国 境 紛 争 と 地 図 ( 二 )
東 壽 太 β 良
まえがぎ
幽国際判例における地図の証拠的価値
ω仲裁裁判の判決
②常設国際司法裁判所の勧告的意見 ③国際司法裁判所の判決(以上前号)
二国家慣行にみる国境紛争と地図
三国際法の諸原則と地図の証拠的価値
むすび
二 国 家 慣 行 に み る 国 境 紛 争 と 地 図
前世紀末から今世紀にかけて︑特にラテン・アメリカ諸国において︑国境紛争が数多く発生した︒そして国境問題
は文明世界の殆どすべての国の主たる関心事であり︑国境政策は第一級の実際的重要性をもち︑政治的経済的諸要因
(1)にもまして︑諸国の戦争と平和に深刻な影響をもつものとされた︒特に不充分な法令によって国境を定めていたラテ
ン・アメリカ諸国では︑正確な地理的知識に欠けていたこともあって︑多くの国境紛争を生ずることになったのは必
国境紛争と地図(二)一五
神奈川法学一六
(2)然的な成行きであった︒今世紀に入って︑これら諸国が地理的知識を充分に持つようになり︑植民・貿易活動が未知
の地域に及ぶようになったので︑紛争地域の国境の位置が次第に重要な問題となったのである︒その際に︑このよう
な紛争の解決には︑十九世紀末以来用いられてきた仲裁裁判の方法が用いられ︑多くの重要な紛争の平和的解決に役
(3)立った︒それと共に紛争両当事国の外交交渉︑仲介︑調停などの方法によって紛争が解決されることも多かった︒そ
して両当事国間の仲裁裁判及びそれ以外の平和的解決方法によるこのような紛争の解決にあたって︑地図の証拠的価
(4)値が紛争の対象となることが多かった︒少くとも十九世紀初期までは︑正確な地図を作製する技術に欠け︑基本的な
地理的事実を知ることがでぎなかったので︑国境を示す際に主要な指標となるべき山や川の位置を正確に示すことが
できなかったり︑通常用いられている地名を書き落したり︑誤った名称をしるすことが多かった︒そして︑このよう
な不正確な地図を国境画定条約の基礎として用いることがあったため︑地図の証拠的価値をめぐる紛争両当事国の論
争がたえることがなかったのである︒そのような事態を示す代表的な事件は︑一七八二年に調印されたアメリカとイ
ギリスの間の平和条約をめぐる事件であった︒
この平和条約は国境を規定したものであったが︑一七五五年にイギリス人︑ジョンニこッチェルが作製した地図を
国境規定の基礎として使用した︒条約はアメリカの東部国境を︑ファンディ湾bd四宅oh男自昌身にある河口から︑そ
(5)の源泉に至るサン・クロワ河家く2ωけ.90圃×の中心線に沿って引かれる線から始まるものと規定した︒ところが
ミッチェルの地図によれば︑サン・クロワ河は相当の量の流れなので︑その源泉をカウサキ国o口畏臨と呼ばれる湖
にもち︑紛争当時︑パサマカディ℃器鶏ヨmρ口匙身湾として知られる湾の東端に河口をもつものとされていた︒地図
によれば︑パサマカディ湾の大部分は別の名称を持たず︑ただファンディ湾の一部とされていた︒またこの地図によ
撫 縫 群 雛 編 向籔 難 繕 纏 鷲 蘇就副 纏 潔
コ日スと位置を示しイ︑おらず︑その地域に当竺般にサン・ク・ワとして知られている河はなかった・サン.ク︒ワ
灘 雛 蔽 簾 藩 簾 鯛紫 欝 韓 曇 窟 肪穆 難 繋 轄 鑛 灘 灘 灘 蕪 懸 〆 製 雛 辮
国境紛争と地図(二)
一七
一八神奈川法学
方法と考えてきたのである・このよえ国家の主張の秦︑端的に二小すのは︑鼠取近の中印国境紛争をめくるインド
難 〆 鱗 辮 謝霧 轍 態 鐵 鰍 幽搬 磁俳 繋 嚇 膨毅 岡遡鰹 窯 慰 鱗 捌讐
に主権を主琴る・この東部の地域について︑両国の地図をめぐる紛争が生じたのである.
