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上代同一動詞重複表現の研究

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Academic year: 2021

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(1)平成四年度 兵庫教育大学大学院学位論文 論文題目. 上代同一動詞重複表現の研究. 兵庫教育大学大学院 学校教育研究科. 教科・領域教育専攻 言語系コース. M91402J.      h石口 m田 勝 乱杁.

(2) 序. を冠する重複表現の特徴 重複表現と記紀神話の関係  i.  一  使用場面の特性と重複表現の言語的な系譜. ﹁神﹂を冠する重複表現の特性.  −  非重複形との比較を通して. ﹁神﹂を冠する重複表現の特異性. ﹁紬仰﹂. ロ[口  次.. 伸卍〃一土早. 笛刀一一土早. 笛叩一二洞爺. 伽於土早. セのしGがさd 次回 料 殖柵. 一∼ 三 頁. 四∼二一 頁. 二二∼四七 頁. 四八∼七三 頁. 七四∼八○ 頁. 一∼二三頁.

(3) 序.  今日でも日常的に使用される表現の一つに、 ﹁走りに走る﹂や﹁横っ跳びに跳ぶ﹂のように同じ動詞を繰り返. し用いる表現がある。この表現の歴史を遡ってみると、古くは上代の文献の中に﹁神集ひ集ひ︵かむつどひつど ひ︶﹂や﹁根許士爾許士而︵ねこじにごじて︶﹂の語を目にすることができる。.  この表現は同一動詞重複表現、あるいは同一動詞反復形式とよばれ、これまでに諸氏の研究の成果をみること. ができる。しかし、この表現は研究に際し、複合動詞の一つとして扱われることが多く、単独に同一動詞重複表. 現だけを取り上げ考察の対象とする研究はまれである︵注①︶。しかも、上代の用例を対象としたものは、表記. にともなうこの表現の訓みの問題を扱ったもの、あるいは、語構成を問題としたもの、あるいは表現のルーツを. 問題としたものが主である。従って、管見の範囲では同︼動詞重複表現が具体的な叙述にあって、どのような位. 置を占める表現であるのかという点について問題としたものはみうけられない。また、従来の研究の視点では、. この表現の持つ傾向や特徴はみいだせても、真にこの表現に迫るには限界があるように思われる。.  本研究は、同一動詞重複表現が具体的な文章の中でどのように使用され、その叙述の中でどのような位置を持. つものであるのかを明らかにすることにより、これまでと違った視点からこの表現に迫ることを模索したもので. ある。また、考察にあたり﹁神﹂を冠する同一動詞重複表現を考察の対象とした点については、つぎのような理 由による。.  この表現を複合語の一つと考えるとき、同一の動詞を繰り返し用いる単純な形式は、他の表現の原初の性格を. 有する表現とみることができる。その中でも、上代の文献は最も古い形式をとどめている可能性が高いと思われ. る。従って、この表現の原点をさぐるには、やはり上代の用例を考察の対象とすべきであると考えた。さらに、. 上代の文献中にみられる同一動詞重複表現をみてみると、 ﹁神﹂を冠する同一動詞表現だけが、他の用例に較べ. 晒. 一. 1.

(4) 使用例も多く、しかも多岐の文献にわたってその使用が認められる。その点から﹁神﹂を冠する表現を上代にお. ける同﹁動詞重複表現の研究対象として最も適していると判断したためである。そこで、万葉集・古事記・日本. 書紀・風土記・祝詞・春日本紀・古語拾遺の七つの文献に使用されている該当の表現を調査した︵注②︶。その 結果、二十六例の表現を求めることができた。.  まず、本研究は﹁神﹂を冠する同一動詞重複表現が、どのような叙述内容の部分に使用される表現であるのか. を明らかにすることから手掛けた。本研究・第一章がそれにあたる。その結果、 ﹁神﹂を冠する重複表現につい. て、 ﹁記紀神話の特定の場面でのみ使用される﹂という特徴をみいだすことができた。しかし、その特徴が﹁神﹂. を冠することによるものであるのか、あるいは、重複するという形式に起因するものであるのか、新たな疑問が. 生じた。そこで、第二章においては﹁神﹂を冠する重複形と﹁神﹂冠する非重複形との比較を試みた。その結果、. ﹁記紀神話との結びつきは重複するという形式に﹂起因するものであることがわかった。第三章ではこれまでの. 考察をもとに、まず、 ﹁神﹂を冠する重複表現の使用される記紀神話の場面の特異性を明らかにした。その結果. をもとに、これまでの諸氏の研究の成果を踏まえ﹁神﹂を冠する重複表現の持つ新たな特性をみいだすことがで. きた。さらに、終章では考察の過程で生じたいくつかの疑問点をとりあげ考察し、 ﹁神﹂を冠する重複表現につ いて理解を深めようとしたものである。.  考察の対象とする具体的な用例については、紙面の関係上、巻末に資料編としてまとめた︵注③︶。また、各. 章において用いた引用文については、そのつど出典を記すとともに、必要に応じて傍線を施した︵注④︶。なお、. プリンターの関係で、ルビを施した仮名の書体の濁音文字﹁だ・が⋮⋮﹂が﹁た“・か“⋮⋮﹂のようになるこ とを断わっておきたい。. 一. 一. 2.

(5) 第二八巻 六号︶。. 一二︶。. 諸氏の論文からの引用は、その出典と二面を示した。また、引用文内の傍線は有田による。. を冠する非重複表現のものである。なお、表記における﹁:”⋮﹂は省略を意味する。. 資料編は︻資料一︼と︻資料二︼がある。前者は﹁神﹂を冠する重複表現のもので、後者は﹁神﹂. 古典文学大系︶、 ﹃続日本紀﹄ ︵新日本古典文学大系︶、 ﹃古語拾遺﹄ ︵岩波文庫︶による。. ﹃万葉集﹄ ︵日本古典文学全集︶、 ﹃古事記 祝詞﹄・﹃日本書紀 上・下﹄・﹃風土記﹄ ︵日本. 考察の対象とした文献は以下のようである。.  口    山 佳  紀 ﹃古代日本語文法の成立の研究﹄ 第二章 用言篇  ︵有精堂 昭和六〇・一︶。. 八号︶。. 山口佳紀  ﹁日本神話の文体﹃古事記﹄に即して﹂  ︵﹃国文学解釈と教材の研究﹄ 第三三巻. 昭五七・. 白藤禮幸  ﹃講座 国語史 四﹄ 文法史 第二章 動詞のある畳語形について  ︵大修館書店. 八矢真郷  ﹁語の文法網構成  −  畳語について i﹂ ︵﹃万葉﹄八六号 昭和四六・一二︶. 語国文﹄. 山口発二  ﹁動詞の重複形式について 一  ﹁に﹂と﹁と﹂を介する形式を主に i﹂ ︵﹃国. 橋本四郎  ﹁動詞の重複形式﹂ ︵﹃国語・国文﹄ 第二八巻 八号 ︶。. 注① 本研究を進  め  る  に  あ  た  り  、参考となった研究についてはつぎのようなものがある。. 注②. 注③ 注④. 一. 一. 3.

(6) 緋卍〃 一土早. はじめに. ﹁神﹂を冠する重複表現の特徴 重複表現と記紀神話の関係.  上代文献の中にみられる同一動詞重複表現の内、 ﹁神﹂を冠する同一動詞重複表現は、万葉集に四種・五例、. 古事記に五種・六例︵内、一例は歌謡︶、日本書紀に三種・四例︵内、一例は歌謡︶、風土記に一種・一例、そ. して祝詞には五種・十例が使用されている。同一の表現が複数使用されているため、延べ数では二十六例が使用. 万葉集. =二巻・ωω謹. 二巻・一⑩。。. 古事記. 日本書紀. 風土記. 祝詞. されていることになる。文献別に具体的な表現をまとめるとつぎのようである。なお、管見の範囲では続日本紀 ・古語拾遺に該当の表現はみあたらない。. ︻表  ︼. 原 表 記   ︵ 訓 み ︶. 二巻・一雪 二巻・ド雪. 神集〃     ︵かむつどひつどひ︶. 2 神分〃      ︵かむはかりはかり︶. 二巻・ま司. 1. 神上〃     ︵かむあがりあがり︶. 4 神葬〃     ︵かむはぶりはぶり︶. 3. 5 神葬〃      ︵かむはぶりはぶり︶. 一. 一. 4.

