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社会保障と公的年金

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Academic year: 2021

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(1)

公的年金をめぐる最近の研究動向 小塩 隆士* 要 約 本稿では、社会保障の中で中核的な役割を果たし、財政面でも大きな比重を占める公的 年金に注目し、その意義や制度改革のあり方に関する最近の理論的・実証的研究を展望す る。具体的内容は、次の6 つである。第 1 に、全体のイントロダクションとして、公的年 金の財政方式としての積立方式と賦課方式の違いやその意義をめぐる議論を取り上げる。 第 2 に、公的年金を賦課方式から積立方式に移行する際に発生する問題を議論する。第 3 に、資本蓄積を内生化した上で、公的年金が資本蓄積にどのような影響を及ぼすかを検討 する。第4 に、公的年金と高齢者の就業・引退行動の関係を議論する。第 5 に、公的年金 が世代間及び世代内においてどのような所得再分配を引き起こすかという問題を検討する。 第 6 には、出生率を内生化した上で、公的年金との関連で子育て支援の効果を議論する。 最後に、実際の年金制度改革に際して問題となるその他の論点を幾つか紹介する。 ______________________________________________________ *神戸大学大学院経済学研究科. oshio@econ.kobe-u.ac.jp

(2)

はじめに 一般的に社会保障は、個人が社会生活を営むに際して直面するさまざまなリスクを社会 的にプールする仕組みであり、税収だけでなく保険料収入に依存する公的保険という形を とって運営される部分が大きい。本稿では、こうした社会保障の中で中核的な役割を果た し、財政面でも大きな比重を占める公的年金に注目し、その意義や制度改革のあり方に関 する最近の理論的・実証的研究を展望する1。本格的な少子化時代を迎えるに当たって、公 的年金をどう改革するかは、政府の長期的な財政運営を考える上でも最も重要な論点の一 つとなっている。 一方、公的年金をめぐってこれまで注目されてきた研究テーマを振り返ってみると、公 的年金が資本蓄積や経済成長、労働供給に及ぼす影響、あるいは世代間・世代内における 所得移転のあり方など、財政学・公共経済学から見て重要な論点を含むものが多い。しか も、公的年金をめぐる研究成果のかなりの部分は、その他の社会保障・公的保険の経済学 的分析にも適用できるという特徴を持っている。これは、それらの制度が公的年金と同様 に、世代間の所得移転を伴いながら運営されているためでもある。 本稿の具体的な構成は、次の通りである。まず、次の1.で、公的年金の財政方式として の積立方式と賦課方式の違いやその意義を説明する。2.では、公的年金を賦課方式から積 立方式に移行する際に発生する問題を議論する。3.では、資本蓄積を内生化した上で、公 的年金が資本蓄積にどのような影響を及ぼすかを検討する。4.では、公的年金と高齢者の 就業・引退行動の関係を議論する。5.では、公的年金が世代間及び世代内においてどのよ うな所得再分配を引き起こすかという問題を検討する。6.では、出生率を内生化した上で、 公的年金との関連で子育て支援の効果を議論する。そして、最後の7.では、実際の年金制 度改革に際して問題となるその他の論点を幾つか紹介する。 1.積立方式vs.賦課方式 公的年金の財政方式として、積立方式(funded system)と賦課方式(pay-as-you-go system)という 2 つのタイプがある。積立方式とは、現役時に保険料を拠出し、高齢時に それを取り崩して年金として給付する方式であり、賦課方式とは、各時点において引退世 代の年金を現役世代の保険料拠出で賄うという方式である。両者を比較する際の最も一般 的な注目点は、生涯にわたる予算制約への影響である。積立方式の場合は、収益率が市場

1 社会保障ないし公的年金については、Atkinson and Stiglitz (1980)Myles (1995, Ch. 14) 井堀(1996, 第 9 章)、小塩(2001)などの教科書に含まれる説明のほか、Feldstein and Liebman

(2002)による詳細な研究展望が参考になる。また、日本における公的年金の研究動向については

岩本・大竹・小塩(2002)を、各国における年金改革の動向や年金改革に対する考え方の変化

(3)

