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通俗絵入 : 妖怪百談 利用統計を見る

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(1)

通俗絵入 : 妖怪百談

著者名(日)

井上 円了

雑誌名

井上円了選集

19

ページ

65-180

発行年

2000-03-20

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00004710/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

不思議庵主 井上鋼了輯

給蓮

入俗

第三版

(3)

1.サイズ(タテ×ヨコ)  180×113mm 2.ページ  総数:192  哲学館主井上円了博士著書総目  録:8  序言・目録:10  本文:153  付録 (鬼門論):19  哲学館講義録広告:2 3.刊行年月日  初版:明治31年2月21日  再版:明治31年5月25日  底本:三版 明治32年10月30日

妖怪百更養警澱巳、墜凝

      不厭遷願庵‡︷ 井 ト一 磁一 了紺鵯     、惜竃、 ・射魁斑ず祇の徽響搬力・鶏鰍σ聯鯨冥苦パ拍百寮那功麟鰍ピ辮め苧て 姓三冷雛蚤亘☆載萎記嘉レ・・ぴ難ξ・斧駕  馨馨鶴“×糞緒は繋鶴が獅、齪彪がoぷ鱗猷あ曇・顕挺杏

又騰叉雛慰  ⋮竃脾癬灘藁ず欝

 違灘璽釦斑賠嬬婁簑醗擬電雛けバ雛醗蝶磁宕を欝寧名く、寮れ概鱗  斑嬬凝朔。、誉灘佑島ぱ駆秦灘馨蹴・管警康磁麗酷鷲麟賠、  繋轍、馨喬、馨戊、馨蹴の入蕊宣蛮る、加ぽぞ鍵  か醗怪百政三擬怪亘羅岳ピて・此鑓部敵㊦る脹情¥嚇嫉獄腐ほ懲㌣妖 一

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井郵上誤団 了 .鬼旗市小著川鯨原  爾庁八繍地

佐簸麺麺編

、、童敵︸丁目十二番灘 秀叢禽、嬢、一ヱ蕩  肇布牛込妬W♪谷茄 、、顧欝観“鵜゜ 四  聖 巨堂  裏京嚇が吉周扉原  町+八穆地 (巻頭) 4.句読点  あり。総ルビ 5.発行所  四聖堂(哲学館内)

(4)

     序  言

       ぎかい  この百談は、さきに﹁偽怪百談﹂と題して﹃読売新聞﹄に数十日間連載せしものを一まとめにし、その上に訂 正を加え、往々図画をはさみ、巻末に名家の批評を付し、ここに名を﹃妖怪百談﹄と改めて、新たに刊行したる ものなり。各談の下に﹃妖講﹄何部︹門︺何頁と記入せるは、﹃妖怪学講義﹄の頁数を指定せるものなれば、よろ しく本書を参考対照すべし。 妖怪百談 65

(5)

 余、先年、古今の書籍をさぐり、東西の学説に考え、四百余種の妖怪を集めきたりて、これにいちいち説明を       へんさん       じつ 与え、両三年前その全部を編纂して、世に公にするに至れり。これを﹃妖怪学講義﹄と名つく。そのうちには実 かい     さよかい     ぎかい     ごかい      かかい     しんかい 怪あり、虚怪あり、偽怪あり、誤怪あり、仮怪あり、真怪あり。人為的妖怪、これを偽怪と名づけ、偶然的妖 怪、これを誤怪と名づけ、自然的妖怪、これを仮怪と名づけ、超理的妖怪、これを真怪と名つく。これ横的分類 なり。もし縦的分類によらば、﹁総論﹂﹁理学部門﹂﹁医学部門﹂﹁純正哲学部門﹂﹁心理学部門﹂﹁宗教学部門﹂ ﹁教育学部門﹂﹁雑部門﹂の八大科となる。しかして今、余が﹃妖怪百談﹄一名﹁偽怪百談﹂と題して、ここに 集録するところは、横的分類に従い、﹃妖怪学講義﹄中より偽怪、誤怪の種類に関する例証を抜抄せるものなれ ば、これを﹃妖怪百談﹄と称するより、むしろ﹁偽怪百談﹂と名つくるを適当となす。けだし、﹃妖怪百談﹄は 総名にして、﹁偽怪百談﹂は別名なり。しかるに、世の妖怪は十中八九まで偽怪より成るをもって、ここに﹁偽 怪百談﹂を題して﹃妖怪百談﹄と名づけり。今、もし﹁偽怪百談﹂を結了するを得ば、他日さらに、﹃妖怪学講 義﹄中より真怪の種類を抄出して、﹁真怪百談﹂を編集すべし。  世人、あるいは余を目して極端の妖怪排斥家となすも、余はむしろ極端の妖怪主唱者にして、世界万有ことご とく妖怪なりと固執するものなり。ただ、余が世人とその見を異にするは、従来一般に認めて妖怪となすもの は、真の妖怪にあらずして偽妖怪なり。しかして真の妖怪は、世人の全く知らざるところにありて存すべしとい 66

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うにあり。        ちり  それ、鏡面の塵を払わずんば、その真相を認むるを得ず、月下の雲を払わずんば、その清光に接するを得ざる         もう がごとく、偽怪の妄を排せずんば、真怪の実をあらわすを得ず。ここにおいて、﹁真怪百談﹂にさきだちて、﹁偽 怪百談﹂を編成するに至れり。ゆえに、﹁偽怪百談﹂を読むもの、誤りて余を消極一方の破壊論者となすなかれ。 余は、一方において消極的に破壊するも、他方において積極的に建設せんことを期す。人、もしその実を知らん と欲せば、請う、﹁真怪百談﹂の出ずるを待て。 妖怪百談 67

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妖怪百談

       第一談 天狗の奇話 ︵﹃妖講﹄﹁心理学部門﹂第三八節参看︶        こ り     てんぐ  民間の妖怪談中には、幽霊談、狐狸談、天狗談、最も多し。しかして、三種とも偽怪、誤怪の加わることこと に多く、事実の真偽を鑑定することはなはだ難し。今その三者中、まず天狗の怪談につきて述ぶるに、天狗その ものは獣にもあらず、人間にもあらず、鬼神にもあらず、実に一種不測の怪物なり。これに関する怪談は古今の       うんらくけんもんしよき 書中に散見せるも、その事実ははなはだ疑うべきもの多し。左に、﹃雲楽見聞書記﹄に出だせる天狗の奇話を示 さん。︵﹃雲楽見聞書記﹄は上下二巻より成り、写本にて世に伝わる。著者の号を雲楽と名つくるも、その姓名を つまびらかにせず。一説に、江戸日本橋辺りの差配人なりという。本書は随筆体の実事談を集めたるものにし て、文化年中の筆記にかかる︶       あきんど    寛保の末つかたのことなりしが、江戸橋茅場町に有徳なる商人、手代、年季の者まで十二、三人も召しつ   かい、なに暗からず暮らせしあり。子供三人まで持ちしが、二人は早世して、当時ひとり息子にて、利発の        ちようあい   生まれつき、親たちの寵愛おおかたならず。月よ花よと楽しみありしときに、この息子いったい器用にて   諸芸通達し、中にも平生囲碁を好み、ただこれにのみ心をゆだねけるが、あまりに心を労しけるゆえにや、        ろうがい   ふとわずらいつき、労疲のごとく引きこもり、人に逢うことさえいといける。よって両親心遣いして、医療        しるし   さまざまに尽くしけれども、さらに験なし。しかるに親類のうちより、この病体に妙を得し医師を伴いき

