南アジア研究 第29号 004間 永次郎「公私を架橋する身体のポリティクス」
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(2) 公私を架橋する身体のポリティクス. ガーンディーのブラフマチャリヤの実験とサッティヤーグラハ闘争の誕生. ディーのサッティヤーグラハにおいて、 「真理の堅持」という内面世界 けつじょう. に向けた決定 的観点(nis´caynay)と、 「真理の主張」という外面世界 に向けた実践的観点(vyavaha¯rnay)とが表裏を成していたことを示し ている。換言すれば、サッティヤーグラハとは、いかなる外圧にあって も、真理に対する内なる信念を「堅持」し続けようとする自己の不動の 精神状 態 か ら「自 発 的(svatantr) 」あ る い は「内 発 的(svabha¯vik) 」 に発生した社会的・政治的な「主張」を意味するのである[AK 205-206, 5. 322;GA 8:374-5] 。 6. このような宗教的 ・観照的意味局面と実践的・政治的意味局面とを 重層的に内包するサッティヤーグラハであるが、しばしばその概念は 7. ガーンディーが英語で使用した“nonviolent resistance ”という訳語か ら類推されることで安易に暴力的手段を用いない政治的戦略と解されて きた。つまり、政治学者のジョアン・ボンデゥラントの古典に代表され る少なからぬ先行研究で、ガーンディーのサッティヤーグラハに含蓄さ 8. れる宗教的意味局面の意義は等閑視されてきた 。 これに対して、医療人類学者のジョセフ・オルターや宗教学者の ヴィーナ・ハワードは、ガーンディーのサッティヤーグラハが政治行動 と私的な宗教実験(性・食の節制、健康・衛生管理など)とを統合する 「生モラル的原則」に基づく実践[Alter 2000] 、あるいは「禁欲的行動 主義」 [Howard 2013]として解釈されるべきことを主張している。とは いえ、オルターやハワードの研究は、フーコー[Alter 2000:xiii-xiv, xvxviii, 29-30, 84-7, 93, 102-112]やエリアーデやツィンマー[Howard 2013: 49-62, 73, 92-99, 105-112]などの既存の理論的枠組みに過度に依拠してお. り、サッティヤーグラハに対する一次史料を活用した内在的思想分析を 欠いている。結局のところ、これらの研究もサッティヤーグラハ思想に 含蓄される宗教的意味局面が、政治闘争としてのサッティヤーグラハの 9. 展開にいかに寄与するものであったのかを解明するに至っていない 。 サッティヤーグラハは1906年9月11日に、南アフリカのヨハネスブル 10. グで在留インド人3000人が集まった新アジア人登録法案 に反対する抗 議集会の中で誕生した。そして、この集会が開催される7週間前に、 ガーンディーにとってはサッティヤーグラハの誕生という出来事に比類 する重要性を持つ「ブラフマチャリヤ(brahmacarya) 」という身体統 制の宗教実験が開始された。後にガーンディーはブラフマチャリヤの 93.
(3) 南アジア研究第29号(2017年). 「霊的浄化(a¯dhya¯tmik s´uddhi) 」や「苦行(tapas´carya¯) 」無しに、南 アフリカのサッティヤーグラハの継続は不可能だったであろうことを 語っている[DASI:295-296] 。 本稿では、ガーンディーのサッティヤーグラハ誕生の過程を、この一 見政治活動と無関係に見えるブラフマチャリヤの宗教実験との関係から 分析していく。これにより、ガーンディー個人の「性欲(ka¯m, vis.aynıiccha¯) 」をめぐる身体統制の宗教実験が、公的政治闘争としてのサッ ティヤーグラハの展開に具体的にいかなる役割を果たすものであったの かを明らかにしたい。 上記の分析に際にしては、ガーンディーがグジャラーティー語で記し た一次史料を精読する作業が必要不可欠である。ビク・パーレークも指 摘する通り、しばしばグジャラーティー語で表現されたガーンディーの 宗教概念に含蓄される微妙なニュアンスは、ガーンディーの秘書の手に 11. よる英訳史料の中で抜け落ちてしまっている[Parekh 1986:163-172 ] 。 殊に、ガーンディーのブラフマチャリヤの実験に関するほとんどの文書 12. がグジャラーティー語で書かれていた 。グジャラーティー語史料の分 析なくして、サッティヤーグラハとブラフマチャリヤの実験との関係を 適切に理解することはできない。 本稿の構成は以下の通りである。まず第2節においては、南アフリカ でサッティヤーグラハが誕生した1906年9月11日のヨハネスブルグの抗 議集会において、ガーンディーが行った演説内容を分析していく。これ によって、サッティヤーグラハ誕生には、暴力的手段の不使用という政 治的戦略の決議の採択に加えて、ガーンディーの内に突如生起した、あ る宗教体験が決定的重要性を持っていたことを明らかにする。続く第3 節では、この体験が発生した原因を、ガーンディーが1913年に「秘密の 章(Guhya Prakaran. ) 」と題して出版したブラフマチャリヤの実験に関 する記事を参考に探究していく。その際に、ブラフマチャリヤの実験の . 中でも最も重要視されていた「精液結集(vı-ryasangrah) 」あるいは 「精液把持(vı-ryanigrah) 」と呼ばれる実践に光を当てる。そして、こ の精液結集という実践の分析を通して、サッティヤーグラハとブラフマ チャリヤの実験とが、ガーンディー自身のいかなる形而上学的理解に よって結び付けられていたのかを示したい。. 94.
(4) 公私を架橋する身体のポリティクス. ガーンディーのブラフマチャリヤの実験とサッティヤーグラハ闘争の誕生. 2 サッティヤーグラハ誕生の意味 2-1 素朴な問い 上で述べたように、サッティヤーグラハは、1906年9月11日に開催さ れた新アジア人登録法案に抗議する集会をもって始まりを告げた。ガー ンディー自身がこの日に、サッティヤーグラハが誕生したと認識してい たことには疑いの余地がない。しかしながら、本稿で最初に注意深く検 討して答えなければならないことは、そもそもこの日の集会の中で、具 体的に「何が」誕生したのかという根本的な問いである。このような問 いが浮上するのは、以下のような理由からである。 第一に、1906年9月11日の時点で、 「サッティヤーグラハ」という語 は使用されていなかった。この語が文書の中で使用され始めるのは、 13. 1908年1月以降である 。この時点では、ガーンディーが集会以前から 知っていた西洋社会に流布するストライキやボイコットの方法を意味す る「受動的抵抗(passive resistance; nis.kriya pratirodh) 」の語が使用 14. されていた 。ガーンディーは、 『真理の諸実験あるいは自叙伝(Satyana¯ Prayogo athva¯ Atmakatha¯) 』 (以下、AK)の中で次のように語って いる。 「サッティヤーグラハ」という言葉が生まれる前にその事[= サッティヤーグラハ]の発生があった。 [サッティヤーグラハの]発. 生時、それが何であるか、私自身で全く認 識(ol.khı-)で き な かった。それをグジャラーティー語において「受動的抵抗( pesiv rijhist.ans) 」という[言葉で記されるところの]英語の名[=passive resistance]で皆が認識するようになった。 [AK:341] つまり、 「受動的抵抗」の名は、集会の中で発生した何かしらの新たな 出来事に付した一時的な仮名に過ぎなかった。ガーンディーは受動的抵 抗という名で自身の運動が理解されることで多大な誤解が生じることに 気付き、1908年1月に自身の週刊紙である『インディアン・オピニオン (Indian Opinion) 』 (以下、IO)紙上で運動を「サッティヤーグラハ」 15. に改名する旨を発表した 。本節で答えなければならないのは、この サッティヤーグラハという言葉で認識される以前に集会で発生した何か、 95.