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}麟 繋 簿 終 纏 .鯉 縫 締 準 ダ ρ隷 難 灘 蕪 鱗
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国境紛争と地図(二)
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一
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れているとみなされるべぎであるとするのであ(23る﹀.マクマホン・ラインはこ九票のシム一フ会議の所肇あるが︑シム一フ条約及びその箪たるマクマホン.一ブインの有効性の問題の帰結如何にかかわらず・轟なことは中禦四五年呈の間︑謬ブインについて黙認してきた事実である.これ呈に明白な黙認の溺はない・したがって中国は現在の時占⁝において当諺ブインに対して有効な否認を唱えることを禁じられる.さらに・シムラ会議の前または後インドにおいて発行された地図は中国の反対をつけなかった.そのホ国自身高じ国境を示す地図を印刷している・.︺れらの蓬の事叢紛争地域におけるインドの主撃中国が黙認したことになり・漿にわたぞ否認を禁じられ
たという主張である︒
第四の問題は地理的条件に関する主張の対立である.中国はマζホン・ラインの南側の線を国境と表す舞.﹂れに対するインドの毒は次の如きものである︒二国を分ける国境の趨的形態について確{疋的な犀法の規則はないとしても︑自然的あるいは地理的国境に學る業的原理は︑社会の難性︑安定性を覆するため・国境がもっとも讐な自然的もしくは地理的形態に藪することを求めており︑歴史的にも・山脈雰水禦特に罪視されている.中国自身隣藷国との国境条約において︑分水嶺線の鑛を採川してきた・山岳地方における自然的国境の画定形態と表の分水嶺線の轟性は︑有力な屡法理論︑諸国の簾の慣行・国際裁判判決などによって認められてきたのである︒
.﹂のように中印国境紛争︑特に蕩に地図に學る両当事国の争点となったマクマホンニフインに學る紛争は・.︺れら蓬の法的正当化の理由の組ム︒せによって議論され︑その最終的表現が地図に関する論争という形をとったものということができる.その意味では︑中印両当謁とも︑地図が国境紛争において華な役割藁す・あるい量
国境紛争と地図(二)二幅
目1市
二二神奈川法学
し得るということを認識していたとしても︑地図がそれ自体有効な証拠的価値を有するものとしていたと結論する.﹂
とは困難な面がある・笙の懇点︑つまりその有効性を争われたシム一フ条約とマクマホン.一ブインの問題も︑条約
と地図が抵触したとき何れを箋させるかというような︑直接に地図の証拠的価値を云々するような問題とは異って︑
条約自体の有効性に地図の有効性が依存せしめられるという問題であった.また歴史的占有及び黙曜めるいは禁星二口
の法理が矯されるが・これは︑国境を定める地図の証拠的価値の有無の問題にかかわりなく生じうる議論であった
ということがでぎる・歴史的占有は地図の存在とかかわりな商題とさむつるし︑また︑もし地図自体にかかる価値