(7) 上巻・謡頁. 古事記 上巻・謡頁. 万葉集. 上巻・c。一頁. 原 表 記   ︵ 訓 み ︶. 7 神夜良比夜良比  ︵かむやらひやらひ︶. 上巻・。。山芋. 神夜良比爾夜良比︵かむやらひにやらひ︶. 8 神集集      ︵かむつどひつどひ︶. 6. 神夜良比夜良比  ︵かむやらひやらひ︶. 上巻・一ω頁. 9. 神ヨ集・::一集   ︵かむつどへにつどへ︶. 一巻・一ま頁. 日本書紀. 一巻・に0頁. 10 11神祝祝      ︵かむほさきほさき︶. ︸巻・一章頁. 風土記. 17神召集      ︵かむつどへっどへ︶. 禽。。頁. 心ω頁. 祝詞. 18神議議      ︵かむはかりはかり︶. 禽。。頁. 歌謡・器. 神言志爾問志   ︵かむとはしにとはし︶ 19. 禽ω頁. 念昏頁. 20神掃掃      ︵かむはらへはらへ︶. 匙目附. 歌謡・合. 12神祝祝      ︵かむほさきほさき︶. 加武保佐枳保佐枳︵かむほさきほさき︶. 13. 14加牟菩岐 本岐  ︵かむほきほき︶ 15詞武保枳 保枳  ︵かむほきほき︶. 21神集集     ︵かむつどへっどへ︶. 匁司頁. 16神集集      ︵かむつどへっどへ︶. 22神審議     ︵かむはかりはかり︶. 輔. 一. 5.

(8) 神掃々      ︵かむはらへはらへ︶. 26. 神和和     ︵かむやはしゃはし︶. ぱ“。頁. 10. 念“,頁. ぱ⑩頁. 23. 1. 24神霊議      ︵かむはかりはかり︶. 4. ぱ㊤頁. 6. 25神翌々      ︵かむはらひはらひ︶. 5.  本章では表一にあげた﹁神﹂を冠する同一動詞重複表現︵以下、重複表現とする︶について、重複表現とその. 使用されている場面から﹁神﹂を冠する重複表現の特徴を探るものである。なお、考察の対象とする具体的な用. 例については、そのすべてを︻資料一︼︿﹁神﹂を冠する重複表現一覧V︵資料編一∼九頁︶に示した。その用. 例も各々の用例ごとに個別に示すことが望ましいが、表現によっては同一文献中の同じ部分に使用されているも. のがあり、複数の表現をまとめて示さざるを得ないものがある。そのため資料中の各用例ごとに、表一の頭にあ. る一∼26の用例番号を付した。以下、考察にあたっては用例番号を用いて示すこととする。. 二 万葉集・風土記・祝詞の重複表現と記紀神話の関係.  ﹁神﹂を冠する重複表現は用例番号4・5・16の三例を除き、すべての表現が記紀神話と関わりを持つ場面で. 使用されている。古事記・日本書紀にあっては、ごく当然のことというべきかもしれないが、万葉集・祝詞の表. 現についても記紀神話と関係のある場面でのみ使用されているのである。この問題については、 ﹁神﹂を冠する. 一. 一. 6.

(9) 表現であるから神話との関係があっても当然ではないかというような意見もありそうである。しかし、例えば、. 用例4﹁神葬り葬り﹂の使用されている部分は、天皇の葬儀に際し残された周囲の人々が悲しむ姿が叙述されて. いるだけで、そこに何ら神話的な叙述は認められない。用例5についても同様である。つまり、4・5のように. ﹁神﹂を冠する表現であっても、神話との関係がみいだせないものも存在する。従って、 ﹁神﹂を冠する表現と. 神話の関係を当然のこととして楽観視することはできないと考える。個々の表現と神話との関わりを丁寧に吟味 する必要があるように思える。.  また、 ﹁神話の場面﹂については以下のように考えたい。一般に、記紀神話は構成の上で﹁国生み﹂・﹁神々. の生成﹂・﹁石屋戸隠れ﹂⋮⋮のような諸の神話系譜に分類される。神話系譜というまとまりは、幾つかの小話. により構成されている。例えば、神話系譜﹁石屋戸隠れ神話﹂は﹁アマテラスの石屋戸隠れ﹂・﹁ワカヒルメの. 神さり﹂・﹁アメノウズメの神ほき﹂・﹁スサノヲの神やらひ﹂⋮⋮のように幾つかの小話によって一つのまと. まりを成している。今のところ、考察の対象である重複表現と記紀神話の関係が、神話系譜という大きなまとま. りにおいて関わりを持つものであるのか、あるいは、神話系譜を構成する小話の段階で関わりを持つものである. のか、判断できない。従って、でき得る限り小さな範囲で両者の関係を把握することが望ましいと思われる。ま. た、この方法であれば、神話系譜という大きなまとまりに還元することも容易である︵注①︶。従って、 ﹁ ∼ の場面﹂とは神話系譜を形成する小話の段階を意味することになる。.  以上のような立場から、 ﹁神﹂を冠する重複表現と記紀神話との関係について、まず古事記・日本書紀を除く. 万葉集の用例、1∼3の使用されている場面、風土記用例、16の使用されている場面、祝詞の用例、17∼26の使 用されている場面について考察を行う。.  1﹁神集〃﹂・2﹁二分〃﹂は、天安の河原に八百万神が神集ひし、神分りする記述の中で使用されている。. この﹁神集ひ﹂と﹁神分り﹂の記述はヒルメノミコト︵日女の尊︶が天を治め、さらに葦原中国を治める神の命. 一. 一. 7.

(10) を神下したという記述へと続いてゆく。この場面は記紀神話の内、神話系譜﹁天孫降臨﹂のものであることが理 解される。古事記における天孫降臨の記述はつぎのようである。.                   ひつ塵。のみζまさかつあかつかちはやひ あめのおしほみみのみこと の                        ζとむ.   爾に天照大神、高木神気を以ちて、太 子正勝書勝勝速日忍穂耳命に詔りたまひしく、 ﹁今、葦原中国を平.    を   ζとよたまままくた9まし      .   け詫へぬと隠せり。故、紫黒さし賜ひし随に、降り座して知らしめせ。﹂とのりたまひき。爾に其の太子橋.   かつあかつかちはやひ あめのおしほみみのみこと                    あ   くたψ   よそひ             あ             あめに 塵. まき.   勝吾書勝春日忍業耳命、 答へ白したまひしく、 ﹁僕は降らむ装束しつる間に、子生れ出でつ。名は天逓岐.   しくににきし  あまつひこひごほのににさρのみこと                         たかきかみ   志国早岐志 天津日高日子書芸遍逓密命ぞ。此の子を降すべし。﹂とまをしたまひき。此の御子は、高木神.    むすめ ようす’はたとよあ虞つ.しひひめのみこと  みあい              あめのぽあかりのみこと   ひ ζ ほ の に に茜.のみこと.   の女、津幡豊秋津師比売命に御合して、生ませる子、天火王命。次に日子番能撃高芸命短柱なり。是を以           まま    ひ ご ほ の に に爵9のみζと みζとおほ                         あ.   ちて白したまひし随に、日子番能廼識量命に詔科せて、 ﹁此の豊葦原水穂国は、野道らさむ国ぞと言依さし.   賜ふ。故、命の随に天降るべし。﹂とのりたまひき。.                           廼廼芸命 1天孫の誕生  ︵記・上巻・一二五頁︶.  天孫として天降りする神は、ニニギノミコト︵日子番雄蕊工芸命︶である。天孫降臨において天降りする神に. [. 一. 8.

