イギリス行政哲学の起源︵三︶
ーノースコートーートレヴェリアン報告の理念1
辻
隆夫
始めに
イギリスにおける公務員制度の近代化の起点を一八五四年の所謂ノースコート﹇トレヴェリアソ報告に求めること
には︑今日異論の余地は無い︒﹃イギリスの行政過程﹄の著者R・G・S・ブラウンとD・R・スティールは︑同報
告書以降一九六八年のフルトン報告の提出までの約一世紀を﹁ノースコートーートレヴェリアソの世紀︵Zo暮プ8げ㌣ ︵1︶目HoくΦξ曽O①口ε員︶﹂とよぶ︒またフルトン報告自体も冒頭部分で︑自国の公務員制度が︑その根本において一〇 ︵2︶○年以上も前のノースコート・トレヴェリアソ報告の哲学の産物であることを指摘している︒
前稿までの記述では︑一八世紀末より同報告に至るまでの公務員制度改革−特に官職の情実任用e9#8⇔σqΦ︶に
代わる競争試験制度の導入一の気運を醸成した数々の歴史的背景が明らかにされた︒こうした背景を一応ここで整
理するならば︑それらは概ね理念的背景と実践的背景とに大別される︒
早稲田社会科学研究 第31号(S60.10)
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第一の理念的背景とは︑一八世紀後半に国王による不当な政治的影響力行使の手段としてのバトロネイジの在り方
を批判したエドモンド・パーク︵国αヨ︒巳bd霞閃①︶の主張に始まる︒そして︑政府支出にかかる人件費の浪費を抑制
するための有給閑職の廃止︑政府活動の能率化のための無能力者や怠け者の公職からの排除︑さらには︑人間の能力
は競争試験という手段によってのみ最良に判断され得るとしたオックスフォード︑ケンブリッジ両大学の改革運動家
達の考え方へと至る一連の思想の流れである︒言うまでもなくこうした思想の根本には︑一八三〇年代以降急速に政
治的影響力をもち始めたミドルクラスの人々による素朴な﹁納税者民主主義︵目9巻越Φ﹁ω.∪⑦ヨ8鑓︒団︶﹂の考え方
があった︒
第二の実践的背景としては︑ジェームズ・グラハム︵冨ヨΦωO茜匿ヨ︶のもとでの海軍省で試みられた能力主義に
基づく人材の登用や大蔵省における見習い期間の導入といったイギリス国内での公務員制度の部分的改革と︑T・マ
コーレイ︵弓げ︒日9ωしd.竃碧9三①嘱︶によって指導された英領インドにおける公務員任用制度の改革が挙げられる︒と
りわけ後者は︑任用に際して公開競争試験を導入し︑そこでは特定分野の限られた知識や経験よりもジェネラリスト
としての幅広い教養を重視するというマコーレイの理想を具体化したものであり︑彼がトレヴェリアソの義兄であっ
たという人脈関係とも相侯って︑ノースコート陪トレヴェリアソ報告の理念に最も重要な影響を及ぼした改革であっ
た︒ このように︑スタッフォード・ノースコート︵ω一戸hhO噌Ω 7﹁O吋一げOOけΦ︶とチャールズ・トレヴェリアン︵Oげ母δω
↓おく①ζ馨︶両名によって起草されたこの報告書は︑当時のイギリス公務員制度の在り方に関わる広汎かつ多様な思
考や理念と︑半世紀以上にわたる絶え間ない実践活動の成果の集大成に他ならなかったのである︒本稿は︑以下同報
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告書で提案された幾つかの改革案をとりあげ︑以後︸世紀余にわたってイギリスの行政制度を特色づけてぎた伝統的
理念の形成過程を理解するための一助を得ることを目的とする︒
一 報告書提出までの経緯
イギリス行政哲学の起源(三)
ノースコートーートレヴェリアン報告が当時のイギリス公務員制度に対する徹底的な改革案を提示したものであるこ
とは既述のとおりであるが︑全体で僅か二十ページ程にまとめられており︑分量だけをみればその後のイギリスにみ ︵3︶られる多くの王立委員会の調査報告書に比べて極めて短い報告書である︒けれどもこの事実は︑決して調査や報告内
容の貧困さに帰因するものではない︒寧ろ逆に同報三会が︑これに先立って行なわれた中央政府の各省庁に対する一
連の実態調査から得られた豊富な資料に基づいて︑公務員制度全体に関する一般的改革案を凝縮した形で世に問うた
からに他ならない︒それは︑一八四〇年代後半から五〇年代にかけて行なわれた全部で=一の行政機関についての調
査報告書のフィナーレを飾る一般報告であり︑この点にこそ同報告書のもつ最も重要な歴史的意義を求めることがで
きるのである︒それゆえ︑ノースコートーートレヴェリアソ報告の内容と不可分の関係にあるこれらの調査報告につい
て︑ここで簡単に触れておきたい︒
中央政府各省庁に対する実態調査の発端は︑一八四八年十一月の大蔵省覚書きである︒前稿で記したように︑同省
では既に一八三〇年代に新規任用者の見習い期間制度を導入するなど︑部分的な改革が試みられていたが︑この覚書
きは︑ときの首相兼第一大蔵大臣ジョン・ラッセルQo卜定霧ω9と大蔵大臣チャールズ・ウッド︵O冨二Φω≦ooα︶