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妖怪百談 たり、この薬力にてしあわせにだんだんと平癒して、今は常体のとおり全快せしかば、両親のよろこび、と びたつばかり。連らなりし人々、召使等まで万歳を唱えけり。  この病体全く碁にこりかたまりてそれよりのことなれば、碁はまずやめにして、気を転ずることよしと、 歌、三味線にかえしなり。息子の友達寄り集い申すよう、﹁われら二、三人申し合い、ゆさんがてら箱根へ 湯治に赴く催しなり。貴所にも保養のため、連れはわれわれなれば、同道しかるべし﹂と勧めけり。なるほ ど、よろしかるべしと親たちへ達せしところ、行きたくば、ともかくも心任せにとあるゆえに、早速相談き まり、出立の用意とりどりにて、支度調い発足しけり。ほどなくかの地へ着せしところ、連れのうちに病人       じよう る  り とてはなし。いずれも保養のことなれば、湯は付けたり、浄瑠璃、三味線のみにて、毎日の楽しみいうば かりなし。連れのうちにて申し出だしけるは、﹁この土地に地獄という所ありと聞く、見たし﹂と言うより、 しからばとて、おのおの連れ立ち行く。この節、かの息子をも勧めしが、なに思いけん、行くまじとのこと なり。よって後へ残りける。地獄めぐりに行きし人々は、帰りてそのはなしなどして興じける。  それより一両日過ぎて、息子ふと思いけるは、みなみな地獄を見物せしが、なんとかしてその節は行かざ りしが、ここへ来て見ざるも残り多ければと思い、友だちにもはなさず、供をも連れず、ただ一人地獄をさ して赴きしが、人にも問わず、心拍子に五七町のことなるべしと思い出でしところ、道を取り違え行きし が、問うべき人にも逢わざれば、これまで来たりむなしく帰らんもいかが、行きつかんことはよもあるまじ          せきよう      おか と行くほどに、日は夕陽に及ぶ、空腹にはなる、コハいかにとはるかの岳に上り見渡せば、かすかに五七軒  いえい の家居の見ゆるさまなれば、なににもせよあの人家まで行きつくべしと、方角は分かたねども、もしくは三 69

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島の辺りにてもあらんと思い、まずその方を心がけ行くほどに、しあわせとその里と見し所もほど近く、       もち 二、三町にも見えければ、道を急ぎてようようにかしこに来たり。ここかしこと五七軒を見れども、餅、団     てい 子を売る体の家も見えず、いかにすべしと立ちたりしが、とある家に五、六人集まりて碁を打ちておる内へ はいり、﹁御免下され、火を一つ借用﹂と、空腹にてタバコ機嫌はなけれども、寄りつくしおに言いければ、 安きこととて差し出だす。かたじけなしと火をかり、腰打ちかけておれども、いずくにもある習い、碁に打 ちかかりし人はもちろん、見物までも碁に見とれ、かの男に挨拶する者も、とがむる者もなし。       へ た  しかるに、われも元来好きの道なれば、その盤面を見るに下手どもにて、心の内に腹を抱えるほどのこと にてありしが、じっと押しひかえておりしが、碁を打ち終わりければ、かの者申すよう、﹁あなた方にはよ き御慰みなり﹂と申しければ、みなみな申すよう、﹁そのもとはいずくの人にて、なにとてここへは来たら れしとそ﹂と問う。答えていうよう、﹁拙者は江戸表の者、箱根へ湯治に来たりしが、地獄を見物せんと出 でしが、道に踏み迷い、かくのしあわせなり﹂と答う。﹁それは気の毒なり。はや暮れも近ければ湯本まで        そうら は帰られまじ。あなたも碁好きと見えたり、一ばん打ちたまえ﹂とあるを、﹁仰せのとおり好きには候えど       そうろう も、下手にて候﹂と例の卑下の言葉に、﹁下手とありても江戸衆のことなれば、さはあるまじ。われらお 相手つかまつるべし﹂と申すに、一人進み出でて打ちかかりしが、まず客なればとて白石を渡し、打ちける ところ二目の勝ちなり。どれどれわれら替わるべしと入りかわり打ちしところ、またこのたびも二目の勝ち となり。中に気の付く者申すは、﹁お客は知らぬ道を迷いあるき、さぞ空腹にもあるべし﹂と、あり合わせ  ぜん の膳を出だす。こなたにも望むところなれば、辞儀に及ぼず。所望してまず腹内も丈夫になり、さてみなみ 70

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妖怪百談          こよい       あらて な申すよう、﹁まず、今宵はここに止宿ありて打ちたまえ﹂とて、新手を入れかえ、七人を相手として打ち        きも しところ、甲乙なしにみな二目の勝ちとなり。この者ども胆を消し、﹁誠に希代の碁打ちかな。とてもわれ らが相手にはならず、先生を招きうたすべし﹂とて、そのうちより一両人迎いに行く。        わき      さ た  この先生というは、ここより十町ほど脇に住んで、業は医師を立てて、近郷に続く方なき碁打ちと沙汰し て、この者ども、みなかれが門弟なり。よって五里十里脇よりも聞き伝え、好きなる人は打ちに来たるとな り。かの者どもの告げによりて、先生は取るものも取りあえず、ここへ入りきたる。その形相、年のころは        そうがみ  ひげ      ひとえもの  ちりめん 六十有余とも見えて、白頭の総髪、髭も白く、眼中するどくして、衣類は絹太織、浅黄小紋の単物、縮緬         しゆざや       ごじゆらい のはおりを着し、朱鞘の大小を横たえきたり、﹁珍客の御入来とて、招きに応じ参りたり﹂と、座中へもあ いさつあり、客人へも初対面のあいさつ終わりて、﹁さて、囲碁をいたさるる由、お相手になり申すべし。       せん 承りしところ、ことのほか御能達のよし、まず初めてのことなれば、互い先にて参るべし﹂と、口には言え ど、心にはなんのへろへろ碁、ただ一番に打ちつぶしくれんずと思い、盤面に向かい始めしところ、さした  こうみ      はいかん る好味の手も見えねども、ややもすれば危うきことたびたびなり。負けてはすまずと一世の肺肝を砕き打ち       かた 上げしところ、先生の方一目の負けとなり。よって、先生も途方に暮れて言葉なし。  しかれども、碁の家筋というにもあらざれば、ぜひなく客の方へ白石を渡し、自身は黒石を取りて打ちけ るが、また一目の負けとなり。それより、だんだん一目ずつ置き上げ打ちけるところ、八目まで置き打ちけ        せいもく るに、とかくして各一目ずつの負けとなり。ぜひなく井目置き、これにてはいかないかな負けることあらじ と、一生懸命と日ごろ念ずる神々へ心願こめて打ちけるに、相かわらず一目の負けとなり。先生はじめ有り 71

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       かた      ぽうぜん 合う人々興をさまし、口を閉じ互いに顔を見合わせ、なににたとえん方もなく荘然たるありさまなり。かく するうち九つ過ぎにもなりければ、﹁まず休みたまえ、明日湯本へおくるべし﹂とて、その夜は止宿いたさ せ、翌日になりて右の者ども四、五人にて道を送り行くほどに、とある所にて﹁あの見ゆる所湯本なれば、      すぐ この道筋を直に行けば出ずるなり﹂とよくよく教え、﹁御縁あらば重ねて﹂といとまごいして別れけり。  それより湯本へ帰りしところ、旅宿にては大騒ぎ。大切の預り息子、昨日より出でて帰らざれば、手分け        いずく してたずぬるといえども、地理をも知らぬ他国のこと、いずれを何国とわかつべし。連れの者どもはみな立 ちかかりて、かの息子をしかるやらよろこぶやら、泣くやら笑うやら。生死のほども知らず、江戸へ飛脚を 立つべしや、なんと言いてよかろうと、とやかくとみな打ち寄りて辛労せしこといくばくそや。﹁かような る迷惑なる目にあいしこと、これまで覚えず﹂などと口々に言い立てられ、あやまりいりていたりしなり。 しかれども、まず別義なく帰られしとよろこび、後は笑いになりて事すみぬ。その後の言い合わせに、帰府      さ  た してもこの沙汰は 向無言の申し合わせにて、湯治も相応していよいよ堅固にありしなり。        レ   ときにその翌年に至り、その時節になりければ、右の友達訪いきたり、﹁去年の入湯相応せしことなれば、 今年もまた迎い湯に立ち越えんと思うなり。貴所にはおぼしめしこれなきや﹂と勧めければ、﹁それは望む ところなり﹂と親たちへ申しければ、ともかくもとあるゆえに、去年のとおり出足せり。かの地に至り四、 五日過ぎ、かのことを思い出だし、まかるべしとだれにも相談せず、ある日立ち出でしが、過ぎつるころは 難儀せしことなれば、今度はよく覚悟して食べ物等を用意し、かの道に赴き、なるほどかようなる所もあり しと心にうなずき、道の分かりのおぼつかなく思う所は枝折りし、または鼻紙取り出だし引き裂き結い付 72

