H平 城京の調査
¨
第
25図昭和
60年度平城京内発掘調査地点図
―‑ 62 ‑‐
昭和60年 度 平城京 内発掘調査地一覧
調査次数 調 査 地 面積(■ 調 査 期 間 備 考 発掘担当者
爾 頁
164‑ 6
164‑22
164‑12
164‑11
※
164‑8
※ 166
※ 164‑25
※ 164‑28
164‑ 7
164‑30
※ 164‑ 5
※ 164‑16
168
※ 164‑10
※ 164‑19
※
164‑4
※ 164‑ 3
※ 164‑23
※ 164‑15
※ 164‑27
164‑24
164‑14
次数外
※次数外
※ 164‑ 2
左京一条二坊(木取山古墳 左京一条三坊三坪 左京二条三坊六坪 左京四条二坊三坪 左京四条四坊八坪 左京九条三坊十坪 左京二条六坊十一 。
十三坪 右京一条二坊一坪 右京一条二坊八坪 右京一条二坊八坪 右京一条北辺四坊五坪 右京六条二坊・六条大路 右京八条一坊十三・
十四坪 右京八条一坊十三坪 東大寺旧境内 東大寺西面大垣 興福寺旧境内 法華寺旧境内
海竜工寺北辺 海竜王寺北辺 西大寺境内 唐招提寺東門 秋篠寺境内
法華寺町地蔵前■
30‑1
法華寺町1248 法華寺町189, 191‑3 四条大路1丁目8‑3
三条宮前町 東九条町418‑1他
北魚屋西町 佐紀町9‑1
佐紀町1‑1
佐紀町3‑2他
西大寺赤田町1丁目835‑イ也 西の京町 390
大和郡山市九条町 132他 大和郡山市東奈良□町 雑司町字横町 176 今小路町52‑1 東向中町
5‑2
法華寺中町633 法幸寺中町 648法華寺町1210 法華寺北町
905‑1
西大寺町2585 五条町29秋篠矢部内
755‑3他
32
27
180 480 150 2300 600 40
75
90
10
′ 13
5600 72
12 6 15
16
45
11
10 22 5 25
140 13
30
85 7
ユー7 5
86 2 3‑ 2 5
85 9 26‑10 18
85 8 20‑ 8 29 85 7 16‑ 7 22
85 4 22‑ 7 25 86 2 17‑ 3 6
86 2 28‑ 3 4 85 7 6‑ 7 10
86 3 17‑ 3 20 85 6 27
35 11 11‑11 13 85 7 10‑
86 1 27 85 8 19‑ 8 22 86 1 20 85 6 6‑6 11
85 415‑417
85 2 6 85 10 7‑10 8
86 2 24‑ 2 25
86 2 12‑ 2 13
85 10 1‑10 20 85, 9 13‑9 21 85 12 3‑12 4 85 4 9
内山重昭宅 塚本奈良次郎宅
トヨタビスタ スリーエムホテル 白藤学園 菱食 奈良女子大学 山崎清宅 城田茂宅 西里安一宅 河辺産業 山本義一宅 大和郡山市 奈良県 秋 田信雄宅 芋川隆行宅 橋本弘宅 本田ヤエ宅 極楽寺
塚本健司宅 塚本強志宅 西大寺防災工事 唐招提寺 秋篠寺
山本
忠尚 宮本長二郎 上野
邦一 山岸
常人 松村
恵司 田辺
征夫 金子
裕之 寺崎
保広 山岸
常人 寺崎
保広 毛利光俊彦 綾村
宏 千 田
剛道 杉山
洋 千 田
剛道 金子
裕之 松本
修 自 毛利光俊彦 宮本長二郎 工楽
善通 宮本長二郎 宮本長二郎 工楽
善通 山岸
常人 巽
淳一郎 松本
修 自
64
65
66
67
※ は本 文 に収 録せ ず 。巻末「 その他 の発掘調査一覧 」参 照。
―‑ 63 ‑―
左京一 条二坊 (木 取 山古墳 )の 調 査
第164‑6次
民 家建 設 に伴 な う事 前 調 査 で あ る。 木 取 山 古 墳 関 係 の調 査 と して は、 昭 和 56年 度 の 第
131‑8次
調 査 以 来 、6回
目 に あ た る (『 昭 和56・ 57・
58年 概 報 』)。想 定 され る墳 丘 前 方部 の 西 辺 部 と南 西 隅部 に お いて 、 各
1箇