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の名において﹁実現可能な最高度の能率を確保するために必要な変革を行なうことを目的として︑大蔵省の組織の現 ︵4︶状及び事務の配分と執行のための仕組みと規則を調査する﹂ことを指示する内容であった︒この調査委員会の委員長
に任命されたのが他ならぬトレヴェリアソである︒彼がハイリーベリーの学生であったことは既に述べたが︑同校を
優秀な成績で卒業した後︑一八二六年に東インド会社職員としてインドへ赴任し一八三六年に帰国した︒そして一八
四〇年︑当時の大蔵大臣フランシス・ベアリング︵長き9ω切gユロσq︶に認められ大蔵省事務次官の職に就く︒イン
ド時代からマコーレイの理念に共鳴し︑その義弟となり︑帰国後も公務員制度の能率化のために情熱を抱き続けてき
たトレヴェリアソにとって︑初めて格好の檜舞台が用意されたわけである︒トレヴェリアソは︑他の二人の委員︵芝・
O一びω魯9巴αqい勺碧夕霞︶とともに大蔵省の組織︑人事︑事務配分等について詳細な実態調査を試み︑その結果を
翌四九年三月に提出した︒この報告書でトレヴェリアソは︑同省の人事について次のように述べている︒
﹁年功序列ではなく実務成績と資格︵8Φ黒き伍ρ§まぎρ江︒ロ︶が昇進者の選抜における最重要な誘因となるべ
きである︒﹂
また︑新任職員の採用とその後の仕事上の監督についても次のような意見を具申している︒
﹁我々は︑任用が確定する以前に試験が行なわれるべきであること及び任用前一年間の見習い期間が確保される
ことを求めている既存の原則に︑何ら修正を加えようとは思わない︒我々は︑これらの制度が厳格に実施されるべ
きこと︑そして大蔵省の幹部は︑若い職員自身のためという観点と同様に公的機関としての観点からも︑自分達の ︵5︶ 部下によるいかなる職務の怠慢についても注意を向けるべきであること︑を勧告する︒﹂
この報告書を皮切りに︑以後五〇年代前半までに十一の行政機関に対する調査が実施された︒対象機関及び報告書
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イギリス行政哲学の起源(三)
提出期日を列挙すると次のとおりである︒
植民省︵Ooδ巳巴Oh自︒Φ︶1一八四九年十二月十五日
アイルランド省︵一H一ωげ ︵︶hh一〇Φω︶一一八五二年十二月九日
通商庁eo貿αo断↓轟αΦ︶一一八五三年三月二十日
科学技術・芸術省︵∪①o母け目Φ葺oh℃鑓︒江︒p︒一ω9①口8きα諺詳︶i一八五三年五月二十五日
救貧法庁︵勺oo同い鶴︒ミゆ︒碧自︶一一八五三年七月二十日
枢密院事務局︵零ぞ︽O︒二昌︒寓Oh鵠8︶1一八五三年八月六日
自作農地・囲いこみ・十分置一税委員会︵08旨︒一9国璽δω霞︒㊤づα目塞①Ooヨ雪曇δ昌︶t一八五三年八月掛
七日 植民地・移民省︵Ooδ巳巴ピ㊤巳国旨戯舜江︒口Oh臨︒①︶一一八五三年八月十日
軍需品局e8aohOa口9ロ︒Φ︶1一八五三年十二月十七日
公共事業局︵Oh自︒Φoh毛︒艮ω︶一一八五四年一月十四日 ︵6︶ 郵政省︵℃Oωけ Oh︷一〇①︶1一八五四年五月三十日
これらの調査にあたっては︑それぞれ個別の委員会が設けられたが︑アイルランド省の場合を除くすべての委員会
にトレヴェリアソは参加していた︒また︑この委員会には調査対象となる機関からの代表老も加わることが原則とさ
れていたが︑科学技術・芸術省︑自作農地・囲いこみ・十分の一半委員会︑公共事業局の場合︑委員会はトレヴェリ
アソとノースコートの二人だけで構成されており︑この一事だけを見ても︑両名がこの時期の公務員制度改革運動の
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中核として活動していたことが理解できよう︒これらの個別報告書では︑その殆んどすべてにわたって︑公務員の採
用に際して適切な競争試験を行なうこと︑応募老に年齢制限を設けること︑採用後の昇進は業績に依るべきこと︑が
勧告されている︒要するにノースコートーートレヴェリアソ報告にみられる改革の理念とそれに基づく具体的方策は︑
これら一連の広汎な調査報告のなかで繰り返されてきた現状分析と処方箋を一般論として煮詰めた最終報告の形で
﹁終身公務員の組織︵↓げΦO同σq⇔巳§江80︷℃①H巨磐Φ三9<目ω禽くざ①︶﹂というタイトルのもとに発表されたもの
である︒報告書の冒頭が︑次のようなやや唐突な感のある一文で書き始められているのは︑こうした経緯によるもの
に他ならない︒
﹁さて我々は︑個々の省庁について命ぜられた調査との関連で︑なすべぎ提言のうちでも特に次のような提言に
従って報告を展開することにしたい︒すなわち︑公務員の候補者に求められる資質と健康状態についての事前の審
査︑彼らの知識に対する試験︑昇進の規則といったすべての公的機関に共通する諸条件が慎重に考慮されねばなら
