基督教教育同盟会編『基督教主義中学校及び高等学 校宗教教科書』(1949‑50年)の内容とその特質
著者 佐々木 勝彦
雑誌名 教会と神学
号 47
ページ 173‑234
発行年 2008‑11‑25
URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024383/
1
基督教教育同盟会綿「基督教主義 中学校及び高等学校宗教教科書」
(1949‑50年)の内容とその特質
佐々木勝彦
はじめに
われわれは先に基督教教育同盟会編i聖書教科書」の編纂の経緯と その内容について論じた(1)。本稿では,同じ基督教教育同盟会が1949‐
50年に編纂した戦後最初の「基督教主義中学校及び高等学校宗教教科 書」全十二巻を取り上げ, その内容と特質を明らかにしてみたい。
ただし今回は, この全十二巻の編纂の経緯を示す資料を入手するこ とができなかった。 したがって, それらの検討は今後の課題とせざる をえない。
なおわれわれは,本稿に続き,同じく基督教教育同盟会及び基督教 学校教育同盟によって編纂された宗教(聖書)科教科書シリーズ,つ まり1951年版シリーズ, 1956年版シリーズ, 1959年版シリーズ, さ らに1993年版シリーズを取り上げる予定である。
以下の各項目の構成は次の通りである。a、発行年次,定価,総頁数,
挿入写真枚数等, b.著者7 C.詳細な目次, d.特質。
I
(1) 中学校用,−年前期,基督教教育同盟会編『キリスト教入門
(上)」創元社
a. 1949(昭和24)年3月15日初版発行, 90円, 129頁,地図(パ ウロの旅行行程) 2頁分, 13行×39字(1頁507字),巻頭写真1頁,
挿絵・写真29枚
b. 今田恵(関西学院大学教授・文学部長),二宮源兵(神戸女学院 中等部・高等部部長)共著
c, 目次
一私の学校1入学, 2偉い人, 3学校, 4キリスト教学校,二 何を学ぶか 1世界, 2文化, 3自分,三宗教l宗教とは何か, 2 宗教と生活, 3高い宗教と低い宗教, イ低い宗教の特徴, p高い宗 教の特徴, 4世界の宗教, 5日本の宗教, 6宗教的教養の必要,四キ リスト教 l新しい歴史, 2キリスト教の背景, 3キリスト教の起源,
4キリスト教の発達, 5日本の新教,五礼拝l拝む人, 2何を拝 むか, 3なぜ拝むか, 4いかに拝むか, 5私たちの礼拝,六祈り l 祈る人, 2正しい祈り, 3祈りの模範,七主の祈り l祈りの模範,
2主の祈りの意義,3主の祈りの構造,八聖書l聖書の価値,2聖 書の名称及び構成, 3聖書の原語, 4 「聖」ということ, 5旧約と新約,
九旧約lアブラハムとモーセ, 2旧約聖書の成立, 3三区分の内 容,十新約lイエスと旧約聖書, 2旧約より新約へ, 3新約聖書 の成立,十一讃美歌 l讃美する人, 2宗教音楽, 3讃美歌の発達,
十二著名な讃美歌「日くれて四方はくら<」 「もろびとこぞりて」
I宗教教科書.l (194950年) 3
「きたのはてなる」「ちとせのいはよ」「わがたましひをあいするエスよ」
「主よ御手もて」,十三著名な賛美歌(つづき) 「たへなるみちしるべ の」 「かみはわがちから」 「主よみもとに」 「主はいのちを」 「わがやま との」「やまぢこえて」,十四教会 l教会の発端, 2教会の発達,十 五教会生活l教会の意義,2教会の活動,3教会の儀式,十六イ エス・キリスト lイエス・キリストの降誕の意義, 2教祖イエス・
キリスト, 3救主イエス・キリスト,十七イースター(復活節) 1 自然のよみがえり, 2イエスの復活, 3イエスの復活の意義, 4イー スター, 5イースターの行事,十八母の日 1母の愛, 2母の日の 起源, 3母の日の行事,十九クリスマス(降誕節) 1クリスマス・
シーズン(降誕節季節), 2クリスマスの由来, 3イエスの降誕, 4ク リスマスの行事
d. 特質
1戦前のI聖書教科書jと異なり,直接聖書の解説に入らずに,で きるかぎり学習者の立場に立って, キリスト教的な新しい環境の意味 を解説しようとしている。特にそれは,第一章「私の学校」,第二章
「何を学ぶか」,第五章「礼拝」,第六章「祈り」,第七章「主の祈り」,
第十一章「讃美歌」,第十二章「著名な讃美歌」,第十三章「著名な讃 美歌(つづき)」, という項目設定に表われている。これは学校礼拝を 前提にした構成であり,新入生が新しい環境に無理なくとけこみ, さ
らにその意味を確実に理解することを期待している。
2第十四章「教会」及び第十五章「教会生活」の記述は, 「基督教 主義学校」 (「後記」に用いられている用語) と 「教会」の密接な関係 を前提としている。新入生は「教会出席」を強く求められていたと考
えられる。第十五章「教会生活3教会の儀式」においては,儀式の 内容として①洗礼(バプテスマ),②聖餐,③礼拝が取り上げられ,
それぞれの意味と目的が解説されている。さらに祈祷会,聖書研究会,
伝道説教などについての言及もみられ,新入生が「教会の礼拝」等で 戸惑うことのないように配慮されている。
3第十七章「イースター」,第十八章「母の日」,第十九章「クリス マス」の章も印象的である。いずれも, その行事の歴史的由来とそれ を守る意義について語っている。 これらの章が設けられたのは,おそ らくすでに教会暦に従って, これらの行事が学事暦に含まれていたた めと考えられる。なお「母の日」が取り上げられている事実は興味深 い。なぜ他の日ではなく 「母の日」なのか, という問いが出てくるか らである。単に戦前からの慣習を引き継いだだけなのか,あるいは「マ リア」信仰をもたないプロテスタントに特有な現象なのか。それとも 無意識のうちに土着化の視点から導入されたのだろうか。
4 「礼拝」に関する章が一章, 「祈り」に関する章が二章, さらに「讃 美歌」に関する章が三章, それぞれ設けられている。したがって「礼 拝」 とその内容に関する章は全部で六章になる。 これに対し, 「聖書」
に関する章は全部で三章だけである。 この構成は, 「宗教教育」が総合 的なものであることを明確にしている点で重要である。その後の日本 におけるキリスト教教育の歴史は, この「総合的な理解」がさまざま な理由で失われて行く歴史でもあるからである。
5各章の終りに「課題」が設定されており, しかもその内容は「ま とめ」というよりも一層の「展開」を目指すものになっている。現在 の「聖書科」の状況からみるかぎり, この「課題」を教室で取り上げ
『宗教教科書」 (194950年) 5
ることは時間的に不可能である。
6 「後記」は, この「宗教教科書」の編纂の意図と使用法について 次のように述べている。 「○本書は全人教育の有機的一環としての宗 教生活の指導と,基督教に関する基本的事項の教授とを目的とする。
○各巻の学年配当は大体の基準を示したものであって,各校の方針に 従って変更することは勿論差支えない。○本書を使用する場合には 常に聖書と併用し,聖書に親しむことが望ましい。○本書は学校のみ ならず,教会日曜学校の宗教教育及び一般読者の宗教理解にも有効で あろうと思う。」
編者は「全人教育」を念頭に置いており, 「教科書」が「聖書」と併 用されること, さらにそれが「教会」において読まれることを期待し ている。これは戦前のI聖書教科書」にも見られた期待であり, この 点で戦前の最初の教科書と戦後の最初の教科書は同じ理解に立ってい
る。
7第三章「宗教」の説明の中にみられる「高い宗教」と「低い宗教」
という区別はいかにも進化論的発想であり,今日の視点からみると問 題がある。ただし諸宗教の存在に気づかせ, 「宗教とは何か」といった 問いかけから入ろうとするアプローチは,今日においても有効であろ う。なお現在であれば,特に「日本の宗教」についてもう少しきめ細 かな記述が必要である。神社と寺院を明確に区別できないのが学習者 の実情だからである。
8 この教科書は中学校用・一年前期とされているが, その分量があ まりに多く,教育現場の状況をまったく無視していると言わざるをえ ない。 これはこの教科書シリーズ全体に当てはまることであり,是非
とも編集段階における議論を確認する必要がある。
(2) 中学校用,一年後期,基督教教育同盟会編Iキリスト教の成立」
創元社
a. 1949(昭和24)年3月10日初版発行, 1950(昭和25)年3月15 日再販発行, 90円, 91頁, 13行×39字(1頁507字9,巻頭写真1頁,
写真9枚
b. 由木康(東中野教会牧師) ・羽鳥明(お茶の水女子大学附属高等 学校教官)共著
c・ 目次
一世界の宗教(詩篇42. 1 2),二キリスト教(ヘプ12. 1 2), 三イエスの出現(ルカ1.2, マタイ1.18, 2章),四イエスの使 命(一) (マタイ11.28‑30, ヨハネ13.1),五イエスの使命(二) (マ ルコ8.34‑38),六受難と復活(一) (イザヤ53.49),七受難と 復活(二) (ルカ24章),八聖霊の降臨(使徒2章),九ペテロの活 踊(使徒4章), ‐{‐ ステパノの殉教(使徒6.7),十一パウロの回 心(使徒8‑9.31),十二パウロの伝道(Iコリ9章),十三異邦人 の救い(I1コリ5・11‑21),十四ヨハネの宣教(Iヨハネ1.5‑10), 十五教会の確立(ルカ12・2232),十六教会の本質(エベソ2.
