る。 こ れ は, 全 く

仏教従来

伝統 的

僧 伽

にお け る生

活様 式

え るもの で あ り, シー サ ン パ ン ナ地 域 に お け る 「潤 派」 とい う上

座仏 教

に特 有 の の で ある と考 え られ る。

 

一一方,

宏を

心 とす る地

で は, 四つ の

仏教

宗派

まっ て い る た め に複 雑で ある。 四派の 巾で ,撰 庄 派, 多 列 派お よび左 抵派 は,直

に ミャ ン マ ー か ら伝え られ , 潤 派 は タ イ か ら臨 槍 江 に沿っ て徳 宏 地 域 に伝わ っ た。 徳 宏地域の 潤 派の 仏 教 と, どシ ー サ ン パ ン ナ 地域 の

の仏 教 と, 基 本 的に 同

で ある。 所

典 は すべ て シ ー サ ン パ ン ナ

文字

か れ て お り,法 要 ・法

とい っ た仏 教 行

もシ ー サ ン パ ン ナ地 域 と同じで ある が 他の 三 派,撰 庄 派, 多列派, 左 抵 派 所 依の 経 典 はすべ 徳 宏榛 文 字か れ て い る。 それ ぞ れの 派の 戒 律 に よっ て 区別で き, 潤 派 仏 教 とは,

仏教行事

で も

若干

の 差

が見ら れ る。

 

臨 滄地域の 仏 教 は, シー サ ン パ ン ナ地 域の 仏 教と徳 宏 地域 の 仏 教 の 中 間 的 な位 置にあ る。 両 地 域の 影 響を受 け なが ら,

歴 史 的発展

の過

で 本 来の 土着 的な信 仰な ど民 族的 な特徴 も融 合 して い る。 仏 教の 行 事に は, 徳

地域 の 仏 教特 徴が ある が , シ ー サ ン パ ン ナ地 域 の 特 徴 も見 られ る。 歴 史的 に は, 多 列 派 と左

抵 派

が , ミャ ン マ ー

直接 伝

の で , ミャ ン マ ー

仏教

流 派 の 特 徴 が見 られ る。

2

溌 水 節

地 域 的 な 特 徴

溌 水 節は, 上

仏 教 を

信仰

して い る

南ア ジ ア

教 国 と

雲南省

にお け る仏 教 徒に共 通す る祭日で , 仏 教 を伝 道 す る こ とを 主 目的 とするが, 明 らか

(3)

       中国南伝 仏 教に おけ る溌 水 節の 地 域 的な特 徴       5 に 民 族 性い に よ る

異が あ り,地

そ れ ぞ れに独 自の 民 族 性 を示 して い る。

 

」 的

点か ら見れ ぼ, 溌

水節

念 日 とする の は , 農

の祭 日で あ り, また

仏教

で あ っ た ものが, や がて民

文 化の 祭 日 へ と

変遷

して き た もの と考え られ る。 変 遷 の 過程で こ の 祭日は 一一 中国座 仏 教

を 受 け なが らも, 個 性 的 な 民族 的

徴を

するに至っ て い る。

に , 溌

水節

わ る

故事

事の

容,

式そ れ ぞれ に

顕著

で あ る。 し た が っ て これ らの現 象に対 して研 究を進め る こ とに よっ て , 発 展 し変 遷 して き た過 程を知 る こ と が で き, 溌 水 節 の

化の 有

徴を把 握で き る と

える。

 

雲 南

溌 水 節本 来は, 俸 族の 新 年 行 事で あっ た とされ る。 愼 西 南 地

で は

6

月か ら

10

月まで は

雨季

ill

か ら翌

1

まで は 温 涼 季,

2

月 か ら

5

月 まで は熱 季 で あ る。 自然 環 境 の影 響で,

西 南地域に居 住 して い る 俸 族で は, 収 穫の 季 節 は, 多 くは雨 季 後の

10

月か らで, 収 穫 し, その

後 食

糧を

倉 庫

に 入れ る。 その た め の 新 しい

倉庫

は , 翌 年の

2

月か ら

3

月 まで に

す る よ うに

て ら れて い る。

 

西 南 地 域で は,

6

月が年の

・ 周 期か ら第二 周 期 に入る季 節 とされ,

族は

6

月 を年の め と して い る。 そ こ で , 「迎 新 」 が行わ れ る。

 

シ ーサ ン パ ン ナで は ,祭 日の

一 日を, 僚 語で 「宛 墨 」 とい う。 これ は中 国 漢 民

の 旧

節の 晦 日に相 当す る。 各 家 庭で大 掃 除を

い , 買い

を して正 月の 準備をする。 昼 に は さ まざまなお祝い の 行 事 を す る。 例え ば, 賽 龍 舟, 歌 舞

表 演

, 買い

の 交

, 赴

な どが あ っ て , 「

」 を す る。 夜は , 映 画を放 送 し ,高 く放 水 した りす る。

 

第二 に は, 「宛 悩 」 とい う祭が あ る。 「

」 は , 「空日」 とい う意

で, 旧年に も新 年 に も所

し ない 「 で あ る と さ れ る。 民

で は, 「

悪 神頭顱

腐 爛 之 日」 と呼ば れて い る。 主

な行

は, 「 溌 水」 とい う祭で,今 日で は, 民 族 文 化 大遊演 と赴 撰 とい う祭に 変わっ た と さ れ る。 即ち ,

族に お け る風 情 と習俗に

す る大 規模 な展 示 活 動を指 し てい る。

 

三 日は, 「

宛岶

」 と呼 ば れ る。 こ の 日は 「 日様」 が人 間界 に 来 臨

(4)

 6      パ ーリ学 仏 教 文化 学 す る 日 と考え られて い る。 正 月に

相 当

す る。

本 来

は こ の 一

EI

, 堆 沙,浴 仏, 滴 水, 放

昇,拜 年

新 年の挨 拶

,溌 水な どが行わ れ るが ,今 日で は,

都 市

で主に

新年

拶 と溌 水が行わ れ てい る。 村

で は, 昔の 伝 統 習 俗をそ の まま保

し, その 上に

音 楽

な ども加 えて い る とさ れ る。 他の 地

で の 溌 水 節 は, 俸 族 文 化の 影

が 大 き く,基

的に は 同

で あ る と考え られ てい る。

1)

溌 水 節の伝 説 ・故 事

型の地 域 的

特徴

につ い てω

 

在収

集す る こ と が で き る溌 水 節

説 に

す る

史料

の 主な

所は, 二

で ある。 最 初は文 章 化 さ れて書 籍 中に収め られた文 字 記 録 (漢 字 と榛 文で収 め られた もの の 二

種類

が あ る

民 間

の 凵

伝資 料

か ら収 集 さ れた もの , 各 地 の

行 団

に よる

宣伝

資 料 に載せ ら れ た

簡単

紹介

で あ る。

 