(11) ついては古事記・日本書紀とも異同はない。さらに、1・2の使用されている場面は、 ﹁⋮⋮ 天地の 寄り合. の極み 知らしめす 神の命と 天雲の 八重かき分けて 神下し いさせまつりし 高照らす 日の皇子は. 飛ぶ鳥の 清御の宮に 神ながら 太敷きまして 天皇の 敷きます国と 天の原 石門を開き 神上り 上り. いまし わが大君 ⋮⋮︵︿一に云ふ、⋮⋮﹀は省略。︶﹂と続く。この記述における﹁高照らす 日の皇子﹂. は二通りの解釈が可能である。まず、 一つは﹁神の命として天質を八重かき分けて神下った高照らす日の皇子﹂. である。残る一つは﹁飛ぶ鳥の清御の宮に御殿を営まれ、この国は代々天皇が治める国であるとして、天の原の. 石門を開き神上りされた我が大君﹂がそれにあたる。前者は神話世界における天孫降臨した﹁一=一畳ノミコト﹂. をさし、後者は現実の世界における﹁天武天皇﹂をさすことになる。従って、この歌における﹁高照らす 日の. 皇子﹂は、上からの続きではヲ=一目ノミコト﹂、下からの続きでは﹁天武天皇﹂と解すことができる。つまり、. 1・2の使用されている場面はヲ=一図ノミコトの天孫降臨の場面﹂を用い、日継ぎの思想を述べたものである ことが理解される。.  ただし、天孫降臨の指令神については古事記のように、タカムスヒ︵高御産巣二神︶、アマテラス︵天照大御. 神︶の二柱の神とするものや、タカムスヒだけを指令神とする日本書紀本文、第四・六の一書のもの、アマテラ. スだけを指令神とする日本書紀の第一の一書のものなどさまざまである。従って、 ﹁ヒルメノミコト﹂であって. も問題はないと考える。 ﹁ヒルメノミコト﹂とは﹁アマテラス﹂の意と解して差し支えない。古事記・神武天皇. の段にはアマテラスを﹁日の神﹂と呼んだ例がみられる。アマテラスの本体は﹁日神﹂ ﹁皇祖神﹂ ﹁穀霊﹂ ﹁機. 織つ女﹂ ﹁鏡﹂など多彩である。大御神と象徴的に呼び、その称辞として﹁天照﹂を冠している。この用例も同. 様である。記紀神話の記述もこの用例の記述も、共に葦原中国はアマテラスの御子が治めるべきものであるとい. う天孫降臨の主旨を語ったものである。記紀のものと多少の記述の相違はあるが、−・2の使用されている場面 は﹁ニニギノミコトの天孫降臨の場面﹂であることに疑う余地はないと思われる。. 一. 一. 9.

(12)  さて、この用例については次の点も考慮する必要がある。それは人麻呂の神話に関する知識の問題である。用. 例1・2の使用された場面が﹁ニニギノミコトの天孫降臨の場面﹂であることは先に述べた通りである。しかし、. 人麻呂が天孫降臨について﹁葦原中国の平定←天孫降臨﹂という記紀神話の展開に即してとらえていたとすれば、. この場面に﹁葦原中国の平定﹂を内包していると解すべきである。人麻呂の神話知識については、あくまでも推. 量の域を出ない問題である。しかし、この問題はこの用例の場面の判断に大きく関わるものである。.  天武・持統朝は高天原意識の著しく高揚した時代である︵注②︶。壬申の乱に勝利した天武天皇が、当時の人. ︵万三・二三五︶. ﹁天皇、雷の丘に出でます時に、柿本朝. ︵万一九・四二六一︶. ︵万一九・四二六〇︶. 人に絶大な畏敬の念と信頼を寄せられたことは万葉集の歌からも理解できる。 ﹁壬申の年の乱平定しぬる以後の. 多集く水沼を 都となしつ. すたψ みぬま  みやこ. 葡旬ふ田井を 都となしつ. はらは’ たい  みやζ. 歌二首﹂と題される歌には以下のようにある。. 大君は 神にしませば 赤駒の. 大君は 神にしませば 水鳥の. 前者は大伴御行の作、後者は作者未詳である。また、人麻呂の作である. 三雲の 雷の上に 盧りせるかも. あまく。も   いかつ’ちうへ    いほ. 臣人麻呂の作る歌﹂と題する歌にも、先の二首に共通するものがある。. 大君は 神にしませば. 一. 一. 19.

(13) これらの歌から天皇を神とする思想が確かなものとして広く意識されていたことが理解される。また、この時代. に古事記編纂も着手されていた︵注③︶。従って、このような人麻呂を取り巻く環境と、 ﹁万葉集﹂にみられる. 人麻呂の数々の天皇賛美の精神を考慮すると、天武・持統の時代には天孫降臨に関わる神話の重要性は人々に充. 分理解されていたし、記紀神話の展開に近いものが神話の知識として定着していたのではないだろうか。人麻呂. に限らず、この用例に関わる場面は葦原中国の平定そして天孫降臨という記紀神話同様の経緯をもって理解がな. されていたと思われる。少なくとも、天皇に近く仕えている念入たちにはそうであった可能性が強い。従って、. 1・2の使用されている場面には﹁ニニギノミコトの天孫降臨の場面﹂だけでなく、広義に神話系譜﹁葦原中国 の平定﹂も含めて解釈する必要があると考える。.  3﹁神上〃﹂の使用されている場面は、天皇が天の原の石門を開き神上りしたとする記述の中で使用されてい. る。具体的には、天武天皇の崩御を意味するもので、 ﹁天の原 石門﹂とは﹁天の石屋戸﹂にほかならない︵注. ④︶。従って、 ﹁天の原 石門を開き 神上り上り﹂とは﹁アマテラスの石屋戸隠れ﹂を天皇の崩御と重ねて イメージした叙述と考えられる。.  天皇崩御をアマテラスの石屋戸隠れと重ねてイメージした点には、天皇の死を単に死としてではなく、 ﹁神隠. れ﹂として表現しようとする意図が感じられる。 ﹁神上り﹂は天降った日の皇子が天へ帰還した意であって、死. であってはならない。必要があれば再来できる﹁神隠れ﹂に準ずるものでなければならないのである。このこと. には、現人神的存在であった天武天皇の絶大な信望と権威が常に朝廷に反映することを意味し、意図するもので ある。.  また、この表現には当時の御陵の羨道の入口が石の戸でつくられていたという石室の構造との関係が指摘され. ている︵注⑤︶。この場合、天皇崩御とアマテラスの天の石屋戸隠れは、石室の構造によってイメージが重なっ. たものであるとされる。しかし、天皇の死を﹁神上り﹂と表現し、天皇の崩御を﹁アマテラスの石屋戸隠れの場. 一. 一. 11.