(5) 南アジア研究第29号(2017年). すなわち、西洋の受動的抵抗と明確に区別されるところのガーンディー の政治運動に付与された独自の意味である。 第二に、ガーンディーは自叙伝の一つである『南アフリカのサッティ 16 ヤーグラハのイティハース(Daks.in Aphrika¯na¯ Satya¯grahano Ithiha¯s)』 (以下、DASI)の中で、一般的にサッティヤーグラハの中心的な特徴と される暴力的手段を用いない政治抗議の戦略でさえ、サッティヤーグラ ハの「完全な意味(pu-ro arth) 」を表すものではなかったことを語って いた[DASI:97] 。集会が開催された当初、ガーンディーはトランス ヴァール英印協会(Transvaal British Indian Association)の秘書を務 めていた。そして、ガーンディーは協会が作成した受動的抵抗の戦略を 17. 記した「決議案第四号」の内容 を、決議案が審議される予定にあった 18. 集会以前からかなりの程度まで熟知していた 。そして、この決議案の 内容は、ガーンディー自身の口からではないが、平和的手段( 「アヒン 19. サー」や「非暴力」という言葉はまだ使用されていない )によって遂 行されるべきものであることも、集会の議長であるアブドゥル・ガニー 20. によって確認されていた 。つまり、ガーンディーはこのような平和的 手段を用いた受動的抵抗の方法を集会以前から知っていたにもかかわら ず、このことがサッティヤーグラハの「完全な意味」を表すものではな かったことを DASI で語っているのである。 では、何をもってガーンディーはサッティヤーグラハが誕生したと考 えたのか。ガーンディーは DASI の中で、集会が開催された後に、次の ことがきっかけとなって決議案の背後にあった「秘儀(rahasya) 」を知 るようになったと述べている。このことを、ガーンディーはそれまで自 身が知っていた受動的抵抗とは明確に区別されるところの「全く新しい もの(navı-n) 」 、あるいは、 「重大なもの(gambhı-r) 」を発見する体験 であったと述べる[DASI:119] 。 以下では、ガーンディーが発見したという「秘儀」の内容を、グジャ ラーティー語の演説を精読する中で明らかにしていきたい。 2-2. エンパイア劇場の演説(1906年9月11日). 集会では新アジア人登録法に反対するための五つの決議案が審議され 21. たが 、その中で最も重要視されたのがすでに述べた決議案第四号で あった。DASI の中に書かれているのは、この決議案第四号をめぐる 96.
(6) 公私を架橋する身体のポリティクス. ガーンディーのブラフマチャリヤの実験とサッティヤーグラハ闘争の誕生. ガーンディーを含めた出席者たちの演説の内容である[DASI:117-126]。 DASI には、ガーンディーが決議案について演説をする前に、他の集 会参加者たちの「鋭く(tı-kha¯m 、また、力強い( jora¯var)演説」が .) あったことが記されている。それにもかかわらず、これらの集会演説者 の中でも、ガーンディーと同じくトランスヴァール英印協会の秘書であ るセート・ハージー・ハビーブというイスラーム教徒が行った、 「極め て情熱的な(atis´ay jussa¯da¯r)演説」を聞いた時、ガーンディーは、他 のいかなる演説からも味わうことのなかった、ある衝撃的な体験をした と言われる。すなわち、ガーンディーはこのハビーブの演説の中の以下 の言葉を聞いた時、 「突如、強張り(camakyo) 、用心する(sa¯vdha¯n) ようになった」という[DASI:118] 。 [ハビーブの言葉:] この決議案を、我々は神(Khuda¯)が証人であること(ha¯jarna¯jar) を知りながら、 [通過]せねばならない。我々は、臆病(na¯mard) になって、このような法[=アジア人登録法]に決して服従して はならない。それゆえ、私は神の誓約(kasam)を立てながら言 うが、この法に決して服従しないだろう。そして、ここにいる全 ての会衆に、神が証人であることを知りながら誓約するように提 言する。 [DASI:118] このようにハビーブが「神の名前を用いた誓約(I s´varnum . na¯m laıne karelı- pratijn˜a¯) 」に つ い て 言 及 し た「ま さ に、そ の 時 に」 、ガ ー ン ディーは「自身の責任( java¯bda¯rı-)と共同体の責任(komnı- java¯bda¯rı-) をはっきりと自覚(bha¯n)した」と述べる[DASI:118] 。 さらに、ガーンディーはハビーブの「神の名前を用いた誓約」を聞い て、 「全く恐ろしくなって(hebta¯ı-) 」いた時に、心の中から突如、ある !. !. !. !. !. 「溢れる活力( jusso) 」が生じたことを記録している[DASI:119;強調 筆者] 。そして、この体験の直後にガーンディーは議長アブドゥル・ガ. ニーに、自身が理解した運動が持つ「秘儀(rahasya) 」を会衆の前で説 明するための許可を求めたのであった[DASI:119] 。 22. ガーンディーは立ち上がり、皆の前で次のように語り始めた 。. 97.
(7) 南アジア研究第29号(2017年). 今日までに私たちがしてきた様々な決議やそれらの仕方、 [すな [今日の]この決 わち、過去に行った]様々な決議とその仕方と、 議とこの決議の仕方の中には大きな違いがあり、それを私はこの 集会で説明したいと望んでいる。決議は大変重大である。なぜな !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. ら、そ の 完 全 な 遂 行 の 中 に、南 ア フ リ カ に お け る 私 た ち の 存 在 ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! (hastı-)が隠されている(chupa¯yelı-)からである。私たちの兄弟 が提言している、その決議の仕方は、全く新しいもの(navı-n) であるような重大なもの( gambhı-r)である。私自身その仕方に よって決議することを想定してこの場に来た訳ではなかった。 [……]その責任( java¯bda¯rı-)とは何かをあなたたちは理解しな ければならず、また共同体の助言者であり、奉仕者として、それ を 完 全 に 説 明 す る こ と は 私 の 宗 教 的 義 務(dharm)で あ る [DASI:119;強調筆者] 。 ここでガーンディーは、決議の際に神を証人として誓約を立てるという 「仕方」を、 「全く新しいもの」であり、 「重大なもの」であったと述べ ている。そして、このような誓約により採択された決議の「完全な遂行 の中に」 、集会一人一人の「存在が隠されている」ことを主張した。 さらに、ガーンディーは演説を続ける。 私たちは皆、ただ唯一(ek ja)の創造主(sarjanha¯r)を信じて いる者である。それをイスラーム教徒が仮にクダー(Khuda¯)と いう名で呼ぼうが、ヒンドゥー教徒が仮にそれをイーシュワル (I s´var)という名 で 呼 ぼ う が、そ れ は た だ 唯 一 の 本 質(ek ja svaru-p)なのである。それを証人として、それを間に置いて我々 が誓約(kasam)したこと、あるいは、誓約( pratijn˜a¯)したこ 23. とは単なる小事ではない 。そのような誓約をしておいて、もし 我々が[誓約を破り、]再度、 [誓約]することになったら、 [我々 !. !. !. !. !. !. は]共同体(kom)の、世界( jagat)の、また、神(Khuda¯)の[前 で]罪人(gunega¯r)となる。私は信じているが、慎重に純粋な ブッディ. 智性によって(s´uddh buddhithı-)誓約した後に、その違犯をす !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. る 人 は 自 身 の 人 間 性(insa¯niyat)あ る い は 人 間 で あ る こ と (ma¯n.sa¯ı-)を失ってしまうのである。 [……]それだけではなく、 98.