利子率に等しいので、公的年金の存在は予算制約に対して中立的である。一方、賦課方式 の場合は、収益率が賃金所得増加率(=1 人当たり賃金の上昇率と人口増加率の和。賃金一 定なら人口増加率)になるので、公的年金は予算制約に影響を及ぼすことになる。 少子化の下では、賦課方式の収益率は積立方式のそれを下回り、場合によってはマイナ スになるので、積立方式のほうが望ましいというのが教科書的な理解であろう2。また、公 的年金を積立方式で運営する場合、家計の予算制約への影響という点に限定すると、老後 への備えを原則として個人の判断に委ねる年金民営化とほとんど変わらなくなる。そのた め、積立方式派の主張は年金民営化3の議論として展開されることも多い(Feldstein ed. (1998)所収の諸論文参照)。積立方式と賦課方式の比較をめぐる、こうした従来からの議論 については、次の3 点をコメントしておこう。 第 1 に、上述のような形で賦課方式と積立方式の優劣を比較することに対しては、公的 年金の存在理由を無視しているという批判があり得る4。確かに、生涯の予算制約への影響 という面では、少子化の下では賦課方式より積立方式のほうが望ましい。しかし、予算制 約に中立的な積立方式による公的年金を、なぜわざわざ政府が運営する必要があるのかと いう疑問が出てきてもおかしくない。むしろ、公的年金の公的年金たるゆえんは、世代間 の所得移転を伴う、賦課方式の仕組みにこそ認められるという考え方もあり得る。たとえ ば、Smith (1982)やBohn(2001)は、人口動態リスクを世代間でシェアする仕組みとして賦 課方式による公的年金を位置づけている。そこでは、人口規模が小さくなった世代は、1 人 当たり資本ストックが高くなって 1 人当たり所得も高まるので、そうでない世代に所得を 移転させることこそ公的年金が果たすべき機能とされる。ただし、こうした議論の妥当性 は、当然ながらモデルを閉鎖体系とするか開放体系とするかに依存する。 第 2 に、政府の目指すべき目標を長期的な経済厚生の最大化――その必要条件はいわゆ る「黄金律」ないし「修正黄金律」((modified) golden rule)の達成という形で示される― ―と想定したとき、保険料の調節によって資本蓄積に影響を及ぼし得る賦課方式のほうが、 政策手段として魅力的な面もある。さらに、実際の公的年金においては、賦課方式と言っ ても各時点で保険料収入と年金給付を完全に一致させているわけではなく、積立金(trust fund)からの運用益が期待されていることもある(とりわけ日米の場合)。保険料の調節だ けでなく、積立金の水準調節という手段を併せもつことにより、経済厚生の最大化という 政策目標は追求しやすくなるだろう。これに対して、積立方式の公的年金は資本蓄積に影 2 日本において、積立方式への移行を全面的に主張したものとして八田・小口(1999)がある。 3 年金民営化という場合、完全な自由放任ではなく、個人勘定を設けて保険料拠出を義務づける 制度を想定するのが一般的である。 4 公的年金を「老後における最低所得を保証する仕組み」と捉えることも多いが、その場合、生 活保護との区別が不鮮明になる。また、個人の近視眼的な行動を想定し、公的年金を老後に備え た「強制貯蓄」であるとする見方も、年金が家計の予算制約を全体として拘束しない以上、経済 学的に意味があるとは言いにくい面がある。

(4)

響を及ぼさないから、政府の目標達成に何ら貢献しない5

積立金を考慮に入れた最適な賦課方式の公的年金のあり方は、Myles (1995)がその教科書 の中で指摘しているが、より具体的な積立金政策のあり方についてはAbel (2001)、Smetters (2003)、Oshio (2004a)などが議論している。このうち Oshio は、積立金なしの純粋な賦課 方式は人口増加率が低いほど是認しにくくなることを示し、積立金の保有に一定の意義を 認めている。ただし、積立金の蓄積ないし取り崩しは、世代間公平の観点から見て重要な 意味合いを持っていることにも留意しておこう。 第 3 に、不確実性を考慮に入れる必要がある。積立方式及び賦課方式の収益率はそれぞ れ賃金所得増加率及び利子率であるが、当然ながらいずれも変動する。したがって、両者 の収益率の平均的な値だけを比較して優劣を決定することは望ましくない。その場合、金 融論の教科書に出てくるように、収益率の平均と分散を両睨みにする「平均・分散アプロ ーチ」的な考え方が有用となる。平均的に見て利子率のほうが賃金所得増加率より高かっ たとしても、分散の大きさや両変数の相関関係次第では、賦課方式による公的年金を是認 する余地が生まれてくる。 つまり、政府はあたかも最適なポートフォリオを組むように、賦課方式と積立方式の最 適な組み合わせを模索することになる。しかも、積立方式で公的年金を運営することは実 質的に公的年金が存在しない状況と同じだから、この「ポートフォリオ選択」は賦課方式 による公的年金の最適規模を決定する作業と解釈することもできる6 以上のほか、賦課方式による運営を前提とした上で、公的年金の最適な制度設計を検討 する分析も幾つかある。そのうちの代表的な例は、家計の近視眼的な行動を前提とした上 で、社会的厚生を最大化する公的年金の姿を導出した Feldstein (1985)の試みである。 Feldstein は、家計が近視眼的であるほど、賦課方式による公的年金の保険料の最適水準が 高くなることを示している。また、年金給付にミーンズ・テストを適用すべきかどうかと いうFeldstein (1987)の分析も興味深い。 2.積立方式への移行をめぐる議論 生涯所得や経済厚生への影響といった観点から見て、仮に積立方式のほうが望ましいと しても、賦課方式から積立方式に移行すること――それは賦課方式による公的年金の規模 縮小(保険料及び給付水準の引き下げ)に内容的に等しい――は、必ずしもパレート改善 的ではない。この問題は「二重の負担」問題として古くから知られているが、最近ではBreyer (1989)、Geanakoplos, Mitchell, and Zeldes (1998)、Sinn (2000)等によって、より精緻に

5 もちろん、これは賦課方式に比べて積立方式が劣っていることを意味しない。資本が相対的に 不足している状況下では、資本蓄積を抑制する賦課方式はできるだけ小規模でなければならない。 6 実際、小塩(2000)は、日本における過去の利子率と賃金所得増加率の平均や分散、相 関関係に基づいて公的年金の最適規模を試算している。

(5)

