「妖物絵」の誕生 : 『百鬼夜行絵巻』とはなにか
著者 西山 克
雑誌名 関西学院史学
号 43
ページ 97‑122
発行年 2016‑03‑20
URL http://hdl.handle.net/10236/00025742
﹁ 妖
物 絵 ﹂
の 誕 生
│
│﹃ 百 鬼 夜行 絵 巻
﹄と は な にか
│
│
西 山
克
は じ め に
﹃百 鬼夜 行絵 巻﹄ とい う名 付け で知 られ る絵 巻物 の成 立 につ い て 語り た い と 思う
︒室 町 時 代の 作 例 で土 佐 光 信 の筆 と伝 えら れる 大徳 寺真 珠庵 本を 筆頭 に︑ この 一群 の特 異な 絵巻 物に は︑ 狭義 の美 術史 を超 えた 様々 な言 説が 纏わ りつ いて いる
︒ 近 世に 制作 され た異 本類 と真 珠庵 本と の 関 係︒ たと え ば 東京 国 立 博 物館 蔵 の﹃ 百 鬼夜 行 図︵ 模 本︶
﹄と の 関 係 をど う見 るか
︒あ るい は異 本類 相互 の関 係︒ 院政 期以 降に 成立 した 説話 集に 登場 する 百鬼 夜行 のイ メー ジが
︑近 世社 会で この 絵巻 物に 付与 され る以 前の 名称
︒真 珠庵 本の 画面 に描 かれ た妖 物の 図像 がお おむ ね器 物の 怪で あっ たた めに
︑器 物 の大 量 生 産・ 大量 消 費 社会
│す な わ ち 室町 社 会 の到 来 と リン ク さ せ る言 説
︒器 物 の怪 の 前 史
︒そ し て 器 物 の 怪 を
﹁ 付喪 神﹂ と規 定す る他 の絵 巻と の関 係な どな ど︒ こ うし た﹃ 百鬼 夜行 絵巻
﹄を めぐ る 言説 史 に つい て は︑ 小 松茂 美 編
﹃能 恵 法師 絵 詞 福 富草 紙 百 鬼 夜行 絵 巻
﹄ 九 七
や田 中貴 子﹃ 百鬼 夜行 の見 える 都市
﹄︑ さ らに
﹃図 説百 鬼夜 行絵 巻を よむ
﹄︑ 新し いと ころ では 小松 和彦
﹃百 鬼夜 行絵
︵!
︶
巻の 謎﹄ など の先 行研 究に 詳し いの で︑ それ に 譲 ると し て︑ こ こで は
︑﹃ 百 鬼 夜行 絵 巻﹄ 諸 本の 系 統 分析 や そ の 画面 に描 かれ た妖 物の タイ ポロ ジー に︑ 私自 身は たい し て 興味 が な いこ と だ け は告 白 し てお き た い︒
﹃百 鬼 夜 行 絵巻
﹄を どの よう な社 会的 想像 力の 所産 と見 るの か︑ 私に 興味 があ るの はこ れだ けで ある
︒ そ の点 で︑ 真珠 庵本 の末 尾に 描か れた 不気 味な 赤い 玉に つい ての 論争 は︑ 一見 単純 では ある が︑ こと の本 質に 繋が りを 持っ てい るか もし れな い︒ なぜ なら これ を尊 勝陀 羅尼 の僻 邪の 炎と みる 見解 も妖 物の 嫌う 朝日 であ ると する 通説 も︑ この 絵巻 全体 の文 脈に 関わ る仮 説で ある から であ る︒
︻ 図1
︼ し か朝 日説 は成 り立 たな いだ ろう
︒室 町時 代の 妖物 たち が 常 に朝 日 の 光を 嫌 う と いう 論 証 を誰 も し たこ と が な く︑ ある のは その 確信 だけ であ る︒ じつ は画 面の どこ にも 夜の 闇を 暗示 する 記号 が描 かれ てい ない
︒た とえ ば松 明も 燭台 も眠 って いる 人︵ 妖物
︶も 遠吠 えす る犬 もい ない ので ある
︒い や︑ 絵巻 の全 体が 夜の シー ンで あり
︑赤 い球 形が 朝日 であ って も一 向か まわ ない のだ が︑ 個々 の図 像と その 付置
︑つ まり は作 品の 文脈 から その 蓋然 性を 証明 して ほし いだ けで ある
︒ 尊 勝陀 羅尼 説は
︑﹃ 付 喪神 絵巻
﹄の 祭礼 行列 が切 り出 され
︑﹃ 百鬼 夜行 絵巻
﹄に 変換 され たと する 田中 氏の 仮説 の一 環で
︑﹃ 付 喪神 絵巻
﹄に 描写 され た尊 勝陀 羅尼 のお 守か ら 発し た 炎 から の 類 推 が鮮 や か であ る
︒そ の 付喪 神 物 語 につ
︵"
︶
いて
︑﹃ 付 喪神 記﹄
︵国 会図 書館 蔵︶ から 概要 を示 そう
︒ 平
安時 代︑ 康保 年間
︵九 六四
〜八
︶の ころ のこ と︑ 立春 に先 立つ 煤払 いで 路頭 に捨 てら れた 家具 たち は︑ 彼ら を 捨て た 人 間た ち に 恨み を 抱 き︑ 節 分の 来 る のを 待 っ て妖 物 と な り復 讐 を 果た そ う と す る
︒そ の 姿 は
﹃付 喪 神
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
九 八
記﹄ では
﹁或 は︑ 男女 老少 の姿 を現 し︑ 或は
︑魑 魅魍 魎の 相を 変し
︑あ るい は︑ 狐狼 野干 の形 をあ らは す︑ いろ
! "
さま
! "
のあ りさ ま︑ おそ ろし とも 中
!
"
︑ 申は かり なし
﹂と 表現 され てい る︒ 彼 らは まず 船岡 山の 後ろ
︑長 坂の 奥︑ つま りは 鷹峯 にコ ミュ ーン をつ くっ た︒ 妖物 たち はそ こか ら京
・白 川に 下り
︑貴 賤男 女や 牛馬 六畜 を奪 い酒 のさ かな とし た︒ 酒呑 童子 物語 との 類似 性も 指摘 され てい るが
︑や がて 彼ら は鷹 峯に 社壇 を建 てて 変化 大明 神と 号し
︑信 仰の 拠点 とす る︒ 神 社が でき れば 祭礼 であ る︒ 妖物 たち は神 輿を 造り 一条 通を 東に 向か う︒ その 一条 通を 西に 向か って いた のが 関白 の一 行で あっ た︒ 供奉 の人 びと は妖 物と 出く わし た恐 怖で みな 地に 倒れ るが
︑関 白が 肌身 離さ ず持 って いた 尊勝 陀羅 尼の 御守 が︑ 数限 りな い炎 とな って 妖物 を撃 退し てし まう
︒ 朝 廷で はそ の尊 勝陀 羅尼 を書 いた 真言 宗の 僧に 依頼 して
︑清 涼殿 で如 法尊 勝法 を実 修す る︒ する と七
︑八 人の 護法 童子 が現 れ︑ 輪宝 の炎 など で妖 物た ちを 降伏 させ た︒ 如法 尊勝 法は 真言 宗小 野流 の範 俊が 天仁 元年
︵一 一〇 八︶ に行 った のが 初例 とさ れ︑ 康保 年間 では 時期 があ わな いが
︑そ れは たい した 問題 では ない
︒敗 れた 妖物 たち は数 珠の 一連 上人 に従 って 出家 を遂 げ︑ やが て物 語は 大団 円を 迎え る︒ 現
存す る付 喪神 物語 諸本 は如 法尊 勝法 の実 修を 強調 する 詞書 を持 って おり
︑明 らか に真 言宗 小野 流の 環境 でプ ロデ ュー スさ れた もの であ る︒
﹃ 付喪 神絵 巻﹄ は祭 礼行 列シ ー ンを 描 く か否 か で 二 つの 系 統 に分 か れ るが
︑共 通 し て 重要 なの は如 法尊 勝法 の強 調で ある だろ う︒ それ は言 うま でも なく 絵巻 の制 作環 境を 示唆 して いる
︒そ れに つい ては あら ため て触 れる こと があ る︒
﹃百 鬼夜 行絵 巻﹄ 真珠 庵本 の末 尾に 描か れる 赤い 球 形が
︑付 喪 神 物語 の 尊 勝 陀羅 尼 の 炎で あ る のか
︒私 は こ れ に否
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
九 九
定的 であ る︒ 付喪 神物 語の 妖物 たち は
︑﹁ 食 物の た め に︑ 貴賤 男 女 は︑ 申 にを よ は す︑ 牛馬 六 畜 まて も 取 け れは
﹂と いう 状態 であ った ため に︑ 真言 三密 を体 現す る如 法尊 勝法 の実 修に よっ て斥 けら れる ので ある
︒し かし
﹃百 鬼夜 行絵 巻﹄ の妖 物た ちは
︑描 かれ た図 像を どの よう に辿 って も︑ 人に 危害 を加 えて いな い︒ 彼ら には 尊勝 陀羅 尼の 炎を 浴び なけ れば なら ない 蓋然 性が まっ たく ない ので ある
︒
﹃百 鬼夜 行絵 巻﹄ をど う読 み解 くか
︒模 索し てい た 私の 前 に 一つ の 史 料 が現 れ た︒ 興 福寺 大 乗 院経 覚 の 日 記﹃ 経覚
︵!