(8) 公私を架橋する身体のポリティクス. ガーンディーのブラフマチャリヤの実験とサッティヤーグラハ闘争の誕生. ! !. その人はこの世(a¯ lok)とあの世(parlok)の両方において、罰 (saja¯)に値する者とされる。 [DASI:120;強調筆者] ガーンディーは、 「一般的な決定(sa¯ma¯nya nis´cay) 」の違反と異なり [DASI:118] 、神の誓約の違反者は、 「人間性あるいは人間であることを 失ってしまう」ことを語る。それは同時に、その人が、 「この世とあの ! !. 世の両方において、罰に値する者とされる」ことを意味するという。 ここでガーンディーが「人間性」の喪失という問題を、彼岸と此岸に 跨る事柄として捉えている点は重要である。つまり、神を前にした誓約 の遵守という宗教的義務(dharm)は、世俗的責任と超世俗的(=「あ の世の」 )責任の両方を伴うものであることが言われている。ガーン 24. ディーの説く「宗教的義務(dharm) 」とは「存在 」の深みに関わろう とする限りで、超越と内在の境界線を跨る[AK:6-7] 。 さらに、ガーンディーは自分たちの「存在」がかかった誓約の貫徹が いかに困難であるかを説明する。 私たちの闘争の中で、起こりうる最も厳しい結果(kad.va¯ma¯m . ¯m ¯r)を私はこの集 kad.va¯m parin a )についての細かな描写(cita . . . 会の中でしておきたい。 [……]私たちは監獄の中に行かなけれ ばならない。監獄の中では、恥ずかしめを耐え忍ばなければなら ない。空腹、寒さ、暑さにも耐えなければならない。重労働をし なければならない。乱暴な獄吏たちの暴力(ma¯r)をも受けなけ ればならない。罰金が生じ、また差し押さえられる中、財産も競 売にかけられなければならない。闘争者は僅かになってしまい、 今日私たちは所有している沢山の金銭があるかもしれないがすっ かり貧しくなってしまい、国外追放も起こるはずであろうし、ま た空腹になって監獄の他の苦しみ(duh.kho)に忍びながら何か しらの病気にかかるはずであろうし、また何人かは死に至るだろ う。それゆえに、簡潔に言うと、あなたたちが想像できる苦しみ の全てを我々は耐え忍ばなければならないということにいかなる 疑いもない。そして、賢明(d.aha¯pan.)なことは、全て[の苦し み]に耐え忍ばなければならないであろうことをしっかりと心に 留めた上で(ma¯nı-ne)我々が誓約(kasam)をすることである。 99.
(9) 南アジア研究第29号(2017年). [DASI:121-122] このように、ガーンディーは、誓約違反が彼岸的・此岸的領域に跨る 「存在」喪失を意味する一大事であることを警告すると同時に、その誓 約の遵守がいかに困難であるかを聴衆に詳しく説明したのであった。 では、このように遵守が極めて困難なだけでなく、違反すれば厳しい 「罰」も下される「恐ろし」い誓約を立てる勇気を、人々は一体どのよ うにして持てるというのだろうか。ガーンディーはこのような責任が重 25. 大な誓約を立てるためには、 「内なるアートマー(a¯tma¯ ;魂、個我、 自己) 」 [Monier-Williams 1899:135;Deśpa¯nde 2002:95]の応答によって ̇̇. 確かにされた「シャクティ(s´akti; (霊)力、活力、エネルギ ー、能 力) 」 [Monier-Williams 1899:1044;Deśpa¯nde 2002:832]の存在が必要不 ̇̇. 可欠であると語った。. 私たちの四方八方にそれ[=政府]が野火を燃え上がらせている ところで、是が非でも[抵抗]しないで、また憂鬱になっていて は、私たちは無価値(na¯la¯yak)で臆病者(na¯mard)になってし まう。それゆえ、この状況が誓約すべき時であるということに何 ! ! !. !. !. ら疑いはない。だが、その誓約をするための私たちのシャクティ (s´akti)があるかないかを、各々の人が自身で考えてみるべきだ ろう。 [……]各々が自身の胸(hr.day)の上に、手を置いて自身 の心(hr.day)をよく調べる(tapa¯svum . )べきである。そして、 そのような行為[=各々が自身の心を調べること]の後に、もしそ !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. の人の内 な る ア ー ト マ ー(antara¯tma¯)が誓約を立てるシ ャ ク !. !. !. !. ティ(s´akti)があると応答( java¯b)するならば、その時にこそ 誓約すべきであり、そして、それこそが実を結ぶのである。 [DASI:121;強調筆者] つまり、ガーンディーは神の誓約が「一般的な決定」を下すこととは比 べものにならないほど深い宗教的責任を伴うものであることを説明しな がらも、それを貫徹することが非凡に困難であることを説いた。そして、 ガーンディーはこのような責任重大かつ遵守困難な誓約を立てるに際し て、人々が「無価値」で「臆病者」となってしまわないためには、各々 100.
(10) 公私を架橋する身体のポリティクス. ガーンディーのブラフマチャリヤの実験とサッティヤーグラハ闘争の誕生. の内に「シャクティ」があることを「内なるアートマー」の「応答」を 26. 聞くことで確かめる必要があることを主張した 。 そして、上のことを説明した後に、ガーンディーは次のような言葉で 演説を締め括った。 !. !. 全員が自分自身の責任を完全に理解して( pu-rı- samjı-ne) 、独 立 ! ! ! ! した仕方(svatantr rıte)で誓約を立てて、また他人がどのよう なことをしたとしても死に至るまで(marta-m . sudhı )それを遵 守し続けることを理解してのみ[誓約]を立てなさい。 [DASI: 123]. ここで言われている「独立した仕方」とは、誓約を立てる際に、参加者 一人一人が自身の「内なるアートマー」の「応答」によって自身の内に 「シャクティ」があることをはっきりと自覚することを意味する。それ はいかなる外圧によるものでない一人一人の「存在」の深みから沸き起 けつじょう. 27. こる主体的な決定の過程を意味した 。 以上のように、ガーンディーが集会で見出したという運動の背後にあ る「秘儀」とは、これらの演説の中で説明された誓約を貫徹することに 付随する重い宗教的責任と、それを担うために「内なるアートマー」に よって「シャクティ」の存在を確かにすることの重要性に他ならない。 ガーンディーは集会前から平和的手段を用いた受動的抵抗の戦略を知っ ていたにもかかわらず、それがサッティヤーグラハの「完全な意味」を 表すものではなかったことを語っていた。なぜなら、その意味が完全と なるためには、受動的抵抗には含まれえない神の誓約をめぐる「存在」 の堅持という宗教的主題を理解する必要があったからである。この運動 の持つ宗教的意味の発見こそ、ガーンディーがこの日をサッティヤーグ ラハの誕生と称した理由に他ならないのである。 それでは、このような「内なるアートマー」や「シャクティ」を必要 とする闘争の誕生は、ブラフマチャリヤの実験といかなる関係があった のだろうか。. 101.
(11) 南アジア研究第29号(2017年). 3 サッティヤーグラハとブラフマチャリヤ 3-1 アートマーの浄化 本稿の「はじめに」で述べたように、ガーンディーはサッティヤーグ ラ ハ が 開 始 さ れ る7週 間 前 に「ブ ラ フ マ チ ャ リ ヤ の 誓 い(brah28. macaryavrat) 」を立てた 。つまり、この時からガーンディーは生涯に 亘り、妻(女性)との一切の性交渉を断つことを人々の前で誓ったので あった。 ガーンディーは AK の中で、このようなブラフマチャリヤの誓いを立 てたことと、その7週間後に、サッティヤーグラハ闘争が「発生(ut29. patti ) 」したこととの因果関係について次のように書いている。 私が[ブラフマチャリヤの誓いを立てたフェニックス農園から、集会が 開催される予定にあったヨハネスブルグに]行ってから一ヶ月の内に、. サッティヤーグラハ闘争の基盤が据えられた。まるでこのブラフ マチャリヤの誓いが、その[=サッティヤーグラハ闘争の]ために 私を準備させようとやって来たかのようだ!サッティヤーグラハ についての構想(kalpna-)を、私は何も持っていなかった。そ !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. !. れの発生(utpatti)は、自 然 発 生 的 に(ana-ya-se) 、非 意 志 的 に (anicchae)起こった。 [AK:222;強調筆者] ここでガーンディーは、ブラフマチャリヤの誓いを交わしたという出来 事が、まるでサッティヤーグラハ闘争の発生のために「やって来たかの よう」であったと記している。そして、ブラフマチャリヤの誓いを交わ した後に、 「サッティヤーグラハ」と後に称されるようになるものが、 「自然発生的に、非意志的に起こった」ことを述べる。 同様の内容は、AK の第4部26章の「サッティヤーグラハの発生」の 冒頭部でも言われている。だが、そこでガーンディーは、ブラフマチャ リヤの実験を「一種のアートマーの浄化(ek praka-ranı- a-tmas´uddhi) 」 と表現している[AK:338-341] 。ガーンディーはアートマーを浄化する 試みとして開始されたブラフマチャリヤの実験を振り返って次のように 述べる。. 102.