議論されるようになっている。一定の条件の下では、賦課方式から積立方式に移行しても 経済厚生は高まらない。これは、年金制度改革の意義そのものに関わる論点である。 この点は、次のような2 期間・2 世代の簡単な世代重複モデルによって確認することがで きる。いま、人口増加率n、賃金w、利子率rがすべて固定されていると想定し、現役時にp だけの保険料を徴収し、引退時に(1+n)pだけの年金を給付する賦課方式の公的年金が運営 されていると考えよう。このとき、現役時、引退時における消費及び現役時の貯蓄をそれ ぞれc1、c2、sとすれば、各期の予算制約式は、

s

=

w

c

1

p

,

c

2

=

(

1

+

r

) (

s

+

1

+

n

)

p

となるから、生涯にわたる予算制約式は、これらを統合して、

c

1

+

c

2

/

(

1

+

r

)

=

w

+

(

n

r

) (

p

/

1

+

r

)

① で与えられる。n<rであれば、賦課方式の公的年金は生涯所得を引き下げる。 ここで、政府が公的年金を賦課方式から積立方式に移行したとしよう。ただし、政府は その時点ですでに引退している世代(人口規模をL人とする)に対して、(1+n)Lpだけの年 金給付を約束している。これを「年金債務」と呼ぶことにしよう7。政府はその年金債務を 返済するため、現在の現役世代及びそれ以降の世代に対して、定額税tを追加的に徴収する と仮定する。このとき、各世代の予算制約は、積立方式に移行しても保険料はpのままだと すると、

(

r

) (

s

r

)

p

c

t

p

c

w

s

=

1

,

2

=

1

+

+

1

+

すなわち、

(

r

)

w

t

c

c

1

+

2

/

1

+

=

② となる。積立方式の公的年金は生涯所得に対して中立的となるが、問題は追加的課税の影 響である。税額tは、将来にわたって得られる税収の割引現在価値と政府の年金債務が一致 するという条件、すなわち、

(

1

+

n

)

Lt

+

(

1

+

n

)

2

Lt

/

(

1

+

r

)

+

Λ

=

(

1

+

n

)

Lp

という関係式から逆算して、

t

=

(

r

n

) (

p

/

1

+

r

)

t となる。改革後における各家計の予算制約式は、②式にこの を代入した式になるが、それ は①式にまったく等しい。つまり、積立方式への移行は家計の予算制約に影響を及ぼさず、 したがって消費計画や効用水準も変化しない、という意外な結果が得られる。 こうした積立方式への移行をめぐる議論に関しては、次の 3 点を指摘しておこう。第 1 に、積立方式への移行(ないし年金民営化)を支持する、大きな影響力を与えた議論とし てFeldstein(1995)(1998)の分析がある。Feldstein は、積立方式への移行によって経済 7 年金積立金が存在する場合は、年金債務からその分を差し引いてネット・ベースの年金債務、 すなわち「年金“純”債務」に注目する必要がある。日本の場合、2001 年度末における厚生年金 の年金純債務は550 兆円前後に上っている。

(6)

厚生が高まる条件として、①利子率が賃金所得増加率を上回ること、②利子率が将来消費 の割引率を上回ること、③賃金所得増加率がプラスであること、という 3 つを提示してい る。Feldstein はこれら 3 つの条件が実際にも満たされやすいとして積立方式への移行を主 張しているが、このうち 2 番目の条件が満たされると想定するのは「二重の負担」問題を 考える上でクリティカルである。利子率と将来消費の割引率は原則として等しいと考える べきであり、その場合、上述のように経済厚生は改革前後で変化しないことが確認できる。 第 2 に、積立方式への移行がゼロサム・ゲーム的状況をもたらし、すべての世代の効用 を同時には引き上げられないとしても、現行制度の下で存在する世代間格差(5.参照)の 存在を考慮すれば、世代間公平の観点からその移行を是認する余地が出てくる。たとえば、 上のモデルで言えば、政府が年金債務 (1+n)Lpの返済の一部または全部を放棄して(政府 による借金の踏み倒し!)、将来世代への負担の先送りを軽減するという政策にも、世代間 公平の観点から見ると正当化できる面がある。 第 3 に、積立方式への移行によって追加的負担が発生したとしても、積立方式への移行 を段階的に行えば、移行期の負担は複数の世代に分散されるので吸収されやすくなる。こ のような積立方式への段階的移行、あるいは賦課方式の段階的縮小の効果については、 Feldstein and Samwick (1998)によるシミュレーション分析の結果がしばしば引用されて いる。もちろん、こうした工夫によってもゼロサム・ゲーム的な状況から解放されるわけ ではない。しかし、将来世代への負担の先送りを何とか回避したいという世代間公平の観 点から見れば、積立方式への段階的移行は現実的な改革案と評価できる。 3.公的年金と資本蓄積 公的年金の経済効果に対する分析は、生涯にわたる予算制約への影響だけでなく、資本 蓄積への影響を考慮することによって、より精緻なものとなる。たとえば、賦課方式の場 合は、家計が拠出した保険料はそのまま年金給付の財源となって費消されるだけだが、積 立方式の場合は、保険料は政府貯蓄として、保険料拠出に伴う家計貯蓄の減少分を相殺す る。したがって、資本が相対的に不足している状況(換言すれば、動学的に効率的な状況) の下では、資本蓄積を抑制する賦課方式より中立的な積立方式のほうが望ましい。 こうしたタイプの議論は、家計・企業・政府の行動や、資本・財市場の均衡を明示的に 組み込んだ一般均衡型の世代重複モデルによって分析されることが多く、マクロ経済学の 教科書でもしばしば取り上げられている。こうした動学的なフレームワークによる分析手 法はAuerbach and Kotlikoff (1987)によって確立され、社会保障改革だけでなく税制改革な どを含む、財政政策の動学的な効果を数値計算で追跡する分析がこの両名を中心として精 力的に進められてきた。日本においても、年金改革の資本蓄積への影響を把握するだけで なく、労働供給を内生化したり、積立方式への移行すなわち賦課方式の規模縮小を段階的 に行った場合の世代別効果を分析したり、あるいは年金財源を保険料から税にシフトする