19‑22),十七新約聖書の成立(‑) (ガラ1・69),十八新約聖書の 成立(二) (Ⅱテモ3. 1416)
d. 特質
I 中学校用・一年前期の教科書『キリスト教入門(上)」の「後記」
によると,中学校用・一年後期の教科書の表題はIキリスト教入門(下).!
『宗教教科書」 (194950年) ﹇J1
となるはずであった。 ところが実際には『キリスト教の成立」 と改題 され,由木康(二葉教会牧師)による単独執筆から,由木康と羽鳥明 の共同執筆へと変更されている。 この変更の経緯は不明であるが,後 者において由木康の所属は東中野教会牧師と表記されており, この移 動が関係している可能性も考えられる。
2第一章と第二章に, 「信教の自由」 「シンクレテイズム」 「神仏習 合」 「神の言葉即ち福音」といった表現が, また十四章には「グノーシ ス派」の解説(71頁)が出てくる。はたして学習者はこれらの内容を 理解できたのだろうか。はなはだ疑問である。全体としてかなり高度 な内容となっており,現在なら高校一年生用の教科書として用いるこ とも可能である。
3 「イエスの使命(一) (二)」において,著者は「三十才のイエス はどのような人物であったのであろうか」と問いかけ, こう答えてい る。 「イエスの人格はわたしたちにとって完全な模範であり」 (21頁),
「わたしたちの有しうる最高完全な模範であり理想である」(20頁)と。
この言葉だけを読むと 「道徳の教師イエス」といったイメージも生じ てくるが,著者によると「彼の教えは人の心を焼き尽くす火であった」
(23頁)と同時に,彼は「罪人を救い,照らし,慰め,力づけうる活け る神の子, キリスト」 (25頁)であった。つまり道徳の教師イエスは,
同時に救い主キリストであった。
いずれにせよここには「理想的人間像」 (19頁)についての記述がみ られる。 このような記述を可能にした背景は何だったのだろうか。
4 「聖霊降臨」の章の他に「教会の確立」と「教会の本質」の章も 設けられており, これがこの教科書のひとつの特徴になっている。例
えば第十五章「教会の確立」の「課題二」は, 「ローマの国教となっ てから後,教会はどんなふうに発展したかについて,調べたり話を聞 いたりすること」を求め,第十六章「教会の本質」の「課題二」は,
「古代キリスト教会ではどんなふうに集会をしたか,その礼拝,讃美歌 はどんなものであったかを調べること」を求めている。 これらの章の 内容および表現は,教会における研究会や修養会などでも使用できる 高度なものになっている。著者によると, 「キリスト教は復活のイエス をキリストと信ずる宗教である」 (35頁) と共に, 「キリスト教は「教 会の宗教jである」 (72頁)。しかも古代教会の発展は決して「キリス
ト教の組織力や人数の力」によるものではなかった。
5 「新約聖書の成立」 という項目が設けられていることからも推察 される通り,本書には文書資料仮説および歴史的背景についての詳し い記述があり,正典史も取り上げられている。 これはとても中学一年 用の教科書とは思えない内容である。はたして教育現場は, このよう な資料仮説を前提にした「聖書物語」を必要としていたのだろうか。 こ れもはなはだ疑問である。
(3) 中学校用,二年前期,基督教教育同盟会編「│日約の歴史」創元 社
a. 1949(昭和24)年3月10日初版発行, 1950(昭和25)年3月15 日再販発行, 85円, 140頁,地図(旧約時代のエジプト及びメソポタ ミア) 2頁分, 13行×39字(1頁507字),巻頭写真1頁,写真10枚
b. 河過満要(関西学院高等学部長)著 c, 目次
「宗教教科書」 (1949‑50年) 9
一河と砂漠(旧約の世界) 1こつの河と砂漠, 2メソポタミア,
3エジプト, 4アラビア砂漠, 5シリア,二「乳と蜜の流れる地」(パ レスチナ) 1カナン,2川と湖沼,3山と平原,4地勢と宗教,三民 族の発生と動き (イスラエル民族の起源と移動) 1セム族の発生, 2 民族移動, 3テル・エル・アマルナ文書, 4族長物語,四ヨセフ物 語(エジプトとイスラエル民族) 1族長ヨセフ(創3850章), 2パ ロ王と奴隷生活(出1章), 3ベニ・ハサンの壁画, 4ピトム, ラメセ スの発掘, 5苦難の教司' ' 五指導者モーセ(出エジプト記) 1 「神 の人」モーセ(出エジプト記・民数記), 2紅海渡渉, 3シナイ, 4カ デシ.バルネア, 5砂漠と宗教,六カナン入国と定住 1後継者ヨ シュア(ヨシュア記全章),2殖民定住地,3カナン人,4ペリシテ人,
七女傑デポラと勇士ギデオン(士師列伝‑) I士師の出現,2内憂 と外患, 3女傑デボラとキシオン河畔の戦い(土師45章), 4ギデオ ンと「三百人」 (士師7−8章),八豪カサムソンと貞女ルツ (土師列 伝二) 1士師の活動と地勢,2少年ダビデと巨人ゴリアテの一騎打ち (Iサム17.8),3豪力サムソン(士師13‑16章),4貞女ルツ(ルツ記), 九預言者サムエルとサウル王lサムエルの生涯(Iサム112 章),2預言者運動(ナービーイム) (Iサム10章),3王制の設定(Iサ ム8章),4サウル王の生涯(Iサム921章),5ギルボアの悲劇(Iサ ム2931章),十ダビデ王とソロモン王lダビデ王の生涯とその事 業(少・青年時代), 2へう.ロンのダビデ王(IIサム2‑5章), 3エル サレムのダビデ, 4ソロモン王の生涯と事業(I列王1 11章),十一 王国の分裂1分裂の原因, 2レハベアムの失政(I列王12章),3ヤ ラベアムの反逆(1列王12‑16章), 4分裂の結果,十二北王国とサ
マリアの陥落1分裂の初期(第一王朝より第三王朝) (I列王14‑16 章),2オムリ王とアハブ王(第四王朝) (1列王16‑22章),3エヒウ王 とヤラベアムニ世(第五王朝) (11列王912章), 4サマリアの陥落 (Ⅱ列王15‑17章),十三南王国とエルサレムの陥落l北王国との 対立時代,2ヒゼキヤ王(Ⅱ列王18‑20章),3マナセ王とアンモン王 (I1列王21g), 4ヨシア王と宗教改革(I1列王2223章), 5エルサ レムの陥落(1I列王23‑25章),十四王と預言者 l最初の預言者,
2北王国の預言者, 3南王国の預言者, 4捕囚の預言者,十五バビ ロンの河の辺り (捕囚) l「バビロンの河の辺り」(詩篇137・1), 2=
レミヤの手紙と賢人ダニエル,3預言者エゼキエル,4第二イザヤ,十 六「砂漠の大路」(解放と帰国) 1解放と帰国(エズラ13章), 2神 殿の再築(エズラ35章,ハガイ), 3エズラとネヘミヤ(エズラ記,
ネヘミヤ記), 4サマリア人, 5ヨナの話(ヨナ害),十七ギリシア 主義とユダヤ主義 lアレクサンダー大王の東征, 2 トレミー家とユ ダヤ人, 3セリウカス家とユダヤ人, 4マカビー家の五勇士,十八 ローマ帝国とユダヤ lローマの行政区ユダヤ, 2父へロデの悪政, 3 子へロデの悪政, 4ローマ総督とユダヤ人, 5ユダヤ戦争とエルサレ ムの陥落