︶
私要 鈔﹄ 寛正 三年
︵一 四六 二︶ 四月 五日 条の 記事 であ る︒ この 日︑ 経覚 は︑ 京都 醍醐 寺の 三宝 院義 賢か ら借 りた 四点 の絵 巻物 を返 却し てい る︒ 絵四 巻︿ 妖物 絵・ 禁中 閨合 絵鳥 羽筆
・和 王殿 絵・ 今一 巻墨 絵︑ 合四 巻﹀ 返遣 三宝 院︵ 義賢
︶了
︑為 悦之 由︑ 懇申 送了
︑ 貸 し手 の義 賢は 足利 義満 の同 母弟 であ る満 詮の 子で
︑武 家護 持僧 とし て聖 俗両 界を つな いだ 実力 者︑ 三宝 院満 済の 後継 者で あっ た︒ 経覚 が返 却し た絵 巻は
︑﹃ 妖 物絵
﹄・
﹃ 禁中 閨合 絵﹄
・﹃ 和 王殿 絵﹄
︑そ れに 墨絵 のそ れぞ れ一 巻で
︑合 計四 巻で ある
︒﹃ 禁 中閨 合絵
﹄に は鳥 羽筆 とい う注 記が つい てい る︒ 鳥羽 僧正 覚猷 に仮 託さ れた 烏滸 絵で あろ うか
︒
﹃妖 物絵
﹄の 存在 を知 った 時︑ 私は 室町 御所 が 妖物 に 占 拠さ れ た 嘉 吉三 年
︵一 四 四三
︶の 事 件 を思 い 出 し た︒ 伏見
︵"
︶
宮貞 成の 日記
﹃看 聞日 記﹄ から 関連 する 記事 を抜 き出 して みよ う︒ 八月 一〇 日条 昌耆 参︑ 対面
︑語 世事
︑八 幡之 怪︑ 二星 合等 於神 祇官 有御 占︑ 炎旱
︑火 事︑ 病事
︑兵 革等 之由 ト︑ 来冬 殊御
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一
〇
〇
慎云 々︑ 室町 殿ニ ハ有 妖物
︑七 尺計 之女 房︑ 大入 道等 御所 中行 云々
︑於 于今 不可 有御 座︑ 可被 新造 云々
︑
︹ 頭書
︺﹁ 或ハ 人の より あふ おと なひ
︑や なり 等有 奇異 事云 々︑
﹂ 八月 二四 日条 女中 申沙 汰︑ 人数 皆参
︑聞
︑大 方殿 一昨 日自 五大 堂烏 丸へ 移住
︑室 町殿 あけ られ て女 中皆 移云 々︑ 是妖 物発 向︑ 人之 頭共 食合 云々
︑番 衆共 なふ られ て以 外事 云々
︑仍 移住 也︑ 八月 二七 日条 伊与 局ま て参
︑聞
︑室 町殿 妖物 種々 形を あら はし て発 向︑ 番衆 難堪 忍云 々︑ 局女 等悉 御所 中あ けて 烏丸 へ移 住云 々︑ 諸大 名明 日寄 合て 可評 定云 々︑ 下之 御所 新造 治定 也︑ 九月 二日 条
烏
上丸
臈 参来
︑一 献︑ 座敷 へ召
︑祗 候︑ 若公 三条 御移 事ハ 不可 有其 儀︑ 烏丸 ニ暫 可有 御座 云々
︑彼 妖物 種々 異形 遮眼 之間
︑女 中悉 烏丸 移住
︑陰 陽寮 被占
︑於 于今 御帰 住不 可然 之由
︑一 同ニ 申︑ 仍御 所新 造治 定之 由被 語︑
︵!
︶
こ の 事 件の 経 過 につ い て は︑ 事 件の 政 治 的な 背 景 も含 め て 論 じた こ と があ る の で︑ ここ で は 詳 細 は 述 べ な い
︒た だ︑ 一連 の経 過の なか で語 られ る﹁ 室町 殿妖 物種 々形 をあ らは して 発向
﹂と いう 事態 がな かっ たな ら︑ 絵巻 の世 界で 妖物 が主 役に 抜擢 され るこ とも なか った だろ うと いう こと は︑ 強調 して おき たい
︒ も ちろ ん妖 物の 表現 は室 町時 代以 前か ら使 用さ れて いる
︒﹃ 宇 治拾 遺物 語﹄
︵陽 明文 庫本
︶巻 十二 ノ二 十三
﹁陽 成院 妖物 事﹂ では
︑か つて 陽成 院の 住ん だ 御 所が
﹁物 す む 所﹂ とな る
︒﹁ 浦 嶋 の子 が お とゝ
﹂と 名 乗 るこ の 翁 は︑ 巨 大化
ば け も の
︵"
︶
して 釣殿 の番 直の 男を 一口 で食 べた とい う︒ この
﹁物
﹂が 標題 では
﹁妖 物﹂ とさ れて いる ので ある
︒だ から 妖物 は室
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一
〇 一
町時 代に 特有 の言 葉で はな い︒ しか し古 代・ 中世 の日 記類 を通 観す る限 り︑ 現実 社会 に妖 物の 語が 頻出 する のは 十五 世紀 にな って から だろ う︒ その 最も 象徴 的な 出来 事 が 嘉吉 三 年 の室 町 御 所 妖物 占 拠 事件 で あ った
︒﹃ 妖 物 絵﹄ と 題す る絵 巻が 制作 され る環 境は
︑こ の嘉 吉三 年以 後と 私は 推測 する
︒ ち なみ に一 群の
﹃百 鬼夜 行絵 巻﹄ 諸本 のな かで
︑私 は大 徳寺 真珠 庵本 と日 文研 本﹃ 百鬼 ノ図
﹄を 最も 重要 な作 例と 理解 して いる
︒前 者に つい ては
︑唯 一の 室町 時代 の作 例と して 当然 のこ とだ ろう
︒後 者に つい ては 前掲
﹃百 鬼夜 行絵 巻の 謎﹄ を 前提 とし てい るが
︑さ らに この 論文 で展 開す る絵 巻テ キス トの 文脈 の読 解に 基づ いて いる とこ ろが 大き い︒ 私 は醍 醐寺 の三 宝院 義賢 のも とに あっ た﹃ 妖物 絵﹄ 一巻 を︑ 現存 する
﹃百 鬼夜 行絵 巻﹄ 諸本
︑と りわ け大 徳寺 真珠 庵本 か日 文研 本﹃ 百鬼 之図
﹄い ずれ かに 関 わ る絵 巻 と 考え よ う と して い る︒
﹃ 妖物 絵
﹄一 巻 を﹃ 百鬼 夜 行 絵 巻﹄ 諸本 の系 統の 流れ の大 もと に置 いた 場 合︑ 東 京国 立 博 物館 蔵
﹃百 鬼 夜 行図
︵模 本
︶﹄ が︑ 巻 末に
﹁右 の 妖 化物 之 絵 古 図写 者也
︑元 和三 年五 月二 十一 日︑ 住吉 内記
﹂と いう 奥書 を持 って いる こと を思 い合 わせ るこ とも でき る︒ 住吉 如慶
︵内 記︶ が元 和三 年︵ 一六 一七
︶に
﹁古 図﹂ を写 した 時︑ それ は如 慶に よっ て﹁ 妖化 物之 絵﹂ と理 解さ れて いた
︒木 場貴
︵!