(12) 公私を架橋する身体のポリティクス. ガーンディーのブラフマチャリヤの実験とサッティヤーグラハ闘争の誕生. このような一種のアートマーの浄化[=ブラフマチャリヤ]をする ことは、まるで他でもなくサッティヤーグラハのためにこそあっ た、そのように思える事件がヨハネスブルグにおいて私に準備さ れていたのであった。 [AK:341] ここにおいても、ガーンディーはブラフマチャリヤという「アートマー の浄化」の実験が、 「サッティヤーグラハの[発生の]ためにこそあっ た」ことを語っている。 さらに、より直接的にガーンディーは DASI の中で、 「サッティヤー グラハの 真 理(satya)の ア ー ト マ ー の 浄 化(a-tmas´uddhi) の. アートマーの力(a-tmabal. )の闘争」 [DASI:268]という表現を. 使っている。つまり、ガーンディーは「サッティヤーグラハの[……] 闘争」を、その語源に近い「真理の[……]闘争」という言葉の他に、 「アートマーの浄化の[……]闘争」や「アートマーの力の闘争」とい う言葉でパラフレーズしているのである。前節で見たように、サッティ ヤーグラハは、内なるアートマーによってシャクティの存在が確かにさ れることによって初めて可能となるものとされた。ゆえに、ガーン ディーはそのようなサッティヤーグラハの闘争を、1908年頃から「アー トマーの力(a-tmabal. ) 」と呼ぶようなった。同時に、ガーンディーは サッティヤーグラハ闘争が「アートマーの浄化(a-tmas´uddhi) 」という ブラフマチャリヤの実験でもあったと語っていたのである。 では、なぜサッティヤーグラハ闘争がブラフマチャリヤという「アー トマーの浄化」と関係するものだったのだろうか。以下では、サッティ ヤーグラハ闘争が開始してから3年後に書かれたガーンディーの処女作 である『ヒンド・スワラージ(Hind Svara-j) 』 (以下、HS)と、闘争が ピークに達していた1913年に IO 紙上に掲載された「秘密の章(Guhya Prakaran.) 」と題する記事を参考にこの問いに答えていきたい。 3-2 精液、シャクティ、性欲 3-2-1 HS の記述. 1909年に書かれた HS は、しばしばガーンディー研究者の間で、ガー ンディー思想を理解する上で最も重要な著作の一つと見なされている [Devanesen 1969:vii-viii;Parel 1991:261;Skaria 2009:173-210;Jordens 103.
(13) 南アジア研究第29号(2017年). 1998:41;Steger 2000:73-74;Iyer 1983:24-36;Brown 1989:65;長崎. 。そして、この著作の中で中心的主題として扱われているのが、 2002:4] ガーンディーのサッティヤーグラハであった。例えば、DASI の中で ガーンディーは、HS の執筆理由を「ただサッティヤーグラハの偉大 さ」とそれに対するガーンディー自身の「信仰の度合い」を示すことに あったと述べている[DASI:267] 。そして、計20章で構成される HS の 中でも「最も重要な章」とされるのが[Parel 1991:274] 、サッティヤー グラハの意味・意義の解説にのみ紙幅が割かれた第17章の「サッティ ヤーグラハ アートマーの力(satyagrah: a-tmabal. ) 」であった[HS: 182-210] 。 この HS の第17章において、ガーンディーはサッティヤーグラハの意 味を説明する中で、サッティヤーグラヒー(satya-grahı-;サッティヤー グラハ闘争者)にとってブラフマチャリヤの誓いがいかに重要であるか を次のように説いている。 [……]サッティヤーグラヒーになろうと欲する人間は、ブラ フマチャリヤを遵守しなければならない。 [……]恐れを知らぬ ように(abhayta)こそならなければならない。 ブラフマチャリヤとは偉大な誓い(maha-vrat)であり、また、 それなしでは心(man)は引き締ま( ga-n..th sajjad. thana-r)らな い。非ブラフマチャリヤ(abrahmacarya)によって、人間は精 液を喪失した者(avı-ryava-n)に、臆病(ba-ylo)に、また劣った もの(hı-n.o)になってしまう。性的快楽に彷徨う心では( jenum . man vis.aymam 、何か喫緊な行動はできない。 . bhame che tenathı ) このことは無数の事例から示されうるだろう。 [HS:204-205] ガーンディーはここでサッティヤーグラヒーには、ブラフマチャリヤの 「偉大な誓い」が必要不可欠であることを述べている。なぜなら、それ によってこそ、サッティヤーグラヒーは「恐れを知らぬように」なるか らである。 だが、そもそもなぜブラフマチャリヤの誓いを交わすことで、サッ ティヤーグラヒーは恐れを知らない者になれるのか。この問いを解くた めには、引用箇所でブラフマチャリヤの誓いが「精液」の概念と結び付 104.
(14) 公私を架橋する身体のポリティクス. ガーンディーのブラフマチャリヤの実験とサッティヤーグラハ闘争の誕生. けられている意味を知る必要がある。つまり、ガーンディーは上の引用 箇所で、ブラフマチャリヤの誓いを交わさないこと(=「非ブラフマ チャリヤ」 )によって、 「人間が精液を喪失した者(avı-ryava-n) 」となる ことを述べている。 ここで使用されているグジャラーティー語の avı-ryava-n とは、否定接 頭辞の a と、 「精液」の他に「生命 力、活 力、男 ら し さ、勇 敢 さ」と いった意味を持つ vı-rya と、 「所有する者」を意味する va-n で構成され る。すなわち、avı-ryava-n は、人間の生命力や勇敢さの源泉である精液 が体内に所有されていない状態を指す。換言すれば、精液が身体の外部 に漏洩した状態を意味する。 反対に、vı-ryava-n、すなわち、精液が体内に把持された状態とは、 サッティヤーグラヒーが自身の生命力を身体内に最大限に発揮している 状態を意味する。これによって、サッティヤーグラヒーの「心」は「引 き締ま」り、恐れを知らない者になるとされた。このような vı-ryava-n になるための実践を、後に詳しく見る通り、ガーンディーは「精液結集 . (vı-ryasangrah) 」や「精液把持(vı-ryanigrah) 」などと呼んでいた。 詰まるところ、ガーンディーがブラフマチャリヤの誓いを交わして性 交渉を絶った背景には、単に道徳的な純潔を目指すという静寂主義的な 動機だけでなく、困難なサッティヤーグラハを果敢に行っていくために、 精液を体内に蓄積させ、身体の生命力を最大化させるという能動的な目 的があったのであった。 一方で、引用箇所では、 「性的快楽(vis.ay) 」についても語られてい る。つまり、性的快楽に放縦することで精液喪失に陥いることが警戒さ れている。この状態になることで、その人の「心は引き締まらな」くな り、 「臆病に、また、劣ったもの」になると言われている。 先ほど、ブラフマチャリヤが「アートマーの浄化」と換言されていた ことを見た。このように考えられていたのはまさに、ブラフマチャリヤ が「性 欲(ka-m, vis.aynı- iccha-) 」や「情 欲(vika-r) 」と い っ た「穢 れ 」を回避し、精液結集によって心身の内に生命力や勇敢さを涵養 (dos.) する実践を意味していたからであった。このような「アートマーの浄 化」によって、サッティヤーグラヒーの「アートマーの力」は心身の内 で最大限に発揮されると信じられた。 以上のような HS で語られるガーンディーの精液結集の思想は、ハ 105.