ない必要性が極めて高く︑それによってこそ資格のある者のみが任用され︑彼らが自己の職務を常に精力的に遂行す ︵7︶ るようにあらゆる実践上の誘因が与えられるであろうことを国民に対して完全に保障し得る︑という提言である︒﹂
以下では︑この報告書で主張され展開されている近代イギリス公務員制度に対する理念と展望を検討の姐上にとり
あげる︒
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二 報告書の内容
ノースコートーートレヴェリアソ報告の詳しい内容は︑既に足立忠夫教授や赤木須留喜教授の論稿で紹介されてい
︵8︶る︒したがってここでは筆者なりに簡単にその概要をまとめておこう︒報告書は︑概ね現状分析の部分と改革のため
の具体案の部分とに大別できる︒
イギリス行政哲学の起源(三)
ω 現状分析
まず現状分析の部分であるが︑ここでは最初にイギリスにおける終身公務員の重要性が指摘され︑彼らの助力がな
けれぽ政府の運営は不可能であろうと述べられている︒それゆえ︑この職業は国財で最も有能かつ意欲的な若者をひ
ぎつけ︑しかも彼らの間に激しい競争が浸透するという期待がもたれて然るべぎである︒しかしながら︑イギリス公
務員制度の現状は全く逆で︑この職に就くことを熱心に求めるのは︑意欲のない者︑怠け者︑能力に欠ける聴覚であ
り︑他の職場では同世代の人々との競争に勝ち残れるだけの能力をもたない者が︑仕事の安易さや生涯にわたる身分
と生活の安定といった利点を頼って公務員の職の多くを占めている始末である︒その結果国民は︑公務の遅滞︑役人
の安易さ志向或いは公務の改善に対する抵抗といった点に不満の声をあげていることをしぼしば耳にする︑と報告書
は述べている︒
次に︑こうした状況がもたらされた原因の分析がなされる︒報告書によれば︑公務員制度が他の職業に比べて優秀
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な人材を集めることを妨げている障碍として︑本来的障碍曾鉾霞巴巳︷臨︒巳菖︒ω︶と人為的障碍︵蒸け強甑診︒一象窪︒巳・ ︵9︶誌Φ・︒︶の二つを挙げている︒前者は︑他の職業と違って公務員の社会では本質的に人々の間に厳しい競争が欠如してい
る︑という点である︒すなわち︑公務員は互いに競争することなく全員一緒に昇進することが一般原則とされ︑若く
して公職に就いた者は︑退職後の年金支給も含めて生涯の生活を保障されるという仕組みである以上︑事無かれ主
義︑怠惰の感覚が助長されているのである︒後者の人為的障碍とは︑バトロネイジによる任用方法によってもたらさ
れるもので︑下級職上級職の何れの場合にも弊害となる︒下級職の場合には仕事が日常的・機械的性格であるがゆえ
に︑バトロネイジの行使者が候補者の採否如何を重視しない傾向にあり︑しかもそうした形で一度採用された者は何
年か後には年功序列の慣例に従って昇進し︑高い給与を支払われることになってしまう︒他方︑上級職に関してバト
ロネイジによる外部からの採用が頻繁に行なわれることは︑ 一般の公務員の意欲を低下させるという弊害を生ぜしめ
ているとされる︒
このような障碍に加えて︑公務員制度のもつ断片化された性格︵坤9︒αqヨΦ葺要望︒護身9震︶もまた問題の原因のひ
とつとして挙げられている︒すなわち︑軍隊や医療など特定の部門以外の公的機関で働いている人々は一万六千入以
上もの大集団を形成しているにも拘わらず︑彼らの昇進はそれぞれの省庁内部の原則によって定められているため︑
各省間の所謂セクショナリズムの弊害が生じていることも︑報告書は指摘している︒以上がノースコートーートレヴェ
リアソ報告における当時のイギリス公務員制度の現状分析の部分である︒
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イギリス行政哲学の起源(三)
② 改革の具体案
右のような現状とその原因の分析に基づく報告書の改革案は︑赤木教授の整理に従えば︑採用︑職務の区分︑給与 ︵10︶と昇進︑退職年金の四つの面に関して提案されている︒但し︑ここでは報告内容の重要性と本稿の目的に鑑みて︑前
三者についてのみ述べ︑退職年金の部分は割愛する︒
まず︑公務員の採用についての一般論として報告書は︑他の職業の経験をもたない若者を訓練することが最善であ
ると断じてい菊そして採用の際の一般原則として・ω慎重に選考した癖の薯達を比較的低い地位に採用し︑初
めはその能力と教育程度に適した仕事に従事させる︑㈹彼らに対し︑自分達の昇進と将来の展望はひとえに自己の任
務遂行における能力と勤勉さに依存しているということを常に感じとらせる︑という二点を打ち出している︒
次に︑こうした一般原則を実効あるものとするための第一歩として︑採用前の適切な試験制度︵9・冒8二黒ω8∋
oho×p巨ぎ9菖︒昌︶の確立とその後の見習い期間︵鴇︒げp江8︶の導入が提案される︒そして以後数ページにわたって︑
試験制度に関する具体案が極めて詳細に述べられているが︑それらは以下の八点に要約できよう︒