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妖怪百談 け、または矢立てをとりて石などへ書き記して行くほどに、去年の出でし刻限より早く出でて、ことに食事       おか はたしかなり。道には見覚え等もあれば、前に三島にてもあるべしと見極めしところの岳へは、昼時分に至       いえい りぬ。それより、かの所へ行きしは昼過ぎにて、その辺りの家居をのぞきおれども、碁を打ちておる家も見 えず。  そこかここかと見回るうち、一軒の家居ここらにてあるべしと思う家を見れば、まず取り付きに一間あり        かや      あずまや て、そのつぎに広き中庭の体にて土間あり。その所の真ん中に一間半四方ほどの茅ぶきの東屋を建て、こ の内に四、五尺四方、高さ三、四尺ばかりに土をもて築き上げ、その上へ碁盤をおき、盤の上に碁器を二つ        しめ  さいせんばこ ならべ、軒には七五三飾り、實銭箱を置き、この家へはいり、﹁火を借用申したし﹂と言い入るうちに、六 十ばかりの老人↓人ありて、ほかに人も見えず。﹁心安きことなり。腰かけてゆるゆると休まるべし﹂と、 茶など与えければ、言い寄るしおに時候のあいさつして、そのうえ申すよう、﹁昨今ながら承り申したきこ   そシつろう との候。向こうの方にかざり置かれしは碁盤、碁器と見えたり。自余と違い、神前のかざり付けのように 見え候は、いかがのことなり﹂と不審しければ、あるじ答えて、﹁もっとものおたずねなり。これにこそし さいあり。この辺りに一人の碁打ちありて、名人の名を取り、近在近郷に並ぶ人なし。よってこの人、自賛 に慢じて人を侮り、われならではと思う心絶えず。人々憎むほどなれども、だれあって足元へも寄り付くこ       わし ともかなわねば、この道を好む者は門弟となりて指南をうけ、上見ぬ鷲の所業なりしが、去年今時分にもあ       いずく       こつぜん らん、ちょうどあなたさまのようなる人、何国よりともなく忽然と来たって、かれと碁の勝負あり。続けて 十番まで負けられ、それより後はぐうの音も出ず、その節人々申すよう、﹃これは全くただごとならず。先 73

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  生あまり高慢なるゆえに、かれが鼻をひしがんと、天狗さまの人に化けて来られしものなるべし﹄との評判   にてありし。それよりのち、所の者、ぜひとらねばならぬと思う無尽か、勝たねばならぬ相撲、なにによら   ず勝負の願いには、この碁盤へ向かい祈るに、勝たずということなし。はてさて、そのはずなり。目前、天   狗さまの御手にふれられしことなれば、そのはずのことなり﹂と、勢いにかかって物語る。ゆえに、﹁その   天狗はわれなり﹂とも言われず、口を閉じて帰りしとなり。       こ り       じんかい  これ、ひとり天狗談中に限るにあらず、狐狸、幽霊等の怪談中にも、この種の人怪の加わること必ず多かるべ し。 74       第二談 西方塞がり ︵﹃妖講﹄﹁純正哲学部門﹂二九二頁引用︶        えき  愚俗は方位の吉凶を信ずれども、英雄、豪傑に至りてはこれを信ぜず。その一例に、徳川家康公関ヶ原の役       そうぼうきげん に、凶方を犯して勝利を得たることあり。すなわち、﹃草茅危言﹄に論ずるところ左のごとし。       いさ      さいほうふさ       かたたが    関ヶ原大戦に関東御出陣のとき、ある人諌めて、﹁今年は西方塞がりなれば、方違えをして出でさせたま       ひら   え﹂といいしに、﹁西、今まさに塞がるゆえ、われゆきてこれを啓くなり﹂とて、ただちに門出したまい、       ごだい       うんぬん   めでたく御代となりたり、云云。      とうたいそう       おうもうにち  ちなみに唐太宗の例を掲げんに、太宗出陣のときに、ある人諌めて、﹁今日は往亡日とて、はなはだ不吉の日        ゆ       ほろ なれば、延引ありたし﹂といいしに、﹁われ往きて彼亡ぶる日なれば、心配するに及ばず﹂とて、すぐに軍を出 だされ、果たして勝利を得られたりという︵あるいは周武王出陣のときに、このことありともいう︶。また、ち

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       ぶしようかんじようき なみに武田信玄が軍士の迷信を破りたる故事を引用せん。このことは﹃武将感状記﹄に出ず。       しなの       はと    信玄、信濃に発向のとき、鳩 つ庭前の樹上に来たる。衆、見て口々に私語して喜ぶ色あり。信玄そのゆ        そうろう   えを問われければ、﹁鳩その樹上に来たるとき、合戦大勝にあらざることなし。御吉例に候﹂とこたう。   信玄、鉄砲をもってたちまちその鳩を打ち落として、衆の惑いを解きたまう。  日本にてもシナにても、英雄はみなかくのごとし。世人むしろ英雄を学んで、愚俗を学ぶなかれ。        第三談 英雄の方便 ︵﹃妖講﹄﹁雑部門﹂第一節参看︶        ぼく  古来、英雄、豪傑にして間々、時日、方位の吉凶をトするものあり。これ、英雄自ら信ずるにあらざるも、無       みんせいせつようろく 知の士卒を奨励するの一方便としてこれを利用するなり。ゆえに、﹃民生切要録﹄に、﹁古人、時日、方角の説あ       どん るは、多くは倉を使い、愚を使うの術なり。天時、地利の人和にしかざるは、聖賢の格言なり。しかれども、敵 におもむく大将、多くの士卒を進退せしむるに、士卒は理を知らざるゆえに、わずかなることに疑いをなし信を       こぎようそうしよう  そうこく なす。ゆえに、三軍の勇を励まさんために、時日の説を借りることあり。かつまた五行相生、相剋をもって事       せいこく       うんぬん を定むるに、相生を吉とし、相剋を凶とす。しかれども、元来生剋に吉凶なし、云云﹂とあり。かくのごとき は、余がいわゆる政略的偽怪なり。 妖怪百談      第四談 疑心暗鬼を生ず ︵﹃妖講﹄﹁宗教学部門﹂第一節参看︶    ことわざ シナの諺に﹁疑心生二暗鬼一﹂ ︵疑心暗鬼を生ず︶といい、本朝の諺に﹁心の鬼が身をせむる﹂ ということあ 75

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四  談

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妖怪百談   ほんちようワげん       だい ち どろん り。﹃本朝偲諺﹄に、﹃︹大︺智度論﹄によりて解説していう。    ﹃︹大︺智度論﹄にいう、﹁むかし山中に寺あり。そのうらの別房に鬼住んで住僧をなやますゆえ、みな房を   すててにげ出でしかば、後には住せんというものなし。かかるところに、よそよりひとりの僧きたりて、こ   の房にすまんという。所の人、﹃この房には鬼あり﹄といえば、﹃なにほどのことかあらん。われ、かれを伏   すべし﹄とて、房に入りて住す。その折ふし、またある僧、この房に鬼ありとききて、﹃かれをしたがえん﹄   といいて房にゆき、戸をひらきて入らんとす。前に来たりし僧、夜陰のことなれば、すはや、くだんの鬼よ   とおどろき、戸をおさえていれじとふせぐ。後に来たりし僧は、内に鬼ありてわれをこぼむとこころえ、し   きりにいらんとあらそうに、ついに戸をおしやぶり、双方こぶしをもってうちあいくみあうに、夜ようやく   あけしかば、故旧同学の僧なり。たがいにおどろきはじて、あきれおりたり。人おおくあつまり見て、笑う   ことかぎりなし﹂とあり。    けんとくこうかしゆう    ﹃謙徳公家集﹄に     わがために、うときこころのつくからに、かつは心の鬼も見しけり。    しんろくじよう    ﹃新六帖﹄に     かくれみの、うきなをかくすかたもなし、心に鬼をつくる身なれば。        きよかい  世の妖怪は大抵この類にして、心より出ずるものなり。ゆえに、妖怪の巨魁は我人の心にして、妖怪の巣窟も またこの心なりと知るべし。 77