(15) 南アジア研究第29号(2017年). タ・ヨーガやアーユルヴェーダなどの思想を通して、インドで広く人口 に膾炙した身体実践の一つでもあった[Alter 1994, 1997] 。だが、ガーン ディー自身はこのブラフマチャリヤの意義を、30歳を過ぎた1900年前後 からようやく自覚するようになっていった[AK:340, 352-354] 。ここで は詳細に論じることはできないが、1903年にブラフマチャリヤの実験の 一つである精液結集の意義を発見し、それを哲学的に基礎付けていく上 で重要な役割を果たしたのが、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ [1965]や M. N. ドヴィヴェーディ[2001]による『パタンジャリのヨー ガ・スートラ(Patan˜jali Yogasu¯tra) 』の注解書であった。特に、ヴィ ヴェーカーナンダの『ラージャ・ヨーガ(Ra-ja Yoga) 』 (1896)に記さ れたブラフマチャリヤの誓いについての解説は、上で引用した HS の引 用箇所の言葉と、文体と訳語の点でも一致する点が多く、その深い影響 30. を窺うことができる 。 3-2-2 「秘密の章」の記述. 南アフリカ滞在中のガーンディーが、自身の考える精液結集の意味に ついて最も詳しく解説した記事が、IO 紙の1913年4月26日号に掲載さ れた「秘密の章(Guhya Prakaran. ) 」であった。この記事は1913年1月 4日から8月16日にかけて各週で IO 紙に連載された『健康に関する一 般的知識(A¯rogya vise Sa-ma-nya Jn˜a-n) 』 (以下、 『健康』 )という著作の 31. 第9章に当たるものである 。ここで説かれている「健康(arogya) 」 の概念を、ガーンディーは人間に内在する「自然(kudrat) 」を適切に 機能させることで、心身を最善の状態で維持することを意味するものと 32. して説明している[IO, 1913年1月11日号]。 この「秘密の章」の内容を吟味する上で留意すべきことは、この章の 出版が1913年4月26日であったということである。南アフリカ滞在期の サッティヤーグラハは、1906年から1914年の間に合計3つの段階に分け 33. て行われたが 、この1913年4月26日とは、ガーンディーの3度目の サッティヤーグラハの開始が宣言されるちょうど一週間前に当たる。こ の3度目のサッティヤーグラハは後にガーンディーによって「最終戦争 (chevat.na- yuddh) 」とも呼ばれ、そこにおいては、それまでの闘争にな 34 い大規模な市民的不服従運動が行われた 。この最終戦争の開始が宣言 される直前の時期に、 「秘密の章」が出版されたことは偶然であったと は考え難い。すなわち、ガーンディーは「秘密の章」を出版することで、 106.
(16) 公私を架橋する身体のポリティクス. ガーンディーのブラフマチャリヤの実験とサッティヤーグラハ闘争の誕生. 最終戦争に備えてサッティヤーグラヒーに精液結集の意義を伝えようと したと考えられる。以下、 「秘密の章」の内容を吟味していきたい。 まず、記事の冒頭部で、ガーンディーは「秘密の章」の意義を次のよ うに語っている。 [……]私はこの章を特別の注意を持って読み、また、それにつ いてよく考えるように薦める。他の章[に書かれた事柄]にも従 うべきであろうし、私はそれらが有用であると信じている。だが、 この主題に比べると、他のいかなる章も重要ではない。 [IO, 1913 年4月26日号]. ガーンディーはここで、 「秘密の章」が合計15の章で構成される『健康』 の中でも最も重要な章であることを明記している。 続けて、ガーンディーは次のように説く。 健康には多くの鍵(ca-vı-o)があり、それら全てが必要なもので ある。だが、それらの内で主要な鍵(mukhya ca-vı-)はブラフマ チ ャ リ ヤ で あ る。 [……]女 性 と 男 性 の 両 方 が 健 康 と い う 富 (arogyarupı dhan)を貯蓄するためには、適切なブラフマチャリ ヤが必ず必要となってくる。そのことにおいて、疑いを挟む者は ない。自身の精液を貯蓄する(vı-rya sa-cvyum . )者こそが、精液 把持者(vı-ryava-n) 力を持つ者(bal.va-n)と呼ばれるのであ り、また、 [そう]見なされる。 [IO, 1913年4月26日号] ガーンディーは、 「健康」のための様々な鍵の中でも、ブラフマチャリ ヤが主要な位置を占めるものであり、それが男女双方にとって、 「健康 という富」を「貯蓄」する上で必要不可欠な実践であると主張する。そ し て、ガ ー ン デ ィ ー は そ の よ う な 富 の 貯 蓄 と い う 作 業 が、 「精 液 (vı-rya)を貯蓄する」ことによって、 「精液把持者(vı-ryava-n) 」になる ことを意味すると述べる。この精液把持者とは「力を持つ者」とも言わ 35. れた 。 そして、ガーンディーはこの精液の貯蓄を、 「秘密のシャクティ」と いう概念との関係から次のように述べる。 107.
(17) 南アジア研究第29号(2017年). !. !. !. !. !. !. !. !. 私 た ち に 自 然(kudrat)が 与 え た 秘 密 の シ ャ ク テ ィ( guhya s´akti)を制圧し(daba-vı-) 、 [それを、]私たちの身体(s´arı-r)の . 中で把持(sangr.ahı-t)し、その使用によって、私たちの健康を 向上(vadha-rva-ma-m . )させること。そのような健康は、ただ身 体 の(s´arırnum [健 康 を 意 味 す る の]で は な く、心 の(man.) ブッディ. num [健 康] 、智性 の(buddhinum [健 康] 、ま た、記 憶 の .) .) (yads´aktinum [健康を意味するもの]なのである。 [IO, 1913年4 .) 月26日号;強調筆者] すでに述べた通り、ガーンディーにとって、健康とは内なる「自然 (kudrat)」が適切に機能している状態を意味する。このグジャラー ティー語の “kudrat” という語には、 「自然」といった意味以外にも、 「内在する力(inherent power) 」という意味がある[Deśpa¯n.d.e 2002: 225] 。つまり、精液結集をすることの目的とは、 「自然が与えた秘密の. シャクティ」という「内在する力」を「制圧」することで、それを「私 たちの身体の中で把持し、その使用によって、私たちの健康を向上させ ること」にあるとされた。この「秘密のシャクティ」は、本章のタイト ルである「秘密の章」という言葉にかかっている(この「秘密」という 言葉はこの記事の中で唯一上の引用箇所で使用されている) 。 一方で、HS 同様に、ガーンディーは「秘密の章」の中で、ブラフマ チャリヤの実験に伴う「性欲」や「性的快楽」の問題に強い警鐘を鳴ら している。例えば、ガーンディーは「秘密の章」の中で、性欲の弊害に ついて次のように述べている。 性欲に囚われた(ka-mma-m . )男性たち、女性たち、また、少年少 女たちが、完全に混乱して(taddan ba-vra-m . )しまっているのを 私は見た。私自身の経験はそれと何ら変わらない。その状態に私 が陥ったときは常に、私の意識(bha-n)を私は忘れ去ってし まっていた。 [性欲]とはまさにそのようなものである。このよ 36 うな僅かなトウアズキの実 (ratı-bha-r)の(快[sukh] )のため に、全く私たちの大量の特別な力(viśes. bal. )を一瞬にして喪失 するのである。 [IO, 1913年4月26日号;丸括弧の補足語は原文]. 108.
