(研 究 ノー ト)
金融 自由化 と家計 ・企業 ・銀行行動
菅 原 晴 之
1.は じ め に
本稿 は,1980年代後半 か ら最近 に至 るまでの家計 ,企業,銀行 お よび家計 の金融行動 に関す る実状 とその要因 につ いて評価 す る。 さ らに,マ クロモデ ル を用 いて,金融政策 が資産選択 や フロー変数 に どの よ うな影響 を及 ぼ した かについて評価 したい。
以下 の内容 は,次 の通 りで あ る。 まず第2節 で, 日本 の金融 自由化 の プ ロ セス と金融政策 の関連 について概 説 す る。第3節 で は, 日本 の金融機 関 と海 外 との資金 フロー に着 目す る。第4節 で は, 日本 の主要 な金融政策手段 の1 つ として短期金融市場 介入政策 が実施 され るに着 目 し, 当該市場 の主要指標 であるコール ・レー トと金融政策 の関係 について実証分析 に よ り,金融政策
1)
の妥当性 を評価 す る。第5節 で は,以上 の理論仮 説 と政策波及効 果 に関す る 計測結果 を明 らか にす る。
日本 の銀行 は1980年代後 半 のバ ブル期以前 において,預 金量 や貸 出量 の拡 大 とい う量 的 な競争 を演 じて きた。結果 的 には各 金融機 関 の資金量 の シェア は概 ね変動 していないが,各金融機 関が従来 の その シェア を低下 させ ない よ うに努力 す るので, マ クロ的 には資金量 はあ る程度伸 びて きたので あ る。 し か し,1980年代後半 にな る と, 日本 の企業,特 に大企業 は国際的信 用度 が高 51
ま り,同時 に欧米 で金融の 自由化が急速 に進 んだので,海外 にお ける資金調 達 ルー トを拡大す ることが容易 になった。 その結果, 日本 の金融機関の貸 出 は預金量 ほ ど伸 びな くなった結果,金余 り現象が生 じて金融機関 は比較的運 用利 回 りが高か った ノンバ ンクや不動産業への貸 出 を急激 に増 や した。 また, 海外で は これ らの潤沢 な資金 をユー ロ市場 で長期 および短期 の債券,外国株 式,外 国不動産等 に投資 した。 さ らに, 日本 の金融機 関 は同市場 で借入可能 な短期資金 の額 が急速 に拡大 したので, この資金 を同 じユー ロ市場 で長期債
2) 券 に運用 したのである。
その後,1990年代 には国内の地価 や株価が大幅かつ長期間 にわた って下落 した。海外 で はブラジル通貨危機, ロシア通貨危機, アジア通貨危機 な どの シ ョックが続 くな ど,国内金融市場 も少 なか らぬ影響 を受 けた。
資産価格 や貨幣量が不良債権 に影響 を与 え,不良債権 が資金の需要サイ ド と供給 サイ ドに影響 を与 えることを考慮 して, フロー経済が どの ような影響
3) を受 けるか, この ような経済 に金融政策が適切 に実施 されたか を評価 したい。
2.金 融 自由化 と金 融政策
戦後 日本 の資金供給 の特色 として,民間金融機関 (銀行,信託銀行,保険 会社)が供給 す る資金 フローが 日本経済全体 の70%に達 し,特 に市 中銀行 の 資金 フロー は40‑60%に及 んだ。高度成長期 には,民間金融機関が集 める資 金 は経済の成長 とともに増加 す るが,旺盛 な民間設備投資が貸 出需要 を増加 させたので,好景気 の時期 には金融機 関が信用割 当を実施 した ともいわれ る。
しか し,1970年代後半か ら民間金融機 関の預金等の残高 は一定の伸 びを示 し たが,民間企業 は設備投資 を大幅 に抑制 したので銀行貸 出が伸 び悩 んだ。一 方,政府部門 は従来 の均衡財政主義 か ら恒常的赤字財政 に転 じた結果,国債 を発行 して資金 を調達 した。 この ころか ら国債 の発行残高が激増 した ちのの, 日本銀行 が国債 の大量 引 き受 けを拒否 したので民間金融機関の資金繰 りが困
52 国際経営論集 No.20 2000
難 になった。すなわち,各金融機関 に対 す るシンジケー ト団方式で は国債 の 消化が困難 になって きた。