(14) 面﹂と重ねた叙述は意識的なものであったとみるべきである。その点で石室の構造による表現とは考え難い。従. って、 ﹁天の原 石門を開き 神上り 上り﹂とは﹁アマテラスの石屋戸隠れの場面﹂とみるべきである。.  16の使用されている場面は、風土記、逸文、山城国・加茂の社にまわる神話のものである。少々長いが現代語 訳のものをあげる・.     たけつのみののみこと          かみの   かむい か こ や ひ め   めと                   たまよりひ こ             たま.   加茂の字号身命は丹波の国の神野の神伊可古夜日女を嬰ってお生みになった子を玉依日子と名づけ、次に玉   よりひ め                                                          に.   翌日売といった。玉依日売が石川の瀬見の小川で川遊びをしていた時、丹塗り矢︵赤く縫った矢︶が川上か.   ら流れ下ってきた。そこでそれを持ち帰って家の寝床の近くに挿して置くと、とうとうみごもって男の子を.                                や ひろ   生んだ。 ︹その子︺が成人式の時になると、外祖父建角身命は馬八尋の︹非常に広い︺家を造り、八戸︵沢                      や はら.   山の扉︶を堅く固めて、 ︹清浄潔斎して︺借腹に酒︵沢山の酒︶を醸造して、神をつどひ集めて、七日七夜.   宴遊なさって、そうしてその子に語らっていうには﹁お前の父と思われる人にこの酒を飲ませなさい﹂と。.   するとただちに酒杯をささげて天に向かって礼拝し、屋根の瓦を突き破って天に昇ってしまった。そこで、. 一. 一. 12.

(15)             わけいかつρちのみこと                          おとくに. ︵乙訓神社︶においで. ﹃風土記﹄ 二七二頁  ︵東洋文庫一四五・角川書店︶. 外祖父の名によって可茂の別 雷 命と名づけた。いわゆる丹塗り矢は乙訓の郡の社    ほいかつ’ちののみこと. になる火 雷 命である。. この神話は京都上加茂神社・下加茂神社の祭神の由来を語るものである。母のタマヨリヒメ︵玉当日売︶は下加. 茂神社の加茂御祖神社の祭神であり、御子のワケイカヅチノミコト︵別雷命︶は上加茂神社の加茂別選神社の祭. 神である。用例を含む部分は、独自の地方神話としての姿をとどめた貴重な例とされている︵注⑥︶。.  男神が丹塗り矢に化して妻問する神話は、古事記の三輪山のオオモノヌシ︵大物主神︶がセヤタラヒメ︵玉響. 日売︶を妻問する話と同じであり、三輪山神話のオホタタネコ︵意富多多根古︶の神話に共通する点がみられる。. オホタタネコはオオモノヌシの子であり、 ﹁神君︵みわのきみ︶・書聖が祖︵かものきみがおや︶﹂と記されて いる。神話としては記紀と関わりを持っているといえる。.  他の文献、例えば﹁播磨国風土記・託賀郡﹂には、神々を集め父親のわからない子に酒を捧げさせて父を占う. 同類の話がある︵注⑦︶。しかし、父を確認するために神々を集め、宴遊する神話は記紀神話中にはみられない。. 地方に残る神話の形態のものであるようだ。この点についてつぎのような記述がみられる。. 父なくして児を生んだミチヌシヒメノミコト︵道主日女命︶が、田七町に﹁七日七夜﹂のうちに成熟させた. 稲で酒を醸造し、神々を集めて宴を開き、そして加賀の場合と同じように、子に酒杯を持たせて父に捧げさ. せるのである。一種の占い   うけい酒である。山城と播磨に共通する話があることは、妻問い婚の社会. では、生まれた子の父を神意によって決めるためにこのような儀礼が広く行われたのかもしれない。.               ﹃日本書紀・風土記﹄ 三八三頁  ︵鑑賞 日本古典文学 第二巻︶. 一. 一. 13.

(16)  記紀神話にも父のさだかでない話はみうけられる。しかし、風土記にみられるような方法はとらない。従って、. このように神々を集め宴遊する場面も存在しないわけである。よって、この用例の神集ひの場面は記紀神話の特. 定の場面との関わりは認められない。ただし、加茂神社に関する話が古事記に登場することは、加茂神社の信仰. が勢力を持っていたこと、さらに、加茂部伝来の地が記紀神話の舞台と近かったことなどが要因と考えられる。.  用例17・18の使用されている場面は、高天原にいるスメムツカムロキ︵皇親神ろき︶ ・カムロミノミコト︵神. うみの命︶をもって八百万神が神集ひし、神論りする記述の中で使用されている。それに続く﹁我が皇御合の命. は、豊葦原の水穂の国を、安国と平らげく知うしめせ﹂の記述は、天孫降臨の主旨を説いたものである。しかし、. 記紀の記述と比較してみると、この用例は神話系譜﹁葦原中国の平定﹂にあたることが理解される。古事記・葦 原中国の平定の記述は以下のようである。.  あまてらすおおみかみ              とよあしはらの ちあきのなか♂いほあきのみす’はくに             まさかつあかつかちはやひ あめのおしほみみのみこと.   天照大神の命を以ちて、 ﹁豊葦原之千秋長五百之水穂国は、我が御子、正勝書勝勝速日天忍黒羽命の知かす.        ζとよ            あまくた’             あめのおしほみみの   あめ  う懸はし  た た し   の              とよ.   国ぞ。﹂と言因さし賜ひて、天降したまひぎ。是に天堂穂耳命、天の浮橋に多多志て鴨りたまひしく、 ﹁豊.   あしはらの ちあきのなか9いほあきのみず’ほくに      い た く さ や きψて ありな ウ       の                    のほ’.   葦原之千秋長五百之水穂之国は、尊書久佐夜芸旦有銅管。﹂と盗りたまひて、更に締り上りて、天照大神に.   まを              たかみ む す ひのかみ                            か はら    やほようつ∂     かむつと.  つとρ. ζとよ                      かれ. 請したまひき。爾に高御産巣日神、 天照大神の命を以ちて、天安河の河原に、 八百万の神を神集へに集へて. おもひかねおもの. 思金神に思はめて磨りたまひしく、 ﹁此の葦原中国は、我が御子の知らす国と言依さし賜へりし国なり。故. 一. 一. 14.

(17) ち はやふ’  あらふp. とρも さはな.      また          はか  まを. 爾に思金神及八百万神、議り白ししく、. お  も.  あめのほひ. いす。. つか. ことむ. ﹁天菩日神、是れ遣はすべし。﹂ とまをしき。. ︵記・上巻・. 一一一頁︶. 此の国に雲速振る荒振る国つ神妙の多在りと以為ほす。惚れ何れの神を使はして言趣けむ。﹂とのりたまひ. き。. 葦原中国の平定 1 天菩日神.  天孫を天降りさせようと一度はオシホミミノミコト︵天忍穂耳命︶を降したが、葦原中国の様子が思わしくな. い。そこでタカムスヒ・アマテラスの命で﹁神集ひが行われ、葦原中国の平定の使者が送られる場面﹂のもので. ある。これを﹁神集ひの場面﹂とよぶことにする。従って、用例17・18の場面は神話系譜﹁葦原中国の平定﹂に 属する﹁神集ひ場面﹂にあたる。.  ちなみに、記紀には葦原中国の平定の記述を持たない日本書紀の一書の第三・四・五・七・八の類と、平定の. 記述を持つ古事記・日本書紀、本文・一書の第一・二・六の類とが存在する。後者の内、17・18の用例のように、. 神集ひの様子と葦原中国の状態の叙述の認められるものは古事記・日本書紀、本文・一書の第一と第六である。. なお、指令神とされる﹁皇親神ろき・神うみの命﹂とはタカムスヒ︵高皇産霊神︶及び、カミムスビノカミ︵神. 皇産霊神︶等の高祖神を意味する。指令神については、葦原中国の平定の場面も天孫降臨の指令神同様不特定で ある。.  19・20の使用されている場面は、文献の上では17・18に続く場面である。 ﹁葦原中国はアマテラスの御子の治. める国である﹂という主旨に基づき﹁平定の使者が葦原中国の荒ぶる神を神供ひし、神祐ひする場面﹂である。. 古事記では具体的に皇諸神が遣わされオオクニヌシ︵大国主神︶の国譲りへと展開されるが、この用例ではその. 旨を簡素化して述べたものと思われる。従って、17・18の﹁神集ひの場面﹂に続く、葦原中国の平定が具体的に. 一. 一. 15.