d. 特質
l戦前のI聖書教科書」の構成(I旧約の人物』→Iイエス伝』→
「パウロ伝」→『預言者と其の教訓j→Iイエスの教訓』) と比較する と, このl。旧約の歴史』は,内容的からみて第一巻の『旧約の人物」に 相当する。 『│日約の人物」では,第一章の「聖書の大意」を除くと,第 二章「旧約聖書の地理」,第三章「アダムとエバ」→第十九章「ソロ
「宗教教科書」 (194950年) 11
モン王」,第二十章「エステル」という順序で構成されていたからであ る。ただし「旧約の歴史'lの第十四章「王と預言者」,第十五章「バビ ロン河の辺り」 (捕囚),第十六章「砂漠の大路」 (解放と帰国)は預言 者を中心に論じており, これは「預言者と其の教訓」に属する部分に 相当する。
ここで,次に取り上げる中学校用・二年後期の教科書i旧約の宗教」
の目次と内容を先取りするならば,誰もが戸惑ってしまうはずである。
そこではもっぱら「預言者」の問題が論じられており,内容が全く重 複しているからである。例えば, これを復習として肯定的に評価する のか,それとも編集段階における時間的制約の結果とみなすのか,様々 な見解がありうる。いずれにせよ, このような編集に至った経過を示 す資料の整理が待たれるところである。
2 この教科書の第十七章「ギリシア主義とユダヤ主義」というテー マは,戦前の「聖書教科書」にはなかったものであり,第十八章「ロー マ帝国とユダヤjというテーマも, 「イエス伝」等でわずかに言及され ていたにすぎない。第十七章の|課題・研究」では, 1ギリシア思想 がへプライ思想に及ぼした影稗, 2「七十人訳」の由来と価値, 3アン チオカスの迫害とダニエル書が,第十八章の「課題・研究」では, 1ロー マ帝国とユダヤの政治的関係, 2ヘロデ親子の悪政,3ヘロデ王の「エ ルサレム神殿」研究, 4ヨセファスの「ユダヤ戦争史」が, それぞれ 取り上げられている。
3前項の課題・研究からも推測できるように,内容は高度であり,
現在の高校生にとってもかなり難しいものである。現在であれば,大 学生の参考書として使うことも可能である。客観的データが沢山詰め
込まれおり,小事典と呼んでもおかしくないほどである。例えば「テ ル・エル・アマルナ文書」 (19頁), 「べこ・ハサンの壁画」 (27頁), 「ピ
トム・ラメセスの発掘」 (28頁) といった項目が入っている。
4 しかし他方で,例えば「サムソンとデリラ物語」の地理的背景に ついて,臨場感たつぶりに以下のように描写されている。それは, と もすれば無味乾燥な記述に終始しがちな地理的歴史的説明に潤いを与 えており,教科書執筆のひとつの可能性を示している。
「現在エルサレム駅を発しカイロに向かう汽車に乗れば,三十分程で サムソンの故郷ソーレックの谷が線路に沿って車窓の左に現われる。
この地は丘陵の南斜面に太陽を受け,地中海より吹く西南風が丘の斜 面一帯の穀物・オリーブを豊かに実らしている理想郷である。……こ の谷から平原に下る線路の左側に,サムソンのしばしば訪れたベッ シェメシの村が見える。……サムソンが最初の婦人に迷ったテムナの 村も眼下に見える。海岸平野に下って汽車は一時間余りでペリシテの 都であったアシケロン,ガザに到る。当時の世界の商業の通路に当たっ た物質的に盛んな地方であって,サムソンの郷里よりは一日路で達し うる距離にある。この平原と異教文化こそ, この健康・純潔であった 山間の青年を傷つけたものであった。今サムソンの生地ゾラの村跡に 立って西方はるかに一望のもとに,少年サムソンが敬けんな母のひざ に養われた村落,小川, オリーブ林を見, また青年の純情を燃やした 地テムナ,ペリシテの諸都市, その神殿, しよう家,牢獄の跡を眺め
る時, 「サムソン物語」は一層現実味を増すのである」 (5961頁)。
「宗教教科割(194950年) 13
(4) 中学校用,二年後期,基督教教育同盟会編『旧約の宗教」創元 社
a、 1949 (昭和24)年10月5日初版発行,百円, 157頁,地図(旧 約時代のパレスチナ) 1頁分, 13行×39字(1頁507¥),巻頭写真3 枚2頁,写真無し
b. 浅野順‑(日本基督教団伝道部長・日本聖書神学校教授) ・関根 文之助(基督教教育同盟会主事)共著
c, 目次
一預言者の信仰とその使命1 1日約宗教の中心, 2預言者の出現,
3預言者の感化, 4人格的良心的宗教, 5信仰の伝統,6預言者活動の 時代,7預言者の意義,8預言者の任務,二預言者の宗教経験 l特 別の神秘経験, 2預言の真義, 3先見者・神の人, 4預言者の能力, 5 社会的警告者, 6神の現在感,三モーセ(一) 1出エジプト, 2圧 迫と苦難3民族解放の運動, 4信仰の自覚,四モーセ(二) 1召 命に立つ, 2聖なる創造の神, 3聖なる力の神, 4秩序の神と十戒, 5 唯一神の信仰,6契約の意義,五エリヤ lヤーウェは神なり,2時 代とその動き, 3アハブの連合政策の影響, 4民族の危機. 5痛烈な る批判, 6祈りの戦い, 7信仰の前進,六アモス 1記述預言者, 2 腐敗せるその時代, 3正義と公道, 4唯一神教の確立, 5啓示と審判,
6神の義の樹立,七ホセア l時代とその動向,2アモスとホセア,
3神の愛, 4愛の認識, 5偶像排撃と政治改革, 6審判の意義, 7神 と選民の歴史,八イザヤ(一) 1ヤーウェは救いなり, 2錨罪と召 命, 3神の聖, 4祖国の危急, 5予兆を求めよ,九イザヤ(二) 1
「インマヌエル」の預言, 2「残れる者」の思想, 3イザヤの将来観, 4
ヒゼキヤの宗教改革, 5エルサレム包囲, 6強き勧告, 7不動の信仰,
十エレミヤ(一) 1最大の預言者, 2深き自覚, 3エレミヤとイザ ヤ, 4時代と預言, 5ヨシアの宗教改革, 6改革の逆転,十一エレ ミヤ(二) l神殿破滅の預言, 2国家と宗教, 3苦境に立つ, 4エル サレム包囲, 5再度の包囲,十二エゼキエル l過渡期の預言者, 2 祭司的関心, 3神観, 4神の霊, 5罪悪観, 6罪の個人的責任,十三 第二イザヤ(一) 1民族的苦難と預言者の出現, 2慰めと励まし, 3 イスラエルの救い, 4唯一神の信仰, 5ヤーウエの義,十四第二イ ザヤ(=) l 「主の僕jの歌, 2伝道の使命, 3苦難の意義, 4犠牲 の意義,十五ダニエル 1黙示文学, 2時代と背景, 3神の義, 4ダ ニエル書の精神, 5終末的歴史観,十六預言者と律法 1モーセの 五書, 2モーセの十戒, 3神の現在感, 4モーセの諸法,十七預言 者と歴史 l歴史と啓示, 2歴史の意義, 3歴史の目的, 4歴史観の 根底,十八預言者と詩歌1詩の意義, 2詩の特色, 3エレミヤ哀 歌, 4詩と自然, 5預言者と祭司の一致
d. 特質
1 中学二年後期を迎え,新しい教科書「旧約の宗教」を手にしたと き,生徒たちは驚いたはずである。それは前期の教科書『旧約の歴史」