(7)

ことの効果を分析するなど、政策的含意に富む数多くの試みが行われている8 資本蓄積への影響を考慮に入れた場合の最大の注目点は、賦課方式から積立方式への移 行がパレート改善的になる余地が出てくることである。前述のように、賦課方式から積立 方式に移行する際には、既存の年金債務を返済するため、現時点で現役となっている世代 以降は追加的な課税に直面することになり、彼らの生涯を通じた予算制約は制度改革前と 変わらない。したがって、家計の消費計画は影響を受けない。しかし、彼らが現役のとき に行う貯蓄は、それが家計貯蓄という形をとるにせよ政府貯蓄という形をとるにせよ、積 立方式への移行によって追加的な課税分以上に増加するはずである。これが資本蓄積を加 速し、経済厚生を高め得る。 この点は、前節の簡単なモデルで確認できる。賦課方式から積立方式に移行した場合、 家計は、積立方式の保険料と追加的な税を支払わされるが、前者は政府の貯蓄になるので、 経済全体における貯蓄の改革前からの変化分は、家計の消費計画が変化しないことも考慮 して、

p

t

=

p

(

r

n

) (

p

/

1

+

r

) (

=

1

+

n

) (

p

/

1

+

r

)

>

0

となる(賦課方式下の貯蓄はw−c1−p、積立方式下の貯蓄はw−c1−tである)。つまり、マ クロ的に見て貯蓄が増加するわけである。これは、積立方式への移行が資本蓄積を加速し、 長期的に経済厚生を高め得ることを示唆する。したがって、積立方式への移行は、たとえ 年金純債務を返済するための追加的課税を伴ったとしても、是認されることになる。 ただし、公的年金と資本蓄積の関係に関しては、次の 2 点に注意しておこう。第 1 に、 少子化が進めば、一人当たり資本ストックを維持するために必要な資本ストックはこれま でより低めでよいかもしれない。つまり、賦課方式によって資本蓄積が抑制され、公的年 金の負担が先送りされても、将来世代はそれを十分に吸収する余裕があるという言い方も できる。この点は、たとえばElmendorf and Sheiner (2000)が指摘しているが、こうした 議論の妥当性は初期時点において資本ストックが不足しているかどうかに左右される。 第 2 に、公的年金の家計行動や資本蓄積に及ぼす影響は、家計の利他的な遺産行動をモ デルに組み込むとかなり異なってくる。この点は、「バローの中立命題」が示唆するところ である。賦課方式の公的年金は、結局のところ世代間における所得移転の装置である。そ のため、遺産や生前贈与といった私的な所得移転の仕組みがあり、しかも家計が将来世代 の効用も考慮して行動すれば、年金改革による所得移転は少なくとも部分的に相殺される ことが予想される。もちろん、家計がどの程度利他的に行動しているかは、実証分析の結 果に委ねられるところが多く、すでに数多くの実証研究が蓄積されている。 4.公的年金と就業・引退行動

8日本においてAuerbach and Kotlikoff流の数値計算を行った分析例としては、麻生(1996) Kato(1998)、小塩(1999)、上村(2001)などがある。

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公的年金がどの程度就業を抑制し、引退を促進するかは、年金財政や労働供給、経済成 長の問題を考える上で無視できないテーマである。理論面では、Diamond and Mirrlees (1986)の分析がしばしば注目されている。そこでは、所得稼得能力の低下を理由として引退 せざるを得ない者と、単にもう働きたくないから引退した者とを政府が識別できない場合、 前者に対する金銭的な支援と後者のような行動に対する抑制をどのようにバランスすべき かが問題とされている。Diamond and Mirrlees は、引退年齢が高いほど年金給付額が高く なるような制度によって経済厚生が高まることを示している。その理由は、直感的にも理 解しやすい。すなわち、引退すれば年金生活に入れるが、その一方で、働いていれば得ら れたはずの賃金と、引退を先延ばしすることによって得られたはずの年金の増分を失うこ とになる。人々は、その両者を比較することにより引退するかどうかを判断するので、働 く能力のある人ほど働き続けるという仕組みが出来上がるわけである。 一方、実証面でも、公的年金と就業・引退行動の関係に関しての分析が精力的に進めら れてきた。なかでも、Gruber and Wise eds. (1999)による国際比較研究は、高齢者の引退 行動が公的年金のあり方に密接に関係していることを具体的に示したものである。とりわ け、ヨーロッパ諸国で進められてきた早期引退制度の導入や受給条件の緩和は、高齢者の 引退時期を有意に早めてきたことが明らかになっている。 日本でも、在職老齢年金制度が高齢者の就業行動にどの程度の影響を及ぼしているかと いう点をめぐって、マイクロ・データを利用した多くの実証分析が存在する。安部(1998)、 大日(1998)、小川 (1998)、岩本(2000) などが最近におけるその代表例であるが、これらの 実証分析で特に問題となっているのは、サンプル・セレクション・バイアスをどう処理す るかという点である。つまり、年金生活に入らずに就業している高齢者は、そのほうが有 利だと判断したからこそ就業しているはずであり、それを考慮しないで年金と就業・引退 の関係を推計すると、年金の就業抑制効果が大きめに出てしまうことになる。そのために、 たとえば小川の研究は、就業者が引退していれば受給していたはずの年金受給額(本来年 金額)を試算し、それを考慮に入れることによって就業・引退の意思決定を説明するとい う工夫をしている。 しかし、公的年金と就業・引退行動の関係をめぐっては、動学的な枠組みによる分析も 最近注目されるようになっている。高齢者が就業・引退の意思決定を行う場合、引退すれ ばその時点でどれだけ年金が受給できるかという、短期的な要因だけが問題になるのでは ない。彼らが合理的に行動しているとすれば、引退を 1 年先延ばしすることによって、生 涯にわたって受給できる年金総額がどの程度変化するかが注目されているはずである。そ こで、生涯にわたって受給できる年金総額(割引現在価値)を「社会保障資産」(年金資産) (SSW: Social security wealth)として、その値と就業・引退行動の関係を分析しようとす る実証分析が進められてきた。前述のGruber and Wiseeds.は、この社会保障資産と就業・