そ こで,政府 は1977年 に国債 の市 中における転売 を許可 した。 これが国債 の流通市場 の発足 である。 また,1979年 には,銀行 の窓 口で国債 の転売が許 可 され,証券会社 の窓 口で も中期国債 が販売で きるようになった。 この よう に,資金 フローの構造が変化 した結果,市 中銀行経 由の運用割合が低下す る 反面,証券会社,保険会社 お よび財政投融資の資金 フローの割合が上昇 した。
この ように銀行 の資金 フローが減少 したのに対応 して,1979年 にはCDの 発行が認 め られ,1985年 にはMMCと大 ロ定期預 金 の金利 が 自由化 された。
引 き続 いて,1989年 には小 口定期預金 の金利 も自由化 され,1993年6月 には すべての定期預金金利が 自由化 された。 さ らに,1994年10月 には流動性預金 の金利 も自由化 された。ただ し,市 中銀行 の預入額 は伸 び悩 み,郵便貯金が 顕著 に増加 したが,1990年 に金利 が急激 に上昇 し, その後1991年 には低下 し た ものの,預貯金金利 の低下 は市場金利 の実勢 よ り遅れ るた め,郵便貯金へ の資金 シフ トは1992年 まで続 いた。 その後,資金 の預入 サイ ドにお ける銀行 離れは止 まったが,1990年代 は銀行 の貸 出 と運用の環境 が激変 した。
まず第1に,国内の地価 と株価 が暴落 した結果,運用資産 が額面割 れ した 上,融資の担保が貸 出の評価額 を大幅 に割 り込 むな ど,銀行 の経営基盤 が揺 らぎ始 めた。特 に1980年代後半 か ら不動産業 への融資や企業 の土地 ・株式購 入に対 す る融資が大幅 に増加 したため,資産価格 の暴落 は銀行 の資金繰 りを 左右す るようになった。第2に,高度成長時代 には輸 出主導の大企業 に対 し て,銀行が優先的 に資金 を割 り当て るほ ど貸 出市場 で は資金 の超過需要が恒 常化 していたが,安定成長 の時代 になる と貸 出市場 は超過供給 が常態化 す る ように転換 した。1970年代後半か ら1980年代前半 には,既述 の ように銀行 に よる国債への運用が増加 した ものの,1980年代後半 には財政再建 を進 めた結 莱,民間設備投資が旺盛 であった に もかかわ らず,民間金融機 関の資金 フロ ーの超過供給 はむ しろ拡大 した。第3に,1980年代前半 で はアメ リカをは じ
金融 自由化 と家計 ・企業 ・銀行行室軌 53
め として世界的 に高金利 に時代 であったため,米 国国債 への運用 によって 日 本 の銀行 は相 当の収益 を確保 で きたが,1980年代後半 には金利 が急速 に低下 したため,銀行 は潤沢 な資金 フローに見合 う運用先 を兄 いだす必要があった。
日本 の金融機関 は リスクの大 きい分野 に資金 を運用 し始 めた ものの,1990年 代 における国内のバ ブルの崩壊, ブラジル通貨危機, ロシア通貨危機, アジ ア通貨危機 の ような内外環境 の激変 に対応 す る運用能力 もリスク対処法 も収 得していなかった。
4) 3.日本の金融機関の国際資金 フロー
内外の金融情勢 の変化 に応 じて,戦後政府 は外国為替及 び外国貿易管理法 (現外 国為替及 び外国貿易法) をたびたび改正 した。
1971年 のニ クソンシ ョック当時 は,円高 に対応す るため資本 の 自由化,円 転換規制 ・自由円残高規制 な どの撤廃が実行 された。 その後,1977年の円高 期 には為替管理 の 自由化,海外直接投資の促進 のため,外為法の規制 を緩和 した。一方,投機 的資金の流入 を防 ぐため,非居住者 自由円預金 に対 して準 備率 を設定す るな ど規制 を強化 した。
1987年 には円高 によるキ ャピタル ロスが懸念 され, 内外 で株式市場 が一時 的 に暴落 したので, この年 には日本 の金融機 関 による外国証券投資額 が減少 した ものの,1991年 まで 日本 の金融機関 は外国証券投資の割合 を上昇 させ続 けた。 しか し,1992年 には国内資産価格 が暴落 した結果,金融機関の運用 は もとよ り貸 出先 の担保 の評価割れや不況 による貸 出先企業 の倒産 な どによ り, 金融機関の資金繰 りが困難 にな り始 めた。 その結果,金融機関 は外国債券の 一部 を売却す るな ど,資金 フローの流れが逆転 す るようになった。 しか も, 資金 フローが逆転 した年 は急速 な円高が生 じたので, この方法で資金 を調達