ω 試験の実施機関として︑中央政府に各省から独立した中央試験委員会︵OΦ昌窪巴ゆ︒甲唄oh国×凶ヨ一昌Φ房︶を設置
する︒その長には枢密顧問官と同等の地位にある行政官をあて︑また各省の実務の執行に精通している人物を委員に
加えるか︑或いはその助力を確保できるようにする︒
㈹ 試験の形式は競争筆記試験︵8ヨbΦけぎαq耳Φ轟蔓︒鑓巳口讐一〇口︶とし︑さらに志願者の年齢︑健康状態及び道
徳適性についての予備審査を伴うものとする︒
働 試験は空読ができたときにその都度行なうのではなく︑定期的に実施する︒したがって特定の職のための特別
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な試験を行なってはならない︒また見習い期間については︑現在行なわれている方式を続けるべきである︒
㈲ 受験の機会はすべての人々に開放されなければならない︒
団 試験課目はできるだけ広い範囲にわたるべきである︵例えば︑歴史︑法律︑政治経済︑語学︑地理︑古典な
ど︶︒これは︑試験に期待される利点として︑特別な要件を充たしているか否かよりも若者から一般的能力︵αqΦ尊像巴
曽げ葺ξ︶をひき出すことの方を重視するからである︒
㈲ 既に他の職業分野で卓越していることを認められている人物を上級職として中途採用する場合は︑この試験の
適用を除外する︒
㈲ 下級職の試験は各地方において同一日に実施する︒ ︵12︶ ㈹ 受験資格の年齢は︑原則として上級職の場合は一九歳から二五歳︑下級職は︸七歳から二一歳までとする︒
第二の職務の区分については︑既に試験制度との関連で触れられているが︑公務員の職務全体を知的業務︵ご8一− ︵13︶一Φoε巴妻︒簿︶と機械的業務︵旨①畠①巳︒巴≦o時︶とに二分することが提案されている︒この区分の問題は報告書の
なかで最も重要な点であると主張され︑前出の試験制度の提案と並んで︑ノースコート目トレヴェリアソ報告の名を
後世に残さしめた有名な提案である︒しかしながら︑この点についての報告書の内容は︑試験制度のそれとは対照的
に極めて総論的な記述に終始している︒すなわち︑区分の合理的基準︑それぞれの区分に該当すべき具体的な業務内
容︑それらを担当すべき職員の資格要件などについては触れられず︑全省庁を横断して筆写事務を担当する︸般筆写
事務局︵αqΦづ宰取oo電冒αqoh臨︒Φ︶の設置と︑各部局における補助職員︵ωξ巳①日Φ馨9︒曙︒一Φ爵ω︶の存在の必要性を
指摘するだけに留まっている︒
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イギリス行政哲学の起源(三)
次に︑人事の移動についての提案がなされ︑各省庁相互間の人事交流をはかることが︑職員自身にとってプラスで
あるばかりでなく公務員制度全体の能率化にも有効である旨が指摘されている︒
公務員の給与について報告書は︑二重の原理によって規制しなければならないと主張している︒第一の原理とは︑
今日一般に俸給表としてみられるように︑最低給から漸次昇給し最高給にまで至る段階付けのなされた給与体系を確
立することである︒第二の原理は﹁業績による昇進︵買︒日︒葺︒づげ同日①降︶﹂の原理であるが︑これが人事権者の
﹁依情贔屓による昇進︵胃︒ヨ︒畠8げ鴇幽く︒霞詳一ωヨ︶﹂に転化するのを妨ぐため︑個々の公務員の業績を正当に評価 ︵14︶できるような慎重な手続きが必要であるとされる︒
最後に報告書は︑その目的とするところを次の三点に要約している︒
ω 適切な試験制度によって完全に能率的な人材を公務に就かせること︒
㈹ すべての公務員に対して︑自己の業績に応じた昇進を期待できること及び相応の資格をもつことができれば最
高の償与を期待できることを教えこむことによって︑勤勉を奨励し成績を上げさせること︒
㈹ 新規の採用を統一的な基準に依拠させること︑公務員の昇進を自己の所属する省以外の省庁の職員任用のため
にも行なえる道を開くこと︑より下位の地位にいかなる時︑いかなる職場にも妥当し得る職務を果たし得る一群の人
々︵補助的職員︶を導入すること︑の三つの方法によって︑公務員制度の断片化された性格から生じる弊害を除去 ︵15︶し︑そこに何らかの一体性の要素を導入すること︒
以上の三点を挙げた後︑報告書は︑これまでに勧告してきたいかなる変革も議会の立法という手段によらねば成功
し得ないという確信を表明し︑すみやかに改革の提案を法の力によって実行すべく希望する文言を添えて記述を終了
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している︒
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三 改革案にみる特色
報告書の概要を右のように把握したところで︑そこにみられる特色を終身公務員の概念︑競争試験制度の導入︑公