これ ま で に収 集 され た溌 水

の 伝 説 ・各 種の異なっ た故 事に よ っ て流

の 過

れ た もの を

参 照

し な が ら地

特性

を明 らか にす るこ とに よ っ て , 溌 水 節 伝 説 ・故 事の 主 要 なテ ーマ の

の 分

を明 ら か に す るこ とが で き る。 一般 的に は

溌水節

伝説

分 類 す とが

第一類

季 節 に関わ る伝 説 と故 事一 善 悪 判 断 し ない 種 類

 

故 事の 主

は, 明 らか に溌 水 節の

伝説

故事

の 比

い 時期の

品に属 して お り, その 重 要な 内容 は こ の 溌 水 伝 説の記

述 箇

所 と

通っ た とこ ろ が あ る。

農 耕

民 族 と して の 俸 族 の 歴 史 文 化的 な 過去を反映 す る原 初 的な特 徴 を

っ て い る。

 

俸 族の こ の 種 の 文 献 に記 載さ れた 故 事 は創 世 史 詩で あ る 『 達 麻 嗄 捧

』  が代

的で あ る。 こ れ は シ ー ン パ 地 域 僚 族 創 世 史 詩で , 貝葉 経 に記 録 され, 榛 族 地 域に

承さ れ た。 そ の 内二 つ の 事

の 内容が,溌 水 節 とい う節 口の 淵源 に

れ て い る。 こ の 他 に徳

臨滄

地 域に も溌 水 節 に関して は, 淵源説 話 と共 通す る部 分を持つ 伝 説が ある。 総 じ て こ の 類 型 の

伝説

は,

く, さ らに大

分で は文

素朴

(5)

       中 国 南伝 仏 教に お ける溌水 節の地 域 的な特 徴      

7

流 暢

あ り 過 度

飾が な い 。 こ の

型の

承は次の 要

を備え て い る。

 

あ る大

原 因

季 節に 混 乱が 生 じ,

暑が

ま ら

, 民が 困   る。

 

こ の 問

決の た め に大

さ れる。   大 神 を殺 した人は,彼 の実の で あ る。

 

を殺 す 方 法は, 髪 の 毛で 首 を切 るこ とで ある。

  大神

の 死

は地に

ち てす ぐ

え だ し, 人 間に様々 な災 害 をも た ら

 

す。

  娘

が順 番に 父 の

を抱 く と, 火 は再 びは燃え な い 。

 

こ の女の た めに

洗滌

す る。

 

こ の ほか

地 域で は, 上

基本 要素

の プロ ッ ト,

えば

民 間

青年

が上 天の 命に よ っ て天 帝の 文で 死 ぬ(3)とか, あるい は天 神が青 年 に変 化 す る とか, 「

串姑 娘

」 の

形 の 七 女の

力を

け る な どの

説話

が加わ るが,

基本 的

要 素

わ ら ない 。

 

総 じて い え ば, シ ー ン パ ン 地 域

て い

創 世史詩

麻 嗄捧 尚羅

』 と同じ よ うな

説 話

伝説

に は,登 場 人

す る明

貶 的傾 向は見 られ ない さ れた大 神が民 間 に災い を もた ら し て も,依 然 と して 民

に お い て祭 られ る し, 彼が処

された こ とは, そ の

季節

を定め る時の 誤 りで あ っ て 、 民

反抗

で は ない 。 ま た同

故事

の プロ ッ ト

の 神を殺 した女児に よる懲罰 も そ れ ほ どに厳

で は な い 。

 

こ の

立年 代か らい え ば , これ らは比 較 的 古 く, 俸 族 稲 作 文 明 に あ る奥 深い 文 化委 曲や特 徴 を忠 実 に反 映して い る。 ま た

期に亘 る

流伝

と創 造の 過 程 同 様系統

や 理

論性

, 一

貫性

を も ナ リ オ を

成 して た。 こ の よ うな故

が シ ー サ ン パ ン ナ ・思

, 臨

榛 族

中に流 伝 し, ま た徳 宏 地 域の 俸 族や徳昂族の地 域 に も伝わっ て い る  。

第二

賭 頭

安 象頭 )

類 型

 

こ の 種の 伝

くな い 。 主 に徳 宏 地 域に伝 承 され て い る。 その 中で

(6)

 

8

      パ ーリ学 仏 教 文 化 学 整 っ て い る もの は江 応

櫟氏著

の 『

僚族 史

に所

伝説

で あ る。 これで は仏

法 を定め る

伝説

れて い る。 しか しこの

法の 正確

i

さにつ い て太 白 金 星が疑 い , 人の 頭 を 賭 けて 再 び 新 た に

法 を制 定 した が, 失 敗 に

わ っ た。 彼の 頭が地 に落ち る こ とに よっ て 大 火 が 引 き起 こ さ れ , 玉皇大 帝は七 人 の

遣 して,順 番にか わ るが わ る こ の頭を抱か せ た。 交

す る時に人 間 界に鮮 血が 降 りか か り災

を も た ら す の を避け るた め に , 溌 水 洗

し な け れ ばな ら ない こ の

伝説

は明 らかに仏 教 と

道教

との

い を反 映 して お り, 争 論 の 結 果仏 教が道 教 に 勝 ち道 教っ とも典 型 的な

在で ある太 白金 星が 自分 の 約 言 を実 現 し な け れ ば な らな い た め に負けた ら賭けた頭を割 るの だ と い う(5}。

 

注 目すべ は こ

故事

ン ドの 象 頭

神 (

ガ ネ ー シ ャ

)伝説

流伝

想 起

させ る こ とで 両 者関 係 は言 を また ない 。 し か し こ の 故 事が か ろ うじて 徳

宏地域

俸 族

にだ け

伝承

され て い る こ とは,

宏 地 域の

の ,

宗教

が 発 展 す る ときの 複 雑 な背 景, 仏 教が伝 播 する過 程 で発生 し た他の 宗教 との

い と

融 合

状況

るこ とがで き る。

第三 類

闘 魔 故 事の

 

こ の

は シ ーサ ン パ ン 地 域で は広

囲に流

してい る。

臨滄

で は わ

か に見 ら れ ,

宏 地

で も けっ して

が っ て い ない 。

 

こ の 故 事 は

王 と七 人の

故 事 及 び

王 と七 人の

故事

の 二 つ に

け られ る。 こ の う ち

王 と七人の

の 故 事の 方が や や

く成 立 し, 魔王 と七 人 の 妻の 故 事 はや や遅れ て生 ま れ た。

 