(18) 行われた場面ということになる。この場面を﹁神掃ひの場面﹂とよぶことにする。つまり、神話系譜﹁葦原中国. の平定﹂は平定の使者を神集ひし決定する場面、 ﹁神集ひの場面﹂と、平定の使者によって平定が行われる場面、 ﹁神掃ひの場面﹂の二つの場面から構成されることになる。.  21.22・23・24の使用されている場面も、神ろき・神うみの命によって八百万神が神集ひ・神里りし、平定の. 使者の選考が行われた場面のものである。先の考察から、神話系譜﹁葦原中国の平定﹂・神話場面は﹁神集ひの 場面﹂にあたることが理解される。. 回. 1. 16.  25・26の使用されている場面は、21・22・23・24に続く場面である。天降った神が荒ぶる神々を神掃ひし、神. 和しする叙述がなされている。ここだけにみられる﹁神和し和し﹂は神掃ひされた神々の御霊をやわらげる意と. 考えられる。神器ひに遣わされた神が古事記の記述と多少異なってはいるが、神話系譜では﹁葦原中国の平定﹂、. 神話場面は﹁電磁ひの場面﹂と考えて差し支えない。なお、21∼26の使用されている祝詞の叙述は、構成の上で. は最も古事記の記述に忠実である。以上の考察から、万葉集・祝詞における﹁神﹂を冠する重複表現の使用され ている場面が、記紀神話と関わりを持つことが明らかになった。. 三 重複表現の使用場面と記紀神話の限定.  万葉集・祝詞の用例が記紀神話と関わりを持つことはすでに述べた通りである。ここでは、古事記・日本書紀. の用例を中心に考察を行いたい。まず、古事記の用例6・7・8・9・10についてとりあげる。.  叙述を展開に添って記述するとつぎのようである。スサノヲ︵須佐之男命︶は父神であるイザナギ︵伊邪那岐. 命︶から海原を治めるよう命を受ける。しかし、スサノヲは海原を治めず、根国に行くことを欲する。そのため、.

(19) イザナギからスサノヲは神やらひ︵追放︶される。この神やらひの場面が用例6にあたる。続く7の場面は、神. やらひされたスサノヲが昇天し、アマテラスにその経緯を告げる場面である。その後、スサノヲはさまざまな乱. 行を行う。その結果、アマテラスは石屋戸隠れすることになる。8の場面は石屋戸隠れしたアマテラスを石屋戸. から出すために、八百万神が神集ひする場面である。さらに続く、9の場面はアマテラスを石屋戸隠れに追いや. ったスサノヲがその罪をとわれ、今度は八百万神から神やらひされる場面である。この一連の場面は、スサノヲ. の神やらひからアマテラスの石屋戸隠れ、さらにスサノヲの神やらひと展開する。神話系譜と神話場面に改めて. 整理するとつぎのようになる。用例6は神話系譜﹁スサノヲの涕泣﹂、用例7は﹁スサノヲの昇天﹂に属する。. 神話系譜は異なるが、場面は土ハに﹁スサノヲの神やらひの場面﹂としてまとめることができる。用例8は﹁神集. ひの場面﹂、用例9は﹁スサノヲの神やらひの場面﹂ということができる。両者は神話系譜﹁石屋戸隠れ﹂に属 する。.  、10の場面は神話系譜﹁葦原中国の平定﹂のものである。アマテラスの意向をオモイカネノカミ︵思金神︶が、. ﹁此の葦原の瑞穂の国は、我が御子の知らす国⋮⋮﹂と、オシホミミノミコトの降臨に際しその主旨を語る。し. かし、葦原中国は未だ降臨できる状態ではなかった。そこで、八百万神が神集ひ、三宅りし、平定の使者が送ら れる。つまり、 ﹁神集ひの場面﹂にあたる。.  祝詞の用例では神話系譜﹁葦原中国の平定﹂において、天降りさせる神を八百万神が神集ひし決定する﹁神集. ひの場面﹂と、平定の使者が葦原中国の荒ぶる神を神掃ひする﹁神掃ひの場面﹂の二つがみられた。しかし、古 事記における重複表現の使用は﹁神集ひの場面﹂のみである。.  日本書紀の11の用例は﹁日神、艦墓りて不平みたまふ。故、以て土釜りまして、逼ち天石窟に質しまして、其. の磐戸を閉しぬ。﹂と記述されている。この記述から神話系譜﹁石屋戸隠れ﹂にあたることが判断される。神話. 場面は、石屋戸隠れしたアマテラスに﹁ナカトミノトホノコヤネ︵中臣の遠祖天見屋命︶が神ほきした場面﹂と. 願. 一. 17.

(20) いえる。.  さて、同じく日本書紀の用例12・13は、 ﹁神祝祝之、此をば加武保佐枳保佐枳﹂とあり、 ﹁神祝祝﹂が用例12馬. ﹁加武保佐枳保佐枳︵かむほさきほさき︶﹂が用例13にあたる。これは用例11の﹁神祝祝﹂について用例12で改. めて表記を示し、用例13においてその歪みを施したものである。日本書紀によく用いられる訓読に関する記述の 方法である。従って、これらは考察対象から割愛すべきと考える。.  用例14・15は前者が古事記、後者が日本書紀のものである。共に歌謡の中で使用されている。両者の歌には多. 少の表記の違いはあるが同書と考えられる。タケウチノスクネ︵竹内宿禰︶が皇子︵応神天皇︶の崩御の誤報を. 流し、反逆者、カゴサカノオオキミ︵香坂王︶・オシクマノオオキミ︵忍熊王︶を降伏させる。その後、皇子は. 都に濯える。その皇子をミオヤオキナガタラシヒメ︵御祖息長帯日売陛神功皇后︶は酒を造り迎える。その酒の. 由来を歌って聞かせる場面にこの歌が使われている。歌自体は酒司であるスクナミカミ︵少名玉神︶が﹁御酒を. 神ほきし造った場面﹂のものということになる。神話系譜は﹁ケヒの大神と酒楽の歌﹂のものである。なお、こ の用例だけが、記紀の用例の中で﹁神代巻﹂以外のものである。.  さて、 ﹁神﹂を冠する重複表現と記紀神話との関係について考察を行ってみると、新たな特徴として、神話系. 譜では﹁スサノヲの涕泣・昇天﹂・﹁石屋戸隠れ﹂・﹁葦原中国の平定﹂・﹁天孫降臨﹂・﹁ケヒの大神と酒楽. の歌﹂の六系譜、神話場面はそれに属する九場面のみで使用されるという結果を得た。つまり、重複表現は記紀. 神話の限られた場面でのみ使用されている。しかも、関わる場面のほとんどが神代巻のものである。先に考察し. た万葉集・祝詞の用例を含め記紀神話の場面との関係を整理するとつぎのようである。なお、神話系譜は神話の 展開の順に配列する。. 一. 一. 18.

(21) ︻表 二︼ 神  話系  譜. 由丁   壬口業一      二=馬場  面. 万葉集 古事記 日本書紀 祝 詞 計. 7. スサノヲめ 涕泣 昇天 スサノヲの神やらひ. 6. 2. 四 まとめ. 八百万心神 アマノコヤネの神ほき. 11. 石 屋 戸 隠 れ アマテラ翻妬屋. 3. 8. 4. スサノヲの神やらひ. 9. 神掃ひ. 葦原中国の平定 神集ひ. @202526 1 9. 天孫降臨. 2. ニニギノミコトの天孫降臨. 1           2. 10. 17 P8. Q3 Q4. @1︵+2︶ 1. ケヒの大神と酒楽の歌. スクナミ神の神ほき. 14. 15. 2.  上代の同一動詞重複表現の内、本章では特に﹁神﹂を冠する重複表現をとりあげ、その使用されている場面に. ついて考察を行った。上代の文献は数が限られており、しかも、 ﹁神﹂を冠する重複表現を有するものは万葉集. ・古事記・日本書紀・風土記・祝詞の五つの文献のみである。従って、管見の十四種・二十四例︵用例12・13は. 除く︶の重複表現を考察の対象とした。その結果、 ﹁神﹂を冠する重複表現について、二つの特徴を明らかにす る こ と が で き た。. 一. 胃. 19.

