序
著者 植松 健郎
雑誌名 独逸文学
巻 44
ページ 1‑1
発行年 2000‑03‑15
URL http://hdl.handle.net/10112/00018143
序
植松健郎
小川悟教授カゴ70歳定年退職をなさる力ざ, このことは他学部の多くの先 生にまで知られており,流石に名物教授の名は学内隅々まで浸透してい たことに感服した. いま定年を迎えて去っていく名物教授を惜しむ声盛 んである.
関西大学文学部ドイツ文学科創設期に入学された小川教授は,文字通 り関西大学のドイツ文学科の発展と共に歩まれた本学生え抜きである が,大学院だけは,大阪市立大学大学院にこられた.関西大学にはまだ ドイツ文学研究科がなかったからである.学部学生であった私とは, 2 歳半しか違わないのに, この大学院生はすでに妻帯者だったためか,世 代の異なる大先輩に見えた.文学青年であった彼は,私には不良っぽく 思われる魅力的な話や古い流行歌まで教えてくれた.予科時代,憧れの 女性に催い愛を夢見,失恋して睡眠薬自殺せんとしているのに気付いた 彼の友人が,薬をメリケン粉にすり替えておいたのを知らずに「服毒」
実行して意識不明になった話. どの話も私には異次元の魅力的世界の出 来事だった.
この文学青年はいつも懸賞募集に意欲を燃やし,推理小説で殺人方法 を次々考えていた力:,破綻して江戸川乱歩賞の夢は果たせず,つぎは直 木賞を狙うといって,小説の梗概まで聞かせてくれたこともあったがこ れも実現にいたらず,芥川賞も彼の夢に終わってしまった.彼には,平凡 な生活体験しかない私にとって傾倒したくなる魅力的雰囲気カぎあった.
彼が大学に進学したとき,近所のひとから「悟ちゃんは博士になるの か」といわれたそうである.出世の象徴として「末は博士か大臣か」と いうイディオムがまだ生きていた土地で青春を過ごした彼,小川教授は 2年前,博士になった.
同僚からも学生からも慕われた古武士的風貌の小川学兄のご健勝を祈 る.
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