した金融機 関 は相 当のキ ャピタル ロスが発生 したのである。
1979年の外為法改正 によ り,海外資本移動が原則 として 自由化 されたの を 54 国際経営論災 No20 2000
契機 に日本 の金融機関 はユー ロ市場 にお ける資金運用 を急激 に増加 させた。
しか し,1988年 にBIS基準 が設定 され たので, 内外 の銀行 は量 か ら質 の競 争 に転換 し始 めた。海外 における不動産投資 も,1989年 を ピー ク としてその 後の金融引 き締 め政策 によ り,急速 に減少 した。
4.日本 の金 融政 策
本節で は, 日本 の金融政策が時代 とともに どの ように変化 し,実体経済 に 5) どの ように作用 して きたか を実証 して,金融 自由化 の背景 を論述 す る。 日本 の金融政策 の操作 目標 として,ハ イパ ワー ド ・マネーの ような量的指標 を用 いるべ きか,各種金利水準 を操作 すべ きか とい う論争 が続 いて きた。 このテ ーマについては,岩 田 [1993],翁 [1993] な どの議論 で知 られ て い るが, 外挿モデルのテス トでは 日本銀行 はコール ・レー トが金融政策 の操作 目標 と
して用い られて きた。
日本 の金融政策 は,高度成長期 において国際収支 の天井 と実体経済 を照 ら 6)
しなが ら行 われて きた。 すなわ ち,景気後退期 には窓 口規制 をゆ るめて民間 企業の資金需要 にで きるだ け応 じられ るよう,資金供給 をゆるめにす る。 そ の結果,輸 出企業 を中心 に設備投資が増加 し, 国内の消費,輸 出が増加 す る 結果,景気が回復 す る。一方, イ ンフレが懸念 され るな ど景気が過熱す るよ うになる と,輸入 も相 当増加 す るので経常収支 の赤字が拡大 し,固定相場制 における為替 レー ト水準 を維持すべ き義務 を果たすため,金融引 き締 め政策 を実行す る。引 き締 め政策が実体経済 に浸透 すれ ば,輸 出の伸 びが鈍化す る ので経常赤字額が縮小 す る。 したが って,金利水準 を相対 的 に上昇 させず に 引き締 め政策 を実行 す るためには窓 口規制 による量的貸 出額 を規制 す ること により,民間設備投資水準 を抑制 す るのであ る。 この ような民間設備投資 の 資金需給 が タイ トになれ ば, イ ンターバ ンク市場 もタイ トにな るので コー ル .レー トも上昇す る。 コール ・ロー ン と代替関係 にあ る日銀信用 に対 す る
金融 自由化 と家計 ・企業 ・銀行行動 55
需要 は,割 当による量的引き締 め また は公定歩合 の上昇 によ り減少す ること になる。
1971年末 よ り, 日本 は変動相場制 に移行 した。同年8月 にアメ リカが変動 相場制 への移行 が発表 されたので, 日本 の輸 出減少が懸念 され, また市場金 利 の上昇か ら設備投資が減少す る可能性 もある と考 え られたので, 日本銀行 は金融緩和政策 を実行 した。 ただ し, 当初 は金利 の上昇が引 き起 こす景気 の 後退が懸念 されたが, む しろその後 イ ンフレ予想 の高 ま りが最大 の関心事 と なった結果, イ ンフレ抑制 を政策 目標 の重点課題 とした。 そのため,1973年 初 か ら4月 にか けて一転 して金融引 き締 め政策 に転 じた。具体 的 には,73年 1月 よ り預金準備率 を引 き上 げた。引 き続 いて,4月 よ り日銀貸 出の態度 を いっそ う厳 し くして,マネーサプライ増加 の抑制 を図 った。 また,73年4月 に公定歩合 を0.75%引 き上 げて5%とし,同年12月 には9%とい う記録的 な高 水準 まで次々 と引 き上 げた。