(9)

引退行動の関係を国別に分析したものである9

動学的な分析概念としては、引退を先延ばしすることによる「オプション・バリュー」 による分析も注目される。この概念はStock and Wise (1990)によって提唱されたものであ り、次のように説明できる。現在t歳の高齢者が、r歳で引退したときに得られる間接効用を Vt(r)と表記し、

( )

( )

=

[

( )

]

= −

+

=

S r s r s t s r t s w s t s t

r

U

w

U

b

r

V

1

β

β

と定義する。ただし、ここで、wsはs歳(t≦s≦r−1)における賃金、bs(r)はr歳で年金生活 に入った場合にs歳(r≦s≦S;Sは最大生存年齢)で受け取る年金額であり、U(・)は間接 効用関数、βは割引ファクターである。個人の完全予見を想定した場合、引退年齢を現年 齢であるt歳からr歳に先延ばしした場合に得られる便益は、

G

t

( )

r

=

V

t

( ) ( )

r

V

t

t

と表現できる。この便益を最大にする引退年齢がr*歳である場合、t歳におけるオプション・ バリューOVtは、

OV

t

G

t

(

r

*)

=

V

t

(

r

*)

V

t

( )

t

として定義される。引退を先延ばしすれば、最大でVt(r*)だけの便益が得られるのに、いま 引退すれば便益はVt(t)にとどまる。その差額は引退を先延ばしすることで温存される便益 と解釈できるので、引退の先延ばしに伴うオプション・バリューと名づけられるわけであ る。逆に、引退の機会費用と解釈してもよいだろう。このオプション・バリューが大きい ほど、個人は引退を先延ばしすることになる。 オプション・バリューによって高齢者の就業・引退行動を説明するという試みは、前述 のStock and Wiseのほか、Coile and Gruber (2000a)(2000b)などが行っており、さらに Gruber and Wise eds. (2004)が国別の分析を所収している10。日本では大石・小塩(2000) が代表的な分析例となっているが、小塩・大石(2003)はさらにそうした分析を踏まえ、年金 改革によるオプション・バリューの変化が、高齢者の就業・引退行動を通じてどの程度年 金財政に影響を及ぼすかを試算している。 5.公的年金と所得再分配 9 社会保障資産を保険料で差し引いたネット・ベースで捉えると、公的年金が積立方式で運営さ れている場合、社会保障資産は原理的にはどの時点でもゼロとなる(保険数理的な公正性)。し たがって、社会保障資産という観点から見るかぎり、積立方式の公的年金は就業・引退行動に対 して中立的になる。 10 オプション・バリューと代替的な概念として、「ピーク・バリュー」がある。r歳で引退した 場合の社会保障資産をt歳で評価した値をSSWt(r)と表記し、その値を最大にする引退年齢をr* とする。このとき、ピーク・バリューPVtは、

PV

t

=

SSW

t

(

r

*

*)

SSW

t

(

t

)

として定義される。ピーク・バリューが大きいほど、個人は引退を先延ばしするだろう。 s

(10)

公的年金は賦課方式で運営されているかぎり、世代間の所得再分配を引き起こす。人口 の順調な再生産が終了し、少子化に向かう過程では、高齢層では支払った保険料以上に年 金を受給し、逆に若年層では予定されている年金受給額以上に保険料を支払うという、世 代間格差が問題となる。公的年金がこのような世代間格差をもたらすという問題は、いわ ゆる「世代会計」(generational accounting)的な発想が一般化する中で広く認識されるよ うになっている。日本でも、現行制度が大幅な世代間格差を生み出している点がしばしば 批判され(八田・小口・坂本(1998)など)、社会保障制度だけでなく税も含めた世代間格差 も試算されている(Takayama and Kitamura(1999)など)。