(18) 公私を架橋する身体のポリティクス. ガーンディーのブラフマチャリヤの実験とサッティヤーグラハ闘争の誕生. ガーンディーは性欲に囚われることによって、自身を含め人々が「完全 に混乱してしま」い、正気ではなくなってしまうことを語っている。そ れだけではなく、性欲はトウアズキの実のように見た目は美しいが「有 毒」であり、それに放縦することで得られる「快」の代償に、 「大量の 特別な力」を「一瞬にして喪失する」ことが言われている。この特別な 力とは、精液の結集によって得られた「秘密のシャクティ」に他ならな い。 さらに、 「秘密の章」では次のように述べられている。 性欲に耽るにもかかわらず子孫を発生させないということ[=避 妊]を説明する専門家たち(bata-vna-ra- dhandha-rthı-o)がいる。 我々はこのような罪障( pa-p)からまだ免れている。だが、我々 の女性たちに重荷を背負わせて、我々は少しも考慮することをせ ず、我 々 は 子 孫 が 脆 弱(nabal.ı-)に な り、精 液 が 欠 如 し て (vı-ryahı-n) 、女々しく(ba-ylı-) 、また智性に欠けて(buddhihı-n)し まうことを気にもかけない。 [IO, 1913年4月26日号] 先に HS で、ガーンディーが精液の喪失によって、サッティヤーグラ ヒーが「男らしさ」を失い、 「卑しい状態」に陥ることを語っていたこ と を 見 た。 「秘 密 の 章」で も 同 様 に、精 液 の 喪 失 に よ っ て、人 間 が 「女々しく」なり、 「智性」が欠如することが述べられている。 これらの他に、ガーンディーは次のようにも説く。 私自身の体験と私が知った他の者たちの体験によって、私は何ら 怯むこと無く健康を維持するために性欲は必要ないと言うことが できる。それだけではなく、性欲[ に放縦 ]することによって 精液の排出(vı-rypa-t)によって、健康を著しく害してし まう。長年をかけて形成された力(majabu¯tı-) の、ま た、体(tan)の. 心(man). は、た っ た 一 回 の 精 液 の 排 出 に. よって、後に多くの時間を必要とするようになってしまい、また、 そのような時間が経ったところで初めの状態には戻ることはでき ない。 [IO, 1913年4月26日号]. 109.
(19) 南アジア研究第29号(2017年). このようにガーンディーは、性欲の放縦による精液の排出に強い警鐘を 鳴らしている。なぜなら、精液の排出が一度起これば、その完全な修復 は不可能とされていたからであった。 以上のように、 「秘密の章」の中では、HS で語られていた精液結集 が持つ効用と性欲に伴う弊害の両方がより詳しく説明されていた。すな わち、 「秘密の章」の中では、精液結集や性欲放縦の問題が明確に「秘 密のシャクティ」あるいは「大量の特別な力」との関係で説明されてい た。サッティヤーグラヒーはブラフマチャリヤの誓いを交わして性欲統 制をし、 「精液把持者」になることで初めて自身のシャクティを心身の 内に適切に機能させた「真の健康(kharum 」 [IO, 1913年4月26 . arogya) 日号]を得ることができるのである。 このようなブラフマチャリヤとシャクティとの関係を知ることで、初 めてブラフマチャリヤとサッティヤーグラハとの関係も明らかとなる。 つまり、本稿の第2節で見た通り、サッティヤーグラハがそれまでの受 動的抵抗と異なる「全く新しいもの」となるためには、内なるアート マーの応答によってシャクティの存在を確かにする作業が欠かせないこ とが主張されていた。なぜなら、このシャクティの存在無しに、神の誓 約に伴う重い宗教的責任と艱難を、恐れを知らずに果敢に引き受けてい くことは不可能だったからである。そして、本節で見てきた通り、ブラ フマチャリヤの実験の一つである精液結集によって、自身の生命力や勇 敢さを最大化した精液把持者こそ、このようなシャクティを「制圧」し、 それを身体内に適切に機能させることができると考えられたのであった。. 4 おわりに 本稿ではガーンディーのサッティヤーグラハ誕生の過程に、身体統制 の宗教実験であるブラフマチャリヤがいかなる役割を果たしていたのか を見てきた。具体的には、次の二点を論じる中で両者の因果関係を明ら かにした。 第一に、1906年9月11日にサッティヤーグラハが誕生したことのそも そもの意味について論じた。サッティヤーグラハが誕生したことの意味 とは、単に集会で新アジア人登録法案に反対する平和的不服従の政治的 決議を採択したことにあったのではなく、その決議を通過する「仕方」 に込められた「秘儀」をガーンディーが見出したことにあった。つまり、 110.
(20) 公私を架橋する身体のポリティクス. ガーンディーのブラフマチャリヤの実験とサッティヤーグラハ闘争の誕生. ガーンディーは集会の中で突如、神を証人とした誓約をめぐる重い宗教 的責任と、その誓約を遵守することの困難さ、さらに、誓約を果敢に引 き受けるために「シャクティ」が必要であることを理解した。 第二に、このような政治闘争をめぐる「秘儀」の発見が、集会の7週 間前に開始されたブラフマチャリヤの実験といかなる関係にあったのか を論じた。ガーンディーのブラフマチャリヤの実験とは、単に性的な純 潔を目的とした禁欲的戒律を意味するものではなく、生命力や勇敢さの 源泉である「精液」を蓄積して「秘密のシャクティ」を身体内に適切に 機能させることを企図するものであった。このような精液結集を主要な 内容とするブラフマチャリヤの実験が開始されたことは、その直後に サッティヤーグラハが「自然発生的に、非意志的に」起こるための「準 備」の役割を果たした。 以上、本稿では先行研究で未解明であったガーンディーのサッティ ヤーグラハ闘争が誕生したことと、ブラフマチャリヤの実験が開始した こととの具体的な因果関係を明らかにした。このような両者の関係を明 らかにした上で、本稿の最後に、次の点について付記しておく必要があ る。 つまり、 「存在」をその意味の根幹に据える「真理」を堅持すること を第一義的に意味するサッティヤーグラハにおいて、真理に対する絶え 37. ざる理解の深化は不可欠とされていた 。換言すれば、南アフリカ滞在 期のサッティヤーグラハとブラフマチャリヤの実験との関係に対する ガーンディーの理解は決して最終的なものではなく、その理解のあり方 は後の生涯において少なからず発展・変容していった。 このような理解の発展・変容という側面に着目するならば、南アフリ カ滞在期のサッティヤーグラハとブラフマチャリヤの関係に対するガー ンディーの理解には次のような特徴を見出すことができる。それは、本 稿でも度々論じてきた精液結集を行う上で欠かせない性欲の克服という 主題に関わるものである。つまり、ガーンディーは AK の中で、南アフ リカ滞在期に「身体的なブラフマチャリヤ(kayak brahmacarya)の遵 守」において、 「甚大な苦しみ(maha- kas.t. )に耐えなければなら な かった」ことを告白していた[AK:340] 。なぜなら、南アフリカ滞在期 のガーンディーは、性欲の問題を克服するための具体的な身体技法をま だ見出していなかったからである。 111.
(21) 南アジア研究第29号(2017年). 例えば、ガーンディーは本稿の第3節・第3項で扱った「秘密の章」 の中で、性欲の弊害について細々と語った後に、記事を次のような言葉 で締め括っている。 いつでも性欲が起こった時は、冷たい水風呂に入りなさない。そ のようにすることで、身体の中の大炎(maha-agni)は、他の、 あるいは、良い形(bı-jum . ane sarum . )を獲得し、男性と女性の 両方にとって益になり(upakarı) 、彼らは真の幸福の中に(kharasukhma-m . )いることだろう。このようにすることは難しいが、 諸々の困難な事柄に打ち勝つために、私たちは生まれてきた。健 康を得たい者たちは、この困難に打ち勝たなければならない。 [IO, 1913年4月26日号] ガーンディーはサッティヤーグラヒーにとって最大の弊害である性欲と いう「大炎」を沈静化する手段として、南アフリカ滞在期の時点では、 38. ただ「冷たい水風呂」に入ることを勧めることしかできなかった 。性 欲の弊害を認識しながらも、それを克服するための方法を水風呂以外に 示すことができなかったガーンディーは、しばしば自身のブラフマチャ 39. リヤの実験に心理的・身体的な負担を感じていた 。 これに対して、インド帰国後、より具体的には1920年代中盤以降の ガーンディーのブラフマチャリヤの方法は、 『バーガヴァタ・プラーナ』 や『ギータ・ゴーヴィンダ』を始めとしたプラーナ文献に対する評価、 ハヴェロック・エリスを始めとした西洋の性科学、近代タントラ学など の知見を取り入れることで、その抑圧的性質から少なからず解放されて いった[Hazama 2017:1409-1417;間 2017:180-211] 。1920年代後半で、 ガーンディーはもはやブラフマチャリヤの誓いの遵守をめぐって「私は 恐れなく(nirbhay)なった」とも語っている[AK:340] 。 このようなガーンディーの理解の発展・変容という側面を見落とすべ きではないものの、本稿で明らかにしたサッティヤーグラハとブラフマ チャリヤとを結び付けるシャクティ、アートマー、精液といった概念に 特徴付けられるガーンディーの宗教形而上学の基礎的枠組みは南アフリ カ滞在期以降も一貫して把持されていった。. 112.