所 づ つ 小 規 模 な 東 西 トレンチ を設 けて調 査 した。 北 トレ ンチ で は、 耕 土 直 下 が 平 坦 な地 山 で あ り、電 柱 の掘 形 以 外 に はなん らの遺 構 もな く、 この 地 点 が 墳 丘 上 に あ た る こ とを確 認 した に とどま る。南 トレ ンチで は、 耕 土・ 床 上 の下 に近 世 の遺 物 を含 む暗 褐 色 砂 質 土層 が あ る。 そ の下 は淡 灰 褐 色 混 礫 粘 質 土 層 で、 瓦 片・ 埴 輪 片 を おゝくむ 。 現 地 表下 約
lmま
で 掘 り進 み、 ほぼ 中 央 付 近 で 西 へ 下 る段 を検 出 した。 東 側 の 高 ま り は地 山 と同質 の土 だが や や 軟 らか い た め、 墳 丘 を削 って 濠 を埋 め た奈 良 時 代 の整出ド拘
「
W I‖ │ ‖ K
木取山古墳発掘遺構図
(1:2000)地 上 の 可 能 性 が 強 い。 段 の 西 側 に は暗灰 色 砂 質 土 が 堆 積 す るが 、 こ れ は後 世 の 撹 乱 で あ ろ う。 そ の 下 に は地 山上 に暗褐 色 粘 土 が
10cm強
堆 積 して お り、 周 濠 内 と考 え られ た。 地 山上 面 に は掌 大 の 石 が 数 個 散 布 して お り、 葺 石 が 転 落 した も の とお もわ れ る。
以 上 の 結 果 は、 昭 和 58年 度 の 第
151‑28次
調 査 後 に 作 成 した 墳 丘 お よ び周 濠 の復 原 案 と矛 盾 す る ところ は な い。 但 し検 出 した部 分 は いず れ も底 に近 い部 分 で あ り、 元 の墳形 はひ と回 り小 さい規模 で あ っ た ろ う。 な お、 京 条 坊 等 に 関 す る 遺 構 は全 く認 め られ な か った 。
100m̲̲=
―‑ 64 ‑―
2 左京一 条 三坊 三坪 の調査
第164‑22次
住 宅 新 築 に伴 な う事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 の上 層 は 耕 作 土・ 床 土・ 茶 褐 色 土 (遺 物 包含 層
)・
灰 褐 色 砂質 土 (整 地 層)・
粘 土 地 山 で 、耕 作 土 面 下 約45cmの
整 地 層 上 に上 層 の 、 地 山 面 上 に 下 層 の 遺 構 を 検 出 した 。 遺 構 は 、 下 層 は 規 模 は わ か らな いが4棟
の掘立 柱 建 物 と思 わ れ る柱 穴 群 を検 出 した。 上 層 は南 北 溝 (幅15m、
深 さ0.6m)と
、 これ に流 入す る東 西小溝 で あ る。この坪 内で は整地 地業 を伴 な う敷 地 区 画 の変 更 が 認 め られ る。 下 層 の建 物 は少 な くと も
2回
の建替 が あ る。 下 層 の 柱 掘 形 の残 存 す る深 さは浅 い た め に、 上 層 の 整 地 に際 して は、切 土 を と もな うか な り大 掛 りな造 成 が 行 な わ れ た ら し く、 平 城 京 造 営 にか か わ る工事 で あ った可 能 性 が 大 き い。 上 層 で は敷 地 内 を分 割 す る溝 を 設 けて宅 地 を小 区画 化 した もの と思 わ れ る。出土遺物 は平城 宮 土器 編 年
I〜
■の上 器 が 多 く、 大 きな 柱 掘 形 埋 土 か らは平 城 宮土器 編 年Iの
上器 が 出土 して い る。したが って この調 査 区 の遺 構 の年 代 は、 宮 以前 か ら平城 宮 初期 にか けて の期 間 に限 定 され る。
第
27図左京一条三坊三坪発掘遺構図
―‑ 65 ‑一
3 左 京二 条三坊六坪 の調査
第164‑12次
店 舗 建 設 に伴 う事 前 調 査 で あ る。 周 辺 で は左 京 二 条 三 坊 三 坪
(156‑18次
『 昭 和59年概 報 』)の