(22)  第一点は﹁神﹂を冠する重複表現は、そのほとんどが記紀神話と関係のある場面でのみ使用されるということ. である。古事記・日本書紀の表現についてはごく当然のことであるが、万葉集・祝詞の表現についてもそれが例. 外ではない。万葉集の用例4・5の二例︵共に﹁神葬り葬り﹂︶と風土記用例16の一例︵﹁神集ひ集ひ﹂︶の計、. 三例を除き、残る十三種・二十一例はすべて記紀神話となんらかの関わりを持つ場面で使用されている。.  第二点は﹁神﹂を冠する重複表現は記紀神話の中でもごく限られた場面でのみ使用されるということである。. 考察の結果、十三種・二十一例の重複表現が神話系譜﹁スサノヲの涕泣・昇天﹂・﹁石屋戸隠れ﹂﹁葦原中国の. 平定﹂ ﹁天孫降臨﹂・﹁ケヒの大神と酒楽の歌﹂のみで使用されていることがわかった。また、該当の神話系譜 ・神話場面はほとんど﹁神代巻﹂に属するものである。.  本章では﹁神﹂を冠する重複表現とその使用されている場面との関係から、この表現の持つ特徴として二つの. 点を明らかにし得た。しかし、 ﹁神﹂を冠する重複表現についてこの二つの特徴の原因を明らかにしなければ、. この表現の真の解明とはなり得ない。これまで、 ﹁スサノヲの涕泣・昇天﹂・﹁石屋戸隠れ﹂ ﹁葦原中国の平定﹂. ﹁天孫降臨﹂はそれぞれ関わりのあるものとしながらも単独の場面として考察される傾向にあった︵注⑦︶。し. かし、重複表現が該当の神話系譜に限って使用されているという特徴を明らかにし得たことにより、 ﹁神﹂を冠. する重複表現という共通の視点から、これらを総括して考察することが可能ではないかと考える。. 一. 一. 20.

(23) 注① 注② 注③. 注④. 神話系譜は古事記の神話展開に準ずるものとする。. ﹃古事記﹄ ︵鑑賞日本古典文学 第一巻 角川書店 昭和六三・六︶ 一〇五頁。. 吉田義孝  ﹁柿本人麻呂と稗田阿礼  −  天武朝の文学史的意識 1﹂  ︵﹃国語国文学報﹄ 第九集︶。. 清水克彦  ﹁長歌﹂ 一長歌体の成立  ︵﹃万葉集講座﹄第四巻 有精堂 昭和五二・四︶ 一七八. ﹃万葉集﹄一 ︵日本古典文学大系︶ 九七頁、頭注に同様の指摘がある。. 頁。. 注⑤. ﹃日本書紀・風土記﹄  ︵鑑賞日本古典文学 第二巻 角川書店 平成元・六︶ 三八二頁。. スサノヲの追放・アマテラスの石屋戸隠れは﹁高天原神話﹂であり、スサノヲの追放の後は﹁出雲神. 注⑥ 注⑦. 話﹂である。さらに天孫降臨は﹁日向神話﹂である。それぞれが異なる神話圏より成っている。その ためそれぞれを独立したものとしてとらえ、考察されることが多い。. 一. 闇. 21.

(24) 笛測一一土早. 非重複形との比較を通して. ﹁神﹂を冠する重複表現の特異性 一 はじめに.  前章において、上代の文献中にみられる﹁神﹂を冠する重複表現について、その使用されている場面との関係. を考察した。その結果、重複表現は文献の別を問わず、記紀神話の中でもごく限られた場面でのみ使用されると. いう特徴を明らかにすることができた。しかし、この特徴が﹁神﹂を冠することに由来するものであるのか、そ. れとも重複するという形式によるものであるのか、この点については未だ解決できていない。.  本章では﹁神﹂を冠する重複形と、同様に﹁神﹂を冠する非重複形︵以下、非重複表現とよぶ︶との比較を通. して、この問題について考察を行う。なお、重複表現同様、考察の対象とした文献は万葉集・古事記・日本書紀 ・祝詞・風土記・続日本紀・古語拾遺の七つの文献である。. 二 ﹁神﹂を冠する非重複形.  ﹁神﹂を冠する非重複形について具体的な用例をみると、考察にあたり考慮すべき幾つかの問題点がある。ま. ず、その一つは動詞の派生語でありながら、すでに動詞としての機能を喪失しているものの存在である。上代に. おける言語現象も言語である以上、その体系を有している。従って、その体系を文法という基準によって類別す. 一. 一. 22.

(25) ることが可能である。例えば、 ﹁かむさぶ﹂・﹁かむぶ﹂は動詞であるが、その派生語﹁かむさび﹂・﹁かむび﹂. は名詞と判断し得る︵注①︶。 ﹁神﹂を冠する重複表現がすべて動詞であることを考慮すると、比較の対象とす. る非重複表現も動詞に限り対象とすることが望ましい。そこで、 ﹁神﹂を冠する非重複表現についても動詞と判 断し得るもののみを対象とする。.  第二の問題は﹁終﹂の字に﹁かむさる﹂の訓みや﹁崩﹂の字に﹁かむあがる﹂の凹みをあてた例である。訓読. の問題を含むものについては、 ﹁神﹂を冠する語としての確かさについて疑問を持たないわけにはゆかない。訓. 読において問題のあるものはとりあえず考察の対象から外すこととする。.  従って、この二つの点を考慮すると、考察の対象となり得る非重複表現は、三十二例となる。なお、具体的な. 4 神佐扶等    ︵かむさぶと︶. 3 神佐扶跡    ︵かむさぶと︶. 2 神佐扶跡    ︵かむさぶと︶. 1. 神下      ︵かむくだし︶. 原 表 記  ︵訓  み︶. 巻 五・。。緯. 巻 八・窓に. 巻 四・謡N. 巻 二・ε㊤. 巻 二・乙司. 万葉集. 古事記 ¶. 日本書紀. 祝詞. 忌日本紀. 用例については、重複表現に準ずる形で︻資料二︼︿﹁神﹂を冠する非重複表現一覧﹀︵資料編・一〇∼二三頁︶ に示した。. 5 神豆麻利    ︵かむづまり︶. 巻 六・乙㎝N. ︻表 一︼. 6 神之味     ︵かむしみ︶. ρ. 一. 23.

(26) 11可牟佐夫流   ︵かむさぶる︶. 10可牟佐夫流   ︵かむさぶる︶. 9 神古      ︵かむさぶる︶. 8 神成      ︵かむさぶる︶. 7 神左振     ︵かむさぶる︶. 巻一〇・一⑩雪. 巻一八・合臨. 巻一五・。。$O. 巻一二・Nc。器. 巻一一・N陰司. 巻 七・一葛O. 万葉集. 12神備西    ︵かむびにし︶. 巻二〇・昏。。。。O. 原 表 記  ︵訓  み︶. 13可美左夫流   ︵かみさぶる︶. 古事記. 上巻・竃頁. 17神退      ︵かむさり︶. 16神退      ︵かむさり︶. 15神避      ︵かむさり︶. 巻一・8頁. 巻一二に頁. 巻一・⑩O頁. 巻一・㊤O頁. 日本書紀. 18神退去     ︵かむさり︶. 巻一・OO頁. 14神避      ︵かむさり︶. 19神避      ︵かむさる︶ 上巻・c。ω頁. 22歌牟鵡可梨   ︵かむがかり︶. 21顕神明隅談   ︵かむがかり︶. 巻一・二〇頁. 巻一∴に頁. 巻一・二N頁. 20神懸      ︵かむがかり︶. 23神逐     ︵かむやらひ︶. 24神留      ︵かむづまり︶. 祝詞. i頁. 色。 B。. 忌日本紀. 一. 一. 24.