(17)

       第五談山間の呼び声︵﹃妖講﹄﹁総論﹂第 〇三節参看︶  目には幻視あり、耳には幻聴ありて、幻聴は幻視より生じやすし。例えば、夜、渓声を聴きて風雨かと驚き、        みんせいせつようろく 遠く砲声を認めて雷鳴かといぶかるは、みな幻聴なり。今、﹃民生切要録﹄に出ずる一例を挙ぐれば、    ある人、山中に呼ぶ声を聞く。その人、声を求めてゆきて渓間のほとりに至る。石間、木葉ふさがりて呼       せんせん   ぶ声のごとし。木葉をとればただ流水漏々たるのみ。また、はじめのごとく石間に置くときは、水すなわち   木葉にふれて呼び声のごとし。世間の耳目をまよわして、奇を見、怪に遭うこと、この類なり。学者知らざ       なんしゆうこう   るべからず。︵この話は南秋江﹃鬼神論﹄中に出ず︶  世のいわゆる妖怪には、この幻聴より出ずるもの必ず多かるべし。 78        第六談 死体の岨血 ︵﹃妖講﹄﹁医学部門﹂六一一頁引用︶  人の最も迷いやすきは生死の門にして、古来の妄説、多くは死の現象の解し難きにつきて起これり。まず死体 に関する妄説の一種は、親戚もしくは縁故ある者、死体に触るるときは、必ず死人の上に感動を与えて、鼻孔よ り出血するを見ると伝うるものこれなり。しかるに医家の説明によれば、死体の出血は、親戚の死体に触れし場 合に限らず、なにびとにてもこれに触れ、これを動かすときには往々あることなり。また、ことさらに動かさず       じくけつ とも、ときによりては自然に紐血の流れ出ずることありとす。しかるに、親戚にあらざれば死体に触るる場合極        めんぼう めて少なく、また、死体に接近してその面貌を熟視することなきをもって、死体の上にこのことあるを見ざるの       ふた み。また、すでに死体を棺に納め、その体より岨血を出だすことあるも、親族の者にあらざればその蓋を開かざ

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るをもって、そのことに気付かざるのみ。  ゆえに、親族にしてたまたま岨血を見ることあれば、 ごとき妄説を生じたるものなるべしという。 これをもって、死人自ら親戚の来たれるを知るとなすが 妖怪百談        第七談 炉中の菌怪 ︵﹃妖講﹄﹁理学部門﹂第三二節参看︶      み そ  米飯中に味噌粒あれば、人これを怪とす。夜中婦人の孤行するを見れば、人またこれを怪とす。すべてその常 に異なるものあれば、これを妖怪となす。これ、あえて不可なるにあらず。しかるに、ただにこれを妖怪視する        かんさいひつき のみならず、人多く吉凶禍福の前兆となす。これ、余が解することあたわざるところなり。 ﹃閑際筆記﹄に出だ   きんかい せる菌怪の一話は、参考に便なればここに掲ぐ。       ぎげんちゅう  えんこう    古語にいわく、﹁怪を見て怪しまざれば、その怪おのずからやぶる﹂と。信なるかな言や。魏元忠、猿狗        かんかい   の異、伊川の尊人、官癬の妖のごとき、歴々見るべし。わが国にもその人なきにあらず。むかし、人家に          こうか         きようこう   菌、炉中に生ず。閨家これをみて驚惇す。・王人曰く、﹁灰もまたこれ土なれば、土菌を生ずる、なんぞ怪し   まんや。もし、これさかしまに生えば、もって怪とするに足らん﹂と。菌すなわち翻倒す。・王人笑って曰   く、﹁なんじ、わが言を聞きてはじめて翻倒することを知る。なんぞもって人にわざわいするに足らん﹂と。   すなわち、左右をして抜きてこれを去らしむ。後、果たして事なし。  これによりて、草木の怪は怪とするに足らざるのみならず、家の興廃、人の吉凶に関係なきを知るべし。 79

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      第八談 御札、天より降る ︵﹃妖講﹄﹁理学部門﹂第五七節︹参看︺︶        おふだ  明治維新の初年に、京阪地方より東海道筋へかけて、神様の御札の降りしことありて、一時世間の大評判とな       おくだ り、大いに騒ぎ立ちたることありき。当時、御札の降りきたりたる家にては、神の御下りになりたるものと思       きようおう い、この上なきめでたきことに考え、毎日その祝いに来たる人々へ、だれかれの別なく、酒を出だして饗応す ること流行せり。その御札の原因につきては、その当時はもちろん、今日に至るまで、実に奇怪、不思議に思い        こう ておるものあり。余、かつてこれを実視せる人に聞くに、﹁これみな人為に出でたるものなれば、毫も奇怪とす るに足らず。その証跡は、第一に御札は決して士族の邸や、貧民の家に落ちたることなく、富有の家に限りて降 れり。これ、富人は御札の降るを祝して、酒食を衆人に施すも、貧民はなしあたわざるによる。すなわち、酒食 の饗応を得んと欲して、人の故意になしたるものなり﹂と。その後、同じく右の実況を目撃せる人に会し、さら にその原因をたずねしに、﹁これ全く人為なる証拠には、拙者らも二、三人申し合わせ、おもしろ半分に、夜分        こうち 御札を降らせに出かけたることありし﹂と答えり。果たしてしからば、人間の狡知よく神を欺くというべし。後 世あにおそれざるべけんや。 80       第九談 本来東西なし 二妖講﹄﹁純正哲学部門﹂第四四節参看︶       ちようちよう 方位家は方位のことを喋々すれども、方位はもと仮設のものにして、宇宙の体には本来その別なきことは、        げもん いずれの天文に考うるも明らかなり。古来、仏教家は左の偶文を唱えり。   迷故三界常、悟故十方空、本来無二東西べ何処有二南北司

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       さんがいじよう       じつほうくう  ︵迷うゆえに三界常、悟るゆえに十方空、本来東西なし。いずれの所に南北あらん︶ 果たしてしからば、方位説は迷いより生ずといわざるべからず。 妖怪百談        第一〇談 五行の妄説 ︵﹃妖講﹄﹁純正哲学部門﹂第六二頁︶        こぎよう  方位の可否を論ずるは、もとよりすでに愚なり。五行の吉凶を談ずるも、また愚なりといわざるべからず。       しよきよう     こうはん 五行とは木火土金水にして、その名目は﹃書経﹄の﹁洪範﹂に出ずるも、これを諸事諸物に配合して、吉凶禍 福を判定するに至りたるは、漢以後のことなるべし。わが国にありては、今日なお民間にこれを信ずるもの多き は、余輩の解することあたわざるところなり。その、これを年に配し、日に配し、方位に配して吉凶を談ずるが ごときは、いかに信ぜんと欲するも、信ずることあたわず。その判断はあたかも七曜の上において、水曜日には 水難あるべし、火曜日には火難あるべし、金曜日には金もうけあるべしと断定するに似たり。だれか、あえてこ        そうしよう  そうこく れを信ぜんや。今、ここに五行家が相生、相剋に与えたる説明を述ぶるに、木生火、火生土等は、これを相生 といい、水剋火、火剋金等は、これを相剋という。その相生の説明を見るに、火生土の下に、火にて物を焼け ば、みな灰となりて土に帰す。これ、火より土を生ずる理なりとあれども、さらにその意を得ず。例えば、ここ に枯れ葉ありとするに、これを火に投ずれば灰となり、灰は土となるをもって、火より土を生ずるといわんか。 しかるに、枯れ葉は火に投ぜざるも、そのまま土にうずめて、よく土に化するを得べし。かつ、火はたとい枯れ 葉を灰にする力ありとするも、ただその変化の媒介をなすのみにして、決して土を生ずる力を有するにあらず。 あるいは火は水を温めて、よくこれを蒸気に変ずることを得るも、決してこれを土に変ずるあたわず。あるいは 81