と同じ版,同じ割付でありながら, まったくちがう印象を与えたから である。一頁の中で何度も改行がなされており, しかも実際の文字数 は前期の教科書の三分の二以下になっている。 これがいかなる意図に よるものかは不明であるが,あたかもその後の教科書の歴史,つまり 減並化に向かう歴史を暗示しているかのようである。
2著者によると「旧約聖書の中心は預言者にあり」, 「旧約の宗教
『宗教教科書」 (194950年) 15
は,時代でいえば,出エジプト,人物でいえば,モーセにはじまる」(3 頁)。それゆえ預言者に関する具体的記述はモーセから説き起こされて いる。 これは戦前の「聖書教科書」第一巻『旧約の人物」及び第四巻
「預言者と其の教訂││」には見られなかったことである。つまり第四巻第 一章「神の代弁者としての預言者」は, 「預言の意義」 「預言者の資格」
「預言者の事業」 「神の世界的経綿の布告」について論じているが,そ れらとモーセの関係は明示されなかった。 したがってそこでは, モー セが「預言者の父」 (『旧約の歴史」 102頁)であるというイメージは生 まれにくかった。
3 I旧約の宗教jは,各預言者に関する記述に入る前に,第一章
「預言者の信仰と其の使命」と第二章「預言者の宗教経験」を設けてい る。 この描成は,前項で指摘した戦前の『聖書教科書」第四巻『預言 者と其の教ヨl ljが,第一章において「神の代弁者としての預言者」に ついて論じた構成とよく似ている。このような構成の目的は,あらか じめ歴史を統一的に理解する手がかりを与えることにある。 しかしそ れは指針であると同時に結論でもあり,教育現場においては巌後にも う一度これに言及する必要があったはずである。そしてこれにふさわ しい構成も可能であったと考えられる。
4歴史に関する理解は,現実に学習者の歴史意識がどれほど発達し ているかによって大きく左右される。それゆえ教科書の編集者は正確 な知識を提供するだけでなく,常に対象の発達段階を自覚していなけ ればならない。 ところが,中学二年生用として編集されたこれらの二 冊の教科書は,量の面から見ても,質の面から見ても,学習者の発達 段階をまったく無視していると言ってよい。
5著者は,預言者と祭司の間にみられる緊張関係だけでなく, 「共 感」関係にも言及している。例えば, こう述べている。 「モーセは,預 言者であり, また,祭司であった。モーセ以来, イスラエルの精神に は預言者的なものと,祭司的なもの,言い換えれば,倫理的なものと 儀式的なものとがはじまった」(4頁)と。また最終章(「預言者と詩歌」)
の最終項目 (「預言者と祭司の一致」)では,詩篇五一篇に言及しつつ こう述べている。「こうして,我々は旧約における預言者のものと祭司 的なものとが,詩篇において一つに合流していることを知り得るので ある。……ここに預言者と祭司とが互いに共感している。このように 旧約の精神の歴史において預言者と祭司とは常に対立のままではな く,ある場合には,一つとなって,力をあわせたのである」(156頁)と。
さらに第十六章「預言者と律法」では, 「預言者は,ヤーウェの倫理的 な意志を明らかにし,祭司や立法者は, それがいかにイスラエル人の 日常生活に具体化されるかをくふうし,苦心した人びとであった。そ して,そうしたもっともよい例を,申命法のうちに見いだすことがで きる」 (144頁) と述べている。
(5) 中学校用,三年前期,基督教教育同盟会編『イエスの生涯」創 元社
a、 1949(昭和24)年3月15日初版発行, 95円, 155頁,地図(新 約時代のパレスチナ) 1頁分, 13行×39¥(1頁507¥),巻頭写真2 枚2頁,写真5枚
b. 原野駿雄(関西学院大学宗教主事)著 c, 目次
「宗教教科謡」 (194950年) 17
一イエスの誕生 lイエスの名前(マタイ1・21,ルカ2.21), 2 ユダヤ人の特徴, 3悲しい歴史と苦難の時代, 4馬小屋への誕生(ル カ2・ 1‑7), 5大いなる歓喜の音信(ルカ2・8‑12), 6聖霊による誕 生(マタイ1 .20,ルカ1 .35), 7父なる神の愛の顕現と神の子の降 下, 8束の国から来た博士たち (マタイ2.1‑12), 9ベツレヘムの虐 殺(マタイ2・13‑18),ニイエスの成長l故郷ナザレ (ルカ2.39, マタイ1.23), 2家庭教育(ルカ2.40), 3会堂学校, 4十二才のイ エス (ルカ2.41‑51), 5青年勤労者,三ヨハネによる準備運動 l 新宗教運動のぼっ発, 2ヨハネの生立ち(ルカ1.525, 57‑80), 3悔 い改めのバプテスマ(マルコ1.3−8,マタイ3・1‑12,ルカ3.1 17), 4 「わが後に来る力ある者」, 5バプテスマ運動の中絶(マルコ1.14, 6・1729,ルカ3・18‑20),四福音運動の開始 l受洗の決意(マル コ1・9), 2天よりの使命(マルコ1.10‑11), 3荒野の誘惑(マタイ 4. 1‑2), 4福音宣伝の開始(マルコ1 .14 15),五福音運動の初期
(‑) l岐初の弟子たち (マルコ1.16‑20, 2・14), 2会堂における 宣教(マルコ1・21‑22,ルカ4・1421,マタイ5・21‑23), 3宣教に 伴う愛の業(マルコ11.28), 4病人の医療(マルコ1.29‑34, 40‑42, 2.1 11),六福音運動の初期(二) 1悪霊追い出し (マルコ1.23‑
28), 2罪人の友(マルコ2.14 17,マタイ11・19,ルカ7・36‑50), 3宣教範囲の拡大(マルコ1.35‑39),七福音運動の発展期(‑) 1 福音運動への妨害(マルコ2.15‑17, 23‑28, 3・1‑6), 2十二弟子の 選抜(マルコ3・13‑19, 31 35), 3山上の説教(ルカ6.2049, マタ イ5.1−7.29),八福音運動の発展期(二) 1警話による宣教(マ ルコ4. 1‑34, マタイ13.1−52), 2力ある業(マルコ4.35‑41, 5・
21-43,
マタイ8・5‑13), 3同労者を求めるイエス (マタイ9・35‑38, ルカ9.57‑62), 4イエスに従う女たち (ルカ8・13),九福音運動 の全盛期1十二人の派遣(マルコ6.713,マタイ10.5‑23), 2 "f エスの伝道旅行中の一事件(ルカ12.1321), 3十二人の報告(マル コ6.30−32,ルカ10.17‑20), 4野外大懇親会(マルコ6.33‑44), 5 感激の脱線(ヨハネ6.15,マルコ6.45),十福音運動の危機 lヘ ロデの懸念(マルコ6.14 16, 8.15,ルカ13・31‑33 ), 2エルサレ ム学者たちの逆宣伝, 3潔からぬ手の問題(マルコ7.1−23), 4天よ りの徴(マルコ8. 11‑13,マタイ16. 1 4, 12・38‑41), 5聖霊を汚 す罪(マルコ3・22‑30), 6人心の離反(ヨハネ6.66), 7国外旅行,8ガリラヤの町々に対する慨嘆(マタイ11.20‑24), 9異国の女の信 仰(マルコ7.24‑30),十一救主の受難の予告 1我を誰と言うか(マ ルコ8・27‑30, ヨハネ6.66‑69), 2救主はまず受難者(マルコ8.31 33), 3十字架を負う覚悟(マルコ8.3436), 4山上の変ぼう (マル