があるとすれば・地図の成立後の当事国の一言動を問題とする必要はないであろうから.地理的条件に関する閥題もそ
の面をもつが・鵜の輩政府の変更という論題になると︑地図をめぐる法理上の弥珊議とい三とは勿論不可能と
雛 ギ 簑 翫 翻饗 踊幽繰 警 麟 錘 綜難 繭
中印国境紛争に関する限り・地図の問題覆数の琶づけの中の;でも苓︑雷づけの蓑現だったとい.兄るカ
らである・それでは・国際判例︑特に躍司法裁判所において︑紛争当事国と裁判所が地図を援川し︑それを止円定的
あるいは否鵠に評価したといわれるとき︑地図は﹁理由づけの蓑現﹂以上の独立の法的証拠としての意義を認め
られるという傾票あることを示すものというべぎであろうか.ふたたび判例をちか.兄り︑地図操の証拠的価値
に関して理論的考察を試みる︒
(‑ )私 縫 琶 繭 諺 b.餌 フ亮 竣 難 難 .雛 縫 の蠣 ︾馨 鋸 奪
を左右する剃刀の刃である﹂として︑今世紀における国境問題の重要性を指摘する︒へ2)前記≦︒︒一︑.寓の紹介する一フ一アン・アぢヵ諸国における紛争で︑仲裁裁判にかけられたものだけでもこ︒姦える・(3)一九三︒年頃か歯籍争の警減少しはじめたが︑その過程においては︑多‑の屡的暴・饗・戦争を生ぜざるを得なかった.しかし﹁禦が霜的手段によって︑しばし藩足すべ繕果を生じたという妻は・残朶解決の国境の処理方法に有益な示唆を与える﹂︒芝︒駐2窪二'ω鐸(4)地図の証拠的繧がもっとも大叢論争の対象とされたのは︑後述のサン・ク・ワ河の位置に関するアメリカとイギリスの事件で︑ζ︒︒噌︒・囲コ斤ΦNロm鉱︒コm;&¢α曇舞く・ど﹄・の中に両当事国の嚢・裁判所の判断姦+箇所にわたぞ採録されている︒
(5)竃§Φ﹂匿二益﹂一ミ.雪ω・
(6)竃8β剛蓬二葦﹂Mp9
(7).あような当時の児蟹︑既に天世紀に(一七五〇1互)u貿§︒コ︒§剛軽gド夏ω︒2︒く︒.︒・8梓ぎ畦貯量におけるイギリス代表の覚壼悶以来のもので︑イギリスはこれをOき銭甲Z①≦ざ§巳き飢切o§魯蔓∪同ω℃9①ぎ昏Φビ山げ鑓飢自℃①障㍊コ・︒自一・Ωで引用し︑再ぴサン・クロワ河裁判でも欝した..︑すξ・⁝邑塁膏暴賃§;Φ量く6の蓼国く罷§Φ・︒Φ︒・,﹃Φ喜Φ村ω︒津㊥三畳蚕儒︒毒ξ︒三§﹃鍾︒・§窒§喜鷺ゴΦ≦ω露Φ︒.︒h︒昌g彗①噌・帥⁝hり昏Φωロ民くΦ︽ωげ①︒︒﹃﹃Φ︒け喜Φ竃p℃・︒露Φコぎ葺雪喜︒.昏Φ累§重︒三ゴΦ幕翼圏ー3︒塁量冨ωぎ︒'‑岱︒コ︒二ω一の詳儀・︒⇔鵠島︒≦嵩・︒しロ含Φ︒︒毒︒h穿①誘二Φ;:Φ<ΦこΦけΦ量三ぴ二器.3↓Φ§﹁ざを曇瓢Φ︒Φ訂§甑H①ぞ鶴℃︒コ・︒=蝕︒=賦︒勺﹃︒︒ごコ宅塁・・葺葺︒・・ωφ・ξ8垂量ぽξ.・.・ぎ=壽Φ喜駐8ゆq剛く①誓Φヨ帥昭≦Φ置算≦︒二暮①鼻Φヨ・︒Φ剛く①・励きΦ琴望釜6ρ罠ぎΦ冨︒曇;げ{§∩Φαぎu凶︒・畏Φ︒;剛ω翼きHΦ﹂コ乱︒三げΦ鐸募︒h国琶§・・器︒︒瞥§︑鳥㍉︑竃§登山こく︒;ら・卜・8(8)ξα①忌働℃ω⇔ω国く置︒コ8三羅曇︒邑じ︒8コ量6葺星と・岸のヒ超葦無pω其(9)中印国籍争におり⇔両国の主張は︑当時のインド葛→ルと中国外駕恩来の多数の覚書の交換の形式によって明らかにされた.それらはインド政府が冗五九年以来︑Z︒冨罫萎・・§竃訂一壽Φ×︒曇ひqΦ3邑ξΦΦヨ①三.・惹a