当時 は供給 サイ ドの要因 によってスタグフレー シ ョンが発生 していた に も かかわ らず,金融政策 当局 は需要要因 による景気後退 とイ ンフレを想定 して,
まず金融緩和政策 を実行 し, その政策効果 の浸透 を検証 す るまもな くイ ンフ レ抑制 に対処 す る引 き締 め政策 を実行 した。結果的 には, イ ンフレに対処 す べ き引 き締 め政策 を実行 す るタイ ミングが遅 かった ことに加 えて,供給 サイ ドの要因である景気後退 に需要サイ ドの景気 回復策 を講 じた処方の誤 りはイ ンフレを促進 す る結果 となった。
1979‑80年 に生 じた第2次石油危機 当時 は, 日本銀行 も早 めにイ ンフレの 芽 を摘 む ように,弾力的かつ機動的 に金融引 き締 め政策 を実行 した。 また, 過去 の石油危機 の経験 を教訓 として石油の備蓄計画 も実行 され,省 エネ技術 も相 当進 んだ こともあ り,石油の輸入量が減少 して も一定 の経済成長率 を実 現す ることが可能 になった。 そのため,原油価格 の急騰 に遭遇 して も物価上 昇や景気の大幅 な後退 を伴 うことな く,政策 当局 は経済運営 を実行 す ること がで きた。
56 国際経営論媒 No.20 2000
1980年代前半 にアメ リカが高金利 ドル高政策 を続 けた結果, アメ リカは双 子の赤字 を抱 えたため, マ クロ経済 のサステナ ビ リテ ィ問題 が顕在化 した。
その後,1985年9月 にプラザ合意 が実現 したの を受 けて,主要先進国政策 当 局 は急激 な金利 の低下 と ドルの大幅 な下落 とい う環境 の激変 に見舞われた。
それ までの高金利 ドル高政策 を是正 した後,適正 な為替相場 と金利水準 に軟 着陸す るため,1987年 にルー ブル合意が形成 された。 同年初頭 に西 ドイツが 超低金利 の緩和政策 を是正 して金利 を引 き上 げたのに続 いて, 日本 も春以降 金融政策 の方針転換 の時期 を探 っていたが,政治 レベル との合意形成がで き ない まま10月には日米 同時 にブラ ック ・マ ンデー に遭遇 した結果,金融政策 を転換 す る機会 を逸 した。 また, 当時 は財政再建 が重要 な政策課題 であった ため,経済成長 お よび経済 の安定化 目標 を達成 す るた めの政策手段 は,金融 政策のみに依存 していた ことも忘れてはな らない。
金融政策 の目標 としては,物価水準 の安定が戦後一貫 して重視 されて きた と考 え られ る。 また,1980年代 か ら為替 レー トの安定 が政策 目標 として重視 されて きた ことも検証 すべ きであろう。 ただ し,地価 ・株価 の ような資産価 格の安定 に関 しては,1970年代前半 にお ける資産 イ ンフレの経験 が あるに も かかわ らず,政策 当局 はその重要性 を認識 していた とはい えない。す なわ ち, 安定化 目標 の物価 には資産価格 が含 まれていなか ったのであ る。 また政策 目 標 としての物価 の安定 について も,政策発動 の タイ ミングや他 の政策 目標 と の整合性 か ら,十分 な成果 を得 られ なか ったケース も少 な くない。
例 えば,1989年5月以降5回 にわた って公定歩合が引 き上 げ られた。 この 引き締 め政策 は90年8月の引 き下 げまで続 くが,金融政策 当局 の独立性 が確 保 されていなかった事情 もあ り,引 き締 めのタイ ミングは2年遅 れた といえ よう。市場金利 の代表 であるコール ・レー トが既 に88年春か ら上昇 に転 じた ことか ら見 て も, この引 き締 め政策が市場 を後追 い してい ることはほぼ 自明 である。 む しろその副作用 として顕在化 した株価 と地価 の暴落 が,金融 シス テムお よび実体経済 に及 ぼ した影響 はきわ めて大 きい。 また90年 に実施 され
金融 自由化 と家計 ・企業 ・銀行行動 57
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図 金 利 と物価