調 査 が あ り、 三 坪 と四坪 の 坪 境 小 路 北 側 溝 や 建 物7棟
を検 出 した。今 回 の調 査 地 は三 坪 の 東 隣 の 坪 に あ た り、 坪 の 利 用 状 況 を知 る手 掛 か りや 三 坪 と四坪 の 坪 境 小 路 北 側 溝 の検 出 を め ざ して 東 西
12m南
北35mの
調 査 区 を 設 定 し た。 旧耕 上 の上 に約2mの
造 成 した上 が 厚 く、 遺 構 検 出面 積 は東 西6m南
北30m
の 約
180rで
あ る。 耕 土 か ら下 の 層 位 は耕 土・ 床 土・ 灰 褐 色 粘 質 土・ 茶 褐 色 砂・灰色 粘土・ 暗 褐色 上 の順 で あ る。 遺 構 面 は暗 褐 色 土 層 上 面 で あ る。 検 出 した奈 良 時代 の遺 構 は掘 立 柱建物
7棟
の一 部 、 掘 立 柱 塀1条
、 井 戸1基
で あ る。 建 物 は い ず れ も東 西 棟 と考 え られ る。柱掘 方 が50〜 60cm、 柱 間 寸 法 が7尺
〜8尺
で あ る点 は京 内 の掘 立 柱 建 物 の様 相 と一 致 す る。SB07の
北 側 柱 で 西 か ら3つ
目 に は 、 須恵 器 が ま と ま って埋 ま って い た。 井 戸
SE01は
隅 に柱 を 立 て る構 造 で あ る こ と を 確 認 したが縦 板 か横 板 か は不 明 で あ る。 井 戸 埋 土 か ら奈 良 時 代 後 半 の 上 器 が 出土 し、墨書 土器 「 天 」 が1点
出土 して い る。 遺 構 面 の 暗 褐 色 土 は発 掘 区 南 端 で は砂 層 に変 わ り、 この砂層 は北 西 か ら南 東 に斜 行 す る よ うで 、 旧河 川 と思 わ れ る。出土遺物 の な か に、三 彩 軒 丸 瓦
1点
、 硯 脚 部2点
、 土 馬1点
が あ る。 三 彩 軒 丸ヽ は、 中房 を 欠 く下 半 分 で単 弁 八 弁 と考 え られ 、 新 型 式 で あ る。 弁 の一 部 に褐 釉 、 瓦 当 下 部 側 面 に緑 色・ 褐 色 。白色 の釉 を交 互 に 配 す る 。
―,4S1850 141880
左京二条三坊六坪発掘遺構図
(1:300)第28図
三彩軒 丸瓦
(1:4)
―‑ 66 ‑一
左京 四条二坊 三坪 の調 査
第164‑11次
ホ テ ル建 設 に伴 な う事 前 調 査 で あ る。 当核 地 の 北 隣 の敷 地 は第
141‑31次
調 査 (『昭和 57年 概 報』)に
よ って 掘 立 柱 建 物9棟
他 が 検 出 され 、 奈 良 時 代 の 一 時 期 には コ字 形 に正殿・ 脇 殿 を配 す る宅 地 で あ った と推 定 され て い る。今 回 の調 査 区 に は旧水 田面 上 に約
1.5mの
深 さで 盛 上 が な され て い る。 旧 水 田耕 土・ 床土 を取 り除 くと、 黄 灰 色 粘 質 上 の地 山面 に営 ま れ た遺 構 が検 出 され る。 検 出 した遺 構 は掘 立 柱 建 物4棟
、 溝2条
で あ る。SD06は
発 掘 区西 部 を 北 東 か ら南 西 にや や蛇 行 しなが ら流 れ る流 路 で 、 灰 褐 色 の 砂 が 流 路 内 に堆 積 して い る。 埋 土 中 に6世
紀 の 上 器 が 含 まれ 、 平 城 京 造 営 以 前 の流 路 で 、 第141‑31次
調 査 で 検 出 したSD03の
下 流 に あ た る と考 え られ る。SB01は
桁 行2間
、 異 間2間
で 、 柱 間 が桁行1.95m(6.5尺
)、 果 間1.8m(6尺 )と
な る。棟 が北 で30度余 り西へ 振 れ て い る。平城 京造 営 以前 の遺 構 で あ ろ うか 。SB03は
柱 間2.4m(8尺 )で 2間
分 の 掘 立 柱列 で あ る。南 北 棟建物 の南妻 と考 え られ る。SB04は