︶
俊は この
﹁妖 化物
﹂を
﹁ば けも の﹂ と読 むの が妥 当と 言っ てい るが
︑確 かに その 通り であ ろう
︒ た だ︑ 醍醐 寺は 真言 宗小 野流 の中 核寺 院で あり
︑﹃ 付 喪 神絵 巻
﹄の 原 型が 成 立 す る上 で も また と な い環 境 と 言 わざ るを えな い︒
﹃ 付喪 神絵 巻﹄ は︑ 如法 尊勝 法や 尊勝 陀 羅尼 の 優 越性 を 声 高 に主 張 し てい る か らで あ る︒ だ か ら﹃ 妖物 絵﹄ 一巻 が﹃ 付喪 神絵 巻﹄ であ った 可能 性も な い 訳で は な い︒ しか し 知 ら れる 限 り﹃ 付 喪神 絵 巻﹄ は 二巻 本 で あ り︑ 一巻 本の 存在 は知 られ てい ない
︒ 三 条西 実隆 の日 記﹃ 実隆 公記
﹄︵ 巻 一 下︑ 続群 書 類 従完 成 会 太 洋社
︶の 文 明 十七 年
︵一 四 八五
︶九 月 十 日 条に
︑彼 が御 学問 所で 見た とい う﹁ 付喪
︵裳
︶神 絵上 下﹂ が現 れる
︒現 状で は︑ これ が﹃ 付喪 神絵
﹄と いう 名称 が史 料上 に記
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一
〇 二
録さ れた 初見 であ る︒
﹁ 上下
﹂と ある よう に︑ その 絵巻 もま た二 巻本 であ った
︒其 の意 味で
︑﹃ 妖物 絵﹄ 一巻 を﹃ 付喪 神絵 巻﹄ の原 型と 考え る場 合は
︑あ る条 件を つけ る必 要が ある こと にな る︒ すな わち
﹃付 喪神 絵巻
﹄も また 初期 には 一巻 本で あっ たと いう 条件 が︒ 詞 書を 補う 意味 で︑ 真珠 庵本 と日 文研 本の 文脈 を読 み解 いて みよ う︒ 一
︑ 大徳 寺 真 珠庵 蔵
﹃ 百鬼 夜 行 絵巻
﹄ ま
ずは 大徳 寺真 珠庵 本の
﹃百 鬼夜 行絵 巻﹄ から
︒ 四 弦琵 琶が 手綱 で箏 を引 くシ ーン はよ く知 られ てい るが
︑そ の先 には 迦陵 頻伽 と化 した 鳥兜 がお り︑ さら にそ の先 には 笙を 被り 錫杖 を担 ぐ有 翼の 妖物 がい る︒ 迦陵 頻伽 は舞 楽﹁ 迦陵 頻﹂ の映 像を 背景 に持 つも のと 考え てよ い︒ これ ら が舞 楽 の 楽器 や 被 り物 で あ る こと が 分 かれ ば
︑箏 の 横を 歩 く 針 鼠の よ う な浅 沓 の 怪 も︑ 龍頭 幡 を 掲げ る 別 沓 の 怪 も︑ 舞楽 の場 に無 縁で はな いと いう こと にな る︒ 払子 で知 られ る妖 物も
︑そ の白 毛や サイ ズか ら見 て﹁ 古鳥 蘇﹂
・﹁ 新 鳥蘇
﹂で 使用 され る後 参桴 であ ろう
︒﹁ 蘇 利古
﹂で 使用 す る白 楚 に も近 い
︒ま た そ の背 後 を 行く 鰐 口 で知 ら れ る 妖物 も︑ むし ろ打 ち物 の大 鉦鼓 の怪 と解 した 方が
︑こ のシ ーン にふ さわ しい もの とな るだ ろう
︒錫 杖と 笙の 怪は
︑天 台密 教の 光明 供錫 杖の 法儀
︵声 明︶ に関 わる もの か︒ これ は導 師が 光明 真言 法を 修す る間 に︑ 式衆 が﹁ 九条 錫杖
﹂を 読誦 しな がら 錫杖 を振 る︒ その 先に は扇 の怪
︑そ して 匙の 怪か とさ れる 妖物 がい る︒ 後者 の妖 物も 匙で はな く︑
﹁ 打球 楽﹂
︵!
︶
の毬 杖と 解す るこ とも 可能 かも しれ ない
︒ こ のよ うに 絵巻 の前 半に 舞楽 関係 の図 像が 多く 描か れて いる とい うこ とに なる と︑ 冒頭 に描 かれ る妖 物に 対し ても
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一
〇 三
刺激 的な 解釈 が可 能に なる
︒絵 巻世 界の 開幕 に位 置す るこ の妖 物は 唐冠 に鉾 を担 いで いる
︒こ れが 舞楽 の上 演に 先立 ち舞 台の 清め を行 う﹁ 振鉾
﹂を イメ ージ して いる な ら︑ 開 幕の 図 像 とし て ま さ にふ さ わ しい も の にな る だ ろ う︒
︻図 2︼ 鉾を 持つ 妖物 の身 体が 青く ペイ ント され てい るの も︑ 右舞 の装 束の 青・ 緑系 の色 彩を 想起 させ る︒ その 前方 を駈 ける 御幣 の怪 も清 めに 関わ る妖 物と 言え るか もし れな い︒ ある いは 祓神 楽を イメ ージ して いる か︒ こ とを 音曲 に限 れば
︑絵 巻の 後半 にも 楽器 が描 かれ てい る︒ 仏教 法会 で使 用さ れる 楽器 であ るが
︑そ こに 至る まで に絵 師は 図像 の配 置に つい て小 さな 工夫 をし てい る︒ 絵巻 半ば の化 粧道 具の 怪の 先に 魁偉 な赤 い妖 物の 壊そ うと する 唐櫃 があ り︑ その 先に 囲炉 裏の 炭火 のつ いた 鉄輪
︵五 徳︶ を被 る妖 物が いる
︒彼 は火 吹き 竹を 口に あて てい る︒ その 前方 には 小さ く炎 を散 らし た鍋 の妖 物が おり
︑担 いだ 朸に 台所 道具 を絡 げて いる
︒こ の両 者は 厨房 の調 理に 関わ る怪 であ り︑ さら に前 方に 位置 する 釜の 怪に も連 なっ てい る︒ この 釜も 竈の 火を 纏っ てい るが
︑両 手に 笹を 持ち
︑湯 立神 事 の釜 で あ るこ と が 示さ れ る
︒彼 の 隣に は 被 衣姿 の 巫 女が い て 小 鈴を 手 に して い る︒ 彼 女 の姿 は 鶴 のよ う に 描 か れ る︒ 鶴に 鈴の 連想 は﹁ 崑崙 八仙
﹂か ら来 たも のだ ろう
︒い ずれ にし ても
︑鉄 輪・ 鍋・ 釜と 厨房 を想 起さ せる 器物 を連
︵!
︶
続さ せな がら
︑湯 立神 事を 媒介 させ るこ とで
︑絵 師は シー ンを 仏教 法会 に導 く工 夫を して いる ので ある
︒ 法 会の シー ンは 巨大 な葛 籠を 挟ん であ の 不気 味 な 赤い 球 形 と対 峙 し て いる
︒︻ 図 3︼ 銅板 子 を 被り 読 経 す る怪
︑や はり 読経 する 猫の 怪︑ 天蓋 を差 し掛 ける 妖物 の背 後に は
︑磬 子 と倍 と 引 磬な ど の 楽 器を 携 え た者 た ち が進 ん で く る︒ 引磬 を持 つ有 翼の 妖物 は頭 に経 巻の 束を 戴い てい る︒ 基本 的に 声明
︵梵 唄︶ の情 景と 考え てよ いの だろ う︒ 葛籠 の先 で赤 幡を 靡か せる 妖物 まで を一 つの 図像 グル ープ と考 える こと がで きる なら
︑葛 籠は 施餓 鬼の 祭壇 のよ うな 位置 にあ るこ とに なる
︒後 世の 熊野 観心 十界 図が
︑巨 大な 祭壇
︵施 食壇
︶の 脇に 梵唄 の僧 侶た ちを 描い てい るこ とも
︑あ るい
︵"
︶
は参 考に なる かも しれ ない
︒
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一
〇 四
さ て︑ 問題 なの はや はり 赤い 球形 であ る︒ 尊勝 陀羅 尼の 炎と も朝 日と も解 釈さ れる この 赤い 球形 は︑ 佛教 法会 のシ ーン と対 峙し てい る︒ この 絵巻 空間 に描 かれ た全 ての 妖物 たち に対 峙し てい るの では なく
︑法 会の シー ンと 対峙 して いる ので ある
︒私 はこ れを 皆既 日食 と理 解し てい る︒
︻ 図4
︼ 日 蝕に つい ては
︑黒 田日 出男 の論 文﹁ こも る・ つつ む・ かく す﹂ を通 して
︑清 涼殿 を裹 む行 為が よく 知ら れる よう
︵!