コ9.2−9,ルカ9.3031), 5弟子たちの首席争い(マルコ9.33‑36, 10・14‑15),十二受難地エルサレムへの旅行1永遠の生命を得る 道(マルコ10・17‑22), 2神の国にはいる困難(マルコ10・23‑31), 3救主の受難に関する再説明(マルコ10.32‑34), 4ヤコブとヨハネ の野心(マルコ10・35‑45), 5七度を七十倍するまで赦せ(マタイ18・
21), 6エリコの盲人(マルコ10・4652),十三エルサレムにおける 戦い(一) 1エルサレム入城(マルコ11・1 11), 2神殿の廓清(マ ルコ11.12‑19, 14・58, 15・29), 3枯れたいちじくの樹(マルコ11・
20‑23), 4調査団への逆襲(マルコ11.27‑33, 12.1‑12), 5カイザ ルに貢ぎを納める事は善いか悪いか(マルコ12.13 17), 6最大の誠
「宗教教科書」 (194950年) 19
命(マルコ12.2834), 7貧しき寡婦の献物(マルコ12.4144),十 四エルサレムにおける戦い(二) lエルサレム滅亡の予言(マルコ 13.1‑37), 2石打ちの刑から救われた女(ヨハネ8・211), 3こぼた れたナルド油のつぼ(マルコ14.3−9), 4イスカリオテのユダの裏切 り (マルコ14・1‑2, 10‑11),十五受難の前夜l最後の晩餐(ヨハ ネ13.4‑17, マルコ14.12‑26,ルカ22.738), 2ケッセマネの祈り (マルコ14・27‑42), 3イエスの逮捕(マルコ14.43‑52),十六受 難日の朝1大祭司の尋問(マルコ14.53−65), 2ペテロの否認(マ ルコ14.66‑72), 3ピラト法廷の裁判(マルコ15・1‑15), 4兵卒ど ものちょうろう (マルコ15.16‑20),十七十字架上の救主 lゴル ゴダ丘上の十字架, 2罪人のための執成〔とりなし〕 (ルカ23.34), 3 悔い改めた罪人への約束(ルカ23.39‑43), 4罪人の身代りとしての 叫び(マルコ15.34), 5赦罪の成就(ヨハネ19.30,ルカ23.46), 6百卒長の告白(マルコ15.39), 7慌しい埋葬(マルコ15・42‑47), 十八救主イエスの復活lむなしき墓(マルコ16.1‑8), 2復活者 イエスの顕現(Iコリ15.5‑8,マタイ28.1617), 3「わが羊を牧へ」
(ヨハネ21. 15‑17), 4 「見ずして信ずる者は幸福なり」 (ヨハネ20・
2429), 5 「われは主を見たり」 (ヨハネ20・11‑18), 6エマオ途上の イエス (ルカ24・13‑32), 7復活後の四十日間(使徒1.3‑8, マタイ 28.20), 8聖霊の降臨と復活の証言(使徒2.1‑4, 14, 23‑36), 9永 遠のイエス・キリストとその体なる教会
.特質
l本書の魅力のひとつは,聖書物語のその語り口にある。あたかも 洗練された説教を聞くかのような思いがする。聖書を引用する際に,す
でにその言葉が著者自身の言葉になっており,語りかけようとする姿 勢が強く伝わってくる。 これは簡単にまねのできることではない。
ルカ福音書第2章の「馬小屋への誕生」を語る場面で,著者はこう 語りかける。 「終戦後,連合軍の命令に従い,大陸や南方からはるかに 故国へ引揚げたが, どこへ着いても宿舎が足らず,停車場付近の地下 道に寒い一夜を明かし,子供たちをよごれた布に包んで寝かせている 姿が時々見受けられた。イエスはそれと似た事情のもとに生まれたの である」 (4頁以下) と。中学三年生の心に, これらの言葉はどのよう に響いたのだろうか。
2 「イエスの生涯」の記述方式と,中学校用・一年後期の宗教教科 書『キリスト教の成立」第三章「イエスの出現」の記述方式はまった く異なっている。前者は,マタイ福音書とルカ福音書の「イエスの誕 生物語」を丁寧に跡づける方式を採用しているのに対し,後者はより 歴史的に記述しようとしている。したがって学習者は,中学三年になっ て初めて物語風の「イエス伝」に接することになる。
これはどうしても納得しがたい順序である。学習者の発達段階を考 えるならば, まず物語風の「イエス伝」を必要としているのは中学一 年生だからである。
3第三章「ヨハネによる準備運動」以後の記述は,明らかにマルコ による福音書の順序を大枠として, その中にマタイとルカの特殊記事 を挿入する方式を採用している。それゆえ著者は前述の「学問研究の 成果」を意識していると考えられる。それはヨハネ福音書の記事の取 扱いにも現われており,戦前の聖書教科書と比べると, ヨハネ福音書 からの引用はかなり抑制されている。ただし第一章「7父なる神の愛
「宗教教科書」 (194950年) 21
の顕現と神の子の降下」においては, ヨハネ3.16−17とピリピ2.6 8が引用され, イエスの十字架が神の愛の顕れに他ならないことが強 調されている。
4 中学校用・二年前期及び後期の教科書と異なり,著者は, 「イエ ス伝」が単なる物語に終ることなく,生徒の現実と結びつくことを強 く期待している。それは,本文と課題において繰り返しなされている
「…・・・はあなたに関係のないことか,……を経験したことがあるか」
との問いかけにも表われている。
5第九章「福音運動の全盛期5感激の脱線」には,次のような記 述が見られる。「イエスは被占領国において,宗教運動が政治化する事 の危険をよく知っていた。青年時代にセフォリスの都の復興に協力し ながら,暴力革命の愚かさをしみじみ感じていたイエスである。 また 福音運動の開始に先立っても,世俗的政治運動との協力を断然拒否し たイエスは,群衆に踊らされるようなことは決してしなかった」 (68 頁)。 さらに著者は他の箇所で, イエスの運動は「民族解放・自由独立 運動」 (77頁)と異なること強調している。このような記述は当時の時 代状況を反映しているのだろうか。それとも何か他の理由があるのだ
ろうか。
(6) 中学校用,三年後期,基督教教育同盟会編『キリスト教の起源』
創元社
a. 1949(昭和24)年9月25日初版発行, 1950(昭和25)年2月25 日再版発行,百円, 176頁,地図(新約時代のパレスチナ,パウロの旅 行行程)3頁分, 13行×39字(1頁507¥),巻頭写真無し,写真3枚
b・ 茂義太郎(同志社大学神学部講師)著 c, 目次
第一部(ペテロを中心として) 序の章夜明け前一再起の人々 lイエスの命令(ルカ24.45‑49,使徒1.38), 2昇天と待望(ルカ 24.50‑53,使徒1.9−14), 3ペンテコステの日 (使徒2章),二美 麗門のほとり 1門外の乞食(使徒3.1‑2), 2ペテロとヨハネ(使徒 3.3‑10), 3ペテロの熱弁(使徒3.22‑26),三アナニヤ l信徒た ちの生活(使徒2.4347, 4.32‑35), 2アナニヤ(使徒4.36−5.10), 四ステパノ 1迫害起こる (使徒5.12‑42), 2ステパノ (使徒6.