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また、火は金をとかすことを得るも、金はやはり金にして、火のために土となるにあらず。  果たしてしからば、火土を生ずの理いまだ知るべからず、土金を生ずの解に、土中より金を掘り出だす例を引 けり。これ一理あるに似たれども、土をうがてば水をわき出だすをもって、土金を生ずと同時に、土水を生ずと もいうことを得べき理なり。あるいは地震にて大地の裂けたるときは、土中より火を噴出するをもって、土金を 生ずと同時に、また土火を生ずともいうことを得べき理なり。つぎに、金水を生ずの解に、金を火にてあぶれ ば、水のその上に浮かぶを見る。これ、金の水を生ずるゆえんなりとす。あるいは砂石をうがてば、水おのずか ら出ずるをもって、金水を生ずといい、あるいは金をとかせば、水のごとくになるによりて、金水を生ずという 等の種々の説明あれども、一つとして理の信ずべきものなし。ある書に、金水を生ずを説明して曰く、﹁金銀や 銅鉄ある所にはみな水あり。諸国の金山を掘るに、水のために妨げられて掘り難きゆえに、金の水を生ずるゆえ んを知るべし﹂とあれども、だれかこれを読みて、一笑せざるものあらんや。その他の相生、相剋の説明、みな かくのごとし。        けつきよそうせい  かかる不道理の説明をもって、今日の人知に満足を与えんと欲するは、今日の人に穴居巣栖を勧むるとなんぞ        せいこく 異ならんや。これを要するに、五行の吉凶鑑定は、その原理とするところの生剋の説明、すでに不道理を極む。 なんぞその応用の確実なるを得んや。 82   らんさい 藤井獺斎、  第一一談 夜、鬼物あり ︵﹃妖講﹄﹁総論﹂第一〇一節参看︶ 自ら鬼を見たることをその著書中に掲げり。左にこれを転載すべし。

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   ある人曰く、﹁いうことなかれ、鬼なしと。われしばしばこれを見る﹂と。聞く者、もって怪となす。余   が曰く、﹁必ずみな妄ならず。ただし、その見るところのものが己の心の影象にして、ほかより至るものに   あらざることを知らざるのみ。余、幼きとき、郷人の子いいて曰く、﹃某の地、某の所に夜、鬼物あり﹄と。   余、しばしばそこを過ぐるに、ついに見るところなし。この言を聞くに及んで後これを過ぐれば、すなわち   しようぜん       かいおう しゆき   聾然として一物を見るがごとし。十余歳にして後また見ることなし﹂と。晦翁︹朱蕪︺、かつて怪を論じて        へいほ       さろう   曰く、﹁人心平鋪着なればすなわちよし。もし倣弄すれば、すなわち鬼怪出ずることあり﹂と。信なるかな。   一書に曰く、﹁人、鬼をおそるるがゆえに人に鬼あり、猪羊、鬼をおそれざるがゆえに猪羊に鬼なし﹂と。   また併案すべし。  その末語、誠に妙なり。人に鬼あるは、人自らこれを迎うるによる。二、三歳の無神経の小児に鬼なきは、全 くそのゆえなり。しかして獺斎が幼時鬼を見たるは、その心迎えて幻覚を起こせしに相違なし。 妖怪百談       第一二談 幽霊の幻覚 ︵﹃妖講﹄﹁心理学部門﹂第四節参看︶ 本年一月発行の仙台﹃東北新聞﹄に、﹁内田医学士と幽霊﹂と題して左のごとく記せり。       こうぶ   第二高等学校医学部教授、医学士内田守一氏は、精神病学を専攻して有名の人なり。氏、かつて酒を被       せんりつ       ばくえん  りて夜帰る。途中なんとなく戦懐し、後ろを顧みるに物あり。漠焉として人のごとし。俗にいう幽霊なるも  のか。学士おもえらく、世に幽霊なる具象的のものあるはずなし。いやしくも学理的の頭脳を有するもの、        こべん  世の妄信者とともに怪を見て可ならんやと。顧師数回、注視すれどもその物消えず。学士進めば幽霊また進 83

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  む。家門に至りてたちまち消ゆ。後、学士このことを挙げて諸生に語りて曰く、﹁予の怪を見しは事実なり。   思うに、こは急性幻覚性妄想と名つくる一種の精神病的現象ならん。この精神病的現象は、不意に急性にき   たる。予、その精神の異状を自覚せざる瞬間にかかりたるにて、その去るや、また極めて急劇なる瞬間に去   る。これをもって、予はわが精神に異状あるを自覚せず、しかも記憶その他の連続せるよりして、その幻視   を忘れざるなり﹂と。  かく記しおわりて曰く、﹁思うに教授のこの説は、教授の実験せし現象のほか、多くの不思議、多くの幽霊を         うんぬん 退治するに足る、云云﹂と、記者は評せり。 84        第=二談 日月の変光 ︵﹃妖講﹄﹁純正哲学部門﹂第二一節参看︶ 『ぞ 、きゆうわくもん雑笈或問﹄に・日月星の光変じて国の凶事を示すということを聞けり。いかにとの問いに答えて、﹃嚢異 し 志﹄を引けり。その文、左のごとし。      これとき    大江惟時が弁に、﹁たとえば、病眼の者灯火を見れば、その光常に変じて見ゆ。正眼の者見れば、常に変   わることなし。日月星の光もまたそのごとし。乱起こらんとする国の人見るときは、常に変わりて見ゆべ   し、治世の人見るときは、常に変わることなし。あに日月星の光に変わりあることあらんや﹂  これ、外象の変幻は、これをみる人の感覚、精神の状態いかんに応じて起こるとの意にて、ややおもしろき説 なり。

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妖怪百談        第一四談 婚礼および正月の縁起 ︵﹃妖講﹄﹁教育学部門﹂三五八頁引用︶  俗にいわゆる縁起をやかましく言い立つるは、婚礼の儀式と正月の祝賀に、ことにはなはだしとす。例えば結       こ ん ぷ       や な ぎ だ る         するめ    す る め         た い   くださるべく 納の目録に、昆布を﹁子生婦﹂と書し、柳樽を﹁屋内喜多留﹂と書し、賜を﹁寿留女﹂、鯛を﹁多居﹂、可被下   くださるべく を﹁下被可﹂と書くの類これなり。この﹁下被可﹂と書くゆえんは、いったん家を出でて他に稼したるものは、     ヘ ヘ ヘ        ヘ へ      ちようし 再び家にかえるを不吉とするをもって、文面に返り点を付けて読むを嫌うによる。また、婚礼のときに銚子に ちよう 蝶形を付くるを例とするは、蝶ののどかなる日に遊び戯るるがごとく、夫婦和合して日を送るを祝する意なり という。あるいは一説に、蚕の蝶になりたるときは、子を多く生むゆえ、子孫繁昌を祝うの意なりという。ま      はまぐり た、婚礼に蛤の吸い物を用うるは、蛤は数百千を集めても、ほかの貝に合わざるものとして、貞女は両夫にま みえずとの意を含むという。その他、婚礼の贈り物に用うる水引は、結びきりにして返さざるは、ひとたび嫁し たるものの帰らざるを祈るの意にして、婚礼の席に客の帰り去るを、御帰りといわずして御開きというも、帰る を避くるの意なりという。       もち  正月の食品および飾り物もこれに同じ。食品には餅、昆布、煮豆、数の子の類を用う。餅は金持ち、子持ちの       ぐう モチに通じ、昆布は子を生むと音相類し、豆はマメヤカのマメに通じ、健康の意を寓するなり。また、飾り物に  お  だいだい       お  だいだいかねもち は苧、 榿、小判、餅等を用う。これ、俗に親代々金持ち﹁緒や橿金餅﹂を祝する意なりという。これ、多く は俗人の付会に出ずるも、要するに、儀式の縁起は大抵みな迷信の一種に過ぎず。たとい儀式は迷信より出ずる も、別に利害のなきことなれば、なるべく古来の習慣を守るをよしとす。 85