︶
にな った
︒黒 田に よれ ば︑ 御殿 を裹 む行 為は 鎌倉 幕府 でも 室町 幕府 でも 行わ れた とい う︒
︵"
︶
朝 廷の 対応 につ いて
︑﹃ 禁 秘抄
﹄日 月蝕 の項 を引 用す る︒
①主 上当 日月 曜之 の時 御御 慎 殊 重︵ 中略
︶︑ 不 然 年非 軽
︑天 子 殊 不当 其 光︑ 雖 蝕以 前 以 後︑ 不当 其 夜 光︑ 日 月惟 同
︑以 席裹 廻御 殿︑ 如供 御不 当其 光︑ 日蝕 未明 前︑ 月蝕 未暮 前︑
︿ 月不 出前
﹀人 々可 参籠
︑
②御 持僧
︑或 他僧 奉仕 御修 法︑ 其上 於御 殿有 御読 経︑ 近代 多薬 師経 也︑ 不可 説凡 僧等 参上
︑古 可然 僧参
︑不 限薬 師 経︑ 或法 花経
︑︿ 永 長此 被行 御読 経 兼 日︑
﹀︑ 大 般 若経 常 事 也︑ 上 卿一 人 着 孫廂 行 之︑ 有 出居 堂 童 子︑ 引 廻席 之 上︑ 内引 軟障 外席 所衆 引之
︑内 蔵人 引之
︑
③近 代或 有無 何御 遊
︑昔 不 然︑ 嘉保 或 記︑ 日 蝕止 音 奏︑ 雨 下 称音 奏
︑又 曰︑ 凡 日月 蝕
︑月 内 猶不 聞 食 音 楽︑
︿在 宇 治左 大臣 記︑
﹀︑ 又 止行 幸警 蹕︑ 近代 無此 儀︑ 可尋
︑雨 下時 結願 御読 経︑ 撤廻 席︑ 但不 上御 簾︑ 惣殊 可有 御慎 事 也︑
① は︑ 日・ 月蝕 の穢 れた 妖光 が王 権の 体現 者で ある 天皇 に及 ばな いよ うに とい う主 張に ふさ わし い記 事で ある
︒し かし
③に は︑ 嘉保 年間
︵一
〇九 五〜 九六
︶の
﹁或 記﹂ など を参 照し なが ら︑ 以前 は音 奏や 行幸 の警 蹕を 止め てい たと
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一
〇 五
して いる
︒注 意が いる のは
︑行 幸の 警蹕 を止 めて いた とい う記 述で ある
︒禁 止さ れて いた のは 大声 を出 す警 蹕で あっ て天 皇の 移動 をい う行 幸そ のも ので はな い︒ 薦で 裹ま れた 清涼 殿の ほの 暗い 闇の なか に︑ 天皇 が蝶 の蛹 のよ うに 籠っ て いた 訳 で はな い の で あ る
︒し か も
﹃禁 秘 抄
﹄の 編 者 で あ る 順 徳 天 皇 の 治 世 に は
︑音 奏 や 警 蹕 の タ ブ ー も 失 わ れ︑
﹁ 近代 何と なく 御遊 あり
﹂と いう 状況 にな って いた
︒
② にあ るよ うに
︑一 方で 御持 僧や 他僧 によ る修 法が 行わ れ︑ 御殿 では 大般 若経 と別 に薬 師経 や法 華経 が読 誦さ れて いた
︒こ れが 日蝕 の妖 光へ の対 応策 であ るこ とは いう まで もな いが
︑し かし
﹁御 遊あ り﹂ とは どう いう こと か︒ 日蝕 の際 の宮 中で は︑ 管弦 の音 が聴 こえ てい ると いう ので あ る︒ 鳴 弦の よ う な癖 邪 の 効 果を 期 待 して の こ とで あ る の か︑
﹃ 禁秘 抄﹄ 自体 が﹁ 何と なく
﹂と 書い てい るの で︑ 詳細 は不 明と いう しか ない
︒ そ れで は﹁ 妖物 絵﹂ が登 場す る室 町時 代に も︑ 日蝕 に際 して 御遊 が行 われ てい たの だろ うか
︒こ れも 管見 の限 りよ く分 から ない
︒中 世国 家と 王権 に与 えた
﹃禁 秘抄
﹄の 規範 性か ら憶 測す ると
︑日 蝕に 際し て管 弦或 いは 舞楽 が行 われ てい た可 能性 は排 除で きな いか もし れ ない
︒し か し 室町 時 代 に成 立 し た 楽書
﹃御 遊 抄﹄
︵﹃ 続 群 書 類従
﹄第 十 九 輯 上︶ の分 類│ 清暑 堂御 神楽
・内 宴・ 中殿 御会
・朝 覲行 幸・ 御賀
・御 産・ 御元 服・ 御着 袴・ 御書 始・ 御会 始・ 臨時 御会
・臨 時行 幸・ 立后
・任 大臣
・臨 時客 にも
︑も ちろ ん日 蝕に 関わ る記 述は ない
︒ひ とま ず︑ 室町 時代 の日 蝕に 際し て﹁ 公的 に﹂ 御遊 が行 われ るこ とは なか った と理 解し てお く︒ 日 蝕が 発生 した とき
︑人 間界 では なに が行 われ てい るの か︒ それ をな ぞる か︒ パロ ディ 化す るか
︒妖 物た ちが 舞楽
︵!
︶
・管 弦を 楽し んで いる のは
︑こ こで はや はり 人間 界を 皮肉 るパ ロデ ィと 見る べき なの だろ う︒ 絵巻 空間 の冒 頭で
﹁振 鉾﹂ の妖 物が 急い でい るの は︑ 妖物 たち の日 蝕対 応に
﹁振 鉾﹂ や御 幣が 必要 だっ たこ とを 示し てい る︒ 日蝕 は舞 楽や 管弦 をと もな う楽 しい 出来 事な のだ
︒も ちろ ん︑ こと を日 蝕に 限定 して しま う必 要は ない かも しれ ない
︒日 蝕が 象徴
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一
〇 六
的に 指し 示す ある 事態 に対 して
︑妖 物た ちが 楽し みを 見出 して いれ ばよ いの だ︒ 絵 巻の ほぼ 中央 で女 房た ちが 化 粧し て い るシ ー ン があ る
︒︻ 図 5︼ この シ ー ンは
︑小 松 茂 美﹃ 能恵 法 師 絵 詞 福富 草紙
百 鬼夜 行絵 巻﹄ など の解 説で
﹁醜 女﹂ がお 歯黒 をし てい ると され る︒ しか し現 代人 の予 断を こめ てこ の化 粧道 具の 怪た ちを
﹁醜 女﹂ と表 現す るこ とは 無意 味で ある
︒絵 巻空 間の コン テキ スト を読 み︑ その コン テキ スト との 関係 のな かで この 女房 たち を﹁ 醜女
﹂と いう なら
︑そ れは 確か に﹁ 醜女
﹂な のだ ろう
︒ひ とま ずこ こで 言え るの は︑ 彼女 たち がわ くわ くし てい ると いう こと だ︒ 御簾 の手 前の 女主 人の メイ クを
︑御 簾の 外側 から 覗き 見す る女 房た ちの 表情 も一 様に 楽し げで ある
︒彼 女た ちは 何か 楽し い出 来事 に立 ち会 おう とし てい るの だ︒ 近づ く日 蝕の 闇と その もた らす 事態 に対 して
︒ 佛 教法 会の 一団 は︑ 人間 界で 実修 され る変 異祈 祷の パロ ディ と︑ とり あえ ず把 握し てお こう
︒た だ︑ この シー ンに は絵 師が 目の 当た りに した ある 記憶 が反 映し てい るよ うに 思え るの だが
︑そ れに つい ては 後述 する
︒ 大 徳寺 真珠 庵本 の解 読の 最後 に︑ 赤い 球形 から 逃げ 惑う 妖物 たち につ いて も触 れて おか ねば なら ない
︒彼 らは あま り楽 しげ では ない から であ る︒ どう やら
︑現 実の 皆既 日食 の妖 光は
︑間 近に 見る 妖物 たち にと って も︑ 逃げ 惑う ほど の恐 怖の 対象 であ った らし い︒ 不気 味な 赤が ね色 の太 陽か ら慌 てて 逃げ 出す 妖物 たち の姿 は︑ 日蝕 の妖 光が 彼ら の予 想以 上の もの だっ たこ とを 示し てい るだ ろう
︒ 二
︑ 国際 日 本 文化 セ ン ター 蔵
﹃ 百鬼 ノ 図
﹄ 繰
り返 すが
︑国 際日 本文 化研 究セ ンタ ー所 蔵の
﹃百 鬼之 図﹄ は︑ 室町 時代 の制 作に なる 大徳 寺真 珠庵 本の
﹃百 鬼夜
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一
〇 七
行絵 巻﹄ とな らん で︑ 近年 その 重要 性が 指摘 され て い る︒
﹃百 鬼 之 図﹄ は絵 巻 空 間 の最 後 尾 に長 大 な 黒雲 の シ ー ンを 持ち
︑謎 が多 いと され るが
︑真 珠庵 本と 比較 する と︑ 極め てモ チー フの 分か りや すい テキ スト であ る︒ 解 読の キー とな るの は雷 神で ある
︒︻ 図 6︼ 絵巻 冒頭 に先 触 れを と も なっ て 駆 け だす 有 翼 の烏 天 狗 のよ う な 妖 物が それ であ る︒ 東京 国立 博物 館の
﹃百 鬼夜 行絵 巻﹄ 異本 では
︑こ れに
﹁魔 縁﹂ とい う文 字注 記が 入っ てい る︒ 振り 上げ た両 手に それ ぞれ 人間 のも のら しい 骨を 握っ てい るが
︑こ れは 雷神 のア イテ ムで ある でん でん 太鼓 を叩 くた めの 木槌 や撥 の変 わり であ ろう
︒雷 神は 東ア ジア 世界 では 鳥の よう な姿 で造 形さ れる こと があ る︒ 大 徳寺 伝来
﹃五 百羅 漢図
﹄︵ 南 宋︶ の﹁ 水官 の 来臨
﹂を 描 い た場 面 で は︑ 岩 座で 休 憩 する 羅 漢 たち の 上 方 に︑ 水官
︵!