こ の 伝 説 は各 種の 新 聞雑 誌 類, あ るい は

各種

宣 伝

に散 見す る。 そ れ らの

くは散

さ れ, 文

精 緻

で し ば し ば多 くの 字 数 を

い て , 人物 の形 象 を描き 出 して い る。

 

その

代 表

な もの は 『 榛 族 民 間事 集 成 所 引

溌 水 伝 説 」 で ある{6)。 基 本は, 第 一

伝 説

した もの で あ り, その 中で 最も変 化 し た部 分 は,

(7)

      中 国南 伝 仏教に おける溌 水節の地域 的な特 徴      

g

  殺

さ れ た

で はな く, 悪 事の 限 りを尽 くす魔王 で あ り, 人々の 怨

の   声が道 に溢れ た。

 

その 娘 或い は掠 われ て きた

は, 民の

を除 く ため に

王 を

す こ と を決  心 す る。

 

酒 を呑 ませ て

E

わせ

の 情

を得た。

 

髪の

使

っ て

王 を

民の

を除い た。

 

人々 は英 雄 を記 念す るた め に毎

溌 水

を行っ た。 とい こ とで あ る。

 

これ を見 る と主要人物の役 割が大 き く変化 して お り, そ れ ぞ れ に 明

な善 悪 傾

が現れ て い る。 この

語の 叙 述 に は歴 史 文

に ある正

が 必

ず邪

悪に

利す る とい う図 式 をな ぞ らえ る, 英

を宣 揚 す る社 会 背 景が あっ た。 こ こ では 「

麻点達

拉乍

」 は現 世 に災

を も た ら す悪

で あ り, 彼の

た ち は人 間 界の た め に害を除 く英 雄 で る。 人は, こ の 七 人の 娘が大 義 親 を滅 し, 民の 害を除い た こ と を 記念 して, 毎

溌水

を挙 行す る。 一見 す る と

は比

原始

的な形 態を現 して い る よ うだ が , その

き な

文化

感染

力に よっ て俸

の 生 活の

に 浸透 した こ と で ,結 果 第…類の 伝 説 と共

す る局 面 を形 成 し,甚だ し きに至っ て は, 時 として 政 府の 提 唱 と宣伝 に よっ て 主 導か っ

定 的な地

権 威

の あ る テ キス ト となっ た の で あ る。 しか しこ の プロ ッ ト と

写 方 法か ら見る と,第一類 型の故 事 との

接で あ り, こ の類型 は第 一 類の 故 事の 基 礎の 上 に さ らに発

し た もの とい で ある。

 

こ れ らの こ とか ら原 始 農

耕 時

代は,溌 水 節の伝 説の

芽が あ り,伝 説の 伝 承 過 程 で

文化

の 影

に よっ て 伝 説 は不 断に

異せ ざ るを得 ず, シ ー

故 事

を 主

故 事

, 闘 魔 を 主題 とす る叙 述 形 式 に 変 遷 し, 現 在 広 く知 ら れ て い る の は闘 魔主題 で , 思茅地域が代 表で あ り, 臨 滄 地域 もこ の

向が あ る ω が ,

で ま だ

節 旬

の 故 事が

心と なっ て い る。

(8)

  ユ

0

      パ ー学 仏 教 文 化 学

2)

溌 水 節の地 域 的 な 特 徴

 

雲 南 省の 上 座 仏 教は , はっ き り し た地

域 的特

徴を

っ てい る。 し か し

南 ア ジ ア

国の上

座 仏教

と同 じ く, 仏 教 各 宗派 の 主 要 な 区別は , 教 学 理 論の 方

にな く, む し ろ仏 教 戒律や 誦 経の

調 の差異 な どに よ り多 くみ ら れ る。 し た が っ て , 雲 南

の そ れ ぞ れの 地域の 上座 仏 教に お い て, その祭 節な どの仏 教 の

行事

で は,

微 細

で地 域 的 な特 徴が 現れて い る。 その 相 違 する点は主 に仏 教 行 事の 内 容に あ り, 溌 水 節につ い て い えぼ, 採 花, 行 像, 浴 仏, 堆 砂 な どの 溌 水

活動

られ る。 シー サンパ ンナ の場 合

 

シ ーサ ン パ ン ナ地

で の

溌 水 節

は, 一

3

日か ら

5

日 か けて

開催

さ れ る。 最

の数 日間は, 年を送 る行 事で あ り,最 後の 日は,

新年

を 迎 える行 事 となる。 こ の 数 日間 を他の 地 域 と比 較 して , 最 も重 要 な差 異は, シ ー サ ン パ ン ナ地

に あ る

総仏寺

わ れ る行

行 事 と溌

にあ る。

 

祭 の 日, シ ー サ ン パ ン ナ 地域 で は,

県で あ れ ば

族 の

青 年

男 女 は皐 朝

5

時す ぎに仏 寺に赴い て , 仏 爺 (長老

の 念 経 を聞き , 景 洪 市で は や や お くれ て 仏 寺 に行 くが

村 人 は全 て , 必ず 沐 浴 を し な け れ ば な らず,祭 用 の

盛 装 (

仏 寺

潅 仏 (

餤 仏 )

く。

潅 仏

, 仏

で 「 砂」 とい っ て砂で

4

ない し

5

基の 塔を作 る。 村 人全てが塔を囲ん で

り,

誦経

く。 そ の

て て お い た 竹 屋に仏 像 を迎え, 女

た ち は, 香 花 を浸 し た呑 水を もっ て , 優 し く潅 仏す る。 雲 南 省で は仏 を 「

」 す る とい う。 仏 寺で の 潅 仏を終え る と, 人々 は溌 水 の 遊 び を始め , 互 い に 祝 福を す る。

 

景 洪 市の 場 合 は, 人々 は浴 仏の 前に 「

総仏寺

仏 像

をお迎 え し, 車 に載せ て 供 養 行 事を盛 人 に催 し, 「行 像」 を行 う。

 

か つ の シ ーサ ンパ ン ナ地域で の 最

統治

で あ る 「召片 領」 の 管 轄 地 域 を練 り歩き ,大 通 りをひ と とお り廻 る。 沿 道の 人々 は歌 と踊 りを捧 げる。 最 後 に総 仏 寺 に戻 り, 神聖 荘 厳な浴 仏 法 会 を行 う。

(9)