(27) 28神留      ︵かむづまり︶. 27神留      ︵かむづまり︶. 26神留      ︵かむづまり︶. 25神留      ︵かむづまり︶. 禽司頁. 禽⑩頁. 障司頁. 障ド頁. 制覇頁. 麟ω頁. 29神留      ︵かむづまり︶. 32神留      ︵かむづまり︶. 巻九・一ω㊤頁. 1. 従って、万葉集・古事記・日本書紀・祝詞・落日本紀の五文. 8. 30三賀      ︵かむほき︶. 8. 象ゆ頁. 2. 31神集      ︵かむつどへ︶. 13.  風土記・古語拾遺に該当の表現はみあたらない。 献の用例を対象に考察を行う。. 三 万葉集・祝詞・続日本紀の非重複表現と記紀神話の関係.  まず、万葉集・祝詞・当日本紀の用例について記紀神話との関わりの有無と、あわせて記紀神話と関わりを持. つものについては、その詳細を明らかにしたい。考察の観点及び方法は重複表現のものと同様である。また、用. 例によっては、重複表現のものと出典を同じするものがあり、考察の内容に類似がみられることを断わっておく。. 順. 鱒. 25.

(28)  用例1﹁神下し﹂の使用されている文脈には﹁葦原の 瑞穂の国を 天地の 寄り合いの極み知らしめす 神. の命⋮⋮﹂とある。ここでいう﹁神の命﹂とは幽幽ギノミコト︵三三恩命︶の意である︵注②︶。そのニニギノ. ミコトが﹁天理の 八重かき分けて 神下しいさせまつりし﹂とされている。記紀に同様の場面を求めると一=一. ギノミコトの天孫降臨の場面の記述がそれに該当する。該当する記紀の記述は以下のようである。.                        あま いはくら     やへたな       いつのちわき   故爾に天津日子番能廼廼運命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重多怪聞押し分けて、伊都能知和岐.   ちわ懸て     う毒し。まり  そりたたして  つくし ひむか  たかちほ  くし9ふるたけ   知和岐弓一天の浮橋に宇岐士摩利、要理多多呈出、竺紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降りまさしめまし.   き。                       麺廼芸命 3天孫降臨   ︵記・一二九頁︶.   すめみま  すなは あまのい一1くら おしはな   またあめのやへたなく9も  おしわ       いつの   ちわき   ちわき       ひむか   モ   たかちほのたけ   あまくた’.   天孫、乃ち天慶坐を離ち、且天八重雲を排分けて、稜威の道分に道分きて、日向の襲の高千穂峯に天降り.   ます。                       神代下 第九段 本文   ︵紀・一四〇頁︶. 記述内容の一致から用例1﹁神下し﹂の使用されている場面は、 コ=一罪ノミコトの天孫降臨の場面﹂と考えら れる。系譜による分類は﹁天孫降臨﹂に該当することになる。.  さて、先にあげた記紀の記述には一=一二ノミコトの天降った場所についても詳細であるが、用例1に同様の記. 一. 一. 26.

(29) 述はみられない。用例1の作者にとって記紀神話同様の詳細な記述は不必要であったようである。なぜなら、用. よ          春わ. 寄り合ひの極み. あま  はら  いはと    ひら   かむあか.. 天の原 石門を開き 神上り. 知らしめす. あくも  . やへ   わ  . かむ. 神の命と 天日の 八重かき分けて神. さよみ        かむ      ふとし. ︵万・巻二・一六七︶. 清御の宮に 神ながら太敷きまして 上りいまし ⋮⋮. 飛ぶ鳥の.   みこと . 例1のねらいが天孫降臨したとされるニニギノミコトと天武天皇を不可分の関係として位置づけることにあった. あしはら    みつρほ. 葦原の 瑞穂の国を. 敷きます国と. ︵神下︶ いませまつりし 高照らす 日の皇子は. たかて           み ζ. 天地の. ためである。そのことは用例1に続く文脈をみると明らかである。. くた’. 下し すめろき. 天皇の. ひなみのみこのみこと  あら8のみや. 日並皇子尊の濱宮の時に、 柿本朝臣人麻呂の作る歌. ﹁高照らす 日の皇子﹂は上からの続きでは﹁ニニギノミコト﹂の意であり、下への続きでは神上りした﹁天武. 天皇﹂を表している。このことは﹁神下し﹂の解釈にも大きく関わる。 ﹁高照らす 日の御子﹂をニニギノミコ. トとみた場合、この場面はニニギノミコトの天孫降臨の場面である。従って、 ﹁神下し﹂は﹁天降り﹂に対応す. る語といえる。 一方、 ﹁高照らす 日の御子﹂を天武天皇とみた場合、天武天皇の崩御の場面ということになる。. 従って、 ﹁神下し﹂は﹁神上り﹂に対する語と解し得る。 ﹁神下し﹂の用例は上代においてはこの用例のみであ. る。おそらく、人麻呂がこの歌において﹁神上り﹂に対する語でもあり、 ﹁天降り﹂の意も表す語として使用し たものと考えられる。. 一. 一. 27.

(30)  つぎに用例2・3・4﹁神さぶ﹂の用例について考察する。用例2には﹁明日香の真神の原に天つ御門を 恐. くも 定めたまひて 神さぶと 磐隠ります やすみしし わが大君の ⋮⋮﹂とある。 ﹁神さぶと 磐隠りま. す﹂は、 ﹁神として磐の中にお隠れになった﹂の意である。 ﹁わが大君﹂とは用例1同様、天武天皇をさすもの. きよみ        かむ      ふとし          すめろき. 清御の宮に 神ながら太敷きまして 天皇の. ︵万・巻二・一六七︶. 敷きます国と 天の原. あま  はら. である。しかも、作者も用例1に同じく柿本人麻呂である。この用例の考察にあたって、天皇の死を﹁磐隠りま. 飛ぶ鳥の. す﹂と表現した背景に、先にあげた巻二・一六七のつぎの記述を考慮する必要があると考える。 たかて            み こ. 高照らす 日の皇子は いはと    ひら   かむあか’. 石門を開き 神上り 上りいまし ひ献みのみこのみこと  あら唇のみや. 日並皇子尊の残宮の時に、 柿本朝臣人麻呂の作る歌. 傍線部﹁天の原 石戸を開き 神上り 上りいまし﹂は考察中の用例同様、天武天皇の崩御を表現したものであ. る。この表現は、アマテラスの石屋戸隠れのイメージを天皇の崩御と重ねあわせたものである︵注②︶。人麻呂. がこのような意識を持って天武天皇の崩御を表現していることを考えると、用例2﹁神さぶと 磐隠ります﹂と. いう表現にもアマテラスの石屋戸隠れと天皇の崩御を重ねてイメージしているとみるべきである。従って、用例 2の使用されている場面は﹁アマテラスの石屋戸隠れ﹂の場面と判断し得る。.  その一方で﹁磐隠ります﹂の表現は、当時の御陵の石室の構造によるとも考えられる。つまり、 ﹁磐隠ります﹂. の表現は、石室の羨道の入口が石の戸で作られており、そこに納められる天武天皇を単に﹁磐隠ります﹂と表現. ﹁. 一. 28.