南 北 に並 ぶ3列
の掘 立 柱 列 で あ る。東列 と中央列 は2.lm(7尺
)、 中央列 と西列 は3.6m(12尺 )の
間隔 が あ り、東 に庇 のつ く南北棟 の建物 と考え られ る。桁行 柱 間 は
2.4m(8尺
)、4間
以上 あ る。SB05は
柱 間2.7m(9尺 )で 4間
分 の掘 立柱 列 で あ る。 四 面 庇 又 は二 面 庇 の 南 北 棟 建物 の南 妻 と考 え られ る。SB07は
柱 間2.lm(7尺 )で 2間
分 の掘 立 柱 列 で あ る。柱掘形 は一 辺
1.Omあ
り発 掘 区内で は最 も大 きい。建物 の東 南端 部 分 と考 え られ る。以上 の他 に掘 立 柱 掘形・ 南北溝 が あ る。主 な遺構 の年 代 や前 後 関係 の決 め 手 は な い が 、 発 掘 区 内 か ら
8世
紀 代 の 上 器 が 出 上 して お り、SB01・ SD 06以
外 は 奈 良 時 代 の遺構 と考 え られ る。 出土 遺 物 は奈 良 時 代 及 び 中・ 近 世 の上 器 が 少 量 で あ る。│:79401 sB。
5
女
‑5m l
碧 9鋭 伊
第
30図左京四条二坊三坪発掘遺構図
―‑ 67 ‑―
5 右京一 条二坊 八坪 の調 査
I 第164‑7次
事 務 所 建 設 に伴 な う事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 は 置 す る。 周 辺 で は 第
103‑7次 (『
昭 和 52年 概:78』 )、 第
112‑8次
(『 昭 和 53年 概 報 』)等
の3京一 条 二 坊 の坪境 小路 、 坪 内 の建 物 配 置 等 が 明 ら 今 回 の発 掘 区 は秋 篠 川 右 岸 の 道 路 沿 いで、
lm
耕 土・ 床 上 を取 り除 くと遺 物 包 含 層 に至 るが、 灰 地 山面 は発 掘 区北端 及 び西 端 で 床 土 直 下 に検 出 さ 地 山 は下 って ゆ く。東 西発 掘 区部 分 は深 さ
70cm程
か に中 。近 世 の上器・ 陶磁 器 片 を合 み 、近世 の撹Eた土壊
SK01は
地 山面 上 に営 ま れ 、 北 半 部 に奈 良 辟K01か
らは5世
紀代 の土 師器 小形 丸底壺 、小 形二重 小壷 は土壊 底 部 に倒立 して置 か れ 、SK01は
何 らか位 19
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0 10Cm 第
32図小形二重 □縁壷 (1'3)一
│
44975
‑144980
1 0 5m
―19310
第
33図右京一条二坊八坪発掘遺構図
I│
―
19300
( 1 : 200)
詞
謹 勒
ヽ
(数 字 は 調 査 次 数 1:4000)
―‑ 68 ‑―
4985
6 右京一 条二坊 八坪 の調査 Ⅱ
第164‑30次
駐 車場 造成 に伴 な う事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 は右 京 一 条 二 坊 八 坪 の東 南 部 に位 置す る。調 査 区 の層 序 は、上 か ら盛 土 (約
40 cm)・
耕 土(約 30 cm)・
床 土・ 遺 物 包 含層 とな り、現 地 表下 約90〜100cmで
遺構 面 に いた る。検 出 した主 な遺 構 は、 南 北 溝
2条
、 東 西 溝1条
、 竪 穴 住 居 跡1棟
で あ る。 この うち南北溝SD01は
幅5.Om、 深 さ0.5mを
測 り、 溝 幅 が 広 い わ りに浅 い。 ほ ぼ 南 北 方 向 を指 して流 れ 、溝底 か らは少 量 の瓦片 が 出土 して い るか ら、奈 良 時代 な い し、そ れ 以 降 の もの で あ る。 昭 和
53年
の 第112‑8次