7),五ピリポ lサマリアにおける活動(使徒8.125), 2南の荒 野(使徒8.2640),第二部(パウロを中心として) 六パウロ lパ ウロのキリスト教史における貢献,2パウロの人格とその手紙,七タ ルソの小市民lタルソの町(使徒21・39, 22.1‑22), 2パウロの血 統とローマ市民権(ピリピ3.1 16,使徒23.22‑29) , 3宗教教育(ピ リピ3.26), 4ギリシア文化の影響(ピリピ3.12 14), 5職業教育 (Iテサ2.9, 11テサ3.812 ), 6エルサレム留学(使徒22・3, 26・
1‑5),八ダマスコヘの道lダマスコ郊外(使徒7.54‑8.3, 22・
4, 26.9以下,使徒9・19, 22・421, 26.1018,ガラ1.1‑17, 11 コリ4・6, 15・3‑7), 2アナニヤ(使徒9・1015),九友愛の人バ ルナバlバルナバの友情(ガラ1・14‑24,使徒9.19‑25), 2アン テオケ(使徒22.17‑21, 11・1926)シ十最初の外国伝道旅行lア ンテオケ教会(使徒11. 19‑30, 13.1‑3), 2クプロ島(使徒13.4 13), 3ペルガ(使徒13. 13−14,ガラ4.13‑14),十一ガラテア地 方1ピデシアのアンテオケ(使徒13.1452), 2イコニオム,ルス
「宗教教科書」 (1949‑50年) 23
テラ (使徒14. 1 19), 3デルベから帰途へ(使徒14.20‑28),十二 国境の夜l使徒たちの協定(使徒15.1‑35), 2第二次外国伝道旅行 へ(使徒15.36‑41), 3国境の夜(使徒16. 1 20),十三ルデヤと ヤソン 1ルデヤーピリピにおける活動(使徒16・240), 2ヤソ ンーテサロ二ケにおける活動(使徒17.1‑9),十四アクラとプリ スキラ 1ベレア(使徒17.10‑15), 2アテネ (使徒17.16−34), 3 コリント (使徒18・1 17),十五エペソの町1プリスキラ, アクラ をつれて(使徒18.18‑28), 2パウロのエペソ伝道,十六「心からめ られて」 lマケドニアからギリシアへ(使徒20・12, Ⅱコリ8.1‑
24, 2・12‑15), 2コリント (使徒20・13, 19.21, ローマ1.14‑15, 15.22‑29), 3エルサレムをめざして(使徒20.3, 21.14),十七あ らしの中のパウロ lエルサレムでの受難(使徒21.5−23.2), 2カ イザリアでの幽閉(使徒23.12‑26・32), 3あらし (使徒27.1 28・
15), 4勝利の宗教(使徒28. 16‑31) d. 特質
1本書の表題は『キリスト教の起源』となっており,文献批評学的 歴史学的叙述を期待するかもしれないが, 目次の参照聖句が示唆する 通り, その内容は使徒言行録の紹介となっている。 しかもそれは,聖 書テキストの物語風講解説教といった印象を呼び起こす。したがって 少なくとも第二部は「パウロ伝」 と呼んだ方が分かりやすい。そして このような叙述形式を採用した結果, このシリーズの中で最も大部な 教科書(175頁)になっている。
2本書は,戦前の「聖書教科書パウロ伝jと異なり,二部構成に なっている。その第一部は,ルカ福音書第24章から使徒言行録第8章
25節までの記事を取り上げ,第二部はパウロの生涯を跡づけている。
このように二つの教科書の構成は明らかに異なっているが, その叙述 方法はよく似ている。つまり両者とも,使徒言行録の構成と記事内容 を基本としつつ,必要に応じてできるかぎり多くの聖句をパウロ書簡 から引用し, さらに歴史的解説を加えるという方法をとっている。
3使徒言行録を基本とするかぎりにおいて,『キリスト教の起源』第 二部の内容と 『聖書教科書パウロ伝」の内容が大きく異なることは ありえない。 ところがもう少し詳細に検討してみると,使徒言行録の 同じ記事の解説に費やされている頁数が大きく異鞍るケースもある。
総頁数も1頁当りの文字数も異なるため,単純な数量的比較は無意味 であるが,あまりに大きな差が生じている場合には, ここに両者の関 心の差を読みとることもできる。例えば, 「パウロの回心」に関して,
両者はほぼ同じ頁数を割いている。しかし「エルサレム使徒会議」に 割り当てられている頁数は,大きく異なっている。『聖書教科書パウ ロ伝』は約9頁を割いているのに対し, 「キリスト教の起源」はわずか 1頁半しか割いていない。また「アテネの論戦」に関しては, 「聖書教 科書パウロ伝」が16頁を割いているのに対し, 『キリスト教の起源」
は3頁半しか割いていない。逆のケースは「バルナバとの別れ」の記 事であり,前者は1頁半を,後者は4頁をそれぞれ割り当てている。
両者の異同に関して, もうひとつ指摘しておかねばならないことが ある。それは最終章の違いである。『キリスト教の起源」の最終章は「あ らしの中のパウロ」であり, それは使徒言行録第28章の記事の解説 (「勝利の宗教」2頁分)で終っている。他方『聖書教科書パウロ伝」
の最終章は「パウロの晩年」であり, ここに8頁半にわたる詳細鞍解
「宗教教科書」 (194950年) 25 説が加えられている。
4 「キリスト教の起源jの特徴として見逃せないのは,各章の終り に上げられている課題の内容である。他の教科書では「課題」 として 一括されていたものが, 「課題」 「研究題目」 「反省」という具合に細か く分けられている。次に例として上げるのは,第一章「再起の人々」
のケースである。その内容からみて,教師の手引きとしても利用でき ることは明らかである。
例・第一章「再起の人々」
課題
−イエスの命令
ルカ伝24.4549,使徒1.38において, イエスが弟子たち に命じたもうた教訓を分類せよ。更に次の点に答えよ。なぜ 彼らはエルサレムに留まることを命ぜられたか。また復活の イエスに接した弟子に,更に必要なものは何であったか。
二昇天と待望
ルカ伝24.50−53,使徒1・9‑14を読んで次の点に答えよ。
イエスの弟子たちはその命令によって何をしたか。イエスの 弟子たちとはいかなる人々であったか。
三ペンテコステの日
使徒2を読みて次の点を答えよ。
イエスの弟子らはどこに集まっていたか。外部からこの時の 弟子らの様子を見た人々はどのような人か。ペテロの説教の 眼目は何か。 この時のペテロについてどう思うか。
研究題目
一我々はペンテコステのように聖霊を受ける必要があると思う か。
ニペテロの説教は現代人をも感動させることができるか。
反省
一あなたは神よりの能力に充ちて日々を送っているか。
二あなたはぺテロのように勇敢に,信仰のない人々の前で, イ エスについて語る勇気があるか」 (16‑17頁)。
I1
(7) 高等学校用,一年前期,基督教教育同盟会編「聖書の理解」創 元社
a. 1950(昭和25)年3月15日発行, 90円, 142頁,地図(旧約時 代のエジプト及びメソポタミア,新約時代のパレスチナ,パウロの旅 行行程) 6頁分, 14行×41¥(1頁574¥),巻頭写真・挿絵・写真な
し
b. 相浦忠雄(関西学院大学神学科講師)著 c 目次
一世界最大の害 1文学的価値,2文化的価値,3宗教的価値,二 聖書の由来 I旧約聖書, 2新約聖書, 3聖書の翻訳,三律法(五
=) 1歴史的部分, 2律法的部分,四歴史害五預言書六諸 書(聖文書) 七福音書八使徒行伝とパウロの手紙1使徒行 伝,2パウロの手紙,九パウロ以後の書簡一│‐ ヨハネ黙示録1内
「宗教戦科普」 (1949‑50年) 27
容, 2解釈,十一聖書研究の方法I研究方法, 2研究態度
.特質
l まず戸惑うのは, 「聖書の理解」 という表題である。 このシリー ズ十二巻の中で,意外に分かりにくい表題のひとつである。「聖書の理 解に資する」という意味であろうが, その内容は明らかに「聖書緒論」
である。対象を考えて,あえてこの表題にしたのだろうか。後のシリー ズでは, 『聖書概論」と改題されており,教育現場からの指摘を受けて の変更と考えられる。
2高校一年生を対象にする本書の目次から, まず予想されるのは,
聖書のある箇所に関する解説であるが,実際に読んでみると,本格的 な資料分析の紹介になっている。シリーズ全体として, どうしてこの ような構成になったのだろうか。その編集の経緯を記した資料が入手 できない現状において,すべては推測にならざるをえないが, このよ うな企画が生かされるためには, どうしても読者はすでに聖書全体の 内容に通じている必要がある。中学生の段階でそれはすでに終了した,
と考えていたのだろうか。あるいはまったく逆に,知的関心から聖書 に興味をもたせようとしたのだろうか。
3聖書各書の解題のために割かれている頁数を数えてみると,旧約 聖書に関する部分が55頁, そして新約聖書に関する部分が56頁であ る。両者の分鐘はほぼ同じである。 しかし旧約聖書と新約聖書の分量 の差を考えるならば,新約聖書を重視していることは明らかである。さ らにその中でも, 「ヨハネ黙示録」に関しては, 「内容」の他に「解釈」
の項目が設けられており,ここに著者の関心を読み取ることができる。
著者は, まず伝統的な三つの解釈法つまり「比噛的解釈」 「世界史的解
釈」 「未来的解釈」とそれらの限界に言及し,次にそれらの克服は「歴 史学的・文献批評学的方法」によって初めて可能になることを強調し ている。
4 旧約聖書の解題の終わりに,著者はこう述べている。 「キリスト 教徒にとって旧約聖書が価値あるのは新約聖書の背景としてであり,
キリストを預言する神の言としてである。故に旧約聖書は新約聖書の 理解を通して読まれねばならない。同時に新約聖書は旧約聖書の理解 によって真価が把握されるのであって, これがキリスト教が旧約・新 約両書をもって聖典とする所以である」(73頁)と。著者はここで,ユ ダヤ教におけるヘプライ語聖書と,キリスト教における旧約聖書の位 置づけの違いを指摘している。ただし, 73頁の引用文にある「聖典」は
「正典」 とすべきであろう。
第一章「3宗教的価値」の記述によると,旧約聖書と新約聖書は不 即不離の関係にありつつ,後者が本来の目的であり基準である。聖書 は神の霊感によって記された書物であり,聖書の目的は「神の言とし てのキリストを顕示することにある」(6頁)。したがってわれわれの研 究態度もこの目的にふさわしいものでなければならず,聖書に求める べきものは「宗教的真理」であって, 「科学的または歴史的確実性」で はない。
もしこれが著者の基本的理解であるとすれば,本書で展開されてい る資料分析はどのように位置づけられるのであろうか。
5最終章「聖書研究の方法」は,聖書の「文学的研究」と「聖書の 霊的研究」のあるべき関係について論じている。それは,文献批評学 的研究と,聖書を「神の啓示の害」として読む正典的理解を前提とし
「宗教教科密」 (19495(}年) 29
た研究との,緊張関係に言及している。 この問題は,聖書の文献批評 学的歴史学的研究の誕生と共に生じた難問であり,現在もなお問われ
るべき課題である。
著者の理解は, 「神の言に対して我らには「然り」あるのみで「否」
はないのである」(138頁)との言葉に表われている。 この言葉の中に,
弁証法神学的理解を読み取ることは無謀だろうか。仮にこれが許され るとすれば, この段階で著者は,弁証法神学的聖書理解と文献批評学 的聖書理解は両立しうると考えていたことになる。著者はそれを手段 と目的の関係で説明しており,「批評的研究の上に立つ霊的研究こそ望 ましきもの」 (137頁) と述べている。
したがって本書は,文献批評学的研究の成果を紹介することを目的 としながらも, その前後で正典的理解を明示することにより, 目的と 手段の関係を再確認させようとしていることがわかる。
6現場の教師はこのテキストをどのように受け止めたのだろうか。
本書の分埜が現場の授業で消化しきれないことは明白である。 しかも 教師は, 「そもそもなぜ,今,聖書緒論なのか」, 「そもそも聖書科とは 何か」 と,問わざるをえなかったにちがいない。 「聖書科」において,
聖書の緒論的知識がどれほど必要なのかということは,必ずしも議論 されていなかったと考えられるからである。
(8) 高等学校用,一年後期,基督教教育同盟会編『イエスの教訓」
創元社
a. 1950 (昭和25)年3月15日発行, 95円, 142頁, 14行×41¥
(1頁574¥),巻頭写真1頁
b.