務の分業化の三点に絞って検討してみよう︒
第一に︑現状分析の記述の最初の部分で下されている終身公務員についての次のような定義は注目に値する︒すな
わち︑﹁直接国王や議会に対して責任を負う大臣の地位に正規に従属する地位を占めるが︑それでも常に自分達を統轄
する人々に対して助言︑補佐及びある程度までの影響力の行使がでぎるだけの十分な独立性と資質︑能力︑経験を有
するも嘩という定義である・この定義から我々は二つの意味を読みとる・とができる・第一に︑終身公務員が国王
や議会に責任を負う大臣に従属するという定義には︑政治家と行政官との構造的関係が明示されている︒それは︑行
政を﹁政策の侍女﹂であると見なす古典的な行政観に共通する見解を表わしたものと理解できよう︒他方第二の意味
としては︑公務員が十分な独立性を有する立場から︑自己の資質や能力及び経験をもって大臣の活動に助言や補佐︑
さらには影響力を与えることができるとする定義からすれぽ︑公務員は大臣の政策形成活動にも関わる立場をとり得
ることが認められていると見ることができる︒換言すれば︑これは政府の政策形成過程における公務員と政治家であ
る大臣との機能的な結合関係を述べた定義であるといえよう︒イギリスの政策形成過程は大臣と行政官が絶えず対話
を交わすことによって成り立っているという伝統的見解が︑この報告書のなかでも明らかに確認されているのであ
イギリス行政哲学の起源(三)
る︒さらに敢えて付言すれば︑第﹁の意味では公務員組織を大臣を頂点とするライン構造をもつものとして捉えてい
るのに対し︑第二の意味においては︑公務員が大臣に対する助言︑補佐といったスタッフ機能を果すべき存在として
規定されていると考えることもできよう︒無論︑行政組織におけるラインとスタッフの理論が主張されるのは第一次
世界大戦後のアメリカにおいてであり︑それより遙か以前のイギリスにおける公務員制度の定義について︑直接この
考え方に照しての判断を試みることは短絡的に過ぎるかも知れない︒けれども︑アメリカの行政組織論においてライ
ンとスタッフをめぐる議論が華々しく展開され︑実際の行政組織においても政策形成過程に占めるスタッフ機関の役
割が今日に至るまで重視されているのに対し︑イギリスでは両者の峻別が理論的にも実践上も左程の重要性を認めら
れてこなかったという事実は︑公務員組織に対して下されたノースコートnトレヴェリアソ報告の定義にみられる考
え方が︑イギリス社会に根強く浸透していたことのひとつの証しであると見なすことがでぎるであろう︒
第二の特色は︑言うまでもなく競争試験制度の提案にみられる︒J・ハートは︑当初トレヴェリアソが試験制度そ
のものを︑後世の人々が評価するほどには重視していなかったのではないかという疑問を︑r当時のグラッドストーン
がノースコートに宛てた書簡を引用して提起している︒それによると︑報告書の原案の段階でトレヴェリアソは︑大 ︵17︶蔵省における上級職の任用を大臣の権限として残しておくべきだと考えていたとされる︒この点は︑試験制度の内容
の㈲で挙げた適用除外の記述から窺い知ることができる︒けれども︑報告書全体の文脈から判断する限りでは︑トレ
ヴェリアソ等がこの制度の導入を改革の中心に据えようと意図していたことに異論の余地はなかろう︒このことは︑
彼らが報告書のなかで﹁最適任者の選考とバトロネイジの弊害の除去という二つの目的を達成するには︵上級職と下 ︵18︶級職の何れの場合についても︶これ以外の方法はない﹂と言明しているところがらも明らかである︒そして︑その具
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体的内容をみると︑それらの大部分について︑前稿でとりあげたインドの職員任用制度の改革︑就中その推進者マコ
ーレイの理念が深く影響を及ぼしていることも容易に理解できよう︒すなわち︑試験のための権威ある特別機関の設
置︑試験課目を特定分野の専門知識に偏ることなく広い一般教養的分野とすること︑受験資格に年齢制限を設けるこ
と及び試験後一定の見習い期間を置くことなどの諸点は︑前稿で述べたように︑トレヴェリアソらの調査とほぼ同時
期にマコーレイが中心となって行なわれたインド職員制度に関する調査の報告書の内容と合致している︒特に︑試験
課目におけるジェネラリスト重視の根拠についてトレヴェリアソらは次のように主張している︒
﹁もし国家にとって多大に奉仕し得る可能性をもつ者が︑彼より遙かに能力の劣る者に簡単に負けてしまうこと
があるとすれば︑それは後老が専ら注意を傾けてぎた限られた狭い分野でのみ試験が行なわれた場合である︒しか ︵19︶ し︑広い範囲にわたって試験が行なわれれば最適者の優秀性は自ずと明らかになるであろう︒﹂
この考え方は︑マコーレイが彼の報告書で述べているところの︑二十歳頃まで純粋に学問研究にのみ専念していた
者は特定の職業教育だけを受けて育った若者よりもすべての職業能力において勝っている︑という主張と軌を一にし