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1970 1975 1980 1985 1990 1995 年度
‑ 公定歩合 一一▲一一 全国銀行約定平均金利 ‑‑o ・ GDPデフレ‑タ上昇率 出所 :日本銀行 r経済統計年報j他
た総量規制 に至 っては,既 に株価が暴落 した後 に実施 されてお り,3年遅れ の引 き締 め政策 といえよう。 この ような政策 を実行 して も,過剰 に資金が集 まっている金融機関 に とって運用先 と運用の技術 を高 めて収益率 を高め るよ うに誘導で きない。 む しろ政策上 の弊害 として生 じた資産価格 の暴落 が引 き 起 こしたキ ャピタル ロスの補填 に過剰 な資金 を活用せ ざるを得 ないため,か
7)
えって貸 し渋 りが発生す る事態 になった。92年当時,大蔵省 は既 にすべての 住専 と多 くの農協 お よび少 なか らぬ中小金融機 関が事実上破綻 していること を把握 していた。政策 当局 の予想 に反 して資産価格 の下落 が続 いた結莱, 97‑98年 に,山一証券,北海道拓殖銀行,2つの長期信用銀行 な どが相次 い で倒産す るまで資本注入 を実施 しなか った。
この ような事態 に至 った理 由は次の通 りであ る。第 1に,政策 当局が資産 デ フレの見通 しを楽観視 していた ことである。第2に,金融機関の資産状況 に関 して,国民 に十分情報 を公開 しなか った ことであ る。 そのため,政府 が 経営破綻 しそ うな金融機関 に公的資金 を注入 しようとして も, その根拠 とな る法案 を通すための理解 を国民か ら得 られ なか ったのである。第3に,大蔵
58 国際経 営論集 No.20 2000
省 は財政赤字 を解消す るため,可能 な限 り公的資金 に依存せず に金融 システ 8)
ムの信用 を回復 したかったのである。
5. 計 測 結 果
金融政策 当局 は主要 な政策手段 として,短期金融市場介入政策 を採用 して いる。 そ こで,金融政策手段が短期金利 に反応 す る変数 を選別 す るため,期 間 ごとに四半期 データに基づ く金融政策反応関数 を測定 した。
(1)‑ 最小二乗法推定‑ (1971:2‑1979:4)
INTCR
‑+
2.56468+.
005700DOT(M2CDH@(‑1))一 .008231EXR(‑1) (4.06) (.17) (‑2.46)+.
042045DOT(PLANDX(‑1) ) +.
051641DOT(WPI(‑1)) (2.00) (2.33)+ .850047INTCR(‑1) (10.56)
決定係数‑0.9623 標準誤差‑0.549 ダー ビン ・ワ トソン比‑2.362 (2)‑ 最小二乗法推定‑ (1980:2‑1990:4)
INTCRニー.910970
+
.128185DOT(M2CDH@(‑1) ) +.
011560EXR(‑1) (‑.62) (1.10) (2.96)+.
042798DOT(PLANDX(‑1))+.
099993DOT(WPI(‑i)) 仁78) (3,87)+.522934INTCR(‑1) (5.23)
決定係数‑0.9076 標準誤差‑0.631 ダー ビン ・ワ トソン比‑1.078 (3)‑ 最小二乗法推定‑ (1986:1‑1990:4)
INTCR
‑+
4.37940‑.262503DOT(M2CDH@ (‑1))‑ .015079EXR(‑1) (2.78) (‑2.29) (‑1.61)金融 自由化 と家計 ・企業 ・銀行行動 59
+.
099925DOT(PLANDX(‑1))+.
046058DOT(WPI(‑1) (2.02) (1.45)+.
972794INTCR(‑1) (7.87)決定係数‑0.9391 標準誤差‑0.369 ダー ビン ・ワ トソン比‑2.487 (4)‑ 最小二乗法推定‑ (1991:1‑1999:3)
INTCR
‑+
.519227‑.057877DOT(M2CDH@(‑i))+.000793EXR(ll) 仁85) (‑.76) 仁23)+.