さらに世代会計による分析は、公的年金についてどのような制度改革を行うにせよ、世 代間における利害対立を避けられないという問題点も浮き彫りにしてしまう。ただし、そ こで行われる世代間格差の分析は、現役時・引退時を含む生涯所得をベースにしているも のの、あくまでも代表的な個人を各世代において想定して行ったものであり、個人の多様 性を無視しているという限界がある。 一方、所得格差は、生涯所得ベースではなく年間所得ベースで議論されることのほうが 多いかもしれない。厚生労働省が3 年に 1 度実施・公表している『所得再分配調査』によ ると、所得格差の大きさを示すジニ係数が上昇傾向を示す一方、公的年金など社会保障制 度がジニ係数を押し下げる度合いが強まっていることが分かる。しかし、大竹・齊藤(1999) が指摘しているように、所得格差の拡大のかなりの部分は、もともと所得格差の大きい高 齢層の比率が上昇したという高齢化要因で説明される。また、社会保障制度が所得格差を 縮小しているのは、年金・医療制度などによって若年層から高齢層への所得移転が生じて いる結果であり、生涯所得ベースで見た格差の縮小に寄与しているとは必ずしも言えない。 個人の多様性を考慮に入れた上で、生涯所得ベースで公的年金などがどの程度所得格差 の縮小につながっているかを調べるためには、個人の賃金・就業履歴などを把握できるパ ネル・データが必要となる。米国では、そうしたパネル・データを利用した所得格差の分 析がしばしば行われている。たとえば、Coronado, Fullerton and Glass (2000)は、公的年 金の累進性が年間所得ベースではなく生涯所得ベースで見ると大きく低下することを指摘 するとともに、公的年金の累進性を左右する多くの個人的属性を定量的に分析している。 また、Gustman and Steinmeier (2001)や Liebman (2002)は、配偶者の所得や死亡確率の 違いを考慮すれば、公的年金の累進性が薄れることを指摘している。さらに、前述の Coronado et al.は、各種の年金改革が累進性に及ぼす影響を分析するためにマイクロ・シ ミュレーションを試みている。 公的年金は、積立方式で運営されている場合、各個人において現役時から高齢時に所得 を移すだけだから、世代間・世代内のいずれにおいても所得移転をほとんど引き起こさな い。しかし、賦課方式で運営されている場合は、世代間だけでなく世代内においても所得 移転を引き起こし、場合によっては、世代内の公平性の追及に寄与することもあり得る。

(11)

この点を、2 期間・2 世代の世代重複モデルにおいて、保険料が現役時の賃金wに比例的に 徴収され(保険料率θ)、引退時に定額bの年金が支給されるという賦課方式の公的年金を 想定して確認しておこう。 公的年金に伴う政府とのお金のやり取りを考慮した後の生涯純所得w*は、

w

*

=

(

1

θ

)

w

+

b

/

(

1

+

r

)

③ として表わされる。これは、生涯を通して見た場合、公的年金を一種の累進課税として解 釈できることを意味する。一方、この公的年金は賦課方式で運営されているから、人口増 加率をn、平均賃金を

w

とすれば、1 人当たりで見て、

(

1

+

n

)

θ

w

=

b

という関係が成り立っていなければならない。したがって、③式で示される生涯純所得は、

w

*

=

(

1

θ

) (

w

+

1

+

n

) (

θ

w

/

1

+

r

)

=

w

+

θ

[

(

1

+

n

) (

w

/

1

+

r

)

w

]

④ と書き改めることができる。社会全体の平均をとると、

(

) (

)

[

n

w

r

w

]

w

(

n

r

) (

w

r

)

w

w

*

=

+

θ

1

+

/

1

+

=

+

θ

/

1

+

となって、n<r であるかぎり、賦課方式の公的年金は生涯純所得を引き下げるという通常 の関係が確認される。ところが、④式より、

w

*

w

if

w

(

1

+

n

) (

w

/

1

+

r

)

;

w

*

<

w

if

w

>

(

1

+

n

) (

w

/

1

+

r

)

という関係が得られる。すなわち、賦課方式の公的年金は、少子化の下では、平均的に生 涯純所得を引き下げるという望ましくない効果をもたらすものの、低所得層(高所得層) の純所得を引き上げ(引き下げ)、生涯所得ベースで見た世代内格差を縮小するという望ま しい効果をもたらすのである。もちろん、世代内の所得再分配は公的年金の第一義的な政 策目的ではなく、税制の果たすべき役割であろうが、公的年金のあり方を評価する際の一 つの注目点となり得る11。そのほか、公的年金の所得再分配効果を分析した論文を所収した ものとして、Feldstein and Liebman ed. (2002)がある。

6.公的年金と子育て支援 賦課方式による公的年金の持続可能性が危惧されるのは、人口が順調に再生産されない からである。それを逆に言うと、出生率さえ回復すれば、賦課方式の問題はかなりの程度 回復されることになる。出生率は多くの先進国で低下傾向を示しているが、その背後には、 とりわけ女性の高学歴化や社会進出によって、出産・子育ての機会費用が上昇しているこ とが挙げられる。したがって、最近では、先進各国において子育て支援を政策的に進める 例が増えてきている。一方、実証分析面でも、子育て支援が出生率に及ぼす影響を具体的 11実際、Oshio (2004b)は『所得再分配調査』のマイクロ・データに基づき、公的年金の所 得再分配効果が、(推計された)生涯所得ベースで見ると年間所得で見る場合に比べて大幅に 低下することを示すとともに、賦課方式の公的年金について幾つかのタイプを想定し、世 代内の所得再分配効果の大きさを試算している。

(12)