ている︒そしてこうした考え方こそ︑イギリスにおけるジェネラリスト行政官重視の基本理念を︑公務員制度近代化
の起点において明確に打ち出したものに他ならない︒イギリスの行政が︑特定分野における専門知識や技術を武器と
する官僚制の支配を極力抑制し︑時代の推移によって多分に程度の差は生じてきているものの︑基本的には所謂知的
素人︵冒8集ひqΦ耳δ団89口︶によるコント戸ールを今日に至るまで常に優先させてぎたという事実は︑こうした基本
理念が歴史の流れのなかで人々の意識のなかに連綿とうけ継がれてきたことの証しであるといっても過言ではなかろ
う︒そして︑このような意味において︑ノースコート悶トレヴェリアソ報告の観点は︑同様にバトロネイジの弊害の
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イギリス行政哲学の起源(三)
克服を目的としながら﹁行政は実務e器ぎ①ωω︶の領域である﹂と規定し︑その専門性︑技術性を強調したアメリカ
のウッドロウ・ウィルソンの立場と極めて対照的である︒蓋し︑アメリカとイギリスの行政組織に関する比較研究の
視点がノースコートーートレヴェリアソ報告にまで遡って求められることの所以は︑この点にあるといえよう︒
第三に挙げるべき特色は︑公務の分業化一知的業務と機械的業務の二分化1の原理である︒言うまでもなく︑
分業の原理は既に一八世紀後半の産業革命以来︑イギリス産業社会に広く浸透しつつあった︒トレヴェリアソらはこ
れを政府活動のなかにも採り入れるべきことを提案したわけである︒尤も︑公務を知的業務と日常的業務に区分する
考え方は︑一八三〇年代にジェームズ・ステファン︵﹄騨旨︒ωωけΦOげ︒εやヘンリー・テイラー︵訟Φづq↓即覧︒﹁︶とい
った一部の指導的行政官によって主張され︑実際に植民省やインド局などでは一時的にせよ試みられていた︒けれど
も︑この問題が公務員制度改革の重要課題のひとつとして捉えられるに至った直接の契機は︑R・A・チャップマソ ︵20︶が指摘しているように公務員制度の維持に要する膨大な公共支出の抑制を求める市民階級の圧力であった︒実際︑低
賃銀の臨時雇用職員でもできる仕事のために終身公務員を高給で採用することは明らかに支出の浪費であると人々は
見なしたのである︒因みにブラウンとスティールの記述によれば︑一八五一年の統計では中央政府に雇用されていた ︵21︶全職員のうち三分の二は収税事務と郵便業務に従事する者によって占められていたとされる︒それゆえ︑こうした日
常的業務を中央省庁の幹部職員の仕事と同一視し︑これに従事する職員の任用と昇進︑給与体系から退職後の年金支
給に至るまですべて同一のカテゴリーに含めて扱うという制度の在り方は︑当然納税者からの厳しい批判をうけるこ
とになった︒さらに︑分業の原理の導入は︑高賃銀を要する上級職員の数を減らし︑これによって政治的バトμネイ ︵22︶ジが作用する領域を狭めることができるという点においても有効な手段であった︒既に述べたように︑バトロネイジ
67
によって生じる政府支出の膨張を抑制するための運動は︑一八世紀末以来連綿と続いていたが︑ここに到ってその包
括的方策が︑公務員制度における任用と昇進及び給与体系を職務の区分との有機的関係において規定するという形で
明示されたのである︒足立忠夫教授が︑ノースコート睡トレヴェリアソ報告における公務の区分を︑職階制の端緒を ︵23︶ぎついたものとして評価しているのは︑このような意味において理解できるであろう︒
しかしながら︑報告書が公務の分業化について具体的基準や内容を示すことなく︑単に機械的業務の例として︑全
省庁に等しく適用できる一般筆写部門及び各部局の補助的職員の存続を提案しただけに留まったことは︑勧告内容に
大きな弱点を残すことになり︑この点に対して各省庁の現場の職員が激しい反発を寄せることになった︒例えば︑外
務省ではその所掌事務の性格上︑ルーティン化された文書筆写事務自体が極めて高い秘密性と責任を要する仕事と見
なされていたし︑また戦時局や海軍省では︑危急の場合には多数の終身公務員を抱えているよりも︑臨時雇用職員に ︵42︶頼る方が遙かに柔軟に対処できると考えられていたからである︒それゆえ︑これらの省庁からすれば︑凡そすべての
公務を一律に知的業務と機械的業務に二分化し全く別の系統で職員の採用と昇進を決めるという報告書の考え方は非
現実的であり︑彼らはこの点において真向から反対したわけである︒こうした分業化が具体的に実施に移されるの
は︑報告書提出後二十余年を経た一八七六年の枢密院令にまでまたねばならなかったし︑さらに︑フルトン報告が批
判の対象としたイギリス公務員の三層制一行政官階級︵諺O目P一昌一ωけ民9け円く① O一団ωω︶︑執行官階級翁×Φ︒二江く①Ω霧ω︶︑
書記官階級︵Ω曾8巴Ω霧巴によって構成される一が導入されたのは一九二〇年のことであった︒ノースコートーー