      中 国 南 伝 仏 教に おける溌 水 節の地域 的な特徴      

ll

臨滄

地 域 の

事例

 私

た ち が

調

査 した過

たのは ,

僚 族村寨

で も, あ るい は

布朗族

や ,

族の 村

で も, 擺

派, 潤 派,

列 派 を問わず, そ れ ぞ れの 部 族が集 落で溌 水 節を過ごす の に, シ ー ン パ ン

の景洪

で 行っ て い る 溌水

の よ う に は , 溌

の 行

と して 「行

」 な どの行列 を盛 大に は行 っ て い ない こ と で あ る。 しか し, ひ と しなみ に 「

」 や 「堆 砂 」 の よ うな行 事 は盛 大 に 行っ て い る。 こ の 地

内で

堆砂

行 事

が行わ れ る

, あ る地

で は

2

う し, ま た あ る地

で は 一

せ る ろも ある。

え ば ,滄 源 県の 班

族 自

治 郷の価 族は,潤 派 仏 教を信 仰して い る が,

2

回の 「堆 砂 」 の 行 事を 行っ て い る

榛 族

暦)

新年

1

溌 水節

第 1

で ある。 こ れは, 旧

れ な どを

駆 除

し,

新年

え るた め に

う。

2

回 目 は ,

族の

新 年

3

溌 水 節

3

で あ る。 その 時 は新 年 を迎え, 幸 福 と平 安 を祈 願 する た めに

う。 し か し,

滄源 県

動角

僚 族

彝族

族の

治郷の 人 々 は同じ く潤 派 仏 教 を信 仰 して い る が , 溌 水 節の 第 一一 け 「

堆 砂

」 の

事を行っ て 旧年 を送 り新

えて よ し とす る

 

そ の ほ か

2007

年 に調 査 し た結 果 で は,臨

地 域 の 耿 馬 県に あ る総 仏 寺の 僧 侶が 溌 水 節の 遊 行 活 動 に

加す る場 合,徳

地 域や シーサ ン パ ン ナ地 域 と 大き く

なっ て い る。

馬 県 総

寺の 僧 侶が ま

に立っ て

総持寺

出発

し左 手に

を一杯 入れ た器 を

ち, その上に

新 鮮

し,右 手に

ち, 一一 列 に並 び,

各 村寨

信 者宗

徒 が随 行 す る。 群 集 も

年齢

高低

に 従っ て 老 人 と小児を

頭に し,後に年 若 い女の 子 と男の , 少 女 , 少

く。

青年

も女 性 を先に ,男 性が後に なっ て, 全

を 一

入 れ た器を

ち, そ の 上 に

鮮な花を差 し, 右 手に

ち 一 に並んで, 耿 馬 県に あ る 一番 大 き な

青樹

が 生 え 孔 雀 坡 けて 出発す る。 そ こ で

は 「

象」 の 到着を待つ 。 白象の行 列 が着 く と,遊 行 の 人々 は, 耿 馬 県 総 持 寺に 向 けて移 動す る。 白象 遊 行の 行列 の 人 々 は道 すが ら 歌を捧 げた り

げ た り し な が ら

んで は踊 り, 踊っ て は

む。

 

沿道の人々 は しき りに行 列の 人 々 に

の 水をそ っ とか け る。 総 持 寺に着

(10)

12

パ ーリ学 仏 教 文 化 学 浴 仏 (潅仏)のを始め る前 臨 滄耿 馬 溌 水 節僚族僧侶 臨滄地域溌 水節 浴 仏 亭 く と人々 は

っ て い る

と花を あ ら か じめ

んで お い た砂の 塔 に差 し 次 に

堂 に入 っ て

御 経

わ る と 人 々 は 寺 院 境 内で 「

象 舞」 「馬

鹿舞

」 その他の陽 気 な 民族

踊を舞 う。 舞い 終わ っ た ら,っ い で人々 は互い に水 を

け合っ て

祝福

す る

 

注 意す べ こ とは, 徳 宏 地

の 僧

は溌 水 節 の 行 列 に

参加

す る

に,

子 をか ぶ る こ と と傘 を持っ こ と を禁 じ ら れて い るこ とで あ る。 こ れ は

滄地

(11)

      中 国 南 伝 仏 教にお け る 溌水 節の 地 域 的な特 徴 と徳 宏 地 域で もっ とも異な っ て い る とこ ろで あ る i3

宏 地 域の 事例

 

溌 水

に は,

花, 浴

堆 砂

溌水

う。 その

で ,

採 花

は 徳

地 域 で は他 地 域 と比べ

僚 暦

新 年

を 過 ご す も 重特 色 行 事 る。 か つ て , 溌 水

に は 主 に山に 登っ て花 を摘み, 花の橋 を架 けた求 雨 節

採花 節

と も

と浴

・潅 水

洗 仏 節 とも

の 二 っ の

部 分

か ら

成さ れて い た。

 

徳 宏 地 域の

僚 族

俸 暦

新 年

即 ち溌 水 節 を迎 えに際して , 様々 な

備 を する。

掃 除

して

清潔

に し,新 しい 衣服 を

っ た り,

句 に

かせ ない 食

で あ る 厂

悶」

溌 水 杷 杷 とも

黄 花御飯

っ た りする。 溌 水 節の 二 日 前, 村の 老 人た ち は

仏寺

境 内

にポ ン プと花 亭を造っ て

く。 溌水

日 の 朝, 老 若 男女 は グル ー プ を作っ て 山に登 り採 花す る。 太 陽 が 西に

い た 時, 採 花 人 た ちは, 新 鮮 な花をか か えて

山す る。

に登 ら な かっ た人は,

銅鑼

を叩い た り

敲 鑼

, 太 鼓 を

ら し た り (打 鼓 ) しなが ら採 花 人 を迎え る。 人々 は歌

の 問に 一

花 亭

して い く。

 

りの

溌 水

の 第一 口に も, 僧

行列

加す る が, シ ー パ ン ナ 地 域の よ う に仏 像を

せ な が ら歩 くこ と は しな い 。 仏 教

関係

の 旗 な ど を持っ て歩 き,

予 と

た ない とい う。

人か の 老人 が

頭を

き, 「

」 とい う

が 丸 く,

横が 羽の よ うな

片を叩い て歩 き ,僧 侶 と と も に経を念 誦す る。 そ れに続い て 人々 の 行 列が 随行す る。 女 は水

い ,

を かつ い で、 青松 柏 の

ち,

花轎

を担 っ て 運 びなが ら,村 寨 を 巡回 し, 雨を 求め る とい う (8) 。

 

溌 水

,各 家の 人 は

花, 毫 悶,

香, 蝋 燭な どの

供 養

品 を

っ て

仏 寺

に参 拝 す る その

, うや うや し く運んで き た

漢 白

玉 の小 仏を ポ ン プの蛇口 の 四角 に,絹 織 物で 縫い 上 げた方 形の 枕 を置い て その 上 に 置 く。 そ の 時人 々 は 花 亭を 囲んで 礼 拝 し 長老 の 誦 経 を聞 く 。 午 前