調 査 に よ る と、 本 調 査 区 南 方 で 二 坪・ 七坪 の坪境 小路 の両側溝 を確 認 して い るが、 その坪境 小路 を北へ延 長 して 、 一 坪・ 八 坪 の 坪 境 小 路 を推 定 す る と、 そ の 西 側 溝 が今 回 のSD01の
東 約10mに
位 置す る ことに な る。 したが ってSD01は
坪境 小路 の側 溝 等 で はな い と考 え る。調 査 区 西 北 端 で検 出 した竪 穴 住 居 跡
SB04は
平 面 規 模 は 明 らか に しえ な い が 、 深 さは約50cmあ
る。埋 土 上層 に は土 師器 が 多量 に含 ま れ て お り、 その量 は整 理 箱 10箱 にの ぼ る。 土 師器 の 年 代 か ら、 この竪 穴 住 居 跡 は5世
紀 初 頭 頃 の もの と推 定 で き る。 他 の2条
の溝(SD02・ 03)は
、 出土 遺 物 等 か ら考 え て や は り古 墳 時 代 に遡 る もの と思 われ る。I
第
34図右京∵条二坊八坪発掘遺構図 Ⅱ
女
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〇
SD02
0
―‑ 69 ‑―
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― ― ― ― 十
司ド ー ー ー
ln7 右京八条一 坊十三坪・ 十 四坪 の調 査
第168次
本調 査 は大 和郡 山市北 部 清 掃 工 場 の周 辺 整 備 事 業 に伴 な う事 前 調 査 で あ る。 周 辺 で は、 1983年 に十 一 坪 で 第 149次 調 査 (『 平 城 京 右 京 八 条 一 坊 十 一 坪 』1984) が 、 1984年 に は十 四 坪 で 、 第
156‑32次
調 査 (『 昭 和 59年 概 報 』)と
大 和 郡 山 市 教育 委員 会 に よ る調 査 が 行 な わ れ て い る。 今 回 は十 二 坪 の 北 西 か ら十 四坪 南 西 に か けて の部 分 を2回
にわ けて調 査 した。調 査 地 の標準 的 な層 位 は、上 か ら、 耕 上 、 床 土 、 灰 褐 色 砂 質 土 と暗 灰 色 粘 質 土 ゐ 互 層 (中世 以 降 の 河 川 に よ る堆 積 土)、 暗 褐色 土 (古代 〜 中世 の遺 物 を含 む包 含 層)、 暗 黄 褐 色 粘 質 土 (地 山 、遺 構 検 出面)の順 とな る。
2回
にわ た る調査 で検 出 した遺 構 は掘 立柱 建物58棟、掘 立 柱 塀16条、 坪境 小路1条
、井 戸10基、 土 器 埋 納 遺 構10基 の ほか 、 多 数 の土壊・ 溝 が あ り複 雑 に重複 して い る。以下十 三 坪 の遺 構 、 十 四坪 の遺 構 、 遺 物 、 ま とめ の順 に記 述 す る。 なお第36図の発 掘 遺構 図 に は、奈 良 時代前 半 (十三 坪 のI期
、十 四坪 の ユ期)に属 す る掘 立 柱 建物 と井 戸 (網 の か か っ た井 戸
)を
明 示 した 。 十二 坪 の遺構大 き く
3時
期 に分 け る こ とが で き る。I期
この時期 は、東 を南 北 方 向 の道 路 で 画 し、 坪 の4分
の1を
一 体 とす る地 割 で 、最 も整 った建物 配 置 を もつ 。 主 屋 は東 西 棟 掘 立 柱 建 物 (身 舎5間
×2間
北 庇付 き)で
、 この北 の東 西 に2棟
の 南 北 棟 掘 立 柱 建 物 を ほ ぼ対 称 にお き、 コ字 形 配置 とす る。 さ らに主 屋 か ら南 に離 れ て 東 西 棟 掘 立 柱 建 物 (身舎3間
×2間
南 庇 付 き)が
あ り、西北 に総 柱 掘 立 柱 建 物2棟
と西 辺 に4棟
の 南 北 棟 掘 立 柱建 物 が ある。 この時期 には井 戸
2基
を伴 な って い る。Ⅱ期
掘 立 柱塀 及 び南 北 溝 に よ って 先 の