トレヴェリアソ報告の分業化の理念が職階制の素朴な端緒であることは肯けるとしても︑それを時代の要請する政府
業務の個々のレベルに妥当すべく精緻化してゆくには︑尚多年の時間を要するのである︒
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以上のような点も含めて︑
たい︒ 最後に報告書の提案に対する当時のイギリス社会の反響について触れ︑本稿の結びとし
四 報告書に対する反響
イギリス行政哲学の起源(三)
時代の変革をもって歴史に名を残そうとする老は︑常にその時代に挑戦し厳しい反発を受けることを覚悟しなけれ
ぽならない︒既に繰り返し述べたように︑ノースコ.ートnトレヴェリアソ報告が当時の公務員制度に対してあらゆる
方向から批判のメスをいれ︑その徹底的な改革を主張したがゆえに︑それが発表されるや否や︑忽ちにしてイギリ・ス
社会各層からの強烈な拒絶反応に直面しなければならなかった︒当時の世論を代表する各新聞は︑当初から公務員制
度改革を強力に支持し続けてきたタイムスを例外として︑挙ってトレヴェリアソとノースコートに対し批判というよ
りも皮肉や嘲笑を浴びせたとされる︒尤も︑こうした新聞の批判の大部分は︑報告者のあまりにもラディカルな内容
に対する反動から生じた多分にムード的批判や︑既存の制度がもたらす利益を守ろうとする一部貴族階級の代弁的意
見に終始し︑それらはR・モーゼスによれば﹁非常に根強い保守的見解︑変化に対する偏狭な嫌悪感︑既存の公務員 ︵25︶制度に対する馬鹿げた自尊心﹂を表わしたものであった︒他方︑報告書でその欠陥を攻撃された既存の制度のなかで
生きてきた人々︑特にその長たる上級公務員の立場からは︑制度そのものの改革の必要については共通の認識をもつ
だけに︑相当の説得力と根拠をもつ批判を展開する者もあった︒そうした立場を代表するひとりが彼のエドウィン・
チャドウィック翁ユ≦貯Oげ巴≦ざ犀︶である︒
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衆知のように︑チャドウィックは一八三四年忌救貧法改正︑一八四八年の公衆衛生法の制定において行政官として
の卓抜した能力を発揮し今日にまで名を残しているが︑一八五三年当時は救貧法庁長官の職にあった︒彼の意見は︑
報告書全体の主旨には賛同するものの︑そこで提案されている試験制度の在り方に対する反論が中心であった︒すな
わち︑大学で教える知識と公務員に必要な基礎的知識は同じものではなく︑高等教育の成果の判定に偏った学術試験
でのみ採用を決定する方法では︑真に公務員としての高い実務能力と勤勉さを有する若者を任用できない︑という見
解で報告書を批判したのである︒そして﹁微積分についての生半可な知識やラテン語の詩を作ること﹂のできる能力
よりも︑大学の試験官には決して評価されることのない﹁基礎的な計算能力﹂の方が公務員の資質としてより重要で
あると述べ︑採用時の学術試験の結果のみで公務員としての生涯能力を判定すべきだとする報告書の理念及びその基 ︵26︶礎となったマコーレイの考え方とは正反対の立場を主張したのであった︒尚︑チャドウィックと同様に指導的行政官
の立場から報告書に批判的意見を表明した人々としては︑先に触れた植民省次官のステファン︑関税局長官トーマス・
フレマソトル︵目げ089ω閃目⑦ヨ9ロニΦ︶︑外務省次官のH・U・アディソトソ︵口d.諺ααぎσqε旨︶といった名前が挙げ
られる︒総じて彼らの意見も︑高等教育の成果と公務員の実務能力とは直接結びつかないという考え方で︑優れた学 ︵27︶者を公務員に採用することは恰かも﹁鋤の前に競走馬をつなごうとするもの﹂であるとする批判であった︒
以上のように︑イギリス社会はノースコートUトレヴェリアソ報告を︑好意ある支持よりも激しい批判の十字砲火
をもって迎えたのである︒議会もまた︑大蔵大臣グラッドストーンの尽力にも拘わらず報告書を歓迎しなかった︒こ
の期に及んでも尚︑バトロネイジを政治的支持獲得のための手段として擁護しようとする姿勢は︑特に保守的な政治
家層に根強く残っており︑トレヴェリアソが報告書の末尾で切望したにも拘わらず︑改革のための立法化は遅々とし
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イギリス行政哲学の起源(三)
て進まなかった︒報告書提出以後一八五五年の枢密院令によってイギリス最初の公務員制度委員会︵〇三一ωΦ類一8
00目ヨδ巴8︶の設置が決定されるまでの約一年以上もの間︑この問題に関する審議が一度も開かれなかったという
事実は︑当時の支配者層がノースコートHトレヴェリアソ報告の提案にいかに冷淡な態度を示したかを物語るもの
といえよう︒そして︑全省庁的規模での公務員の任用に関する公開競争試験制度が確立されるのは︑さらに十数年を
経た一八七〇年六月︑やはり立法によるのではなく枢密院令という方法での決定にまでまたねばならなかったのであ