11

時 頃, 青 年 男 子は, あらか じ め寺

にい て 銅

を叩き太

らし は じめ,

僧 侶

(12)

  14      パ ー学 仏 教 文 誦 経が 終わ るの を待つ 。 老 若 男 女は集ま り 一 , 鮮 花を 入 れた

水 を取 り出 し,木 棚 に

り,水 を 竜 型 タ ン クに入 れ る、 竜 の 頚を 通っ て , 竜 の 凵か ら流れ

る。

造 と して は上 に向けて

か れ た竜の 口 の

に は垂

に 立たせ た一

が あ り, 上

に は

状 に小 管が は め られて , それ ぞ れの 小 管 に は多 くの が あ る。 大き な管の 水は, 小さ な管 に流れ, 輪 を回 転 さ せ る。

噴 出

した

水は

盤 上 に

ら れ た

仏像

の 上 に

りかか る

雲 南省

で は 「

仏洗塵

」 と

ばれ る

。 他に

信徒

は こ の 水で 目を

い , 「心 明 眼

」 を求め, 病 難 を避け る。続 けて 人々 は老 人の た めに洗塵 し, 老 人の 幸 福 と長 寿を祈 願 す る。 若

は男

と も,水 竜

を出て, そ の 周 辺で お

い に溌

を し な が ら 遊ぶ。 その 後四 方八 方の 道に 出て 人々 に溌 水 し, 祝 福 し,災い を消 し病 を 避 けよ うと

祈 願

す る。

  第

三 日は,

各 村

で , 甲

は乙村にい っ て溌

して

福 し, 乙村は 甲村に い っ て祝

し溌 水す る 溌水の行 列 は整然 と してい て 順序が ある 先 頭 は鼓 楽

す ぐ近 くに

仗 隊 と溌 水に参 加 す る

若 男 女 とな る。 溌

立 っ て,

手の

村寨

仏教 寺院

仏像

仏塔

に礼

して か ら, 清 水 を竜 型 タ ン クに入 れ, 潅 仏 し, それか ら人々 は互い に溌

し な が ら

祝 福

す る。

 

三 日間の 溌 水

後 も しばら く溌 水が続 くとい う。 民 間で は, 「天 大 溌 七 天 小 溌」

三 日

は盛大 な 溌水, 七 日

は小規 模な溌 水 ) とい う諺が あ る。

 

ただ し

目すべ

徳宏

で は

溌水 節

の 期

に もっ ぱ ら盛 大 な 堆 沙 行 事 を行 う 日が ない よ うだが, そ の 実 彼

に は もっ ぱら

沙 行

を行う 口が あ る。

 

僚 暦 の 一 月十五 日

旧 暦 十 月 十五 口

, 徳

で は 「堆 沙 塔」 の行 事が 行わ れ る。 僚 語で 厂広 母 賽 」 とい う。 村の 老若 男女 は, 川原 の砂 を運び, 老 女が仏 寺で 心を こ め て 「砂 塔」 を造 る。 あ る もの は節 沙, あ る もの は白粘土 を加 え た あ る もの は い くつ か の セ メ ン トで 造っ た塔 の 土 台を持 っ て く る。 塔の 基 部に沿っ て 白粘土 を 塗 る。 さ らに 白粘 土で 約

lm

の 塔 一 と,

部の 周 囲

約 3m

の 主 塔 を造 る。 四

に は小塔 を 四基つ く り, そ れ か ら細かい

を ま く。 そ れ か ら

壇の

心に

字の 走 道を作 り, 地

を 四

分割

す る。 老

(13)

      中国南 伝 仏 教にお ける溌水節の地域 的な特徴      

15

翁 た ちは,

彩 紙

塔 帽

る。

老 女

の 形 を取 っ て 用 意 し た約

30cm

の皮 に, 濡 ら し た細 砂 を入 れ, 馬 歯 石 類の 小さ な

形 の 石 や ニ ッ ケル 硬 貨 を塔 心 に入れ , 四面で 合わせ て 一

小砂塔

が そ ろっ た ら老 人の 男 女 は, 協 力 して主

塔 帽

を か ぶ せ,

諸 塔

を岡 う正

方形

の 壁 を造 り, 主塔の 中 央 と籬の 四

の 柱に 五彩

旗を掛 け る。 そ れ ぞれ の

の 四 本 の

に芭

蕉樹

のつ い た甘

を一本 ずつ つ る。 それは, 収穫 と幸せな 生

象徴

して い る。 同 時 に竹で で き た 皿 で

糖 果 米

ボン

御供

え する。 準 備 が で き た ら老 女 は 主

の 仏壇 に置か れ た四 香 油の 灯 明に 火を 点け , そ れ か ら門を閉 じて ,会 場 を封 鎖す る。 籬 に い く らか の 竹

き, 人々 が火 を点け る蝋 燭 と, 焼 香 に用い る

を備え る。 全て整 っ た ら長 老 た ち に誦 経 を始め て も らう。

 

夜に な る と,

が雷の よ うに大 き く鳴 り響 き, 人々 は塔 を中心 と して 「翩 翩 起 舞 とい うひ らひ ら飛び回 る踊 り を踊 る。 三 日にわた っ て 村

て の

寺で 過 ごす。 毎

毎 晩,

寺 院

の 全

僧 侶

が,

沙 塔

で 凡そ

30

分 の 誦 経 をす る。 第三 日の

後に, 沙

を 片

け た後,子 どもた ちは 塔 心に 入れ ら れて い た

硬貨

っ て 縁 起 物にす る。

3

当代

お け

地 域 的 な

特徴

 

溌 水 節は その

で , 早 くに

耕の 祭 日か ら仏 教の祭 日に

遷 し, そ の で は, 仏 教

儀 礼

の 実 行が最 も重 要な構 成 要 素に な っ た。 しか し現代 化 と 観 光 産 業の い 影

を受 け る現 代

会に あ っ て は , 溌 水 節は宗 教の 祭日 と し て 世

俗化

の歩 調 を次 第に早め て い る。 伝 統 的文 化 は, そ の 消 滅 を防こ う とす る場 合 を除い て, 宗 教 儀 礼の 象 徴的 な 意

が薄 まっ てい くが ,溌 水 節は祭日 と儀 式の

性 質

に っ い て, そ の 元 来 有す る宗 教 的

徴が 日ご とに薄 ま り, その ため に 民

族 的

な あ るい は世 俗 的な祭 日儀 式 との 境界 が 日 ご とに分か ち が た く な っ て い る。 だ か ら溌水 節 を体 系的 に研究す る た め に は,仏 教の 儀 式な どの 変遷 と現 代 仏 教 の 発展変化 と を明 ら かに す る こ と が助けに な る。 現 代の 溌 水 節の 地域 的 特 徴 の 変