4分
の1町
が4分
割 され て、 16分 の 1町 を単位 とす る
4区
画 に変 わ る。 主 屋 と副 屋 か らな る2な
い し3棟
の建 物 と井 戸1基
が基 本 的 な構成 とな る。Ⅲ期
地割 の ための南 北 溝 が廃 され 、
8分
の1町
を単 位 とす る横 長 の2区
画 と な る。北 半 の 区画 は主屋・ 総 柱 建 物 、 南 半 の 区画 は主 屋・ 副 屋・ 総 柱 建 物 か らな―‑ 70 ‑―
り、各 々井 戸 が付属 す る。
これ らの遺 構 の年 代 は、
I期
が8世
紀 前 半 〜 中 頃 、 工期 が8世
紀 中 頃 〜 後 半 、Ⅲ期 が
8世
紀 後 半 〜 末 と考 え られ る。十 四坪 の遺 構
大 き く
4期
に分 け る こ とが で き る。I期
坪境 小路 と南 北 両 側 溝 は2時
期 あ り、I期
に は古 い小 路 が、 Ⅱ期 〜 Ⅳ期 には新 しい小路 が対 応 す る。 坪 境 小 路 と十 三 坪 。十 四 坪 との 間 は、 築 地 で 区 画 さ れ る。十 四坪 は南 北方 向 の築 地 に よ って 東 西 に三 分 され る。 この 築 地 の位 置 は 、 十 三坪 内 を区 画す る南北 方 向 の道 路 とほ ぼ 同 じ位 置 で あ る。 坪 内 に は 四棟 の掘 立第
35図右京八条一坊調査位置図
0 1001n
‑71‑
柱建物 が点 在 す る。
Ⅱ期
区画 施 設 が 掘 立 柱 塀 に か わ り、 32分 の
1町
と い う小 規 模 な宅 地 とな る。一 つの宅 地 は、 東 西 約27m、 南 北12〜
15mの
東 西 に細 長 い。 宅 地 内 の 西 端 に南 北 棟掘 立柱建 物 一 棟(4間
×2間
東 庇 付 き)を
建 て、 そ の東 に丼 戸 一 基 が あ る。Ⅲ期
Ⅱ期 と宅地割 に大 きな変 化 が な く宅 地 内 の建 物 構 成 が若 千変 化 す る。
東南 の宅 地 で は、東西 棟 掘 立 柱 建 物
2棟
が 南 北 に な らぶ 構 成 とな る。 この建 物 群 の西 側 に、2間
×1間
の小 形 掘 立 柱 建 物 が あ り、 建 物 内南 寄 りに胞 衣 壷 を埋 納 し た 円形 の上壊 が あ る。 この建 物 は規 模 や胞 衣 壷 の存 在 か ら、 産 屋 で は な い か と考 え られ る。 ま た西 北 の宅 地 で は宅 地 が 北 へ 広 が り、 東 南 の 宅 地 と同 じよ うに東 西 棟掘 立柱建 物2棟
が建 つ 。Ⅳ期
この時期 には全体 に建 物 密 度 が薄 くな る。 坪 を東 西 に三 分 す る区画 施 設 が 、二条 の素 掘 溝 を伴 な う道 路 に か わ る。 宅 地 内 に は南 北 棟 掘 立 柱 建 物
2棟
が 検 出 され るのみ で あ る。これ らの遺 構 の年代 は、 Ⅲ期 の産 屋 とみ られ る掘 立 柱 建 物 内 か ら出土 した胞 衣 壺 が平城 宮 土器 編年 Ⅲの もので あ る こ とか ら、 遺 構 変 遷 の
I・
Ⅱ期 が奈 良 時 代 前 半 、 Ⅲ期 が奈 良 時代 中頃、 Ⅳ期 が 奈 良 時 代 後 半 と考 え る こ とが で き る。遺
物
坪境 小路 両 側 溝・ 坪 内 を 区画 す る溝・ 井 戸 な どか ら多数 の須 恵 器・ 土 師 器 。瓦 の ほか斎 串・ 曲物 な どの木 製 品 、 和 同 開 弥・ 神 功 開 賓・ 鉄 釘 な ど の金 属 製 品 、 石 帯・ 砥 石 な どの石製 品 、 土 馬・ フ イ ゴ羽 口・ トリベ な どの 上 製 品 が 出土 した 。 こ
こで は特異 な遺 物 と して 注 目 され る鉄 鉗 。海 獣 葡 萄 鏡・ 羊 形 硯・ 冠 帽・ 富 本 銭 と 土器埋納 遺構 か ら出上 した遺 物 に つ いて の み 述 べ る こ と にす る。