国境紛争と地図(二)二三
神奈川法学二四
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箒ゆ︒巨婁O露曇︒P岡Φげ﹄窪という箋﹂発表と︑来た.筆者竺九六〇年に芝耳︒勺四℃Φ門岡・を外務省ア︒ンア局中
国課のために翻訳したが︑その後これら善料を入手検討す︒機会がなかった2︑︑本稿におい!︑は︑望帥.B麟る崔﹃︽帥℃.甲
↓ゴΦぎ島卑〇三き切霞号同∪同︒︒℃暮︒一﹀コぎ島置コ勺卑︒・℃Φ︒牙ρ﹀'}ピピ.一霧ρ<︒ピ㎝P薯・属ムご老Φ一ωωσΦ﹁αq・O︒①三①﹃・
膏義国蓉§三§﹃重・琶じd︒甕越要℃三・曾﹀閃§暑葺﹀・﹂真ち$く︒=刈≒尋・..ω等から引
用を借用する場合が多くなった.原﹁審﹂にあたらないために生ず⇔かもしれない不備をおそれ・⇔が︑引用にあたっては
煩雑を避けるため︑壽冨智角團﹄︒勇①℃︒門けに統一する︒
(⑳)それ以誹続的に塞していた国境における饗事件は︑一九六二年一・月に轟が西ρフダク地区から東のチベット南
東地域にわたるインド北部国境に全面的軍事行動を開始するに及髪︑新た藁張を宅たが︑一九六三年以来現在竺応の
平静を回復した.しかし両国の主張は対立したま峯︑︑国境紛争は森決の状態にある︒
(11)均藁Φ霊℃Φ二樽℃・窃メ
(12)<〜三9勺m℃㊤目堵P節ρ
(13)≦三9℃弾℃興目ΨO・ωO・
(14)肉ΦOO﹃ごP一①bo.
(15)ぎ置こPbQαρbQαbっ・
(16)ωげ母ヨ9の'oP9仲こP一P
(17)を窪需℃昌興罫署.雪ム一甲目押℃P⑩†鴇・
(18)幻Φ℃OHr層℃.一一〇1質㎝・
(P)差覧舞Hご℃.N㊤き葺畢ま①.このシムラ条約の効力についイ﹂は︑インドの主張巖格な鐘論からみる
と正当化しえないように思われる︒入江教授は﹁中印紛争と国際法﹂の虫︑︑﹁笙に中国は︑同条約(・.,ごフ条約)に署
名しなかったのであるから︑これに拘束されるものではない︒第二にチベッよイギリスの璽毒は︑これ暑名(イギリ
劇糊㎜ ㎝闇㎜ 哨踊困1
闇曲 幽 国㎜L燭幽燗.■【1『…融]一.四閂
ス全権は再び略薯名)し︑かつ調印した外︑別に嘉宣蓼行って︑チペッ良ぴイぎスに関する限り・条約が義務的効力あるとしたのであるが条約の規定内容は︑大部分中国が締碧である場合に︑初めて実響能なものである・殊に中国の領域に関して︑その宗毒に服していたチベッーが︑繊に外国と境界を画定し得るものではなかった・そのような笙
猛 覆 鱗 藻 麟 喧 鍵 醇 雛 緊 緯 簸 雛 鑑 暴 も藤 漿 菊
.一フインは︑条約論からす⇔限り︑誇拘束力はな,︑︑有効に中国を拘束するものではない・けれい"もそれは両条約を基礎とするインドの主張は支憤︑窪いとぢまでであって︑その反対として︑国境に関する中国の素が・当然に正当だと
け 薦 謹 抽嘱 莞 触 嬬 綻 鐸 警 誕 難 該 鑑 胡 川 ↑ 給 . な お︑ 同 童.六 テ