︶
とそ の眷 属た ちが 描か れて いる
︒そ のな かに でん でん 太鼓 を背 後に 置く 雷神 の姿 が見 られ るが
︑両 手に 小槌 を持 つ成 人男 子で
︑必 ずし も異 様な 姿を して いる 訳で はな い︒ さら に中 国河 北省 懐安 昭化 寺大 雄宝 殿西 壁の 水陸 画︵ 明代
︶に
︵"
︶
﹁ 主風 主雨 主雷 主電 諸龍 神衆
﹂が 描か れて いる
︒そ こに は香 煙 をあ げ る でん で ん 太 鼓を 背 景 に小 槌 な どを 持 つ 雷 神が 描か れて いる
︒こ の造 形は むし ろ俵 屋宗 達の
﹁風 神雷 神図
﹂の 造形 に近 いが
︑山 西省 繁峙 公主 寺大 雄宝 殿東 壁の 水陸
︵#
︶
画︵ 明代
︶に 描か れた
﹁雷 電風 伯衆
﹂で は︑ 口の 尖っ た獣 頭の 雷神 がで んで ん太 鼓を 背景 にし てい る︒ 時代 は遡 るが 南宋 時代 の一 二世 紀後 半に 描か れた
﹃三 官図
﹄の 内﹁ 水官
﹂図 には
︑大 海原 の上 空に 水官 の眷 属た ちが 姿を 現し てお
︵$
︶
り︑ その うち 雷神 はや はり 口の 尖っ た獣 頭で 背に 翼を 負っ てい る︒ そし て朝 鮮半 島の 水陸 画に あた る甘 露図 では
││
︵%
︶
後世 の作 例で はあ るが
││ 典型 的な 鳥形 の雷 神が 描か れる
︒国 清寺
︵一 七五 五︶
・ 仙巌 寺︵ 無画 記︑ 十八 世紀
︶・ 銀海 寺百 興庵 極楽 殿︵ 一七 九二
︶な どの 甘露 図に は︑ 円形 の雲 形の なか に︑ 木槌 や撥 でで んで ん太 鼓を 叩く 有翼 の雷 神が 描か れて いる
︒国 清寺
・銀 海寺 甘露 図の 雷神 の場 合 は︑ 頭 頂に 鶏 冠 が描 か れ︑ そ れ が鶏 で あ るこ と が 示さ れ て い る︒
︻ 図7
︼ ﹁
妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一
〇 八
﹃百 鬼之 図﹄ の絵 巻空 間の 開幕 を飾 る妖 物は 両手 に人 間 の骨 を 握 って い る︒ で ん でん 太 鼓 を叩 く 木 槌や 撥 の 代 わり であ ろう
︒雷 神は 絵巻 末尾 の黒 雲の 出現 に遅 れを と っ て疾 駆 し てい る と こ ろな の だ︒
﹃ 百鬼 ノ 図﹄ の 構造 は 絵 巻 空間 の劈 頭と 末尾 に描 かれ た雷 神と 黒雲 に全 てが 尽く され てい るだ ろう
︒ 雷 神と 先触 れが 疾駆 する 前方 には
︑亀 にま たが る蛙 がい る︒ 亀は 蝸牛 を戴 く妖 物に 牽か れて いる が︑ 注意 が必 要な のは 蛙が 急い でい るこ とで ある
︒先 触れ のス ピー ドに 驚い た蛙 はの ろの ろし か動 かな い亀 に鞭 を入 れて いる
︒雷 神た ちと 同様 に蛙 もま た彼 のい るべ き場 所に 向か って 急い でい る︒ おそ らく は黒 雲直 前の 別の 蛙の 位置 まで
︒ も う一 つ注 意し てお いて よい のは
︑蛙
・亀
・蝸 牛が 水辺 に棲 息す る生 物で ある か︑ 少な くと も常 に水 を必 要と する 生物 であ るこ とで ある
︒蛙 主従 の前 方に は栄 螺を 戴い た父 親と 蛤ら しい 二枚 貝を 戴い た娘 がい る︒ 娘が 振り 仰い で指 さし てい るの は︑ 蜻蛉 と化 して 飛翔 す る如 意 で ある
︒こ の 栄 螺と 二 枚 貝 も水 繋 が り︒
︻図 8︼ そ の意 味 で︑ さ ら に前 方の 豚が 急須 の怪 に鞭 打た れな がら 荷車 を牽 く図 像グ ルー プは 印象 的で ある
︒︻ 図 9︼ そ の荷 車に は臼 のよ うな 人面 の容 器が 乗せ られ てお り︑ 角盥 の妖 物が 柄杓 で水 を掬 って 飲ん でい る︒ この 水を 酒で あろ うか とす る解 釈も ある が︑ そう では なく
︑お そら くは 雨水 のも とで あろ う︒ 前述 した 南宋 時代 の﹃ 三官 図﹄ のう ち 水官 図 に︑ 電・ 雷 神や 風 神 とと も に 描 かれ た 雨 神は
︑背 中 に 巨大 な 甕 を 背負 っ て いる
︒彼 は 重 い 甕 を 肩 越 し に 支 え︑ 全身 で前 方に 傾け よう とし てい る︒ 甕の なか には 雨水 が入 って いる ので ある
︒豚 のよ うな 妖物 が荷 車を 牽く この 図像 グル ープ は︑ 雨水 のも とを 絵巻 末尾 の黒 雲に 届け る役 割を 担っ てい る訳 だ︒ ちな みに 急須 も角 盥も 水繋 がり
︒特
︵!
︶
に角 盥は
︑中 世の 絵巻 世界 で︑ 家の 火を 象徴 する 鉄輪 と対 照的 に︑ 水を 象徴 する 器物 とし て描 かれ る︒ 大 徳寺 真珠 庵本 の場 合は
︑舞 楽・ 管弦 に関 わる シー ンと 仏教 法会 のシ ーン が︑ 化粧 道具 の怪 など を挟 んで 前後 に二 分さ れて いた が︑
﹃ 百鬼 ノ図
﹄の 場合 は雷 雨に 関わ るシ ー ンが そ の まま 仏 教 色 の強 い シ ーン に 接 続す る
︒雨 水 運 搬の
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一
〇 九
図像 グル ープ の前 で︑ 猫の 骸骨 と思 しい 妖物 たち が御 幣を 振り まわ して 勇躍 する のは
︑聖 水を 運搬 する 道の 清め に関 わ って い る だろ う
︒奇 怪 な石 の 五 輪 塔︑ そし て 木 の根 株 の 五輪 塔 が
︑芒 の 穂な ど を 振り か ざ し て踊 る の も 同 様 で あ る︒ さら に前 方に いる 僧侶 姿の 狐・ 狸も この 図像 グル ープ に含 める べき かも しれ ない
︒そ して 図像 グル ープ を先 導す る役 割を 担っ てい るの が蛙 であ った
︒絵 巻世 界の 冒頭 近く で亀 を鞭 打つ 蛙も 当然 ここ にい るべ き存 在で あっ た︒ だか ら彼 も急 いで いる ので ある
︒ す なわ ち﹃ 百鬼 ノ図
﹄は
︑生 存の ため に水 を必 要と する 妖物 たち が︑ これ から 下界 に降 り注 ぐ雨 水の もと を末 尾の 黒雲 に届 ける 情景 を描 いて いる ので ある
︒雷 神と 雨水 が黒 雲に 到着 した 時︑ 暴風 雨が 惹き 起こ され る︒ 黒雲 の手 前で 頭を 抱え て逃 げ出 す妖 物た ちに その 片鱗 がす でに 現れ てい るだ ろう
︒︻ 図 10︼ 大 徳寺 真珠 庵本 を象 徴す るの は皆 既日 食で あり
︑日 文研 本を 象徴 する のは 黒雲
︑す なわ ち暴 風雨 であ る︒ それ らが 何を 意味 する か︒ それ を知 るた めに
︑私 たち は﹃ 経覚 私要 鈔﹄ に﹃ 妖物 絵﹄ 一巻 が記 録さ れる 寛正 年間 に立 ち戻 って みな けれ ばな らな い︒ 三
︑ 長禄
・ 寛 正の 日 々 長
禄三 年︵ 一四 五九
︶八 月十 八日 のお 昼ど き︑ 今風 に言 えば ラン チタ イム の空 に異 変が 現れ た︒ 突如 とし て太 陽の 色 が赤 が ね 色に 変 わ った の で あ る︒ この 現 象 を書 き と めた 雲 泉 太 極の 日 記﹃ 碧 山日 録
﹄当 日 条 に は
﹁午 而 日 色 如 赤
︵!
︶
金︑ 殆似 欲蝕 矣﹂ とあ り︑ 日食 が始 まる 時に 似て いた とそ の感 想を 綴っ てい る︒ 確か に日 本史 の年 表な どで もこ れを 日食 とし て扱 うこ とが ある
︒し かし 計算 上で は日 食は グレ ゴリ オ暦 一四 六〇 年七 月十 八日
︑和 暦で は長 禄四 年七 月一
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一 一
〇
︵!