る︒ 本稿は︑最後にひとつの課題を残して終わることになる︒言うまでもなくそれは︑ノースコート目トレヴェリアソ
報告のアメリカに対して及ぼした影響を探ることである︒トレヴェリアソらの理念及び具体的な処方箋が︑一八七〇
年代から八○年代にかけて︑ドーマソ・B・イートンの手によってアメリカに紹介され︑一八八四年のペソデルトソ
法制定に深い影響を及ぼしたことは︑既に明らかにされている︒その影響がアメリカにおける行政の制度面のみなら
ず︑厳密な政治・行政二分論を出発点とした理論的枠組みにまで及んでいるのだとすれば︑ノースコートHトレヴェ
リアソ報告のアメリカへの影響如何を検討することは︑イギリス行政哲学のみならず︑現代行政学の起源そのものを
探るための極めて興味深い課題のひとつであるといえよう︒この点についての研究は別稿の機会にまちたいと思う︒
︵1︶男.ρω・田︒≦コ雪白∪・図●ω8Φド↓ぎ缶匙ミミ恥㌣ミ四竃ミ︒鼠霧ミ切ミミきω08民︒&臨︒員ぎ昌傷oPHO刈ρ℃bo目・ 注
︵2︶ §馬Oご嵩留ミ§.ぎ︑.N.肉魯ミ鴨ミ導偽9ミミミミN℃象∴鴨軌︒︒噛O日昌F︒︒OG︒︒︒回国・竃●ω︒O.O●O●拙稿﹁イギリス行政
哲学の起源︵一︶ーバトロネイジ・システムと公務員制度改革の背景一﹂早稲田社会科学研究・第二十八号︑八五頁︒
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︵3︶ 報告書自体は一八五三年十一月に完成したが︑翌五四年アバディーン内閣のもとで議会に提出された時点では︑予め通知
された人々によるさまざまな賛否両論の意見書が添付され膨大な文書量に達した︒後述のチャドウィ.ックの意見書もこのな
かに含まれている︒このうち︐言わば基調報告ともいえるところの﹁終身公務員の組織﹂と題する部分が︑今日﹁ノースコ
ートーートレヴェリアン報告﹂とよばれているものである︒
︵4︶匹︒冨a>・99︒o目餌P↓ミミ窓ミ9ミ密ミ馬らこ醤ヒu︑馬ミ3ピ︒巳︒PH㊤刈︒・暑・8山ら●
︵5︶守斧℃喝・b︒ら・
︵6︶国.ρ黒冨曽ρ︑.9︿崔︒∩︒ヨ8︑︑︑<●9§毒=㊦件●巴●﹄§ミ恥ミ08ミミ§嚇§ミミ§き︒§︑ミ兄切ミ§・
U昌一駒PHON︒︒も﹂.尚︑これら以外の機関についても︑報告書は発表されなかったものの︑内務省︑外務省︑アイルラソ
ド公文書館︑戦時局︑統制局などでほぼ同時期に調査が行なわれている︒
︵7︶ ︑.目ゲoZo昼げ8けΨ↓﹁①く︒蔓鋤向斜oOo二..︑ミミ聴︾軋ミ§詠㌣ミ馬§︾<oドωbσ︑HO㎝♪噂﹄・これは︑報告書発表百年忌記念して
﹃パブリック・アドミニストレーション﹄誌に全文掲載されたもので︑本稿の引用もすべてこれに依拠している︒
︵8︶ 足立忠夫﹃英国公務員制度の研究﹄︵一九五七年︑弘文堂︶︑八Oi入七頁︒赤木須留喜﹁イギリスにおける近代的公務員
制度の研究﹂︑東京都立大学法学会雑誌︑第十八巻︑一︑二号︵一九七八年︶︑二五五−二六五頁︒
︵9︶︑︑目冨Z︒二ず88占おく︒首曽図8︒二︑︑8・葺こ戸卜︒・
︵10︶ 赤木︑前掲論文︑二五九頁︒
︵11︶ ︑︑円ゴΦZ自芸881目8︿o貯⇔昌男︒︾o詳︑︑o掌9けこ℃.㎝.
︵12︶ O協.嵜乙二娼弓絹−匡.
︵13︶ 一σ匡二噂.=
︵14︶ 一σ乙こ℃﹂QQ・
︵15︶ Hげ置二窓・届山①●赤木︑前掲論文︑二六四頁︒
︵16︶ Hげ置二弓﹄・
︵︶ Uoah妻室胃け㌦︑弓冨Ogoω冨oh夢oZ臼甚8け㌣↓おく︒ξき男90跨..2≡碧ω三冨二p巳︵9︶・⑦ミミ塁§導山鵯§導
.&三蕊肺8三マO馬蕊雛︑随ho嬉ミミ翁慧.ピσop日零N・噂℃﹄臨場①●
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イギリス行政哲学の想源(三)
︵聰︶ .︑一﹃ずΦぎ吋件ずOO紳O一﹈﹂﹁⑦<O一楓帥昌 閑O◎Oh一︑︑りOO●O蹄二 唱●刈
︵91︶ 同ぴ一口こ や・一〇・
︵20︶ 園一〇ケ沿﹃傷﹀;Oげ餌ロ目㊤巨⇔βら匂φ図90喉OO昌岱ミ9楓騨↓魯馬b兄掴職ミ曰物ミ出魁ミ︑畿均田︑轟蹟q⇔肉さ︑ミリいO昌侮O口●H㊤QQ9勺︒卜⊃5つ・
︵12︶ 切﹃O竃昌孚Ω昌傷ωけOO一噂OO.0詳二〇・b⊃幽・
︵22︶国巳旨︒膏①≦O︒冨p↓ミO︑§導ミ§奪ミ罫9ミ⑦ミミ聴NN︒︒o∴捻ゆ●い︒註︒づ●お①㎝も・6も︒
︵23︶ 足立︑前掲書︑八一頁︒
︵24︶O冨︒旨睾p巳98昌讐塁.︒や.葺二戸b︒︒︒.
︵52︶ 閑Oσσ瞬け 竃OωOω℃ ︷﹃諏恥 6ご畿 ⑦馬重唱勘偽 曼O鴨鳴臼帖 bロ︑四国御嵩閣⑦帖袋魁鳶勉 馬篭 ミ覧O︑発り肉60蕊Oミ馬ら勃恥隷軋㌧ミミ詩ト黛ミ幽くO一・ピく目u
OO一信ヨσ一麟一qgH︾こ H㊤ド膳り O¢戯﹁
︵%︶ 一σ一αこO覧oo.
︵72︶ OずP娼ヨ価昌9昌臥 Q吋OO昌騨甫薗罵℃O℃︒O二こ も・卜⊃・
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