(響インド歯際先例としげ︑援用するのは︑バルマス島事件や常設国讐法裁判所及び国際司法薪所の判例であり・これらは何れも占有の要件についイ︑︑藩に応じイ︑それが緩和されうるこ妄認めている・例えば・バルマス島濠において・マックス.ヒューバーは占有は平穏かつ継続的な焉の崇に吉証明されるもので︑墜の型態をとることがあると述べた・
詳 権蘇 聴 議 雛 概 .鍾 点喉 錘 擦 お環 .謙 匙 羅 ξ ・輔 墨 鵬 瀦 鞍 灘 蜘惣薦 麟 臨驚 禁 欝 譜 轍 囎
け加えてビ⇔."︒と・ωΦ噌陣Φω﹀\︒︒﹄︒﹄る餐壽)・屡裂裁判所も︑マン主三クル藷島事件において・裁判所は効果的な占有を確立す.Φにあたってそ塾てれの蔑の性蓼蓋に入れることがでぎるとする護姦馨齋した.一.︒.}.︑図Φ℃︒噌仲︑㎝・.・刈・︒・︒・.‑︒Φ(這・ηω)向じよ‑に︑国雛区の主権に関する俸においても・裁判所はベルギーが紛争畿においイ︑その幾に必要刃}され・⇔主権を券行使し奈ったことに大ぎなウ才壱おいていたのである・すなわち裁判所によれば︑﹁オ一プリ︑クが捲した諸行為に︑いかなる重ゑ家れるべきかは︑混入する㊥§︿Φ.・の複讐製の国境紛争と地図(二)二五
……罰 一
」圃爾旧「削榊
神奈川法学三ハ
適用を背景として決定されなければならない︒これらの二つの地区は︑オ一フンダの領走よってとりまかれていたから︑そ
の地区に対する侵入の発見︑またそこでの主権行使において︑ベルギが直面した困難は明日である.援用された行為は︑
大部分・地召吏により遂行された︑日常的・行政的讐をもつものであり︑しかも︑国境条約に反して︑オ一フンダにより︑ベルギーの主権をその測量図に・係論区が掲げられたことの輩である︒それらの行為は︑国境条約により確妾れた︑
おしのけるには不充分である﹂︒H.O︑}二肉Φ℃o門ごお㎝Pづ℃.旨刈‑b︒卜︒P
(21)を三仲Φ℃田需ゴ一一一・Qo㎝ーΦQ◎・
(22)Qり冨畦ヨ斜oPo一梓二づ℃・ω一1ω①参照︒
(23)一げ乙こPGQ刈・
(42)ヵ①艮忌﹄刈と.・'中国はシムラ会議の所産とされるシム一フ条約︑茅︑の内容た.︒マグマホ︾..一ブイン豊剛述(醤)の
如く否認するので︑こうしたインド側の主張と正面から争わない︒
(52)﹁たまたまそこに分水禦あるからといって︑それを中園境としげ︑描邑とによって︑中国から九万平方キロの領土を
うばうことほど・支持しえない議論がこの世にはたしてありうるであろうか﹂︒多騨Φ唱・︒℃Φ憎﹄ξ・①Pマグマホン.一ブ
インが大体において分水嶺線に沿ぞいるので︑当該ラインを否認する中国はこのよ.つに主張する︒
(26)≦三汁①勺四需さ一一超℃・QOρ
三 国 際 法 の 諸 原 則 と 地 図 の 証 拠 的 価 値
このようにして国際裁判や国境紛争の際の諸国の主張をみてみると︑現在でも地図の証拠としての価値がとりあげ
られる場合があることを知ることがでぎる.しかし︑そのような諸国の主張が︑当然に地図に証拠的価値があるとす
る国際法原則の存在にもとつくものかどうかはさらに検討を必要とする︒中印国境紛争の検討はまさにその一例であ
った・また国際裁判の判決も直接的に地図の証拠的価値だけにもとついて国境を決定したものは誉︑単純に証拠的 陣艸
価値の転換を結論することは問題となる︒ここで国際司法裁判所の判例を中心に再検討を試みよう.