(31) したものとも考えられるのである。 ﹁神さぶと 磐隠ります﹂の表現は一六七番歌の﹁天の原 石戸を開き 神. 上り 上り﹂の表現と違って、アマテラスの石屋戸隠れとの結びつきは希薄である。しかし、人麻呂という一人. の作家の中には﹁神さぶと 磐隠ります﹂という表現に、=ハ七番歌と同じ意識があったとみることがむしろ自. 然である。なぜならば、富里の根底にあるものは天武天皇に対する絶大な信頼と畏敬の念である。そのたあには. 一=一ギノミコトと天武天皇は神の御子として同格であり、天武天皇の崩御はアマテラスの石屋戸隠れと同一視さ. れ、死ではなく﹁神隠れ﹂である必要があったのである︵注③︶。従って、用例2を含む叙述は﹁アマテラスの 石屋戸隠れの場面﹂と関わるものである。神話系譜は﹁石屋戸隠れ﹂に属する。.  つぎに用例3・4について考察を進める。この二つの用例は用例2と同じく﹁神さぶと﹂という表現であるが、. 用例2とは大きく内容を異にする。歌の内容はともに恋歌である。 ﹁神さぶと﹂は﹁年を重ねる﹂意として使用 されており、両歌に神話的内容はみいだせない。.  用例5﹁神づまり﹂は、唐に向かう多治比真人広成︵たじひのまひとひろなり︶に山上憶良が贈った歌の中で. 使用されている。用例にあげた記述の前文では、大和の国が神の威徳のいかめしい国であり、言魂の助ける国で. あることが述べられ、その朝廷の人の溢れる中で広成が使者として選ばれたことを讃えている。そして、その航. 海の安全を﹁海原の 辺にも沖にも 神づまり うしはきいます 諸の神たち﹂が荒びいてくれるというもので. ある。神話的な要素をもった記述であることがうかがえる。憶良がこの歌を詠んだのが天平五年︵七三三年︶で. あることが詞書によって明らかである。すでに記紀は完成し、諾諾の持つ神話の基盤は記紀神話であったかもし. れない。しかし、記述された内容に該当する記紀神話の記述はみられない。従って、この用例に記紀神話との関 係はみいだせない。.  用例6∼10の五例は﹁神さぶる﹂の用例である。 ﹁神さぶる﹂は﹁神さぶる ∼ ﹂のように用いられ、神さ. ぶる以下の語を形容する場合と﹁ ∼ 神さぶる﹂のように神さぶるに上接するものの述語として用いられる累. 層. 曽. 29.

(32) 合とがある。用例6の場合﹁神さぶる 岩根こごしき み吉野の﹂とあり﹁吉野山﹂を形容している。同様に用. 例8は﹁浅葉野に 立ち神さぶる 菅の根の﹂であり﹁菅の根﹂を、用例9は﹁神さぶる 荒津の崎﹂は﹁荒津. の崎﹂を、用例10は﹁神さぶる 下官の崎﹂は﹁垂姫の崎﹂をそれぞれ形容するものである。唯一、用例7が. ﹁石上 布留神杉 神さぶる﹂とあり﹁石上の布留神杉﹂に述語的に機能している。歌の内容は用例7・8・9. とも恋歌である。用例6は吉野の山を詠んだものであり、用例10は水辺を遊覧する折の歌である。いずれも記紀 神話との関係はみいだせない。.  しかし、これらの用例から上代人が特別な山・崎・杉などの自然物に対し、 ﹁神さぶる︵古びて貴く見える・. 神々しく見える︶﹂という意識を持っていたことが知られる。また、表記において﹁神古﹂や﹁神成﹂の語が. ﹁. ﹁神さぶる﹂に当てられていることから、例えば、用例7の﹁石上 古留の神杉の 神さぶる﹂の場合、石上の. 古る杉であるから神杉となり得るわけであり、年輪を経た古杉に﹁神成︵神が成る意︶﹂と考えていたことが知. 33. 騨. られる。長い年月を経る自然のものに神が宿るという意識が﹁神古﹂ ﹁神成﹂という語に反映されているように. 思える︵注④︶。上代人にとって﹁神﹂は、記紀神話の神以外にも存在したのである。むしろ、記紀神話の神々 もその一部であったとみるべきかもしれない。 ︵注⑤︶。.  用例11﹁神しみ﹂は﹁百代まで 賛しみ行かむ 大宮所﹂とあり、百貫京の繁栄を予祝した歌である。 ﹁結し. む﹂とは﹁神々しく﹂の意で、用法としては﹁神さぶ﹂に近いものである。記紀神話との関わりはみいだせない。.  用例12は﹁神びし﹂は﹁石上 布留の神杉 神びしに﹂とあり、先に考察した用例7の場合と類似している。 内容は恋歌である。この用例にも記紀神話との関係はみいだせない。.  用例13﹁神さぶる﹂は用例6∼10までの﹁かむさぶる﹂の傷みに対し、万葉集の中で唯一﹁可美佐夫流﹂と表. 記され、 ﹁かみさぶる﹂と訓む例である。また、この歌では﹁難波津︵なにはつ︶﹂が﹁なにはど﹂と訓まれて. おり、 ﹁かみさびる﹂とともに方言と考えられなくもない︵注⑥︶。しかし、他に用例がなく判断が難しい。具.

(33) 体的な使用方法からみると﹁難波津を漕ぎ出て見れば 神さぶる︵可美佐夫流︶ 生駒高嶺に 雲そたなびく﹂. とあり﹁かむさびる﹂の類と変わりはない。また、 ﹁神さぶる 生駒高嶺﹂の記述から他の神さぶる同様、ここ. では﹁生駒山﹂に対し﹁神さぶる﹂の語をもって形容している。記紀神話との関係はみいだせない。.  つぎに祝詞の用例24∼31の八例についてとりあげる。考察にあたりあらかじめ結論的ないい方を施しておくな. らば、祝詞の用例には、記紀神話との関係においてニニギノミコトの天孫降臨の場面そのものが叙述されている. ものと、天孫降臨神話に基づき類似の叙述をしたものとが存在する。記紀神話との関係において、筆者が必要と するのは前者のものである。この点を断わった上で考察を進めたい。.  祝詞の用例24∼29までの六例は﹁神づまり﹂の用例である。いずれも﹁神留﹂と表記され、 ﹁集侍はれる神主. ・祝部等、諸聞こしめせと宣る﹂という文のあとに続くか、いきなり用例にあげた文で始まっている。つまり、. 各用例とも祝詞の冒頭の部分の記述ということになる。しかも、﹁高天の原に神づまります、皇睦以ろきの命・. 神うみの命をもちて﹂の文脈まで共通しており、祝詞の冒頭における慣用的表現であると考えられる。.  ﹁高天原に 神づまります﹂とはコ高天原にとどまっていらっしゃる﹂の意である。記紀神話同様﹁皇男神ろ. きの命・神うみの命﹂は高祖神をさすものである。神うきは男神を言うみは女神の意とされており、主として皇. 祖神を意味する。その場合、具体的には﹁タカムスヒ︵高皇産霊神︶・カミムスヒ︵神言産霊神︶﹂あるいは、. ﹁アマテラス︵天照大神︶﹂をさすものである。高天原にとどま﹁っている神々は記紀神話の中でも明らかにされ おり、高祖神はまさにそれに該当する神々である。.  用例24・25はコ局天の原に神留ります、皇図神ろきの命・神うみの命もちて、天つ社・国つ社と称辞寛へまつ. る⋮⋮﹂とあり、祝詞の主旨が語られている。記紀神話に天つ社・国つ社に関わる同様の場面はみいだせない。.  用例26は﹁高天の原に神留ります、皇図神ろきの命・意うみの命もちて、皇御竃の命を天つ高御座に坐せて、. 天つしるしの剣・鏡を捧げ持ちたまひて、言寿き宣りたまひしく⋮⋮﹂とある。この祝詞の主旨を語る部分であ. 響. 一. 31.

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