は 主 に以下のい つ かの 形で 現 れ てい る。

(14)

 16      パ ー学 仏 教 文 化 学

1

> 儀式 は娯 神型 (舞 神 型 )か ら娯 神 型

錐 人型

に変 化 し, 仏 教 にお ける

  

質 特 徴は, 弱 くなっ て い る。

 

溌 水 節の 期 聞 中の 「行 像 とい う行

は, シ ー ン パ ン地 域 地 域 とを

に 一 つ の き な

色が あっ た。 しか し ,

近の

行 事

で は,

都市

溌 水 節に お け る行 像 とい う行 事は, その 地 位が低 く な りうす まっ てい る。 「

行像

」 は

然 と して

保存

さ れて い る よ うだ が, 全 民 族 文 化 大 遊

隊の 一 分 しか

め て お ら

, 原

の 聖 なる偉 大 さ を

じる こ とは大

変難

し くなっ て い る。

 

こ の 変

が近 年に現 れ た もの で あ る こ とは, 二

類の 『西版 納報 溌 水 節 に す る行 事 報 道 に つ い て み れ ば見 出す こ とがで き る。

 

シー サ ン パ ン ナ 地域 の全 行 列 隊は合わせ て 三

に分 け るこ とがで き る。 一 は

族 伝

文 化の 行 列 二 は 民族 芸 術 文 化 の 行 列 三 は民族 民 問

伝統文化

の 行 列で ある。

 

仏教 的

つ 「小 和

捧仏 隊

俸族伝 統

行 列

に組み 入 れ ら れ , 俸 挙 隊, 民族 音 楽

僚 族 去 包 隊 花 腰 女 表 演 隊 俸族表 演 隊 民

間動物表 演 隊

竹竿 木偶表演 隊

葫 芦絲表演 隊

と一

に俸 族 伝 統 文 化

に 入 っ て い る。

教 文

と して の 「

行像

」 とい う行 列 は, その 意 義が薄 れてい る。 歴 史的 な仏教文 化 の 「行 像 」 は , だ ん だ ん 人々 に 忘れ られ て しま うの だ ろ うか。 その

聖 な権 威 は全 行 列 中で充 分 に

現さ れて い ない 。 仏

の 「

」 の

時神

も次 第に 姿を消 して い る。 こ の 民族

文化 的

ペ ー ジ ェ ン ト に 表 現 さ れ た仏 教 行 事 「 」 の 歴 史も時を経 る ご とに 知る人 い な くな り,

伝統仏

教の 「行

行 事

民 族 文 化 大 遊 演へ と変 化 て い る と

え られ る。

 

溌 水

は , シ ー ン パ 地 域

農耕

民 俗

な色

と仏 教 的な色 彩を 持っ 日 と して の 行 事か ら,次 第 に大 衆 に迎 合す る観 光 文 化へ と展 観 し始め て お り, これ に よ っ て シ ー サ ン パ ン ナ地域 の 経 済の 発展を促進 す るための 文 化

産 業

と な っ て い る。 こ の よ うに

転換

して き て い る こ と を, 筆 者 は 、

2003

年か ら

2008

年 まで 五 年 に わ た っ て 行 っ た現 地 調 査 で

詳細

に 記 録 して き た。 溌 水

の よ うに,

教の 特 色が あ り,民 族 文 化 の 特 色が あ る双重 性 を特徴 と

(15)

               

中 国 南 伝 仏 教に お ける溌水節の地的な特 徴

         17

す る祭 日行 事 は, 今日で は 、政 府が ,民族

文化

色 を生か そ う と計 画 し て い る

で, ひっ そ り と変

生して お り, 宗 教 性が未だ全て

くなっ た わ けで はない よ う だ が ,

次 弱ま っ て い る。

 

 

溌水 節 におけ る流 行の受 容 と地 域 的差 異の漸

 

2007 年 4

月臨

地 域の 孟 定

で 調 査 した際に, 村 の人 々 は,溌 水 節の 行 事で イン

めて

い , 大

変 人

気が あっ た。 イ ン ドの

舞踊

を踊 る 人 は,

国 の 民族 衣 装を着て , イ ン ド, パ キス タ ン , ミャ ン マ ー な どの

観 衆

喝采

した。

 

的に, 記

念行 事

で ,

族,

徳昴族

布 朗族

族,

族 な どの 少 数 民 族が それ ぞ れに持つ 独 特 な舞 踊 を踊 る こ とは,

が兄

の よ うに睦 み あっ て

共 存

して い る とい う

精神 的側 面

が,

国 上 座 仏 教信

地域 の

色で あ る こ と を 示 して い る。 し か し, 民族

踊 以

国 の舞 踊 まで 行 うこ と は,

2007

年 以 前に は全 くな か っ た こ とで あ る。

 

同時に臨

地 域の 孟 定

で は, 現 代

市 化 した生

の 中で , 第 一

コ ン テ ス ト

一 届

の大 会 を

開催

した。 こ の よ うな

変化

は どれ も外部 で も見 られ, 臨 滄 地 域で は既 に流 行 感 覚の

内容

じっ てい る。

 

シ ーサ ン パ ン ナ地 域 で も, 既 に流 行が 変 化 して い る。

2003

年か ら 「民 族

演 出

」 が

し く

加 し

め。

2004 年

国際美食 節

」,

水 幕 映画

歌 手

演 奏 会

な どの

行 事

増加

した。 また 「

俸 暦

1366

年 新 年説 曁

2004

年 中

国西双 版納 国 際 溌 水 節」 の 到 来 に伴っ て深い伝 統 文 化を持っ 景 洪

は大 い に 賑 わい , 数 万 人 を超え る

民 族 及 び

国の 人 々 が押 し寄せ , 盛 大に 祭の 期 間 を過 ご し た。 こ の 年か ら毎 年シ ー サ ン パ ン ナ 地 域 で は, 「水 節 」 の 行事 を 積 極 的に経 済 発 展の 機 会 と して い る。

 

例 え ば,

2007

4

月, シ ー サ ン パ ン ナ州の 郵

便

局 は,政 府に よ る溌 水

の 宣 伝 を契

と して 開催 さ れ た 「刀美 蘭 舞

術 50

」 の 講 演を記 念 し, 記念 切 手帳

1000

冊 を発行 した。

2007

4

月 】

0

目,

中 国 普酒茶 戦略 連 合 論 壇 峰 会の 百 年 貢 茶 を 迎 える儀 式が, 景 洪で

わ れ た。

(16)