マンキエ・エクルオ島事件においては︑一九世紀にその帰属問題をめぐる紛争中に︑フランス側が作っていた︑イ
(1)ギリスに有利な海図が︑イギリスの勝訴に重要な意昧をもつと判断する見方は可能であろう︒また両当事国がその主
張を裏付けるために多数の非公式な第三国の地図を援用し︑カルネイロ判算だけが明白に地図の証拠的価値を否認し
(2)たことは事実である︒しかし両当事国は古来乃至固有の権原︑または実効的占有による権原に基づく主権の享有を主
張したのであり︑地図はその証明のための手段以上のものではなかった︒双方がそれぞれ自国の主張を証明すること
ができる地図を援用するから︑地図については常に見解が対立する︒判決がある一枚の地図を選択して︑それを正し
い結論とする場合︑その結論を導ぎ出すべぎ根拠は多数の地図ではなくて︑実際は地図以外の根拠この場合には
領土権原や占有による権原なのである︒本件における当事国は︑後者を証明しようとして地図を援用したが︑当事国
の努力にもかかわらず︑判決は地図そのものについては何等判断・評価は行わなかった︒裁判所は︑﹁主権について
(3)相対立する主張の相対的な力を評価するよう要請され﹂︑イギリスのより強い実効的権原の存在を認めた︒そしてそ
の結果が問題の海図と一致したにすぎないのである︒本件のように多数の地図が問題となるとき︑つまり主権の競合
が争われているとぎ︑ある特定の地図が重要な証拠となるのではないので︑したがって地図の証拠的価値自体問題と
ならないというべきであろう︒
国境地区の主権に関する事件では︑ペルギー軍事地図が︑係争地図がベルギーに属するという見解を支持するにあ
(4)たって︑相当のウエイトを与えられたとされる︒たしかにある意味で︑条約の内容とされながら︑条約の規定と一致
しなかった国境委員会の地図が︑条約規定に優位することを示すような結果であったので︑このような推論もあり得
国境紛争と地図(二)二七
神奈川法学二八
る︒その意肇は地図の証拠的価値を論議するのにもっとも適当な事件であるということがでぎ魔・ところが・判
決は結果的にはたしかに国境委員会の地図の優位を認めることになったが︑その理由としては︑条約と地図の優位関
係の判断ではなく︑条約と一枚の地図が同一の法的効力をもつものとして︑いわば条約規定の一つの解釈が地図であ
るという立場がとられている︒両当事国の国境画定の意志は国境条約に表われており︑その国境条約の授権下に作ら
れた地図は条約の両当事国の意思であるというわけである︒この場合には条約と地図は何等抵触していないわけで︑
地図の証拠的価値の問題は実際には取り上げられない情況であるといわなければならないであろう︒地図が証拠とな
って国境が決定されるのではなくて︑地図を通じて当事国の条約上の意思の推定が行われたのである︒しかし︑マン
キエ.エクルオ島事件に比較すれば︑条約解釈という枠の中ではあるが︑国境紛争における地図の意義がかなり明白
にされたということはできる︒
プレア・ビヘア寺院事件では︑タイが地図の国境線を承認したことはなかったと主張することを禁じられるという
結論を確認するための拠りどころが︑問題の地図におかれたとされてい薪四
本件では︑地図と国境条約との関係は︑国境地区の主権に関する事件におけるほど明確でなかった︒それでも裁判
所は︑条約規定にしたがって国境を画定する任務を与えられた合同委員会が準備した地図について︑条約の定義と地
図との間に矛盾があるときは地図の証拠的価値を限定しなければならないとするタイの立場を否定することによって・
き 地図をあたかも条約の一部として取扱った︒タイは誤謬のある地図を画定作業の結果を示すものとして承認し︑採用
し︑受諾しあるいは黙認したのであり︑したがってタイ自身その有効性を争うことを禁じられることになったという
理由で︑その結論を引き出したのであった︒地図に対する承認は︑広範に地図が配布されたことやダムロン殿下の承
認などの事実の結果として︑すでに一九〇八年にあたえられていた︒そしてすでに述べたようなその後の運の事実が既に存在と︑︑いた原初的承認・書器・︒8§8を確認させることにな驚α)このことよりさらに注目されるのは︑国際司法裁判所の考︑秀︑つまり国境の難性︑安定性の利益のために︑条約の文言と相違する未署名の地図が
条魏鰯間題として条約妻に燈するとするも(01,0)であるが︑この点では︑これまでの国際判例と違った燈が注
目さ零.