に検証する試みが幾つか行われている。

しかし、子育て支援の出生率への影響、あるいは出生率の変化を通じた年金財政への影 響を分析するためには、出生率を内生化した理論モデルが必要となる12。最近の研究例であ る Groezen, Leers and Meijdam (2003)は、現行の賦課方式が引き起こす資源配分上の歪み は、財政的な子育て支援策を導入することによって軽減できると指摘している。これらの 分析は、いずれかの世代に追加的負担を強いらざるを得ないという、年金改革の問題を回 避するものとして、きわめて重要な政策的含意を持っている。 子育て支援の意義は、概念的には次のように説明できる。いま、単純な2 期間・2 世代の 世代重複モデルを想定し、家計の効用は現役時と引退時の消費及び子供数で決定され、さ らに賦課方式の公的年金がすでに導入されていると考えてみよう。子供数は各家計がその 効用を最大にする水準に設定するが、子供はその数が多いほど年金給付を充実させ、自ら の家計だけでなく他人の家計の効用を高める。その意味で、子供は外部効果を発揮する「公 共財」としての性格を持っている。しかし、各家計は自らの効用の最大化のみを追及して 子供数を決定するから、子供数は社会的に最適な水準を必ず下回ることになる。子供数を 最適な水準まで高めるためには、家計が子供数を増やすような財政的な支援を行えばよい。 つまり、子育て支援は、子供に備わっている外部効果を内生化する「次善」(second best) の策として位置づけることができる。 子育て支援の大きさは、公的年金の規模に左右される。いま、賦課方式の公的年金の保 険料が定額の p で徴収されているとしよう。社会が対称的な家計で構成され、各家計が限 界的に 1 人子供の数を増やしたと仮定する。そのとき、各家計が引退時に受給する年金額 はpだけ増えるはずである。その割引現在価値はp/(1+r)となるが、この値が子供 1 人当た りの外部効果と解釈できよう。したがって、この外部効果を内生化するためには、子供 1 人当たりp/(1+r)だけの財政的支援を行えばよい。つまり、子供 1 人当たりの財政的支援の 額をaとすれば、

a

=

p

/

(

1

+

r

)

という単純な関係が得られる(前述のGroezen, Leers and Meijdam 参照)。なお、公的年 金が積立方式で運営されていれば、子供は外部効果を発揮しないので、公的年金との関係 で考える限り子育て支援はその根拠を失うことになる。 しかし、子育て支援の政策的な効果を理論的に検討する際には、とりわけ次の 2 点が問 題となる。第 1 は、資本蓄積を内生化するかしないか、換言すれば、閉鎖体系を想定する か開放体系を想定するかによって、結論が大きく異なってくることである。子育て支援は 子育てコストを軽減し、将来時点の消費の価格を相対的に高めることになるから、代替効 果によって貯蓄を抑制するかもしれない。さらに、出生率の変化はそれ自体としては 1 人 当たり資本ストックに影響を及ぼし、またそれが社会的厚生に影響を及ぼすという経路も

12 この分野での先行研究としては、 Nishimura and Zhang (1992)Peters (1995)Kolmar (1997)、Sinn (1998)、Cigno, Luporini and Pettini (2000)などがある。

(13)

存在する。すでに述べたように、少子化は1 人当たり資本ストックの上昇につながるので、 賦課方式による公的年金は少子化の下でも十分是認できるという主張もある。特に、人口 動態リスクを世代間で分かち合う装置として賦課方式の公的年金を捉えると、子育て支援 によって出生率の回復を目指す必要はなくなる。 第 2 に、家計の子孫に対する利他的な遺産行動を考慮するかどうかも、政策効果に影響 を及ぼしかねない。たとえば、少子化の下で、賦課方式による公的年金が将来世代に負担 増をもたらすとしても、現世代がその負担増を考慮して遺産を増やせば、予算制約への影 響は軽減される。このような利他的な遺産行動をモデルの中に組み込むと、子育て支援の 効果については不透明な部分が出てくる。 実際、出生率を内生化した世代重複モデルを用いた先駆的な分析であるBecker and Barro (1988)及びBarro and Becker (1989)によると、子供に対する課税の強化、あるいは 賦課方式による公的年金の拡充といった、子育てコストを引き上げるような政策を実施す ることによって、経済厚生がむしろ上昇する可能性すら出てくる13。なぜなら、自分の子供 も高い子育てコストに直面するであろうことを考慮した家計が、遺産を増やすことによっ て子供の効用水準を高めようと考えるからである。 つまり、子育て支援のあり方は、資本蓄積を内生化するかしないか(閉鎖体系を想定す るか開放体系を想定するか)、そして、利他的な遺産行動を考慮するかしないか、というモ デルの設定の仕方によって微妙に異なってくる。Oshio (2003)はその点を理論的に整理した ものだが、育児手当が経済厚生を引き下げる可能性も理論的には否定できないとしている。 7.年金制度改革をめぐるその他の論点 少子高齢化は日本だけでなく、ほとんどの先進国で同時に進行している現象であり、各 国とも年金改革が喫緊の政策課題となっている。そこで、最後に、年金制度改革の進め方 に関して理論的に重要と思われる論点を幾つか紹介することにしよう。 第 1 は、リスクをめぐる問題である。賦課方式は通常、給付水準をあらかじめ設定する 「給付建て」(確定給付)(DB; defined-benefit)の仕組みで運営される。これに対して積 立方式は、保険料収入を市場で運用し、その運用成績次第で給付水準が変動する「拠出建 て」(確定拠出)(DC; defined-contribution)の仕組みで運営されると想定することが多い。 そのため、積立方式に移行すると年金給付の水準が不安定になり、高齢者がリスクに直面 するとしばしば批判されてきた。