088612DOT(PLANDX(‑I))+.001197DOT(WPI(‑1)) (1.59) 仁04)+.
822597INTCR(‑1) (ll.73)決定係数‑0.9901標準誤差‑0.241 ダー ビン ・ワ トソン比‑1.048 (5)‑ 最小二乗法推定‑ (1991:1‑1995:4)
INTCRニー2.51139
+.
003064DOT(M2CDH@ (‑1))+.
036664EXR(‑1) (‑1,44) (.03) (2.13)+
.133138DOT(PLANDX(‑1))‑.077523DOT(WPI(‑1)) (1.58) (‑.79)十 .501531INTCR(‑1) (2.94)
決定係数‑0.9840 標準誤差‑0.294 ダー ビン ・ワ トソン‑1,254 (6)‑ 最小二乗法推定‑ (1996:1‑1999:3)
INTCRニ ー.005048‑.009552DOT(M2CDH@(‑1) ) ‑ .001425EXR(‑1) (‑.02) (‑.29) (‑.99) 一 .040241DOT(PLANDX(‑1
) ) +.
008491DOT(WPI(‑1))(‑1.49) (.60)
+
1.06808INTCR(‑1) (6.01)60 国際経営論集 No.20 2000
決定係数‑0.9396標準誤差‑0.039 ダー ビン ・ワ トソン比 ‑1.414 注) INTCR:コール ・レー ト (有担保,翌 日物),M2CDH@:マネーサプラ
イ (平均残高,季節修正済),EXR:外国為替相場 (円対 ドル相場,東京,香 物,中心値),PLANDX:全国市街地価格指数 (移動平均 による四半期加工 済みデータ),WPI:卸売物価指数,DOT:対前期比増加率
計測結果か ら判断すれば,1970年代 の政策 当局 はイ ンフレに関す る判 断が 遅れた ものの,物価 や地価 の上昇 に対応 して短期金融市場 を引 き締 め るよう に誘導 してい る。為替 レー トの上昇 に対応 して短期金利 が上昇す る政策反応 も有意性 が高 い。 しか し,1980年代 にな る と,卸売物価 や為替 レー トにに ら み を利 かせてい るものの,金融政策が地価,株価,マネーサプライの増加 目 標 を判断基準 に依拠 す る政策 は忘れ られていた とい えよう。1980年代後半 に は,資産価格,一般物価,為替 レー トな どの有意性が失われ,マネーサ プラ イ との連動性 に因果関係が見 られ る。 しか し,当時 はマネーサプライ管理政 策が実行 されたのではな く,低金利政策が資産 イ ンフレを引 き起 こし,貨幣 需要が高 まった結果,マネーサプライはロングサイ ドの貨幣需要 に引 き寄せ られた と考 え られ る。 この当時 は,かか る数量制約が政策決定 の影響 を及 ぼ した と考 えられ るため,数量制約が存在 しない状態 を前提 に した金余 り現象 がバ ブル を引 き起 こした とい う仮説 と対立す ることにな る。
(7)‑ 最小二乗法推定‑ (1980:1‑1989:4)
EXR‑+193.6045+10.2173(USGB30(‑1)‑INTGB(‑1))‑1,341.59 (12.56) (2.83) (‑8.91) BLCURNT@(‑4)/GDP.N@(‑4)
決定係数‑0.7009 標準誤差‑26.004 ダー ビン ・ワ トソン比‑0.257 (8)‑ 最小二乗法推定‑ (1990:1‑1999:3)
EXR
‑+
166.5823‑10.2806(USGB30(‑1)‑INTGB(‑1))‑447.2271 (21.93) (‑5.04) (‑6.75) BLCURNT@(‑4)/GDP.N@(‑4)金融 自由化 と家計 ・企業 ・銀行行動 61
決定係数‑0.5734 標準誤差‑10.502 ダー ビン ・ワ トソン比‑0.647 注)USGB30:アメ リカ30年 もの長期国債利 回 り,INTGB:日本長期国債利
回 り,BLCURNT@:日本の経常収支 (季節修正済み)