︶
日に 起こ るべ きも のと され てお り︑ 福島 県 に 残っ た
﹃塔 寺 八幡 宮 長 帳﹄ に は﹁ 七月 つ い たち の 日︑ さ るの こ く 時 中︑ くら 屋見 入候
︑そ のと し五 こく しゆ くせ す候
﹂と あり
︑実 際に 東北 地方 でそ の日
︑午 後四 時前 後に 暗闇 とな った 記録
︵"
︶
が残 って いる
︒こ の記 録に つい ては
︑そ の後 の凶 作が この 日食 と関 連付 けら れて いる よう に見 える こと に注 意し てお こう
︒
﹃碧 山日 録﹄ が記 録し た赤 がね 色の 太陽 は︑ それ では 一 体な ん だ った の だ ろ う︒ 単な る 自 然現 象 の 一つ と や り 過ご して もい いの だが
︑そ れに して も気 にな るの は︑ この 赤が ね色 の太 陽の 出現 が︑ 前近 代社 会で も未 曽有 の大 災害
︑い わゆ る寛 正の 大飢 饉の 引き 金に なっ たよ うに 見え るこ と で ある
︒も ち ろ ん赤 が ね 色 の太 陽 以 前に も 天 候不 順 は 続 き︑
︵#
︶
飢饉 はす でに 深刻 な状 況に なり つつ あっ た︒
︵$
︶
①﹃ 臥雲 日件 録抜 尤﹄ 長禄 二年 二月 四日 条 喚智 瑞行 者来
︑剃 髪之 次︑ 予問 六角 堂施 行之 来由
︑瑞 曰︑ 願阿 弥白 于公 方︑ 望救 餓人
︑公 方出 百貫 文為 助︑ 就六 角堂 南︑ 大慈 院北
︑造 仮屋 者百 二間
︑初 三日
︑先 可施 粥︑ 其後 菜羹 耳︑ 毎日 八千 人之 設也
︑願 阿弥 筑紫 人也
︑先 是 架 四 条 橋︑ 去 年 又 施 百 貫
︑為 南 禅 再 造 仏 殿 之 助︑ 如 此 善 利 多 々
︑匪 啻 今 施 飢 人︑ 能 成 壇 波 羅 蜜 者︑ 其 名 曰 願︑ 々波 羅蜜
︑亦 成就 焉︑ 厥不 偉乎
︑
︵%
︶
②︵ 長禄 二年
︶四 月二 日付 摂津 国垂 水庄 代官 榎木 慶徳 書状
︵東 寺百 合文 書︶ きよ 年︑ てん か一 同の 大そ んま うに より
︑い まニ ても けい くわ い仕 候︵ 中略
︶ 一︑ せん ねん 七ヶ 年う ちつ ゝき すい そん 仕候 ニよ り
︑み し んの 事 わ すれ 申 さ す 候︑ たゝ し あ まり す い そん 仕 候 所 に︑ 出ひ をは しめ てふ せ候
︑
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一 一 一
③﹃ 経覚 私要 鈔﹄ 長禄 二年 四月 二十 六日 条 此間 雖雨 下︑ 依去 年旱 魃欤
︑地 事外 カハ キテ 水更 不堪
︑天 気又 雖帯 雲風 払︑ 不下 雨︑ 事躰 有炎 旱之 瑞︑ 衆人 懐怖 畏者 也︑ 付中 奈良 中疫 病如 風靡 草凡 以外 事也
︑受 此病 者大 略趣 黄泉
︑不 便次 第也
︑云 炎旱
︑云 鬼病
︑不 可不 助之 間︑ 先自 今日 寺僧 老若 一時 卅頌 読之 処︑ 自旦 天曇
︑自 申下 刻雨 頻下
︑助 炎旱 之憂
︑爰 知定 払鬼 病之 恐欤
︑三 十頌 之験 徳尤 可尊
︑
④︻ 赤が ね色 の太 陽︼
⑤﹃ 碧山 日録
﹄長 禄三 年九 月九 日・ 十日
・十 二日 条 終日 雨︑ 戌而 大風
︑閉 房晏 座︑ 不賞 心起 於菊 花矣
︑後 園之 紅柿
・赤 梨及 栗蓬 数百 枚︑ 未熟 而所 風吹 落︑ 不堪 慨惜 也︑
︵ 九日
︶ 大風 怒号 未止
︑竹 樹抜 其根 株而 倒如 散芥 也︑ 苅稲 以曝 原野 者︑ 為大 水所 漂皆 失之
︑万 失愁 之︑
︵ 十日
︶ 一力 曰︑ 鴨川 大漲
︑民 屋潰 流︑ 往来 者多 溺死
︑︵ 十 二日
︶
︵!
︶
⑥︵ 長禄 三年
︶九 月十 四日 付若 狭国 太良 庄包 枝清 兼書 状︵ 東寺 百合 文書
︶ 尚 々︑ 軈而 可 申 上候 処 ニ︑ 九 日十 日 ニ 大 水出 候 て︑ 四 五日 間 上 下留 候
︑近 比 之 水 ニ て 候︑ 五 十 年 以 来 者 不 覚 候 由︑ 皆々 申合 候︑ 作毛 事ハ 目も あて られ 候ハ ぬ次 第ニ て候
︑委 細此 者可 申入 候︑
︵"
︶
赤 がね 色の 太陽 が現 れる 前後 の 史 料を 列 挙 して み た︒
②﹁ 去 年︵ 長 禄元 年
︶︑ 天 下一 同 の 大損 亡
﹂と あ る のは
︑③ にあ るよ うに 旱魃 によ る凶 作を 指し てい る︒
②﹁ 先年 七ヶ 年打 ち続 き水 損﹂ とあ るよ うに
︑天 候不 順は それ 以前 から 継続 して おり
︑長 禄元 年の 大凶 作の 結果
︑餓 死者 が出 て衛 生状 態が 悪化 し︑
③﹁ 受此 病者 大略 趣黄 泉﹂ とあ るよ うな
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一 一 二
鬼病 も発 生し てい た︒ 勧進 聖の 願阿 弥が 京都 六角 堂に 仮屋 を建 てて 行う 施行
①も すで に始 まっ てい る︒ 長禄 二年 は炎 旱と 大雨 を繰 り返 した が︑ その よう に日 常的 に顕 在化 する 社会 危機 を受 ける よう にし て︑ 赤が ね色 の太 陽は 出現 した ので ある
︒ 天 候不 順は その 後︑ さら に激 烈な 状況 を作 り出 した
︒⑤ にあ るよ うに 収穫 期に 巨大 台風 が畿 内と その 周辺 を襲 った ので ある
︒雨 に限 って みて も︑ それ は⑥
﹁五 十年 以来 者不 覚候
﹂と いう 異常 な降 りと なっ た︒ 収 穫時 期に 暴風 雨に 襲わ れる こと は当 然な がら 翌年 に飢 饉を 引き 起こ す︒ しか しこ とは それ に止 まら なか った
︒翌 長 禄四 年
︵寛 正 元年
︶二 月 に は大 地 震 が 畿内 地 方 を襲 い
︑三 月 から は 延 々 と雨 が 降 り続 い た︒ 文 字 通 り 延 々 と で あ る︒ 各地 の河 川の 堤防 が決 壊し
︑湖 水は あふ れ橋 は流 れた
︒寺 社で は止 雨祈 祷が 行わ れた が全 く効 果は なく
︑九 月に は再 び台 風の 直撃 を受 ける こと にな る︒ 翌年 にか けて 京都 には 膨大 な数 の難 民が 流入 して いる が︑ 食料 調達 は限 定的 で︑ 数万 の規 模で 餓死 者が 出た
︒幕 府は 鴨川 の河 原に 長大 な堀 を穿 ち︑ 大量 の死 者を 投げ 込ん だが
︑衛 生状 態の 悪化 は食 い止 めら れず
︑餓 死者 に病 死者 が上 積み され るこ とに なっ た︒ 室 町時 代の 日本 社会 は繰 り返 し災 害に 襲わ れた が︑ いわ ゆる 応仁 の乱 の直 前︑ 長禄
・寛 正期 に起 こっ たこ の大 飢饉 は︑ 未曽 有の 餓死 者と 疫病 によ る病 死者 を出 した
︒特 に長 禄四 年︵ 寛正 元年
︶か ら寛 正二 年に かけ て︑ 都社 会は 想像 を絶 する 惨状 を呈 する
︒そ の不 吉な 始ま りを 告げ るよ うに 赤が ね色 の太 陽が 現れ たの であ る︒ 日蝕 を思 わせ る太 陽と 大雨
︑つ まり 延々 と空 を覆 う黒 雲︒ これ が寛 正大 飢饉 の二 つの キー ワー ドで ある
︒大 徳寺 真珠 庵本 と日 文研 本が それ ぞれ 皆既 日蝕 と黒 雲を モチ ーフ とし てい たよ うに
︒ じ つは キー ワー ドは もう 一つ ある
︒水 陸会
︵大 施餓 鬼︶ がそ れで ある
︒寛 正二 年三 月か ら四 月に かけ て︑ 京都 五山 の禅 院が 相つ いで 死霊 救済 のた めの 水陸 会を 行っ た︒ 彼ら は施 食壇 を橋 の上 に設 けた
︒建 仁寺 と万 寿寺 は鴨 川に かか
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一 一 三
︵!