富森京次(同志社大学神学部教授)著 c・ 目次序説
一父なる神(マルコ14.36,へブル5.7‑10) lイエスの神観,
2イエスの生活の原動力, 3イエスが「神の子」たる理由, 4パウロ の回心の原因, 5福音の中心事実, 6神が父であるという信仰の意義,
二神の子たる人間(ルカ15.332) 1神の像に造られた人間, 2意 識をもつ人格の起源, 3神の支配の世界に何故争闘があるか, 4 「放 蕩息子」の善, 5神の器たる各自の天分の尊さ,三神の国(マルコ 4.2632) 1神の国の中心思想, 2神の国の外面, 3救いの発動たる 神の国, 4神の国の無限の発展力, 5神の国の無限の価値, 6理想で あると共に又手段である神の国
山上の垂訓
四真の報告(マタイ5. 1‑12,ルカ6・20‑26) 1逆境の幸福, 2 謙虚な者の幸福, 3飢え渇く如く義を慕う者の幸福, 4 「心の清き者」
の意, 5「柔和なる者」の幸福, 6世の悪評,五地の塩(マタイ5.
13 16) 1地の塩たる弟子, 2「世の光」たる弟子, 3「山の上の町」,
4イエスの期待の信頼,六破壊よりも建設(マタイ5.17‑20) 1伝 統の「律法」の意義, 2 「学者・パリサイ人」の起源, 3イエスの「律 法」に対する態度,七外の行為よりも内なる心(マタイ5.21 37) l 心の和解, 2イエスの儀礼に対する態度, 3心の罪, 4イエスの表現 法, 5家庭生活の神聖, 6誓いの偽善,八神の子に相応〔ふさわ〕し き行為(マタイ5.38−48,ルカ6.27‑36) l復讐の非, 2第一里の 上の第二里, 3仇を愛する心, 4天父の完全に似る精神,九隠れた
「宗教教科書」 (1949‑50年) 31
るに見給う天の父(マタイ6. 1‑8, 1618) 1右の手のなす事を左の 手が知らぬ施済 〔ほどこし〕' 2「隠れたるに見給う天父」に祈れ, 3 密室の祈祷の尊さ. 4真個の断食, 5新しき酒は新しき皮蝿に, 6誠 行反復の非,十主の祈り (マタイ6・9J5,ルカ11 . 1‑4) 1公開 席上の祈祷と密室の祈りとの別, 2公開席上の祈祷の意義, 3御名の 崇められんため, 4日毎の極に関する祈り, 5罪の赦しに関する祈り,
6誘惑に勝つ祈り,十一天上のたから(マタイ6・19‑24) l天上の 財宝の意, 2身の燈火は目, 3二重生活の非, 4衣食の思い煩いと神 の国, 5豪農の雷, 6イエスの教えの形の上の種類,十二人を審く な(マタイ7.1‑6,ルカ6.3642) l他に処する道, 2 「梁木〔うつ ばり〕」の轡, 3各自の特殊性, 4豚に真珠,十三求める心(マタイ 7.7‑12,ルカ11.5‑13, 18・2‑8) 1前段との関係, 2 「夜半の友」の 醤, 3横着な「裁判人」の臂, 4何を求むくきか,十四狭き門より (マタイ7. 13−14,ルカ13・2430,マタイ4.1‑2, マルコ8.27‑38, ルカ4・1‑13) l 「垂訓」の結詞, 2「荒野の誘惑」, 3人のことより神 のこと, 4発見困難の「狭き門」,十五善き果を結ぶ実践と岩の上の 家(マタイ7.1527,ルカ6.43‑49) 1結詞の大意, 2成長の秘訣,
3審判の座の響, 4岩の上の家の善, 5行為の伴わぬ信仰 響哺に学ぶ
十六真の隣人(ルカ10.2537) 1イエスの開発的反問態度, 2 =E リコとは, 3職業宗教家の無情と半外国人の親切, 4警の主意,十七 働く尊さ (ルカ17.7‑11,マルコ14.38) 1人生経験としての皆, 2 労働を尊ぶユダヤ人, 3イエスの成育した家庭の雰囲気, 4イエスの 生活苦に対する同情, 5イエスの人生教育, 6パウロの模倣, 7「侘
〔わ〕び」の生活 結論
十八(マルコ10.32‑45) lエルサレム上りの心, 2聖餐式の意義 d. 特質
l この表題は1939 (昭和14)年に発行された基督教教育同盟会編
『イエスの教訓」 (三省堂) とまったく同じであり,両者の緊密な関連 を予想させるが,その内容はかなり異なっている。本書の構成は,「神・
人間・神の国」についての解説→「山上の垂訓」の解説→「臂話」の 解説, という順序になっている。量的には「山上の垂訓」が全体の三 分の二以上を占めており,本書を学び終えたとき,学習者は「山上の 垂訓と臂話jを学んだという印象を受けたはずである。
2 「序説jは「父なる神,神の子たる人間,神の国」の三章から成 り, 「山上の垂訓」を語るイエスとは誰か, そしてこの教えは「神の国」
と切り離しえないことを明らかにしようとしている。著者によると,イ エスにとって神は「慈愛にみちた父」, 「活ける天の父」であり, イエ スはこの父なる神の「聖旨(みむれ)」に従い,行動した救い主である。
著者はこの時点ですでに「パウロの回心の原因」や「パウロの伝道 の中心事項」に言及しており, 「史的イエスと信仰のキリスト」といっ た問題に対する配慮はまったく見られない。この姿勢は「山上の垂訓」
の解説においても貫かれており, その中でしばしばパウロの聖句が引 用されている。
3著者は, 「神の像」 としての人間の特殊な存在を「動物」 との対 比において明らかにしようとしている。 「動物」にないもの,それが
「人格」であり, これには「意志の選択の自由」, 「善悪の判断力」,そ
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して「意識」が含まれている。 しかし「人格を有たない下等な動物」と 異なる「人間」 という理解は,今日, どれほど共感を得られるだろう か。はなはだ疑問である。むしろ動物の側からみるならば,人間は「本 能の壊れた動物」でしかなく, まさにそれゆえに「戦い続ける存在」で ある。 「神の像」と言う場合にも, この事実を前提に, もっと人間の「管 理責任」が問われなければならない。
4 「神の国」についてはこう述べている。 「このようにイエスは,人 間の救いを先ず個人本位に考えずに,神の国という人格者の集合体中 心に観られた所に,その教えの一つの特徴がある」(19頁)。 「神の精神 的な支配が,人格の交渉の中に行われる所が,御国である」(20頁)。「神 の国は,ただ所謂精神だけの国ではなくして, その精神の表現機関で ある文化世界も必要である。… . しかしながらそれは,……ただ人 格の精神生活に必要な道具としてのみ, その有用な事が認められるだ けである」 (21頁)。 「これらの例話(「芥種の臂」と「パンだれの善」)
の主意は,神の国の無限に発展する力について教えられたものである」
(23頁)。 「このようにして神の国は,個人から社会へ,内から外へと,
無限に発展して,ついに地上の凡ての民族が,物心共に,神の精神的 支配の下に,置かれる日が来るというのである」(25頁)。 「このような 遠大な理想は, いつこの地上に実現できるか。人間の思慮では解らな いが,併しながらこのような高遠な理想が,我らの日常生活の目標と してあればこそ,我らの平常の生活は高められ,その労苦を克服して,