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       第一五談 雪は豊年の瑞 ︵﹃妖講﹄﹁純正哲学部門﹂一二二頁引用︶  もうしでんぎ       ことわざ      しるし  ﹃毛詩伝義﹄に﹁豊年の冬必ず積雪あり﹂といい、本朝の諺に﹁雪は豊年の瑞﹂という。朱子の説明によれ ば、﹁雪よく豊年をなすにあらず。そのしかるゆえんは、陽気を凝結して地にあり、来歳に至りて発達して万物 を生長するをもってなり﹂というも、これ、陰陽説にもとつくをもって解し難きところあり。もし今日の学説に 考うれば、化学上雪多きときは、田地に肥料をとどむるをもって、豊熟をきたすべしとの説明あれども、あえて かく考うるを要せず。およそ冬寒ければ夏暑し、冬多く雪ふれば夏雨少なくして、天候順を得べき理なり。ま た、冬多く雪ふり寒厳しければ、害虫自然に凍死して、翌年稲類の成長を妨げざるべき理なれば、雪は豊年の瑞 と称して可なり。 86       第一六談 時日に吉凶なし ︵﹃妖講﹄﹁純正哲学部門﹂一〇九頁引用︶        こぎよう  今日、愚民は 般に干支、五行を時日の上に配当して、吉凶禍福を談ずるも、これ俗間の妄説に過ぎざるこ    ばいえんそうしょ とは、﹃梅園叢書﹄に出だせる諸例につきて明らかなり。        こうし      ちゆう    ︵前略︶﹁武王以二甲子’興、紺以二甲子一亡。﹂︵武王は甲子をもって興り、紺は甲子をもってほろぶ︶とい        いん   うことあり。周の武王般をせめて、甲子の日にあたりて般の村王をほろぽしたまえり。同じ甲子なれども、   武王のためには吉日にして、紺王のためには悪日なり。港にかかる船の東にゆくは、西風を順風といい、東   風を悪風という。また、西にゆく船のためには、東風順にして西風不便なり。もとより風に順逆はなく、わ   れゆくに順逆あり。日に吉凶なし、われに吉凶あり。とかく、あしきことをする日はすべて悪日なり、よき

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 ことをする日はすべて吉日なり。吉凶あにほかにもとむべけんや。︵中略︶明の太祖天下を得たまいてのち、  ちん  朕と年月日時を同じくして生まれたらんものはいかがあるべしとおぼしめし、あまねくたずねたまいしに、       なんじ  一人をもとめきたれり。見たるところ、やせつかれたる野夫なり。﹁汝、なにを業とするぞ﹂と問いたまい      みつ    かご  ければ、蜜十三籠をやしないて世をわたる由こたえけるに、このもの、なにごとをかなすべきとて、放しか  えしたまいしとなり。︵下略︶ その文あまり長ければ前後を略す。世の迷信家は、すべからく本書につきて全文を通読すべし。        第一七談 盗難よけの御札と容銭箱の鍵 ︵﹃妖講﹄﹁宗教学部門﹂第四七節参看︶  ある人の話に、﹁某神社に盗難よけの御札を出だす所ありていわく、﹃だれにてもその身にこの札を所持し、も       さいせんばこ しくはその家に保存すれば、決して盗難にかかる恐れなし﹄と。しかして、堂内にかけたる實銭箱に、かたく錠        どうちやく を下ろしてあるを見たり。これ自家撞着にあらずや﹂と。 妖怪百談        第一八談 民間の狐狸談、信葱し難し ︵﹃妖講﹄﹁心理学部門﹂四四三頁引用︶     こ り       しんびよう  民間の狐狸談は、十中八九までは、無根、虚構に出ずるをもって、容易に信懸すべからず。今その一例を挙       こわく ぐれば、両三年前のことなるが、ある人突然、余に書を贈りて、栃木県に狐惑の事実ありしを報知せられたり。 よって、余はただちにこれをその本人に問い合わせしに、全く無根の談なりき。今、左にその報道の次第を示す べし。 87

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  栃木県下某町、開業医某のもとに、真夜中急使来たりて請いらく、﹁産者、今まさに産せんとしてすこぶ       は  る苦悩せり、急ぎ来たりて一診せられたし﹂と。某、請いに応じ車を命じて、急使とともにその家に馳せて  みれば、家は誠に立派なる大家なり。至りしときはすでに産み落とせし後なりしかば、某は事後の薬など与  え、うどんの馳走を受け、かつ謝金をも受け取りて帰宅せり。翌朝、所用ありて紙入れの金を出ださんとし  て開きみれば、なんぞ図らん、謝金はことごとく木の葉ならんとは。怪しみて前夜の道をたどりてその家に       きつね  至りみれば、車輪の跡は歴々存すれども、家はあらずして茶園のみ。しかして、その茶園に狐の赤子が死  しておりたりという。ここにおいて、某は前夜のうどんを思い出だし、家にかえりて吐剤を服し、もってそ  の吐出物を検するに、まさしくうどんなりしに相違なし。もっとも、その前日とか、その近傍に婚礼あり  て、打ち置きしうどんが紛失せしことありし由なれば、けだし、このうどんなるべし。当時、この話遠近に  伝わりて、人はみな、某は狐にばかされたりと称せり。   このことにつき、寄書者は疑問を掲げて曰く、﹁狐は果たして人を魅するの術を知るや。果たして狐に人        そうろう  を魅するの術ありとせば、いかなる術に候や。心意にいかなる変化を受くれば、かく狐を人と見、茶園を  立派なる大家と見受くるに至るものに候や。魅術の心意上に及ぼす変化のぐあいを承りたし﹂   余、この報に接して大いにこれを怪しみ、速やかに某町に問い合わせしに、その返書に、御照会の件は全       かでん  く事実無根につき、御取り消し相成りたし旨申しきたれり。ここにおいて、そのことの全く誰伝、虚構に出  でたることを知る。 今日今時の伝説すら信拠すべからざること、それかくのごとし。いわんや昔時の伝説をや。これによりてこれ 88

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        こ  り をみるに、古来の狐狸談は、多くは狐狸そのものの人をたぶらかすにあらずして、人の人をたぶらかすものなる        ともがら を知るべし。果たしてしからば、人間の魔術は狐狸の魔術に勝ること万々なり。ああ、狐狸の輩、なんぞ人間 に加うることを得んや。        第一九談 神なお人間に使用せらる ︵﹃妖講﹄﹁雑部門﹂第一節参看︶       こうかつ  狐狸いかに狡猪なるも、もとこれ獣類のみ。その人間にしかざるは、あえて怪しむに足らず。しかるに、人間 以上に位せる神、なお人間に使用せらるること多し。今その 例を挙ぐるに、ある一種の教会にて神壇を設け、        き とさつ これに向かいて祈薦するときは、神その座にくだりきたることを衆人に示さんと欲し、祈薦のたけなわなるに当    み き たり、神酒をいれたる器物に御幣をはさみ込みたるに、その幣たちまち左右に動揺するを見る。すなわち衆に告       よ げて曰く、﹁これ今、神のくだりて御幣に懸りたるなり﹂と。衆みな大いに驚く。すでにして一陣の風北窓より       どじよう 吹き入りて、その器物をたおせしかば、その中より鮒の四、五ひき躍り出ずるを見たり。よって衆はじめて、 御幣の動きたるは、神の葱りたるにあらずして、鱈の動きたるにもとづけるを知れりという。これ、人為的に属 する一種の妖怪にして、いわゆる利己的偽怪なり。果たしてしからば、神仏の怪談も容易に信ずべからず。 妖怪百談        第二〇談 投石の怪 ︵﹃妖講﹄﹁雑部門﹂五三三頁引用︶        がせき  民間の妖怪に、なにものか瓦石を投ずるも、さらにその原因を知るべからざるものあり。余はこれを投石の怪      しよくにほんぎ    こうにん と名つく。﹃続日本紀﹄、光仁天皇宝亀七年にその怪ありしことを記せる以上は、古代より起こりし妖怪なるが 89