(22) 公私を架橋する身体のポリティクス. 1. ガーンディーのブラフマチャリヤの実験とサッティヤーグラハ闘争の誕生. 本稿は、筆者の博士学位論文「M. K. ガーンディーの『宗教政治』思想 ティ認識の変容とナショナリズム運動の展開 生/発生. 2. 誓い・精液・霊力. セクシュアリ. 」の第1章「サッティヤーグラハ闘争の誕. 」[間 2017:37-67]を加筆修正したものである。. 本稿で頻繁に使用する以下のガーンディーの一次史料については、本文・注ともに略号を 使用する。Ga¯ndhı-jı-no Aks.ardeh: Maha¯tma¯ Ga¯ndhı-na¯m . Lakha¯n.o, Bha¯s.an.o, Patro Vager. eno Sangrah[1967-1992]は GA、The Collected Works of Mahatma Gandhi[19561994]は CWMG、Daks.in. A¯phrika¯na¯ Satya¯grahano Itiha¯s[1950]は DASI、Satyana¯ Prayogo athva¯ A¯tmakatha¯[1947]は AK、Hind Svara¯j[1978]は HS とする。また、本 稿で使用する以下のガーンディー自身が発行していた週刊紙も略号を用いる。Indian Opinion[1904-1919]は IO、Young India[1919-1931]は YI とする。. 3. 日常的真理という点について、T. K. マハーデーヴァンは次のように説く。「ガーン ディーの真理は、本質的に日常生活の実存的真理である。それは完全に制約された空間と 時間の中において状况付けられる真理である。それは与えられた文脈の中に位置付けられ !. !. !. !. !. た、疑いのない自明な真理であり、そ れ ゆ え に、絶対的である」[Mahadevan 1973: 117;強調筆者]。 4. 一般的に「主張」の意味で使用されることが多い「アーグラハ」が、サッティヤーグラハ が説明される際に、ガーンディーによって多様な英語に訳されていた点は、東京外国語大 学名誉教授の田中敏雄先生に教えていただいた。この場をもって感謝申し上げます。. 5. 南 ア フ リ カ 滞 在 期 以 降、ガ ー ン デ ィ ー は し ば し ば「手 段(sa¯dhan)」と「目 的 (sa¯dhya) 」は不可分であることを説いた。倫理的動機を放棄して得られる政治的成果は、 仮に物理的利益を保証する場合も「勝利( jı¯t) 」とは見なされなかった[HS:170-181; DASI:122] 。ちなみに、ガーンディーは、1942年6月に4日間(4日から9日まで)に 亘って行われたルイス・フィッシャーによるインタビューの最終日で、「これだけ多くの 人々へのあなたの影響をどのように説明なさいますか?」というフィッシャーからの質問 に対して、「私の影響は私が真理を探求していることによるものではないかと思います」 と答えた[CWMG 76:447]。. 6. ガーンディーは「宗教(dharm)」の意味を、「アートマー(a¯tma¯;魂、個我、自己)の観 点から遵守された倫理(a¯tma¯nı¯ dr.s.t.e pa¯.l elı¯ nı¯ti te dharm)」と定義していたが[AK:7]、 本稿ではこの定義に基づいて、ガーンディーの「宗教」や「宗教的」という語を、制度宗 教の意味に限定されない「アートマーの探求(a¯tma¯nı¯ s´odh)」に関わる諸実践の意味で使 用する。. 7. CWMG を参考にする限り、1920年8月16日のタミルナードゥのタンジャーヴール県のク ンバコーナムで行われた非協力運動に関する演説で、最初にこの言葉が使用されている [CWMG 18:169]。それ以前に、1920年3月25日に出版された会議派の報告書で“non-violent disobedience”という語が使用されている[CWMG 17:158]。また、YI の1920年8 月11日号では、 “non-violent non-co-operation”という語が使用されている。. 8. 例えば、ボンデゥラントは次のように述べる。「恐らく、私の解釈において示唆される次 の点について明確に打ち立てておくべきだろう。つまり、ガーンディーの非暴力行動の技 術における主要な貢献を理解し評価する上で、彼の特徴である禁欲主義にも、彼の宗教思. 113.
(23) 南アジア研究第29号(2017年). 想にも、いずれについても議論を加える必要はないという こ と で あ る」[Bondurant 1958:vi] 。殊に「ブラフマチャリヤ」という言葉は、ボンデゥラントの著作全体を通し て僅か一回しか言及されていない[Bondurant 1958:12]。その他の G. Sharp[1979] 、 McCarthy and Sharp[1997]、M. Randle[1994]などの広く読まれている研究において も、政治的戦略としてのサッティヤーグラハの意味は論じられているものの、宗教的意味 局面についての説明はほとんどない。 9. オルターはガーンディーの「真理の力(truth-force)」としてのサッティヤーグラハ思想 の意味を、フーコーの身体論および知=権力論を用いて解釈しようとする。オルターの研 究は、サッティヤーグラハ思想に、ブラフマチャリヤというガーンディーの身体統制の実 験が重要な意味を持ちうることに着目した点で評価されうるが、結局のところ、両者が ガーンディー自身のいかなる思想や理解に根差して結び付けられていたのかを解明してい ない。オルターは、ガーンディーがサッティヤーグラハを開始する直前に、ブラフマチャ リヤの誓いを立てたという時系列的事実のみを根拠として、両者の「決定的な」結び付き を主張している[Alter 2000:24-25]。 一方、ハワードの研究は、ガーンディーのサッティヤーグラハとブラフマチャリヤとの 関係を説明する際に、エリアーデやツィンマーなどの二次文献やガーンディー自身が読ん だか定かで は な い ヒ ン ド ゥ ー 教 の 経 典 を 引 用 し な が ら 自 ら の 解 釈 を 構 築 し て い る [Howard 2013:81-122] 。ハワードの解釈は、あたかもガーンディー思想がある不変不動 のヒンドゥー教の「伝統的ルーツ」[Howard 2013:81-122]や「伝統的原理」[Howard 2013:37-80]を表象するものであるという本質主義的立場とも見受けられなくない。. 10. 正式名称は、 “Asiatic Law Amendment Ordinance, No. 29 of 1906”。通称、「暗黒法(Black Act)」とも呼ばれる(グジャラーティー語では、「暗黒法」は、 “khu¯nı¯ ka¯yado”と言わ れていたが、これは直訳すれば、「殺人法」や「血の法」を意味する)。法案には次のよう な規制が含まれた。 (1)トランスヴァールに居住権を持つ8歳以上の全てのインド人. (男女同様)は、アジア人局に名前を登録し、登録証を取得しなければならない;(2) 申請の際に、申請者は全ての指の指紋を登録しなければならない;(3)未申請者は犯罪 とされ、投獄、罰金、あるいは国外追放を命じられる;(4)警察官が要求すれば、登録 者は通行中であれ、いつでも登録証を提示しなければならない;(5)登録証を提示しな かった場合は、投獄、罰金を課せられる;(6)警察官は登録証確認のために登録者の個 人宅に入ることができる[DASI:113-114]。 11. ビク・パーレークが指摘しているように、ガーンディーのグジャラーティー語の宗教概念 が秘書たちによって英訳される際、しばしば原語に含まれるインド哲学の形而上学的含意 は西洋哲学・神学的概念によって置換された。パーレークは、この翻訳の問題について指 摘した論文の結論部で、 「ガーンディーの[英訳された]著作は新たに翻訳され直すべき だ」と主張した[Parekh 1986:172]。一方で、パーレークの主張は行き過ぎているとし て、秘書たちの翻訳の重要性を擁護する声も上がっている[Suhrud 2010:ix-x]。. 12. 唯一の例外は、1927年に出版された小冊子の Gandhi[1947]であった。. 13. 「サッティヤーグラハ」の語が初めて文書に登場するのは、ガーンディーが生涯で最初に 入獄した翌日に出版された IO 紙の1908年1月11日号である(入獄期間は、1908年1月10 日から30日まで) 。記事自体は、1月10日より前に書かれた。. 114.