鉄鉗
十 二 坪 西 南 の縦板 組井 戸 内 か ら出上 した。 全 長 約 40cm、 鍛 冶 用 具 の一 つ で溶解 した金 属 を入れ た ル ツ ボ・ トリベ の取 り上 げ な ど に使 用 す る。 同 じ井 戸 か ら出上 した鉄匙 。大型砥 石 と と もに十 二 坪 の金 属 器 工 房 的 な性 格 を示 す もの と し て注 目 され る。
―‑ 72 ‑―
る Ψ 的 ご あ 烈 ぴ
徴 喩o
陣○>
乳 壁 崖 讐 望 ≧ 卸 ̲ ● 土 器 埋 納 遺 構
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36図右 京 八 条 一 坊 十 三 ・ 十 四 坪 発 掘 遺 構 図
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海 獣葡 萄鏡
十 三坪 東 南 の 円形 到 り抜 き井 戸 内 か ら出上 した。 鏡 背 内 外 区・ 外 縁 をおゝくむ 小破 片 で、復 原 す る と直径 約
12.5cmの
中形 鏡 に な る。 内 区 に葡 萄 唐 草 文 と海獣 の脚 部 、外 区 に は鳥 形 と葡 萄 唐 草 が 配 され、 内 外 区 は細 い圏 線 で 画 され る。外縁 は直高縁 で くり方 を もつ 。鋳 上 が りが よ く白銅 色 を呈 す る舶載鏡 で あ る。羊 形硯
坪 境 小路 南側溝 か ら出上 した。左京 四条 四坊 九坪 につ ぐ二例 日で あ る。
今 回 出土 した もの はや や 小 形 で造 形 的 に は劣 る もの の、 鼻 異・ 顔 毛・ 角 紋 の表 現 が類 似 す る。
冠 帽
坪 境 小路 南側溝 か ら出上 した。 繊 維 を生 漆 で 固 め た の ち、 黒 漆 で 固 定 し た いわゆ る添 紗 冠 で あ り、 正倉 院 に も遺 例 が あ る。 本 例 以 外 に も平 城 宮 内裏 外 郭 や 、平城京 左 京 八条 三坊 九 坪 坪 境 小 路 南 側 溝 な どか らの 出土 例 が 知 られ る。
富 本銭
十 四坪 東 北 の縦 板 組 井 戸 内 か ら出上 した。 直 径 2.47cm、 重 さ
4.15gで
あ る。方孔 の上 下 に「 富 」 「 本 」 の字 を配 し、 左 右 に各 々7個
の珠 文 を置 く。 厭 勝 銭 と呼 ばれ 、 ま じな い に用 い られ た もの と考 え られ る。土 器埋 納 遺 構 出土遺 物
今 回 検 出 され た10基 の上 器 埋 納 遺 構 は 出土 遺 物 か ら大 き く次 の
3種
に分 け る こ とが で き る。①土 器 だ け を埋 納 す る もの。
土 師 器 皿
Cや
甕Bを
直 径 30〜50cmの
円形 土 壊 に埋 納 す る もの。皿 は いず れ も口縁 部 の 一 カ所 に煤 が 付 着 して い る。② 土器 と銭 貨 な どを埋 納 す る もの。
十 二 坪 で は、 径 約
15cmの
円形 土 壊 に土 師器 皿C4枚
と と もに和 同開弥32枚以上 、 ガ ラス小玉6点
以 上 、金 箔 片 を納 め て い た。ま た十 四坪 で は、同 じ く径
40cmの
円形 土 竣 に土 師器 皿Cと
金 箔 を納 め て い た。 こ れ らは銭貨 や金 箔 の存 在 か ら、 地 鎮 の た め の遺 構 と考 え られ る。③胞 衣壷
胞 衣 壷 とは、後 産 (胞衣
)を
容 器 に入 れ て 埋 納 し、 子 供 の栄 達 や健 や か な成長 を願 う産 育 習俗 の一 つ で あ る。 古 代 末 か ら中世 に か けて の 文 献 に胞 衣 壺 埋納 の 乙とが 見 え 、男子 の場 合 は銭 貨 と筆・ 墨 を、 女 子 の場 合 は銭 貨 と針 。糸 を 埋 納 す る もので あ った こ とが 文 献 や 民 俗 例 か ら うか が え る (水 野 正 好 『 想 蒼 籠 記 萱 叢 』 奈 良 大 学 紀 要 第 13号1984)。