 

18

      パ ー仏 教 文

 

観 光 客 を呼び込む た め に シ ー サ ン パ ン ナ地 域で は 溌 水

誦 経

の 行 事 を景 洪 地 域 にある 「人 文 化

広 場」 で 行い ,

七 名の 仏

爺 (

長 老

誦 経

し, 四

し た。

誦経

し く天地 に 充 満し た。

経の 後,

長 老

た ち は, 聖 な る水 を人々 に注い で 祝 福 し た。 人々 は合 掌 し, 盛 大 な溌 水 節 を始め , 午 前

11

か ら 「

宗 教

式の 司 会

導師)

が瀾

江 か ら

っ て き た 「

吉祥 水

」 を

文化 宮広

場 に運ん だ。 十七

仏爺

は,

び 「

吉祥

水」 に 向かっ て誦 経 し祝 福 した 。 伝

の七 名の

を演 じ る七 名の 俸 族の 少 女 は銀

に 「

占祥 水

」 を

っ て

手で

州 副書 記

州長

に差 し 上 げた。 州

は, 「景 洪 城 歓

俸 暦

1369

新 年 祝 賀 溌 水 行 事を開 催 しま す」 と呼び か け な が ら, 「吉 祥 水 」 を人々 に か け た とい う。 その 直 後 に, 大 鼓が 打 ち

ら さ れ , 歓 声が わ き たち, 「

吉祥

水」 が空一

杯撒

か れ た とい う。

 

シ ー サ ン パ ン ナ 地域 の

で ,他の 地域で も,

族の新

暦年 (

溌水 節 )を 迎 える祭 事 を機に観 光に か して

済 発 展 を促 進さ せ ようと して い る。 こ う した影 響 で, 中国 の上座 仏 教の

地域 での 異 が 小 さ くな っ て い る。

4

〔9) [

1

各 宗 派 相互 の承 認

 

雲 南 省の 上 座 仏

宗派 相

互で の 差 異 は, だ ん だ ん 減 少 して い る。 二 〇 世 紀,

80 年

代 以

は,相 互 交 流 が徐 々 に密

に な っ て い る。 今 日で は お 互 い を尊 重 し, 親 睦共 存す る とい う歴 史 的な新 局

が 見 られ る。 撰 庄 派に し て も,

楞潤

派 に して も,

坦 派に して も, 撰 孫 派 に して も,

列 派 に して も , 宗派を 問 わず, 相 互 に 団結す る こ とに 意 を 用い てい る。 お互 い の善 所 を 取 り,弱い 点を補 う と言 う方 針で ,相 互に理解 し協 力 し発 展 しよ う と し て い る。 形 式上 は 統 一 を 唱 え

礼上 は相 互 に 尊 重 しあい , 一 夏 安 居 り, 一

に安 居 を

き,

薩 辛

ウ ェ サ ク)な どの 重 要な祭 事 を 共 同で

開催

し, 同 じ仏 寺で 行 事 を行 うこ と も常 となっ て い る。 そ の 他お互い に 僧 侶 を派 遣 して

教 研 究 会を 開 催 して い るv 例 えば ,

1980

年か ら, 徳 宏俸 族景頗 族

治州 の 州 仏 教協 会 は, 進 注

節)

, 出佳

開 門節 )

, 溌

水 節

な どの 主要

(17)

      中国南 伝 仏 教にお ける溌 水 節の地 域 的な特 徴      

19

仏教行 事

一 して

開催

す る こ と を 決め た。 こ うし て各 宗 派 に は, 重要な 仏 教 祭 事 を共 同で 開 催す る動 き が形

さ れて い る。

   組織

の方 式

 

政府

部 門

に よ る組

理 は, ま す ま す積

的に 行わ れ て い る。 地 方に よっ て は

府側

直接

仏教行

事を管理 してい る。

えば,

郷 (

相 当

で は, 政 府が 主 催 し管 理 す るこ とに なっ て い る。 二 〇 世 紀

80

代 以 来, 中 国政 府の 宗 教 政 策 と社 会 経 済 発 展な どの 影 響で , 宗 教 文 化 と社 会 経 済

発展 及

び, 民族 文 化 との

関係

密 接

にな っ て い る。

行 事

は, 次

に 民族 文 化 の に転 換 して お り,宗 教の 色 彩 を弱め て い る。 政 府の関 係

門は その 地 方の経 済 を発 展 させ る機 会 とし て, 「文 化 搭 台

済 唱 戯」 とい っ て, 文

を土 台に して

経 済

を発

させ る

役割

わ せ ,

伝 統的

宗教文化 祭事

に,経 済 を発 展 させ る内 容を 加 えて い る。 溌 水 節に つ い て い え ば, 溌 水 節の

宗教

色は

わ れ, よ り

く商

向の経 済 行

が現 在 の 溌 水

中 に盛 り込 まれて い る。 シ ー ン パ ン ナ 地

で は,溌

水節

の 記 念

行事

は,

榛 暦

暦 法

に よっ て

め られて お り 毎 年 西

と多 少 異 なっ て い た が 方 便 と し て シ ー サ ン パ ン ナ地 域 の 俸 族 自治 州は, 自治 州 人 民 大 会 常 任 委 員 会の 立法 に よっ て 毎 年 西 暦 の

4

13

日か ら

15

日 を 溌水 節 に決 定 し た 同時に

1999

か らは, シ ー サ ン パ ン ナ地

俸族 園

で は, 「

歓度溌

」 とい っ て, 毎 日

午後 2 時半

か ら,

間を限っ て村 の 若い 男女が , 観 光 客の た め に溌 水 節 の 活 動 を行 う よ うにな っ た 溌 水

観 光会社

の た め に ,

毎年

一 度 だ けの 俸 族 の 新 年 を迎え る行

とい う概 念を既に失 っ て し まっ た とい え る。 溌 水 節 は, 遊 び と して 文 化 産品 に

転換

され てい る よ うに見 られ る。

 

 

発 展 し た 地域 文 化の承 認 と受

 

して い る地 域 の 仏 教 文 化 は,他地域の 人 々 の 学 習モ デ ル と なっ て い る。 シ ー パ ン ナ 地 域 現 状 , 徳 宏 地 域, 思

, 臨

と 比 較 して

世紀

80

年代

以 後

興 発 展 過 程 好 調 。 雲

(18)