︶
る五 条橋
︑相 国寺 と東 福寺 と南 禅寺 は四 条橋
︑天 龍寺 は嵐 山渡 月橋 の上 で︒ 飢 餓・ 疫病
・恐 怖・ 不安
・怨 嗟│
│︑ 絶望 の淵 に沈 ん だ 都の 橋 の 上に
︑膨 大 な 死 者た ち の ため の 祭 壇が 設 け ら れ︑ 香が 焚か れ︑ 鉦が 鳴ら され
︑読 経の 声が 響き わた る︒
﹁ 自四 条坊 橋上
︑見 其上 流︑ 々屍 無数
︑如 塊石 磊落
︑流 水壅 塞︑ 其腐 臭不 可当 也﹂
︵﹃ 碧 山日 録﹄ 寛正 二年 二月 晦日 条︶ と描 写さ れた 鴨川 の河 原︒ 多量 の死 骸が 散乱 する その 河原 に架 けら れた 橋と いう 装置 に︑ いま 祭壇 の幡 が風 にな びい てい る︒ この 儀礼 が水 陸会 と呼 ばれ てい るこ とは
︑宋
・元
・明 代の 中国 で発 展し た死 霊救 済の 儀礼 を継 承す るも のと して 重要 であ る︒ 非業 の最 期を 遂げ た死 者た ちは この 儀礼 の過 程で 浄化 され
︑菩 薩に 導か れな がら 天上 に向 かう こと にな る︒ 日 本の 室町 時代 と対 応す る中 国明 代の 水陸 会で は︑ 仏教 や道 教や 民間 の神 々を 招き
︑様 々な 死に ざま の死 者た ちを 救済 する ため に︑ 極彩 色で 描か れた 多量 の絵 画を 用い た︒ 堂内 の壁 画の 場合 も巻 軸画 の場 合も ある が︑ それ らは 水陸
︵"
︶
画と 総称 され てお り︑ その 一部 は日 本に も伝 えら れて いる
︒ じ つ は 水陸 画 が 日本 社 会 に 与え た 影 響の 波 に は二 つ の 段 階が あ る︒ 一 つは 明 代 懸幅 水 陸 画 が室 町 期 の日 本 に 伝 来 し︑ その 図像 が姿 を変 えて
﹃百 鬼夜 行絵 巻﹄ の画 面に 登場 する こと
︒も う一 つは 中国 河北 省や 山西 省の 寺観 の水 陸壁 画が
︑一 六世 紀の 後半 に朝 鮮半 島に 影響 を与 えて 甘露 図を 生み
︑豊 臣秀 吉の 朝鮮 侵略 を通 じて 日本 社会 に流 入し
︑熊
︵#
︶
野観 心十 界図 を成 立さ せる こと
︒こ の二 つの 段階 であ る︒
﹃百 鬼夜 行絵 巻﹄ 諸本 に描 かれ た渦 巻く 黒雲 や木 の根 株の 化物 など
︑︻ 11図 12・
︼す でに 中国 画か らの 引用 を指 摘さ
︵$
︶
れて いる もの もあ るが
︑大 徳寺 真珠 庵本 の画 面で 謎と さ れ てい る
︑巨 大 な蚤 の よ う な形 を し た赤 い 奇 妙な 生 き 物 も︑ 水陸 画の 図像 をア レン ジし てい た可 能性 が ある
︒︻ 図 13︼ 中国 河 北 省石 家 荘 に 宝寧 寺 と いう お 寺 があ る
︒そ の 水 陸道 場に は儀 礼を 荘厳 した 百数 十幅 の水 陸画 が伝 来し てい る︒ その うち
﹁大 威徳 不動 尊明 王﹂ を描 いた 画幅 に︑ 真珠 庵本
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一 一 四
のそ れに も似 た奇 妙な 生き 物が 現れ る︒ 赤い 生き 物で 昆虫 のよ うな 細く 繊細 な足 を持 って いる
︒こ の画 幅を 左右 に反 転す ると
︑剣 を振 り上 げる 不動 尊が
︑真 珠庵 本に おい て奇 妙な 生き 物を 木槌 で打 とう とし てい る小 鬼と
︑構 図的 に重 なっ てく る︒
︻ 14図
︼あ るい は日 文研 本の 末尾
︑黒 雲の な かに シ ル エッ ト の よ うに 描 か れた 龍 に 乗る 妖 物︒ こ れ は水
︵!
︶
陸画 に描 かれ る功 曹使 者の 姿を モデ ルに して い る︒
﹃ 百鬼 夜 行 絵巻
﹄の 図 像 の 謎の 一 部 は︑ 明代 水 陸 画と の 比 較 で解 ける ので ある
︒ 絵 師は なぜ
︑水 陸画 やそ れに 親近 性の ある 中国 画の 図像 を借 りた のだ ろう
︒日 文研 本﹃ 百鬼 ノ図
﹄に は﹃ 鳥獣 人物 戯画
﹄か ら影 響を 受け た図 像も 多い
︒そ れら 以外 に何 が必 要だ った のか
︒中 国画 に描 かれ た日 本の 宮廷 画壇 にな い新 奇な 図像 に︑ 絵師 がア ーテ ィス トと して の遊 び心 を搔 きた てら れた のか
︒そ れと も水 陸画
│水 陸会 の救 いを 意識 した のか
︒少 なく とも 真珠 庵本 の仏 教法 会は
︑日 蝕の 変異 祈祷 とい うよ り水 陸会 をイ メー ジし てい るよ うに 見え る︒ い や︑ 事態 はも う少 し複 雑な のか もし れな い︒ その こと にも 触れ なが ら︑ この 未熟 な稿 を閉 じる こと にし よう
︒ お
わ り に 仮
定に 仮定
︑憶 測に 憶測 を重 ねた が︑ その 最後 にも う一 つ︑ 最も 大き な仮 定︑ 憶測 を連 ねて みる
︒
﹃経 覚私 要鈔
﹄寛 正三 年︵ 一四 六二
︶四 月 五 日条 に 現 れる
﹁妖 物 絵
﹂を Xと し よう
︒X と なる 可 能 性が あ る の は現 状 では A・ B・ Cの 三 つ ある
︒A は 真珠 庵 本 の 祖本 か そ の 写 し︑ Bは 日 文 研 本 の 祖 本 か そ の 写 し︑ Cは
﹃付 喪 神 絵
︵"
︶
巻﹄ の祖 本か その 写し であ る︒ Xは 醍醐 寺三 宝院 の義 賢が 管理 して いた とい う意 味で は︑ 如勝 尊勝 法の 優越 性を 強調 する Cが 相応 しい よう でも ある
︒し かし これ は現 状二 巻本 であ り︑ 一巻 本で ある Xと は齟 齬す る︒ ただ し︑ 私は 義賢
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一 一 五
周辺 でC
︵祖 本︶ が制 作さ れる と考 え てい る
︑そ う いう 仮 定 の上 で
︑X はA とB の どち ら の 可能 性 が 高い だ ろ う か︒ Aは 器物 の怪 が大 半を 占め る︒ Bの 妖物 は水 辺の 生物 が多 く︑ 器物 の怪 は少 ない
︒し かし 雨水 の原 料を 運ぶ とい う絵 巻の 核心 的な シー ンに 関わ ると ころ に器 物の 怪が 描か れる
︒た だ︑ Bに はA にあ るよ うな
︑古 い葛 籠な どの なか から 妖物 が逃 れ出 てく るシ ーン がな い︒ 捨て られ た古 い器 物の 妖物 化と いう Cの モチ ーフ に近 いの はA であ る︒ 寛正 大飢 饉の キー ワー ド﹁ 日 蝕﹂
﹁黒 雲
﹂を 描 くA
・B がC より 先 に 成立 し
︑特 に Aが 義 賢の 手 も とに 渡 り︑ そ の発 展 形 をC
︵!
︶
とす るの が最 も自 然な よう に思 う︒ ち なみ に︑ Aは 義賢 周辺 で制 作さ れた もの では ない だろ う︒ 何よ りも 気に なる のは
︑大 徳寺 真珠 庵の 開祖 であ る一
︵"
︶
休宗 純の
﹃狂 雲集
﹄に
︑次 の詩 偈が ある こと であ る︒ 長禄
庚辰 八月 晦日
︑大 雨洪 水︑ 衆人 皆憂
︑夜 有遊 宴歌 吹之 客︑ 不忍 聞之
︑作 偈以
︵自
︶慰 云︑ 大風 洪水 万民 憂 歌舞 管弦 誰夜 遊 法有 興衰 劫増 減 任他 明月 下西 楼 長
禄庚 辰は 長禄 四年
︵十 二月 に寛 正改 元︶ にあ たっ てい る︒ いわ ゆる 寛正 の大 飢饉 に際 して
︑大 雨洪 水を 万民 が憂 いて いる まさ にそ の時 に︑ 歌舞 管弦 の夜 遊び に興 じて いる もの がい る︒
﹁ 任他
﹂︵ さも あら ばあ れ︶ と吟 じな がら
︑序 に﹁ 不忍 聞之
﹂と ある のを 考慮 する と︑ 一休 の怒 りの 根は 深い よう にみ える
︒
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一 一 六
彼 が大 徳寺 真珠 庵の 開祖 にあ たり
︑そ の真 珠庵
︵廃 絶︑ 再興 され たも ので はあ るが
︶に 現在
︑妖 物の 歌舞 管弦 を描 い た﹃ 百鬼 夜 行 絵巻
﹄す な わ ち﹁ 妖物 絵
﹂が 伝 来 して い る こと は 無 視す る こ と ので き な い 事 実 で あ る
︒私 は 真 珠 庵 本︑ ある いは その 祖本 が一 休宗 純の 周辺 で制 作さ れた 可能 性を 探ろ うと して いる
︒大 災害 をよ そに 歌舞 管弦 の夜 遊び に興 じる 人び とが 妖物 とし て描 かれ てい るの は︑ もち ろん 批判 精神 によ るパ ロデ ィに ある こと に間 違い ない
︒水 陸会 の よう な 仏 教法 会 を 妖物 が 実 修 する の も︑ 自 らの 肖 像 画︵ 東京 国 立 博 物館 蔵
︶に
﹁狂 雲 面 前 誰 説 禅
﹂と 自 賛 し た 彼
︵!