.﹂うしイ︑みてくると︑プレア.ビヘァ寺院事件は国境事件の判旨を引継いで︑条約とその条約規定と抵触する地図の関係について蚕し(駆麹を貫いているかにみ・える.しかしながら︑寺院事件における判決理由は地図操に法的拘束力がない.﹂とを認め︑問題の地図を条約締結後の別の機会にタイが承認したか否かという点で判断を下している・.﹂の意肇は条約と地図の関係は︑国境事件に比較するとむしろ無に近いと言 べきである・そして地図をタイが承認したか否かを判謬る決定的基準として用いられたのは︑タイの黙示的承認︑あるいは判決は明示しなかったが・禁婆口の法理であった.本件の場ム︒はマンキエ・エクルオ諸島事件とは異り︑紛争対象たるべき地図竺枚であった
が︑真の争点は両当事国の領圭権の相対的な力の評価とい三面をもつ︒そしてその地図自体の証拠能力は・せいぜいこのよう嶺域権確認の法理の適用の場を提供するー基準となる禁まったく存在しない揚合もあるが・存在すれば国境線の決定の困讐が除去されるー役割藁すという程度以上のものとは考えられないのである・
国際判例について︑.あさつな検討を行ってみると︑現在地図の証拠的価値の転換を結論づけるこ峨榔困難であるといわなければならない︒
そ桑︑は︑地図はそれ自体の性質から︑そもそも領土的請求における証拠としての価値を帯びえないものといわな
国境紛争と地図(二)二九
三〇 あ
ければならないのであろうか.伝統的国際法が領域問題の重要性にも拘らず地図に関する法窺則をもたなかったの
は・技術的見地からみてやむをえないことであったといえる.しかし︑単に国境地域における何らかの糧によそ︑
あるいは時に分水嶺線・タルヴェLクの法理等によってのみ国境を定め得た時代ではなくて︑応の地図を基礎に国
境を画定する時代においては︑やはり地図に一定の役割を認めなければならない.地図というものの讐とその国際
法的役割が両立しないものならば︑条約において地図を荒することはなかったであろ・つし︑地図に法的役割がなけ
れば︑条約と地図の抵触という問題も生じ得ない筈だからである︒
ここにあらためて地図自体の性質を考察しておく必要があろう︒地図が果す機能について︑かつてハイドは次のよ
うに ばな を ったむ
﹁必要とされる地理的デ多をもつ地図作製者が物理的地理的状況と同時に︑政治的地理‑由境.領土11を示
す地図を作製する時・その信頼性は作馨が地図を作るにあたってもつべき公平さに依存する.二国間の紛争対象と
なった地域の地図を作るときに︑作製者がその紛争に対して中立的であり︑畠の主張を強めるような性向がないと
ぎはじめて信頼性が覆される・ところが︑地図作製者は︑多くの場禽分自身の国籍の属する特定の国家がその領
域であると主張するその主張が正しいかどうかに関係なく︑あるいはまた承認された国境の位置より︑むしろ請求の
範囲を記す地繁記入させる目的で雇傭されることさ・えある.そこである国家が強い領土的要求をもつ場A︒には︑長
年の間に地図上の国境線が徐々に変化してしまう.﹂ともあり・‑る.条約が国境嘘張したり︑修正したりする.︺とは︑
なかったにもかかわらず・地図上の記述は以前の地図と異ってしまうことがある.しかも.あような変化した地図も
国境紛争が長びく問には︑前に合理的あるいは満足すべきものとされていた国糠とは異る国境線董要な存在とし
閥酬 一 叫h巾旧u閉1