新しい力が与えられて行くのである。即ち神の国はただに遠い彼岸の 目的であるばかりでなく, また我らの日々の現実の生活をきよめ高め て行く原動力でもある。目的達成の手段でもある」 (25‑26頁)。
これらの引用文からも明らかな通り,著者によると, 「神の国」は「神 の精神的支配」であり, それは無限に発展する。そしてそれはわれわ れにとって「理想であると共に又手段」 (25頁)でもある。
このような「神の国」理解は,第二部にあたる「山上の垂訓」の解 説にとって決定的蔵意味をもつ。なぜなら, イエスは「この御国を来 たらせるために,ガリラヤに道を説き,又その到来のために,エルサ レムにて十字架に死なれた」のであり, イエスは「山上の垂訓」を「神 の国の新しい道徳」 (27頁) として教えたからである。
5今や, その「影響史」に言及せずに「山上の説教」について語る ことは許されない。例えば,G.シュトレッカー「「山上の説教」註解』
は従来の解釈類型を次のようにまとめている。それは,①律法と福音 の説教としての「山上の説教」 (パウロ・ルター型の解釈),②実行可 能な要求としての「山上の説教」 (熱狂主義型の解釈),③心情倫理と しての「山上の説教」 (自由主義型の解釈),④「山上の説教」の宗教 史的地平(歴史主義型の解釈),⑤弁証法神学の影響下における「山 上の説教」の解釈,⑥平和運動と 「山上の説教」, という六つの類型 である。今日であれば, さらに「生態学的諸問題」, 「テロリズム」, 「エ ネルギー問題」, 「難民問題」等をふまえた「山上の説教」解説もあり うる。
この教科書の構成と内容をみるかぎり,残念ながら,著者はこのよ うな影響史に関心を示していない。特にイエスの告知の背景となって いる「終末論的・黙示文学的地平」の問題にまったく言及していない。
「山上の垂訂│ │」を「神の国の新しい道徳」とする理解は,A・リッチュ ルらの近代神学の理解とよく似ている。彼は「神の国」を「キリスト
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教会に集められた人間の精神的・道徳的課題」 として理解していたか らである。
6 では,学習者は, 「来たるべき神の国における新しい道徳」 とい う説明をどのように受け止めたのだろうか。それは,かなりの共感を もって受け止められたのではないか, と推測される。 というのは,た とえその「新しさ」に違和感を覚えるとしても, 「道徳」であるかぎり,
反論する余地があるからである。つまり学習者の立場から批判できる からである。
もしそうだとすれば,仮に著者が「山上の垂訓」の「終末論的・黙 示文学的地平」に関心を示していないとしても,学校の教科書として
は一つの要件を満たしていることになる。
もちろんこのような肯定的評価は,限定されたものでしかない。聖 書の語る福音と倫理の関係について, まだ語るべきことが多く残され たままだからである。いずれにせよ現代の教科書も, 「福音について語 りつつ, しかもなおそれと区別された道徳について, いかに語りうる か」 という問いを突きつけられている。学習者の発達段階を考慮しつ つ, いかに道徳あるいは倫理と福音の関係を説明しうるかを問われて いるのである。
7 この教科書の場合にも,半年の授業時間でその大部な内容を消化 することはほとんど不可能である。
高等学校用,二年前期,基督教教育同盟会編『キリスト教会の 歴史』創元社
1949(昭和24)年3月15日初版発行, 95円, 146頁, 14行×41 (9)
a
字(1頁574¥),巻頭写真4枚2頁分
b. 氣賀重躬(青山学院専門学校教授・日本聖書神学校講師)著 c, 目次
序説
古代(約30590),中世(590‑1517),近世(1517‑現代)
第一部古代教会史
一使徒時代(一) 1教会の成立, 2エルサレム教会,3原始教会 の組織制度,二使徒時代(二) 4エルサレム教会の指導者, 5パウ ロの異邦人伝道, 6原始教会の特質,三使徒後時代(一) 1伝道の 進展, 2ローマ政府とキリスト教, 3教父とその思想,四使徒後時 代(二) 4カトリック教会の起源,5古代カトリック教会の統一的動 向,6教会の礼拝礼典,五宗教会議時代(一) lコンスタンチヌス 大帝, 2ニケーア会議3ニケーア会議後の教会,六宗教会議時代 (二) 4古代カトリック教会の内部統制, 5古代末期の教父, 6古代 末期の教会
第二部中世教会史
七中世初期の教会(一) 1教皇グレゴリウス−世,2中世初期の 信仰, 3シャールマーニ1 (チャールス)大帝,八中世初期の教会 (二) 4教会と国家, 5教会と社会, 6教会の動向,九中世中期の 教会(一) 1教皇権の興隆2十字軍, 3十字軍の史的意義,十中 世中期の教会(二) 4托鉢教団,5中世中期の学問, 6全盛期のカト
リック教会,十一中世末期の教会1反ローマ思想の台頭, 2宗教 改革の黎明, 3ラテン教会とギリシア教会
第三部近世教会史
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十二宗教改革時代(一) l宗教改革の初期, 2宗教改革の発展 期,3宗教改革の決定期,十三宗教改革時代(二) 4スウイスの宗 教改革, 5宗教改革の普及, 6対抗的改革,十四宗教改革時代(三)
7三十年戦争,8神学思想,9ギリシア教会,十五再改革時代 l英 国教会と清教徒,2敬鹿派の興起と発展,3開拓期のアメリカ伝道,十 六最近世時代(一) l ドイツの教会, 2イギリスの教会, 3アメリ カの教会,十七最近世の教会(二) 4ヨーロッパの教会, 5ローマ 教会, 6現代の教会,十八日本の教会
d. 特質
1本書の著者気賀重躬氏は,同年に「基督教史」 (東京・木水社,昭 和24年10月25日発行, 170円)を出版している(2)。 この著書は本文 220頁(1頁24行×25字(600字),参考文献7頁)から成っており,
1頁当たりの字数と総頁数から単純に計算すると, 「キリスト教会の 歴史」の分量は, 『基督教史」の約63%に当たる。従って,両者を単 純に比較することは出来ないが,両者の目次を対照すると, ほぼ同じ である。 『基督教史jの独立したテーマの中で『キリスト教会の歴史」
に入らなかったものは,例えば次のような項目である。「ヨハネの伝道 生涯」, 「護教論者」, 「修道院の起源」, 「画像礼拝に関する紛争」, 「ス コラ学」, 「アナバプティスト」, 「神秘思想」,「スコットランドの教会」,
「現代神学思想の一班」。 これらの項目が省略された主な理由は,総頁 数の制約にあると考えられるが, その他の項目がほぼ同じであること を考えると,むしろ教育的配慮の結果とも推測される。
なお『基督教史」は, その「序」によると, 「概説教会史」 (日独書 院)の改訂版であることが明記されており,著者は青山学院大学教授