︶
の︑ 五山 禅院 に対 する 屈折 した 思い から 出た もの だろ う︒ そ の意 味で は︑ 真珠 庵本 の中 央に 位置 して 行列 をし てい ない 化粧 道具 の怪
︑す なわ ち化 粧す る女 たち も何 より 意味 あり げで ある
︒こ の絵 巻が 一休 宗純 の批 判精 神の 現れ であ ると する と︑ この お歯 黒す る女 主人 こそ
︑彼 の批 判に 最も ふさ わし い対 象者 だっ たか もし れな いの だ︒ そう いう 文脈 のな かで こそ
︑彼 女は やは り﹁ 醜女
﹂と して 描か れて いる とい うべ きな のだ ろう
︒﹁ 大 風洪 水万 民憂
﹂と いう 状況 下で
﹁歌 舞管 弦﹂ の﹁ 夜遊
﹂の ため にメ イク する 女が
﹁醜 女﹂ でな いは ずが ない から であ る︒ そ れで も詩 偈の なか で︑ 一休 は西 楼に 下る 名月 の 側 に身 を ひ るが え す︒
﹁ さ もあ ら ば あれ
﹂に 屈 折 がな い は ず はな い︒ 現実 の一 休が 批判 の舌 鋒を 閉ざ した 相手
︒こ のお 歯黒 を染 める 女主 人に は特 定の 固有 名詞 が被 って いる よう に思
︵"
︶
える が︑ 憶測 が過 ぎる ので
︑そ のこ とに は触 れな いで おく
︒ 注 記 本 稿 の テ ー マ を 私 は す で に
﹁ 中 世 不 思 議 ば な し
﹂ 二 十 三
〜 二 十 四
︵﹃ ひ と と き
﹄ ウ エ ッ ジ
︑ 二
〇 一 五
・ 十 二
〜 二
〇 一 六
・ 二
︶ で 扱 っ て い る
︒ し か し 雑 誌 の 性 格 上
︑ 詳 細 な 記 述 は 不 可 能 で あ っ た の で
︑ 補 訂 の 意 味 も 込 め て こ こ に 再 度 文 章 化 し た
︒ 部 分 的 に
﹁ 中 世 不 思 議 ば な し
﹂ と 重 複 す る 文 章 も 含 ま れ て い る が
︑ そ う い う 事 情 な の で 御 寛 恕 い た だ き た い
︒ 全 体 と し て
﹁ 中 世 不 思 議 ば な し
﹂ の 発 展 形 と な っ て い る
︒
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一 一 七
な お
︑ 図 1
〜 5
・ 13 は
﹃ 図 説 百 鬼 夜 行 絵 巻 を よ む
﹄︵ 注
⑺
︶︑ 図 6
・ 8
・ 11 は
﹃ 妖 怪 絵 巻
﹄︵ 平 凡 社
︑ 二
〇 一
〇
︶︑ 図 7 は 株 姜 友 邦
・ 金 承 煕 編
﹃ 甘 露 幀
﹄︵ 注
⒅
︶︑ 図 12
・ 14 は 山 西 省 博 物 館 編
﹃ 宝 寧 寺 明 代 水 陸 画
﹄︵ 注
!
︶ か ら 引 用 さ せ て 頂 い た
︒ 注
︵ 1
︶ 小 松 茂 美 編
﹃ 能 恵 法 師 絵 詞 福 富 草 紙 百 鬼 夜 行 絵 巻
﹄︵ 続 日 本 の 絵 巻 二 十 七
︑ 中 央 公 論 社
︑ 一 九 九 三
︶︑ 田 中 貴 子
﹃ 百 鬼 夜 行 の 見 え る 都 市
﹄︵ 新 曜 社
︑ 一 九 九 四
︶︑
﹃ 図 説 百 鬼 夜 行 絵 巻 を よ む
﹄︵ 河 出 書 房 新 社
︑ 一 九 九 九
︶︑ 小 松 和 彦
﹃ 百 鬼 夜 行 絵 巻 の 謎
﹄ 集 英 社 新 書
︑ 二
〇
〇 八
︶︑ 人 間 文 化 研 究 機 構 監 修
﹃ 百 鬼 夜 行 の 世 界
﹄︵ 角 川 グ ル ー プ パ ブ リ ッ シ ン グ
︑ 二
〇
〇 九
︶ な ど
︒
︵ 2
︶
﹃ 室 町 時 代 物 語 大 成
﹄ 九
︵ 角 川 書 店
︑ 一 九 八 一
︶︒
︵ 3
︶ 史 料 纂 集
﹃ 経 覚 私 要 鈔
﹄ 第 四
︵ 続 群 書 類 従 完 成 会
︑ 一 九 七 七
︶︒
︵ 4
︶ 圖 書 寮 叢 刊
﹃ 看 聞 日 記
﹄ 七
︵ 明 治 書 院
︑ 二
〇 一 四
︶︒
︵ 5
︶ 西 山 克
﹁ 室 町 時 代 宮 廷 社 会 の 精 神 史
│
│ 精 神 障 害 と 怪 異
﹂︵ 東 ア ジ ア 恠 異 学 会 編
﹃ 怪 異 学 の 可 能 性
﹄ 角 川 書 店
︑ 二
〇
〇 九
︶︒
︵ 6
︶ 新 日 本 古 典 文 学 大 系 四 十 二
︑﹃ 宇 治 拾 遺 物 語 古 本 説 話 集
﹄︵ 岩 波 書 店
︑ 一 九 九
〇
︶︒
︵ 7
︶ 木 場 貴 俊
﹁ 一 七 世 紀 前 後 に お け る 日 本 の
﹁ 妖 怪
﹂ 観
│
│ 妖 怪
・ 化 物
・ 化 生 の 物
﹂︵ 小 松 和 彦 編
﹃ 怪 異
・ 妖 怪 文 化 の 伝 統 と 創 造
│ ウ チ と ソ ト の 視 点 か ら
﹄ 国 際 日 本 文 化 研 究 セ ン タ ー
︑ 二
〇 一 三
︶︒
︵ 8
︶ 改 定 増 補 故 実 叢 書
﹃ 舞 楽 図 説
﹄︵ 明 治 図 書 出 版
︑ 一 九 九 三
︶ な ど を 参 照 し た
︒
︵ 9
︶ 鍋 と 釜 の 妖 物 に つ い て は
︑ 名 倉 ミ サ 子
﹁ 鍋 と 釜
│
│﹃ 百 鬼 夜 行 絵 巻
﹄ に 見 る 神 事 の 位 相
﹂︵ 前 掲
﹃ 怪 異
・ 妖 怪 文 化 の 伝 統 と 創 造
﹄︶ の 考 察 も あ る
︒
︵ 10
︶ 熊 野 観 心 十 界 図 に つ い て は
︑ 小 栗 栖 健 治
﹃ 熊 野 観 心 十 界 曼 荼 羅
﹄︵ 岩 田 書 院
︑ 二
〇 一 一
︶ を 参 照
︒
︵ 11
︶ 黒 田 日 出 男
﹃ 王 の 身 体 王 の 肖 像
﹄︵ 平 凡 社
︑ 一 九 九
〇
︶︒
︵ 12
︶ 改 定 増 補 故 実 叢 書
﹃ 禁 秘 抄 考 註
・ 拾 芥 抄
﹄︵ 明 治 図 書 出 版
︑ 一 九 九 三
︶︒
︵ 13
︶ こ の 点 に つ い て は
︑ 本 論 の 最 後 で あ ら た め て 触 れ る こ と が あ る
︒
︵ 14
︶ 奈 良 国 立 博 物 館
・ 東 京 文 化 財 研 究 所 編
﹃ 大 徳 寺 伝 来 五 百 羅 漢 図
﹄︵ 大 伸 社
︑ 二
〇 一 四
︶︒
﹁ 妖 物 絵
﹂ の 誕 生
一 一 八