(24) 公私を架橋する身体のポリティクス. 14. ガーンディーのブラフマチャリヤの実験とサッティヤーグラハ闘争の誕生. CWMG を参考にする限り、この言葉が最初に文書に現れるのは、 『スター(The Star)』 紙の1906年9月22日号に掲載されたガーンディーの記事である。ガーンディーは1906年9 月14日以前に新聞社に記事を送っている[CWMG 5:430]。. 15. ガーンディーは、 「闘争が進展する内に、受動的抵抗という名によって混乱が起こって いったし、また、この偉大な戦争(maha¯ yuddh)を英語の名で知らせることが私には恥 ずかしく思われた」と述べる[DASI:125]。ガーンディーによれば、受動的抵抗を行う 者は、 「弱者(nabl.a¯)であるがゆえに、仕方なく受動的抵抗[という平和的手段]を使用 していると信じ込んでいる」のであり、「機会を得さえすれば、すぐにその弱者の武器を 捨て去ってしまう」という。これに対してサッティヤーグラハは、「自身を強者(sabal.) と信じ、そのシャクティ(s´akti)を使用する」 。つまり、後者は「物理的力(s´arı¯rbal.)」 あるいは「武器の力(hatiya¯rbal.) 」を越えた「アートマーの力(a¯tmabal.)」に依拠した 強者の運動とされる。ガーンディーはこの「二つの力(s´aktio)の間の主要な相違」を、 闘争を進める中ではっきり確信するに至った[DASI:130-131]。. 16. グジャラーティー語の「イティハース(itiha¯s)」という語は、「過去の物語(story of the past) 」という意味を持ち、最も一般的には「歴史(history)」と訳される[Deśpān.d.e 2002:119] 。ゆえに、Daks.in. A¯phrika¯na¯ Satya¯grahano Itiha¯s は、英語で The History of Satyagraha in South Africa と訳されることが想定されるが、ガーンディーは DASI の英 訳の題名を、Satyagraha in South Africa として history という言葉の使用を控えた. [Gandhi 1928]。これは、トリディープ・スフルドが指摘するように、ガーンディーが意 図的にしたことであった[Suhrud 2012:8-9]。HS でも論じられているように、ガーン ディーは英語の history とグジャラーティー語の“itiha¯s”との間には重要な意味の相違 があると考えていた[HS:182-185;Parekh 1999:272-293]。このような点を考慮して、 本書では、グジャラーティー語の itiha¯s を「歴史」と和訳せず、あえて「イティハース」 とカタカタで表記した。 17. その内容とは、「[新アジア人登録法案]に対抗して、全ての手段(upa¯yo)を採ったにも かかわらず、それが通過してしまった場合、インド人たちは、それに服従(s´aran.e)しな いこと、また、服従しないことにより降りかかるあらゆる苦(duh.kho)を全て被る(sahan) 」というものである[DASI:117;IO, 1906年9月15日号]。. 18. 例えば、ガーンディーは大集会が開かれる2日前に、ハミーディヤー・イスラーム協会の 集会で行った演説で、すでに決議案の内容について語っていた[IO, 1906年9月22日号]。. 19. 南アフリカ滞在期のサッティヤーグラハ闘争においては、アヒンサーの代わりに「慈悲. (daya¯) 」や「愛(prem)」の概念が最も頻繁に用いられていた。だが、この慈悲や愛の概 念も、この集会の時点では語られていなかった(サッティヤーグラハとの関係で慈悲概念 が使用されるのは、IO 紙の1907年2月23日号からである) 。ちなみに、ガーンディーが DASI 執筆時に、南アフリカのサッティヤーグラハを回想した際には、その運動原理をア ヒンサーではなく「平和(s´a¯nti)」という概念を用いて説明していた[DASI:126]。ア ヒンサーという語の使用起源については、間[2017:146-155]を参照されたい。 20. ガニーは自身の演説の締め括りで、「我々は柔和さ(narma¯s´)に訴えかけていくべきであ る。誰も辛辣な言葉(kad.va¯m . vacan)を言ったり聞いたりする必要はない」ことを確認 している[IO, 1906年9月15日号]。. 115.
(25) 南アジア研究第29号(2017年). 21 22. 決議案第四号以外の決議案については、IO 紙の1906年9月22日号を参照されたい。 ちなみに、当時の史料である IO 紙の1906年9月22号では、極めて簡潔に、ガーンディー の演説があったという事実のみが英語欄で報告されている(ガーンディーの演説は、IO 紙上に三人称形で、僅か一段落で報告されているに止まる)。また、そこでは DASI で記 されているような宗教概念についても触れられていない。そこでは、もし協会の要求が受 理されなかった場合は、「すぐに入獄すること」や「大英帝国の臣民として[……]イギ リス人に対して一切の不誠実を示すべきではない」ことが述べられているのみである。だ が、記事の最後に、 「状況に応じて英雄的な一歩を踏み出す必要があり、彼[=ガーン ディー]は彼ら[=聴衆]全てがそれをすることを知っていた」という言葉が見られる。 また、演説の後には「大きな拍手」があったことも記されている[IO, 1906年9月22日 号] 。. 23. ガーンディーは演説の中で、「誓約」の概念を、ウルドゥー語表現の“kasam”と、サン スクリット語起源の“pratijn˜a¯ ”の両方の言葉で表現している(また、一度だけ「誓い. (vrat) 」という語も使用した)。これに加えて、ガーンディーは「神」の名もヒンドゥー 教の I¯s´var とイスラーム教の Kuda¯ の両方を用いて説明している。ここで、ガーン ディーが自身のサッティヤーグラハに含意される宗教的意味局面を、特定の宗教伝統に根 差すものとして語っていない点は重要である。後にガーンディーが記した『ヒンド・スワ ラージ(Hind Svara¯j) 』の言葉を借りれば、サッティヤーグラハは「全ての宗教の中にあ る宗教(e badha¯ dharmma¯m . je dharm rahyo che)」に根ざすものとされた[HS:81]。 24. ちなみに、南アフリカ滞在期のガーンディーは、「存在」を意味する言葉として sat 概念 はまだ使用していなかった。ここでガーンディーはより形而上学的含意の薄い hastı¯ を使 用している。. 25. サンスクリット語の「アートマン(a¯tman)」と同意。. 26. 本稿の注23で述べたように、ガーンディーは演説の中で、サッティヤーグラハを特徴付け るいくつかの鍵概念をサンスクリット語起源の言葉とウルドゥー語表現の言葉の二つを用 いて説明していた。しかしながら、この演説の要ともなる重要部分で、ガーンディーが. 「内なるアートマー」や「シャクティ」といったヒンドゥー教的概念を使用している点は 特筆に値する。このことに対する可能な説明としては、ガーンディーがこの「内なるアー トマー」といった発想を、ヒンドゥー教固有のものではなく、同時代の西洋エソテリシズ ムの言説にも広く流布していた「内なる声(inner voice)」や「内なる魂(inner soul) 」 といった普遍宗教的な概念として使用していたことが考えられる。ガーンディーはイス ラーム教の中でも、スーフィズムに代表される神秘主義の自己観照的伝統に深い関心を 持っており、 「魂/自己の探求」という主題が全ての宗教に通じうる普遍倫理であると信じ ていた。 「真理」や「慈悲」といった概念についても同様のことが言える。「シャクティ」 については、 「霊力」の他に、特定の信仰の有無を問わず使用可能な「能力」一般の意味 も含まれる。 27. ガーンディーが演説をしている最中、「人々は必死に鎮まって一言一句を聞い」ていたと 言われる[DASI:123] 。そして、演説が終わった後、会場から「大きな拍手」が起こっ た[IO, 1906年9月22日] 。そして、集会の最後には全員が「立ち上がり、手を高く上げ、 神を証人として(I¯s´varne sa¯ks.ı¯ gan.ı¯ ne)、法が通過しても、それを支持しないことを誓約. 116.
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