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妖怪百談

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ごとし。その怪、近年ことに多きをおぽゆ。余は毎年二、三の地方にそのことあるを聞き、これを探知するに、 その原因は大抵みな人為に出ず。        おうう  左に、﹃中央新聞﹄および﹃奥羽日日新聞﹄の雑報を転載して示すべし。        やぶた    明治二十七年七月発行の﹃中央新聞﹄にいわく、コ泉都上京区元六組北町、織物職藪田喜七郎方にて、去   る五日の夜十一時ごろより、毎夜同じ時刻に表裏のきらいなく、にわかに小石の雨を降らし、その所業者を        てんぐ   こ り   たずぬるも一向見当たらぬにぞ、さては天狗か狐狸の所業か、近所近辺の一問題となりたるより、警察署で   もすておき難く、上長者町の警官がわざわざ出張のうえ取り調べたるに、ただ疑わしきは同家の雇い女﹃お   しな﹄が、その時刻に見えなくなりたるより、もしやと思いてその跡をつけゆくと、果たして﹃おしな﹄         たけやぶ   は、ほど近き竹藪の内に入り、小石を拾いては投げはじめるにぞ。さてこそ正体見届けたりと、ただちに引       たんば   っ捕らえて取り調ぶるに、元来、この﹃おしな﹄は丹波国南桑田郡吉川村、平民菊島市松の妹にて、去る二   十五年ごろより右の藪田方に雇われいたるが、ちょうど同家に寄留しおる荒木常太郎に通じおるゆえ、主人        いたずら   喜七郎はこのことをかぎつけて、それとなく小言をいうより、わが身の淫奔は思わず、主人の小言を恨んで   いたところ、去る二日のこととか、仕事の不出来より、またまた厳しくしかられた︹る︺を根に持ち、去る五   日の夕方、喜七郎が行水しておる折、そっと藪陰から小石を投げしも、喜七郎は﹃おしな﹄の所為と気付か   ず、狐狸のいたずらといいおるに、グッと乗りがきて、それより毎夜そっと脱け出だしては、小石をばらば       うつぶん   ら投げ付けて、ひそかに薔憤を晴らせし由、包まず白状に及びたるにぞ。なおその不心得を説諭の上、主人   喜七郎へ下げ渡されしとは、女に似合わぬ悪いたずらなり﹂ 92

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妖怪百談        おうう   明治二十七年八月発行の﹃奥羽日日新聞﹄にいわく、﹁仙台市内良覚院町の石投げ怪聞につきて、再昨日  の夜、某氏が実地探検したりというを聞くに、同夜は暑熱のはなはだしきにもかかわらず、納涼かたがた見 物に来たるものおびただしく、ために良覚院の細横町は通りきれぬほどなりし。さて、今や怪石の降りきた  るかと待つほどもなく、九時三十分ごろに至り二十二番地の地先にて、突然降下せしとて拾い上げたる石塊 を見るに、あたかも数年間土中にうずまりおりたりとおぼしく、十分水気を含蓄せる縦四寸ばかりの楕円石  なり。探検者はその拾い上げたる人に目星を付け、それとはなしに始終その人に尾行するに、彼はこれを気 付きたる風なり。東西南北と群集の中をかけめぐる様子なれば、なおも尾行するに、三十分ほどをへだてそ  の人の右手に当たり、ドシリという音せしが、彼はまたここにも降りたりと、自ら拾い上げて、さも珍しそ  うに諸人に示しおれり。探検者はますますこれを怪しみて、何気なく群集に押されたる風を装い、突然彼と          たもと 衝突せしに、彼が左挟には、確かになにやらん堅きもの二、三個入れおけり。よって探検者は、怪聞の原  因を左のごとく説明せりと。    一、降下せる石塊は、いつも同一の人間に拾い上げらるること。    一、拾い上げたる人の挟には、石塊の入れあること。       まワしてんしゃ   右によりて見るときは、なにも怪しむべきことはなく、営利のために摩利支天社を設立するを目的とする  か、または要なきいたずらにて、諸人をさわがし自ら快とする悪者の所為なるべしとなり﹂ この二種の報道によりて、投石の怪は人為なることを知るべし。 93

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       第二一談 精神作用の影響 ︵﹃妖講﹄﹁心理学部門﹂第六節参看︶  余、これを聞く。某、生来毛虫を忌むことはなはだし。夏日、背をあらわして業を営みおりしに、一人あり、     きび       ぶ       せんりつ 背後より黍の穂を取りて、その肩を撫して曰く、﹁これ毛虫なり﹂と。某、大いに驚き、声を発して戦懐せり。 後その跡を検するに、毛虫に刺されたると同様に、はれ上がるを見る。精神作用の肉体の上に影響するは、この 一例にても知るを得べし。 94        第二一一談 人相見につきての疑念 ︵﹃妖講﹄﹁純正哲学部門﹂第四五節参看︶        と  ある人、一夕余が宅を訪い、談たまたま人相のことに及ぶ。某曰く、﹁われ、しばしば人相家を訪い、判断を 頼みしことあるも、一としてあたりしことなく、人相は全く信ずるに足らずと思いしに、ある年、東京日本橋区 の旅店に滞在したりし際、少々心頭にかかりしことありて困りおりたるに、旅店の者しきりに、﹃この近傍に名 高き人相見あれば、一度試みに鑑定を願われてはいかが﹄と勧むるゆえ、無益のことと思いながら、折角の厚意       そつ か に対しその家をたずねみるに、戸内に入るやいなやわが顔を見て、﹃足下は、かくかくのことに苦心しおらるる に相違なかるべし。今日、定めてそのことにつきて鑑定を頼みに来たられたるように見受けらる。足下の年齢は 何歳なるべし。足下には郷里に老母あるべし﹄などと、その言一として的中せざるなく、その神妙に感服して帰 舎せり。そののち再三熟考するに、神力ならばいざ知らず、人力にて決してかくのごとき鑑定のできるはずな し。想像するに、人相見と旅店の者と、互いに気脈を通じて、あらかじめ、かくかくの者が、かくかくの鑑定を 頼みに来たるはずなることを伝えおきしものかと疑われ、今もってその疑念やまず﹂といえり。多くの人相見の

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中には、かくのごとき策略をなせるもの全くなしというべからず。 妖怪百談       第一一三談 鬼門の方角違い ︵﹃妖講﹄﹁純正哲学部門﹂第五七節参看︶         きもん       ほんちようりげん 民間にて迷信せる鬼門の妄説なることは、数書に見るところなるが、﹃本朝僅諺﹄に左のごとく記せり。  神異経云、東北有二鬼星石室三百戸べ共 門︹石膀︺題日二鬼門づ広異記云、東海度朔山有二大桃樹べ幡屈三千  里、其東北日二鬼門づ事文類聚云、交趾有二鬼門関べ其南多二療癌ハ去者宰レ得二生還↓︹侃文︺韻府云、諺日若  度二鬼門関べ十去九不還。   しんいけい       せきぼう       こうい き  ︵﹃神異経﹄にいう、﹁東北に鬼星の石室三百戸あり。ともに一門石膀に題して、鬼門という﹂と。﹃広異記﹄         どさくざん      はんくつ       じぷんるいじゆう  にいう、﹁東海の度朔山に大なる桃樹あり。蝿屈すること三千里、その東北を鬼門という﹂と。﹃事文類聚﹄      こうち    かん         しようれい       はいぶんいんぷ  にいう、﹁交趾に鬼門関あり。その南は疸癌多く、去る者が生還するを得るはまれなり﹂と。﹃侃文韻府﹄      ことわざ  にいう、﹁諺にいわく、﹃もし鬼門関をわたらば、十去って九はかえらず﹄と﹂︶   これらの説をきき、あやまりて日本のこととし、東北のすみを鬼門と覚えたる人おおし。鬼門関とは交趾       あんなん  にある所の名なり。交趾は今の安南国なり。この鬼門というところ、はなはだしき湿地にて、ゆくものかな  らず病いだして、十に九つは死したるとかや。このゆえに、鬼門にゆくことをはなはだ嫌えり。日本にて忌  み思うは、俗にいう方角違いなるべし。 これ、鬼門を日本にて談ずるは、方角違いなりとの説なり。 95