今 回 は、 須 恵 器 杯Bの
な か か ら和 同 開 弥5枚
と墨 が発 見 され た。 平 城 京 内 で は 、 右 京 五 条 四坊 三 坪 に次 ぐ2例
目で あ る。―‑ 73 ‑―
ま とめ
今 回 の調 査 で は、
5600ポ
と い う広 い面 積 を調 査 す る こ とが で きた た め、 坪 内 の 宅地割 や土 地 利用 の様 相 を 明 らか に す る こ とが で き た。 十 三 坪 で は4分
の1町
→16分の
1町
→8分
の1町
とい う変 遷 を た ど る。 と くに16分 の1町
の宅 地 割 は、 正 方 形 で あ って 、従来 知 られ る横 長 の 宅 地 割 (左 京 八 条 三 坊 九 坪 な ど)と
異 な る分 割 方式 が 明 らか にな った。I期
は コ字 形 配 置 の建 物 を 中枢 に して 、 多数 の付 属 建 物 を伴 って お り、通常 の 宅 地 とい うよ りは官 衛 的 な色 彩 が 強 い。 Ⅱ期・ Ⅲ期 につ いて は鉄鉗 。フ イ ゴ羽 口・ トリベ・ 砥 石 等 の 出土 や、 調 査 区 全域 に炭 化 物 が 多 量 に検 出 され る状 況 か らみ て 、金属 工房 及 び、それ に関 わ る者 の宅地 と考 え られ る。十 四坪 で は、 Ⅱ期・ Ⅲ期 に32分 の
1町
とい う小 形 の 宅 地 割 とな って い る。32分
の1町
宅 地 は、 第 166次 調 査 (1985年)で
初 め て確 認 され た もの で 、 今 回 は掘 立 柱塀 によ って 区画 され る32分 の1町
宅 地4区
画 を検 出す る こ とが で きた。 いず れ も宅 地 内 の西 に南 北棟 掘 立 柱 建 物 (身 舎4間
×2間
東 庇 付 き)が
建 ち、 東 に丼 戸1基
が あ る とい う構 成 とな る。 十 四 坪 は、 32分 の1町
と い う小 形 の 宅 地 割 が 見 ら れ る ことや 、胞 衣壷・ 産 屋 の存 在 な どか ら、 居 住 空 間 で あ った と考 え られ る。 た だ し、規 格 的 な宅 地割 や 建 物 構 成 な ど、 一 般 の宅 地 と考 え る こ とに若 干 に疑 間 も 残 る。 また、十 四坪 北 半 で行 な われ た2回
の調査 で は、漆 付着土器・ フイ ゴ羽 口・トリベ な どの土器 が見 られ 、 金 属 工 房 や 、 漆 工 房 の存 在 が 推 定 され て い る。 十 四 坪 の全体 の性 格 につ いて は、 未 調 査 区 に お け る今 後 の調 査 成 果 に待 ち た い。
遺物 の上 で も上 記 した よ うな特 異 な遺 物 の 出上 が 見 られ る。 な かで も富 本 銭 や 上器 埋 納 遺構 な ど祭 祀 に関 連 した遺 物 の 出土 が 注 目 され る。 ま た今 回 坪境 小 路 側 溝 や 坪 内 を 区 画 す る溝 か ら243個 を数 え る大 量 の土 馬 が 出土 して い る。 十 一 坪 の 調 査 で も西 一 坊 々 間 大 路 西 側 溝 か ら、 141点 の上 馬 が 出土 して お り、 そ の 機 能 と
と もに注 目 され る点 で あ る。
今 回 の調 査 は右京 にお け る最 も広 い面 積 の調 査 と して 、 上 記 した多 くの成 果 を あげ る こ とが で きた。 同 時 に問 題 点 も多 く、 今 後 に予 定 され る報 告 書 の作 成 過 程
参考文献 『奈良 県観 光』 第351号 1986年
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で十 分 に検 討 す る必 要 が あ ろ う。