Campbell and Feldstein eds. (2001)に所収された諸論文は、こうしたリスクの問題をさ まざまな角度から分析している。それらの論文を読むと、リスクの大きさは、年金制度の タイプや株式など民間の金融資産への投資度合いに左右されるものの、積立・拠出建て方

13 開放経済体系を想定したBecker and Barro (1988)は、出生率は(世界)利子率のみによって 決定されるという意外な関係を導いている。

(14)

式への移行によるメリットに比べると小さいというニュアンスの論文が多いように見受け られる(その代表例として、Feldstein, Ranguelva, and Samwick (2001)を参照)14。しか し、ここで注意すべき点は、賦課方式にとどまったとしても、人々がリスクから解放され るわけでは決してないということである。賦課方式の公的年金は給付建てで運営されるの が普通なので、高齢者はリスクからとりあえず解放されるものの、そのリスクは現役労働 者が負うことになる。つまり、リスクは現役時か引退時のいずれかの時点で直面せざるを 得ないのであり、積立方式への移行によってはじめてリスクの問題が発生すると考えるの は誤りである15 第 2 は、運営コストをめぐる問題である。これは、年金民営化の評価に関わるものであ る。資本蓄積へのプラス効果などを考慮して積立方式への移行が是認されたとしても、保 険料を政府が一括して運用すべきか、それとも個人勘定を設定して個人が運用のイニシア ティブをとる年金民営化を進めるかという選択がある。年金民営化を批判する重要な根拠 として、個人に運用リスクが帰着するという点だけでなく、政府による一括運用より運営 コストが高くなるという点がしばしば挙げられる。 Shoven ed.(2000)は、こうした運営コストの問題を分析した論文を所収したものであるが、 そのなかで、個人勘定による年金民営化は運営コストを大幅に引き上げるとして強く批判 しているDiamond (2000)の主張が注目される。Diamond は、年金民営化を進めたチリの 実例や米国のミューチュアル・ファンドの運営コストに基づき、個人勘定による運営コス トは政府による一括運用の場合の少なくとも 2 倍以上と推計している。民営化論者の Feldstein は Diamond 論文に対するコメントの中で、個人勘定の運営コストが過大評価さ れているといった点を挙げて反論しているが、運営コストが年金民営化をめぐる論議にお いて最も重要な論点の一つになっていることは否定できない。日本でも、個人勘定による 民営化に対する反論材料として、この運営コストの高さが指摘されることがある。しかし、 日本の場合、政府による年金積立金については非効率な運営が行われているとの指摘も少 なくなく、運営コストの比較には難しい面もある。 第 3 に、これまでになかった新しい年金制度として、スウェーデンやイタリアで最近導 入された「見なし(概念上の)拠出建て方式」(NDC; notional defined contribution)が注 目されている。この方式は毎年の保険料収入で年金給付を賄うものであり、保険料を積み 立てて運用するわけではないという点では、従来の賦課方式と同じである。しかし、高齢 時に受け取る年金を、現役時に拠出した(所得比例の)保険料に「見なし運用利回り」を 14 なお、この点と関連して、米国では年金積立金を株式など民間の危険資産に投資すべきかど うかという論争が展開された(米国では、年金積立金は全額、非市場性国債で運用されている)。 理論分析としては、Abel (2001)、Diamond and Geanakoplos (1999)などを参照。なお、政府に よる年金積立金運用の問題点については、Tamaki (2003)による整理を参照されたい。

15 ただし、年金改革を積立方式への移行にとどめるのではなく、個人勘定による民営化まで進 めた場合には、別の次元のリスク問題が発生する。運用成績が個人で異なってくるため、年金給 付面での格差が生じるからである。

(15)

つけて支給する、というのがこの見なし拠出建て方式の特徴である。この見なし運用利回 りとしては、原則として賃金総額の伸び(本稿の用語では賃金所得増加率)が採用される ことになる16 見なし拠出建て方式は、賦課方式と拠出建て方式という、原理的に相容れない運営の仕 組みを見なし運用利回りという概念によって結びつけたという点で画期的であるとされる。 確かに、現行の賦課方式では現役時の拠出実績と引退時の年金給付の関係が不明確であり、 両者を直接リンクさせたことは高く評価されるべきである。また、政府が必要以上の給付 を国民に約束し続け、年金債務を雪だるま式に膨らませる危険性を回避できるのも、この 方式の利点と言える。 しかし、見なし運用利回りを賃金総額の伸びとしていることから分かるように、見なし 拠出建て方式は、収益性の面に注目するかぎり賦課方式の特徴をほぼそのまま引き継いで いる。あるいは、この方式は、保険料の拠出実績以上に給付を約束してきた現行制度を、 より教科書的な賦課方式の仕組みに近づけるものと解釈してもよいだろう。したがって、 賦課方式か積立方式かという問題を含め、年金制度改革をめぐる多くの問題がこの見なし 拠出建て方式の導入によってすべて解決されるわけではない。 参考文献

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16 ただし、スウェーデンでは 1 人当たり賃金の伸び率が採用されている。そのため、給付の伸 びが保険料収入の伸びを上回る可能性を排除できず、給付水準を保険料収入などに合わせて自動 的に調整する「年金財政の自動安定装置」が組み込まれている。

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・公的年金制度の障害年金1・2級に認定 ・当社所定の就労不能状態(障害年金1・2級相当)に該当

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Becker, Conformal mappings with quasiconformal extensions, As- pects of Contemporary Complex Analysis, Academic Press, London, 1980, 37-72..