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      第二四談 読経の功徳 ︵﹃妖講﹄﹁純正哲学部門﹂三二頁引用︶         ぽしん  余が郷里の某、戊辰の際、ひとたび家を出でて軍隊に加わり、数年の間、書信を伝えずして諸方に奔走せしか ば、家族はみな戦死せしならんと思い、その家を出立せし日を忌日と定め、毎年これを弔祭しおりしが、はやす でに七年の歳月を経るに至りしゆえ、一夕、故旧、親戚相集まり、僧を迎えて七年忌の法事を営めり。これにさ        どきよう きだちて、某は久しく関東に流浪せしも、一度故郷の父兄に逢わんと思い、まさしくこの日の晩方、読経の最       くどく 中にその家に帰着せり。当夕集まれる人々は、みな法事、読経の功徳なりとて大いに喜べり。しかれども、これ 偶然の出来事のみ。某の家に帰らんと欲して関東を去りたるは、法事にさきだつこと七日前なり。すでに帰路に 上りたる以上は、その日に家に帰着すべきは、法事の有無に関せざること明らかなり。あに、これを読経の功徳 というを得んや。 96       第二五談 妖、人によりて興る ︵﹃妖講﹄﹁総論﹂六六頁引用︶   しゆんじゆう  さ  し  でん  ﹃︹春秋︺左︹氏︺伝﹄に﹁妖由レ人興﹂︵妖、人によりて興る︶とありて、すべての妖怪は大抵みな人の呼び起        せいがくじざい こすところなり。すでにその起こるは人による以上は、その滅ぼすもまた人による理なり。ゆえに、﹃聖学自在﹄  すんだいざつわ      がくざんろく ﹃駿台雑話﹄等に﹁妖由レ人興﹂の説を掲げ、﹃学山録﹄には﹁妖由レ人絶﹂︵妖、人によりて絶ゆ︶の説を出だせ り。人よく妖怪をつくり、またよくこれを滅すとすれば、世の中に人ほどおそるべく、驚くべく、感ずべきもの はあらじ。        けごんきよう         えし  これ、全く人に心と名つくる一大怪物が宿りおるゆえなり。﹃華厳経﹄に﹁心は巧みなる画師のごとし﹂とあ

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りて、鬼も蛇も神も仏も、みな心よりえがきあらわさざるはなし。あに不思議ならずや。これをもって、古来の       ひゃくものがたりひようばん 聖賢は、もっぱら知をみがき心を正しくすることを教ゆ。﹃百物語評判﹄と題する書中に、この意を述べて曰 く、    こちらの一心さえただしければ、わざわいにあうべからず。あるいは、武勇のさぶらいは、その武勇ゆえ   心動かず、博学の学者は、その博学ゆえ内あきらかなり。戒律の出家は、その戒律によって邪魔きたらず。   その道おなじからねども、みな内にまもりあれば、妖怪のものも害をなすことあたわざるべし。  ゆえに世の迷信家は、まずその心を治むることをつとむべし。 妖怪百談        第二六談 精神と病勢との関係 ︵﹃妖講﹄﹁医学部門﹂第七節参看︶  一人あり、風邪にかかり、某医師の診察を請う。医師口く、﹁これ肺患なり﹂と。患者大いに驚き、その翌日 より病勢にわかに加わり、日一日より衰弱はなはだし。もし、この勢いをもって進まば、ついに危篤を免れず。 よって、試みに医師を代えて診察を請いたるに、医師曰く、﹁これ肺病にあらず、胃病にあらず、脳病にもあら ず、心臓病にもあらず、無病なり。自らその無病たるを知らずして重病と思えるのみ﹂と。患者また大いに敬馬 き、その日より医師の命に従い、服薬を廃せしに、果たして翌日より病勢とみに減じ、大いに快方に進み、数日        ことわざ を出でずして全快せりという。 諺に﹁薬人を殺さず、医師人を殺す﹂と。病にかかるものは医師を選ばざるべ からず。 97

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       第二七談 火渡りの効験 ︵﹃妖講﹄﹁雑部門﹂第一七節参看︶        き とドつ  一日、ある村に紛失物あり。村内の者の窃取せるに相違なきも、その人を知るを得ず。よって山伏に祈薦を請 い、もってその人を発見せんことを求む。山伏、一策を案じていわく、﹁われ、火渡りの法を行い、村内のもの をしてことごとくこれを渡らしむべし﹂と。かつ告げていわく、﹁無罪の者は火を渡りても、足を焼害すること       やけど なく、有罪の者は必ず焼傷を免れず﹂と。けだし山伏の意は、かく予告して火渡りを行わば、窃取の罪を犯せる ものは、自ら恐れてあえて渡らず、必ず最後に残るべし、ここにおいてその人を発見すべしと思えり。しかる に、火渡りを挙行するに当たり、窃盗犯の当人はさらに恐るる色なく、人にさきだちて第一番に火を渡りおわれ り。よって、ついにその人を発見するを得ざりしという。山伏の秘術は、気の弱きものに効験ありて、強きもの に効験なしと、友人某氏の話。 98       第二八談 利己的偽怪 ︵﹃妖講﹄﹁雑部門﹂五二四頁引用︶       しようないなるべしだん 世に、利己のために作為せる妖怪はなはだ多し。今、﹃荘内可成談﹄の一節を引きてその例を示すべし。   妖怪の家に出ずるというも、十に八九は虚言談なり。先年、近きあたりの寺にもこのことありし。よくよ       しよアつ  くたずぬれば、実は住持の妾を置き、日暮れよりは人の来たらざらんために、妖怪出ずるといいしとなり。  また、白昼に妖怪出でしという家あり。これもその家の乳母、幼子を炉にてやけどしていいわけなく、妖怪       け が       ふ  出でしゆえ驚きて、かく怪我しはべると、病に臥したる年寄りの主人を欺きしとそ。また、朝に妖怪出ずる        ぬぼく   みそ しんたん       はしため  といいし家あり。これは、その家の主人幼稚ゆえ、奴僕が塩、味噌、薪炭等を盗み取るに、下女、 脾ども

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妨げになりしゆえ、早く起きざらんため、かくのごとくいいしとそ。さあるときは、家のあるじたる婦人な  どは、ことさら気付くべきことなり。妖怪というは これによりて、世間の妖怪の信じ難きを知るべし。  ロき  り 、狐狸の類よりは、人の所為こそ多きなるべし。 妖怪百談        第二九談 稲荷下ろしの拘引 ︵﹃妖講﹄﹁雑部門﹂第一節参看︶        ゆうしん      いなり  昨年︹明治二十九年︺六月発行の﹁神戸又新日報﹄に、﹁稲荷下ろしの拘引﹂と題して、神に託して金円を詐取 したりし話を掲げり。すなわち左のごとし。    石州者の田中太七というは、俗にいう稲荷下ろしにて、女房﹁おきぬ﹂とともに、本年の四月ごろより神         みなと   戸へ来たり。湊村の内、石井村の島田平四郎が稲荷の信者なるを聞き込み、夫婦して同家へ出かけ、﹁私に    す わ   は諏訪稲荷が乗り移りおれば、私がいうとおりを守るときは、いかなる望みといえどもかなわざることな       き とシつ   し。それが嘘と思うなら、この白紙に金を包みて稲荷に捧げ、一月ないし二月と一心に祈濤せしうえ開いて   見れば、五円の金は必ず十円となり、百円のものはきっと二百円になりおること、さらに疑いあるべから       さ  つ   ず﹂と、まことしやかに述べ立てて、ついに平四郎を欺き、四十円の紙幣をくだんの白紙に包み、神前に供   えさせ、それより太七夫婦は毎日同家に通いて、しきりに祈薦をなしおるうち、いつの間にか中なる四十円   を抜き取りて、古新聞紙とすりかえ、知らぬ顔でおりしも、夫婦の金つかい近来メッキリ荒くなりしところ   から、その筋の目に止まり、一昨日、古港通りの木賃宿に酒を飲んでいる夫婦を拘引して取り調べると、平       あかし   四郎方の四十円はもとより、このほか同じ手段すなわち稲荷をダシに使って、明石郡新保村の西田順蔵より 99

参照

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