 20      パ ー学 仏教 文化 学

省の 上

仏 教 と して は

に主

的 地

あ り, 現的 な 通信 手 段や交通手 段の 設 備が進 歩 し、 各 地

との

仏教 交流

は ま す ま す

ん に な り,

々 な

交流

な どが

わ れ てい る。

仏 教

な どの あ り方 もシ ー ン パ 地 域 仏 教 行 事 を模 範 と して い る。 地 方 に よ っ て は直 接 タ イや ミ ャ ンマ ーの 仏 教

式の 方 法 を

り入 れて

行 事

う とこ ろ も あ る。 ま た

積極 的

政府

の溌

水節

へ の

与 に よっ て,溌 水 節 を

標 化 し民 族 文 化 財 とし て

伝 してい る。 特に シ ー サ ン パ ン ナ地 域で は, その

積極

的な

果が 顕れて い る。 昔は, 歴 史 的 な 要 因 と宗 派 の相 違に よっ て, 溌 水 節の行 事 も異な っ て い た が, 今 日で は , 民族

文化

と して,

々 にシ ー サ ンパ ン ナ 地

の仏 教 文 化を模

と して行 わ れ る よ うに なっ て

て い る。 こ うし た影 響で , 仏 教 文 化 も民 族

化 財 とし て

世俗

品に

転換

さ れて, その差 異は, だ ん だ ん無 くなっ て きて い る。

お わ り

 

溌 水

南ア ジ ア仏 教国 と

国雲

南省

の 上 座 仏 教を信 仰 して い る仏 教 と の

共 通

日で あ る。 こ の 溌

zk 節

は,主に

仏 教

道す るこ とが 目的で あ る。 そ の 発 展 過 程の 中で , 明らか に地域 的な民族 的な特 徴 を顕 して い る。 し か し, 現

化 と

光 行

事 化

を反 映す る現

の 社 会で は, 溌 水 節は,純粋な仏

法会

か ら

世俗 的

りへ と

んでい る よ うに思 われ る 同時に地 域 的 な特 徴 も大 き く変 化 して い る よ うに思え る。 溌 水

は,

雲 南省

の ヒ

座仏

教 を

信 仰

す る地

で は,

農耕 民俗

様 相

教 行

的様 相 を 持つ 祭 祀 行 事か ら, 人 々 に 迎合 す る大 衆 化 し た観 光 業 事へ と次 第に変 化 し て い る。

経済

に よ っ て 起 こ る文 化 産 業 と そ の 商 品 化,世 俗 化の 特 徴 に よっ て , 地域 間の 差 は小 さ くなっ て い る よ うに見える。 こ の よ うな現

が, 人々の 注 目や

心に 値す るこ と は疑 うべ く も な 注 (

1

) 詳 し くは別稿 鄭 筱笏 『溌 水節 伝 説各 種 異 体 故及 其 関係 未 刊 )。

(19)

中国南 伝仏教にお け る 溌水 節の 地 域 的な特 徴

21

2

) 附録 1。 (

3

)『西 双 版納僚 族間 故 事集 成、雲 南 人 民 出版 社

1993

年 版 ,

39

。 (

4

) 「瑞 麗徳昂 族水 節節令 』」, 『

1986

年 第三期 第

41

3

頁 (附 録   2 )。 この伝 説 は ミャ ン マ ー徳 昂 も 見 ら れ る 。 (

5

)江応 櫟著 『僚族 史 』 四 川 民族 出版 社,

1984

年版

540

頁。 (

6

) 前 出 『西版納 俸 族 民 間 故事 集 成s

43

。 (7) 筆者が

2007

に臨槍耿 馬 総 仏 事の 調 査を した時に は, この 故 事を本 堂 外側の壁   に画い て あ っ た。

2006

年以前は な か っ た、 (

8

) 劉 揚武 「徳 宏 小 乗 仏 教 的教 派 和 宗 教 節 日 」 『貝葉 文化 論』 雲 南人民 出版 社、 1991   年 版

430

頁。 (

9

) 地域 的な変化の特 微につ い て, 筆者は別の論 文で説 明し た。 <附録

1

> 創世史詩 《巴 達麻嗄棒 尚羅》を代表す る説話*  創世の 初め,天 と 地 が 既 に形 成さ れ た時,た だ,四季 と 日 月の 交 替 は ま だ なか っ た。 天神麻棒摩遠冉 (第 一, 以下麻棒棒 摩遠冉 ( 神)派遣 て,定天柱 (頂天柱と も)の

lt

空 に登 り,こ の柱をめ ぐる よ うに太 陽の道を描か せ た。 棒 摩遠冉が描 き出し たの は,ま さに黄 道の軌道で あ っ た。 彼は 1年を12ヶ 月 と 定め毎月

30

日 (大層均等で あ る)と し,ま た, 黄 道の上 に.卜二 宮を設 け た に れ が 十二 支を表 し、

12

星 座命 名 法に も相 似す る)。 宮ご と に それ ぞ れ 図 を描い た。 こ の よ うに して ,

R

と月の運 行の 道 筋を規 定 し た。 麻棒天王 は棒摩遠 冉が これ らの 仕事を終 え た ら す ぐに戻 らせ た。 し か し, 棒 摩 遠 冉は自分が成 し遂 げた偉 業に大変 満足 して い た か ら,戻っ て報 告 し な か っ た。 逆に, 意気 揚々 と第三 の天 界 (達瓦 丁洒 とい う)に 遊 びに行っ た。 こ の 天界の 王の 名は 叭英 とい う。麻 棒天王 は棒 摩遠 冉が何 口経っ て も 戻っ て こず, くわ えて軌 道が どの よ うに描か れた か わ か らな かっ た た め に, 別の 天神 で ある摩膳哈 南羅を派 遣し 彼を探 し に行か せ た。  棒 摩謄 哈 南 羅は, 頂 天柱の 上に到着 し た が, 棒 摩遠 冉は そ こに い なか っ た。 年月 日 の分 け 方 を委 し く調ぺ た ら, 日 と月は一見規 定の 通 りに運 行 して い る ようだ が, 定め た規 定に 問題が 見っ か っ た。っ ま り月30 口 と する の は,適当で な く, 長短 が な け れ ば な ら ない そ うで ない と年 中の暑い 日と寒い 日と が均 等に分け ら れて し ま う。 季 節の別が な い の で あ る。一日の 時 問 も 分 けて い な か っ た 棒摩 膳 哈 南 羅は戻っ て 棒 摩 遠 租 を探 し た。 な ん とも はや棒 摩遠 冉は, 第 L ’ 界で 遊んで お り, 驕 り高ぶ っ て 不 遜 な態度で 自画自賛して得意になっ て い た  棒 摩 膳 哈 南 羅が, 自ら観 察 した結 論 を棒摩 遠 冉に 告 げ た ため,棒 摩遠 冉は激怒 し,

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