1990年代前半 の金融政策 は, もっぱ ら為替 レー トの変動 に依存 す る傾 向が 強 まった。 国内的 には景気 の動 向 に配慮 して,景気 回復 のた めの超低金利政 策 に傾斜 しつつあった。1990年代後半 は, いずれの説 明変数 とも有意性 が見 られず,バ ブル崩壊 に対 す る処理 に追 われた結果,金融政策 の効 果 が低下 し た ことを うかがわせ る。1980年代 に確認 された金利平価説 に よる為替 レー ト の決定仮説 も,90年代 には成立 しな くなった。 アメ リカの金融政策 との協調 性 が失 われつつあ る とともに, 日本 の金融政策 が ゆが め られてい るので本来 長期金利 に回帰 す るはずの短期金利 が, ゼ ロ金利政策 とい う異常事 態 に陥 っ て,金利体 系 と金融 政策 の秩 序 が失 わ れ て い る こ とが浮 き彫 りにな った。
2000年8月 に ようや くゼ ロ金利政策 が解除 されたが,異常 な低金利 政策 が資 金配分 の効率性 や所得分配 の不公正 を引 き起 こした影響 は無視 で きない と推 測 され,低金利政策 の功罪 を検証 ・予測 す る ことは今後 の課題 で あ る。
注
1) 1990年 までのインターバ ンク市場 とマネーサプライ との因果仮説 について は,藤野 [1994]第4章が詳 しい。
2) 1980年代後半における金融政策当局の自己批判論文 として,翁 (他)[2000 年6月]は一読の価値がある0
3) 1990年代の金融政策のあ り方を,政策担当者の立場か ら論点 を整理 した も の として白塚 [2000年5月]が参考になる。
4) 日米両国の財政金融政策が,相互 に相手国に及 ぼす影響や両国間の資本移 動の要因 とその影響 を論 じた もの として,野 口・Yamamura [1996]は注 目 すべき最新の成果が収められている。
5) 1980年代の施策の失敗 を教訓 として,90年代前半 に金融 自由化 を早急 に推
62 国際経営論集 No.20 2000
進す るためにク リアすべ き問題点 を論 じた もの として,貝塚 (他)[1993] は 重要な示唆 に富 む論文が含 まれている。
6) かか る論点 に関す る歴史的,実証的分析 を展望す るためには,藤野 [1994] が便利である。
7)最近の金融 システムに関す る論点整理 と実証分析 に関 しては
,
F経済 白書』の第1章第10節 に要領 よ くま とめ られてい るが,金融破綻 や貸 し渋 りの要 因 分析 と責任 の所在 に対 す る切 り込みは弱 い。
8) 組織 としての金融 システムや政策金融 は,経済発展パ ター ン, あ るい は文 化的歴史 的パ ラメータに応 じて最適 な組織 を必要 とす るもので あ り, 日本 の 金融 システムは1970年頃 にその宿命 は終 わ った ともい え る。 日本 固有 の歴史 的発展のプロセス と新 しい世界 的 な潮流 にお ける金融 システムの シナ リオ を 考察す るには,Aoki(et.al.)の研究成果が最先端であろう。
参考文献
1.Aoki,M.,H.‑KiKin andM.OkunoIFujiwara,TheRoleofGovernmentin EastAsiaEconomicDevelopment,OxfordU.P.,1996.
2.Blinder.A.S.,Cent71alBankinginTheoり andP?,actice,MIT Prリ1998.
3.藤野正三郎 『日本 のマネーサプライj勤草書房,1994年0 4.岩 田規久男 F金融政策 の理論j 日本経済新聞社,1993年0 5.貝塚啓明 (他)『90年代 の金融政策』 日本評論社,1993年。
6.経済企画庁 (編) 『経済 白書 平成12年版』大蔵省印刷局,2000年。
7.野 口悠紀雄・K.Yamamura旺ヒ較 日米 マクロ経済政策』 日本経済新聞社, 1998年。
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9.翁邦男 (他)Fゼ ロ金利下 の金融政策 ‑中央銀行 エ コノ ミス トの視 点j2000 年4月。
10.翁邦男 (他) F資産価格バ ブル と金融政策 :1980年代後半 の 日本 の経験 とそ の教訓』2000年6月。
ll.白塚重典 (他) 『日本 におけるバ ブル崩壊後 の調整 に対 す る政策対応 :中間 報 告』2000年5月。
金融 自由化 と家計 ・企業 ・銀行行動 63